2004年06月27日

Akimasa Net
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鈴ヶ峰312m~井口台東コース
(出発帰着:自宅)

2004年06月27日(日)、単独

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はじめに

土日連続で雨模様、ちょっと雨が上がったタイミングを見計らって登る。北側は雲の中で展望はイマイチ。鉾取山系ははっきりと見えた。小田山周辺のピークまで細かく同定する。

登りは、井口台中学校から最短距離で頂上を目差す。下りは、西峰の方にちょっといった所から左折して、バス待避所あたりに下山する。風化花崗岩の砂に角々した石が埋まった急坂である。初めてのコースで慎重に下る。井口台三丁目33

今日のコース&コースタイム

出発14:52-井口台中学校(鈴ヶ峰憩いの森入口)15:19、15:22-堰堤15:28-大きな堰堤15:30-沢(水あり)15:32-右折り返し15:35-鈴ヶ峰 15:49、16:56-登山口17:14-帰着17:47

  • 出発(27分)憩いの森登山口(27分)鈴ヶ峰
  • 鈴ヶ峰(18分)井口台登山口(33分)帰着
  • 総合計1時間48分
    行き57分(休憩を含む)
    帰り51分

鈴ヶ峰からの展望

荒谷山の右奥に、海見山がはっきりと見える。その右は水越山だろうか。大茶臼山の左奥に、火山がはっきりと見える。その左は野登呂山だろうか。堂床山は雲の中のようだ。

柚木城山の左奥に武田山、右奥に阿武山をみる。大茶臼山右奥の備前坊山まで見えているのだろうか。うっすらと山陰がみえる。縦走路315mの向こうに宗箇山も分かる。

675m~安駄山、763m~高鉢山南峰のそれぞれのピークがよく分かる。675m~安駄山の向こうに、鷹ノ巣山をみる。675mの左奥に、鎌倉寺山のピークがあり、(鬼ヶ城山)の右肩454mもはっきりと分かる。高鉢山南峰右奥に、金明山東南東の705mを見る 。

(湯坂峠)~536.6m三角点~590m台~612.7m三角点の各ピークがはっきりと分かる。536.6m三角点~590m台の向こうに、段原山が裾野を広げている。536.6m三角点の左奥に小さな頭が一つ見えているようだがはっきりとはしない。

曽場ヶ城山~652m~水ヶ丸山~514m~514mの各ピークがはっきりと分かる。曽場ヶ城山 は、呉娑々宇山にほとんどくっついた位置にある。

呉線沿線の山は同定がむつかしい。
似島、江田島、倉橋島の重なりを少しくわしく検討する。
経小屋山は雲の中。阿弥陀山も雲の中。北の方はかなり雲が厚い

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年01月23日)山行記
    己斐峠~柚木城山~鬼ヶ城山~鈴ヶ峰~八幡東
    (出発:己斐峠(JR西広島駅―山陽本線)、帰着:八幡東(JR五日市駅―山陽本線))

2006年05月28日

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鈴ヶ峰312m井口台東コース
(出発帰着:自宅)

2006年05月28日(日)、単独

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はじめに

山行再開第2回目、やり直し

前日5月27日(土)、野貝原山~極楽寺山の予定で出かけたが、野貝原入口にて、降雨敗退。再び野貝原山の予定で出かける。しかし、雨が落ちてきそうな雰囲気で、電車に乗ることなくそのまま鈴ヶ峰まで歩いて登った。行ける所まで、あわよくば武田山まで縦走を考えた。しかし、足があがらず、やっと鈴ヶ峰山頂に達しただけで下山した。

今日のコース&コースタイム

出発7:00-鈴ヶ峰憩いの森入口(井口台中学校の上)7:24、7:28-堰堤7:37-沢(水なし)7:39-右折り返し7:49-(尾根道)-展望8:03-鈴ヶ峰8:06、8:30-階段8:49-井口台パークタウンバス停8:51-バイパス(井口地下道)9:14- 帰着9:33

出発(24分)憩いの森登山口(38分)鈴ヶ峰(21分)バス停(42分)帰着
登り:1時間06分(登山口4分を加える)
下り:1時間03分
総合計2時間09分(鈴ヶ峰24分を除く)

今日の様子

登山口手前で一度薄日がさす。気温は高くないが蒸し暑い。今日も登山口には杖が用意してある。自分で使ったことはないが心遣いに感謝。さて、どこまで行くか?今まで一度も武田山まで通して歩いたことはない。行けるところまで行ってみることにする。途中の下山口は把握しているので気は楽だ。

ところが、足が上がらない。特に右脚がよろしくない。先日の入院時に内出血した箇所(右鼠径部)が、約半月たってやっときれいになったところだ。やはり、影響はあるのだろうか。山頂まで行って往路下山とするか。

沢で右岸に渡ってしばらく行き、その先の右折り返し点からは、尾根を左手にして手摺つきの木製階段をゆったりと登る。ここはかなり長い距離がある。そこを途中で左折して小尾根に乗る。山頂から南南東の方角に流れている尾根である。しっかりした踏み跡があり自然な感じがとてもきもちよい。

山頂手前展望箇所から、南東尾根270m台98度(真北から92.8度)、新八幡川橋東詰め203度(真北から197.7度)

山頂には誰もいない。峠島、似島は見えるが、その後の江田島はよく分からない。宮島はみえる。阿弥陀山はうっすら見えているが、窓ヶ山の山頂辺りは雲の中のようだ。武田山、阿武山まで何とか見えるが、太田川左岸の山々はよく分からない。ということで展望は今ひとつ。少し小雨がぱらつく。やはりここから下りることにしよう。

頂上から海に向って斜め右に踏み跡を追って下る。しばらくすると、南西尾根を右上から下ってくる道と合流する。その道は地形図の登山道表示通りについているようだ。等高線の20~30mごとに岩マークがあり、等高線がきれいにつながっていない。深くえぐれた登山道では、地面に突き刺さったように見える小さな岩が連続している。神経を使いながら下った。途中で単独者1名とすれ違う。

尾根途中展望:JR新井口北側55mピーク176度、海老園53.7m226度。
標高200m地点とすれば、55mピーク170.5度(真北から)、53.7m215.8度(真北から)。ただし展望地点は、それよりももうすこし少し高い位置かもしれない。

鈴ヶ峰の地図(広島)は持っていなかった。自動車道に出てからバイパス辺りまで下る間に、ジグザグに行きつ戻りつしながら余分な距離を歩いたようだ。とはいうものの、結局、山行再開2回目も第1回目と同じく軽いメニューとなった。それにしても、少し疲労感がある。ドクターストップのかかっている間に、脚の筋肉が少し衰えたのかもしれない。ほんのちょっとした二日連続の山行にも耐えられないのか。もう一度、慎重に考え直してみる必要があるだろう。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年01月23日)山行記
    己斐峠~柚木城山~鬼ヶ城山~鈴ヶ峰~八幡東
    (出発:己斐峠(JR西広島駅―山陽本線)、帰着:八幡東(JR五日市駅―山陽本線))

2007年06月16日

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武田山~火山~丸山~大茶臼山~柚木城山~鬼ヶ城山~鈴ヶ峰312m
(出発:JR下祇園駅―可部線、帰着:JR新井口駅―山陽本線)

2007年06月16日(土)、単独

太田川右岸縦走路:
武田山~(水越峠)~火山~(権現峠)~丸山~(畑峠)~大茶臼山~(己斐峠)~柚木城山~(草津沼田道路)~鬼ヶ城山~(道行地蔵)~鈴ヶ峰

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はじめに

太田川右岸沿いの縦走路を、武田山から鈴ヶ峰312mまで歩く。一度は通して歩きたいと意識していたコースである。時間設定は、JR下祇園駅(武田山)~大茶臼山まで4時間余り、大茶臼山~JR新井口駅(鈴ヶ峰)まで4時間程度を考えていた。

合計8時間以上の設定に対して、大茶臼山まではテンポよく進んで4時間を切った。しかし、後半は完全にバテバテとなり、結局は想定どおり全部で8時間以上かかった。

柚木城山に取りつくまでは、鈴ヶ峰312mから鈴ヶ峰西峰320.6mを経て鈴ヶ峰西端部まで行き、そこからJR五日市駅まで歩くことも視野に入れていたのだが。しかし、鈴ヶ峰312mで20分近くも休憩を取らなければ下山もできない状態では、とてもそれどころではなかった。

今日のコースタイム

JR下祇園6:47-地道6:58-憩いの森7:12 、7:14-登山口7:17-堰堤7:20-尾根7:31、7:33-御門跡7:40-城跡7:45-武田山7:50、8:00- 右・東亜ハイツ分岐あり、直進8:01-左・東山本分岐あり、直進8:03-弓場跡8:05-水越峠(右・東亜ハイツ分岐あり)8:14- なだらかピーク8:18-350m台(353m手前分岐、右・豊松園、海田ヶ原?)左折8:25-水越峠8:29-黒谷岩353m8:27-水越峠8:29-350m台(すぐに、左・堀切分岐あり)8:35-尾根左折8:42-小ピーク左折8:47-火山8:52、9:00-展望岩9:04-右・アストラム大原分岐あり、直進9:08-360m台9:11-鞍部9:12-399m9:16-380m台9:19-権現峠9:21、9:24-小コブ9:25-420m台(大岩群ピーク)9:33-小コブ9:37-426m送電鉄塔9:38-小コブ9:39-小コブ9:42-400m台9:44-鞍部380m台(左右に廃道)9:45-430m台コブ9:50-440m台コブ9:52-丸山9:54、9:56-小コブ9:59-だらだらピーク10:01-小コブ10:02-だらだらコブ10:04-356m送電鉄塔10:10-畑峠10:14(取り付き口移動)10:15-アンテナ群10:22-大茶臼山10:28-展望岩10:33、10:52-370m台コブ手前(左・広電団地分岐あり)右折10:54-己斐峠11:09(取り付き口移動)11:13-尾根に乗る11:21-279m手前(コブ、送電鉄塔)11:25-280m前後(コブ、送電鉄塔)11:29-小コブ11:34-310m台(送電鉄塔2本)11:35-330m台11:42-柚木城山下11:44、11:47-330m台11:49-送電鉄塔320m台11:51-290m台(鞍部~コブ)11:56-送電鉄塔290m台11:58-小コブ左折12:01-右・巻き道あり、直登12:04-315m(古田山)12:09、12:21-草津沼田道路分岐、右折12:26-草津沼田道路12:37(取り付き口移動、休憩少々)12:46-山田団地分岐13:00、13:03-送電鉄塔13:06-簡易舗装道終わり13:10-250m台13:14-250m台13:16-送電鉄塔250m台13:19-鬼ヶ城山13:28-見晴岩13:30-道行地蔵13:40、13:50鞍部13:54-送電鉄塔200m台13:55-小コブ13:57-登り始める14:01-240m前後コブ14:06-290m台コブ14:16-直進・鈴が峰公園下山口、右折して登る14:16-鈴ヶ峰14:19、14:38-憩いの森入口15:00-JR新井口15:14

  • JR下祇園(25分)憩いの森(36分)武田山
     小計1時間03分(憩いの森2分加える)
  • 武田山(14分)水越峠(15分)地図上の水越峠(23分)火山
     小計52分
  • 火山(21分)権現峠(30分)丸山
     小計54分(権現峠3分加える)
  • 丸山(18分)畑峠(13分)大茶臼山
     小計32分(畑峠取り付き口移動1分加える)
  • JR下祇園~大茶臼山、小計3時間41分
     (武田山10分、火山8分、丸山2分加える)
  • 大茶臼山(5分)展望岩(17分)己斐峠(31分)柚木城山下
     小計1時間16分(展望岩19分、己斐峠取り付き口移動4分加える)
  • 柚木城山下(22分)315m(16分)草津沼田道路(42分)鬼ヶ城山
     小計1時間41分(315m12分、道路取り付き口移動9分加える)
  • 鬼ヶ城山(12分)道行地蔵(29分)鈴ヶ峰
     小計51分(道行地蔵10分加える)
  • 鈴ヶ峰(22分)憩いの森(14分)JR新井口
     小計36分
  • 大茶臼山~JR新井口、小計4時間46分
     (柚木城山3分、鈴ヶ峰19分加える)
  • 総合計8時間27分(全ての時間を含む)

武田山~火山

平年よりも遅く、やっと入梅したはずだが雨は降らず、今日の最高気温は30度を越えたらしい。ところが、湿度20%というように極端に乾いている。それでも暑いことは暑い。汗もかいたし水分も沢山補給した。

武田山憩いの森手前の簡易舗装道(急坂)をゆったりと登る。憩いの森の溜池までマウンテンバイクで上がってきた小学生数人が釣り糸を垂れている。何が釣れるのだろうか。

山道に入ってもペースを守って登る。何だか快調に高度を稼いで武田山山頂に立つ。そのまま火山に向けて下る。そして火山への登りも苦にならない。たぶんその辺りだったと思うが、中年男女2人のパーティとすれ違い言葉を交わす。「武田山から?」と聞かれて、「ええ、鈴ヶ峰まで」と答える。

後日注:
私の1時間くらい後を、お互いのホームページを通じて知り合った山仲間が歩いていたらしい。前記パーティによって、中年男性(私)が鈴ヶ峰を目指していることが伝わり追いかけたそうだ。しかし、残念ながら、途中で遭遇することはなかった。

火山~丸山~大茶臼山

さて、火山で少し休んで、さらに丸山をめざす。火山を出発しようとしたちょうどその時、若い男性に追いつかれる。そのままお先に失礼する。丸山まで、前回感じた距離もほとんど気にならない。

丸山を少し過ぎた辺りで、件の男性に追い抜かれる。あっという間に視界から消えてしまった。その後だったと思うが、若い男女2人のパーティとすれ違う。最近再び若い人たちが山行をするようになったのだろうか。心強い限りである。

大茶臼山まで3時間41分しかかかっていない。余裕で展望岩に達する。このまま鈴ヶ峰まで一気に行けそうな感じがする。いっそのこと、鈴ヶ峰西峰(三角点)経由で尾根の一番向こうまで行ってやろうかとも考えた。しかし甘かった。

大茶臼山から先はスタミナ切れ

大茶臼山(展望岩)で少し休み、車道(己斐峠)まで、前回と同じく新設(復活)道を下る。ここでも一人の男性とすれ違う。こうして踏まれることによって、復活は確実なものとなるだろう。自動車道まで下り、車道を右手の己斐峠を乗り越して少し行く。そこから、左手の柚木城山を目指して再び山道に入る。ここから先では、体が極端に重くなりなかなか前に進めない。登りはもちろんのこと下りでもしんどい。いわゆるスタミナ切れというものかもしれない。

柚木城山ピークはパスして巻き道をそのまま行く。315mにもしっかりした巻き道があるようだが、展望を楽しみたくてピークをめざした。315mで少し休んで草津沼田道路に向けて下る。

先程の巻き道分岐にあった道標によれば、巻き道経由で少し早めに道路に下りることができる、となっている。地形図黒点線のルートが復活したのであろうか。

今日の私はいつもの通り、料金所東の急な階段を下っていった。地形図黒点線の一つ南側の枝尾根上である。何百段あるんだろうか。えらく長く感じる。かなりバテテいることを自覚し始める。

鬼ヶ城山~鈴ヶ峰をあえぎにあえぐ

草津沼田道路を右へ北向きに少し行き、信号を渡る。自動車道に沿って取り残されたようになっている旧道?を、左へ南向きに少し下り、取り付き口(標高150mくらい)から鬼ヶ城山を目指す。

最初、竹やぶの中をゆったりと行き、次に左へ折り返して、団地裏の簡易舗装道を同じくゆったりと行く、そして山頂部・・・というイメージを描いて取りついたのだが。すぐに、ゆったりではなくゆっくりとしか歩けなくなってしまった。

それでも何とか鬼ヶ城山を乗り越し、道行地蔵まで下る。地蔵で休み、いよいよ最後の登り、鈴ヶ峰をめざす。ここからの地形は、最初ほとんど傾斜はなく、最後に急坂なのはよく分かっている。急坂手前まで出来る限り体力を使わないようにして歩く。

最後の急坂で力を振り絞って山頂まで這い上がり、展望を楽しむ間もなく座り込んでしまう。それでもほんのちょっとは観察した。

鈴ヶ峰からは、十方山~論所~奥三ツ倉の形がはっきりと分かる。周防大島(嵩山~嘉納山など)もかすんではいるが、その先端部まで能美島の後方に見えている。そして、久しぶりに宮島の真後ろに高照寺山を見た。

鈴ヶ峰からの下りもしんどい。家に帰り着く手前の公園で1時間寝込んでしまった。しかし何はともあれ、無事最後まで歩きとおすことができて感謝。なお、後半部分の送電鉄塔の位置をほぼ確実に把握することができた。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

2010年06月12日

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鈴ヶ峰312m~鬼ヶ城山~鬼ヶ城山東面探索
JR新井口駅~憩いの森~鈴ヶ峰東峰~道行地蔵~鬼ヶ城山東面探索
(出発帰着:自宅)

2010年06月12日(土)、単独

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はじめに

今年7月に富士山に登ることになった。長男に声をかけられその気になった。しかし、最近諸般の事情で全く山に行っていない。トレーニングをしないと・・・というので、またまた近場の鈴ヶ峰。

先週は、道行地蔵から鬼ヶ城山に登り、そこから、鬼ヶ城山東面にある小八畳岩を経て下山するルートを探索するつもりであった。しかし、ヤブ道に嫌気して通常の登山道を道行地蔵まで引き返した。そして、そこから逆に鬼ヶ城山の東面に回り込んで攻め登ってみたが日没サドンデス。

もう一度、鬼ヶ城山東面にトライしてみよう、というので、今日も再び鈴ヶ峰を越えて道行地蔵に至る。

今日のコース&コースタイム

出発14:58-JR新井口15:06-憩いの森登山口15:24-第二堰堤15:31-沢渡る(涸沢)15:33-右屈折点15:36-右下分岐あり15:42-右屈折点15:47-ぼけ封じ地蔵15:48-鈴ヶ峰東鋒15:51、16:06-道行地蔵16:27、16:30-(鬼ヶ城山東面)-水溜り16:40-(探索)-尾根道に上がる16:52-道行地蔵16:56-鈴が峰公園分岐17:17-鈴ヶ峰東峰17:22、17:25-鈴が峰公園分岐17:27-稜線分岐17:30-東屋17:33-第二堰堤17:35-憩いの森登山口17:40-帰着18:09

  • 出発(26分)憩いの森登山口(27分)鈴ヶ峰
     小計53分
  • 鈴ヶ峰(21分)道行地蔵
     小計21分
  • 道行地蔵(10分)鬼ヶ城山東面探索、水溜り(4分)道行地蔵
     小計26分(探索時間12分を加える)
  • 道行地蔵(26分)鈴ヶ峰
     小計26分
  • 鈴ヶ峰(8分)東屋(7分)憩いの森(29分)帰着
     小計44分
  • 総計3時間11分
    (すべての時間、鈴ヶ峰15分、道行地蔵3分、鈴ヶ峰3分を加える)

今日の様子

天気は曇り、鈴ヶ峰山頂からの見通しはあまり良くない。山頂から北向きに大茶臼山~武田山縦走路に入り、道行地蔵まで下る。そして、道行地蔵からすぐに鬼ヶ城山東面に入ることにした。

地蔵前の小広場を南東向きに行く。金網付きの簡易舗装道である。右手に谷、その向こうには先ほど下りてきた枝尾根(鈴ヶ峰~道行地蔵)を見る。今歩いている足元には、美鈴が丘団地から海岸部に下る自動車道のトンネルがあると思われる。

すぐに簡易舗装道は終わり、その先を細かいステップの木段で急下る。左に折り返し、同じような木段を、今度は北向きに登る。やがて、木段から踏み跡に変わる。左手の尾根上には、道行地蔵~鬼ヶ城山縦走路があるはずである。右手の小さな沢(沢の右岸)沿いを北向きに登る。

水溜り(標高約200m手前くらい)がある。その上は踏み跡もあやしい。なんとか登ろうとしたが、何の面白味もない。引き返すことにする。右手の小尾根に注意しながら下る。そこに登山道があるはずだから。あまり段差がなくて、すぐ縦走路に駆けあがれそうな地点を見つける。

何のことはない、縦走路上でいつも「踏み跡らしきものがあるな」と感じていた地点(標高200m台)である。そこから縦走路を左に下ってすぐ道行地蔵。道行地蔵から、再び鈴ヶ峰まで登り返す。

最近は、山中でトレーニングをしている人をよく見かける。今日も鈴ヶ峰に登り返す途中で、下りてきた男性とすれ違い、そして今度は同じ人に後ろから追い抜かれた。追い抜かれはしたが、私の体調も今日はよい。順調に今日二度目の鈴ヶ峰に立つ。

山頂には中年男女の一団、その数10人以上か。「今日はよく歩いた」など元気がいい。武田山あたりから歩いて来たものか。

私がさっさと下りようとかまえたとたんに、軍団は身支度を整え下り始めた。憩いの森入口方面である。後ろを追うのも面倒だ。というので、もう一度、鈴ヶ峰~道行地蔵へのコースに入り、すぐ右折して鈴が峰公園に向けて下った。そして、途中の270m台コブから、東屋に向けて南向きに下り、憩いの森入口上部の第二堰堤(左岸)まで先回りをした。

谷向こう(右岸)から話声が聞こえる。軍団がここまで下るにはもう少し時間がかかるだろう。私は、そのままのんびりと憩いの森入口まで下った。そして、そこから車道をJR新井口駅手前の陸橋まで来たとき、件のグループと思われる一団が陸橋から下りてくるのといっしょになった。たぶん、鈴ヶ峰団地の中を下ったのであろう。団地の中を行くのと外を回るのでは、3分程度の差があるはずだ。

今日は、時間は短かったものの、雨の合間をぬって歩けたことに満足。だけども、どうしてあんな場所(鬼ヶ城山東面)にあんな立派な木段があるのだろうか。そこを歩く人がいるとはとても思えない。林業のためとも思えない。工事のための工事をしたのであろうか。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年01月23日)山行記
    己斐峠~柚木城山~鬼ヶ城山~鈴ヶ峰~八幡東
    (出発:己斐峠(JR西広島駅―山陽本線)、帰着:八幡東(JR五日市駅―山陽本線))

2010年06月05日

Akimasa Net
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鈴ヶ峰312m~西峰(三角点)~佐伯区八幡東
JR新井口駅~憩いの森~鈴ヶ峰東峰~西峰(三角点)~佐伯区八幡東~ロード~JR新井口駅(出発帰着:自宅)

2010年06月05日(土)、単独

20100605-103143.jpg

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はじめに

今年7月に富士山に登ることになった。長男に声をかけられその気になった。しかし、最近諸般の事情で全く山に行っていない。トレーニングをしないと・・・というので、近場の鈴ヶ峰。

今日のコース&コースタイム

出発9:49-JR新井口9:57-憩いの森登山口10:15、10:19-第2堰堤10:28-(小さな沢)-右屈折点10:33、10:37-左屈折点10:43-右折10:45-右折(ぼけ地蔵)10:47-P5右折10:49-鈴ヶ峰東峰10:52、11:11-小コブ11:17-小コブ11:22-鈴ヶ峰西峰(三角点)11:27、11:35-美鈴が丘南分岐11:48-205m11:49、12:23-右に送電鉄塔12:30-第二鉄塔(右に高井分岐あり)12:34-第三鉄塔12:37-左分岐あり12:40-小コブ12:42-登山口(八幡東四丁目)12:51-車道(八幡東四丁目35番信号)12:54-八幡川13:05-八幡橋13:30-鈴峯電停近く13:35-帰着14:09

  • 出発(26分)憩いの森登山口(33分)鈴ヶ峰
     小計1時間03分(憩いの森4分を加える)
  • 鈴ヶ峰(16分)西峰三角点(14分)205m(11分)第二鉄塔、高井分岐(17分)八幡東四丁目登山口(3分)八幡東4丁目信号
     小計1時間09分(三角点8分を加える、昼食34分を除く)
  • 八幡東4丁目(41分)鈴峯電停近く(34分)帰着
     小計1時間15分
  • 総計3時間46分
    (鈴ヶ峰19分を加える、昼食34分を除く)

今日の様子

久しぶりの山登り、ゆったりと行く、と言えば聞こえは良いが、ゆっくりとしか歩けない。

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大型の黄色の花、その派手な姿は外来種か?

山頂からの展望はあまり良くない。とは言うものの、東郷山の向かって左裾奥(阿弥陀山との間)に十方山を認める。海側では、倉橋火山がそれとなく分かる程度。

20100605-110013.jpg

鈴ヶ峰~鬼ヶ城山~柚木城山~大茶臼山~(丸山)~火山~武田山縦走路をみる。

大茶臼山の左裾奥に火山をみる。
柚木城山の左奥に武田山が頭をだす。
柚木城山の右奥は阿武山である。
鬼ヶ城山は柚木城山の左懐にすっぽりと入り込む。
なお、丸山が大茶臼山の真後ろに頭を出すかどうか(未確認)

鈴ヶ峰西鋒(三角点)を越えてなおも西へ行く。205mで昼食。眼下にはゴルフ場がある。プレーヤーの姿がはっきりと分かる。

鈴ヶ峰西端部から五日市町内を通り、極楽寺山に取りつこうかとも考えた。そして最後は、山向こうのアルカディア・ビレッジまで下って湯につかり、廿日市市街地まで無料バスで送ってもらおう。思いだけでそれを実行する気力がない。ロードでそのまま帰宅。

20100605-132919.jpg

「八幡橋」の来歴

20100605-133124.jpg

「餓鬼の首地蔵」

途中の西国街道(江戸時代の山陽道)で、「西国街道 いのくち歴史の散歩道」という井口公民館の案内板を見る。いつの間にか、いろいろなことが整備されており楽しい。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年01月23日)山行記
    己斐峠~柚木城山~鬼ヶ城山~鈴ヶ峰~八幡東
    (出発:己斐峠(JR西広島駅―山陽本線)、帰着:八幡東(JR五日市駅―山陽本線))

2010年06月19日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 鈴ヶ峰トップページ

鈴ヶ峰312m~鬼ヶ城山~315m峰
JR新井口駅~憩いの森~鈴ヶ峰東峰~道行地蔵~鬼ヶ城山~(草津沼田道路)~古田山315m峰
(出発帰着:自宅)

2010年06月19日(土)、単独

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はじめに

今年7月に富士山に登ることになった。長男に声をかけられその気になった。しかし、諸般の事情で最近は全く山に行っていなかった。トレーニングをしないと・・・というので、諸々の予定に一旦めどをつけて山行再開。第3週目の今日は、空模様をながめながら、芸北の予定を鈴ヶ峰~大茶臼山~武田山縦走に変更したのだが。

先週は、鈴ヶ峰~道行地蔵から鬼ヶ城山東面をさぐったが、さしたる成果はなく、道行地蔵まで引き返して鈴ヶ峰に登り返した。その時、鈴ヶ峰山頂で武田山あたりから縦走してきたらしい一団に追いついた。鈴ヶ峰~大茶臼山~武田山はいいトレーニングになるな、とふと思い浮かぶ。

それでも今日のトレーニングは、芸北できつめのコース(二軒小屋~内黒峠縦走路~十方山~十方山林道~旧羅漢山~恐羅漢山~牛小屋高原~二軒小屋)を考えていた。

しかし、朝から天気がはっきりしなくて、一旦は出かけるのを断念した。10時近くになって、海岸部ではほぼ雨の心配はなくなったようだ。そこで、鈴ヶ峰~大茶臼山~武田山を目指したが、体調不良でリタイア。

今日のコース&コースタイム

出発10:01-JR新井口10:09-憩いの森登山口10:25-第二堰堤10:35-沢渡る(涸沢)-右屈折点10:40-右下分岐あり10:46-ぼけ封じ地蔵10:50-鈴ヶ峰東鋒10:55、11:00-鈴が峰公園分岐11:04-道行地蔵11:21-鬼ヶ城山11:38、11:44-送電鉄塔(アンビン岩)11:49-山田団地分岐12:00-草津沼田道路脇12:10-道路反対側登山口12:21-尾根左折点12:38-古田山12:48、13:00-もみじが丘団地(左)13:30-左前方に大茶臼山13:11-高須台(右)13:13-高須台団地13:24-広電高須13:53-帰着14:25

  • 出発(24分)憩いの森登山口(30分)鈴ヶ峰
     小計54分
  • 鈴ヶ峰(21分)道行地蔵(17分)鬼ヶ城山
     小計38分
  • 鬼ヶ城山(26分)草津沼田道路(27分)古田山315m
     小計1時間04分(草津沼田道路移動・休憩11分)
  • 合計2時間47分
     (鈴ヶ峰5分、鬼ヶ城山6分を含む)
  • 古田山(24分)高須台団地(29分)広電高須(32分)帰着
     小計1時間25分
  • 総合計4時間24分(すべての時間、古田山12分を加える)

今日の様子

蒸し暑い。大汗をかく。登りのペースが落ち気味である。鈴ヶ峰山頂から下を眺めるが、霧で全く見えない。先を急ぐ。道行地蔵までは何とかなったが、鬼ヶ城山の登りで早くもへばる。草津沼田道路を渡って階段を登る。なお、階段の横にあった草津沼田道路の料金所は、無料化によって撤去されている。

この階段でさらに足に来る。尾根をあえぎながら古田山315mに達する。ズボンの腰から下が汗でびしょ濡れである。ズボンの後ろポケットのノート(A6版)が汗でぐしょ濡れになってしまった。今日はここまでとする。

しばらく休んで、南東向きの小尾根を下る。三輪神社、広島学院に下るルートである。以前にそこから登ってきたことがある。下る途中の位置関係は、右手の谷間に草津沼田道路、その向こうの尾根は鬼ヶ城山~鈴ヶ峰である。

途中(標高280m台)で、左分岐(もみじが丘方面)がある。今まで一度も行ったことはない。行ってみることにする。左に振って小尾根に入る。左手上方には、古田山~柚木城山の尾根が見えている。途中でその前方にある大茶臼山を認める。

高須台分岐(右)に至る。標高250~60mである。地形図には260m台のコブがあるが、今日はしっかりと地形を把握できていない。それはともかく、あまり向こうまで行きたくない、という気持ちになり、もみじが丘方面を正面に分けて右折、高須台団地に向けて下る。東南東に向けた枝尾根上を下り、高須台団地に降り立つ。

適当に道を選んで、広島学院前から高須駅に至る。電車通りの手前から、2歳くらいの坊やが母親と姉の前を走っては止まり、止まっては走りしながら行く。私の歩く速さとほぼ同じである。高須駅から宮島街道沿いの小路を適当に西へ行く。少々不安の残る山行となってしまった。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年01月23日)山行記
    己斐峠~柚木城山~鬼ヶ城山~鈴ヶ峰~八幡東
    (出発:己斐峠(JR西広島駅―山陽本線)、帰着:八幡東(JR五日市駅―山陽本線))

2013年02月17日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

包ヶ浦~鷹ノ巣高砲台跡~かや谷コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年02月17日(日)、単独
包ヶ浦自然歩道(博打尾)~包ヶ浦~鷹ノ巣砲台跡~かや谷コース~包ヶ浦自然歩道(博打尾)

海軍省標石

〈写真〉海軍省標石
右手前方に、これから向かう(砲台跡~202m)~300m台~410m台(かや谷駅東北東のピーク)の尾根を見る。

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2013年02月17日)無し

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はじめに

宮島・鷹ノ巣砲台跡見学

宮島には砲台跡が二つある。室浜砲台跡(西海岸)と鷹ノ巣砲台跡(東海岸)である。いずれも明治期のもので、当時の仮想敵国ロシアの艦隊が、呉軍港に侵入するのを阻止するために建造された。

その他、宮島南東端(岩船岳の先)の山中にある小さな遺構(第二次大戦中のもの)も長らく砲台跡とされていた。しかし、その後の調査によって、この砲台(跡)は、実際には「厳島聴測照射所」だということが判明した。中国新聞記事(2011年1月12日付)

今日は、東海岸の鷹ノ巣砲台跡から小尾根を伝って、「かや谷コース」に至るルートを歩いた。

まず、紅葉谷~包ヶ浦自然歩道(博打尾)経由で包ヶ浦まで行く。海岸道路に入って南向きに行き、途中から、鷹ノ巣砲台跡に向けてきれいな幅広の山道に入る。しばらく行くと、お目当ての海軍省標石がある。砲台跡はそのもう少し先である。

インターネット情報によれば、包ヶ浦から直接砲台跡に至ることができるらしい。しかし今日は、そのルートを探索することはしなかった。海軍省標石を見たかったからである。

さて、砲台跡から「かや谷コース」尾根に登りついた後は、弥山を経由して下山することも考えていた。しかし、久しぶりの山行であり、無理せずそのまま、かや谷コースで博打尾へ向けて下った。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:58-包ヶ浦自然歩道10:20-かや谷コース分岐10:41-海岸道路11:20-鷹ノ巣砲台跡取付き(11:38、11:42)-海軍省標石11:48-鷹ノ巣高砲台跡、西へ移動しながら探索(11:55-12:07)-大休み(13:00、13:19)-かや谷コース尾根13:29-410m台ピーク確認13:30-引き返して、博打尾コースへ下る-博打尾コース分岐13:49-包ヶ浦自然歩道合流13:58-うぐいす道合流14:16-(うぐいす道を行く)-宮島桟橋14:45

  • 宮島桟橋(22分)包ヶ浦自然歩道入り口(21分)弥山分岐(39分)包ヶ浦海岸道路
    小計1時間22分
  • 包ヶ浦海岸道路(18分)鷹ノ巣砲台跡取付き(13分)鷹ノ巣高砲台跡
    小計35分(取付き4分を加える)
  • 鷹ノ巣高砲台跡(53分)大休み(10分)かや谷コース尾根
    小計1時間22分(大休み、昼食19分を加える)
  • かや谷コース尾根(18分)尾根分岐(9分)包ヶ浦自然歩道合流(18分)うぐいす道合流(29分)宮島桟橋
    小計1時間14分
  • 総合計4時間47分
    (総行動時間、砲台跡探索12分、かや谷尾根ピーク確認のため往復2分、以上を加える)

弥山直登尾根

紅葉谷の茶屋の前にテーピングを確認。弥山直登尾根の取付きを示すものであろう。赤ペンキ事件の現場(2008年7月)として種々議論の対象となったコースである。

中国新聞記事(2008年10月9日付)によれば、関係当局は「(尾根上に付けられた)塗料は「道しるべのための可能性が高く、悪質ではない」と判断し、告発しない方針を確認」したとある。

間違いである。文化財保護法等で厳重に管理されている厳島では、草木一本採取することは許されていない。赤ペンキも赤テープも違法のはずである。

ところで、電子国土では宮島の登山道(黒破線)をかなり正確に書き込んでいる。その中に、この弥山直登尾根コースが含まれていることに最近気が付いた。このルートを正式な登山コースとして認めた、ということであろうか。

最近当局は、宮島の道標をきちんとした統一感のあるものに付け替えつつあるように感じられる。世界文化遺産「厳島神社」の島を守るため、行政全般にわたって、統一感のある毅然とした態度を取ってほしいものである。

包ヶ浦自然歩道で包ヶ浦まで行く

宮島ロープウエー手前で、左折してうぐいす道(簡易舗装の自動車道、ただし入り口部分は舗装なし)に入る。(以下、しばらく二万五千分1地形図に表示なし、ただし、電子国土には表示あり)
すぐに小さな橋を渡ると、右手に包ヶ浦自然歩道入口がある。
小さな沢の右岸を東向きに登り、左に巻いて、一旦西向きに行く。
左手の紅葉谷に、宮島ロープウエー、その右向こうに弥山を見る。
そのすぐ後で、今度は右に大きく回りこんで博打尾に乗る。
今度は、右手に宮島ロープウエー、弥山を見ながら南向きに登る。

弥山分岐(かや谷コース入り口)に新たな標識あり、「弥山登山」とある。(かや谷コースを「公式コース」と認定したということか)
その弥山分岐道を右手前方に見送り、さらに前に進む。
やがて、212mの北~東~南を巻きながら下る。
東向きに折り返し、やがて川の左岸に沿って下る。(二万五千分1地形図の黒実線)

海岸道路を通って鷹ノ巣砲台跡入り口に取付く

包ヶ浦自然公園内を走る海岸道路(自動車道)に至る。(地形図表示あり)
海岸道路を南向きに行く。公園を出て、二度三度と折り返しながら登る。
標高110m台から、未舗装の幅広な道路(地形図、黒破線)に入る。
194m(鷹ノ巣山)の西斜面を南向きに行く(地形図、黒破線のとおり)。
場所によっては、道幅の狭い箇所もあるが、左右から張り出した木の枝さえ整理すれば、今でも4トントラック走行可能と思われるほど状態は良い。その昔、弾薬を積んだ荷駄が通ったのであろう。

海軍省標石をみる

海軍省標石(標高140m台、地形図黒破線がちょっと西に張り出した地点)
呉要塞第三区地帯標石、第74号、大正15年8月。
右手前方に、これから向かう(砲台跡~202m)~300m台~410m台(かや谷駅東北東のピーク)の小尾根を見る。カシミール展望図では、300m台~410m台の間に弥山を見通すとあるが不明。

鷹ノ巣砲台跡

南向きの道路(地形図、黒破線)は、地形図上の表示が途切れた辺りから、さらに北西~西向きに延びており、標高140m台(150m台ピークの北側)に至る。
西向きの道路の左手(南側)に鷹ノ巣砲台跡がある。
二連の砲座が三つ並んでいる。真ん中の砲座の脇には、「砲座標高百四十参米」の標石あり。

小尾根を伝って、かや谷コース尾根をめざす

一番西端にある砲台跡の上部付近(150m台)から、西向きに少し急下り、鞍部(標高140m台)で尾根に乗ったことを確認する。
さらに西向きに、202m~300m台~410m台と行く。
途中多少荒れた部分もあるが、尾根を外さないように行けば、踏み跡がある。

前方の藪の中から中年男性が一人下りてきた。こんな所でヒトと出会うなんて。ここの登りはきついでしょう、と声がかかる。ええ、と答えた。

かや谷コース尾根の東面に、良い道が横切っている

410m台の下(標高350m前後)に「大休み」がある。
大休みには、小尾根を横切って、左右に良い道が延びている。(詳細不明。後日確認:右、カヤ谷コース尾根302m付近、左、大砂利集落)
大休みから急登して尾根(カヤ谷コース)にたどり着く。410m台ピーク(かや谷駅東北東)のやや東側(博打尾寄り)である。
尾根を左手(西向き)にほんの少し行って、410m台ピークから、前方に宮島ロープウエー、弥山を確認して引き返す。

かや谷コース~包ヶ浦自然歩道(博打尾)に向けて下る

先程登ってきた尾根分岐(大休み分岐)まで引き返す。
そこから北に向きを変え、そのまま「かや谷コース」を包ヶ浦自然歩道(博打尾)に向けて下る。
途中で、外人さんと連れの日本人女性とすれ違う。
かや谷尾根コース、302m手前で、前方に伸びる尾根を外れて少し左に振り、そのまま北向きに博打尾尾根に向けて下る。その前後でシダが濃い。掘れた登山道が足元に隠れており、注意して下る。

3月10日および17日確認(注意):
今日(2/17)は、302m手前の鞍部付近から左手に下ることなく、そのまま真っすぐ行ってしまった。そして、302mを通り過ぎてから下ったようである。それでいつもより茂っており、踏み跡が掘れた状態になっていたのである。

うぐいす道を下る

下山してから、いつもと違って「うぐいす道」(簡易舗装車道)を桟橋まで下る。

鷹ノ巣砲台跡探索

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年02月24日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

包ヶ浦~鷹ノ巣高砲台跡取付き探索
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年02月24日(日)、単独

悠久の森

〈写真〉悠久の森
厳島神社の大鳥居を建て替えるのに必要な大きなクスノキを、果たして育てることができるかどうか(なおここは、今日予定していた取付き地点ではありません)

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2013年02月24日)無し

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はじめに

宮島・鷹ノ巣砲台跡取付き道の入り口探索

先週(2013年2月17日)は、宮島の東海岸にある鷹ノ巣砲台跡から、小尾根を伝って「かや谷コース」に至るルートを歩いた。

その時は、鷹ノ巣砲台跡へ至る山道に取り付くのに、包ヶ浦から海岸道路を鷹ノ巣浦方面にしばらく登って行った。それとは別の取付き道として、インターネット情報によれば、包ヶ浦から直接砲台跡に至るきれいな山道があるという。

今日は、そのルートを探索したくてやってきた。しかし、また例の探検病が出て、あえなく途中敗退。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋10:00-包ヶ浦自然歩道10:24-かや谷コース分岐10:47-包ヶ浦11:18-悠久の森11:37-稜線12:14-海岸石積13:16、13:51-毛利元就上陸之跡13:52-杉之浦隧道14:04-宮島桟橋14:35

  • 宮島桟橋(24分)包ヶ浦自然歩道入り口(23分)弥山分岐(31分)包ヶ浦自然公園西端部
    小計1時間18分
  • 包ヶ浦自然公園西端部(10分)悠久の森(20分)稜線
    小計35分(探索21分を除く)
  • 稜線(15分)悠久の森(5分)包ヶ浦海岸
    小計20分(探索42分を除く、昼食35分を除く)
  • 包ヶ浦海岸(44分)宮島桟橋
    小計44分
  • 総合計4時間35分
    (出発から帰着まで全ての時間)

包ヶ浦自然歩道を行く

いつものように、紅葉谷から包ヶ浦自然歩道に入り、博打尾を通って包ヶ浦に至る。博打尾前後では、2組のパーティが後ろからせまってくる。包ヶ浦上部の212m手前では、若い男女数名のパーティとすれ違う。最近の宮島は、登山道でもヒトの匂いが濃くなっている。

鷹ノ巣砲台跡に至る小尾根を探る

今日予定の包ヶ浦~鷹ノ巣砲台跡コース(南向き)は、先週歩いた山道(地形図黒破線)西側の小尾根上にあるはずである。

包ヶ浦自然公園に入り、海岸道路よりも南側の簡易歩道を東に移動しながら、小尾根の突端を調べて行く。途中に、二田山と赤ペンキで大書した箇所がある。どんな山かちょっと探検してきたが、よくは分からない。

悠久の森(クスノキの育成)

そのうち、「悠久の森」入り口に至る。

私は以前(2003年12月6日)、「宮島「悠久の森」クスノキ手入れ作業」に、新聞のボランティア公募を見て参加したことがある。その場所入り口には、以下のような立て看板がある。

「中国森林管理局では、宮島国有林の一部(七二へ林小班面積0.8ヘクタール)を「悠久の森」に設定し、世界文化遺産に指定されている厳島神社のシンボルでもある大鳥居の用材となるクスノキを、宮島千年委員会と連携し育成しています。

平成十五年四月
宮島千年委員会
近畿中国森林管理局広島森林管理署」

その後、クスノキの苗木は全滅したとも聞いていた。気になっていたので、せっかくの機会であり、幅広の良い道を南向きに踏み込んでみた。やがて、山道の両側に、赤茶けた大きな四角の金網がいくつか点在している箇所に至る。

どの囲いの中にも、クスノキは全く見当たらなかった。やはり、苗木の育成はうまくいかなかったようである。なおこの金網は、クスノキの苗木がシカに食べられないように囲っていたものである。

金網のいくつかは倒れてしまっていた。しかし、大部分はそのままの状態を保っているので、クスノキが枯れたのは、シカのせいではなさそうである。

悠久の森から沢を詰めてみる

幅広の道が前の方へ続いている。そのまま沢の左岸を南向きに突っ込んでみた。途中で繁っている。右手尾根に向けて、羊歯の分け目に沿って、羊歯をつかみながら急登してみた。尾根に達する前にバテてしまった。急坂を慎重に下る。

再び沢沿いに登る。繁った箇所を通り過ぎると、再び良い道になる。やがて道はなくなり、前方の稜線に向けて這い上がる。砲台跡(150m台)西側の鞍部(140m台)のはずである。
(後日注:さらに西側の202mの西側鞍部)

眼下には入浜海岸が見えている。ここから、東向きにちょっと急登すれば砲台跡、と思って地図にコンパスを当てた。ところが「南北が逆転している」。何か磁気の影響を受けたのだろうか。南から日は射しているものの、現在位置に確信が持てない。往路を急下る。

再び、包ヶ浦探索

再び包ヶ浦まで下り、今日目標としていた取り付き地点を探る。ほぼここだろうと推測はできたが、インターネットに書かれた「高速道路」(幅広の良い道)はよくは分からない。

今日は時間がない。探索は次回として、海岸で食事。海風が少し強いものの、日差しは暖かい。広島市方面の見通しも良く、久しぶりに展望図を描く。

最後のおにぎりを食べようとしたところ、シカが4頭、私の顔近くまで迫ってくる。危険を感じておにぎりを片付けると、しばらくして向こうへ去って行った。

包ヶ浦には、シカがたむろしている。ところが、この広大な包ヶ浦自然公園には、日曜日にもかかわらず客は誰一人いない。バンガローやテニスコートなど、自然公園としての経営は成り立っているのであろうか。疑問である。

杉之浦経由で桟橋へ

石碑「毛利元就上陸之跡」を確認して包ヶ浦を離れ、海岸通りを北上する。途中にアセビが咲いている。

旧・杉之浦隧道を通って杉之浦集落に入る。その後は再び地形図表示のとおり歩いて、桟橋北東で海岸道路に出る。桟橋まではあと少しである。

帰りの船も超満員。宮島の人気は相変わらず高い。

鷹ノ巣砲台跡探索

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年03月10日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

かや谷コース~鷹ノ巣砲台跡~包ヶ浦
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年03月10日(日)、単独

鷹ノ巣髙砲台跡
〈写真〉鷹ノ巣髙砲台跡
(三つある砲台の真ん中の砲台跡、右脇に「砲座標高百四十参米」の標石あり)

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2013年03月10日)
  • 包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース尾根~大砂利方面裏街道~鷹ノ巣砲台跡~包ヶ浦~包ヶ浦自然歩道(博打尾)

このページの目次です

はじめに

宮島・鷹ノ巣砲台跡見学

先日(2013年2月17日)、宮島の東海岸にある鷹ノ巣砲台跡を探索した。その後で、砲台跡から小尾根を伝って、宮島ロープウエー・かや谷駅横の410m台ピーク近く(かや谷コース)まで登った。その途中で、かや谷コース尾根の東斜面に、尾根北側の302m近くから大砂利に向けて、良い道が付いていることを初めて知った。

また当日は、鷹ノ巣山194mには立ち寄らなかったため、山頂部およびその周辺にあるはずの施設跡を見ておらず、気になっていた。

そこで今日は、大砂利に至る裏街道と、鷹ノ巣山194mにある施設跡を探索するため、博打尾から登り、かや谷コース尾根を乗り越えて、大砂利裏街道~鷹ノ巣砲台跡まで下った。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:20-包ヶ浦自然歩道9:41、9:44-かや谷コース分岐(弥山分岐)10:06-かや谷コース尾根10:17、10:21-大休み10:35、10:40-300m台10:51、10:52-202m11:11-砲台跡11:27、12:01-昼食12:07、12:28-海岸道路12:39-包ヶ浦自然歩道12:40-212m東南東突端13:01-弥山分岐13:16-紅葉谷分岐13:24-うぐいす道13:38-宮島桟橋13:49

  • 宮島桟橋(21分)包ヶ浦自然歩道入り口(22分)弥山分岐(11分)かや谷コース尾根
    小計57分(途中休憩を加える)
  • かや谷コース尾根(14分)大休み(11分)300m台(19分)202m(16分)鷹ノ巣砲台跡西端部
    小計1時間06分(途中休憩を加える)
  • 砲台跡探索
    小計34分
  • 砲台跡(18分)包ヶ浦自然歩道入り口
    小計18分(昼食21分を加えず)
  • 包ヶ浦自然歩道入り口(36分)弥山分岐(22分)うぐいす道(11分)宮島桟橋
    小計1時間09分
  • 宮島桟橋~かや谷コース尾根~鷹ノ巣砲台跡
    小計2時間07分(かや谷コース尾根4分を加える)
  • 鷹ノ巣砲台跡~包ヶ浦~宮島桟橋
    小計1時間27分(昼食21分を加えず)
  • 総合計4時間29分(全ての時間を含む)

包ヶ浦自然歩道(博打尾)から取付く

満潮の海に浮かぶ大鳥居を見て、いつものように紅葉谷から包ヶ浦自然歩道入り口に至る。途中で、ごく小さな雨粒が降ってきたようだが、それもすぐに止む。日差しは温かい。

自然歩道に入り、博打尾を登ると、やがて右手に弥山分岐がある。自然歩道を前方に見送り、右手の弥山方面に入ってさらに登る。302mの西面を巻きながら登り、尾根(302m南側の鞍部付近、標高300mくらい)に立つ。ここまでは、ほぼ二万五千分1(電子国土)の黒破線のとおりである。

なお、今日の帰りは、包ヶ浦から包ヶ浦自然歩道に入り、博打尾まで戻ってきた。このコースも、電子国土(黒破線)のとおりであった。

かや谷コース尾根の東側斜面を行く

さて、かや谷コース尾根から、弥山の方角に向かって左手斜面(東側)を探すと、踏み跡が前方(南向き)に延びている。宮島ロープウエー・榧谷駅横のピーク(410m台)の下(大休み、標高350mくらい)を経て、大砂利に延びる踏み跡で間違いないだろう。

踏み跡は、平坦な非常にきれいな道である。途中で露岩があり、その上を軽く削って歩きやすくしてあったりする。大休みまではすぐである。

大砂利裏街道

〈写真右〉大砂利裏街道
(前方に、これから下る300m台ピークを見る)

小尾根を伝って鷹ノ巣砲台跡まで下る

大休み(標高350mくらい)で一服する。前方(南向き)には、大砂利方面に良い道が下っている。西向きにヤブの中を登れば、かや谷駅横の410m台ピーク近くに至る(2013年2月17日)。

今日は、大休みから東に向きを変え、小尾根を伝って鷹ノ巣砲台跡を目指して下る。つまり、先日(2013年2月17日)初めて走破したルートを逆向きに下ることになる。

風が強く、海上には白波が立っている。

300m台を超え、202mに向けて急下る。300m台~202m~150m台では、コンパスを86度にセットしたままで、ほぼ間違いない。多少尾根から外れそうになる箇所もあるが、コンパスのとおりに修正される。

202m手前の鞍部で、先日(2013年2月24日)、包ヶ浦から沢を詰めて登り切った地点を確認する。

202mを超えると、ほんの少し南側斜面から巻きながら下る。鞍部(140m台)を超え、最後に150m台に向けて、多少左手から巻くようにして急登する。そして、ほんの少し行くと、砲台跡最西端部(一番西の砲台跡)の上部に出る。

鷹ノ巣砲台跡を探索する

砲台跡の上部に沿って右から巻いて尾根に乗る。そのまま尾根上を東向きに行くと、百段以上の石の階段が始まる。その位置は、未舗装車道(電子国土、黒破線)終端部の南側である。

長い階段

〈写真左〉長い階段

190m付近の遺構

〈写真右〉190m付近の遺構
階段を登りきると、遺構がある。

鷹巣山山頂の遺構

〈写真左〉鷹ノ巣山山頂の遺構
190m付近の遺構から北に少し行くと、鷹ノ巣山山頂(194m)で、ここにも遺構がある。

遺構の探索を終え、先ほど登った長い階段を、こんどは西向きに下る。階段を降り切った地点から北側に下りると、未舗装車道(電子国土、黒破線)終端部である。車道は(地形図にはないが)、ここからさらに北西~西に延びており、150m台の北側(標高140mくらい)に至る。

車道の南側に砲台跡がある。二蓮砲の砲台跡が3つ、南側の尾根(150m台)を背に並んでいる。なお、この尾根は、先ほど西から東へ歩いた尾根である。

包ヶ浦まで小さな尾根を下る

車道は、一番西の端の砲台跡北側で終わっている。そこから北向きに小尾根を下る。眼下には包ヶ浦が見えている。全般的にきれいな踏み跡は、標高60m付近から尾根東側の沢に向けて下り、包ヶ浦自然公園の最南端に至る。

この小尾根を包ヶ浦自然公園から登る場合、尾根突端にそれらしき印があるので、そのまま尾根に取付けるのかもしれない。もしそうではなくて、今日のように沢の方から取付くには、尾根突端に向かって左手にずっと入り込んで、沢沿いをしばらく行く。

後日(2013/5/5)注:
尾根突端の尾根上は羊歯に覆われており、とても歩けそうな状態ではない。

包ヶ浦自然歩道を通って帰る

さて、公園内をさらに北西の方角に行けば、海岸道路に至る。その道路を左にしばらく行くと、西向きに包ヶ浦自然歩道が延びている。そこを左折して自然歩道に入り、博打尾まで戻る。

今日の最後の詰めでは、博打尾から左手の紅葉谷に下りず、そのまま北向きに145m尾根を追って行く。幅広の良い道は途中でなくなり、左手に振ってうぐいす道まで下る。後は桟橋まで舗装道を行く。

鷹ノ巣砲台跡探索

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宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年03月17日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

大元川左岸コース~前峠~焼山~駒ヶ林~弥山~かや谷コース~包ヶ浦自然歩道(博打尾)
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年03月17日(日)、単独

仁王門

〈写真〉弥山「仁王門」
(1999年9月24日、台風18号による強風で倒壊、2012年10月再建)

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はじめに

ここのところ、宮島東海岸にある鷹巣砲台跡の周辺を歩いてきた。そうした中で、かや谷コース尾根の東斜面に大砂利に至る良い道があることを知った。

それともう一つ、前峠(大元川上流)の東側にある岩壁を越えて、駒ヶ林方面に至る踏み跡があるらしいことも前から気になっていた。

今日はそれらのコースを歩きたくて、まずは大元公園から取付き、大元川左岸コースを登った。そして、前峠から無事岩壁を越えて大元公園コースに合流し、駒ヶ林まで登った。しかしながら、岩壁途中で無駄な体力を使ったため、大砂利裏街道の探索は後日に改めた。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:46-大元公園入口10:05、10:07-大元コース分岐10:14-稜線10:54-前峠10:56、最初の挑戦失敗、11:20-休憩11:26、11:33-休憩11:34、11:37-休憩11:47、11:52-焼山11:56、12:03-大元公園コース合流12:06-駒ヶ林分岐12:11-駒ヶ林12:16、12:49-駒ヶ林分岐12:52-仁王門12:57、13:00-御山神社分岐13:04-弥山巡り13:07-弥山13:14、13:15-不消霊火堂13:21-紅葉谷コース分岐13:29-しし岩駅13:36、13:37-展望13:46、13:50-かや谷駅13:54-砲台跡分岐14:01-302m14:17、14:20-包ヶ浦自然歩道合流14:30-ベンチ休憩14:34、14:42-(博打尾)-降り口探索14:56、15:04-道路15:09(降り口探索)15:13-宮島桟橋15:29

  • 宮島桟橋(19分)大元公園入口(7分)大元公園コース分岐(42分)前峠
     小計1時間10分(途中休憩を加える)
  • 前峠(36分)焼山(3分)大元公園コース合流(10分)駒ヶ林
     小計56分(焼山7分を加える、探索24分を除く)
  • 駒ヶ林(8分)仁王門、大聖院コース分岐(14分)弥山
     小計25分(仁王門3分を加える)
  • 弥山(14分)紅葉谷コース分岐(7分)獅子岩駅
     小計21分
  • 獅子岩駅(17分)榧谷駅(24分)302m(10分)包ヶ浦自然歩道合流
     小計53分(302m3分を加える)
  • 包ヶ浦自然歩道合流(23分)うぐいす道(16分)宮島桟橋
     小計59分(途中休憩8分、探索8分、探索4分を加える)
  • 宮島桟橋~駒ヶ林、2時間30分(探索24分を加える)
  • 駒ヶ林~宮島桟橋、2時間40分(弥山1分、獅子岩駅1分を加える)
  • 総合計、5時間43分(駒ヶ林33分を加える)

大元川左岸コース

宮島桟橋から海岸沿いを南向きに行く。大鳥居を見て厳島神社の裏側に回り込み、西向きに大元公園をめざす。途中で、小さなリュックを背負った子どもたちが大勢歩いている。目的はみな宮島水族館(みやじマリン)のようである。

大元公園に入り、しばらく行くと左右に分岐がある。大元公園コース(左手)、そして前峠山(423m)への分岐(右手前方)である。今日は、そのまままっすぐに真ん中の大元川左岸コースを行く。このコースを登るのは、2005年3月19日以来だろう。

大元公園コース:大元公園~大元川右岸~(駒ヶ林)~仁王門~弥山

全体的にゆったりとしたコースである。ただし、途中で道が崩れたりしていると、ほんのちょっと高巻く箇所もある。前峠のある小尾根手前で、踏み跡が不鮮明になってくる。今日はちょっと右手の高みにより過ぎて、360m台鞍部に登りつく。

前峠(380m台)

鞍部の右手には、前峠山(423m)へ登る踏み跡がある。反対側の南東の方角に小尾根上を少し行くと、左手(北向き)に大元川左岸コースのしっかりした踏み跡が下っているのを確認できる。

2001年2月25日以来、ここから幾度か下ったことがある。見覚えのある場所である。やはり今日は、ここまでの登りで少しコースを外れてしまった(西側に寄り過ぎた)ようである。

それはともかく、そのまま尾根を進むと、すぐに前峠(380m台)である。

前峠は大元川源流部にある。前峠から北側に沢が下っており、元々はそこに向けて大元川左岸コースが付いていたものと思われる。それが、いつぞやの大風による倒木で通行不能となったため、沢に向かってやや左手(前峠山の方向)に行って、そこから下るようになったものと思われる。

焼山490m台

前峠の東側斜面の上には岩壁が立ちはだかっている。焼山(490m台)に登るには、その岩壁を乗り越えなければならない。

岩壁手前の急斜面を東向きに登る。岩壁に突き当たり、岩の割れ目を探しながら、右手に移動しつつ登る。岩の割れ目の超急斜面に取付き、木の幹、岩角を持って体を押し上げる。

ほぼ垂直である。どう見ても登山ルートとは思えない。滑落しないよう慎重に元の場所に下りる。前峠近くまで下り、こんどは素直に踏み跡を追って行く。

東向きに、やや左手から岩壁に取付く。岩壁をすり抜けながら、適度にある展望岩場で休み休みしながら登る。焼山ピークを過ぎて、さらに東向きにちょっと下れば、焼山~駒ヶ林間の鞍部(標高470mくらい)に至る。そこで大元公園コースに合流する。

宮島・焼山

〈写真〉焼山からの展望
(手前、左から、(502m)~先峠山402m~三つ丸子367m。その向こうに、岩船岳が大きい。岩船岳と先峠山の間に岩船岳縦走路上の351m)

駒ヶ林(509m)

駒ヶ林は、ちいさな子ども連れの団体さん、その他でにぎやかである。

その中で、鍋の準備をしている人がいる。どう見ても一人二人の分量ではない。聞くともなしに聞いていると、後からグループが追いついてくるらしい。リーダーらしき人の名前が飛び交う。見知った方かもしれない。しばらく待つことにする。

先着組に続いて、しばらくして本隊が到着した。やはり、リーダーは顔見知りの方だった。芸北の山中でも、実際に何度かお会いしたことがある。最近、共通の知人の訃報があり、お互い通夜に参列していたことなど話しをして、お先に失礼をする。

弥山(529.8m)

駒ヶ林から下り弥山に向かう。駒ヶ林~弥山間の鞍部(大聖院コース分岐)の横には、仁王門が再建されていた。

弥山めぐり(西側)を登る。弥山の展望台はすっかり片づけられ、きれいに整地されていた。もうすぐ新しい展望台の建設が始まることだろう。完成が楽しみである。

弥山めぐり(東側)を下る。不消霊火堂前で、読経? 大勢の人垣ができている。ドラムの音などが山中に響き渡っていた。

不消霊火堂

〈写真〉不消霊火堂

かや谷コース

霊火堂前からなおも下る。鞍部で紅葉谷コースを左下に分け、やや登って、しし岩駅に至る。そこから山中に入り、かや谷駅まで下る。かや谷駅手前で、ロープウエイが行き交う向こうに、瀬戸の多島美を楽しむ。眼下に見えるのは入浜か。(3/24訂正:大砂利の農園と集落が見えている)

宮島ロープウエイ

〈写真〉宮島ロープウエー

かや谷駅の下をくぐり抜け、410m台まで登る。410m台はほぼ平坦になっている。その東側の先端部(ちょうど標高410mくらい)に、鷹巣砲台跡に至る小尾根への下り口がある。ただし、羊歯にかくれて見えない。
(3/24訂正:小尾根の取付きは、410m台の平坦部の先から少し下った標高400mくらいの地点である)

410m台を乗り越えると、尾根はやや左に振って、ほぼ北向きとなる。今日はその先で、302mを乗り越してしばらく行き、左に振って下った。途中で良い道が左手から降りてきて合流し、その先の包ヶ浦自然歩道を左折して、博打尾まで下った。

今日の寄り道コースは、踏み跡はあるものの、302mの手前から繁っている。今ではあまり踏まれていないようである。足元も悪くかなり気をつかう。

正解は、302m手前の鞍部から左に少し振って下るルートである。最近、電子国土を見ると、宮島の多くの山道が黒破線で示されているのが分かる。それらはおおむね正確である。そして、302m付近も正しく表現されている。
(3/24訂正:尾根からの下り口は、鞍部290m台のやや手前(南側)の標高約300m付近である)

なお、この鞍部付近から、かや谷コース東斜面を大砂利まで下る踏み跡があるらしい(2013年3月10日、一部のみ体験済)。

博打尾を下る

博打尾を下り、途中で紅葉谷(左手)に下ることなく、そのまま桟橋の方角(北西)をめざして、踏み跡を追って下る。今日も"うぐいす道"に出た。すぐ下に街並みがあり、その向こうに桟橋がある。

しかし、そこをまっすぐ下りることができなくて、今日も"うぐいす道"で右手から大きく回り込んで桟橋に至る。10分間隔になっているらしい連絡船に飛び乗って帰路に着く。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年03月24日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース~大砂利~海岸道路
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年03月24日(日)、単独

  • 2013年12月01日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(海側から回る)~奥の院
  • 2013年04月07日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(山側から回る)~奥の院
  • 2013年03月24日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(海側から回る)〜海岸道路を帰る

このページの目次です

はじめに

かや谷コース~大砂利~奥の院の予定ででかける。

今日の予定では、まず、かや谷コース~鷹巣砲台跡の小尾根を乗り越えて、大砂利まで下る。そして、大砂利の集落横を通って再び山に入り、奥の院をめざすことにしていた。

予定どおり、大砂利まで下ることはできた。しかし、大砂利の集落は、シカの被害を防ぐため農園ごと金網で囲われており、取付き道路に入ることができない。

あきらめて、海岸道路を帰る。途中で、道路沿いに鷹巣砲台跡の一部?を確認する。

参考:2013年4月7日再度挑戦、今日予定していた博打尾~大砂利~奥の院を走破した。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:15-包ヶ浦自然歩道入り口9:37、9:40-第3ベンチ9:56、10:01-弥山分岐10:06-かや谷コース尾根10:18、10:23-410m台10:39-(ほんのちょっと引き返す)-下り口10:40-大休み10:46、10:48-大砂利地蔵10:55、11:03-尾根近く(標高240m台)11:08、11:12-大砂利(農地)11:48(探索)11:52-海岸道路12:10、12:23-大砂利入り口12:25、12:30-(大砂利集落取付き付近を探索して引き返す)-大砂利入り口12:38-腰細浦神社12:48、12:51-鷹ノ巣浦神社13:05、13:37-鷹巣砲台跡のごく一部?(海岸道路脇)13:54、14:02-鷹巣砲台跡取付き(海岸道路、標高110m台)14:19-鷹巣砲台跡取付き確認(包ヶ浦自然公園最南端)14:35-毛利元就上陸之跡14:44-旧杉ノ浦隧道14:53-(杉ノ浦集落)-うぐいす道15:10-宮島桟橋15:17

  • 宮島桟橋(22分)包ヶ浦自然歩道入り口(21分)弥山分岐
     小計51分(自然歩道入り口3分、ベンチ5分を加える)
  • 弥山分岐(12分)かや谷コース尾根(16分)410m台
     小計33分(尾根5分を加える)
  • 410m台(1分引き返す)下り口(6分)大休み(7分)大砂利地蔵(45分)大砂利、農地(18分)海岸道路(2分)大砂利入り口
     小計1時間29分
     (大休み2分、地蔵8分を加える、探索4分、海岸道路13分を除く)
  • 大砂利周辺探索
     小計13分(大砂利休憩5分を含む)
  • 大砂利入り口(10分)腰細浦(14分)入浜(17分)鷹巣砲台跡のごく一部?(42分)毛利元就碑(33分)宮島桟橋
     小計2時間39分(腰細浦3分、入浜32分、砲台跡8分を加える)
  • 宮島桟橋~大砂利入り口、3時間10分(探索4分、海岸道路13分を加える)
  • 大砂利入り口~宮島桟橋、2時間39分
  • 総合計6時間02分
    (大砂利入り口5分、周辺探索8分を加える)

かや谷コース尾根を途中まで登る

紅葉谷から包ヶ浦自然歩道に入り、博打尾を経て、かや谷コース尾根に乗る。その尾根を410m台(かや谷駅の東側)まで南向きに登り、前方に宮島ロープウエーを確認して、少し引き返す。

引き返した地点から、東向きに、鷹巣砲台跡に至る小尾根(300m台~202m~150m台~194m)に向けて下る。

急斜面を小さなジグで下ると、すぐに良い道と交差する。標高は330m台か?(私の直近の山行記では、いずれの場合も標高約350mくらい、と記載している)。そこはちょっとした広場になっており、木製の古いベンチまである。大休みと言うらしい。

なお、大休みまで、かや谷コース尾根302m南の鞍部付近から、尾根東斜面に良い道がついている(2013/03/10山行記)。今日は、410m台付近から下ってみたくて、まずは、上記のとおり尾根上を大休み上部(410m台付近)まで登った。

大砂利に向けて下る

大休みから大砂利に向けて、かや谷コース尾根の東斜面を南向きに下る。良い道が続いている。足元の崖を石とコンクリートで固めた箇所がある。その昔、この道はかなり手が入っていたのであろう。

さて、しばらく行くと、右手に小さな谷が現われてくる。標高310mくらいの地点である。ただし、地形図では読み取れない。その谷をそのまま下ることもできるようである。

今日は、ちょっとその先まで真っ直ぐに行き、左から巻いて谷まで下る。水が流れている。かや谷駅横(410m台)から流れ落ちる沢の水である。この沢は、地形図でもわずかに読み取ることができる。

沢の横(左岸)に大砂利地蔵(標高290m台)がある。この道は、大砂利~かや谷尾根東斜面~博打尾~厳島神社周辺を結ぶ山道として、昔から利用されてきたのであろう。

宮島・大砂利地蔵

〈写真右〉大砂利地蔵
(大砂利~博打尾を結ぶ山道にある)

大砂利地蔵から右岸に渡り、大砂利をめざして下る。途中で、かや谷駅から南に流れる小尾根を、標高240m台の地点で越える。

小尾根を越えて、しし岩ロープウエー駅(標高430m台)の東面の沢に入る。頭上からは、ロープウエー駅のアナウンスが流れ落ちてくる。

ところで、大砂利地蔵から先も良い道が続いているだろうと、安心しきっていたらそうはゆかなかった。崩落個所があったり、踏み跡が分からなかったりと、多少苦労しながら、大砂利まで下ることになった。

宮島・しし岩駅南東面の沢

〈写真左〉しし岩駅南東面の沢を行く
(踏み跡を追って下る)

奥の院取付き口を探して、大砂利周辺を探索する

やがて、目の前に金網の壁が現われる。大砂利の農園の北側まで、無事下ってきたようである。ちょうど、二万五千分1地形図の黒実線の先端辺り(標高70mくらい)である。
(注:2013年4月7日山行のGPS軌跡では、標高85mくらいの地点で金網にぶつかっている)

金網を見て、やっと大砂利まで下ってきたかとほっとした瞬間、一頭のシカが金網に沿ってドドッと駆け下って行くのが見えた。この金網は、シカ除けのために、大砂利の集落と農園全体を囲んでいるものだった

奥の院への取付きは、この金網の中にあると思われる。しかしながら、金網の入り口には鍵がかかっており、中には入れそうにない。

さてどうするか、取りあえずシカが逃げたのと反対方向へ、金網に沿って山側へ少しさかのぼってみた。しかし、全体の様子が全く分からない。

改めて地形図を見直してみると、海岸道路から奥の院の方角に向けて、集落の先まで黒実線が延びている。今日は、奥の院の取付きはそこにあると考えて、何とかここまでやって来たのだった。

しかし、山側からは奥の院に至る道に取付くことができない。そこで、海岸道路から集落に入ってみようと考え、海岸の方角めざして、先ほどシカが走り去った金網沿いの踏み跡を下った。

しかし、ここから海岸道路に出るのは容易ではなかった。すぐに金網沿いには歩けなくなり、しかたなく、岩のゴロゴロした小沢を怪我をしないように慎重に下った。

沢は農園の北~東側を流れており、何とか無事に海岸道路に出た。そして、道路を南東の方角に少し行き、大砂利の集落に向けて右折した。おおむね地形図のとおりである。

しかし、しばらく行くと、こちら側でも集落全体が金網ですっぽり囲まれている。その向こうに、502m~弥山の鞍部(奥の院)が見えているものの、どうすることもできない。今日はここまでとあきらめる。

宮島・弥山

〈写真右〉大砂利集落から見る弥山
(集落の向こうに弥山を見る。その位置は、画面右のしし岩駅ピーク・430m台の左奥である。その位置関係から、弥山の方が低く見えている。奥の院の位置は、画面左の鞍部あたりだろう)

後日注:
海岸道路の車止めゲート(大砂利入り口付近)の横から、奥の院取付き道路に至る踏み跡があるという。農園の南西側を山に向かって行くようである。

なお、かや谷コース尾根から大砂利まで下りてきて、海岸道路に出ることなく奥の院取付き道路に至るには、農園の山側(北~西)を回り込むことになる(参照:2013年4月7日山行記)。

海岸道路を桟橋に向かう

大砂利の集落から引き返し、再び海岸道路に出て包ヶ浦をめざす。大砂利付近の海岸道路を歩くのは、2003年6月7日以来であろう。

今日は、「海から詣でる厳島・七浦巡り」の腰細浦神社と鷹ノ巣浦神社(入浜にある)の二神社に詣でる。鷹ノ巣浦神社は、その名前のとおり、元々は鷹ノ巣浦にあったものを、鷹巣砲台(低砲台)建設に伴い、隣りの入浜に移したものという。

鷹巣砲台跡は、鷹巣山(標高194m)山頂およびその周辺(高砲台)では、その遺構はよく残っている。しかしながら、海岸部(低砲台)では、鷹ノ巣浦の砂浜がなくなってしまったために、砲台の石垣や砲座などが大きく崩れ落ちているという。

今日は、宮島の代表的な汽水湖も見学した。

宮島・汽水湖

〈写真左〉入浜の汽水湖
(汽水湖の奥に、かや谷駅東側のピーク410m台を見る)

入浜から鷹ノ巣方面にしばらく行ったところで、道路脇に、鷹巣砲台のごく一部?が残されているのを知った。前回歩いた時には気が付かなかったものである。

その位置は、鷹巣山(標高194m)から、南向きに海岸に向けて流れる尾根の上(標高50mくらい)である。

小さな穴を掘って、その壁を煉瓦とコンクリートで固めているようである。ただし、これが鷹巣砲台跡(明治期)の一部かどうかはよく分からない。あるいは第二次世界大戦中の監視所の一つであろうか。

そして最後は、包ヶ浦を経て、杉ノ浦から宮島桟橋まで歩いた。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年04月07日

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ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース尾根~大砂利~奥の院~多々良林道(岩船岳登山口)~前峠~大元谷左岸コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年04月07日(日)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2013年04月07日)
    当日はGPSに乱れあり(岩船岳取り付き(多々良林道)~前峠~宮島桟橋)。当該区間のGPSは、2013年10月20日山行記(逆コース)で代用した。
  • 2013年12月01日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(海側から回る)~奥の院
  • 2013年04月07日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(山側から回る)~奥の院
  • 2013年03月24日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(海側から回る)〜海岸道路を帰る

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はじめに

先日(2013/03/24)あえなく敗退した大砂利~奥の院を無事歩くことができた。しかし、大砂利~奥の院取付き道路の間で大苦戦。披露困憊してしまった。

なお今日は、GPS(HOLUX M-241)軌跡の不調(測定不能や位置の乱れ)が目立った。ザックの背にぶら下げたGPSが、雨に濡れたこと、泥をかぶったこと、あるいは激しく揺さぶられたことが原因であろうか。

今日のGPS軌跡には、多少の疑問が残る。特に、大元谷左岸コースについては、明らかな誤差以上のブレが生じている。したがって、その間のデータは、2013年10月20日山行記から流用した。その他の部分は、生データのとおりである(おのおのの疑問点については、本文参照)。

HOLUX M-241は、カバンの中に入れておいても機能するという。正確な測定継続のために、今後の課題である。

後日注:
2013年4月14日(日)、しまなみ海道ウオーク(第2回:因島~生口橋~生口島)バスツアーに参加した。4月7日と同様、ザックの背にぶら下げたGPS(HOLUX M-241)は、ほぼ100%完璧に機能してくれた。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:57-包ヶ浦自然歩道入り口10:14、10:16-第三ベンチ10:31、10:34-弥山分岐10:37-かや谷コース尾根(302m南の鞍部付近)10:48、10:51-大休み11:01、11:06-大砂利地蔵(標高290mくらい)11:11-小尾根(標高240m台)11:18-大砂利の農園11:44-大砂利北端(標高90mくらい)11:45、11:49(水場を探索して戻る)大砂利北端11:53-堰堤脇・標高90mくらい(左岸)12:03、12:18-堰堤の上探索-堰堤(右岸)12:23-小尾根(標高110m台)12:45-奥の院取付き林道(標高50mくらい)13:00、13:08-堰堤13:20-休憩13:43、13:55-多々良林道終端部付近14:12、14:13-奥の院分岐(多々良林道上)14:15-奥の院14:18-502m取付き確認14:20-多々良林道14:23-岩船岳方面入り口(多々良林道上)14:34、14:40-前峠(標高330m台)14:52、14:53-大元谷分岐14:54-大元公園コース(駒ヶ林方面)分岐広場15:27、15:30-海岸道路15:36-大鳥居15:42-宮島桟橋15:52

  • 宮島桟橋(17分)包ヶ浦自然歩道入り口(18分)弥山分岐(11分)かや谷コース尾根
     小計51分(自然歩道入り口2分、ベンチ3分を加える)
  • かや谷コース尾根(10分)大休み(5分)大砂利地蔵(34分)大砂利集落最北端(10分)堰堤
     小計1時間12分(大休み5分、大砂利最北端の休憩4分・探索4分を加える)
  • 堰堤(42分)奥の院取付き林道
     小計42分(堰堤上探索5分程度を含む)
  • 林道(1時間04分)多々良林道終端部付近(5分)奥の院(2分)502m取付き
     小計1時間12分(林道終端部1分を加える)
  • 502m取付き(3分)多々良林道(11分)岩船岳縦走路入り口
     小計14分
  • 岩船岳縦走路入り口(12分)前峠(34分)大元公園コース分岐(6分)海岸道路(16分)宮島桟橋
     小計1時間12分(前峠1分、大元公園コース分岐3分を加える)
  • 総合計5時間55分
     (かや谷コース尾根3分、堰堤15分、奥の院取付き道路8分、岩船岳縦走路分岐6分を加える)

かや谷コース尾根に乗る

紅葉谷~包ヶ浦自然歩道(博打尾)を経て、弥山分岐(標高200mくらい)で右に入り、かや谷コース尾根(302mピーク南の鞍部近く)に乗る。GPS軌跡は、電子国土(黒破線)のとおりである。気温は手に少し冷たい。それでもカッパは必要ない。

かや谷コース:紅葉谷~包ヶ浦自然歩道(博打尾)~宮島ロープウエー(榧谷駅~獅子岩駅)~弥山

大休み~大砂利地蔵

写真:2013/03/24山行記

かや谷コース尾根に乗って南を向く。すぐ先で尾根の東斜面分岐に入り、南向きに行く。電子国土にその表示はない。

大休み(標高330m台)の位置(GPS軌跡)は、前回同様で狂いはない。

大砂利地蔵(標高290m台)に向けて、そのまま南向きに下る。前回と異なり、途中から右手の小さな谷(地形図では読み取れない)を下る。地蔵の位置(GPS軌跡)が前回と10mくらい狂っている。

注:大休みの位置、かや谷駅の東北東にある410m台ピークの東側(かや谷コース尾根から鷹ノ巣山194mに至る小尾根上、2013/02/17、3/10山行記参照)
注:大砂利地蔵の位置、上記410m台から南に流れる小尾根の東斜面

しし岩駅・東~南東側の沢を下る(大砂利農園をめざす)

写真:2013/03/24山行記

地蔵の前の沢を右岸に渡る。410m台から南に流れる小尾根を乗り越えて、しし岩駅の東~南東側の谷に入り、南向きに下る。前回と異なり、中尾根状態になった箇所を下ったりしたが、最初から谷底を行く方が歩きやすそうである。

なおも踏み跡を追って下る。

やがて沢が南東の方角に流れるようになり、その右岸を伝って、前回同様、農園の金網にぶつかる。その位置は、GPS軌跡によると、前回(地形図黒実線の先端部、標高約70mくらい)よりも少し上、標高85m前後と表示されている。

しし岩駅・南側の沢に入る(堰堤を見る)

前回同様、金網に沿って、まずは右手・北西の方角に少しさかのぼってみる。すると、右手前方に良い道が付いており、その上にホースが引かれている。沢の右岸をさかのぼる感じで、その先まで行って確かめると、沢から水を取っている。

先程下ってきた沢のようであるが、この取水口をみたかどうか定かでない。それはともかく、ここから大砂利農園まで水を引いているらしい。

なお、ホースの引かれた良い道は、沢沿いの踏み跡の一段上(右岸)についている。前回は、この辺りまでよく確かめずに、さっさと海岸に向けて下った。

さて今日は、取水口から沢沿いに良い道を金網まで戻り、今度は南西の方角に向けて、金網に付かず離れずしながら踏み跡を追ってゆく。標高は100m前後である。最後に、金網と灌木の間をすり抜けると、しし岩駅の南側を流れ落ちる沢に出る。

この沢では、かつて土石流が起きたのであろうか。そこにはきれいな堰堤(標高90m台)が築かれ、下流部は、庭園風に石を配置した水路となっている。そして、その先には農園および建物、さらに海がその向こうに見えている。

宮島・大砂利

〈写真右〉大砂利農園の上部にある堰堤
(土石流となって流れ出た岩石をコンクリートで固めたのであろうか)

宮島・大砂利

〈写真左〉堰堤下の水路の向こうに大砂利農園を見る
(農園のさらに向こうには海も見える)

以上をまとめると、農園の金網にぶつかってから、その金網沿いに、山側を反時計回りに行く。つまり、しし岩駅から南東に流れ落ちる尾根の末端を行く。そうすると、今下ってきた谷の一つ隣りの谷に出る。そして、そこに堰堤がある、というわけである。

堰堤~奥の院取付き道路の間で少し苦労する

堰堤で小雨がぱらついてきた。先を急ぐことにする。堰堤の左岸右岸を確かめて、沢の右岸から山に取付く。

もちろん、奥の院取付き道路(地形図黒実線)へのショートカットのつもりであった。しかし、無謀であった。歩きやすい箇所を行くには、先ほどの水路に沿って、少し下った辺りで右折すれば良かったらしい。

今日はそうしたルートを深く研究することもなく、ただ単に、堰堤横から山に取付き、左手から横に巻いて行こうと考えた。

道らしい道はない。それにも関わらず、前(海の方向)に進む。段々と集落との標高差が大きくなる。ずり落ちないように、灌木に必死でしがみつきながら、羊歯の中でもがき苦しむ。

岩の下をすり抜け、小尾根を標高110m台で乗り越えて、何とか南斜面に達する。ここまで来れば、後は下りさえすれば、取付き道路に出るはずである。柔らかな羊歯を尻に敷いて、しゃにむに尻セードで滑り落ちる。

なお、後で見直すと、小尾根辺りでGPSがストライキを起こしていたようだ。取付き道路に出るまでの間のデータが欠落している。

参考:
海岸道路(自動車道)から奥の院取付き道路に至るには、大砂利の車止めゲート(大砂利入り口付近)横から山側へ踏み跡をたどると良いらしい。もちろん、住民の善意でカギを開けてもらえれば、それに越したことはないであろう。

奥の院をめざす

奥の院への取付き道路(地形図黒実線)に降り立つ。標高50mくらいの地点である。きれいな林道が山に向かって延びている。

宮島・大砂利

〈写真左〉奥の院に向けて良い道が延びている
(昔の作業道だという良い道が沢の左岸に付いている)

しばらく休んでから、コンパスをセットして、奥の院から流れ落ちる沢の左岸に沿ってさかのぼる。

途中で岩場があったりするものの、踏み跡を追ってゆけば大丈夫である。最後は、多々良林道終端部付近(標高340mくらい)に登りつく。GPS軌跡を見直すと、右岸を登ったようになっている部分がある。しかし、実際は終始左岸を登っている。

さて、多々良林道を南西の方角にほんの少し行き、左手の小道(奥の院への近道)に入ってなおも行けば、奥の院に出る。

宮島・奥の院

〈写真右〉奥の院への近道
(多々良林道の終端部付近(未舗装)の分岐、小さな道しるべ(石柱)がある)

502m(岩船岳への縦走路)取付きを確かめるため、南向きに少し登ってみる(標高360mくらい)。そこから引き返し、先ほど通った小道を右に見て、今度はそのまま真っ直ぐ多々良林道まで下る。

岩船岳縦走路取付き(多々良林道)

多々良林道に入って左折し、しばらく下ると、岩船岳縦走路取付き(標高230mくらい)に至る。

この取付きで左折すれば、先峠(標高340m台鞍部)で岩船岳縦走路に乗ることができる。

逆に、この取付きで右折して、多々良林道沿いの小さな沢を渡り、少し登ると前峠(標高330m台)である。そこから大元川左岸に良い道が付いている。今日はそこを通って帰ることにする。

大元谷左岸コースを下る

前峠から大元谷に向けて直接下ることはできない。倒木が多数あるためで、一旦前峠山(標高423m)の方角(北西)に向けてほんの少し小尾根上を行き、そこから右折して大元谷に下ることになる。

道そのものは良い道(とはいっても倒木も少しあるが)であり、大元川左岸に付いている。今日もそこを順調に下ったのだが、GPS軌跡は、最初右岸を下り、その後で、大元公園コースの白糸の滝めざして進むなど、大幅なぶれを生じていた。

後で調べると、大元公園コースとの分岐広場で休憩を取った時に修正されたようである。何はともあれ、この場所のように天空が開けていることは、GPSにとって生命線であろう。とは言うものの、これまでは、HOLUX M-241は樹林帯でもデータをよく拾ってくれていたのだが。

大元公園コース:大元公園~大元川右岸~(駒ヶ林)~仁王門~弥山

海岸道路を帰る

海岸道路に出て桟橋をめざす。潮が引いており、大鳥居のすぐそばまで砂浜を歩いた。ただし、満ち潮になっており、大鳥居の真下までは行けなかった。そのまま対岸まで砂浜を歩いて道路に上がった。

ところで、大元公園コース分岐から大鳥居まで、GPS軌跡が10~20m幅で過去の軌跡と比べてずれている。

宮島桟橋まで大勢の人・・・外国人もかなり多い。
宮島が元気なことは良いことだ。
10分間隔で運転中のJR船に飛び乗り、一番に降りてJR宮島口まで歩く。待ち時間ほとんどなしで列車に乗り、座ることができた。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年04月21日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

宮島
腰細浦海岸で清掃活動を行う
(出発:宮島桟橋、帰着:宮島口桟橋)

2013年04月21日(日)、ボランティア参加

  • 鷹ノ巣砲台跡探索まとめ
    2013/05/05山行記

このページの目次です

はじめに

宮島・腰細浦海岸(包ヶ浦のさらに南)での清掃活動ボランティアに参加した。

「アクアソーシャルフェス2013」の一環として実施されたもので、主催は、「みやじま未来ミーティング」である。中国新聞記事(2013年3月10日付)をみてメールで申し込み、抽選で選ばれた。

『AQUA SOCIAL FES!!(アクア ソーシャル フェス)』は、トヨタ自動車が、自社のハイブリッドカー『アクア』発売(2011年12月26日)を機に、一般人が参加できる自然保護・保全活動を全国50か所で実施するとして始めた事業である。同社ではこれを、“共成長マーケティング”と呼ぶ新たな試みである、としている。

みやじま未来ミーティング(通称:MMM)は、「宮島の自然を、守り。伝え・活用することを目的に、体験学習会や、清掃活動、自然保護活動を実施」(平成25年活動案内より)している。

腰細浦海岸の清掃活動は、同会の主要なプロジェクトの一つであり、設立当初(2002年)から、「腰細浦海岸をMMMのモデル海岸と位置づけ」、環境の回復に向けて毎年の活動を継続している(同会ホームページより)。

そして前年(2012年)より、「AQUA SOCIAL FES!!」(既述:トヨタ自動車が全国で展開する環境活動)から資金や道具などの支援を受けている。

中国新聞社は共催団体の一つである。ボランティア参加決定の葉書は、同社からいただいた。また、当日悪天候の場合の連絡方法等について、事前に確認の電話をいただいたりした。

さらに、カルビー株式会社から協賛があった。同社の主力製品「かっぱえびせん」は、瀬戸内海の小海老を使ったスナックとして大ヒットした商品であり、同社は、社会・環境活動に積極的とのこと。

かっぱえびせんの製造工場(同社広島工場)は、宮島(廿日市市宮島町)と同じ廿日市市の木材港にある。

宮島口桟橋集合

当日午前9時、宮島口桟橋(宮島松大汽船)集合。松大船にて宮島に渡り、スタッフの車に分乗して、現地まで運んでいただく。チャーター船に乗船した方々もいたようである。

腰細浦海岸にて清掃活動

腰細浦は、宮島の東海岸(宮島桟橋の反対側)にあり、これまで2回ほど通っている。

最初は、2003年6月7日である。その時は、宮島南東部の岩船岳をめざして雨天敗退。引き返す途中で雨が上がったため、陶晴賢碑を見て青海苔浦海岸に出た。そのため、海岸道路(宮島の東側)を、樫木浦~大砂利~腰細浦・・・と宮島桟橋までひたすら歩くことになった。この時は、腰細浦の砂浜には降りなかったかもしれない。

2回目は、2013年3月24日である。宮島桟橋から山越えで大砂利まで下り、同じく海岸道路を宮島桟橋まで戻った。その時は、海岸近くの砂浜に建つ腰細浦神社の写真を撮った。

今日は、現地の砂浜で約2時間の清掃活動を行う。改めて砂浜を探すと、実に多くの漂着ゴミがあるのが分かる。

漂着ゴミの内容(養殖カキ筏の部品が多い)

今日の参加者やスタッフ関係者含めて約100名で、約340㎏の漂着ゴミを集めた。

大型のゴミとしては、養殖カキ筏の浮力として使う発泡スチロール製のタンクがある。そのままの状態でも扱いに困るが、これがばらばらに壊れて散乱してくると、どうにも手が付けられない。

ゴミの中で最も多いのは、プラスチック製のパイプであり、長さが25㎝前後と2~3㎝くらいの二種類がある。いずれも、カキ養殖に使うホタテの貝殻を、必要に応じて等間隔で並べて海中に吊るすために使用するものである。

天然の竹製よりもプラスティック製の方が値段が安いため、盛用されているものと思われる。しかし、プラスティックは当然ながら腐ることはない。半永久的に自然に返ることはない。

広島の特産品であるカキの養殖によって、環境に過大な負荷がかかっているとするならば、広島県民としては残念でならない。現在では、微生物によって分解されやすいプラスティック(生分解性プラスティック)も開発されている。価格面や耐久性など、今後大いに検討してもらいたいものである。

その他、ペットボトル、缶、瓶、ライターなどの日常生活用品に加えて、釣り道具(長い釣り糸に錘や仕掛けがからみついたもの等)も見つかった。また、どういう訳か、散弾銃の薬きょう殻(プラスティック製)も多く見つかった。

帰途はミニクルージング(鷹巣低砲台跡を見る)

昼食後、いくつかのオプションがあったが、お先に失礼するグループに入れていただく。沖合に泊めたチャーター船まで小型ボートで往復して全員を収容、入浜~鷹ノ巣浦~包ヶ浦・・・と海上を行く。

鷹ノ巣浦の沖合からは、やせ細った砂浜に、崩れかかった鷹巣砲台跡(低砲台)があるのを初めて見た。写真でよく見かける光景である。また、そばには小型重機がある。早く現地を見ておかないと、もしかして取り壊されてしまうのかもしれない。(後日注:2013年5月5日現地探索実行)

参考:鷹巣高砲台跡探索(2013年3月10日山行記など)
さて最後は、宮島桟橋経由で宮島口桟橋まで送っていただく。

若い世代に期待

今日のスタッフの中には、みやじま未来ミーティングの方々に加えて、トヨタの各関連会社、あるいは広島の各大学の学生さんたちも加わっていたようである。

若い人たちが多い。今後の活躍に期待したいものである。

何はともあれ、今日の一日に感謝。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

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2013年05月05日

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鷹ノ巣高砲台跡、鷹ノ巣低砲台跡探索
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年05月05日(日)、単独

ウリハダカエデ

〈写真〉ウリハダカエデ
(ウリハダカエデの花)

このページの目次です

はじめに

先日(2013年4月21日)、宮島・腰細浦海岸で清掃活動ボランティアに参加した。その時、行きは、宮島桟橋から関係者の車に分乗させてもらい、帰りは、チャーター船で海上を宮島口桟橋(宮島桟橋経由)まで送ってもらった。

帰りの船から、鷹ノ巣浦海岸に残る砲台跡(鷹ノ巣低砲台跡)を初めて見た。砲台跡は大きく崩落しており、いずれ砂浜に埋もれてしまうかもしれないといった状態に見えた。これは早く見ておかなければ、というので今日出かけることにした。

まず、包ヶ浦から小尾根を登って、鷹ノ巣高砲台跡をもう一度見て(今まで2回訪問、2013/2/17、3/10)、それから鷹ノ巣浦まで下りることにした。

今日のコース&コースタイム

 宮島桟橋10:11-包ヶ浦自然歩道入り口10:30-弥山分岐10:49、10:53-包ヶ浦(海岸道路)11:22-海岸道路離れる11:23-包ヶ浦自然公園最南端11:25、11:27-(小尾根)-鷹ノ巣高砲台跡の道路最西端部11:44-(砲台跡探索)-鷹ノ巣高砲台跡の道路末端(地形図表示あり)12:04-海岸道路12:12-鷹ノ巣浦分岐12:26-(鷹ノ巣低砲台跡探索)-海岸道路に戻る(鷹ノ巣浦分岐)12:45-入浜12:57、13:24-鷹ノ巣山方面踏み跡探索13:27、13:49-鷹ノ巣浦分岐13:59-鷹ノ巣高砲台跡分岐14:13-包ヶ浦自然公園東南端14:26-毛利元就碑14:35、14:42-杉ノ浦隧道14:50-杉ノ浦14:58-宮島桟橋15:15(デジカメのExif情報、約8分の遅れあり)
  • 宮島桟橋(19分)包ヶ浦自然歩道入り口(19分)弥山分岐(29分)包ヶ浦海岸道路
    小計1時間11分(弥山分岐4分を加える)
  • 包ヶ浦海岸道路(3分)包ヶ浦自然公園最南端取付き(17分)鷹ノ巣高砲台跡
    小計22分(取付き2分を加える)
  • 鷹ノ巣高砲台跡探索
    小計20分
  • 鷹ノ巣高砲台跡(8分)海岸道路、砲台跡分岐(14分)鷹ノ巣浦分岐(12分)入浜
    小計34分
  • 途中で、鷹ノ巣低砲台跡探索
    小計19分
  • 入浜(13分)鷹ノ巣浦分岐(14分)鷹ノ巣高砲台跡分岐(13分)包ヶ浦自然公園東南端(9分)毛利元就碑(16分)杉ノ浦(17分)宮島桟橋
    小計1時間29分(元就碑7分を含む)
  • 途中で、入浜探索
    小計22分
  • 総合計5時間04分
    (入浜昼食27分を含む全ての時間)

包ヶ浦自然公園

厳島神社横から紅葉谷を登り、宮島ロープウエー手前で車道を左手に入る。ほんの少し行った所で右折して、小さな沢の右岸を登る。包ヶ浦自然歩道である。

博打尾を通ってそのまま自然歩道を行き、包ヶ浦自然公園に至る。春爛漫、コバノミツバツツジは花の盛りが終わり、ウリハダカエデの花が長く垂れ下がっている。

鷹ノ巣高砲台跡取付き

鷹ノ巣の砲台は、鷹ノ巣山194m~150m台周辺部(高砲台跡)と、海岸部(低砲台跡)の2か所に分かれていたようである。

今日は、最初に高砲台跡に向けて、包ヶ浦から直接小尾根を登ることにする。

まず、包ヶ浦自然歩道から、包ヶ浦自然公園内を走る海岸道路(自動車道)に入って右折、南東の方角にほんの少し行く。そこでさらに右折して小さな橋を渡り、南向きにキャンプ場内を行く。

さすがに5月の連休である。キャンプ場にはテントの花が咲いており、冬~春の日曜日に人っ子一人いなかった状態が嘘のようである。

もう一度小さな橋を渡ってキャンプ場の外に出ると、右手に小尾根突端がある。鷹ノ巣高砲台跡は、この小尾根を南向きに登り切った所にある。

砲台跡の位置は、鷹ノ巣山194mの西側にある150m台ピークの北側あたりになる。

小尾根を登る

ところで、この小尾根には、尾根突端からは登ることができない。まずは、尾根の東側の小さな沢沿いを行き、しばらくして、右手尾根に向かって直登する。尾根の上は良く踏まれており、ゆったりと歩くことができる。

鷹ノ巣高砲台跡探索

砲台跡写真:2013/03/10山行記参照

尾根を登った先は、砲台取付き道路の終端部になっている。この取付き道路は、海岸道路(宮島桟橋~包ヶ浦~鷹ノ巣浦~大砂利~青海苔浦)から分岐して造られたもので、地形図(黒破線)に表示された終端部よりもさらに西向きに、ここまで延びている。

取付き道路を(地形図上の終端部に向かって)少し東に行った所から、南側に並んだ砲台跡に入ることができる。二連の砲座を一組とした砲台が三つ並んだ真ん中の砲台跡である。

砲台跡に入る。真ん中の砲台跡、そして右手西側の砲台跡を見て引き返す。今度は逆に、真ん中の砲台跡から隣りの東側の砲台跡まで行く。そしてその先で、長い階段を東向きに上がる。

階段を登りきると、鷹ノ巣山194mの南側(標高180m台)に遺構がある。その後で、鷹ノ巣山山頂部の遺構を見て引き返し、先程の長い階段を下りる。階段を降り切った所で、右手の小さな階段を下りると、取付き道路(地形図終端部辺り)である。

なお、砲台跡で十数人の子どもたちに出会った。やはり包ヶ浦から小尾根を登ってきた(15分くらい)という。引率の方が知っていたらしい。子どもたちにとって良い経験になったことだろう。

参考:一番西側の砲台跡上部から、西向きに小尾根を行けば、かや谷コース尾根に至ることができる(2013/02/17、3/10山行記)

鷹ノ巣低砲台跡探索

鷹ノ巣砲台は、鷹ノ巣山山頂近く(高砲台跡)と共に海岸部にも築かれていた(低砲台跡)。今日は、鷹ノ巣高砲台を見学した後で、鷹ノ巣浦海岸まで下りて、その低砲台跡を初めて見た。

まず、鷹ノ巣高砲台の取付き道路(地形図黒破線)を北向きに行く。途中で、海軍省標石をみる。海岸道路に入り、今度はそこを南向きに行く。しばらくして分岐があり、鷹ノ巣浦海岸に下る。その海岸線で、崩れ落ちた鷹ノ巣低砲台跡を確認する。その位置は、鷹ノ巣山194mの南東の方角である。

注:海軍省標石の写真(2013/02/17山行記参照)

〈写真下〉鷹ノ巣低砲台跡
(砂浜が浸食されたためか、大きく崩れ落ちている
二段の小さなブロックは、護岸のため造られたものであろう)

宮島・鷹ノ巣砲台跡
宮島・鷹ノ巣砲台跡

鷹ノ巣浦の海岸では、使用済のホタテ貝(カキ養殖用)が山積みにされている。浸食された海岸線を少しでも守るために投棄されているのであろうか。小バエが発生しており、悪臭は海岸道路まで漂っている。

入浜で昼食

鷹ノ巣浦からさらに南の入浜まで行って昼食にする。ここでもテントがいくつか張られている。浜風が心地よい。

入浜から山に取付くも敗退

昼食後、入浜の海岸道路を少し引き返し、ヘアピンカーブの所から山に取付いた。鷹ノ巣山方面に登り返してみたかったためで、そのために入浜まで来て昼食を取ったのだった。

海岸道路(ヘアピンカーブ)から北向きに踏み込むと廃屋がある。その廃屋の奥まで入り込んだが、その先はよく分からず、海岸道路まで戻った。後はおとなしく宮島桟橋まで海岸道路を忠実に歩き切った。

子ザルを見る

廃屋を引き帰す途中で、サルが木から木へ移動しているのを見た。体はあまり大きくはなく、子ザルと思われた。体は丸々していた。山の方へ逃げて行った。

鷹ノ巣浦を過ぎたあたり(帰途)で、もう一度、子ザルを見た。海岸道路近くから山の方へ逃げて行った。先程と同じような子ザルだった。

宮島の山中でサルを見たのは、多々良林道(2009/3/7)の一回きりである。そして、その一週間後(3/14)、宮島のサルを調査中の日本モンキーセンター(愛知県犬山市)の方々と山中でお会いした。サルの目撃情報が欲しいとのことで名刺をいただいた。

その後の中国新聞記事によれば、宮島のサルは、その大部分が捕獲されてモンキーセンターに送られた?という。

おわりに

船は行き帰りとも超満員、道路は人でごった返し、厳島神社でも入場待ちの行列ができていた。また、普段は歩く人を見かけることなど全くあり得ない海岸道路(鷹ノ巣浦より南側)で二人連れとすれ違ったりした。帰途の包ヶ浦の海岸は、ジェットスキー(水上バイク)を乗り回す若者などでにぎやかであった。

人それぞれの休日、それぞれに有意義であれば。

鷹ノ巣砲台跡探索

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2013年05月23日

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宮島植物実験所~御床浦~あての木浦
あての木浦まで海岸沿いの山道を行き、西海岸の干潟を歩いて帰る
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年05月23日(木)、単独

厳島神社の大鳥居

〈写真〉厳島神社の大鳥居
(朝8時過ぎ、大潮のほぼ満潮の時刻)

  • 宮島自然植物実験所〜御床浦〜あての木浦(2014/11/23)

    この地域の決定版は、2014年11月23日山行記です。今日(2013/5/23)の山行記も含めて、下記各山行記中の不明瞭(不正確)な点を訂正しながらまとめています。コース概況(GPSルート図リンク)もあります。

  • 宮島の海岸線歩き、写真あり
    2013/06/23(大江浦周辺、下室浜~多々良潟、綱之浦~大鳥居)
  • 宮島自然植物実験所~あての木浦(下記の各山行記参照)
    過去に何度か山道の探索を繰り返している
    2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02

このページの目次です

はじめに

宮島の海岸は、ほとんど護岸工事がされておらず、自然の砂浜、干潟あるいは岩場がそのまま残っている。大潮の干潮時ならば、そこを歩いて島を一周することができるという。

ところで、宮島島内には、全島を一周する道路はない。島内を走る海岸道路(自動車道)は、西海岸の宮島桟橋~多々良~室浜まで、そして東海岸の(宮島桟橋)~杉ノ浦、包ヶ浦から鷹ノ巣浦を経て青海苔浦までで、いずれもその先は行き止まりとなっている。(注:東海岸の大砂利から先では、一般車両の通行はできない)

この海岸道路は、明治期に、室浜砲台(跡)、鷹ノ巣砲台(跡)建設のため造られたということである。

参考:鷹ノ巣砲台(跡)探索まとめ
2013/05/05山行記

宮島の海岸歩きの醍醐味は、海岸道路のない青海苔浦~革篭崎(宮島最南端)の岩場と、革篭崎~室浜~(多々良)の砂浜(干潟)にある。

インターネット情報によれば、最初から最後まで砂浜等を歩いて全島一周したという記録はなさそうである。海岸道路や山道を組み合わせて、それぞれに工夫されている。

今日の私は、幸いにして、木・金・土の連続休暇(リフレッシュ休暇)が取れたため、前から気になっていた宮島の海岸歩きを実行した。初めての経験である。一人旅でもあり、今回は、岩場が続く東海岸はパスして、まずは砂浜歩きの西海岸のみを探索してみた。

  • 宮島における潮汐データ

宮島の潮位(2013年5月後半の一部)は以下のとおりである。この時期が、年間を通して、海岸歩きには一番条件が良さそうである。
5月23日(木)、大潮・干潮 14時14分(潮位、26㎝)
5月24日(金)、大潮・干潮 14時58分(潮位、3㎝)
5月25日(土)、大潮・干潮 15時42分(潮位、-13㎝)
5月26日(日)、大潮・干潮 16時26分(潮位、-18㎝)
5月27日(月)、中潮・干潮 17時11分(潮位、-13㎝)

5月23日の潮位
干潮1時59分(潮位98㎝)、満潮7時51分(同319㎝)
干潮14時14分(同26㎝)、満潮20時40分(同354㎝)
ただし、以上は広島港のデータ。「厳島港」の場合は、これより若干早まることが予想されるとのこと(社団法人宮島観光協会ホームページ参照)。

さて今日は、あての木浦まで山道を行き(12時ごろ到着予定)、それから海岸線を歩いて帰ることにしていた。ところが、例によって、しなくてもよい寄り道をしたため、精神的・肉体的な余裕を失ってしまった。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:02-大元公園8:23-多々良8:50-宮島植物実験所9:10-室浜砲台跡9:13、9:15-(ロスタイム7分)-大江浦9:50-大川浦(岩船岳取付き)10:01、10:08-御床浦(ロープ)10:34-農園跡地10:44-左折10:49-農園跡地10:51-良い道(御床山登山道)10:57-(途中苦戦)-良い道(標高30m台)11:14-良い道(御床山登山道)145m付近11:32-(引き返す)-良い道(標高30m台)11:46-御床浦海岸11:50、12:39-あての木浦分岐12:48-御床山取付き?(地形図黒破線)12:55-あての木浦13:42-(江ノ尻浦、長浦)-平根14:05-須屋浦神社14:17、14:26-下谷14:36-御床浦神社14:46-烏帽子岩14:49-大川浦15:01-大江浦15:11、15:25-休憩15:53、16:01-宮島植物実験所16:11-多々良16:34、16:37-大元公園17:03-休憩17:10、17:30-宮島桟橋17:45

  • 宮島桟橋(21分)大元公園(27分)多々良(20分)植物実験所
     小計1時間08分
  • 植物実験所(3分)室浜砲台跡(35分)大江浦(11分)大川浦
     小計51分(砲台跡2分を加える、砲台跡の先のロスタイム7分を含む)
  • 大川浦(49分)良い道(1分くらい)御床浦海岸
     小計50分
  • 御床浦海岸(9分)あての木浦分岐(7分)地形図上の御床山取付き(47分)あての木浦
     小計1時間03分
  • あての木浦(23分)平根(12分)須屋浦神社(20分)御床浦神社(15分)大川浦(10分)大江浦
     小計1時間29分(須屋浦神社9分を加える)
  • 大江浦(46分)植物実験所
     小計46分
  • 植物実験所(23分)多々良(26分)大元公園(22分)宮島桟橋
     小計1時間34分(多々良3分、大鳥居近く20分を加える)
  • 宮島桟橋~あての木浦、3時間59分(大川浦7分を加える)
  • あての木浦~宮島桟橋、4時間03分(大江浦14分を加える)

その他:良い道(御床山登山道)ロスタイム52分、御床浦海岸昼食49分あり

厳島神社を左から回り込む

センダン

〈写真右〉厳島神社のセンダンの花
(平日朝の静かな雰囲気がただよう)

海岸道路を南西に行く

宮島水族館(みやじマリン)、大元公園、多々良を経て、広島大学植物実験所(広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所)に至る。ここまで自動車通行可能な簡易舗装道が続いている。

実験所の少し先に室浜砲台跡がある。

室浜砲台跡

〈写真右〉室浜砲台跡
(現在では、植物実験所の所有となっている)

砲台跡から先は、完全な山道となる。

〈写真下〉大江浦手前から見る岩船岳(左奥)

岩船岳

(海岸線に沿って、大江浦、大川浦、御床浦、須屋浦を見る。潮はまだ引いていないようである)

大江浦の先で、小さな峠を二つ乗り越すと、大川浦(分岐)である。

大川浦~御床浦

大川浦分岐は、地形図どおり、海岸線の山道と大川越(岩船岳のふもと)に至る山道(共に黒破線)の接点にある。

大川浦からは、疎林の中の踏み跡を追って行く。分かりにくい箇所も多く、気合が入る。

まず、分岐からすぐに疎林の中に突っ込み、沢を渡ってしばらく行く。そこで、右手下の方に踏み跡があるが、行き止まりである。正解は、左手斜面に向けて、少しよじ登る。途中に小さな岩(だんご岩と言うらしい)があり、その右手を登る。

斜面を少し登り、少し右手に行くと、再び海岸線の見える良い道となる。

そして再度、地形図黒破線よりも上を行き、急下った後、‎ロープを使って、砂浜近くまで下りる箇所がある。御床浦(の一番奥まった場所)である。

御床浦の海岸近くを行く

ロープを伝って下りた海岸近くから、疎林の中を西向きに行く。やがて沢を渡り、なおも行く。その後、かつての農園跡地が続いて出てくる。

  • 中国新聞記事(2013年5月31日付)、後日注
    NPO法人「自然環境ネットワークSAREN」が、瀬戸内海の歩みを次世代に残す活動として、船舶や暮らしの記録写真を収集している。それらの写真の中に、「戦後間もなく宮島沿岸を開拓した人たちや農作物の運搬船とみられる写真もある」という。この辺りのことであろうか。

最初の農地フェンスにぶつかる。その位置は、御床神社の東南東の地点(標高20m弱)である。

農地跡に沿って行く

〈写真右〉農地跡を左手にして行く
(フェンスを左手にして、西南西に標高20m台を乗り越す)

御床神社の南に向けて切れ込む小谷の標高10mくらいの地点に出る。左折して、小谷に沿い南南東にしばらく行く。再び、農地フェンスにぶつかる。

農地フェンス

〈写真右〉農地跡を左手にして行く
(フェンスを左手にして、南西に標高31mの小尾根を乗り越す)

標高31mを過ぎたあたりに、長い石垣やきれいな道路がある。

長い石組み

〈写真右〉長い石垣
(石垣に沿って、画面左から右に行く)

すぐ先には、きれいな道路がある

りっぱな道路

〈写真右〉きれいな道路を横切る
(道路の両側には、りっぱな石組みの側溝がある)

標高31mを乗り越すと、一つ南の小谷(沢)に出る。御床神社の南、標高20mくらいの地点である。そこに良い道が付いており、ぶつかる。

なお、この良い道まで石垣が続いている。そこで、帰途はこの石垣を目印に、良い道から北北東に踏み込み、31mを越えて行けばよい。

良い道

〈写真右〉この良い道に出る

御床山に向けて良い道あり

御床山(標高364m)中腹の145mの北から、北西に流れる小谷に沿って、御床浦の海岸まで良い道が付いている

海岸まで続くこの良い道を、標高20m付近で南向きに横切って、疎林の中に入る。そしてそのまま、左手前方に向けて行く。やがて、深い沢にぶつかる。そしてそこから、下谷(海岸)の東側にある標高40m台ピークの東~南側を巻いて行く。

ただし、ここの沢辺りで、いつも現在位置が分からなくなり苦労させられる。今回も、この辺りを突破するため悪戦苦闘している間に、再び先程の良い道の標高30m台くらいの地点に出てしまった。

この山道には、前回(2009/04/29)も一度迷い込んだことがある。その時は、堰堤付近(標高110mくらい)までしか行けなかったように思うが、その時よりもさらに上まで整備されているようである。これならば、御床山まで登ることができるかもしれない。

実は、十年ちょっと前に(2002/03/02)、御床山から御床浦に下りたことがある。その時通ったのがこの道なのか、あるいは、その一本南の谷(地形図黒破線)を下ったのか、よく覚えていない。

後日確認(2013/06/30):御床山~御床浦には、下草を刈ったきれいな山道が付いている。それが、この良い道である。地形図記載(黒破線)の山道は消失したものと思われる。

御床山

〈写真右〉145m付近から御床山を見る

今日は、145m付近までそのまま良い道を登り、そこから御床山を見て引き返した。写真左は、岩船岳であろう。なお、この道の上部では左岸を登って行く。

御床浦で仕切り直し(昼食)

御床浦をうまく突破できず、精神的にもまいってしまった。良い道をそのまま真っ直ぐ海岸まで下り、昼食にする。

御床浦

〈写真右〉御床浦もかなり潮が引いている
(画面中央、須屋山(標高80m台)の緑の右に、須屋浦の浜辺を見る)

左手前方を何となく見ていると、須屋浦海岸に向けて、8人くらいのパーティが進んでいるのが見えた。しばらくしてその歩みが止まった。須屋浦神社あたりで昼食らしい。

再びパーティが動き出したのを見て、後を追おうかとも考えた。しかし、今日の私に"あての木浦"を越えてその先まで行き、東海岸の岩場を突破して、島内を一周するだけの知識も時間もない。(あての木浦~東海岸~宮島桟橋、約8時間くらいか)

あての木浦から山道を引き返すにしても、今日の体たらくでは無事御床浦まで帰ってくることができるかどうか、自信がない。(あての木浦~山道~宮島桟橋、約4時間くらい)

結局は、最初の予定どおり、あての木浦まで山道を探りながら行き、海岸線の砂浜を歩いて帰ることにした。

御床浦から、南向きに"あての木浦"まで下る

御床浦の海岸近くを通り抜け、長浦~江ノ尻浦~あての木浦に向けて南下する。

御床浦から長浦に向けて抜け出るポイント(分岐)は、先程通った標高31mピークのほぼ真南の標高30m付近にある。下谷(海岸)の東側にある標高40m台ピークのさらに東側である。

ここに至るには、1)良い道の標高20mくらいの地点で、南向きに疎林に入り、沢の右岸を南東に行くか、2)良い道を標高30m台の地点まで登り、右折して西向きに少し下るか、どちらかの方法を取ることになる。いずれにしても、はっきりしない踏み跡を追って行くことになる。

後日注:2014年11月23日山行記
海岸から御床山に向けて延びる良い道の標高30m台地点に分かりやすい分岐あり。

ところで、今日の午後、この分岐点にこんな標識を見つけた。

あての木浦分岐

〈写真右〉あての木浦分岐
(標高30m付近に分岐がある)

分岐から、疎林の中を南西に行く。標高40m台ピークの南東側(標高20m台)のほぼ平坦な踏み跡である。すぐに、りっぱな石垣がある。

石垣の間を行く

〈写真右〉きれいな石垣の間を、南西に行く

なおも行く。やがて、標高40m台ピークの南側(標高20mくらいの地点)で、前方に小さな尾根(標高20m台)を見る。

斜面

〈写真右〉小さな尾根(標高20m台)手前
(南向きに一旦小さな谷まで下り、そこから標高20m台の小さな尾根斜面を駆け上がる)

尾根の向こうで、左手(御床山の方角)から踏み跡が下ってきており、ぶつかる。地形図黒破線の標高20m台地点である。

この黒破線は、御床山中腹の145mの南側から、下谷浦(御床浦と須屋浦の間)まで記載されている。

この踏み跡は、そのさらに上の御床山(標高364m)まで通じているのであろうか。前述のとおり、以前(2002/03/02)、御床山から下山した時通ったのが、この踏み跡なのか、あるいは先ほどの良い道なのか、はっきりしない。

後日確認(2013/06/30):地形図記載(黒破線)の山道は消失したものと思われる。御床山~御床浦には、下草を刈ったきれいな山道が付いている。それが、先ほどの良い道である。

踏み跡分岐

〈写真右〉御床山方面踏み跡(地形図記載)分岐
(御床山の方角を見る。左手から来て、右手のきれいな踏み跡にぶつかる)

きれいな踏み跡に入り、右折してほんの少し海岸よりに行く。そして、すぐに左折してさらに南下する。須屋山(標高80m台)東斜面の谷間を南~南西に行き、海岸近くに至るためである。

まずは、きれいな踏み跡から南へ少し行った地点で、一度西に向きを変える。そして、下谷浦に注ぐ小さな沢の東側にある小尾根(標高20m台)を行く。そこは、切り通しになっており、ヌタ場がいくつか連なっている。

ヌタ場

〈写真右〉切り通しのヌタ場

ヌタ場を抜け、左折して南東方向に行く。下谷に流れ込む沢の右岸(標高20mくらい)を少し離れてさかのぼる形になる。

良い道が先の方まで延びているので、そのまま行きたくなるが、途中で右折する。須屋山(標高80m台)東斜面の谷間を南向きに行くためである。ほぼほぼ標高20mくらいに沿って、南~南西に向きを変える形となる。

先程の分岐を右折してすぐに住居跡?がある。

住居跡?

〈写真右〉住居跡?
(シカの仕業だろう。芝生のようにきれいである。左手前方に一段駆け上がり、そのまま前に進む)

ここから先でも、小さな沢を渡る箇所で分かりにくいケースがいくつかある。慎重に長浦・江ノ尻浦近くまで下り、あての木浦まで行く。

あての木浦から海岸線を帰る

あての木浦の浜辺に出てみると、数本の靴跡が革篭崎の方に向かって付いている。件のパーティは、御床浦~あての木浦まで、無事海岸沿いを歩くことができたようである。

あての木浦

〈写真右〉あての木浦沖の可部島
(浜辺で、件のパーティーの姿を見ることはなかった)

私は、その靴跡を逆にたどって、時計回りに歩き始める。

あての木浦の北側

〈写真右〉あての木浦を回り込む
(江ノ尻浦、長浦、そして平根を見る)

砂浜は、歩くのが困難な程は柔らかくない。岩場もほとんど滑らず歩くことができる。

平根

〈写真右〉平根を行く
(宮島の最西端である)

宮島周辺は、広島カキの一大生産地である。

カキ養殖

〈写真右〉カキの養殖だな

厳島・七浦巡り(御島めぐり)・第六社

須屋浦神社

〈写真右〉須屋浦神社
(神社の横に、大きなヤマモモがあったりする)

厳島・七浦巡り(御島めぐり)・第七社

御床浦神社

〈写真右〉御床浦神社

御床浦神社を回り込むと、砂浜に烏帽子岩が鎮座している。宮島にある名前のついた岩の一つである。

烏帽子岩

〈写真右〉御床浦の烏帽子岩
(左奥に岩船岳を見る)

大江浦から山道を帰る

時間が押している。干潮が終わって上げ潮になったら、どこまで歩くことができるのだろうか。途中で潮が満ちて来て、逃げようとした時、山道までちゃんと這い上がることはできるだろうか。

そんなこんなを考えていると、気がせいて足早になってしかたがない。大江浦で海岸歩きを止めて山道を帰ることにした。

大江浦から先で、内侍岩~室浜~多々良まで歩くことができるのかどうか、確信が持てなかったことと、直射日光がきつく、かなり疲れを自覚したためである。

大江川で、お茶(ペットボトル500ml×2)がなくなり、その内の1本に水を詰めた。

帰りの山道は休み休み、やっとの思いで厳島神社の手前までたどり着いた。コーラを1本買って、磨き上げられた石のベンチにへたり込む。

厳島神社の大鳥居

〈写真右〉厳島神社の大鳥居
(満ち潮が、ざわざわと音をたてながら迫ってくる)

ベンチで休んでいる間に、完全に向こう岸まで渡ることができなくなった。神社に沿って右から大きく回り込み、宮島桟橋まで歩く。乗船前に、缶ジュースを1本買って飲み干す。このダメージは、少なくとも土曜日まで続いた。

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宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年06月02日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

宮島~地図とコンパスの使い方
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年06月02日(日)、Otさん

  • 鷹ノ巣砲台跡探索まとめ
    2013/05/05山行記

職場の方のお父さんの依頼で、地図とコンパス(磁石)を持って、一緒に宮島を歩いてみた。

JR宮島口10:00集合(初対面)。同じ団塊の世代で同じ業界の方である。

二万五千分1地形図「厳島」(新たに購入)とコンパスを持参していただく。ただし、事前に磁北線を入れる作業までしてもらう手だてがなかったため、私が別途新たに購入した地形図に、前もって磁北線を入れておき、現地でお互いの地形図を交換することにした。

注:私は古い地図(磁北線入り)も持っているので安心と思っていたら、大鳥居横でコンパスを構えている時に、それをシカに食べられてしまった。

さて、JR船内と宮島桟橋で、地形図の折り方やコンパスの使い方をご説明。それから外に出て、大鳥居の横でコンパスの使い方を練習する。そしてその後、紅葉谷から包ヶ浦自然歩道(博打尾)に入り、実地解説をしながら進む。

歩いている方向の変化、眼下に見える大鳥居を目標とした位置確認、あるいは、地形図では表現されない小コブ(標高差10m以下)までしっかりととらえた山道の歩き方など、事前にある程度チェックしておいたポイントごとに確認しつつ、ゆっくり進む。

小雨が降りやまず傘が手放せない(結局、終日雨)。予定(かや谷コース尾根途中~鷹ノ巣高砲台跡)を変更して、包ヶ浦自然歩道をそのまま行き、包ヶ浦をめざす。

包ヶ浦自然公園内の建物で、雨宿りをしながら昼食。そこで、雨のため予定を取りやめた鷹ノ巣砲台跡の話をする。興味を示されたので、食後、包ヶ浦から直接小尾根に取付き、鷹ノ巣高砲台跡に登る。

砲台跡を一巡りした後、地形図黒破線にしたがって、海軍省標石を見ながら海岸道路に入り、包ヶ浦まで下る。

公園内で毛利元就碑「毛利元就上陸之跡」を見て、そのまま海岸道路を宮島桟橋まで歩く。午後4時前着。今日の一日は、ご満足いただけたであろうか。

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2013年06月16日

Akimasa Net
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包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース~弥山~紅葉谷コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年06月16日(日)、単独

このページの目次です

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:16-包ヶ浦自然歩道9:35-博打尾9:47、9:49-弥山分岐10:00、10:01-尾根に乗る10:15、10:26-410m台10:45、10:51-かや谷駅10:56-展望岩場11:02、11:11-420m台11:14-しし岩駅11:20、11:24-紅葉谷コース分岐11:32-弥山本堂11:43、11:48-弥山11:55、11:57-休憩11:58、12:10-弥山本堂12:15、12:27-紅葉谷コース分岐12:35-休憩13:01、13:32-宮島桟橋14:12

  • 宮島桟橋(19分)登山口(40分)尾根(30分)かや谷駅(24分)しし岩駅(19分)弥山本堂(7分)弥山
     小計2時間39分(尾根に乗る11分、しし岩駅4分、弥山本堂5分を加える)
  • 弥山(6分)弥山本堂(8分)紅葉谷コース分岐(1時間06分)宮島桟橋
     小計2時間15分(くぐり門の下12分、弥山本堂12分、途中休憩31分を加える)
  • 総合計4時間56分(すべての時間)
     (弥山2分を加える)

今日の様子

弥山山頂の展望台(建て替え中)は、基礎を打ったばかり。

今日の予定では、包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コースで弥山に登り、奥の院~502mを経て岩船岳縦走路に入る。そして、先峠山402mの南面で、青海苔浦に至るルートや、多々良林道に至るショートカットコースを探索することにしていた。

しかし、真夏の日差しの中で熱中症ぎみになる。かや谷コースの尾根にたどりついた段階で、すでに足がなかなか前に出なくなってしまった。

今日はここまでか。しかし、今年の夏は富士山リベンジ予定(2010/07/12、7合目雨天敗退)、山小屋は世界遺産登録騒ぎ前から予約している。気を取り直し、弥山山頂までは何としても登ることにする。後は直接尾根を下ればよい。

気合を入れ直す。かや谷コース尾根を登り切り、獅子岩駅(宮島ロープウエー終点)で缶ジュースを1本買う。それを飲み干し、観光客と一緒に弥山まで這い上がる。

ところが、弥山山頂は、新しい展望台建設中(基礎を打ったばかり)で立ち入り禁止、フェンスで大きく囲われており、休む場所は全くない。三角点も踏めず、弥山直登尾根に取付くこともできない。

予定では、弥山から直接北向きの尾根に入り、紅葉谷公園まで下ることにしていた。しかし、変更せざるを得ない。元来た道を少し引き返し、紅葉谷川沿いの谷を下る(紅葉谷コース)ことにする。

まずは、山頂部のくぐり門を再びくぐる。前方に今日予定していた502mピーク、そしてその右後ろに岩船岳を見る。少し風が通り気持ち良い。その場にへたり込んで、昼食にしようかとも考えたが、人通りが多く気が引ける。

少し休んで弥山本堂まで下り、本堂横に入り込む。ところが、今度は食事をする気力が湧いてこない。しばらく休み、獅子岩駅の方に引き返す。

獅子岩駅手前の鞍部付近分岐を左折、紅葉谷に向けて石の階段を下る(紅葉谷コース)。日差しはさえぎられ、風もほとんど通らない。すごく蒸し暑いといった感じではないが、それでも、沢の水が欲しくなり、途中でタオルを水にひたす。

ベンチで昼食にしようと考えながら下る。しかし、今日はベンチで休んでいる観光客も多い。ロープウエーで登り、下りは山道ということであろうか。

ベンチを一つ二つやり過ごした末に座る。握り飯を無理やりほおばる。食後、やっと少し元気が出てきたようである。下山してから桟橋まで、強い日差しの中をしっかり歩くことができた。

ところで、紅葉谷コースではGPS軌跡の乱れが目立ち、使い物にならない。要原因究明。

帰りの海上は風が強く白波が立つ。この風が山中にも届いてくれれば、もっと楽に歩けたかも。

  • 中国新聞記事(2013年6月17日付)参照、番外編
    当日(6/16)夕方、疲れ切って自宅でうとうとしていると、長男一家が突然訪ねてきた。小1男が、50m走測定会「広島かけっこキャラバン」(世界陸上400mハードル銅メダリスト・為末大など主催)に参加してきたという。そして、今年のひろしま国際平和マラソン(11月3日予定)では、キッズコース(約1km)で私も一緒に走ることになった。

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『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

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2013年06月23日

Akimasa Net
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宮島自然植物実験所~室浜砲台跡~大江浦~(引き返して)一部海岸を歩く
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年06月23日(日)、長男、小1(兄)

大潮の干潮

〈写真〉大潮の干潮、14時01分
(今日は大潮である。宮島の対岸の大野(本土側)にも、大きな干潟が出現し、多くの人が潮干狩りをしているのが見える)

  • 宮島自然植物実験所〜御床浦〜あての木浦(2014/11/23)
    この地域の決定版は、2014年11月23日山行記です。今日(2013/6/23)の山行記も含めて、過去の山行記中の不明瞭(不正確)な点を訂正しながらまとめています。コース概況(GPSルート図リンク)もあります。
  • 宮島の海岸線歩き
    2013/05/23(あての木浦~江ノ尻浦~長浦~須屋浦~下谷浦~御床浦~大川浦~大江浦)

このページの目次です

はじめに

長男、孫と宮島の西海岸(一部)を歩く。

今日は大潮である。
満潮9:00(潮位 333cm)、同22:01(同 387cm)
干潮3:18(潮位 111cm)、同15:28(同 -6cm)

ただし、これは広島港のデータ。厳島港では、これより多少時間が早まると予想される。(宮島観光協会ホームページ参照)

前回(2013/05/23)の大潮では、宮島最南端近くのあての木浦まで、海岸近くの山道を行った。そしてそこから、宮島の西海岸(あての木浦~御床浦~大江浦)を歩いて帰ってきた。

今日は、さらにそこから、厳島神社までの海岸(大江浦~室浜~多々良~大元公園~大鳥居)が歩けるのかどうか探索するつもりであった。

それともう一つ、御床山~御床浦の間の登山道がどうなっているか知りたくて、宮島桟橋から岩船岳を乗り越えて御床山に至り、そこから御床浦に下るつもりでいた。

長男と一緒に行く予定(今年夏の富士登山トレーニング)にしていたら、孫(小1男)も行きたいと言う。予定を変更せざるを得ない。御床山の探索は次回に回して、今回は海岸歩きだけにする。

まずは、海岸道路を宮島自然植物実験所まで行き、状況に応じて、室浜砲台跡(室浜海岸)あるいは、その先の前回敗退地点の大江浦から、海岸を歩いて帰ることにする。

予定した海岸をすべて歩くことはできなかった。途中で引き返した箇所もあったが、KANは全行程(約19.2km)を歩き切ってくれた。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:31-大鳥居横8:40、9:01-大元公園9:16-多々良10:06-宮島自然植物実験所10:36-室浜砲台跡10:40、10:47-岩船岳展望11:16ー大江川11:25-大江浦(砂浜を少し北に行く)昼食11:32、12:05-(海岸を行く)-敗退地点12:28、12:42-(引き返す)-大江川13:09-(海岸沿いの山道を行く)-岩船岳展望13:23-海岸エスケープ道分岐13:31-敗退地点上部(標高30mくらい)13:40-室浜砲台跡14:12-室浜海岸(下室浜)14:15-(海岸を行く)-多々良川(石組みの堰)15:02-(船止まり)-多々良林道始点15:18-(海岸道路を行く)-船着き場16:04-(海岸を行く)-大鳥居16:14、16:21-(対岸に上がる)-宮島桟橋16:36

  • 宮島桟橋(24分)大元公園(50分)多々良(30分)宮島植物実験所
     小計1時間44分(大鳥居横21分を除く)
  • 宮島植物実験所(4分)室浜砲台跡(38分)大江川
     小計49分(砲台跡7分を加える)
  • 大江川(30分)引き返し地点(27分)大江川
     小計57分(昼食33分、敗退地点14分を除く)
  • 大江川(1時間03分)室浜砲台跡(3分)室浜海岸(1時間03分)多々良
     小計2時間09分
  • 多々良(46分)綱の浦(10分)大鳥居(15分)宮島桟橋
     小計1時間18分(大鳥居7分を加える)
  • 総合計8時間05分(すべての時間)
     (大鳥居横21分、昼食33分、敗退地点14分を加える)

みやじまトライアスロン大会

みやじまトライアスロン大会

〈写真左〉みやじまトライアスロン大会のスタート直後、9時00分
(大鳥居沖で、2隻の本部船の間をスタートした選手たち。上空には報道機関のヘリが三機ホバリングしている)

今日は、「はつかいち縦断みやじま国際パワートライアスロン大会」の開催日である。宮島口(私たちの集合時間、午前8時)でも、ボランティアの方たちの一団が、それぞれの持ち場に散って行った。中国新聞記事(2013年6月24日付)によると、当日は「ボランティア約2千人が運営を支え」たという。(以下、同社新聞記事を参考にした)

大会は、スタート地点の厳島神社大鳥居沖から「2.5kmを泳いで対岸の大野地域に渡り、バイク55km、ラン20km(リレーの部22km)の計77.5km(同79.5km)」で争われた。

スタート地点(廿日市市宮島町)は、もちろん海抜0m。そこから、西中国山地(広島・島根・山口県境)の同市吉和に向けて、バイク最高点の標高約850m、ラン最高点の標高約900mを行くという過酷なレースである。

なお、今日の優勝タイムは、男子(34歳)3時間51分56秒、女子(42歳)4時間9分14秒で、「ともに大会新記録だった」。

午前9時のスタートを見送る

スタートは午前9時、スイムで始まる。私たちは、JR宮島航路で宮島に渡り、大鳥居横の参道に陣取った。そこでは、大太鼓が打ち鳴らされ気分を高揚させている。

スイムのコースは、私なりにまとめると、「厳島神社大鳥居沖から、宮島海岸に沿って西向きに行き、多々良手前の大黒岩沖から、対岸の大野(アクアネット桟橋、JR山陽本線前空駅の東北東)に渡る」となっている。(大野上陸、先頭通過予定時刻9:37、関門時刻10:25)。

今日の私たちの予定コースの沖合を行く形となる。

午前9時のスタートを見届けて、私たちも出発した。

厳島神社を左から迂回している間に、トップグループはすでに前の方に行ってしまったらしい。私たちは、最後尾の選手を追う形で、海岸道路(自動車道)を多々良方面に向かった。

時折展望の開ける箇所から沖合を見ると、黒いウェットスーツを着た選手が見え隠れしている。

「7回目のことしは過去最多の739人が出場」(今年から国際大会として公認)。「個人は出場439人のうち409人、リレーは100組中93組が完走した」という。スイムでは全員泳ぎ切っただろうか。

大江浦まで順調に達する

KANは良く歩いている。植物実験所に至る海岸道路(自動車道)で、カニを見つけたりしながら、ちゃんと歩いている。

自動車道は、植物実験所で行き止まりである。実験所の向こうの室浜砲台跡から先は、完全な山道となる。砲台跡で、もう少し先まで行くかと問えば行くと答えたので、そのまま山道に入り、大江浦まで行って海岸を引き帰すことにする。

室浜砲台跡

〈写真右〉室浜砲台跡、10時42分
(室浜砲台(跡)には、二連一組の砲台が二組あった)

大江浦手前の山道で、今日予定していた岩船岳を遠方にとらえる。海岸部を見下ろすと、潮はまだ引いていない。大江浦で昼食を取りながら、海岸を引き帰すための潮待ちをすれば、ちょうど良い時刻になりそうである。

大江浦手前

〈写真上〉大江浦手前、11時16分
(まだ潮は引いていない。画面左上奥は岩船岳)

大江川まで行き、先日来の雨で増水した川を一旦渡り、少し下流で渡り返す。水量が多く、KANは父親が抱っこして渡す。大江浦の砂浜を北に少し行って昼食をとる。KANが自分でおむすびを握り、卵焼きを作り、ウインナーまで焼いてきたらしい。

室浜めざして北に向かう(敗退)

昼食後、室浜をめざして海岸を北に向かう。ここの海岸は、あての木浦~御床浦~大江浦に比べると、多少岩場が多いように感じる。しかし、歩くのに何の不自由もない。途中でシカやタヌキを見たりしながら、出足は順調だった。

大江浦の北側

〈写真左〉大江浦の北側、12時19分
(海岸線を順調に歩いている)

ところが、小さな鼻先(273mと102mの中間点西側)で、行く手をはばまれてしまった。(12時半ころ)

潮待ち(干潮15時半ころ)すれば、通ることができるようになるのかどうか、確証はない。なにしろ、潮汐データを自分で計算しているわけではないので、宮島の干満について正確なデータは持っていない。また、潮位がどの程度の時に、ここが通過可能なのかも分からない。

行く手をはばまれる

〈写真右〉小さな鼻にぶつかる、12時27分
(もう少し潮待ちをすれば、通れるだろうか)

長男が前方を確かめると、向こう側は切り立った岩場になっているという。そして、こちら側の上部に切れかかったロープがあるものの、エスケープルートが存在するのかどうか分からないという。

安全で確実なのは、KANを連れて元来た道を引き返すことであろう。多少歩く距離が長くはなるが、今の状態なら歩いてくれそうである。引き返すことにする。

後日注:メル友から貴重な情報をいただいた。

ここを通過することのできる具体的な潮位(㎝)と、ある時刻における潮位の計算式(天文学に基づく数式、EXCEL計算式)である。今日の場合で言えば、後1時間程度の潮待ちが必要だったようである。

また、ここのエスケープルートについてもご教示いただいた。後日(2013/06/30)、海岸沿いの山道で標識らしきものを確認した。

ところで、今日はここから引き返したため、その先にあるはずの"内侍岩"は見ずじまいになってしまった。後日のお楽しみである。

大江浦~室浜砲台跡の山道を帰る

再び大江川の水につかりながら、山道に入る。大江川の少し手前で、海岸から疎林に入れば、少しだけショートカットできそうだったが、道迷いを恐れて回り道をした。

山道を引き返しながら海岸を見下ろすと、潮が引いて干潟が急速に広がっているのが分かる。

大江浦~須屋浦

〈写真上〉帰途振り返り、大江浦~大川浦~御床浦~須屋浦を望む、13時23分
(潮が一段と引いて、広範囲の干潟が出現しつつある。画面左上奥は、岩船岳)

展望を楽しんでしばらく行くと、左手の海岸に向けて小道が下りている。273mのほぼ真西(標高10m台)である。ここを知っておれば、先程の敗退地点から南に250m程度引き返して、すぐ山道に合流できたかもしれない。今後のために覚えておきたいポイントの一つであろう。

それはともかく、ゆっくりとしたペースながら、しっかりとした足取りで順調に進む。海岸に目をやると、対岸の大野にも大きな干潟(二万五千分1地形図表示あり)が出現しており、多くの人が潮干狩りをしているのが見える。宮島と本土との間の水道(大野瀬戸)は、幅200~300mといった感じである。(このページのトップ画面参照、14時01分)

室浜砲台跡の近くまで帰り着く。砲台跡周辺では道が錯綜しているが、植物実験所の道しるべが要所要所にあり助かる。少し遠回りをしながら再び砲台跡を確認して、下室浜の海岸に至る。

下室浜から多々良まで、再び海岸を歩く

下室浜から多々良まで、再び海岸を行く。

干潟を行く

〈写真右〉大きな干潟を行く、14時20分
(本土側の経小屋山が、せまい水道の向こうに大きく見えている)

大川浦から多々良まで、宮島でも多くの人が出て貝を掘っている。ただし、いずれも、仕事として掘っているような雰囲気がある。

また、ほとんどの場合、船外機で沖合から乗り着けているようである。いくつもの船外機が、潮の引いた干潟の上に取り残されている。宮島の山道からアプローチするよりは、ずっと簡単なことは確かである。

ところで、これらの干潟には縄張りがあるのだろうか。どこを見ても、文字どおりロープのようなもので区画整理されているようである。ある区画では、泥の干潟にきれいな砂を入れて、何かをまいている人がいる。稚貝を養殖しているのかもしれない。

宮島の干潟

〈写真左〉多々良川左岸沖の干潟、14時55分
(干潟を整備している人たちがいる。対岸の大野(本土側)は、すぐ手の届きそうな所にある)

多々良から海岸道路を行き、綱の浦から一直線に大鳥居をめざす

多々良で海岸道路(自動車道)に上がる。水路から上がったため、そのすぐ先にある"げんこつ岩"は、海岸道路から樹間越しに見ることになった。これも、"内侍岩"同様、後日のお楽しみとしておこう。

綱之浦隧道を出た所(大元隧道の手前)で海岸を見ると、大鳥居までずっと干潟が続いているのが分かる。またまた海岸に下りて、大鳥居まで一直線に歩く。

厳島神社大鳥居

〈写真右〉干潮の大鳥居、16時20分
(外国人観光客も多い)

少し潮が上げて来ており、大鳥居沖で潮干狩りをする人はほとんどいなくなっている。対岸に上がり、赤ちゃんを連れたシカを見る。

富士山挑戦

今年の夏は、長男と一緒に富士山に登ることにしている。前回(2010/07/12、7合目雨天敗退)のリベンジである。山小屋は世界遺産登録騒ぎ前から予約している(昨日2013/06/22、登録正式決定)。

KANも富士山に登りたいと言う。しかしながら、今日だけの実績では何とも言えない。今年秋には宮島弥山(三角点529.8m)の展望台が完成するだろうから、来年は弥山頂上まで登り、さらにその次の年に、十方山(三角点1318.9m、標高差約800m)を登って、合格ならば、三年後の小4(10歳)で連れて行ってやると約束をする。それまで、こちらも体力を維持しておかなければならない。

今日は、雨の確率40%(正午)ではあったが、帰途で宮島松大汽船を下りた時、ほんのちょっとぱらついたのみ。気温は終日低めの曇りで、山歩きには好都合であった。久しぶりに宮島口から広電に乗る。

宮島松大汽船

〈写真右〉帰りの宮島松大汽船にて、16時50分
(富士山に登るのはいつのことであろうか)

何はともあれ無事下山、全員揃って我が家で夕食、今日の一日に感謝。

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2013年06月30日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

多々良林道~岩船岳縦走路~岩船岳~御床山~御床浦~宮島植物実験所
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年06月30日(日)、単独

今日の山行は、私なりの「宮島の歩き方」を考え直す良いきっかけとなった。
宮島の古い山道が、いくつか再整備されている。それらすべてが、宮島の自然保護・保全及び賢明な利用という観点から、適切に行われているものと信じたい。

  • 宮島の西海岸探索
    • 宮島植物実験所〜御床浦〜あての木浦・総集編(2014/12/03)
    • 西海岸線歩き(2013/06/23、5/23)
    • 西海岸沿いの山道(2013/05/23)
    • 西海岸沿いの山道探索過程
      (2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02)
  • これまでの岩船岳
    • 宮島南部の砲台跡 ⇒ 実際には「厳島聴測照射所跡」だということが判明(中国新聞記事、2011年1月12日付)、参照Web:いにしえのロマンの郷>>みやじま地区点描>>厳島聴測照射所跡/藤下憲明さん
    • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す
      2009/05/04
    • 岩船岳往路下山、大川越から大川浦(西海岸)へ下る
      2009/03/14
    • 岩船岳~御床山の向こうの砲台跡探索
      2005/03/19(ついに、いわゆる砲台跡到達)
      2004/03/13、2003/06/07、2002/04/06、3/30、3/2(砲台跡未到達)
    • 岩船岳三角点(砲台跡は未到達、御床山から御床浦に下る)
      2002/03/02
    • 初めての岩船岳(ただし三角点手前の東峰まで)
      2001/10/20
    • 途中敗退
      2009/03/07、2001/02/25

このページの目次です

はじめに

先週(2013/06/23)は、前回(初めての海岸歩き、2013/05/23)に引き続き、大潮の干潮時に宮島の西海岸がどのくらい歩けるか試してみた。

その時の予定では、御床山~御床浦の間の登山道がどうなっているかも知りたくて(2002/03/02に一度下山したことあり)、長男と一緒に宮島桟橋から岩船岳を乗り越えて御床山に至り、そこから御床浦に下るつもりでいた。

しかし、孫(小1男)が一緒に行きたいと言うので、当日は予定を変更して、海岸部だけを歩くことにした。

今日は、先週予定していたコース(岩船岳~御床山~御床浦)をそのまま一人で歩いてみた。

当初の予定では、体力温存のため、多々良まで海岸道路を行き、そこから多々良林道経由で岩船岳登山口(奥の院の手前)に至る。そしてそこから、右手に少し急登して、先峠で岩船岳縦走路に乗ることにしていた。先峠山402mの東面を巻いて行くコースである。

ところが、今日は、岩船岳登山口よりもさらに手前で、「(多々良林道から)先峠山402mの西面を巻いて岩船岳縦走路に至る」と思われる踏み跡が大きく口を開けているのに気付く。以前から気になっていたコースである。踏み込んでみることにする。

注意:標高その他、主として二万五千分1地形図(国土地理院)(厳島、平成18年8月1日発行 2刷)による

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:58-大元公園10:17-多々良10:48、10:51-(多々良林道)-分岐11:11、11:14-先峠山・三つ丸子山分岐11:45-岩船岳縦走路(海軍省標石)11:57、12:02-陶晴賢碑分岐12:04-展望岩場12:15-351m横12:20-八畳岩12:31、12:42-青海苔浦分岐12:46-大川越(海軍省標石)12:48-振り返れば展望13:01、13:07-海軍省標石13:10-岩船岳東峰13:30、13:34-岩船岳13:43、13:59-御床山14:16、14:22-標識(250m台)14:35-145m横14:46-御床浦(海岸)15:03-(少し引き返す)-石垣手前左折15:05-大川15:59、16:10-大川越分岐16:13-大江川16:24-振り返れば岩船岳16:31-海岸分岐16:36-海岸分岐?16:45-宮島自然植物実験所17:11-多々良17:37-大元公園18:03、18:10-(途中休憩あり)-宮島桟橋18:36

  • 宮島桟橋(19分)大元公園(31分)多々良
     小計50分
  • 多々良(20分)分岐(31分)先峠山・三つ丸子山分岐(12分)岩船岳縦走路(海軍省標石)
     小計1時間03分
  • 縦走路(2分)陶晴賢碑分岐(16分)351m横(11分)八畳岩(6分)大川越
     小計46分(八畳岩11分を加える)
  • 大川越(13分)振り返れば展望(23分)岩船岳東峰(9分)岩船岳
     小計55分(展望6分、東峰4分を加える)
  • 岩船岳(17分)御床山(41分)御床浦(海岸)
     小計1時間04分(御床山6分を加える)
  • 御床浦(1時間10分)大川越分岐(58分)宮島植物実験所
     小計2時間08分
  • 宮島植物実験所(26分)多々良(26分)大元公園(26分)宮島桟橋
     小計1時間25分(大元公園7分を含む)
  • 宮島桟橋~多々良林道~岩船岳、3時間45分
     (多々良3分、分岐3分、縦走路分岐5分を加える)
  • 岩船岳~御床山~御床浦~宮島植物実験所~宮島桟橋、4時間37分
  • 総合計、8時間38分
     (岩船岳16分を加える)

多々良林道経由は省エネコース?

さて今日は、奥の院周辺部を通って、まずは岩船岳をめざすことにした。

厳島神社から、海岸道路(簡易自動車道)を南西に行く。多々良で左折して多々良林道(同じく簡易自動車道)に入り、奥の院に向けて登る。順調である。

そして、その後の予定では、奥の院手前にある岩船岳登山口を右折、先峠(先峠山402m東側)で岩船岳縦走路に乗り、岩船岳をめざすことにしていた。

それにしても、宮島桟橋から岩船岳はいかにも遠い。岩船岳の実際の取り付きとなる大川越まで距離があり、そこに至るまでにかなりの体力を消耗するからである。私の場合、岩船岳(東峰)の最後の登りでは、いつもきつい思いをしている。

まして今日は、そのさらに向こうの御床山まで行かなければならない。そこで、岩船岳の向こうまでできる限り体力を温存するため、多々良林道経由で行こうと考えたのである。

いわゆる砲台跡探索の思い出

宮島島内には、砲台跡(明治期)や聴測照射所跡(太平洋戦争期)がある

宮島島内には、砲台跡が二つある。室浜砲台跡(西海岸)と鷹巣砲台跡(東海岸)で、いずれも明治期のものである。それと実はもう一つ、宮島南西部の山中に遺構(太平洋戦争期)があり、それが砲台跡とされていた。

私はかつて、その砲台跡探索に、足かけ四年連続(2002年~5年)で数回通ったことがある。

この砲台跡(実は厳島聴測照射所跡)は、岩船岳(三角点466.6m)~御床山(標高364m)の向こうの尾根上(標高230mピーク~230m台)にあり、宮島桟橋からは実に遠かった。そこで、省エネのつもりでよく使ったのが、この多々良林道経由のコースである。

その当時、御床山~230m~あての木浦(宮島の最西南端部)は、かつての山火事の影響で羊歯がはびこり、通行が非常に困難となっていた。山火事の後で植林をしたと聞いたことがあるが、羊歯の勢いの方が勝っていたようである。

さて、後日インターネットで検索すると、私が山側から砲台跡に達した(2005/03/19)数か月後、海側の"あての木浦"から砲台跡に登ったという記録(2005年8月27日付)がある。参照Web:「宮島 御床山南西に砲台確認」/広島大学宮島自然植物実験所ホームページ(2013年7月1日再確認)

その一部を引用すると、「宮島の長浦・あてのき浦までボートでいき、藪こぎをしながら山頂へ向かいましたが、現地に着くのに3時間30分を要しました。全く道がないので、手探り状態でかなりきついコースでした」となっている。

ただし原文では、この3時間30分が、どこからどこまでで要した時間かは不明である。

それはさておき、私や藤下さん(このページのトップに記載)は、宮島桟橋から岩船岳を乗り越して御床山に至り、そこからさらに、いわゆる砲台跡の周辺まで下り、帰途登り返すという方法をとっていた。

この場合でも、御床山の少し先から下では、かつてあったと思われる踏み跡のほとんどが羊歯の中に消えており、砲台跡周辺までの往復には非常な体力を要したものである。

ところがその後(2009/05/04)、私は、宮島桟橋~室浜砲台跡から"あての木浦"まで海岸沿いの山道を行き、そこから、いわゆる砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越して、宮島桟橋まで帰ってきたことがある。その時は、あての木浦~御床山では羊歯が刈ってあり、気持ち良く歩くことができた。

ここを再整備する計画に対しては、以前は許可が下りなかった、という話を聞いたことがある。そうした状況の中で、再整備が可能となった詳しい経緯については何も知らないままとなっている。

後日注:宮島太郎の会(2007年設立)において、「(会設立前の)2006年に宮島西部の海岸沿いの道あての木ルートを復旧整備」したとのことである。(出典:宮島太郎の会のPR資料)

先峠山402m西面の踏み跡を行く

ところで今日は、多々良林道の岩船岳登山口(標高230m前後)よりもさらに手前で、右手にきれいな山道が口を開けているのを確認する。以前、ここの踏み跡には少しだけ踏み込んだことがあるように思うが、よくは覚えていない。注:二万五千分1地形図117m付近

はっきりしているのは、今日のような幅広のきれいな道ではなく、踏み跡があるかないかといった状態だったことである。

それはともかく、おそらくこれが「(多々良林道から)先峠山402mの西面を巻いて、岩船岳縦走路に至る」踏み跡であろう。もしそうならば、その途中には、先峠山・三つ丸子山分岐があるはずである。

私が岩船岳方面に通い始めた2001年ころから、「岩船岳縦走路(海軍省標石)~先峠山402m~多々良林道」を行く踏み跡があるらしいことに気付いており、気になっていた。

そして昨年、先峠山402m~三ツ丸子山367mを通った時(2012/04/29、4/1)、先峠山西面の鞍部付近で、きれいな幅広の山道が左手の岩船岳縦走路の方から延びてきており、そこを横切った。右手の多々良林道方面に下る踏み跡(変則的な十字路になっている)は、少し荒れているようにも見えたが、通ることはできそうである。

これこそ、岩船岳縦走路~多々良林道を結ぶ踏み跡であろう。そしてそれは、先峠山402mの山頂部を通るのではなく、先峠山の西面を巻いているのだということを確信した。長年気になっていたコースである。できるだけ早くここに踏み込んで、確かめてみようとチャンスをうかがっていた。

だから今日は行くしかない。多々良林道から南向きに踏み込む。まずは、小さな沢沿いを行く。その小さな沢でも、石組みの小さな堰がいくつか造られている。宮島では至る所で人の手が加えられて、環境が保持されている。

さて、途中で踏み跡があやしくなるものの、予想どおり先峠山・三つ丸子山分岐を横切って、岩船岳縦走路(海軍省標石、標高270mくらい)に至る。縦走路のすぐ先(岩船岳方面)には、陶晴賢碑分岐(青海苔浦分岐)がある。

体力的にもショートカットになるのかどうか、きちんと所要時間等を比較したわけではない。しかし、少なくともここに、多々良~青海苔浦の良い道が昔から存在していたことは間違いない。

大川越手前でも、古い山道の入り口が解放されている

岩船岳縦走路に入って、順調に前に進む。陶晴賢碑(青海苔浦)分岐を超え、岩船岳手前のピークである351mに向けて登る。途中の展望岩場では、樹木が茂っておりほとんど展望はない。夏場の展望は期待できないのかもしれない。

351mの東面を巻き、八畳岩を通り過ぎて下り、さらに大川越手前まで下る。そこには、青海苔浦方面下山口が大きく口を開けている。二万五千分1地形図の黒破線であり、以前から、ここにほんとうに下山口があるのかどうか、気になっていた箇所である。今日初めて実際にそのコース入り口を確認する。

後日注:宮島太郎の会では「(ここの)復旧整備を初回は2007年12月~2008年1月に、2回目を2012年の3月~7月」に行ったということである。(出典:宮島太郎の会のPR資料)

岩船岳の登りはきつい

大川越(今日二本目の海軍省標石あり)から、"振り返れば展望"、さらには今日三本目の海軍省標石を越えて登る。最後の標石から東峰までの緩急を繰り返す登りがきつい。

少し疲れる。やっとの思いで岩船岳東峰に達する。大岩の上で、岩船岳方面から下山してくる20人前後のパーティーをやり過ごす。

「大元コースはヤブか?」「いやそんなことはない」といった会話が聞こえる。これから、先峠~岩船岳登山口(多々良林道)~前峠を経て、大元川左岸コースを下るのだろうか。登りは、どのコースを通ったのだろうか。

さて私は、岩船岳東峰から岩船岳三角点をめざす。三角点に達し、そこから南向きに展望の良い岩場に移動して、少し休む。

岩船岳~御床山から御床浦(海岸)へ下る

岩船岳から御床山に下る。途中で尾根を外さなければ問題ない。大岩が続く辺りでは、大岩を左手、谷を右手にして行く。最後に急下ると御床山である。

御床山を通り過ぎて、同じ尾根を南西に少し下ると、宮島最西南端の海岸(可部島など)を見下ろす展望が開ける。そこからは、230mピークのこちら側にある砲台跡(実は厳島聴測照射所跡)の施設の一部を見ることができる。

今日は、そこからの展望を楽しむことはせず、直ちに、御床山から御床浦に向けて下る。
御床山から、支尾根を北西に向けて下る。急坂ではあるが、下草が刈ってあり、よく整備された踏み跡を迷うことなく下る。

途中で、左手に地形図黒破線の踏み跡があるかどうか、確かめながら下る。しかし、かつてあったかもしれない御床山登山道を確認することはできなかった。

二万五千分1地形図に記載の御床山登山道:
下谷(御床浦と須屋浦の間)から、御床山中腹の145mの南側まで記載されている黒破線

今日下ったのは、「御床山中腹の145mの北側から、北西に流れる小谷に沿って、御床浦の海岸まで続く」良い道(2013/05/23などで探索)である。初めての御床山(2002/03/02)から下山したのもこのコースであろう。御床山から一本道で御床浦(海岸)に至る。

御床浦で、またしても苦労する

御床浦には、かつての農園跡地が点在しており、踏み跡が錯綜している。

そうした中を通り抜け、"あての木浦"方面に向かう分岐点では、その位置関係にいつも苦労をさせられている。そして、その反対側、御床浦から宮島植物実験所に向かう山道に入るのもまた楽ではない。

今日も、あと一息で御床浦を抜け出るという所で、山道が羊歯で完全に覆われており、道迷いをしてしまった。つい最近(2013/05/23)通ったばかりだというのに全く不甲斐ないことである。

考えてみれば、初めて御床山から下山した時(2002/03/02)、初めての御床浦をよくも通り抜けて帰ってこれたものだと、今さらながら感心してしまう。

宮島桟橋は遠かった

御床浦から宮島植物実験所まで、海沿いの山道を行く。アップダウンがかなりあり、疲れた身にはしんどい山道である。

私の2002/03/02山行記(初めての御床浦~宮島自然植物実験所)には、次のような記述がある。「"海岸沿い"の道はとにかくタフな道であった。弥山にもう一つ登ったくらいの消耗度がある」。

今日は途中で、大潮の干潮時に通ることのできる水際のコースから、この山道に登りつく箇所を一つ確認しておいた。エスケープルートとしてメル友がくれた情報である。

宮島植物実験所から海岸道路(自動車道)に入る。

途中で、一台のバイクにまたがった若い男女とすれ違う。しばらくして戻ってきて、この先は行き止まりですかと聞かれた。宮島を一周する道路があると思って、ここまでやって来たらしい。一周することはできないと答えると、そのまま帰って行った。

多々良を経て宮島桟橋をめざす。午後6時を回り、宮島水族館(みやじマリン)は既に閉館、街中のお店もほぼすべて閉まっている。

厳島神社の横に、以前何度か焼き牡蠣で缶ビールを飲んだことのあるお店がある。そこのお店もすでに店じまいをしている。隣りの自動販売機で缶コーヒーを買い、そこのベンチで休む。

外国人観光客など、まばらな人影をぬって歩く。日の入りにはもう少し間があるだろうか、太陽は雲の中である。ゆったりとした時間が流れる中を宮島桟橋まで歩く。

宮島地区パークボランティアの会

「瀬戸内海国立公園宮島地区パークボランティアの会」は、宮島を中心とした瀬戸内海国立公園内を活動範囲として、環境省と連携しながら国立公園の保護と適正な利用に寄与する活動を行っている団体である(会員数約50名)。ホームページ参照:中国四国地方環境事務所>自然環境の保全整備>パークボランティア>宮島地区(2013年7月21日確認)

私も過去二度ほど、同会公募の植物観察会に参加させていただいたことがある。

  • 2006年05月07日(日)、大元公園~宮島自然植物実験所~下室浜海岸
  • 2005年04月24日(日)、包ヶ浦自然歩道(博打尾)~包ヶ浦公園

いずれの場合も、親切ていねいな説明、対応で楽しい一日を過ごさせていただいた思い出がある。

さて、その広報誌「みせん」第52号(平成25年6月1日発行)p.7、「岩船岳清掃登山(2013年4月20日)」の中には、宮島山中に不自然に作られた山道の姿をみるなどとした、次のような記述がある。(2013年7月21日確認)

それは、これまでの弥山やこの度の岩船岳登山で散見した、むやみに折られたり、切られたりした木の枝や、不自然に作られた山道の姿であり、もし、これらが自然保護や保全の観点からではなく、他の目的で行われたものであれば、宮島のかけがいのない宝である原始林が今まさに人間に侵犯されている現状そのものです。

「みせん」第52号(平成25年6月1日発行)p.7

GPS(Holux M-241)のデータが、メモリオーバーで記録できなくなってしまった(20日分以上のデータ有り)。内部メモリが一杯になった場合、「(古いデータを消去して)上書き」にしておけばよかったものを、「(メモリが一杯になったら)記録終了」の設定にしていたためである。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年08月12日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 富士山(番外編:日本百名山)

富士山須走ルートを長男と二人で登る(大陽館宿泊)
須走口五合目~7合目(大陽館宿泊)~富士山頂
(出発帰着:須走口五合目)

2013年08月12日(月)~13日(火)、長男

朝日を浴びる富士山

〈写真右〉朝日を浴びる富士山、5時38分(8月13日)
(大陽館の上に、朝日に輝く富士山頂を見る。
天候は晴れ、穏やかな天気に登山気分が高まる)

このページの目次です

はじめに

二度目の富士山である。前回(2010年07月11日~12日、須走ルート)は、長男と私の友人の3人で出かけて暴風雨に会い、あえなく7合目(宿泊先、大陽館)から翌日下山。悔しい思いを残したままとなっていた。

今回はそのリベンジである。基本的には、前回とほぼ同じ内容で計画を立てた。ツアーではなく、全くの個人旅行のため、多少金銭的、日程的に無駄があるかもしれない。しかし、その分自由があり、自分たちの体力に合わせた行動を取ることができた。

一日目:広島~名古屋~三島(新幹線)、三島~小山町(レンタカー)、小山町~ふじあざみライン~須走五合目登山口(シャトルバス)、七合目宿泊(大陽館)。二日目:七合目にて、御来光を拝んでから出発、富士山頂を往復して五合目登山口まで下山、三島まで戻って宿泊。三日目:新幹線にて帰広。

登り:
五合目登山口(3時間14分)七合目(3時間54分)富士山頂
合計7時間08分(七合目にて1泊)

下り:
富士山頂(1時間35分)七合目(2時間22分)五合目登山口
合計4時間10分(七合目休憩13分を加える)

2泊3日

各自の都合があり、今回は長男と二人でお盆に登ることになった。計画を進めている段階で、富士山が世界遺産に登録されたため、下山後の宿泊等、少々思いどおりにならないことも出てきた。

それはともかく、今回は富士山頂まで無事登ることができた。ただし御鉢巡りは、私の下山時の体力温存を考えてあきらめた。そして、その判断は正しかった。五合目登山口までの下りで、いかに脚力がないかを思い知らされる結果となった。

現在の体力把握、体調管理など反省点は多い。
注:長男のデジカメ(Exif情報、12分くらい進んでいる)

お守り

〈写真右〉お守り
(長男の嫁さんが作って持たせてくれた。中には紙片が入っており、下の孫が書いた絵に添え書きがしてあった。おとうさんをねがいします(上の孫)。ぶじに帰って来て下さい(長男の嫁)、原文のまま)

2013年8月12日

須走登山口へ向かう

新幹線

広島 6:00発、新幹線のぞみ108号、名古屋 8:18着
名古屋 8:35発、新幹線ひかり510号、三島 9:55着
(JR西日本、e5489事前申込)

料金券6,770円×2(往復)、乗車券18,900円(往復)、合計32,440円

在来線の一番列車で広島駅に向かう。私が乗り込むと、ちょうどそこに長男が先に乗っており声をかけられた。私と一緒に彼の上司が乗ってこられたという。彼があいさつに行くと、わざわざ上司の方が、私の所まであいさつにこられて恐縮する。

レンタカー

三島から小山町(須走)まで往復レンタカーを予約した(約13,000円、ガソリン満タン返し)。長男は車関係に強く、知り合いを通じて予約をしてくれた。予約車で新幹線口(北口)までお迎えをいただき、事務所で所定の手続きを済ませて出発する(10:30ころ)。

まずは国道246号に出て、東京方面に向かう。御殿場で左折して国道138号(箱根裏街道)に入り、富士吉田方面(山梨県)をめざす。小山町(静岡県)はその途中にある。国道138号に入った途端にものすごい渋滞である。インターネット情報によれば、県道151号線に迂回するなどの方法があるという。

シャトルバス

小山町から須走五合目登山口へのアクセス道路は、ふじあざみラインである。ただし、夏場の登山最盛期はマイカー規制が行われ、自家用車の通行ができなくなる。なお、前回は規制を受けることなく、レンタカーでそのまま五合目登山口まで登ることができた。

今回は規制がかかっている。したがって、麓から出ているシャトルバスに乗り換えなければいけない。道の駅「すばしり」の隣りの多目的広場が発着点になっているらしい。そこで道の駅をめざす。すこし寄り道をしてしまい、交番でお世話になりながら無事駐車場に到着する(12:20前後)。道路標識(道の駅「すばしり」)に従って、素直に走った方が良かったみたいである。

シャトルバスは30分おきに出ている。見たところ、2台いっしょに運行することもあるようだが、今日は1台に余裕を持って乗ることができた(13:00発)。五合目登山口までは、ほぼ30分で到着する。
駐車料金1,000円/台、シャトルバス往復1,500円/人

コースタイム(参考)

富士山登山のコースタイムは、その人の体力、その日の体調、あるいはその日の天候によって大きく左右されることになる。

標準的なコースタイムとしては、「須走5合目登山口~7合目(大陽館)~富士山山頂は、それぞれ3時間半くらいずつ、つまり、5合目登山口から山頂まで約7時間」(大陽館スタッフの電話口での応対を長男が聞いたもの)としてよいであろう。

なお、下り(ブルドーザー道~砂走り~樹林帯)は、登りの約半分程度(3時間半)とみてよいだろう。

私たちは、前回7合目まで、そして今回山頂を往復した。この所要時間は納得できるものである。しかし、ことはそう簡単ではなく、かなりの苦労をさせられた。

参考資料

後日確認した以下の資料が役立ちそうである。

  • 富士山ナビ
    www.yamakei-online.com/fujisan/
  • 富士さんぽ -初心者のための富士山登山ガイド-
    www.fujisanpo.com
  • あっぱれ富士登山
    www001.upp.so-net.ne.jp/fujisan/index.html
  • 2013年 富士登山 須走口登山道(須走ルート)情報|写真レポート
    yorikanekeiichi.com/i-recommend-subashiri-trails-of-mount-fuji-3603.html
    著者:寄金佳一さん
  • 富士山の植物図鑑
    東京書店(2007年)

五合目登山口

  • 須走登山口(五合目)、電子国土:五合、約1,975m、13時37分出発
  • 長田山荘(新六合目)、電子国土:無印、約2,425m、休憩(14時53分~55分)
    登山口から、1時間16分
  • 瀬戸館(本六合目)、電子国土:六合、約2,625m、休憩(15時38分~46分)
    新六合目から、43分(登山口から、2時間01分)
  • 大陽館(七合目)、電子国土:七合、約2,920m、16時51分着
    本六合目から、1時間05分(登山口から、3時間14分)
須走五合目登山口

〈写真右〉須走五合目登山口、13時34分
(出発、13時37分)

須走5合目登山口で身支度を整え、登山を開始する。
標高2,000m(電子国土:1,975m)

須走ルートは、出発点の標高が他の登山道に比べて低く、森林限界よりも下にある。そのため、樹林帯の中を楽しみながら登ることができる。また、団体さんがほとんど入らないため登山者の数が少なく、ゆったりと登ることができる。

樹林帯を行く

〈写真右〉樹林帯を行く、13時54分

ムラサキモメンズル

ムラサキモメンズル

〈写真右〉ムラサキモメンズル、14時04分

あざみ
富士山には、フジアザミが生育している。

アザミ

〈写真右〉あざみ、14時04分

ほたるぶくろ
富士山には、ヤマホタルブクロが生育している。

ホタルブクロ

〈写真右〉ほたるぶくろ、14時07分

いたどり?
富士山には、ベニイタドリが生育している。

いたどり?

〈写真右〉いたどり?、14時09分

アキノキリンソウ

アキノキリンソウ

〈写真右〉アキノキリンソウ、14時22分

前回は雨、今回も雨模様。しかし、ほとんど降ることはなかった。なお、ドーンドーンと大きな音が周りでしている。自衛隊東富士演習場の大砲の音だと思ってそれなりに安心していたら、翌日ガイド(吉田ルート)が言うには、実は雷の音だったらしい。

新六合目(長田山荘)

新六合目(長田山荘)、標高2,450m(電子国土:2,425m)、休憩(14時53分~55分)
五合目登山口から1時間16分かかった。前回は雨の中を1時間20分で登っている。

花とたわむれながら、登山口からここまで、1時間半といったところが適当であろうか。

長田山荘

〈写真右〉長田山荘、14時53分
(登山口から、1時間16分)

やがて、森林限界を越えてくる。

森林限界を越える

〈写真右〉森林限界を越える、15時15分

ゆり
富士山には、クルマユリが生育している。

クルマユリ

〈写真右〉ゆり、15時23分

本六合目(瀬戸館)

本六合目(瀬戸館)、標高2,700m(電子国土:2,625m)、休憩(15時38分~46分)
五合目登山口から2時間01分(長田山荘から43分)かかった。ここまでで、かなり疲れを感じるようになる。

今日は湿度が高く、非常に蒸し暑く感じる。とは言うものの、今日の私の汗の量は尋常ではない。

上半身びしょ濡れ、その汗がズボンの腰回りまで多量に流れ落ちている。帽子のひさしからも滴がたれている。ただし、時々当たる風にも寒さはほとんど感じない。

体調不良かもしれない。いつもの私は、飲料としてお茶のペットボトルを持参している。今後はスポーツドリンク(ミネラル補給)に変える必要があるかも。

さて前回は、新六合~本六合間は、雨の中を41分で登っている。体調が良ければ、新六合目から本六合目まで約40分、五合目登山口からここまでは、2時間ちょっとでゆったりと登れそうである。

なお、いつのころからか、右手南側の砂走り(下山道)を三々五々下る登山者が見えるようになっている。

瀬戸館

〈写真右〉瀬戸館、15時38分
(登山口から、2時間01分)

本六合目(瀬戸館)を過ぎて、ますます疲れてくる。登山道の細かなジグの角々で、立ち止まっては深呼吸をする。息を強く吹いて、ゆっくりと大きく吸い込む。高山病対策のつもりである。

七合目(大陽館)

七合目(大陽館)、標高3,020m(電子国土:2,920m)、16時51分着
五合目登山口から3時間14分(瀬戸館から1時間05分)かかった。
前回は、雨の中を、五合目から推定約3時間半(瀬戸館から同1時間21分)で登っている。

実は長男が、大陽館の少し手前で、山小屋がもう一つあったはずだと言う。そんなはずはないのだが、私の思考能力も低下していたのであろうか。

もし、目の前の山小屋が大陽館でなければ、今日はこれまで、そこで泊めてもらう(可能かどうかは別として)ことに覚悟を決める。だから、そのすぐ後で、「大陽館」の看板を見たときは、何とも言えずほっとした。(注:大陽館が正しい、太は間違い)

さて今日は、若い男性(単独)や若い女性たち(二人組)、そしてカップルなど、次々に追い抜かれて行った。今現在の私の体力で、体調さえ良ければ、五合目登山口から7合目までは、3時間半あれば楽しみながらゆったりと登ることができそうである。

ところで、登山開始から七合目まで、一度もトイレに行っていないのでは? かなりヤバいぞ。

大陽館

〈写真右〉大陽館、16時51分
(登山口から、3時間14分)

受付を済ませて前払いで清算(一泊二食付)、トイレ、水の使い方などの説明を受ける。その後、寝床に案内された。薄手のトレーナーを一組持参しており、汗で濡れた衣服を着替える。気持ち良い。
(1泊2食 9,975円、素泊まり6,300円)

大陽館の食事が良いことは有名である。ハンバーグをメインに「ごはんと豚汁の食べ放題」が売り物になっている。前回私は、ばててしまって夕ご飯をほとんど食べることができなかった。今回は、豚汁のお代わりをした。おいしかった。

夕食

〈写真右〉大陽館の夕食、18時前後
(富士山の山小屋で一番との評判、長男写す)

大陽館では、山小屋に到着(夕方4時~6時)して夕食、翌日朝食後、御来光を拝んで山頂に向けて出発、というスタイルが基本となっているのかもしれない。(消灯午後9時)

団体さんはもちろんいなかった。夜中の12時過ぎに出て行った10人くらいのグループがあったものの、夜遅く到着する登山者もほとんどいなかった。家族連れ、カップルあるいは単独者などの少人数ばかりである。

ところで、寝床は屋根裏スペースを入れて三段になっている。私たちは二階の一角を指定された。一区画3名で、先客1名あり。一人1枚のシュラフが提供されており、布団の上にそれを敷いてもぐり込む。私が真ん中になった。両肩が触れ合わない程度のスペースがある。

2013年8月13日

今日のコースタイム

  • 大陽館(七合目)、電子国土:七合、約2,920m、5時42分発
  • 本七合目(見晴館)、標高3,200m(電子国土:3,145m)、休憩(6時22分~29分)
    大陽館から40分
  • 八合目(下江戸屋)、電子国土:3,270m、休憩(7時00分~7分)
    大陽館から1時間18分(見晴館から38分)
  • 本八合目(胸突江戸屋、トモエ館)、電子国土:3,370m、休憩(7時34分~47分)
    大陽館から1時間52分(下江戸屋から34分)
  • 八合五勺(御来光館)、電子国土、無印、約3,450m、休憩(8時4分~10分)
    大陽館から2時間18分(胸突江戸屋から17分)
  • 九合目(電子国土、九合、約3,600m)、8時48分
    大陽館から3時間06分(胸突江戸屋から1時間01分)
  • 富士山頂(電子国土:3,720m)、休憩(9時36分~10時05分)
    大陽館から3時間54分(胸突江戸屋から1時間49分)
    噴火口(10時10分)、お昼寝(10時16分~11時05分)
  • 富士山頂、下山開始11時05分
  • 下江戸屋分岐(八合目)、電子国土:3,270m、休憩(11時53分~57分)
    山頂から、48分(今日のこの区間は、登り2時間29分)
  • 本七合目(見晴館)、標高3,200m(電子国土:3,145m)、休憩(12時09分~12時20分)
    山頂から、1時間04分(今日のこの区間は、登り3時間07分)
  • 七合目(大陽館)、標高3,020m(電子国土:2,920m)、休憩(12時40分~12時53分)
    山頂から、1時間35分(今日のこの区間は、登り3時間54分)
  • 砂払五合目(吉野屋)、電子国土:2,230m、休憩(14時16分~18分)
    大陽館から、1時間23分(昨日のこの区間は、登り推定2時間32分)
    (山頂から、3時間11分)
  • 五合目登山口(東富士山荘、菊屋)、電子国土:1,975m、15時15分着
    大陽館から、2時間22分(昨日のこの区間は、登り3時間14分)
    (砂払い五合目から、57分(昨日のこの区間は、登り推定42分))
    (山頂から、4時間10分)

御来光

大陽館(七合目)で、朝4時15分から朝食。その後、少し冷たい風が吹く中で、御来光を拝む。

御来光

〈写真右〉御来光、5時5分
(富士山7合目から御来光を拝む、長男写す)

七合目(大陽館)

大陽館出発。予定では山頂まで3時間半~4時間としたが、今日の調子はどうだろうか。多少の不安を感じながら登り始める。

大陽館出発

〈写真右〉大陽館出発、5時42分
(山小屋の後ろから、富士山頂まで見通せる)

オンタデ
「五合目を越えた砂礫地に多く生育し、火山荒原に最初に生える植物の一種として知られ、先駆植物ともいう」。『富士山の植物図鑑』東京書店(2007年)p.86

オンタデ

〈写真右〉オンタデ、6時11分

花を見る

花

〈写真右〉花、6時15分

本七合目(見晴館)

本七合目(見晴館)、標高3,200m(電子国土:3,145m)、休憩(6時22分~29分)
大陽館から40分。まずまずであろう。

八合目(下江戸屋)

八合目(下江戸屋)、電子国土:3,270m、休憩(7時00分~7分)
大陽館から1時間18分(見晴館から38分)。まずまずであろう。

吉田口分岐である。山頂から大勢の人が下りてくる。吉田口に下りる団体さんである。人の列が2列3列あるいは4列になっている。大渋滞である。その脇をすり抜けて少し前に進み、ちょっと休む。

本八合目(胸突江戸屋、トモエ館)

本八合目(胸突江戸屋、トモエ館)、電子国土:3,370m、休憩(7時34分~47分)
大陽館から1時間52分(下江戸屋から34分)。少し遅れ気味か。

本八合目

〈写真右〉本八合目、7時38分

ここからは、吉田ルート(登り)の団体さんと一緒に登ることになる。今日も少し疲れを感じるようになっている。ペースも段々と落ちている。渋滞していることも含めて、団体さんのゆったりとしたペースがちょうど良い。

八合五勺(御来光館)

八合五勺(電子国土、無印、約3,450m)、休憩(8時4分~10分)
大陽館から2時間18分(胸突江戸屋から17分)

九合目

九合目(電子国土、九合、約3,600m)、8時48分
大陽館から3時間06分(胸突江戸屋から1時間01分)

団体さんについて、ゆっくりと登っていたのだが、そのうち岩場で疲れて遅れ気味となる。小学生やそれ以下の子どもたちにも後れを取る。

岩場を登る

〈写真右〉岩場を登る、9時07分
(最後の難関である)

富士山山頂

富士山頂(電子国土:3,720m)、休憩(9時36分~10時05分)
大陽館から3時間54分(胸突江戸屋から1時間49分)。

最後は、かなり休憩を入れながら登る。予定時間内(3時間半~4時間)ではあったが、山頂に近づくほどに疲れて、ペースダウンしている。胸突江戸屋からは、1時間30分というのが妥当なところだろう。

富士山頂

〈写真右〉富士山頂、9時37分
(富士山の各登山口を登り切った所が、それぞれ富士山頂として認定されている)

噴火口(10時10分)、お昼寝(10時16分~11時05分)

須走ルートを登り切った所から少し行くと、噴火口をのぞくことができる。そこで幾枚かの写真を撮った。もっと良く見える場所はないのだろうか。

御鉢(噴火口の縁)を見回すと、人が多く集まっている場所がある。あそこならどうかというので、長男が、私のカメラを持ってそこまで移動して写してくれる。

なお、御鉢巡り(富士山最高峰、剣ヶ峰3,776mなどの火口壁巡り)は、山頂に登りつく前にすでに断念している。私の下りでの体力温存を考えたためである。なお、御鉢巡りの一周所要時間は、1時間30分くらいという。

噴火口を見る

〈写真右〉噴火口を見る、10時33分
(私はお昼寝。日差しが強く、タオルを顔にかける。その間に、長男が私のカメラを持って、角度のよい位置まで移動して写してくれる)

ブルドーザー道を下る

富士山頂、下山開始、11時05分(登頂9時36分)。

富士山頂からの下山道として、登りコースの南側にあるブルドーザー道が使われている(須走・吉田ルート共用)。火山礫を踏んで歩くと細かい火山灰が舞い上がる。良質のマスクが必須である。今日は応急処理としてタオルを口に当てる。

ブルドーザー

〈写真右〉ブルドーザー、11時30分
(ブルドーザーが、山小屋への物資補給に使われている)

下江戸屋分岐(八合目)

八合目(下江戸屋)、電子国土:3,270m、休憩(11時53分~57分)
山頂から、48分(今日のこの区間は、登り2時間29分)。

下江戸屋分岐で、吉田ルート(黄色)と須走ルート(赤色)が分かれる。

ここまでのブルドーザー道は、富士山頂部の急斜面に大きくジグを切って作られている。したがって、距離的には少し長くなるものの、適度な傾斜となっており歩きやすい。下りにかかった時間は、今日最後の登りでバテた時間との比較とはいえ、何と登りの約1/3である。

下江戸屋分岐

〈写真右〉下江戸屋分岐、11時53分
(富士山の4本の登山ルートは、それぞれ色分けされている)

本七合目(見晴館)

本七合目(見晴館)、標高3,200m(電子国土:3,145m)、休憩(12時09分~12時20分)
山頂から、1時間04分(今日のこの区間は、登り3時間07分)。

本七合目の下

〈写真右〉本七合目の下、12時21分
(本七合目を越えてなおも下る)

七合目(大陽館)

七合目(大陽館)、標高3,020m(電子国土:2,920m)、休憩(12時40分~12時53分)
山頂から、1時間35分(今日のこの区間は、登り3時間54分)。

下りでは、登りの半分以下の時間で済むと考えてよいだろう。
さて、大陽館からも、登りとは別のコース(砂走り)を下ることになる。

砂走りに向かう

〈写真右〉砂走りに向かう、12時56分
(大陽館の正面を通り抜け、砂走りに向かって下る)

砂走りを下りに下る

砂走りに入ると、勾配がきつくなる。細かい火山礫と火山灰の中を、下って下って、さらに下る。足も頭もおかしくなる。何度も尻もちをつく。その度に、足首を痛めたのではないかと心配になる。当然ペースはダウンしてくる。休憩の時間も長くなる。小さな子どもたちにも置いて行かれた。

砂走り

〈写真右〉砂走り、13時02分
(砂走りを、下りに下る)

砂払五合目(吉野屋)

砂払五合目(吉野屋)、電子国土:2,230m、休憩(14時16分~18分)
大陽館から、1時間23分(昨日のこの区間は、登り推定2時間32分)
(山頂から、3時間11分)

登りと下りではコースが異なっている。砂払五合目は下りでしか通らない。したがって、昨日の登りの時間は、砂払五合目と同高度の位置から大陽館までの所要時間を推定した。

それにしても、大陽館から下では、登りに対して下りで相当時間がかかってしまっていることが分かる。(砂地を滑り降りるので、下りでかかる時間は、通常は登りの半分もないだろう)

樹林帯を這いながら下る

どこまで下っても砂走りである。いっこうに樹林帯に届かない。いいかげん集中力がなくなってきた。もう嫌だ。

やっと樹林帯の中に入った。完全に足にきている。これは危ない。木の根や溶岩につまずかないように、一歩ずつ慎重に下りる。休憩を小刻みにたくさん取りながら、何とか無事に登山口まで下る。

五合目登山口(東富士山荘、菊屋)

五合目登山口(東富士山荘、菊屋)、電子国土:1,975m、15時15分着
大陽館から、2時間22分(昨日のこの区間は、登り3時間14分)
(山頂から、4時間10分)

なお、砂払い五合目から、何と57分(昨日のこの区間は、登り推定42分)かかっている。登りよりも下りの方が時間がかかっていることになる。通常ならば、この区間は25~30分あれば十分であろう。そして、山頂から五合目登山口までの下りは、約3時間半(登りの約半分)といったところだろう。

ところで今日も、七合目出発から富士山頂~五合目~シャトルバス発着所まで、一度もトイレに行くことはなかった。昨日同様、今日の体調管理にもかなり問題がある。

須走口五合目登山口

〈写真右〉五合目登山口、15時16分
(シイタケ茶を頂く)

打ち上げ

15時30分発のシャトルバスで下山。16時ころ駐車場着。
レンタカーで三島まで戻る。三島周辺は夕立ち。
18時過ぎ、三島駅南口のホテル着。
シャワーを浴びて外出。

生ビールを数杯飲む。生き返る。
長男、仕事以外でもやりたい事あり。
具体的なボランティア活動の立ち上げなど、語る。
私は、そろそろ終活開始。デジタルで残せるものを整理していきたい。
それぞれにとって有意義な富士登山であった。

2013年8月14日

広島へ帰る前に、三島駅前を散歩する。
愛染院跡の溶岩塚などを見学する。

三島 9:58発、新幹線こだま641号、名古屋 11:43着
名古屋 11:52発、新幹線のぞみ23号、広島 14:06着
(JR西日本、e5489事前申込)

夕方、長男来る。改めて無事下山に乾杯。
孫たちは、長男の嫁さんの実家へ行っている。そのうちまた来るだろう。

さて、次はどこの山?

後日、孫たちがやって来た。上の子(小1男)が、やっぱり富士山に行きたいと言う。二年後に連れて行ってやると約束をする。(2013/06/23/山行記参照)

2013年09月15日

Akimasa Net
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宮島自然植物実験所~大江浦~岩船岳縦走路~多々良林道
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年09月15日(日)、単独

ハマゴウ

〈写真〉ハマゴウの花
(大江浦海岸、『宮島の植物と自然』広島大学宮島自然植物実験所(2009年)pp.108-9「宮島では花期は7月上旬-8月、場所によって9月中旬」)

このページの目次です

はじめに

大江浦(西海岸)から岩船岳縦走路まで、谷筋をさかのぼる。
宮島歩道(宮島国有林内の既設歩道)の中で、今日は、大江浦から岩船岳縦走路までさかのぼってみた。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋10:51-(大鳥居前渡る)-大元公園11:06-多々良11:36-植物実験所12:00-(室浜砲台跡通らず)-左前方に岩船岳12:32-大江浦12:39、13:12-大江川河口13:15-(大江川右岸をさかのぼる)-サルを見る13:20-左に貝殻塚分岐?13:30-川渡る(右岸→左岸)13:40-合戦史跡分岐入口13:46、13:52-休憩(13:59、14:06)-右へ振る14:23-岩船岳縦走路(大江浦分岐)14:37、14:47-(岩船岳縦走路を戻る)-陶晴賢碑分岐14:50-海軍省標石(三ツ丸子山分岐)14:52-振り返れば岩船岳14:57-右分岐あり?15:08、15:18-青海苔浦乗越(先峠)15:19-多々良林道(岩船岳登山口)15:30-(多々良林道を下る)-三ツ丸子山分岐(標高117m付近)15:39-休憩(15:47、15:51)-多々良15:58-大元公園16:23-(終始海岸道路)-宮島桟橋16:42

今日の出発点は、大江浦

宮島自然植物実験所から、海岸沿いの歩道を大江浦まで行く。大江川に達する前に、右折して海岸に出て昼食。大型の鳥が上空を舞う。足元にはハマゴウの群落。

昼食後、大江川河口を確認する。水の量は、去る6月23日に比べるとはるかに少ない。

大江川をさかのぼる

大江川の右岸をさかのぼる。左手に金網で囲まれた果樹園跡?をみる。歩道は、金網に沿って真っ直ぐに延びている。すると前方に、サルが2~3頭見え隠れしながら、あわてる様子もなく逃げて行く。そしてすぐに金網の中に入ってしまった。見ると金網の下側に、いくつか穴が開いている。

標高50mくらいの地点に、左分岐がありそうである。そしてその先は、大江山273mの南東~東面の谷を登っているようである。

貝殻塚に至る踏み跡かもしれない。しばらく前に(2012/04/29)、330m台ピーク(三ツ丸子の北西)~大江山の鞍部付近で、第一貝殻?分岐という標識を見たことがある

さて今日は、その後左岸に渡る。標高110m付近で、今度は右手山側に、合戦史跡分岐入口の標識がかかっている。大江川沿いには、厳島合戦で敗れた陶晴賢軍の将兵が身を隠した場所がいくつかあるらしい。

大江浦から延びる歩道は、標高120mくらいまで、地形図黒破線で表記されている。海岸部からその辺りまでは、ほぼそれに沿ってさかのぼっているといってよい。なお、その終端部辺りでは、驚くほどきれいな幅広の道となっている。

その後は、細くなった沢を幾度か渡り返しながら行く。沢の上部を高巻く箇所もあり、神経を使う。沢の中を歩いた方が楽なのでは、とも思ったりする。目を凝らして踏み跡を追って行き、標高200mくらいの地点に至る。

標高200mくらいの地点

ここから、どちらへ行けばよいか分からなくなった
1)左手に大きく振って、北向きに谷をさかのぼれば、先峠山402m~三ツ丸子山367mの鞍部の方向である。
2)そのまま前方の谷をさかのぼれば、岩船岳縦走路(海軍省標石、三ツ丸子山分岐)の方向である。
先日(2013/06/30)、多々良林道から先峠山の西面を通って、岩船岳縦走路(海軍省標石、三ツ丸子山分岐)にたどり着いたとき、その途中(右手)に、大江浦方面の標識はなかったように思う。
そして今日、下側から上を探してみても、そのどちらの方角にも踏み跡を見つけることができない。
3)右手に大きく振って、南向きに、小さな尾根に向けて踏み跡が上がっているように見える。
登ってみることにする。超急斜面を登り切ると、無事岩船岳縦走路に出た。その位置は、351mへの登りの取り付き地点である。先峠から南向きに来て、270m台の小さなコブを乗り越した鞍部手前になる。

『弥山登り』(宮島観光協会、2003年)

今日の帰りに、宮島桟橋の観光案内所で『弥山登り』を買った。そして、その中の〈宮島全図〉pp.44-5で今日歩いた付近を確認してみた。〈宮島全図〉には、手書きで宮島歩道が詳しく記載されている。

それを見ると、大江浦(西海岸)からの登り道は、多々良林道から先峠山の西面を通る道と合流して、岩船岳縦走路(海軍省標石、三ツ丸子山分岐)に至る。そしてそこから、そのまま青海苔浦(東海岸)まで下る、となっている。

しかし、大江浦分岐は、今日歩いた限りでは先峠山西面にはなく、岩船岳縦走路上に存在している。なお、海軍省標石(三ツ丸子山分岐)から青海苔浦方面へ直接下る歩道も、確認できなかった。

〈宮島全図〉と現在の歩道とでは、微妙にその位置関係が異なっているようである。

海苔浦乗越(先峠)から青海苔浦(東海岸)へ向けて、直接下ることはできるか?

岩船岳縦走路上のこの付近の分岐には、大江浦分岐(3分)陶晴賢碑分岐(2分)海軍省標石、三ツ丸子山分岐(16分)分岐あり?(1分)青海苔浦乗越、先峠(大元公園方面下山口)がある。

現在では、岩船岳縦走路から青海苔浦(東海岸)に至るには、陶晴賢碑分岐から下るコースが一般的であろう。しかし、今日注意しながら歩いてみると、海苔浦乗越(先峠)あるいはその付近から、青海苔浦へ直接下る歩道がありそうな感じがする。

二万五千分1地形図で、海苔浦乗越(先峠)から直接青海苔浦に向けて黒破線が記載されているのは、あながち間違いではないのかもしれない。(翌週2013/09/22、陶晴賢碑~海苔浦乗越を実際に走破した)

そのほか

ハマゴウ
りっぱな角を生やした大鹿
イノシシのヌタ場?
岩船岳縦走路、法面崩落

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年09月22日

Akimasa Net
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多々良林道~岩船岳縦走路(海軍省標石)~陶晴賢碑分岐~陶晴賢碑~青海苔浦乗越(先峠)~多々良林道
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年09月22日(日)、単独

陶晴賢碑

〈写真〉陶晴賢碑、14時34分
(厳島合戦の敗将・陶晴賢 最期の地)

  • 陶晴賢碑山行記(導入部):2014/01/12
  • 先峠(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑
    直接登る:2013/09/22、直接下る:2013/10/20
  • 陶晴賢碑分岐(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑
    初めて下る:2003/06/07、往復:2009/03/20

このページの目次です

はじめに

今日は、陶晴賢碑から青海苔浦乗越(先峠)まで、直接谷筋をさかのぼる。

二万五千分1地形図(厳島)を見ると、先峠から青海苔浦(東海岸)に向けて、黒破線が直接谷筋を下っている。また、先峠には以前、青海苔浦乗越という小さな道標が掛かっていたように記憶している。

青海苔浦乗越(先峠):先峠山402mの東面(標高340m台)

しかし今まで、先峠から直接谷を下る踏み跡を見たことはなく、この黒破線は間違い、として片づけてきた。ところが先週(2013/09/15)、岩船岳縦走路を先峠まで戻ってきた時、先峠から踏み跡らしきものが谷に向けて下っているのに気付く。

なお、『弥山登り』(宮島観光協会、2003年)pp.44-45.の<宮島全図>には、青海苔浦乗越(先峠)~陶晴賢碑は記載されていない。

<宮島全図>では、宮島の西海岸と東海岸を結ぶ道の一つとして、多々良(西海岸道路)~多々良林道(三ツ丸子山分岐、標高117m)~先峠山西面(三ツ丸子山、先峠山分岐)~岩船岳縦走路(三ツ丸子山分岐、海軍省標石)に至り、そこからそのまま、陶晴賢碑入り口~青海苔浦(東海岸道路)まで下るコースが示されている。

今日は、<宮島全図>記載の歩道とからめながら、陶晴賢碑~青海苔浦乗越(先峠)を歩いてみることにした。

三つ丸子山分岐には三つある。すなわち、多々良林道上の分岐(標高117m)、先峠山西面の分岐(先峠山~三ツ丸子山鞍部付近)、そして岩船岳縦走路上の分岐(海軍省標石)である。インターネット上では、これらの位置がきちんと説明されることなく記述されることが多く、少し混乱を招いている。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋11:11-(海岸通り)-大元公園11:33-多々良12:33、12:38-(多々良林道を登る)-三ツ丸子山分岐(多々良林道)12:56、13:10-(先峠山西面を行く)-三ツ丸子山分岐(先峠山~三ツ丸子山鞍部付近)13:43-岩船岳縦走路(三ツ丸子山分岐、海軍省標石)13:59、14:16-(岩船岳縦走路を南向きに行く)-陶晴賢碑分岐、通過14:18-大江浦分岐14:20、14:21-(岩船岳縦走路、引き返す)-陶晴賢碑分岐14:23-(青海苔浦方面へ下る)-陶晴賢碑入り口14:32-陶晴賢碑14:33、14:35-陶晴賢碑入り口14:36、14:42-青海苔浦乗越(先峠)15:22、15:32-岩船岳登山口(多々良林道)15:43-(多々良林道を下る)-三ツ丸子山分岐(多々良林道)15:53-多々良16:07、16:11-大元公園16:38、16:43-厳島神社西側16:49、17:05-(大鳥居近くを渡る)-宮島桟橋17:17

宮島桟橋(22分)大元公園(60分)多々良
 小計1時間22分
今日は、途中で植物観察あり。通常は、大元公園~多々良は30分前後。

多々良(18分)三ツ丸子分岐・多々良林道(33分)三ツ丸子分岐・先峠山~三ツ丸子山鞍部付近(16分)三ツ丸子分岐・岩船岳縦走路(海軍省標石)
 小計1時間21分(途中休憩14分を加える)
三ツ丸子分岐(2分)陶晴賢碑分岐(2分)大江浦分岐(2分)引き返して陶晴賢碑分岐
 小計7分(大江浦分岐1分を加える)
陶晴賢碑分岐(10分)陶晴賢碑(47分)先峠(青海苔浦乗越)
 小計59分(陶晴賢碑2分を加える)
先峠(11分)多々良林道・岩船岳登山口(24分)多々良(27分)大元公園(34分)宮島桟橋
 小計1時間45分(多々良4分、大元公園4分を含む)

総合計、6時間06分(すべての時間を含む)

多々良林道をさかのぼる

先峠山402mを、反時計回りで大きく回る。

まずは、多々良(海岸道路)から多々良林道に入り、少しさかのぼる。標高117m付近で右折して先峠山西面を行く。三ツ丸子山367m~先峠山402mの鞍部付近(やや先峠山寄り)まで登り、そこから岩船岳縦走路(三ツ丸子山分岐、海軍省標石、標高250m台)に向けて、ゆったりと下る。<宮島全図>記載の歩道そのものである。

<宮島全図>を見ると、大江浦分岐(2013/09/15、山行記参照)が、先峠山西面(三ツ丸子山、先峠山分岐)~岩船岳縦走路(三ツ丸子山分岐、海軍省標石)の間にある、となっているので、それを確かめながら行く。

しかし、大江浦分岐(道標があることになっている)は、そこには存在しなかった。また、<宮島全図>に記載されている「海軍省標石(三ツ丸子山分岐)から直接青海苔浦に下る踏み跡」が、あるかどうかも確認することはできなかった。

岩船岳縦走路を行き来する

さて今日は、岩船岳縦走路(三ツ丸子山分岐、海軍省標石)に入り、縦走路を南向きに少し行く。陶晴賢碑分岐(標高260m台)を左に分けて、その先の標高270m台の小コブを乗り越し、大江浦分岐(標高270m前後)まで行く。

この大江浦分岐には、先週(2013/09/15)初めて、大江浦から谷筋の歩道を行き、そして登り着いた。つまり、大江浦~岩船岳縦走路が通行可能であることを確認することができた。

なお、この大江浦分岐の位置が、<宮島全図>のそれと異なっていることは、前述の通りである。

陶晴賢碑探訪

大江浦分岐から、岩船岳縦走路を陶晴賢碑分岐まで引き返す。そこから右手(東側)谷底に向けて右岸を下る。谷底で小さな沢を左岸に渡ると、そこに陶晴賢碑入り口(標高190mくらい)がある。歩道はそのまま沢筋を南向きに青海苔浦(東海岸)まで下っている。

陶晴賢碑は、陶晴賢碑入り口(歩道)から左岸の林の中に踏み込み、南向きに少し行く。さびしい林の中に、陶晴賢碑「高安原 陶晴賢敗死之所」がひっそりと建っている。(冒頭写真)

陶晴賢碑~青海苔浦乗越(先峠)を登る

陶晴賢碑入り口まで引き返す。谷を北向きに見上げると、左手に先程下りてきた踏み跡がある。そして、真っ直ぐ前方にも踏み跡があるように見える。

今日目的にしていた陶晴賢碑入り口~青海苔浦乗越(先峠)で間違いないだろう。踏み跡を追って登ると、電子国土に記載のルート(黒破線)からやや東側にずれるものの、確かな踏み跡が先峠(標高340m台)まで存在していた。

つまり、青海苔浦乗越(先峠)は、宮島の西海岸と東海岸(青海苔浦)を直接結ぶ峠として、利用されていた時期があったのであろう。しかし、今日歩いた限りでは、所々で不鮮明な箇所があり、ルート確認に少しばかり苦労をさせられた。決して楽に歩ける状態ではなかった。

青海苔浦乗越(先峠)~陶晴賢碑入り口~青海苔浦を安全に歩くには

青海苔浦乗越(先峠)~青海苔浦(東海岸)を行くとすれば、先峠から岩船岳縦走路に入り、陶晴賢碑分岐を左折して下り、陶晴賢碑入り口~青海苔浦(東海岸)と行くのが妥当であろう。

蛇足ながら、宮島奥の院遭難事件(2012年12月暮れ)の推定歩行コースは、弥山~仁王門?~奥の院~502m~青海苔浦乗越(先峠)~陶晴賢碑分岐~陶晴賢碑入り口~青海苔浦まで約1.5㎞地点(そして、そこで無事発見)のようである。

そのほか

行きの海岸道路で、植物観察。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年10月13日

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青海苔浦~養父崎浦間の修理・清掃活動
(出発帰着:宮島桟橋、大砂利まで車・タクシーで往復)

2013年10月13日(日)、宮島太郎の会・ボランティア(1回目)

宮島太郎の会・ボランティア参加(宮島最西南端部の既設歩道の再整備状況)については、その都度まとめています。トピックスもからめた内容になっていますので、以下にて時系列でご覧いただければ幸いです。(2013年秋~2015年冬)

このページの目次です

はじめに

青海苔浦から養父崎浦途中までの既設歩道にて、歩行の妨げとなる倒木・雑木・雑草の片付け・枝打ち・刈払を行う。

宮島島内の海岸部を一周する踏み跡が、かつて存在していたことは間違いない。しかし現在では、最南端部の青海苔浦~養父崎浦~山白浦~革篭崎~あての木浦までの間は、ルートがはっきりしていない。

山本拓志(宮島太郎の会・代表)さんの話では、宮島町内の古老の中で、昔そこを歩いた経験のある人がいるという。

また、<宮島全図>(2003年、下記参照1)や国有林野施業実施計画図(2008年度策定、下記参照2)の中に、宮島島内で昔から踏まれてきた山道がいくつか記載されている。そしてそれらの中に、最南端部の海岸沿いの歩道も含まれている。

参照1)<宮島全図>:
『弥山登り』(宮島観光協会、2003年5月第2版)pp.44-5
参照2)国有林野施業実施計画図:
芦田・佐波川広域流域森林計画図>>太田川森林計画図>>国有林野施業実施計画図(二万分1地図)
平成20年度策定、全12片の内11片(広島森林管理署)
林班番号 71-93(広島森林管理署・佐伯森林事務所)

20131013MYJ_route.jpg
電子国土ロゴマーク

この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである。(カシミール3Dにて作成)

今まで分かっていること

最南端部のルートの中で、青海苔浦~養父崎浦間では、踏み跡の存在は確認できている。

また、あての木浦~山白浦間は、革篭崎の北にある241m(二万五千分1地形図)の裾を、時計周りに回る山道コースが通行可能な状態になっているという。

すなわち、あての木浦(海岸部)から東向きに、御床山~岩船岳方面に少しさかのぼり、山白川上部で南に向きを変え、同川の左岸に沿って海岸まで下るルートである。

いずれも、宮島太郎の会の成果である。ただし、養父崎浦から山白浦、そしてそこから革篭崎を回り、あての木浦に至る海岸部は、未だにルートの存在すら不明である。

今回ボランティアの意義

山本拓志さんは、海岸部を通過するルートの存在を確信している。今回のボランティアは、青海苔浦~養父崎浦間を、今までよりも確実に歩ける状態にしておき、その先の養父崎浦~山白浦間のルート探索を容易にするため計画されたものである。

養父崎浦~山白浦間が歩けるようになれば、一部で多少山側を歩くことになるとはいえ、宮島全島の海岸近くを一周することが可能となる。

実は今現在でも、宮島全島を一周することは可能である。大潮の干潮時を狙って、海岸線を行くことで宮島を一周することができる。それはそれで、弥山登山などとはまた違った魅力があり、人気のコースとなっている。

しかしながら、青海苔浦~~革篭崎間(その中でも、特に養父崎浦まで)は岩場も多く、誰でも簡単に歩くことのできるコースではない。

岩場歩きに自信が持てなくなった高齢者でも手軽に歩くことのできるコース、あるいは、海岸線歩きのエスケープルート作りとして、今回のボランティア活動の意義は非常に大きいと言える。

今回の作業日程

宮島太郎の会では、10月、11月、そして12月の各月3日ずつ(合計9日)作業を行い、今年中に、青海苔浦~養父崎浦間を確実に歩ける状態にしておきたいと考えているようである。
今日10月13日(日)は、その第一日目である。

今日の様子

宮島桟橋8:40集合予定-出発9:00-(タクシー)ー大砂利9:19、9:25-休憩10:05、10:12-青海苔浦10:46-作業開始(ザック置いたまま)-ザック取りに帰る11:25-(途中、昼休憩あり)-最先端部15:02-青海苔浦15:37-休憩16:16、16:20-大砂利16:58、17:06-(自家用車)-宮島桟橋17:28

宮島桟橋集合。今日の参加者は、山本代表の他3名。新参者の私と、今までも何度か代表と一緒に歩道の修理・清掃活動を行っている二人の方である。

代表の車には、作業初日であり草刈り機などの道具が積んである。私たち3人は、タクシーで大砂利に向かう。代表の車がそれを追う。

車道は、大砂利から先の青海苔浦まで通じている。しかし、大砂利ゲートがあり一般車は入ることができない。大砂利から青海苔浦まで、4人一緒に車道をゆったりとしたペースで歩く。

青海苔浦に至る。今まで南西向きに来た車道は、西~北に向きを変える。その先には、水道施設~陶晴賢碑入り口~先峠(青海苔浦乗越)に向けて、踏み跡が延びている。

ここで、青海苔浦の海岸に出るには、青海苔川を渡る手前で左に折れる。そして、今日の取り付き口は、青海苔川を渡ったすぐ先にある。

取り付き口から左手を見ると、はっきりとした踏み跡が付いているのが分かる。さっそく、新しく買ったばかりの鋸と鎌を持って踏む込む。

山本代表から、山登りをせず、海岸沿いを行くように指示が出る。踏み込んでみると、山側にもいくつか踏み跡があり迷う箇所がある。まずは、そうした箇所を分かりやすい状態にしていく。必要最小限の幅でルートを清掃する。

海岸沿いに行く踏み跡は、驚くほどていねいに作られている。山側を少し削って歩きやすくしてあり、ほんとうにきれいな踏み跡となっている。

いつごろ誰が作ったものであろうか。ここが手軽に歩けるようになれば、東側の海が見通せて景色も良く、気持ちの良い歩道になるであろう。

さて、ルート上には倒木が多い。今日は、ほとんど鋸だけで作業をした。

今日はどこまで進んだ?

今日到達した最先端部は、海岸部にある「大バナ」の北側に切れ込む小谷を越えて、64mピークの南側を巻いて行こうとする地点である。青海苔浦から歩いて30分強、養父崎浦まで約4割くらい行ったところであろう。

そこでは、踏み跡が海岸線上部をへつるような感じで進んでいる。斜面がきつすぎて少し危険な感じがする。ちょっと通常の踏み跡とは違うようである。

あまり無理はすまい。そろそろ帰りの刻限でもある。その先の探索は次回以降に任せて、引き返すことにする。

引き返して間もなく、後方で草刈り機を使っていた代表が迎えに来たのと行き合う。聞くと、先程の箇所は少し山に登ると言う。

何はともあれ、こうして今日一日の作業を無事終了する。

雑記:
青海苔浦~大砂利、消火栓24本あり。
御床山周辺でサルの群れに遭遇、上から物を投げつけられた、という。
宮島町史未完、資料散逸したか。
車道途中の砲台跡のような遺跡、幕末のものか。
入浜の汽水湖奥から、鷹ノ巣高砲台跡に向けて踏み跡あり。
帰りの車道(大砂利途中)で、しし岩駅(ロープウエイ)を見上げる。

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2013年10月27日

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大元公園コース~駒ヶ林~駒ヶ林尾根コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年10月27日(日)、単独

多宝塔の上から

〈写真〉多宝塔の上から大鳥居を見る
(一番手前の多宝塔の右奥には五重塔)

注:現在の私は、駒ヶ林尾根(多宝塔)コースの通行(及び詳細な山行記の発表)には慎重な態度を取っています。 ⇒ 安芸の宮島を歩く

このページの目次です

今日のまとめ

大元公園から駒ヶ林まで登り、駒ヶ林尾根を多宝塔まで下る。

大元公園から大元公園コース、つまり弥山登山道三本のうちの一つである大元コースを登った。ただし、弥山まで登ることなく、途中の駒ヶ林からそのまま尾根を多宝塔まで下った。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋11:10-(海岸道路)-大元公園11:30、11:32-大元分岐11:39-大岩にぶつかる11:58-海軍省標石12:13-鞍部(天然記念物指定地域境界標 第四号)12:41-分岐12:47-駒ヶ林12:52、13:30-観音13:46-多宝塔14:27-大願寺前14:29-(海岸道路)-宮島桟橋14:44

  • 宮島桟橋(20分)大元公園(1時間20分)駒ヶ林
    小計1時間42分(大元公園2分を加える)
  • 駒ヶ林(59分)大願寺前(15分)宮島桟橋
    小計1時間14分
  • 総合計3時間56分
    (駒ヶ林38分を加えず)

デジカメExif情報、1時間ちょうどの設定ミス

大元コースを登る

今まで、大元公園コースを下りたことはあるが、登った記憶がない。石段の続く急坂を登るのはしんどい。無意識のうちに避けてきたようである。

登山道の登りと下りで趣が違うのは常である。今日は意を決して登ってみることにする。

公園入口には、次のような立て看板がある。

ご迷惑をおかけします
弥山展望台を新築しています
平成25年10月31日まで
工事監理者、広島県土木局営繕課

弥山山頂の新たな展望台は、最初は確か9月中に完成予定だったはずである。それが10月末完成も難しいのではないか、ということは口コミで聞いていた。

最近の中国新聞記事(2013年11月1日付け)によれば、「工事完了の予定が10月末から11月末となり、利用開始が紅葉のピークに間に合わない可能性も出てきた」という。度重なる台風の影響とはいえ、残念なことである。(事業主体は環境省、広島県に工事を委託、資材運搬には主としてヘリコプター使用)

大元コースには、町石がある。今日は四町から始まって、十九町まで数えた。四町前後で、不明になっているものがいくつかあるようである。

四町付近

〈写真〉四町付近、真新しい道標
(コース標識がきれいなもので置き換えられつつある。やはり統一感のある標識は気持ちが良い。それもなるべく小さなものが好ましい)

十二町の横に、海軍省標石を見る。今まで見たことがなかったのだろうか。呉要塞地帯区域と読めそうである。別の面を見ると、第66号のようにも見える。藤下憲明「近代戦争制限区域標石について、上・下」広島県文化財ニュース第168、170号のリストには載っていないようである。

後刻注:
藤下憲明様にご教示頂いた。「上記文献掲載後に確認している。呉要塞地帯区域標石(第66号)で間違いない」とのこと。www2u.biglobe.ne.jp/~n-fuji/sub113.htm

ところで、大元コースを下から登ってみると、荒削りの石材を積み上げた石段は、それなりに趣がある。また、急階段とゆるやかな歩道が適当に組み合わさっており、登るにはリズムが取れて心地良い。

駒ヶ林尾根

駒ヶ林尾根に登り着く。少し強い日差しがあり、先客何組かは木陰の中。南端の岩場では、一人の男性が寝っ転がって読書中。大学のゼミ仲間なのか、数名の若者と中年の男性の一団。若いカップルが入れ替わりで二組。なかなかにぎやかである。

弥山の頂上に、新築(建て替え)中の展望台を見る。どこまで出来ているのか気にはなったが、今日は完全に出遅れている。時間が気になり、そのまま駒ヶ林尾根を下ることにする。

駒ヶ林尾根を下る

踏み跡を追って急坂を下る。始めは岩場の続く急坂、そのうち落ち着いてくると、羊歯の小道を行くようになる。

ままこな

〈写真〉ままこな
(「宮島における植物の開花の時期」、広島大学宮島自然植物実験所『宮島の植物と自然』(2009年正式版)pp.130-9には、ミヤジマママコナが記載されている)

ミヤジマママコナについて、上記書籍p.145では、「シコクママコナの品種として分類されている.ミヤマママコナの品種として分類されている本もある」としている。なお、ここでは学名も併記されているが、当Web作者の判断で省略した(知識不足による誤記を防ぐため)。

ところで以前、ままこなについて、私なりに資料を羅列したものを作成していたのを思い出した。
ままこな

私は植物のことはよく分からないので、「~ままこな」という和名を見たとき、できる限り頭の中が混乱しないようにまとめたものにすぎないが。

さて、その後も時々急坂を下るものの、海が見えてくると心も和む。多宝塔の少し上から見る景色は最高である(トップの写真)。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2013年10月20日

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大元谷左岸コース~先峠(青海苔浦乗越)~青海苔浦手前~(牛馬道)~大川越え~大川浦~宮島自然植物実験所
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年10月20日(日)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2013年10月20日)
  • 陶晴賢碑山行記(導入部):2014/01/12
  • 先峠(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑
    直接登る:2013/09/22、直接下る:2013/10/20
  • 陶晴賢碑分岐(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑
    初めて下る:2003/06/07、往復:2009/03/20

このページの目次です

今日のまとめ

青海苔浦乗越から青海苔浦(東海岸)手前まで下る。
牛馬道を岩船岳縦走路まで登り返し、大川浦(西海岸)に下る。

先峠(青海苔乗越)から青海苔浦(東海岸)に向けて、直接谷を下った。

先峠から、先日(2013/09/22)の踏み跡を逆にたどって、南向きに下り、改めて踏み跡の状態を確認してみた。陶晴賢碑入り口まで踏み跡はあるものの、やはり、あまり歩きやすい状態とはいえない。油断すると道迷いを起こしそうでもある。

先峠から青海苔浦に向けて安全に下るには、まず最初に、岩船岳縦走路を陶晴賢碑分岐まで行き、そこから陶晴賢碑入り口まで下る方法を取るのが一番確実であろう。直接谷を下るのと比べて、距離的にも時間的にもそれ程変わりないものと思われる。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:56-大元公園9:15-大元分岐9:23-前峠10:10-岩船岳登山口(多々良林道)10:23、10:24-先峠(青海苔浦乗越)10:37、10:47-(直接下る)-陶晴賢碑入り口11:08-牛馬道入り口11:42、12:00-岩船岳縦走路12:29、12:39-大川越え12:41-大川浦分岐13:17、13:21-大江川13:32-室浜周辺部探索14:10、14:23-宮島植物実験所14:27-多々良14:46、14:50-大元公園15:14-(大鳥居横をショートカット)-宮島桟橋15:28

  • 宮島桟橋(1時間41分)先峠(21分)陶晴賢碑入り口(34分)牛馬道入り口
    小計2時間46分(先峠10分を加える)
  • 牛馬道入り口(29分)岩船岳縦走路(2分)大川越え(36分)大川浦分岐
    小計1時間17分(岩船岳縦走路10分を加える)
  • 大川浦分岐(11分)大江川(42分)宮島植物実験所
    小計53分(室浜周辺部探索13分を除く)
  • 宮島植物実験所(19分)多々良(24分)大元公園(14分)宮島桟橋
    小計1時間01分(多々良4分を加える)
  • 総合計6時間32分
    牛馬道入り口18分、大川浦分岐4分、室浜周辺部探索13分を加える

初めての牛馬道

陶晴賢碑入り口から先は、青海苔川に沿って、なおも南向きに下る。羊歯に埋もれた小道や幅広の道をゆったりと下ることができる。ただし、現在ではほとんど踏まれていないようであり、倒木なども多く少し荒れ気味である。

青海苔浦手前右手に牛馬道入り口(標高70mくらい)がある。簡単な昼食をとった後、そこから牛馬道を岩船岳縦走路まで登り返した。この既設歩道を修理・清掃したのも宮島太郎の会である。最近のことである。

牛馬道と岩船岳縦走路の接点は、大川越え(海軍省標石)のやや北側になる。小休止の後、岩船岳縦走路を大川越えまでほんの少し南向きに下り、そこからさらに大川浦(西海岸)に向けて下る。

牛馬道というだけあって、尾根(岩船岳縦走路)の両側とも、幅広のゆったりとした道が付いている。ただし、大川越えから大川浦に向けて下る最初の箇所だけは超急坂である。そこを実際に牛馬が登ってくることができたのかどうかは分からない。

それはともかく、大川浦までもゆったりと下り、海岸部を宮島桟橋めざして歩く。今日は疲れもあまりなく、足がよく前に出た。

あわや、イノシシと遭遇?

陶晴賢碑入り口から青海苔浦に下る途中で、地面が勢いよく掘り返されている箇所があった。本土の山で見かけるイノシシの馬耕によく似ている。近くにはヌタ場らしきものもある。すると林の中でガサゴソ音がした。そして、ファーという鼻息が聞こえた。すばやく、そっとその場から離れた。

中国新聞記事(2013/07/29付け)には、「宮島(廿日市市)で昨年からイノシシの目撃情報が増え、市が対策に頭を悩ませている」とある。「宮島周辺では2010年、イノシシが海を泳ぐ姿が目撃されており、島内のイノシシは対岸か別の島から渡ってきたと推測される」(同記事)という。

大川越えから大川浦に下る途中にも、一つ所に複数のヌタ場があった。その中には、完全に水が干上がって泥が少し硬くなったものがあり、獣の爪痕がはっきりと残っていた。専門家なら動物の種類を鑑定することができるであろう。

私の感じでは、宮島島内で、しばらく前からこうしたイノシシの痕跡を見かけるようになった気がしている。

雑記:
大川越え標識、岩船岳まで40分、早すぎるか、60分との落書きあり。

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2013年11月10日

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『ちゅうごく山歩き vol.1』中国新聞社(2013年6月刊)を読む

2013年11月10日(日)、番外編

以下に関する私なりの考え方及び参考資料は、別ページ「安芸の宮島を歩く」からどうぞよろしくお願いいたします。

このページの目次です

弥山の登山道は三本のみ

何気なく立ち寄った近くの本屋で、中国新聞社発行の最新版ガイド本が平積みになっているのを見つけた。前から気になっていた本である。ページをめくってみて、6ページ目に「弥山・駒ヶ林」の項があることに気がついた。松島宏著『ちゅうごく山歩き vol.1』(中国新聞社、2013年6月刊)

そこには、「(弥山の)登山ルートは5本ある」と書かれている。しかしながら、行政の正式見解では、弥山登山道は3本のみ、すなわち紅葉谷コース、大聖院コース、そして大元コース(3本とも広島県が管理)とされている。これがいわゆる「公式コース」(中国新聞記事でよく使われる表現)で、いずれも谷沿いの石段が多い参道である。

そのほかの踏み跡については、宮島国有林(宮島の大半を森林が覆っており、そのほとんどが国有林)を管理するための管理道(歩道)であり、登山道としては整備されていない、というのが行政の立場である。そしてこれらが一括して、いわゆる「非公式コース」とされている。

もちろん、一般登山者が、ただ単なる森林レクリエーションを目的として、国有林内に入林(入山)する場合には、自己の責任において、登山道であろうと歩道であろうと自由に歩くことができることは言うまでもない。したがって、登山道であるか歩道であるかは、山歩きをする上では本質的には何ら問題とはならない。

非公式コースに関する記述は、削除してほしい(関係当局からの要請 )

ところが以前、弥山直登尾根上で起きた四宮コース赤塗料吹き付け事件(2008年7月)を受けて、「非公式のコースが登山ガイドや民間パンフレットに掲載されている状況を踏まえ、増刷や再版時に削除してもらうよう出版社などに要請していく」方針が、関係当局によって示されたことがある。(中国新聞記事、2008年10月9日付)

注:この時の関係当局とは、県と市の教育委員会、農林、観光などの関係部署と環境省の17人

さて、本書添付の地図を見ると、7本のコースが記載されている。

  • 博打尾コース(包ヶ浦自然歩道~かや谷コース)
  • 紅葉谷コース
  • 弥山直登尾根コース(四宮コース)、コース名記載無し
  • 大聖院コース
  • 駒ヶ林尾根コース(多宝塔コース)
  • 大元コース(大元谷右岸コース)
  • 大元谷左岸コース、コース名記載無し

このうち、弥山登山道は、紅葉谷コース、大聖院コース、そして大元コースの三本のみである(既述のとおり)。本文では、これら三本に加えて、博打尾コースと多宝塔コースの説明がなされている。その他二本は、地図上にコース名の記載はない(本文の記載も無し)。

弥山原始林の中には歩道は存在しない?

なお、弥山直登尾根や駒ヶ林尾根は弥山原始林の中にある。その弥山原始林は、世界文化遺産「厳島神社」の構成資産の一部を成している。

したがって、世界文化遺産「厳島神社」の範囲は、大鳥居のある神社前面の海から、弥山山頂部にまで及んでいる。そしてそこは、林野庁(広島森林管理署)の所管ではなく、文化庁の管轄のようである。

ちなみに、広島森林管理署発行の国有林野施業実施計画図(2008年度策定)には、上記二本の尾根上に管理道(歩道)の記載はない。(弥山登山道三本は記載されている)

とは言うものの、本書本項末尾の文章、「私のお薦めは紅葉谷から博打尾コースで弥山に登り、駒ヶ林から多宝塔コースを下山するコースだ」には私も全面的に賛成である。

私自身が最も好きなコースとぴったり一致するからである。石段のない自然道であり、展望が良く気持ちのいい山歩きができるコースである。(ただし、コース名の表示の仕方は異なっている)

しかし、これらのコースは、弥山原始林の真っただ中、あるいはその辺縁を行く踏み跡である。もしも、オーバーユースなどで原始林に悪影響を及ぼすという事態になれば、何らかの規制がかかるのはやむを得ないかもしれない。できる限りそうはならないでほしいものである。

関係者はどのように考えているのだろうか

本書の著者(広島登山研究所代表)は、広島県内の多くの山登り団体が加盟する広島県山岳連盟にも所属(同連盟理事)している。

発行所の中国新聞社は、最近もその記事(宮島奥の院遭難事件、2012年12月26日付)の中で、弥山登山道に関して、公式・非公式の別があるという書き方をしている。

本書の発行は、広島県内の指導的立場にある方と県内有数の新聞社がタイアップすることによって、公式・非公式の別なく宮島を楽しもうという意志を表したものであろうか。

これに対して、関係当局としては、いわゆる非公式コースに関する記述は「削除してもらうよう出版社などに要請していく」とした方針は撤回したと考えてよいのであろうか。

宮島の自然保護・保全及びその賢明な利用という観点から、本書の出版元である中国新聞社(及び著者)並びに行政当局がどのような考えを持ち、それをどのように周知徹底させて行こうとしているのか、今後の対応を見守りたい。

>雑記:
多宝塔コース、夕日観音堂、朝日観音堂あり、ただの踏み跡ではない
掲載地形図、国土地理院のロゴマーク記載のみで掲載OK?

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

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2013年11月17日

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紅葉谷コース~弥山~仁王門~大聖院コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2013年11月17日(日)、単独

このページの目次です

今日のまとめ

弥山登山道三本のうちの二本を登り下りする。

11月に入って、三週連続で日曜日は雨模様。今日はもう少し歩くつもりであったが、途中で時雨れてきて引き返す。歩き始めから、左ふくらはぎに違和感があり、無理はしなかった。(翌朝ほぼ完治)

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:58-紅葉谷ロープウエー駅下9:17、9:19-休憩9:33、9:34-紅葉谷下山口鞍部10:02、10:04-弥山本堂10:14-弥山10:22、10:25-御山神社分岐10:33-仁王門10:39-大聖院11:23-宮島桟橋11:39

  • 宮島桟橋(19分)紅葉谷ロープウエー駅(43分)紅葉谷分岐鞍部(10分)弥山本堂(8分)弥山
    小計1時間24分(ロープウエー駅2分、紅葉谷分岐鞍部2分を加える)
  • 弥山(8分)御山神社分岐(6分)仁王門(44分)大聖院(16分)宮島桟橋
    小計1時間14分
  • 総合計2時間41分(全ての時間、弥山3分を加える)

紅葉谷コースを登る

雨の心配をしながら、紅葉谷を登る。紅葉は最盛期直前か、中にはまだ青い葉も残っている。逆に赤黒く縮れてしまった葉もある。

宮島のサクラ・モミジは、観光客に根元を踏み固められることによって、近年急速に樹勢が衰えてきている。「宮島さくら・もみじの会」(2010年結成)が熱心に手当てをしているのだが、今年の出来具合はどのような評価なのであろうか。

さて、気温は高くないはずだが、湿度が高いのか、汗を少しかく。左脚(ふくらはぎ)の様子を確認しつつ、弥山原始林の中をゆったりと登る。それでも足はよく前に出ている。気持ち良い。

山頂部登山道に登り着き、しし岩駅(宮島ロープウエー)経由で登ってきた観光客と合流する。弥山本堂から、弥山巡り(東側)で順調に弥山に登り着く。

弥山山頂では、展望台(新築建て替え)がほぼ完成している。しかし、周りは柵と網で囲まれており、三角点を踏むことはできない。ふもとの立て看板では、11月29日まで工事を行うとなっている。

建物は二階建てのようである。今までの三階建てより低そうである。果たして、そこからの展望はどうであろうか。

奥の院~青海苔浦に行きかける

弥山から弥山巡り(西側)を下り、山頂部登山道を西向きに行く。すぐに御山神社分岐(左手)があり、奥の院方面に南向きに少し踏み込む。

今日の予定では、そこから、御山神社~奥の院~502m~先峠(青海苔浦乗越)~岩船岳縦走路~陶晴賢碑分岐~陶晴賢碑入り口~青海苔浦方面踏み跡を少し行き、陶晴賢碑周辺を少し探索して帰ることにしていた。

ところが、分岐から踏み込んですぐに、御山神社に至るまでもなく時雨れてきて引き返すことにする。左脚(ふくらはぎ)に違和感もあり、雨で滑るのは面白くない。

大聖院コースを下る

引き返してすぐに山頂部登山道に合流し、北西の方角に行く。仁王門をくぐってすぐに右折、石段の大聖院コースを下る。

弥山「仁王門」:
台風18号(1999年9月)による強風で倒壊、2012年10月再建。
大聖院コース:
台風14号(2005年9月)による土石流で不通、2008年10月復旧。

大聖院コースの石段は、その他二本の登山道(紅葉谷コース、大元コース)の石段に比べて真新しい。角がきちんと残っており、きれいである。

登山道の途中で、以前からのコースを付け替えた部分はあるが、昔からよく登られているコースである。弥山原始林の中を気持ち良くゆったりと下る。

特に、ウリハダカエデの紅葉がきれいである。

宮島にも山ガール

宮島桟橋の広場で、山歩きの会の受付(主催社名確認せず)をしているようであった。そのためかどうか、10名前後の大パーティーとも幾組か行き交った。

前後を男性で囲まれた10人くらいの山ガール、全員山ガールのパーティー、そしてもちろん、ほとんどを男性が占める一団もある。若いカップルも数組。

こちらはのんびり一人旅、とは言っても団体さんよりはちょっぴり早いことが多い。後ろから追いついた場合、ラストを行く人の一声で、右側をさーっと開けていただけることもあれば、せまい石段を登りながら、右へ左へステップを切って行かなければならないケースなど、様々である。

全員が安全に山を楽しめればそれで良いのだが。

そのほか

大聖院コースを駆け上がる一団、男性30人前後か、女性数名
そのほか、単独で山岳ランをしているらしき人も複数
大聖院コース(下り)の石段で滑って手をつく
ちょうどそこへ登ってきた人に「大丈夫ですか」と声をかけられた
大丈夫でした

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2013年12月01日

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包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷尾根東面~大砂利~多々良林道終端部(奥の院近く)~弥山~紅葉谷コース
(出発帰着:宮島桟橋(宮島側))

2013年12月01日(日)、単独

大砂利の集落

〈写真〉途中の山中から、眼下に大砂利集落を見る、10時49分
(画面真ん中の部分。集落は、シカの侵入を防ぐため全体がすっぽりと金網で囲まれている。その向こうは海、カキ筏が浮かんでいる)

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2013年12月01日)
  • 2013年12月01日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(海側から回る)~奥の院(このページ)
  • 2013年04月07日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(山側から回る)~奥の院
  • 2013年03月24日(日)
    かや谷コース尾根~大砂利集落(海側から回る)〜海岸道路を帰る

このページの目次です

今日のまとめ

かや谷尾根を乗り越して大砂利(東海岸)に至る。多々良林道終端部~弥山まで登り返し、その後、紅葉谷コースで一気に厳島神社まで下る。

紅葉谷から包ヶ浦自然歩道に入る。博打尾を経て、前方に包ヶ浦自然歩道を見送り、右手の踏み跡に入る。かや谷尾根を乗り越し、尾根東面を下る。

大砂利の集落に入らず、大砂利ゲート(海岸道路)に至る。大砂利海岸で昼食の後、大砂利の集落を通らず、多々良林道終端部(奥の院近く)に至る踏み跡に取り付く。

つまり今日は、大砂利の集落を時計回りで半周する。最後は、多々良林道終端部から、そのまま弥山まで登り、紅葉谷コースを下る。

なお、大砂利ゲートから踏み込んだ辺りで紅葉がきれい、と聞いていたが、すでに散っていた。またその範囲もそれほど広くはないようであった。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:23-包ヶ浦自然歩道9:42-(博打尾)-弥山分岐10:12-かや谷尾根10:24-(裏街道)-大休み10:37、10:41-大砂利地蔵10:46-道迷い11:11、11:14-取水口の近く(右岸へ渡る)11:26-農園金網11:26-(右手金網沿いを下る)-門扉11:29-(道路)-門扉11:32-(沢歩き)-海岸道路11:57、12:03-(海岸道路を行く)-大砂利ゲート12:06、12:38(この間、大砂利海岸で昼食)-(大砂利川左岸の疎林の中、右手農園金網)-林道への分岐12:55-(この間、付近探索一周)-林道13:03-堰堤13:18-小岩のガレ場を登る13:36-道迷い14:00-多々良林道終端部14:07、14:15-御山神社分岐14:19-御山神社分岐(山頂部登山道)14:31-弥山巡り(西側)14:35-弥山14:45、14:49-(弥山巡り、東側)-弥山本堂14:55-紅葉谷分岐15:01-(紅葉谷コース)-奥紅葉谷橋15:28-宮島桟橋15:45

  • 宮島桟橋(1時間01分)かや谷尾根(13分)大休み(45分)大砂利集落(31分)海岸道路(3分)大砂利ゲート
    小計2時間43分(大休み4分、海岸道路6分を加える)
  • 大砂利ゲート(25分)林道(1時間04分)多々良林道終端部
    小計1時間29分(この間、大砂利集落上部探索を少し含む)
  • 多々良林道終端部(16分)山頂部登山道(14分)弥山
    小計30分
  • 弥山(6分)弥山本堂(6分)紅葉谷分岐(27分)奥紅葉谷橋(17分)宮島桟橋
    小計56分
  • 総合計6時間22分
    (大砂利32分、多々良林道終端部8分、弥山4分を加える)

包ヶ浦自然歩道から入る

宮島ロープウエー駅(紅葉谷)手前で左折して、うぐいす道(車道)に入る。すぐに小さな橋があり、渡ると包ヶ浦自然歩道の取り付き口である。沢の右岸を登る。道なりに登ると博打尾に至る。

かや谷尾根を乗り越す

博打尾を越えて、しばらく行くと弥山分岐がある。前方に自然歩道を見送って、右手の踏み跡に入る。左手に尾根を見ながら、前方のかや谷尾根に向けて、トラバースぎみに登る。かや谷尾根(302m南の鞍部付近)に登り着き、すぐに尾根を乗り越す。

大休み、大砂利地蔵を経て、大砂利へ下る

かや谷尾根の東面を南向きに下る。途中で、かや谷尾根(410m台付近)から鷹ノ巣高砲台跡に至る支尾根を、大休み(標高330m台)で乗り越す。なおも下ると大砂利地蔵に至り、小さな沢を右岸に渡る。

多少崩落個所があるものの、そのまま下る。やがて、宮島ロープウエー駅(しし岩)の案内放送が頭の上から落ちてくるようになる。

沢沿いを大砂利に向けて下る。右岸、左岸の踏み跡の見極めがむつかしく、時々戸惑う。沢水が滑ら岩の上を流れている箇所が二か所あり、そこでは左岸を下った。

やがて、左岸から右岸を見ると、右岸に黒いホースが引かれているのが見える箇所がある。右岸に向かって右手上流部を見ると、そこが取水口のようである。これで、前2回のコースの位置関係がはっきりした。

すなわち、ここから踏み跡のはっきりしない沢沿いをそのまま下ると、大砂利集落をすっぽり囲んだ金網(シカ除け)にぶつかる。また、沢の右岸に敷かれた黒いホースに沿って、きれいな踏み跡を下っても金網にぶつかる。

この金網に沿って踏み跡があり、シカがそこを駆けて行くのを見たことがある。

今日は、ここから沢の右岸に渡り、ホースの敷かれている踏み跡を下り、大砂利集落の金網にぶつかる。そこで左折して、金網を右手にしながら下る。

大砂利集落の外側を海岸道路に向けて下る

集落に入らないつもりなので(門扉のカギの開け方を知らない)、今日もしばらくすると、岩のゴロゴロした沢歩きを強いられる。慎重に下り、海岸道路に至る。右折すればすぐに大砂利ゲートである。車道はゲートから青海苔浦まで続いているが、一般車両は通行できない。

大砂利の海岸で昼食。日差しは温かいものの、渡る風がやや冷たく感じる。

大砂利の林道(地理院地図の黒実線)に取り付く

大砂利の集落を通らずに、多々良林道終端部(奥の院近く)に登り着く踏み跡をめざす。まず、海岸道路から大砂利川の本流左岸の疎林をさかのぼり、やがて大砂利集落のこれまた金網を右手に見ながら行く。つまり今日は、大砂利集落を囲む金網に沿って、時計回りに回っている。

集落の上部に至り、金網に沿って右折できる箇所がある。今日はそこを通り過ぎてしまい、それよりもさらに上部で右手の林道に出た。

後学のため、周辺を少し探索して確認しておくことにする。林道を少し下り、集落上部の金網に至る。右折して金網沿いの踏み跡をたどり、先ほど通り過ぎた箇所を確認して、再び林道に戻る。

ところで、今日大砂利集落に沿って、海側の海岸道路に下ったのとは逆に、山側から大砂利集落を回りこんでも、この林道に至ることができる。つまり、かや谷尾根から大砂利集落に向けて沢を下り、集落の金網にぶつかる。今日と同じコースである。そしてそこから、今日とは反対に金網を左手にして、集落を反時計回りに回る。

そうすると、林道の通る谷の一つ北側にもう一つの谷がある。弥山~しし岩の鞍部から、北~北西に流れ落ちる谷である。その谷の集落よりも少し上部に堰堤がある。その堰堤から集落に向けて谷を下り、集落の金網にぶつかった所で右折すれば、今日先ほど通った箇所に出るはずである。

実は以前、この堰堤経由で林道~奥の院まで登ったことがある。その時は、この堰堤付近で少し苦労をした。

堰堤から集落上部の金網まで素直に下り、そこを右折して金網沿いに歩けば、簡単に林道に出ることができたのであろう。その時は、堰堤からすぐに山側に取り着いてしまったために、容易には前に進めなくなってしまったのだ。

多々良林道終端部(奥の院近く)まで登る

さて今日は、最初は気持ちの良い林道だったものが、その踏み跡はだんだん細くなり、やがてシダの中に消えてしまった。少し不安になりながらも押し切って行くと、再び踏み跡が現れる。その後も、倒木の下をくぐったりしながら、終始沢の左岸を登る。

多々良林道終端部の尾根に至る手前で、右手に急で細かいジグがあり、そこを登る。すると、きれいな踏み跡があるにはあるが、きちんとした林道ではない。方向感覚がおかしくなったのか。改めて、地図とコンパスで方角を確認する。今来た所を引き返し、大事には至らず無事多々良林道終端部に飛び出す。

そこから左手(多々良林道)を道なりに下れば、多々良(西海岸)である。奥の院は、林道を少し下って、すぐ左に入る踏み跡を行く。あるいは、もう少し下ってから左折する方が分りやすい。

御山神社の下を通って弥山に登る

今日は、奥の院とは反対側(右手)の御山神社に向けて登り、弥山巡り(西側)で弥山に至る。

展望台はほぼ完成しているようである。後は検査を残すのみらしい。今日は、三角点にタッチすることはできたものの、弥山直登尾根を下ることはできない(まだ立ち入り禁止区域が残っている)。

弥山から紅葉谷コースを下る

弥山から紅葉谷コースを一気に下る。足は良く動くものの、石の階段は膝に響く。ほどほどにしながら下る。

紅葉谷で紅葉の残りを鑑賞する。先週は、東海・関西の紅葉を見てきた。宮島のように木の根元まで観光客に踏みつけられている観光地はない。何とかならないものか。

宮島弥山展望休憩所、12月6日(金)オープン、新聞記事もあり
道迷い度々
取水口~ホース、右岸
堰堤、標高110mくらい?
紅葉は盛りを過ぎた
山ガール、カップルなど

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2009年09月13日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 船倉山トップページ

大野鉱山跡探索(高見川ルート)
林道高見線(高見川ルート)から入山、570m台から途中で往路下山
大野鉱山跡詳細(翌週分も含めてまとめる)
(出発帰着:JR前空駅―山陽本線)

2009年09月13日(日)、単独

20090913_094014.jpg

〈写真〉旧大野鉱山の選鉱所跡、9時40分

このページの目次です

はじめに

往路途中で、今回初めて旧・大野鉱山の選鉱場跡などに踏み込み探索する。少し疲れて船倉山まで届かず、途中の570m台から往路下山する。

以下、大野鉱山跡の各施設を中心に、翌週の山行(2009年09月19日(土))も含めてまとめた。

参考資料

  • いにしえのロマンの郷 廿日市/おおの地区点描/藤下憲明さん
    大野鉱山
  • いにしえのロマンの郷 廿日市/廿日市の近代化遺産/藤下憲明さん
    近代戦争制限区域標石/呉要塞区域標石など
  • 藤下憲明「近代戦争制限区域標石について(上)」
    広島県文化財ニュース、第168号(2001年3月)P.1-6
  • 藤下憲明「近代戦争制限区域標石について(下)」
    広島県文化財ニュース、第170号(2001年8月)P.1-11
  • 廿日市の山々/Naさん
    船倉山~烏帽子岩山
  • 大野鉱山/文理一男著、平成17年(2005年)12月20日
    平成18年(2006年)2月26日一部改訂(はつかいち市民図書館蔵)
    P.34あとがき、P.35奥付
    平成18年(2006年)3月31日一部改訂(広島県立図書館蔵)
    p.37欠、p.38奥付ダブり、p.37には「あとがき」があると思われる
    平成18年(2006年)12月10日再改訂(はつかいち市民図書館蔵)
    p.49あとがき、p.50奥付
    以上、改訂内容は主として鉱石写真(資料提供者)の増加による
  • 西広島タイムス
    2008年(平成20年)4月11日,1011号
    選鉱場跡へルート開く 新登山道の観察会27日に 旧大野鉱山で
    2006年(平成18年)2月17日,906号
    大野鉱山調査し小冊子に 「郷土史料に」と文理さん
  • 中国地方地学事典

今日のコース&コースタイム

JR前空8:17-新幹線高架下8:33-三区集会所8:37-高見橋8:38-広島岩国道路高架下8:44-高見林道入口8:49-分岐林道(左)あり8:52-砂防ダム8:58-地蔵堂、陸軍省標石9:03-地蔵橋を渡る9:04-イノシシぬた場9:07-林道終端部9:10-橋を渡る9:10-選鉱所跡分岐(右)9:14-平場到着9:28(300度にピーク)-探索9:36~9:41-林道まで戻る9:50-沢を渡る(二筋、左岸から右岸へ)9:52-ダム10:01--左手から小さな水流あり10:06-ダム10:07-船倉山・鉱山分岐(右へ)10:10-出会い10:13-ガレ場、小石積み10:28-上部に達する、よい道あり10:31-尾根に乗る10:44-第1鉄塔10:45、10:55-(引き返す)-尾根分岐10:55-第2鉄塔11:00-第3鉄塔分岐11:10-第3鉄塔11:12、11:23-分岐11:25-559m11:44-570m台手前分岐(右へ)12:02-570m台12:06-(北側探索など)-570m台引き返す12:17-分岐12:19-少し下る12:21、12:23-(引き返す)-分岐12:24-559m12:36、13:25-少々コブ13:27-第3鉄塔分岐13:34-第2鉄塔13:40-尾根分岐(前方に第1鉄塔、右折下る13:44-(日があたる、急な下り、中年男性一人すれ違う)-小さな沢渡る(左岸から右岸へ)13:53、13:58-(渡ったところの小道で、風が吹き上げる、気持ち良い)-(下る)-(本流の音が右手から聞こえる、つまり左岸を下っている、左手にも水流、つまり中尾根を下っている、最後は岩尾根)-本流を渡る(左岸から右岸へ)14:04-分岐(左下へ)14:05-小さな沢、右手から14:07-(なめらを流れ下る)-沢2筋下る14:12、14:13-選鉱所跡分岐14:14-沢渡る(橋あり)左岸から右岸へ-すぐに林道終端部14:17-(沢の右岸を下る)-沢渡る(橋あり)右岸から左岸へ14:22-すぐに祠あり-ダム14:25-林道入口14:31、14:40-広島岩国道路高架下14:43-高見橋14:46、14:48-高見橋の前後から宮島の駒ヶ林大断壁を正面にみながら下る-新幹線高架下14:55-JR前空15:08

  • JR前空駅(32分)林道入口(21分)林道終端部(4分)選鉱所跡分岐(23分)出会い(31分)送電鉄塔管理道尾根、第1鉄塔分岐(5分)第2鉄塔(10分)第3鉄塔分岐(19分)559m(22分)570m(途中の選鉱所跡探索分は別途記載)
    小計2時間47分
  • 570m(14分)559m(19分)尾根分岐(20分)出会い(13分)林道終端部(14分)林道入口(28分)JR前空駅
    小計1時間57分(林道入口9分を加える、559m休憩49分は加えず)
  • 総合計4時間44分(ただし、その他探索分などを除く)

その他、探索分など(総計1時間18分):
選鉱所跡探索36分(登り14分、休憩及び探索など13分、下り9分)
第1鉄塔往復11分(行き帰り各1分弱、そのほか休憩)
第3鉄塔往復15分(下り2分、休憩11分、登り2分)
570m台付近11分(休憩及び北側探索)
570m台手前分岐から、570m台西側探索5分

そのほか、559m休憩49分あり

宮島から船倉山をみる

安芸の宮島から対岸を見ると、正面に幕を張ったような山容を持つ山が見える。一見、ロケットのような形をした(一部省略)の入った白い建物の上に見えるピーク、これが船倉山である。

「ひろしま百山」p.146

船倉山の下の白い建物は、宮島からほんとうによく見える。そして目立つ。「あれは何だろう?」多くの観光客が不思議がり尋ねあっている光景をよく目にする。

林道高見線入口をめざして北西に行く

さて船倉山への出発点は、「ひろしま百山」中国新聞社(1998年)ではJR宮島口(山陽本線)としている。しかし、2000年(平成12年)3月11日には宮島口の一つ西にJR前空駅が開業している。林道高見線入口(高見川ルート登山口)まで行くには、JR前空駅から歩く方がほんの少し早いだろう。

今日はJR前空駅で下車する。プラットホームから階段を上がり、北側に出ると眼前に高台の前空団地が広がっている。

ここから登山口に至るには、地形図をみると、団地東側下の地道(車道)を北西に道なりに行くとよさそうである。

最初に地形図をみたとき、団地内に通り抜けできる道がありそうなので、それを行ってみようかなと迷いながら歩き始めた。しかし、実際に現地を歩いてみると、団地内で少し登りになっており、それを嫌って途中から下の道へ降りた。

自動車道を北西の方角に行くと、新幹線高架手前で左手からおりてくる団地からの道を吸収する。高架下をくぐって行くと、すぐ先の三区集会所の広場(右手)ではゲートボールの真っ最中である。

高見橋で永慶寺川を渡ると、すぐに、その支流である高見川の左岸を行くようになる。ただし家並みが続いており川岸を見ることはできない。広島岩国道路高架下をくぐってなおも行くと、左手に堰堤があり、そこが高見川ルート登山口となっている。(参考:永慶寺川水系 高見川)

林道高見線に入り、高見川に沿ってなおも北西に行く

登山口(標高50m台)から、そのまま簡易舗装の林道に入り、終端部までゆったりと登る。林道は高見川に沿って造られており、地形図にしっかりと記載されている。

まず、林道入口から高見川左岸を行く。川音が大きい。砂防ダム(標高約100m)を左にみてしばらく行くと、地蔵橋(標高約110m)で左岸から右岸に渡る。橋を渡る手前に、地蔵堂と旧陸軍省標石がある。

20090913_090306.jpg

〈写真〉地蔵堂と旧陸軍省標石、9時03分
(地蔵橋を渡る手前右手に地蔵堂があり、その左脇に旧陸軍省標石がある)

標石の文字はつぶれており「陸軍省」の部分しか読めない。藤下憲明「広島県文化財ニュース」によれば「広島湾要塞第三地帯標石(第5号)」である。

20090913_090322.jpg

〈写真〉旧陸軍省標石、9時32分

後で資料を見直してみると、明治32年6月建立だという。広島市およびその近郊でよく見かける標石は、昭和15年建立のものが多いのではないだろうか。そうした標石よりも古いものであるとするならば、それらよりも字がつぶれていると感じたのも無理はないか。

なお、藤下憲明の記述に

(この)標石が一部で大野鉱山と関連付けられているようであるが、この標石は別の目的で設置されたものであり詳細はこちらを参照してみて下さい。

いにしえのロマンの郷 廿日市/藤下憲明さん

とある。

改めて、Webおよび「広島県文化財ニュース」で確認すると、こうした標石は、近代戦争制限区域標石として設置されたものである。そして、地蔵橋横の標石の場合は、「大野瀬戸に設置された室浜砲台(Web作者注、船倉山対岸の宮島北西海岸)からの距離2250間(4095m)の区域線上に建立されたものである」という。

それに関して、「大野鉱山」の中に次のような気になる記述がある。

高見川林道の途中に軍の監視所があったことを示す石碑が今も残っており、その頃の事情を物語っています。

文理一男「大野鉱山」p.002

西広島タイムスWEB(上記2件)でも、これを踏襲する記事を載せている。

それに対して、藤下憲明は「これは旧大野鉱山の軍監視所があったことを示す石碑ではなく、旧陸軍省の標石そのものである」と言いたいのであろう。旧大野鉱山が盛んに掘られたのは太平洋戦争中のことのようであり、この標石は明治期のものである。

私としては、こうした石碑に関する資料をまとめて論文として発表している藤下憲明の見解を支持したい。

さて、地蔵橋を過ぎるとやや勾配がきつくなる。捨てコンの道は少し荒れている。林道の左脇にイノシシのヌタ場を見ながら、林道終端部(標高150m台)に至る。ここの終端部まで車が入れそうである。

林道終端部から、そのまま高見川に沿って登る(途中に選鉱所跡分岐あり)

林道終端部の横の橋で、高見川右岸から左岸へ渡る。地肌の出た道はすぐに車の通れない状態となる。しかし、ヒトが通るのに何の問題もない。しばらくして、右手に「選鉱所跡」分岐の道しるべ(標高170m前後)を見る。

20090913_091414.jpg

〈写真〉「選鉱所跡」分岐の道しるべ、9時14分

大野鉱山跡(選鉱場跡など)を見学

選鉱場跡は、旧・大野鉱山の施設跡の一部である。施設跡の多くは高見川左岸にあり、375mピーク(送電鉄塔あり)南斜面から西斜面にかけて散乱している。

大野鉱山のおおまかな施設は鉱石を採掘する坑道、鉱石塊を粉砕して有用鉱物を分離取り出す選鉱場、鉱物の集積場、作業関連施設、従業員宿舎などでこれらの跡とみられる遺構が山中に分散して残されている。

いにしえのロマンの郷 廿日市/藤下憲明さん

(大野鉱山は)第二次世界大戦中の1941~1944年、軍の管理下でタングステンや銅などを採掘していたようだが、鉱石の含有率が低く廃鉱となったらしい。「大野鉱山」(文理一男著/2006年)には、鉱山の歴史や採取した標本の写真などが記載されている。

廿日市の山々/Naさん

林道沿いの標高170m前後から、旧大野鉱山の選鉱場跡(標高250mくらい)までの尾根道が「おおの自然を愛する会」の皆さんのご苦労によって新たに切り開かれた(2008年3月)という。(西広島タイムスWEB)

道しるべ「選鉱所跡」分岐から右手に踏み込み、高見川左岸の375mから南へ流れ落ちる尾根を北向きに登る。小石が散乱している。所々で石組みを見る。やがてシダの小道を行く。そして地面を平にならしたような場所に達する。その一段上にも同じような場所がある。その上には踏み跡が見つからない。

地面をならした下の段の沢側(西側)に一段低く平らな場所がある。コンクリートで固めた大きな箱のようなものの天井部分である。コンクリートの箱は、この上に1~2段、この下に1段と階段状に積み上げられている。箱の前面には、横一列に小さな穴が開けられている。

ここが選鉱場であろう。特に標識は何もない。

20090913_094014.jpg

〈写真〉旧大野鉱山の選鉱所跡、9時40分

藤下憲明は、「選鉱場概略配置図・断面図」を示しながら、次のように説明している。

選鉱場は下流側の砂防堰堤がある左岸の急斜面上にコンクリートと石積みで段状の平坦地を7段設けており、上の段から順次鉱石塊を粉砕機で破砕して物理的方法で分離された有用鉱物である精鉱が、最下段(6)の下に設けられた2槽の集積槽(7)に集められたものとみられる。

いにしえのロマンの郷 廿日市/藤下憲明さん

なおここで「下流側の砂防堰堤」とは、私がすぐ下に記している高見川の砂防堰堤(標高220mくらい)を指すものと思われる。

林道まで戻り、右岸に渡って登る

「選鉱所」分岐まで下って戻り、林道を右折して登る。すぐに、二筋の沢で高見川を左岸から右岸に渡る。したがってここから先は、高見川をはさんで、選鉱場跡など(左岸)の対岸を登るかたちとなる。

しばらくすると沢に砂防ダム(標高220mくらい)がある。対岸上部(標高250mくらい)に、私が先ほど登った選鉱場跡のコンクリート壁が見えるかなと思ったがよくは分からない。(ここの堰堤の真横の位置にあるはずである)

少し登って樹間から川床を見下ろすと、ナメラ状の岩の上を滑り落ちる水流が見える。すぐ上に2番目の砂防ダム(標高240mくらい)がある。続けて分岐があり、右手に行って河原に下りる。

出会い中尾根を登る

河原(標高250mくらい)に下りると、高見川本流に対して、右谷支流が流れ込む出会いとなっており、小滝がある。

川床の岩盤がむき出しとなっており、筋状の模様が入っている。これが節理というものであろうか。岩盤の色はやや赤褐色である。

20090913_101318.jpg

〈写真〉高見川、10時13分
(右谷支流に小さな滝をみる)

本流を右岸から左岸に渡り、右谷支流を渡り返して、中尾根状態になった岩尾根を急登する。そしてその後、よく踏まれたよい道をゆったりとしたジグで登る。その途中には、石組の平坦部らしき地形がある。

なお、出会いあるいはその上部から、振り返ると岩船岳(宮島)がよく見えるようになる。そして左手前方上部には、これから通る559m(高見山)の岩峰が荒々しい。

坑道口を見る

やがて、先ほどの右谷支流の上流部(標高300mくらい)に達する。そしてこの付近で、翌週(2009年9月19日)初めて坑道口を発見する。

私の初期の2回山行(2001年06月02日、2001年06月10日)では、坑道口について全く関心を示していない。今日初めて坑道口を探したのだが、見逃してしまったのである。なお、「ひろしま百山」船倉山p.146では、この坑道口のことを「風穴」としている。

この沢には8頁の写真にあるように今でも厚さ20センチにわたる石英脈が走っています。(当該写真オプション:坑道側を流れる沢に見られる石英脈(厚さは約20cm)。当時こうした脈が陸側に向かって何本も走っておりそのうち特に鉱物の濃集しているものが採掘されていった)

文理一男「大野鉱山」pp.2-3,8

坑道口の一つは、右谷支流上部を右岸から左岸に渡る手前(標高300mくらい)にある。ここの徒渉地点で沢を渡ることなく、右岸沿いにそのまま数メートル上流部へ踏み込んだ地点左側である。

20090919_100358.jpg

〈写真〉坑道口の一つ、2009/09/19撮影
(右谷支流上部を右岸から左岸に渡る手前(標高300mくらい))

そして、その近くにもう一つ坑道口がある(藤下憲明)というが分からなかった。もう少しそのまま上流まで踏み込んだ地点なのかも知れない。文理一男「大野鉱山」p.3によれば、「この坑口の上部にも鉱山跡と見られる4つの洞窟が残っているのが確認できます」とある。

私が確認したもう一つの坑道口には、大野鉱山本鉱跡の標識がある。その場所は、徒渉地点で右谷支流上部を左岸に渡り、ズリ石を利用して造った小さなジグの道をひとまず登りきった地点(標高310m~20m)右側である。

20090919_101134.jpg

〈写真〉二つ目の坑道口、2009/09/19撮影
(右谷左岸上部、標高310m~20m地点)

「大野鉱山」に掲載されている古写真には坑道からのレールとトロッコがみられ掘り出された鉱石塊はトロッコで高見川左岸に設けられた選鉱場に運ばれていたようである。坑道口から少し下がった左岸にはトロッコ道の跡が見られるが、しばらく進むと崩壊でルートが全くわからなくなっている。

いにしえのロマンの郷 廿日市/藤下憲明さん

掘り出した鉱石塊は、トロッコを使って先ほど私が見た選鉱場までおろしたというのだが、そのトロッコ道については、私には全く分からなかった。

高見川左岸尾根(375m~559m~570m台)に登りつく

石積みの小さなジグの後、ゆったりとしたジグで尾根に登りつく。右手1分足らずの所に送電線鉄塔(標高375m、第1鉄塔としておく)があり、海側(宮島など)の展望がよい。往復してくる。

尾根分岐から船倉山に至るには、尾根上を北向きに高見山(559m)~570m台と追って行く。

高見山までに送電線鉄塔をさらに2本みる。第2鉄塔はその横(標高410m台)を通りぬけ、第3鉄塔分岐(標高470m前後)は左折して登る。第3鉄塔分岐手前辺りで右はるか下に白い建物を見る。

第3鉄塔分岐で左折して尾根を登る前に、分岐を右向き(北東)に急下り第3鉄塔まで探索してくる。(片道2分程度)

第3鉄塔分岐まで戻ってから西向きに登り、559mの平坦部に登りつくと西側のながめがよい。そのまましばらく平坦部を行くと、559mピークからはほぼ360度の展望が得られる。

559mから船倉山はまだ遠い。ここから船倉山に至るには、ほぼ北側にある570m台を越えてさらに北東へ行く。

20090919_110210.jpg

〈写真〉559m峰からの展望、2009/09/19撮影
(左手の大きなピーク(570m台)の右奥に船倉山(545.9m)を見る。それらの真ん中奥は、極楽寺山である。
船倉山の山腹に真砂土のジグ道がはっきりと見えている。また、右肩には送電鉄塔も見える。先ほど歩いてきた送電線が北東に延びた先のものである。)

570m台から引き返し、往路下山

570m台から向こうを見ると、急下っている。船倉山も近づいた気がしない。今日はここまでとあきらめて引き返し、559mでゆったりと展望図を描くことにする。(展望図は、「2009年09月19日」山行記でまとめる)

なお、570m台から船倉山方面少し探索、570m台手前分岐まで戻り、570m台西側少し探索。

秋とはいえ直射日光が当たると痛い。少々体力を消耗して途中リタイアしてしまった。そして坑道口探索の課題も残った。次週も通ってみよう。ということで、今日の山行記は、次週の山行「2009年09月19日」も含めて完成させた。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年03月26日)山行記
    めだかの館~船倉山~高見山~高見川沿い
    (出発:半目藪バス停(JR宮内串戸駅―山陽本線)、帰着:宮島口桟橋(JR宮島口駅―山陽本線))

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

2001年06月02日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 船倉山トップページ>

高見山~船倉山
高見川ルートから登り、白糸の滝ルートを下る
(出発帰着:JR宮島口駅―山陽本線)

2001年06月02日(土)、単独

このページの目次です

今日のコース&コースタイム

JR宮島口(限りなく海抜0m)10:55-(大野東小学校方面)-林道入口11:55-559mピーク (昼食)13:35、14:05-船倉山14:45、15:15-王舎城美術館15:55-(車道を歩く)-JR宮島口16:45

  • JR宮島口駅(30分)林道入口(1時間40分)559m(40分)船倉山
    小計3時間20分(ロスタイム30分を加える、昼食30分は除く)
  • 船倉山(40分)王舎城美術館(50分)JR宮島口駅
    小計1時間30分
  • 総合計4時間50分(船倉山30分を除く)

今日の様子

JR宮島口から北側の高台に上がったので、かなり遠回りとなった。約30分くらい余分に時間がかかったと思われる。

快晴、ただし遠くの見通しはあまり良くない。昨夜の不摂生が祟ってバテバテ、反省!!下りでは、白糸の滝方面(谷筋)に下りる前に尾根道に入る。花崗岩の滑りやすい道でほとんど人は歩いていない 。途中、道が崩落している個所あり、なんとか足場を確保して通る。かなり危険。

2009年09月19日山行記
白糸の滝に向けて、船倉山から直接下りる道はないようである。
白糸の滝に至る分岐は、林道戸石川線上部にあるらしい。
いまだ未確認。

今日の記録はこれだけ。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年03月26日)山行記
    めだかの館~船倉山~高見山~高見川沿い
    (出発:半目藪バス停(JR宮内串戸駅―山陽本線)、帰着:宮島口桟橋(JR宮島口駅―山陽本線))

広島湾岸トレイルの周辺を歩く