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養父崎浦~山白浦間の修理・清掃活動(2014/02/16)

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養父崎浦~山白浦間の修理・清掃活動
(出発:養父崎浦、帰着:山白浦、廿日市港から船で直接往復)

2014年02月16日(日)、宮島太郎の会・ボランティア(2回目)

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2014年02月16日)無し
山白浜神社

〈写真〉山白浜神社、15時12分
(山白浜神社:宮島桟橋から最も遠くにある神社)

宮島太郎の会・ボランティア参加(宮島最西南端部の既設歩道の再整備状況)については、その都度まとめています。トピックスもからめた内容になっていますので、以下にて時系列でご覧いただければ幸いです。(2013年秋~2015年冬)

このページの目次です

はじめに

宮島島内の海岸部(約30㎞)を一周する車道は存在しない。宮島桟橋から延びる道路は、西海岸では広島大学植物実験所まで、そして東海岸では、青海苔浦(ただし一般車は、その途中の大砂利まで)で行き止まりとなっている。

しかしながら、海岸道路のない南西部を行く踏み跡が、かつて存在していたことは間違いない。そして、そこを歩くことができれば、宮島島内の海岸部を一周することができる。

さて今日は、養父崎浦から山白浦途中までの既設歩道にて、歩行の妨げとなる倒木・雑木・雑草の片付け・枝打ち・刈払を行う。

広島修道大学ワンダーフォーゲル部『旅鳥』p.122-128)の項がある。

そこでは、宮島桟橋から反時計回りで、御床浦を通って、長浦~あての木~養父崎浦~青海苔浦(それぞれ詳細な図入り)と回り、包が浦を経て桟橋まで戻る島内一周コースを紹介している。

30数年前に宮島で山火事が起きる前のことである。

なお、実は『旅鳥』は、随分前に古本屋で買って持っていた。しかしながら、宮島についてこんなに詳しく書いてあることには全く気付かないでいた。

今日の朝、出発前に山本拓志(宮島太郎の会・代表)さんが言うには、「知人からこんな本(『旅鳥』のこと)があるから読んでみては」と渡されて、中を見てびっくりしているところだという。

家に帰ってからさっそく確認した。同書では、山行ルート解説本文(pp.10-246)のうち、「安芸の宮島」として実に20ページ(pp.112-131)をさいている。その中に、前述の「安芸の七浦めぐり」(7ページ分)がある。

今後、宮島はもちろんのこと、今までの私の山行を振り返りながら、精査してみようと考えている。

ところで、この『旅鳥』(1973年11月初版)は、1966年からの7年間に刊行された前著(全三巻)をもとに、「旅鳥」総集編として企画・編集されたものという。その7年間とは、ちょうど団塊の世代の先頭が入学し、最後尾が卒業する時期に当たるであろう。ワンゲル活動最盛期の貴重な記録である。

なお、10年後の改訂版『旅鳥』(1983年11月刊)では、「宮島」の項は6ページ(pp.120-125)となり、宮島海岸部一周コースは、ばっさり削除されている。

宮島南西部の開拓農家が次々と離農したことにより、周辺の踏み跡が消失していった結果かもしれない。

現在の状況

宮島太郎の会(山本拓志・代表)は、現在ではシダや小灌木に埋もれてしまった宮島南西部の既設歩道を、もう一度きちんと歩ける状態にしようと活動を続けている。砲台跡(広島大学植物実験所の敷地内)から御床浦を経て、あての木浦まではすでに完了している。

山本代表の最近の目標は、東海岸の車道終端部である青海苔浦を起点として、養父崎浦~山白浦から、宮島最南端の革篭崎を回り、あての木浦までの既設歩道で、修理・清掃活動を行うことである。ここが完了すれば、再び宮島島内の海岸部を歩いて一周することができるようになる。

そのために募集されたボランティアに今年も参加した。前回(2013年10月13日山行記・参照)に引き続き2回目である。

昨年10月・11月・12月(計9日間)で、青海苔浦~養父崎浦間は完了している。今年最初の予定は、1月・2月・3月(計9日間)で、養父崎浦~山白浦間を完了させることである。

去年末の情報では、養父崎浦~山白浦間は踏み跡の痕跡さえ見つかっていないということだった。しかし、今年1月の作業で、途中までは確実なルートが見つかり、さらにその先の山白浦まで、何とか歩ける状態だという。

移動手段に船を使う

作業起点の青海苔浦までは、宮島桟橋から1時間30分以上かかる。内訳は、宮島桟橋から大砂利まで車で約20分、そこから青海苔浦まで車道を徒歩で約1時間20分くらいである。

また、作業が進むにつれて、作業起点が青海苔浦から養父崎浦、さらには山白浦に向けて、どんどん遠くなってきている。それにつれて、作業開始地点までの往復時間が今まで以上にかかるようになってきた。つまり、実質的な作業時間が大幅に減少してきた。

宮島桟橋を出発帰着とした場合、養父崎浦までは、宮島桟橋から2時間30分以上、山白浦から桟橋まで引き返すには、3時間30分近くかかるものと思われる。(もちろん、宮島桟橋~大砂利間は車で約20分として)

今回は、ご縁があって、廿日市港から船で養父崎浦に渡していただき、そこから山白浦途中まで作業をして、帰りは同じ船で山白浦から廿日市港に戻ってきた。乗り降りの時間を含めて、片道1時間ちょっとであった。

今回の渡船によって、少なくとも3時間以上の時間的余裕が生まれているはずである。(9時半前出港、17時半前帰港)

今日の作業

船に全員(今日の参加者10名)が一度に乗ることはできず、1班・2班に分かれて乗船した(一つの船が往復)。私は第2班(後発)である。

養父崎浦に上陸して現場に到着すると、先発隊の作業が進んでおり、後ろから行く私は、今日は鋸ではなく、鎌を持って、エンジン付刈払機の後ろをくっついて歩き、刈り取られたシダなどを清掃しながら進んだ。

第2班の作業は、山白浦手前の小尾根に取り付いて、しばらく登った地点で終了した。そこから尾根を越え(二万五千分1地形図、74mの南側)、太ももまで埋まるシダをかき分けながら、山白浦まで下った。

眼前に阿多田島

話は前後するが、今日の昼食は、養父崎神社の西側にある尾根上でとった。東日本では記録的な大雪の影響が残るなかで、温かい日差しを浴びながら、瀬戸内の多島美を楽しんだ。眼前には、能美島、大黒神島、そして阿多田島がある。遠くには柱島も見えているようである。

阿多田島の沖合海上では、先月(2014年01月15日)、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」が衝突して、船長と釣り客1名が死亡(2名救助)した。心の中で黙とう。

おわりに

山白浦から山白川をさかのぼり、あての木~御床山~(岩船岳)の尾根に至る既設歩道は、数年前に、宮島太郎の会によって整備されている。山本代表の話では、それ以来歩いていないので断言はできないが、今でも歩ける「はず」だと言う。つまり、一部山側を歩くとは言え、このルートを使えば、今日現在でも、宮島の海岸部を一周することができる、と言うことになる。

山白浦からの取り付き地点を山本代表から教えてもらい、入口を確認した。近々歩いてみたい。

最後に、今日のメンバーは、前回ご一緒した方に加えて、初めてお会いする方も多かった。それぞれ魅力的な方々ばかりである。いずれ、3回目の参加をすることになるであろう。

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なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。