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2006年08月13日

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下山林道(下山橋、雨量観測局、東終端部)~ウシロヤマ谷~三つ倉ピーク~十方山南尾根コース~十方山~シシガ谷コース
(出発帰着:二軒小屋)

2006年08月13日(日)、次弟

はじめに

2006年08月13日(日)、次弟
下山林道~十方山南尾根コース~十方山~シシガ谷コース

二軒小屋~十方山林道~下山林道(下山橋、雨量観測局、林道東終端部)~ウシロヤマ谷~三つ倉1030m台ピーク(十方山南尾根コース)~十方山~シシガ谷コース~十方山林道~二軒小屋
(出発帰着:二軒小屋)

十方山林道(細見谷林道)の下山橋から延びる下山林道終点が、瀬戸谷南尾根コースから300m程度の近くまで来ているという。行ってみたくなり以前から計画をしていた。次弟に話すといっしょに行こうというのでトライすることにした。

順調に下山林道の東終端部に至り昼食をとる。そこに思いもかけず一人の男性が現われてアドバイスを受ける。直接ブッシュを横切るのは大変だ。この辺りは色々試したが、急がば回れで、この沢を下り、(左から流入する)2本目の沢を登って最後にひと踏ん張りすれば、瀬戸谷南尾根コース標高1000m地点に出るという。

教えを受けた2本目の沢を通り過ぎてしまったようだ。結局、三つ倉から西に落ちる尾根に取り付き、潅木の中を小枝をつかんで這い上がる。三つ倉ピークですでに疲労困憊、その後は十方山~シシガ谷をよれよれになって乗り越して下り、十方山林道を出発点 の二軒小屋に向ってただただ歩くのみ。

コースタイム:
二軒小屋(30分)シシガ谷登山口(40分)下山橋
 小計1時間13分(シシガ谷登山口3分加える)
下山橋(54分)峠(1時間02分)林道終点
 小計2時間05分
林道終点(10分)ウシロヤマ谷(30分)本命の沢(16分)尾根取り付く(1時間04分)三つ倉
 小計2時間00分
三つ倉(17分)標高1010m台(57分)十方山
 小計1時間14分
十方山(1時間)シシガ谷登山口(38分)二軒小屋
 小計1時間38分
総合計8時間55分(下山橋4分、林道終点32分、十方山9分加える)

二軒小屋8:30-一軒屋8:37-シシガ谷登山口9:00、9:03-水越峠9:10-下山橋9:43、9:47-対面に山278度10:02-峠10:41、10:50-雨量観測局(分岐あり)10:53-11:11繁ってくる-バーノキビレ分岐11:00-やや登る11:28-沢11:31-尾根張り出し11:34-沢11:38-右横ピーク292度?(492,033)11:43-廃車11:45-沢コンクリートで固める11:50-終点(508,097)三ツ倉 150度11:52、12:24-沢(ウシロヤマ谷)小滝の下12:34-沢(これが本命)13:04-尾根に取り付く13:20-(向こうのカラ沢へ)-再び尾根へ14:02-三つ倉(休憩あり)14:24-小ピーク14:35-1010m台14:41-小岩1080m台コブ14:50-1130m 台14:58、15:04-草原15:10-草原15:23-右折15:25-十方山15:38、15:47-湿地帯15:57-スギ林16:00-沢(休憩あり)16:22-シシガ谷登山口16:47-二軒小屋17:25

最初からかなり早いペースだ。しかし、弟がペースメーカーになり、順調に足が前に出る。 十方山林道(細見谷林道)の水溜りでは、ミヤマカラスアゲハが飛び交い露払いをしてくれる。

下山橋から下山林道に入る。少なくとも峠までは乗用車で入れる状態で歩きやすい(もちろん鎖がかかっており、車は入ることができない)。峠の向こうで、雨量計の横に踏み跡が 南西に向ってついている。 黒ダキ山方面に延びる下山林道の分岐道だろうか。ここも一度は探検してみたいものだ。

バーのキビレから流れ落ちる沢を通り過ぎると、道はかなり荒れてくる。それでもコンクリートできちんと手当てした箇所があったり、バスが乗り捨ててあったりして驚かされる。林道は、地形図に記載された場所からもう少し先に延びている。

林道終点の場所は、ウシロヤマ谷右岸尾根の標高950~970m位の地点だ。950mラインが大きく南に張り出した地点の北北東にある小さな尾根突端部辺りになる。ここからどう攻めるか検討しているところへ上記男性があらわれた。この辺りを随分と歩いている方のようで、地形図には自分なりの覚えがたくさん記入されていた。

その地形図を見ながら教えていただいたコースをまとめると、ウシロヤマ谷を下り、最初の沢、すなわち標高880m位で左に入る沢は、ブッシュがきつすぎるのでやり過ごす。そして、2本目の沢、すなわち標高840~850mを左に入って登れば標高1000m地点にポンと出る。最後にちょっとヤブがある程度で楽なコースだという。言い残してその方は藪の中に消えた。

その方がガサゴソと藪の中を動く音がしなくなる頃、さっそく我々もその方を追って急斜面を下り、ウシロヤマ谷におりる。多少左へ巻きながら下りたように思う。沢まで下りると左手(上流)に小滝があった。斜面を下りる途中でソバナが一杯咲いていたがパスをする。ウシロヤマ谷の沢をどんどん下る。先程の人の沢靴の跡だろう、岩の上に点々と濡れた靴跡がついている。左手にきれいな沢が現われる。この沢が本命の沢だった可能性が高い。しかし、これを1本目と考えてやり過ごす。最初の1本にはまるで気がつかなかった 。

やがて、黒々とした淵が現われ前進をはばむ。バーのキビレから流れ込む沢(右手にあるはず)はまだ見ていない。したがって、大ビラメノタキの少し上あたりだったのだろう。やむなく左へ高巻く (後で調べると、西中国山地P.106にも大ビラメノタキは左岸を高巻く、とある)。しかし黒い岩は上のほうに延びており、なかなか突端まで至らない。やっと上部に達すると右手がやや低い。下りてみると小さな涸沢(ウシロヤマ谷支流 の一つ)だった。しばらくそのまま登る。岩場が現われ左に巻いて行くと、再び先程の尾根に乗る。そして、そのまま尾根を這い上がり三つ倉遭難碑 ピーク1030m台に達する。とりあえず正規の登山道に出てほっとするが、疲労困憊。この時点で瀬戸谷南尾根コースのちょうど半分しか登っていない。今日はこれから十方山を乗り越すしかないのだ。

三つ倉ピークを下って狭い廊下を行くと、すぐに登りとなる。左下には沢、その向こうに支尾根がみえる。短い距離を登りきる手前、推定標高1000m付近に踏み跡があり、その沢とつながっているようだ。ここが今日の本命だった沢上部で間違いない。もしウシロヤマ谷出会いからの遡上にかかる時間を45分とするならば、今日は1時間近く余分な時間(と労力)をかけたことになる。

注:Kさんの軌跡(2005年06月12日)、瀬戸谷南尾根→下山林道終点
瀬戸谷南尾根の標高1010m台から、南南西に延びる尾根を下り、途中から右に振って上記1本目の沢に入り、ウシロヤマ谷に出てから登り、下山林道終点に這い上がっている。「(尾根を西に下り)北側の小谷へ出て、谷を下ってウシロヤマ谷へ出た。ウシロヤマ谷を400mほど登るとピンクのテープがある。そこから踏み跡をトラバースして、50mほどで林道終点に出る。ウシロヤマ谷にある林道の分岐点に出るには、十方山登山道をもう少し登って、次の尾根から直接分岐へ降りた方が、距離も短くて薮も少ないようだ。」

その後も、体力温存と水分補給量を慎重に考えながら、よれよれになって十方山を乗り越す。十方山からは丸子頭~藤本新道の方が楽だと思うのだが、シシガ谷を下るという弟の意見にしたがった。シシガ谷であれば、十方山からとにかく下るのみであり、日没も考えて出来るだけ早く一般道に達するためにも正解だろう。

二軒小屋手前には、一軒屋のご主人がこれから10日間泊り込みで作業をするというので、各種道具を積み込んだ車の整理をしていた。朝、十方山林道で男女2人を追い抜いた。その他は山中の男性以外だれとも出会わなかった。写真を撮る余裕はあまりなかった。しかし、イワタバコに再び出会えて満足。十方山草尾根はカワラナデシコ通りとなっていた。季節は確実に移り変わっている。

真夏日、水分摂取量2リットルでトイレは二軒小屋に帰りついてからの1回のみ。行動中は一度も用を足していない。汗でポケットに入れていた手帳がふやけてしまった。牛小屋高原の自動販売機でジュースを2本買う。

帰りに恐羅漢公園線の表示をみると、4トン車以上走行不可、となっている。行ってみることにする。内黒峠を越えて、途中で落石のため通行止めの表示があるものの、そのまま戸河内側に抜けることができた。大規模林道を大回りするよりは、 15分以上時間短縮となっているはずだ。なお、戸河内側の表示は相変わらず通行止め。工事は完了したわけではない。道路工事が休みの日とそうでない時では状況が変わる可能性がある。

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2006年09月02日

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十方山南尾根コース(三つ倉の少し上まで)~下山林道(東終端部、雨量観測局、西終端部)~十方山南西尾根~黒ダキ山~下山林道(細見谷渓谷沿い)
(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

2006年09月02日(土)、単独

はじめに

2006年09月02日(土)、単独
十方山南尾根コース(三つ倉の少し上まで)~下山林道(東終端部、雨量観測局、西終端部)~十方山南西尾根~黒ダキ山~下山林道(細見谷渓谷沿い)

十方山南尾根コース途中~下山林道~黒ダキ山
駐車場~(十方山南尾根)~三つ倉1030m台~ウシロヤマ谷支流~ウシロヤマ谷~下山林道(東終端部、十方山雨量観測局、西終端部)~十方山南西尾根~黒ダキ山~下山林道(細見谷渓谷沿い)~立野キャンプ場~ 駐車場(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

下山林道東終端部~十方山南尾根間(直線距離、約350m)のルートを確かめたくて、2006年8月13日(日)に引き続き再挑戦する。この間のルートについては、先達の中でさまざまな細かいバリエーションが紹介されている。しかし今日は、先日果たせなかったルートをまずは忠実にたどってみることにした。ただし、たどるルートは先日とは反対で、十方山南尾根からウシロヤマ谷に入ることにした。なぜならば、出発地点を先日と同様に二軒小屋とすると、アプローチ開始まで距離が長すぎてバテてしまいそうだ、と感じたからだ。

十方山南尾根のアタックポイント(標高1000m付近)に至るルートとしては、二軒小屋~シシガ谷コースで十方山を乗り越して行く方法も考えられる。しかし、このルートも距離は長い。そこで、瀬戸谷入口駐車場から南尾根コースを直接登ることにした。ただし、そうなると駐車場までどうやって帰ってくるかが問題となる。そこで、下山林道を東終端部~雨量観測局~西終端部まで行き、そこから十方山南西尾根に這い上がって、黒ダキ山経由で帰る方法を思いついた。以前から、下山林道には地形図に記載のない西分岐があるというので気になっていたコースだ。上記をつなげば、瀬戸谷を反時計回りで一周する形のコースとなる。

コースタイム:
駐車場(31分)瀬戸滝分岐(43分)三つ倉(13分)標高1000m前後
 小計1時間27分
標高1000m前後(31分)ウシロヤマ谷出合(29分)小滝の下(9分)下山林道東終端部
 小計1時間09分
下山林道東終端部(27分)バーノキビレ分岐(33分)十方山雨量観測局(23分)下山林道西終端部
 小計1時間23分(雨量観測局33分は加えず)
下山林道西終端部(34分)十方山南西尾根1120m台(14分)黒ダキ山分岐
 小計48分
黒ダキ山分岐(24分)黒ダキ山(38分)下り分岐(28分)下山林道
 小計1時間43分(黒ダキ山10分、下り分岐3分を加える)
下山林道(47分)立野キャンプ場(21分)駐車場
 小計1時間08分
総合計8時間41分
 (全ての休憩時間を含む、すなわち標高1000m6分、下山林道東終端部8分、十方山雨量観測局33分、下山林道西終端部3分、黒ダキ山分岐7分、下山林道(黒ダキ山取付)6分を含む)

駐車場8:37-瀬戸滝分岐8:42-巻き道8:56-標高700m表示8:59-太い木9:01、9:05-支尾根突端9:06-支尾根9:08-涸沢9:08-瀬戸滝分岐9:08-小滝上部9:13-岩場9:18-沢渡る9:22-尾根乗越9:26-再び尾根9:29-小さなコブ左から巻く-尾根9:38、9:42-三つ倉9:51-鞍部9:59-小ピーク10:01-標高1000m前後10:04、10:10-(ウシロヤマ谷支流)-ウシロヤマ谷出合10:41-小滝の下11:10-下山林道東終端部11:19、11:27-廃車11:32-バーノキビレ分岐11:54-十方山雨量観測局12:27、13:00-下山林道西終端13:23、13:26-尾根筋13:40-十方山南西尾根1120m台14:00-小コブ14:06-下る14:10-小コブ14:12-小コブ14:13-黒ダキ山分岐14:14、14:21-仏石14:31-黒ダキ山14:45、14:55-小々コブ14:58-1040m台15:05-展望15:06-鞍部15:10-1040m台(ピーク15:15-展望15:16-ピーク(吸殻いれ)15:23)-990m台鞍部、平坦15:28-下り分岐15:33、15:36-左へ振る15:50-下山林道(細見谷渓谷上部)16:04、16:10-立野キャンプ場16:57-駐車場17:18

9月となり渡る風はさわやかで心地よい。とはいうものの気温はかなり高めのようだ。汗が滴り落ち水分摂取量は多い。ちょっと足が重たいか。それでも順調に 三つ倉を通過して標高1000m前後のポイントに至る。

ポイントから見下ろすと、ササ原の中に踏み跡のようなものが沢に向って付いている。その少し下には川床も見えているようだ。まずは、ササ原の急坂をササをつかんでずり落ちる。慎重に下りればまったく危険はない。ほどなく川床に足がつく。水が染み出て荒い砂地が濡れている。その他、古い倒木や小石があるものの、先日情報をいただいた方のいうように歩くのに何の問題もなさそうだ。少しほっとする。時々黒いナメラ状の岩場があり水と一緒に滑ってしまった。それでも順調にウシロヤマ谷に合流する。

ウシロヤマ谷出合いから振り返っても、きれいな砂地は見えない。先日見た左手のきれいな沢とはどの沢のことだったのだろうか。ちょっとした疑問を残してウシロヤマ谷を右手(北)にさかのぼる。この沢は小岩だらけである。そしてブッシュに岩場と多少歩きにくい。ほんとうに先日はここを下ったのだろうか。気になって改めてコンパスを取り出すと北を指しており間違いはない。やがて少し歩きやすい箇所が出てきて、その先に小滝がある。ここで間違いない。

左手(右岸)斜面を見ると、先日斜めにずり落ちた跡が浮かび上がって見えているようだ。小潅木をしっかりとにぎって左上に這い上がる。しばらくして上を見ると空が見える。何となく横に一直線に広がっている ようだ。たぶん林道で間違いないだろう。左手に針葉樹がポツポツ生えている手前を、上に向って一気に這い上がると、そこは先日ブッシュに飛び込んだ地点だった。ドンピシャリと林道に上がることが出来てまずは一安心する。 もしうまくいかなかった場合には、先達が書き残している各ルートをさぐりながら、南尾根コースに戻るつもりにしていたのだ。

下山林道東分岐を十方山雨量観測局まで歩いて昼食後、下山林道西分岐に入る。地形図には記載がなく心配だった。しかし、非常に繁っており歩きにくいとはいうものの、目の前の黒ダキ山1084.7mがどんどん近づいてきて勇気付けられる。さて終端部からどうするか。"Kさん"のGPS軌跡は、十方山南西尾根 1142mの西南西にある1120m台に向けて這い上がっている。(下山林道西終端部:1120m台から南東に流れ落ちる支尾根の標高約1020m地点)

終端部から右上を見上げるとすごいブッシュだ。一瞬気後れしてしまう。それでもここを突破しなければ帰ることはできない。気合を入れてササ藪の中の小潅木をつかみ、目の前のブッシュを肩で押しのけるようにして這い上がる。しばらくして、尾根に乗っていることがはっきりとわかる頃、ブッシュは背丈ほどのササだけに変わり少し歩きやすくなる。見上げると空が見えるものの先は遠そうだ。一歩一歩確実に登る以外にない。稜線1120m台に登りつく。東北東の方角に隣のもう少し高いピーク1142mがあるはずだが良くわからない。

稜線上にはササ原の中に色あせたピンクテープが所々あり良い目印になる。全体的にほぼ下りであり、腰まであるササ原の足元にかすかに見える踏み跡を追って行く。しばらくして、黒ダキ山分岐1100m台に至る。

黒ダキ山分岐から黒ダキ山を経て下山林道(細見谷渓谷沿い)に至るまで、夏場に繁ったササと小潅木で歩きにくい。ただし、踏み跡をたどれば、ルートをたどるのに何の問題もない。なお、黒ダキ山の稜線上で、下山林道へ下山する地点(右折)にあった無粋な通せんぼ(長いピンクテープ)は無くなっていた。もちろん、ここを直進するルートも考えられるが、踏み跡はないはずだ。注意が必要だろう。

今日最後の下山林道(細見谷渓谷沿い)を通って帰る。出口の橋の上には通行止めのロープが張ってあった。瀬戸谷上部を周回する今日のコースをもう少し整備してみると、面白いルートになるかもしれない。ともかく、先回と今日で下山林道のすべてを歩いたことになり大満足。

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2001年11月11日

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十方山南尾根コース、往復
はじめての十方山である
(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

2001年11月11日(日)、単独

はじめに

2001年11月11日(日)、単独
十方山(南尾根コース)、往復
(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

今日のコースタイム:
登山口(30分)水場(30分)三つ倉1030m台(57分)十方山頂上
 小計1時間57分(実登850m)
十方山(1時間)瀬戸滝分岐(25分)瀬戸滝上部経由、登山口
 小計1時間25分
総合計3時間22分(十方山43分を除く)

登山口(標高520m)10:00-水場10:30-五合目(三つ倉1030m台ピーク下)11:00-十方山11:57、12:40-瀬戸滝分岐13:40-瀬戸滝 上部-登山口14:05

スピード違反です。どこか体調が狂ってるんでしょうか。通常は、登り2時間30分~3時間、下り2時間くらい、合計5時間(昼食タイムは除く)としてもよいくらいでしょう。

金曜日の段階では、昨日土曜日登山の予定にしていたが仕事の段取りが悪くて見送った。もしかしたら雨かもしれないからとあきらめていたのに予想に反して晴れてしまった。あきらめきれない気持ちが残る。

今日日曜日はどうだろうか。朝起きたのが8時前、寝過ごした。天気は快晴、雲一つない。さっそく飛び出すが駐車場はすでにいっぱいであった。相当の人数が入山している模様。予想通り何組もの人を追い抜いたりいっしょになったりする。広い頂上もお弁当を広げる人でいっぱいである。

頂上についてしばらくしてから少し雲と風がでてきたが、それほど寒さも感じない快晴である。近くの吉和冠山(先週登山)は言うに及ばず、この1年ちょっとで登ってきた広島市近郊の山々が手に取るように見える。また、瀬戸内海はおろか雲の上に四国・石鎚山系から西へ延びる山々が浮かんでいる。振り返るとこちらは日本海、沖に浮かぶ小島は見島(萩市)だろうか。

頂上手前では木々はすっかり葉を落としていた。

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2002年11月16日

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十方山南尾根コース、往復
雪のため、内黒峠縦走路(未登)を今回もあきらめる
(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

2002年11月16日(土)、単独

はじめに

2002年11月16日(土)、単独
十方山(南尾根コース)、往復
(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

先週、先々週と十方山を目指したが雪のため予定を変更した。今週は寒さも少しゆるみ加減で無事頂上に立つことができた。ただし、ここのところ目標にしていた内黒峠からのコースは残雪が心配で今回もあきらめた。

コースタイム:
駐車場(32分)水場(43分)三ツ倉下(49分)十方山頂上
 小計2時間04分
十方山頂上(45分)三ツ倉下(28分)水場(25分)駐車場
 小計1時間38分
総合計3時間42分(昼休憩1時間27分を除く)

駐車場9:11-瀬戸滝分岐(下)9:16-瀬戸滝分岐(上)9:38-水場9:43-稜線に乗る9:59-左手開ける10:07-前方に十方山10:19-小ピーク10:23-三ツ倉 下10:26-鞍部10:31-小ピーク10:36-雪を踏む10:53-笹原11:03-遭難碑11:06-十方山頂上11:15、12:42-遭難碑12:53-小ピーク13:12-鞍部13:22-三ツ倉 下13:27-稜線を外れる13:50-水場13:55-瀬戸滝分岐(上)14:04-瀬戸滝分岐(下)14:16-駐車場14:20

内黒峠コースは、先週見た雪の状態を考えると、今でも全コース雪を踏みながら歩かなければならないかもしれない。それに普段から登山者の少ないコースのようである。今回は最初から瀬戸谷コースに決めて家を出る。こちらなら登山者も何人かはいるだろう。

駐車場に着く手前で、どこかで見たような小型ジープが前を走っている。その車と駐車場までいっしょに入った。すでにマイクロバスや乗用車が数台止まっており10人近くが登山支度をしている。車の主がその人達に何かパンフレットを配って注意を呼びかけている。やはりそうだ。「日本ツキノワグマ研究所」の方で、この方が米田さんなのだろうか。

注意点の一つに、ごみを出さずに持って帰ってほしい、というのがあった。このあたりはクマの生活領域である。当たり前のことだけれども皆で気をつけたいものである。

ここ(標高520m)から十方山頂上まで標高差約800mくらいだ。途中で一旦下る個所があるので実登約850m位になるだろうか。決して楽な山ではない。山頂部の笹原まで出てしまえばあとは楽だが、その手前が一番きつい。

登り始めから水場までがその次にきつい。水場の前後でちょっとした岩場を通るが、そこを除けば三ツ倉まではゆるい登りや平坦な稜線が続く。後半に備えてゆったりと登ろう。なお、最初に瀬戸滝を廻ると本線にもどる登りがきつくなりすぎる。滝見物は下山の方がよいだろう。(今回滝はパスした)

ツアーの人達(マイクロバス)の前に出て歩き始める。途中で単独者2名がそれぞれ下山してくるのとすれ違う。7~8人のパーティに追いつき追い越した。頂上に着いてみれば誰もいない。それでも12時頃までには大勢の人達でいっぱいになった。

登る途中で雪の上を10分位歩いた。その前後も雪解けで道がぬかるんでいる個所があった。頂上には雪は無かったが地面は少し湿っていた。風が少しある。少し寒い。去年のような天気、展望(2001年11月11日)という訳にはいかなかったが 、かなり満足できる時間を過ごすことができた(各展望図参照)。

十方山最高点1328mピークの奥に、恐羅漢山~<砥石郷山>、さらにその奥に、<聖山>~<高岳>縦走路が入る。ただし、恐羅漢山はピークの陰に隠れて見えない。(旧羅漢山がピーク左手奥に見える)

そしてピーク右手には、今回も断念した内黒峠から十方山へ至る縦走路が大きい(丸子頭~前三つ倉~奥三つ倉)。その奥に芸北の山や比婆山方面あるいは大山まで見えるというのだが、今回は全く検討をしていない。立ち木の影響を考えたときどこまで見えるのであろうか。次回の楽しみである。

深入山の真後ろ、山頂すれすれに中野冠山(未記入)があるはずだが、実際に見えるかどうかは不明である。

奥三つ倉の右肩に<龍頭山>がある。その右に猿喰山~海見山~<堂床山>に至る稜線を認める。その手前にもう一つはっきりとした稜線がある。大丸峯の位置に三角形のピークを見たがどうであろうか。その他、阿佐北の山々の多くが見えているはずであるがほとんど山名を省いている。

手前大きな稜線のピークが市間山である。その左右それぞれ奥に<天上山>と<東郷山>がわかりやすい。天上山左奥のピークが<白木山>であろう。東郷山右奥に、<野呂山>(膳棚山)と<灰ヶ峰>のピークがかすむ。

<東郷山>の右奥に、<野呂山>(膳棚山)と<灰ヶ峰>、さらにその右に続く休山~三津峰山がうっすらと見える。それらの手前は海である。海の向かって左手前に我が<鈴ヶ峰>、右手前に阿弥陀山があり、その左肩に<安芸小富士>の三角錐が美しい。<古鷹山>もうっすらと確認できる。

鈴ヶ峰は双耳峰であることまではっきりとわかる。これだけ大きく見とおせるということは、逆に鈴ヶ峰から十方山を捕らえることは非常に簡単ということになる。(鈴ヶ峰310参照)

<東郷山>からは大きな肩が海の方へ張り出し(850m、869.8m三角点、860m台、810m台、の各ピーク)、窓ヶ山はその陰に隠れる(582mピークは、窓ヶ山稜線上のもの)。

なお、手前稜線上の立岩山(1135.0m三角点)も良い指標となる。

手前稜線上の立岩山(1091.4m三角点)を確認する。真後ろに<小室井山>があり、さらにその後ろが<弥山>(宮島)である。

しかし、ちょうど後ろにある大黒神島のピークと重なり、しかも大黒神島がかなり大きく頭を出す。したがって、いつも見ている弥山~駒ヶ林で作る双耳峰ははっきりしないはずである。今日見た双耳峰は大黒神島のものである可能性が高い。

宮島の左には、倉橋島、東西の能美島が複雑に重なり合っており同定はかなり難しい。

立岩山の右奥に<大峯山>が大きくわかりやすい。西大峯に加えて、大峯山右手前の北大峯まで見える。湯来冠山は確認しなかった。

市間山~立岩山と続いた稜線は、860.5m三角点で終了する。位置は、<大峯山>と女鹿平山の中間地点(角度)である。

この三角点の後ろに、中国自動車道の下り車線側に沿って南西に走る稜線がある。926.3m三角点(吉和インター付近)、859m、大槇山、968mの各ピークである。さらにその後ろに、篠原山、青笹山、板敷山がごつごつと連なっている。

これらの左手奥、<上勝成山>~<下勝成山>の位置に山影を認める。その左隣に三角形の頭を出しているのは、<傘山>で間違いないだろう。

南南西の方角に<吉和冠山>がありその姿はすぐにそれと分かる。吉和冠山と女鹿平山との間に、<羅漢山>と<鬼ヶ城山>がある。これら3山はほぼ一直線上に並んでいるのである。なお大分の山については確認できるほどの天気ではなかった。

登ってきた方角右手を見ると、京ツカ山~五里山にかけての稜線が大きい。五里山左手には、千両山、大神ヶ岳などを含む山塊が入り、千両山を頂点として大きく羽を広げたように見える。その千両山右手奥に安蔵寺山が大きくはっきり分かる。左手奥にもうっすらと山影を認める。弟見山、莇ヶ岳の方角である。

近くに座っていた男性が、あれは間違いなく”十種ヶ峰(とくさがみね)”だという。京ツカ山~五里山中間点ピークの後方で、安蔵寺山から右手に流れる稜線とその隣の稜線とでできる谷間に、大きな三角形の山が頭を出しているのがはっきりと分かる。

十種ヶ峰で間違いないだろう。驚いたことに、その左右には、遠く山口県西海岸近くの山まで見通せるという。

十方山最高点1328mピークの奥に、旧羅漢山~恐羅漢山~<砥石郷山>が入る。恐羅漢山はピークの陰に隠れて見えない。(砥石郷山の位置はピーク右手奥になる)

2002年11月16日山行記の一部として(未修正)

登ってきた方角右手を見ると、京ツカ山~五里山にかけての稜線が大きい。五里山左手には、千両山、大神ヶ岳などを含む山塊が入り、千両山を頂点として大きく羽を広げたように見える。その千両山右手奥に安蔵寺山が大きくはっきり分かる。左手奥にもうっすらと山影を認める。弟見山、莇ヶ岳の方角である。

近くに座っていた男性が、あれは間違いなく”十種ヶ峰(とくさがみね)”だという。京ツカ山~五里山中間点ピークの後方で、安蔵寺山から右手に流れる稜線とその隣の稜線とでできる谷間に、大きな三角形の山が頭を出しているのがはっきりと分かる。

十種ヶ峰で間違いないだろう。驚いたことに、その左右には、遠く山口県西海岸近くの山まで見通せるという。

2002年11月16日山行記の一部として(未修正)

十方山最高点1328mピークの奥に、旧羅漢山~恐羅漢山~<砥石郷山>が入る。恐羅漢山はピークの陰に隠れて見えない。(砥石郷山の位置はピーク右手奥になる)

2002年11月16日山行記の一部として(未修正)、未記入:佐田岬半島

市間山~立岩山~日の平山と続いた稜線は、860.5m三角点で終了する。位置は、<大峯山>と女鹿平山の中間地点(角度)である。

この三角点の後ろに、中国自動車道の下り車線側に沿って南西に走る稜線がある。926.3m三角点(吉和インター付近)、859m、大槇山、968mの各ピークである。さらにその後ろに、篠原山、青笹山、板敷山がごつごつと連なっている。

これらの左手奥、<上勝成山>~<下勝成山>の位置に山影を認める。その左隣に三角形の頭を出しているのは、<傘山>で間違いないだろう。

今後のために奥三つ倉方面を探索しておこうと歩き始めたが、完全に雪を踏んで歩かなければならない状態ですぐに引き返した。ただしかなりの足跡(人間のものと思われる)はついていた。内黒峠や水越峠を行き来した人達のものであろうか。それとも何か獲物でも探しに行ったか。

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2004年11月13日

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十方山南尾根コース、往復
那須ルート(再整備)を行きたかったのだが・・・
(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

2004年11月13日(土)、単独

はじめに

2004年11月13日(土)、単独
十方山(南尾根コース)、往復
(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

十方山に始めて登ったのは、2001年11月11日のことで、この時は瀬戸谷ルートを登った。その時の山頂からの大展望は忘れられない。四国の石鎚山や日本海の見島(萩市)まで見えたのだ。その後、内黒峠ルート(2003年05月24日)、水越峠への下り(2003年08月10日)などを楽しんできた。

最近、那須ルートが再整備されたらしいとの情報を得た。今回はそのルートを登ってみたかったのだが諸般の事情で出遅れた。那須~瀬戸谷を周回するとなると、なにせ一人旅のことゆえ、どこを出発点にするにせよ、一般道を7~8km歩いて元の位置に戻らなければいけない。次回の楽しみにとっておくことにしよう。

今日のコースタイム:
瀬戸谷登山口(27分)瀬戸滝分岐(18分)尾根(33分)三ツ倉ピーク
 小計1時間21分(途中休憩を加える)
三ツ倉ピーク(19分)大岩ピーク(24分)ササ原(11分)十方山
 小計54分
十方山(26分)大岩ピーク(12分)三ツ倉下
 小計38分
三ツ倉下(13分)尾根(15分)瀬戸谷分岐(18分)瀬戸谷登山口
 小計46分

登り、2時間17分(全ての休憩を加える)
下り、1時間24分
総合計3時間45分(駐車場所往復4分を加える、山頂大休止1時間49分除く)

出発10:16-登山口10:18-瀬戸滝分岐(下)10:23-標高700m10:39-支尾根突端10:43-瀬戸滝分岐(上)10:45、10:48-小滝(左手)10:51-沢渡る(水場)10:52-沢渡る(水なし)11:02-尾根乗り越す11:06、11:09-立岩貯水池をみる11:13-左を巻く11:20-尾根に乗る11:25-(左を巻く)-右前方十方山11:27-標高1000m11:36-三ツ倉ピーク下(5合目)11:37-三ツ倉遭難碑1030m台11:39、11:41-コブ11:47-少し登って平11:50-なだらか尾根11:56-だらだら登り11:58-大岩のあるピーク横12:00-平な場所標高1130m位12:09-コブ12:10-結構登る12:20-ゆったり登る12:23-笹原に出る12:24-右へ振る12:25-十方山12:35、14:24-遭難碑14:31-標高1100m14:48-大岩14:50-急下り終わり14:53-細い廊下14:55-三ツ倉下鞍部14:58-三ツ倉ピーク下(5合目)15:02-右へ巻く15:05ー尾根15:10-尾根15:12-尾根乗り越える15:15-沢渡る(水なし)-足場悪い下り15:21-沢渡る(水場)15:28-標高800m15:29-瀬戸滝分岐15:30-支尾根回り込む15:33-瀬戸滝分岐15:44-登山口15:48-帰着15:50

駐車場はすでに満杯、歩いて2分程度先の林道脇に車を止める。さっそく身支度を整えて登り始める。しばらくは尾根の東側をゆったりと行く。傾斜はだんだんきつくなり、尾根に乗ったところで瀬戸滝分岐を左に分けて右の急登を行く。やがてゆるやかな巻き道となり滝の音が聞こえてくる。

瀬戸滝からの道と合流して"カラ谷"に入る。小さなナメラ滝を見たり、ちょっとした岩場をこなしながら高度をかせぎ、934mピークを左手に見て主尾根を少し乗り越す。そのまま進んで、左手に尾根、右下にダム湖を見ながら狭い廊下に至る。

廊下を渡り、左からゆるやかに巻き上げて支尾根突端をまわり、一旦尾根に乗る。左へ少し下がり、もう一度尾根に乗ると、せまい尾根で両側が見える。右手十方山と市間山の谷間には、椎谷山~牛ヶ首山、龍頭山が見えているようである。そして、すぐに5合目(三ツ倉1030m台ピーク下)に至る。

現在の登山道はそのまま三ツ倉を右から巻いて直進する。三ツ倉ピークに向けて踏み跡が見える。今回初めて遭難碑のある三ツ倉に登ってみた。遭難碑は十方山に正面を向けて立てられていた。

三ツ倉から急下って廊下を渡り、緩急を繰り返しながら登る。登るにつれて木々の背丈が低くなっていく。最後に急登してササ原にでる。後は駆けるようにして山頂を目差す。

下山中の男女4人パーティから"60人目"と声がかかる。山頂で人数を数えてきたものと思われる。山頂に大勢の人が立っているのが見える。帰り支度をしているのかと思ったら、みんなで回りの山を展望している最中だった。

グループ毎に様々な地図を広げている。二万五千分1、二十万分1などがあるようだ。それにインターネットから・・・という声も聞こえる。ひょっとして私の"カシミール展望図"もその中に入っていたかな。実際にはまだそのような光景を目撃したことはないが。

私のカシミール展望図(十方山の部)は、今回かなりしっかりしたものに作り直しつつある。山行の友としてお役にたてるかも。

少し風がある。しかしそれ程寒さを感じることはない。小春日和のなかで、結局は防寒具をつけることもなく、十方山山頂で1時間49分の大休止を楽しむ。気がつけばいつの間にか、私を含めた単独者3名のみが取り残されていた。61番目に登ってきたと思われる人物をただ一人残して下山する。

山頂近くの木々はすっかり葉を落としている。下方部分でも紅葉は既に終わったおり、たくさんの落ち葉が登山道に積もっている。乾いた落ち葉に足を滑らせないように気をつけて下る。

下山口で車を待っている様子のグループがいる。複数の車を使って那須コースからの周回してきたのだろうか。皆の顔は立岩ダムの方を向いている。

2004年11月13日(土)山行記の一部として

十方山最高点1328mピークの奥に、(恐羅漢山)~<砥石郷山>、さらにその奥に、<聖山>~<高岳>縦走路が入る。ただし、恐羅漢山はピークの陰に隠れる。

そしてピーク右手には、内黒峠から十方山へ至る縦走路が大きい(丸子頭~前三つ倉~奥三つ倉~論所)。その奥に、ソフト上は比婆山方面あるいは大山まで見えるという 。しかしながら、手前縦走路上(前三つ倉~奥三つ倉)の樹木にはばまれて、毛無山・阿佐山・・・大山、吾妻山・比婆山を見ることはできない。

2004年11月13日(土)山行記の一部として

<天上山>の左側一つ手前の稜線 (721.7m~690m台~655.5m~766.1m・・・802m)が大きく、その後に、・・・780m~927m~天上山972.6mを見る。

稜線の一番底の向こうに、<牛頭山>~660m~580.9m三角点~590m台~本串山~525m縦走路をみる。その左奥に、<堂床山>~可部冠山~備前坊山がある。堂床山の右奥に、<天神嶽>・・<カンノ木山>~<鷹ノ巣山>が青くはっきり見える。 海見山(前図)~堂床山の後にもうっすらと山並を認める。ただし同定まではできない。

天上山左奥に、押手山~<白木山>~776m~798m~鬼ヶ城山、そして758mが広い裾野を広げている(各鉄塔までは確認できていない)。白木山の奥に、<鎌倉寺山>・・安駄山~763m~<高鉢山>がうっすらと見える。ただし、763mの三角は小さいがはっきりしている。さらにその奥にも山並が連なるが、同定までには至らない。

鍋山871.0m:市間山東北東

2004年11月13日(土)山行記の一部として

南南西の方角に<吉和冠山>がありその姿はすぐにそれと分かる。吉和冠山と女鹿平山との間に、<羅漢山>と<鬼ヶ城山>がある。これら3山はほぼ一直線上に並んでいるのである。なお大分の山については確認できるほどの天気ではなかった。

黒ダキ山縦走路:
990m台~黒ダキ山1084.7m~(屈折点)~1142m~(下山林道)~十方山

2004年11月13日(土)山行記の一部として

丸子頭の右奥に、<刈尾山>~<掛頭山>をみる。そのさらに右奥には、<大江高山>の青いゴツゴツがみえている。鷹巣山~<大佐山>が、山頂の立ち木を透かして見えているようだ。大佐山は、笹原を少し東に踏み出せばしっかりと見ることができる。 丸子頭の左奥、砥石郷山はきちんと見ていない。

2004年11月13日(土)山行記の一部として

前三つ倉の左奥に、<深入山>が草原の頭を出す。その真後ろに、<中野冠山>がある。
広島・島根県境:大平山(862.8m三角点)~小カブリ山(916m )~中野冠山~(一兵山家山)~920m台~939m~(来尾峠)~981.7m三角点~<天狗石山>~(三ツ石山1163.4m~西ドウゲン1217m~阿佐山1218.2m)。

天狗石山の左懐に<高杉山>があり、夫婦岩山(1042m)~井屋山(1013.5m三角点)へと連なる。

京太郎山(826.9m三角点)が中野冠山・・天狗石山の間に見えている。三瓶山はどうもはっきりしない。なお、手前縦走路の樹木の影響で、天狗石山右手の三ツ石山(1163.4m三角点)より右側は見えないようである。そして深入山あたりも見えるのは山頂部分のみである。

○○さんと来ると、隠岐島が見えると言い出すのでこまってしまう。そんな話し声が聞こえてきた。大満寺山は見えないことは確かだ。しかし、ソフト上は、鼻高山の左手奥に山影を認める。この中に隠岐島が含まれているのかもしれない。

松原山716.4m

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2008年04月12日

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2008年04月12日(土)、グループ
広見林道~コアカ谷~京ツカ山
(出発帰着:甲佐家屋敷跡)

はじめに

2008年04月12日(土)、グループ
五里山系:
広見林道~コアカ谷~京ツカ山
(出発帰着:甲佐家屋敷跡)

参考資料

  • 西村保夫さん山行記(2008年4月12日)
    「心に山と故里ありて」6年ぶりの京塚山三角点
  • 桑原良敏著「西中国山地」溪水社(初版1982年)五里山p.114-116

京ツカ山、五里山を始めとする県境主稜は平坦な山頂を持つ山々である。三角点のある京ツカ山1129.4m峯(Web作者注-1129.7mの誤記?)も小さな丘に過ぎないので、これらの山頂を目的に登るという人はほとんどいない。積雪期にスキー・ツアーに出かけたり、残雪期に吉和中津谷より〈オサカエ〉に出て、主稜を恐羅漢山までの縦走ルートとして通っているようである。無雪期は一面のササと潅木のヤブである。(中略)〈オサカエ〉から〈ボーギのキビレ〉まで独りで縦走するには、かなりの体力と気力が必要である。

桑原良敏「西中国山地」p.115

〈京ツカ山〉の三等三角点を踏んでみたいという人は、細見谷から〈トリゴエ谷〉を登降するのが最も容易である。広見側からは〈コアカ谷〉を登降するのがよかろう。この谷は樹林に覆われておりササが少ない。

桑原良敏「西中国山地」p.116

なお、上記谷名を記した図版原本を、桑原夫人のご快諾を得て、自著「細見谷渓畔林と十方山林道」各ページで転載させていただいている。

今日のコースタイム

甲佐家屋敷跡(26分)広見林道取り付き口(1時間11分)トチノキ(1時間35分)トチノキ(34分)稜線
 小計3時間46分
稜線(12分)トリゴエ谷鞍部(13分)京ツカ山
 小計25分(三角点探索7分を除く)
京ツカ山(35分)コアカ谷源頭
 小計35分
コアカ谷源頭(1時間25分)トチノキ(1時間12分)広見林道取り付き口(21分)甲佐家屋敷跡
 小計2時間58分
総合計8時間10分
 (稜線5分、三角点探索7分、京ツカ山山頂14分を加える、昼食46分を除く)

甲佐家屋敷跡6:44-作業小屋6:56-コアカ谷7:10-渡渉作業7:32-出合7:37-小休止7:47-アシウスギ8:19-トチノキ8:21-小休止8:44、8:55-少し平になる9:11-右岸植林帯9:13-沢伏流9:22-岩の下轟音9:29-ジェット騒音9:31-平部分、右手小谷9:33-小休止9:38、9:42-トチノキ9:56-恐羅漢山を見る10:18-稜線10:30、10:35-トリゴエ谷鞍部10:47-山頂部11:00-三角点発見11:07、11:21コアカ谷源頭11:56、12:42-左から谷13:12-植林帯13:20-右下へ13:23-小休止13:30、13:40-トチノキ14:07-アクシデント14:25-右手沢あり14:41-広見林道15:19甲佐家屋敷跡15:40

広島組集合

西村保夫さん(山毛欅の森の詩)から、五里山系ヤブ漕ぎのお誘いを受け、同行(記録係として)させていただくことになった。

西村さんとは、細見谷・小型サンショウウオ観察会&調査(2002年8月10日)でご一緒しながらすれ違って以来、山の中や勉強会等で幾度となくニアミスを繰り返し、その度にメール交換をするというお付き合いが続いていた。今日やっと念願がかない、いわゆるオフ会となった訳である。

西村さんの他に、谷本さん(装備担当)、奥本さんが加わり、西村さんの車に同乗して、国道186号沿いの旧吉和村大向(美濃木神社-地形図記号あり-の横)から林道大向長者原線に入る。この林道は、2007年春に全線開通したりっぱな舗装道路となっている。オセキガ峠(標高920m台)を越えて下ると、同じく国道186号の旧吉和村中津谷から北西に延びる国道488号と合流(標高820m前後)する。

今日は、この488号がここまでの区間で道路崩壊のため通行止めになったため、林道大向長者原線に迂回したのであった。ただし、通常の場合でも、ここまでは狭い国道488号を無理して通るよりも、この林道を通ったほうがよほど快適である。

さて、国道488号に合流して概ね北をめざす。すぐ右に十方山林道を分けて進み、御境(おさかえ、標高960m台)を越えると、広見川に向かって急傾斜の山腹を斜めに下って行く。三桁国道の典型、実に狭い道路である。対向車が来たらどうやってすれ違うのだろうか。とても自分では運転できそうもない。

道路右手の山側斜面は、切り取ることもできない程の急斜面となっている。反対側の谷を見ると、この道路には石を積み上げて造っている箇所がいくつもあることが分かる。

甲佐家屋敷跡(島根組合流)

国道488号は、広見川合流点まで下る(標高620m台)と、その広見川に沿ってさらに下るため鋭角に左折する。道路右側に駐車スペースがあり、ここを今日の出発点とする。

ヘアピンカーブの内側には、甲佐家屋敷跡の石碑が建っている。広見地区のこの地に屋敷を構えていた関係者が記念に建てたものである。広見地区は、かつて林業で栄え最盛期には80戸が暮らしていたという。しかし、サンパチ豪雪(昭和38年、1963年)を境に離村が相次ぎ、昭和45年に消滅した。

旧広見小学校校舎跡(廃屋)が、国道488号をもう少し下った所に今でも残っている。この校舎は、恐羅漢山スノーボーダー男性7人遭難事件(2008年2 月3日~5日)で、彼らが二晩を過ごし命拾いをした場所として有名になっている。後日の中国新聞記事によれば、その時の焚き火跡も黒く残っているという。

さて、出発地点で、田中幾太郎先生と同行女性一人が島根側から加わり、今日のパーティ合計6名が勢揃いする。田中先生(益田市在住)は、元中学校理科教師であり、ツキノワグマ研究家でもある。田中先生には、我が著「細見谷渓畔林と十方山林道」P.049で、御著「いのちの森・西中国山地」光陽出版社(1995年)から引用させていただいた。その他、十方山 ・細見谷大規模林道問題に関する勉強会等でお教えいただいた事柄をいくつか書き込んでいる。

広見林道からコアカ谷へ入る

今日の当初の予定は、「二軒小屋~十方山林道~マゴクロウ谷~ボーギのキビレ(横川越)~分水嶺(広島島根県境)~京ツカ山」であったが、マゴクロウ谷の水量が多く渡渉困難であろうとして、反対側のコアカ谷から登ることになった。

リーダーは田中先生である。出発にあたって少しお言葉があり、その後、田中先生を先頭に広見林道(未舗装)を北東に向かう。途中左手のヒノキ林の中に、石組みの平な面が段々に続いており、その中の一つに「中の本家屋敷跡」の石碑が建っている。広見地区の住居跡である。ヒノキは、住民が離散した後に植林されたもののようである。

作業小屋を過ぎ、左手に半四郎山登山口を分けて進み、コアカ谷にかかる小赤谷橋(昭和43年10月竣工)を渡ると、標高は690m前後となる。「山歩き」のKさんは、2005年5月8日の山行(イビセン谷…ヨコガ谷…コアカ谷…京ツカ山)で、コアカ谷を登っている。GPS軌跡によれば、ほとんど沢の中を進んでいるようである。

さて我々は、コアカ谷右岸の少し尾根状になった場所に踏み込む。潅木の中を少し行くと、炭焼きの石組みが残っていた。今までも幾つか見たことのあるものと同じで、直径数mにわたって地面を少し掘り下げ石で囲んだものである。

しばらくして右手に進み、水量豊富な沢に近づいた。その後、歩きやすい方の沢岸を行くために、何度か渡渉を繰り返した。渡りにくいところでは、河原の石を置き直したり、木を切って杖の代わりにしたり、長い枝を川に渡して手摺り代わりにしたりと、田中先生はよく切れるノコギリを使って大忙しである。70歳に手が届く年齢になって益々お元気な田中先生であった。

コアカ谷は、左横に844mピークを見るころから一層傾斜がきつくなり、山頂手前からやや緩やかとなる。小休止の度に振り返ると、半四郎山が大きく、その左奥に向半四郎、右奥に広見山、そして最後には、旧羅漢山そしてその後に本羅漢(恐羅漢山)までも頭を出すようになる。

コアカ谷は伐採されている。時々潅木が行く手をさえぎるものの、通行に著しい困難をきたすことはない。そうした中で、トチノキの大木が2本残っていた。左手844mピーク下の標高概略800m(幹周り4m57cm)、標高1070m付近(幹周り5m00cm)の2本である。いずれも左岸にある。

上のトチノキには、小穴(空洞-ウロ)が空いており、顔を近づけると冷たい風が吹き下ろしてくるのが分かる。ちょうどクマが冬眠するのによさそうな空洞である。しかし、穴の位置が低すぎる(地上1m以下)のでクマが入ることはないだろうという。なお、トチノキは今まであまり材として重要視されることがなかったため、この辺りで巨樹として残るのはトチノキが多いそうである。

小休止8:44で進行方向173度。左手に小さな沢があり、左手尾根はヒノキ+スギ植林帯となっている。出発後、右岸に渡り雪の側を上がる。左岸に移り、やがて雪を踏んで歩くようになり、沢は雪の下にもぐって伏流水となる。しばらくすると、岩の下から轟音が聞こえてくるようになる。伏流水が流れる音である。それらにまじって、空からはジェット戦闘機のものらしい爆音も聞こえる。米軍の演習は西中国山地で行われることが多い。

右手小谷9:33(標高950~960mくらい)は、一本西の谷であるジョシ谷へ至るものである。左へもほんの小さな谷が分かれているように見える。稜線下で水が少し流れている箇所がある。手に一滴づつ溜めて飲む。うまい。その側で、バイケイソウ(コバイケイソウ?)がある、と一人が指差して言う。

我が著「細見谷渓畔林と十方山林道」P.144-152では、堀啓子「十方山林道周辺の植物」(『峠』No43:88-96、広島山稜会(2007.3.31))を、広島山稜会および森と水と土を考える会のご了解を得て転載している。(注:峠-たおと読む)

その中のリストに、バイケイソウが記載されている。「山に咲く花」山溪ハンディ図鑑2、山と溪谷社(1996年)P.470-471では、分布は北海道、本州(中部地方以北)となっている植物である。上記本では、コバイケイソウの分布域についても全く同じ記載内容となっている。ただし、私には両者を識別する能力はない。

広島・島根・山口三県境付近は、西中国山地の中心であり、また日本列島の尾てい骨という表現もされている。北に連なる植物の中には、この地域が分布の南西限となっているものも多い。

クマの皮はぎも見た。大きなスギの木の胴周り半分くらいが、高さ1m以上に渡って、するどい爪で引っ掻かれている。蜜を吸うためのものだという。我が著「細見谷渓畔林と十方山林道」P.110では、「植えてから20~30年物が被害に遭いやすいというが、もともとクマは針葉樹には興味がなかったはずなのだが」としている。 しかし、クマは針葉樹の蜜にはかなり興味を示すようである。

縦走路~京ツカ山三角点(往復)

稜線には、見上げる沢のやや右手を這い上がった。標高1140mくらいの位置だろう。そこから230度に丸いピークを見る。1158mである。めざす京ツカ山1129.7mは、その右手前にあるはずだが、現在位置より少し低く藪の向こうに隠れている。

稜線上では、チュウゴクザサが密集している。その中を一列になって押し進む。やや右手へ回り込んで、左へ巻き込みながらゆるやかに下ると、トリゴエ谷の鞍部に至る。ミズナラの高い木が何本もあり、見上げるとクマ棚、そしてまたクマ棚、まさにクマの採食場(楽園)である。帰りの登山道上では、小さな黒いクマの糞も見つけた。昨秋のものが雪の下で保存されていたものという。体重50~60kgくらいのクマのものだろう、あまり大きなクマではないともいう。

京ツカ山山頂部に至る。京ツカ山には五里山系唯一の三角点がある。ここまで来たら、何はともあれ、その三角点の石柱を見つけなければ。ところが、あたり一面の藪である。しかも、山頂部はだだっ広い。どこが一番標高が高いかも定かでない。それでも粘って、やっと三角点を見つけることができた。縦走路上近くにある松の木の南西方向になる。

三角点から数メートル離れた所に標識がある。社団法人日本山岳会創立100周年記念事業の一つである「中央分水嶺踏査」時のものだという。京ツカ山付近の調査は2005年3月20日に行われており、報告書によると、京ツカ山の三角点は「積雪2mのため未確認」とある。GPSで確認した位置にプレートを付けたもののようである。GPSには数メートルの誤差があるとされている。その意味では、非常に正確に歩いていることになる。

昼食は、コアカ谷源頭にあたる標高1140m台の小ピークまで引き返してとった。装備係の谷本さんが鎌を取り出し、ササを刈って皆の坐る場所を確保する。実は、翌日曜日は雨が降りそうだということで、予定を一日繰り上げた。うす雲はあるものの晴天、寒さを感じることはない。360度の大展望のなかで、ゆったりとした時間が流れていく。予定変更は大正解であった。

カシミール展望図を描くならば、京ツカ山よりもこちらの方がよい。吉和冠山、寂地山、額々山などの広島・島根・山口三県境付近(日本列島の尾てい骨)をはじめ、いつまでいても見飽きない風景が広がっている(展望図未作成)。冠山の左裾稜線上には、クルソン岩が飛び出してはっきりと見えている。そして、北東から南東にかけて、眼前には、細見谷の向こうに十方山~十方山南西尾根が大きい。

コアカ谷左岸尾根を下る

下山開始、雪を踏んで下る。雪が緩んできたせいか、足を踏み抜く回数が多くなってきた。ほとんど全員が踏み抜いている。深いときには膝まで埋まってしまう。 雪の下は小さな岩海状態になっているようである。足を痛める危険性が高い。西側の尾根に逃げて下る。下の大トチノキの所で再び沢へ下りる。

途中アクシデントがあり、西村さんが三角巾を取り出す。左手首の骨折かもしれない。谷本さんがノコギリで適当な長さに木を切り、負傷者の左手に添えて西村さんが包帯をまく。奥本さんには、歩き始めてまもなく、帽子のつばなどに貼る虫除けシールを分けてもらった。皆さん用意がいい。

私はいつもの無手勝流である。今回は、ヤブ漕ぎということで、スパッツ、軍手必須の連絡をいただいていた。スパッツは、普段全く付けることはない。登山前の装着から手間取ってしまった。締め付け器具の使い方を間違えていたのだ。歩き始めて2時間くらい経って、やっとそのことに気がついたという始末である。

そうした私に、帰りの車の中で、来春3月に同じメンバーで二軒小屋から登りましょうとお誘いを受けた。ヤブが雪の下に埋まる時期の方が歩きやすいのだそうである。一日楽しませていただいた上にありがたいお話である。

西村さんには、我が著「細見谷渓畔林と十方山林道」P.119でご登場いただいている。そして、その我が著をホームページで大きくご紹介いただいている。西村さんにも「山毛欅の森の詩」ブナの森出版(2003年)があり、互いの著書を交換している。

十方山・細見谷大規模林道問題を考える

帰り道、十方山林道の吉和西側を見るため、車を止めてもらい、皆で歩いた。
2006年11月に着工(拡幅舗装工事)した部分は既に完成している。きれいに舗装され、超急斜面の法面には茶色の土が吹き付けてある。草の種がいっしょに吹き付けてあるはずだが、うまく付くだろうか。コンクリート壁にはなっていないようだが、大雨などで崩れることはないのだろうか。

実は、林道の拡幅舗装工事は、入口からしばらく入って右に曲がった所から始められている。したがって、入口からは工事の実態がよく見えないようになっている。また、廿日市市ホームページ内「緑資源幹線林道事業」のページでは、今日現在でも、〈平成18年度吉和西側3.7キロと二軒小屋側3.8キロの拡幅部分の一部に工事着手予定〉となっており、工事が実際に着手されたことを市民に広報することさえ怠っている。

緑資源機構は廃止と決まっているはずだが、細見谷大規模林道工事は、まだ中止と決まった訳ではない。大規模林道工事そのものはどこへ行くのであろうか。今後の動向を注意深く見守る必要があるだろう。

田中先生は、「十方山林道(細見谷林道)は地道(未舗装)のまま残した上で、通行止めにして、自然観察などで活用すべき」との持論を改めて強調された。そのとおりだと思う。森と水と土を考える会では、今年も各種のイベントでそのことを訴えていく予定にしている。

田中先生には、細見谷のことを始め、今日一日を通して多くのことを教えていただいた。上記文章中では、その都度お名前を明記していない箇所も多く含まれている。

コアカ谷とは、小赤谷(小さな赤い谷)であり、その昔このあたりに鹿が多かったころ、その鹿を捕まえて解体するときに出た赤い血を意味するという ことも教えていただいた。鹿鉾 (しかほこ)という道具が使われており、田中先生の30歳台のころには、古老からそうした話を直接聞く機会もあったそうである。

そして、大赤谷とは、かつての匹見・吉和往還のうち、ボーギのキビレ(横川越)に至る匹見側の谷をいう。田中青年が幾度となく通ったその道も今はほとんど消失しているらしい。

広島・島根県境のこの辺りの尾根には踏み跡すらない。もちろん道標もない。歩ける人が歩ける時に歩いて楽しめる自由な空間があるだけである。細見谷大規模林道工事が中止になり、この辺り全体が保護地区になったとしても、入山規制をするといったことはしないでほしい。

白神山地は世界遺産登録後、入山規制をめぐって意見の対立が続いている。広島・島根県境のこの地域は、入山規制などしなくても入れる人しか入らない山域である。 遊歩道などつけることなくこのままの状態で残して、クマの楽園(サンクチュアリー)として静かに見守ってやることが一番と考える。

安芸国佐伯郡の山々

中四国地方の百名山は、大山(鳥取)、石鎚山(愛媛)、そして剣山(徳島)の三座しかない。西中国山地は、百名山(深田久弥)のみならず、二百名山(深田クラブ)にも入らず、さらに三百名山(日本山岳会)からももれている。それでも人々をひきつけてやまない何かがある。

広島・島根県境尾根は、私が今最も関心を持っている「安芸国佐伯郡の山々」(瀬戸内海から西中国山地まで)に含まれていることに改めて気が付いた。そこで、分水嶺ヤブ漕ぎ個人登山をやってみたくなった。少しづつ進めば何とかなるだろう。

こうして、今日また一つ楽しい思い出が加わり、夢を広げることのできた有意義なオフ会であった。感謝!!

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2008年03月29日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 呉線の山々トップページ

神峰山(大崎上島)
(出発帰着:かもめ館)

2008年03月29日(土)、EIKO

はじめに

2008年03月29日(土)、EIKO
神峰山(大崎上島)
(出発帰着:かもめ館)

2008/05/01中国新聞記事
国土地理院読み方を変更
「しんぽうざん」から「かんのみねやま」へ

紫雲丸事故
かつて四国高松港沖で紫雲丸事故が起き、修学旅行中であった木江南小学校(現・木江小学校)の児童・教師も多数遭難死した。
(「宇高連絡船・紫雲丸(団塊の世代一代記)Akimasa.Net」)

今日のコースタイム

出発(38分)七合目展望台(37分)石鎚神社(10分)神峰山
 小計1時間33分(七合目2分、石鎚神社6分含む)
神峰山(11分)石鎚神社(21分)七合目展望台(30分)帰着
 小計1時間02分
総合計2時間35分(山頂部53分除く)

かもめ館10:56 -展望11:25、11:30-ベンチ11:30-七合目展望台11:34、11:36-小コブ巻く11:42-竹原方面開ける11:44- 展望台まで400m11:49-休憩11:50、11:54-平らな部分11:56-首なし地蔵11:57-水地蔵(この奥)11:58-石鎚神社12:13、12:19-神峰山12:29、13:22-展望台13:28、13:32- 石鎚神社13:33-小コブ巻く13:50-七合目展望台13:54-ベンチ13:58-コンクリート道14:16-神社14:20-登山口14:22-かもめ館14:24

木江港交流倶楽部「かもめ館」に駐車する

竹原~大崎上島(垂水・白水)フェリー、山陽商船株式会社で、竹原から乗船して白水で下船する。現地をめざす。西海岸から東海岸に移り、少し南下する。木江港交流倶楽部「かもめ館」があり、駐車スペースがある。

金剛寺境内から登る

かもめ館から北へ少し歩いて戻ると、頭上に金剛寺がある。階段を登ると境内である。みると金剛寺とかもめ館の塔の間に歩道橋がついている。ここを行き来することができるらしい。

さて、境内の右横から手摺のついた簡易歩道を行く。しばらくすると、落ち葉が分厚く堆積した山道となる。クヌギ、コナラ。そこを越えると、まさ土の両側にコシダが多い。

登るほどに展望が開け、振り返ると瀬戸の海が美しい。山頂部は常に左手谷側の向こうに見えている。つまり、山頂へは、右手尾根から左へ回り込む形となる。

石鎚神社展望台まで登れば、後は平坦な山道である。石鎚神社をほんの少し行ったところにある展望台のながめもすばらしい。四国がうっすらとみえる。石鎚など雪をかぶっているようだ。しまなみ海道もみえる。

五百羅漢の石仏の表情を楽しみながら、山頂に達すると、ほぼ360度の展望である。登山マップ「神峰山へ登ろう」大崎上島町観光協会によれば、115の島々が展望できます、となっている。

紫雲丸事件

薬師山(大三島)手前の海上を、同型船同士がすれ違っている。互いに左舷と左舷を向き合わせてすれ違っている。右側通行である。かつて四国高松港沖で紫雲丸事故が起き、修学旅行中であった木江南小学校(現・木江小学校)の児童・教師も多数遭難死した。金剛寺の下、自動車道脇には天祐丸溺死者追悼碑もある。

大崎上島は、昔から海上交通の要衝として栄えた島である。観光スポットとして、海と島の歴史資料館「大望月邸」がある。昔栄えた造船業やみかん産業はすたれ、最近では、長島にある中国電力・大崎発電所(2000年運転開始)が新しい産業に加わっている。山頂部からは、長島大橋や大崎発電所の白い巨大煙突を見ることができる。

フェリーの便数が少ない

翌日雨の中を、呉まで島伝いに帰ろうとして、フェリーで大崎下島に渡った。そこから、豊島まで橋を渡り、上蒲刈島までのフェリーに乗ろうとしたが、便数があまりにも少なく時間的に待てない。大崎上島経由で竹原まで戻った。

紫雲丸記念館(木江小学校)や御手洗(大崎下島)など、いつか時間を作ってゆったりと見て回りたいものである。・・・EIKOのデジカメを使用した。時間が少しずれているようだ。

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2008年08月11日

Akimasa Net
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2008年08月11日(月)、単独
牛小屋高原~恐羅漢山~夏焼峠
(出発帰着:牛小屋高原)

はじめに

2008年08月11日(月)、単独
牛小屋高原~恐羅漢山~夏焼峠
(出発帰着:牛小屋高原)

恐羅漢山登山

今日の予定は、旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根 (旧羅漢山~カマノキビレ~ジョシのキビレ)を下り、三本栃や広見林道との位置関係を確かめることとしていた。

最初こそ調子が良かったものの、すぐにバテてしまい、なんとか恐羅漢山に這いあがる。そこから旧羅漢山を往復する気力すら湧かず、恐羅漢山からの展望を楽しんでそのまま下る。

下りは夏焼峠経由とした。恐羅漢山~夏焼峠をとおして歩くのは、初めての恐羅漢山2001年11月17日(恐羅漢山~夏焼峠~砥石郷山)以来である。(台所原~管理林道~稜線~夏焼峠は幾度か歩いている)

今日のコースタイム:
牛小屋高原(29分)地蔵(35分)恐羅漢山
 小計1時間07分(地蔵3分を加える)
恐羅漢山(39分)夏焼峠(22分)牛小屋高原
 小計1時間02分(夏焼峠1分を加える)
総合計、2時間09分
 (恐羅漢山1時間19分を除く)

牛小屋高原9:16-第1リフト9:27、9:29-(樹林帯)-再びゲレンデ9:33(樹林帯抜ける)-第2リフト横9:37-ジグ登りきる9:41-地蔵9:45、9:48-(樹林帯)-休憩9:53、9:58(ブナ手前)-休憩10:00、10:04(ウリハダカエデ)-涸れ沢10:09、10:11-登りきる10:16-国設スキー場分岐10:17-稜線分岐10:18-台所原分岐10:22-恐羅漢山10:23、11:42-牛小屋高原分岐11:46-管理林道分岐12:08、12:10-夏焼峠12:21、12:22-牛小屋高原12:44

牛小屋高原で、車の温度計は24度を示している。渡る風にはすでに秋の香りただよう、といえばおおげさだが、冷たく気持ちよい。しかし、直射日光は刺すように痛い。

ゲレンデは順調に登った。と思われたが、後でコースタイムを比較すると、第2リフト横から上ですでにペースが落ちている。ゲレンデ最上部の地蔵で少し休み、樹林帯に入る。風は吹くものの、尾根の西側やや下を行く登山道まで吹き降ろしてはこない。

地蔵からはゆったりとした道が延びている。それにもかかわらず、休憩を2回とる。ブナの大木手前と、あと1回は、ウリハダカエデが登山道上で根曲がりをおこしている所に腰掛けて休んだ。その後、涸れ沢を越え、小さな尾根を乗り越えて行く辺りがきつい。

やっと急坂を登りきり、国設スキー場分岐を過ぎ、稜線に乗る。ところが、いつまでたっても台所原分岐がこない。たった3~4分の距離なのに。完全に出来上がってしまったようだ。

上半身びしょ濡れ、ズボンは腰まわりはいうに及ばず、膝頭周辺が汗で湿っているのにはびっくりした。

恐羅漢山展望記

恐羅漢山からは、かなり遠くまで見通せるようだ。少し霞む天気で、そのため反って山並の重なり具合がよく分かる。即座に展望派に鞍替えをする。

今日はよく見たと思ったが、恐羅漢山展望図(Akimasa.Net)2005年05月28日(土)の方がずっとよく見えていたようだ。ただし、聖山~高岳の方角の木を切ったのだろうか。今日は、高岳のさらに左側が、以前よりもよく見えているように感じた。(その部分は未検討)

広島・島根県境尾根

恐羅漢山(広島・島根県境)から、登ってきた方角の右手を見下ろすと、砥石郷山がある。その左横奥に、聖山~高岳(恐羅漢山から続く広島・島根県境尾根)の二つの山が大きい。聖山~高岳の右横奥(砥石郷山の左奥)には、苅尾山の双耳峰が美しい。 砥石郷山の右奥に、深入山(1105mコブ付き)がある。

角度としては、左から右へ、高岳(3)、聖山(2)、苅尾山(5)、砥石郷山(1)、深入山(4)の順番(カッコ内は、恐羅漢山からの距離、近い順)である。そして、それらの後ろを、広島・島根県境尾根が延びている(鷹巣山~大佐山~大潰山~雲月山~中野冠山~一兵山家山~天狗石山 ~阿佐山)。

鷹巣山:高岳~聖山の奥にあるピーク
大佐山:聖山の右奥で一番高いピーク
大潰山:大佐山・・苅尾山のほぼ中間点
・左手前には、二川キャンプ場北側998.4mの小尾根がある
・右裾奥には、雲月山から中野冠山に至る尾根(882mなど)が見える
・その位置は、苅尾山の肩(1212m~1050m台)の上である
・その尾根の後ろに、大江高山が入る
(苅尾山の左奥、苅尾山とほぼ同じ高さ)
雲月山:大潰山より左の位置、大佐山と大潰山のほぼ中間点に頭を出す
中野冠山:苅尾山右奥(砥石郷山の右奥)の盛り上がり、右ピーク
一兵山家山:苅尾山右奥(砥石郷山の右奥)の盛り上がり、左ピーク
・これらの奥(わずかに左奥)に、三瓶山が入る
天狗石山:砥石郷山・・深入山のほぼ中間点
・984.9mピーク(苅尾山の東南東、橋山川の向こう)の左奥
・このピークほんのわずか左奥に三石山(1163.4m)、天狗石山の右
・天狗石山手前(わずか右前)に高杉山があり、区別がつきにくい
阿佐山:深入山北北西のコブ(1105m)の後ろ
・阿佐山は右後ろ、西ドウゲン(1217m)は左後ろ

今日は、大江高山、三瓶山を見ることはできなかった。
天狗石山、阿佐山も山並をかろうじて認める程度。

高岳のほぼ真後ろ(わずか左奥)に、金木山を見る。金木の右奥(高岳の右奥でもある)に、島ノ星山470.1m(都野津)が今日もうっすらと見えているか。

阿佐山~畳山~熊城山~櫛山~桶佐毛山~椎谷山~牛ヶ首山

深入山の右に、向山(1065.8m)がある。そのさらに右には、サバの頭(1073m、三角形)~内黒山が延びる。向山の右後ろに、大箒山があり、その稜線が向山をすっぽり覆って裾野を広げ、さらにサバの頭の上から内黒山の上まで延びているように見える。それらの山並のさらに後ろを、阿佐山から続く尾根(畳山~熊城山~櫛山~桶佐毛山~椎谷山~牛ヶ首山)が走る。

畳山:深入山の右横上
熊城山:940mピーク(向山左奥)の左奥
・940mは、大箒山近くのピークで、ポコンと高く盛り上がって見える
櫛山:940m・・向山の後ろ、やや940m寄り
桶佐毛山:向山のほぼ真後ろ(ほんの少し左奥)
椎谷山:向山・・サバの頭のほぼ中間点(特徴のある三角錐)
牛ヶ首山:サバの頭の右奥上のピーク

牛ヶ首山の右横に、龍頭山(第3列)がうっすらと続いて見える。その位置は、サバノ頭~1068m(第1列)でできる谷間の向こうである。龍頭山の右前、 1068mの真後ろに、五輪山(第3列)のラインが新たに入る。同じ山並の右手には、大丸峯~775mの三角形が二つ見える。大丸峯の位置は、内黒山の左奥、775mは、内黒山のほぼ真後ろ(ほんの少し右奥)である。それらの手前(第2列)のライン(大箒山から続いているように見える)は、内黒山の上から 1166m左まで延びる(百々山や正教山が、内黒山~1166mの間に入る)。

大丸峯の右奥、内黒山のほぼ真後ろ(やや左奥)に海見山~片廻山があるはずだが、霞の中に消える。

内黒峠~十方山縦走路

内黒山の右手前に、1166mピークが大きく、そこから十方山に向けて縦走路が延びる。1166mを過ぎ、いったんワル谷キビレに下る。そして、彦八の頭を越えて、もう一度下る。カサゴヤキビレである。その後、1152m~小コブ(1150m台)を経て丸子頭~前三つ倉まで少しづつ登る。そこからいったん少し下り、奥三つ倉~(論所)~十方山(1328m)に至る。十方山三角点は1328mの後ろとなり見えない。
・1166mは、内黒峠~十方山縦走路の最初のピークであり、その中腹には、広島県道252号(恐羅漢山公園線、内黒峠~二軒小屋)が見えている。

1166mの真後ろは、堂床山かそれともそのさらに後ろの鷹ノ巣山まで見えているのか。1166m~彦八の頭の間(ワル谷キビレ)の向こうに、戸河内インター東側の尾根(721.7mなど)。彦八の頭の真後ろの山並は同定できない(久地冠山、笹ヶ丸山などのはず)。彦八の頭の右奥に、天上山が大きくせりあがる。その左裾奥に頭を出すのは、阿武山か。丸子頭の左奥に市間山がある。市間山の尾根が丸子頭に覆いかぶさり、その左裾は1152m~丸子頭の上をはっている。1152m右の小コブ(1150m台)のわずかに右奥(市間山尾根1030mの左奥)に東郷山を見る。東郷山の懐には、天上山から続く尾根が長く延びている。

十方山(1328m)と旧羅漢山の間に、板敷山、女鹿平山、羅漢山などが見えているようである。吉和冠山は、そのさらに右手で樹木に隠れるか。(前三つ倉から右は、樹木がうるさい)

子ども連れの若い男性に会う

ほぼ展望を楽しみ終わったころ、若い男性が子ども(6歳)を連れて登ってきた。写真を頼まれお手伝いをする。この辺りの山は初めてのようである。冠山は?と聞かれた。たぶん見えないはずと答えた。 この山行記を書いている途中で、以前、「樹間に吉和冠山を見たと書いたことがあったかもしれない」と思い直した。いつかもう一度確認してみよう。

彼らは夏焼峠から登って来たという。風は冷たく日が当らないので涼しかったがマムシを5匹も見たという。ゲレンデ直登コースではどうだったですかと聞かれた。マムシは1匹も見ていないと答える。もっとも目が悪いせいだろう。夏焼峠までの下りでも、1匹も見つけることはできなかった。

夏焼峠に下る途中で、件の道標がたっていた。現在位置:早手のキビレ(台所原40分、夏焼けのキビレ15分、恐羅漢山頂50分)。もしやと思い、帰りに二軒小屋から恐羅漢公園線に入ってみた。やはり道標があった。現在位置:藤本新道登山口(十方山頂3時間10分、二軒小屋10分)。恐羅漢山でお話をした男性は、例の恐羅漢山スノーボーダー遭難事件の時に、一番最初に彼らに接触したグループに近い人だった。興味深い話をいくつか聞いた。

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2008年04月26日

Akimasa Net
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2008年04月26日(土)、単独
恐羅漢山~台所原~〔カメイ谷(33曲り、亀井谷奥橋)~鳥越~中ノ川山〕周回~台所原~管理林道~夏焼峠
(出発帰着:牛小屋高原)

はじめに

2008年04月26日(土)、単独
恐羅漢山~台所原~カメイ谷
牛小屋高原~立山ゲレンデ~恐羅漢山~台所原~カメイ谷(33曲り、亀井谷奥橋)~亀井谷林道~鳥越(岩倉山分岐)~中ノ川山~台所原~管理林道~稜線~夏焼峠~牛小屋高原
(出発帰着:牛小屋高原)

注:2008年10月25日山行記による注釈の最新版は11月14日付け

先日、広見林道を歩いた折に、半四郎山登山口の標識を見た。「山歩き」の”Kさん”は、広島県側から県境尾根を越えて、広見山~半四郎山を登って帰ってきている。できることならば自分でもそうしてみたい。何せ、国道488号で広見林道へ入ることは自分にはできそうもないから。

ただし、その為には、恐羅漢山~旧羅漢山の向こう側である旧匹見町の土地勘が必要となる。今日はその第一弾として、〈台所原~33曲り~カメイ谷〉のルートを確認してみることにした。

カメイ谷は以前一度、台所原の向こうで上から少しのぞいたことがある。2006年08月20日(日)広島山稜会、恐羅漢山~(台所原)~管理林道~夏焼峠 (出発帰着:牛小屋高原)のことである。その時には、台所原から踏み込んですぐに左手の小谷を急下り、川筋が見える位置まで下って引き返した。

さて、広島県側から出発してカメイ谷を下(亀井谷奥橋)から登るとすれば、〈中ノ川山近く~鳥越(岩倉山手前)~亀井谷林道~亀井谷奥橋〉ルートを取ることになる。 ここで問題となるのは、カメイ谷をうまくさかのぼれたとして、もしも、33曲りの取り付きがわからなければ、広島県側に帰って来ることはできなくなってしまうことである。そこで今日は、33曲りの落ち口だけでも確認できればよしとして、まずは台所原 ~33曲りルートでカメイ谷に下ってみようと考えた。

首尾よく33曲りからカメイ谷に入ることができたので欲が出てきた。カメイ谷を亀井谷奥橋まで下り、そこから亀井谷林道をさかのぼって、〈岩倉山往復~中ノ川山~台所原〉経由で帰ってこようとしたのだ 。しかし、体力的にはかなりきついものとなり、結局、岩倉山はパスした。

今日のコースタイム:

牛小屋高原(25分)地蔵(27分)恐羅漢山
 小計52分
恐羅漢山(40分)台所原(29分)33曲り(13分)カメイ谷(58分)亀井谷奥橋
 小計2時間20分
亀井谷奥橋(54分)鳥越手前登山口(32分)1086m(32分)縦走路(4分)中ノ川山(24分)台所原
 小計2時間38分(縦走路休憩12分を含む、鳥越往復4分を除く)
台所原(10分)中之甲林道広場(28分)管理林道終端(13分)縦走路(11分)夏焼峠(23分)牛小屋高原
 小計1時間31分(管理林道終端3分、縦走路3分を加える)
総合計7時間51分(全ての行動時間)
 (恐羅漢山8分、亀井谷奥橋18分、鳥越往復4分を加える)

牛小屋高原9:29-地蔵9:54-縦走路10:16-恐羅漢山10:21、10:29-アシウスギ10:45-台所原11:09-第一突端11:15-第二突端11:20-第三突端11:32-33曲り11:38-カメイ谷11:51-石垣(右岸)11:57-左岸小谷12:01-石垣(右岸)12:03- 小谷(左岸)12:18-広見入口(左岸)12:32-堰堤(左岸)12:34-右岸に小滝(タズガエキ?)12:39-亀井谷奥橋12:49、13:07-屈折点13:17-屈折点13:34-天杉・恐羅漢登山口14:01-鳥越14:03-天杉・恐羅漢登山口14:05- 小コブ14:16、14:24-1086m14:37- 平坦部14:42-小コブ14:44-小コブ14:45-平坦部14:47-小コブ14:51(前方に縦走路をみる)-右折ピーク14:56(すぐ左から谷せまる)-小コブ15:00-小コブ(高い)15:03(左下に谷が沿っている)-縦走路15:09、15:21-中 ノ川山15:25-台所原15:49-管理林道入口15:59-管理林道終端16:27、16:30-縦走路16:43、16:46-夏焼峠16:57-牛小屋高原17:20

恐羅漢山:

時雨れている。雨傘をさし立山ゲレンデを登り始める。足元にはショウジョウバカマが多い。登りはじめてしばらくの間、右手尾根の樹林帯を行く。再びゲレンデに出て、リフトを過ぎ樹林帯に達する。地蔵がなくなっている?、台座しか見当たらない。いつの間にか雨は止んでいる。振り返ると、内黒山~サバの頭などが見える。

地蔵から樹林帯に入り、右手に尾根をほんの少し見上げる位置関係となる。小さな沢をみて右折、すぐに左折する。左手谷の向こうに雪をみる。ふたたび右折 して尾根を乗り越える。しばらく右手に谷をみて登る。やがて左折して同じ尾根に乗り直しゆったりと登る。縦走路まで登りつき左折、台所原への下りを右に分けて進み、恐羅漢山山頂に立つ。 見通しはあまり良くない。

山頂から引き返し、すぐ左折して台所原に向けて下る。急な坂道を気をつけながら下る。ササが刈ってあり歩きやすい。感謝。ブナ、ブナの連続。木々はまだ完全には芽吹いていない。正面右手、樹間の向こうに中 ノ川山、左手にカメイ谷の空を見ながら下る。下るほどに斜面はなだらかとなる。タムシバをみる。

33曲り:

台所原三差路(990m台平坦部)まで下る。まっすぐ行けば中ノ川山~天杉山、右折すれば中之甲林道である。今日めざすカメイ谷33曲りへは、中ノ川山方面へほんの少し行って、踏み跡を左へ入るはずである。しかし、この三差路を左折した方角に、ササを乱雑に踏みつけた跡がついている。つられて入り込む。

しばらく胸までのササをかきわけて進むと、踏み跡がはっきりしてくる。中ノ川山から南へ流れ落ちる尾根突端まで、ほんの少し登り気味となっている。尾根を巻き、概ね西を目指して少しずつ下るトラバース道を行く。細い踏み跡がササの中に続いている。左手はカメイ谷の急斜面である。足を踏み外さないように慎重に進む。途中で極小さな尾根突端をさらに2度通り越す。

33曲りは、カメイ谷782m(地形図表示)に向けて、南西に流れ落ちる支尾根上に付けられている。最高点は標高おおよそ900m前後の地点であろう。昔よく踏んだと思われる道が小刻みに付けられている。

カメイ谷落ち口手前で、右手の沢沿いに降りたため、最後は数メートルくらい垂直に滑り落ちるはめになってしまった。小枝を次々に持ち替えて重い体を支え、難を逃れた。33曲りの取り付きは、カメイ谷右岸に小谷(沢)をみて、さらにほんの少し登った地点 (標高790m台)になる。(この記述は間違い、下記参照)

後日注:当日の山行記では、33曲りの取り付きを、カメイ谷右岸に沿って標高790m台まで登った地点としている。すなわち、 取り付きはカメイ谷右岸そのものにあるとしている(当日は未確認のまま)。それを、2008年10月25日山行記にもとづいて、この"小谷(沢) 右岸に沿って少し登った地点(標高820m付近)"に訂正する。

33曲り~アマスギ谷は次のようになる。
「33曲りの取り付きは、カメイ谷右岸に流れ落ちる小谷(沢)を少しさかのぼった所にある。つまり、33曲りからカメイ谷に入るには、33曲り終端 (標高820mくらい)で小谷(沢)を左岸から右岸に渡り、その谷(沢)にそって少し下る。そこ(標高800mくらい)で右折してカメイ谷右岸の踏み跡に入る。しばらくして、いったんカメイ谷左岸に渡りすぐ右岸に渡りかえす。そのまま下ると、やがてアマスギ谷(沢)が 右手から落ちてくる」

以下、当日の山行記に戻る。

カメイ谷:

カメイ谷を下る。幾度か渡渉を繰り返すものの、踏み跡がありそれに従えば亀井谷奥橋まで下ることはそれほど難しいことではない。途中で幾つもの石垣をみる。 こんな奥まで人の手が入っていたのかと驚かされる。

カメイ谷(右岸)に降り立ち、左岸に渡ってすぐ右岸に渡り返すと、幅広の平坦な道があり踏み跡が付いている。木馬道の跡であろうか。整備すれば4トントラック走行可能なくらいの幅がある。立野から延びる下山林道(黒ダキ山取り付き)よりはずっと歩きやすい。 (書き換えなし、ルートは当日そのまま)

途中でかなり川床から高い位置を行く。アマスギ谷(沢)を越えてしばらく狭い道になるが、再び道は広がる。やがて沢へ下り立つ。川の中を行く。左岸に渡る。左岸もかなり高巻く地点がある。

踏み跡が左岸の河原近くまで下りてくる。ブナの木に「広見入口」と彫り込まれてあるのを見つける。ジョシ谷(ジョシのキビレ)入口である。少し下流部に堰堤(左岸)がある。ジロタのものであろう。対岸(右岸)にはイヨキリ滝を見るはずである。小滝を一つ見たが、イヨキリ滝かどうかきちんと確認していない。

この辺りからは、渡渉を繰り返すものの、高低差はあまりなく、河原の側を歩いて亀井谷奥橋(右岸たもと、標高580m台)に着く。橋の左手奥(カメイ谷左岸)には、カズラガ谷(沢)が見える。

亀井谷林道(岩倉山):

亀井谷林道を登る。乗用車でも走行可能な状態である。しかし、鳥越峠は遠い。行けども行けどもキビレにたどりつかない。やっとの思いで最高点に達する。左手、岩倉山へ至る稜線をみると、踏み跡もよく分からない。時間も押してきたことだし、即座にパスとする。なお、林道を登り始めた地点で、南側に春日山を見る。

中ノ川山:

鳥越のやや手前右手に「天杉山・恐羅漢山入口」と赤字で書いた小さな標識がある。(島根県)教育委員会のものである。おそらく昭和57年の島根国体のときに整備されたものであろう。野田の原あたりで見るものと同じである。

取り付きから、天杉山~(中ノ川山)~恐羅漢山縦走路までササが刈ってあり、歩くのに困難はない。感謝!。振り返ると、真後ろに岩倉山がある。前方を見る。登るにつれて正面左手に縦走路が見えてくる。しかし、遠い。距離がある。行けども行けども、稜線が逃げ水のように逃げていく。

途中で不安になってコンパスを当てる。地形図に落とすと間違いはない。進行方向は一本道の支尾根に乗っている。途中の標高970m~1020mくらいで、尾根を左手上に見るトラバース道があるものの、それでも、間違って孫尾根に入ることはありえない。

その後も、地形図では平坦にしか見えないピークをいくつも越えて、やっと縦走路に着く。登りついたのは、中ノ川山1170.2mの北にある1160m台ピークのわずかに南側である。中ノ川山まで数分の距離であるが、しばらく休んで中ノ川山に向かう。

途中経過(参考):小コブ14:16には、リョウブ、マツ 。高木を見上げると、クマ棚、そしてクマ棚。出発して右へトラバース、小さいがブナ、ブナの連続である。しばらくして、エンレイソウをみる。

中ノ川山から台所原への下りで、雪のためか倒木多し。ヘビを見る。下るほどにカメイ谷から強風が吹き上げてくる。朝も強い風を受けた。今日一日吹き続けていたようである。なお、台所原までササが刈ってある。またまた感謝。

管理林道(その他):

台所原三差路に帰り着く。左折して進めば中之甲林道広場に達する。踏み跡はしっかりしており迷うことはない。広場で一息ついて管理林道に入る。管理林道で道路脇に雪を見る。終端部で水筒に水を汲む。あと少しの行程とはいえ、水がたっぷりとあるのは心強い。

管理林道終端部から稜線までは古い踏み跡を登る。小さな木段が崩れかかっている部分もあるが、趣のある登山道である。縦走路に入り、左折してしばらくはやや登りになるがなんとかこなす。そこから夏焼峠まで、そしてさらに牛小屋高原までの下りは慎重にゆっくり下る。

牛小屋高原のトイレ前スペースは、「牛小屋高原ふれあい広場」として、「ここはみんなで利用する広場です。テント等の設営、たき火、自動車の乗り入れをしないでください。広島県」となっている。この冬からの措置であろうか。気温が下がってきたようである。寒気を感じて着替えを急ぐ。

ミズナラ分岐、小尾根突端(第1,2,3)、33曲り、右下清流をのぞきこむ、右下清流、左岸の谷、うしろを振り返る、石垣、右岸へ、ゴルジュ右岸高巻く平坦な道あり4トン車通行可能 、沢渡る、踏み跡はなおも続く道幅せまい車通れそうにない、すぐに沢に合流、道途切れる川の中、ふたたび道振り返る、右岸から左岸へ左岸も上に延びている 、広見入口、右側滝あり、渡渉繰り返す、堰堤がすぐ下にある(南側)、長く左岸続く、ゴルジュ(左岸高い位置を行く)、すぐに右岸小滝あり、適度に渡渉繰り返す 水量多く靴濡れる、亀井谷奥橋

カメイ谷という新たなルートを手に入れることができて大満足。

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2008年06月07日

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2008年06月07日(土)、単独
十方山林道~旧羅漢山(匹見側探索)~恐羅漢山~牛小屋高原
(出発帰着:二軒小屋)

はじめに

2008年06月07日(土)、単独
十方山林道~旧羅漢山(匹見側探索)~恐羅漢山~牛小屋高原
(出発帰着:二軒小屋)

2008年04月26日(土)に引き続いて、恐羅漢山~旧羅漢山の向こう側である旧匹見町の土地勘を得るため、広見林道に向けて旧羅漢山から少しだけ踏み込んでみた。時間があまりなくて、途中から引き返す。次回は、広見林道側から登ってみることにしよう。

2008/08/24追記:
6月7日(この山行記)のコースは、旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根上(旧羅漢山~カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ)をカマノキビレまで下り、さらに左手のハゲノ谷(左谷)へ入って数分下った地点、すなわち小さな沢12:41から引き返している。

カマノキビレのある尾根上を追って下ったものと思っていたのだが、大失態である。二万五千分1地形図もコンパスも出さず、何も考えずに下っている。反省することしきりである。

カマノキビレから向こうの尾根上はササヤブ状態で、見たところ踏み跡すらなさそうである。(旧羅漢山から下る踏み跡にしたがうと、 カマノキビレからそのままハゲノ谷左谷へ下っていく)

今日のコースタイム:
二軒小屋(40分)十方山登山口(2分)旧羅漢山登り口
 小計42分
旧羅漢山登り口(16分)稜線上1090m台(33分)1271m(20分)旧羅漢山
 小計1時間09分
旧羅漢山~広見林道方面往復、下り28分、上り37分
 小計1時間17分(最下点休憩12分を含む)
旧羅漢山(25分)恐羅漢山
 小計25分
恐羅漢山(38分)牛小屋高原(28分)二軒小屋
 小計1時間06分
総合計5時間14分
 (旧羅漢山登り口5分、旧羅漢山18分、旧羅漢山2分、恐羅漢山10分の各休憩を全て含む)

二軒小屋9:59-一軒屋跡10:07-十方山登山口(シシガ谷コース)10:39-旧羅漢山登り口10:41、10:46-稜線上(1090m台)11:02-休憩11:11、11:14-平坦部11:16-小コブ(右折)11:21-1271m11:35-旧羅漢山11:55、12:13-(広見林道へ向けて下る)- 小さな沢(下山途中、引き返す)12:41、12:53-旧羅漢山13:30、13:32-恐羅漢山13:57、14:07-スキー場へ(右折)14:11- 国設スキー場分岐14:13-地蔵14:26-リフト14:31-リフト14:38-牛小屋高原14:45-スキー場最下点15:01-二軒小屋15:13

十方山林道:

カエルがいたるところで鳴いている。さて、十方山林道舗装済箇所の法面はほとんど芽吹いていない。「細見谷に大規模林道はいらない」(広島フィールドミュージアム会長:金井塚務さん)2008/05/20によれば、以下のようなことが考えられるという。

斜面を掘削して林道を拡幅し、新たな法面には、掘削前に収集した腐葉土に含まれる埋土種子を利用して、原植生を復活させるというものであった。
しかしこの工法には、検討委員会の委員からも、ほとんど成功する可能性は無いとの指摘を受けていた。もちろん我々もそう主張していた。
もし、機構側がいうように、これで原植生が復活できるのであれば、前もって実験をして、そうしたことが可能であることを証明すれば澄むことである。
数年間の実験で結果を得ることができるのであるのだから。
しかしそれすらしないで、環境に配慮した工法などと意味のない言葉を弄して強行した責任は大きい。
急勾配の岩盤に3センチの厚さで、埋土種子を吹き付けてみたものの、わずか一月ほどで雪や霜、雨などに洗われて、かなりの部分が剥落してしまった。
辛うじて残った部分も、極度の乾燥が災いしてか、ほとんど発芽していない。
地下水が湧出している近くにフキが一株だけ芽吹いているだけだ。
もともとこの付近は、コナラ、クリの林分であるから、乾燥に弱い堅果類の種子は残存していない。

林道沿いでも、少しづつ植物に目が行くようになってきた。下を向いて歩く癖が付き始めたようだ。さて、一軒屋は取り壊したのか、黒く焼けたような柱がかたづけてある。出火したのだろうか。
後日追加:
「森と水と土を考える会」2008年6月8日176号
原戸会長の報告によれば、
火事は5月25日の昼間、けが人はなかったとのこと

十方山登山口(シシガ谷コース)、旧羅漢山登り口ともに新しい道標が立てられている(2008年6月1日には設置されていた)。聞けば、恐羅漢山スノーボーダー男性7人遭難事件(2008年2月3日~5日)という道迷い事件を受けて設置されたもののようである。2008年5月という日付が記載されている同じ形式の道標を、今日下山するまでその外いくつも見た。

この事件って、ほんとうに道迷いだったのかな。彼らの予定としては、恐羅漢山~旧羅漢山(広島・島根県境尾根)から十方山林道に下って恐羅漢山に帰るつもりだった。しかし、雪が少ないから面白くないというので、旧羅漢山から本来ならばやや左手に行くべきを、右に下っていってスノーボーを楽しんだ後に、いざ稜線まで登り返そうとしたら、その体力が残っていなかったということなのではないだろうか(広見林道や旧広見小学校跡のことも、きちんと頭の中にあったのでは)。

それはともかく、十方山林道~旧羅漢山~恐羅漢山に道標設置? 旧羅漢山登山口も恐羅漢山北側の台所原下り口も、わかる人が歩きたいとき歩くコースということでよいのではと考える。

旧羅漢山:

取り付いてから、小さな沢を渡り中尾根状態のところを登る。しばらくの間きつい。それを過ぎると、かなり平坦な部分になるが、そこがまた長い。小コブ11:21でやや右に振るころ、風がとおり気持ちがよい。キツツキのドラミングが聞こえる。足元の草むらには、オククルマムグラが多い。そして、道は真っ青(つまり鮮やかな緑色)の紅葉の葉っぱが落ちて絨毯のようになっている。種の同定は後日。

旧羅漢山には、いくつかのグループが先着している。オオヤマレンゲの季節だったか。2008年05月25日(日)吉和冠山ですれ違った人が、あと1~2週間(で開花するのでは)、と言っていたのを思い出す。一つのグループは、空荷で何か探索に行ったようだ。ハエが多い。黄色のザックに特に集中している。黄色が好きだと聞いたことがあるが、どうだろう。

岩場から展望を楽しむ。一応写真だけは撮っておいた。中味の検討は後日。

広見林道方面:

旧羅漢山山頂の件の道標には、「広見林道1時間35分」とある。そして、矢印を見れば、山頂の岩場に向かって右手に行くようである。このコースについて、事前にある人に聞いたところ、雪のころ通ったことはあるが、夏期にきちんとしたコースがあるかどうかよく分からないという返事であった。今日こうして道標に書いてある以上は、踏み跡くらいはあるだろう。道標に感謝して、コンパスを合わせ下りにかかる。

きちんとした道がある。よく踏まれている道である。しかし、面白みがない。スギ・ヒノキの植林が続き少し荒れている。それでも、足元にはユキザサが点々と続いており楽しませてくれる。

出発が遅くなっており、あまり時間に余裕はない。昨日は夜の部があり少し飲んでいる。無理をせず引き返すことにする。その前に食事をしておこうとしたが、ハエがあまりにも多すぎてまともに食べておれない。おむすび一つで帰り支度をする。登りはそれほど急でもない。これならば、広見林道から登ってくることができるだろう。

恐羅漢山:

旧羅漢山~恐羅漢山の平坦部は、小湿地帯が続いておりぬかるんでいる。植林帯はここまではあがってこない。まわりは自然林のままで気持ちがよい。今どこにいるのか一瞬わからなくなるような空間である。

恐羅漢山山頂には誰もいない。ただ、ここでもハエ(アブ?)が多い。多いというよりは、ちょっと油断すると体中に群がってくる感じだ。展望もそこそこに退散する。

稜線を北に少し行き、右折して立山尾根に下る。何度も登ったことのあるコースだが、下るのは初めてである。思ったより急勾配なのに改めて気がついた。時間さえあれば、稜線をもう少し北へ行き、夏焼峠経由でゆったり下るのがよいだろう。さて、稜線を右折してすぐに、件の道標が新設されており、国設スキー場5分とある。横には以前から気になっていた踏み跡がついている。

牛小屋高原から車道をゆったりと下り二軒小屋に帰り着く。広見林道~三本栃~旧羅漢山は、次回の楽しみにとっておくことにしよう。出発点の広見林道まで、狭い道を通って車をまわせるだろうか。それが心配だ。

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2008年07月13日

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2008年07月13日(日)、単独
牛小屋高原~恐羅漢山~旧羅漢山、往復
加えて、旧羅漢山から匹見側探索、完全なピストン
(出発帰着:牛小屋高原)

はじめに

2008年07月13日(日)、単独
牛小屋高原~恐羅漢山~旧羅漢山、往復
加えて、旧羅漢山から匹見側探索、完全なピストン
(出発帰着:牛小屋高原)

2008年04月26日(土) 、2008年06月07日(土)に引き続いて、恐羅漢山~旧羅漢山の向こう側である旧匹見町の土地勘を得るため、旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根に踏み込んでみた。夕方、長男が来るというので、十分時間がとれず途中から引き返す。

2008/08/24追記:
7月13日(この山行記)のコースは、旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根上(旧羅漢山~カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ)をカマノキビレまで下り、左手のハゲノ谷(左谷)に入ってさらに下っている。小さな沢(6月7日引き返し地点)11:12の数分前にカマノキビレを通過している。

もしも、7月13日(この山行記)引き返し地点の小さな木橋11:42から、さらに下っていれば数分でハゲノ谷の林道終端部に達する。林道をゆったり下ると、約10分程度で広見林道と合流する。

カマノキビレのある尾根上を追って下ったものと思っていたのだが、大失態である。二万五千分1地形図もコンパスも出さず、何も考えずに下っている。反省することしきりである。

カマノキビレから向こうの尾根上はササヤブ状態で、見たところ踏み跡すらなさそうである。(旧羅漢山から下る踏み跡にしたがうと、 カマノキビレからそのままハゲノ谷左谷へ下っていく)

今日のコースタイム:
牛小屋高原(26分)地蔵(22分)恐羅漢山(22分)旧羅漢山
 小計1時間20分(地蔵4分、恐羅漢山6分を加える)
旧羅漢山(26分)沢・前回引き返し地点(25分)木橋
 小計、下り56分(途中休憩5分を加える)
木橋(41分)沢・前回引き返し地点手前(34分)旧羅漢山
 小計、登り1時間20分(途中休憩5分を加える)
旧羅漢山(24分)恐羅漢山(20分)地蔵(17分)牛小屋高原
 小計1時間08分(恐羅漢山5分、地蔵2分を加える)
総合計5時間20分
 (旧羅漢山5分、木橋26分、旧羅漢山5分を加える)

牛小屋高原9:21-第1リフト9:33-第2リフト9:42-地蔵9:47、9:51-尾根越える10:02-稜線上10:09-恐羅漢山10:13、10:19-旧羅漢山10:41、10:46- 小さな沢(前回引き返し地点)11:12、11:17-荒れた岩場抜ける11:28-小さな木橋11:42、12:08-(引き返す)-休憩12:28、12:32-伏流水12:41-休憩12:49、12:54- 小さな沢(前回引き返し地点)12:55-旧羅漢山13:28、13:33-恐羅漢山13:57、14:02-台所原分岐(直進)14:04-稜線上分岐(右折)14:07-地蔵14:22、14:24-第2リフト14:28-第1リフト14:33-牛小屋高原14:41

はじめに:

出発地点までの道中、ネムノキの花が満開である。中国地方は、梅雨明け宣言のないまま夏本番を迎えたような暑さが続いている。それでも、牛小屋高原まで登ると、車設置の温度計は21度を示している。ただし、これで涼しいかといえばそうではない。湿度が高いこともあるだろう。歩き始めてすぐに大汗をかく。

今日用意した水分は2リットル。総合計5時間余りの行動時間ですべて飲み切った。例年よりも少し摂取のスピードと一回当りの量を多くしてみた。その分、疲れ方が少なかったのだろうか。最後まで、体は順調に動いてくれた。ただし、汗の量も半端ではなかった。下着、上着ともにびしょ濡れになり、かなり重量が増した。

恐羅漢山~旧羅漢山:

さて、牛小屋高原からゲレンデを直登である。第一リフトの手前で上を見上げると、第二リフトにかけて登山者が三々五々列をなして登っているのが見える。

地蔵(ゲレンデ最上部)の少し上で、樹間の登山道に坐っている男性に追いついた。お先に失礼する。すると、少し行った地点の登山道真中に「先に行っている・・・・」とのメモ書きが置いてある。少し疲れているように見えたさっきの方に対する伝言だろうか。恐羅漢山までに追いついた一組や山頂にいた別のパーティからは、特に何も声はかからなかった。

旧羅漢山まで行く。旧羅漢山の山頂岩に木の梯子が立てかけてあったと思うが、なくなっている。その向こうの岩陰に何人か休んでいるようだ。

旧羅漢山~カマノキビレ~(ジョシのキビレ):

すぐ広見林道方面に向けて下山にかかる。全体的に、スギ植林帯をゆったりと下る。前回引き返し地点の手前に、きれいな肌をしたナツツバキがある。登山道上には白い花が落ちている。頭上を見上げるが花は見つけられなかった。

しばらくすると、伏流水がうなっているのが聞こえる。荒れた岩場を抜けて、沢を行ったり来たり蛇行しながら下ると水音が聞こえるようになる。左右に少し大きな沢があるようだ。中尾根状態のところを下り、木橋(今日の最下点)に至る。その先にも、左手樹間に小道が続いている。

今日はどこまで下ったのか:

ところで、その木橋はいったいどこの地点になるのか。今日のコースタイムでは、旧羅漢山から、下り56分(登り1時間20分)だった。旧羅漢山山頂の標識では、広見谷林道1時間35分となっている。「山歩き」 の"Kさん"によれば、広見林道終点まで、下り35分(登り1時間05分)である。

"Kさん"のコースタイム:
2004/11/20(下り)、8:30旧羅漢山、9:05広見林道終点、9:30広見山登山口。2005/6/25(登り)、15:35ハゲの谷、16:10三本栃、16:35広見林道終点、17:00尾根分岐、17:40旧羅漢山。

広見林道終点1030m前後とすると、旧羅漢山との標高差約300m。今日は、広見林道終点くらいまで下っているはずだが、そうすると途中の「カマのキビレ」が分からない。「カマのキビレ」では90度左に振れているが・・・

なお、「髭じじーの山便り!」には、2006年10月16日山行記(広見林道~旧羅漢山往復)がある。

髭じじーさんのコースタイム:
10:55~11:20広見山山頂、12:09広見山林道 広見山登山口830mに下山、12:40~13:00三本栃、13:18~13:20旧羅漢山への登山道へ、13:56~14:30旧羅漢山山頂、14:51三本栃分岐、そのまま4分下ると広見林道終点、15:18広見山登山口。

旧羅漢山~恐羅漢山:

さて、旧羅漢山へ帰り着く手前から雷の音を聞く。山頂の岩場に人がいるようだ。「雷が来るから早くしなさい」。岩場で子供をせかす声が聞こえる。こちらも下山を急ぐ。 恐羅漢山のゲレンデまで下ったとき、下から男女2人組が登ってくるのとすれ違う。頂上で雷は鳴っていたかと聞かれて、「ええ」と答える。ほんとうは、もう少し東側の内黒山あたりかもしれなかったが、雷の鳴る中を登るのは多少とも危険を伴うことにかわりはないだろう。

次回は、十方山林道の吉和西入口から、国道488号~広見林道~旧羅漢山~十方山林道と歩いてみることにしよう。もしルートがわからなければ、元来た道を引き返す以外にないけれども、広見林道~旧羅漢山にきちんとした登山道があることは確かなようだから大丈夫だろう。

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2008年07月19日

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2008年07月19日(土)、単独
国道488号~広見林道、探索
(出発帰着:林道大向長者原線)

はじめに

2008年07月19日(土)、単独
国道488号~広見林道、探索
(出発帰着:林道大向長者原線)

十方山林道の吉和側出口付近から、国道488号~広見林道~旧羅漢山~十方山林道と一周する予定で、広見林道~旧羅漢山の探索を試みる。しかし、広見林道から分岐する予期しない枝道を発見、いつもの悪い癖が出て探索した結果、あえなく敗退。旧羅漢山に取り付くことなく、広見林道を引き返す。そして、帰りの山中 (国道488号)で大雨に打たれたが、その時はアスファルト道を歩いており、足元がしっかりしていたのは幸いであった。

今日のコースタイム:
出発点(38分)御境(1時間18分)甲佐家屋敷跡
 小計1時間59分(御境3分を加える)
甲佐家屋敷跡(40分)枝道分岐(35分)甲佐家屋敷跡
 小計1時間15分(つまり、広見林道行き40分、帰り35分)
枝道探索
 小計1時間00分
 (出発前休憩10分、登り21分、休憩16分、下り13分)
甲佐家屋敷跡(1時間26分)御境(38分)帰着点
 小計2時間14分
総合計6時間42分
 (甲佐家屋敷跡7分+7分を加える、すべての行動時間)

出発点8:56-国道488号8:58-十方山林道9:00-コンクリート橋9:07-判城橋9:15-送電鉄塔管理道分岐あり9:18-車道(草つき)あり9:30-御境9:34、9:37-廃小屋10:09-新山谷上橋10:36-甲佐家屋敷跡10:55、11:02-(広見林道)-右分岐あり11:42、11:52-(分岐林道に入る)-鋭角左折地点12:13、12:29-(引き返す)-広見林道12:42-甲佐家屋敷跡13:17、13:24-新山谷上橋13:49-御境15:00-十方山林道15:33-林道大向長者原線15:35-帰着点15:38

林道大向長者原線:

車で、国道186号の旧吉和村大向(美濃木神社の横)から、林道大向長者原線に入り、オセキ峠まで登ってそのまま向こうに下る。国道488号合流地点手前に駐車して歩き始める。

国道488号を歩く:

出発地点から国道488号まで下って右折、掘割りまで少し登って下ると、正面に十方山林道を分ける。国道488号は、そのやや左手を行き、わずかに下ると今度は御境まで登りとなる。三坂山(左分岐)や五里山(右分岐)への分岐はこの道だろうかと、今後のことを考えながら登る。

国道488号最高点の御境(標高960m台)で雨が落ちてくる。ここから14.7km区間は大雨時通行止めの区間である。ちょっといやな雰囲気にさせられたが、やがて雨は止んだ。アスファルトの狭い道を下り始めると、「うーわーお、うーわーお」という動物の鳴き声が聞こえる。 今までもたまに聞いたことのある鳴き声だが、いかにも気持ちが悪い。

廃小屋を過ぎて、左手に尾根をみる。その後、新山谷上橋(しんやまたにかみはし)手前で、左下に匹見の谷を見下ろす。道路はわりとゆったりとした勾配である。これならば登りでもそれほどきつくはないだろう。道幅も思ったほど狭くはない。車の離合が不可能ということはなさそうである。

御境から1時間30分足らずで、広見林道の始点である甲佐家屋敷跡(標高620m台)まで下ることができた。曲がりくねった道だとはいえ、直線距離約4kmだから当たり前か。 出発地点から合計3時間近くをみていたので少し余裕ができた。

広見林道を行く:

甲佐家屋敷跡から歩いて広見林道へ入る。この林道は車で通行可能である。しかし、車を回せる箇所はあまりない。ここから歩くのが気分的にはすっきりするだろう。

雨が降ってきて雨具をつける。途中、半四郎山登山口の標識が分からなかった(帰りでも見逃した)。前回(2008年4月12日のコアカ谷~京ツカ山)の取り付き地点を通り越し、なおも前に進む。雨があがって、日が差してくる。途中で、ボウギのキビレ(横川越)に至る沢はこれかな、という箇所で目をこらしたが、踏み跡らしきものは分からなかった。 (後日注:2008年7月27日山行記参照)

ナメラ谷の林道:

甲佐家屋敷跡から40分くらい歩いた地点で、右の旧羅漢山側に林道が上がっている。細かいバラスを敷いてローラーがかけてある。白いきれいな道には、轍の跡一つない。悪い癖が出て踏み込んでしまった。右手の谷側には、木材で補強がしてあり、崩落を防いでいる。4トントラックが上がりそうなりっぱな道である。そして超急勾配である。部分的には、恐羅漢山のゲレンデと同じくらいの勾配がある。

左上に小尾根が見える地点まで登った。小尾根に登りつけば、何かしらの情報が得られると思われたが、疲れた。汗と水分摂取量が多すぎる。ギブアップ。今日の予定はすべて取りやめ。ここから、元来た道を引き返すことにする。なお、林道と枝道の分岐点は、標高750m前後と思われるが、くわしくは検討していない。 (後日注:2008年7月27日山行記参照)

広見林道~国道488号:

広見林道を甲佐家屋敷跡まで戻り、さらに、そこから国道488号をさかのぼる。国道488号の登りはゆったりしている。時間的にも下りと大差なかった。途中で雨が落ちてくる。道路の上を樹木が覆っており、雨粒はほとんど落ちてこない。それでも道路上は暗くなって来て、対向車がライトをつけて下りてくるようになる。(行き帰りとも、数台の車と出会う)

道路上では、ニホンヒキガエルと何匹も出くわした。こちらが気付かずに、足で踏みつけそうになろうとどうしようと、まったく動く気配がない。車に轢かれたのを2匹もみた。

道路の真中にいた大きなやつが、車に轢かれたらかわいそうだからと思って、お尻をつっついても反応しない。もう一度つっつくと前足を伸ばして頭を挙げ、ようやく道端へ跳ねて行った。

雷鳴轟く豪雨の中を行く:

遊び心を出しながらのんびり登っている間はよかった。そのうち、雨がきつくなり再び雨具をつける。やがて雷が聞こえるようになる。突然目の前が光った、と思った瞬間、バリバリバリーと大音響。落雷ではなかったようだ。ほっとする。

ますます激しくなる雨の中を必死で登った。左へカーブする地点が見える度に、御境の道路標識のようなものが見える。まさか、幻覚ではないだろう。雨しぶきでよく見えない眼鏡越しに、前を見据えてひたすら登る。

御境通過の前30分、後15分くらいがもっとも激しかった。御境で乗用車1台とすれ違った。運転している人は、土砂降りの雨の中を歩いているヒトを発見してびっくりしたのではないだろうか。その御境では、登りついた後、ほとんど休むことなくそのまま下った。

帰着地点で、幸い雨はほとんどやみ、着替えをスムースに行うことができた。連日の猛暑の中、気流が激しく乱れた結果だろう。下界でもすさまじい豪雨だったようだ。

次回は、車で甲佐家屋敷跡まで下り、広見林道をどこまでも突っ込んでみることにしよう。そこから、旧羅漢山方面を探索するもよし、広見山~半四郎山に登るもよしである。

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2008年07月27日

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広見林道~旧羅漢山、途中まで探索(往路下山)
(出発帰着:甲佐家屋敷跡)

2008年07月27日(日)、単独

はじめに

2008年07月27日(日)、単独
広見林道~旧羅漢山、途中まで探索(往路下山)
(出発帰着:甲佐家屋敷跡)

広見林道から旧羅漢山をめざして途中まで登った。

甲佐家屋敷跡から広見林道に入り、広見川に沿ってゆったりと行く。やがて、右屈折点があり、広見川とわかれて登る林道を終端部まで行く。そこからさらに登り、旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根(旧羅漢山~カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ)にカマノキビレで取り付く。しばらくその尾根を登り、旧羅漢山をめざしたものの、出発時間が遅かったことと雷鳴のため、途中から往路下山した。

この尾根は、旧羅漢山から2度ほど、途中まで下ったことがある。

ただし、 2008年06月07日(土)にカマノキビレまで下っていたのかどうか不明である。また、2008年07月13日(土)には、カマノキビレを通り越してそのまま尾根を下ったものと思われるが、詳細は不明である。

旧羅漢山、"カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ"、そして広見林道の位置関係をはっきりさせるため、次回は再び牛小屋高原~恐羅漢山から攻めてみよう。

2008/08/24追記:
前2回 (6月7日、7月13日)とも、旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根上(旧羅漢山~カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ)をカマノキビレまで下っている。そしてそこから左手のハゲノ谷(左谷)へ入って下り、途中から引き返していることがやっと理解できた。

カマノキビレから向こうの尾根上はササヤブ状態で、見たところ踏み跡すらなさそうである。(旧羅漢山から下る踏み跡にしたがうと、 カマノキビレからそのままハゲノ谷左谷へ下っていく)

カマノキビレまで、旧羅漢山から下り25分程度である。

小さな沢(6月7日引き返し地点)は、カマノキビレから数分下った地点である。また、小さな木橋(7月13日引き返し地点)は、カマノキビレから約30分程度下った地点にある。小さな木橋からさらに下って行けば、数分でハゲノ谷の林道終端部に達する。林道をゆったり下ると、約10分程度で広見林道と合流する。

7月27日(3回目の訪問、ただしこの時は広見林道から登っている)には、6月7日(初回)の引き返し地点を登り下りしているにもかかわらず、そのことに気付いていない。7月13日 (2回目)に下って登り返したハゲノ谷(左谷)についても同様に何も気付いていない。

なお、7月27日(この山行記)引き返し地点から旧羅漢山まで、あと20分くらいの登りが残っているだけであった。

今日のコースタイム:
甲佐家屋敷跡(25分)小赤谷橋(18分)ナメラ谷の林道分岐(37分)右折点(広見川離れる)(47分)広見林道終端部
 小計2時間09分(ナメラ谷の林道分岐2分を加える)
広見林道終端部(6分)ハゲノ谷左谷分岐(16分)尾根に乗る(16分)引き返し地点
引き返し地点(8分)尾根分岐(9分)左谷分岐(4分)広見林道終端部
 小計、登り38分、下り21分
広見林道終端部(24分)左折点(広見川合流)(22分)ナメラ谷の林道分岐(10分)小赤谷橋(17分)甲佐家屋敷跡
 小計1時間20分(左折点4分、ナメラ谷の林道分岐3分を加える)
総合計4時間38分(すべての行動時間)
 (行きの林道終端部3分、引き返し地点7分を加える)

甲佐家屋敷跡10:52-広見川に小滝10:55-小谷橋(左岸から右岸へ)10:57-コンクリート橋10:59-作業小屋11:05-最後の石垣11:07-おしどり橋(右岸から左岸へ)11:13-小赤谷橋11:17-コンクリート橋 (オオアカ谷)11:25、11:27-右分岐(ナメラ谷の林道)11:35、11:37-コンクリート橋11:43-コンクリート橋(左岸から右岸へ)11:47-コンクリート橋(右岸から左岸へ)11:56-右手、小沢あり12:00-コンクリート橋(左岸から右岸へ)12:04、12:10-恐羅漢山標識12:14-(右折)-休憩12:33、12:38-左手が沢から尾根に変わる12:43-休憩12:43、12:55- 広見林道終端部13:01、13:04-沢に下りる (ハゲノ谷左谷分岐)13:10-涸れ沢渡る(右岸から左岸へ)13:22-沢渡り返す13:24-尾根に乗る13:26-尾根120度13:32-尾根180度13:38-倒木13:42、13:49-(引き返す)-右前方に匹見の山々13:51-尾根外れる(右分岐)13:57-ハゲノ谷(左谷)分岐あり14:06-右前方へ-尾根に流れ込む14:09-広見林道終端部14:10-カナカナ大合唱14:25-広見川沿い(左折点)14:34、14:38-ハゲノ谷分岐14:41- カナカナ大合唱やむ14:50-左分岐(ナメラ谷の林道)15:00、15:03-小赤谷橋15:13-甲佐家屋敷跡15:30

はじめに:

甲佐家屋敷跡から広見林道をさかのぼり林道終端部に至る。その位置は、ハゲノ谷左谷上部である。さらにそこから北東に登り、旧羅漢山から北西~西へ延びる尾根に乗る。そこがカマノキビレ(標高1130m台)のようである。この尾根は、前回、前々回と旧羅漢山から途中まで下った尾根であることは間違いない。しばらくその尾根を登って、明らかに見覚えのある地点に至るころ、遠くに雷鳴を聞くようになりそのまま往路下山する。

さて今日は、前回旧羅漢山からこの尾根を下った時の最下点にあった木橋を見ることはなかった。おそらく木橋の位置は、今日の尾根合流点(カマノキビレ)よりもさらに〈下った〉地点であると思われる。前回は、尾根上をひたすら下った結果、カマノキビレを通り越してしまったのだろう。

ところが今日は、今日通った道、すなわち 、カマノキビレからハゲノ谷左谷へ下る道以外の道を見つけることはできなかった。つまり、カマノキビレからそのまま尾根上を下るはっきりした道があるかどうかは、今日は分からなかった。

一種の道迷い状態にあることは間違いない。前回、前々回ともいいかげんに歩きすぎている。もう一度、旧羅漢山からこの尾根を上り下りして、時間距離を把握する必要があるだろう。その時いっしょに、ハゲノ谷左谷の三本栃も見学したいものである。広島県側(恐羅漢山)から下るか、島根県側(広見林道)から登るか、それが問題だけれども。 やはり、出発地点は牛小屋高原かな。国道488号を車で走るのは緊張するから。

広見林道を行く:

甲佐家屋敷跡(標高620m台)から歩いて広見林道に入る。この林道は、最初広見川に沿ってゆったりとさかのぼる(地形図黒実線から黒破線へ)。林道はやがて右折点(標高830m台)に達し、そこから広見川と分かれて東へ登り(地形図黒破線)、林道終端部(標高1040m台)に至る。

甲佐家屋敷跡から林道終端部まで、終始車1台が通行可能な道幅がある。なお、林道終端部の位置は、地形図よりももう少し延びており、完全に小尾根に乗った地点と思われる。

広見林道では、途中で幾度か広見川を渡る。左岸から右岸へ、そして右岸から左岸へ、その度に小さなコンクリート橋を渡る。その他、林道上には、東側の旧羅漢山~焼杉山~京ツカ山や、西側の広見山~半四郎山~向半四郎山から広見川に流れ落ちる沢にかけられた橋がいくつかある。

広見川と広見林道は、ともに二万五千分1地形図にきちんと表示されている。したがって、橋や沢の位置もはっきりと分かるので、現在位置の確認には不自由しない。

林道上の取り付き位置を確認する:

甲佐家屋敷跡から歩き始めてすぐに小谷橋を渡る。半四郎山登山口は、その次の橋手前(標高640m前後)にある。沢 (シロワラビ谷)右岸沿いに北に向けて踏み跡が延びている。右手前方の山(ボーギのキビレ西側あたり)をみると、みごとな針葉樹が続いている。

2008年4月12日には、コアカ谷(標高680m台)にかかる小赤谷橋の右岸からコアカ谷をさかのぼり、京ツカ山を目指した。その橋近くの林道上でミヤマカラスアゲハが2頭吸水をしている。

次のオオアカ谷(標高710m台)にさしかかり、沢にかかる橋の手前山側をみると、茶色の円筒形をした陶器製の吸殻入れがある。「火の・・・」と読める。そして、その側には踏み跡がある。これが、ボーギのキビレ(横川越)に至る古道であろう。前回は、まるで見当違いの場所をさがしていたようだ。

さらに行くと、右手(東側)にナメラ谷(標高750m前後)が開けている。前回見た新設?林道は、その谷の右岸尾根(999mピークあり)をトラバースぎみに登っている。 広見林道がこの枝道を分ける手前でヒトの声がする。広見川の岩場で釣り人が声を掛け合っているようだ。獲物は何だろうか。

広見林道をさらに進み、広見川にかかる橋や広見川に流入する沢にかかる橋をいくつか越えて、標高820m台に達する。コンクリート橋を渡った右手(南東)に轍の跡がある。ハゲノ谷の林道(地形図黒実線)のようだ。この上流(左谷)にあるという三本栃は次回探検することにしよう。

広見川から離れて登る:

広見林道は、ハゲノ谷から少し北東へ行った地点で、大きく右折(東側)して広見川から離れ、ハゲノ谷(左谷)西側の尾根をめざして登る。この尾根は、旧羅漢山から西へ流れる尾根(~カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ) が南西に張り出した枝尾根(始点ピークは1155m)にあたっている。

右折点手前の林道上に、小さな木製の新しい道標が付けられている(「旧羅漢山・恐羅漢山2.6km」)。右屈折点から、傾斜が少しきつくなった林道を登る。途中で振り向くと、樹間越しに見る広見山がだんだん遠くなる。左手にはトイシ谷が大きく落ち込んでおり、林道左手が尾根に変わると(標高1000m前後)、林道終端部は近い。

林道終端部(標高1040m台)は、小尾根にほぼ乗った地点になっている。そこから10度の位置に見えるピークは、旧羅漢山から西へ流れる尾根(カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ)の1155mやや西側のものであろうか。

カマノキビレをめざす:

林道終端部から、北向きに小尾根に取り付く。この小尾根は、繰り返しになるが、旧羅漢山から西へ流れる尾根(旧羅漢山~カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ)が南西に張り出した枝尾根(始点ピークは1155m)であり、その東側にはハゲノ谷(左谷)がある。

林道終端部から取り付いてすぐ尾根に乗り、ほんの少し尾根上を行き、やがてハゲノ谷(左谷)へ向けてトラバース気味に行く。沢と接するようになるころ、右手に踏み跡が谷を下りているのを発見する。三本栃へ至るものであろうか。

60度で、ハゲノ谷(左谷)の広い平坦部を行く。樹林帯の小道にヤマジノホトトギスがたくさん咲いている。途中で、水音のする涸れ沢を渡り、再び渡り返す。要するに、沢の大部分で右岸を行くことになる。

30度で左手尾根に乗る。カマノキビレ(標高1130m台)である。

旧羅漢山に向けて少し登る:

カマノキビレから、尾根上を90度・・・120度~180度で、旧羅漢山に向けて登る。草は繁っているが、前回旧羅漢山から往復したのと同じ景色である。やがて、見覚えのある倒木のある地点に達する。

ここから旧羅漢山まで、それほどの距離はないと思われたが、今日の出発時間はあまりにも遅く、また遠くに雷鳴が聞こえてくるようになり、引き返すことにする。

この地点はどの辺りか。そして、カマノキビレから旧羅漢山まで、どのくらいの時間距離となっているのか、次回は再び牛小屋高原~恐羅漢山~旧羅漢山から攻めてみよう。

帰途に着く:

林道終端部から下る途中で、カナカナの大合唱が始まり、広見川沿いにしばらく行くまで続く。小赤谷橋を通過するころ、小雨がぱらついてくる。しかし、雨具をつけるほどのこともなく甲佐家屋敷跡まで帰り着く。なお、帰りの林道(広見川沿い)は少し飛ばしている 。

帰りの国道488号で本降りの雨となる。山沿い一帯で広範囲に降ったようである。なお、国道488号で行き帰りとも対向車がなかったのは幸いであった。

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2008年08月24日

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2008年08月24日(日)、単独
牛小屋高原~恐羅漢山~旧羅漢山、往復
加えて、旧羅漢山~広見林道、往復
(出発帰着:牛小屋高原)

はじめに

2008年08月24日(日)、単独
牛小屋高原~恐羅漢山~旧羅漢山、往復
加えて、旧羅漢山~広見林道、往復
(カマノキビレ~ハゲノ谷左谷~ハゲノ谷の林道~広見林道(広見川沿い~終端部まで登る)~カマノキビレ)、(出発帰着:牛小屋高原)

旧羅漢山~広見林道

旧羅漢山の道標、現在位置(旧羅漢山頂)
恐羅漢山頂25分、水越峠60分、広見谷林道1時間35分
(Web作者注:ハゲノ谷を下り、広見川沿いまでの時間と思われる)

やっと、旧羅漢山と広見林道の時間・位置関係が分かった。今日のコースは以下のとおりである。

まず旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根(旧羅漢山~カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ)をカマノキビレまで下り、そこから左手のハゲノ谷(左谷)に入る。

しばらく行くと、広見林道終端部に至る踏み跡を右に分ける。そのまま、まっすぐどんどん下ると大きな木橋(ハゲノ谷の川)があり、それを渡るとハゲノ谷の林道が左手に延びている。林道は、ハゲノ谷の川の右岸に沿って付けられており、その林道を少し下ると広見林道にぶつかる。

右折して広見林道に入り、広見川を左手にしながら林道屈折点まで少し登る。そこで右折して、広見川と分かれて登る広見林道を終端部まで行く。そこから、枝尾根(始点は、カマノキビレから同じ尾根上を西側に少し行ったところの1155m)に取り付いていったん尾根に乗り、その後トラバース気味に行くと、ハゲノ谷(左谷)の踏み跡にぶつかる。先ほど下った道である。そこを左折して、こんどは逆に登るとカマノキビレである。

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旧羅漢山から下った今まで2回のコース(6月7日、7月13日)は、いずれもカマノキビレを通り越して、ハゲノ谷(左谷)に入っていたことがようやく理解できた。

まず、カマノキビレまで、旧羅漢山から下り20分前後である。

小さな沢(6月7日引き返し地点)は、カマノキビレから数分下った地点である。また、小さな木橋(7月13日引き返し地点)は、カマノキビレから約30分程度下った地点にある。小さな木橋からさらに下って行けば、数分でハゲノ谷の林道終端部に達する。林道をゆったり下ると、約10分程度で広見林道と合流する。

カマノキビレ~広見林道は、下り1時間あれば十分だろう。

7月27日(3回目の訪問、ただし、その時は広見林道から登っている)には、6月7日(初回)の引き返し地点を登り下りしているにもかかわらず、そのことに気付いていない。7月13日 (2回目)に下って登り返したハゲノ谷(左谷)についても同様に何も気付いていない。

カマノキビレから向こうの尾根上はササヤブ状態で、見たところ踏み跡すらなさそうである。(旧羅漢山から下る踏み跡にしたがうと、 カマノキビレからそのままハゲノ谷左谷へ下っていく)

今日のコースタイム:
牛小屋高原(25分)地蔵(22分)恐羅漢山
 小計49分(地蔵2分を加える)
恐羅漢山~旧羅漢山往復
 行き21分、帰り20分
旧羅漢山(22分)カマノキビレ(34分)小さな木橋(6分)木橋、ハゲノ谷の林道終端部(10分)広見林道合流点
 小計1時間18分(カマノキビレ3分、木橋3分を加える)
広見林道合流点(5分)右屈折点(31分)広見林道終端部
 小計51分(ただし、屈折点での小休止15分を含む)
広見林道終端部(6分)ハゲノ谷左谷(16分)カマノキビレ(30分)旧羅漢山
 小計52分
恐羅漢山(18分)地蔵(14分)牛小屋高原
 小計32分
総合計5時間39分(すべての行動時間)
 (恐羅漢山7分、旧羅漢山7分、広見林道終端部7分、旧羅漢山9分、恐羅漢山6分の各休憩をすべて加える)

牛小屋高原8:35- 第一リフト8:44-第二リフト横8:54-地蔵9:00、9:02-涸れ沢9:13-急登終わり9:18-国設スキー場分岐9:19-縦走路9:20-台所原分岐9:23-恐羅漢山9:24、9:31-旧羅漢山9:52、9:59- 倒木10:13-カマノキビレ10:21、10:24-小さな沢10:27-広見林道終端部に至る踏み跡分岐10:33- 水音10:42-小さな木橋10:58-ハゲノ谷(右谷)の沢渡る11:02-木橋(ハゲノ谷の林道終端部)11:04、11:07-広見林道11:17-屈折点11:22、11:37-広見林道終端部12:08、12:15-ハゲノ谷(左谷)12:21-小さな沢12:30-カマノキビレ12:37- 倒木12:44-倒木くぐる12:50-旧羅漢山13:07、13:16-恐羅漢山13:36、13:42- 台所原分岐13:43-立山尾根コース分岐13:46-地蔵14:00-第二リフト横14:03-第一リフト14:08-牛小屋高原14:14

恐羅漢山~旧羅漢山:

気温17~20度C(出発時、帰着時)、ここのところ朝晩はかなり涼しくなってきた。とはいうものの、今にも雨粒が落ちてきそうな天気である。実際、一日中驟雨(しゅうう)に見舞われた。蒸し暑く汗をかく。

恐羅漢山の登りは快調である。前回(8月11日)バテた時よりもペースは早い。地蔵からの自然林を楽しむ余裕もあった。恐羅漢山では、全く展望はなかったものの、割とゆったり目の休憩をとり、旧羅漢山に向かう。

恐羅漢山の道標、現在地(恐羅漢山頂)
旧羅漢山頂25分、夏焼けのキビレ55分

カマノキビレ~広見林道終端部への分岐:

旧羅漢山から広見林道方面に向けて下る。しっかりした踏み跡があり、それに従う。下草が雨で濡れており、ズボンがすぐにびしょ濡れになる。上半身にも草木が当り、汗とまじって湿る。

カマノキビレ(標高1130m台)からハゲノ谷に入る。ここで、カマノキビレから先の尾根上に踏み跡は見当たらない。旧羅漢山から下る踏み跡に従うと、カマノキビレからそのままハゲノ谷(左谷)へ向けて下っていく。

ハゲノ谷を下るにつれて、右手の枝尾根(1155mから南へ流れる)との標高差が次第に大きくなり、約10分程度下ると、逆に標高差があまりなくなってくる。そして右手に、広見林道終端部に至る踏み跡(トラバース道)を認める(標高1070m台付近と思われる)。

なお、広見林道終端部は右手枝尾根上(標高1040m台)にあり、分岐~林道終端部は数分の距離である。今日はこの後、ハゲノ谷を広見林道(広見川沿い)まで下って、林道終端部まで登り返し、この分岐まで戻ってきた。

三本栃を見逃して下る:

広見林道終端部への分岐を右に分けて、植林帯のハゲノ谷をそのまま下る。途中に三本栃があるはずだが分からない。谷の右岸か左岸かさえも事前に確認していない。またまたいいかげんなことである。

2008年7月13日山行記には、この辺りの踏み跡の状況について、次のように書いている。

「しばらくすると、伏流水がうなっているのが聞こえる。荒れた岩場を抜けて、沢を行ったり来たり蛇行しながら下ると水音が聞こえるようになる。左右に少し大きな沢があるようだ。中尾根状態のところを下り、 木橋(今日の最下点)に至る。その先にも、左手樹間に小道が続いている」

三本栃の位置は、種々の情報を総合すると、標高960m前後で大きな岩がごろごろしている所の左岸らしい。標高差を勘案すると、広見林道終端部に至る踏み跡分岐(標高1070m台付近)から下り15分程度の所であり、小さな木橋(標高890m前後)まではさらにそこから下って10分程度ということになる。

標高については私の推定であり、かなりの誤差を伴うと思われる。しかしながら、三本栃があるのは、"広見林道終端部に至る踏み跡分岐と小さな木橋の間"であり、どちらかというと木橋の方に近いということは間違いなさそうである。

「山歩き」"Kさん"のコースタイム:
2004/11/20(下り)、8:30旧羅漢山、9:05広見林道終点、9:30広見山登山口。2005/6/25(登り)、15:35ハゲの谷、16:10三本栃、16:35広見林道終点、17:00尾根分岐、17:40旧羅漢山。

Web作者注:"Kさん"は、三本栃から直接広見林道終点(終端部)に至るルートを歩いていらっしゃる。しかし、私が見る限り、林道終端部とハゲノ谷を直接つなぐ箇所は、ササヤブに覆われており踏み跡は見当たらなかった。

広見林道まで下る:

小さな木橋では、左手から流れ落ちる小さな沢を越える。沢は、右手を流れるハゲノ谷左谷の沢に合流している。その沢(ハゲノ谷左谷の沢)の左岸に付けられた小道を行くと、標高920mくらいで、左からもう一つ沢(ハゲノ谷右谷)が合流している。そこを超えて行くと、すぐに丸太を組んだ木橋に達する。

ハゲノ谷の林道終端部(標高860m台)である。その木橋を渡り、ハゲノ谷の沢の右岸に付けられたゆったりとした林道(地形図黒実線)を行くと、約10分程度で広見林道(標高820m台)に達する。旧羅漢山から1時間18分であった。

広見林道(広見川沿い~終端部)~ハゲノ谷左谷:

右折して広見林道に入り、右屈折点(標高930m台)まで行く。そこを右折して、広見川と分かれて登る広見林道を終端部(標高1040m台)まで登り返す。

2008年7月27日山行記には、林道終端部からの状況(登り)について、次のように書いている。

「林道終端部から、北向きに小尾根に取り付く。この小尾根は、繰り返しになるが、旧羅漢山から西へ流れる尾根(旧羅漢山~カマノキビレ~1155m~ジョシのキビレ)が南西に張り出した枝尾根(始点ピークは1155m)であり、その東側にはハゲノ谷(左谷)がある。

林道終端部から取り付いてすぐ尾根に乗り、ほんの少し尾根上を行き、やがてハゲノ谷(左谷)へ向けてトラバース気味に行く。沢と接するようになるころ、右手に踏み跡が谷を下りているのを発見する。三本栃へ至るものであろうか」

かなりな急斜面を行くトラバース道はせまく、踏まれているとはいえ慎重にならざるを得ない。しばらく我慢して行くと、やがて先ほど下ったハゲノ谷左谷の踏み跡にぶつかり左折して登る。

ハゲノ谷左谷~カマノキビレ~旧羅漢山:

カマノキビレで尾根に乗り、旧羅漢山まで登り返す。広見林道終端部から旧羅漢山まで52分、カマノキビレからは30分の登りであった。

旧羅漢山山頂大岩の中段に、一人の中年男性が取り付いてよじ登ろうとしている。しばらく前から、大岩の梯子はなくなって1本の棒が残っているだけである。下では仲間の男性がはやしたてる。男性は、無事大岩に登りポーズをとった後、岩から下りる。岩の中段まで、そして地面までと2回の大ジャンプである。その強い足腰がうらやまし~。

大団体が恐羅漢山方面からやってきた。県山岳協会のバスツアーのようである。先頭のリーダーが、この辺りは迷いやすくて・・・と、今来た道に加えて広見林道方面と十方山林道方面にルートがあることを説明している。別の一人が、ここら辺りから十方山まで道標を建てたといっている。

今日登り下りした広見林道方面は、島根県に属している。道標はほとんどない。自分の力量と相談しながら歩く楽しみがある。

旧羅漢山~恐羅漢山:

大団体がすべて登りきった後、大岩ジャンプの男性を含む男性4人組みの後を追って恐羅漢山まで帰り着く。少し日が差してきた。しかし、展望図を描くほどの見通しはない。しばらく休んで、お先に失礼する。

下山を開始してすぐに、一人の男性が空荷で登ってくるのとすれ違った。カメラを取りに上がってきたのかなと思ったら、やはりそうだった。件の男性陣が恐羅漢山山頂でデジカメの忘れ物を見つけて確保していたのだ。

カメラを取り戻した男性に、すごいスピードで追いつかれたので道をゆずった。後ろから見ていると、立山尾根コースの岩場をストックもなしに、滑るように下っていく。その強い足腰とバランス感覚がうらやまし~。

下では仲間が待っていた。30人程度の団体さんのようである。しばらくして私も追いつき後をついて行く。「ゆっくり目ですから、先に行かれますか」と最後列のカメラを取り返した男性に聞かれた。 リーダーのようだ。

しかし、この人数の団体さんの横を通り抜けるには足場が悪すぎる。地蔵手前の少し平坦な箇所まで下れば、何とかなるだろうけど。人前で転んだりするところを見られたくなくて、「いえ、大丈夫です」と答える。そうこうするうちに、すぐ小休止が入り、そばをすり抜けさせていただく。

三本栃は見逃したが、広見林道~旧羅漢山の位置関係がはっきりして満足。この秋は、カメイ谷~ジョシのキビレ~広見林道を狙ってみよう。

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2008年09月27日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡) >> 広見山恐羅漢山トップページ

2008年09月27日(土)、単独
牛小屋高原~恐羅漢山~旧羅漢山、往復
加えて、旧羅漢山~広見林道、ジョシのキビレ分岐、往復
(出発帰着:牛小屋高原)

はじめに

2008年09月27日(土)、単独
牛小屋高原~恐羅漢山~旧羅漢山、往復
加えて、旧羅漢山~広見林道、ジョシのキビレ分岐往復
(カマノキビレ~ハゲノ谷左谷~三本栃~ハゲノ谷の林道~広見林道~ジョシのキビレ分岐往復~広見林道終端部まで登る~カマノキビレ)、(出発帰着:牛小屋高原)

2008年9月20日(土)、平成20年度広島医療情報研究会学術講演会
自著を語る「細見谷渓畔林と十方山林道」
1時間の講演が終わり、原稿作りからやっと解放された。
そこで、再びカメイ谷に焦点を当てて歩き始める。

まず、前回2008年08月24日(日)に見逃した「三本栃」、そして、カメイ谷への手がかりとして、ジョシのキビレ分岐および広見山取り付きを確かめるため、前回と同じく、牛小屋高原~恐羅漢山~旧羅漢山コースで挑戦した。

旧羅漢山~広見林道との往復では、下りはカマのキビレからハゲノ谷左谷に入り、登りは広見林道終端部経由とした(前回と同じ)。

秋風が吹いている。気持ちはよいが汗はとまらない。それでも快調に予定どおりのコースを歩くことができた。恐羅漢山~旧羅漢山までは、少し飛ばし気味。三本栃への下りも前回などよりは早い。広見林道~林道終端部~旧羅漢山まではそれなりにゆったり登っている。旧羅漢山~恐羅漢山からの下りは、ゆったりと距離をかせぐために夏焼峠回りで下った。

- コース概況は、前回分など参照 -

今日のコースタイム:
牛小屋高原(23分)地蔵(20分)恐羅漢山
 小計46分(地蔵3分を加える)
恐羅漢山~旧羅漢山
 行き18分、帰り22分
旧羅漢山(15分)カマノキビレ(26分)三本栃(5分)小さな木橋(4分)木橋、ハゲノ谷の林道終端部(8分)広見林道合流点
 小計1時間06分(三本栃8分を加える)
広見林道合流部(4分)右屈折点(1分)広見山登山口へ戻る
 小計9分(屈折点周辺・・・トイシ谷水流探索4分を加える)
広見山登山口~ジョシのキビレ分岐周辺部
 行き17分、帰り15分、(昼食その他、+18分あり)
広見山登山口(1分)右屈折点(30分)広見林道終端部
 小計40分(ただし、屈折点での小休止9分を含む)
広見林道終端部(5分)ハゲノ谷左谷(11分)カマのキビレ(34分)旧羅漢山
 小計50分(ヒトと情報交換、数分を含む)
恐羅漢山(34分)夏焼峠(19分)牛小屋高原
 小計53分
総合計6時間58分
ただし、以下の休憩すべてを含む
(恐羅漢山14分、23分、旧羅漢山8分、10分、広見山登山口1分、林道終端部6分)

牛小屋高原9:49-第1リフト9:56、10:00-第2リフト横10:06-地蔵10:12 、10:15-涸れ沢10:25-急坂登りきる10:29-国設スキー場分岐10:30-縦走路10:31-台所原分岐10:34-恐羅漢山10:35、10:49-旧羅漢山11:07、11:15- カマのキビレ11:30-沢11:33-林道終端部分岐10:38-沢10:52-三本栃10:56、12:04-小さな木橋12:09-沢渡る12:11-木橋(林道)12:13-広見林道12:21-屈折点12:25-(広見川探索)-広見山登山口に戻る(沢渡る)12:30-支沢渡る12:33-本流渡る12:37- (ジョシのキビレ分岐、通り越す)-本流渡る12:47-(昼食)-ジョシのキビレ分岐に戻る13:05-沢渡る13:15-支沢渡る13:18-広見山登山口(沢渡る)13:20、13:21-屈折点13:22、13:31-林道終端部14:01、14:07- ハゲノ谷左谷分岐14:12-涸れ沢14:19-カマのキビレ14:23-ヒトに出会う14:40前後-旧羅漢山14:57、15:07-恐羅漢山15:29、15:52-台所原分岐15:53-牛小屋高原分岐15:56-管理林道分岐16:16-夏焼峠16:26-牛小屋高原16:45

三本栃:

前回同様、ハゲノ谷左谷を下る。植林帯の途中で荒れた部分がある。そこを下ると、岩場が連続する所があり、そのすぐ左上に三本栃がある。「目が悪く」ても、普通は見逃すことはないだろう。三本栃から下は、再び植林帯の歩きやすい踏み跡が続いている。

旧羅漢山からカマのキビレまで、20分前後。カマのキビレで尾根を外れてハゲノ谷左谷に入り、約25~30分下ると三本栃、そこからさらに約10分下ると、ハゲノ谷の林道終端部に至る。広見林道へは、ハゲノ谷の林道をさらに約10分程度歩く、という位置関係にある。

広見山登山口~ジョシのキビレ分岐:

電子国土をみると、ハゲノ谷出合(標高820m台)から北では、広見林道は破線で表示されている。林道は、屈折点(標高830m台)で右折して、トイシ谷左岸上部を東向きに登ってゆく。終端部まで車が上がれそうな状態が続いている。

広見川の表示(水色の線)は、ハゲノ谷出合の手前で消えている。しかし、その上流部(ミチガ谷)にも豊富な水流が北向きに続いており、幅広の作業道(もう一本の破線表示)が川に沿って付けられている。

広見山登山口は、この2本の破線分岐点にある。つまり、広見林道屈折点手前約70~80m(標高830m台)の地点である。そこでトイシ谷の水流を渡り、ミチガ谷(広見川本流)左岸に接する(2本の川の合流地点となっている)。広見山に取り付くには、ミチガ谷に沿って(破線を)北西へさかのぼってゆく。

登山口から少し登り、右から流れ込む支流(標高840m台)を越え、さらに、本流を左岸から右岸(標高880m台)に渡る。標高920m台で、今度は右岸から左岸に渡る。作業道は、向きを西に変えて真っ直ぐ延びている。その先に広見山取り付きがあるはずである。なお、川を渡る直前、右手ヤブの中にジョシのキビレに至る踏み跡(電子国土、北東へ延びる破線)がある。

ヒトに会う:
旧羅漢山へ登り返している途中で、一人の男性と出会った。広見林道~カメイ谷~33曲り~台所原~恐羅漢山~旧羅漢山と回って、下山途中だという。地形図をビニールグッズに格納している。広見林道~カメイ谷の状況を聞く。次回にでも挑戦できそうに思えてきた。感謝。 なお、旧羅漢山~カマのキビレに至る尾根上の倒木は少し整理されたようである。

残すのは、思い出と写真のみ:
恐羅漢山に帰り着くと、「581恐羅漢山」の登頂記念プレートがぶら下がっている。何と今日の日付である。恐羅漢山山頂には、「山野草を守りましょう!」(○○クラブ)というプレートも最近設置(2008年7月29日付け)されたようだ。私は、これらのいずれも落書きの類と考えている。

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2008年10月25日

Akimasa Net
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2008年10月25日(土)、Ha夫妻、次弟
広見林道~ジョシのキビレ~ジョシ谷~カメイ谷~33曲り~台所原~恐羅漢山~旧羅漢山~カマのキビレ~三本栃~広見林道
広見林道~ジョシのキビレ~ジョシ谷~カメイ谷、初登破
(出発帰着:広見林道-広見山登山口付近)

はじめに

以下のコース記述では、最新版地形図である"地図閲覧サービス「ウオッちず」(Web上にて試験公開)"を参照しています。

広見林道~ジョシのキビレ分岐~ジョシのキビレ~ジョシ谷~カメイ谷~33曲り~台所原~恐羅漢山~旧羅漢山~カマのキビレ~三本栃~広見林道

ジョシのキビレ~カメイ谷を突破すること、そして、Ha君との同行山行という二つの懸案事項を同時に果たすことができて大満足。 また、次弟の持つGPSの威力を、改めて思い知らされることになった山行であった。地図(国土地理院地形図)とコンパスのみで、現地の地形をどこまで読みきることができるか、今後の課題である。

今日のコースタイム:

広見山登山口近く(20分)ジョシのキビレ分岐(12分)ジョシのキビレ(37分)ジョシ谷(32分)カメイ谷
 小計1時間49分(ジョシ谷8分を含む、広見山方面探索23分は加えず)
カメイ谷(52分)33曲り(14分)登りきる(26分)台所原(60分)恐羅漢山
 小計2時間43分(33曲り取り付き2分、台所原9分を含む)
恐羅漢山(25分)旧羅漢山
 小計25分
旧羅漢山(23分)カマのキビレ(32分)三本栃(27分)広見林道
 小計1時間22分
広見林道(3分)広見山登山口近く
 小計3分
総合計7時間29分
(広見山方面探索23分、恐羅漢山39分、旧羅漢山5分を加える)
(出発帰着:広見林道の広見山登山口近く)

広見林道(広見山登山口)7:48-ジョシのキビレ分岐8:08-(広見山方面探索、ロスタイム23分)-ジョシのキビレ分岐8:31-ジョシのキビレ8:43-ジョシ谷9:20、9:28-カメイ谷(左岸)10:00-右岸へ10:21-アマスギ谷10:28-小さなケルン(左岸へ10:39-右岸へ10:43)-小谷(沢)に接する10:48-33曲り取り付き10:52、10:54-登りきる11:08-台所原11:34、11:43-台所原分岐(稜線上)12:41-恐羅漢山12:43、13:22-旧羅漢山13:47、13:52-カマのキビレ14:15-広見林道終端部分岐14:24-三本栃14:47-小さな木橋14:55-木橋(林道終端部)15:01、15:03-(ハゲノ谷の林道)-広見林道15:14-広見林道(広見山登山口)15:17

甲佐家屋敷跡から広見林道:

広見林道(島根県)の始点は、国道488号が鋭角に曲がる地点(標高620m台)にある。そのヘアピンカーブの内側には、"甲佐家屋敷跡"という石碑が建っている。広見集落のこの地に屋敷を構えていた関係者が記念に建てたものであり、ここに昭和45年(1970年)まで民家があったことを伝えている。

そこから数百メートル下った地点に、旧広見小学校校舎跡がある。広見集落は、かつて林業で栄え最盛期には80戸が暮らしていたという。しかし、サンパチ豪雪(昭和38年、1963年)を境に離村が相次ぎ過疎化した。1970年の広見小学校廃校に伴い、最後の7戸が移転して廃村となったのである。

なお、この校舎は、恐羅漢山スノーボーダー男性7人遭難事件(2008年2月3日~5日)で、彼らが二晩を過ごし命拾いをした場所として有名になっている。

甲佐家屋敷跡(標高620m台)から北へ延びる広見林道(地形図黒実線、途中から黒点線)は、〈右〉屈折点(標高830m台)からトイシ谷左岸上部を東向きに登ってゆく。終端部(標高1040mくらい)まで車が上がれそうな状態が続いている。

広見林道から旧羅漢山へ:

旧羅漢山に登るには、広見林道終端部から踏み跡をたどってハゲノ谷(左谷)上部に入り、カマのキビレで旧羅漢山から北西~北に流れる尾根に乗る。その尾根の上には、しっかりとした踏み跡が旧羅漢山山頂まで続いている。

広見林道経由で旧羅漢山に取り付くルートはもう一つある。広見林道屈折点やや手前(標高820m台)からハゲノ谷の林道(地形図黒点線)に入り、ハゲノ谷(左谷)の植林帯にある踏み跡を登るものである。

植林帯の中で、三本栃を右手に見て登ると、やがて左から林道終端部経由の踏み跡が下りてきて合流する。後は上記コースと同一のルートをたどることになる。今日は旧羅漢山から三本栃コースを下った(後述)。

広見山登山口~ジョシのキビレ分岐:

広見林道(黒点線)の屈折点手前約70~80m(標高830m台)から、もう1本の地形図黒点線が北向きに延びている。広見山へ至る小道である。これら2本の黒点線の分岐点を広見山登山口としている。そして、そこは広見川上流部の2本の川の合流点となっている。

広見山に取り付くには、まず広見山登山口からトイシ谷の水流を渡り、ミチガ谷(広見川本流)左岸に接する。そして、その川に沿って付けられた幅広の作業道を北西へさかのぼってゆく。ジョシのキビレ分岐(標高920m台)は、その途中の右手ヤブの中にあり、そこで沢を渡ると、ジョシのキビレに至る踏み跡(地形図黒点線)が北東へ延びている。

今日は、広見山登山口付近から歩き始めた。登山口(標高830m台)でトイシ谷(小さな沢)を渡り、ミチガ谷(広見川本流)に沿って登る。右から流れ込む支流(標高840m台)を越え、さらに、本流を左岸から右岸(標高880m台)に渡る。

標高920m台で、今度は右岸から左岸に渡る。西に向きを変えた作業道(広見山登山道)は、少し先で植林帯の中に入っていく。

気持ちよく歩いていたが、どうもおかしい。よい道が山の方に向かっている。広見山に至る道であろう。そして、沢はどっちになるのだろう。ジョシのキビレ分岐(標高920m台)は沢の側にあるはずだ。

登りすぎではないか。明らかに、先日探索して確かめてあったジョシのキビレ分岐を通り越している。引き返すことにして、左岸から右岸に渡り直す。さらに、ジョシのキビレ分岐まで下る。標高960m台まで登っていたようだ。

ジョシのキビレ分岐~ジョシのキビレ:

先日確かめておいた地点で、地図とコンパスを取り出す。角度を合わせるのだが、いざ踏み込もうとするとどうもしっくりこない。次弟がGPSを取り出して、さらにもう少し戻った地点だという。

ジョシのキビレ分岐は、北西に延びてきた作業道が西へ向きを変える地点にある。まずは、現在地点で作業道の方位を確認すべきであった。その上で、ジョシのキビレに至る谷の角度を見なければ、行くべき谷を探すことはできない。先日の探索、今日の行動共に失敗である。結局GPSの威力に頼ることになった。

ジョシのキビレ分岐を確定して、沢を右岸から左岸に渡る。北東の方角に角度を定め、荒れた谷にわずかに残る踏み跡らしきものを追って行く。奥さんの目がよい。先頭を代わってもらうことにする。すると、その動きに体が付いてゆけない。さすがは、つい最近ご夫婦で、剣山~三嶺縦走(山小屋泊)ツアーに参加されただけのことはある。

谷を登り上部に空が見えるようになるころ、やや右手(とはいっても地形図黒点線よりは北西)を登っていたルートは、最後に、ヤブを刈った道に沿って左に振られ、ジョシのキビレ(標高1000m台鞍部)にドンピシャで登りつく。

ジョシのキビレ~ジョシ谷:

ジョシ谷は、ジョシのキビレ(標高1000m台鞍部)の東にある1090mから北へ流れ落ちる尾根の向こう側(東側)にある。今日の予定は、ジョシのキビレから、まずその尾根を西から東へ越えて行き、ジョシ谷(右谷)の標高820mくらい地点で合流して、そこからカメイ谷(標高640m前後)まで下ろうというのである。

ジョシのキビレ(鞍部)の向こう側(北側)もササが刈ってある。やや左手からほんの少し右へ巻き込むようにして下り、大ブナを見る。大ブナの側をずり落ちると、再びササが刈ってある。 そのルート(トラバース道)をたどって、尾根の西側から東側へ回り込むことができる。標高850m付近で尾根突端を回り込み、東南東の方角に滑り降りるとジョシ谷である。

基本的には北東の方角に下るが、尾根の形は単純ではない。トラバース道では、ほぼ真西まで振られる箇所もある。ササが刈ってなければ自力でルートをたどることができるかどうか怪しい。

尾根西側には、小さな谷がジョシのキビレから北北東に流れ落ちている。 そして、標高740~50m付近でジョシ谷に合流している。また、この小谷のさらに一つ西側にも小谷(ナメラ谷)がある。

「山歩き」"Kさん"の2005年5月14日山行記では、トラバース道に入らず、まっすぐに小谷を下っている。「キビレから少し下ると周囲4.2mのブナの大木がある。キビレから降りる小谷を下った。すぐにジョシ谷へ回るトラバース径が残っているが、茂っている」。

国土地理院地形図によれば、今日下ったジョシ谷(右谷)は、標高780m前後でジョシ谷の本谷(左谷)と合流するはずであるが、まったくのノーマークであった。なお、ジョシ谷に付けられている地形図黒点線のルートは、ジョシ谷上部では実際には存在しないようである。後日訂正:ジョシ谷の本谷は、左谷(地形図黒点線が延びている谷)ではなく、右谷である。

したがって、今日とは逆にジョシ谷をさかのぼり、旧羅漢山から流れ落ちる尾根に至る場合には、適当な地点でジョシのキビレへのトラバース道に入る(今日 と同じルートをさかのぼる)のが最も確実な方法といえるだろう。

なにはともあれ、ブナ大木の下からジョシ谷合流点近くまで、ササを刈った尾根北西面の快適な道からながめる大自然を満喫しながら下る。大満足。なお、紅葉がこれより標高が低い地点よりも少ないように思える。むしろ、青一色の広い谷を眺めてうっとりするといった感じである。ササ刈りをしていただいた方に感謝。何の奉仕もしていないのに申し訳ないような気持ち。

ジョシ谷~カメイ谷:

ジョシ谷左岸の踏み跡を下る。途中で二箇所悪いところがあるものの、踏み跡にしたがえば何の問題もない。標高820mくらいから640m前後(カメイ谷)まで、リズム良く下ることができる。

カメイ谷合流部(寺床)は、少し平坦な場所が広がっている。どちらに進もうか考えたが、本流手前で右手上流部へ素直に登る。"広見入口"と立ち木に掘り込んだ有名な道しるべは見つけることができなかった。

ところで、ここ(広見入口)からジョシ谷をさかのぼる場合には、谷の入口を見つけるのに多少迷うことがあるかもしれない。それでも、地図とコンパスで角度を合わせれば問題はないだろう。

また、今日はジョシ谷を上から下へ歩いたわけだが、支谷(沢)は何ら気にもとめず、とにかく下へ下へと下っている。ここを逆に登った場合、 谷の分岐で迷うことなく、うまく目的の谷(沢)をたどって行くことができるだろうか。さらに、ジョシのキビレに至る分岐(トラバース道入口)を見つけることができるだろうか。一度ジョシ谷を下から登って確かめてみたいものである。

カメイ谷~33曲り取り付き:

カメイ谷にも踏み跡があり、数度の渡渉を繰り返しながらさかのぼる。まずは、ジョシ谷合流点(寺床)から左岸の踏み跡をたどる。しばらくして右岸に渡り、右手から流れ落ちるアマスギ谷(標高720mくらい)の水流を渡る。

アマスギ谷の前後には、河原から少し高い位置に幅広の平らな部分が続いている。木馬道の跡と思われる。その他、石組も幾つか見られ、この地にかつて人の手が入っていたことをうかがわせている。

アマスギ谷を越えてしばらく行き、いったん左岸に渡りすぐ右岸に渡り返す。やがて、右岸から小谷(沢)が落ちてくる(標高800mくらい)。その沢の〈右岸〉にそって少しさかのぼり、水流を越えると、そこが33曲りの取り付き(標高820m台)である。

33曲り、取り付きから登りきるまで:

沢を越えた地点から、道はカメイ谷と並行には行かず上に登り始める。実はそこで初めて、ここが33曲りの取り付きであることに気付いた。

というのは、初めてのカメイ谷(2008年4月26日)では、今日とは反対に、台所原から33曲りを下ってきて、この小谷(沢)の〈左岸〉にぶつかっている。そしてそこを渡ることなく、その沢の側を強引にずり落ちて、いったんカメイ谷の河原まで降りてしまっていた。

そして、その時の山行では、その後で33曲り取り付きについて改めて確認することなくやりすごしている。したがって、取り付きの位置は不正確なままとなっていた。今日はその点を確かめようと思っていたのだ。それが、カメイ谷〈右岸〉の踏み跡から、すんなり33曲りに入ってびっくりといった感じである。

33曲りは、さきほどの小谷の左岸小尾根を登っている。台所原~中ノ川山(1070.2m三角点)~(天杉山)の尾根の1070m台あたりから南西~西南西に流れ落ちる支尾根上である。

取り付き(標高820m台)から、小刻みに折り返すジグをゆっくりと登る。足元にはササが繁っており、前回よりも歩きにくいように感じる。それでもササの背丈は低く、踏み跡をたどるのにそれほどの苦労はいらない。33曲りと聞けば、なにやらむつかしそうな印象を受けるが、それほど気にすることはない。

さて、登りの途中で、次弟がこれで約三分の一登ったという。どうしてかと聞くと、10回折り返したからだという。10/33という訳である。しかし、そこからカメイ谷を見下ろすと、前回、33曲り上部からカメイ谷を見下ろした時と同じくらいの高度差に感じる。そして、まもなく33曲りを登りきる(標高約900m)。折り返しの回数は十数回だろう。

台所原までトラバース道をゆく:

33曲りの小尾根と、台所原~中ノ川山(1070.2m三角点)の尾根でできる谷をトラバースして行く。時に少しきつい登りがあるものの、全体的には勾配はゆるやかである。(標高約900mから1020m前後まで登る)

ただし、ササがきつい。膝上まであるササを左手でつかんで払いのけ、右下の谷へ足を踏み外さないように慎重に行く。踏み跡の上にもササが生えている箇所がある。足を滑らせないように神経を使う。

前方からカメラを提げた男性が一人でこちらへ向かってくる。下まで(カメイ谷)どれくらいかかるかと聞かれた。1時間くらいと答える。どこから来たのだろう。軽装だったように思える。あまり疲れた様子もない。中之甲林道終端部(台所原の向こう)まで車で入ったのかもしれない。

さて、尾根突端(標高1020m前後)を回り込むと、やや下って台所原(標高1000m台)に着く。台所原手前は、背丈が没するほどのササ原である。それをきれいに刈ってあり、そこ以外に歩きようがない。

む? 今まで台所原から33曲り方面に向けて、こんなにきれいにササが刈ってあるのを経験したことはない。カメイ谷方面には2回ばかり踏み込んでいるが、いずれの場合も踏み跡らしき箇所を見つけて、ササヤブを強引にかき分けて突撃している。

今回は、四方が整備されたお陰で、ミズナラの大木のところがきれいな十字路になっている。そして、ここにも件の道標が設置してあり、広島・島根県境に帰って来たことを実感する。今日はここまで島根県側を歩いてきた。道標はほとんど見ていない。私は、その静かな山が好きである。

道標の表示を今日のコースに当てはめて補足すると、現在地:台所原、左折:中ノ川山~天杉山方面(時間表示なし)、直進:中ノ甲・聖湖方面(時間表示なし)、右折:恐羅漢山頂(60分)である。

台所原~恐羅漢山:

台所原(標高1000m台)で小休止の後、恐羅漢山(標高1346.4m)に向けて登る。西中国山地のなかでも最もブナ林の美しい場所の一つである。しかし、勾配はそれなりにある。途中で行き逢った男性3人組から、ここの登りはきついからとエールが入る。

先頭を切っているものの少し辛い。自分のペースで適当に休憩を入れる。それでも稜線(標高1330m台)に近づいたころ、十分に1時間以内で登る目処がたってきた。もっとも、最後にキノコ観察の時間を取ったので、恐羅漢山山頂までちょうど1時間かかった。

件の道標表示と同じ時間である。件の道標は、通常は割とゆっくりめのコースタイムになっている。ただし、恐羅漢山の登り60分は少しきついだろう。それを行程の最後に登って楽にクリアーしているのだから、今日のメンバーは強い。

とはいっても、私はキノコ観察には加わらず、立ち休憩のまま動けなかった。ここまで他の3人はほとんど水分を取らず、汗もかいていないのに、私だけ汗びっしょり。水分摂取量は、曇り空の暑くもなく寒くもない状態としては多い。

恐羅漢山:

山頂には、10人くらいの一団、その他の小パーティ、そして山頂に私たちと相前後して到着した男性などでにぎやかである。この男性は、Ha夫妻の知り合いの方のようである。先日の剣山~三嶺縦走でもご一緒だったらしい。昼食後、持参のミルでひいたばかりのコーヒーをごちそうになる。おいしい。

聞けば、10人のメンバーをカメイ谷(亀井谷奥橋あたりか)に降ろし、牛小屋高原に車を回して先着したとのこと。これからそのメンバーを迎えて鍋料理が始まるようだ。

なんという偶然か。そのメンバーは、完全に私たちの後を追って来ていることになる。予定所用時間は3時間半だという。私たちは、カメイ谷(広見入口)から恐羅漢山まで2時間43分だった。亀井谷奥橋から歩くとすれば、少なくとも20分以上は余分にかかるだろう。

簡単に展望写真を撮った後で、お先に失礼して旧羅漢山に向かう。

恐羅漢山~旧羅漢山:

恐羅漢山と旧羅漢山との鞍部を平太小屋原という。小湿地帯である。カメイ谷から33曲りを行かず、そのまま上流をつめると平太小屋原に至ることができるという。「山歩き」"Kさん"2005年5月14日山行記。いつかは歩いてみたいものである。

途中で、割と高年齢のグループとすれ違って挨拶をする。旧羅漢山山頂にも、台所原~恐羅漢山を登って来たという元気なご夫婦。皆さん年とともに元気になるといったところでしょうか。

旧羅漢山~カマのキビレ~三本栃~広見林道:

旧羅漢山山頂にある件の道標に少し補うとすれば、

旧羅漢山の道標、現在位置(旧羅漢山頂)
恐羅漢山頂25分(山頂大岩に向かって、右手斜め後ろに行く)
水越峠60分(同様に、左手斜め後ろ)
広見谷林道1時間35分(同様に、右手斜め前)
(Web作者注:ハゲノ谷を下り、広見川沿いまでの時間と思われる)

旧羅漢山から三本栃まで、ポイントごとに特徴がなく現在位置を確認しづらい。今日も三本栃手前で、すでにそこを行過ぎたのではないかと不安になり、行きつ戻りつして時間をロスした。そこで、おおよその時間配分を書いておく。

旧羅漢山~広見林道、1時間30分以内
旧羅漢山~カマのキビレ、20~25分
カマのキビレ~広見林道終端部分岐、10分以内
カマのキビレ~広見林道終端部分岐~三本栃、25~30分
三本栃~小さな木橋、10分以内
小さな木橋~ハゲノ谷の林道、6分程度
ハゲノ谷の林道~広見林道、10分強

旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根(旧羅漢山~カマのキビレ~1155m~ジョシのキビレ)を下る。植林帯のなかのしっかりした踏み跡は、カマのキビレで尾根をはずれ、左手のハゲノ谷(左谷)に入る。

なおここで、カマのキビレ(鞍部、標高1130m台)は、左屈折点をもう少し直進した所にあると思われる。しかし、その少し手前(標高1140m台)でブッシュに直進をはばまれる。そのため、旧羅漢山から踏み跡を追って下ると、自然にハゲノ谷に入っていくようになる。(当山行記では、左屈折点をカマのキビレそのものとして表示することにする)

谷を下り、右手尾根が少しづつ高く見えるようになり、その後逆に尾根との高低差があまりなくなってきたころ、右手に広見林道終端部に至る踏み跡分岐(標高1070mくらい)をみる。

谷をそのまま下ると、少し道が荒れた部分が続き、やがて左手に三本栃(標高950mくらい)をみる。その後、道は落ち着きを取り戻し、小さな木橋(2本の水流の合流点、標高870mくらい)を渡り、左から流れ落ちるハゲノ谷(右谷)の流れを越えて下ると、大きな木橋(ハゲノ谷の川、標高860m台)がある。

木橋を渡ると、ハゲノ谷の林道が左手に延びている。林道は、ハゲノ谷の川の右岸に沿って付けられており、その林道を少し下ると広見林道(標高830m台)にぶつかる。

右折して広見林道に入り、広見川を左手にしながらしばらく行くと、広見山登山口(標高830m台)に帰り着く。

(参考)広見林道屈折点(標高830m台)から林道終端部まで登り、そこから踏み跡をたどって旧羅漢山に登ることができる。
今日の出発帰着点の広見山登山口から考えると、まず広見林道を屈折点まで少し登る。そこで右折して、広見川(実際にはトイシ谷の流れ)と分かれて登る広見林道を終端部(標高1040m台)まで行く。そこから、枝尾根(始点は、カマのキビレから同じ尾根上を西側に少し行ったところの1155m)に取り付いて 、いったん尾根に乗り、その後トラバース気味に行くと、ハゲノ谷(左谷)の踏み跡にぶつかる。今日下った道である。そこを左折して、こんどは逆に登るとカマのキビレである。植林帯の踏み跡をたどれば旧羅漢山に登りつく。

先日旧羅漢山北側であった人のGPS軌跡
デジカメの日付が1日狂っている
マクロモード、オン・オフ

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2009年04月05日

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2009年04月05日(日)、グループ
恐羅漢山~旧羅漢山(往復)~恐羅漢山~夏焼峠
春の新雪を踏んでゆく
(出発帰着:牛小屋高原)

はじめに:

4月1日に西中国山地では雪が降り、深入山の山焼きまつり(きょう5日の予定)は一週間順延となった。そして、一週間後の12日に悪天候の場合には、お祭りは中止になるという。

昨日4日の広島市内は雨。現地はどのような状況になっているのであろうか。ちょっとした不安をかかえながら、予定どおり恐羅漢山1346.4m(広島・島根両県最高峰)に向かう。

春爛漫、現地に向かう沿道には満開の桜、そして見上げる山には山桜。ぽかぽか陽気のなかで、現地の山肌は芽吹き前の微妙な色合いをみせて光輝く。思わぬ新雪を踏みながら、儲けものの一日を過ごせて大満足。
(メンバー:Oy夫妻、Ogさん、私)

参考:
「西中国山地国定公園指定40周年・春を呼ぶ深入山山焼きまつり」
順延となった4月12日(日)が悪天候の場合は中止
(あきおおたナビ、広島県山県郡安芸太田町観光協会より)

今日のコースタイム:
牛小屋高原(37分)地蔵(48分)恐羅漢山
 小計1時間25分
恐羅漢山~旧羅漢山
 行き43分、帰り39分
恐羅漢山(50分)夏焼峠(37分)牛小屋高原
 小計1時間27分
総合計4時間14分(行動時間のみ)
(その他、恐羅漢山21分、旧羅漢山14分、恐羅漢山38分を加えず)

牛小屋高原9:33-第1リフト9:44、9:46-第2リフト横9:54-地蔵10: 10-右折10:34-急坂登りきる10:44-縦走路10:48-恐羅漢山10: 58、11:19-旧羅漢山12:02、12:16- 恐羅漢山12:55、 13:33-牛小屋高原分岐12:38-管理林道分岐14:13-夏焼峠14:23-牛小屋高原15:00?

深入山をみながら現地をめざす:

広島駅新幹線口で、Oy夫妻にOgさんと私を拾っていただく。中国縦貫道の戸河内インターで降りた車は、国道191号を益田方面めざして進む。その途中右手に深入山がある。山頂部にはわずかに白いものがみえている。しかし国道から見る限り、来週の山焼きにさしさわりはなさそうである。

小板で左折して大規模林道に入る。沿道に白いものが残るものの、車の通行にさしさわりがある訳ではない。順調に牛小屋高原の駐車場に至る。

山支度~尾根筋まで:

山支度にかかる。ここで、普段は持参することすらないスパッツを付ける。もちろん雪道対策である。手元にもう一つあったスパッツをOgさん用に持ってきた。ところが、Ogさんの分は向きを後ろ前反対に付けたようである。どうもおかしいという奥さんのご指摘を受け、恐羅漢山~旧羅漢山の鞍部で付け直す。自分用の分で前日に金具の締め方を予習してきたくらいだから、申し訳のないことをしてしまった。

さて、若いOgさんが先頭を切って登る。スキー場を直登するこのコースはきつい。こちらが置いて行かれそうになる。奥さんがほんのちょっと遅れ気味か。私が先頭になり、雪の坂道でステップをきざんで登る。

自分のペースに落とせて心地よいリズムである。地蔵から上で、尾根を右手にして行く辺りは、体調によってゆったり行ける時もあれば、ものすごく急坂に感じることもある。今日は足もとに気をつけながら余裕を持って歩く。途中、根曲がりの木をいくつかまたぎ、いつかここですでにバテて座り込んだな、とか思い出す。

右折を2回繰り返し尾根を乗り越える。そして、ほんの小さな沢のなかの岩場を登る。足をひねらないよう慎重に登れば、すぐ平坦部に至る。右に行き、右手の夏焼峠から登ってくる道に合流して左へ行く。帰りは夏焼峠へ下ろうと心に決める。

台所原をあきらめる:

山頂わずか手前の右手に台所原へ下りる道がある。少し踏み込んで観察してみた。私以外は恐羅漢山は初めてである。雪の降る前には、台所原~管理林道コースで、ブナなどの大木をたっぷり味わってもらおうと考えていたのだ。

しかし、踏みこんですぐに台所原まで下ることはあきらめた。Oy夫妻は、昨年の9月ころから山歩きをしている。いつもスパッツを付けており、はからずも雪道を歩く経験もしている。若いOgさんは昔からサッカーをやっているので体力はありそうだ、とはいうものの山歩きの経験は全くない。いずれにしても雪山を歩くメンバーではない。

恐羅漢山から旧羅漢山に向かう:

恐羅漢山からの眺めはすばらしい。先日はおそらく当地も雨だっただろう。雨上がりのなかで、割と遠くまで見えている。皆に喜んでもらえてうれしい。

さて、台所原に下らないとすれば、これからどうするか。時間的・体力的には少し物足らなさが残っているように思える。そこで、件の道標である。旧羅漢山まで25分となっている。25分ならばと奥さんも賛成する。(件の道標は、昨年の恐羅漢山スノーボーダー遭難事件を受けて、恐羅漢山周辺に設置された)

雪のなかの足跡を追って南向きに行く。しかし、途中で足跡は消えてしまった。そこから引き返したようである。後は新雪(積雪量約30cmくらい)のなかを行くのみである。下りは良いが、鞍部に至って行き詰まる。だだっ広い平地の中でどちらへ行くべきか判断がつかない。

幸いにも天気はよくて安定している。そして、一番木々の葉っぱが落ちている時期である。樹間越しに、なんとなく旧羅漢山の方角がわかる。しっかりと目をこらし、行くべきルートを見定める。ほどなく登りにかかり、その上にもルートが続いているようにみえる。これで一安心だ。途中で引き返すことなく旧羅漢山に登りつく。地図とコンパスを出すことはなかった。しかし、本来は一度でも出して見ておくべきであろう。

旧羅漢山で若いOgさんが山頂大岩の上にあがる。大岩に登る梯子はいつのころからか壊れている。この度は、壊れた梯子のそばに、岩の上まで突き出す長さの1本の木が置いてある。小枝を適度な長さを残して切ってあるので手がかり(足がかり)になるようである。

彼はすごい展望に感激している。山頂大岩の西側にまわりこめば、広見山など島根側の展望が開ける岩場があったはずである。ところが雪の中に岩がゴロゴロしている。足場がわからなくて踏み込むことなくあきらめる。

春爛漫、山肌は微妙な色合いに染まる:

恐羅漢山に帰り着く手前で、改めて内黒峠~十方山の縦走路全体を観察する。大きな谷の向こうに、芽吹き前の山肌が何ともいえない微妙な色合いで輝いている。Oyさんによれば、光線の向き、加減が変わったから、行きとはまた違った雰囲気で楽しめるという。

ところで、今回初めての同行山行を恐羅漢山と決めたのは、Oy夫妻は県外の山を歩く機会が多いので、地元広島・島根両県の最高峰である恐羅漢山をぜひ知っておいてほしいと考えたからである。

最初この時期に恐羅漢山と決めた時、枯れ木ばかりの時期に満足してもらえるだろうかと内心は心配になっていた。しかし、雪というおまけを抜きにしても、自然はそこにあるだけで圧倒的な存在感を示している。後は素直にそれを楽しむだけである。

恐羅漢山に帰り着くと、さらに空気は澄み遠くまで見とおせるようになった。鷹ノ巣山~カンノ木山辺りも見えているようである。今日はいつもと違って展望図を描くことはしなかった。しかし、写真は撮ってあるので、あとでゆっくり検討することにしよう。

恐羅漢山~夏焼峠へ下る:

恐羅漢山に帰り着き昼食をとっている間にも、雪がとけて水浸しの部分ができている。気温は高くほとんど無風状態で絶好のコンディションである。

夏焼峠に向けて北向きに下る。北向きだから日はあまり当たらないかというとそうでもない。それだけ斜面がゆるやかということだろう。進むほどに雪がとけて地肌が出ている部分が増えてくる。

粘土質の上に堆積した落ち葉で滑るのを防ぐため、少し脇を歩いたり、笹を手に持って下ったりと色々工夫をしてみる。それでも滑る。ストックを持たないOgさんが二度ばかり尻もちをついた。「下りがこんなにしんどいとは」、彼の感想である。サッカーのよいトレーニングになったことだろう。

夏焼峠への下りは、下るほどに周りの木々の背は低くなっていく。左手には、樹間越しに中ノ川山~天杉山の稜線をみる。台所原から続くブナなど自然林の美しい山々である。体力を見極めた上で、いつかご案内してみたい場所である。

無事夏焼峠に下り立てば雪は消えている。あとは遊歩道をゆったりと牛小屋高原まで下るだけ。4月初旬に新雪を踏んで歩くという思わぬ展開に大満足。皆さんに喜んでいただけて大満足。

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黒ダキ山(小松原ルート)敗退、細見谷渓谷(イカダ滝、オオリュウズ付近)敗退(2005/11/26)

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1)黒ダキ山(ナガ谷へのトラバース道)敗退
2)細見谷渓谷(イカダ滝、オオリュウズ付近)敗退
下山林道から細見谷渓谷をめざすが、沢のそばまで至ることなく敗退
(出発帰着:立野キャンプ場)

2005年11月26日(土)、単独

はじめに

今日の目標は「黒ダキ山」であった。

小松原橋からナガ谷左岸尾根を登り、途中から「ナガ谷上部へトラバース気味に降りて、谷を詰めていく」(「西中国山地」桑原良敏著p.109)つもりで出かける。
しかし、途中で倒木が多くあり前進をあきらめる。

キャンプ場まで引き返す。

下山林道を通って、クロダキ谷~ホトケ谷から細見谷渓谷を見学できる場所まで下りるつもりで出発し直す。
しかし、谷の流れを上の方からほんの少し見ることのできる地点で時間切れ、引き返す。

後日注:
翌年秋(2006/09/30)、初めて細見谷渓谷に降り立つ。
そして4年後(2009/08/23)、ついに細見谷渓谷の全コースを歩くことに成功した。
(下記山行記参照)

  • 2009年08月23日(日)、Haさん
    細見谷渓谷遡行:
    立野キャンプ場~イカダ滝~オオリュウズ~山の神(祠)
    (出発立野キャンプ場、帰着押ヶ峠(十方山林道))
  • 2006年09月30日(土)、単独
    細見谷渓谷探索、(下山林道~クロダキ谷~ホトケ谷)往復
    下山林道経由で下る。
    今日(2005/11/26)とほぼ同じコースをたどり、細見谷渓谷(イカダ滝~オオリュウズの間)に降りたつことには成功した。
    ただし、その場から一歩も動くことができず引き返す。
    (出発帰着:立野キャンプ場)

今日のコース&コースタイム

立野キャンプ場8:51~小松原橋9:03~(ナガ谷左岸尾根)~ジグザグ9:12~やや平9:17~分岐9:22~(ナガ谷側トラバース道)~引き返す9:30~分岐9:36~小松原橋9:50~立野キャンプ場10:00、10:05~カーブミラー10:18~沢(10:35、46度、10:38、54度、10:43、40度、10:50、60度)~テンガタキ谷10:54~黒ダキ山登山道取り付き10:58、11:05~大岩?11:13~クロダキ谷支流11:22~(引き返す)~大岩?11:31、11:35~クロダキ谷11:46、11:50~(下流へ)~クロダキ谷小滝手前12:00~尾根12:10、12:16~ササ原の急斜面12:25、12:30~(引き返す)~小尾根出っ張り12:36~尾根12:41~小尾根(沢を見下ろす)12:42~クロダキ谷小滝手前12:46~岩ゴロゴロ12:48~岩12:56~(大岩)~下山林道13:00~黒ダキ山登山道取り付き13:07~キャンプ場13:50

  • 立野キャンプ場(12分)小松原橋(19分)分岐(8分)引き返し地点(6分)分岐(14分)小松原橋(10分)立野キャンプ場
    小計1時間09分
  • 立野キャンプ場(53分)黒ダキ山登山道取り付き(17分)クロダキ谷支流
    小計1時間17分(黒ダキ山登山口7分を加える)
  • クロダキ谷支流(9分)大岩?(11分)クロダキ谷(10分)クロダキ谷小滝手前
    小計38分(大岩?休憩4分、クロダキ谷休憩4分を含む)
  • クロダキ谷小滝手前(25分、尾根休憩6分を含む)ササ原急斜面(16分)クロダキ谷小滝手前
    小計46分(ササ原休憩5分を加える)
  • クロダキ谷小滝手前(2分)岩場取り付き(12分)下山林道(大岩取り付き)
    小計14分
  • 林道大岩取り付き(7分)黒ダキ山登山道取り付き(43分)立野キャンプ場
    小計50分
  • 総合計4時間59分(出発から帰着までの総行動時間)
    二回目出発時、キャンプ場休憩5分も含む

黒ダキ山(小松原橋ルート)敗退

立野キャンプ場入口付近で、細見谷川と吉和川が合流して太田川となる。

立野キャンプ場から、十方山登山口:立岩ダム湖(竜神湖)方面に向けて車道を歩く。


〈写真〉立野キャンプ場入口、8時55分

立岩ダム湖に至る途中で、小松原橋が太田川に架かっている。


〈写真〉小松原橋を見る、9時00分


〈写真〉小松原橋で太田川を渡る、9時01分

小松原橋を渡り切った所(北詰)に、黒ダキ山の取り付き(小松原ルート)がある。


〈写真〉黒ダキ山取り付き口(小松原橋北詰)、9時02分

小松原橋からいきなりの急登だが、朝露がなく小潅木の葉は乾いている。
先週よりは精神的に楽である。

しかし、目的のトラバース道は、先週よりもほんの少し先まで進んだ位置で倒木が多い。
その向こうはどうなっているのか、無理をしてもあまり意味がないのでさっさと引き返す。

なおトラバース道に入ってすぐ9:24に左手奥に見えたのは女鹿平山だろうか。

立野キャンプ場まで引き返す

下山林道から細見谷渓谷のイカダ滝、オオリュウズ付近に下りるルートがあるという(桑原良敏著「西中国山地」筏滝周辺p.113)。

“大岩”から下るらしい。

いつか行ってみたい、というので、「山歩きのページ」(Kさん)のGPS軌跡から探し出して、二万五千分1地形図「野入」に鉛筆で書き込んであった。
そこに行ってみることにする。

立野キャンプ場まで引き返す。

立野キャンプ場から下山林道に入る

立野キャンプ場から下山林道の終点まで探検してみることにする。
そして、林道途中にある“大岩”まで少し引き返し、クロダキ谷~ホトケ谷へ下りるつもりで再出発をする。


〈写真〉立野キャンプ場横の小さな橋で細見谷川左岸に渡り、下山林道に入る、10時06分


〈写真〉細見谷川の対岸にアマゴ養殖場を見る、10時08分


〈写真〉カーブミラー、10時17分
(既に廃道となっている下山林道は荒れている)


〈写真〉テンガタキ谷、10時54分
(黒ダキ山取り付き尾根の東側の谷である)

テンガタキ谷を過ぎ、黒ダキ山登山道取り付きを越えてほんの少し行くと、営林署の赤い吸殻入れがある。
高さ1mくらいの円筒形のはずが「ガレ土」にかなり埋まっている。

下山林道を地形図記載位置(終点)よりもさらに北へ、クロダキ谷支流(85度)まで追っていった。


〈写真〉クロダキ谷支流、11時22分

その先が崩落しているように見える。
しかし、「山歩きのページ」(Kさん)の資料によれば、下山林道はその先のクロダキ谷まで達しているという。
確かに、崩落箇所の向こうも平らな道のように見えた。

桑原良敏「西中国山地」筏滝周辺p.113でも、岩ガレの向こう、クロダキ谷まで林道が延びているようである。

下山林道(正規の下り口より北側)からクロダキ谷に下りる

林道上に“大岩”がある地点まで引き返し、急下ってクロダキ谷に下りた。
道路上には赤テープがあった。
下る途中にもピンクテープがあった。
下りきると、テープを3重に巻いた目印の木があった。

しかし、対岸を目をこらして見ても、尾根の向こうに回り込んで、ホトケ谷右岸に至るような踏み跡は見つからない。
しばらく下から尾根をなめるように見回したがらちはあかない。

こうなったら、クロダキ谷が細見谷に落ち込む辺りを見学して帰ることにしよう。
というので、下流に向かって歩き始める。
水流の両側にヒトが歩くには十分の広さの川岸がありそこをたどって下る。

クロダキ谷のテント場まで下る

クロダキ谷を下る途中で、ピンクテープが左手の尾根(下山林道側)から下りてきている。
クロダキ谷をさらにその先まで少し進むと、小滝になっており簡単には通れそうにない。

ふと右手をみると、ピンクテープが尾根の上までひらひらゆれている。
ここがクロダキ谷から右手尾根にちょっと上がって、尾根の南西面をトラバースしていくコースではなかろうか。
(元々、今日の林道からの下り口がGPS軌跡より北側過ぎると感じてはいたのだが)

ホトケ谷手前から引き返す

ゆれるピンクテープを追って、小尾根に上がり、その先の主尾根を越えて、さらに進む。
ほとんど等高線に沿っている感じである(北西向き)。

やがて、ホトケ谷左岸の一つこちらの尾根のササ原急斜面に出る。
下の方にもテープが揺れている。ここをジグザグに下ってゆくのだろう。

しかし、帰りの時間を考えると時間切れだ。
引き返すことにする。


〈写真〉ササ原の急斜面を引き返す途中、12時32分

上から細見谷の流れだけでも確認できないだろうか。
引き返すために向きを変えて、やや下の方まで下っていくと、川の流れがほんのちょっとだけ見えた。
滝のような状態にはなっていない。
普通の流れだった。

下山林道(正規の下り口)に帰り着く

クロダキ谷まで帰り着き、左に少し上流まで戻ると、右手にピンクテープが揺れている。
岩がゴロゴロした斜面(ちょっとした岩海)を登り、途中の岩をすり抜けて、さらに上がると大岩があった。
もう少しがんばって登り、簡単に下山林道に帰り着く。

後はゆったりと林道を帰るだけである。
キャンプ場に帰り着いてしばらくすると、太陽が山の端に消えた。
午後2時過ぎだった。(平地での日の入りは5時くらいか)

小春日和、キャンプ場からの往復ではジャンパーを脱いで、夏と全く同じ服装で過ごした。
雨や雪の心配なく行動できたおかげで気持にはゆとりがあった。
しかし、時間が足りなかった。
この次は、日照時間が長くなる春の雪解けを待って、もう一度、細見谷渓谷にトライしてみようと考えている。

検討:下山林道からイカダ滝、オオリュウズへ至る道

  • 「山歩きのページ」(Kさん)GPS軌跡、沼長トロ山(2004/04/04)
  • 桑原良敏著「西中国山地」筏滝周辺p.113

立野キャンプ場から、細見谷川を渡って下山林道に入り、おおまかには西~北向きに行く。
途中、黒ダキ山登山道取り付きを右にみて、なおも林道を最西端部手前まで進む。

ところで、下山林道は、細見谷川下流部に沿う形で造られている。
そして、細見谷渓谷への取り付き(標高740m台)は、下山林道が細見谷川から北向きに大きく離れていく地点になる。

つまり、下山林道が、おおまかには西~北向きに大きく曲がって、56度を向く少し手前になる。
ここから 272度くらいでほんの少し尾根状になった所を下る。

“大岩”は林道のすぐ下にあるが、林道からは見えないはずである。
つまり、目標となる大岩は林道上にはない。

そのまま大岩の下にある岩の横もすり抜けて下ると、ちょっとした岩海状態の所を通ってクロダキ谷に下りる。
流れは緩やかで川岸を通ることができる。

左手下流に向けて少し下ると小滝がある。
簡単には進めそうにない。

小滝手前で、クロダキ谷を左岸から右岸に横切り、そのまま正面に見えている尾根の突端を駆け上がる。
角度は299~300度くらいか。
ほんの小さな尾根状の部分を通り越し、そのままクロダキ谷右岸尾根本体に上がる。
黒ダキ山1084.7mから南向きに落ちる尾根の突端部分である。
標高680m台、尾根の方角25度。

そこから336度で尾根南西面を巻いて行く。
地形図ではほとんど表現されない小さな尾根状部分を二つくらい越えて、ホトケ谷手前のササ原急斜面に至る。

下の方にもピンクテープがあるのが見える。
ここからジグザグに下っていくようだ。
ほとんどケモノ道といった感じである。
来春もう一度時間をかけて来てみよう。

桑原良敏「西中国山地」筏滝周辺p.113を確認する

筏滝周辺の略図(及び文章)で、下山林道と細見谷渓谷の各谷(滝)との関係を確認する。
なおこの文章は、細見谷渓谷遡行(出発地点:立野キャンプ場)のために書かれている。
もちろん、細見谷渓谷~下山林道のエスケープルートとしても役立つ。

この崖(Web作者注:イカダ滝)を登る自信のない場合は、略図の右岸の草付きのガレを登ることになるが手がかりのない急な斜面である。

これも無理だとなるとクロダキノ谷(Web作者注、落ち口は細見谷左岸にある)まで引き返しこの谷を登る。大きな滝があり滝の手前の左岸の急な斜面を灌木につかまりながら登るとよく踏まれた旧道に出会う。

この旧道がクロダキノ谷を渡った所がテント場になっている。樹下のササに覆われた径を、注意して見失わないよう追っていくと、尾根を越し、五回ほどジグザグをえがいて下るとイカダ滝のすぐ上流にあたるホトケ谷落ち口(Web作者注、細見谷左岸)に出る。

桑原良敏「西中国山地」pp.112-113

そのほか

キャンプ場に帰り着いて、ジェット機の爆音を2~3回聞く。
上空を見上げると、水平尾翼の両端に、先端が丸くなった垂直尾翼が付いている。
あまり大きくはない。
轟音の後に、キューんという高い金属音が残る。

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下山林道経由で細見谷渓谷(イカダ滝~オオリュウズの間)(2006/09/30)

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下山林道~細見谷渓谷、往復
下山林道経由で細見谷渓谷(イカダ滝~オオリュウズの間)まで下る。
(出発帰着:立野キャンプ場)

2006年09月30日(土)、単独

はじめに

下山林道~クロダキ谷~ホトケ谷落ち口(細見谷渓谷)を往復する。

細見谷渓谷をどうしても見学したくて、2005/11/26(土)の記憶(敗退)をたどりながら、再び下山林道経由で細見谷渓谷目指して下る。
前回敗退地点から先で、急斜面を思い切って下り、細見谷渓谷(ホトケ谷落ち口)に降り立つ。
ただし、降り立った渓谷の岩場から一歩も動くことができずそのまま引き返す。
そして、ついに4年後(2009/08/23)、細見谷渓谷の全コースを歩くことに成功した(後日談)。

  • 2009年08月23日(日)、Haさん
    細見谷渓谷遡行:
    立野キャンプ場~イカダ滝~オオリュウズ~山の神(祠)
    (出発:立野キャンプ場、帰着:押ヶ峠(十方山林道))
  • 2005年11月26日(土)、単独
    1)黒ダキ山(ナガ谷へのトラバース道)敗退
    2)細見谷渓谷探索(イカダ滝、オオリュウズ付近)
    下山林道から細見谷渓谷をめざすが、沢のそばまで至ることなく敗退
    (出発帰着:立野キャンプ場)

今日のコースタイム

立野キャンプ場9:19~(下山林道)~カーブミラー9:33~黒ダキ山取り付き10:11、10:14~(ロスタイム7~8分)~細見谷渓谷下り口10:30~クロダキ谷10:38~小尾根10:44~ホトケ谷をのぞきこむ10:52~細見谷渓谷11:00、11:15~沢上部11:28-小尾根11:37、12:02~クロダキ谷12:05~細見谷渓谷下り口12:15、12:18~(下山林道)~黒ダキ山取り付き12:26~カーブミラー13:02~立野キャンプ場3:16

  • 立野キャンプ場(52分)黒ダキ山取り付き(8分)細見谷渓谷下り口(8分)クロダキ谷(22分)細見谷渓谷
    小計1時間41分(黒ダキ山取り付き3分、ロスタイム8分加える)
  • 細見谷渓谷(25分)クロダキ谷(10分)細見谷渓谷下り口(8分)黒ダキ山取り付き(50分)立野キャンプ場
    小計1時間36分(細見谷渓谷下り口3分を加える、昼食25分を除く)
  • 総合計3時間57分
    (細見谷渓谷15分を加える、昼食25分を加える)

立野キャンプ場~黒ダキ山取り付き

立野キャンプ場から、下山林道(細見谷渓谷左岸上部沿い)のガラガラ道を行く。
廃道となってかなりの年月が経過した下山林道には潅木が生えており、それらの間をぬって前に進む。
黒ダキ山取り付き(標高720m前後)を右に分けてさらに進む。

桑原良敏「西中国山地」筏滝周辺p.113を確認する

筏滝周辺の略図(及び文章)で、下山林道と細見谷渓谷の各谷(滝)との関係を確認する。
なおこの文章は、細見谷渓谷遡行(出発地点:立野キャンプ場)のために書かれている。
もちろん、細見谷渓谷~下山林道のエスケープルートとしても役立つ。

この崖(Web作者注:イカダ滝)を登る自信のない場合は、略図の右岸の草付きのガレを登ることになるが手がかりのない急な斜面である。

これも無理だとなるとクロダキノ谷(Web作者注、落ち口は細見谷左岸にある)まで引き返しこの谷を登る。大きな滝があり滝の手前の左岸の急な斜面を灌木につかまりながら登るとよく踏まれた旧道に出会う。

この旧道がクロダキノ谷を渡った所がテント場になっている。樹下のササに覆われた径を、注意して見失わないよう追っていくと、尾根を越し、五回ほどジグザグをえがいて下るとイカダ滝のすぐ上流にあたるホトケ谷落ち口(Web作者注、細見谷左岸)に出る。

桑原良敏「西中国山地」pp.112-113

下山林道からの下り口を確認する

標高740m台の地点で、林道左手の細見谷へ向けて下る。
この時、南西に流れる尾根に乗ってそのまま下ってしまった。

目標となる大岩が見当たらないので少しあわてる。
コンパスを取り出すと下る角度が少し違うようである。
林道まで引き返し、落ち着いて地形図にコンパスを当てる。

下山林道からの下り口は、下山林道が西向きから北向きに大きく右折する地点(標高740m台)である。
そこからほぼ真西へ、ほんの小さな枝尾根状になったところを下ると大岩がある。
(上記南西向き尾根の支尾根である)

つまり今日は、最初にほんの少し早めに細見谷へ向けて下りてしまったようである。

クロダキ谷へおりる

大岩の左(南)側を通り抜けて、その下の少し小さい岩を過ぎると、小岩が散乱している場所に至る。
右下にクロダキ谷を見る。
クロダキ谷に下りる前に、クマ除け用の笛を吹く。

クロダキ谷は小さな静かな流れである。
難なく対岸に渡り、小尾根を右上に駆け上がる。
なお、この小尾根は、黒ダキ山1084.7mから南向きに落ちる尾根の突端部分になる。

(下山林道からここまでは、ほぼ西向きに行く)

ホトケ谷落ち口まで下る

尾根を越え、尾根の南西斜面をトラバースして進む(北西向き)。
前回はよく見えたヒラヒラのテープが、色あせてほとんど見えない。

足元の踏み跡を踏み外さないよう慎重に、ホトケ谷を見下ろす位置まで突っ込んで、ホトケ谷の流れを確認する。
そこから左手にホトケ谷に向けて下る(南西向き)。

「西中国山地」P.113や「山歩き」(Kさん)のGPS軌跡を確認すると、ホトケ谷手前の斜面を目一杯使ってジグザグに下るようになっている。
踏み跡もテープもあるようだが、はっきりとは分からない。

大体の見当をつけて強引に下って、ホトケ谷下流部に降り立つ。
細見谷本流が左手すぐに見えている。
岩場を滑らないよう慎重に下って、細見谷本流に至る。
去年買って一度しか履くことのできなかった沢靴が役に立つ。

細見谷渓谷に立つ

細見谷本流(ホトケ谷落ち口)の岩の上に立つ。

これ(Web作者注、ホトケ谷落ち口)より本流にV字形に落ちている小滝が見える。

桑原良敏「西中国山地」pp.112-113

右手(下流)の筏滝も左手(上流)のV字滝も見えない。
ここからどのように進むのだろうか。
沢の中に入るのか、それとも巻き道があるのか。
先達の参考図を見てもよく分からない。

流れる水の量は多く、周りは切り立った崖だ。
その中にただ一人。
恐怖を感じさせる圧倒的な空間である。
結局はその場から一歩も動くことができず引き返した。

なお、参考図(桑原著)では、ホトケ谷に下りることなく直接細見谷に下り立つようになっている。

帰りの登りで確認すると、倒木があって最後の下りで細見谷に向けて下っているのが分からなかったようである。
それにしても、そこをそのまま下りると崖の上に出るように思うのだが、よくは分からなかった。

こうして細見谷渓谷見学の山行は終わった。
いずれ何らかの形でそこを歩いてみたい。
それまで体力の保持をしておかなくては。

今日の草花:ミゾソバ、ツリフネソウ、キバナアキギリなど。

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2006年10月07日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏跡)>> 十方山トップページ

十方山南尾根コース(瀬戸滝経由、三つ倉まで)
十方山(途中敗退)
(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

2006年10月07日(土)、単独

はじめに

2006年10月07日(土)、単独
十方山(途中敗退)
駐車場~瀬戸滝~(南尾根コース)~三つ倉~(南尾根コース)~瀬戸滝上部~駐車場(出発帰着:瀬戸谷入口駐車場)

瀬戸内沿岸部は晴れていたが、西中国山地に近づくにつれて時雨模様、十方山林道を歩くか、沼長トロ山(細見谷渓谷南壁)に登るか、迷った。北風が強い。細見谷渓谷南壁にはもろに吹き付けるだろう。十方山林道はもう少し後の紅葉の頃がいい。結局、瀬戸滝付近を見学して十方山に登ることにした。瀬戸滝は、初めての十方山の下りで滝の見える位置まで行って素通りしただけで、一度も滝のそばまでいったことがなかった。

駐車場10:00-瀬戸滝400m10:09-瀬戸の滝10:19、10:27-分岐(右折)10:31-左折登る10:37-78度を向く10:41-沢(カラ谷)渡る10:52-主登山道合流(瀬戸滝分岐)10:54-標高800m10:56-小滝上部10:58-休憩10:59、11:02-尾根乗越11:13-黒ダキ山261度11:16-再び尾根11:26-小コブ11:28-三つ倉11:32、11:54-尾根乗越12:09-小滝上部12:19-瀬戸滝分岐12:22-沢(カラ谷)渡る12:24-分岐(左折)12:35-主登山道合流12:45-駐車場12:49

今日のコースタイム:
駐車場(19分)瀬戸滝(27分)瀬戸滝分岐(38分)三つ倉
 小計1時間32分(瀬戸滝8分を加える)
三つ倉(28分)瀬戸滝分岐(13分)分岐左折(14分)駐車場
 小計55分
総合計2時間49分(三つ倉22分を加える)

瀬戸橋左岸から川沿いに瀬戸滝まで行く。取り付き位置は、瀬戸谷南尾根コースよりもほんの少し立野よりである。入口で一応通行止めとなっているが、瀬戸滝手前に小さな崩落箇所があるものの、全く問題はない。

瀬戸滝までのコースは、いわゆる遊歩道として整備されたもののようである。足元にはコンクリートを流して固めた箇所があり、いくつかある頑丈で大きな木製の橋は、いずれもさらに金属で補強されている。

瀬戸滝上部から瀬戸谷をさらに奥へ入るには、どのように行けばよいのだろうか。「西中国山地」P.105には、「滝を越す取り付きは、左岸に<アライ川>の谷が落ちているので、これに入り、<アライ川右岸>の岩と草つきの急斜面を登る。・・・」となっている。成る程、滝手前の展望台から見ると、向って右手に小さな川が流れている。しかし、対岸の取り付きまではよく分からない。後日の検討課題として先に進む。

瀬戸滝手前の右手斜面に取り付き少し登る。すぐに川の20~30m上を川と平行に走っている小道に出合い、右折して少し下る。やがて、左折する道が付いており、最初は小刻みにジグり、その後、934mから南に流れる尾根を左手に見ながら巻き気味に急登する。右手下にはカラ谷があるはずだ。

カラ谷の手前で尾根を乗り越して、一旦少し下って沢(カラ谷)を渡る。上から男女2人組が下りてくるのが見えた。駐車場から南尾根コースに向けて先発した人達のようだ。瀬戸滝を見て、そのまま下山できるかどうか、という意味のことを聞かれた。通行止め表示があるので心配になったのだろう。川沿いは難なく通れたと伝える。さて、沢から再び少し登ると南尾根コースに合流する。すぐに標高800m表示、そして小滝を越えて登山道は上に延びている。

尾根乗越で北風が強く当たるようになり、雨が少し落ちてくる。十方山方面を見ると、時雨れている。雨はすぐに止んだものの、十方山に登っても展望はまるでなさそうだ。区切り(5合目)のよい三つ倉まで登り、お昼を食べて引き返すことにする。だから、もう少しがんばって登る。

尾根筋で樹間261度に山を見る。黒ダキ山のようだ。尾根筋を左から2度巻いた後で、少し急登して三つ倉(5合目)1030m前後に着く。十方山を見ても展望があるようにはみえない。予定通りここから下ることにする。

瀬戸滝から流れ落ちる川の左岸上部、標高590m~560m位の位置に一本の登山道があるはずだ(地形図の黒点線)。この道は往路でも少し通ったはずだ。それを確かめたくて、再び瀬戸滝方面に向けて下る。瀬戸滝を右下に見る位置で、目的の道に行き当たり左折して下る。

斜面を適度な幅に切り開いた道で歩きやすい道だ。もしかしたら、昔の人が瀬戸滝を越えて瀬戸谷に入るために作った槇道なのかもしれない。下山口の少し手前で尾根に乗る。そこが瀬戸谷南尾根コースとの合流点であり、ここも相変わらず通行止めになっていた。なお、以前に瀬戸滝を見たのも、この槇道の上からで、滝のすぐそばまでは行っていない。

今日は天候が思わしくなくて、十方山山頂まで登る気にならず、途中で下山した。それはそれでいたしかたないことなのだろう。 北アルプスや東日本の海は相当荒れたようだ。

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2008年11月03日

Akimasa Net
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二軒小屋~十方山林道(ワサビ田まで)、往復
日ごろお世話になっているSuさんと渓畔林を歩
(出発帰着:二軒小屋)

2008年11月03日(月)、Suさん

はじめに

十方山林道ウォーキング:
二軒小屋~水越峠~下山橋~ワサビ田、往復
(出発帰着:二軒小屋)

昨日に続く林道ウォーキングである。かねてご一緒にとお話をしていたSuさんとの同行が実現した。年齢は私より一回り上の方だが、しばらく前に富士山にも登ったことのある足は健在である。割と早足で予定より短時間での往復となった。(昨日とほぼ同じペース)

今日のコースタイム:

二軒小屋(29分)シシガ谷登山口(45分)下山橋(46分)ワサビ田
 小計2時間10分(右手のワサビ田見学を含む)
ワサビ田(24分)下山橋(27分)9号橋(18分)シシガ谷登山口(26分)二軒小屋
 小計1時間39分(下山橋4分を加える)
総合計3時間49分(ワサビ田32分を加えず)

二軒小屋9:03-シシガ谷登山口9:42-下山橋10:27-右手のワサビ田から戻る11:00-ワサビ田11:13、11:45-下山橋12:09、12:13-9号橋12:40- シシガ谷登山口12:58-二軒小屋13:24

Suさんには、拙著「細見谷渓畔林と十方山林道」も読んでいただいている。講演会「自著を語る」にもご出席いただいた。本や話の中だけの十方山林道を、肌で感じ取ることができてご満足いただいたようである。後日、私を写した当日の写真を3枚いただく。

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屋代コース~極楽寺境内~蛇の池など探索~後畑峠(2003/05/17)

Akimasa Net
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屋代コース~極楽寺~663m峰(山頂部尾根縦走路)~牛池~蛇の池~後畑峠
(出発:広電楽々園駅、帰着:広電平良駅)

2003年05月17日(土)、単独

はじめに

「リュックかついで」(中国新聞社、1980年刊)を古書店で入手した。極楽寺山の項をみれば、野貝原山~極楽寺山縦走路について書かれている。気にはなっていたが 、今まで入手した本では全く触れられていない山域である。

展望図の作成と五日市側登山道の確認をかねて行ってみることにする。書籍とは逆コースで、極楽寺~池めぐり~後畑峠~と行くつもりであった。

今日のコース&コースタイム

広電楽々園(らくらくえん)7:19-屋代第1号トンネル7:45-貴船原横断橋8:16-堰堤8:33-沢を渡る8:45-反射板9:10、9:14-分岐9:18-仁王門9:21-極楽寺9:32、9:50-蛇の池10:08-林道10:34-池10:40-蛇の池11:18-後畑峠11:53、12:00-鉄塔12:05、12:28-後畑峠12:30-湯来分岐12:40-国立原病院分岐13:30-広電平良(へら)14:07、(後日注:林道=牛池林道、池=牛池)

広電楽々園(57分)登山口(1時間16分)極楽寺、小計2時間13分
極楽寺から蛇の池などを周遊して後畑峠へ、小計2時間03分
後畑峠~広電平良、小計1時間14分
総合計5時間48分(その他すべての移動時間、休憩を含む)

広電楽々園~屋代コースを登る

少し早めに家を出る。広島工大横を通って登山口を目指す。少し西側から回り込んでゴルフ場西側に出る。アスファルトのきつい登りが終わって高速道をまたぎ堰堤に達するとようやく地道となる。

崩壊地の谷登り禁止(廿日市市)となっているが、全般的に道はよく整備されており集中豪雨の影響はほとんど残っていない。しかし、極楽寺直下の崩落地はいかんともしがたいか。かなり大規模な土木工事が今も行われており工事中の階段を通してもらう。ここから先は、さらに“よく整備された”遊歩道(りっぱな手摺付)になるようである。アスファルト道路になってしまうのだろうか。

極楽寺山頂部

極楽寺横の展望台にはりっぱなカメラを構えた数人のグループがいる。展望はあまりよくない。天気の回復を待っているのだろうか。それとも目的はハチクマだったか。

ハチクマ、ワシタカ科の猛禽類、広島県レッドデータブック(希少種)
毎年この時期、極楽寺山山頂にある極楽寺周辺で、東南アジアから繁殖地の北日本を目指す群れを見ることができる
例年5月いっぱいで、2000羽以上を確認しているという
中国新聞2003年5月23日付け記事より

魚切ダム方面入口から縦走路を北に行く~牛池林道に出る

蛇の池散策の後、北を目指して急坂を下る。登山道入り口の「魚切ダム・・・」の標識はなくなったのだろうか。土塁まで下って左に行くとすぐに林道である。その先に池がある。これが「水苔の池」だろうか。ここまでは、2001年に通ったのと同じ道である。しかし、ここから蛇の池に帰る取り付き口がわからない。
(後日注:林道=牛池林道)

牛池林道~牛池~蛇の池

林道を極楽寺山方面へ少し登ってみる。遊水池がありそこから西の山に入ると赤テープがある。しかしやがて道はなくなる。地図をたよりに尾根をはずさないようにブッシュ、ブッシュで押し切る。

後日注:遊水池=牛池。登りついた地点は、蛇の池北の690m(地形図表示あり)付近である。

蛇の池~後畑峠~広電平良

蛇の池から舗装道路を後畑峠へ下る。七曲峠に至る山道がこれまたよくわからない。今日はこれまで。鉄塔に取り付き昼食を食べて車道を下る。機会があれば泉水峠(のうが高原)からさぐってみよう。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

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広島電鉄宮内~広島岩国道路~四季が丘横~野貝原入口(明石バス停)(2006/05/27)

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 野貝原山⇒極楽寺山トップページ

広島電鉄宮内~広島岩国道路~四季が丘横~野貝原入口(明石バス停)
野貝原入口まで歩いたところで雨に降られバスで帰る

2006年05月27日(土)、単独

山行再開第2回目

近隣の主な山(ひろしま百山)で、しっかりと歩いたことのないのは野貝原山だけだ。その野貝原山から極楽寺山に向けて、縦走路が整備(極楽寺百回登山・百回参拝)されて歩きやすくなっているらしい。陸軍省標石が2本あるともいう。少し本格的な山歩きがしたくなり、未知のコースに挑んでみることにした。しかし、登山口にて降雨、そのままバスに乗って元来た道を下った。

広島電鉄宮内8:05-広島岩国道路8:15-四季が丘南口8:37-四季が丘西口8:53-野貝原入口9:20
総合計1時間15分

今日の様子

どこまで歩けるか、試す意味で電車の駅(標高10m以下)から歩くことにした。四季が丘団地、宮園団地が折敷畑山(おしきばたやま)の南東斜面にあり、その山の向こうに野貝原山山頂部の廃墟を見ながら進む。四季が丘にかかるころ標高20m位、そこから少しづつ高度が増してゆく。その上に、歩いているのは廿日市市(はつかいち~し)を海から山へと貫いている幹線道路(旧津和野街道)だ。路肩に歩行者用のラインはあるが、交通量の多い道路は少々危険だ。四季が丘西口を過ぎて道路を拡幅した箇所があり、歩行者用のスペースがブロックで区別されており束の間ほっとする。

道路脇に折敷畑古戦場跡の説明版をみる。ふとその隣のお宅の玄関前を見ると、陸軍省標石が大切に保管されている。陸軍輸送港域第二区標石第55号、場所は、廿日市市宮内黒折。なお、折敷畑合戦は実際には存在しなかったという説があるそうだ。秋山伸隆著『戦国大名毛利氏の研究』(吉川弘文館)1998年によれば、明石口の合戦と混同されて、別個の戦いが存在したように書き伝えられたのだという。

さて、明石バス停、野貝原入口信号を確認して、さあこれからという時に降雨、バス停のベンチ(屋根付き)に駆け込む。進むかどうか迷う。往路を全て歩いてみようと試みたことによって、道路脇で陸軍省標石を1本見ることができた。この標石は今日の予定には入っていなかったものだ。今日はこれでよしとして、いさぎよくバスにて往路下山。とても再び危険な道路を歩いて下る勇気はでなかった。

旧津和野街道

石見国(島根県)津和野-(柿木)-(六日市)-(宇佐)-(津田)-廿日市、17里(68km)。津和野藩による参勤交代や物資輸送のため使用した街道で、津和野~廿日市をほぼ直線に近いコースで結ぶため有用性が高かった。当時、廿日市の桜尾城西側一帯には津和野藩御船屋敷があり、中継居留地として使用されていた。

翌5月28日(日)、再び野貝原山の予定で出かけたが、雨が落ちてきそうな雰囲気で、電車に乗ることなくそのまま鈴ヶ峰まで歩いて登った。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。
  • Akimasa Net(2016年02月11日)山行記
    速谷神社~折敷畑山~四季が丘団地
    (出発:速谷神社(JR宮内串戸駅―山陽本線)、帰着:半目藪バス停(JR宮内串戸駅―山陽本線))

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

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野貝原入口(明石バス停)~野貝原山~泉水峠~川末(2007/03/03)

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野貝原入口(明石バス停)~野貝原山~泉水峠~川末~JR廿日市駅~広電山陽女子大前駅
(出発:明石バス停、帰着:広電山陽女子大前駅)

2007年03月03日(土)、単独

はじめに

ここのところ大峯山に集中して登った。参考とした資料の一つに、山田廸孝著「広島百山」さくら印刷出版(1994年)がある。その中の93大峯山(P.244-247)をみると、「昔、私らは呉から来てこの山へ登るときは、廿日市の原までバスで入り、そこから仙水峠を越え、楢原、吉末と歩いて登りにつき、湯来まで出て最終便近いバスに乗り、夜の列車で帰ったものだ」という記述がある。

そして同書には、“かつてのルート仙水峠からみる大峯山”というキャプションのついたすてきな写真が載っている。著者は広島県呉市在住の方であった。

西村さんのWeb「山毛欅の森の詩」の山便り「ふうふう」第119号(平成18年3月1日号)No.3昔の岳人の通った泉水峠を訪ねて、大峯山に登る(2月5日単独行)には、「(上記山田著の記述が)懐かしいキスリングの写真と共にある。カシミールで測定してみると約20㎞(川末から湯来まで:当Web作者注)ある」という記述とともに、自分自身で川末から仙水峠(今は泉水峠と表記)を越えて大峯山に登った山行記が載っている。

ほんとうに懐かしいキスリングの写真である。今時の縦型のナップサックと違って、両横に大きなポケットが付いている。そこにラジウス(登山用携帯コンロ)用の灯油ポリタンクでも入れれば、一層横に角ばって、蟹(カニ)族(狭い所を通過する様がカニの横ばいに似ていることから付けられた)そのものとなる。なお、私はホエーブス(ガソリン仕様)は使ったことがない。

さて、私も廿日市~泉水峠~大峯山~湯来を歩いてみようと考え始めていた。そうした時に、社内のボーリング大会があり、その後の飲み会で一人の若い女性から、行橋~別府間100kmウォークに誘われて、おもわずOKをしてしまった。約束した以上すこし鍛えなくてはなるまい。

という訳で、上を目差す登山とともに、距離を歩くウォーキングにも興味が湧いてきたところである。件の泉水峠は、随分前に一度歩いただけで、どのような場所かも覚えていない。2006年5月に、廿日市~明石~野貝原山~泉水峠~極楽寺山を目指しながら、登山口で雨天敗退したことがある。今日はもう一度このコースを通ってみようと思い挑戦する。

ただし、野貝原入口(明石バス停)まではバスで行くことにした。前回ここを歩いてみて、道路事情が悪く、徒歩では危険だと分かっていたからだ。それでも、天候が定まらず出発を遅らせたことや、泉水峠手前でルートがよく分からなくなったことから時間がなくなり、泉水峠までで縦走をあきらめて下山、廿日市まで歩いた。

うっかりJR廿日市駅の北側に入り込んだら、改札口(南側)との連絡通路が全くない。引き返して大回りするのもめんどうくさくなり、そのまま平行して走る広電(広島電鉄)山陽女子大前駅まで足を延ばした。少しはウォーキングの足しになったことだろう。

今日のコース&コースタイム

明石バス停11:04-林道野貝原線11:08-取り付き11:17-堰堤11:20-(引き返す)-取り付き11:23-一息つく11:39、11:46-少し広い尾根-やや平(尾根332度)推定標高380m-すぐ14度-竹林11:55-樹間に海11:59、12:02(619.2m三角点 276度)推定標高500m-尾根展望12:03-やや平355度推定標高520m、雨ぱらつく-登る12:09-急登12:13-振り返ると左下に集落12:16-小岩の間をぬって這い上がる12:20-雨宿石(推定標高620m)12:23、12:29-円形鏡石12:30-鏡岩12:31-ピラミッド積岩12:33-塔岩12:37、12:46-林道終端部12:52-タイル巨石12:53-高貴人墳墓12:54-小コブ12:59-方位石13:02-野貝原山13:04、13:17-林道終端部13:22-バラス車道13:27-廃墟建物13:38-(行き過ぎる)-北へ入る13:42-別荘地(廃墟)13:51-702m(鉄塔)下13:57、13:59-702m(鉄塔)14:01、14:11-サーキット場14:23-(車道を下る)-右山道へ入る14:31-送電鉄塔管理道表示14:39-車道14:45-泉水峠14:46、15:05-集落を見下ろす15:19-登山口15:30-川末バス停15:39-原病院分岐15:57-高速道路下16:11-西広島バイパス下16:31-JR廿日市16:45-広電山陽女子大前16:53

野貝原山入口(13分)取り付き(32分)竹林(28分)雨宿石(8分)塔岩(6分)林道終端部(12分)野貝原山
 小計1時間54分(雨宿石6分、塔岩9分加える、余分な探検6分加えず)
野貝原山(5分)林道終端部(16分)廃墟建物(23分)702m鉄塔(推定15分)泉水峠
 小計59分(鉄塔10分加えず、余分な探索約20分加えず)
泉水峠(25分)川末登山口(9分)川末バス停(1時間06分)JR廿日市
 小計1時間40分
総合計5時間49分(全ての時間)
 小計で加えなかった時間36分を加える
 野貝原山13分、泉水峠19分休憩を加える
 JR廿日市~広電山陽女子大前8分を加える

明石バス停(野貝原山入口)で下車して北に向う。野貝原山が前方にあり、山頂部のアンテナ群や廃墟群が見える。しばらくして左折、林道野貝原線(御手洗川左岸)に入る。大歳神社を右に見て通り過ぎ、神社裏手で林道を左に見送り、そのまま北に向う簡易舗装道に入る。民家の切れるあたりで左折して、小さなコンクリート橋を渡り、集落の北を通って山道に入る。集落の途切れる辺りまでは、完全に二万五千分1地形図のとおりである。

ここから尾根を追って登る山道(古代参道)は地形図にはない。地形図上に平行して描かれた2本の細線の間の尾根を北に向う。尾根上あるいはやや西側を行く山道は深くえぐれており、塹壕のようだ。

塹壕には乾いた落ち葉が堆積しており足が滑る。時々倒木があり前進を阻まれる。踏み跡に沿って塹壕を這い上がり、尾根上を進もうとすると小潅木がうるさい。ツバキの花が点々と落ちて道を赤く染めている。多少の苦労をしながら登るにつれて、振り返ると南側の山々や海が見えてくるようになる。

雨宿石の下で、小岩の間をぬって這い上がっていると、ウグイスの鳴き声が聞こえてくる。すでにしっかりとしたホーホケキョになっている。雨宿石:弥山164度、岩船岳178度、大野権現山223度、右前方三角点619.2m266度

雨宿石から右折して巻き道コースに入る。右手(南面)は切り立った断崖となっており慎重に進む。円形鏡石、鏡岩、ピラミッド積岩を経て塔岩に至る。瀬戸内の海の眺めがすばらしい。霞む天気の中で、弥山(宮島)左奥に大黒神島の双耳峰がすっぽりと入っている。

岩船岳が船倉山の真後ろにある。より正確には、船倉山は、岩船岳第1ピークと第2ピークの間にある(なお、岩船岳三角点を第3ピークとする)。大野権現山 234度もはっきりしている。天気がよければ、瀬戸の小島がかなりたくさん見えるようである。それらの位置、見える高さをカシミール展望図で検討すれば、塔 岩の位置は正確に測定できるであろう。

塔岩まで南面を巻いた道は、そこから東面に回り込み、ほどなく林道終端部(推定標高660m)に達する。林道にはガードレールまで付いており道幅は広い。林道は、山頂三角点東側の沢の右岸に沿って、345度の方向にやや登り気味に付いている。この林道部分は地形図には記載がなく、北に向うと、地形図に記載された"のうが高原"一周道路(二重細線表示)に接続する。

その前にまずは山頂を目差す。林道終端部を左折して、タイル巨石や高貴人墳墓を通過、山頂三角点から南東に流れる尾根に乗り、方位石を経て山頂に達する。

野貝原山山頂からの展望はほとんど期待できない。葉を落とした樹木の間に、宮島、船倉山~大野権現山を含む106度から258度位の範囲が見えている。葉が繁ってくると展望はほとんどなくなるだろう。

山頂から元来た道を引き返し、林道終端部まで下りる。林道を北に向い、バラスを敷いた"のうが高原"山頂部の車道に行き当たる。その道を右折して東へ行く。途中で道が北向きとなる地点があり、左手西の方角に、美しい西大峯~大峯山を見る。途中でアセビが咲いているのを見ながら廃墟建物に至る。周辺部からよく見える例の薄茶色の建物である(地形図にも建物マークが入っている)。

廃墟建物を右に見て道なりに少し行き過ぎる。引き返して右折、北北東の方角に向い、アンテナ群を右に見て下り、別荘地廃墟を左から巻き込んで、702m(鉄塔)下に至る。中国電力送電鉄塔の表示があり、泉水峠と記された矢印をみて鉄塔まで駆け上がる。送電線の右に、阿弥陀山~東郷山が見えているようである。

鉄塔からの道がまるで分からない。そして、地形図を検討している間に、送電線鉄塔の位置を取り違えてしまった。地形図上で、702mにある鉄塔の位置を、泉水峠すぐ南にある別の鉄塔と見間違えたのだ。見間違えた鉄塔の位置から泉水峠は北側になる。そこで、702mから北東に流れる尾根を、北向きに強引に下ってしまった。

途中で、槙道が左手から下りて来たので合流して下る。そして、カートピスタヒロシマ: KART PISTA HIROSHIMA(地形図では、二重細線の小さな輪になっている)の南側車道(地形図黒実線)に降り立つ。

車道に下りたはいいが、そこから泉水峠への道が分からない。ちょっとだけブッシュを漕げば大丈夫そうだけど、ピンポイントで行き当たるかどうか。以前逆方向に通ったときには、そんなに難しそうな道ではなかったはずだが、その他大勢の中に入り、くっついて歩いただけなので全く記憶にない。

このまま西の楢原まで下って、廿日市~大峯山ウォーキングの予行練習をしてもよいという気持で、車道を下り始める。

しばらくして、右手植林帯の中に道が開けており、探検するつもりで入り込む。道は沢沿いに東へ登っている。やがて、送電鉄塔管理道を示す表示があり、二股に分かれる道の右に入りきれいな道を行くと、車道が右下に見えてきて、元の場所まで帰り着く。そこは広場になっており、よく見るとその奥に切り通しがあり、数歩踏み込むと小さな杭に泉水峠とある。広場は、車道(地形図黒実線 )と泉水峠の最短距離位置にある。

702m鉄塔下で、管理道表示を右(左は鉄塔)に行けば、尾根を通って、広場のわずか手前で車道(地形図黒実線)に出るようである。

泉水峠からは良く踏まれた趣のある古道を下る。ただし最初と最後に小石が多くあり、草鞋履きの足にはさぞかし辛かっただろうと思われる。車道ではひたすら下る。ロング走行に耐えうるスピードはどのくらいか検討するため、あまり早足では歩かなかった。川末登山口~JR廿日市の下り約6kmを1時間15分かかっている。時速4.8kmになるのかな。下り道だから、それ程早いペースでもなかろう。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。
  • Akimasa Net(2016年02月11日)山行記
    速谷神社~折敷畑山~四季が丘団地
    (出発:速谷神社(JR宮内串戸駅―山陽本線)、帰着:半目藪バス停(JR宮内串戸駅―山陽本線))

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

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野貝原入口(明石バス停)~野貝原山~泉水峠~(縦走路)~七曲峠(2007/03/17)

Akimasa Net
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野貝原入口(明石バス停)~野貝原山~泉水峠~(縦走路)~七曲峠
(出発:明石バス停、帰着:広電廿日市駅)

2007年03月17日(土)、単独

はじめに

懸案の野貝原山~極楽寺山を目差す。しかし、出発やバス乗り継ぎの段取りがまずくて歩き始めるのが遅い時間になってしまった。七曲峠までの尾根歩きを楽しんで下山する。今秋の100kmウォークに備えて、下りとはいえ、登山後1時間49分のロードを加えることができた。

泉水峠から極楽寺山へ向けて、「健脚者向きには、泉水峠からの静かな縦走コースがある」として、「リュックかついで」中国新聞社(1980年)の極楽寺山(下)P.162-3の項で紹介されている。このコースの概略については、「急な長い登りこそないが、稜線上を行くだけに上り下りが多く、後方に見えていた野貝原山の塔が眼前に見えたりするほど、変化のある楽しい尾根歩きが出来る。要所には展望台を作っているので、大峯山や阿弥陀山の山並み、瀬戸内海の展望を心ゆくまで楽しめる」としている。

時代を経て登山道の状況がかなり変化しているためであろう、記述内容によく分からない点もあるが、以下で順次比較検討してみよう。そのほか、「極楽寺山百回登山」(極楽寺山登山記)、「廿日市の山々」で、この地域のバリエーションを豊富に紹介している。(いずれも、「中国地方の山100選」リンク集に収載)

ある方からメールを頂く。これまで私と何回も山中でニアミスを繰り返してきた方である。当日、野貝原山へ川末から登り、泉水峠経由で川末に下りたという。最接近したのは野貝原山山頂で、30分少々私のほうが早かったようである。

今日のコース&コースタイム

明石バス停(標高約210m)9:58-大歳神社10:06-取り付き(標高約280m)10:09-塹壕状態終わり10:25-再びなだらか334度10:31-竹林(10:33-10:37)-尾根に乗る10:39、10:41-登山道右手、岩の尾根10:43-急登10:49-尾根に乗る10:52、10:55-雨宿石11:00-沢と合流11:05-左の沢へ11:08-方位石11:14-野貝原山11:16、11:23-すぐ右折-道路合流11:27、11:30-管理道合流11:33-野貝原山登山道左分岐あり11:35-山頂部廃墟11:46-すぐ左折-702m送電鉄塔下11:58-分岐を左へ12:03-送電鉄塔管理道合流12:06-車道12:07-泉水峠12:09、12:19-694m12:46-(途中省略、休憩8分あり)-700m台13:14-117度を向く13:17-鞍部(650m台)13:21、13:23-660m台のコブ13:24-670m台13:27-鞍部13:28-682m13:29-右手荒れ沢13:36-大沢乗越(630m台)13:37、13:46-厄よけ観音13:50、13:53-(車道)-峠で右折13:56-送電鉄塔(670m台)14:05、14:09-691m14:10-右折道あり(三差路)14:13、14:18-左分岐14:21-左へ駆け上がる14:21-660m台の小コブ14:32-鉄塔管理道14:41-峠乗越(590m台)14:42-送電鉄塔(610m位)14:45-630m台(648m西側)14:49-(途中省略)-汐見山635.7m15:24、15:27-引き返す15:35-七曲峠15:52-極楽寺山分岐16:02-長野ループ(極楽寺山登山口、原コース)16:42-原病院分岐17:00-山陽自動車道下17:08-西広島バイパス下17:25-広電廿日市17:41

野貝原山入口(11分)取り付き(24分)竹林(27分)雨宿石(16分)野貝原山
 小計1時間18分
野貝原山(10分)のうが高原管理道(13分)山頂部廃墟(12分)702m鉄塔下(11分)泉水峠
 小計46分
泉水峠(27分)694m(20分、途中休憩8分を除く)700m台(15分)682m(8分)大沢乗越(4分)
 小計1時間18分(途中休憩8分加える)
大沢乗越(4分)厄よけ観音(13分)691m
 小計24分(厄よけ観音3分、送電鉄塔(670m台)4分加える)
691m(27分、途中休憩5分を除く)峠乗越(7分)630m台(35分)汐見山
 小計1時間14分(途中休憩5分加える)
汐見山(推定6分)七曲峠
 小計6分
七曲峠(1時間08分)原病院分岐(41分)広電廿日市
 小計1時間49分
総合計7時間43分
(野貝原山7分、泉水峠10分、鞍部(630m台)9分、汐見山3分、汐見山南西探索19分を加えた全ての行動時間)

明石バス停~雨宿石

明石バス停から登り、取り付きを過ぎると、すぐに塹壕状態となり乾いた落ち葉を踏んで行く。登山道は、全体的に尾根のほんの少し西側に付けられている。尾根10:39で振り返ると、船倉山182度~大野権現山、左奥に宮島をみる。右奥の619.2m三角点は279度にある。これが尾根10:52まで登ると、三角点は269度となる。その後、小岩の間を急登して、古代参道分岐(雨宿石)に至る。詳しいルート等は、2007年03月03日参照。

雨宿石~(直登)~野貝原山

今日は、ここで右折して古代参道を行く(前回)ことはせずに、真っ直ぐ進んで直登する。

最初、尾根を右手にしてトラバース気味に登る。とはいうものの、急登である。しばらくして、左手の沢と接するようになり、残雪を見る。

やがて沢が二股になっている地点に至る。左の広い沢334度に入る。二万五千分1地形図では、野貝原山719.5m三角点に向けて、ほんの小さな沢が表現されているのが分かる。ただし、踏み跡はわからなかった。

がまんして進むと、右折する踏み跡があり、そこからジグザグに2~3回折り返しながら登ると、南東尾根の「方位石」のところに出る。尾根を北西にほんのちょっと登れば山頂である。

野貝原山~(のうが高原管理道)~泉水峠

今日は、野貝原山山頂から西へ踏み込んで、地形図の黒実線をたどり、のうが高原管理道に下りた。

途中、道路合流11:27で、338度に雪山を見る。十方山であろう。その右手前には湯来冠山も見えている。

管理道に入って東に進むと、右手に野貝原山取り付き(前回の出口)がある。地形図にはなにも表記されていない。すすきが繁っておりわずかに踏み跡があるのみである。踏み跡の先を見通すと、針葉樹が背高く大きく育っており、その間をまっすぐ延びる林道の両側が、壁のように透けて青空が見えている。

今日はそこをやり過ごし、大峯山の遠望を楽しみながら廃墟建物に至る。

廃墟建物正面を過ぎてすぐに左折、山頂部アンテナ群の左(西)側を通り、管理道を北北西に下る。702mピーク近くの送電鉄塔の下で、702mから北東に延びる尾根を左に見ながら、よく整備された道を下る。前回は、702mピークに駆け上がってしまい苦労させられた。

さて、しばらくして、鉄塔管理道を右に分け、左下にサーキット場を見ながら急下る。右から鉄塔管理道が下りてきて合流すると、すぐ車道(黒実線)に下り立つ。車道を右折して進み、広場になったところを右に入ると泉水峠である。(700m台にある送電鉄塔の管理道を直接行き来しても結果は同じである)

泉水峠~700m台ピーク

私:泉水峠から、いよいよ幾つものピーク(コブ)を越えて行く。700m台ピークまでは、基本的に北を目差して進む。登山道の状態にはなんら問題はない。694mを越えて700m台に近づく手前で、ササが多くなり、時には胸までの深さのササの中を登る。ただし、苦労と言えるほどのことでもない。

リュックかついで:「泉水峠から北へ五十分も登ると湿地帯の泉水沼だ。年々、水量は減っているけれども、水ゴケが多く野鳥のさえずりも聞こえる。足元のぬかるみに要注意」。

添付の地図P.160によると、泉水沼は694mと700m台の中間点付近にある(あった?)らしい。ただし、今日は湿地帯というほどの湿地を通った記憶はない。

700m台~682m~大沢乗越

私:700m台ピークから、登山道は右(東)へ大きく向きを変える。まず31度、続いて117度に向けて、右に振りながらなだらかに下る。途中左奥に見えたのは、阿弥陀山であろうか。682mから下る途中で、右手樹間わずかに山影304度を認める。これは大峯山であろうか。やがて前方に瀬戸の海をみるようになり、左から沢が崩落している地点を通り過ぎて 、鞍部(大沢乗越)標高約630mに達する。

リュックかついで:「やがて稜線は北から東方へ急カーブし、伐採されて、なだらかな展望のいい斜面に出る。右手に炭焼き小屋跡を見て鞍(あん)部を乗り越し、ブッシュ気味の尾根を登りきり、そして枯れ松林を下ると大沢乗越に出る。右手の沢沿いの踏み跡を五十分も下ると川末橋に出る」。

今日は、炭焼き小屋跡は見ていない。なお、大沢乗越から南西に向けて踏み跡があるのを確認できる。地形図黒点線に沿って川末まで下山できるようだ。「廿日市市の山々」Naさんの地図にも記載がある。

大沢乗越~厄よけ観音~691m

私:大沢乗越から691mに向けて、踏み跡が駆け上がっているようだ。この尾根筋の登山道とクロスして、未舗装の林道(地形図の黒点線)がある。その林道を北東に下って車道に至ると、道の向こうに「厄よけ観音」がある。そこから車道を北に上がり、峠のところで右折して鉄塔管理道を登り、691mピーク下の送電鉄塔に至る。そこからわずかに登る(216度)と691mピークである。(大沢乗越から直接山に取り付けばここに至るはず)

リュックかついで:乗越から雑木林を登り、やや平らな深い松林をくぐり抜けると、三差路に出会う。

この三差路を左折して登れば691mであろう。しかし、「リュックかついで」は、691mの南面をトラバースしてきて、691mに至ることなく、三差路を右折して下っている。今日の私は、厄よけ観音を見学したので、一旦北側から691mに登り、そこから下りて来て、三差路をそのまま下った(次項参照)。つまり、三差路から先は、再び「リュックかついで」と同じコースをたどっているはずである。

691m~峠乗越~630m台

私:691mからは、一旦南南東に流れる支尾根に乗り、海に向って下る。すぐに右折道(三差路となっている)があり、これが、先程の大沢乗越から主尾根に駆け上がっていた登山道であり、その尾根の南側をトラバース気味に下りてきたところであろう。

今日はそのまま真っ直ぐ178度で下る。右奥前方に野貝原山頂部アンテナ群をみる。しばらく下って左分岐、18度で右手急斜面に落っこちないように、ほぼ平坦な細い踏み跡をたどる。

やがて、道は左へ駆け上がり、いつの間にか主尾根に乗って45度を向き、小コブ(650~60m台)に至る。地形図では、尾根が東南東を向いていることしか表現していない。そして、ここから踏み跡が消えてしまった。地形図で角度を見定め強引に押し下る。左から鉄塔管理道が上がってきており、右折して鞍部(峠乗越)標高590m台まで少し登る。送電線鉄塔(610m位)を過ぎ、平らな630m台奥の東南側にピークがある。

リュックかついで:「(三差路から)右の急な道を五分ほど下ると木標がある。左側のススキの踏み跡をトラバース(横ぎること)気味に行くと、杉林の深い鞍部に着く。さらに植林された踏み跡を登り、峠方面を左眼下に見て下ると峠乗越である」。

今日私が通ったトラバース道のことであろうが、木標、ススキの踏み跡、杉林の深い鞍部という記述についてはよく分からない。

リュックかついで:「(峠乗越から)稜線沿いについている道は行かずに、右手に百メートルも行くと展望のいい尾根筋に出る。川末側が伐採されており、廿日市、五日市の町並みや瀬戸内が望める。川末橋から約三時間、休憩、食事時でもある」。

今日の私は、鞍部近くに下り立って、右手に1~2分登ると稜線上(鞍部)に出た。ここが峠乗越という考え方でよいと思うのだが、「リュックかついで」の記述は微妙に異なっている。

そして実は、691mピークから南に下った“右折道あり14:13”地点には、尾根に沿ってそのまま下ることを阻止するように、通せんぼがしてあった。 「極楽寺山百回登山」グループなどによって、再び開いたルートではあるが、その後あまり踏まれなかったため、危険との判断を示しているのかもしれない。

旧来から、ここのルートを通る場合は、鉄塔管理道を利用させてもらっているようである。 峠乗越から北へ標高約540m台地点まで谷沿いに下り、そこから691m下の送電線鉄塔に向けて登る管理道があるという。

630m台~汐見山635.7m

私:630m台ピークから汐見山を目差して、さらにいくつもの小ピークを越えて行く。右横には、野貝原山山頂部(アンテナ群)から東へ流れる尾根が見える。振り返ると、樹間に今日通ってきた稜線が見える。正面前方に海が見えることもある。谷底の集落は川末であろう。

やがて汐見山に至り、まず陸軍省標石を確認する。そのすぐ先の三角点(635.7m)は、ほとんど地中に埋もれており、かろうじて三角点の文字が見えるにすぎない。これら標識のいずれも、山頂平坦部の西の端にある。

リュックかついで:「ここから稜線伝いに、鉄塔のあるP六三五メートルを経て、急坂を下ると七曲峠の車道に飛び出す」。

汐見山までは、淡々とした稜線が続く。ところで、汐見山635.7mに鉄塔があっただろうか。疑問である。

汐見山~七曲峠

七曲峠を目差して下る。ほんとうはすぐに左折して、北へ流れる支尾根に乗って下らなければならないのを、悪い癖で、道なりに南東に流れる尾根を追って下ってしまった。尾根には非常にいい道がついている。どこまで行けるのだろうか。もしかしたら、389mの近くを通って、その下に記載されている地形図黒実線( 集落から、標高約250m付近まで延びている)まで下ることができるのかもしれない。

今日は、汐見山から南東に向けて8分位下ったところから引き返す。10分少々登り返して、そろそろ汐見山に帰り着いたかと思う頃に、右下にガードレール付きの道路が見えてきて、急下りが始まった。角度を測る。確かに七曲に向けて下っている。汐見山山頂部(東端)をいつの間にか通り越して、下山道に入っていたのだ。結果オーライではあるが、一瞬現在位置を見失ったことに変わりはない。反省すること仕切りである。

七曲峠に下り立つ手前で、右の谷を覗き込むと、数十mありそうな岩壁が垂直に落ち込んでおり、その上部を樹木が覆っている。吸い込まれてしまいそうで、おもわず体が左に傾いてしまった。ここから道路を少し下った地点でも砂防ダムを建設中である。この辺りは思いのほか深い谷となっている。

七曲から極楽寺山までは、車道を行くしかない。以前に極楽寺山から下りて来て、極楽寺分岐から七曲峠に向けて山道を行こうとして、取り付き方さえ分からず敗退したことがあった(2003年05月17日)。道は無いに等しいという。ここにも陸軍省標石があるというので興味はあるが、今日はここで終了としよう。

七曲峠~山陽道

海の向こう、正面向って右に、宮島(弥山)そして駒ヶ林の切り立った岩肌を見ながら下る。大聖院コースの崩落箇所も見えているようである。暖冬の後の春本番前、少し気温は低めとはいえ、穏やかな日差しを浴びてゆったりと下る。

玖島村植林地
原病院分岐に道しるべ

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。
  • Akimasa Net(2016年02月11日)山行記
    速谷神社~折敷畑山~四季が丘団地
    (出発:速谷神社(JR宮内串戸駅―山陽本線)、帰着:半目藪バス停(JR宮内串戸駅―山陽本線))

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

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平良コース~極楽寺境内~山頂部尾根縦走路~617m北東尾根~中国自然歩道(2001/05/04)

Akimasa Net
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平良コース~極楽寺山頂部~山頂部尾根縦走路(663m~617m)~617m北東尾根~中国自然歩道~佐伯運動公園
(出発:JR廿日市駅、帰着:JR新井口駅 ― JR山陽本線)

2001年05月04日(金)、単独

2001年度(頂上から北のルートを初めて探索)

  • 2001年05月04日(金)、単独
    平良コース~極楽寺山頂部~山頂部尾根縦走路(663m~617m)~617m北東尾根~中国自然歩道~佐伯運動公園
  • 2001年05月01日(火)、単独
    平良コース~極楽寺山頂部~山頂部尾根縦走路(663m~617m)~牛池林道~白河上バス停
  • 2001年03月24日(土)、単独
    平良コース~極楽寺山頂部~陸軍省標石663m峰~小畠2コース~佐伯運動公園

JR廿日市09:25-登山口09:43-高速道路10:00-あと60分標識10:23-あと40分標識10:37-岩場10:42-原分かれ11:01-極楽寺11:15、ここまで1時間50分

出発11:25-693mピーク-魚切ダム方面入り口11:40-林道11:58-右折してしばらく行くと植物公園入り口を斜め右に入る12:00-倉重分かれ12:10(ここまでは、3月24日、5月1日と同じ)

分岐点を大杉方面へ-鉄塔12:12、ここまで47分(合計2時間37分)

出発12:32-下河内別れ12:51右折-鉄塔(電線)に沿って下る-中国自然歩道13:12右へ進む(左に行くと魚切方面のはず)、途中で道が分断された個所あり-登山道入口(運動公園上)14:00、ここで3月24日の下山道(倉重分れ直下)と合流する。ここまで1時間28分(合計4時間5分)

2019/05/07注:ここで下河内別れとは、617m峰(旧陸軍省標石有り)のすぐ北側から617m北東尾根を下る送電線鉄塔管理道の取付き地点を指しているものと思われる。

出発14:00-城山口交差点14:37-井口台中央交差点15:10-JR新井口15:35
ここまで車道を歩くこと1時間35分(合計5時間40分)

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

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観音コース~極楽寺山~観音北(三角点)コース(2004/12/12)

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観音コース~極楽寺山~663m峰(山頂部尾根縦走路)~観音北(三角点)コース
(出発帰着:広電楽々園駅)

2004年12月12日(日)、単独

はじめに

「広島市の山を歩く」(上巻)-中国新聞社刊(2004年)を参考にしながら、ゴルフ場の北側、観音台から登って、魚切ダムに至るルートを歩くつもりで出発した。

登りはほぼ予定通り(若干異なる)で極楽寺(661m)に至る。その後も予定通り、極楽寺山(693m)山頂から蛇の池を見学した後、少し引き返して、五日市・廿日市境界線が走る尾根沿いに、北に向かって663m~617mを目差す。

ところが663mを下りきったあたりに、右・観音台の標識があった。携行していた「広島市の山を歩く」(上巻)を読み直すと、その道は消失しているという。しかし、標識はしっかりしている。行ってみることにする。

今日のコース&コースタイム

広電楽々園(らくらくえん)8:00-西広島バイパス8:20、8:28-山陽自動車道8:51-(山道)-車道9:03、9:06-登山口9:07-急登一段落9:18、9:20-木段9:24-尾根に乗る9:29-大岩9:32、9:34-(左へ振る)-あと0.6km-完全に尾根上9:38-あと0.4km9:44-あと0.2km9:57-極楽寺9:59、10:11-693mピーク10:22、10:36-蛇の池10:48-魚切ダム方面入口10:59-コブ11:02-663m11:17、11:20-観音北分岐11:27、11:34-コブ11:38-コブ11:44-コブ11:48-587.2m11:51(昼食)12:00-ピーク手前右折12:21-堰堤12:32-右岸に渡る12:36、12:48-登山口12:55、12:58-バイパス13:18-広電楽々園13:44

広電楽々園(1時間07分)登山口(52分)極楽寺
 小計1時間59分
山頂部、山頂付近、蛇の池など探索
 小計60分
魚切ダム方面入口(18分)663m(7分)観音北分岐(17分)587.2m(32分)堰堤
 小計1時間33分(休憩を含む)
堰堤(23分)登山口(20分)バイパス(26分)広電楽々園
 小計1時間12分(休憩を含む)
総合計5時間44分(全ての休憩を含む)

広電楽々園~観音コース登山口まで

広電楽々園から広島工大上バス停を経て登山口に至る。

途中、西広島バイパス横には、“○○の鉄道モケイ”という大きな看板を掲げた古い建物があり、その脇には電車の実物が置いてある。この建物は、西広島バイパスを走行中の車からもはっきり見ることができる。

山陽自動車道まで、極楽寺山山腹にある反射板を前方に見据えて高度を稼ぐ。山陽自動車道の下は、道なりに行って狭くて暗いトンネルをくぐった。トンネルを抜けてすぐに左手山道に入る。セメント道の上を落ち葉が覆っており、クリがたくさん落ちている。その先で道がなくなり、原っぱを強引に突き抜けると車道に出た。

ほんとうは、ここまで車道を登れば何ということはない。ショートカットをしたようだ。病院北側のバス通り(観音台入口バス停)を登ると、広くて明るいトンネルで自動車道の下をくぐってここに至ることができる(下りで使用)。

観音コース登山口~極楽寺

観音コース登山口は、最後の建物をほんの少し行った左手にある。そこには、「極楽寺登山口、頂上まで1時間、造幣局登山(部?)」というりっぱな標識がある。この標識は、 極楽寺661mにある「極楽寺頂上、標高661米、造幣局登山部」という標識までの間に、登山道途中で200mおきに設置してあったもののようだ。今日は、あと600mから上でのみ確認。

登山道は、最初左手やや沢側を行きながら、やがて尾根に乗って大きく左に振れ極楽寺を目差す(二万五千分1地形図破線南側の尾根道-地形図には表示なし)。頂上近くで、道にツバキの花が二輪。山頂部にたどり着くと、そこは阿弥陀堂の裏手にあたる。標識は全くない。

極楽寺山頂部

展望台からは、霞の中に宮島、似島、太田川あたりが見える程度で、能美島すらはっきりしない。展望台直下のがけ崩れ工事は完了したのであろうか。むき出しになっていた山肌が緑で覆われている。

蛇の池探索後、最高峰693m展望台に向かう。相変わらず霞んでおり展望ははっきりしない(298度~10度位-磁北から)。「ふるさとの山歩き」中国新聞社1992年刊には、“東郷山から十方山、大峯山、吉和の冠山、羅漢山まで一望”とある。後刻、写真等も含めて検討してみたい。前回より木々が伐採されており、東が少しばかり開けているようだ。

魚切ダム方面入口から縦走路を北に行く

魚切ダム方面入口は、693mから蛇の池に下る鞍部の一つ手前のコブにある。ただし標識はない。2001年3回の登山(3月1回、5月2回)で最初は標識を確認したはずだ。しかし次の時には標識は無くなっていた様に思う。入口でコンパスを使っていると、けげんそうな顔をして男女ペアが通り過ぎていった。

陸軍省標石663mの先の鞍部から観音北コースに入る

後日注:観音北(三角点)コースについては、2008年12月6日山行記参照。

663mで陸軍省標石を確認、その先の鞍部(観音北分岐)から右へ入る。分岐にある標識で、観音台方面と表記した横に小さく魚切ダムとあるのは間違いだろう。魚切ダムに行くには分岐を左へ向かう必要がある。(足元に小さく左・植物公園という標識がある方向である)

観音北(三角点)コースは、「広島市の山を歩く」では消失したとされているコースである。引き返すための体力を温存しながら慎重に進む。587.2m三角点を越えてもなお、倒木はあるものの踏み跡はしっかり続いており、結局は今日の出発点の登山口上部にある堰堤まで下りることができた。

リンク集収載の「極楽寺百回登山・百回参拝」の“登山ルート”では、通行可としっかり表示している。しかし、事前にこのWebを検討していなかった。

さて、コースを振り返ると、縦走路から587.2m三角点までは何ということはない。しっかりした道だ。三角点以降は、まず左自然林、右植林の境目を行く。踏み跡や、黄テープ、赤テープを頼りに、時々倒木を避けるために迂回しながら下る。ピーク手前で右手谷間に向けて、槇道を行く。そして堰堤に向かって流れる尾根に乗って下る。

堰堤手前の河原を渡って車道へ出る。そこから上方をみると、沢に沿って真っ直ぐ登る道があるのがわかる。しかしその先は木々に阻まれてどの様な状況かははっきりしない。また、堰堤から左手沢沿いの登山道は取り付き口すらわからない。(以上2本は、二万五千分1地形図に記載されている)

観音コースと合流する

堰堤からしばらく下ると、午前中に取り付いた観音コース登山口に至る。

なお、今回の山行きルートは、山道の登り下りとも二万五千分1地形図に記載の破線とは異なっている。ただし稜線上は境界線そのものを登山道と考えてよいようだ。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

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平良コース~極楽寺山~北部尾根縦走路~617m北東尾根~中国自然歩道~荒谷林道(2004/12/18)

Akimasa Net
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平良コース~極楽寺山~縦走路(663m、617m)~中国自然歩道~荒谷林道~大杉橋
(出発:JR廿日市駅、帰着:川坂バス停-山陽自動車道下)

2004年12月18日(土)、単独

はじめに

極楽寺山の大動脈走破を目差す。すなわち、平良コースで山頂部(661m、693m)に至り、さらに北の663m、617mを通過して中国自然歩道に下り、荒谷林道経由で魚切ダムをめざす。途中では、左右から登ってくる枝道を確認しながら進む。

魚切ダム手前の大杉橋(荒谷川)で、ダム(上流部)へ至るルートを見失う。「広島市の山を歩く(上巻)」を改めて確認すると、“開放型堰堤のパイプの間をすり抜けて行く”らしい。今日は深く検討することなく、あっさりと下河内方面に下る(逃げる)。

注釈(2019/05/06)

  • 倉重コース:従来から、倉重谷コースとしていたコース名を改めることにする。
  • 小畠コース:従来から、倉重尾根コースとしていたコース名を改めることにする。
    (さらに、小畠1,2,3に細分化する)
  • 小畠99コース:従来から、倉重”新”谷コースとしていたコース名を改めることにする。
  • それぞれのコースを区別しやすくするためである。

  • 極楽寺山の北側尾根縦走路:極楽寺山から北向きに、663m峰(旧陸軍省標石有り)~倉重下山口~(小畠99下山口~小畠下山口・途中から小畠1,2,3に別れて下る)~617m峰(旧陸軍省標石有り)~大杉集落まで尾根筋を歩くことができる。なお、617m峰のことを小畠山(小畑山)と称するようである。
  • 中国自然歩道:倉重登山口から縦走路尾根の東面を北向きに行く。
  • 牛池林道:縦走路尾根の西側に並行している。
  • 倉重コース:佐伯運動公園上の倉重登山口からごく大まかには西向きに登り、極楽寺山の北側尾根縦走路(倉重下山口)に乗る。尾根を左手(南向き)に行くと、663m峰(旧陸軍省標石有り)を越えて極楽寺山に達する。
  • 小畠コース:617m峰のやや南側(縦走路)から、縦走路尾根の東面を下る(途中から、小畠1,2,3に別れて下る)。送電線鉄塔管理道や槇道などが複雑に絡み合いながら分岐している。最後は、倉重コースあるいは中国自然歩道に合流する。
  • 小畠99コース:倉重下山口の北側(縦走路)から、縦走路尾根の東面を下る。超急坂である。倉重コース途中で合流する。お薦めできない。

なお、各ページ本文の書換えは完璧ではない。

今日のコース&コースタイム

JR廿日市8:10-西広島バイパス8:23、8:25-登山口8:29-鉄塔8:48-広島自動車道8:50-(宮島サービスエリアからの道あり)-左・展望地8:54、9:01-19丁9:08-20丁(あと60分)9:13-速谷神社方面分岐(廃道)9:17-22丁9:20-23丁(右に振る)9:22、9:26-24丁(あと40分)9:28-岩場9:33-26丁(地蔵様)9:34-27丁9:37-518.6m三角点9:42-29丁9:45-原分岐9:50-35丁9:58-仁王門(36丁、五日市分岐)10:01-極楽寺(661m)10:05、10:10-(一願堂)-極楽寺山(693m)10:19、10:26-気象観測装置10:30-魚切ダム方面入口10:31-コブ10:37-コブ10:42-663m10:44-陸軍省標石10:46-小コブ10:48-鞍部(観音分岐)10:53-(土塁)-林道10:54-右手斜め前入る10:57-鞍部(倉重分岐)11:03、11:06-送電鉄塔11:08、11:10-小コブ11:15-コブ11:19-600m台11:22、急下る、次のピーク60度-610m台11:27-617m11:32、11:34-鉄塔11:37、12:13-617m戻る12:14-送電鉄塔そば12:18-中国自然歩道12:55-617m取り付き口13:13、13:26-荒谷林道13:32-標識13:42-大杉橋(荒谷川)13:52、13:58-バス通り14:30-川坂バス停14:36

JR廿日市(19分)登山口(21分)広島自動車道(23分)20丁(29分)三角点(8分)原分岐(11分)仁王門下、五日市分岐(4分)極楽寺
 小計1時間55分
極楽寺(9分)極楽寺山(16分)663m(11分)観音分岐(10分)倉重分岐(26分)617m
 小計1時間22分(途中休憩を加える)
そのまま鉄塔まで足を延ばす
 小計4分(往復の時間、昼食36分を除く)
617m(41分)中国自然歩道(18分)617m取り付き口
 小計59分(参考、通常の下山道を行けば20分少々)
617m取り付き口(6分)荒谷林道(20分)大杉橋(38分)川坂バス停
 小計1時間10分(大杉橋探索6分を含む)
総合計5時間50分
 (上記以外の全ての休憩20分を加える、昼食36分は除く)

平良コースを登る

西広島バイパスを平良第3号トンネルでくぐる。トンネル入口には標識がある。「瀬戸内海国立公園極楽寺山登山口、これより北200m右山道を上る、頂上まで徒歩120分 」

塹壕のように掘れた登山道を入りしばらく行くと、道が少し平坦になり、右手に鈴ヶ峰が見え、やがて正面に山頂部を見るようになる。登山道はこのように急坂と平坦部の繰り返しで、時々降り返っては瀬戸内側の展望を楽しみながら登る。ただし今日の霞む天気で見えるのは、鈴ヶ峰、似島、宮島、経小屋山程度だ。

ちょっとした展望地が登山道をわずか左手に入った所にある。眼下には宮島サービスエリア(広島自動車道)が見えている。そこからこの登山道に向けて道が1本ついており、展望地の少し下で合流している。

平良コース登山道は極楽寺表参道である。道には20丁などと刻まれた石柱が、適度な間隔を置いて極楽寺下の仁王門(36丁)まで配置してある。20丁の所には"あと60分"という標識もある。

20丁を越えてしばらく行った地点に、速谷神社方面分岐がある。りっぱな石柱(右速谷神社、左廿日市町)が建っているが、廃道ぎみである。「極楽寺百回登山・百回参拝」登山ルートでも全く記載はない。(後日追記:2005年になって調査をしたようだ)

三角点手前の岩場が続く辺りが一番つらい。26丁地蔵様あたりで展望を楽しんで一息入れるのがよかろう。三角点を過ぎると、登山道はやや平坦になり少し楽になる。

原からの道を合わせて、613mを右から巻いて平坦な道が続く。原コース取り付き口は、国道433号線長野ループの少し上にある。いきなり104段の急なコンクリート階段になっており、随分前に空荷(運動靴)で登ったにもかかわらず、ばてた思い出がある。

さて、今日は最後に少し登り気味でがんばると、仁王門下で五日市町からの道と合流する。2003年05月17日(土)には、このコースを下から登っている。

極楽寺山頂部

仁王門をくぐって、石段を駆け上れば極楽寺(展望台)である。一週間前よりも霞んでおり、宮島、阿多田島辺りが見える程度。なお、鈴ヶ峰が樹間に確認できた。

極楽寺本堂右手前の阿弥陀堂裏に、観音コース下山口がある。標識はなにもない。2004年12月12日(日)には、このコースをゴルフ場北側から登った。

一願堂を通って直接極楽寺山693mに至る道は通行止めとなっている。近年の台風、集中豪雨で痛んだ区域の養生をしているということだろう。わざわざロープの下をくぐっていくこともなかろう。一願堂見学の後、一旦駐車場まで行き、そこから木段を登って山頂に至る。

山頂からは、憩いの森(蛇の池)方面すぐ後の山が見えるのみ。かなり霞んでいる。

極楽寺山~魚切ダム方面入口から縦走路に入る

山頂から北の方角に木段を下る。左手管理棟への鞍部をまっすぐ行き、気象観測装置のあるコブを過ぎて、また少し膨らんだところがある。蛇の池(左手)に下る鞍部の少し手前の地点だ。

ここが魚切ダム方面入口になる。ただし、標識はまったくない。2001年03月24日(土)にはあった小さな標識を、同じく2001年の5月1日、5月4日には確認できなかったように記憶している。

陸軍省標石(663m、617m)に向かう

魚切ダム方面入口を右手に入って陸軍省標石(663m、617m)に向かう。このコースに向かうのは、2001年の3回、2004年12月12日(日)に続いて5回目だ。所々に倒木がある。しかしそれらを避けて迂回するルート上の木々に、ピンクのテープが新たに巻きつけてありそれに従う。(2004年12月25日(土)にも通った)

陸軍省標石663m

陸軍省標石663mのある位置は、663mピークよりもやや北側で、その先が急下る手前である。陸軍省標石663mからヒノキ植林の中を急下って、610m台鞍部に至る。

610m台鞍部(観音北コース下り口)

610m台鞍部の分岐にある標識には、「極楽寺方面-観音台」、小さく上向き↑で林道、右向き→で魚切 、と付け加えてある。よく見ると、足元には“左・植物公園”という小さな標識もある。

右分岐(観音北コース)は、578.2m三角点を経由して下るルートで、2004年12月12日(日)に ここを下ったことがある(山陽自動車道の少し上で、12月12日当日の登山口である観音コース登山口と合流する)。なお、二万五千分1地形図記載の沢に向かうコースは確認できなかった。

観音北(三角点)コース分岐にある標識で、“観音台”の脇に小さく“魚切”(右向き→)とあるのは間違いだ。魚切ダム方面に至るには、左折して土塁を通り、一旦牛池林道 (水苔の池そば)に出る以外に道はない。

一旦牛池林道に出て、すぐに縦走路尾根に戻る

牛池林道に出て右手にしばらく行き(2分程度)、右斜め前で再び山道に入る。標識はない。2001年(3月1回、5月2回)には”植物公園入口”という小さな標識があったと記憶している。 なお、牛池林道を左へ行くと、水苔の池~牛池に至る。

560m台鞍部(倉重谷コース下り口)

林道から再び山道に入った後、牛池林道と平行して走る尾根で、コブを一つ越えてすぐ鞍部(560m台)に至る。そこに標識があり、まっすぐ稜線上は”大杉”となっている。それとクロスして道がある。右手・倉重谷コース、左手・牛池林道だ。

倉重谷コース下山口から左手前方を見ると、谷が落ち込んで登山道が崩落しているのが分かる。2001年03月24日(土)には、この倉重“谷”コースを佐伯運動公園まで下った。台風、集中豪雨でかなり荒れており、少々危険を伴うコースだとその時は感じた。

(参考:2004年12月23日(木)、再度このコースを下る。2箇所ほど谷側が崩落していたが、注意して通過するのに何の差しさわりもなかった。)

なお、今日のコースでは、観音北コース分岐から一旦牛池林道に出て、すぐに再び山道に入っている。そうではなくて、再び山道に入ることなく、そのまま林道を北に向けて少し下ってきてもよい(6分程度)。

そして、林道が大きく左(北西)に向きを変える地点で、分岐を右折すれば倉重谷コース下山口に至ることができる。林道から約1分程度だ。(参考:2004年12月25日(土)山行記)

今日は倉重谷コース下山口から、さらに北をめざして尾根を行く。少し登ると送電鉄塔がある。鈴ヶ峰~大茶臼山~火山~武田山縦走路をみる。

600m台コブ(倉重の新しい谷コース下り口)

600m台のコブに至る。標識には「極楽寺-魚切ダム」
下山道入口の電力会社標識(黄色)に、運動公園↓と書き加えてある
(参考:2004年12月25日(土)に下った)

610m台コブ(倉重尾根コース下り口)

610m台のコブに至る。標識には「極楽寺-大杉」、真ん中に小さく運動公園↓とある(参考:2004年12月23日(木)、2004年12月25日(土)連続して登った)

陸軍省標石617m

617mにも陸軍省標石を確認する。道標はピークを北にほんの少し下った地点にある。そこには「極楽寺-下河内」、真ん中に小さく運動公園。

下河内に至るには、ここから中国自然歩道まで下り、荒谷林道経由で大きく北から回りこんで荒谷川に至り、川に沿って下る。今日2004年12月18日(土)は、荒谷川まで至って逆にさかのぼり、魚切ダム方面をめざす、予定だった。

617m北東尾根を中国自然歩道まで下る

昼食後、予定通り617mから下山にかかる。少し下って送電鉄塔がありその右側を、赤テープをはずさないように下ったつもりだった。しかし、途中で道がなくなってしまう。右に振れすぎているようだ。しかたがないので、そのまま少しづつ左へ振りながらずり落ちる。 (参考:2004年12月23日(木)、きちんと登ってこの登山道について考察した)

617mから中国自然歩道まで、ブッシュを押し切って下る。41も分かかった。さらに、そこから617m取り付き口まで戻るため、自然歩道を魚切ダム方面に向けて北西に18分歩いた。617m~取り付き口で合計59分かかったことになる。(参考:2001年05月04日(金)には、617mから取り付き口まで21分で下っている)

中国自然歩道~荒谷林道(大杉橋)~下河内へ下る

617mから稜線を西に進むと送電鉄塔がある。下山する前に寄り道をしてそこで昼食をとった。少し霞がとれて、大峯山~阿弥陀山、東郷山、窓ヶ山~向山、武田山~火山~大茶臼山が美しい。残念ながらそれより後までははっきりしない。はるか下に見えているのは、中国自然歩道あるいは荒谷林道だろう。

2001年05月01日(火)には、この送電鉄塔からさらに先に進んで、右・河内方面とあるところを左折して林道へおりてしまい、後畑集落を通って白河上バス停(窓ケ山登山口)に至った。

中国自然歩道を617m取り付きから西に行くと、荒谷林道(セメント道路)にぶつかる。そこから荒谷林道を左に上ると大杉集落だ。今日は林道を北北東に下る。途中、窓ヶ山が前方に大きく、標識には”旧河内峠2.1km”とある。大杉橋から先はあまり気乗りがしなくなり、荒谷川にそって右手の下河内へ下った。

後日注

ほんとうのところは、その先のルートがよく分からなかったため、やむなくそこから下山している(本ページ最初の部分参照)

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

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極楽寺山の北部尾根縦走路~大杉集落、倉重コース・小畠コース(2004/12/23)

Akimasa Net
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1)中国自然歩道~617m北東尾根~617m峰(山頂部尾根縦走路)~大杉集落~荒谷林道
(出発:佐伯運動公園、帰着:佐伯運動公園上・倉重コース登り口)
2)小畠2コース~山頂部尾根縦走路~倉重コース
(出発:佐伯運動公園上・倉重コース登り口、帰着:佐伯運動公園)

2004年12月23日(木)、単独

はじめに

今日の予定は次のとおりであった。佐伯運動公園から中国自然歩道を北に行き、陸軍省標石617mに登って牛池林道に下り、アルカディア・ビレッジに至る。そこから登り返して蛇の池、牛池周辺を探索後、小畠コースを下って佐伯運動公園に戻る。

617mピークまでは順調であった。その後、送電線鉄塔を通過して大杉方面に向けて尾根筋を行く。2001年に右・下河内の標識を左へ下りて牛池林道に至ったことがある。今回もその標識があるものとしながら尾根に沿ってどんどん進むと、最後は北を向いて大杉集落の上部で荒谷林道に出てしまった。

荒谷林道~中国自然歩道経由で佐伯運動公園上(倉重コース登り口)まで戻る。そこから小畠2コースを登り、稜線を左に行って、送電線鉄塔下を左折して、倉重コース経由で佐伯運動公園に戻った。

注釈(2019/05/06)

  • 倉重コース:従来から、倉重谷コースとしていたコース名を改めることにする。
  • 小畠コース:従来から、倉重尾根コースとしていたコース名を改めることにする。
    (さらに、小畠1,2,3に細分化する)
  • 小畠99コース:従来から、倉重”新”谷コースとしていたコース名を改めることにする。
  • それぞれのコースを区別しやすくするためである。

  • 極楽寺山の北側尾根縦走路:極楽寺山から北向きに、663m峰(旧陸軍省標石有り)~倉重下山口~(小畠99下山口~小畠下山口・途中から小畠1,2,3に別れて下る)~617m峰(旧陸軍省標石有り)~大杉集落まで尾根筋を歩くことができる。なお、617m峰のことを小畠山(小畑山)と称するようである。
  • 中国自然歩道:倉重登山口から縦走路尾根の東面を北向きに行く。
  • 牛池林道:縦走路尾根の西側に並行している。
  • 倉重コース:佐伯運動公園上の倉重登山口からごく大まかには西向きに登り、極楽寺山の北側尾根縦走路(倉重下山口)に乗る。尾根を左手(南向き)に行くと、663m峰(旧陸軍省標石有り)を越えて極楽寺山に達する。
  • 小畠コース:617m峰のやや南側(縦走路)から、縦走路尾根の東面を下る(途中から、小畠1,2,3に別れて下る)。送電線鉄塔管理道や槇道などが複雑に絡み合いながら分岐している。最後は、倉重コースあるいは中国自然歩道に合流する。
  • 小畠99コース:倉重下山口の北側(縦走路)から、縦走路尾根の東面を下る。超急坂である。倉重コース途中で合流する。お薦めできない。

なお、各ページ本文の書換えは完璧ではない。

今日のコース&コースタイム

佐伯運動公園8:19-中国自然歩道、倉重谷コース登り口8:32-崩落沢8:38-左手(ヒノキ植林)管理道8:44-沢(水あり)8:49-沢8:52-沢8:57-沢(水音大きい)9:03-沢9:09-617m取り付き9:11、9:16(196度)-急登終わり9:19-送電鉄塔9:22、9:26-コブ9:28-コブ9:31-倒木9:35-分岐9:44-送電鉄塔9:47、9:50-617m9:54、9:56-送電鉄塔9:58-ヤブ状態10:11-荒谷林道10:13-中国自然歩道10:37、10:43-617m取り付き10:49-取り付き口?11:10-倉重コース取り付き11:21、11:24-尾根コース分岐11:34-分岐左尾根11:36-大茶臼山78度-岩場11:57-分岐11:58-悪路右へ巻く12:02-稜線上左12:04-良い道と合流12:06-610m台12:13-コブ(左へ振れる)12:22-コブ(倒木)12:24-コブ(急下る)12:25-コブ(急下る)12:26-コブ12:28-600m台(”新”谷コース下山口)12:28-鉄塔12:34、13:13-倉重谷コース下山口13:14-倒木多し13:25-段差下がる13:30-小さな沢渡る13:32-分岐(”新”谷コース)13:33-木橋13:40-小畠山の一枚岩(一段上がる)13:40-尾根コース分岐13:40-中国自然歩道、倉重谷コース 登り口13:52-佐伯運動公園14:05

佐伯運動公園(13分)倉重登山口(39分)中国自然歩道、617m北東尾根(43分)617m峰
 小計1時間35分
617m(17分)大杉集落上部、荒谷林道(24分)中国自然歩道(6分)617m取り付き(32分)中国自然歩道入口(倉重登山口)
 小計1時間25分(途中休憩を加える)
倉重登山口(10分)小畠2コース分岐(23分)岩場(16分)縦走路、小畠コース下山口(運動公園分岐)610m台
 小計49分
610m台(15分)縦走路、小畠99コース下山口(6分)鉄塔(1分)縦走路、倉重コース下山口
 小計22分
倉重コース下山口(19分)小畠99コース取付き(7分)小畠2コース分岐(12分)倉重登山口(13分)佐伯運動公園
 小計51分
総合計6時間07分(全ての休憩を加える、ただし昼食39分を除く)

佐伯運動公園~(倉重コース登り口)~中国自然歩道~617m(縦走路)に至る尾根を登る

佐伯運動公園の上(倉重コース登り口)から中国自然歩道に入り、陸軍省標石617m取り付き口まで北北西に行く。取り付き口からしばらくの急登をこなして、最初の送電線鉄塔に至る。

振り返ると、送電線よりも右側に張り出た尾根にも管理道がある(87度)。しかし、この管理道がそのまま中国自然歩道まで下りているかどうかは疑問だ。中国自然歩道にそのような取り付き口をあるのを見たことは一度もない。

二番目の送電線鉄塔の少し手前の尾根上に分岐がある。振り返ると、来た道はやや谷間で左42度の方角だ。右110度に尾根が流れており、こちらの方が赤テープが多い。2004年12月18日(道迷い)に下ったのは右側のように思われる。

送電線鉄塔のすぐ下で、山道は尾根を外れて、右手の送電線鉄塔に近づき、送電線鉄塔手前で左折して再び尾根に乗る。振り返って上から見下ろすと、登山道は一旦尾根を外れて、左に見える鉄塔の方に少し近づいている形になる。前回2004年12月18日(道迷い)には、ここで既に右に振れていたのだろうか。そして、前々回2001年05月04日(金)は、おそらく左を正しく下っているはずだ。

中国自然歩道:
運動公園に近いほうで2箇所ほど少し荒れている。ただし通行には全く支障なし。2001年には、運動公園側で鎖をして通行止め表示があったように記憶している。今回は何の注意書きもなし。

617m~尾根筋~大杉(荒谷林道)~中国自然歩道を戻ってくる~佐伯運動公園上(倉重コース登り口)

617mからさらに西へ向かう。今日三番目の送電線鉄塔を通過して、大杉方面に向けてヤブ気味の尾根筋を行く。いくら進んでも2001年05月01日(火)の牛池林道分岐はわからない。結局そのまま大杉集落の上部で荒谷林道に出てしまった。

林道を東北東(右)へ下り、さらに、中国自然歩道を南東の方角に戻って、佐伯運動公園上(倉重コース 登り口)まで戻る。

倉重コース登り口~小畠2コースを登る~縦走路を南に行く

このまま帰るのもつまらない。倉重コースを探索してみよう。 登山道に身体を向けて前方を見据えたとたん、目の前に下山中の次弟の姿を発見する。屋代から登って倉重コースを下りてきたという。

倉重コースも踏み跡がしっかりしてきて十分安全に歩けるという。それならば小畠2コースを登って(探索して)、倉重コースを下りてこよう。これから極楽寺山の山頂部まで足を延ばすのはちょっと気がせいてしまう。山頂まで行くのはあきらめることにする。

小畠2コースを行く。最後に道がわからなくなった。獣道に入り込んでしまったのだろうか。それでも無事尾根上の610m台に着く。標識には、「極楽寺-大杉」、真中下向き矢印で小さく運動公園とある。
(参考:2004年12月25日(土)に再度挑戦をした。しっかりした道が最後までついているのを確認する。基本的に尾根上を最後まで行く )

倉重コース下山口のすこし上(北側)にある送電線鉄塔まで移動する。先着の中年男女ペア一組あり、二万五千分1地形図を取り出してくる。見ると観音コースなど各登山道が赤鉛筆、ボールペンで詳細に記入してある。

アルカディアビレッジから回ってきたようだ。魚切ダム入口からこちらも随分と歩きやすくなった、という感想だった。そのとおりだと思う。お互いに持っている情報を交換しあって別れる。その後で北から男性一人通過する。この附近を歩く人も増えてきたようだ。

倉重コースを下る

倉重コースを下る。崩落箇所や倒木があるものの危険ということはない。途中、倒木が折り重なって通行不能となる。しかし、その手前、小畠山の一枚岩という標識の所で 、左手一段上の道に乗り換えて行けばなんの問題もない。堰堤を二つ右に見て登山口に至る。(参考:2004年12月25日(土)小畠99コースを下りてきて、途中でこのコースに合流した)

倉重コース:
稜線からの下り口とそのすぐ下で谷側が崩落している。ただし現在は細いながらもしっかりした踏み跡がついており、注意して通過するのに何の差しさわりもない。また、途中の倒木地帯を迂回する踏み跡が新たにできており、それ程気疲れすることもない。

「広島市の山を歩く」(上巻)-中国新聞社刊(2004年)の”極楽寺山”の項では、最近の実地踏査がなされていないと考えられる箇所が目に付く。

倉重コース登り口から海の方角をみる。安芸小富士の後に、休山~三津峰山がある。安芸小富士と三津峰山の後にもうっすらと山影を認める。石鎚山の方角である。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。

広島湾岸トレイルの周辺を歩く

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小畠2コース~617m峰~さくらの里~極楽寺山~牛池~小畠99コース(2004/12/25)

Akimasa Net
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倉重登山口~小畠2コース~617m峰(山頂部尾根縦走路)~牛池林道~さくらの里~極楽寺山~牛池~小畠99コース~倉重登山口
(出発帰着:佐伯運動公園)

2004年12月25日(土)、単独

はじめに

倉重コース、稜線尾根から“さくらの里”方面、そして池巡りコース、それぞれの探索を目的に周遊してみた。

注釈(2019/05/06)

  • 倉重コース:従来から、倉重谷コースとしていたコース名を改めることにする。
  • 小畠コース:従来から、倉重尾根コースとしていたコース名を改めることにする。
    (さらに、小畠1,2,3に細分化する)
  • 小畠99コース:従来から、倉重”新”谷コースとしていたコース名を改めることにする。
  • それぞれのコースを区別しやすくするためである。

  • 極楽寺山の北側尾根縦走路:極楽寺山から北向きに、663m峰(旧陸軍省標石有り)~倉重下山口~(小畠99下山口~小畠下山口・途中から小畠1,2,3に別れて下る)~617m峰(旧陸軍省標石有り)~大杉集落まで尾根筋を歩くことができる。なお、617m峰のことを小畠山(小畑山)と称するようである。
  • 中国自然歩道:倉重登山口から縦走路尾根の東面を北向きに行く。
  • 牛池林道:縦走路尾根の西側に並行している。
  • 倉重コース:佐伯運動公園上の倉重登山口からごく大まかには西向きに登り、極楽寺山の北側尾根縦走路(倉重下山口)に乗る。尾根を左手(南向き)に行くと、663m峰(旧陸軍省標石有り)を越えて極楽寺山に達する。
  • 小畠コース:617m峰のやや南側(縦走路)から、縦走路尾根の東面を下る(途中から、小畠1,2,3に別れて下る)。送電線鉄塔管理道や槇道などが複雑に絡み合いながら分岐している。最後は、倉重コースあるいは中国自然歩道に合流する。
  • 小畠99コース:倉重下山口の北側(縦走路)から、縦走路尾根の東面を下る。超急坂である。倉重コース途中で合流する。お薦めできない。

なお、各ページ本文の書換えは完璧ではない。

今日のコース&コースタイム

佐伯運動公園上9:48-中国自然歩道入口、倉重コース始点9:51-尾根コース分岐(右折)10:01-分岐で尾根を左上へ10:05-送電線下10:12-狭い廊下10:30-尾根610m台10:35、10:39-ピーク10:39-陸軍省標石617m10:44-送電鉄塔10:47-人工林へ入る-牛池林道11:00、11:04-さくらの里方面入口11:07-右手自然林11:13-さくらの里先端部11:22-展望台11:30-さくらの里上端部11:37-分岐(左木段上る)11:43-分岐(右木段下る)11:47-駐車場(左手に蛇の池)11:51-管理棟11:56-(車道)-左手山道探索12:01、12:06-再出発12:06-(左山道入る)-キャンプ場分岐12:09-693m下鞍部12:11-第二駐車場12:15、12:18-極楽寺展望台661m12:21-再び駐車場12:26-極楽寺山693m12:29、12:43-鞍部(左管理棟)12:45-気象観測装置12:48-魚切ダム方面入口(直進)12:50-蛇の池分岐12:51-コブ左折地点12:58(管理棟の方へ少し行って引き返す)12:06-牛池12:19-水苔の池分岐13:24-分岐(観音北コース方面)直進13:25-分岐(直進)13:26-分岐(倉重谷コース方面)13:31、13:33-鞍部(倉重谷コース下山口)13:34-送電鉄塔13:36-コブ13:38-コブ右から巻く13:39-ピーク分岐(倉重”新”谷コース下山口)13:42、13:49-送電鉄塔13:57-谷コース合流14:07-橋14:13-小畠山の一枚岩表示14:14-尾根コース分岐14:14-中国自然歩道、倉重コース登山口14:23-運動公園上14:25

佐伯運動公園上(3分)中国自然歩道入口、倉重コース始点(10分)小畠2コース分岐(34分)縦走路
 小計47分
610m台(5分)617m(3分)送電鉄塔(13分)牛池林道(3分)さくらの里入口(15分)さくらの里東端
 小計43分(途中休憩4分を加える)
さくらの里探索
 小計15分
さくらの里西端(19分)管理棟(14分)第二駐車場(3分)極楽寺展望台
 小計44分(途中探索分5分、および休憩5分を加える)
極楽寺展望台661m(8分)極楽寺山693m(36分)牛池(15分)倉重コース下山口
 小計1時間13分
 (蛇の池周遊探索8分程度を加えている、昼食14分を加える)
倉重コース下山口(2分)送電線鉄塔(6分)縦走路600m台、小畠99コース下山口
 小計8分
小畠99コース下山口(8分)送線電鉄塔(10分)倉重コース合流(7分)小畠2コース分岐(9分)倉重登山口(2分)運動公園上
 小計36分
総合計4時間37分(全ての休憩を加える)

小畠2コースを登る

倉重コース始点から沢沿い(左岸)に登り始める。小畠2コース分岐(小畠山の一枚岩という標識よりも少し手前になる)を右(350度)に行き、やがて尾根に乗って左折(312度)する。右手前には巻き道が延びているようでもある。

しばらくして頭上に送電線をみる。狭い廊下を過ぎ、そのまま尾根に沿って駆け上がる。2004年12月23日(木)には、最後で少し道がわからなくなった。基本的には、尾根をはずさないようにすればよい。倉重コース側に少し迷うような道筋がいくつかある。しかし、本道そのものはしっかりした道である。

縦走路にたどり着いて、この尾根コースを見下ろしてみる。下山口(174度)は、谷向こうにある587.2m三角点の方を向いている。下り始めてすぐに少し左へ振れるはずだ。樹木でよくは見えないが鈴ヶ峰の方角になる。

なお、この小畠コース下山口は、610m台の真のピークよりやや南側のコブのようだ。

縦走路を北へ行く~617m~牛池林道に下りる

縦走路を北向きに行くと陸軍省標石617mがある。そこを越えて西側の送電鉄塔に至る。南西の方角に延びる送電線の下が伐採されている。鉄塔から少し尾根筋を 行き、すぐに伐採された場所に入って下る。送電線の下を通り、左手のみごとな人工林へ突き進む(190度)。

一旦牛池林道へ出る。鉄塔管理道の標識だろうか。No.71と表示してある。参考までに、ここから今とおった植林帯に入るには、角度60度となる。さて、小川に沿って林道を左へ少し行くと 、右手の沢から小川が流れ込んでいる。(林道を右手北向きに下ればアルカディア・ビレッジに至るはず)

牛池林道を上り右折~さくらの里(探索)~蛇の池周辺~極楽寺

小川のところで林道を右折(223度)して沢の左岸を行く。ここもまたみごとな人工林だ。スギ、ヒノキがしっかりと枝打ちされており、切り落とした枝は間隔を置いてきちんと束ねて置いてある。3日前に倉重コース下山口近くの送電鉄塔で会った人の話では、この区間は荒れているということだった。どんなコースか心配だったが杞憂に終わった。

しばらく前からチェーンソーの音が聞こえていた。この槇道のすぐそばで、二人の人が仕事中である。ここは今でも手を入れ続けている植林帯のようだ。そっと感謝して静かに通り過ぎる。

さくらの里に至る。ここからアルカディア・ビレッジまで下りで20分程度のようだ。さて、さくらの里展望台から少しヤブの中に踏み込んで、663.4m後畑四等三角点をさがしたが見つからなかった。憩いの森(蛇の池周辺)を適当に歩きまわり、極楽寺展望台661mに至る。

極楽寺・極楽寺山~(ヤブ漕ぎ)~牛池

極楽寺に登りつくしばらく前から小雨、展望はほとんどない。極楽寺山山頂693mに移動して昼食を済ませ、すぐ下山にかかる。蛇の池北側の690m表示(地形図)地点から牛池をめざす(2003年05月17日にブッシュの中を反対に牛池から登ってきたことがある)。踏み跡がわからない。右手沢に下りそのまま牛池までずり落ちる。

一昨日23日(木)に極楽寺山中でお会いした人によれば、牛池の東側にそって下りる道(二万五千分1地形図記載)があるにはあるが荒れているという。参考のため、牛池堰堤北東角から南をのぞき込んで見た。踏み跡があるようにも見えたがはっきりとは分からなかった。

牛池林道を下る~倉重コース下山口~(縦走路を北に行く)~小畠99コース分岐

牛池林道を下る。観音北コースへの分岐、そのすぐ北で、再び山道に入る地点の分岐をいずれもやり過ごしてそのまま林道を下る。林道が左へ大きくカーブしている地点から山道に入り、倉重コース下山口に至る。 林道からは1分そこそこの距離だ。そして、縦走路を北へ小畠99コース分岐(600m台のコブ)まで移動する。

小畠99コース

小畠99コースはとにかく急下る。かなりしんどい。それでも送電線鉄塔あたりからは少し落ち着いてくる。沢沿いの道と合流した後はゆったりと下る。左岸を少し下ると倒木があり道が塞がれている。その手前に小畠の一枚岩という表示があり、そこで左手一段上の道に乗り換える。すぐに左手尾根コース分岐がある。そこから下はちょっとした尾根道になっており、二万五千分1地形図記載の登山道より少し北側のゆるやかな尾根を下っているようだ。

参考山行記

広島湾岸トレイル・モデルコース

  • Akimasa Net(2016年02月06日)山行記
    観音コース~極楽寺山~平良コース途中~速谷コース
    (出発:中地上バス停(JR五日市駅―山陽本線)、帰着:速谷神社前バス停(広電廿日市市役所前(平良)―広島電鉄宮島線)
    注:速谷コースはその後放棄。

広島湾岸トレイルの周辺を歩く