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2009年05月04日

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宮島自然植物実験所~あての木浦~砲台跡~岩船岳~岩船岳縦走路~多々良林道
(出発帰着:宮島桟橋)

2009年05月04日(月)、単独

230mピークの遺物

〈写真〉230mピークの遺物
(機銃の台座?)

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2009年05月04日)
  • 宮島最西南端部の海岸から砲台跡に登り、岩船岳縦走路から多々良林道を下る
    GPS軌跡は、あての木浦からの帰路分のみ

  • 宮島自然植物実験所〜御床浦〜あての木浦(2014/11/23)
    広大~あての木浦の決定版は、2014年11月23日山行記です。今日(2009/05/04)の山行記も含めて、下記各山行記中の不明瞭(不正確)な点を訂正しながらまとめています。コース概況(GPSルート図リンク)もあります。
  • 宮島の西海岸歩き、写真あり(2013/06/23、5/23)
  • 西海岸沿いの山道探索まとめ、写真あり(2013/05/23)
  • 西海岸沿いの山道探索経過
    (2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02)
  • 宮島南部の砲台跡⇒実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
    (中国新聞記事、2011年1月12日付)
  • ついに砲台跡到達(2005/03/19)

このページの目次です

はじめに

大元公園~多々良~宮島自然植物実験所~室浜砲台跡~大川浦~御床浦~長浦~あての木浦~砲台跡230m~御床山~岩船岳~大川越~351m~岩船岳縦走路・先峠~岩船岳登山口(多々良林道)~多々良~大元公園(出発帰着:宮島桟橋)

今年二回の山行(2009/04/11、4/29)に引き続き、宮島の西海岸部を歩いて、可部島がすぐ目の前に見える宮島最西南端の"あての木浦"まで行った。

目的は、その海岸から尾根に取りつき、230mピーク(二万五千分1地形図表記)付近にある砲台跡まで登ることである。

前二回の山行では、あての木浦までは達したものの、そこから山に取付く気力・体力がなく、あえなく来た道を引き帰した。

今日は、無事目的を達成した後、そのまま尾根伝いに岩船岳を乗り越して帰ってきた。

今日のコース&コースタイム:

宮島桟橋7:24-大元公園7:42-多々良8:07-宮島自然植物実験所8:27-室浜砲台跡8:30、8:35-涸れ沢8:48-沢手前9:07、9:09-沢9:10-峠9:16-峠9:21-大川浦分岐9:24、9:32-川9:34-大岩9:37-道しるべ(大川浦、御床浦)9:42-小さな沢9:47-ロープ9:55-御床浦9:56-巨大敷地ネット(簡単な門扉)10:05-御床浦(御床浦神社近く)10:09-門扉10:12-よい道と交わる(石積み)10:16-大きな沢10:22-(しばらく上流部へ、右折)-石積みの中(出口右手に瓦散乱)10:30-鞍部(40m台南側)10:33-(左手の尾根を越える)-御床山取りつき10:39-庭園風廃屋10:51-右下かすかに海11:09-あての木浦11:25、11:35-右分岐11:55-正面に230m台350度12:06-休憩、ジャケツイバラ12:11、12:13(GPSを片付ける)-大岩12:16-大岩の上12:18-平坦部(GPS再セット)12:19-砲台跡(230m表示)12:25、12:26-廃屋(兵舎跡?)230m台南西側12:30-展望岩場(標高250m台)12:43、12:52-展望大岩(標高310mくらい)13:01、14:01-御床山14:09-岩船岳14:33、14:40-岩船岳東峰14:48-海軍省標石15:03-振り返れば展望15:06-大川越15:16、15:24-八畳岩15:34-351m15:47-展望岩場15:51、15:57-陶晴賢碑分岐16:05-クロバイ16:13-高安ヶ原分岐(新設)16:25、16:28-先峠16:29、16:36-岩船岳登山口(多々良林道)16:44-多々良17:08、17:12-大元公園17:38-宮島桟橋17:58

宮島桟橋(43分)多々良(20分)宮島植物実験所(57分)大川浦分岐(37分)御床浦神社近くの沢(30分)御床山分岐(46分)あての木浦
 小計4時間01分(大川浦分岐8分を含む)
あての木浦(50分)砲台跡(43分)御床山(24分)岩船岳
 小計2時間10分
 (ただし、これは推定時間。御床山手前の展望大岩での大休止
 1時間のうちの12分と、 砲台跡1分のみを加えた時間である)
岩船岳(36分)大川越(23分)351m(42分)先峠
 小計1時間49分
先峠(8分)岩船岳登山口(24分)多々良(26分)大元公園(20分)宮島桟橋
 小計1時間22分

あての木浦~宮島桟橋
 小計5時間35分
 (ただし、これらは推定時間、
 御床山手前の大休止1時間のうち12分のみを加える)
砲台跡~宮島桟橋
 小計4時間44分
岩船岳~宮島桟橋
 小計3時間18分(先峠7分を加える)

総行動時間
 総計10時間34分(大休止1時間、その他もすべて含む)

過去の砲台跡探索

私は、宮島南部の山中にある砲台跡探索のため、尾根伝いに岩船岳~御床山を経て、その先からさらに南に向けて何度か下ったことがある。

そして、2005年03月19日ついに砲台跡に到達した。足かけ四年で5回くらい挑戦した結果である。

しかし、実は前回は、廃屋(兵舎跡?)は見たのだけれども、インターネットで公開されていた高射砲の台座跡を見ていないようで気になっていた。

海岸部(御床浦~あての木浦)~砲台跡の情報を得る

もう一度現地に行って確かめてみたい。しかしながら、岩船岳~御床山から、その砲台跡まで下って確認後、御床山~岩船岳を登り返して帰ってくるのはいかにもきつい。

特に、御床山の先から砲台跡までは羊歯に覆われており、踏み跡すらはっきりしない厳しいコースである。

ところが、今年2009年になって宮島の山中でお会いした複数の方々から、「海岸部(御床浦~あての木浦)~砲台跡を無理なく歩くことができる」という情報を得ることができた。

私は数年前(2002/03/02)、岩船岳(三角点)に初めて登った。そして、その先の御床山から海岸部(御床浦)に下り、宮島植物実験所を経て宮島桟橋に帰り着いた。

その時に、御床浦~宮島植物実験所の間には、しっかりとした踏み跡があることを確認している。それと同時に、御床浦から下谷浦~長浦~あての木浦方面についても少し探ってみたが、よくは分からなかった。

それが今回の情報によると、御床浦から向こうの海岸部(御床浦~長浦~あての木浦)を歩くことができるようである。

さらに、海岸部(あての木浦)から砲台跡までのルートが、再び開かれたのも確実である。

この付近の情報は、これまでほとんど得ることができなかった。その中で唯一、あての木浦から砲台跡まで2時間もかかったというものがあった(後日再確認、あての木浦~砲台跡を3時間半かかったという)。そこを1時間くらいで登ることができそうである。

もしそうならば、宮島最南端部まで海岸部を行くことによって体力を温存し、そこから砲台跡に取付くというのも一手であろう。

そう考えて今年4月に2回挑戦をした。しかし、いずれの場合も、海岸部の"あての木浦"に到達した時点で、精神的・肉体的に疲れ切っており、そこから山(砲台跡)に取りつくことなく引き返した。

そして3度目の今日、あての木浦から230mピークまで登り、高射砲の台座跡がそこにあるのを確認した。

室浜砲台跡から御床浦を経て"あての木浦"へ:

涸れ沢8:48
樹林帯の中
海岸部終わり、すぐに海をみる、コシダの道が続く
経小屋山、右横から後へ

沢手前9:07、9:09
沢に沿ってよい道(地形図黒破線)がある
238度くらいでその道にぶつかる
沢沿いの道(右手324度で海に向かう、左手114度で山に向かう)
その道を左手に行って、すぐに沢の方へ右折
沢を渡り、沢に沿って右手に行き、すぐ左折して峠道を登る

大川浦分岐9:24
戦闘機?爆音(25分ころ)東側に聞こえる、南から北へ

川9:34
川を横切ってしばらくまっすぐ、大岩の右横を登る

御床浦の海岸部から御床山取りつきまでが、海岸沿いのコースで一番わかりにくい。まず、御床浦の海岸近くまでいったん下りて、もう一度海岸近く(御床浦神社近く)まで行くには、地形図黒破線(海岸部)のやや南側を行く。途中で、左手に巨大敷地を見る。

御床浦9:56、右手、海岸との間に沢音
沢渡る9:58
沢の左岸、岩場を右前方へ、よい道に70度くらいでぶつかる
よい道を右折10:01、314度を向く
巨大敷地ネット(簡単な門扉)10:05
小山にあがる10:05、ネットに沿って250度
小山ピーク10:06
急下って、沢10:09、海近し

御床浦神社近くの海岸から御床山取りつき(地形図黒破線との交点)までは、巨大敷地を左手にして行く。地形図黒破線(海岸部)よりも東側を南下しながら、海岸近くの40m台ピークと山側の鞍部をぬって行く。

沢を横切ってよい道を行く
道しるべ10:11、左折して145度で行く(左折手前では314度の方角)
門扉10:12、竹製の塀にそって小山を登り、今度は急下る
よい道と交わる10:16
左手山側には石積みの壁があり、右手海側に320度で道が延びる
道の脇は石組で固めてある
出発10:17、左手石垣のやや下をゆったり下る
踏み跡横切る10:20、幅広の踏み跡が海に向かっている
175度で岩場を行く
大きな沢10:22
右岸の岩場をややさかのぼる
左岸に渡る10:23
ちいさな中尾根状態のところを左(上流の方)へあがる
涸れ沢10:28、石積みがあるところで横切る(右折)
ここを上に行ってはいけない。石がゴロゴロした所を通り踏み跡を追って行くと、御床山登山道(地形図黒破線)の1本北側の沢に入り込む(2009/04/29)

石積みの中10:30、228度で行く、出口右手に廃屋(瓦が散乱して残る)
さらに右折、林の中をやや下って行く
鞍部(40m台南側)10:33、水が流れる
左手の山の斜面を登る、222度
尾根10:36、200度で横切る、下る、左手に巨大敷地
御床山取りつき10:39、巨大な丸いポリタンク(水色)

以下も覚書風に記しておく

掘割を過ぎて左折、158度
庭園風廃屋10:51
沢渡る10:53、横切る、少し登る、左手193度で行く、ゆったり下る
源頭10:56、右岸を下る、208度
左折して沢渡る11:06
左手の小さな沢を横切る11:07、88度で行く
右折11:09、150度で行く、右下、樹林の間にかすかに海をみる
左手に山、海側をトラバース
尾根ピーク11:11
沢渡る11:13
尾根11:14、可部島をみる
沢11:16、17、18、涸れ沢19
長浦11:21、正面308度に山
ピーク11:25を下って、あての木浦11:25

あての木浦から砲台跡(230mピーク)をめざす

長浦から南へ小さな峠を越えて海岸部に下りると、そこが"あての木浦"である。

左手から前方にかけて、宮島を南西に貫く尾根の最南端部である「岩船岳466.6m~御床山364m~230m~241m~革篭埼25m」が延びている。そのうち、実際に見えているのは、山頂近くに大岩のある左奥の230m(砲台跡)山頂部から、ほぼ正面にある241mである。

今日は、右手海岸の方へは行かず、すぐに左折して山に向かった。230m~241mの間の鞍部から流れ落ちる沢の右岸を行く。ほぼ地形図黒破線のとおりと考えてよい。シダが刈ってあり歩きやすい。 感謝!!

標高110mくらいの地点から尾根に向かって北向きに急登する。標高差20~30mくらい登った地点で、良い道は右分岐して少し下っている。正面前方にも踏み跡らしきものが上がっている。どちらか迷ったが、新しく手をつけたと思われる方へそのまま追って行くことにする。

分岐を右に取り、東向きに少し下って登ると、230m~241m間の鞍部140m台付近に達する。ここでルートは左に振れて、北向きに尾根を登っている。地形図黒破線の東側の尾根である。ここを登れば230mピークで間違いない。

途中、標高190m~210mくらいは、シダが刈ってなくて少し苦労をする。最後に大岩の間をよじ登り、平坦部に這い上がれば230mは近い。大岩を越えると再び歩きやすい踏み跡となり、230mピーク(地形図表示)に高射砲の台座跡があった。初めて見るものである。

尾根伝い(岩船岳経由)で帰ることにする

さて、ここまで登ると、問題は帰りをどうするかである。つまり、もう一度海岸まで下りて海岸部を歩くか、それとも御床山~岩船岳を登って岩船岳縦走路を行くか、ということになる。

海岸部も決して平たんな箇所ばかりではない。それに間違いやすいコースでもある。これに対して、岩船岳まで砲台跡から約1時間、さらに岩船岳から宮島桟橋まで3時間強とするならば、岩船岳縦走路を帰っても時間的にはあまり変わりないかも。そう考えて山道を行くことにした。

御床山手前の展望大岩まで登れば安心

230mピークから御床山364mは北東の方角である。まずは230m台に向けて少し下って登る。

230m台の東側に廃墟(兵舎跡?)がある。前回はここまでしか来ていない。その後も水槽?などの廃墟跡を見ながら、標高250m台の展望岩場まで、尾根をはずすことなく灌木をぬって登る。おおまかには、地形図黒破線のとおりと考えてよい。

標高250m台からも、そのまま北東の方角に行くので、地形図黒破線から離れてその南側を行くことになる。以前よりも踏み跡ははっきりしており歩きやすい。

私は、尾根伝いに岩船岳~御床山を経て砲台跡まで、数回もトライしては失敗を繰り返したことがある。そのころは、御床山の先にかつてあったはずの踏み跡(数十年前の山火事で消失)は、羊歯の中に埋もれており、まともに歩ける状態ではなかった。

それを思うと、何と歩きやすい道になったことだろう。海岸部から砲台跡を経て御床山手前まで、再整備されたのであろう。感謝!!

さて、登るほどに、かつての山火事のため大木はなくなり、展望が開けてくる。標高310mくらいの大岩で大休止1時間。その上は、御床山まで歩きやすい道を10分足らずの位置である。

展望大岩から、米軍岩国基地の航空ショー(リハーサル)を見る

大岩から、230m~241m尾根の間に可部島を見下ろしながら休む。今日は終日曇、ほんの一瞬薄日が差したものの、大岩の木の下に入れば微風が気持ち良い。上半身裸になって服を乾かす。

時々爆音が聞こえているような・・・。前方を見ると、241mの左奥に米軍岩国基地の滑走路がある。その上空では、白煙を噴きながら数機の編隊飛行が繰り返し行われているように見える。

水平飛行に加えて、宙返りなどいろいろな曲芸飛行をしているようである。すると、突然数機(4機だったと思う)の編隊が阿多田島のこちら側で、高度は現在位置の310mよりも低い位置を横切って行った。

米軍岩国基地の航空ショーである。帰宅してインターネットで調べてみた。米軍岩国基地を一般開放する日米親善デーはあす5日(毎年恒例)である。今日4日は、呼び物の航空ショーのフルリハーサルが行われていた、ということのようである。米空軍のF16戦闘機や、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」が参加しているという。

米軍岩国基地では、在日米軍再編の一環として厚木基地からの空母艦載機部隊移転が計画されている。ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」(宮島)の騒音問題とも無関係ではない。

御床山~岩船岳を経て、大川越まで下り、岩船岳縦走路を行く

御床山から岩船岳までは、尾根のやや北側を行く。少しわかりにくい箇所もあるが、かつて幾度か通ったコースであり問題はない。岩船岳と岩船岳東峰の間のピークもやや北側を行く。

岩船岳から乾いた落ち葉の上を滑りながら、大川越まで下る。

大川越から、岩船岳縦走路を先峠まで行く。さらにそこから、多々良林道に下り、海岸道路を経て宮島桟橋に帰り着いた。

大川越の道しるべ

大川越に道標がある。岩船岳まで(登り、40分)、大川浦まで(下り、40分)となっている。さらに、大川浦(40分)広大宮島自然植物園(15分)多々良潟(35分)大元公園・宮島フェリー乗り場方面、とある。大川越から宮島桟橋まで2時間10分だから、かなりの健脚である。

私の場合だと、海岸部をどんなに急いでも、大川越~宮島桟橋は2時間30分くらいかかるはずである。そして、大川越からそのまま山道を行っても(ただし、多々良林道経由)時間的にはほぼ同じくらいである。

上記の道標では、海岸部で詳しい所要時間を示しているのに対して、山側(縦走路)は奥の院を経て弥山に至るとしているだけで時間の記入はない。白地に黒の同じ形式の道標は、宮島自然植物実験所の周辺に設置されている。したがって、実験所を中心とした所要時間を示したものなのだろう。

話は戻るが、御床山にも別の形式の道標があって、御床浦へ下る踏み跡(良い道だった記憶がある)を指し示している。同じ形式の道標は、大川浦と御床浦の間や御床山北側の沢の中にある。いずれも時間表示はない。

過去のデータをみると、御床山から御床浦まで、下り40分くらいだろう。そして、御床浦~大川浦も40分くらいで、合わせて1時間20分である。これに対して、御床山~岩船岳~大川越から大川浦に下った場合は、大川浦まで早ければ1時間30くらいで下ることができる。どちらもあまり時間的には変わりない。

海岸部では、御床浦、大川浦、室浜砲台跡手前など迷いやすい箇所がいくつもある。また、アップダウンもある。したがって、岩船岳を縦走する場合には、安易に海岸部に下りることなく、行き帰りとも尾根伝いに行く方が、安全性は高いと考えられる(時間的な差はあまりない)。

高安ヶ原分岐に「新しい道標」をみる

岩船岳縦走路上の先峠、つまり「縦走路から岩船岳登山口(多々良林道)に下る分岐」、の手前(南側)に高安ヶ原分岐という新しい道しるべ(手書き)を見つけた。この道標によれば、分岐を東海岸側へ下ると青海苔であり、青海苔の手前を右折すると原に至る、という。初めて見るものである。また、原という地名は今まで一度も聞いたことがない。

道標の横をのぞきこむと、昔から踏まれたような幅広の良い道が下っているように見える。国土地理院の地形図では、先峠からすぐに黒破線が東海岸へ向けて下っているが、今までその道を見たことはなかった。

青海苔浦に下る道とは、縦走路を351mの方にもう少し行った陶晴賢碑分岐から下る道のことであると信じていたのだが、この先峠近くから下る黒破線(地形図)の道がかつて存在したのかもしれない。

同じような形式の道標は、上記の陶晴賢碑分岐近くにもあり、これまた古い道が多々良など西海岸に向けて下っているようである。

世界文化遺産の島「宮島」の自然を守るために、これら道標については、どのように考えるべきなのだろうか。

ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」は、社殿を中心とする厳島神社に加えて、前面の海および背後の弥山原始林(天然記念物)が世界文化遺産として登録されている。そして、それらの区域(厳島全島の14%)を除く島全体がバッファーゾーン(緩衝地帯)とされている。

むやみに踏み跡を歩きまわるのは避けたいところではある。

疲れ果てる

今日の山行は、いかんせんハードすぎた。

海岸部を4時間歩いて山に取りついた時点で、あまり余力は残っていなかったようだ。海・山のどちらを回って帰るにしても、日帰りでは少々無謀なプランであった。

帰り道で弥山に登る(出発前にちょっとだけ頭をよぎった)には、時間的にも体力的にも全く余裕はなかった。岩船岳登山口(多々良林道)から前峠を乗り越して、大元谷左岸コースで大元公園におりる気力もない。結局は、林道をそのまま多々良まで下り、海岸通りで大元公園入口を経て宮島桟橋に何とか帰り着いた。

超満員の宮島連絡船

朝二番の連絡船で宮島に渡った。桟橋近くの駐車場では車の列が長く延びている。連絡船を待つ人たちの列も尋常ではない。連絡船は超満員、船内では座ることはもちろん、外に出てデッキに寄り掛かることもできず、船倉とデッキの間に立ち続けた。正味10分だから苦にはならないけれども。

帰りも同じく超満員だった。何せ大願寺から宮島桟橋まで、人人の列で満足なスピードでは歩けない。左右に人を避けながら行こうにも、前もつっかえている。これらの人たちが一度に乗船するのだから大変である。(行き帰りとも、大鳥居前は潮が満ちていて渡れず)

それはともかく、宮島(廿日市市)が元気なのは良いことである。今日も長い距離を歩きとおせて大満足。宮島に感謝しつつ、「適度な入島税なら払っても良いな」と思う。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2009年06月07日

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二軒小屋~十方山林道(ワサビ田まで)、往復
春の林道ウォーキング
(出発帰着:二軒小屋)

2009年06月07日(日)、森と水と土を考える会

このページの目次です

はじめに

所属会春の林道ウォーキング(一般公募)である。別の所属会(広島医療情報研究会)も同じ日に同一のコースで正式な例会として観察会を行うことになり、時間調整をして両方の会を一つにまとめて参加しようと試みたが、残念ながら薬の会の予定は中止となってしまった。

薬の会の世話役をやることになっていたため、林道ウォーキングの方は特に役割はなかった。薬の会が中止と決まれば今日はフリーの立場である。集団の中ほどをゆったりと歩く。

カキドオシ、ヤマアジサイ、エゴノキ、アサガラ、オオバアサガラなどを見る。そうこうしているうちに、先頭はいつの間にかはるか先に行ってしまった。今日は早いペースのようである(ワサビ田まで約1時間半)

今日のコースタイム

二軒小屋~ワサビ田、1時間46分
ワサビ田~二軒小屋、1時間29分
(私の場合)

帰りのワサビ田では、さらに先まで行った人たちがすべて戻ってきたことを確認するため、私はひとりで5分遅れて出発する。途中から中団の様子を確認するためペースを上げる。

二軒小屋10:05-十方山林道登山口10:38-水越峠-9号橋10:57-下山橋11:25-ワサビ田11:51、12:55-下山橋12:17-9号橋12:43-水越峠12:51-旧羅漢山取りつき(恐羅漢山方面)12:56-十方山登山口12:57-舗装道路14:08-二軒小屋14:24

渓畔林はトチノキ・ロードだった

二軒小屋を出発、左に十方山登山口(シシガ谷コース)を分け、水越峠を越えて9号橋の先から渓畔林に入ると、林道上に無数の小さな白い花が落ちている。花びらの内側には薄い赤紫の色がついている。トチノキの花である。トチノキの花は、これらの小さな花が集まって円錐花序となっている。葡萄の房のような形をしたものである。林道上には、時々トチノキの「房」も落ちていた。

林道沿いに見上げると、幅広の大きな葉っぱを付けたトチノキが連なっている。白い花は見えない。目が悪いせいもあるが、花の盛りはもう過ぎたのかもしれない。林道上には、ワサビ田に至るまで何キロにもわたって花びらの絨毯が続いている。

十方山林道って、広いんですね

「十方山林道って、広いんですね」とは参加者の一人の声である。大規模林道工事とは、ひと一人がやっと通れるような踏み跡を広げて、新たに車道を造るための工事、と理解されていたようである。

十方山林道(未舗装)は既に50年以上前に完成しており、幅員3~4mで4トントラックが通行可能なりっぱな林道である。ところが、現在では渓畔林で林業施業の予定は全くなく、しかも、現地では冬期数か月間は雪のため通行止めになる。

これ以上りっぱな舗装道路を造る必要性はどこにもない、ということは現場を踏んで初めて分かることかもしれない。

次世代の若者が参加する

参加者のなかに、小学3年生と4年生の男子二人がいた。兄弟かと思えば近所の仲良しだという。二人して元気よく飛び出して行き、先頭を切って歩いたようだ。

ところが、母親(一人参加)が後から追いかける形となり、子どもたちの弁当はその母親が持っている。つまり、昼食時になっても自分たちの弁当がない。山に入ったならば、自分の弁当は他人に預けることなく自分自身で確保しておかなければならない。まさに「怪我と弁当は自分持ち」を地で行った形である。

また、飲料水の持ち分も少なかった(ペットボトル1本)ようである。二軒小屋を出発してしばらくしてほとんど飲み干したらしい。ところが、昼食場所のワサビ田で見ていると、ペットボトルに細見谷川の水を詰めようとはしていなかった。サバイバルというほどのこともないが、現在では「川の水は決してそのまま飲むな」と言われているのであろうか。

とはいうものの、スタッフが今日の感想を書いてほしい(絵も添付希望)とたのんだところ、「いいよ、緑一色になるね」という元気な返事があり、翌日には会長宛てにファックスが届いたという。がんばれ!若者!

何はともあれ、無事に行事を終えることができて感謝!!

8時新幹線口集合、マイクロバス
会長所用のため欠席、山の部会長活躍
モリアオガエルの卵、オタマジャクシ
元気なオッサン、オバサン、帰りの車で寝る人なし、人生談義
内黒峠、行き3時間弱、帰り2時間弱
白木山、登り降り連続2回
ワサビ田の様子は?、重機を入れた跡、ワサビの香り

2002年06月15日

Akimasa Net
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臥龍山掛頭山、縦走
(出発帰着:千町原)

2002年06月15日(土)単独

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はじめに

今年の芸北第二弾は、臥龍山~掛頭山縦走とした。2002年05月25日(土)<湯来冠山>から見た両翼を広げる<臥龍山>の姿を思い出しながら現地に向かう。初めての土地であり多少手間取ったがなんとか登山口にたどり着く。

今日のコースタイム

千町原登山口、標高約800m(33分)ブナ大木(21分)菅原林道(11分)臥龍山、標高1223.4m
 小計1時間30分(ロスタイム25分を含む)
臥龍山(46分)猿木峠(24分)掛頭山
 小計1時間10分
掛頭山(30分)土草峠(15分)二川キャンプ場
 小計45分
二川キャンプ場(19分)かおり茶屋(18分)千町原登山口
 小計37分
総合計4時間15分
 ・臥龍山山頂休憩を含む
 ・掛頭山山頂休憩と昼食タイムの合計、1時間06分を除く

千町原登山口9:31-再出発9:56-渡渉10:06-倒木10:24-ツル性植物のからまるブナ大木10:29-ブナ大木群10:42-菅原林道10:50-臥龍山山頂11:01、11:14-右手展望11:45、55-猿木峠、林道12:00-(山道)-再び林道12:18-(山道)-テレビ塔12:24、13:00-テレビ塔(2番目)13:05-土草峠13:30-二川キャンプ場13:45、14:15-かおり茶屋14:34-千町原登山口(出発点)14:52

千町原から登る

登山口から、最初は右の原っぱに突っ込んで探検をしてしまう。仕切りなおして、ほぼ南東の方角一直線に臥龍山を目差す。菅原林道手前のブナ大木群がすばらしい。山頂ではホオノキが一輪。帰宅してから図鑑を開いて確認する。この花なら先週、<吉和冠山>の山頂近くでも見たな。

山頂からの展望はほとんどない(北北東がわずかに開ける)。「ひろしま百山」には八畳岩によじ登れば展望が開ける、とあるが、山頂に先着していた年配の男性がその上に立って、「余り変わらないなー」と連れの女性に声を掛けている。

ご夫婦で登山をされているのであろう。岩国の向こうから来たということであった。月に何回か気が向いた時にでかけるそうである。奥さんから、草もちがちょうど3つあるから一つづつと言われて頂戴する。その後その方たちは下山。私は掛頭山縦走コースへ。

小動物に出くわす

猿木峠手前数分のところに右手に展望が開ける地点がある。前方に<掛頭山>山頂を認める。振りかえると臥龍山、は見えないようだ。何山が見えているのかさっぱり検討がつかなかったが見通しもまずまずで満足する。

突然、ドドドーという地響きがしてきた。何事が起きたかと身構えていると、小動物が猿木峠方向から登山道を走ってきた。二匹続いている。犬ではない、猫でもないようだ。体は細長くしっぽも長い。色はうすい茶色である。イタチだろうか、体長30~40cmくらいに見えた。

噛み付かれたらどうしようかと固まっていると足元を無事通りすぎていってくれた。しばらくして反対の方向からやや弱いが同じような音がする。一匹が戻ってきたようだ。怖くて大声を上げると山側へ逃げて行った。そしてまた猿木峠方向から一匹走ってきた。同じように大声を上げるとさっきのと同じように逃げて行った。噛み付かれるのが怖くて足早に立ち去る。

猿木峠手前で大きな白いユリの花。さらに上の方で、ヤマボウシの白い花。山頂近くにはオレンジ色のレンゲツツジが最盛期である。

掛頭山山頂部からの展望を楽しむ

掛頭山山頂東側の林道でカシミール3D展望図を広げる。北東方向の島根県境沿いのものを1枚だけ作っておいたのだ(添付のもの)。ほとんど完璧だ。見とおしはこの3週間で一番良い。<阿佐山>その他の山々がはっきりと識別できる。

南側にも非常に多くの山が見えている。しかし残念ながら展望図は作っていなかった。また、臥龍山~掛頭山が入る浜田(20万分1)を持っていなかったので正確な角度もわからない。西中国山地用に広島・浜田・山口ともう一つの四隅を合成した地図(20万分1)を作っておく必要があるようだ(展望図は、後刻作成の2方向のものも添付、合計3枚)。

そうこうするうちに、一台の車が上からゆっくりゆっくり近づいてきた。さっき臥龍山の山頂であったご夫婦だ。臥龍山からはウマゴヤ谷の方へ下りるといっていたが、頂上直下の林道まで車で上がっていたのだろうか。

それはともかくいっしょになって展望図を眺めながら、<三瓶山>はあそこだとさっき教えてもらったという。ちょっと位置が違うように思う。さっきから自分でも角度を測って何回も見ていたのだがこの山については確信が持てなかった。

林道を少し下ってカーブのところまで行ってみる。左手に臥龍山が大きい。その右に恐羅漢山、吉和冠山、十方山と東へ順番に並んで見えているはずである。先週は、吉和冠山から見て<恐羅漢山>と<十方山>の間に臥龍山~掛頭山が見えることを期待したのだが霞みの中だったのだ。

十方山はたぶんあの山だとわかったが吉和冠山の形までは確認できなかった。さらに右(東)の丸いドーム型は<深入山>で間違いないだろう。

牧野富太郎博士句碑など

二川キャンプ場では、20人以上のパーティー、絵を描いている人など、思い思いの時間を過ごしている。ここで遅い昼食をとる。

牧野富太郎博士句碑近くの湿地にカキツバタが咲いている。大型観光バスでツアー客が来ている。添乗員だろうかあるいは学芸員の方なのか、カキツバタは花の真中に白い筋が一本入る、というような説明をしている。句碑の写真だけ撮って出発点に急ぐ。千町原登山口まではそこからほんのわずかの距離であった。

千町原登山口で改めて臥龍山を見上げながら考えた。さっきの句碑はバックに臥龍山が見える位置に設置してあるはずだ。車で戻って改めて眺めるとそのようになっていた。大型バスはすでに走り去っており、静かになった湿原でカキツバタの写真も撮った。

2002年06月01日

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板押峠~羅漢山~NTT中継所
(出発帰着:NTT中継所)

2002年06月01日(土)、単独

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はじめに

三週連続で「ひろしま百山」のナンバー通りに登山をしてきた。今週はその続きになる。結果的にそうなっているだけだが、この夏・秋で芸北の山々をできるだけ多く歩いてみたいと思っているので、県西部の少し奥からそれらの山を見ておきたいと考えているのである。(芸北の山の経験は昨年秋の三回のみ)

今日は天気は晴れだが見とおしが悪そうだ。広島市内から西に向かう途中で極楽寺山を正面にしても山の形はおぼろである。右奥をみると窓ヶ山があるのは何とか分かるが窓(キレット)までは区別がつかない。

さて、羅漢山山頂から何とか見えたのは鬼ヶ城山のみで、その真後に高くそびえているはずの吉和冠山は全く影も形もない。ここのところの晴天続きで再び黄砂が漂っているのであろうか。山頂から360度の展望が得られるというので張りきって作ったカシミール展望図(望遠レンズ使用で7~8枚作った)は全く役に立たなかった。

2002/06/27記
先日、2002/06/15臥龍山~掛頭山で会った年配の方が(羅漢山)山頂から宇品港(広島港)に停泊中の船の名前が見えると言っていた。そういえば、その方は大きな双眼鏡を持っていたな。

2002/07/21記
2002年6月1日の山行(羅漢山)でお会いした方と、2002/07/20(土)に一兵山家山~中野冠山途中にあるノベリ山で全く偶然に再会した。

板押峠(標高730m)~羅漢山~NTT中継所(出発帰着NTT中継所)、実登約280m

今日のコースタイム

NTT無線中継所(36分)板押峠
板押峠(18分)山道へ(10分)男岩(34分)羅漢山
 小計1時間02分(峠から山頂まで)
羅漢山(18分)NTT無線中継所
総合計2時間17分
 (大休止1時間14分を除く,津和野街道探索21分を含む)

NTT無線中継所9:55-板押峠10:31-(津和野街道探索)-再出発10:52-登山口11:00-山道へ11:10-おとこ岩11:20-振りかえると少し展望11:31-急登終わり11:47-レーダードーム11:52-羅漢山山頂11:54、13:08-NTT無線中継所13:26

山行記概略

出会橋を渡って県道119号に入ると、ノアザミの赤紫が続く。県道を歩き始めるとヤブウツギの赤が目立つ。この花は山頂でも多かった。途中で白い花のもあったけど何であろうか。県道の道端には黄色の花を付けた草も延々と続いていた。

最初、板押峠から津和野街道を探索してくる。沢沿いについている道だが倒木もありちょっと荒れているようである。ただ赤テープがぶら下がっていたので下まで行けるのであろう。

板押峠からは別荘地(分譲中)に通じる舗装道路を道なりに登っていく。10分くらいで左手の道に入る。しばらくはまだ舗装道路であるが、右手に山頂ドームが一瞬見えると登山口(山道)は近い。その途中右手に赤テープのついた踏み跡があるがどこへ通じるのかはよくわからない。

左手の道を入って少し南へ行ってすぐに西に向きを変えたところで尾根に乗っている。広い稜線をどんどん登れば頂上である。途中右手に「男岩」がある。北に吉和冠山から恐羅漢山・十方山まで望める、らしいが今日はパスした。

登山道(板押峠から)のハイライトは頂上直下のササ道かもしれない。かなりの急登(約15分くらい)である。道がえぐれて深くなっている所があると、急登で前かがみになるものだから、ササで頭まで完全に覆われてしまう。

時々、ササを束ねて持って重い体を引き上げた。道が少し北へ振れたなと感じたら急登は終わっている。ゆるやかな登りをしばらく行くと突然ドームが目の前に現れる。三角点まではそこからもうすこしである。

山頂から360度の大パノラマを期待していたのだが全くの期待はずれに終わった。もし見とおしがよかったとしても、伐採後年数を経て雑木林が復活しているようなので、例え東屋の上からでも360度の展望というわけにはいかないのではないだろうか。

東屋ではすでに10人前後のグループ、夫婦2組が食事中。それから私と、私よりちょっと後に男性3人組。大盛況である。某超大物男優(歌手、故人)のお母さん?の実家が宮島で紅葉饅頭を作っている家だとかなかなかにぎやかである。

年配のご夫婦、旦那さんの方は日本酒、ビールを召し上がっていたようである。夏には一週間泊まりがけ(民宿)で芸北の山を歩くという。うらやましい限りであるが健康面で大丈夫だろうか。

先着組が引き払った後、男性3人組と話をする。宗箇山で急病人をみたことがあるという。人工呼吸をして結局ヘリコプターで県病院に運んだが結果はよくなかったらしい。その人がそうであったかどうかはわからないが、二日酔いで登山などするものではない(登山中のアルコールも控えめに)というのが結論であった。

その人達もササの急登道から来たという。阿武山もきつかったといったら、今はジグザグの登山道だからあまりきつくはないかもしれないという。その人の話では、その登山道は今までの木の階段が崩れかかっている個所があったので今年の冬に新しく作ったんだという。冬場は遠くからでも良く見えたでしょうとも言う。

やっと話の辻褄があってきた。今年の3月23日に松笠山へ登ったとき、帰りは菰口憩いの森へ下りてJR安芸矢口まで歩いた。その途中で正面の阿武山を見るとジグザグの道らしき筋が見える。阿武山は頂上直下の直登が実にきつかった思い出があり、見えている道が自分で登った登山道なのかどうか半信半疑でいたのだ。一方で最近登った人の中から阿武山は整備しすぎだという声を聞いたことがある。

その人に”やりすぎですか”と聞いたら、”そうですね”ということであった。

宮島はいいですね、という話になった。岩船岳に行ってみたいけどまだだという。やはり遠いというイメージがあるようだ(実際、宮島だからといってバカにはできないと思う)。縦走路稜線までをいかに体力を使わずに行くかを第一のポイントとして少しばかりの経験を話させていただいた。年の頃はほぼ同じ位に見えたので、多々良林道を奥の院近くまでタクシーで行くという奥の手(まだ試したことはないが)までは話さなかった。

下りはNTT中継所へ真っ直ぐに下った。木製の階段はあるが歩きやすい道である。小羅漢山~羅漢山ハイランドロッジへ下る道はどうであろうか。少なくとも板押峠へは下るべきではないだろう。急坂のササ道で足元さえ見えないかもしれない。かなり危険である。足に負担のかかる下山道の選択は慎重に行いたいものである。

2002年10月27日

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熊城山
(出発帰着:天狗シデ下、林道駐車場)

2002年10月27日(日)、EIKO

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はじめに

前日は朝方雨模様で山行を取り止めた。今朝起きると能美島がくっきりと見える。雨上がりで展望がよいとなれば出かける以外にない。幸い”南”の空に少し青空が見えており雨の確率10%という。芸北で紅葉の程度をさぐって来ることにしよう。

EIKOがついて行くと言う。といって家を出た途端、”北”の空を見れば今にも降り出しそうな雨雲である。多少の雨が降っても対応できるように行き先を熊城山に変更した。

最初予定していたのは、QJY通信46号(鷹ノ巣山-紅葉の隠れた名所、その1)の追っかけであった。しかし、鷹巣山に至る道が笹でおおわれていた場合(私の踏み跡、2002年07月13日参照)、下半身ずぶぬれになる可能性があると考えたのだ。

熊城山ならば、たとえ雨になっても、天狗シデを見て帰るだけで満足できそうだ。それに登山道も整備されているという。傘をさして歩けるかもしれない。予想はぴたりと当たり、1)途中から雨が降ってきて、2)傘をさして歩いた。

今日のコースタイム

登り、1時間19分
下り、1時間35分(ロスタイム約35分を含む)
総合計2時間59分(休憩時間をすべて含む)

天狗シデ下駐車場10:26-天狗シデ登山口10:36-林道10:56-展望台11:03、11:08-丸掛山稜線鞍部11:25-熊城山11:45、11:50-広葉樹の森、モクレンの道分岐12:05-モクレンの道を枕峠側へ12:22-(引き帰す)-広葉樹、モクレン分岐12:40-展望台12:50-天狗シデ下駐車場13:25

コース概略

天狗シデを初めて見た。すばらしい。天狗シデ群落は林道(りっぱな舗装道路)から右へ少し入ったところにあり、その横に熊城山登山口がある。林道分岐から天狗シデ群落まで車で通行可能ではあるが、現在は天狗シデ保護のため進入禁止となっている。そこで、車は分岐点にある大きな駐車場(水洗トイレ付)に置いて歩いた。

天狗シデ横の登山口からしばらく山道を行き再び林道とぶつかる。霧雨が降り続いている。林道を右に行くとやがて展望台(トイレ付)があり、さらに行くと林道が途切れそのまま山道となる。(ここまで舗装道路で車での進入可能)

丸掛山鞍部から山頂を目指す時計廻りで歩いてみた。鞍部手前から傘を必要とする雨になる。鞍部からは右手にブナの林をみながら木段の登りが続く。そこを登りきったあたりに大きなブナの木があり、一休みしていると小さなヒョウが降ってきた。雨にけむるブナの坂道を振り返ると幻想的で美しかった。

ただし、コース全般が公園化されすぎているのはちょっと残念だ。よく整備されていると言えば言えるのかもしれないが、木製の階段、砂利を敷き詰めた幅広い道では、山歩きの面白味が半減してしまう。

頂上での展望は全く無し。「ひろしま百山」でいう、阿佐山山塊、大佐山、白木山は確認していない。特に北側は木々が茂っておりほんとうに展望があるのかどうかはわからない。また、平坦な頂上で三角点すら見つけることができなかった。

モクレンの道、枕峠側はあまり人が通らないのであろう。道の真中にも草がはえている。途中で道が少し崩落した個所がある。

さて、再び林道まで下りてきて、登ってきた山道との分岐にブナの大木があるのに気づく。人の背丈以上のところに空がある。これが林道開通前はクマが冬眠していたというブナの木であろう。

帰りはその山道を使わず林道をそのまま下っていった。雨でぬれた山道ですべっても面白くないのでそうしたのだ。天狗シデ横を通ることなく直接駐車場まで帰り着く。

駐車場で食事をとる。その間、小雨の中を何台かの乗用車が次々と入ってくる。天狗シデの人気はかなり高いようだ。気温は低い。夏場ずっと同じ長袖で通してきたものにベストで行動中はちょうどよかった。しかし手はかじかんでいた。

注:丸掛山1002mピークは、桑原良敏著「西中国山地」では、”櫛山”とされている。

2003年07月12日

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日野山、往復
(出発帰着:中山峠付近)

2003年07月12日(土)、単独

今日のコースタイム

登山口駐車場(28分)日山城址(27分)日野山頂上、本丸跡
 小計1時間02分(休憩を含む)
日野山頂上(19分)日山城址(20分)登山口
 小計39分
総合計1時間41分(頂上での休憩36分を除く)

登山口11:27-日山城址11:55、12:02-展望12:08-姫路が丸(小ピーク)12:13-二の丸跡12:22-館跡(小ピーク)12:24-本丸跡(頂上)12:29、13:05-日山城址13:24-沢合流13:30-登山口13:44

この土日も天気予報は雨(確率50%以上)であった。しかし金曜日夜、防災情報提供センターHPを見れば、雨雲は瀬戸内より南側にかかっている。もしかしたら、県北部ならば行けるかもしれない。朝、降水量推移を確認すると何とかなりそうである。前から気になっていた城山に行ってみることにする。

国道261号線から中に入ると、左手の棚田に稲が青々と育っている。200mくらい入ったところに駐車場がある。ドクダミの小群落。道はやがて未舗装の林道となり、左手植林、右手自然林が続く。

まずは小さな沢沿いに行く。幾度か渡渉を繰り返しながら登る。岩場が多く滑らないように気をつける。水の中に薄茶色の大きなカエル。道はやがて沢から分かれて右手に上り尾根に出る。

少し行くと日山城址である。「ひろしま百山」では「中城跡」となっている地点で、右手の平坦な部分に踏み込むと土塁の遺構がある。すこし上で道からはずれたところにササユリが一輪。

振り返れば展望、雉子の目山が見える。「大門の原」という平坦部を過ぎると小ピーク、姫が城である。この前後から頂上まではササが足元を覆う。霧に巻かれると方向感覚を失うかもしれない。

平らな草地に出る。「池の段」といい、オオカニコウモリが群生している。正面の「中の丸」、左手の「二の丸」が少し高くなっており、それらに囲まれるような地形である。なお、右手直下の「一升水(城中の命水」は今でも染み出ているという。

館跡(小ピーク)に「史跡吉川氏館跡、基準点NO.8」の小さな標石が埋まっている。真ん中に十字が切ってあるので、東西南北を示すのかと考えて方位を測ると10度位東にずれている。ただし、コンパスをその上に置くと北針がほぼ同じ方角を示した。磁性を帯びているようである。

頂上からの展望を期待したが雑木が再び生長しておりがっかりする。胸までのススキを掻き分けながらあちこち移動してみるが満足な結果は得られなかった。オカトラノオが一面に咲いている。

落ち着いて食事をする場所もないので元来た道を引き返す。途中で沢沿いの道という標識があったので少し覗いてみたが、よく分からなかったので冒険はしなかった。山道では誰一人会わなかった。

登山口棚田の向こうに白い花がたくさん咲いている。近づいてみると地面にもいっぱい花が落ちている。直径5~6cmくらいありそうである。木肌をみればリョウブによく似た美しい薄茶色の斑が入っている。ナツツバキの大木である。 棚田休耕田の水溜りには多数のオタマジャクシ。行き帰りの車道ではネムノキの花を見る。

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2009年04月29日

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宮島自然植物実験所~長浦~あての木浦(往復)
(出発帰着:宮島桟橋)

2009年04月29日(水)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2009年04月29日)
  • 宮島最南端部まで、再び西海岸沿いの山道を行く
    今回も道迷いをおこしたりトラブル続き

  • 宮島自然植物実験所〜御床浦〜あての木浦(2014/11/23)
    この地域の決定版は、2014年11月23日山行記です。今日(2013/04/29)の山行記も含めて、下記各山行記中の不明瞭(不正確)な点を訂正しながらまとめています。コース概況(GPSルート図リンク)もあります。
  • 宮島の西海岸のまとめ、写真あり(2013/06/23、5/23)
  • 西海岸沿いの山道まとめ、写真あり(2013/05/23)
  • 西海岸沿いの山道探索(下記の各山行記参照)
    2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02

このページの目次です

はじめに

大元公園~多々良~宮島自然植物実験所~室浜砲台跡~大川浦~御床浦~長浦~あての木浦、往復(出発帰着:宮島桟橋)

今年2009年04月11日(土)と同じコースである。前回は少し苦労をした。気力体力ともに回復したのでもう一度挑戦する気になる。もちろん、あての木浦から砲台跡に取りつき、御床山~岩船岳をめざすつもりであった。しかし、今日も何かと不都合だらけで不首尾に終わる。再々挑戦あるのみ。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋7:57-大元公園8:10-多々良林道8:40-宮島自然植物実験所9:00-川渡る9:35-大川浦分岐9:48、9:55-ルート探索10:01、10:10-(左手山側に登り)-右から巻く10:12-道しるべ(大川浦、御床浦)10:13-小さな沢10:23-ロープ10:25-御床浦10:25-沢10:27-巨大敷地10:32-御床浦( 御床浦神社近く、沢)10:35-道しるべ(御床山・下谷浦-100m右折、御床浦)10:36ー巨大敷地、門扉10:37(道しるべ、御床浦、下谷浦・御床山-ブルーのテント小屋)-よい道を横切る10:42-海岸部へむけてよい道10:45-勢いのある沢10:47-沢渡る10:50-涸れ沢(分岐)10:52-(沢の左岸をさかのぼる)-堰11:12、11:16-(引き返す)-分岐11:36-石垣の間~廃屋11:38-御床山分岐11:42-庭園風廃屋11:47-道迷い(起点11:48-御床山取りつき11:56、12:02-元の位置まで戻る12:08)-沢渡る12:19-あての木浦12:40

あての木浦13:12-長浦13:20-沢13:22-沢13:24-沢横切る13:24木の下くぐる-沢左岸を少しさかのぼる13:27-左折、沢を渡って右折、沢を離れて登る-峠13:30左手海をみおろす-沢渡る(左→右)13:32-横切る、沢右岸を少し登る-沢横切る13:35-右岸さかのぼる、幅広の気持ちのよい道が続く-なだらかピーク13:45-急坂を右に回り込んで沢渡る-沢13:46-庭園風廃屋13:48-左折13:49-よい道をゆるやかに下る- 前方に踏み跡消える、右折13:51-掘れた道13:52-御床山分岐13:54-右手に水色ネットをみて登る-ピーク13:57-急下る-右手石垣13:58-小さな沢を横切って登る-枯れた落ち葉の上を滑りながら登る (急登)-小コブ14:00-ここを登るのは間違い、急登る手前右に入る14:03-石組みの間を入る14:04-続いて石組み、左折、右折して石組みをまたぐ-やや右手14:05~06-石組みを踏んで行く、左へ行って小さな沢を渡る、正面に巨大かこみあり、巨大敷地跡を上から抜けてしまった(来た道よりも上部を通過)-石門下14:14-海に向かって石組みのよい道を下る-横切る、登る-竹垣を右手にしてさらに登る14:15~16-ピーク14:16-下る-左手よい道をゆったり下る14:18-右折して下る14:18-小さな沢を渡る14:19海岸近し-横切って登る-小尾根14:22-横切って下る14:25-なだらかな小山、小さな石をぬって行く-右手に沢を横切って行く14:26-御床浦14:27-小さな沢を渡って左折14:42-道しるべ(大川浦、御床浦)14:47-川渡る14:55-大川浦分岐14:57-ピーク15:01-ピーク15:05-休憩15:11、15:21-砲台跡15:45、15:49-宮島自然植物実験所15:51-多々良16:11-大元公園16:35-宮島桟橋16:51

宮島桟橋(43分)多々良(20分)宮島植物実験所(48分)大川浦分岐(40分)御床浦神社近くの沢(30分)御床山分岐(38分)あての木浦
 小計3時間39分(大川浦分岐7分を含む)
 (その他、御床山探索44分、ワンデリング20分あり)
あての木浦(42分)御床山分岐(33分)御床浦(30分)大川浦分岐(54分)宮島植物実験所(20分)多々良(40分)宮島桟橋
 小計3時間39分
総合計8時間22分
 (御床山探索44分、ワンデリング20分を加える、あての木浦32分を除く)

大川浦~御床浦

大川浦分岐からやぶの中に入り、川を渡って左手山の斜面に取りつく。右下にかつての踏み跡(木馬道?)らしきものがあり迷う。その踏み跡よりは上まで登り、右から海側を巻いて踏み跡らしき箇所の上を行く。

海を見下ろしながらしばらく行くと、小さな沢がありその先でロープを伝って急下る個所がある。御床浦の海岸はもうすぐそこである。

海岸部から再び樹林帯に入ると巨大敷地にぶつかるので、それを左手にして行く。踏み跡を確かめながら行くと、小さな沢で御床浦神社(地形図表示あり)がある海岸のすぐそばに出る。すぐに道しるべがあって左折する。よい踏み跡を東南東に行くと、再び巨大敷地にぶつかり、正面には門扉がある。

御床山取りつき

竹製の囲いを左手にして登りそして下ると、海岸の方からよい道が南東に延びている。脇を石積みで固めたりっぱな道路である。そこを横切って行くと、勢いのある沢に出る。その位置は、国土地理院二万五千分1地形図でいうと、40m台小ピークの北側で、御床山中腹の145m近くから海岸部へ向けて表示されている黒破線の一つ北側の沢になる。

その沢沿い左岸によい道があり、145m北側の堰堤(標高110mくらいか)まで踏み込んでみた。途中道しるべ(御床山、御床浦)があったので、145m付近で地形図黒破線(途中で切れている)の延長線上に乗って、 御床山山頂に至ることができるのであろう。

堰堤から引き返して、分岐途中でやや早めに左の山側に踏み込み少し苦労をする。山側から沢まで引き返して下り、沢沿いにもう少し下った地点で左折する。そして、40m台ピークを右手にしながら鞍部を南向きに行く。

途中で、りっぱな石組みの間を通りぬけた所に廃屋(瓦が散乱)がある。出口にもりっぱな石組みがある。ここからさらに巨大敷地を左手にして行くと、よい道と交わる。ここが御床山取りつき(地形図黒破線)のようである。右手の海側から左手の山側に向けてきれいな踏み跡が延びている。

ワンデリング

御床山取りつきから、右手海側にほんの少し行ってすぐに左折する。踏み跡を追って行くと掘割がある。標高20m台のところを東西に掘り下げたものである。そこを通り抜けると、左手南南東に向けて、川(地形図表示あり)の東側を行く。

途中に分岐があり、右前方南側の40m台コルに向けて右折する。すぐに庭園風の廃屋をすり抜ける。そのまま行けば、川を越え、40m台コルで地形図黒破線と接するはずである。

ところが、沢付近でルートをみつけるためキョロキョロしている間に、反対方向を向いてしまっていた。そしてそのまま元来た道を引き返してしまった。さすがに途中で気づいたのだが、結局、御床山取りつきまで戻り、仕切り直しとなる。

ここで不思議なことが一つある。今回のケースでは、ワンデリングとはいうものの、一本道を往き来している。それにもかかわらず、道迷いで引き返す途中で、庭園風廃屋を見ていないのである。精神状態がおかしいのであろうか、実に奇妙、気味が悪い。

それはともかく、40m台コルを越え、山あいの道を地形図黒破線に沿ってゆったりと長浦近くまで下り、南向きに一山越えると、あての木浦である。

今日もまたちょっと寄り道をしすぎた。昼食後そのまま引き返す。近々再々挑戦予定。なお、今日の帰り道でも、行きと全く同じコースをたどることはできていない(きちんとした文章にはしていない、今日のコースタイム詳細を参照)。

その他

クロバイの花が満開。ウリハダカエデも花序を下げる。雄花雌花の区別は分からない。その他、ヒサカキの花か、クロキも花をつけているか・・・・・。 終日晴天、絶好の天気だったのだが。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

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2008年10月04日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

大聖院コース~弥山~奥の院~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~502m~奥の院に戻る~岩船岳登山口(多々良林道)本日二度目~大元谷左岸コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2008年10月04日(土)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2008年10月04日)
  • 土石流のため長らく不通になっていた大聖院コース(庭園風に再生)を登る
    奥の院に回り、502m付近の状態を確認する
    GPS軌跡欠落(先峠~502m~奥の院(2回目)以降)

このページの目次です

はじめに

大聖院~大聖院コース~仁王門跡~弥山~(少し引き返す)~仁王門跡手前分岐~御山神社下~奥の院・仁王門跡コース~多々良林道終端部~奥の院~多々良林道~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~502m~奥の院に戻る~多々良林道~岩船岳登山口(多々良林道)~前峠~大元谷左岸コース~大元公園
(出発帰着:宮島桟橋)

「大聖院ルート(2008年10月)1日復旧」という中国新聞記事(9月27日付)をみて行ってみたくなる。大聖院コースは、3年前の台風14号(2005年9月)による土石流で不通になっていた。それが「(下流部の)護岸は崩落した自然石などを使って庭園風に再生」しているという(写真あり)。実際にどのような庭園風に仕上がっているのかに興味を持つ。

大聖院コースで弥山に登り、少し引き返して奥の院へ下る。奥の院から多々良林道を少し下り、岩船岳登山口から岩船岳縦走路(稜線)に登りつく。そこから、岩船岳とは逆方向の502mを乗り越えて、再び奥の院へ下る。奥の院から、再び多々良林道経由で岩船岳登山口(今日二度目)まで下る。そしてそこから、今度は岩船岳とは反対方向に登り、前峠を越えて、大元川左岸を下る(右岸には大元公園コースがある)。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:44-筋違橋(すじかいばし)8:56-大聖院9:01-2号堰堤9:11-白糸の滝分岐9:18-(白糸の滝往復2分)-白糸の滝分岐9:21-四丁9:25-ベンチ(左折)9:26-ベンチ(右折)9:28-六丁9:33-東屋9:34、9:37-七丁9:39-広場ベンチ9:41-(少し平)-登って平9:44-祠9:45-(少し登る)-平、対岸に崩落跡9:47-十丁9:48-(平らな巻き道、右手尾根)-渡渉、渡渉前の右奥に大岩、陰に祠9:50-十一丁9:54-対岸に大岸壁(尾根に乗っている)9:57-土石流発生地点をみる(ナメラ岩の上を水流が行く)10:01-土石流、流れ落ちる(大鳥居8度)10:05、10:06-1号堰堤10:07、10:11-(左岸から右岸へ?)-すでに右岸10:12-沢渡る(右岸から左岸へ)、古い道が下っている(左岸)10:15-(階段なくなる)-仁王門跡横(十字路)10:23、10:25-(すぐに十八丁、仁王門跡)-十六丁?10:28-十九丁10:29-奥の院分岐10:32-弥山めぐり、二十一丁10:36-大日堂10:38-大岩10:43-弥山山頂10:43、10:53-(すぐに、二十四丁)-二十二丁10:57-弥山本堂10:59-弥山めぐり分岐11:00-奥の院分岐 (御山神社分岐)11:02-御山神社分岐11:04-分岐左へ(右上は、仁王門跡横に至る)11:13-林道11:17-左分岐(奥の院に通じる)あり11:20、11:22(探索)-多々良林道11:24-左分岐(11:20分岐に通じる)あり11:27-奥の院11:28、11:39-(多々良林道を下る)-岩船岳登山口11:56-沢渡る11:59-岩船岳縦走路(稜線)12:08、12:36-(途中、やや右から巻く)-稜線上(両側がみえる、右:岩船岳が遠い、倒木あるものの、樹間にすきまあり)-450m台12:49-鞍部12:51-少々コブ12:55-502m12:58、13:03-(支尾根上)-正面に海13:07-(コシダの踏み跡、急下る)-(正面に宇根山、130度-東能美島)-左に振る13:10(正面ピーク、76度)-(左へ振る、004度 )時間不明-(沢底(右岸)を下る、前方をシカが横切る)-奥の院13:24-(多々良林道を下る)-岩船岳登山口13:43-前峠13:57、14:01-(倒木などあるが下るほどに良くなる、一貫して左岸を下る)-堰堤14:25- 大元公園コース分岐14:32-大元公園上部14:35-自動車道14:38-宮島桟橋14:57

注:方位角は、〈磁北〉からの角度を示す。デジカメの時計ずれている?

宮島桟橋(17分)大聖院(10分)2号堰堤(7分)白糸の滝分岐(46分)1号堰堤(12分)仁王門跡横(11分)大日堂下(7分)弥山
 小計1時間59分・・・観察のため、ゆったり
 (白糸の滝往復他3分、1号堰堤4分、仁王門跡横2分を加える)
弥山(6分)弥山本堂(1分)大日堂下(2分)奥の院分岐(11分)よい道(9分)多々良林道(4分)奥の院
 小計35分(途中探索2分を加える)
奥の院(17分)岩船岳登山口(12分)岩船岳縦走路(22分)502m(21分)奥の院(周回)
 小計1時間45分
 (502m5分を加える、さらに、岩船岳縦走路休憩28分を加える)
奥の院(19分)岩船岳登山口(14分)前峠(31分)大元公園コース分岐(6分)車道(19分)宮島桟橋
 小計1時間33分(前峠4分を加える)
総合計6時間13分
 (弥山10分、奥の院11分を加える)

公式ルート、非公式ルート

弥山登山道の公式ルートは3本しかない。紅葉谷コース、大聖院コース、大元公園コースである。いずれも谷コースであり、階段等の整備がされている。

今年2008年7月に赤ペンキ事件で問題になった四宮コース(弥山直登尾根)は、2008年7月26日付け中国新聞記事によれば、「県が整備する「公式」ルートではなく、廿日市市教委などは「極力立ち入らないでほしい」との立場だ」としている。その理由は「手つかずの自然を後世に残すため」だという。

同様に考えると、多宝塔コース(駒ヶ林直登尾根)も登山禁止なのだろうか。その他、かや谷(博打尾)コース、岩船岳縦走路はどうであろうか。関係者の見解と納得のいく説明を聞きたいものである。

なお、「広島県の山(新・分県登山ガイド33)」山と溪谷社(2003年11月)P.100-101の弥山は、四宮コース~大元公園コースを紹介している。そして、その改訂版(2008年8月)P.100-101では、紅葉谷コース~大聖院コースを紹介している。 ここで、大聖院コースについては「台風の災害で新しく修復されたきれいな庭園風の谷間の道だ」として、復旧後の再開通(10月1日)を先取りした記述となっている。

また、2003年版では、その他、大聖院コースと(多宝塔コース)もルート図(黒点線のみ)には記載されている。2008年版のルート図(同様に黒点線のみ)には、(多宝塔コース)、大元谷コース( Web作者注:大元公園コース)とともに、(紅葉谷西尾根コース)も記載されている。ここで、紅葉谷西尾根コースとは四宮コースのことである。しかし、四宮の名前は使われていない。

大聖院コース(公式ルート)

宮島桟橋から厳島神社の横を通り抜け大聖院をめざす。 大聖院の左横から白糸川右岸に入ると、手摺付きの新しい遊歩道が川沿いに上がっている。河床は、水の勢いを弱めるため階段状に作ってある。そして、崩落した自然石などがうまく配置してある。

また、コンクリート製の護岸や堰堤(2つある)の表面にも、同様に崩落した自然石などが使われている。全体的に和風庭園の趣があり、渓流の景観に配慮した作りになっていることがよくわかる。

枕崎台風(1945年)の後に作った紅葉谷公園と同様の考え方であろう。地元の材料を活かしきるという思想である。台風などのたびに、厳島神社では板切れ1枚失くさないための努力が繰り返されている。もちろん、それら自体がご神体ということもあるだろうけれども。

さて、白糸川右岸沿いの遊歩道を上がり、2号堰堤(標高50m前後)を過ぎて、左岸に渡る(標高70m前後)と白糸の滝分岐がある。白糸の滝見学地点まで往復2分程度の距離である。

そこから、左岸尾根上をジグで登って行く。ここはほとんど元の道のままのようである。やがて大崩落地帯が近づき、その下には1号堰堤(標高350m前後)がある。

右岸に渡り、左岸に渡り返すと、右下に元の道が下っているようである。しばらく登ると、仁王門跡の横(十字路)に着く。左折して弥山に向かう。大日堂へのきつい石段を登り山頂に達した。

弥山山頂には思いのほか人影が少ない。その中で、登山者の多くは大聖院コースを相前後しながら登った人たちのようにも思えた。皆さん、ルートが再開して興味を持たれたのであろう。登山道途中では、土木のプロとお見受けする方々の姿もあった。

弥山~奥の院

弥山山頂からの展望はかすんでいる。早々に下山の支度をする。久しぶりに奥の院に行ってみることにする。まず、弥山本堂に向けて下り、そこから仁王門跡方面に向かう。途中には、先ほど通った大日堂が右手石段の上にある。

弥山から奥の院に行くには、仁王門跡を左折して南へ下るのが普通であろう。今回は、その手前にある「奥の院分岐(御山神社分岐)」から左へ踏み込む。急な踏み跡が下っている。途中で御山神社を左に分けて下ると、幅広の道に出る。奥の院~仁王門跡登山道である。

そこを左折して下ると、多々良林道(簡易舗装の自動車道)にぶつかる。林道を左折して少し上がると奥の院である。なお、多々良林道に出る手前左に踏み跡があり、奥の院まで続いているようである。

疑問:奥の院の位置(地形図記号あり)は、地形図(標高330m)の地点で正しいのだろうか。もしかすると標高340m前後かもしれない。この辺りは平坦なので距離はかなり離れることになる。奥の院近くの多々良林道(地形図黒点線)も 少しずれているかもしれない。(ちょっとだけGPSを使ってみた。岩船岳縦走路以降は電池切れ)

奥の院~岩船岳登山口~岩船岳縦走路~502m~奥の院

(周回、反時計回り)

弥山から岩船岳まで縦走するのに、一例として、奥の院~502m経由のコースが紹介されている。「ひろしま百山」中国新聞社(1998年)P.142

「奥の院からは谷を詰めて行く。暗い木立の中を抜けると、明るい尾根に出る。右に尾根道を進み急坂を登りきると、502メートルピークに着く。樹林帯の中で見通しは利かない。右に道をとり、急な道を下って行く。1997年7月、山岳連盟の遊歩道整備事業できれいに刈り払いされて歩きやすくなっている。20分足らずで岩船岳への分岐に着く。左へ行けば岩船岳への稜線・・・ ・・」

今日実際に通ってみた(ひろしま百山とは逆回り)感じでは、通常の登山コースとして使うには、少ししんどい状況だと思われる。(以下、今日の山行記)

奥の院~502mは、ずいぶん前に2度ほど通ったことがある。2001年02月25日、弥山から奥の院に至り、谷を詰めて登って、502mから岩船岳途中まで行った。2001年10月20日、岩船岳(東峰)からの帰りに、502m経由で奥の院まで下って弥山まで登り返した。

今このコースはどうなっているのであろうか。もう一度通ってみたくなり、奥の院近くから南の谷をのぞきこむ。薄暗い木立の中に倒木らしきものが道をふさいでいるようだ。 ここを登るのはちょっと難しいか。

奥の院から、一旦多々良林道で岩船岳登山口まで下る。そこから、岩船岳縦走路(稜線上)~502m経由で奥の院上部に至り、谷を下って奥の院まで帰ることを考えた。地形図に黒点線で示されているコースを、反時計回りになぞることになる。

  • 後日注:
    502mピーク前後の状況については、後日(2009年03月20日山行記)修正あり

奥の院(標高330m~340mくらい)から多々良林道をゆったりと下り、岩船岳登山口(標高230m前後)に至る。そこから稜線(岩船岳縦走路 、標高340m台)まで快調なペースで登る。ほぼ地形図黒点線のとおりと思われる。なお、稜線上のプラスティックの道標は、字が消えてほとんど読めない。
(後日注:その後再びマジック書きされたようだ)

稜線上で簡単な昼食をとる。その後、岩船岳方面とは反対方向へ、450m台~502mをめざす。 尾根を追って登る。450m台手前で少し南面を巻いているようだ。全般的に道はあまり良くない。コシダの踏み跡を登り下りする箇所も多い。その他、尾根上の樹林帯では、樹木を間引いてヒトが通れるだけの間隔を空けてある箇所もある。そこでは、おおむね歩きやすい。

502mからは、最高点やや手前を左へ入り(残念ながら角度をみていない)、尾根上を下る。海が見えてくるようになるころ、宇根山(東能美島)を正面にみる。その時もコンパスを出さなかった。後で調べてみると約130度くらい(磁北から)の位置になる。

その後、やや左へ振って弥山右のかや谷ピークを向く(72度)。502mからの登山道は、地形図黒点線(約90度-東向き)よりは、やや南に膨らんで下っているものと思われる。なお、以前に下ったとき、海とともに大砂利の集落を見たように記憶していた(記録にはない)ので、それが見えなくて少しあせってしまった。

502mからの下りでは、下るほどに足元の状態が悪くなり、とうとう最後にはヤブの中(推定標高400m台)で踏み跡すらなくなってしまった。左手方向をさぐると谷が下りている。北向きである。まちがいないだろう。歩きやすいが薄暗い木立の中を一気に奥の院(標高330m~340mくらい)まで下る。谷の右岸を下った。地形図黒点線よりは、ほんのわずかに東側と思われる。

奥の院~岩船岳登山口~大元川左岸~大元公園

ふたたび奥の院に帰り着くと、朗々とした読経の声が響き渡っている。声の主は一人のようである。その声を聞きながら、再度多々良林道に入り岩船岳登山口まで下る。

ここから今度は右手の沢を渡り、前峠山423mと490mの鞍部をめざして、北向きに登る。途中で小尾根を外して、少し東側の窪みに入り込み、コシダの中で苦戦する。足元に水溜りがありズボンをぬらす。 (後日注:あくまでも小尾根の上を行くのがよい。なお、この付近のGPS軌跡について、2009年03月20日山行記で少し考察を加える)

尾根筋の鞍部(標高320m台)に至る。ここでは、そのまま向こう側の谷に下ることはせず、一旦左へ少し行って右折、谷の左岸をひたすら下る。最初は倒木が多く疲れる。下るほどに道はよくなるので我慢して下る。 (後日注:尾根筋の鞍部、すなわち前峠付近について、2009年03月20日山行記で少し考察を加える)

堰堤を過ぎると、右手から大元公園コースが合流してくる。この大元公園上部の分岐点の木に、ビニールで覆われた紙製の「道しるべ」がある。

「道しるべ」は、下流から上流を見る方向に取り付けてあり、それを見ると、大元公園コース(右岸を行く)には、「弥山登山道」(左矢印)の表示がある。しかし、直進(左岸を行く、岩船岳コース)は、「この先行き止まり」という表示になっている。

岩船岳方面は、どのような扱い(公式ルート、非公式ルート)になっているのであろうか。気になるところである。きちんとした説明がほしい。

きて、その後はすぐに大元公園に至り、後は車道を宮島桟橋まで歩くだけである。水族館前からヒトが多く、まっすぐには歩けない。宮島は今日も大盛況である。

今日は、完全にマイナーなルートになってしまったようなコースを歩き回った。世界遺産の島・宮島(世界文化遺産 厳島神社)において、「手つかずの自然を後世に残すため」何が必要で何が足りないのか、考えさせられる一日となった。

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2007年11月18日

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包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース~弥山~駒ヶ林~駒ヶ林尾根
(出発帰着:宮島桟橋)

2007年11月18日(日)、Si、Tuさん

当山行で左ひざ関節を痛め、その後加療休養を余儀なくされる。

このページの目次です

はじめに

紅葉谷~博打尾~ロープウェイかや谷駅~弥山駒ヶ林尾根~多宝塔
(出発帰着:宮島桟橋)

Siさん、3回目の同行である。例によって、高級車でお出迎えを受ける。今回新たに加わったTuさんの車を私の駐車場に置き、3人で出発する。

今回は、いよいよ十方山と意気込んでいたのだが、少し冷え込むかもしれないというので、行き先を2日くらい前に宮島に変更する。宮島口桟橋では、高級車お断りの駐車場があり、右手に少し入り込んだ場所で駐車場を見つける。

さて、今日の北国は大分冷え込んだようである。また、広島市の隣の東広島市でも雨が降ったりして、天気が変わりやすかったようだ。

宮島でも気温は少し低めだったかもしれない。しかし、山頂で浴びる紫外線は温かく感じた。小春日和の中、大勢の観光客(紅葉)や登山者とも山中ではほとんど行き交うことなく、マイナーコースで存分に自然を楽しむことができて満足。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:16-かや谷コース登山口8:42-ベンチ8:57-ベンチ(ピーク)9:02-包ヶ浦分岐9:06-稜線9:23-302m9:32-ピーク9:43-410m台9:47-ロープウェイかやたに駅9:55-ピーク岩場420m台10:02-ロープウェイししいわ駅10:14-不消霊火堂10:30-弥山10:47、11:06-不消霊火堂11:12-仁王門跡11:21-大元コース分岐11:27-駒ヶ林11:33、12:35-最後の岩場(祠?)12:49-多宝塔13:30、13:41-宮島桟橋13:55

宮島桟橋(26分)取り付き口(24分)包ヶ浦分岐(26分)302m(23分)かや谷駅(19分)獅子岩駅(33分)弥山
 小計2時間31分
弥山(27分)駒ヶ林(55分)多宝塔(14分)宮島桟橋
 小計1時間47分(多宝塔付近11分加える)
総合計4時間37分
 (弥山19分加える、駒ヶ林1時間02分除く)

紅葉真っ盛りの宮島を歩く

朝8時から船は人で一杯である。紅葉の季節、観光客が多い。帰船時にも、続々と団体さんが宮島に渡るのとすれ違った。宮島が元気になるならば、それはそれで喜ばしいことである。

宮島自然植物実験所の向井誠二技術専門職員によれば、16日の段階で、「岩惣前の橋から紅葉谷全般に紅葉が見頃・・・今日から4-5日間は見頃」とあり、朱塗りの橋が入った写真が掲載されている。ちょうどいい時期に来たものである。

ゆっくり歩いて登山口に向う。宮島の紅葉は赤(もみじ)が多く、ときにまじる黄色(イチョウなど)が美しく映える。三段峡よりもきれいかもしれない(彼の地では 、どちらかというと黄色を主にして赤が入るようだが、今年は赤が少ないという)。

岩惣前を通り過ぎ、右手朱塗りの橋を渡るべきを直進してしまい、趣のある家屋を右にしてせまい山道を行く。しかし、すぐに行き止まりとなり引き返す。橋を渡り、紅葉谷ロープウェイ駅方面に行く。

かや谷コースの取りつきは、紅葉谷(ロープウェイ駅)手前で左の車道に入り、やや行ったところの橋を渡って右側にある。そこから、毛利元就奇襲の地である「博打尾」(ばくちお)を通り、包ヶ浦に抜ける遊歩道を正面に分けて右手山道に入る。

このコースは、ばくち尾コースとも言われている。ある新聞記者さんは、このコースは通ってはいけない(難しいから)ときつく言い渡されたそうである。それだけ自然の残るコースであり、私のお気に入りのコースとなっている。

尾根まで登りつくと東側の海が見える。Siさんは船を持っており釣りなどを楽しんでいる。だから、眼下に見える島々はすべて頭に入っている。Tuさんも釣りをするようだ。二人して釣り談義に花を咲かせながら山頂部に至る。

弥山山頂からの展望

山頂部に至る頃には、船上でみた黒い怪しげな雲も消えて、やや霞むものの良い天気となる。しばし展望を楽しむ。今回は、十方山周辺部と海側の展望をややくわしく見てみた。

弥山から南南西の方角、すぐ下に駒ヶ林 (山頂に大きな一枚岩あり)を見下ろす。その左上奥、海に面した一列の山並みの後に羅漢山が大きく、山頂にレーダードームを認める。

駒ヶ林の右裾下には、対岸の大野の町をみる。そこから右へほぼ同じ高さの山並があり、右懐に白い建物をみる。大野権現山~船倉山である。大野権現山(山並左手の一番高い山)の真後ろやや右に吉和冠山の懸崖を見る。

羅漢山と吉和冠山のほぼ中間点の尖がりは鬼ヶ城山。鬼ヶ城山の左奥に小五郎山、右奥に安蔵寺山、右谷山をみる。

海岸部に目を戻すと、船倉山(白い大きな建物のやや右上)のほぼ真後ろに、形のよい山がある。大峯山である。大峯山の左に、西大峯が連なり、その左奥の少し高い山は、板敷山である。

大峯山から右へ、藤ヶ瀬山883mを経て阿弥陀山へ山並が連なる。ただし、その途中は、手前の野貝原山山頂部(三角点~アンテナ群)にさえぎられて見えない。大峯山の右裾奥に、もみのき森林公園南の981mが頭を出し、そのさらに右に小室井山1072.2m(もみのき森林公園北)がわずかに頭を出す。

981m(もみのき森林公園南)の右裾から右へ、最奥にある十方山(南西尾根1210m台付近~十方山1318.9m・・・1328m・・・論所~奥三ツ倉~前三ツ倉)が覆いかぶさる。そして、十方山瀬戸滝南尾根(1250m台~1150m台)が、その懐にある。

したがって、一番手前にある野貝原山の左裾奥に、大峯山の右裾を認めて、さらにその後に山並があれば、それが十方山ということになる。なお、十方山山頂の位置は、小室井山のわずかに右奥となる。

今日は、十方山の位置に山並を認めることはできた。しかし、それが十方山そのものなのか、それとも大峯山右裾なのかについて、はっきりと確認することはできなかった。また、小室井山も同定できていない。

大野権現山~船倉山の右には、野貝原山山頂部の二つのなだらかなピーク(三角点~704mアンテナ群)がある。野貝山三角点のすぐ右奥(アンテナ群よりは左)に、湯来冠山をみる。野貝原山の右に極楽寺山が続く。

極楽寺山の左奥に、東郷山があり、東郷山の右裾は極楽寺山を覆いつくす。それらの左に、極楽寺山山系の679.5m(アルカディア・ビレッジ西側)と東郷山系の819.2m(東郷山南西)があり、その間に天上山をみる。

極楽寺山の右奥にみえる窓ヶ山の右奥に、窓・東峰の右肩698.4mをみる。その右に向山がある。

駒ヶ林からの展望

弥山から駒ヶ林へ移動して食事とする。駒ヶ林へ着いた時には、単独者2名程度だったものが、しばらくすると、山頂部の一枚岩がヒトで埋め尽くされ、通路さえなくなってしまった。 弥山の展望台にもヒトが鈴なりとなっている。

ただし、見通しがもっとよくなり楽しめた。海側をみると、大黒神島の右奥に多くの島々を認める。その後を、周防大島が右から左に覆いつくしている。

大黒神島の右奥に、柱島がある。戦艦「大和」の泊地だったところである。柱島の沖では、戦艦「陸奥」が謎の大爆発を起こして沈没している。その位置は、柱島の右手前にある端島の右奥である。

柱島のやや右懐には、手前から保高島、手島が折り重なる。柱島の左奥に、鯛峰(周防大島)がある。大島は、さらに左へ向けて、最先端部の68.3m~40.1mまで延びている。

鯛峰のすぐ左奥には、片島が大きく頭を出している。その位置は、柱島の左裾奥になる。ただし、今日は片島と大島の区別はつかない。そして、柱島の左横手前に、小柱島がある。

小柱島の左横後ろに、情島がある。その左後ろに、由利島の174mピークが大きく、右後に由利島の三角点102.9mをみる。一見すると、由利島の二つのピークを別の島と間違えそうである。

それらの右横に、諸島115m、そして、津和地島68.7m(大黒神島の後ろ)が並んでいる。

駒ヶ林で、年配の男性がシルバコンパスを手に山座同定をしている。方位一覧表 (おそらく数値入り)を用意してきているようである。うれしくなってしまう。

駒ヶ林の尾根を下る

昼食後、駒ヶ林~多宝塔の尾根を下る。ふもとの大願寺境内で猿回しを少し見学して桟橋に向う。観光客が行き交いまっすぐには歩けない。船も満杯でピストン輸送をしている。宮島がにぎわうのは嬉しいものである。

下山中、左足が少し辛くかばうような歩き方になった。そして、翌日、左脚の関節付近を見てびっくりした。腫れ上がって右関節部と形が異なって見える。歩くと痛い。Siさんの紹介で専門医を受診することになった。ただし、外来日の関係で来週の火曜日(11月27日)と決定する。その前に、関節液を106cc抜き取る。少し楽になる。

もしかすると、長期休養が必要かもしれない。

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2004年11月21日

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駒ヶ林尾根~駒ヶ林~弥山~弥山直登尾根
(出発帰着:宮島桟橋)

2004年11月21日(日)、単独

JR船上から見る弥山、駒ヶ林

〈写真〉:帰りのJR船上から、弥山(左)~駒ヶ林(右)を振り返る
(それぞれのピークから、左下に尾根が延びる)

大聖院コース(谷間)の両側尾根を上り下りしてみた

このページの目次です

はじめに

多宝塔~駒ヶ林尾根~駒ヶ林~仁王門~大日堂~弥山~弥山直登尾根~紅葉谷
(出発帰着:宮島桟橋)

大聖院コース(谷間)の両側尾根を上り下りしてみた。どちらもマイナーなコースとされているらしい。確かに取り付き口には何ら標識はない。しかし、駒が林への尾根、弥山からの尾根ともしっかりした道がついている。自然な道に何の細工もしていなくて気持ちが良い。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:20-登山口9:42-コブ9:50-(アセビ)-展望9:56-コブ10:06-コブ10:08-コブ展望10:11-展望10:14-展望10:18-小岩の間を行く10:25、コブ前方に駒が林-朝日観音堂10:29-岩屋大師10:32-弥山に人影、話し声10:42-能美島見える10:49-一枚岩、ヒノキへし折られている10:50-駒ヶ林10:54、11:21-分岐11:23-仁王門11:28-木倒れる、鳥居壊れる11:33-水掛地蔵11:33-大日堂11:38-干満岩11:41-弥山11:43、13:20-コブ13:31-岩13:32-(急下る)-祠13:34-岩場13:36-展望大鳥居13:42-展望13:50-右に振る13:54-(紅葉谷人声)-茶屋前14:04 (紅葉谷散策)14:19-桟橋14:34

駒ヶ林登り1時間34分(桟橋から)
駒が林~弥山22分
弥山下り59分(桟橋まで、紅葉谷散策15分を除く)
総合計3時間10分
(紅葉谷散策15分を加える、駒が林展望27分、弥山1時間37分を除く)

多宝塔から駒ヶ林尾根を登る

潮が引いており、大鳥居の横を通って向こう側に渡る。水族館・大元公園に至る道に面して宝物館があり、その南隣は土産物屋となっている。その右側(南側)に急な石段があり、標識には「あせび歩道、多宝塔」とある。ここまで来るのに少し迷って数分のロスタイムが生じた。

石段をシカが数頭ゆっくりと下りてくる。ちょっと怖い。目を合わさないようにしてやり過ごす。多宝塔(二重の塔)の奥に東屋があり、その左手から山道に取り付く。シカがいるんじゃないかな。風化した花崗岩の上にシカの足跡がたくさんついており1本の太い線となっている。しかし、幸いその後はシカと遭遇しなかった。

登山道には靴跡もはっきりと付いている。しっかりした自然道だ。時々振り返ると朱の大鳥居や黒瓦屋根の家並みが美しく、瀬戸の海の向こうに山並が映える。山道に取り付いてすぐのところでは、多宝塔と大鳥居を前景にした美しい景色が広がっているということだ。残念ながら見逃したか?このコースをゆったりと下るのも一興だろう。

登るにつれて見える山は、周りの尾根との関係で異なってくる。経小屋山、大野権現山、白木山、呉娑々宇山、絵下山などである。登山道は少し羊歯に覆われる箇所がある。しかし、迷うこともあるまい。小岩の間をすり抜けたり、朝日観音堂や岩屋大師の側を通って、最後に一枚岩の上を無事通過すれば頂上は近い。思ったよりも楽に登ることができた。

駒ヶ林~弥山

紅葉の季節、絶好の行楽日和 となった。駒ヶ林には10人前後の一団があり、すでに食事中。その後も向こう側から次々と人が登ってくる。こちら側からは、お先に失礼した5人くらいのパーティも到着。食事をどうしようか考えたが、弥山に向かうことにする。

駒ヶ林~弥山で交通渋滞を経験する。団体さんと次々にすれ違う。もちろん登山姿でない人たちも多い。弥山山頂および展望台の2階3階とも、お弁当を広げる登山者行楽客で足の踏み場がない状態となる。駒ヶ林にも多くの人が見えている。 今日の宮島は、登山者だけで数百人単位だろう。紅葉谷から桟橋まではさらに人が多くて、自分のペースで歩くためには、しょっちゅう右や左に蛇行しなければならなかった。

朝出かけるときは白い息を吐く。弥山山頂展望台で少し北風があるものの、南側に座って背に日を浴びれば暖かい。結局今日も防寒具着用なし。見通しはやや霞むものの上々の部類、展望図の細かいところを修正することができそうだ。大満足。(順次詳細図と入れ替え中)

弥山直登尾根を下る

大展望を楽しんだ後下りにかかる。展望台右手(東側)から尾根に向けて細い踏み跡がある。すぐに荒れた急坂をジグザグに下るようになる。しかし、道は見えている。落ち着いて行けばそれ程危険ということもない。ほとんど展望のない道を転がり落ちると、紅葉谷の"お休み処"の真横に出る。そばには大きなツガの木がある。

後に続いて幾人かが同じルートで下りてきているようだ。 階段のない道は下山に使うのに最適だ。紅葉谷を散策して桟橋に向かう。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

2003年12月06日

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クスノキ手入れ、世界遺産と厳島神社
(出発帰着:宮島桟橋)

2003年12月06日(土)、単独

厳島神社・大鳥居

〈写真〉:厳島神社の大鳥居と連絡船

ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」登録7周年記念日

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はじめに

宮島「悠久の森」クスノキ手入れ作業
厳島学講座(第5回)世界遺産と厳島神社

宮島「悠久の森」クスノキ手入れ、大鳥居の巨木に育て、作業ボランティア募る(中国新聞2003年12月01日付け)という記事をみて葉書で申し込みをする。

午前9時に宮島桟橋東側に集合、受付を済ませてマイクロバスで包ヶ浦キャンプ場に移動する。そこで、本日のまとめ役である濱岡寛次・宮島ユネスコ協会事務局長と広島森林管理署の方々から、作業の意義、手順および注意事項を聞く。

作業終了後、引き続いて午後から、講演会・厳島学講座(第5回)「世界遺産と厳島神社」を聴く。

「悠久の森」とは

「悠久の森」とは、厳島神社大鳥居の建て替え用材としてクスノキを永続的に供給することができるように、宮島千年委員会(宮島町民有志)と広島森林管理署が連帯して、今年4月12日に国有林0.8ヘクタール(包ヶ浦キャンプ場近く)を指定したものである。

「悠久の森」には4月12日にクスノキの苗木(1年~5年もの)約170本が植樹されている。今回の作業目的は、その苗木の定着状態を確認し、もし枯れたりしている苗木があれば新しく植え替える等の作業をすることである。

苗木は林道に沿った山林内で、比較的平らな場所に適当な間隔をおいて植えられており、シカの食害を防ぐため、それぞれ防護柵(鉄製の金網)で囲ってある。苗の生育に問題がある場合には、本日の作業のため、あらかじめ目印として防護柵に白テープが付けてある。

当日の参加人数30~40人、5人づつくらいの班に分かれて作業を開始する。山林内に入り、まず白テープのついている防護柵を見つけ出す。次に、防護柵の一部をはずす。適当な深さの穴を掘って苗を植える。防護柵を閉じる、という作業を繰り返す。なお、防護柵は、鉄筋コンクリート建築用の鉄骨らしい。一辺約90~100cm、高さ約180cm位の四角形の金網である。

11時30分までの約2時間で、結局全部で60~70本を植え替えたのではないだろうか。全体の3~4割を植え替えたものと思われるが、これでも順調に生育しているとのことである。先はまだまだ長い。

朱の大鳥居(厳島神社)

厳島神社の海中にそびえ立つ朱の大鳥居は、国の重要文化財に指定されている。その高さは約16m、用材として樹齢400年前後のクスノキの自然木を使い、数十年から百年前後の間隔で建て替えられてきた。

現在のものは八代目で、1875年(明治8年)に建て替えられてから100年以上が経っており老朽化が目立ってきている。しかし、近年建て替えに適するクスノキの巨木は、宮島町、広島県あるいは中四国・九州でも得られないことがはっきりとしてきた。

結局は自分たちでやるしかない。宮島千年委員会は1991年、台風19号で壊滅的被害を受けた厳島神社を守ろうと宮島町民有志で発足した会であり、その翌年からクスノキの育苗に取り組んでいる。宮島で採取したクスノキの種子から苗木を育成して植林していく。そして、これら植林や維持管理のための一連の作業にはボランティア団体の協力を得ようというのである。

午後2時から(3時30分まで)、講演会が宮島町役場で開かれることになっている。内容は今日のボランティア活動とも関連することだ。雨模様のため昼食は講演会の会場である役場に移動してとることになる。

厳島学講座「世界遺産と厳島神社 」

厳島学講座(第5回)「世界遺産と厳島神社 」
- 今、世界遺産委員会で話されていること -
講師:本中眞(もとなか・まこと)文化庁記念物課主任文化財調査官

当日12月6日は、宮島の「厳島神社」が、ユネスコ世界文化遺産に登録された記念の日である。そこでこの講演会は、”世界遺産登録7周年記念講演会”として開催されている。また、厳島学講座は、平成15年度文化ボランティア推進モデル事業として、年間5回の講演会を行い、今回が今年最後ということであった。

講師の本中眞さんは、宮島・厳島神社の世界遺産登録に際して、登録前から関わってきた方で、世界遺産委員会の日本側代表として現在も活躍中である。

講演内容は、世界遺産条約の成立、種別(文化遺産と自然遺産、あるいは複合遺産)と登録条件等と続き、締めくくりは”世界遺産厳島神社の現在と今後”であった。講演は事前配布のコピー原稿を基に行われ、一通りの話が終わった後でスライドを何枚か流して講演内容をおさらいする形で終わった。

真実性(オーセンティシティ)とは何、石の文化と木の文化の違い

講演中ほどで、世界遺産委員会の動きとして、いかに「ほんもの」であるか-文化遺産の真実性(オーセンティシティ)-に対する考え方の変遷についてについて述べた部分は大変に興味深かった。

石の文化(ヨーロッパ等)と木の文化(日本など)では、価値の伝え方に大きな違いが見られる。石の文化では材料そのものの本物性(残存度)を強く求める。したがって、石製建造物が壊れた廃墟もまた文化遺産となりうる。これに対して、木製建造物は腐りやすく元の材料がいつまでも残っている可能性は少ない。建築当初のデザイン・機能を継承しようとすれば、新しい材料で定期的に補修していく以外にない。

真実性(オーセンティシティ)とは何を基準に考えるべきか、洋の東西で考え方に大きな隔たりがある。1994年、ユネスコ後援によるオーセンティシティに関する奈良会議が開催され、奈良文書が採択された。そこでは、「木の文化」における価値の伝え方に理解が示されている。

厳島神社大鳥居の建て替えは、「木の文化」の継承の典型的な事例ということができるだろう。今日そこにボランティアとしてささやかな関わりを持ったわけである。時々雨が落ちてくる天気だったが、実際の作業時間中だけは雨が降ることはなかった。帰りの連絡船からは、経小屋山、船倉山、野貝原山、絵下山がうっすらと見えるのみで、電車からは宮島すら見えなかった。

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2003年04月27日

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包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース~弥山~駒ヶ林~大元公園コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2003年04月27日(日)、単独

常夜燈

〈写真〉常夜燈の向こうに厳島神社の大鳥居を見る

久しぶりの山行でのんびりと歩く

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はじめに

宮島桟橋~厳島神社~紅葉谷公園~博打尾~包ヶ浦分岐~302m~榧谷駅(かやだに)~獅子岩駅~紅葉谷分岐~弥山本堂(求聞持堂)~弥山~弥山巡り(大日堂など)~仁王門跡分岐~大元公園分岐~駒ヶ林往復~大元公園分岐~大元公園~厳島神社~宮島桟橋(出発帰着:宮島桟橋)

>妻の体調不良、年度末決算、新年度組織改革、引越し、法事(遠方)とイベントが重なり多忙を極め、やっと前日の十方山林道関連の勉強会から”家外”活動を再開することができた。とは言いつつ今日は出かける予定にはしていなかったのだが、久しぶりの休日晴天につられて家を飛び出す。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:23-ロープウェイもみじだに駅8:53-第1ベンチ9:03、9:10-第3ベンチ9:28、43-包ヶ浦分岐9:45-302mピーク9:56、10:00-小ピーク10:06-小ピーク10:15-410m台ピーク10:21-ロープウェイかやたに駅10:28-ロープウェイししいわ駅10:40、10:43-弥山頂上11:05、11:50-駒ヶ林12:15、13:01-大元公園海岸通13:57-宮島桟橋14:17

宮島桟橋(30分)紅葉谷駅(1時間03分)302m(40分)獅子岩駅(22分)弥山
 小計2時間42分(休憩を含む)
弥山(25分)駒ヶ林(56分)大元公園(20分)宮島桟橋
 小計1時間41分
総合計4時間23分(弥山45分、駒ヶ林46分の休憩を全て除く)

博打尾~かや谷を行く

久しぶりの山歩きである。ゆっくり行くことを心がける。海に浮かぶ朱の鳥居(最近新しく塗り替えたようだ)を右手に見て登山口を目差す。少し盛りを過ぎたコバノミツバツツジが歓迎してくれる。山道に入ってすぐに地面でカエルの鳴き声がする。クークック、クークック。3匹くらいいるらしい。

第一ベンチから経小屋山、船倉山などを望む。少し登ったところから、北北東、杉ノ浦方面へ延びる支尾根を探検してみる。所々で鹿が道端に立ってこちらをうかがっている。3頭をやり過ごして進み前方を見ると今度は1頭が道の真中に立っている。怖くなって引き返す。先ほどの鹿たちは茂みの中に隠れてくれたようで安心する。ロスタイムは10分程度か。

第2ベンチをやり過ごして第3ベンチにて行く手を見上げれば、ロープウェイの左手に302mピーク、右手に弥山、駒ヶ林がある。海側(北側)では呉娑々宇山~経小屋山が望める。

302mピークからは、倉橋島~(北側)~経小屋山が望める。登るにつれて東側の海のみが見えるようになる。410m台ピークにたどり着けば、かやたに駅~ししいわ駅を行き交うロープウェイを見ることができるようになる。

弥山展望

頂上では360度の展望を楽しむ。

窓ヶ山のキレットから向山にかけてはっきりと稜線を認める。その後にも山々が連なっているようであるが霞んでよくはわからない。おそらく、三ッ石山~安佐山~畳山~熊城山~櫛山~桶佐毛山~椎谷山~牛ヶ首山であろう。その他、大丸峯(芸北)、笹ヶ丸山(安佐北)が重なっているという。

向山の右奥に大きな山塊が見える。おそらく龍頭山のはずである。さらに右には牛頭山もあるはずだがはっきりしない。これらの手前に安佐北の山々があるはずだがこれまたはっきりしない。

鈴ヶ峰~鬼ヶ城山~柚木城山~大茶臼山~丸山~火山~武田山縦走路が折り重なる。大茶臼山のマイクロウェーブをかろうじて認める。それらの後に、堂床山~(可部冠山)~備前坊山が見えているようである。可部冠山そのものは、堂床山から右手前に延びる稜線の陰にかくれる。

これらの向かって左手に荒谷山、右手に宗箇山、権現山~阿武山がある。その他の山々は安佐北あるいはさらに少し後方の山である。

なお、太田川左岸後方に比婆の山々が見えるという。山頂部分の見える範囲が大きそうなので条件がよければ確実に同定できそうである。

白木山の右手前に、二ヶ城山、松笠山、牛田山が重なり合うが境目ははっきりしない。これらの山の後ろに、木ノ宗山や神ノ倉山があるというがわからない。一番手前の仏舎利塔が白く光っているのは分かる。

高鉢山、鷹ノ巣山、呉娑々宇山系も一塊になって見える。藤ヶ丸山~呉娑々宇山~(高尾山)~茶臼山~岩滝山の位置関係はこのようになる。後には、金明山、硫黄山あるいは、高城山~蓮華寺山が入る。手前の黄金山は分かるが日浦山は分からない。

鉾取山~原山~洞所山~城山~金ヶ燈篭山の位置関係はこのようになる。左奥の曽場ヶ城山は分からないが、右奥の小田山は分かる。手前の島々を目安にするとよいだろう。

絵下山~小の岳~小松尾山~中天狗~天狗城山の稜線を見る。後ろに、三石山~観音山が入るが区別はできない。

大奈佐美島の向こうに、江田島(島の右側に古鷹山)、灰ヶ峰、野呂山(膳棚山)が重なる。灰ヶ峰から延びる稜線(休山~三津峰山)は、古鷹山の右奥になる。そのさらに奥には、七国見山そして剣山が見えるという。

能美島(砲台山、宇根山)の右奥に倉橋島(火山、陀峯山、岳浦山)を見る。その後ろは、石鎚山などの四国の山々である。

大黒神島~阿多田島(甲島右手前)にたくさんの島影を認める。大黒神島右奥の柱島もよく分かる。その後ろには、鯛峰~大見島~187.4m~155.7m~135.4m~佐連山~白木山と大島のピークが連なる。

高月山、三本杭は宇和島、大峰は佐田岬の山である。

駒ヶ林で昼食後、大元公園に向けて下る

宮島山頂では、観光客、登山者ともに外国人の方が多いくらいだ。様々な言語が飛び交う。それはそれで楽しいのだが何せ人が多すぎる。予定通り駒ヶ林に移動して食事とする。するとここでも鹿が近づいてきた。宮島全島で相当に繁殖しているのではないだろうか。

弥山~駒ヶ林~大元公園は石の階段が多い。少し疲れるけれどもそれなりに趣きはある。帰りは鳥居の外側まで潮が引いており歩いて渡る。

潮汐表(広島湾)4月27日
満潮:7時33分潮位302cm、19時47分潮位276cm
干潮:1時07分潮位94cm、13時48分潮位98cm

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2002年08月13日

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宮島自然植物実験所~室浜砲台跡(往復)
(出発帰着:宮島桟橋)

2002年08月13日(火)、単独

ままこな

〈写真〉ままこな

ちょっとした植物観察をしてみる

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はじめに

夏休みをとった。ちょっと植物観察の勉強を始めてみようかと思い、第一弾として、宮島桟橋から広島大学理学研究科附属宮島自然植物実験所の先にある室浜砲台跡まで歩いてみる。大元公園の先から実験所に至る道路脇に樹木名を書いた名札が付けてあるのを知っていたからだ。

なお、この海岸道路は、砲台建設のために包ヶ浦-室浜間に作られた軍用道路であり、1897年(明治30年)に建設が開始されている。そして、室浜砲台は1899年(明治32年)3月竣工、翌年3月に鷹之巣砲台(包ヶ浦)が完成している。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:08-(3時間57分)-室浜砲台跡海岸13:05、3:42-(24分)-多々良14:06-(23分)-大元プレジャーボート発着場14:29-(36分)-宮島桟橋15:05

海岸道路を歩く

大元隧道を過ぎて多々良の先で植物実験所の敷地内に入るまでに、以下のような樹木に名札が掛かっており、その多くには連番が振られている。距離にして約2km位、道幅4mあるかないかの道路の両側に、ざっと数えただけで66種になる(見落としが多少あるはず)。

アカマツ、アカメガシワ、アセビ、アラカシ、イソノキ、イタビカズラ、イヌガシ、イヌザンショウ、イロハモミジ、ウツギ、ウバメガシ、ウリハダカエデ、エゴノキ、カゴノキ、カナメモチ、カマツカ、カンコノキ、カンザブロウノキ、ガンピ、キョウチクトウ、クサギ、クスノキ、クマノミズキ、クロキ、クロバイ、コウヤミズキ、コガクウツギ、コバノミツバツツジ、コムラサキ、サカキ、サンカクヅル、シキミ、シャシャンボ、シリブカガシ、シロダモ、スノキ、センダン、ソヨゴ、タイミンタチバナ、タブノキ、タマミズキ、テリハノイバラ、トキワガキ、ヌルデ、ネジキ、ネズ、ネズミモチ、ハゼノキ、ハンノキ、ヒサカキ、ヒメイタビ、ヒメヤシャブシ、ヒメユズリハ、フジ、ミツバアケビ、ミミズバイ、ミヤマガマズミ、ムラサキシキブ、モッコク、モミ、ヤブツバキ、ヤマウルシ、ヤマザクラ、ヤマボウシ、ヤマモモ、リョウブ

下室浜海岸まで足をのばす

実験所の敷地内に入っても海岸沿いの舗装道路はそのまましばらく続き、やがて実験所の建物を過ぎると未舗装の林間の道を通って室浜砲台跡に至る。この間にも樹木に名札は掛かっている。観察に一番適しているのは実験所から向こうの林であろうがそこにたどり着くまでが大変である。宮島桟橋~室浜砲台跡約6.5kmである。

今日はここまで4時間近くかけてしまった。そのまま海岸に出て昼食。大きな木の下に入れば、吹いてくる風は涼しくすでに秋の気配を感じる。このまま帰るのはもったいない。いままで登ったことのない駒ヶ林でも寄って帰ろうか。歩き始めたはいいが直射日光は思いの外強い。天候が回復して気温も上昇しているようだ(自宅出発前に一時雨)。無理はすまい。おとなしく元来た道を引き帰す。

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2001年05月26日

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包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース~弥山~大聖院コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2001年05月26日(土)、EIKO

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はじめに

宮島桟橋~厳島神社~紅葉谷公園~博打尾~包ヶ浦分岐~302m~榧谷駅(かやだに)~獅子岩駅~紅葉谷分岐~弥山本堂(求聞持堂)~弥山~仁王門~彌山原始林~大聖院~厳島神社~宮島桟橋
(出発帰着:宮島桟橋)

今日のコースタイム&コースタイム

宮島桟橋10:30-紅葉谷・かや谷コース-弥山13:50(3時間20分)
注:単独時(2月25日)と同じコース、この時は頂上まで2時間05分
弥山14:30-大聖院コース-宮島桟橋16:25(1時間55分)
合計5時間15分

-山行記不明?-

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2002年03月02日

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岩船岳~御床山~御床浦~宮島自然植物実験所
(出発帰着:宮島桟橋)

2002年03月02日(土)、単独

大江浦にて岩船岳を見る

〈写真〉大江浦にて岩船岳を振り返る
(画面中央左の一番奥が岩船岳、右手海岸には牡蠣ひびの列)

多々良林道経由で岩船岳(初登頂)
岩船岳~御床山から、御床浦に下山して海岸沿いの山道を帰る

  • 宮島自然植物実験所〜御床浦〜あての木浦(2014/11/23)
    広大~御床浦の決定版は、2014年11月23日山行記です。今日(2002/03/02)の山行記も含めて、その他山行記中の不明瞭(不正確)な点を訂正しながらまとめています。コース概況(GPSルート図リンク)もあります。
  • 宮島西海岸の山道&海岸コース(2013/06/23、5/23)
  • 宮島南部の砲台跡 ⇒ 実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
    (中国新聞記事、2011年1月12日付)
  • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す(2009/05/04)
  • 西海岸沿いの山道探索
    (2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02)
  • ついに砲台跡到達(2005/03/19)
  • 岩船岳~御床山の向こうの砲台跡探索
    (2004/03/13、2003/06/07、2002/04/06、3/30、3/2)

このページの目次です

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~大元公園~多々良~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~351m~大川越~岩船岳~御床山~御床浦~大川浦~室浜砲台跡~広島大学植物園~多々良~大元公園~厳島神社~宮島桟橋
(出発帰着:宮島桟橋)

今日は、以下のように考えて宮島桟橋から出発した。
"大潮の干潮の時に歩ける海岸の道"をさぐるべく、岩船岳のさらに向こうの稜線を下れるだけ下ってみよう。ただし下った分だけ登り返しがきつくなるので見極めが大切だ。

なお、帰りは、大川越えから下って海岸線を探索してみようと考えていたが、御床山から直接御床浦へ下った。

コースガイド等の情報が全くないコースに踏みこむので、早め早めの対応が必要だ。体力の消耗を考え、2001年10月20日(土)に引き続いて、今日も多々良林道から入る。また、特別な昼食タイムはとらないことにする。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:10-多々良林道入口8:58-岩船岳方面登山口9:34- 岩船岳縦走路(先峠山402mの東)9:52 -海軍省標石10:07-青海苔浦分れ10:10-展望岩10:18、10:25-351mピーク、海軍省標石10:30-10:41八畳岩-大川越え分岐10:52-振り返ると展望、今きた道11:02- 海軍省標石11:07-東峰(頂上手前大岩)11:23-岩船岳11:35-御床山11:54、12:08-砲台跡方面12:13-御床山12:20-御床浦海岸12:55-下谷浦方面をさぐる -御床浦13:15-大川浦合流13:58-(大江浦)-室浜砲台跡15:10-広島大学植物実験所15:18-多々良林道入口15:36-宮島桟橋16:20(デジカメ時刻誤差あり)

宮島桟橋(48分)多々良(54分)岩船岳方面稜線上(1時間)大川越え分岐(43分)岩船岳
 小計3時間25分(御床山まで、さらに19分)
御床山-御床浦
 1時間21分の時間を使う(実際の下山には35分)
御床浦(43分)大川浦(1時間20分)広島大学植物実験所(18分)多々良(44分)宮島桟橋
 小計3時間05分
総合計8時間10分

2004年03月14日訂正
陸軍省標石→海軍省標石

多々良林道から岩船岳縦走路へ

多々良林道(舗装された車道)入口から岩船岳登山口までは30分以上ある。途中15分くらい行ったところで右に分岐する道があるが、しばらく行くと羊歯の中に消えてしまった。

さて、正規の登山口(岩船岳登山口)から稜線上まで12~15分の急登である。

岩船岳縦走路を行く

稜線上からしばらくは402mピーク(先峠山というらしい)を巻いていく快適な道である。やがて、351mピークのそのまた向こうに岩船岳が見えてくる。ほんとうに先は長い。ゆっくり行こう。(なお、青海苔浦への分岐は二万五千分1地図とは違っている)。

続いて、351mピークに向けて登りに入る。ピーク手前に展望のよい岩場があるので休んで行こう。能美島、小黒神島、阿多田島などが見える。

351mピークを越えると、何回かアップダウンを繰り返しながら大川越え分岐まで下って行く。途中の八畳岩では、経小屋山方面への展望が開ける。双眼鏡で昨夏披露困憊しながら下った鳴川タンクの尾根筋をたどる。ウグイスが鳴いている。

大川越え分岐から海軍省標石あたりまで、15分間の急登。登り始めて10分くらいの所で一息つくと、振りかえれば今来た道を展望することができる。

急登が終わってからもまだまだ先がある。岩船岳三角点手前の東峰大岩まであと一つも二つもがんばらないと疲れた体が持ちあがらない。東峰大岩からは大竹市街、阿多田島がかすんで見える。

東峰から先の山頂(三角点)をめざす

東峰大岩でこの前会ったご夫婦が、この少し先(15分くらい)に展望の良いところがあるといっていたのを思い出し、さらに前に進むことにする。

とその時、ふと見ると、東峰大岩の脇に「"岩船岳"、御床山方面」という小さな標識がぶら下がっている。とすると、ここは"岩船岳"山頂ではない?

東峰大岩から、その先を急ぐ。急坂を下ったり登ったりして、別のピークに達する。ここが正真正銘、"岩船岳"頂上である。三角点が確かにある。前回は頂上を踏まずに、(東峰大岩を岩船岳山頂と勘違いをして)往路下山、そのまま弥山に向ったことに初めて気がつく。

なお、東峰から岩船岳三角点まで至るには、一旦かなりの急坂を下って行く。地図上ではそれがうまく表されていないように感じる。実際のコースと地図上のそれでは多少ずれているのかもしれない。(mjobinさんの岩船岳レポート、GPS軌跡参照)

岩船岳の先、御床山から御床浦へ下る(御床浦の南を探索)

岩船岳頂上に御床山まで25分と書いた標識がある。今日は海岸までの道をさぐりに来たのだ。行く以外にない。御床山に着くと、今度は砲台跡という標識がある。さらにその先まで行ってみることにする。

5分くらい下ると、可部島が見える展望のよい広場に出る。そこから海岸まで続く稜線が手に取るように見下ろせる。全山緑で覆われておりほんとうに美しい。その先にも道はありそうだが羊歯が邪魔をしてよく分からない。砲台跡というのもどこだか分らなかったが、今日はここで引き返すことにする。

御床山に帰り着く。山頂の標識(御床浦方面)を確認する。白板に黒々と御床浦と書いてあり赤の矢印もていねいだ。木間をのぞくと赤テープがゆれて誘っている。下ってみよう(大川越えを下るという予定を変更する)。ここで直に海岸線に下ることができれば、あとは楽勝と考えたのだ。よく整備された小道を下る。

海岸部に出ると、下谷浦方面という標識があった。これが御床浦から南へ行く道だろうか。左手(南向き)に、胸まである羊歯を掻き分けて進んでみた。しかし、その道はやがて断崖の中に消えてしまった。御床浦より南の道は不明としておこう。

御床浦~大川浦~宮島植物実験所まで、必死で踏み跡を追って行く

御床浦から大川浦にかけて、そしてさらにその先と続く"海岸沿い"の道はなかなかに厳しい。ここまでの登山道のどこよりも道は分かりにくい。エスケープに最適なんて考えはすぐに吹っ飛んでしまう。

羊歯の中を時には腰までかき分けて進む。木のまばらな個所では道がどっちを向いているのかわからない。赤テープ、青・白テープを頼りに慎重に進む。神経を使う。道は"海岸沿い"とはいえ常に海が見える位置にはない。また決して平坦でもない。標高50mくらいまでの間で上り下りを何回となく繰り返す。

実際の道は地図上の破線よりもジグザグに付いており、そのために1回毎の高低差が地図で読み取るよりも大きいのではないだろうか。(mjobinさんの岩船岳レポート、GPS軌跡参照)

それはともかく、ここまでの"海岸沿い"の道はとにかくタフな道であった。弥山にもう一つ登ったくらいの消耗度がある。

絶好のビューポイントなど

大川浦から30分くらいの所で振りかえると、岩船岳が見える個所がある。大江浦というらしい。湾内の"牡蠣ひび"をバックに写真を撮ることが出来る絶好のビューポイントである。すこし沖合いにはカキ筏も浮かんでいる。

15:00ころ、大野瀬戸を通過(北東の方角になる)する小型ヨット(24フィート位か?)を発見する。ジブ帆走(前帆だけでの帆走)をしている。時々セールがシバー(ばたつく)する。風は真北から吹いているようでジブ帆ではきついだろう。それでも前に進んでいる。多分エンジンも回しているのだろうが、結局ジブも巻き取ってしまった。船(ヨットやモーターボートあるいはカヤックなど)があれば宮島をもっと楽しめるだろうな。

おわりに

室浜砲台跡で、宮島桟橋まであと6.5kmとある。広島大学実験所からは簡易舗装道路になる。

大元公園では、梅(大元神社に向かって右に紅梅、左に白梅)が満開であった。その他、至る所にヤブツバキの赤い花。

今日は、海軍省標石を三本(1本は今日初めて確認)見た。砲台跡二つ(一つは実際に見学)の存在を確認した。宮島は軍都・広島の西の砦だったのである。

行きも帰りも宮島大鳥居の海岸を渡る。特に帰りには大鳥居の外側(厳島神社域外)まで潮が引いておりかなりの人が潮干狩りをしていた。潮干狩りは、できるだけ潮がよく引く大潮の干潮前後2時間が最適だそうである。

2002年03月02日(土)潮汐表(広島港基準)-中潮
満潮11時54分(1回のみ)、潮位359cm
干潮5時40分、潮位-13cm、18時03分、潮位+18cm

厳島神社が海に浮かんで見えるのは、潮位が250cm以上です。
大鳥居まで歩いていけるのは、潮位100cm以下です。
潮干狩に適しているのは、潮位40cm以下です。
干潮の前1時間30分から後30分位まで掘ることができます。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

カテゴリー
未分類

2002年03月30日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

岩船岳~御床山(砲台跡まで届かず)
(出発帰着:宮島桟橋)

2002年03月30日(土)、単独

コウヤミズキ

〈写真〉コウヤミズキ

  • 宮島南部の砲台跡 ⇒ 実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
    (中国新聞記事、2011年1月12日付)
  • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す(2009/05/04)
  • ついに砲台跡到達(2005/03/19)
  • 岩船岳~御床山の向こうの砲台跡探索
    (2004/03/13、2003/06/07、2002/04/06、3/30、3/2)

このページの目次です

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~大元公園~多々良~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~351m~大川越~岩船岳~御床山~砲台跡手前~岩船岳登山口(多々良林道)まで往路下山~前峠~大元谷左岸コース~大元公園~厳島神社~宮島桟橋
(出発帰着:宮島桟橋)

前回2002年03月02日は、二つの目標を掲げて失敗した。すなわち、岩船岳の向こうの稜線を下って海岸線まで達する、そして海岸線が歩けるかどうか探索する、というものだった。今回は、とにかく海岸線まで行けるかどうかを検証する、その後は来た道を引き返す、ということで再度挑戦をする。

御床山の向こうにあるらしい砲台跡を見てみたいという強い願望で突っ込んでみたが、やはり道は羊歯の中に消えてしまった。もう少し具体的な情報を入手してからもう一度挑戦することにしよう。時期はあまり草木の茂らない秋から冬にかけて(見通しが良い)ということになるであろう。ともかく、宮島深南部の探索は無期延期である。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋7:22-多々良8:17-登山口8:49、8:56-岩船岳方面稜線上9:07-展望岩9:30、9:41-八畳岩9:57-振りかえると展望、今来た道10:13-岩船岳東峰10:34-岩船岳三角点10:44-御床山11:01-敗退地点11:07 、12:49-御床山12:54-岩船岳13:15-八畳岩13:50、14:05-展望岩14:19-青海苔乗越14:38、14:40-林道14:48、14:54-大元公園方面、稜線上15:05- 大元公園登山口15:33-海岸通15:43-宮島桟橋15:57

宮島桟橋(55分)多々良(50分)岩船岳方面稜線上(1時間37分)岩船岳
 小計3時間22分
御床山よりさらに先を往復、岩船岳から 行23分、帰26分
 小計49分
岩船岳(1時間23分)岩船岳方面稜線上(55分)大元公園(24分)桟橋
 小計2時間42分
合計6時間53分(大休止1時間42分を含まず)

宮島に向かう

昨日の雨があがり快晴である。吐く息は白く空気の透明度はかなりよい。

JR新井口でホームから見ると、下り線路の向こう(西)に経小屋山のピークがある。少し南には今日の目的地である宮島が国道2号線の向こうに見えている。

五日市駅手前の八幡川では、右手に窓ヶ山、少し振りかえると鈴ヶ峰。廿日市駅手前で、極楽寺山の全容を見る。駅を出てすぐに、極楽寺山から野貝原山。宮内串戸では、船倉山も視野に入ってくる。阿品駅では、正面に船倉山、右手野貝原山。ここからは、船倉山中腹にある白い大きな建物は見えない。

宮島桟橋で出港を待つ船の中からは、向山、火山の間に山が見える。位置からすると可部冠山などである。鈴ヶ峰の向こうに大茶臼山、その右肩には白木山か。牛田山の後ろは高鉢山になるのかな。右隣には呉娑々宇山。安芸小富士(似島)の左右には、金ヶ燈篭山と絵下山。もう少し右にいくと灰ヶ峰である。

船は定刻に鏡のような海面を静かに動き始めた。宮島桟橋に着くと、窓ケ山のキレットがちょうど極楽寺山の稜線上(右肩)にある。

宮島のサクラは今が満開である。市内と比べると5日程度遅いだろうか。ヤマザクラ、シダレザクラも混じっている。アセビ、ヤブツバキも多い。多々良までの道では、コバノミツバツツジが3~4輪咲いていた。黄色の花が房のように垂れ下がっている木もあったが、なんていう木であろうか。エゴノキも白い風鈴をたくさんつけている。(後日記、エゴノキ?アセビ?)

2002/04/06確認
黄色い花は「コウヤミズキ」であった。

岩船岳縦走路を歩く

岩船岳縦走路に入ると、昨日の雨で羊歯がぬれている。太もものあたりまでびしょ濡れになってしまった。道は急坂になるとすべる。帰りの下りは大丈夫だろうか。少し心配である。しかし、案ずることはなかった。羊歯はほとんど乾いており、道も少し気をつければ大丈夫だった。

展望岩:(行き)

小黒神島の向こうに東能美島、大黒神島の左後ろに見えるのは岳浦山(倉橋島)か。倉橋島の山々は東能美島の向こうに見え隠れしながら続いているようである。阿多田島の真後に甲島。さらにその向こうに島影が見えている。大黒神島と阿多田島の間には柱島。その手前に重なるようにして手島がある。

八畳岩:(帰り)

ここからの山座同定はなかなかむつかしい。経小屋山、傘山までは問題ない。行者山などは傘山の懐に入ってしまってはっきりしない。経小屋山の右後方に形のいい山がある。大峯山かと思えばそうではないようだ。大峯山は大野権現山よりもさらに右になるはずだ。

その大野権現山がまたすんなりとは決まらない。大野権現山から右に連なるおむすび岩を双眼鏡で確認した、と思ったまではよいが、その角度は野貝原山方向になってしまう。途中で追い抜いた人達と再びいっしょになって20万地図を広げて喧喧諤諤、結論はでなかった。今度来るときの楽しみにしておこう。

2002/04/14記
2002年04月06日(土)に再訪した時、磁北に対する角度(概略)を図っておいた。経小屋山300度、大野権現山330度、おむすび岩(667mピーク)334度等である。それを基に二万五千地図を並べて検討した。経小屋山および大野権現山と双眼鏡で確認したおむすび岩はやはり間違いない。野貝原山方向としたのは地図の正置を間違えてしまったためであろう。

富士山型の形の良い山は、上勝成山から北北東約1.4kmのところにある円錐形(地図で見る限り)の山ではないだろうか。そして、大峯山はやはり大野権現の右肩の位置になる。ただし、4月6日にもこの位置に山は見えたが、いつも遠くから見ている富士山型の大峯山とは違っているようにも思える。今後の検討課題としておこう。

敗退地点

御床山の向こう、標高約300mくらいの稜線上である。傘山の右肩に羅漢山。経小屋山の右肩に吉和冠山を望む。大黒神島の後に山並が続く。岳浦山(倉橋島)は大黒神島の左肩あたりのはずなのだが、はたして見えている島影のなかにあるのだろうか。

その他

阿多田島の左端ピークのわずかに右側に柱島、右端ピークのわずかに右側に甲島がある。そして、それらの島々のさらに向こうにも島が連なっている。

帰りの岩船岳登山口(多々良林道上)で一人の登山者に追いつかれた。その人は林道をそのまま下るという。私は大元公園方面へ向けて再び山道に入った。桟橋手前まで来るとその人が少し前を歩いている。歩くスピードはほぼ同じくらいだ。

下山の場合、林道コースも山越え大元公園コースもあまり変わらない(1時間強)のかもしれない。それにしても多々良林道経由で桟橋まで1時間強というのはやはり早いと思うのだが。

大元公園のサクラが満開で大変きれい。

2002/04/07記
大元公園のサクラの花が妙に白っぽかったのが印象に残っている。いろんな人に聞くと年によって白からピンクまで微妙に色合いが違うらしい。私は多少ピンクがかった方が好きだ。

今日も帰りは鳥居の前を横切って渡った。(行きは少し潮があった。無理すれば歩けるかなという感じ)

2002年03月30日(土)潮汐表(広島港基準)-大潮
満潮10時48分、潮位362cm、23時11分、潮位369cm
干潮4時40分、潮位-2cm、16時59分、潮位-4cm

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

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未分類

2002年04月06日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

岩船岳~御床山(砲台跡まで届かず)
(出発帰着:宮島桟橋)

2002年04月06日(土)、単独

可部島

〈写真〉御床山の先から可部島を見る
(可部島の右手前、230mの右懐に砲台跡)

行き帰りとも多々良林道経由
雨天敗退後、帰りに海岸通りで植物観察

  • 宮島南部の砲台跡 ⇒ 実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
    (中国新聞記事、2011年1月12日付)
  • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す(2009/05/04)
  • ついに砲台跡到達(2005/03/19)
  • 岩船岳~御床山の向こうの砲台跡探索< (2004/03/13、2003/06/07、2002/04/06、3/30、3/2)

このページの目次です

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~大元公園~多々良~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~351m~大川越~岩船岳~御床山~砲台跡手前~往路下山、完全に同一行程
(出発帰着:宮島桟橋)

御床山の向こう、230mピークにある砲台跡を見てみたいという強い願望を抑えきれず、先週の探索以降に得たいくつかの情報を元に再度挑戦をする。今回は、目標まで300m足らずと思われる樹林帯の中まで達するが雨がぱらつき始め撤退する。

ただし、そのまま進んで、この樹林帯を一人で突破できたかといえば自信はない。同行者を得るなどの条件が揃うまで砲台跡探索はやはり保留にしておこう。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋7:18-多々良7:58-岩船岳登山口8:24、8:29-稜線上(青海苔乗越)8:40-展望岩9:03、9:12-八畳岩9:26、9:32-大川越え9:37-振り返れば展望9:52、9:54-岩船岳東峰10:10-岩船岳10:19 -御床山10:37-先週敗退地点10:40-今回敗退地点11:15-先週敗退地点11:50、12:08-岩船岳12:33-岩船岳東峰12:40-大川越え13:09、13:23-八畳岩13:30-展望岩13:47-青海苔分岐13:55-青海苔乗越14:10-多々良林道(岩船岳登山口)14:21-多々良14:40-大元公園15:50-桟橋16:07

宮島桟橋(40分)多々良(42分)岩船岳方面稜線上(1時間39分)岩船岳
 小計3時間01分
御床山よりさらに先を往復、岩船岳から 行56分、帰1時間18分
 小計2時間14分
岩船岳(1時間37分)岩船岳方面稜線・先峠(30分)多々良
 小計2時間07分
多々良(1時間10分)大元公園(17分)桟橋
 小計1時間27分
合計8時間49分

多々良林道から岩船岳縦走路へ

天気予報は午後から雨である。出来るだけ早目に目標地点に達したい。しかし、あまり行きすぎて降られると帰りがやっかいだ。空とにらめっこの山行となった。

JR新井口で宮島は見えている。東の空は朝焼けだ。宮島口桟橋でも東から北にかけて山並が意外とよく見えている。なんとかなるかもしれない。

多々良林道で早くも道の前方が点々と黒くなってきた。雨だ。しかし、メガネにかかる程のことはない。このまま進もう。もし傘が必要になれば引き返すことにする。そのうち空が明るくなって薄日がさすまでになる。岩船岳を過ぎ御床山までどんどん進む。

御床山の向こうから砲台跡手前まで、雨天敗退

さて、御床山から赤テープにしたがって南西に進むと、すぐに可部島を見下ろす裸地に達する。そこからさらに少し下の裸地、さらにその下の裸地と、羊歯に隠れた道を真っ直ぐに下る。真っ直ぐに進めなくなった所が先週の敗退地点である。標高約300m。

ここから目標物を確認できる。左手前方に241mピーク、正面の可部島をはさんで、右手前方に目標地点の230mピーク。

230mピークの右下、稜線よりやや下側に、茶色の細長い四角形の建物らしきものが見える。

ここから左(東)に羊歯の中の道を行く。次の到達地点は焼け木が数本立っている所(左前方)である。そして、そこからその下に見えている大岩をめざす。稜線のやや東側を行く感じである。大岩で標高約260m。

大岩までは色が抜けきった赤テープがある。しかし、そこから先は何もない。羊歯の中に分け入り、大岩を東から巻いて少し下り、その後ほとんど等高線と平行に西へ進む感じで樹林帯に入る。

樹林帯までの羊歯の間に小さな木が生えている。おそらく植林されたものであろうが、悲しいかな羊歯の勢いの方が強い。木の背丈にせまるくらい羊歯が生えている。なかには枯れてしまった木もある。この位置だと下草を刈り込むために毎年人が入るという訳にもいかないだろう。自然の状態では山火事の跡は100年、200年後はどのようになるのであろうか。

樹林帯まで来ると、目標地点手前の小ピークが前面に立ちはだかる感じになる。木々はよく茂っており進みにくい。ここで再び雨がぱらついてきた。撤退を決意する。目標地点まで300m以内には迫っているはずだがしかたない。この後どのようなルートを取ればよいのかまったく見当がついていないのだから。標高約240m。

先週敗退地点まで引き返し、目標物までのルートをもう一度頭の中に叩き込む。空が明るくなってきた。ここで食事をしてゆっくりできそうだ。目標物を目の前に見ながら食事をするのも辛いがしかたない。準備を始めるとまた雨がぱらついてきた。やはり即撤退だ。出来るだけ早く岩船岳を下っておこう。食事は八畳岩まで戻ってからだ。

雨に中を宮島桟橋まで帰る

雨の程度は傘をさす程のこともなくどんどん進む。大川越え直前まで下ってほっと一安心したところで雨足がちょっと強くなる。ここから先の急坂(下り)は、展望岩の先で数分程度と青海苔乗越からの下り10分少々だけである。大川越えで食事をしておくことにする。木の下に入って座るとほとんど雨はかからない。

再び傘をさして351mピークをめざす。傘はあまり大きくない折りたたみのもので、傘を閉じなければ進めない という個所はほとんどない。時々ちょっと右左に傾けるだけでよい。ただし、羊歯やその他の草木で下半身はひざまで濡れる。青海苔乗越手前の羊歯では、両脚の太ももから上半身も左肩(山側)までびしょ濡れになってしまった。

青海苔乗越から多々良林道までの急坂も傘をさして下った。道はまだ乾いている。森の木々の保水力の一端を見る思いがする。雨は、海岸通りで一旦ほとんど降り止んだ(この間、植物観察)が、大元公園から先で本降りとなった。

山では誰にも会わなかった(先週は快晴で4組、7~8名の人に会った)。動物たちには出会った。大川越え(行き)あたりでお尻の白い毛が目立つ大きなシカに会った。よけてくれないかなと一瞬立ち止まったら、むこうが気づいて走って逃げて行ってくれた。ウヅラの形をした鳥がいた。その他、姿は見えないが林の中でごそごそ音がして怖くなることが何度かあった。音といえば、ウグイスの鳴き声は至るところで聞けた。こちらは怖くない。疲れがとれる鳴き声である。

宮島にはがんばってほしい

宮島口からボート専用列車の一つ後の電車で帰った。最近、競艇人口が大幅に減っているという。うろおぼえだが、そのために宮島町の(宮島競艇による)蓄えが、一時は100億円もあったのに今は一千万円を切る程度になったと聞いたことがある。

先週は快晴で観光客が多かった。今週は雨にもかかわらずかなりの人出であった。世界遺産の維持には相当のお金がかかるという。広域合併先の選択等も含めて関係機関にはがんばってほしいものである。

青海苔乗越までの急登道(行き)でドングリを2個と葉っぱを1枚拾っておいた。どちらもそこら中一面に落ちていたものである。帰ってから「どんぐりの図鑑」で娘と孫に調べさせると、ドングリは「こなら」で、葉っぱは「アラカシ」だという。次回行くときには木の特徴を調べておいて現地で観察してみよう。

2002年04月06日(土)潮汐表(広島港基準)-小潮
満潮:5時35分、潮位265cm、17時06分、潮位204cm
干潮:12時14分、潮位+170cm、23時48分、潮位+110cm

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

カテゴリー
未分類

2004年03月13日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

岩船岳~御床山~砲台跡(手前敗退)
(出発帰着:宮島桟橋)

2004年03月13日(土)、単独

ヤブツバキ

〈写真〉ヤブツバキの季節である

行き帰りとも多々良林道経由、気力体力の限界を感じる

  • 宮島南部の砲台跡⇒実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
    (中国新聞記事、2011年1月12日付)
  • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す(2009/05/04)
  • ついに砲台跡到達(2005/03/19)
  • 岩船岳~御床山の向こうの砲台跡探索
    (2004/03/13、2003/06/07、2002/04/06、3/30、3/2)

このページの目次です

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~大元公園~多々良~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~351m~大川越~岩船岳~御床山~砲台跡手前~往路下山、完全に同一行程
(出発帰着:宮島桟橋)

終日快晴、日も長くなり6時位までは活動できる。絶好の条件の中で砲台跡をめざして突き進む。しかし、最終的には気力体力の限界を感じて撤退する。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋7:17-多々良8:03-(多々良林道)-岩船岳登山口8:28-稜線上8:40-沢8:53-鞍部、海軍省標石8:58-青海苔分岐(陶晴賢碑分岐)9:01-(急登)-展望岩場9:10、9:15-小ピーク9:16-小ピーク9:18-351m、海軍省標石9:19-(急坂)-小ピーク9:21-小ピーク9:23-(急坂)-岩場9:24-(急坂)-小ピーク9:28-八畳岩9:30、9:38-小ピーク9:39-(急坂)-小ピーク9:42-大川越え9:42-小ピーク9:45-(急坂)-振り返れば展望9:52-海軍省標石9:58-小ピーク9:59-小ピーク10:02-小ピーク10:04-小ピーク10:07-岩船岳東峰10:15-岩場ピーク10:23-岩船岳10:26、10:28-小ピーク10:46-御床山10:48-撤退地点11:25、11:48-休憩(昼食)12:05、12:25-御床山12:37、12:42-岩船岳13:06-岩船岳東峰13:20-海軍省標石13:35-展望13:38-大川越え13:47-八畳岩13:55-351m、海軍省標石14:15-展望岩場14:19、14:24-青海苔分岐(陶晴賢碑分岐)14:31-鞍部、海軍省標石14:33-稜線上分岐14:47、14:54-岩船岳登山口15:02-(多々良林道)-多々良15:29-大元公園15:57-宮島桟橋16:17

宮島桟橋(46分)多々良(37分)岩船岳方面稜線・先峠(30分)展望岩場(27分)大川越(44分)岩船岳
 小計3時間09分(休憩を含む)
御床山よりさらに先を往復、岩船岳から、行き59分、帰り1時間18分
 小計2時間40分(休憩を含む)
岩船岳(1時間41分)前峠・岩船岳縦走路(35分)多々良(28分)大元公園(20分)宮島桟橋
 小計3時間11分(休憩を含む)
総合計9時間00分

多々良林道経由で往復する

今日も予定は多々良林道経由だ。潮が引いており大鳥居のそばを通って西を目指す。林道に入り犬がまとわりついてくる。首輪をつけている。昨年秋にみかん園が廃業したようだがそのとき置いていかれたのだろうか。

後になり先になりしながらついてくる。時々小便をしては後足で砂をかけている。縄張りを主張しているのだろう。登山口で立ち止まるとこの犬もそのまま動かずにいる。山までついてこられたらいやだなと思ったが、山道までは追ってこなかった。林道にそったあたりがテリトリーらしい。少しほっとする。

岩船岳縦走路から岩船岳~御床山を越えてゆく

稜線上に出る。山道全体を通して標識が増えているようだ。稜線上の標識では、稜線上~岩船岳1.5時間~2時間、往復3.5時間。大川越えにあった標識では、大川越え~岩船岳40分その他となっている。全般に健脚向きである。 標識は、351mピーク手前の鞍部にもあった。そこから先峠を通って多々良林道に至る荒れた古い道があるという。

順調に足を延ばしたが、岩船岳東峰手前の登りの繰り返しはこたえる。先はまだ長い。足をできるだけ休めながら、岩船岳を越えて御床山の向こうを目差す。御床山から軽いブッシュ気味の道を行くと前方に展望が開ける。

砲台跡に向けて下る(敗退)

さらに少し下って、可部島の右手前に見える230mピークを見下ろせば、懐に砲台跡がはっきりと分かる。

左から回り込む感じで尾根が走っており所々に岩がむき出しになっている。その岩伝いに一気に下る。最初のうちこそ羊歯の中に踏み跡がうっすらと確認できる。しかしその後は胸まである羊歯の中をブッシュブッシュで押し進む。

少し早めに樹林帯に入ったようだ。小ピークの方角には谷がある。登り返す。しばらくその場に立ってあたりを見渡した。西に向かって樹林帯に入れば前回の敗退地点ではなかろうか。

砲台跡は見えない。小ピークの向こう側のはずだ。ところがここからかなり遠く感じる。気力体力の限界だ。帰りのことを考えて撤退とする。そして、帰りのルートがはっきり分かる地点まで登って、羊歯に覆われた山道に座り込んで昼食をとる。

その後で、再び砲台跡の見える地点まで登って確認した。砲台跡は、松の木が5~6本生えているピークの手前だ。それは230mピークではなく、その手前の230m〈台〉ピーク懐のようだ。今日の撤退地点正面にみた小ピークこそ230m〈台〉ピークであり、砲台跡まで後ほんのわずかの距離だったろう。残念だがしかたない。

(砲台跡があるのは、あくまでも230mピークの右懐である。したがって、今日の山行記の記述(砲台跡は230m〈台〉懐にあり)は間違っている。2005年03月19日(土)山行記をぜひ参照のこと)

帰り路では足にきた

かなり足にきている。帰りの行程では登り下りの位置を頭に入れて体力の配分を考える。351mピークを下りきった鞍部から、稜線上の大元公園下山口までのだらだらとした登りさえつらくなってきた。

多々良林道まで下りきってほっとする。そこから大元公園に向けて再び山道に入る気にはならなかった。結局、行き帰りとも多々良林道経由となってしまった。再び砲台跡をめざす日はもうこないかもしれない。

山にはヤブツバキが咲き、落花が山道を点々と染める。その他ではアセビの白い花が目立つ。人はまったくいない。帰りの大川越えで標識を確認する男性二人組と出会っただけ。 多々良林道入口にアセビの大木が満開。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

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2005年03月19日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

岩船岳~御床山~砲台跡(ついに到達)
(出発帰着:宮島桟橋)

2005年03月19日(土)、単独

シキミ

〈写真〉満開のシキミ

大元谷左岸コースから取付き、目的を達成する
帰路は大川越から下山、海岸道路を宮島桟橋まで

  • 宮島の西海岸のまとめ、写真あり(2013/06/23、5/23)
  • 西海岸沿いの山道まとめ、写真あり(2013/05/23)
  • 宮島南部の砲台跡⇒実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
    (中国新聞記事、2011年1月12日付)
    参照Web:いにしえのロマンの郷>>みやじま地区点描>>厳島聴測照射所跡/藤下憲明さん
  • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す(2009/05/04)
  • 西海岸沿いの山道探索
    (2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02)
  • ついに砲台跡到達(2005/03/19)
  • 岩船岳~御床山の向こうの砲台跡探索
    (2004/03/13、2003/06/07、2002/04/06、3/30、3/2)

このページの目次です

はじめに

大元公園~大元川左岸コース~前峠~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~351m~大川越~岩船岳~御床山~砲台跡230m台付近~大川越まで往路下山~大川浦分岐(海岸近く)~室浜砲台跡分岐、宮島植物実験所分岐~(海岸道路)~多々良~大元公園
(出発帰着:宮島桟橋)

ついに宮島最南端の砲台跡に達する。附近には、旧日本軍のものと思われる遺構が点在していた。しかし、これが砲台跡だと、はっきり確認できるような建造物は見つけられなかった。

2002年の春に、御床山の先から初めて砲台跡を見下ろしてから、何回トライしたことだろう。距離的な問題に加えて、砲台跡に至る道が消失してしまっており、体力的には非常に厳しいものがあった。

(御床山の先で)砲台跡を見下ろす地点から、標高差110~120mの間に道はない。ブッシュの中に突っ込めば突っ込むほど、その分必ず登り返さなければいけないと思うと、いやでも緊張感が高まる。ここでバテテしまっては帰路が危なくなる。

日のあるうちに行って帰ってくるには、日照時間が延びてきて寒さが和らぎ、草木がまだ繁っていない春先が一番いいだろう。秋~冬を考えたこともあったが、とても太陽の出ている間に往復できる距離ではない。

今日は降水確率ゼロ、雨の心配はまずない。朝一番の連絡船に乗るために、電車の時間を合わせて家を出る。

参考:中国新聞2005年02月26日付け記事
沼隈町と鞆の境に高射砲陣地跡

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋6:39-大元公園6:56-右上分岐あり7:11-右上沢上段へ7:14-右上分岐あり7:19-対岸に一枚岩7:34-尾根7:43-前峠7:44、7:50-多々良林道8:00-岩船岳縦走路8:11-水場8:18-海軍省標石(右分岐あり)8:24-(270m台)-青海苔分岐(陶晴賢碑分岐)8:27-登る8:33-展望岩場8:38、8:40-340m台8:42-コブ8:43-351m8:44-コブ8:46-コブ8:47-コブ8:49-岩8:50-コブ8:53-鞍部8:54-300m台8:55-八畳岩8:57、9:05-コブ9:06-左分岐あり(青海苔浦)-コブ9:10-大川越(海軍省標石)9:11-コブ9:13-240m台9:15-コブ9:17-振り返れば展望9:22-海軍省標石9:27-コブ9:32-コブ9:35-東峰9:42、9:48-岩場ピーク9:54-岩船岳9:57-大岩10:00-大岩群10:05-コブ10:15-御床山10:18-展望地10:20-大岩10:36-230m台10:48-水槽?10:52-砲台跡11:19、11:35-水槽?11:42-230m台11:49-登り口11:57-大岩12:03-展望地(昼食)12:26、13:30-御床山13:33-コブ13:36-大岩群13:45-コブ13:54-岩船岳13:55-東峰14:02-海軍省標石14:13-展望地点14:16-大川越14:25、14:27-沢渡る14:47-沢渡る14:55- 大川浦分岐14:57-ピーク15:00-鞍部15:03-ピーク15:05-入り江15:07-振り返ると岩船岳15:15-林の中15:31-左手分岐室浜砲台跡( 広島大学植物園)15:38-沢渡る15:44-車道15:51-広大植物園門扉15:52-多々良16:08-大元公園16:33-宮島桟橋16:48

宮島桟橋(17分)大元公園(48分)前峠(10分)多々良林道(岩船岳登山口)(11分)岩船岳縦走路(先峠)
 小計1時間32分(前峠6分を加える)
先峠(27分)展望岩場(31分)大川越(46分)岩船岳
 小計1時間46分(展望岩場2分を加える)
岩船岳(21分)御床山(2分)展望地(28分)230m台(11分)砲台跡
 小計1時間22分(砲台跡探索のための時間を20分として加える)
砲台跡(14分)230m台(37分)展望地(3分)御床山(22分)岩船岳
 小計1時間16分< 岩船岳(30分)大川越(30分)大川浦分岐(海岸近く)  小計1時間02分(大川越2分を加える) 大川浦分岐(41分)宮島植物実験所周辺(30分)多々良(25分)大元公園(15分)桟橋  小計1時間51分 宮島桟橋~大元谷左岸コース~岩船岳、3時間18分 岩船岳~大川越~大川浦~宮島桟橋、2時間53分 岩船岳~砲台跡往復、2時間38分 総合計8時間49分 (砲台跡16分、昼食タイム1時間04分を除く) ほんとうは、昼食タイムはできるだけ少なくして、帰りの時間を確保したかった。しかし、体力の温存を考えてゆっくり休んだ。したがって、これらの時間はほとんどすべて行動のために必要な時間と考えるのが妥当だろう。今日の実質的な総行動時間は、約10時間としておこう。

大元公園から大元谷左岸コースを行く

宮島桟橋から大元公園をめざす。海に少し潮があり、商店街をまわって行く。お店はまだ開いていない。犬を散歩させる人、掃除をする人など、静かな朝だ。

大元公園から大元川左岸の山道に入り、そのまま沢を左手に見下ろして詰めていく。途中の右分岐は、前峠山423mへのものであろう。ウグイスが「ホーホケキョ」と鳴く。

尾根に着く。右分岐があり、これも前峠山423mへのものであろう。この尾根上を左折して、ほんのちょっとしたコブを越えると、すぐ鞍部に至る。道はそのまま前方のピーク(駒ヶ林のとなり)に向けて延びている。しかし、地図で見る限り、その先は岩壁のようだからどこまで行けるのかは分からない。ガガガガガーという音。キツツキの仲間だろうか。

鞍部を右折して下ると、やがて前方に先峠山402mが見えてくるようになる。最後は沢音に向かって急下る。沢を渡って簡易舗装道(多々良林道)に上がると、道路反対側に岩船岳登山口がある。

岩船岳登山口(多々良林道)~岩船岳縦走路(先峠)~御床山

岩船岳登山口から急登して岩船岳縦走路(先峠)に上がる。息を整えながら、そのまま先峠山402mの南東面をゆったりと下っていく。やがて前方に縦走路上の351m、そしてその向こうに岩船岳が見えてくる。縦走路上に海軍省標石があり、そこの右分岐は、先峠山402m経由多々良林道への古い道だという。

やがて登りにかかり、展望岩場につく。今日の見通しはあまり良くない。小黒神島の左後に能美島、その右奥がうっすらと見える程度。なおも351mに向けて登り、その東面を巻いて下っていく。八畳岩から経小屋山~大野権現山を見る。

大川越にも標石が一本ある。今まで気がつかなかったのだろうか。"振り返れば展望"を過ぎて、ロープがある。あまり太いロープではない。少し切れかかっている。結び目が解けかかっている。せっかくの好意だけれども、使う時には自己責任だ。

そこを登りきると、さらにもう一本の海軍省標石があり、急登は一段落する。しかし、安心はできない。その後のゆるい登りとゆったりの繰り返し(3回くらい)は、疲れた足にはかなりこたえる。二万五千分1地形図が、厳島から阿多田島へと移る地点で、水平移動距離はかなりある。

東峰から岩船岳を見る。その左奥には可部島が見えている。岩船岳を通り越して先に進む。大岩で右手に下り、大岩群の右裾を巻いてゆく。基本的には、御床山へつながる尾根をはずさないようにすれば、何の問題もない。

御床山の先から砲台跡を見下ろす

御床山を通り越してさらに前に進む。羊歯の小道をぬって少し下り、砲台跡(建物)が見える地点に至る。御床山から下り2分(帰りの登り3分くらい)の所だ。おそらく標高約340~350mくらいの地点だろう。以下参考まで。

水平距離で、1時間(60分)に4㎞歩くとすると、1分で66.7m、2万五千分1地形図で2.7mmとなる。少し見栄を張って、1時間6㎞とすると、1分100m(4mm)となる。また、登山では、1時間300mの標高差を登る能力が、一般的には求められている。1分で5mとなる。

さて、まず全体の位置関係を確認する。可部島の左手に、革篭崎(宮島最南端)手前の241mピーク、右手に長浦手前の230mピークをみる。

砲台跡は、230mピークやや右手前にしっかりと見えている。そして、その手前には、230mピークよりもやや高い230m<台>ピークがあるはずだ。しかし、上から見下ろす角度のためか、二つのピークをはっきりと区別することができない。

砲台跡までさらに下る

今日も飛び石伝いに下ることにする。まず最初の目標は、241mのほんのわずか左(角度として)に見えている岩だ。そこからさらに下の岩まで、ほぼ241mの方角を目差して下る。

適度な岩場で、もう一度砲台跡の位置を頭にたたきこんで、右に振る。230m台~230mピークに至る小さな尾根に乗るためである。樹林帯を通って230m台に至る。ここのピークが、砲台跡を見ることのできる最後の地点となる。

砲台跡周辺の廃墟

やがて、水槽跡?やセメントで作った四角な建造物など、旧日本軍のものと思われる遺構が現われてくる。しかし、砲台跡は見つからない。山の上から見えるのだから、樹木の中に埋もれているわけはない。ところが周りを見渡すと、かなり高い樹木で覆われている。

現在位置の向こうの高みは、はたして230mピークなんだろうか。確認しなければならないだろう。先に進むと砲台跡が現われた。砲台跡手前が少しコブになっていて分からなかったのだろう。ただし、このころは帰りの時間のこともあり、かなりあせってきていたので、地形上の細かな点については自信がない。

砲台跡(建物)は、縦240~250㎝(かなり曖昧)×3、横240~250㎝(かなり曖昧)×2の部屋を、縦に二つくっつけた構造をしている。天井があり、人が立って歩くには十分な高さだ。この屋根(平べったい)に落ち葉などが積もって、山の上から見ると茶色に見えるのだろう。

レンガで造った壁をセメントで固めている。あまり厚くはない。壁には四角い窓がたくさん開いている。しかし、床に台座跡らしきものはない。兵士の宿泊所ではないだろうか。

230mピークと思われる辺りも少し探索したが、例えば室浜砲台跡のような砲台跡を見つけることはできなかった。むしろ、手前にあったセメント造りの四角な建造物の方が、頑丈な作りからして砲台跡にはふさわしいかもしれない。しかし、上から覗いた限りでは、これも水槽のようにしか見えなかったのだが。

展望地点まで帰りつく

いずれにしても、帰りを急ぐ。樹林帯はもちろんのこと、そこから上もはっきりした道はついていない。そうした中で、膝から太腿まである羊歯を押し分けて登り返すのは、非常に体力を消耗する。最後には足が上がらなくなる。

展望地点まで帰り着いて、ほんとうにほっとする。下る前は近くに見えた砲台跡が、かなり遠く見える。右手にはトゲで引っかいて血が流れた跡が10本近くついてしまった。家に帰ってズボンを脱ぐと、太腿にも5か所くらい血がにじんでいた。

岩船岳~大川越~大川浦分岐(海岸近く)

さて帰り道、東峰から10分くらい下った地点(海軍省標石のやや上)で、女性二人組が登ってくるのとすれ違う。今の時間に登りで大丈夫だろうか。他人事ながら心配になる。"振り返れば展望"地点まで下ってリュックを降ろすと、パッキンがゆるんで水筒の頭がはみ出している。他人のことを心配している場合ではない。気合を入れなおす。

帰りも往路を行き、行き帰りのタイムを比べてみたかった。しかし、日没時間がちょっとだけ気になる。ならば例によって、多々良林道経由の下山か。それではあまり面白くない。早めに自動車道に出るならば、大川浦に下って、広島大学植物園を目差すのもよかろう、というので大川越から下山することにした。

大川越からは、ゆったりとした下りだ。倒木などありやや荒れ気味だが、人工的な細工はほとんどされていない。

大川浦分岐(海岸近く)~宮島自然植物実験所

海岸近くになって、多々良分岐の標識があり、右折する。そこから、電燈線に沿ってピークを二つ越えると小さな入り江に出る。うっかり左折すると、シカの足跡しか付いていない。入り江を渡り、見当をつけて海岸線から無事山道に合流する。

再び羊歯の中の道を登る。振り返ると、海岸には海苔ヒビ、その向こうの手前ピーク左肩に岩船岳が姿を見せている。絵になる光景である。この海岸線コースでは、その他、広大植物園や道路上の植物観察(名札あり)などを楽しむことができる。

ただし、アップダウンが激しく、特に室浜砲台跡までがキツイ。10m、20m、時には30m程度の高低差の登り下りを、室浜砲台跡まで10回前後繰り返すことになる。

エスケープルートとしては適さない。岩船岳からの帰りで一番楽なコースは、やはり多々良林道経由だろう。大川越から351mピークまでの登りをこなせれば、後は何とかなる。

さて、室浜砲台跡手前の林の中で、オス鹿に出会った。山道の真中に立ってこちらを見ている。大きな角を持っている。怖そうだ。早く向こうへ行ってほしいな、と思うのだが動かない。こちらも動けない。時間だけが過ぎる。

そのうち、ゆっくりとこちらに向かってきた。どおしよう。目を合わせちゃいけなかったのかな。それとも、目をそらせちゃいけないんだったっけ。どっちだろう。背中を見せて逃げちゃいけないんだよね。ゆっくりと茂みの中に後ずさりをすると、シカは目の前を悠然と向こうの方に歩いていった。

舗装道路沿いは、アセビのオンパレード。満開のシキミが1本。コウヤミズキの蕾の先が、なんとなく黄色く膨らんで見える。山道では、ヤブツバキの赤い花が最初から最後まで道案内をしてくれる。

その他

宮島桟橋からの乗り継ぎがよくて、家路につく我が背中を、夕陽が射して暖めてくれた。行きの山道で脱いだ防寒具を再び着ることはなかった。>

追記(1)2006年2月20日(月)

私に続いて同年夏(2005/08/27)、宮島自然植物実験所の関係者が、海側からこの砲台に達している。「宮島の長浦・あてのき浦までボートでいき、藪こぎをしながら山頂へ向かいましたが、現地に着くのに3時間30分を要しました。全く道がないので、手探り状態でかなりきついコースでした」という。

参照Web:宮島御床山南西に砲台確認>>/広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所(デジタル館)

それほどのブッシュということであれば、実験所から多々良~岩船岳経由の方がむしろ楽かもしれない。(実験所~大川浦~大川越も考えられるが、上記のように、この海岸線は思いのほかアップダウンが激しくてタフなコースだ)

それはともかく、彼らは230m峰に高射砲台座跡を発見している。私は見ていない。やはり兵舎跡のすぐ向こうの高みが230mピークで、そこにあるようだ。逆に、彼らは兵舎跡までで引き返したと思われる。それより御床山側にある頑丈なコンクリートでできた四角の大きな水槽?は、写真のリストの中にはないようだ。 (Web管理人注:砲座の形が、下記・藤下さんの写真とは異なっているようだ)

追記(2)2006年3月17日(金)、3月19日増補

藤下憲明さんから、現地探訪に成功した(2006/03/11)旨メールをいただいた。藤下さんは、近代戦争制限区域標石(陸海軍省標石)を研究している方である。そして、この砲台跡については私よりも早くから注目していた。

しかし、体力的にきつくて自分自身で現地まで行くのは無理だということだった。そこで、私が行きたいならば、宮島自然植物実験所の技官の方(おそらく上記Webの作者)が情報をもっているようだから、聞いてみてはどうかとアドバイスをいただいたりしていた。

この度は、ご自身で朝一番の連絡船に乗り、バイクにまたがって多々良林道を岩船岳登山口まで行ったという。体力温存のためには賢明な判断といえよう。それにしても、御床山からの往復では相当に体力を消耗したようだ。執念の伝わってくる山行である。

彼は230m峰で高角砲の台座跡を確認し、兵舎跡と思われる建物の測量図を作成している。また、「御床山南西高角砲台陣地跡配置図」として、点在する各遺構の位置を地図上にプロットしている。 ただし、これには断り書きが付いている。”遺構配置は砲座からの並びの概略を示したもので地形図とは一致していません”

私が見た限りでは、兵舎跡などの遺構があるのは、230m台~230m峰間の狭い範囲である。つまり、台座跡のある230m峰に近い位置の尾根上に集中して存在している。藤下さんもそのことは承知しており、(わかりやすい配置図にする為に、少し御床山の方へ広がった書き方になった)と言っているのだろう。

なお砲座の写真をみると、上記・植物実験所HPのものとは異なっているようだ。複数個の台座があるのかもしれない。もう一度現地に行って自分の眼で確かめてみたい。その日はいつかきっと来る。今はそう信じておとなしく養生することにしよう。

参考:陸海軍省標石2001年10月20日
近代戦争制限区域標石について(上)(下)藤下憲明
広島県文化財ニュース168号、170号(2001年3月、8月)
広島県文化財協会

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

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2005年04月24日

Akimasa Net
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植物観察会(パークボランティアの会)
(出発帰着:宮島桟橋)

2005年04月24日(土)、単独

リンドウ

〈写真〉フデリンドウ

包ヶ浦自然歩道(博打尾)~包ヶ浦を歩く

このページの目次です

はじめに

宮島の植物観察会
宮島桟橋~博打尾尾根~包ヶ浦自然歩道~包ヶ浦公園~旧道~宮島桟橋
(出発帰着:宮島桟橋)

主催:瀬戸内海国立公園宮島地区パークボランティアの会
集合:午前9時30分、宮島桟橋待合室2階

中国新聞の参加募集記事に応募する。予定30名に対して倍以上の66名が参加したようだ。9時半過ぎからパークボランティア活動の趣旨、今日の予定等について、今日の責任者(副会長)、会長および環境省自然保護官の話があり、体操の後、各リーダーの元に6班に班分けして出発する。宮島桟橋に戻ってきたのは、3時35分ごろであった。

パークボランティアの会とは

パークボランティアとは、全国各地の国立公園において、環境省の活動に協力する立場の民間人として、各地区の自然保護事務所(環境省自然環境局の出先機関)に登録されている人たちだ。

瀬戸内海国立公園宮島地区は、山陽四国地区自然保護事務所(岡山市)に属しており、このような実施地区が全国に36地区あるという。なお、 宮島地区パークボランティアの会事務局は、広島自然保護官事務所内(広島市中区)にある。そして、宮島桟橋待合室二階には、環境省広島自然保護官詰所がある。

パークボランティア活動の大きな柱として、自然観察会等における解説があり、それと合わせて、樹木名を書いたプレートの管理等も行っている。 また、宮島地区パークボランティアの会として、江戸後期「厳島図会」にあるような、みごとな満開の桜を現代の宮島に蘇らせようと、最近活動を開始している。

その内容は、活動の主体となっている住民団体に協力して、島内全てのサクラ(約1,500本)を一本ずつチェックする、というものである。データ (サクラの種別、幹の直径および生育度)は広島大学付属宮島自然植物実験所で分析するとのこと。中国新聞2005年4月15日(金) 付け記事参照

今年度(2005年度)の予定:
10月16日、歴史散策(街中)
11月23日、もみじ(街中)
2月5日、歴史(鷹ノ巣砲台跡)

宮島桟橋前広場~モミヂ歩道~包ヶ浦自然歩道~包ヶ浦

桟橋前広場のクロマツ。雌花がすーっと伸びて先端が赤く3つに分かれている。この雌花は、基部にある雄花が大量の花粉を出し切った後に伸びてくるのだという。自家受粉を避けるためだ。アカマツの雌花は赤、クロマツの雌花は白、など、マツ一つとっても奥は深い。

枝垂桜に花が残る。エドヒガンの変種。荒々しい幹を持つ。

以下同様にして、後日読んだ本の内容も参考にしながらまとめてみた。

ロープウェイ入口に向かって歩く。イロハモミジが花をつけている。初めて見た。イロハモミジ:縁に不整の鋭鋸歯かやや重鋸歯
オオモミジ:鋸歯は細かく左右がそろう

モミヂ歩道に入る。

ヒメヤマツツジ:夏葉が越冬して残る。雄しべ5本
コバノミツバツツジ:葉に先立って、枝先に1~3個の花をつける。雄しべ10本
ヒメイタビ、ミツデウラボシ(裏に星)、マメヅタ、崖っぷちの観察も楽しい
アオテンナンショウ(帰り道で、ナンゴクウラシマソウ)
「花のアルバム-広島の自生植物-」には、(宮島・弥山登山道沿いで)ナンゴクウラシマソウと思われるものがアオテンナンショウと混生している、とある。

シロダモ:若葉が小さな傘を閉じた格好で伸びている。表面が黄褐色の絹毛でおおわれており美しい。
ミミズバイ:花芽が着いている。南方系で標高300m以下
サカキカズラの羽毛を見つける。中に種子がたくさん入っている
オガタマノキ:一円玉の表側(年号の入っている方が裏)のデザイン?
というのはどうもほんとうではないらしい

ナワシログミ:実が熟している(開花は昨秋)
ミヤマガマズミ:白い花(花冠は径6~8cm、先が五つに裂ける)
葉の表面に毛はほとんどなく「つるっと」している
ウリハダカエデ:薄緑色の花(総状花序5~10cm)が垂れ下がっている
カナメモチ:
コシダ:茎はサルのオヤツ。北限は福島県
いわき市小浜のコシダ-ウラジロ群落は、県の天然記念物指定

シャシャンボ:和製ブルーベリー、葉先は鋭くとがる
葉裏主脈の所々に小さな突起あり
ヒサカキ:葉先は鈍い
カンコノキにテイカカズラが巻きつく
スノキ:花をみる
クロキ:新枝に稜あり
カナメモチ:ノコギリ葉

ホウロクイチゴ:葉裏にトゲあり、シカ食べない
フデリンドウ:春にリンドウをみるのは初めて
シハイスミレ:葉裏が紫
ソヨゴ:葉の縁が波打つ
サルトリイバラ:淡黄緑色の花(散形花序、雌雄別株)
クロバイ:花咲き始め(総状花序)、白い花はまだ開いていない
イズセンリョウ:
ヒメハギ:登山道上で踏みつけられてかわいそうなくらい小さい
ネズ:
ネジキ:去年の実が残る

博打尾で一旦休憩
紅葉饅頭をいただきながら、毛利元就奇襲の顛末について、歴史講義あり
私家本「厳島合戦」300円
そばには、ミサゴ(タカの仲間、羽を広げると1m80㎝)観察中のグループ。そういえば、中国新聞か何かで、台風で痛めつけられたミサゴが再び巣作りを始めたという記事を見たような。

ガマズミ?、クロバイ、トキワガキ、アオダモの白い花が満開、風がありデジカメでうまく撮れないのが悔しい。ニガイチゴ、ヤマモモ(オス、メスの花)、イタビカズラ

昼食予定地点の包ヶ浦自然公園に着く。
昼食後、「シカを救うのはわたしたち」、「宮島のハイノキ科植物」と題する紙芝居2題。宮島のサルに人間が餌をやらない活動を開始して10年余り、ロープウェイ終着駅そばでもサルをみることはなくなった。シカも野生に帰すのが正しい処置であろう。ただし急激に方針を変更するわけにも行かない。

パンフレット裏表紙のシカの絵、「森の中でこんなりっぱなシカが見られたらいいね!」。2005年03月19日(土)に、大きな角を生やした雄シカに出会ったんだな。室浜砲台跡のちょっと先の森の中だ。怖かったけどきれいな目をしていた。

包ヶ浦~管理センター前~(旧道)~宮島桟橋

解散予定地点の管理センター前に向けて移動を開始する。
ヤマモガシ:
カンザブロウノキ:花芽がでている。葉が裏へ巻く
イヌガヤ:花が満開
クスノキ:古い葉は紅葉して落葉する。今いっせいに新葉と置き換わっている
アラカシ:花
キランソウ:茎は直立せず、四方に広がって地面をはう
カンコノキ:トゲあり

解散式の後も、三々五々、各リーダーを中心に宮島桟橋まで旧道を歩く。
ヤマフジ(左巻き)、シロダモ、カギカズラ、イヌザンショウ(トゲずれる)、ザイフリボク(白い花)、カンコノキ(木の上の方ではトゲがなくなる)、イヌビワ(実)、ナンゴクウラシマソウなどなど。

包ヶ浦自然歩道は、(宮島桟橋、海抜0mから)紅葉谷入口(標高約40m)~最高点(標高215.8m)を経て、再び海抜0mの包ヶ浦に至る。ほとんど坂らしい坂もなく植物観察に最適である。快晴の楽しい一日を過ごすことができた。

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宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

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2006年01月08日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

駒ヶ林尾根コース~駒ヶ林~弥山~かや谷コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2006年01月08日(日)、単独

駒ヶ林にも雪が残り、岩場で少し苦労する

このページの目次です

はじめに

多宝塔~駒ヶ林尾根~駒ヶ林~仁王門跡~大日堂~弥山~弥山本堂~紅葉谷分岐~獅子岩駅~かや谷駅~博打尾~紅葉谷
(出発帰着:宮島桟橋)

今シーズンは、日本海側を中心に各地で記録的な大雪となっている。本格的なスキー場がある県としては日本最西端の広島県内も例外ではない。

西中国山地から庄原にかけて、ものすごい降雪量となっている。広島市内の白木山ですら、昨年暮れに山頂部では30~50cmくらいの雪が残っていた。その上に年明けの寒波でまた降り積もっているはずだ。

寒波が少し緩んだ連休を利用して、宮島に渡ってみることにした。今年の初登山だ。もちろん雪はないだろうと想定してのことである。しかし、岩場に雪がついており少してこずる。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:26-大鳥居横9:33-登山口9:38- 二重塔9:41-雪をみる9:53-小ピーク(樹間に大鳥居)10:00-小ピーク10:05、10:07-展望10:12-大岩(右巻く)10:16-大岩ピーク10:18-小さな渡り廊下10:19-大岩(左巻く)10:21-左下・崩落箇所を見る10:23-摩尼大師・岩屋大師堂10:25-大岩稜線10:27-小ピーク(左巻く)10:31-大岩の壁(左巻く)10:32-岩場(雪)10:40-(数分休む)-駒ヶ林10:48、10:55- 仁王門11:04-御山神社、奥の院分岐11:11-水掛地蔵11:13-弥山巡り分岐・左11:15-大日堂11:17-舟岩11:20-弥山11:23、12:37- 弥山本堂12:44-紅葉谷コース分岐12:52-獅子岩ロープウェイ駅12:57-かや谷ロープウェイ駅13:08-ピーク(包ヶ浦をみる)13:16-尾根両側をみる13:19-302m13:29-(左に振る)-大鳥居(左前方307度)13:31-包ヶ浦分岐(標高180m台)13:39-第3ベンチ13:43-第2ベンチ(厳島合戦要図)13:43-第1ベンチ13:48-登山口(紅葉谷横)13:58-宮島桟橋14:15

宮島桟橋(12分)登山口(38分)最初の大岩(32分)駒ヶ林
 小計1時間22分
駒ヶ林(9分)仁王門(19分)弥山
 小計28分
弥山(20分)獅子岩ロープウェイ駅(32分)302m(29分)紅葉谷横登山口(17分)宮島桟橋
 小計1時間38分

総合計3時間35分(駒ヶ林7分を加える、昼食タイム1時間14分を除く)

多宝塔から駒ヶ林尾根に取りつく

連絡船は超満員だ。山支度の人たちが多くを占めている。桟橋に着くと、大グループが点呼をとっている。登山口で体操をしているグループや、登山道でも10人くらいの一団を追い抜いた。駒ヶ林山頂部で新年会の準備をしている人たちがいるなど、今日の山での人出は数百人単位の規模だろう。

大鳥居まで潮が引いている。厳島神社の前を横切って一直線に対岸をめざす。向こう側の護岸の石段を上がって左折、大願寺(地形図にお寺のマークあり)境内を通り抜けると車道に出る。車道を渡り、多宝塔(高塔のマーク)のある小丘(標高24m)に向けて石段を登る。

多宝塔の丘から尾根筋を駒ヶ林まで直登する。行程の半ばで大きな岩が現われる。その後は次々と現われる大岩を、右から巻いたり左から巻いたりしながら上を目差す。最後に大きな岩の上を這い上がれば山頂は真近だ。

ところがこの岩にうっすらと雪が残っている。少し前に自分を追い抜いていった人を後から見ていると、ほんの少し滑ったが危なげなく登っていった。自分でも試みるが滑ってうまくいかない。ちょっと休んでいると、次に来た人も何とか上がっていった。でも自分にはできそうにないな。引き返すか。

すると岩の陰で食事をしていたおば様グループから、こっちを通ると簡単だ、とアドバイスが入る。なるほど岩の東側が通りやすくなっているようだ。お蔭様でむざむざと引き返すことなく山頂に立つことができた。

駒ヶ林から弥山へ移動する

芸北方面の展望はあまりよくなさそうだ。それでも360度の展望を楽しむとすれば、やはり弥山の方だ。弥山に移動する。途中で完全に雪を踏む箇所があり、石段では特に気をつけて行動する。

弥山に着いて、展望台階段を一番上まで駆け上がる。雪が付いており坐ることはできない。その分あまり人が上がってこなくて、存分に展望を楽しむことができた。ここでもやはり芸北方面の雪山ははっきりしない。しかし、海側は雲の間から陽光が海を照らし、遠くの小さな島々までシルエットを映し出してくれる。(カシミール展望図再作成)

かや谷(博打尾)コースを下る

下山コースは、予定通り”かや谷(博打尾)コース”とした。途中で雲間から太陽がのぞいて、暖かい光を背中に注いでくれた。瀬戸の海を左右に見ながら、これぞ狙っていた陽だまりハイキングと悦に入ったが、それもほんの一瞬にすぎなかった。

かなりの急坂を包ヶ浦自然歩道まで下る。博打尾手前のベンチでハーモニカを吹いている男性一人、哀愁漂うメロディがせつない。このコースは、山頂部から下るにつれて左手に少しづつ振られてゆく。最後は、駒ヶ林の尾根、弥山の尾根、紅葉谷(ロープウェー)を左手前方に見ながら下り、紅葉谷を経て桟橋まで帰る。

朝出かけるときには、北側の空は快晴で真っ青に晴れ上がっていた。しかし、結局は終日曇り空、ただし風がない分過ごしやすく、手が一日中冷たかった割には穏やかな天気で、満足のゆく新年初歩きとなった。

その他

なお、大聖院コースは崩落のため通行止め。崩落箇所は駒ヶ林の登りで確認できる。そして、帰りのJRからもはっきり見ることができた。その他、かや谷コース途中にも崩落箇所があった。自然は生き物だ。また、弥山七不思議の一つに数えられる"不消霊火堂"は全焼して基礎からやり直しだ。せめて人的災害だけでも防ぎたいものである。

後日訂正:
焼失したのは、(正)不消霊火堂、(誤)弥山本堂(求聞持堂)。
「山で乾杯!(我らが初級中年登山隊)」様からメールによるご指摘あり。

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2006年02月04日

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開学記念リレーシンポジウム(県立広島大学)

2006年02月04日(土)、単独

厳島の歴史と文化-宮島の魅力再発見

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はじめに

県立広島大学開学記念リレーシンポジウム
「大学と地域文化」

日時:2006年2月4日(土)13:00~16:30
場所:県立広島大学広島キャンパス大講義室(広島市南区)
主催:県立広島大学地域連携センター

赤岡功学長あいさつ

記念講演「人文学の社会連携を展望する」
広島大学大学院文学研究科長、岸田裕之(ひろし)教授

シンポジウム「厳島の歴史と文化-宮島の魅力再発見」
基調講演「世界遺産厳島神社と石見銀山」
県立広島大学人間文化学部長、秋山伸隆(日本史)
パネルディスカッション
コーディネーター1名とパネリスト5名、すべて人間文化学部教官
その他、在校生2名参加

本多博之(日本史)コーディネーター
 文化財にひそむ歴史事実をさぐる-厳島神社五重塔初重柱銘文を中心に-
秋山伸隆(日本史)、上記基調講演
樹下文隆(芸能史)
 中世における厳島理解と法華経-能<白楽天>と<厳島>から-
西本寮子(日本文学)
 「平家納経」成立の背景を探る-「源氏物語」享受史との関係を視点として-
天野みゆき(英文学)
 絵画から見えてくるもの-イギリスにおける自然観との比較を通して-
柳川順子(中国文学)
 厳島の能楽に見る日中文化の異質性
村上寿珠(4年生)
 厳島の町の発展と経済
大知徳子(4年生)
 中世厳島神社の内侍について

県立広島大学とその理念

県立広島大学は、県立3大学を再編・統合して、平成17年(2005年04月01日)に開学した。すなわち、県立広島女子大学(現、本部・広島キャンパス)、広島県立大学(現、庄原キャンパス)、広島県立保健福祉大学(現、三原キャンパス)の3大学である。

その基本理念をHPで確認すると、
・教育-実践力のある人材の育成
・研究-地域に根ざした高度な研究
・地域貢献-大学資源の地域への提供
となっている。

宮島をテーマとした同大の重点研究プロジェクトは昨年10月からスタートしている。その目的は、世界遺産宮島の魅力を新たな学術的視点からとらえ直すことにある。その過程で当然教育(卒論研究など)も行われる。今回のパネリストの中に、卒論で宮島をテーマに選んだ学生3名の内2名が加わっている。

このリレーシンポジウム自体が、人文科学が地域に果たす役割をアピールするものとなっている。無料、事前申し込み不要、というのもストレスを感じなくて有難い。会場の整備・案内には数多くの女子学生があたっていた。これも教育の一環といってよいであろう。

国公立大学が、そこに属する構成員や学生たちだけの為にあったのはまぎれもない事実である。例えば図書館は一般市民(納税者)に開放されていないケースが圧倒的に多い。文献コピー等が可能な場合でも、かなり気兼ねをしなければならない。こうしたこともこれからはどんどん改善されていくであろう。

一般市民の側も社会人として成熟していく必要がある。地域文化を切り口に、地域の大学として、地域住民に語りかける今回のシンポジウムは、限られた時間の中でその成果の一端を示したにすぎない。今後はテーマ毎に研究の発展していく様子を、一般市民の前でも継続的に開示していただけるということである。大いに期待したい。

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2006年05月07日

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公募観察会(植物と歴史)
(出発帰着:宮島桟橋、瀬戸内海国立公園宮島地区パークボランティアの会)

2006年05月07日(日)、単独

イワタイゲキ

〈写真〉イワタイゲキの群落

大元公園~宮島自然植物実験所~下室浜海岸

このページの目次です

はじめに

瀬戸内海国立公園宮島地区パークボランティアの会
公募観察会(植物と歴史)

9:30、大元公園休憩所集合
9:45、海岸道路を西南西に向けて出発
植物観察(多数)
12:05頃、下室浜海岸着(イワタイゲキ、ハマゴウなど)
12:35、シカを救うのはわたしたち(紙芝居)
その後、室浜砲台跡へ移動、砲台について解説
さらに、広島大学理学部附属宮島自然植物実験所に移動
宮島の自然の特徴等レクチャー(坪田先生)
14:00過ぎ、実験所出発
15:00過ぎ、大元公園着、解散式
15:37、宮島桟橋着

大雨の予報であったが、朝起きると傘がいるかいらないかといった天気。集合時間を過ぎて、班編成を行うころにはほとんど雨は止んでくれた。

集合場所(大元公園)まで早めに着いたので、海で大型のトリを追いかけて遊ぶ。くちばし黄色、全体にグレー、羽先黒で、くび白色。アオサギだろう。帰りのJR宮島口のプラットホームで遊んでいたトリは何だろう。カワセミくらいの大きさ。

5月の宮島には雪が降る。成る程、帰りの連絡船から見ると、特に多宝塔~駒ヶ林の尾根南西面が白くなっている。クロバイの花(白色)だ。今日の観察会コースでもみごとな咲きっぷりの個体があった。

残念ながら今日一日弥山、駒ヶ林の山頂部は雲の中に隠れたままだった。しかし、雨上がりの新緑は美しく映え、おおいに楽しませてもらった。そしてなにより、謹慎中の身にはほどよい運動となった。

集合場所の大元公園にむかう

本土側の宮島口桟橋で連絡船に乗る。航路130度(磁北から)で宮島をめざす。宮島桟橋に降りて海岸沿いに歩き、御笠の浜護岸の上から目の前に大鳥居を見る。厳島神社の右向こうに多宝塔(196度)を見る。潮があり対岸には渡れない。

集合場所の大元公園をめざす。公園近くの海岸でアオサギと遊ぶ。護岸から西松原の突端の向こうに桟橋(53度)をみる。やがて、集合時間となり班編成をして9:45出発。一般参加者70名程度。

植物観察会(大元公園~宮島自然植物実験所~下室浜海岸)

地衣類、菌と藻類の共生。大元橋の上からシラウオをさがす。昔は名物だったようだ。隧道手前、左手上にミヤジマシモツケ、隧道を出て、ヒメイタビ。ウリハダカエデの花が垂れ下がる。雌雄異株、オスの木はオシベだけ。ギンリョウソウ。ヒメハシゴシダ9:58、イタビカズラが大きな株に巻きつく。ミツデウラボシ。イタビカズラ、花咲き始め。ツタ(ナツヅタ)。

ヒメヤマツツジ、おしべ5本、夏葉残る。全体的にコバノミツバツツジより優雅。

以下、QJY通信62号、平成9年5月5日より。
「まだツツジが? 良く見るとコバノミツバツツジはすべて終っているぞ。それに葉が違うし花のオシベの数がコバミツは10本だがこれは5本、ヒメヤマツツジだ。今までフジツツジと呼んでいたいわゆるメンツツジ、これを最近東大の先生がヒメヤマツツジと同定したそうだ。かつての隣人石井さんの話。牛田山の縦走路はコバノミツバが終るとこの花で全山彩られる。花のつきかたも三つ四つと輪生するので区別できる。まるでレンゲツツジかゲンカイツツジのようだ 」

しばらくしてきれいな花が残っており、数枚写真を撮るがどうもうまくいかない11:10。ヤマモガシ。

横道に入って、クロバイ、白いブラシがよく目立つ10:11、花びらよりオシベの方が多い。カゴノキの古木をみる10:12。頭上高く枝分かれした箇所に、ヤマウルシ、ヒサカキなどが生えている。

ハイノキは5種類存在している。ミミズバイ、全縁、ギザギザなし。カンザブロウノキ、ギザギザあり。清掃センター手前、ウラジロのアンテナを出している。カンコノキ。

ナンゴクウラシマソウ10:28、浦島の釣竿、釣り糸がでている。鳥足状複葉。トウゴクシダ、ベニシダ、ホラシノブ。フジ左手型10:35、満開。ウリハダカエデの翼果がすでに出ている。タイミンタチバナ、雌雄別株。イヌザンショウ。タイミンタチバナ10:43、メス、花のめしべが飛び出る。ヌルデ。

アカメガシワ10:49、若葉は赤く、赤い部分はこすると落ちて緑の地肌がみえてくる。アリとの共生(写真なし)。カマツカ10:54、白い花、牛殺し。ウリハダカエデ10:58。サカキカズラ、ヤマフジ右手型、花がフジより少し大きい。多々良通過11:17。

テリハノイバラ、川手前右、托葉にギザギザなし(ノイバラとの違い)。だんだんと大野瀬戸が狭まってくる。岬の突端から海上の灯台13度。コバノミツバツツジ、ほんの少し残る。花びらが足を踏ん張っている。これに対して、ヒメヤマツツジは上品。

オオバヤシャブシ、葉が対称ではなくちょっとずれている。リョウブ、去年の実(黄色)がぶら下がっている。これから花の時期。シャシャンボ、葉先が鋭い。これに対してヒサカキ、葉先は丸く、ほんの少しくぼむ。葉裏に突起。

ウバメガシ、海岸性。カンザブロウノキ、葉ギザギザ(ミミズバイ、ギザギザなし)。ホウロクイチゴ。シロダモ12:03、葉裏白色、新芽は茶色の花(傘型)のように見える。コシダ、サルのおやつ。ジャケツノイバラ。ウラジロマタタビ、葉柄が赤い。下室浜海岸着12:05頃。イワタイゲキ。

下室浜海岸は大野瀬戸の一番狭い地点である。幅約500mしかない。日露戦争直前に室浜砲台を完成させたものの水深が浅く、艦船の通行は不可能であったらしい。また、豊予・下関砲台等の完成によりその役目を終えた(大正15年)。対岸の永慶寺川右岸とほぼ平行の位置(313度)。蛭ヶ崎鼻ピーク262度。昼食後、紙芝居「シカを救うのは私たち」。

坪田先生のお話(植物実験所)

室浜砲台跡を経て、植物実験所へ移動して、坪田先生のお話をうかがう。

宮島では人と自然とが調和しており、生物多様性が非常に大きい。種類は多く消滅種は少ない。海岸線が自然のままの形で残されている。愛媛県南部あたりとよく似ており南方系である。対岸の大野町とも異なっている。帰化植物が少なく、草本の割合が少ない(樹木の方が多い)。災害後、過度な修復がなされ、木を切っている。1970年代に松枯れを切り出すためにブルドーザーを入れており、土砂の流れをせき止めている。宮島には、室浜砲台跡などの戦争遺産があり、遺産指定もめざしている。

コシダが一番大きい面積を占めている。ウラジロと棲み分けているかどうかは、明確ではない。コシダは、特に日光の当たる所にはえる。林床には入り込まない。ウラジロの茎にはリンペン(三角形)があり、コシダにはない、そして毛が生えている。コシダは枝の間から枝が出る(枝分かれする-掘ってみて確認)、ウラジロは枝分かれしない。

学名に親しんでほしい。学名、ラテン語は死んだ言葉であり、変化しないことから、逆にだれにでも使いやすい言葉になっている。つまり、命名当時から言葉の意味が変化しないので、その内容を取り違えることなく使い続けることができる。

今日もまた有意義な一日であった。

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2008年08月03日

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弥山直登尾根コース(往復)
(出発帰着:宮島桟橋)

2008年08月03日(日)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2008年08月03日)無し

このページの目次です

はじめに

芸北にも行きたいが、前日は、所属会の勉強会および納涼会。飲み会の翌日あまり負荷をかけるわけにはゆかない。最近気になっていた廿日市市宮島町(赤ペンキ事件)の登山道(弥山直登尾根コース)を歩いてみることにする。 以前に一度下ったことのある尾根である。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:25-取り付き地点9:45- 休憩9:51(尾根見下ろす339度)-平らな部分9:56(標高90m前後、尾根232度、東側尾根407mを174度に見る)-小コブ130m台(桟橋351度)、10:02-少々コブ10:03(東側尾根407mを170度に見る)-大鳥居を見る10:09(標高180m前後、大鳥居328度、博打尾145m(鈴ヶ峰西峰~東峰の間に入る)37度)-小コブ10:15(前方259mピーク206度、右奥に駒ヶ林226度)-大鳥居を見る10:18(標高230m前後、大鳥居337度)、花崗岩の登山道は崩れやすい、多少尾根から外れて稜線西側を行く-259m10:25、10:30、風少しとおる-(平坦なシダの道)-登りつく10:24(風とおる、再び平)-屋根状の岩10:35-(右前方に弥山~駒ヶ林)-休憩10:40、10:46-小さな岩場10:54(右手尾根を見る)-少々コブ10:56-二つの岩の間とおる、近くで休憩10:59、11:02-祠11:03-コブ(肩、標高400mくらい)11:07、11:10-小ピーク11:11-小ピーク11:15(標高430m台、弥山200度)-ロープウェイ山頂駅を見る11:19-(風とおる)-登りはじめ11:22(標高470m前後)、11:25-弥山山頂11:33、12:24- 右横奥、ロープウェイ駅12:31-小コブ12:33-倒木地帯12:35-肩12:36-肩12:37-(大岩の間をぬって下る、下る下る)-祠12:40-平らな部分12:42-(ややゆったり下る)-小岩展望12:43-(尾根西側を行く)-樹間に大鳥居12:51(346度)-肩12:56(立ち枯れ多し)-(下る下る)-前方に海13:00(対岸の山々を見る、前方に平らな"まさ土"の道が延びる)-(わずかに下る、大鳥居333度)-尾根54度13:05-(前方となりの尾根145mをめざして下る)-休憩13:10(右向こうにロープウェイ、ほんの短い距離見える)-(登山道が崩れるのを防ぐのに使ってある木材は年期が入っている-取り付き地点13:19、13:25-宮島桟橋13:42

注:方位角は、〈磁北〉からの角度を示す

宮島桟橋~取り付き
 行き20分、帰り17分
尾根往復
 登り1時間48分、下り55分
総合計(弥山山頂51分を除く、帰りの取り付き6分を加える)
 3時間26分

神様のお導きか(会いたかった人に声をかけられる)

宮島で船を降りようとすると、〇〇さん、と後ろから呼びかけられた。振り向くと、山支度をした男性が立っている。〇〇ですと言われて、やっと分かった。昨年夏の還暦記念同期会(高校時代)で初めて実際にお会いした方である。

学生時代は、クラス編成、クラブ活動その他ご一緒する機会はなく、お互いに全く知らない間柄であった。それが、近年お互いのホームページを通じてメール交換をするようになっていた。昨夏の同期会では、事前に特に連絡を取り合うことはなかったが、きっとお会いできるものと期待して出かけた。

そして、そこで同行山行をお約束し、その後自著も進呈させていただいた。ところが、私の左ひざ関節の状態が思わしくなくなり、なんとか快復したものの同行するまでの自信が持てなくて、声をかけずじまいになっていたのだった。今日改めて芸北での同行山行をお約束して一旦別れる。

実は、今日JR山陽本線でボケーとしており、宮島口の一駅手前の阿品で、間違えて発車直前にあわてて飛び降りてしまった。そのため一列車遅らすことになった。たぶんそのために、連絡船も一つ乗り過ごすことになったはずである。

昨年、左ひざが完全にいかれてしまったのは、2007年11月18日宮島であった。2008年03月08日鈴ヶ峰で復帰後、芸北にも通えるまでになり、最近は恐羅漢山~旧羅漢山の向こう側(旧匹見町)ばかりを探索していた。それが今日たまたま宮島に来て彼に会うことができたのは、神様か何かのお導きであろう。

尾根を登る(玉取祭の太鼓の音を聞く)

今年の「玉取祭」(厳島神社)が本日行われるという。連絡船の中のアナウンスで知った。玉取祭のクライマックスである宝珠(ほうじゅ)争奪戦は、厳島神社本社と大鳥居の間の海中で行われる。つまり、玉取祭の時には、潮が満ちていなければならない。社団法人・宮島観光協会ホームページによれば、「現在は8月の正午前後が満潮時に当たる日曜日に行われています」という。

私たちの乗った船は、JR西日本・宮島連絡船"弥山丸(みせんまる)"(鉄道連絡船) である。宮島に近づくと、すでに朱の大鳥居は海中に浮かんでいる。連絡船は、今日も大鳥居大接近運行サービスを行ってくれた。

さて、彼も四宮コースを登るという。同年輩とお見受けする方二人とご一緒である。私と相前後しながら、大鳥居横を通って紅葉谷に向かう。海中を見ると、 4本のヤグラが組まれ、すでに宝珠台(ここに玉取祭の宝珠を結びつける)もその真中に吊り下げられているようである。

私が先に尾根に取り付いた。追いつかれてはお先に失礼を繰り返し山頂に先着する。尾根途中で海から響いてくる太鼓の音を聞いた(10時過ぎ)。玉取祭を盛り上げるためのものだったのだろう。後で調べてみると、大潮10:43(ただし、広島港のデータ) に対して、祭りの予定は、祭典10:30~、奪戦戦11:00ころ~となっている。

暑い。尾根は半日陰といった感じである。時々紅葉谷から吹き込む風が当たり、ほっとする場面もあるが、長くは続かない。登山の環境ではない。汗だくになりながら山頂に着く。展望台2階のベンチに一人分のスペースが空いており、そこに座り込む。屋根(屋上)があり日は当らない。冷たい風が通り寒いくらいである。

昼食後、屋上にて展望を楽しむ。少し霞む天気ではあるが、吉和冠山などがはっきりと見える。ひとしきり展望を楽しんだ後、予定どおり往路下山とする。彼のグループも2階に陣取っている。芸北での再開を約して別れる。不思議な因縁に包まれた日であった。人生長くなるとたまにはこんな楽しい事もあるのだろう。

弥山展望記

注:方位角は、〈真北〉からの角度を示す

西北西の方角、眼下に駒ヶ林(290度)の一枚岩を見る。そのほぼ真後ろ(わずか左奥)には、羅漢山がある。吉和冠山は、手前稜線が盛り上がりを見せる大野権現山(313度)のわずかに右奥である。 吉和冠山の左に寂地山が続く。

羅漢山~吉和冠山のほぼ中間点わずか吉和冠山よりに、すこし尖がった鬼ヶ城山(302度)がある。鬼ヶ城山の左前、一番手前の稜線の向こうに、下勝成山~上勝成山がある。鬼ヶ城山の後ろにも山並を認める。すなわち、左奥は小五郎山、容谷山、右奥は安蔵寺山、右谷山である。

一番手前の稜線の右端、船倉山(白い建物の右上)のほぼ真後ろ(わずか右奥)に、大峯山(328度)がある。 宮島口桟橋の向こうに、野貝原山(336度)がある。

野貝原山の左右奥の山並は、大峯山~阿弥陀山稜線のものであろう。大峯山・・・野貝原山の最奥に、十方山(三角点・・・1328m・・・論所~奥三ツ倉~前三ツ倉)が入るはずだが、今日は見えていないようである(十方山の位置は、野貝原山よりも高い位置にある)。なお、十方山の手前には、小室井山があるが、これも、今日は見えていないようである。

広電阿品(あじな)近くのマンション群(海岸沿い)の右奥に、極楽寺山(359度)がある。 極楽寺山の左奥に、東郷山(357度)が大きい。それらの左、七曲峠の一番奥に、天上山(353度)が頭を出す。その左手前には、679.5mピーク(七曲峠の北)、右手前には、819.2mピーク(東郷山の南西尾根)がある。

極楽寺山の右裾奥に、窓ヶ山~向山が入る。それらの右手前、海岸部には、廿日市木材港が大きい。その右奥に、鈴ヶ峰西~鈴ヶ峰の双耳峰を見る。眼下の宮島町杉ノ浦の向こう側、はつかいち大橋の右側奥にあたる。

鈴ヶ峰西~鈴ヶ峰の間、ずっと奥に堂床山が大きい。鈴ヶ峰西の左に、荒谷山があり、その後ろに海見山が大きい。鈴ヶ峰~大茶臼山~武田山は、鈴ヶ峰右奥に連なる。

-今回は一応ここまで-

弥山直登尾根の赤ペンキ事件を考える

四宮コース(弥山直登尾根)の赤ペンキは、
ただの落書きにすぎない!
りっぱな犯罪行為である!

詳しくは、「宮島を歩く」本文参照。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

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2009年03月07日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

大元谷左岸コース~岩船岳登山口(多々良林道)~岩船岳縦走路(八畳岩から引き返す)~岩船岳登山口(多々良林道)~多々良林道
(出発帰着:宮島桟橋)

2009年03月07日(土)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2009年03月07日)無し
  • 久しぶりの山行で岩船岳に届かず、八畳岩(大川越手前)から引き返す

このページの目次です

はじめに

大元公園~大元谷左岸コース~前峠~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~351m~岩船岳縦走路途中まで(八畳岩)~(引き返す)~先峠(岩船岳縦走路)~岩船岳登山口(多々良林道)~多々良林道~海岸道路(多々良~大元公園)
(出発帰着:宮島桟橋)

久しぶりに外に飛び出す。「安芸国佐伯郡の山々」として、今年も十方山には何回か通うことになるだろう。それ以外では、今年は、まず宮島の登山ルートを地形図に落とし込んでみたいと考えている。ちなみに、今までに、鈴ヶ峰、極楽寺山をほぼ完成させている。宮島同様、いずれも江戸時代佐伯郡の地である。

久しぶりの山行でどこまで歩けるか。成り行きまかせで出かけるが、GPSに電池が入っていないことに気がついた。昨晩遅くに帰ってきて、乾電池を充電器にセットしておいたのをそのままにして出かけてしまった。(単4の乾電池くらい宮島でも売っているだろうに、何の躊躇もせず諦めている)

そんなこんなで、結局はあんまりがんばらず途中から引き返すことにした。それでも実際に現地を歩くと、いろいろな場面に出くわすので面白い。世界遺産の島「厳島」とどのように接するべきなのか、考えさせられる一日となった。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:43-大聖院9:00-水族館9:06-大元公園9:09-右分岐あり9:30-右から小さな沢9:35-前方にコルをみる9:38-小さな沢(左岸から右岸へ)9:40-倒木地帯9:44-小さな沢(左岸から右岸へ)9:54-稜線9:59、10:05-小コブ、すぐに鞍部(前峠)10:08-小尾根上、360度の景観10:14-多々良林道(岩船岳登山口)10:22、10:24-縦走路上(先峠)10:37、10:44-水場(沢)10:52-海軍省標石11:02-陶晴賢碑分岐11:05-展望岩場11:17、11:22-小コブ11:23-391mピーク11:25-八畳岩11:39、12:18-小コブ12:27-小コブ12:29-391m12:34-展望岩場12:38-陶晴賢碑分岐12:46-海軍省標石12:49-水場12:56-先峠13:05、13:09-多々良林道(岩船岳登山口)13:18-多々良13:47、13:55-大元公園14:26-宮島桟橋14:43

注:方位角は、〈磁北〉からの角度を示す

宮島桟橋(26分)大元公園(59分)前峠(14分)岩船岳登山口(13分)先峠、岩船岳縦走路
 小計1時間54分(岩船岳登山口2分を加える)
岩船岳縦走路、先峠(21分)陶晴賢碑分岐(12分)展望岩場(3分)391m(14分)八畳岩
 小計55分(展望岩場5分を加える)
八畳岩(16分)391m(31分)先峠(9分)岩船岳登山口
 小計1時間00分(先峠4分を加える)
岩船岳登山口(29分)多々良(31分)大元公園(17分)宮島桟橋
 小計1時間25分(多々良8分を加える)
総合計5時間21分
 (先峠7分を加える、八畳岩39分を除く)

連絡船の中から

連絡船の中から宮島の左端をみる。宮島最先端の聖崎の左に安芸小富士(似島)があり、同じく似島の203.1mは、聖埼の右側奥になる。似島の後ろに絵下山が連なり、安芸小富士の左奥に明神山、右奥に絵下山、そして、203.1mの右奥に烏帽子岩山をみる。烏帽子岩山の右奥には灰ヶ峰が大きい。それらの右手前には、宮島の山裾向こうに江田島の各ピークをみる。それらの内、見えているのはクマン岳(灰ヶ峰から約7度右)までだろうか。ソフト上は見えるとされる古鷹山(灰ヶ峰から約10度右)が見えるかどうか、少なくとも今日は確認できていない。

参考:約10度の角度とは、片手でVサインを作り、その手を前方に伸ばした時、人差し指と中指でできる角度。

大元公園から登る

宮島桟橋から、大聖院の前まで回り道をして大元公園に至る。途中の宮島水族館は、2011年8月(あと二年半)までリニューアル休館中である。その間動物たちは、全国各地の施設で預かってもらうため、それぞれ旅立っていった。

大元公園に入り大元川左岸に渡る。やがて、「宮島登山道(左矢印)、行き止まり(直進矢印)」の標識がある(この道しるべについては、参照:2008年10月04日山行記)。そのまま左岸を進む。一町、二町の石柱をみながらしっかりとした踏み跡をたどる。

途中で、小さな沢が左手からいくつか落ちてくる。ある時は、いったんその沢を少しさかのぼって行くこともあるが、すぐ元の大きな谷に戻りその左岸を行く。

稜線に登りつくまでには、倒木地帯がいくつかある。今日もそれを越えていくのはわずらわしいなと思いながらそこに至る。しかし、一番難儀をしそうな箇所では、倒木を切り落としたり、踏み越える倒木の上を削って、乗り越えやすくしてあったりと、いろいろ手を加えてある。切り口をみると、作業をしてからそんなに時間は経っていないようである。実際、前回(2008年10月04日)にはなかったことである。

誰が何のために作業をされたのだろうか。今日は、まずはありがたく通らせていただく。

このコースの入り口には、さきほど見たように、「前に進んでも行き止まりですよ」という意味の大きな標識がある。宮島登山道を公式ルート、非公式ルートに分けて考えるとすれば、非公式ルートに入るであろう。行政では非公式ルートには立ち入らないでほしいとしている。しかし、その根拠をきちんと示した上で、一般登山客に周知徹底する措置は何らとられていない。

多々良林道の前後

大元川上部の稜線に達すると、左右に踏み跡がある。右折して前峠山423mに至るものは、ほとんどシダの中に埋まっている。今日は、左折してしばらくゆったりと登り、ほんの小さなコブを越えて前峠(標高310m台)に至る。

踏み跡は、その先に延びているようであるが、ここで右折して多々良林道(岩船岳登山口230m前後)に向けて下る。(前峠付近について、2009年03月20日山行記で少し考察を加える)

多々良林道まで下る途中で小尾根を行く。前方が開けるようになると、先峠山402mが左前方にあり、そのさらに左やや奥の450m台との間に鞍部(先峠340m台、岩船岳縦走路)がみえる。今日はここから多々良林道まで一度下り、林道を横切ってその鞍部まで登りかえすことになる。

右前方には、大野瀬戸の向こうに経小屋山も見えている。多々良林道まで下りきると、簡易舗装道の向こう側に岩船岳登山口がある。道標には、(林道下り)桟橋、(林道上り)奥の院、(林道と交わって)高安が原を経て青海苔浦。

岩船岳登山口から再び登り斜面を行く。最初は水浸しになった緩やかな斜面を行く。やがて、斜面は急になりあえぎながら稜線上(先峠)に達する。なお、この稜線上の地点のことを青海苔浦乗越と称することもあるようだ。

岩船岳縦走路を行く

稜線上(岩船岳縦走路)にはきれいな踏み跡が付いている。左手を行けば、450m台~502mを経て奥の院に至る(2008年10月04日)。今日は右手に行き、351mピークを乗り越えて岩船岳をめざす。

先峠山の南東側斜面をゆったりと巻いて行く。やがて、前方の樹木の向こうに岩船岳の頭を見るようになる。すぐに、岩船岳の左に阿多田島、そして、岩船岳とその右手前の351mピーク(縦走路上)が折り重なる光景が目に飛び込んでくる。

阿多田島204.0mのすぐ左奥には甲島が見える。そして、それらの奥を周防大島が走っている。阿多田島の左ピーク99mのやや右奥に白木山、そして嵩山が、阿多田島の右ピーク100m台のほんのわずか左奥にあって、その右には嘉納山が続いている。なお、阿多田島204.0mのほんのわずか左奥に、大峰(佐多岬半島)も見える位置関係にあるというが、その手前の周防大島と区別して同定することはなかなかむつかしいだろう。

海軍省標石に分岐あり

水場としてホースが引いてある沢を渡る。再び稜線に乗って少し下ると海軍省標石がある。その側には、何やら道しるべが以前よりも増えたような・・・

先峠山・・・多々良林道に至る古い道がある、ということを言っているようである。以前から古い道があるという道しるべがあったように記憶している。なるほど右手に少し踏み込んでみると、右手前(北側)に向けて、先峠山の西斜面を行く形できれいな小道がついている。この道には今日初めて気がついた。

ふと見上げると、目の前に幅広の黄色いテープが巻きつけてある。裏返しになっているようだが、端をめくってみると「きけん立入禁止」と印刷されているのが読み取れる。だれかがいたずらに裏返して巻き付けなおしたのだろうか。帰りに行ってみたい衝動にもかられたが、やはり宮島では、むやみにコース外を歩き回ることは慎むべきだろう。

なお、もしかして、ここから大江浦(西側海岸部)に向けて下る道もあったのかもしれない。地形図では、海岸から途中まで黒破線が延びてきている。

陶晴賢碑(高安が原)分岐

標石から縦走路をそのまま行くと、すぐに陶晴賢碑(高安が原)分岐に至る。ここにも新しく手書きの道標が増えている。近年あまり顧みられることのなかった碑である。再び少しずつ注目され始めたのだろうか。(陶晴賢碑分岐の正確な位置については、参照:2009年03月20日山行記)

海軍省標石からこの分岐までほぼ平坦で、351mピークまでの鞍部(250m台)となっている。宮島の西海岸(多々良や大江浦)からこの乗越を抜け、高安が原(陶晴賢碑)を経て青海苔浦 (東海岸)へ下る古道があったとすれば、この地点こそ青海苔浦乗越と呼ぶにふさわしいであろう。

ここで地形図を改めて確認すると、青海苔浦に下る道(黒点線)は、縦走路上の先峠からそのまま下るようになっている。しかし、少なくとも現在そこに道があるとは思えない。青海苔浦に下るには、陶晴賢碑分岐(標高260m台)を東 ~南向きに下るのが正解である。

八畳岩で大休止(展望岩場を経て、351mピークを越えて行く)

鞍部のゆったりとした道を過ぎるとやがて急登りとなる。その途中に、展望岩場があり、能美島、小黒神島、阿多田島などを見る。 そこからは傾斜は少し緩やかとなり、351mピークのわずか東側を巻いて通り過ぎる。ピークから小コブを乗り越しながら下る。(参照:2009年03月14日山行記 )

八畳岩に至り小休止のつもりが大休止、今日はここまでとして引き返すことにする。対岸の経小屋山などを展望する。

経小屋山が大野瀬戸の向こうに大きい。その左裾奥に傘山がある。経小屋山の右は、傘山~経小屋山間(約13~14度)の倍くらいが見えている。大野権現山は手前の樹木に隠れて、見えるか見えないかの位置と思われる。したがってそのさらに右のおむすび岩は見えないだろう。

経小屋山の右裾奥に、河平連山があり、その右奥に横山908.3mがある。そのさらに右に容谷山、そして鬼ヶ城山(丸い頭、経小屋山から右約10度)が並んでいる。

宮島205mの向こう(傘山の左手)に、大竹の山々、小方行者山、忠四郎山、大鉢山、行者山などが見えているはずであるが、少しかすむ天気ではっきりしない。岩船岳の右裾、一番奥には、蓮華寺山、烏帽子岳、物見ヶ岳(平底の皿の形)、弥山など山口の山々が12度くらいの幅のなかに見えている。

樹間わずかに宇根山(東能美島)の鉄塔を見る。120度。

多々良林道を下り、サル、シカを見る

八畳岩から引き返し、再び351mを乗り越して、先峠から多々良林道(岩船岳登山口)まで下る。ここから再び山道に入る気になれず、多々良林道(簡易舗装道)を海岸(多々良)まで下ることにした。

途中で、一頭のサルが目の前を横切って行った(右手から左手へ)。銀白色でかなり体の大きなサルであった。宮島で野生のサルを見るのは初めてである。

海岸部に近付くと、2~3m幅くらいの道路両側を、高さ180cmくらいの金網が覆っており、そのトンネルの中を行く感じになる。果樹園を守るための金網と思われる。

その金網のトンネルの先に、シカが一頭立ち止ってこちらを見ている。角を生やしたやつである。どうしようかと一瞬考えたが、向こうの方へ歩いていったので、その後を追って歩いた。

ふっと、右の金網の中を見ると、角を生やしたやつがいる。この金網を乗り越えたのかと思ったがそうではなかった。道路上にまだ一頭残っている。そして金網の中をよく見ると、何頭かがしゃがみこんでいる。ウメか何かを植えた土地である。金網のどこかが破れているのだろう。

そういえば、桟橋に着いてシカをあまり見なかった。確か餌やり禁止になったのではなかったろうか。今まで桟橋周辺を徘徊していたシカで、野生に戻ることができるのはどのくらいいるのだろうか。シカの適正な頭数はどの程度なのだろうか。島の生活や植生保護との関係で、 宮島のシカ問題は深刻な検討課題となっている。

海岸道路に出た。広大宮島植物園(広島大学)の名札が樹木にかかっている。道路の真ん中に立ち、ぐるっと見渡しただけで、数種類の種名を読むことができる。ヌルデ、モッコク、エゴノキ、シリブカガシ、クマヤナギ、ヤマモモである。海抜ゼロメートル地帯、台風など大風が吹けば直接塩水をかぶる位置にある。

海岸道路を桟橋まで歩く

海岸通りを歩き、網之浦隧道、大元隧道を通って大元公園まで帰る。この近くまでの山側は広大宮島植物園の土地であり、樹木に名札がかけてある。この名札は、多々良から桟橋とは反対側にある広大植物園までずっと取り付けてある。宮島の照葉樹林が本土のそれとは異なる特異なものであり、しかもよく保存されていることを示している。植物好きにはたまらないコースであろう。

大元公園から水族館前を通って厳島神社手前に至る。大鳥居近くまで潮が引いており、歩いて渡る。(広島港の潮汐表から、7日干潮13:26、潮位140cm -若潮)。

その向こうの道路には人があふれている。真っ直ぐには歩けない。桟橋では、連絡船で次々と人が渡ってきている。宮島の観光客数はここのところ伸びているらしい。この勢いに乗じて、ますます魅力ある宮島になってほしい。入島税徴収がうまく行かなかったのはいかにも残念である。

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宮島のトピックス満載です。
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2009年03月14日

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前峠山~岩船岳登山口(多々良林道)~岩船岳(往路下山)~大川浦分岐~宮島植物実験所
(出発帰着:宮島桟橋)

2009年03月14日(土)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2009年03月14日)
  • 行きは、前峠山を経て岩船岳縦走路へ
    帰りは、大川越から海岸部に下りて海岸沿いを行
    日本モンキーセンターの方々にお会いする
    GPS軌跡欠落(多々良~宮島桟橋)

このページの目次です

はじめに

大元公園~前峠山~前峠~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路) ~351m~大川越~岩船岳~大川越まで戻る~大川浦分岐~海岸部~宮島植物実験所~海岸道路(多々良まで)
(出発帰着:宮島桟橋)

先週は岩船岳(466.6m)をめざしたが、あまり足が動かず、先峠(標高340m台)から351mは越えたものの大川越(標高230m台)までは至らず、手前の八畳岩(標高300m台)から引き返した。

そこで今週も岩船岳である。今日は岩船岳からその先の御床山(標高364m)まで行き、そこから海岸部へ下りるつもりだった。しかし、出だしの大元公園から余分な山 (前峠山423m)に登ってしまい疲労困憊する。やっとたどりついた岩船岳からそのまま引き返し、大川越(標高230m台)から海岸部へ下る。

海岸部で、「宮島のサル」を研究している方々とごいっしょになった。週に1回くらいのペースで宮島に渡っていらっしゃるようである。宮島のコースその他について非常に詳しい。いろいろとお教えいただき大いに勉強になった。

「宮島のサル」目撃情報がほしいそうです
連絡先:日本モンキーセンター 加藤章 さん
kato@j-monkey.jp
(担当者変更あり、2013/05/13書き換え)

今日のコースタイム

宮島桟橋(18分)大元公園(1時間01分)前峠山(25分)前峠(12分)岩船岳登山口(13分)先峠、岩船岳縦走路
 小計2時間16分(前峠山5分、岩船岳登山口2分を加える)
岩船岳縦走路、先峠(15分)陶晴賢碑分岐(11分)展望岩場(5分)391m(12分)八畳岩(7分)大川越
 小計57分(陶晴賢碑分岐1分、展望岩場6分を加える)
大川越(10分)展望(28分)東峰(11分)岩船岳
 小計55分(展望6分を加える)
「宮島桟橋~岩船岳まで」4時間13分(先峠3分、大川越2分を加える)

岩船岳(10分)東峰(18分)展望(10分)大川越
 小計38分
大川越(35分)大川浦分岐(45分)宮島植物実験所(18分)多々良
 小計1時間58分(大川浦分岐5分、ロスタイム15分を加える)
「岩船岳~多々良まで」2時間39分(大川越3分を加える)
(宮島桟橋までは、さらに50分程度かかる)

総合計6時間52分(岩船岳54分を除く)

注:方位角は、〈磁北〉からの角度を示す

GPSに記憶させたトレース(通過時刻も含む)を引っ張り出したいのだけれども、この前パソコンを入れ替えたら、そのノートパソコンにはRS232C端子がついていない。普通 、ノートにはつかないか。そんなことは一度も考えず衝動買いしてしまった。元のデスクトップは、不調のせいかどうか分からないがデータ転送ができなくなっていた。何せ今年初めての作業なので、いつどこでどうしてダメになったのかさっぱりわからない。いずれにしても「いいよネット」 (GPS等通信販売店)で調べて対処しなければ・・・。

宮島桟橋8:30-大元公園8:48-分岐8:54-ちょっと平9:16-左折9:21 (標高250mくらい)-9:34展望(標高330mくらい、経小屋山~大鳥居)-小コブ9:42-前峠山(標高423m)9:49、9:54-平10:04-道迷い10:08 、10:10-大元左岸道合流10:17-鞍部(前峠)10:19-多々良林道(岩船岳登山口)10:31、10:33-縦走路上(先峠) 10:46、10:49-水場(沢)10:57-稜線に乗る11:00-海軍省標石11:02-陶晴賢碑分岐11:04、11:05-右分岐あり11:08-登る11:10-展望岩場11:16、11:22-小コブ11:23-391mピーク11: 27-小コブ11:28-小コブ11:31-コブ11:37-八畳岩(標高300m台コブ)11:39-大川越(標高240m前後)11:46 、11:48-展望11:58、12:04-小コブ12:15-小コブ12:19- 東峰(標高460m台)12:32-ピーク(標高460m台)12:38-岩船岳(標高466.6m)12:43、13:37-東峰13:47-海軍省標石14:01-展望14:05-コブ14:13-大川越14:15 、14:18-右岸→左岸14:40-右岸→左岸(もう1本)14:42-左岸→右岸(渡り返す)14:51-大川浦分岐14: 53、14:58-入り江15:08、15:11-ブドウ園跡付近探索(15:13、15:20)-右分岐ルート探索(15:40、15:48)-砲台分岐 (左へ)15:52-室浜砲台跡15:54-宮島植物実験所15:58- 多々良川16:15-多々良林道分岐手前16:16

前峠山に登る

今日も大元公園から山に入る。大元川左岸に渡り沢沿いをさかのぼる。ところが何だかおかしい。堰堤のそばを通ることなく、道は山のかなり上を行っている。

道を間違えたらしい。大元川左岸沿いのコースの右隣に入りこんだようだ。これは前峠山423m(大元谷左岸尾根)に登る道だろう。そう気づいたものの引き返す気にならず、初めてのコースを上へ上へと登る。

やがて大元谷左岸尾根に出る。尾根のやや下を巻き気味に行く箇所もあるが、しっかりとした踏み跡がついている。所々で振り返ると、主に大野瀬戸側の展望が開け、宮島大鳥居を見下ろすこともできる。

今日、本来通るつもりだった道は左手の谷底近くにある。そしてその谷の向こうには、駒ヶ林から北へ流れ落ちる尾根(大元谷右岸尾根)が見えている。そんなこんなを観察しながら、特に問題なく約420mを登りきる。

今日の第一通過点は、前峠(330m台)である。前峠山は、その途中右手に膨らんだ地点にあり、しかもすでに100mも登りすぎている。何はともあれ、ここから一旦前峠まで下りなければならない。

前峠山山頂には、左約90度の角度に曲がって踏み跡がある。痕跡としか言いようがないシダの小道に踏み込むと、すぐ急坂になり、一気にずり落ちる。

途中でルートが分からなくなった。正面の駒ヶ林がやや右手に見える。左に寄りすぎたようだ。元の位置まで引き返し、やや右手に踏み跡を見つけて下る。 (10:12、右前方、先峠山の右後ろに岩船岳)

傾斜がゆるやかになり、310m台鞍部付近で、左手に今日ほんとうは登ってきたかった大元川左岸コースを分け、ほんのしばらく緩やかに登ると、右手に多々良林道(岩船岳登山口)に下りる小路がある。

ここが前峠(標高330m台)である。今日とは逆に、前峠~前峠山を登るのはほんとうにしんどいだろう。 (前峠付近について、2009年03月20日山行記で少し考察を加える)

前峠山は宮島公式登山道3本には入っていない。非公式ルートということになる。はからずも通ってしまったが、以上簡単に記しておくこととする。

岩船岳縦走路を行く

多々良林道(岩船岳登山口)まで下って登り返し、先峠(岩船岳縦走路)に至る。そこから先峠山の東側斜面を巻きながら下り、やがて稜線上を行くようになる。なおも少し下ってほんの少し登ると、左手に陶晴賢碑分岐がある。 (陶晴賢碑分岐の正確な位置については、参照:2009年03月20日山行記)

そこから351mに向けて登る。急傾斜をよじ登ると展望岩がある。そこからは傾斜は少し緩やかとなり、351mは右手に見ながら通り過ぎ、下りにかかる。多少のコブはあるものの、展望の良い八畳岩 (標高300m台)を越え、大川越に至る。ここまでは、前峠山で疲れた足を休めながら順調であった(11:32、前方樹間わずかに岩船岳)。(参照:2009年03月07日山行記 )

岩船岳を登る

大川越から調子がおかしくなった。それでも「振り返れば展望」、海軍省標石までは何とかなっていた。しかし、その後はいけない。登ってはやや平坦という感じを繰り返すコースを、あえぎあえぎ、休み休みしながら行く。なかなか岩船岳手前の東峰が来ない。5回6回と同じことを繰り返し、やっと東峰にたどり着く。ここでギブアップと思いもしたが、岩船岳の方から人の声が聞こえてきて、行ってみる気になる。途中のコブを越えて岩船岳山頂に何とかたどり着く。

岩船岳にて

やや左手前方に岩場があり展望が良い。先客がいらした。男性3人組である。話によれば、宮島桟橋8時、岩船岳12時でちょうど4時間、しかも、前峠山コースである。さらに陶碑にも寄ってきたという。碑の往復には20分程度かかるのではないだろうか。すると、寄り道を除いて前峠山コース~岩船岳3時間40分くらいか。そして、帰りのコースは奥の院から弥山のようである。恐るべき健脚。

なお、いつの間にか手がかじかんでいる。白いものがちらつく中で気温はかなり低いようだ。それにしては汗をかく。ただし、水分摂取量はそれ程多くはない。

岩船岳からの展望

一番右、すぐ手前の山並みの向こうに、忠四郎山、大鉢山など。それらの左懐に小方行者山。それらの左奥一番高いのは、金峰山(みたけさん)789.9mか。小瀬川(岩国・大竹の境)河口の向こうの三角錐は、欽明路トンネル南東のピーク524.5m。小瀬川のこちら側は大竹の町、その奥に、蓮華山、烏帽子岳、物見ヶ岳が並ぶ。蓮華山の左奥、小瀬川の向こうに、虎ヶ岳~烏帽子岳~茶臼山がはっきりと見える。

手前241m(宮島)の向こう左奥に、高照寺山(鉄塔群)を見る。高照寺山の右奥にも山並みを認める。241mの真後ろには、条件さえよければ由布岳など大分の山々を見ることができるかもしれない。

岩国の錦川が2本に別れて海に流れ込み中州を作る。その最先端に米軍岩国基地の滑走路を見る。その向こうに銭壺山など。11:21~11:22に351m手前の展望岩場で雲の上に轟音、岩国基地の訓練飛行機か。宮島の動植物などに影響がでなければよいが。

阿多田島~岩国基地間の向こうに、周防大島の嵩山~嘉納山~文殊山。その周防大島は、阿多田島の左奥まで延びている。さらにその奥に、佐多岬半島が阿多田島の右奥まで延びているはずだが、今日はわからない。それらが手前の小島の数々と重なり、同定はなかなかむつかしい。柱島が、阿多田島の左端99mと猪子島の間の向こうに見える。甲島は、阿多田島の右端100m台のやや右奥である。

大黒神島の左奥に、東能美島があり、そのさらに奥は倉橋島である。倉橋島の岳浦山は大黒神島の左ピーク440mのほぼ真後ろ、そして、後火山~倉橋火山は、その左約10度の位置で、東能美島の向こうに頭をしっかりと出している。陀峯山(東能美島)は、そのすぐ左手前である。

これらの一番奥には四国の山々が高くはっきりと見える位置にあるが、実際に見る機会はなかなかないであろう。ちなみに、石鎚山は、後火山のほぼ真後ろにあたる。

参考:約10度の角度とは、片手でVサインを作り、その手を前方に伸ばした時、人差し指と中指でできる角度。

小黒神島の向こうには、西能美島が大きい。小黒神島の左奥で、西能美島がややへこんだ部分に、山並みが見えている。七国見山である。ひょっとするとそのすぐ左奥に大崎下島も見えるのかもしれない。それらの左、西能美島の平たい部分の向こうに休山。

西能美島の左裾奥を見る。烏帽子岩山など海岸部の山並みが最前列にある。その右奥に灰ヶ峰が尖がり、さらに右奥には膳棚山(野呂山)。灰ヶ峰と膳棚山の間、手前は江田島(古鷹山)。

東峰の左にも少し山並みが見えるが、かすむ天気ではっきりしない。

大川越~海岸部へ

今日一番最初に考えていた予定では、岩船岳から御床山(標高364m)まで行き、そのさらにちょっと先から砲台跡 (地形図標高230m表示付近)を見下ろして確認した後、御床山から海岸部に下りるつもりだった。しかし体力に自信が持てなくて、元来た道を引き返す。そして、大川越から海岸部へ下りた。

なお、御床山の向こうの砲台跡まで、海岸から道が付けられたという情報を後ほど得ることになる。ただし迷いやすいとも教えていただいた。

さて、大川越からすぐは急下るが、やがてゆったりとしたコースになり、川の右岸を行く。途中で2本の小さな川を右岸から左岸に渡り、後に左岸に渡り返す。海岸近くの平坦部に分岐点がある。 全体的に特別通行困難な箇所はない。

分岐点で立ち休憩をしていると、御床浦方面の林の中から、男性3人組が現れた。もちろん、岩船岳でお会いした方々ではない。その方たちに、岩船岳~御床山から海岸部に下りたのかと思って尋ねると、船で海岸 (あての木浦)に降ろしてもらったのだという。ずいぶん粋な遊び方があるものだと思ったのだが、その方たちは休まず植物実験所の方(宮島桟橋方向)に向かわれたので、その時はそのまま別れた。

海岸部を行く

宮島桟橋~岩船岳は健脚向けのコースである。もしも帰りでバテた場合、今日のように海岸部に下りればエスケープ道になるかと言えば、決してそうではない。海岸沿いの道は、幾度となく小さな峠を越えてゆく。これがかなりきつい。 それはともかく、岩船岳で仲間がバテて難儀したとは、時々聞く話である。

以前の山行で、(御床浦からの海岸沿いの道は)弥山にもう一度登るくらいタフなコースという意味のことを書いた記憶がある。岩船岳の帰りで一番楽をしようと思えば、351mをがまんして越えて多々良林道まで下り、そこから多々良経由で海岸通りを行くのがよい。

さて、分岐から北向きに行くと、電線がまっすぐ山の中に伸びており、その下によい道がついている。植物実験所(室浜砲台跡)まで幾度となくこのような小さな峠を越えて行かなければならない。なお、道に沿って電線が付けられているので目印になると、後で件の男性に教えていただいた。(15:01、振り返ると岩船岳)

途中で男性陣に追いつき、サルを見なかったかと尋ねられた。ちょうど1週間前に多々良林道を横切るところを見たと答える。日本モンキーセンター(愛知県犬山市)の方々だった。

すぐの入り江で右岸に渡り、東向きに踏み込んでみる。ブドウ園の跡だという巨大な金網の檻がまっすぐに続いている。その横に付けられた道がずっと向こうまで続いているようだ。東向きに延びる地形図黒点線だろうか。恥ずかしながら、コンパスを当てている時に、現在位置を取り違えていたようだ。

ブドウ園跡から引き返して右折、再び海岸沿いを行く。とはいっても道は海岸線よりもかなり高い位置についている。

植物実験所(室浜砲台跡)手前で、ピンクの道しるべがひらひらしている右の方に踏み込む。どうも山に向かっているようだ。分岐点の左前方に良い道が付いているのをチェックしてあったので、引き返して確認しようとしていると、再び男性陣にお会いした。

ピンクの道しるべが正しく、左に行く道は海岸に下りるという。干潮の時通れないことはないが、くるぶし辺りまで砂に埋まってしまうので歩きにくいとも。何度が通った道ではあるが、記憶は当てにならないものである。ピンクのひらひらを行くとすぐに左へ折れて、再び海岸沿いの道になった。

なお、ここまでの道々シダがきれいに刈ってあった。山の会の人たちがボランティアでつい最近作業をされたばかりだという。その前は膝までのシダで雨が降った後などびしょぬれになってしまったことがあるという。

室浜砲台跡から植物実験所前を通り、多々良から大元~宮島桟橋まで、簡易舗装の海岸通りを歩くつもりだった。しかし、多々良林道分岐手前まできたとき、男性陣がレンタカーで追いつき、声がかかって宮島桟橋まで同乗させていただいた。

「宮島のサル」研究がうまくいきますように。

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『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

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2009年04月11日

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ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

宮島自然植物実験所~長浦~あての木浦(往復)
(出発帰着:宮島桟橋)

2009年04月11日(土)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2009年04月11日)
  • 宮島最南端部まで西海岸沿いの山道を行く、御床浦から先は初めての経験である
    帰途、眼鏡を落としてさあ大変

  • 宮島自然植物実験所〜御床浦〜あての木浦(2014/11/23)
    この地域の決定版は、2014年11月23日山行記です。今日(2009/04/11)の山行記も含めて、下記各山行記中の不明瞭(不正確)な点を訂正しながらまとめています。コース概況(GPSルート図リンク)もあります。
  • 宮島の西海岸のまとめ、写真あり(2013/06/23、5/23)
  • 西海岸沿いの山道まとめ、写真あり(2013/05/23)
  • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す(2009/05/04)
  • 西海岸沿いの山道探索
    (2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02)

このページの目次です

はじめに

大元公園~多々良~宮島自然植物実験所~室浜砲台跡~大川浦~御床浦~長浦~あての木浦、往復(出発帰着:宮島桟橋)

宮島には砲台跡が二つある。室浜砲台跡(西海岸)と鷹ノ巣浦砲台跡(東海岸)である。宮島桟橋から左右へ延びるりっぱな海岸道路は、明治期にこれらの砲台のために作られたものである。宮島は、軍都広島(および呉軍港)の防衛線としての役割を期待されていたのである。

宮島の南部には、太平洋戦争中に高射砲陣地も作られている。岩船岳466.6m~御床山364mの尾根をさらに南西に下った230m台付近にある砲台跡がそれである。

私は、この砲台跡探索のため岩船岳~御床山には丸三年がかりで5回くらいかよったことがある。そして、2005年3月19日、ついに砲台跡に到達した。なお、この砲台跡については、旧宮島町でも把握していなかったという。

参考:
宮島南部の砲台跡⇒実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
(中国新聞記事、2011年1月12日付)

さて、今日は海岸部(あての木浦)から、この砲台跡に取付いてみようと試みた。今年2009年になって、御床浦~あての木浦に踏み跡があること、そして、海岸部~砲台跡が再び開かれた(数十年前の大火以来)、という情報を得たからである。

とするならば、砲台跡までずっと尾根伝いに行くよりも、海岸部を行って、そこから少し登る方が楽だろうと考えたのである。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:01-大元公園8:19-多々良8:46-休憩8:51、8:57-宮島自然植物実験所9:13-岬をまわる(9:13、9:27、9:34、9:36、9:42・・・)-岩船岳をみる9:43-川渡る9:49-峠9:52-(ヒトに会う)-大川浦10:01、10:08-川10:37-沢10:47-沢の上10:53-巨大敷地にそってここまで来る-分岐?10:58-急な登り終わる11:03-分岐 (御床山分岐?、地形図黒破線と交わる)11:06-沢11:08-右分岐あり11:12-(直進したのち引き返す)-先ほどの分岐左折11:25-庭園風の廃屋11:30-小コブ11:32-沢の右岸沿いに下る11:36-ピーク、海のそば11:46-長浦の海岸11:55-あての木浦12:01、12:51-230m台探索12:53、13:03-長浦の海岸13:07 -(右折13:12・・・14:18)・・・・・庭園風の廃屋15:08-沢16:35-大川浦16:38、16:49-休憩17:22、17:27-左折 すると砲台跡を直進17:34-分岐左折17:37-分岐右折17:39-宮島自然植物実験所17:40-多々良18:00-大元公園18:23-宮島桟橋18:37

宮島桟橋(1時間12分)宮島植物実験所(48分)大川浦(1時間47分)あての木浦
 小計3時間47分(その他探索13分を含まず)
あての木浦(3時間37分)大川浦(51分)宮島植物実験所(57分)宮島桟橋
 小計5時間46分(230m台探索10分、大川浦11分を加える)
総行動時間9時間46分
 (行きのその他探索13分を含む、あての木浦50分を除く)

大川浦分岐手前でヒトに会う

大川浦分岐(宮島植物実験所の先)では、海岸部を行く踏み跡と、岩船岳縦走路上の大川越(標高240m前後)から、川に沿って北西に下ってくる踏み跡が接している。その位置は、両方の二万五千分1地形図黒破線が接するところのやや南側である。ただし、川の右岸からは北側に少し離れた地点である。

さて、宮島自然植物実験所から海岸部を南向きに行く場合には、大川浦分岐の手前にもう一本の川(別の黒破線の近く)があり、そのさらにすぐ手前の岬から、初めて岩船岳を望むことができる。

そして、これら2本の川の間には、標高30mくらいの小さな峠が二つある。峠と峠の間にもほんの小さな沢がある。

要するに、岩船岳を初めて見た後で川を渡り、峠を二つ越えると大川浦分岐である。そして、そこから大川越経由で岩船岳に登ることができる。大川浦分岐にも大川越にも道標がある。

今日は、この最初の峠で一人の男性に出会った。岩船岳から下りてくるにしては時間が早すぎるかなと思ってたずねると、岩船岳への取りつきがわからなくてさがしているという。

あれが岩船岳です、と答えると、手にしている二万五千の拡大コピーをみせてくれる。見るとピンクのカラーペンでルートを記している。今ここだから、もう少し先ですね、と答える。道標があったはずですが、とたずねると見ていないようである。いずれにしても、岩船岳に行くのならば、もう一度引き返す以外にない。私よりも先に勢いよく坂道を下って行かれた。

すぐ下の沢で追いつく。さっきはここまでしか来なかったようだ。大川浦分岐は峠をもう一つ越えなければならない。しかし、地形図をみて少し躊躇していらっしゃるようだ。お先に失礼して大川浦で少し休憩したが、追いついては来られなかった 。

御床浦を抜ける

大川浦分岐から南向きにやぶへ踏み込み、川を越えてゆく。ここから御床浦を抜けるまでがちょっと厳しい。GPS信号が「信号弱」となるような樹林帯と、海岸部(標高20mくらい)の開けた踏み跡が繰り返し続く。後で確認すると、GPS軌跡がみだれている。

御床浦を過ぎて、須屋浦手前の入り江の右岸をゆく。ここでは、少し内陸部に巨大な果樹園?跡があり、それに沿っていく。いずれにしても踏み跡を追ってゆくことになる。途中で、御床山に向かう踏み跡らしきものがある。ちょうど地形図黒破線と交わる位置である。

そしてさらに、長浦手前の峠から流れる川(地形図表示あり、そばに黒破線もあり)の右岸をゆく。しかし、川はみえない。そのまま進むと御床山の方角の沢沿いに行くことになる。長いパイプが設置してある。上流から水を引いてきているのだろうか。

ここまで行くと行き過ぎである。少し引き返し、標高30mくらいの地点で左折(御床浦からみると右折)して峠をめざす。まがってすぐに庭園風の廃屋がある。敷地内は芝を敷いたようにきれいである。その中に背の低いマツが幾本か植わっている。シカが地面の草を食べてしまったのだろう。

その後も踏み跡を追って、無事"あての木浦"に着く。左前方には可部島がある。40数年前に見た光景そのものである。浜には誰もいない。終日晴れ予報、快晴の天気の中で少し強めの海風をうけながら昼食。

砲台跡に向けて、ちょっとだけ踏み込んでみる

あての木浦に着いて昼食後、230m台~御床山の尾根に向けて踏み跡を少し探索してみた。取りつきはよい道である。しかし、上記情報提供者から「2時間かかった」という話は聞いたけれども、それが230m台付近まで2時間かかるのか、あるいは岩船岳466.6mまで2時間で行けたのか、はっきりしたことを確認しないままであった。

今日は、出発がそれほど早くもなく、あまり心に余裕がない。引き返すことにする。

帰途、眼鏡をなくす

長浦まで戻り、少し早めに右折して東向きに踏み込んでしまった。道がない。廃屋の踏み跡につられたらしい。少しあわててルートを探索している時、肩までのシダの中で足を取られて引っくり返った。

そして眼鏡を飛ばした・・・
さあ大変だ・・・
視力0.01で何もみえない。

メガネを見つけることができず、あきらめて前に踏み出す。地図とコンパスで前方の鞍部を見据えて、シダの中をもがく。やっとの思いで踏み跡を見つける。結局20分くらいの距離のところを約2時間かかったことになる。

しかし、踏み跡にたどり着いたからといって、そこから先もけっして楽ではない。何せ、行きの大川浦~御床浦では、GPS軌跡の信号が幾度となく「信号弱」になるような樹林帯である。眼鏡なしでは、目をこらしても踏み跡は浮かんでこない。

それでも、何とか明るいうちに大川浦まで帰りつき、さらに宮島自然植物実験所までを歩ききった。後は宮島桟橋まで舗装道を6.5kmくらい行くのみである。多少の起伏はあるもののパワーウォーキングでぶっ飛ばす。

天候と体調をみながら、今度こそ、あての木浦~砲台跡~御床山を歩いてみたいものである。その後は、御床山から御床浦に下りてもよし、岩船岳まで登って縦走路を帰ってもよしである。

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2009年04月26日

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紅葉谷コース~弥山~大元公園コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2009年04月26日(日)、単独

このページの目次です

はじめに

先日2009年04月11日(土)は宮島西南端部で少し苦労をした。そのすぐ後で、季節はずれの大風邪を引いてしまった。また、歯の治療もしたので翌週の山行はお休みにした。今日は、心と体のリハビリを兼ねて、紅葉谷コースと大元公園コース(先日GPS軌跡取れず)をゆったりと登り下りしてみた。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:00-紅葉谷橋8:12-奥紅葉谷橋8:26-紅葉谷川庭園砂防案内図8:29-道標(弥山山頂2.3km)、瀬戸内海国立公園(宮島)遊歩道、登山道案内図8:31-三丁8:34-道標(弥山山頂2.2km)8:35-三号堰堤8:37-四丁8:37-四号堰堤8:38-道標(弥山山頂2.0km)8:40-弥山9:45-道標(弥山山頂1.9km)8:43-七号堰堤8:45-八号堰堤8:48-道標(弥山山頂1.7km)8:50-海軍省標石(第68号)8:50-道標(弥山山頂1.6km)8:53-九号堰堤8:55-道標(弥山山頂1.5km)8:56-十号堰堤、道標(弥山山頂1.4km)8:59-十一号堰堤、道標(弥山山頂1.3km)9:02-十二号堰堤、道標(弥山山頂1.2km)9:04-十三号堰堤、道標(弥山山頂1.1km)9:15-道標(弥山山頂1.2km)9:18-十四号堰堤9:19-沢渡る9:23-道標(弥山山頂0.8km)9:23-紅葉谷分岐、道標(弥山山頂0.7km)9:26-弥山本堂9:37-三鬼堂9:38-二十二丁9:39-文殊堂、観音堂9:41-二十四丁9:44-弥山山頂9:45、10:28-干満岩10:30-大日堂10:32-大日堂下10:34-二十一丁10:34-御山神社分岐10:38-十九丁10:41-十六丁10:41-仁王門跡10:43-駒ヶ林分岐10:50-二十丁10:51-十九丁10:53-岩谷大師分岐10:58-(岩谷大師往復)-大断崖11:02-十七丁11:04-十六丁11:08-十五丁11:10-十四丁11:13-海軍省標石(第66号?)11;18-十二丁11:19-十一丁11:21-九丁11:27-八丁11:28-大岩11:30-七丁11:31-六丁11:34-五丁11:37-四丁11:39-大元公園上部東屋11:45-11:59-海岸道路12:08-宮島桟橋12:28

宮島桟橋(26分)奥紅葉谷橋(60分)紅葉谷分岐(11分)弥山本堂(8分)弥山
 小計1時間45分
弥山(15分)仁王門跡(1時間02分)大元公園上部東屋(9分)海岸道路(20分)宮島桟橋
 小計2時間00分(大元公園14分を加える)
総合計3時間45分(弥山43分を加えず)

紅葉谷コース(公式ルート)を登る

1945年9月(昭和20年)の枕崎台風のとき、紅葉谷川上流部では大崩落がおきて土石流が厳島神社境内まで流れ下った。

「瀬戸内海国立公園(宮島)紅葉谷川庭園砂防案内図(特別史跡・特別名勝厳島災害復旧工事)」案内板:平成8年3月広島県(コース始点近くに設置)によると、

災害復旧工事は、1948年(昭和23年)から3か年計画で進められ、工事を施工するにあたっては、「史跡名勝地の現状を継承し、しかも再びこのような災害を受けないような工法」が取られている。つまり、「施工に当たっては現地の材料を使い、樹木は切らず、コンクリート面は目にふれないようにするなど、特に自然景観との調和に重点」をおいたという。

紅葉谷川には数多くの堰堤が築かれている。各堰堤のそばには、それぞれ第○○号堰堤という標柱が建っており、第十四号堰堤まで確認できる。逆に、 かつては山頂までの目安になっていたであろう石柱は、三丁、四丁しか見ることができない。それより上流部のものは流されてしまったのかもしれない。

紅葉谷コースの道標は、「紅葉谷0.3km、弥山山頂2.2km」という形式で、ほぼ100m置きに設置されている。ロープウェイ獅子岩駅~弥山山頂コースと合流する鞍部で、「紅葉谷1.8km、弥山山頂0.7km、獅子岩駅0.3km」となる。

つまり、その鞍部から弥山山頂まで0.7kmあるので、各道標の弥山山頂○○kmから0.7km引いたものが鞍部までの距離ということになる。鞍部まで登れば一段落ではあるけれども、そこから弥山山頂までも登りの連続である。余力を残しておかないと後がきつい。

弥山展望

風が強く、ロープウェイ運休の可能性があるというアナウンスが流れているようである。山側よりも海側の方が見通しが良い。

以下、島の名前は、島ガイド「しまっぷ」(第六管区海上保安本部海洋情報部>>瀬戸内海・宇和海の安全情報>>その他>>しまっぷ)から引用。

ロープウェイ獅子岩駅の方角、大奈佐美島(おおなさびしま)の向こうに江田島(えたしま)のクマン岳399.8m、古鷹山392m、263mがある。そして、江田島263mの右手前に西能美島(のうみじま)が大きい。

クマン岳は大奈佐美島の真後ろ、古鷹山は大奈佐美島の右端奥である。古鷹山~263mの向こうに海をみて、そのさらに奥は、呉の山々(休山500.9m~三峰山380.4m)である。休山は江田島263mの左奥、三峰山は同263mの右奥になる。

江田島263mの方角、休山~三峰山のほぼ中間点奥に、上蒲刈島(かみかまがりしま)の420.8m、七国見山457.0mがある。七国見山は、江田島263mのわずか右奥にはっきりと見えている。しかし、江田島263mのわずか左奥に見えるはずの420.8mは分からない。

西能美島の左端のピーク376.4mの真後ろから右にかけての方角、三峰山の右山裾に小さな頭が二つ出ている。下蒲刈島(しもかまがりしま)の最南端部(190m台~130.3m)である。

それらの右、西能美島の奥にも海を認める。見えている島は、斎島(いつきしま)、上黒島(かみぐろしま)あたりであろう。その向こうにもうっすらと山並みが確認できる。四国の島々である。赤石山系あたりと思われるが、同定までには至らない。

  • – – –

平坦にみえる西能美島の二つの尾根は、右端の宇根山542.0m(野登呂山)でいっしょになり一段高くなる。宇根山の右裾奥には、陸続きの東能美島(のうみじま)がある。

そして、東能美島の奥には倉橋島(くらはしじま)が広がっている。また、西能美島の右手前に小黒神島(こくろかみしま)があり、小黒神島の右奥、倉橋島の右先端部手前に大黒神島(おおぐろかみしま)がある。もう少しくわしくみてみよう。

東能美島(陀峯山438m~323.6m)が、西能美島右裾と小黒神島の間にみえている。そして、西能美島右裾と陀峯山の間に、倉橋島(245.4m~432.3m~後火山455.8m)が入る。なお、倉橋火山408mは、陀峯山のほぼ真後ろ、ほんのわずか左奥に見えるはず(一度見たことがある)だが、両者の標高からみて微妙な位置関係のようだ。

東能美島の陀峯山438mと323.6mの間の方角、倉橋島の向こうにもうっすらと山並みを認める。睦月島(むづきじま-愛媛県)218.2m、中島(なかじま-愛媛県)の泰ノ山289.2mである(中島の大黒山296.2mは見えない)。

倉橋島は小黒神島の右奥の方角にも広がり、その右先端部は大黒神島の向こうに消える。岳浦山491.1m(倉橋島)は、小黒神島のほんのわずか右奥となる。

わずかに重なり合って見える倉橋島と大黒神島の間、つまり大黒神島の左奥に海をみる。怒和島(ぬわじま-愛媛県)の二つのピーク(205.6mと169mまるい頭)が見える。

大黒神島の右奥に柱島(はしらじま-山口県)があり、その周りの島々もよく見えている。さらにそのずっと右には、阿多田島(あただじま)があり、その右奥は、周防大島(すおうおおしま-山口県)の嵩山~嘉納山~文殊山である。そして、周防大島は、そこから、大黒神島と柱島の間まで延びているのがよく分かる。

大元公園コース(公式ルート)を下る

大元公園コースに向けて下りにかかる。小さな男の子二人を歩かせながらご夫婦が下っている。干満岩の手前で、「登りと違うな」というつぶやきが聞こえる。登りは霊火堂(消えずの火)の右手から来たのだろう。風が強く、ロープウェイは先ほどから運行停止になっている(山頂売店での話)。ご存じだったのだろうか。無事下りることができただろうか。

駒ヶ林には寄り道をせず、そのまま真っ直ぐに下った。この階段の多いコースを登る人がいるのかと思っていたが、案外と多くの人が登ってくるので少しびっくりした。 いつもより早い時間に下ったので、登ってくる人とすれ違うケースが多かったのだろう。

駒ヶ林の西側コルで、コース隣の490m台ピークから、一人の男性が岩場を飛び降りてきた。その向こうの前峠には、駒ヶ林という小さな道しるべがあるので、そこから踏み跡をたどってきたのだろうか。

紅葉谷コース、大元公園コースともに「天然記念物 弥山原生林」の核心部分を通っている。濃い樹林帯の中を行くコースである。

紅葉谷では、GPS信号が弱のまま登っていたようだ。帰宅してパソコンに転送してみると、やはり軌跡がみだれており使い物にならない。大元公園への下りでは、画面のコントラストを強くして、信号弱の表示にきちんと対応するようにした。ほぼ完璧な軌跡を取ることができた。

大元公園コースは、下るにつれて大元川の右岸近くを 行くようになる。そして、大元橋で左岸に渡ったところ(標高30m台)が、大元公園コース、大元谷左岸コース(前峠を経て、岩船岳登山口-多々良林道に至る)、そして前峠山への分岐点となっている(くわしくは、2009年03月28日山行記、大元公園内のルート分岐参照)。

初めて岩谷大師に寄ってみた。なにはともあれ、平穏無事な山行に感謝

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

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細見谷渓畔林と十方山林道

2008年(平成20)の活動記録

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ひろしま百山(私の踏み跡)>> 細見谷渓畔林と十方山林道 >>「創立20周年記念誌(草稿)

緑資源機構は解体されたけれど
- 新たに「山のみち地域づくり交付金」創設 -

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緑資源機構は廃止されたけれど

それでも大規模林道工事は残った

独立行政法人「緑資源機構」(農林水産省所管)は、本年3月31日付けをもって廃止されました。ついに、緑資源幹線林道事業(いわゆる大規模林道)廃止かと思われたのですが、何のことはありません。旧機構の業務の大半は、林野庁所管の独立行政法人「森林総合研究所」の一部門として、「森林農地整備センター」と名称変更の上で存続することになりました。建物(現住所)職員のほとんどがそっくりそのまま引き継がれたようです。

大規模林道工事は、今後は道県(北海道および該当県)に事業が移管され、事業を継続すべきかどうかについては、道県ごとの判断にゆだねられることになります。

つまり「緑資源幹線林道事業については、独立行政法人の事業としては廃止し、来年度から地方公共団体の判断により必要な区間について補助事業により実施する」ことになりました。

そのため国は、幹線林道の整備に限った補助制度として、新たに「山のみち地域づくり交付金」を創設しました。つまり従来どおり、全体のほぼ7割を国から補助する仕組みを残しています。

広島県はどう対応する?(判断の先送り)

広島県当局の判断の推移を中国新聞記事で追ってみましょう。まず、7月31日付け記事では、細見谷林道の中止要望書を提出(7/30)した市民団体(森水の会を含む)に対して、「九月末までに緑資源機構が継続中か未着工だった細見谷を含む三路線五区間について、事業を引き継ぐかどうか判断したい」としていました。

9月12日付け記事でも、「判断材料となる資料を収集中で、今月末をめどに事業継続の是非を決めたい」となっていました。しかし、9月27日付け記事では、「来年度予算案の編成時をめどに方向性を出したい」として、翌年2009年2月に判断を先送りしています。しかし結局は、翌2009年度予算が計上されることはありませんでした。

中国新聞「社説」(2008年9月22日付け)は、「細見谷の林道計画」と題して「今のまま進めていいか」と疑問を呈し、「最も効果的な税金の使い道を地域が決めることができるよう、林業分野でも国から地方への財源の移譲が急がれる」と結んでいます。

森と水と土を考える会の活動

写真展(パート2)「すばらしき西中国山地・細見谷」

2005年(平成17)以来の写真展開催(9/1~7)です。14人の方の写真や絵画合わせて200点以上を展示しました。ビデオもお二人から提供していただきました。新聞各紙、テレビ各局で取り上げられ、入場者数2,000人近くに及びました。中国新聞記事(2008年9月2日付け)で、「細見谷渓畔林 命の息吹、中区で写真展、林道反対訴え」として紹介されました。

なお期間中に、大規模林道問題全国ネットワークの三回目の広島集会(過去2回、2001年と2006年)がありましたが、森水の会としては、写真展の方に注力しました。

十方山林道ウォーキング

今年も春(6/1)と秋(11/2)の二回実施しました。秋には、十方山林道の端から端まで(吉和西~山の神(祠)~ワサビ田~下山橋~水越峠~二軒小屋)約14.4kmを通して歩きました。しかし、現地で同行できる会員数は限られており、一般参加者を数多く募集することはむつかしくなりつつあります。また、今後再び道が荒れてくれば、四輪駆動でも伴走ができなくなるかもしれません。

植物調査も継続中

米澤信道さんが京都から久しぶりにお見えになって、一泊の植物調査(5/17~18)を行ないました。先生は体調も回復され元気いっぱいです。吉和側から入って調査をしました。いろいろな発見がありました。「やはりここは大変植物の豊かな所です。西日本随一です。破壊するのは許されない」、調査を終えた米澤先生のお言葉です。

受益者負担金助成の違法性を問う

公共事業で一定の利益を得る営利企業(個人)は、利益に見合う賦課金を支払うことになります。しかしながら、事業を円滑に進めるためという理由で、行政が賦課金と同額の補助金を当該団体に助成金として支出しているケースがあります。

例えば、大規模林道(旧緑資源幹線林道)事業に関連して、広島県廿日市市は、地元の西山林業組合(営利団体)が支払うべき受益者負担金を肩代わりしています。これを違法として、金井塚務・原告代表(広島フィールドミュージアム)が、廿日市市に監査請求をしていました。しかし、棄却されてしまいました。

これを受けて、同原告代表は「営利団体に対する受益者負担金を行政が助成すること(実質肩代わり)は違法」として、広島地方裁判所に提訴(11/12)しました。第1回の公判予定は、翌年2009年2月19日(木)です。

2008年年表

-2月3日(日)、森と水と土を考える会、総会
(カトリック観音町教会・ヨゼフ館2階、広島市西区観音町)
-3月6日(木)、日本森林生態系保護ネットワーク、設立
-4月19日(土)、講演会「クマの棲む豊かな森を次世代へ」
主催/日本熊森教会(広島県情報プラザ、広島市中区千田町)
-5月5日(月・祝)、長島周辺域調査
-5月6日(火・振替)、祝島調査
主催(上記2件)/「長島の自然を守る会」
-5月17~18日(土・日)、細見谷植物調査、指導/米澤信道さん
-6月1日(日)、春の十方山林道ウォーキング
(二軒小屋~下山橋~ワサビ田、往復)
-6月28日(土)、国際シンポジウム「救おう!森のいのち、考えよう!森の未来」
主催/日本森林生態系保護ネットワーク(北海道札幌市)
-6月29日(日)、細見谷のビデオ撮り(秋の写真展用として)
-7月12~13日(土・日)、環瀬戸内海会議総会(第19回)
現地報告、シンポジウム「「周防の生命圏」から日本の里海を考える」
-7月27日(日)、猪山、植林地の手入れ
-7月30日(水)、細見谷の大規模林道建設の中止を求める要望書、提出
-9月1~7日(月~日)、すばらしき西中国山地・細見谷 写真展(パート2)
-9月6~7日(土・日)、大規模林道問題全国ネットワーク広島集会
-9月20日(土)、広島医療情報研究会学術講演会
一般演題/山本明正「自著を語る『細見谷渓畔林と十方山林道』」
主催/広島医療情報研究会
(KKRホテル広島、広島市中区東白島町)
-11月2日(日)、秋の十方山林道ウォーキング
(吉和西~山の神(祠)~ワサビ田~下山橋~水越峠~二軒小屋)

そのほかの記事など

-朝日新聞記事(2008年1月26日付け)
山本明正著「細見谷渓畔林と十方山林道」(自費出版)
自然環境・林道計画の問題点分析
-中国新聞・論説室から(2008年2月17日付け)
「緑の回廊」
-毎日新聞記事(2008年5月14日付け)
山本明正さん、「細見谷渓畔林と十方山林道」を出版
大切な自然を残そう
-中国新聞記事(2008年5月23日付け)
重機で河床を改変、吉和の細見谷川、サンショウウオ姿消す
森と水と土を考える会

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

第14回大規模林道問題全国ネットワークの集い(2006/06/11)

2006年06月11日(日)、第14回大規模林道問題全国ネットワークの集い
大規模林道問題ネットワークの集い in 広島(第14回)
止めよう!緑資源幹線林道、残そう!細見谷渓畔林
(広島県立生涯学習センター)

このページの目次です

はじめに

前日(6月10日):細見谷渓畔林現地観察会及び交流会

6月11日10:00、開会
あいさつ、藤原信(宇都宮大学名誉教授)
講演1、河野昭一(国際自然保護連合IUCN-CEN)
講演2、金井塚務(広島フィールドミュージアム)
現地報告:
(山形)原敬一(葉山の自然を守る会)
(主管)原戸祥次郎(森と水と土を考える会)
-昼食-
13:00、再開
現地報告:
(北海道)寺島一男(大雪と石狩の自然を守る会)
(環瀬戸内海会議)阿部悦子
(富山)増田準三(立山自然保護ネットワーク)
(岩手)奥畑充幸(早池峰の自然を考える会)
(山を考えるジャーナリストの会)石川徹也
(週間金曜日)伊田浩之
(富士ゼロックッス端数倶楽部)井澤厚
15:00、終了
集会アピール(案)採択、閉会宣言
加藤彰紀(大規模林道問題ネットワーク事務局長)

「大規模林道はいらない」緑風出版1999年
大規模林道問題全国ネットワーク編
著者は以下の方々
藤原信、原敬一、東瀬紘一、寺島一男、奥畑充幸、石川徹也、井口博、加藤彰紀

藤原先生、75歳になる今回で引退宣言

7つの大規模林道圏
23路線1000km、スーパー林道、4.6m未舗装
スーパー林道は、大規模林道(7m)に比べれば、かわいいものだ
各県には、広域基幹林道がある

学者は何をしてきたのか(東大闘争とその後)
ドイツ林学(古典的な森林経理学)に対する林野若手官僚の台頭
京大では、四手井教授就任に伴い、造林学を生態学に改める

月刊デラシネ通信 > その他の記事 > クマの読書乱読 > 2001年2月
今月の一冊、2001年2月
森まゆみ著『森の人-四手井綱英の九十年』

河野先生、日本の生態系は非常に複雑

第三紀(要素)からもっている貴重な関係がくずれてきている
日本の植物のルーツを探る
日本とアメリカ、アパラチア山脈、サンカヨウ属などが1対1で対応している
ブナの分布も同様である
日本特有の植物:
ブナ、イヌブナ、カツラ、センノキ、ヒノキアスナロ、ヒノキ、スギなど

東京大学総合研究博物館
研究部から、東アジア植物学とデータベース(上)
デビッド・ブフォード
北米東部地域でみられるアジアの固有種、たとえばツクバネ属Buckleya、ユリノキ属Liriodendron、アケビ属Pieris、 サンカヨウ属Diphylleiaなど100種ほどのほとんどがアルパチア山脈南部に集中している。(アルパチア→アパラチア?)

ブナ、積雪量50cm以上の湿潤地帯では葉が大きい
ブナ遺伝子レベルでの研究(アロザイム多型)
種子、花粉、遺伝子の分布
集団が分断されると多様性が急激に失われる
ギャップ(大木が倒れて空いた空間)が植物新生の場として大切
環境が激変しており、集団サイズが矮小化している

森が滅ぶと川が死ぬ、酸性降下物の影響で、大台ケ原、丹沢がやられている
南アルプスの高山帯は大変なことになっている
えさがなくなり、シカがブナ帯へ上っている

林野庁は、国有林内天然林を皆伐している。倒した木をブルドーザーで引きずっていくことで、土壌層が撹乱されて生態系に壊滅的な打撃を与えている。尾根を切ると山が死ぬ、とは昔から言われてきたことである。林野庁は、今まで残しておいたアンタッチャブルの木を、今になってむちゃくちゃ切りまくっている。金のためだけに動く林野庁にはもはや存在価値はない(内閣府意見書)。

金井塚さん、一昨年は、広島・島根・山口の3県で233頭のクマを駆除した

金井塚さん、一昨年は、広島・島根・山口の3県で233頭のクマを駆除した(推定480±200)。確かに大量のクマを駆除したことによって、絶滅の恐れは増してきたといえる。しかし、全体の個体数を把握することは非常に難しい。結局は、各ポイントごとに時系列でどの様な傾向にあるのか、観察を継続していくことによって事実を積み重ねていく以外にない。

ところで、細見谷で新しい個体が生まれていることが、野外設置カメラによって確認されている。この子熊の写真は、細見谷の自然環境は大凶作の年にも出産するだけの余裕がある(豊かさがある)ことを示している。細見谷は西中国山地におけるクマ生存の最後の砦として、非常に重要な位置を占めている。

細見谷大規模林道工事の是非を問う
住民投票で示そう廿日市市民の意思!

・地元の意思とは
・自然は守られるのか
・税金を投入する価値はあるのか

廿日市市民10万人中、1万人の署名が取れれば大変なことだ
実は、大規模林道は林業には不便な道路である、大規模林道と林道は違う
実際に林業に必要な林道は今すでにあるような林道だ

クマの観察から、堅果類よりも液化類が喜ばれる
それ以上に、蛋白質を補給するためには魚類が大切なはずだ
細見谷でもクマが魚食する証拠が得られつつある

原さん、朝日山地森林生態系保護地域の設定(2003年)

コアエリアでも釣りを可としている
集中豪雨による崩壊(2004年7月)
工事は中止となったが、修復工事に血税を投入し続けている
など

原戸さん、小冊子「細見谷と十方山林道2002」

日本生態学会によって、第一級の保全措置をとるべきという決議が行われた
その後も調査を継続しており、この度「細見谷と十方山林道2006」にまとめた
調査の度にレッドデータブック対象種が見つかっている
新種として検討中のものもいくつかある
細見谷林道の通行量として、190台は多すぎないか

寺島さん、大雪、石狩

森がめちゃめちゃに伐られている

阿部さん、山が変われば海が変わる、森と海の連携

海砂採取は阻止できたが、代わって鉄鋼スラグ(強アルカリ性、Ph12.5)を
舗装道路の下敷きとして使い始めている

増田さん、立山黒部アルペンルート

マイカー規制を初めて実施した
バスは無制限に入山、ただし、アイドリングストップだけは実行されている
大規模林道は1本工事中である。ただし、山深いところにあり現在どの様な状況になっているのか把握できていない

奥畑さん、タイマグラ

2006年3月16日~19日
「第8回 リバーラン国際映画祭」(米国ノースカロライナ州ウインストンセーラム)
映画「タイマグラばあちゃん」、最優秀ドキュメンタリー賞受賞

いくら道が良くなって木材を伐りだしたところで、材の価値が下がっており利益にならない。雪で生活道路にならない。、それでは、緊急の場合には役に立つかといえば、緊急の場合、真っ先に壊れるのが大規模林道だ。
数多くの現場をみることが大切

石川さん、ルポ・東北の山と森(緑風)1996年

山を考えるジャーナリストの会の成り立ちと現在
大規模林道問題全国ネットワークとの関連など

伊田さん、週間金曜日2006年6月23日号、細見谷を取り上げる

取材者は、鎌田慧さんのようだ(下記参照)

細見谷大規模林道建設の是非を問う住民投票を実現する会、2006/06/13
「自動車絶望工場」「反骨-鈴木東民の生涯」(1990年度新田次郎賞)「怒りの臨界」 など、多数の著作で知られるジャーナリストの鎌田 慧(かまた・さとし)さんが細見谷の取材の訪れました。もちろん、大規模林道の非合理性を暴露するためです。この取材は、週間金曜日、6月23日号で発表されます。

富士ゼロックッス端数倶楽部

井澤さん、社員の大多数が会員となり、給与から100円未満の端数を集めている

質疑応答

金井塚務会長から、”住民投票を実現する会”の進捗状況について、改めて説明がありそれを踏まえて決意表明があった。そして、雰囲気は大いに盛り上がっている。市民の間では、細見谷大規模林道問題を、自然保護という観点からだけでなく、そこに含まれる構造的な問題として捉える事によって、物事を深く考えていこうとする傾向がでてきている、との認識を示した。

細見谷大規模林道建設の是非を問う住民投票を実現する会、2006/05/22
国や自治体が深刻な財政赤字の状況にあって、多額の税金を投入してまで、かけがえのない貴重な自然を破壊する危険性の高い大規模林道工事が本当に必要か否か、納税者たる市民に判断をゆだねるべく、「細見谷林道工事の是非を問う住民投票条例」の制定を請求するとして、5月13日に「細見谷大規模林道建設の是非を問う住民投票を実現する会」(代表 金井塚 務)を立ち上げました。
直接請求には、廿日市市の有権者の2%(約1900名)の署名が必要です。署名の収集には、市の選挙管理委員会(選管)に届け出た直接請求代表者と受任者が当たります。実質的な活動期間(5月27日~6月25日)

集会アピール(案)採択

集会アピール(案)採択、閉会宣言
加藤彰紀(大規模林道問題ネットワーク事務局長)