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2008年10月04日

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大聖院コース~弥山~奥の院~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~502m~奥の院に戻る~岩船岳登山口(多々良林道)本日二度目~大元谷左岸コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2008年10月04日(土)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2008年10月04日)
  • 土石流のため長らく不通になっていた大聖院コース(庭園風に再生)を登る
    奥の院に回り、502m付近の状態を確認する
    GPS軌跡欠落(先峠~502m~奥の院(2回目)以降)

このページの目次です

はじめに

大聖院~大聖院コース~仁王門跡~弥山~(少し引き返す)~仁王門跡手前分岐~御山神社下~奥の院・仁王門跡コース~多々良林道終端部~奥の院~多々良林道~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~502m~奥の院に戻る~多々良林道~岩船岳登山口(多々良林道)~前峠~大元谷左岸コース~大元公園
(出発帰着:宮島桟橋)

「大聖院ルート(2008年10月)1日復旧」という中国新聞記事(9月27日付)をみて行ってみたくなる。大聖院コースは、3年前の台風14号(2005年9月)による土石流で不通になっていた。それが「(下流部の)護岸は崩落した自然石などを使って庭園風に再生」しているという(写真あり)。実際にどのような庭園風に仕上がっているのかに興味を持つ。

大聖院コースで弥山に登り、少し引き返して奥の院へ下る。奥の院から多々良林道を少し下り、岩船岳登山口から岩船岳縦走路(稜線)に登りつく。そこから、岩船岳とは逆方向の502mを乗り越えて、再び奥の院へ下る。奥の院から、再び多々良林道経由で岩船岳登山口(今日二度目)まで下る。そしてそこから、今度は岩船岳とは反対方向に登り、前峠を越えて、大元川左岸を下る(右岸には大元公園コースがある)。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:44-筋違橋(すじかいばし)8:56-大聖院9:01-2号堰堤9:11-白糸の滝分岐9:18-(白糸の滝往復2分)-白糸の滝分岐9:21-四丁9:25-ベンチ(左折)9:26-ベンチ(右折)9:28-六丁9:33-東屋9:34、9:37-七丁9:39-広場ベンチ9:41-(少し平)-登って平9:44-祠9:45-(少し登る)-平、対岸に崩落跡9:47-十丁9:48-(平らな巻き道、右手尾根)-渡渉、渡渉前の右奥に大岩、陰に祠9:50-十一丁9:54-対岸に大岸壁(尾根に乗っている)9:57-土石流発生地点をみる(ナメラ岩の上を水流が行く)10:01-土石流、流れ落ちる(大鳥居8度)10:05、10:06-1号堰堤10:07、10:11-(左岸から右岸へ?)-すでに右岸10:12-沢渡る(右岸から左岸へ)、古い道が下っている(左岸)10:15-(階段なくなる)-仁王門跡横(十字路)10:23、10:25-(すぐに十八丁、仁王門跡)-十六丁?10:28-十九丁10:29-奥の院分岐10:32-弥山めぐり、二十一丁10:36-大日堂10:38-大岩10:43-弥山山頂10:43、10:53-(すぐに、二十四丁)-二十二丁10:57-弥山本堂10:59-弥山めぐり分岐11:00-奥の院分岐 (御山神社分岐)11:02-御山神社分岐11:04-分岐左へ(右上は、仁王門跡横に至る)11:13-林道11:17-左分岐(奥の院に通じる)あり11:20、11:22(探索)-多々良林道11:24-左分岐(11:20分岐に通じる)あり11:27-奥の院11:28、11:39-(多々良林道を下る)-岩船岳登山口11:56-沢渡る11:59-岩船岳縦走路(稜線)12:08、12:36-(途中、やや右から巻く)-稜線上(両側がみえる、右:岩船岳が遠い、倒木あるものの、樹間にすきまあり)-450m台12:49-鞍部12:51-少々コブ12:55-502m12:58、13:03-(支尾根上)-正面に海13:07-(コシダの踏み跡、急下る)-(正面に宇根山、130度-東能美島)-左に振る13:10(正面ピーク、76度)-(左へ振る、004度 )時間不明-(沢底(右岸)を下る、前方をシカが横切る)-奥の院13:24-(多々良林道を下る)-岩船岳登山口13:43-前峠13:57、14:01-(倒木などあるが下るほどに良くなる、一貫して左岸を下る)-堰堤14:25- 大元公園コース分岐14:32-大元公園上部14:35-自動車道14:38-宮島桟橋14:57

注:方位角は、〈磁北〉からの角度を示す。デジカメの時計ずれている?

宮島桟橋(17分)大聖院(10分)2号堰堤(7分)白糸の滝分岐(46分)1号堰堤(12分)仁王門跡横(11分)大日堂下(7分)弥山
 小計1時間59分・・・観察のため、ゆったり
 (白糸の滝往復他3分、1号堰堤4分、仁王門跡横2分を加える)
弥山(6分)弥山本堂(1分)大日堂下(2分)奥の院分岐(11分)よい道(9分)多々良林道(4分)奥の院
 小計35分(途中探索2分を加える)
奥の院(17分)岩船岳登山口(12分)岩船岳縦走路(22分)502m(21分)奥の院(周回)
 小計1時間45分
 (502m5分を加える、さらに、岩船岳縦走路休憩28分を加える)
奥の院(19分)岩船岳登山口(14分)前峠(31分)大元公園コース分岐(6分)車道(19分)宮島桟橋
 小計1時間33分(前峠4分を加える)
総合計6時間13分
 (弥山10分、奥の院11分を加える)

公式ルート、非公式ルート

弥山登山道の公式ルートは3本しかない。紅葉谷コース、大聖院コース、大元公園コースである。いずれも谷コースであり、階段等の整備がされている。

今年2008年7月に赤ペンキ事件で問題になった四宮コース(弥山直登尾根)は、2008年7月26日付け中国新聞記事によれば、「県が整備する「公式」ルートではなく、廿日市市教委などは「極力立ち入らないでほしい」との立場だ」としている。その理由は「手つかずの自然を後世に残すため」だという。

同様に考えると、多宝塔コース(駒ヶ林直登尾根)も登山禁止なのだろうか。その他、かや谷(博打尾)コース、岩船岳縦走路はどうであろうか。関係者の見解と納得のいく説明を聞きたいものである。

なお、「広島県の山(新・分県登山ガイド33)」山と溪谷社(2003年11月)P.100-101の弥山は、四宮コース~大元公園コースを紹介している。そして、その改訂版(2008年8月)P.100-101では、紅葉谷コース~大聖院コースを紹介している。 ここで、大聖院コースについては「台風の災害で新しく修復されたきれいな庭園風の谷間の道だ」として、復旧後の再開通(10月1日)を先取りした記述となっている。

また、2003年版では、その他、大聖院コースと(多宝塔コース)もルート図(黒点線のみ)には記載されている。2008年版のルート図(同様に黒点線のみ)には、(多宝塔コース)、大元谷コース( Web作者注:大元公園コース)とともに、(紅葉谷西尾根コース)も記載されている。ここで、紅葉谷西尾根コースとは四宮コースのことである。しかし、四宮の名前は使われていない。

大聖院コース(公式ルート)

宮島桟橋から厳島神社の横を通り抜け大聖院をめざす。 大聖院の左横から白糸川右岸に入ると、手摺付きの新しい遊歩道が川沿いに上がっている。河床は、水の勢いを弱めるため階段状に作ってある。そして、崩落した自然石などがうまく配置してある。

また、コンクリート製の護岸や堰堤(2つある)の表面にも、同様に崩落した自然石などが使われている。全体的に和風庭園の趣があり、渓流の景観に配慮した作りになっていることがよくわかる。

枕崎台風(1945年)の後に作った紅葉谷公園と同様の考え方であろう。地元の材料を活かしきるという思想である。台風などのたびに、厳島神社では板切れ1枚失くさないための努力が繰り返されている。もちろん、それら自体がご神体ということもあるだろうけれども。

さて、白糸川右岸沿いの遊歩道を上がり、2号堰堤(標高50m前後)を過ぎて、左岸に渡る(標高70m前後)と白糸の滝分岐がある。白糸の滝見学地点まで往復2分程度の距離である。

そこから、左岸尾根上をジグで登って行く。ここはほとんど元の道のままのようである。やがて大崩落地帯が近づき、その下には1号堰堤(標高350m前後)がある。

右岸に渡り、左岸に渡り返すと、右下に元の道が下っているようである。しばらく登ると、仁王門跡の横(十字路)に着く。左折して弥山に向かう。大日堂へのきつい石段を登り山頂に達した。

弥山山頂には思いのほか人影が少ない。その中で、登山者の多くは大聖院コースを相前後しながら登った人たちのようにも思えた。皆さん、ルートが再開して興味を持たれたのであろう。登山道途中では、土木のプロとお見受けする方々の姿もあった。

弥山~奥の院

弥山山頂からの展望はかすんでいる。早々に下山の支度をする。久しぶりに奥の院に行ってみることにする。まず、弥山本堂に向けて下り、そこから仁王門跡方面に向かう。途中には、先ほど通った大日堂が右手石段の上にある。

弥山から奥の院に行くには、仁王門跡を左折して南へ下るのが普通であろう。今回は、その手前にある「奥の院分岐(御山神社分岐)」から左へ踏み込む。急な踏み跡が下っている。途中で御山神社を左に分けて下ると、幅広の道に出る。奥の院~仁王門跡登山道である。

そこを左折して下ると、多々良林道(簡易舗装の自動車道)にぶつかる。林道を左折して少し上がると奥の院である。なお、多々良林道に出る手前左に踏み跡があり、奥の院まで続いているようである。

疑問:奥の院の位置(地形図記号あり)は、地形図(標高330m)の地点で正しいのだろうか。もしかすると標高340m前後かもしれない。この辺りは平坦なので距離はかなり離れることになる。奥の院近くの多々良林道(地形図黒点線)も 少しずれているかもしれない。(ちょっとだけGPSを使ってみた。岩船岳縦走路以降は電池切れ)

奥の院~岩船岳登山口~岩船岳縦走路~502m~奥の院

(周回、反時計回り)

弥山から岩船岳まで縦走するのに、一例として、奥の院~502m経由のコースが紹介されている。「ひろしま百山」中国新聞社(1998年)P.142

「奥の院からは谷を詰めて行く。暗い木立の中を抜けると、明るい尾根に出る。右に尾根道を進み急坂を登りきると、502メートルピークに着く。樹林帯の中で見通しは利かない。右に道をとり、急な道を下って行く。1997年7月、山岳連盟の遊歩道整備事業できれいに刈り払いされて歩きやすくなっている。20分足らずで岩船岳への分岐に着く。左へ行けば岩船岳への稜線・・・ ・・」

今日実際に通ってみた(ひろしま百山とは逆回り)感じでは、通常の登山コースとして使うには、少ししんどい状況だと思われる。(以下、今日の山行記)

奥の院~502mは、ずいぶん前に2度ほど通ったことがある。2001年02月25日、弥山から奥の院に至り、谷を詰めて登って、502mから岩船岳途中まで行った。2001年10月20日、岩船岳(東峰)からの帰りに、502m経由で奥の院まで下って弥山まで登り返した。

今このコースはどうなっているのであろうか。もう一度通ってみたくなり、奥の院近くから南の谷をのぞきこむ。薄暗い木立の中に倒木らしきものが道をふさいでいるようだ。 ここを登るのはちょっと難しいか。

奥の院から、一旦多々良林道で岩船岳登山口まで下る。そこから、岩船岳縦走路(稜線上)~502m経由で奥の院上部に至り、谷を下って奥の院まで帰ることを考えた。地形図に黒点線で示されているコースを、反時計回りになぞることになる。

  • 後日注:
    502mピーク前後の状況については、後日(2009年03月20日山行記)修正あり

奥の院(標高330m~340mくらい)から多々良林道をゆったりと下り、岩船岳登山口(標高230m前後)に至る。そこから稜線(岩船岳縦走路 、標高340m台)まで快調なペースで登る。ほぼ地形図黒点線のとおりと思われる。なお、稜線上のプラスティックの道標は、字が消えてほとんど読めない。
(後日注:その後再びマジック書きされたようだ)

稜線上で簡単な昼食をとる。その後、岩船岳方面とは反対方向へ、450m台~502mをめざす。 尾根を追って登る。450m台手前で少し南面を巻いているようだ。全般的に道はあまり良くない。コシダの踏み跡を登り下りする箇所も多い。その他、尾根上の樹林帯では、樹木を間引いてヒトが通れるだけの間隔を空けてある箇所もある。そこでは、おおむね歩きやすい。

502mからは、最高点やや手前を左へ入り(残念ながら角度をみていない)、尾根上を下る。海が見えてくるようになるころ、宇根山(東能美島)を正面にみる。その時もコンパスを出さなかった。後で調べてみると約130度くらい(磁北から)の位置になる。

その後、やや左へ振って弥山右のかや谷ピークを向く(72度)。502mからの登山道は、地形図黒点線(約90度-東向き)よりは、やや南に膨らんで下っているものと思われる。なお、以前に下ったとき、海とともに大砂利の集落を見たように記憶していた(記録にはない)ので、それが見えなくて少しあせってしまった。

502mからの下りでは、下るほどに足元の状態が悪くなり、とうとう最後にはヤブの中(推定標高400m台)で踏み跡すらなくなってしまった。左手方向をさぐると谷が下りている。北向きである。まちがいないだろう。歩きやすいが薄暗い木立の中を一気に奥の院(標高330m~340mくらい)まで下る。谷の右岸を下った。地形図黒点線よりは、ほんのわずかに東側と思われる。

奥の院~岩船岳登山口~大元川左岸~大元公園

ふたたび奥の院に帰り着くと、朗々とした読経の声が響き渡っている。声の主は一人のようである。その声を聞きながら、再度多々良林道に入り岩船岳登山口まで下る。

ここから今度は右手の沢を渡り、前峠山423mと490mの鞍部をめざして、北向きに登る。途中で小尾根を外して、少し東側の窪みに入り込み、コシダの中で苦戦する。足元に水溜りがありズボンをぬらす。 (後日注:あくまでも小尾根の上を行くのがよい。なお、この付近のGPS軌跡について、2009年03月20日山行記で少し考察を加える)

尾根筋の鞍部(標高320m台)に至る。ここでは、そのまま向こう側の谷に下ることはせず、一旦左へ少し行って右折、谷の左岸をひたすら下る。最初は倒木が多く疲れる。下るほどに道はよくなるので我慢して下る。 (後日注:尾根筋の鞍部、すなわち前峠付近について、2009年03月20日山行記で少し考察を加える)

堰堤を過ぎると、右手から大元公園コースが合流してくる。この大元公園上部の分岐点の木に、ビニールで覆われた紙製の「道しるべ」がある。

「道しるべ」は、下流から上流を見る方向に取り付けてあり、それを見ると、大元公園コース(右岸を行く)には、「弥山登山道」(左矢印)の表示がある。しかし、直進(左岸を行く、岩船岳コース)は、「この先行き止まり」という表示になっている。

岩船岳方面は、どのような扱い(公式ルート、非公式ルート)になっているのであろうか。気になるところである。きちんとした説明がほしい。

きて、その後はすぐに大元公園に至り、後は車道を宮島桟橋まで歩くだけである。水族館前からヒトが多く、まっすぐには歩けない。宮島は今日も大盛況である。

今日は、完全にマイナーなルートになってしまったようなコースを歩き回った。世界遺産の島・宮島(世界文化遺産 厳島神社)において、「手つかずの自然を後世に残すため」何が必要で何が足りないのか、考えさせられる一日となった。

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宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。