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宮島自然植物実験所~あての木浦~砲台跡~岩船岳~岩船岳縦走路~多々良林道
(出発帰着:宮島桟橋)
2009年05月04日(月)、単独
〈写真〉230mピークの遺物
(機銃の台座?)
- 宮島自然植物実験所〜御床浦〜あての木浦(2014/11/23)
広大~あての木浦の決定版は、2014年11月23日山行記です。今日(2009/05/04)の山行記も含めて、下記各山行記中の不明瞭(不正確)な点を訂正しながらまとめています。コース概況(GPSルート図リンク)もあります。
- 宮島の西海岸歩き、写真あり(2013/06/23、5/23)
- 西海岸沿いの山道探索まとめ、写真あり(2013/05/23)
- 西海岸沿いの山道探索経過
(2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02)
- 宮島南部の砲台跡⇒実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
(中国新聞記事、2011年1月12日付)
- ついに砲台跡到達(2005/03/19)
はじめに
大元公園~多々良~宮島自然植物実験所~室浜砲台跡~大川浦~御床浦~長浦~あての木浦~砲台跡230m~御床山~岩船岳~大川越~351m~岩船岳縦走路・先峠~岩船岳登山口(多々良林道)~多々良~大元公園(出発帰着:宮島桟橋)
今年二回の山行(2009/04/11、4/29)に引き続き、宮島の西海岸部を歩いて、可部島がすぐ目の前に見える宮島最西南端の"あての木浦"まで行った。
目的は、その海岸から尾根に取りつき、230mピーク(二万五千分1地形図表記)付近にある砲台跡まで登ることである。
前二回の山行では、あての木浦までは達したものの、そこから山に取付く気力・体力がなく、あえなく来た道を引き帰した。
今日は、無事目的を達成した後、そのまま尾根伝いに岩船岳を乗り越して帰ってきた。
今日のコース&コースタイム:
宮島桟橋7:24-大元公園7:42-多々良8:07-宮島自然植物実験所8:27-室浜砲台跡8:30、8:35-涸れ沢8:48-沢手前9:07、9:09-沢9:10-峠9:16-峠9:21-大川浦分岐9:24、9:32-川9:34-大岩9:37-道しるべ(大川浦、御床浦)9:42-小さな沢9:47-ロープ9:55-御床浦9:56-巨大敷地ネット(簡単な門扉)10:05-御床浦(御床浦神社近く)10:09-門扉10:12-よい道と交わる(石積み)10:16-大きな沢10:22-(しばらく上流部へ、右折)-石積みの中(出口右手に瓦散乱)10:30-鞍部(40m台南側)10:33-(左手の尾根を越える)-御床山取りつき10:39-庭園風廃屋10:51-右下かすかに海11:09-あての木浦11:25、11:35-右分岐11:55-正面に230m台350度12:06-休憩、ジャケツイバラ12:11、12:13(GPSを片付ける)-大岩12:16-大岩の上12:18-平坦部(GPS再セット)12:19-砲台跡(230m表示)12:25、12:26-廃屋(兵舎跡?)230m台南西側12:30-展望岩場(標高250m台)12:43、12:52-展望大岩(標高310mくらい)13:01、14:01-御床山14:09-岩船岳14:33、14:40-岩船岳東峰14:48-海軍省標石15:03-振り返れば展望15:06-大川越15:16、15:24-八畳岩15:34-351m15:47-展望岩場15:51、15:57-陶晴賢碑分岐16:05-クロバイ16:13-高安ヶ原分岐(新設)16:25、16:28-先峠16:29、16:36-岩船岳登山口(多々良林道)16:44-多々良17:08、17:12-大元公園17:38-宮島桟橋17:58
宮島桟橋(43分)多々良(20分)宮島植物実験所(57分)大川浦分岐(37分)御床浦神社近くの沢(30分)御床山分岐(46分)あての木浦
小計4時間01分(大川浦分岐8分を含む)
あての木浦(50分)砲台跡(43分)御床山(24分)岩船岳
小計2時間10分
(ただし、これは推定時間。御床山手前の展望大岩での大休止
1時間のうちの12分と、 砲台跡1分のみを加えた時間である)
岩船岳(36分)大川越(23分)351m(42分)先峠
小計1時間49分
先峠(8分)岩船岳登山口(24分)多々良(26分)大元公園(20分)宮島桟橋
小計1時間22分
あての木浦~宮島桟橋
小計5時間35分
(ただし、これらは推定時間、
御床山手前の大休止1時間のうち12分のみを加える)
砲台跡~宮島桟橋
小計4時間44分
岩船岳~宮島桟橋
小計3時間18分(先峠7分を加える)
総行動時間
総計10時間34分(大休止1時間、その他もすべて含む)
過去の砲台跡探索
私は、宮島南部の山中にある砲台跡探索のため、尾根伝いに岩船岳~御床山を経て、その先からさらに南に向けて何度か下ったことがある。
そして、2005年03月19日ついに砲台跡に到達した。足かけ四年で5回くらい挑戦した結果である。
しかし、実は前回は、廃屋(兵舎跡?)は見たのだけれども、インターネットで公開されていた高射砲の台座跡を見ていないようで気になっていた。
海岸部(御床浦~あての木浦)~砲台跡の情報を得る
もう一度現地に行って確かめてみたい。しかしながら、岩船岳~御床山から、その砲台跡まで下って確認後、御床山~岩船岳を登り返して帰ってくるのはいかにもきつい。
特に、御床山の先から砲台跡までは羊歯に覆われており、踏み跡すらはっきりしない厳しいコースである。
ところが、今年2009年になって宮島の山中でお会いした複数の方々から、「海岸部(御床浦~あての木浦)~砲台跡を無理なく歩くことができる」という情報を得ることができた。
私は数年前(2002/03/02)、岩船岳(三角点)に初めて登った。そして、その先の御床山から海岸部(御床浦)に下り、宮島植物実験所を経て宮島桟橋に帰り着いた。
その時に、御床浦~宮島植物実験所の間には、しっかりとした踏み跡があることを確認している。それと同時に、御床浦から下谷浦~長浦~あての木浦方面についても少し探ってみたが、よくは分からなかった。
それが今回の情報によると、御床浦から向こうの海岸部(御床浦~長浦~あての木浦)を歩くことができるようである。
さらに、海岸部(あての木浦)から砲台跡までのルートが、再び開かれたのも確実である。
この付近の情報は、これまでほとんど得ることができなかった。その中で唯一、あての木浦から砲台跡まで2時間もかかったというものがあった(後日再確認、あての木浦~砲台跡を3時間半かかったという)。そこを1時間くらいで登ることができそうである。
もしそうならば、宮島最南端部まで海岸部を行くことによって体力を温存し、そこから砲台跡に取付くというのも一手であろう。
そう考えて今年4月に2回挑戦をした。しかし、いずれの場合も、海岸部の"あての木浦"に到達した時点で、精神的・肉体的に疲れ切っており、そこから山(砲台跡)に取りつくことなく引き返した。
そして3度目の今日、あての木浦から230mピークまで登り、高射砲の台座跡がそこにあるのを確認した。
室浜砲台跡から御床浦を経て"あての木浦"へ:
涸れ沢8:48
樹林帯の中
海岸部終わり、すぐに海をみる、コシダの道が続く
経小屋山、右横から後へ
沢手前9:07、9:09
沢に沿ってよい道(地形図黒破線)がある
238度くらいでその道にぶつかる
沢沿いの道(右手324度で海に向かう、左手114度で山に向かう)
その道を左手に行って、すぐに沢の方へ右折
沢を渡り、沢に沿って右手に行き、すぐ左折して峠道を登る
大川浦分岐9:24
戦闘機?爆音(25分ころ)東側に聞こえる、南から北へ
川9:34
川を横切ってしばらくまっすぐ、大岩の右横を登る
御床浦の海岸部から御床山取りつきまでが、海岸沿いのコースで一番わかりにくい。まず、御床浦の海岸近くまでいったん下りて、もう一度海岸近く(御床浦神社近く)まで行くには、地形図黒破線(海岸部)のやや南側を行く。途中で、左手に巨大敷地を見る。
御床浦9:56、右手、海岸との間に沢音
沢渡る9:58
沢の左岸、岩場を右前方へ、よい道に70度くらいでぶつかる
よい道を右折10:01、314度を向く
巨大敷地ネット(簡単な門扉)10:05
小山にあがる10:05、ネットに沿って250度
小山ピーク10:06
急下って、沢10:09、海近し
御床浦神社近くの海岸から御床山取りつき(地形図黒破線との交点)までは、巨大敷地を左手にして行く。地形図黒破線(海岸部)よりも東側を南下しながら、海岸近くの40m台ピークと山側の鞍部をぬって行く。
沢を横切ってよい道を行く
道しるべ10:11、左折して145度で行く(左折手前では314度の方角)
門扉10:12、竹製の塀にそって小山を登り、今度は急下る
よい道と交わる10:16
左手山側には石積みの壁があり、右手海側に320度で道が延びる
道の脇は石組で固めてある
出発10:17、左手石垣のやや下をゆったり下る
踏み跡横切る10:20、幅広の踏み跡が海に向かっている
175度で岩場を行く
大きな沢10:22
右岸の岩場をややさかのぼる
左岸に渡る10:23
ちいさな中尾根状態のところを左(上流の方)へあがる
涸れ沢10:28、石積みがあるところで横切る(右折)
ここを上に行ってはいけない。石がゴロゴロした所を通り踏み跡を追って行くと、御床山登山道(地形図黒破線)の1本北側の沢に入り込む(2009/04/29)
石積みの中10:30、228度で行く、出口右手に廃屋(瓦が散乱して残る)
さらに右折、林の中をやや下って行く
鞍部(40m台南側)10:33、水が流れる
左手の山の斜面を登る、222度
尾根10:36、200度で横切る、下る、左手に巨大敷地
御床山取りつき10:39、巨大な丸いポリタンク(水色)
以下も覚書風に記しておく
掘割を過ぎて左折、158度
庭園風廃屋10:51
沢渡る10:53、横切る、少し登る、左手193度で行く、ゆったり下る
源頭10:56、右岸を下る、208度
左折して沢渡る11:06
左手の小さな沢を横切る11:07、88度で行く
右折11:09、150度で行く、右下、樹林の間にかすかに海をみる
左手に山、海側をトラバース
尾根ピーク11:11
沢渡る11:13
尾根11:14、可部島をみる
沢11:16、17、18、涸れ沢19
長浦11:21、正面308度に山
ピーク11:25を下って、あての木浦11:25
あての木浦から砲台跡(230mピーク)をめざす
長浦から南へ小さな峠を越えて海岸部に下りると、そこが"あての木浦"である。
左手から前方にかけて、宮島を南西に貫く尾根の最南端部である「岩船岳466.6m~御床山364m~230m~241m~革篭埼25m」が延びている。そのうち、実際に見えているのは、山頂近くに大岩のある左奥の230m(砲台跡)山頂部から、ほぼ正面にある241mである。
今日は、右手海岸の方へは行かず、すぐに左折して山に向かった。230m~241mの間の鞍部から流れ落ちる沢の右岸を行く。ほぼ地形図黒破線のとおりと考えてよい。シダが刈ってあり歩きやすい。 感謝!!
標高110mくらいの地点から尾根に向かって北向きに急登する。標高差20~30mくらい登った地点で、良い道は右分岐して少し下っている。正面前方にも踏み跡らしきものが上がっている。どちらか迷ったが、新しく手をつけたと思われる方へそのまま追って行くことにする。
分岐を右に取り、東向きに少し下って登ると、230m~241m間の鞍部140m台付近に達する。ここでルートは左に振れて、北向きに尾根を登っている。地形図黒破線の東側の尾根である。ここを登れば230mピークで間違いない。
途中、標高190m~210mくらいは、シダが刈ってなくて少し苦労をする。最後に大岩の間をよじ登り、平坦部に這い上がれば230mは近い。大岩を越えると再び歩きやすい踏み跡となり、230mピーク(地形図表示)に高射砲の台座跡があった。初めて見るものである。
尾根伝い(岩船岳経由)で帰ることにする
さて、ここまで登ると、問題は帰りをどうするかである。つまり、もう一度海岸まで下りて海岸部を歩くか、それとも御床山~岩船岳を登って岩船岳縦走路を行くか、ということになる。
海岸部も決して平たんな箇所ばかりではない。それに間違いやすいコースでもある。これに対して、岩船岳まで砲台跡から約1時間、さらに岩船岳から宮島桟橋まで3時間強とするならば、岩船岳縦走路を帰っても時間的にはあまり変わりないかも。そう考えて山道を行くことにした。
御床山手前の展望大岩まで登れば安心
230mピークから御床山364mは北東の方角である。まずは230m台に向けて少し下って登る。
230m台の東側に廃墟(兵舎跡?)がある。前回はここまでしか来ていない。その後も水槽?などの廃墟跡を見ながら、標高250m台の展望岩場まで、尾根をはずすことなく灌木をぬって登る。おおまかには、地形図黒破線のとおりと考えてよい。
標高250m台からも、そのまま北東の方角に行くので、地形図黒破線から離れてその南側を行くことになる。以前よりも踏み跡ははっきりしており歩きやすい。
私は、尾根伝いに岩船岳~御床山を経て砲台跡まで、数回もトライしては失敗を繰り返したことがある。そのころは、御床山の先にかつてあったはずの踏み跡(数十年前の山火事で消失)は、羊歯の中に埋もれており、まともに歩ける状態ではなかった。
それを思うと、何と歩きやすい道になったことだろう。海岸部から砲台跡を経て御床山手前まで、再整備されたのであろう。感謝!!
さて、登るほどに、かつての山火事のため大木はなくなり、展望が開けてくる。標高310mくらいの大岩で大休止1時間。その上は、御床山まで歩きやすい道を10分足らずの位置である。
展望大岩から、米軍岩国基地の航空ショー(リハーサル)を見る
大岩から、230m~241m尾根の間に可部島を見下ろしながら休む。今日は終日曇、ほんの一瞬薄日が差したものの、大岩の木の下に入れば微風が気持ち良い。上半身裸になって服を乾かす。
時々爆音が聞こえているような・・・。前方を見ると、241mの左奥に米軍岩国基地の滑走路がある。その上空では、白煙を噴きながら数機の編隊飛行が繰り返し行われているように見える。
水平飛行に加えて、宙返りなどいろいろな曲芸飛行をしているようである。すると、突然数機(4機だったと思う)の編隊が阿多田島のこちら側で、高度は現在位置の310mよりも低い位置を横切って行った。
米軍岩国基地の航空ショーである。帰宅してインターネットで調べてみた。米軍岩国基地を一般開放する日米親善デーはあす5日(毎年恒例)である。今日4日は、呼び物の航空ショーのフルリハーサルが行われていた、ということのようである。米空軍のF16戦闘機や、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」が参加しているという。
米軍岩国基地では、在日米軍再編の一環として厚木基地からの空母艦載機部隊移転が計画されている。ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」(宮島)の騒音問題とも無関係ではない。
御床山~岩船岳を経て、大川越まで下り、岩船岳縦走路を行く
御床山から岩船岳までは、尾根のやや北側を行く。少しわかりにくい箇所もあるが、かつて幾度か通ったコースであり問題はない。岩船岳と岩船岳東峰の間のピークもやや北側を行く。
岩船岳から乾いた落ち葉の上を滑りながら、大川越まで下る。
大川越から、岩船岳縦走路を先峠まで行く。さらにそこから、多々良林道に下り、海岸道路を経て宮島桟橋に帰り着いた。
大川越の道しるべ
大川越に道標がある。岩船岳まで(登り、40分)、大川浦まで(下り、40分)となっている。さらに、大川浦(40分)広大宮島自然植物園(15分)多々良潟(35分)大元公園・宮島フェリー乗り場方面、とある。大川越から宮島桟橋まで2時間10分だから、かなりの健脚である。
私の場合だと、海岸部をどんなに急いでも、大川越~宮島桟橋は2時間30分くらいかかるはずである。そして、大川越からそのまま山道を行っても(ただし、多々良林道経由)時間的にはほぼ同じくらいである。
上記の道標では、海岸部で詳しい所要時間を示しているのに対して、山側(縦走路)は奥の院を経て弥山に至るとしているだけで時間の記入はない。白地に黒の同じ形式の道標は、宮島自然植物実験所の周辺に設置されている。したがって、実験所を中心とした所要時間を示したものなのだろう。
話は戻るが、御床山にも別の形式の道標があって、御床浦へ下る踏み跡(良い道だった記憶がある)を指し示している。同じ形式の道標は、大川浦と御床浦の間や御床山北側の沢の中にある。いずれも時間表示はない。
過去のデータをみると、御床山から御床浦まで、下り40分くらいだろう。そして、御床浦~大川浦も40分くらいで、合わせて1時間20分である。これに対して、御床山~岩船岳~大川越から大川浦に下った場合は、大川浦まで早ければ1時間30くらいで下ることができる。どちらもあまり時間的には変わりない。
海岸部では、御床浦、大川浦、室浜砲台跡手前など迷いやすい箇所がいくつもある。また、アップダウンもある。したがって、岩船岳を縦走する場合には、安易に海岸部に下りることなく、行き帰りとも尾根伝いに行く方が、安全性は高いと考えられる(時間的な差はあまりない)。
高安ヶ原分岐に「新しい道標」をみる
岩船岳縦走路上の先峠、つまり「縦走路から岩船岳登山口(多々良林道)に下る分岐」、の手前(南側)に高安ヶ原分岐という新しい道しるべ(手書き)を見つけた。この道標によれば、分岐を東海岸側へ下ると青海苔であり、青海苔の手前を右折すると原に至る、という。初めて見るものである。また、原という地名は今まで一度も聞いたことがない。
道標の横をのぞきこむと、昔から踏まれたような幅広の良い道が下っているように見える。国土地理院の地形図では、先峠からすぐに黒破線が東海岸へ向けて下っているが、今までその道を見たことはなかった。
青海苔浦に下る道とは、縦走路を351mの方にもう少し行った陶晴賢碑分岐から下る道のことであると信じていたのだが、この先峠近くから下る黒破線(地形図)の道がかつて存在したのかもしれない。
同じような形式の道標は、上記の陶晴賢碑分岐近くにもあり、これまた古い道が多々良など西海岸に向けて下っているようである。
世界文化遺産の島「宮島」の自然を守るために、これら道標については、どのように考えるべきなのだろうか。
ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」は、社殿を中心とする厳島神社に加えて、前面の海および背後の弥山原始林(天然記念物)が世界文化遺産として登録されている。そして、それらの区域(厳島全島の14%)を除く島全体がバッファーゾーン(緩衝地帯)とされている。
むやみに踏み跡を歩きまわるのは避けたいところではある。
疲れ果てる
今日の山行は、いかんせんハードすぎた。
海岸部を4時間歩いて山に取りついた時点で、あまり余力は残っていなかったようだ。海・山のどちらを回って帰るにしても、日帰りでは少々無謀なプランであった。
帰り道で弥山に登る(出発前にちょっとだけ頭をよぎった)には、時間的にも体力的にも全く余裕はなかった。岩船岳登山口(多々良林道)から前峠を乗り越して、大元谷左岸コースで大元公園におりる気力もない。結局は、林道をそのまま多々良まで下り、海岸通りで大元公園入口を経て宮島桟橋に何とか帰り着いた。
超満員の宮島連絡船
朝二番の連絡船で宮島に渡った。桟橋近くの駐車場では車の列が長く延びている。連絡船を待つ人たちの列も尋常ではない。連絡船は超満員、船内では座ることはもちろん、外に出てデッキに寄り掛かることもできず、船倉とデッキの間に立ち続けた。正味10分だから苦にはならないけれども。
帰りも同じく超満員だった。何せ大願寺から宮島桟橋まで、人人の列で満足なスピードでは歩けない。左右に人を避けながら行こうにも、前もつっかえている。これらの人たちが一度に乗船するのだから大変である。(行き帰りとも、大鳥居前は潮が満ちていて渡れず)
それはともかく、宮島(廿日市市)が元気なのは良いことである。今日も長い距離を歩きとおせて大満足。宮島に感謝しつつ、「適度な入島税なら払っても良いな」と思う。
宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊
『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』
宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。