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2004年05月05日

ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 大茶臼山トップページ

宗箇山、往復(Aコース~Bコース)
(出発帰着:三滝寺)

2004年05月05日(水)、EIKO、KEN

広島南アルプス縦走路:
武田山~(水越峠)~火山~(権現峠)~丸山~(畑峠)~大茶臼山~(己斐峠)~柚木城山~(草津沼田道路)~鬼ヶ城山~(道行地蔵)~鈴ヶ峰

はじめに

宗箇山往復(Aコース~Bコース)
(出発帰着:三滝寺)

ケンちゃん、山へ行こう。ウンいいよ、というので、KENは我が家にお泊りとなった。朝7時過ぎには起きて、もう気分は登山モードである。予期しない返事(最近振られてばかり)に行き先を考え直した。

今日のコースタイム:
三滝寺(37分)送電線鉄塔(27分)奥畑分岐(14分)宗箇山
 小計1時間18分
宗箇山(16分)展望岩(12分)大原山分岐(16分)三滝寺
 小計44分
総合計2時間02分(昼食タイム1時間09分を除く)

三滝寺9:28-山道9:40-分岐(左へ)9:56-右折9:59-鉄塔10:05-高峠山分岐10:13-小ピーク10:18-小ピーク10:31-奥畑分岐10:32-小ピーク10:38-宗箇山頂上10:46、11:55-展望岩12:11-長束分岐12:18-(すぐに鉄塔、小ピーク)-ピーク12:20-長束、大原山分岐12:23-12:39登山口

宗箇山はなかなか趣のある山である。木段等の人工物はほとんどない。それでいてよく整備された適度の広さの道が続いている。登山道途中では、落ち葉を掃き清めている人たちがいた。感謝!感謝!

登山道に入る。水が多い。滝がある。トンボがたくさん飛んでいる。デジカメでもうまく写すことができた。薄茶色の細長い羽が透けて見える。KENが調べてくれるだろうか。昆虫は得意らしい。

”枯山水の日本庭園を思わせる竹林の道”(広島の山へ行こう)を行く。全体にゆるやかなコースだ。道がどんどん西を向いていく。以前下りた(2000年 10月29日)コースとは違っているようだ。二万五千分1地形図にある西回りの登山道のようだ。ほんとうは急坂を登るつもりだったのだが、結局はこちらの大回りだがゆるやかなコースで良かったのではないだろうか。

鉄塔のところで白い花房をたくさん下げた高木が何本かあった。種名同定は検討課題。登山道はほとんど樹木に覆われている。直射日光をあびる箇所はほとんどない。心地よい木漏れ日の中を行く。

途中で、大茶臼山へ至る道を左へ分ける。のぞきこむと転がり落ちそうな急坂である。2000年10月29日にJR新井口~鈴ヶ峰~大茶臼山(実働4時間)を縦走した後にあえぎながら登った道のようだ。

クヌギの幼木あり。ちょっと左手に展望の開ける箇所では、火山のふもとの大団地造成の様子を見る。セミの鳴き声を聞きながら頂上に着く。快晴の天気、単独者、家族連れ、グループ登山、今日も多くの人たちに会う。

頂上からは、広島市街地のビル一つ一つが同定できる。基町クレドや新設のタワーマンションなど。広島平和公園にある広島平和記念資料館が見える。その向こうの100m通りには色とりどりのテントが張ってある。フラワーフェスティバルのパレードは残念ながら通っていなかった。空には遊覧飛行だろうか。セスナが一機、頂上よりも低い位置からちょっと高い位置まで旋回飛行をしている。

下りは岩だらけの急坂である。KENはうまくこなしてくれた。ほとんど下りきったところで水浸しの登山道を下る。”クワッ、クワッ”、蛙の鳴き声が聞こえる。EIKOが確かめにいったがよくはわからなかったようだ。

次はもっときつくてもいい、KENはそう約束をして帰っていった。車に弱いのが気がかりだ。遠出をするのはしんどいかもしれない。

ニセアカシア(ハリエンジュ)


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2004年07月03日

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久地冠山
(出発帰着:野間平発電所)

2004年07月03日(土)、単独

はじめに

2004年07月03日(土)、単独
久地冠山
(出発帰着:野間平発電所)

そろそろ今年も十方山へ、と思って予定していたのだが出遅れる。ホームグラウンドの鈴ヶ峰(広島市西区)から見える山の一つで、近場にある久地冠山に急遽変更。二万五千分1地形図(飯室)とコンパス、それに「あさきた里山いちばん」を手に飛び出す。

広島地方は今年一番の暑さだった。日差しはもちろん夏そのもの、山の中で直射日光を浴びることはほとんどないものの、全身汗でびしょぬれになってしまった。ポケットの手帳もぐちゃぐちゃになる。 全くの一人旅、ただし宇賀峡側でチェーンソーの音。山仕事中の人がいるのだ。

今日の久地冠山で、広島県西部の冠山5座(吉和冠山、中野冠山、湯来冠山、可部冠山、久地冠山)すべてを登ったことになる。

今日のコースタイム:
野間平発電所(56分)鉄塔1(30分)鉄塔2(16分)久地冠山
 小計1時間58分(全ての休憩を含む)
久地冠山(11分)鉄塔2(17分)鉄塔1(29分)野間平発電所
 小計57分
総合計2時間55分(山頂での休憩33分を除く)

野間平発電所13:23-展望13:44-分岐、鉄塔管理道13:59-分岐13:59-展望岩場14:07、14:13-第一鉄塔14:19-(途中休憩14:34、14:40)-ピークを左から巻く14:44-小ピーク14:46-第二鉄塔14:49、15:05-久地冠山15:21、15:54-第二鉄塔16:05-第一鉄塔16:22-分岐16:30-分岐16:34-堰堤16:41-沢渡る16:43-野間平発電所16:51

野間平発電所の左を施設に沿って真っ直ぐ登り尾根に取り付く。ほんとうは発電所横にある小さな案内図に書いてあるとおり、斜め左へ入っていかなければいけなかったのだ。

「あさきた里山いちばん」だけの文章ではちょっと分かりにくい。それに、この本の地図(久地冠山の項)に示された登山道の角度はかなりデタラメである。これに対して、"こういち"レポートは出色の出来である。GPSトラック付のコースガイドは大変分かりやすい。ところが今日はそれを参考にさせてもらっていない。もったいないことをした。

野間平発電所施設上部で道に花が落ちている。見上げるとネムノキの花が満開だ。下山後改めて駐車場所から見上げると、かなり大きな木で全体がピンクに染まっている。行き帰りの道路脇でも花盛りのネムノキをたくさんみた。

さて、尾根筋にはわずかに踏み跡がありそれに沿って登る。やがてちょっと平らな箇所を過ぎると、左手から道が上がってきており合流する。これが正規のルートである鉄塔管理道だろう。塹壕のように掘れてはいるが、しっかりした道だ。一安心する。

太陽が正面向かってほんのわずかに左から差してくる。展望岩に着く。北の方角に山影は見えるがよくは分からない。やがて第一鉄塔に着く。本串山に向けて送電線が延びる。本串山の右奥に水越山、(太田川をはさんで)その右隣りには尖がり帽子の後山権現山。

道が崩落している箇所がある。慎重に通り過ぎる。今日は久しぶりに”海人の藻塩”を持参した。少しづつなめながら進む。少し身体がだるい。座り込んで小休止。 普段は座り込んで休むことはあまりしない。登山スタイルを夏山モードに切り替える季節が再びやってきたようだ。

第二鉄塔のすぐそばまで来た。しばらく前から雨の音がしている。木立の中から鉄塔の方をみると、やはり雨が降っている。傘が必要なくらい降っている。しかし、木立の中で雨に濡れることはない。それくらい木が繁っている。

正面に冠山の急なピークを見上げる。標高差あと100m位のはずだ。ここで引き返すかどうか。しばらく待ってみることにする。やがて雨がやんだ。オカトラノオが咲く草地をかき分けて前に進む。

ところで、第二鉄塔は展望もよい。本串山の左に滝山、牛頭山など。右に水越山、後山権現山など。西南西の方角に、宇賀峡をはさんで対峙する663.5m三角点が大きい。その右奥に笹ヶ丸山が見える。さらに右奥には、十方山、恐羅漢山などが見えるはずだが雲の中である。

雨模様の中を、山頂でわずかばかりの展望を楽しむ。雷が遠くでゴロゴロ鳴っており下山を急ぐ。鉄塔管理道をそのまま堰堤まで下り、左折して沢沿いを行く。ドクダミが咲いている。イノシシよけの電線が道に沿って張ってある。電線は、道の右側に張ってあるかと思えば今度は左側というように、時々張る位置を変えている。その度に電線をまたいで行く。電線にはどれくらいの電流が流れているのだろうか。感電するんだろうか。

太田川沿いに何台かの車が止まっている。鮎つりをしている人が見える。太田川の水がいつまでもきれいであってほしいと願う。

注:第2鉄塔から第1鉄塔を越えてその向こう(本串山の方角)の鉄塔まで、ほぼ一直線のはずである。山旅倶楽部の地形図ではそのように表記してある。ところが、二万五千分1地形図(飯室、平成13年7月1日発行)では、第1鉄塔のところで少し内側に屈折している。地形図が間違っているのだろうか。登山道の表記が間違っていることは別に珍しくもない現象だが。

国土地理院の地形図では、第2鉄塔の標高が少し高くなり、冠山により近づいた地点になる。そして、カシミール展望図を描くと国土地理院の地形図上の位置の方がなんとなくしっくりする。機会があれば現地で一度検討してみたい。

注:ドック入りしていたデジカメが修理から戻ってきたので持って行く。 修理報告書によると不具合の現象は以下の通りで、部品を一部交換、正常動作確認、となっている。

カメラ起動時に焦点があっていない。ズームインさせていくと焦点は合うが、そこからズームアウトさせていくと再び焦点が合わなくなっていく。シャッターボタンの半押しで焦点をあわせようとしても合わない。部品交換(鏡胴セット、バッテリーカバーASSY) 、正常動作確認。

実際に山で使った感じでは、焦点を合わせる時にレンズの動く音が少し大きく、何か引っかかっているようでもある。焦点は合っている。


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2002年07月20日

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一兵山家山 ~ 中野冠山、縦走
(出発帰着:ロッジ・サイオト前)

2002年07月20日(土)、単独

はじめに

2002年07月20日(土)、単独
一兵山家山~中野冠山縦走
(出発帰着:ロッジ・サイオト前)

2002年06月01日(土)羅漢山山頂でごいっしょになった方々とノベリ山(939.7mピーク)で全く偶然に再会した。最近は芸北方面を意識的に登っているというお話であったので、これからもニアミス、ドッキングが起きそうである。

今日のコースタイム:
ロッジ・サイオト(35分)来尾峠
来尾峠(19分)939mピーク手前(10分)第二ピーク(14分)一兵山家山
 小計48分(峠から山頂まで、休憩含む)
一兵山家山(44分)ノベリ山(52分)中野冠山
 小計1時間56分(休憩を含む)
中野冠山(27分)ロッジ・サイオト前
総合計4時間44分
 (県境探索分および全ての休憩を含む)

ロッジ・サイオト前9:44-来尾峠10:19、10:25-939mピーク手前10:44、10:49-939mピーク10:50-第二ピーク10:59-一兵山家山頂上11:13、11:21-933mピーク11:34、11:37-ノベリ山(939.7m)12:05、12:25-冠山手前鞍部12:50-中野冠山山頂13:17-(県境北西尾根探索13:49-14:01)-中野冠山山頂出発14:01-ロッジ・サイオト前14:28

深夜から明け方前にかけて激しい雨の音を夢うつつに聞く。今週はダメかなと思ったが一応Yahoo天気予報でピンポイント情報を調べると、どちらかと言えば芸北地方の方が降水確率は少ないようだ。自宅の窓から見る空も明るくなってきたので出かけることにする。

現地では曇り空、先に冠山に登って一兵山家山まで縦走した後で舗装道路を歩いて帰ってくるか、それとも先に舗装道路を済ませて、一兵山家山→冠山にするか、ちょっと考えた。午後からもっと晴れるかもしれない。展望が良いという冠山を後回しにすることにした。

来尾峠から冠山までずっと島根県境を歩くことになる。「続・ふるさとの山歩き」によれば、かつてはササやイバラに悩まされる山道であったのを地元の人々が整備されたのだという。足元の道を覆うものは何もない。気持ち良く通らせていただく。

稜線上には真新しい木製の棒(測量用か?)が間隔を置いて打ち込まれている。棒の先はくさび型に削られ先端には釘が打ち込まれているものもある。この道は県境の管理道としても大切な道なのであろう。

さて、来尾峠からの登りはマツの大木が多い。939mピーク手前で左手に展望が開ける。左手前方に目指す冠山(磁北から230度、実際は229度くらいか)、その右側は縦走路途中のピークであろうか。左手(東側)にも多くの山々が重なっている。さらに東側手前に目をやると、高杉山~夫婦岩山~井屋山にかけての稜線が美しい。

この時には大展望は冠山でと簡単に考えていたので、ちょっとしたスケッチを描いただけで先へ進んだ。(後述するように、冠山での展望がえられなかったので、今日の行程の中で広島県側に開けた展望はここだけになってしまった)

カシミール3Dで遊んでみた。
冠山の右手に見えるのは刈尾山~掛津山である。スケッチにもきちんと描いているがその時は気にもしていない。左手に、恐羅漢山、深入山、十方山と続いている。これらの山もきちんと同定しながらは見ていない。正面左手奥から、高杉山~夫婦岩山~井屋山に至る稜線が続き、その右奥には、天上山、大峯山などが並ぶ。

一兵山家山では島根県側に展望が開ける。頂上から東側20~30mの所まで切り開いた個所があり(測量のため?)、東に天狗石山が大きく、北側に島根の山々が重なる。

ノベリ山(939.7mピーク)に至る。先着2人組の方が食事中である。どちらからというので、車をロッジに止めて来尾峠まで歩いたと答える。じゃあ自分たちはその横に止めたんだ。そして冠山から先に登ってきたという。話しているうちに、どこかで会ったような、と思っていると、相手の方から羅漢山でお会いしましたねと声がかかる。奇遇である。

最近は芸北方面が多いそうだ。この前は掛頭山に行ったという。毛無山~安佐山にも行きたくて偵察に行ったそうだ。毛無山登山口はわかったが安佐山登山口(安佐山橋あたり)がどうもはっきりしない(どこに車を置くのが一番いいのかわからない)という。この前そこを通ったので覚えているままをお教えする。前方に見えている天狗石山~高杉山にも興味があるようだ。

天候はあまり回復する兆しがない。前方の山の頂上にも雲がかかってくるようになった。先を急ぐことにする。別れ際に、冠山からの展望は最高、冠山からこの縦走路に入る下りで良く滑ったのでこちらからの登りはきついだろうとのアドバイスをいただく。

途中で何度かシャワーがあった。しかし緑の回廊を行く身に直接雨があたることは無かった。冠山最後の登りは確かにきつい。山頂手前まで約20分間あえぎにあえいだ。汗がだらだら流れ落ちてくる。拭うタオルをしぼるとそこからも水滴が落ちてくる有様である。水分を摂る。とり過ぎないようにしようと思ってもついつい飲みすぎてしまう。残りの行程を考えつつ自制する。

頂上に着いてすぐ正面に見えるはずの恐羅漢山をさがす。あれが・・・と確認するまもなくガスに覆われる。一度晴れそうになったが再びガスってきて360度の視界は閉ざされてしまった。残念だがあきらめる。

駐車場に帰り着くと確かに横に車が一台止まっている。あの人達の車だろうか。お互いにほぼ同じ時間に出発して、廻るコースが逆なだけだからもうすぐ車道を歩いて下りてくるだろう。帰り支度をゆっくり目にしながら待ってみることにする。

しばらくして車道に二人の方の姿が現れた。無事下山の挨拶をした後、我がHPのURLを所望されたので紙に書いてお渡しする(さっき山で会ったときHPの話をしていたのだ)。天狗石山~高杉山はいつですかと聞かれたので、来週にでもと答える。彼らは8月後半に7~8名での登山を計画しているようだ。機会があればいつかごいっしょさせていただくということで別れる。私のホームグラウンド近くにお住まいのようである。電子メールをいただけるとありがたいですね。


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2003年10月18日

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中野冠山 ~ 一兵山家山、縦走
(出発帰着:ロッジ・サイオト前)

2003年10月18日(土)、単独

はじめに

2003年10月18日(土)、単独
中野冠山~一兵山家山縦走
(出発帰着:ロッジ・サイオト前)

昨年ガスってせっかくの360度展望を楽しむことができなかった。今年秋晴れの続く中で再挑戦、去年と逆廻りで最初から目的の山をめざす。天候はやや曇り、直射日光をそれ程あびることなくまずまずの展望を得て満足する。

今日のコースタイム:
ロッジ・サイオト(58分)中野冠山
 小計58分
中野冠山(54分)ノベリ山(1時間03分)一兵山家山
 小計1時間57分
一兵山家山(42分)来尾峠(40分)ロッジ・サイオト
 小計1時間26分(休憩を含む)
総合計4時間36分(冠山展望およびノベリ山昼食を合計2時間として差し引く)

ロッジ・サイオト前9:54-せまい尾根10:30、10:35-中野冠山10:52、12:30-鞍部12:45-小ピーク12:49-小ピーク12:54-小ピーク12:59-872m13:04-鞍部13:08-小ピーク13:20-ノベリ山(939.7m三角点)13:24、13:54-鞍部14:01-小ピーク14:06-ゆるい鞍部14:37-小ピーク14:40、またすぐ登る-933m14:48、急な下り-(小ピーク2つ)-一兵山家山14:57、15:04-鞍部15:12-小ピーク15:20-小ピーク15:22-ピーク15:30-来尾峠15:46、15:50-ロッジ・サイオト前16:30

前回は登山口を見落としてそのまま来尾峠に至り、そこから中野冠山へ戻ってくるコースを取ったため、その間に天候が悪化して展望のチャンスを逃してしまった。前回の下山口が今日の登山口だ。さっそく取り付く。

最初に出迎えてくれたのは、ミゾソバである。足元に点々と続く赤い実はツルアリドオシか、シキミやガマズミ?の赤い実もある。アキノキリンソウはすでに終りか、上のほうが少し白くなっている。リンドウもある。ウメバチソウは最後の最後で一輪、それも少しいたんでいた。

山頂では、後から到着したご夫婦1組に写真をたのまれてシャッターを押す。それまでに肝心の展望図はかなりくわしく描けた。しかしこれと写真、カシミール展望図がなかなか一致しない。一週間寝かせておいたのだが、昨日山行分の恐羅漢山を先に作成したため再び時間がなくなった。したがってまずは一部分だけ詳細展望図を追加する。

さて、当日はあわよくば天狗石山まで行ってやろうかと考えていたので先を急ぐ。縦走コース最大の難関は中野冠山の下りであろう。晴天続きでも粘土質で実に滑りやすい。登山道左側によって、笹を4~5本づつしっかりにぎりしめながらゆっくりと下る。特に山頂附近ほど傾斜がきついようである。

コースの最初から最後まで高杉山(ユートピアサイオトスキー場)がお友達である。冠山登り途中で振り向けば高杉山、縦走路では始めは右前方、ついで真横になり、そしてやや後ろの位置に高杉山が見え隠れする。最後は、高杉山の方角に下っていく。

来尾峠4時前着、天狗石山往復の時間はない。そのまま車道を下る。


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2001年11月04日

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往路:吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷、クルソン岩経由)
復路:松の木峠(冠高原)
(出発帰着:潮原温泉)

2001年11月04日(日)、単独

はじめに

吉和冠山
往路:ウシオ谷~クルソン谷(クルソン岩経由)
復路:松の木峠(冠高原)
(出発帰着:潮原温泉)

往路にて、クルソン岩(国体コース)分岐からクルソン岩往復。

今日のコースタイム:
潮原温泉(7分)登山口、鉄橋(40分)クルソン谷分岐(20分)クルソン岩(国体コース)分岐(10分)クルソン岩(55分)吉和冠山頂上
 小計2時間12分
吉和冠山頂上(1時間50分)松の木峠
 小計1時間50分
総合計4時間42分(車道40分を加える、昼休憩40分を除く)

潮原温泉(標高630m)9:18-登山道入口、鉄橋9:25-クルソン谷分岐10:05-クルソン岩(国体コース)分岐10:25-クルソン岩10:35-クルソン岩(国体コース)分岐へ戻る11:00-冠山頂上11:30 、冠山12:10-松の木峠(標高780m)14:00-(車道6km)-潮原温泉(標高630m)14:40

登山口につくまでに一時降雨あり、雨を心配しながら曇天のなかを登る。 クルソン岩(国体コース)分岐からクルソン岩を往復する。クルソン岩ではかすんでおり展望なし。

頂上真近になってほとんど雨が落ちてきそうな雰囲気となる。下山してきた人に「さっきほんの一瞬晴れた。あともう少しだからがんばって!」とはげまされ、ここまできたら頂上を踏んで帰るだけでよしと気合を入れなおす。

頂上はかなりの人数である。しばらくして天候が少し回復、頂上北側の懸崖から十方山方面の紅葉を楽しむ。そこに陣取って食事をしていた中高年男女グループから 、”今年は赤が少ないね”という声があがる。見える範囲はツキノワグマの生息地である。

松の木峠コースは、黒い粘土質の土の上に落ち葉が乗っており滑りやすい。アップダウンもある。


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2003年06月14日

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吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)、往復
(出発帰着:潮原温泉)

2003年06月14日(土)、単独

はじめに

吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)
(出発帰着:潮原温泉)

週末はずっと雨のはずが金曜日は晴れて真夏日となった。天気予報によると、土曜日も広島では雨の降る確率の方が低くなっている。一年ぶりに吉和冠山に出かけてみることにする。お目当てはオオヤマレンゲである。もし雨が降ってくれば傘をさして歩こう。

今日のコースタイム:
潮原温泉(19分)登山口、鉄橋(29分)クルソン谷分岐(35分)クルソン岩(国体コース)分岐(34分)吉和冠山頂上
 小計2時間04分(休憩を含む)
吉和冠山頂上(27分)クルソン岩(国体コース)分岐(30分)クルソン谷分岐(19分)登山口(14分)潮原温泉
 小計1時間34分(休憩を含む)
総合計4時間09分(オオヤマレンゲ探索含む、頂上での休憩30分除く)

潮原温泉7:43-登山口8:02-沢8:10-沢8:21、8:23-クルソン谷分岐8:31、8:38-沢8:50-クルソン岩近道分岐8:56-分岐?9:05-沢9:08-クルソン岩(国体コース) 分岐9:13-沢9:26-左折して登り9:30-吉和冠山9:47、10:17-(オオヤマレンゲ探索)-吉和冠山10:48-クルソン岩(国体コース)分岐11:15、11:19-沢11:22-分岐?11:24-クルソン岩近道分岐11:31、11:33-沢11:37-クルソン谷分岐11:49-登山口12:08-潮原温泉12:22

目的地に向かう車道の両側は、道路沿いや山側にクリの花が満開である。帰り道で民家のそばのクリの木を写す。足元にはドクダミ、それとゲンノショウコ?往路ではその他、ヤマボウシを3本見つける。 友和小学校横に忠魂碑。

車道途中でほんの少し降ってきた雨はクルソン谷で本降りとなった。しかし、頂上直下の急登も道はジグザクについており、傘をさしての登り下りもそれ程気にはならな い。

頂上に着いて、まずは山頂三角点から懸崖に至り前方を見据える。左手広高山の右奥に赤谷山、そして大神ヶ岳の烏帽子姿が登山意欲をそそる。正面には春日山、そして恐羅漢山あたりが雲の流れに見え隠れしている。右手で何とか分かるのは女鹿平山くらいである。といったところを確認するまもなく一瞬にして全体が雲で覆われてしまった。なお見える範囲は、290度~磁北0度~100度くらいである。

続いて、オオヤマレンゲ探索に出かける。松ノ木峠に向かってしばらく行くとえらく貧相な林となる。道を間違えたのかと不安になり角度を確認して安心する。

オオヤマレンゲは山道の側に2輪咲いていたが、残りはほとんど蕾の状態であった。まだ時期が早いのだろうか。"こういち"レポートによれば、山頂付近でコマユミ・ヤブデマリの花が見られる頃、オオヤマレンゲも花を開き始める。(ただし)オオヤマレンゲの最盛期はこれらより少し遅れる、とある。山頂付近にヤブデマリ?の白い花がこぼれんばかりに咲いている箇所があった。

さて、オオヤマレンゲは山道を少し入ったところにも2~2輪見つけたが、すでに踏み跡らしき道ができつつあったのであえて踏み込まなかった。山道にはホオノキもかなりあったが花は見つけられなかった。(広島市内のタイサンボクには大きな花がたくさんついている)

帰り道では5名くらいのパーティ2組、単独者2名、男女カップル1組と出会った。皆それぞれに傘を持ったり雨具を着込んだりしている。山口の人も多いようである。単独行の人にオオヤマレンゲを見て来たかと聞かれた。やはり皆さんお目当てはオオヤマレンゲだろうか(サラサドウダンはまったく分からなかった) 。登山口下流で、川床に白い花が枝いっぱいに垂れ下がっている木を見つける。アサガラ(オオバアサガラ)?

落葉広葉樹の葉もすでに夏のものである。実際に体に当たる雨は降ってくる雨の何分の一しかない。雨降りの中をほとんど濡れることなく森林浴を楽しむ。


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2004年06月12日

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吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)、復路は、クルソン岩経由
(出発帰着:潮原温泉)

2004年06月12日(土)、単独

はじめに

吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)
復路は、クルソン岩経由
(出発帰着:潮原温泉)

一年ぶりの冠山である。お目当てはオオヤマレンゲ、一輪いいのを写せて満足する。サラサドウダンは今まで見たことがなく、今回も期待はしていなかった。今年はすでに咲き終わったのかもしれない。

途中からデジカメが不調でピントがうまく合わなくなった。よく分からないながら、ガチャガチャいじくって何とかオオヤマレンゲをものにした。しかし、どうしてもピントが合わない場合があり、その他撮影できた枚数は余り多くない。

雨上がりの天気に展望を期待したが思ったほどではなかった。それでも今までよりはきちんと観察できた(→カシミール展望図へ) 。翌13日(日)は超快晴、自宅から似島、経小屋山がくっきりと見える。2日連続でもう一度と考えはしたが、体力を考えて断念する。

今日のコースタイム:
潮原温泉(22分)登山口、鉄橋(30分)クルソン谷分岐(46分)クルソン岩(国体コース)分岐(32分)吉和冠山頂上
 小計2時間16分(休憩を含む)
吉和冠山頂上(31分)クルソン岩(国体コース)分岐(14分)クルソン岩(11分)クルソン岩近道分岐(12分)クルソン谷分岐(20分)登山口(16分)潮原温泉
 小計1時間55分(休憩を含む)
総合計4時間33分(オオヤマレンゲ探索22分含む、その他頂上50分除く)

潮原温泉9:52-登山口10:14-沢渡る(木橋)10:23-沢渡る(木橋)10:33-クルソン谷分岐10:44-沢11:00-クルソン岩近道分岐11:05-クルソン岩(国体コース)分岐11:30、11:36-小ピーク11:39-沢11:50-吉和冠山12:08 、12:30-(オオヤマレンゲ探索)-吉和冠山12:52、13:20-沢13:42-小ピーク13:48-クルソン岩(国体コース)分岐13:51-(クルソン岩へ)-小ピーク13:56-小ピーク13:59-本線分岐14:01-クルソン岩14:05、14:16-クルソン岩近道分岐14:27-沢14:31-クルソン谷分岐14:39-橋14:46-橋14:48-橋14:53-国体コース分岐14:57-登山口14:59-潮原温泉15:15

いつものように潮原温泉からクルソン谷を登る。登山口に至るまでにフタリシズカ発見。その他、ウツギ、コアジサイなど。登山口には数台の車が止まっている。すでに何組かが入山しているようだ。

登山道に入るとひんやりとした風が通る。雨上がりの山道は少しぬかるんでいる箇所もある。ほどなくして帽子のひさしから汗がしたたり落ちはじめる。湿度は少し高いのか。

大きな赤茶色のカエルが目の前を跳ねていく。かなり寸胴の体型をしている。しばらくして今年生まれたばかりと思われる子カエルがその後を追っていった。

クルソン谷分岐の上方で、犬を連れたカップルを追い抜く。その後で、男性1人に追い抜かれる。登りで行き逢ったのはこの方々のみのはず。帰りは全くの一人旅となった。登山口直前で犬連れのカップルを再び追い抜く。そのすぐ後で、植物観察のグループを追い抜く。

吉和冠山の登山コースはいくつかある。山頂では多くの人といっしょになった。しかし、コース上では適度にバラけており、静かな山行を楽しむことができて満足する。

デジカメで写真を撮っている時に、追い抜いていった男性から”何かめずらしいものがあるんですか”と尋ねられた。いや、帰ってから調べるんだけど、半分以上は分からないままです、と答える。この男性は、登山口手前の林道を歩いている時にバイクで追い越していった人だ。こちらが登山口に着いた時、ちょうど山支度をしていた。

この男性とはオオヤマレンゲが咲いているところでもいっしょになった。オオヤマレンゲのそばに咲く満開のヤブデマリを指して、この花は何ていうんですかと聞いてくる。ヤブデマリと答える。冷や汗が流れる。

ヤブデマリは今が満開のようだ。こぼれんばかりの花が横に大きく伸びた枝いっぱいに付いている。そしてそのそばで、オオヤマレンゲの蕾が多くみられた。登山者から”さっきよりも開いている”という声があがる。

日があたると開くのか、時間と共に開くのか。それはともかく、登山道のすぐそばに一輪咲いており、登山道から外れて中に踏み込むことなく、無事デジカメに収めることができた。

山頂にはサラサドウダンの花がたくさん落ちている。登山者の一人が片手にいっぱい集めた花びらを見せてくれた。少し赤みが強いようである。去年は6月10日に来たけれども(開花には)少し早かったので、今日(12日)にしたのだという。今年は早くも終わってしまったのだろうか。

QJYつうしん第1号、平成7年6月24日(2週間前咲き始め、今日もOK)
QJYつうしん第67号、平成9年6月20日(昨年に続いて全くダメ)
"こういち"レポート、2004年6月5日(2年間裏年が続いてさっぱり、今年まずまず)

来年は、サラサドウダン目当てに、6月初めから毎週通ってみようかな。

クルソン岩から急坂を下る。前々回(2002年06月08日)ここを登ってきつい思いをしたことがある。どんなに大変かと思ったが、ほとんど両手を使うほどのこともなく下りきる。

登山口近くの国体コース分岐にある木橋にロープがかけてあり、ワイヤーで吊るしたような格好になっていた。橋が腐って通行困難ということなのであろうか。コース上にあるその他いくつかの木橋も傷みがひどくなっているようだ。元々この登山道は誰が管理しているのだろう。何らかのお手伝いができないだろうか。

ミズタビラコ
コバノフユイチゴ Rubus pectinellus (バラ科 キイチゴ属)
ヤマグワ Morus bombycis (クワ科 クワ属)
スイカズラ


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2005年04月29日

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吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)、往復
(出発帰着:潮原温泉)

2005年04月29日(金)、単独

はじめに

吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)
(出発帰着:潮原温泉)

今年は西中国山地の山をできるだけ多く歩いてみたい。当然、山口県、島根県との県境を越えて向こう側も対象となる。手始めに、吉和冠山~寂地山(山口県)を選んだ。

今までは4月中に西中国山地に入ったことはない。カタクリ目当てで歩いてみることにした。先週宮島で聞いた情報によれば、今週末が一番見ごろだろうということだった。その時話題になった白いカタクリにも出会えるかもしれないし。

吉和冠山から寂地山方面に少し行きかけた所に、カタクリの小群落があった。寂地山までこうしたカタクリロードが続いているのだろう。期待に胸膨らませて下り始める。

体調があまりよくないようだ。ここまでのコースタイムとしては、特に遅いということもないのだが。寂地山まで往復3時間(参考コースタイム)は少しきつそうだ。一応、今日のお目当てのカタクリはたくさん見たことだし、寂地山は次の機会にまわし、冠山山頂に戻って昼食をとることにする。しかし、大勢の人達のおしゃべりに圧倒されてしまい、そのまま早々に下山した。(昼食は下山後)

滞在時間は短かったが、ミヤマカタバミ(花)、エイザンスミレ(花)、ニシノヤマタイミンガサ(大きな葉)、エンレイソウ(花)、タチカメバソウ(花)など、多くの植物と出会えて大満足。

今日のコースタイム:
潮原温泉(18分)登山口(31分)クルソン谷分岐(41分)クルソン岩(国体コース)分岐(40分)吉和冠山
 小計2時間13分(途中休憩を加える)
吉和冠山(30分)クルソン岩(国体コース)分岐(11分)クルソン岩近道分岐(13分)クルソン谷分岐(19分)登山口(14分)潮原温泉
 小計1時間27分
総合計3時間40分(山頂展望、カタクリ探索時間28分を除く)

潮原温泉8:43-登山口(鉄橋)9:01-沢渡る(木橋)9:20-沢渡る(木橋)9:22-クルソン谷分岐9:32、9:35-クルソン岩(国体コース)分岐10:16-小ピーク10:22-沢(水あり)10:31-沢(水なし)10:33-分岐10:56-吉和冠山10:56-懸崖10:58、11:11-吉和冠山11:12-(カタクリ探索)-吉和冠山11:24-沢(水あり)-小ピーク11:49-クルソン岩分岐(国体コース)11:54-クルソン岩分岐12:05-沢(水量多し)12:09-クルソン谷分岐12:18-国体コース分岐12:35-登山口12:37-潮原温泉12:51

登山道に入り、スギ人工林のなかを左手に渓流を見ながら、ゆったりと登り始める。時々聞こえてくる鳥の鳴き声が美しい。所々日のあたる場所では、ミヤマカタバミの花が開いている。

クルソン谷分岐でエイザンスミレをみる。クルソン谷に入ってもスミレの列は、ミヤマカタバミの白い花と共に続く。種類はタチツボスミレ、スミレサイシンなどだろう("こういちレポート"参照)。ニシノヤマタイミンガサが大きな葉を広げて、どこまでも続いている。

うしろから追い抜いていった男性が、真剣に花の写真を撮っているのに追いついた。タチカメバソウだと教えていただき、自分も写真に収める。本当はその時は名前がよく聞き取れなくて、これも"こういちレポート"で確認したのだ。エンレイソウが花をつけている。これも初めて見る花だ。

国体コース分岐手前で、左手から右手にかけてゆるい傾斜になっている所を行く。ウグイスの谷渡りが澄み渡る。クルソン谷分岐から6~7人のグループと前後しながら登っていた時のことだ。 ウグイスの谷渡りは大勢の人数が通過する時によく聞くように思う。

やがて、一旦平坦部に至り、正面(276度)樹間の向こうに冠山を見る。今までこの辺りで山頂を見ることがあっただろうか。芽吹きが始まったばかりの樹間が透けて見える。国体コース分岐でブナの古木をみる。ここから上では何本かのブナ大木を見ることができる。

小ピークを越えて谷を左から巻きながら、ゆったりと行く。やがて登山道は左折して、ふたたび正面に冠山(259度)をみる。途中でクルソン岩の尾根が見え、クルソン岩(94度)も樹間にはっきりと確認できる。

最後の急登だ。木の根をしっかりと踏ん張って登る。ツツピーツツピー、そしてウグイスの谷渡り。人の話し声も聞こえてきて頂上は近い。その山頂三角点を通り越して、いつものように懸崖に至る。

残念ながら見通しはあまりよくない。正面に十方山がわかりやすい。その左奥に五里山~恐羅漢山、両者の間にあるはずの刈尾山~掛頭山は確認していない。左手広高山の右向こうに大神ヶ岳を含む稜線が美しい。この辺りが今年特に目標としている山域だ。

十方山右奥の毛無山~阿佐山もあやしい。市間山~立岩山、女鹿平山の向こうがうっすらと見えている。その右に小室井山があり、さらにひょっとすると海が見える方角まで樹間が透けている。ただし今日のもやもやの中では何も確認できない。

大神ヶ岳右下の方角の林道に数台の車が止まっているのが見える。小川谷コース登山口だろうか。今年行ってみたいコースの一つだ。廿日市市吉和支所で鍵を借りて林道に入るのだという。"こういちレポート"記載の登山口(GPS軌跡)をみると、このコースの登山口は、角度としては冠山~広高山の間にあるとなっている。車が見えているのは、もう少し下流域(日本海側)かもしれない。

山頂からの下りで、小枝に黄色い花(クロモジ?)、沢(水あり)を過ぎて、行きで見逃した白い花を付けた木、その他キブシの花や、カエデ類にも小さな花を見つける。

人工スギ林に至るまで、登ってくる人と途切れることなくすれ違う。スギといえば、山頂下の小ピーク下からクルソン岩国体コース分岐、クルソン岩直登分岐下にかけて天然林があり、ほのかに木の香りを漂わせている。

下山道では全身に日の光を浴びる。木々はまだ芽吹いたばかりである。冠山の登山シーズンは始まったばかりだ。今年はこれからも何回か通うことになるだろう。魅力あふれる山である。

追伸:現地での行き帰りに山肌を眺めると、薄い緑から濃い緑まで、樹木一本毎に芽吹きの色が異なっており斑模様が美しい。藤の花が満開だ。先週宮島で今年始めて見てから、週半ばには甲越峠(呉娑々宇山)でも見かけるようになっていた。

平成の大合併によって、冠山のある佐伯郡吉和村は廿日市市となった。また島根県美濃郡匹見町が益田市と合併したため、瀬戸内海(廿日市市)と日本海(益田市)が県境を接する2つの市によって結ばれることになった。私の学生時代、父が益田市に転勤となった。家財道具を送り出して、広島バスセンターから益田に向かった。岩国経由で約4時間かかったように記憶している。


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2007年08月16日

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吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)、往復
(出発帰着:冠山登山口鉄橋)

2007年08月16日(木)、長男

はじめに

吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)
(出発帰着:冠山登山口鉄橋)

長男が、一緒に山に行きたいというので、お盆休みに予定を入れた。いつもはお互いの休日が合わないので、なかなかいっしょに出かける機会を作ることができない。山行は今回が二回目である。前回の十方山林道(ガラガラに荒れている)には参ったらしく、登山靴をきちんと準備してきてくれた。ただ、長ズボンがGパンだったのはうかつだった。長ズボンとだけ言っておいたので、少し歩きにくい思いをさせたかもしれない。

登山口鉄橋9:27-木橋9:41-小休止9:43-木橋9:46-クルソン谷分岐9:55、10:00-休憩10:09、10:16-沢渡る10:17-クルソン岩近道分岐10:21-休憩10:31、10:35-クルソン岩(国体コース)分岐10:40-休憩(急坂手前)10:55、11:01-吉和冠山三角点11:19-懸崖11:20、12:10-吉和冠山12:11-急下り終わる12:24-クルソン岩(国体コース)分岐(時刻不明)-小休止12:40-クルソン岩近道分岐12:51-沢渡る12:55-クルソン谷分岐13:00、13:13-登山口鉄橋13:37

今日のコースタイム:
登山口(28分)クルソン谷分岐(40分)クルソン岩(国体コース)分岐(39分)吉和冠山
 小計1時間52分(クルソン谷分岐5分加える)
吉和冠山(49分)クルソン谷分岐(24分)登山口
 小計1時間26分(クルソン谷分岐13分加える)
総合計3時間18分(山頂部移動2分、昼食時間50分を除く)

一昨日(2007年8月14日)は次弟と瀬戸滝からセト谷(十方山)に入った。そして、三つ倉の少し上から瀬戸谷南尾根コースを下った。時間的には南尾根コース全体の半分少々だろう。ただ、その下りが少しきつく感じてしまった。

今日の予定は、長男と孫(長女の長男11歳)の3人で登るつもりだった。十方山の瀬戸谷南尾根コースを登ってみたいと考えたけれども、2人ともどれくらい歩けるか検討がつかない。そこで、途中の三つ倉から十方山を眺めることができれば、それでよしとしていた。ところが、残念ながら孫には直前に逃げられてしまった。

長男と2人ということになれば、あまり気遣いをする必要もないので、予定通り十方山を目差せばよいところであるが、一昨日の疲れ方、はからずも下見となったコースのタフさ加減から少し躊躇してしまった。

また、昨日は還暦記念同期会(高校)で、一次会に続いて、陸上部のメンバーその他と二次会にも行って楽しい時間を過ごした。よせばよいのにアルコールを口にした。嫌いではないのでついつい飲みすぎることになる。朝起きると体調は万全とは言えない。という訳で、久しぶりに吉和冠山に登ってみることにした。

今日のコース(潮原温泉~ウシオ谷~クルソン谷)は、吉和冠山登山コースのメインルートといってよいだろう。コース紹介は、「ひろしま百山」中国新聞社(1998年)に詳しい。肉体的精神的にも十方山よりは軽めで、コース全体にメリハリがあって面白い。

最初、ウシオ谷に沿って林道をゆったりと行く。クルソン谷に入ると、自然林の中を登る。一息登ったところで傾斜は緩やかとなり、自然林を楽しみながら足を休めることができる。最後にブナの大木などが出迎えてくれる急坂を登りきれば三角点、そこを通り越して懸崖に至れば、正面に十方山の大きな山塊をみることができる。

いつもは、潮原温泉から登山口の方へ少し入って、中国縦貫道の陸橋下の空きスペースに駐車させてもらっている。今日は少しズルをして、登山口まで車を入れた。

すでに車が3台入っている。駐車できないかな、と考えていると、先着して準備をほぼ終わった女性3人が、ここに停めなさいと、鉄橋に近い位置を指差している。そのスペースに車を入れると、他のどの車の移動にも差し障りはなさそうである。我々も準備を終わり次第、件の女性陣(リーダー格の男性1人あり)を追いかける。

最初は、しばらくすると追いつき追い越した。ところが、長男が長いコンパスを生かして大股でどんどん行くのに対して、私のペースが上がらない。手綱を引き締めるので大変だ。そのうち、何とクルソン岩分岐前後で、女性陣に追いつかれてしまった。山頂での休憩をごいっしょして、下山でも追いついたり抜かれたりしつつ、結局、最後にクルソン谷分岐で休憩を入れなかった女性陣に置いてゆかれてしまった。

山頂では、レモンの蜂蜜漬けをご馳走になった。おいしかった。ありがとうございます。聞くともなく話を聞いていると、百名山もかなり登っている方々らしい。ツアーに参加したり単独の場合もあるのかもしれないが、山慣れしている。 女性の中の一人がいう。私も息子を強引に連れて山に行くことがあるけれども、最後には息子さんの方がバテルとも。恐るべし、中年女性パワー。

さて、私の体調もクルソン岩分岐を過ぎた辺りから続く緩斜面で上向いてきた。 最後の急斜面では、私が先頭に出て快調なペースで登りきる。長男は少しバテタか。足が上がらなくなったといっている。下りでは腰にきたようだ。体力はある方だと思うが、歩き慣れた者には勝てないということだろう。

それはともかく、連日の猛暑の中、直射日光は当らないとはいえ、気温はかなり高めのようだ。大汗をかきながら、自然林の中で楽しい1日を過ごすことができた。

追伸:山頂三角点~懸崖の北西斜面にかなりはっきりとした踏み跡が急下っている。確か、懸崖の北側に回り込んだり、小川谷へ下ることができるコースのはずである。いつか行ってみたいコースの一つだ。

吉和冠山、十方山ともに、廿日市市吉和(旧・佐伯郡吉和村)の山である。旧・佐伯郡の中で全国的に知られた山といえば、宮島があるだけだ。しかし、「安芸の国佐伯郡の山々」だけでも、今後とも飽きることはなさそうである。

なお、冠山登山口に至る林道途中左側で、林道魚切線開設工事(西潮原工区)が行われている。標識をみると、平成17年度水土保全林整備事業・林道魚切線(廿日市市)となっている。どこに向けて延びていくのであろうか。気になるところではある。

冠山からの展望検討
カシミール展望図、一部追加


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2008年05月25日

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吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)、往復
(出発帰着:潮原温泉)

2008年05月25日(日)、グループ

はじめに

吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)、往復
(出発帰着:潮原温泉)

前日は雨、今日の午前中まで残りそうな勢いである。そこでまず、出発をいつもより1時間遅らせて、8時30分集合とした(前日夜決定)。次に、十方山(瀬戸谷)は時間がかかるのであきらめた。行く先は、吉和冠山に決定。

Siさん親娘3人+Toさん、Huさんを加えた合計6名、我が自宅近くで待ち合わせ、2台で現地に向かう。なんとか雨はあがっている。途中To車にガソリンを入れるというので、高速道路は使わず、スパ羅漢で再度合流することにした。

今日のコースタイム:
潮原温泉(17分)登山口(34分)クルソン谷分岐(22分)クルソン岩近道分岐(23分)クルソン岩(国体コース)分岐(41分)吉和冠山
 小計2時間24分(クルソン谷分岐7分を加える)
吉和冠山(33分)クルソン岩(国体コース)分岐(27分)クルソン谷分岐(27分)登山口鉄橋(16分)潮原温泉
 小計1時間43分
総合計4時間09分(懸崖往復2分として加える、懸崖31分を除く)

潮原温泉9:57-登山口鉄橋10:14-クルソン谷分岐10:48、10:55-渡渉11:11-クルソン岩近道分岐11:17-クルソン岩(国体コース)分岐11:40-急坂手前11:58-吉和冠山12:21(-懸崖12:53)-クルソン岩(国体コース)分岐12:27-渡渉12:43-クルソン谷分岐12:54-登山口鉄橋14:21-潮原温泉14:37

潮原温泉近くから歩き始める。登山口に至ると、すでに数台の車が駐車している。ここまで車を入れることができたかもしれないが、高級車の回転スペースが足りない場合を考えて、下から歩くことにしたのだ。

ウシオ谷を順調にさかのぼる。左ひざの違和感が全くない。力も入る。かなり良い状態まで快復したようで嬉しくなる。クルソン谷分岐で一服。ここまでで、全体の3割と皆に伝える。

Naさん遅れ気味、クルソン谷の渡渉地点手前で引き返すことにする。各自の能力を事前につかんでいるわけではない。ファミリー登山の危険性を肝に銘じる。

Toさん付き添って下る。下まで無事下りる事ができれば、潮原温泉があるので、ゆっくり休むことができるだろう。

我々は先へ進む。先頭を歩いていたSiさんが、クルソン岩分岐で左斜め前(クルソン岩方面)に入る。おかしい。と思いつつも、本線自体がここでこんなに〈右折〉している という感覚が全くなく、どうもルートに自信がもてなくなった。

本線の方の地面に標識(大きなブリキ板)が置いてあり、国体コースを示した矢印はそちらを向いている。誰かがいたずらをして位置をずらしたのだろう。いずれにせよ、ルートを確定するため、小ピークまで先行して登ってみた。ピークの先は、左へゆるくカーブしている。本線はこちらで間違いない。

荷物を降ろし、皆のところまで下って呼び寄せる。Siさんは、小ピークの向こうの平坦部でもあまり休めなかったのかな。その後の急坂でダメージが表面化する。山頂部手前で完全にダウン寸前。何とか体を押し上げる。若いHuさんも少しバテ気味か。

急坂にかかってすぐの地点だったろうか。単独で下ってきた男性が、すれ違いざま、「オオヤマレンゲの開花までは、あと1~2週間」との情報をくれた。山頂手前で数人の男性グループとすれ違う。山頂に着くと、おば様たちの一団あり。

三角点で記念撮影をして、懸崖に至る。残念ながら眼前には雲の幕があり、一番手前の山さえ分からない。少し冷たい風がとおる中で食事をすませて下る。下りのSiさんは快調である。あまり飛ばしすぎて足を痛めなければよいが。

キリ、ウツギ、ラショウモンカズラ、ホタルブクロ、ユキザサ、エンレイソウ、タチカメバソウなどなどを見る。初めて参加のHuさんにも楽しんでもらえたようだ。花の名前が分かると確かに楽しい。「門前の小僧・・・・・」も少しは役に立つようだ。

先に下った二人が温泉に入ったりして、何事もなく過ごしており安心する。帰り道は車を乗り換え、高速道路で帰るSi一家と分かれて湯来温泉経由で下った。吉和インター(中国自動車道)手前で、振り返ると冠山の山頂がくっきりと見えた。 冠山ビューポイントの一つである。あと2時間遅ければ、冠山山頂から恐羅漢山、十方山がよく見えたことだろう。こればかりは天気次第だから仕方がない。またいつかの機会ということにしよう。何はともあれ、全員怪我もなく下山できてほっとする。


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2005年06月18日

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ひろしま百山(私の踏跡)>> 吉和冠山寂地山額々山トップページ

日本列島の尾てい骨、広島・島根・山口三県境を歩く
吉和冠山(ウシオ谷クルソン谷)寂地山・額々山、往復
(出発帰着:潮原温泉)

2005年06月18日(土)、単独

はじめに

吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)~寂地山・額々山
(出発帰着:潮原温泉)

吉和冠山のサラサドウダンとオオヤマレンゲを目当てに行動する。サラサドウダンの花は終わり、オオヤマレンゲは最盛期だった。前回あきらめた寂地山往復に加えて額々山まで探検してきた。額々山にもサラサドウダンがあった。

「広島のブナ林」南々社(2005年)”安芸冠山・寂地山”P.066に、額々山を加えた山行で、広島・山口・島根三県境を歩いたことになる。

今日のコースタイム

潮原温泉(14分)登山口(29分)クルソン谷分岐(31分)クルソン岩(国体コース)分岐(39分)吉和冠山
 小計1時間56分(クルソン谷分岐3分加える)
吉和冠山(23分)松ノ木峠分岐(44分)寂地山
 小計1時間07分
額々山往復
 小計44分
寂地山(39分)松ノ木峠分岐(28分)吉和冠山
 小計1時間05分
吉和冠山(20分)クルソン岩(国体コース)分岐(24分)クルソン谷分岐(22分)登山口(12分)潮原温泉
 小計1時間18分
総合計6時間37分
(冠山-懸崖展望、行17分、帰10分を加える、寂地山昼食42分を除く)

潮原温泉8:21-案内板8:27-登山口(鉄橋) 8:35-4号橋8:44-橋8:53-クルソン谷分岐9:04、9:07-沢9:19-クリ大木9:36-国体分岐(クルソン岩)9:38- 1150m台9:43-沢(水あり)9:50-沢(水なし)9:53-左折登り9:55、10:00-ブナ大木10:06-吉和冠山10:17 -懸崖出発1:33-吉和冠山10:34-分岐右へ10:47-沢10:50-松ノ木峠分岐10:57- オオヤマレンゲ保護地11:01-1282m11:08-鞍部11:14-コブ(1300m台?)11:27-岩場ピーク(1310m台?)11:36-寂地山11:41、12:23-(縦走路)-額々山分岐12:27- 鞍部12:35-コブ12:37-東よけ岩12:42-額々山12:46、12:51-小潅木帯13:04-縦走路13:11- 岩場ピーク13:14-平坦部終わり13:21-ブナ真っ二つ13:24-鞍部13:27-1282m13:37-オオヤマレンゲ保護地13:42-鞍部13:43-松ノ木峠分岐13:46- 沢13:51-鞍部左分岐あり15:54-右手分岐あり15:55-オオヤマレンゲ14:04-サラサドウダン花がら14:09-吉和冠山14:12 -懸崖出発14:21-吉和冠山14:22- 右分岐14:34-沢(水なし)14:35-沢(水あり)14:36-鞍部14:40-1150m台14:41-国体分岐(クルソン岩)14:42- クルソン仏岩近道14:55-クルソン谷分岐15:06-登山口(鉄橋)15:28-潮原温泉15:40

中国新聞社のガイドブック

中国新聞社の歴代登山ガイドブックで最初に紹介されている山は、それぞれ、「リュックかついで」(1980年)”安芸冠山”、「ふるさとの山歩き」(1992年)”冠山”、そして「ひろしま百山」(1998年)”吉和冠山”となっている。

つまり、いずれも吉和冠山から書き始めている。広島(安芸の国)に冠山は多くあれど(少なくとも5つ)、ただ単に冠山(あるいは安芸冠山)といえば、吉和冠山のことである。

「リュックかついで」安芸冠山の項は桑原良敏が書いている。本文中の、「昭和37年の2月、三人で県境山稜を雪中五泊・・・」という記事は、桑原良敏著「西中国山地」1997年(平成9年)復刊版付録、「積雪期冠山-恐羅漢山縦走、昭和37年2月18日~25日」のことを指している。

桑原は、安芸冠山の項で次のようにも書いている。「冠山(1333m)の登山路として、一番よく登られているウシオ谷道は、読図力のテストにはもってこいのコースでもある。二万五千分の1地図「安芸冠山」に、現在の登山路とクルソン仏岩の位置を記入するといったものである。」

冠山へ登る

という訳で、今日は今までにも増して地形図とにらめっこをしながら歩いてみた。クルソン谷を入ってすぐでは、右手も谷になった小尾根に乗っているようだ。国体分岐(クルソン岩分岐)から少し登り、1150m台を過ぎ左に振って小鞍部を越え、オトウゴヤ上部で左手尾根(右手谷)をみて巻く。記載道より谷に近い位置を巻いているものと思われる。やがて、左折して急登、山頂部に達する。

山頂のすぐ手前では、サラサドウダンの花がらが落ちて絨毯のようになっている。見ごろはやはり先週だったか。サラサドウダンは年によって出来不出来があるというので、あまり期待はしていなかったのだが、ちょっと残念。

山頂三角点から北へほんのちょっと下り懸崖に至る。サラサドウダンが咲いている個体が何本かあった。しかし、花がらの一部はすでに落ちてしまっている。それでも、やや白の強いきれいなのがあり満足する。

懸崖からの展望

懸崖からの展望を楽しむ。まずは、正面に十方山、その左奥は恐羅漢山である。恐羅漢山の左奥には、天杉山などこれからターゲットにしたい山々がある。それらは、ずーっと左の大神ヶ岳まで続いてみえる。恐羅漢山右奥には、砥石郷山が肩を出し、その右の十方山との間に、うっすらと苅尾山がみえる。

十方山右奥の、天狗石山、阿佐山などはほとんど分からず、さらに右手前の、市間山~立岩山、女鹿平山へと続く。女鹿平山の右にある小室井山の左奥に、天上山を認める。小室井山のさらに右奥には、東郷山も見えているはずだがはっきりしない。

十方山手前には、最近相次いで登った山、黒ダキ山、沼長トロ山がある。それまでは、名前は何とか知っていたとしても、確かな位置までは知らなかった山である。こうして懸崖での楽しみがどんどん広がってゆく。

寂地山方面に踏み込む

寂地山方面に向かう。冠山山頂部を少し下ったあたりは、えらく貧相な林である。それを過ぎると広葉樹の樹海が寂地山まで続いている。その樹海に入ってすぐにオオヤマレンゲを楽しむ。そばにはヤブデマリが咲いている。

そのままどんどん下って右に振ると、ゆるやかな鞍部に達する。鞍部ほんの少し手前に、左手(南の)フカ谷源流部への踏み跡を認める。すぐ鞍部に達し、右手にも北のホン谷源流(中津谷川-小川)への踏み跡がある。鞍部から、やや登ると松ノ木峠分岐につく。標高1265m位の地点である。

ところで、寂地山までの登山道は、地形図記載の登山道からかなりずれている箇所がある。実際の登山道は、まず山頂部をほぼ尾根に沿って南西の方角に進み、その後、地形図記載道の西側を南下する。つまり、冠山から南に流れる尾根の西斜面を下ることになる。

復路でこの斜面を北に向かう時には、斜面をどこまでも巻き上げていくので、右手山頂をすでに通り越してしまったのではないかと不安になったくらいである。結局、最後は60度で山頂部まで突き上げた。

また、「西中国山地」”寂地山”P.159には、二万五千分1地形図(昭和54年11月版)に桑原が冠山~寂地山登山路を書き加えて、地形図記載道が実際とずれていることを図示している。しかし、桑原の登山路では、松ノ木峠分岐を1280m台の北西にある鞍部(1250m位)としているなど、今日歩いて確かめた登山道とは異なっている点がいくつかある。

さて、松ノ木峠分岐から、山口・広島両県境線よりやや北東側を下り、1282mには294度位で登る(アシウスギとブナ)。1282mからは25度位で県境線に沿うようにして下り、後冠山(1300m台)を右手に見て316度に振り、巻きながら(後冠山のピークを踏むことなく)西大沼ヶ原鞍部に至る(メウゼン川とヒロコウ谷を結ぶ鞍部)。ブナ大木数本にアシウスギ大木が混じる。

次の1316mもピークは通らず、南面を巻いて行き、寂地山に至る。山頂には先客あり、また、右谷山の方角にササが刈り取ってあり、こちらからも次々と登ってくる人たちがいる。やり取りを聞くともなく聞いていると、寂地峡?午前8時出発?ずいぶんと苦しんだようである。山頂で数種類の鳥の鳴き声。

額々山探索

「中国地方の山100選」で、額々山(島根県)が紹介されており、気になっていた。同書では、島根側からの登山道を紹介している。しかし、寂地山から行けそうな距離ではなかろうか。

そう思ってあたりを見回すが、それらしき山は見えない。寂地山山頂からは見えないようである。そこで、地図とコンパスを取り出しおおよその位置を確認する。昼食後、復路で左手の踏跡をいくつか確認しながら行くと、赤テープのついたしっかりした小道をみつける。踏み込んでみた。

踏み跡が広い尾根に沿ってついている。地形図上の境界線に沿っていると考えて大きな誤りはないだろう。小潅木帯を通り過ぎて下るとスギ林になっている。倒木があったりササが被ったりしている箇所もある。復路の最後の登りでは道を見失ってしまった。しかし、踏み跡そのものはしっかりしている。慎重に探せばなんとかなる。いざとなれば、ちょっとしたブッシュを押し切れば歩けないことはない。

額々山に戻ろう。1279.0m三角点手前で、東よけ岩が大きく手前に立ちはだかる。踏み跡を見つけようと足元を見れば、サラサドウダンの花がらが落ちて絨毯のようになっている。大岩を見上げても花はよく見えない。それにしても 、ここにサラサドウダンを見るとは、さては新発見か?などと気分は高揚したが、何のことはない。

「西中国山地」P.164に、「寂地山一帯は藩の御立山として保護されていた。国有林としてうけつがれた現在もブナ、アシウスギの天然林が残されているため、珍しい植物が多い」として、分布上注目すべき植物の一つに、サラサドウダンがあげられている。

東よけ岩の下を南面から回り込んでよじ登ると、そこに1279.0m三角点がある。それよりほんのわずかに南東側、つまり東よけ岩上部の方が標高は少し高く、樹間には寂地山が見える。ずっと右手にあるはずの冠山までは分からなかった。

「西中国山地」P.163には、「国土地理院の地図には、1279m峯に<額々山>の山名が記してあるが、これには異論がある。(額々山の山名の由来が)「ガクガク石のある山」の意だとすれば、その西にある前記1227m独標峯に付すべきだと思う」としている。ここで前記とは、「(ガクガク)岩は寂地山北西尾根の1227m独標峯の西の小鞍部のヤセ尾根上にある」という部分を指す。

「中国地方の山100選」は、額々山の位置として地形図記載の1279.0m三角点を採用している。そして、「頂上から北西へ10分道をたどれば、山名の由来とされるガクガク岩がある」としている。

山頂から1227mの向こうまでは、約1km近くあるはずで10分ではどうだろう。ガクガク岩の見学は次回の宿題として、山頂からすぐに引き返した。さすがに、ここまで踏み込んでくるヒトは誰もいない。

往路下山

復路では久しぶりに熊鈴をつけた。甲高い音の出る性能のいいやつである。以前買って不満だったものより高い音がよく響く。これならクマさんも道を譲ってくれることだろう。たぶん・・・

松ノ木峠に近づくにつれて、スズや木札の音があちこちから聞こえてくるようになる。峠に向けて、多くのグループが三々五々下山してきているようである。私は基本的には静かな山行が好きである。だから、自分の熊鈴は早々とはずしてしまった。

冠山懸崖に帰り着き、先着の男性一人を見送った。これで山頂部には誰もいないはずである。ゆっくり下り始めたところに、女性2人組が登ってくるのとすれ違う。その後は全くの一人旅で、今日の行程を振り返りつつ、次回以降の山行を思い描きながら下る。

北のホン谷源流(中津谷川-小川)、南のフカ谷源流部に向けて、踏み跡があり、いくつかのグループが踏み込んでいた。それぞれ下から登ってくることができるようである。また、広高山へは後冠山から行けるようである。冠山~寂地山周辺の土地勘が一気に広がった一日に大満足。

行き帰りの車道で、クリ、ヤマボウシ、ウツギなど。登山口手前の色あせた花は、オオバアサガラか。コアジサイが紫色から白色まであってきれいだった。


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2005年12月03日

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大規模農場~中尾山798m(途中から下る)~354.1m三角点尾根~中応寺集落
(出発帰着:JR可部駅―可部線)

2005年12月03日(土)、単独

はじめに

2005年12月03日(土)、単独
中尾山798m(白木山系)途中まで
JR可部~高松橋(根谷川)~高松山登山口付近探索~大規模農場~599m~707m~送電鉄塔710m台~(往路下山予定、道迷い)~707m~354.1m三角点尾根~中応寺集落~JR可部、(出発帰着:JR可部-可部線)

「広島市の山を歩く(下巻)」中国新聞社2005年刊に、白木山系の一つ中尾山798m(巨大電波施設、中尾リレーステーションあり)を中心にまとめたページがある。その中で、可部側から取り付くコースもいくつか紹介されている。今まで白木山に可部側から登ることは考えたこともなかった。そこで今日はそれらの中から、モデルコースを一つ選んで登ってみた。(予定:高松橋~大規模農場~599m~707m~中尾山往復~675.4m三角点~安佐市民病院)

山頂部まで、同書のコースタイムよりも大幅に時間がかかった。そのため、中尾山手前の送電鉄塔で展望を楽しんだ後、そこから往路下山することにした。 登りで登山道が不明な箇所があり、それを確認しながら下りたかったためだ。

しかし、途中で尾根を間違えて、予定より北側の中応寺集落に下りてしまった。その結果、JR可部駅まで、高松山の北側から大きく回りこんで、かなりの距離を歩くはめになった。なお、下山口付近で手帳を落とした。したがって、コースタイムは写真のタイムスタンプで分かる範囲しか書き起こせていない。

後日注:次週(2005年12月10日)無事、予定ルートを登り下りできたので、以下についての細かい考察は、その時の山行記に含めて記することとする。

今日のコースタイム:
JR可部(15分)高松橋(20分)団地最終民家(12分)農場ゲート(12分)農場最上部T字路
 小計59分(別途、高松山探索ロス14分、林道探索ロス11分あり)
農場最上部T字路(18分)尾根に乗る(34分)分岐(24分)可部東分岐(31分)707m下三差路(3分)反射板分岐(4分)送電鉄塔
 小計1時間54分(巻き道ロス推定10分程度を含む)
送電鉄塔(15分)707m下三差路?(1時間10分)中応寺の最終民家付近
 小計1時間25分

登り、2時間53分(高松山14分、林道11分を除く)
下り、1時間25分(駅までは、さらに一般道路を55分歩く)
総合計、5時間38分(昼食38分以外の全てを含む)

JR可部8:24-高松橋8:41-高松山登山道入口8:45-石造鳥居8:48-車道8:56-道標9:01-最終民家(街区三角点)9:14-農場入口ゲート9:26-右手林道探索(蓄電池設備、高い塔あり9:28)-(大規模農場)-農場最上部T字路9:48-廃林道入口9:53-動物骨10:04-

尾根に乗る10:06-小岩10:31-展望10:35-(巻き道)推定10:40-
ウリハダカエデ純林10:47-可部東4丁目標識11:04-
可部東4丁目標識、中国電力標柱(NO.3,5,6)11:35-
反射板分岐、中国電力標柱11:38-送電鉄塔11:42、12:20-

中国電力標柱(NO.3,5,6)12:35-巻き道12:46-押手山~白木山展望-中応寺の最終民家付近13:45-(一般道)-JR可部14:40

JR可部駅から狭い路地を通り旧道に出る。右手を見ながら、根谷川の土手に上がれそうな小道を探しつつ進む。適当なところで土手に上がり、高松橋に至り橋を渡る。以前に登った高松山(2002年09月28日)登山道の取り付き部分を思い出したくて、可部高校グラウンドの横を川沿いに北へ移動する。

高松山登山口から墓場を通り抜けて少し登り、石造鳥居まで行く。ここで引き返し、山裾南側(左手)へ別の墓場を通って下り、高松橋から東に延びる車道に降り立つ。その車道に従って、そのまま東に向かう。

途中で小さな道標(石柱)があるが字は読めない。ここを右折かと思ったが違っていた。ここは左に行き、しばらくしてゴルフ場標識(高松峠)を左に分けて、さらに団地の中の急坂を直進する。車道を横切りなお進み、最終民家にぶつかって右折、舗装道路をジグザグに登る。やがてゲートがある。

ゲートの右手前横から延びるバラスト廃車道を少し奥まで探検する。入口の近くに高い塔(蓄電池設備)がある。これが、下の方から見えていた塔だろう。適当なところで切り上げて引き返す。

ゲートの横をすり抜けて上がり、大規模農場に至る。多くの人が働いているようだ。農場の中心を走る道路を上がる。送電線にぶつかる辺りで農場の最上部になる。右折して進むと、やがて、舗装道路は”林道崩れの草道”「広島市の山を歩く(下巻)」となり、尾根右側から2つジグって尾根に取り付く。

その少し手前で、動物の頭部の骨が林道上に転がっていた。みると角の付け根のような突起があった。シカの頭骨かもしれない。

尾根上では、所々で左手に押手山~白木山、振り返ると可部の町、あるいは南原ダム(ロックフィル式)を抱えた堂床山~可部冠山縦走路や備前坊山などをながめながら高度を稼いでいく。

そして、ゲートから2時間近くかかって反射板分岐に至る。ところが、「広島市の山を歩く(下巻)」P156をみると、この区間の合計タイムは1時間10分となっている。巻き道で多少苦労したとはいえ、そろほどのロスタイムはないはずなのだが、両者の差が大きすぎる。

また、同書に記載されているように、599mに「可部東4丁目分岐」があるとするならば、今日の登りで引き込まれた巻き道は599m手前にあった。これに対して、同書では”(「可部東4丁目」標識よりも上で)大規模間伐区域に入り前からある道が紛らわしくなった”としている。そう言われてみると、下りで入り込んだ巻き道は599mより上だったかもしれない。つまり、今日は599mと巻き道の位置関係がはっきりと確定できていない。

その他、下山時の道迷いも含めてリベンジは必死。その時、今日のコース及びコースタイムについて再検討してみたい。(2005年12月10日山行記参照)

送電鉄塔からの展望(概略):

行く手758mの右裾をみる。514m(八世以山手前)~小田山がある。その右手前に、鉾取山山系があり、坂山~鉾取山~原山(電波塔)をみる。小田山と鉾取山の谷間の向こうに、678.9m三角点~膳棚山。これらの一番手前に、長者山~藤ヶ丸山。

手前の木ノ宗山の向こうに、藤ヶ丸山~呉娑々宇山が大きい。藤ヶ丸山の左奥に洞所山(鉾取山系)があり、両者でできる谷間の向こうに、灰ヶ峰をみる。呉娑々宇山の右裾奥に絵下山の鉄塔をみる。その右の天狗城山、天狗岩も分かる。それらの後は、倉橋火山(倉橋島)、陀峯山(東能美島)、そして古鷹山(江田島)だ。

安芸小富士の三角錐が海に浮かぶ。その手前に、太田川左岸の二ツヶ城山、松笠山、そして牛田山が並ぶ。安芸小富士の後は西能美島だ。そのさらに後には周防大島(嘉納山など)があるはずだが霞んでいる。

牛田山の向こうの海側は、西能美島と宮島の間の阿多田島辺りまでしか見えない。その後の山口県の山々は霞の中だ。鉄塔右手から南西に延びる尾根(675.4m三角点)の左奥に、太田川右岸の山々、鈴ヶ峰~大茶臼山~火山~武田山縦走路をみる。

鈴ヶ峰の右奥に、経小屋山が霞んでいる。大茶臼山~武田山の後に、船倉山~大野権現山がある。武田山~火山の後が極楽寺山だ。極楽寺山のほんの少し右奥に野貝原山が覗く。

675.4m三角点と阿武山の間に、向山~窓ヶ山、羅漢山、そして大峯山(&西大峯)がある。いずれも本来特徴のある山々だが、向山、窓ヶ山が固まっており分かりにくい。

阿武山の北東尾根上にある534.3m三角点の後に、荒谷山、そのさらに左奥に、東郷山をみる。東郷山から右へ流れる尾根の向こうに、湯来冠山のライン、そして最奥に、吉和冠山までみえているようだ。吉和冠山の位置は、東郷山右の829.9m三角点(ここまで東郷山右肩が平にみえる)のほぼ真後である。

534.3m三角点(阿武山北東)と螺山の間、最奥に十方山をみる。十方山の左手前から、天上山のラインが、螺山の右奥にある水越山の方角に流れ落ちている。その手前には、久地冠山などの安佐北の山々が数多くある。

水越山の最奥に、恐羅漢山~砥石郷山をみる。水越山の右奥に、本串山~590m台~(牛頭山)が連なる。本串山の右最奥に、平坦な聖山、そして、 590m 台の右最奥に、深入山~1105mの草尾根が光っている。その右側は、登ってきた尾根の立ち木がじゃまになって見えない。

堂床山が尾根の向こうに隠れており、見えてくるのは、西冠山721m~可部冠山あたりからである。そしてそれらの後に、840m台~836.1m三角点~猿喰山が入る。猿喰山は、可部冠山の真後ろ左に大きく被さっている。

可部冠山の右奥に大掛山、そして、大掛山の右手前に、備前坊山が大きい。さらに右手は、押手山~白木山である。

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2005年12月10日

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ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 白木山トップページ

大規模農場~中尾山798m途中まで、往路下山
(出発帰着:JR可部駅―可部線)

2005年12月10日(土)、単独

はじめに

2005年12月10日(土)、単独
中尾山798m(白木山系)途中まで
JR可部~高松橋(根谷川)~大規模農場~599m~707m~送電鉄塔710m台(往路下山)~JR可部、(出発帰着:JR可部-可部線)

先週に引き続いて、可部側から中尾山途中の送電鉄塔まで登る。往路復路とも同じコースをとり、登山道をしっかりと把握することが出来た。基本的には、尾根をとらえてどこまでも追って行けばよい。ただし、599mから送電鉄塔までの各ピークには巻き道(槇道)もついている。尾根道、巻き道のどちらを選択する方がよいかは各ピークによって異なる。

今日のコースタイム:
JR可部(10分)高松橋(15分)団地最終民家(13分)農場ゲート(9分)農場最上部T字路
 小計51分(農場ゲート4分を加える)
農場最上部T字路(11分)尾根に乗る(26分)分岐(11分)599m(15分)640m台コブ(22分)707m下三差路(5分)反射板分岐(3分)送電鉄塔710m台
 小計1時間36分(尾根に乗る、休憩3分を加える)
送電鉄塔(3分)反射板分岐(2分)707m下三差路(15分)640m台コブ(10分)599m(9分)分岐(19分)尾根終端(8分)農場最上部T字路
 小計1時間06分
農場最上部T字路(6分)農場ゲート(10分)団地最終民家(12分)高松橋(11分)JR可部
 小計39分

登り、2時間28分(農場最上部T字路、休憩1分を加える)
下り、1時間51分(農場最上部T字路、休憩6分を加える)
総合計、4時間19分(昼食37分以外の全ての時間を含む)

「広島市の山を歩く(下巻)P156」の登りコースタイムは、上記よりも少し早めである。なお、599m~640m台コブ間の登り15分程度が、カウントされていないようでもある。

JR可部9:08-根谷川9:14-高松橋9:18-道標9:24-高松峠分岐9:25-団地最終民家9:33-堰堤9:37-農場ゲート9:46、9:50-農場最上部T字路9:59、10:00-草道10:02-標石(山という印)10:03-尾根に乗る10:11、10:14-太陽正面166度10:17-展望10:21-雪10:30-展望10:35-ややゆったり10:37-左・巻き道分岐あり10:40-尾根190度10:43-小岩10:45-599m10:51-(渡り廊下170度)-ゆったり鞍部(600m台)132度10:55-(ゆったり土塁132度)-尾根急登130度(左・巻き道あり)10:55-尾根146度11:02-640m台(コブ11:06-鞍部11:08-(なだらか登り80度)-直進尾根 92度(右・巻き道あり)-鞍部・巻き道合流11:14、11:16-(土塁156度))-尾根123度11:21-右・巻き道(左手707m尾根)11:24-鞍部三差路11:28-土塁11:30-(710m台の右・巻き道)-反射板分岐11:33-(尾根~鞍部)-送電鉄塔11:36、12:13-反射板分岐12:16-707m手前三差路12:18-小コブ(尾根に乗る)306度12:22-640m台(土塁鞍部321度12:27-尾根269度12:29-鞍部12:31-コブ12:33)-尾根293度12:37-ゆったり鞍部325度12:40-小コブ341度12:42-599m12:43-平坦部最北26度12:45-植林帯340度12:47-右手前・巻き道分岐12:52-休憩12:58、13:03-尾根終点13:11-山道標石13:17-簡易舗道13:18-農場最上部T字路13:19、13:25-農場入口ゲート13:31-団地最終民家13:41-高松峠分岐13:47-高松橋13:53-JR可部14:04

JR可部駅から北東に向かう。すぐ旧道に出て根谷川土手に上がり高松橋に至る。橋を渡って高松山の南を東に行き、高松峠を左に分けて、正面の団地に向かってなおも東進する。団地の最上部まで急坂をゆっくりと登る。

地形図記載の団地内道路は不正確かもしれない。要は団地内最上部T字路を右折して、さらにその上に延びる簡易舗装道に入ればよい。その簡易舗装道をジグザグに上がって農場入口ゲートに至る。ゲートのわずか手前から右に林道が延びている。

ゲートのすぐ右横からは、尾根筋に山道がついているようだ。木製の古い標識(白木山約3時間)がある。農場ができる以前からあった山道だろうか。ここから取り付けば、確かに農場を通ることなく登ることができそうだ。しかし、ちょっとみた感じではかなり繁っており、すでに廃道といった様子だ。

さて、農場入口ゲートの横をすり抜けて、簡易舗装道をなおも上がり、右上に大きくカーブして大規模農場に入る。直前で追い抜いていった作業車の助手席に坐っていた女性が、道路脇の畑に入るため別のゲートを開けている。挨拶を交わす。

農場最上部T字路を右折し、送電線の下をくぐってすぐに舗装道は終わる。ここまでの舗装道路(林道も)は二万五千分1地形図にすべて記載されている。しかし、山道はまったく記載がない。山道は、地形図記載の舗装道終端から、599mを経て延びる尾根上に付けられている。

簡易舗装道が切れたすぐ先に、山という印の入った標石があり、そこに右手から山道が上がってきているようだ。農場入口ゲート横から登ってくる道かもしれない。そして、そこから先には、割と幅広の草生した山道が尾根西側についている。小型の作業車が通っていた頃もあるのだろうか。2つジグって尾根に達する。推定標高350m台(広島市の山を歩く・下巻の地図より)。

144度で尾根に取り付く。正面樹間の向こうに707mピークが見えているようだ。尾根上では、所々で左手に押手山~白木山、振り返ると可部の町、あるいは南原ダム(ロックフィル式)を抱えた堂床山~可部冠山縦走路や備前坊山などをながめながら高度を稼いでいく(前回山行記より)。

尾根が599mに向けて大きく向きを変える手前に、左・巻き道がほぼ水平に延びている。これが先週引き込まれた巻き道だろうか。すなおに尾根を見れば、今まで通りの山道が続いているのに、何となく杭に付けられた赤ペンキに誘われてしまったようだ。

今日は、分岐点付近で数日前の雪を踏むようになる。雪は草木の生えていない山道で融けやすく黒い地肌が見えている。先週よりも尾根筋の山道がはっきりと見えて分かりやすくなっていたのかもしれない。

なお、巻き道の分岐点は、今日のコースタイムでは、尾根に取り付いて26分の位置である。先週はここまで34分程度かかっているはずだ(手帳を失くして詳細不明)。

先週通った巻き道は、ほんとうに足の幅位しかない細いものだった。それでもしっかりした道が続いており、599m東側の谷に至る。黄色の落ち葉がふわふわしており美しい。見渡すとウリハダカエデの純林となっている。落ち葉はウリハダカエデのものだった。葉っぱの切れ込み部分が、図鑑で見るよりも少し膨らんでおり、その分、美しさが増している。

この時は、599m東側の谷から尾根に上がる道が全く分からなくなった。そこで、谷の右側を強引に登り返した。599mはすでに通り越しており、稜線に出たのは、今日のコースタイムでいうと、渡り廊下170度辺りかと思われる。そのすぐ後で、”可部東4丁目”の標識(赤テープ)を確認している。

今日”可部東4丁目”の標識を見たのは、599mから"渡り廊下"を越えてほんの少し登り、その先の"ゆったり鞍部"(600m台)132度10:55とした地点であり、ほんの少し沈み込むような地形(鞍部)となっている。「広島市の山を歩く(下巻)P156」には、この分岐は599mにあるとしている。間違いだ。

可部東4丁目に下る道は、ここから右手後に、599m西面を巻いて下るようである。なおここまで、巻き道分岐点からかかった時間は、先週24分程度(巻き道ロスあり)、今週15分だ。

次に、640m台コブを目差す。鞍部から土塁を経て、尾根に130度で取り付く(左・巻き道あり)。小潅木の尾根に乗り146度で急登すれば、コブ(640m台)に達する。コブを少し下って、なだらかな登り80度となる。右に巻き道を分けて、尾根を92度で直進して登って下る。鞍部に至り巻き道を吸収する。 鞍部直前の尾根筋には、4~5本のヒノキが一直線に植えられている。以上、東西に広がる640m台平坦部の微妙な変化を受け止めることが肝要。

実は先週と今週、二万五千分1地形図に蛍光ペンで登山道を書き写して使用してみた。参考としたのは、「広島市の山歩き(下巻)」の地図に記載されたルートだ。しかし、この試みは失敗だった。 ルート表示が割りとアバウトで、難しい場面では実用に耐えないことが分かったのだ。

例えば、599m~640m台コブを経て707mピークにぶつかるまでが、この2週連続での山行のハイライトだ。倒木が多く歩きにくい箇所が連続している。しかし、尾根の位置をしっかり押さえて、地形図と対比できればどうということはない。

そのためには、こまめにコンパスを当てる必要がある。そうすると、蛍光ペンで引いた緩やかなカーブよりももっとダイナミックに、尾根の角度が変わっていることに気づかされる。蛍光ペンでルートが書き込んであると、それだけを見て満足してしまい、コンパスを当てるのがおっくうになってよろしくないようだ。

それはともかく、707mへの登りにかかる。土塁156度で少し登り、尾根123度を向く。707m手前で右・巻き道に入り、707mの南西面を巻いてゆく。707mピークを踏むことなく、すぐ稜線鞍部に至る。

今来た方向に、"可部東4丁目"の標識(赤テープ)、そして中国電力標柱(NO.3,5,6)がある。帰り道で足元に古い木製の道標を発見した。はっきりとは読めない。「 広島市の山を歩く(下巻)P156」によれば、「可部-桐原」「可部・台・東亜ハイツ方面」と書いてあるらしい。

稜線鞍部から土塁を経て、710m台を右(西面)から巻いて反射板分岐に至る。710m台は依然として左手前方にある。710m台を左手に見ながら進み、尾根に乗って少し下り、送電鉄塔(次の710m台)まで少し登る。

今日の展望は良くない。登っている途中で見通しがかなり悪くなったようだ。あまり展望を楽しむことはできなかった。

まわりの林の中で、ガサゴソと音がする。ここまでの間に、融けた雪が樹林から落ちてドサッという音が幾度となく聞こえていた。それとは少し違う音だ。そもそも送電鉄塔部分の南側では、すでに木の枝に雪は残っていない。キューンという甲高い音が時々聞こえてくる。登ってくる途中でもよく聞こえていた。シカの鳴き声だろうか。姿は全く見せてくれない。監視されているのかもしれない。

昼食を済ませて、317度で帰路に着く。反射板分岐を左に分けて、巻きながら26度で下る。その先で、鞍部土塁が707mにぶつかる地点に三叉路がある。"可部東4丁目"の標識(赤テープ)がある地点だ。ピークに向かわず、左前方へほぼ水平に延びる道を行けば、何の問題もなく下山できる。

先週は、ここからピーク(707m)に上がり、北西に折れて、一旦670m台にある送電鉄塔に至ったようだ。送電線沿いに中応寺集落に下ることができるとされている「広島市の山を歩く(下巻)」P160。実際、その向こうにもいい道が続いていた。

その時は、間違いに気づいて引き返す。一度707m下三叉路まで引き返したはずだがはっきりしない。中途半端な地点から北西に向かう。途中で巻き道に入る。往路で入り込んだ巻き道よりももっとすごい所を通過した。岩場の連続で足懸かりはほとんどなく獣道そのものといった感じだ。それでもルートに沿ってピンクテープが付いている。

尾根に帰り着いた。と、その時は思ったのだが、599mの一本東側の尾根で、354.1m三角点に至る尾根だろう。北に向きすぎていると分かったが、植林帯の中に幅広の空間がある。途中で槇道に沿って右に移動したりしながら、強引に下りきった。集落手前の山中で手帳を落としてしまった。

さて今日は、707m南西面の巻き道を行き、やがて尾根に沿って下り、640m台の平坦部で微妙なアンジュレーションをこなしてコブを越え、599mに至る。そこからさらに下る途中で、右手尾根を見る。先週下った354.1m三角点のある尾根のはずだ。その末端に集落が見えている。いつかそのもう一つ向こうの尾根と谷を上り下りしてみたいものだ。「広島市の山を歩く(下巻)」P159-160。


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2005年12月29日

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JR白木山駅~白木山、往路下山
(出発帰着:JR白木山駅―芸備線)

2005年12月29日(木)、単独

はじめに

白木山:
JR白木山~538m(五合目)~白木山、往路下山
(出発帰着:JR白木山-芸備線)

中尾山(798m)に、中応寺川を遡って登るつもりで出かける。高松山の北側で国道54号線から三入橋を渡って東に向う。次に、桐原川を渡って中応寺集落に入るところを行過ぎて、そのまま穴郷集落から穴郷林道に入ってしまった。

白木山北斜面の林道は完全に雪で覆われている。中応寺川に回ったとしても、同じ北斜面に変わりはなく、雪の状態は同じだろう。穴郷林道が歩きやすそうに見えたので、上の方がどのような状態になっているか確かめたくて少し踏み込んでみた。

最終民家の上から簡易舗装道を歩く。雪で覆われた林道にシカの足跡が幾筋も付いている。やがて15分くらい歩いたところで、踝よりも上までずぼっと埋まるようになる。こちら側はもはやこれまで。南側の白木山駅側に回った。しかし、そこでも5合目から上では完全に雪を踏む。頂上での残雪30~50cm。

今日のコースタイム:
JR白木山(4分)登山口(33分)展望地(26分)五合目538m(23分)水場(27分)白木山
 小計2時間11分(展望地5分、五合目8分、水場5分を加える)
白木山(19分)水場(19分)五合目538m(14分)展望地(20分)登山口(6分)JR白木山
 小計1時間18分
総合計3時間29分(昼食1時間12分を除く)

JR白木山11:11-登山口11:15-左前方ピーク(298度)11:20-経尾山の地蔵11:24-経納ヶ段11:28-馬ノ背11:35-振り返ると山(194度)11:38-穴地蔵11:39-(340度11:44~22度11:46)-展望地11:48、11:53(346度)-休憩11:57、12:01-獅子ノ門(三合目)12:02-釈迦ノ段12:06-別当松(四合目)12:12-538m(五合目)12:19、12:27-右前方鉄塔321度12:30(280 度)-(334度12:34~288度12:38)-営門ノ段(七合目)12:43-水場12:50、12:55-風ノ穴(八合目)13:01-九合目13:08-(321度13:11~ロープ13:13~262度13:16)-白木山13:22、14:34-水場14:53-七合目14:59-538m15:12-四合目15:15-三合目15:22-展望15:26-展望15:27-穴地蔵15:33-登山口15:46-JR白木山15:52

芸備線の線路を渡った地点に駐車する。したがって、登山口まではJR白木山駅からよりも少し短くなっている(時間表示は端数切捨て)。登山口を登ってすぐに雪が残る。背中に太陽の日が暖かく、陽だまりハイキングだ。

馬ノ背手前で4度を向く。穴地蔵手前で、振り返ると左手前方194度に中山283.9m?、展望地推定高度290m台?、安駄山、その奥に鷹ノ巣山を見る。釈迦ノ段で雪を踏むようになる。正午のサイレンを聞いてまだ3合目だ。ちょっと時間がかかっているか。

下山中の単独男性とすでに3人すれ違った。下から大きな荷物をしょった人に追いつかれそうになり少し休む。初めてですかと声を掛けられた。中途半端な所で休んでいるので、バテていると思われたのだろう。ペースが上がっていないことは確かだ。

別当松付近は42度でなだらかに登る。その後少し登ってなだらか2度。532mから、呉娑々宇山、木ノ宗山、二ヶ城山を見る。木ノ宗山の左奥に能美島、二ヶ城山の右奥に宮島を見る。

五合目から狭い廊下を通る。ここから完全に雪を踏むようになる。登るにつれて登りがきつい場所があり、ちょっと苦労をする。それでも何とか頂上まで達する。残雪量は最低でも30cmはありそうだ。

頂上には、りっぱなイグルーがあった。雪をブロックのように切り出して、ドーム状に積みあげて作ったものだ。その側では、一人の男性が雪だるまを作っている。先ほど追い抜いていった人かな。見ているまもなく、目・鼻・口をつけた、これまた立派なのが出来上がった。白木山山頂には、正月のお昼頃常連さんがたくさん登ってくるらしい。

展望図作成後、往路下山。五合目の少し上まで、気が抜けない状態が続いた。足を思い切り踏ん張って下り分、最近になく筋肉痛がきつい。完全に元の状態に戻るには年を越しそうだ。毎朝の通勤途中で、太田川の上流にながめる手近な山に、こんなにも雪が残っているとはほんとうに不思議な思いがする。


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2004年05月08日

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朝日山
(出発帰着:竹原市街)

2004年05月08日(土)、単独

はじめに

2004年05月08日(土)、単独
朝日山、呉線沿線
(出発帰着:竹原市街)

「ひろしま百山」(1998年刊)のいう「高木にならなければ花の見られないホオノキの花を、目の下に見ることができる」というの文章に惹かれて登る。一輪だけだが何とかデジカメに収めることができて満足する。霞む天気で展望はそれほど楽しめなかった。

朝日山登山道は二万五千分1地形図に記載されていない。山頂から北側のルート(下山道)探しに苦労をした。そこで今回はそのことを中心にまとめてみた。

今日のコースタイム:
竹原市街(16分)竹原中学校(8分)登山道入口(37分)ため池(15分)大井分岐(14分)朝日山頂上
 小計1時間56分(全ての休憩を含む)
朝日山頂上(8分)25番鉄塔(15分)朝日山登山道駐車場(推定6分)上条入口(43分)上条橋上流(39分)竹原市街
 小計1時間51分
その他、ルート探索、宿根集落内周回
 小計30分
総合計4時間17分(山頂散策48分を除く)

竹原市内10:06-竹原中学校、成井浄水場10:22、10:31-登山道(人家なくなる)10:39-堰堤10:46-堰堤10:49-沢渡る(左岸へ)10:56-石組み(畑?)11:05-ため池11:16、11:28-稜線鞍部(左へ)11:32-大井分岐(右へ)11:43、11:48-車道11:49-朝日山頂上12:02、12:50-送電線鉄塔(No25)12:58-小ピーク13:01-鉄塔引き返す13:07-朝日山登山道駐車場13:22-(宿根集落)-上条へ越える山道入口13:49-稜線14:00-道消える14:04-車道(上条橋上流)14:32-竹原市内15:11

竹原中学校前の成井浄水場

まず、竹原中学校前の成井浄水場をめざす。そして、浄水場に取り付けられた小さな標識に従い、浄水場を右手に見て細い車道を登る。次に現れた標識には、コンクリートの壁にペンキで「朝日山」と書かれている。その横に書き添えられた「矢印」に従って右折する。最後は、民家の土蔵と作業小屋の間を抜けて、谷筋の細い山道に入る。

"こういち"レポートでは、浄水場前の広い道を中学校沿いにしばらく行ってから、左へ回り込んでいるが、どちらにしても同じことである。最終的には、進行方向右手に見える谷に入る。迫奥谷(さこくのたに)というらしい。

ため池

この谷は、朝日山南方にある394mピークから南東に流れる尾根の東側に当たる。堰堤を2つ越えてなおも行くと、標高260~70m附近で、右手に”ため池”が現れる。

昔はこのあたりにも農家があったらしい。途中でみた石垣の段々は田畑のあとであろうか。そしてこの”ため池”はそのために作ったものだろう。堤に設置された石碑には、大正8年1月起工、同10年5月竣工(設計金壱万円)といった意味の内容と共に、関係者の名前が刻まれている。

ため池を右手に見て大きく回りこみ、いままで登ってきた谷筋の東側尾根に乗る。その稜線を左手に行けば、やがて木段の急坂となり、みごとな竹林が現れる。特に北側斜面の眺めは圧巻である。

宿根越しの峠

緩斜面となり竹もまばらになってくると、朝日山~394mピーク間の鞍部、すなわち、昔の宿根(すくね)越しの峠である。ただし、「宿根への道は荒れていて、現在は使われていない。」-リュックかついで(1980年刊)、となっている。道標には、左大井、右頂上とあった。

朝日山山頂(芝生の広場)

右へ行けばすぐに車道にぶつかる。しばらく車道を行き、車道が左へ大きくカーブする地点を直進して、再び山道に入る。左手の尾根が朝日山から真南へ延びる尾根である。ジグザグに登って尾根に取り付き、整備された木段の道を行く。セミの合唱に元気付けられて頂上をめざす。朝日山頂上一帯は芝生の広場となっており、整備されすぎで趣味に合わない。

ホオノキをみる

頂上北斜面から東斜面にかけてホオノキが多い。急斜面に生育しているので、遊歩道から見る人の目の高さで、すでにかなり樹高の高い所を見ていることになる。それでも、2~3輪咲いている花の高さはかなり高く、位置も遠くなる。そんな中で、なんとか条件にかなう花を見つけて撮影することができた。

送電鉄塔(No.25)

北に延びる尾根に付けられた遊歩道を下る。送電線鉄塔(No25)では、頼山陽の漢詩(9歳作)が紹介されている。さらに進んで、380m台ピークに至る。道はここで途切れた。鉄塔まで引き返すことにする。参考:頼山陽史跡資料館(広島市中区袋町)

諸書に書いてあることを要約すると次のようになる

「リュックかついで」(1980年刊):
頂上から北へ5分で送電線鉄塔下の<三差路>に出る。右に進めば、送電線沿いの尾根で、勾配のきついジグザグ道を一気に下れば<上条>である。あるいは、三差路から整備の進んだ<宿根>への道を下る。

「ひろしま百山」(1998年刊):
頂上から北方向への遊歩道を下り、送電線鉄塔(No25)を過ぎ、宿根へ下る道をやり過ごして<直進>する。ピークを左へとり、約30分で次の鉄塔へ着く。

すなわち、三差路は、25番鉄塔~380m台ピーク間の鞍部にあり、左<宿根>、真中<380m台ピークから北西に延びる尾根を行き、北側を走る別の送電線に達する>、右<上条>となっていると思われる。今回は、その三差路そのものを確認していない。

"こういち"レポート(2002年2月)では、(三差路から)尾根沿いの緩やかな下りの道を進んだが、(次の送電線鉄塔に達することができず)、途中で宿根の集落に下りている。土地の人の話では、その先のルートは消滅しているということだ。

さて、25番鉄塔に帰り着いて下を見ると、西に流れる送電線の方角に踏み跡がついている。鉄塔管理道かもしれない。踏み込んでみる。幅広の稜線を行くが道がよく分からない。踏み跡らしき痕跡をたどり、浅くて広い沢の左手に木段を見つける。

朝日山登山用駐車場

宿根の集落の方角に下っている。石ころだらけの上に落ち葉と木々が散乱しており、そこをイノシシが耕している。荒れ放題の道をたどり、墓場の横を通り過ぎて車道に達する。車何台分かのスペースが取ってあり、朝日山登山用駐車場となっている所だ。

ふと横を見ると、朝日山頂上0.8km(朝日山遊歩道)という標識があり、細い山道が上に向かっている。<三差路>までしっかりした道がついているのだろうか。三差路そのものを確認していないし、よくは分からない。

宿根の集落

さて、ここからどうしたものか。宿根の集落を時計回りでほぼ一周してみた。<在屋>に抜ける道(二万五千分1地形図に表記されている)はよく分からない。北の空を見ると、なんとなく峠道がありそうな雰囲気の場所がある。地図で確認すると234.8m三角点南側あたりのようだ。

送電線鉄塔があるかもしれない。探検してみることにする。集落の端の家を通りかかった時、男性から声をかけられる。「上条まで下るかね」、「ええ、行けますよね」、「うん」、ということで前に進む。

鞍部

”矢竹”のトンネルをくぐり抜けて鞍部に達する。ここらあたりが朝日山から北あるいは北西へ延びる尾根を伝って下りてくる地点のはずである。送電線鉄塔もこのあたりのはずだが、どちらも分からなかった。"こういち"レポートにある尾根筋から宿根に下りた道とはどの道だったのだろうか。

さて、鞍部からは右への巻き道を少しづつ登っていく。ここでも竹林が続く。朝日山頂上付近のものより細めである。山道はしっかりした道だが倒竹が多く荒れ気味である。

尾根

尾根に乗る。朝日山北方から賀茂川にむけて流れる支尾根の一つであり、流れの末端は、水之口~東上条間を指している。左折して小潅木の中を行く(7度)。右にやや振れて(磁北から50度)再び林の中を行く。

上条橋

道が途切れる。右手の沢側にずりずりと近づきながら急斜面を下る。沢は、石ころだらけ、倒竹だらけでもちろん道はついていない。しばらく下って、右の尾根の山道に入り、墓場を通って車道まで下る。上条橋のやや上流地点である。

この山道が上までずっとついているかどうかは、もちろん分からない。宿根で聞いた「上条まで下るかね」、という言葉のほんとうの意味は、結局いまだに分からない。

"こういち"レポートによれば、宿根から在屋に抜ける道はそうとうの悪路で、地元の人の話では、普段はイノシシ猟をする人くらいしか通らないという。それにしても"こういち"さん、竹原で山歩きをした後で、「かぐやひめ号」(広島~竹原間高速バス、一部忠海まで延長)に途中のバス停から飛び乗って帰広するとは粋である。

シロツメクサの蜜をなめるアオスジアゲハ

宿根集落への下り口(車道)で、シロツメクサの蜜をなめる二頭のアオスジアゲハを観察する。近畿大学農学部HP/奈良キャンパスの四季/近畿大学奈良キャンパスのチョウ類相(近畿大学農学部紀要 第32号 抜刷から)/アオスジアゲハの項、には以下のような記述がある。

「1化目の成虫は4月下旬から見られ,5月中旬がピークで,2化目の成虫は6月下旬~8月に出現し,9月~10月下旬にも観察されているので,年3 回発生するものと思われる。個体数はあまり多くない。シロツメクサ,ヤブカラシ,リョウブ,カラスザンショウ,セイタカアワダチソウの花で吸蜜が観察されている。また,湿地での吸水行動も観察されている」

キランソウ、コハコベ、ギンリョウソウ、ゲンゲ、シロツメクサ、ハリエンジュ、ホオノキ、アオスジアゲハなど

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2004年02月14日

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七国見山、強風にてリタイア
(出発帰着:蒲刈町ウォーキングセンター)

2004年02月14日(土)、EIKO

はじめに

2004年02月14日(土)、EIKO
七国見山、強風にてリタイア
(出発帰着:蒲刈町ウォーキングセンター)

久しぶりに二人そろった山行である。かなり霞んだ天気で展望は期待できそうにない。だがまあ足慣らしとしては適当な山であろう。

今日のコースタイム:
蒲刈町ウォーキングセンター(15分)西泊公園( 23分)西楽寺(20分)リタイア
 小計58分
リタイア地点(16分)展望台ベンチ(25分)ウォーキングセンター
 小計41分
総合計1時間39分(昼食時間20分を除く)

蒲刈町ウォーキングセンター10:57-2合目11:08-西泊公園11:12-4合目11:27-5合目11:33-西楽寺11:35-展望台ベンチ11:37-6合目11:43-再び木段11:51-リタイア11:55-展望台ベンチ(昼食)12:11、12:31-ウォーキングセンター着12:56

管理人の男性に「蒲刈町観光マップ」と「蒲刈ふるさと自然のみちマップ」をいただく。頂上まではゆっくりゆっくり休みながらで1時間30分、七国見山をさらに向こうまで行って林道を帰ってくるコースで、昼食時間を入れて全部で4時間30分が目安だという。

登り始めの谷では多くの鳥の声が出迎えてくれる。コースは総じて木段、石段で固められており、<よく整備>されている。今日歩いた中で自然な状態がうれしいのは、6合目前後のやや平坦な尾根歩きだ。大木がかなりあり、それらにびっくりするような太いつる性の植物がまとわり付いていたりする。その中にイタビカズラやキヅタ(QJYつうしん86号)もあるのだろう。

強風注意報が出ていた。結局、気象庁から春一番と発表されたようだ。西よりの強い風である。西泊公園を過ぎたころから、谷向こうの東斜面にあたる風の音が強く聞こえてくる。5合目あたりから直接身体に風が当たるようになる。

尾根筋の林間では風圧も多少弱められていたが、登るにつれてますます風当たりが強くなる。風速は少なくとも20m以上で30m近くあるかもしれない。歩行ペースは上がっておらず頂上まであと40分位かかるだろう。このまま進めばその分だけ余計退却時間が必要になる。またの機会を期して無念リタイア。展望台ベンチまで下って昼食とする。

ウォーキングセンターに着いて帰り支度をしていると雨がぽつぽつ落ちてきた。その後強い降り方はしなかったが、ちょうどよいタイミングで下山したということだろう。

QJY通信86号より:
アカマツ、アメリカイヌホオズキ、イタビカズラ、イヌビワ、オオハム、カクレミノ、キカラスウリ、キヅタ、クサイチゴ、クロキ、シャシャンボ、シュンラン、ジョウビタキ、セイタカアワダチソウ、センダングサ、ツツジ、ツバキ、ツルナ、テイカカズラ、トベラ、ナワシログミ、ノグルミ、バクチノキ、ハコベ、ハマエンドウ、ハマダイコン、ハマナデシコ、ヒサカキ、ヒノキバヤドリギ、ホオジロ、ヤブニッケイ

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2004年02月21日

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七国見山
(出発帰着:蒲刈町ウォーキングセンター)

2004年02月21日(土)、単独

はじめに

2004年02月21日(土)、単独

七国見山(2週連続)
(出発帰着:蒲刈町ウォーキングセンター)

先週は春一番(強風)にてリタイア、再び一人での挑戦となる
快晴の汗ばむ陽気の中、残念ながら海の向こうは霞んでいる

今日のコースタイム:
蒲刈町ウォーキングセンター(12分)西泊公園(14分)西楽寺(20分)410m台ピーク(12分)七国見山
 小計1時間03分(休憩を含む)
七国見山(21分)展望ベンチ(8分)林道
 小計29分
林道(37分)展望台(9分)物見橋公園(40分)ウォーキングセンター
 小計1時間26分
総合計3時間14分(休憩を全て含む、ただし昼食30分は除く)

蒲刈町ウォーキングセンター10:19-2合目10:29-西泊公園10:31-5合目10:44-西楽寺、展望台ベンチ10:45、10:50-6合目10:55-再び木段11:02-410m台ピーク(ベンチ)、9合目11:10-桂の滝分岐11:16-七国見山頂上11:22、11:38-5合目11:58-ベンチ(展望)、昼食11:59、12:29-3合目、林道12:37-展望台13:14-桜の公園13:20-物見橋公園 (東屋)13:23-車道14:00-ウォーキングセンター14:03

蒲刈町ウォーキングセンターで記帳をすませて飛び出す。足元にはオオイヌノフグリが点々と咲いている。今日は一人身の身軽さ、快調に高度を稼ぐ。つる性植物をたっぷりと観察しながら気がつけばすでに410m台ピークである。7合目の標識があったのかどうかは定かでない。途中でウグイスの鳴き声を聞く。

山頂から真南へ約100度幅で瀬戸内の展望が開ける。県民の浜のはるかかなたに石鎚山が見えるはずだが、確認できるのは斎島までである。その向こうは霞の中に消えている。

林道への下りでは、木段の乾いた落ち葉がすべる。久しぶりに尻餅をついてしまった。滑って転ぶのは足首や手首の捻挫・骨折の原因となる。絶対に滑らないようにしようと心がけているのについつい気が緩んでしまう。

途中わずかに右手(田戸港)が見える箇所がある。標高260mくらいの地点だろう。田戸港6~8度、右手後に七国見山から北へ延びる稜線上の小ピーク(390m台)76度である。

5合目標識のすぐ下にある展望ベンチで昼食。初神集落の方角がわずかに開けており、海岸道路の分岐に取り付けられた道路標識が見える。残念ながら前方の瀬戸内海は霞の中である。

フクロウの鳴き声がする。カラスがうるさい。突然頭上でシュルシュルという音がする。滑空する鳥の羽音だったようだ。男女ペアが登ってくる。挨拶をするとそのまま元気よく登ってゆかれた。休まないのかなと気にしつつ弁当を片付けて再び下る。

前方に420.8mピーク(奥山コース)が見え始めるとすぐに林道である。展望ベンチから10分足らずで下りてしまった。途中でツバキの花が2~3輪咲いていた。

林道には車はほとんど通らないようである。林道そのものは舗装された味気ない道であるが、瀬戸内の展望はすばらしい。山の方を見上げれば岩山など見所もある。原トンネルのある尾根まで少しづつ登ってその後は下りののんびりした旅を楽しむ。

物見橋を渡る手前で、後から人の話し声と鈴の音が聞こえ始める。追いつかれた? 山道はかなり飛ばして廻ったつもりなのに。東屋には展望絵図があり四国の山が大きく描いてある。男女ペアは四国は見えないな、といいつつ追い越して行かれた。

正面に登りで使った尾根が見えるとゴールは近い。見上げれば西楽寺上の展望台が見える。海側の谷で鳥の鳴き声が大きく、道はやがてミカン畑を通って海岸道路へ下る。チョウを2種類見る。茶色と紫がかったのであまり大きくはない。

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2002年07月27日

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龍頭山、往復
(出発帰着:別荘地最奥駐車場)

2002年07月27日(土)、単独

はじめに

2002年07月27日(土)単独
龍頭山(出発帰着:別荘地最奥駐車場)

先週、一兵山家山~中野冠山縦走途中のノベリ山で会った人に、天狗石山~高杉山縦走を今週にでもやりたいと宣言してはみたものの、梅雨明け極暑(最高気温35~36度)の中での長時間行動は無謀というものであろう。今週は、その安佐山山塊を出来るだけ近くから展望することで満足することとする。

短時間で登り下りができてしかも展望が良さそうな山を選んだ。そして、熱中症(日射病)を避けるため日中の登山はさけることにした。朝にしようか夕方にしようか迷ったが、ここのところ夕方の見とおしがよさそうなので夕方登山とした。登山口までの時間を節約するため高速道路を利用してみたが、帰りに下の道を通ってもあまり所要時間の差はなかった。

今日のコースタイム:
登山口(20分)瀧ヶ馬場(13分)稜線上(18分)龍頭山頂上
 小計58分(休憩を含む)
龍頭山頂上(28分)登山口
 小計28分
総合計1時間26分(頂上滞在時間53分を除く)

登山口16:24-駒ヶ滝分岐16:34-林道(瀧ヶ馬場)16:44-稜線上16:57、17:04-前龍頭17:07-中龍頭17:13-龍頭山頂上17:22、18:15-登山口18:43

午後3時を過ぎてから自宅を出る。すでに日は西に傾いてはいるが、我が愛車の車外温度表示はなんと37度Cである。クーラーをかけても汗が吹き出てくる。何といっても体温より気温の方が高いのだ。

バス停、龍頭山登山口から龍頭山遊歩道(駒ヶ滝)の標識に導かれるようにして別荘地最奥の駐車スペースに到達する。別荘地とはいうものの地図に描かれているような区画整理の跡など今やどこにもない。穴ぼこの道が一本延びているだけである。正にバブル崩壊といったところであろうか。何となく勘で走ったら着いたというのが正直なところだ。

まだ3台の車が止まっている。一番奥にスペースを見つけてそこに駐車する。皆この暑さの中を登山しているのだろうか。ちょうど帰り支度をしている人がいたので聞いてみると、滝を見てきただけだという。歩き始めてすぐに子供連れとすれ違う。この人達も滝までの口だろう。結局滝から上の山道では誰にも出会わなかった。

今日の目的は龍頭山山頂からの展望である。駒ヶ滝その他の滝はパスしてひたすら上を目指す。駒ヶ滝分岐から少し行った所(瀧ヶ馬場)で林道と接する。ここにも駐車スペースがあるので山頂を目指すだけならばここから歩くのもよいであろう。

東斜面のジグザグ道を行く。少しばかりきつい登りになる個所がいくつかある。時々あえぎながら稜線に出た所が前龍頭である。岩の上に立つと大展望が開ける。ここからは稜線上の道を行く。ほんの少し登った所に立派な東屋(前龍頭)がある。展望は下の岩場の方がよい。数分で中龍頭のこれまた立派な東屋に達する。展望はあまりないが最後の登りに備えてここでも気合を入れなおす。

一旦鞍部に下ってまた登る。最後に稼いだ登り分だけ展望が良くなる。山頂にも東屋がある。これも立派である。全体を通して広い登山道はよく管理されており歩きやすい道である。ただしちょっとした急斜面があると、すぐにりっぱな丸太の階段で固めてあるのは残念だ。なお、山頂まで直射日光に当たる所はほとんどない。

西にある太陽はちょうど雲の中である。ほんの少し風があり火照った体に気持ちがよい。木立を切り払った山頂だがあまり暑さは感じない。そして、北東の方角に少し木立があるものの文字通り360度の展望を堪能する。県内の見えるべき山(主だったもののみ)のほとんどを確認する。

日没近くになり後髪を引かれる思いで山頂を後にする。この時間に知らない道を行くこともないだろう。登って来た道をすなおに下る。そして、日のあるうちに下山することができた。登山口に着いて、靴の紐を解き着替えを済ませるのに何の問題もなかった。駐車場に他の車は一台も残っていなかった。

帰りにネムノキのピンク色が目立つ。湯来温泉周辺より花の時期が遅いのだろうか。また、大きな木が多いようだ。

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2004年10月16日

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深入山 草尾根コース往復
(出発帰着:運動広場)

2004年10月16日(土)、EIKO、MAMA、KEN、MOMO

はじめに

2004年10月16日(土)、EIKO、MAMA、KEN、MOMO
深入山、草尾根コース往復
(出発帰着:運動広場)

3年連続でほぼ同じ時期の登山である。ムラサキセンブリをたくさん見た。そして、快晴の天気に遠くはやや霞むものの、頂上からの展望に満足する。(カシミール展望図、リンクファイル参照)

今日のコースタイム:
運動広場登山口(1時間26分)深入山頂上、草尾根コース
深入山頂上(1時間05分)運動広場登山口
総合計2時間48分(大休止1時間40分を除く、林間コース探索17分含む)

運動広場11:04-1本木11:45-分岐12:20-深入山12:30、14:10-(林間コース探索)-深入山14:27-分岐14:34-運動広場15:32

子どもたちのママ初参加、ただし、はやくも今回限り宣言。子どもたちに負けてバテバテ。 21日(木)MAMA、KEN、マイコプラズマ肺炎と診断。少し前から体調を崩していたのか?可哀想なことをした。

さて、車に弱いKENが付き合ってくれるというので、大挙して出かける。登山口に着くと、快晴の天気だが風は少し冷たい。頂上で冷えるかと心配したが、それ程風が当たることもなく快適な時間を過ごす。

登山口からリンドウが多い。ウメバチソウがビニールテープに囲まれた小さな保護区内でたくさん咲いている。ウメバチソウは登山道でも少しみかけた。今日は小さいけれどもよく見える目がたくさんあるので、あっちこっちと花を見つけては教えてくれる。

登り始めにクヌギが多い。KENはクヌギのドングリをみつけては喜んでいる。クヌギにはカブトムシがよくくるという。KENはほんとうにムシが好きなようだ。

分岐附近で、お目当てのムラサキセンブリをたくさん見る。数は去年より多いようだ。子どもたちが見つけては教えてくれるので、その中から姿形の良いのをデジカメに収めた。

MAMAは最初から遅れ気味。MOMOよりも元気がない。帰りでは完全にバテテしまったが相手は子どもだ。何とかついてくる。そのうちMOMOの腰がすわらなくなり足元がふらついて滑ってばかり。EIKOと二人で、MOMOとKENの手を引いてやる。MOMO、下山口近くの急坂で最後に5分間抱っこ。

下山中に、軽装の登山者と何人もすれ違う。少し登ったところで頂上をあきらめて下りてくる人が多いようだ。粘土質の急坂。やはり深入山はそれなりにタフな山だ。

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2010年04月18日

Akimasa Net
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2010年04月18日(日)、ブナ森やぶこぎクラブ(会員外参加)
恐羅漢山:
カメイ谷(平太小屋原遡上)敗退:
牛小屋高原~夏焼峠~管理林道~台所原~33曲がり~カメイ谷~台所原~恐羅漢山~牛小屋高原
(出発帰着:牛小屋高原)

はじめに

2010年04月18日(日)、ブナ森やぶこぎクラブ(会員外参加)
今日の目的は、恐羅漢山の北西面にあるカメイ谷(島根県)をどこまでも遡上してみることにあった。

広島県側の牛小屋高原(標高960mくらい)を出発点として、そこから夏焼峠~縦走路(1131.8m三角点)~管理林道で台所原(標高1000m台)に至る。カメイ谷右岸上部に当たる地点である。

そこから島根県に入り、33曲がりを経てカメイ谷(標高782m付近)まで下った。

カメイ谷では沢沿いを遡上し、やがて猛烈なヤブを漕ぐ覚悟をしていた。標高1,100m前後から上には、ヤブの中にブナ、スギ、トチやミズナラなどの大木が林立しているという。もしかして桃源郷があるのかもしれない。

最終目的地は、平太小屋原(恐羅漢山と旧羅漢山との鞍部、標高1270m台)である。ところが、途中の「出会」(推定標高1,000mくらい)手前にある小滝をどうしても乗り越すことができない。今日はここまで。ヤブ漕ぎに挑戦することなく敗退決定。

沢沿いに少し引き返して昼食。休憩後、右岸の小さな尾根に取り付き、台所原(標高1000m台)まで直登する。さらに、そのまま恐羅漢山(1346.4m)に登り、立山コース(スキー場)で牛小屋高原に帰り着く。

今日の山行も、昨年の11月15日(ボーギのキビレ、広島島根県境尾根)に引き続いて、西村保夫さん(ぶな森会)のお誘いを受けて参加させていただいたものである。

前回の同行登山以来、諸般の事情で私は一度も山に入ることはなかった。私から声をかけている山行の案件があるのだけれども、無期延期としていただいている。

そうした中で、「カメイ谷上部を歩いてみたい」と前回私がつぶやいたことを覚えていてくれた西村さんが今回の企画を立ててくださった。足腰にかなりの不安があるものの、断る理由は何もない。喜び勇んで出かける。

いつも使っているA6ノートに、先達の山行記やルート図をいくつか張り付けて持参する。これとコンパスがあれば何とか戦力になるだろう。

今日のコース&コースタイム

今日のコースタイム

牛小屋高原(26分)夏焼峠(26分)管理林道(29分)中之甲林道終端部広場(土場)
 小計1時間21分
土場(6分)台所原三叉路(26分)33曲がり上部(9分)カメイ谷右岸
 小計41分
カメイ谷(23分)右小谷(13分)右小谷(42分)ポイントX(8分)敗退地点
 小計1時間26分(ポイントXでの休憩13分を除く)
敗退地点(7分)ポイントXにて昼食(12分)台所原三叉路近く
 小計19分(昼食20分は加えず)
台所原(1時間03分)恐羅漢山(46分)牛小屋高原
 小計2時間04分(恐羅漢山15分を加える)

総合計6時間51分(出発から帰着まですべての時間)
 (林道終端部広場6分、ポイントX13分、敗退地点13分、昼食20分、台所原8分を含む)

牛小屋高原8:16-夏焼峠8:42-1131.8m三角点近く8:50-分岐(早手のキビレ)8:58、9:00-管理林道9:08-中之甲林道終端部広場9:37、9:43-台所原9:49-33曲がり10:15-33曲がり下(カメイ谷右岸)10:24-左岸へ渡る10:33-休憩10:35、10:36-右小谷あり10:47-右小谷あり10:51-F7m-右小谷あり11:00-F10m(左岸を高巻く)-小滝下(左手台所原、ポイントX)11:42、11:55-撤退地点(小滝下)12:03、12:16-(引き返す)-昼食(ポイントX)12:23、12:43-台所原12:55、13:03-休憩13:21、13:25-休憩13:39、13:45-休憩(少々)13:56-縦走路14:04-恐羅漢山14:06、14:21-立岩コース分岐14:25-地蔵14:45、14:51-牛小屋高原15:07

さて今日の山行はどうだった?

二軒小屋8時集合

いったん二軒小屋で集合して、車を乗換え牛小屋高原に上がる。ここで二軒小屋にも車を残しておいた。もし万が一、旧羅漢山から十方山林道経由で帰ってくることになったときの用心である。

牛小屋高原~夏焼峠でクマを見る

西村さんたちのメンバーは男性4人で、いずれも昨年11月15日にご一緒した方々である。それに私を加えて合計5名で出発する。

恐羅漢山の登山コースおよび夏焼峠付近について、「西中国山地」は次のように書いている。

広島県側横川(よこごう)より登るのが一般ルートで、ほとんどの人がこれを登降している。(中略)

牛小屋キャンプ場より中之甲へ越すナツヤケのキビレまで樹林下の径を歩き、キビレより恐羅漢山北尾根を登るコースもある。

この小径もよく踏まれているが、最近部分的にササが茂り始めた。この径は恐羅漢山より砥石川山への縦走路として、かなり歩かれているようだ。

桑原良敏「西中国山地」(初版1982年)P.080

牛小屋高原から、恐羅漢山の東斜面をゆったりと北向きに行き(地形図記載なし)、恐羅漢山~砥石川山の鞍部(夏焼峠、ナツヤケのキビレ)に至る。

途中でクマを見る。右下の谷でガサガサっと音がしたので見下ろすと、向こうの斜面で小灌木が揺れている。西村さんたちがクマだという。目の悪い私には今一よく分からない。しかし、小灌木の揺れが音をたてながら上の方に移動して行くのははっきりと見えた。
(後日西村さんから、黒い塊は見たけれどもクマとは断定できない、イノシシの可能性も否定できないとの見解あり)

ショウジョウバカマ、石の標識あり(目的は?)

1131.8m三角点はどこだ

夏焼峠から「恐羅漢山北尾根」を南向きに登る。途中にある四等三角点(1131.8m)の点名は、何と「ブナ林」である。三角点はその付近のピークにあるはずで、登山道はそれよりもわずかに東側を行く。

三角点にご挨拶(タッチ)して行きたいものである。しかし、ササ藪に覆われてその位置が分からない。西村さんは以前にグループの何名かで真剣に探したらしい。しかし、見つからなかったという。1973年(昭和48)5月1日埋標というが、すでにササ藪のなかに埋もれてしまったのだろうか。

画像の説明

(写真左)
1131.8m三角点を越えて、縦走路正面に恐羅漢山を見る。芽吹きまであと少しである。なんとなく山全体が赤みを帯びている。

縦走路をもう少し行くと右手に分岐があり、「早手のキビレ」という名前の道標が取り付けられている。その位置は、1131.8m三角点を越えて小鞍部(標高1,110m台)まで下り、1,126mのわずか手前まで登り返した地点(標高1120mくらい)である。

この道標は、二年前(2008年2月)の恐羅漢山スノーボーダー7名遭難事件の後に、この周辺に多数設置された道標の一つである。(恐羅漢山頂50分、夏焼峠15分、台所原40分)

管理林道で残雪を見る

「早手のキビレ」から、右手の北西斜面を管理林道(地形図記載なし、標高約1,040mくらい)まで下る。標高差80~90mくらいの趣きのある踏み跡である。

管理林道は未舗装である。距離2km弱で標高差は40m程度しかない。幅広の道をゆったりと下る。

画像の説明

(写真左)
林道山側の側溝(素掘り)に残雪を見る。

その向こうでは、すでに雪はとけて水たまりとなっている。

画像の説明

(写真右)
中をのぞくと、寒天状の透明な太い紐がとぐろを巻いており、その中に黒い粒々が見える。カエル(ニホンヒキガエル?)の卵である。

ネコヤナギ、タラの芽、春まじかである。

画像の説明

(写真左)
右手谷の向こうには、(中ノ川山(1170.2m)この画面には入っていない)~天杉山(1173.6m)~野田頭(1136m)があり、そのさらに奥、こちら側の山裾との間に、高岳(一番奥)~聖山が見える箇所がある。

なおも管理林道を下る。

画像の説明

(写真右)
一部崩落した箇所があるものの、今でも車が走れそうなゆったりとしたよい道である。
正面谷向こうは、中ノ川山。

この管理林道は、恐羅漢山の西側(台所原)と東側(牛小屋高原)を結ぶルートとして非常に有用である。恐羅漢山を直接乗り越すことがないので、高度差が少なく体力を使わなくてすむからである。

元々の目的は、植林のための「管理」林道ということであろうが、今後ともありがたく通らせていただきたいと思っている。

台所原~33曲がりを経てカメイ谷に下る

管理林道の始点は、中之甲林道(地形図黒実線)の終端部でもある。木材の集積場所(土場)として使われるのであろうこの広場には、件の道標があり「台所原平」という名前が付けられている。(台所原5分、夏焼けのキビレ60分、中ノ甲・聖湖方面(時間表記なし))

中之甲林道の延長線上を北西の方角に進む。高度差はほとんどない。ハリギリ、ホオノキの大木の横をすり抜けて、ミズナラの大木がある三叉路に至る。ここにも件の道標があり、「台所原」(右矢印:中ノ川山・天杉山方面、今来た方角への矢印:中ノ甲・聖湖方面、左矢印:恐羅漢山頂60分)となっている。

画像の説明

(写真左)
台所原三叉路にはミズナラの大木

33曲がりからカメイ谷に至るには、この台所原をさらに直進する(道標には表記されていない)。背丈ほどのササが生い茂っており、踏み跡はほとんど消えかかっている。一昨年(2008年)秋には一旦刈り取ったらしく、立派な四差路となっていたが、その後は手が付けられていないようである。

ササ藪をがまんしてしばらく進む。少し歩きやすくなり、天杉山~中ノ川山~1146mの尾根突端を巻いて行く。しかしその向こうは、細い踏み跡が付いているものの、左手にカメイ谷を見下ろす急斜面を行くトラバース道である。

踏み跡の上にはササが覆っており、足元はよく見えない。ちょっと気を抜くと、急斜面に吸い込まれてカメイ谷の底まで(高度差150mくらい)転落しそうな錯覚に陥る。

33曲がりは、小尾根の急斜面を小さなジグで下る。慎重に下ればそれ程危険ではない。右前方谷向こうに鉱山跡の穴を見て、いったん谷向こうに渡る。この小谷の右岸を少し下ると、カメイ谷右岸を行く踏み跡にぶつかる。左へ行ってカメイ谷をさかのぼる。

エンレイソウ

カメイ谷をさかのぼる

最初は右岸を行き、しばらくして左岸に渡る。その少し上で正面に恐羅漢山を見る。

画像の説明

(写真左)
休憩地点(10時35分)
カメイ谷の上部に恐羅漢山を見る
推定標高800~820mくらい

ややあって、右に小谷を見上げると、旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根(旧羅漢山1334m~カマのキビレ1,030m台~1,155m~1,090m~ジョシのキビレ1,000m台)の一部が見える。1,155mであろう。

画像の説明

(写真右)
右に小谷あり(10時47分)
上部に見えるのは旧羅漢山から西向きに流れる尾根の一部(1,155m)だろう
推定標高830mくらい

F7を越えて行く。まだ気持ちの余裕がある。

画像の説明

(写真左)
F7m(10時55分)
推定標高850~60mくらい

F7mを越えると、右手に沢がある。

画像の説明

(写真右)
右に小谷あり(11時00分)
学術的に興味深い所のようである
推定標高880mくらい

そのすぐ上のF10m(推定標高900mくらい)はさすがに乗り越せない。

画像の説明

(写真左)
画面奥に見えるF10の左岸を巻くつもりで、右手急斜面に取り付き草を握って登る。ミヤマカタバミだろうか。気がつくと回りに白い花が点々と見えている。大群落である。
この花については、後で西村さんから、花も葉も形が違ってるよと写真を見せてもらった。元々知識が乏しい上に、その時は自分で写真を撮る余裕もなく、目が悪いからしっかりと観察できていない。惜しいことをした。

さて、沢から20~30mくらい登ったが、行くべきルートは全くわからない。急斜面に疲れる。

トップが左横へ移動する。すると、その下に踏み跡らしきものが見えるという。少し登りすぎたのかもしれない。ロープが出る。なんとか全員足場を確保できる地点まで移動する。少し下ってそのまま左岸上部を行く。しばらくして、谷向こうの上部が台所原と思われる地点に至る。沢まで下る。

今日はここから敗退地点まで行き、再びここまで引き返した。そしてここから、台所原まで強引に這いあがった。覚えのために、ここをポイントXとしておこう。

なおF10mでは、もう少し滝に近づいて観察する必要があったのかもしれない。それはともかくとして、難関はなんとかクリアーできた。

次は、その上の「出会」がどんな場所か確かめなければならない。まさか現在位置を取り違えていることはないと思うが、右谷、左谷がどの様に出会っているか楽しみである。

画像の説明

(写真右)
ポイントXから、なおも上をめざす(11時56分)
推定標高950mくらい

敗退地点

画像の説明

(写真左)
「出会」手前の小滝を乗り越すことができず敗退決定。
画面中央の大岩の向こう、上部に見えている滝(この写真では不鮮明)は、「出会」から今日行く予定であった右谷の滝と思われる。
推定標高1,000mくらい

再び台所原、そして恐羅漢山へ

ポイントXまで引き返して昼食後、台所原の方角をめざして小尾根をはいずりあがる。急坂をこなすとその上はササ原であった。すでに台所原の一端に達したようである。ほぼ平坦な歩きやすい踏み跡を追って左手にトラバースして行くと、台所原から恐羅漢山に至る登山道に出る。

そこからふと左手を見れば、十数m先に見覚えのあるミズナラの大木が立っている。台所原三叉路である。つまりここまでに、台所原~33曲がり~カメイ谷そして再び台所原と反時計回りで完全に一周してきたことになる。

さてこれからどうするか。再び管理林道で帰るのではあまりにも芸がなさすぎる。それに今日のもともとの最終目的地は恐羅漢山であった。登らないわけにはいかない。

しばらく休憩を取り、気合いを入れて恐羅漢山めざして登り始める。今日は50分(あれば十分だ)?などと威勢のよい声がかかったものの、少し足にきている。ピッチは上がらない。休憩を3回取ってやっと這い上がる。結局、1時間03分かかった。

台所原の件の道標には、「恐羅漢山頂60分」とある。恐羅漢山周辺に数ある件の道標は、概して甘めのコースタイムとなっている。しかし、台所原~恐羅漢山1時間は微妙に正確である。1時間以内ならば、まずは多少の余裕があった証拠であり、それ以上時間がかかればバテテいた可能性が高い。

恐羅漢山から牛小屋高原に下る

恐羅漢山山頂で展望を楽しむ(未完)。

山頂には20名以上の団体さん、隣県からバスでみえたらしい。牛小屋高原から夏焼峠~砥石川山を往復した後、稜線を恐羅漢山まで登ってきたという。かなりの年齢層とお見受けしたが、みなさんお元気である。

一足先に下って行かれた一団を追って、私たちも立山コース(スキー場)を下る。砥石川山に至る稜線を正面に分けて右折して下る。岩場が多く意外としんどい下りである。それが分かっているからゆったりと下るつもりであった。

その岩場で突然「足がつった」という声があがる。初めての経験らしい。すかさず、足つりをよく起こすという他のメンバーが常備薬を出す。それを飲むほどに、たちまちにして症状は消え去ってしまい、元どおり歩けるようになった。何か秘薬が配合されているのかもしれない。薬屋としてはちょっと気になる。

スキー場最上部で地蔵をみると、本体がない。以前にも一度なくなって、次の山行ではちゃんとあったという経験をしたことがある。西村さんによれば、強風で吹き飛ばされたことがあるらしい。雪崩で流されるというケースも考えられる。まさか持って帰るほどの猛者はいないと思うが。

途中で、右前方の山並について問い合わせがあった。
山旅倶楽部の更新手続きをしていなかったはずだ。
後日検討としておこう。

さてスキー場の下の方を見ると、件の一団が牛小屋高原よりもさらに下まで下っているようである。バスはどこに置いているのだろうか。私たちが牛小屋高原で車に乗り込み、二軒小屋に戻る直前に、彼ら彼女らも二軒小屋まで下りてきていた。

なんと、牛小屋高原基点ではなく、二軒小屋を出発帰着で砥石川山・恐羅漢山を登り下りしたという。二軒小屋には大型バスが待っていた。そのバスでは二軒小屋~牛小屋高原を登ることはできないというのでそうしたという。ほんとうに登れないかどうかは分からない。ただし、スキーシーズンには、二軒小屋の大規模駐車場から小型バスが牛小屋高原までピストンするということはあるらしい。

いずれにしても、皆さんご無事だったようである。私たちも当初の目的を完全に果たしたわけではないが、無事下山できた。終わりよければすべてよしである。無事ならばこそ次のチャンスも狙えるというものである。

ところで、「終わりよければすべてよし」って、シェイクスピアによる同名の戯曲からでた言葉だそうである。元々は、「初めよければ半分成功、終わりよければすべてよし」というらしい。

もう一度体調を整えて、さらに準備万端で、
さて、次のヤブ山行はどこ?

参考山行記(カメイ谷上部を中心として)

「出会」手前の小滝をどのようにして乗り越えたのかを含めて、この機会に先達の資料をもう一度読み返してみた。そして、eMailでお伺いを立ててみた。

「西中国山地」を読むと、「(亀井谷には)一ヶ所ゴルジュがあり、右岸をまいて通ると出合と呼んでいる右谷と左谷の合流点に出る」となっている。

この記述だけでは、F10も含めて大きく(長い距離を)「右岸」から巻いたのかどうかよくは分からない。今日の私たちが見た限りでは、F10も含めて「右岸」を行くという選択肢はあり得なかった。

"K"さん(山歩きのページ)は、F10の「左」岸をまいている。今日の私たちと同様の判断をしたと思われる。そして、最後の小滝は中央を突破した記憶があるという。

"のびへい"さん(のびへいの徘徊)の話をあらためて聞くと、私たちと同じくF10を左岸から巻いてポイントXに至り、さらに登って「出会」手前の小滝にはばまれたようである。

手前の尾根まで引き返し、その尾根上にある1074m地点目指してして登っていったという。山行記ではこの部分は淡々と書いているが相当苦労したとのことである。

参考:桑原良敏著「西中国山地」

亀井谷の水源帯は山なれしたパーティの独壇場である。略図の如く一ヶ所ゴルジュがあり、右岸をまいて通ると出合と呼んでいる右谷と左谷の合流点に出る。

この地点より暗い樹林の中の笹のブッシュをこぐことになるが、出会より恐羅漢山頂まで二時間と見ておく必要がある。この深い樹林は、この付近で残されている唯一の天然林でツキノワグマを始めとして野生の獣が集まっているようだ。

「西中国山地」P.077
(Web作者にて一部改行を加えた)

  • 上記文章中の「略図の如く」とは、P.77の概念図"亀井谷"のことである。

「西中国山地」の各概念図の正確さには定評がある。黒太の線で描く稜線とそこから派生する支尾根に対して、谷筋を細い線で表わしており分かりやすい。そのシンプルな構成は、時に二万五千分1地形図よりも表現力豊かであるとさえいえる。

今回の山行においても、カメイ谷本谷から枝分かれする左右の小谷および滝の位置を、二万五千分1地形図と照らし合わせながら事前に検討を重ねた。そして、現地を歩いてみた結果、それらが正確であることを改めて認識した。

参考:"K"さん(山歩きのページ)のカメイ谷

33曲りの先の道は、木が茂り荒れているが、幅広の道だったようだ。先へ行くと道は左岸へ渡っている。昔は橋があったようだ。その先の踏み跡はだんだん心細くなる。大きな谷の分岐の右はカマノキビレ付近へ出るようだ。分岐を左へ進むと、左岸にまた石積が残っていた。この先あたりまで木馬道があったのかもしれない。

この辺りからゴルジュ帯が現れ、出合まで300mほど続く。乗り越せない高い滝が現れる。F10mのようだ。F10m手前で谷は分岐する。左岸に取り付いて越す。「西中国山地」では右岸から巻いている。

最後の小滝を乗り越すと出会に出る。谷は左右に分岐する。左に進めば、台所原から恐羅漢山への登山道へ抜けるだろう。右の滝下まで詰めて、しぶきに当たりながら左岸から乗り越した。

山歩きのページ/山歩きの履歴/"K"さん
2005/05/14山行記
(Web作者にて一部改行を加えた)

  • 2005/05/14
    ・二軒小屋から十方山林道を行き、水越峠を越えて細見谷に入る
    ・鋭角の屈折点からケンノジ谷に入り、広島島根県境尾根に登る
    ・尾根を乗り越してハゲノ谷を下り、広見林道の広見山登山口に至る
    ・ミチガ谷に入り、広見山分岐を左に分けてジョシのキビレに登る
    ・ジョシ谷をカメイ谷まで下る
    ・カメイ谷をどこまでもさかのぼり平太小屋原まで登る
    ・恐羅漢山からスキー場を経由して二軒小屋まで下る

参考:"のびへい"さん/のびへいの徘徊

(亀井谷奥橋から)気持ちの良い沢沿いの道を登る。33曲がりを過ぎ、沢沿いの道は徐々に荒れてくる。谷は左右に分かれ、奥へ進む。谷が現れ、左岸(進行方向右側)を高巻きして上に出る。あまり左へ行くと、台所原へ着きそうなので、滝の上から支尾根に乗る。コンパスで140度に固定し、ひたすら登る。ヤブの中を進むが、倒木と岩の重なりで進めペースはガックッと落ちる。地面を進むというより倒木の上をヤブをかき分け、浮きながら進む。

のびへいの徘徊/"のびへい"さん
2009/05/10山行記
(原文のまま)

  • 2009/05/10
    ・奥亀井橋からカメイ谷に入る
    ・33曲がりを左に分けて、カメイ谷をひたすら遡上する
    ・平太小屋原まで登りつく
    ・恐羅漢山~台所原~33曲がりを経て、奥亀井橋に帰り着く
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2009年11月15日

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2009年11月15日(日)、ブナ森やぶこぎクラブ(会員外参加)
十方山林道~マゴクロウ谷~ボーギのキビレ、往復
(出発帰着:二軒小屋)

はじめに

2009年11月15日(日)、ブナ森やぶこぎクラブ(会員外参加)

二軒小屋から十方山林道に入り、下山橋の少し先まで行く。
そこから、マゴクロウ谷をさかのぼり、ボーギのキビレ(広島島根県境尾根)に達する。
往路下山(ただし、ボーギのキビレ付近の登り下りは別ルート)。
(出発帰着:二軒小屋)

西村保夫さん(ぶな森会)のお誘いを受け、十方山林道~マゴクロウ谷をボーギのキビレ目指して登ることになった。西村さんには昨春初めて山行のお誘いをいただき、広見林道~コアカ谷~京ツカ山(同じく広島島根県境尾根)を案内してもらった。

このあたりの県境尾根はいずれも大変なヤブ山である。実は私は、今年の6月に単独でマゴクロウ谷をさかのぼり、ボーギのキビレ手前200mくらいの所で見事に敗退した。来春必ずもう一度と考えていた。だからお誘いを受けて大変喜んだ。絶好の機会である。ついて行く以外にない。

ただ少し心配だったのは、最近あまり歩いていないので足腰がどうかなという点であった。しかし、ゆったりとしたペースで歩いていただき目標達成、大満足。

なお、今日のコースを含むオオアカ谷(広見谷)~ボーギのキビレ~マゴクロウ谷(細見谷)を知っているのは、西村さんだけだったようである。

今日のコース&コースタイム

今日のコースタイム

二軒小屋(45分)水越峠(39分)下山橋
 小計1時間24分
下山橋(3分)マゴクロウ谷取り付き(十方山林道)
 小計3分(移動1~2分+休憩)
マゴクロウ谷取り付き(51分)登り分岐点(27分)県境尾根
 小計1時間18分(取り付きにて、写真タイム数分、その他道迷い少々)
県境尾根(18分)ボーギのキビレ
 小計18分(休憩を7~8分含む)
ボーギのキビレ、横川越(17分)分岐点(27分)マゴクロウ谷取り付き(十方山林道)
 小計44分
マゴクロウ谷取り付き(2分)下山林道
 小計2分(多少の休憩を含む)
下山橋(49分)水越峠(39分)二軒小屋
 小計1時間28分

二軒小屋~ボーギのキビレ(横川越)、3時間03分
ボーギのキビレ(休憩)12分
ボーギのキビレ~二軒小屋、2時間15分(昼食を除く)

総合計5時間30分
(下山橋33分を加えず)

二軒小屋7:45-十方山登山口(シシガ谷)8:18-水越峠8:30-(キンカネリをショートカット)-再び十方山林道8:40-下山橋9:09-(休憩あり)-マゴクロウ谷取り付き9:12(道しるべ健在、写真タイム3~4分あり)-右岸から取り付く、徒渉を数度繰り返す、途中でクマの落し物、登り分岐点(今日のポイント)10:03?、右に振って右の沢をしばらく行く(左へ振って左の尾根に乗るのが正解か?)、(下りではそのコースを下る)-左手尾根に乗る、背丈を没するササ原-稜線(ボーギのキビレの北北東)10:30(休憩あり)-(稜線上を行く)-ボーギのキビレ10:48、11:00-登り分岐点11:17-十方山林道(マゴクロウ谷取り付き)11:44-下山橋11:46、12:19-タヌキ死骸、アナグマ?Kさん(2004/11/20)-水越峠13:08-十方山登山口(シシガ谷)13:16-対岸に石組み(木馬道?)-(サバの頭を見る)-二軒小屋13:48

二軒小屋駐車場集合

二軒小屋集合時間(午前7時30分)に合わせて車を走らせる。途中でシャワーあり、今日一日歩きとおせるかどうか心配な空模様である。それでも、登山靴に履き替えスパッツを付けるころには雨もほとんどやみ、後は、先日の雨でマゴクロウ谷(徒渉を数度繰り返す)の水量がどの程度か気にかかるのみである。なお、メンバーは私を含めて男性6名+女性1名。

十方山林道は大荒れ

十方山林道に入り一軒家跡まで数百mは拡幅舗装が完了している。途中右手の山側から舗装道路上に土砂が崩れ落ちており、車1台がやっと通り抜けられる程度に片づけてある。しかし、その先の未舗装部分は荒れ放題である。

先月長男がバイクで十方山林道を通り抜けた。特に通過困難な場所もなかったと言っていたので、少し手入れをしたのかと思ったが、実際には今年はシーズンを通じて同じ状態で、荒れるにまかせるといった表現が正しい。四輪駆動車でも遠慮した方が賢明だろう。

今日のメンバーの中には、十方山林道が初めての方も多いようである。多少のご紹介をさせていただきながら歩いた。例えば、水越峠では、林道の両側を立派な切り石で固めてあるなど、50年以上も前に造られた未舗装の十方山林道がいかにていねいに造られているか、等々・・・

初めてキンカツギを通る

十方山林道は、水越峠を越えて少し下ると、右から左へと鋭角にカーブして造られている。これは、吉和西側の七曲と同じく、木材を積んだ4トントラックが登り下りできる緩やかな勾配を保つためである。地形にうまく合わせているというので、特に断層地帯を通る七曲は現在でも専門家から高く評価されている。

そのカーブ地点(キンカネリ)をショートカットして下った。初めての経験である。桑原良敏著「西中国山地」の地図(細見谷P.110)にも点線が入っており、どこから踏み込むのかいつも気にしながら通っていた箇所である。十方山林道ができる前からあったはずの踏み跡を水流に沿って下った。

マゴクロウ谷に踏み込む

十方山林道を下山橋まで行き、そのまま林道をさらにほんの少し行くと、右手からマゴクロウ谷の水流が落ちてくる。

画像の説明

マゴクロウ谷の右岸に踏み跡が付いている。林道から見上げるとナツツバキがあり、そこに道標が取り付けてあるようにみえる。ヤブをかき分けて入りほんの少し登って確認すると、「横川越 恐羅漢山、登山口」と書かれた小さな木片がある。黒色の字が浮き上がっており趣きがある道しるべである。(写真タイム数分あり)

マゴクロウ谷を登る

実は今回はデジカメ以外に記録は何も取っていない。ここのところ使用しているGPSも持ってこなかった。地図とコンパスだけでヤブ山を楽しんでみたかったのである。と、恰好はつけてみたものの、記憶とは全く当てにならないものである。

以下、帰宅後の検討結果を踏まえつつ書き留めておくことにする。

前回敗退時(GPSあり)には、マゴクロウ谷右岸から入って左岸に渡り、そのまま左岸沿いを行ったと記憶していた。そこで今日も、前回苦労したヤブのことを思い出しながら、時々進行方向右手左岸に目をやりつつ登った。

帰宅後、改めて前回のGPS軌跡を取り出してみた。ほぼ沢沿いを登っていることは間違いない。だから前回も今日と同じく、何度も徒渉を繰り返したはずである。前回は、左岸のヤブが深かった記憶の方が強くて、徒渉したという記憶が薄れてしまったのかもしれない。

なお、今日は前回(単独)とは違って7名のパーティである。最後尾を歩く形となった私は、前の方で少し踏み固めたルートを歩かせていただいた。ヤブ漕ぎの負担は前回よりもずっと軽くなっていたはずである。

また、今日の沢の水量は、雨上がりにもかかわらずほとんど変化がなかった。徒渉に苦労するような箇所は全くなかった。

  • 電子国土を読む

今日は、ボーギのキビレ付近の登り下りでそれぞれ別のルートを取り、反時計回りに回った。その分岐点は、前回敗退地点(標高970m台)にほぼ等しいと推定した(帰宅後検討)。

そこで、今日の山行ルートのうち、マゴクロウ谷右岸取り付き地点(標高870m台)から分岐点付近970m台までは、先日のGPS軌跡を利用して作成してみた。

GPS軌跡は、往路復路ともほぼ重なっており、うまくルートを拾えているのは間違いない。それにもかかわらず、マゴクロウ谷の取り付き(右岸)を確認すると、見た目では左岸に取り付くようになってしまう。おそらく標高880mの等高線(国土地理院地形図)が少しずれているためであろう。

県境尾根付近のルートを振り返る

今日の分岐点から右手沢を少し行き、左手の枝尾根に取り付いて登る。尾根上は背丈を没するササ藪である。所々にブナが立っている。登るほどに、ボーギのキビレは左手谷向こうの上部であることが分かる。

トラバースは厳しいだろう。そのまま前に進む。右奥に焼杉山1225.2mを確認しながら、一旦県境尾根(標高1050m台)に登りつく。キビレの北側である。

県境尾根は繁っている。同行の女性が「県境尾根を行くというからりっぱな道がついていると思った」と話している。

県境尾根の小灌木をかき分けて南西の方角に下る。下るほどに少し右からトラバースぎみになる。最後は、ボーギのキビレの下部(島根県側、オオアカ谷)を右下に見下ろしながら、北から南向きに移動する。

参考:"K"さん(山歩きのページ)初めての「マゴクロウ谷」

(マゴクロウ谷)入口から10mほど踏み跡があったが、径はすぐに谷へ落ちていた。右岸、左岸のところどころに径は残っているが、倒木とブッシュで歩きにくい。谷歩きのほうが楽なようだ。

鞍部手前200mほどで、小谷が分岐する。どちらを覗いても鞍部のように見える。磁石は左へ行けと命ずる。目印のテープは間の尾根にある。目印に沿って登ると、すぐに猛烈なササ帯になった。磁石の言うとおり、左へトラバースして谷筋を登った。

鞍部手前にブナの大木があった。1時間余りでボーギのキビレに初めて立った。峠には細長いブナがあった。焼杉山へも京ツカ山へも、ササがびっしりと覆っている。オオアカ谷はスギの植林帯になっている。

山歩きのページ/山歩きの履歴/"K"さん
2004/11/13山行記

なお、"K"さんはこの翌週には、オオアカ谷(広見)から登りマゴクロウ谷を下っている。

細見谷側は径が消失しているとはいえ、広見から横川へ抜けるには、ボーギのキビレ経由が一番近いだろう。「横川越」は広見側の呼称。

山歩きのページ/山歩きの履歴/"K"さん
2004/11/20山行記

ボーギのキビレ(横川越)

ボーギのキビレ(標高1030m台)に着く。島根県側(オオアカ谷)はスギ植林帯となっており、その中に踏み跡が下っているようである。西村さんによれば十分歩くことができるという。

参考:"K"さん(山歩きのページ)の「オオアカ谷」

ボーギのキビレから下りの径は、スギの林を進む。ブッシュがないので楽だが、暗い湿った単調な道が続く。スギの少し開けたところにトチの大木があった。オオアカ谷の右岸、左岸と渡りながら、目印のテープが続いている。時々、スギが開けたところで径やテープが消失しているが、オオアカ谷へ沿って歩けば、また径が現れる。
2004/11/13山行記(下り)

かつて広見の連絡隊が通ったオオアカ谷のスギ林の径を登った。ほどなく大きなトチノキの横を通る。スギが開けたところはブッシュやゴーロ帯で歩きにくいが、ほとんどスギ林の中を通っている。鞍部近くはテープ、踏み跡が消えるので注意が必要だ。
2004/11/20山行記(登り)

山歩きのページ/山歩きの履歴/"K"さん

Web作者注:広見の連絡隊(半四郎親子遭難救助隊のこと)

広島県側はササ藪である。広見林道から上がってきた踏み跡が、そのまま尾根を越えて下っているようでもある。しかし、踏み跡は全くわからない。西村さんによれば、以前通ったときよりもさらに繁っているという。

昭和38年(1963)の三八(さんぱち)豪雪を機に加速した過疎化で、往還の手入れがされなくなって久しい。かつて様々な人たちが越えた歴史の小道が消え去るのはなんとも悲しい。

ボーギのキビレは、昼食をとる気になるような場所ではなかった。早々に十方山林道まで下ることにする。

広島県側に下る

昨年京ツカ山でご一緒した田中幾太郎さんは、今日は欠席である。その田中さんが、以前はキビレから尾根を下ったと記憶しているという。

画像の説明

(写真左)
キビレのほんの少し左(北側)から踏み跡が下っている。

そこから踏み込み、尾根状になった部分を行く。二万五千分1地形図の黒破線より少し南側を下っているものと思われる。

画像の説明

(写真右)
〈左手〉谷の向こうには先ほど登った枝尾根がみえている。
画面右上(左手尾根の右前方)にみえているのは十方山であろう。

途中で〈右手〉斜面がやや急になっている箇所があり、ずり落ちないように注意して下る。

ほどなく赤テープは「ここから先はダメよ」状態となり、左に振って小沢を渡りさらに下ると、今日の分岐点である。ここまでの電子国土ルート図(推定)は、上記地図掲載のとおりである。

後は、怪我をしないように気を付けて下るのみ。

画像の説明

(写真左)
マゴクロウ谷右岸を下る

画像の説明

(写真右)
十方山林道まであとわずか
この辺りも背丈を没するササ藪である

下山橋にて昼食。

画像の説明

(写真左)
キノコはムキタケ(食用)
中国新聞社「広島県のキノコ」P.56
情報提供:西村さん

画像の説明

(写真右)
出発地点の二軒小屋まで戻る。サバの頭が光っている。

私の山行記ほか(マゴクロウ谷関連)

田中幾太郎さんと匹見往還

  • 2009年10月03日(土)、森と水と土を考える会
    十方山林道を車で行く
    田中幾太郎さんと匹見往還(マゴクロウ谷)

旅する巨人・宮本常一、雪の細見谷を行く

  • 2009年06月20日(土)、単独
    十方山林道~マゴクロウ谷~横川越(ボーギのキビレ)敗退
    宮本常一、横川(安芸国)から「雪の峠」を越えて「三葛の宿」(石見国)へ至る
    宮本常一著作集25『村里を行く』「土と共に」"雪の峠"P.210-2から引用

山歩きのページ/山歩きの履歴/"K"さん

”K”さんは、桑原良敏著「西中国山地」(初版は1982年刊)片手に、「西中国山地」にある数多くの谷、尾根そして古道をていねいに踏破されています。常に単独で歩く一日の行動範囲は常人の2倍以上、恐るべき健脚ぶりです。(各山行記下段にGPS軌跡が掲載されており非常に便利)

以下では、山歩きのページ("K"さん)の「往還部分」を参考までにご紹介します。

  • 2004/11/20
    ・二軒小屋から、恐羅漢スキー場を経て恐羅漢山に登る
    ・旧羅漢山まで移動、カマのキビレを経て広見林道終端部まで下る
    ・広見林道終端部から、広見林道を下り広見山登山口に至る
    ・広見山登山口(広見林道)からミチガ谷に入り、ジョシのキビレ分岐を経て広見山に取り付く
    ・広見山~半四郎山~向半四郎山と縦走する
    ・広見林道まで下り、林道をさかのぼる
    ・往還(オオアカ谷~ボーギのキビレ~マゴクロウ谷)を行き、細見谷側(十方山林道)に下る
    ・十方山林道(下山橋、水越峠)を通り、二軒小屋に帰り着く
  • 2004/11/13
    二軒小屋~十方山林道(水越峠、下山橋)~往還(マゴクロウ谷~ボーギのキビレ~オオアカ谷)~広見林道~ハゲノ谷~三本栃~(ヤブ漕ぎ?)~広見林道終端部~カマのキビレ~旧羅漢山~恐羅漢山~恐羅漢スキー場~二軒小屋

情報

キーワード

マゴクロウ谷
ボーギのキビレ、ボーギノキビレ
宮本常一「村里を行く」

情報

クマの糞、Kさん2004/11/20、ルイヨウショウマの赤い枝と黒い実(写真)
ホタノコヤ整備の話
ジョシのキビレ~カマのキビレ、藪こぎの話

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細見谷渓谷遡行:立野キャンプ場~十方山林道(第1回目)(2009/08/23)

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏跡)>> 十方山トップページ

細見谷渓谷遡行(第1回目)
立野キャンプ場~イカダ滝~V字滝~オオリュウズ~山の神(祠)
(出発:立野キャンプ場、帰着:押ヶ峠(十方山林道))

2009年08月23日(日)、Haさん

写真日付exif間違い(2008年となっている)。

詳細版
⇒細見谷渓谷遡行(第2回目)、2010年8月22日(土)

細見谷渓谷遡行:立野キャンプ場~十方山林道(第2回目)(2010/08/22)

はじめに

長年の念願がやっとかない、細見谷渓谷(細見谷下流部)遡行をしてきた。
ここ数年随分とお世話になっているHaさんのお誘いを受けて実現した山行である。
(パーティー人数2人)

なお、細見谷川〈上流部〉は、細見谷渓畔林に覆われており生物多様性の宝庫となっている。
そして、細見谷川の右岸沿いを十方山林道(二軒小屋~吉和西)が走っている。

今日のコース&コースタイム

立野キャンプ場7:25~橋7:26~(下山林道)~堰堤上部から入渓7:32~一の谷8:39~二の谷9:44~イカダ滝10:34~V字滝10:56~オオリュウズ11:05~大堰堤手前14:08~祠(山の神)14:20~(十方山林道)~押ヶ峠15:30

  • 立野(3時間40分)オオリュウズ
  • オオリュウズ(3時間15分)祠
  • 祠(1時間10分)押ヶ峠
  • 総合計8時間05分(昼食そのほか、途中休憩を全て含む)

本コースのコースタイムは、諸書によって、6~7時間あるいは7~8時間とされているようである。
歩く速さそのものに加えて、谷通し(時々泳ぐ)で行くか高巻くかによって必要とする時間は異なってくる。

今日の私たちはほとんど泳がなかった。
大きく高巻いたのは4箇所(いずれも右岸)で約7時間かかった。
(昼食タイムそのほか全てを含む)。

なお、オオリュウズを乗り超えた辺りで、距離的には中間点やや手前ではあるが、気分的には全体の半分から2/3消化したと思ってよいであろう。
しかし、後半部分の1/3も気力・体力が低下してくることを考えると決してあなどれない。

今日は、先導者に必死でついて行くのが精いっぱいであった。
記録としては、オオリュウズまでの写真とそれに刻まれた時刻しかない。
後半部分はシャッターすらほとんど押していない。

写真日付間違い(2008年となっている)。

以下では、桑原良敏著「西中国山地」からの引用を中心として、思いだせる範囲でまとめておくことにする。
なお、引用部分では適宜改行を加えさせていただいた。

なお、この山行記は、「森と水と土を考える会」2009年9月号に掲載していただいた。
ただし、記憶のあいまいな部分があり、適宜修正しているので、最終正式版は本ページのものとすることをお断りしておく。
(最終確認日、2010/09/01)

  • 桑原良敏『西中国山地』溪水社(1982年、1997年復刊)
  • 山歩きのページ(Kさん)
    http://yamaaruki.sakura.ne.jp/index.html

立野キャンプ場を出発する


〈写真〉立野キャンプ場、7時24分(出発25分)

谷の入り口右岸に施設の完備した立野キャンプ場がある。前夜ここに泊り、翌朝谷へ入るが、下流部渓谷を抜けてから、二軒小屋まで行くにしろ、吉和中津谷へ帰るにしても、かなり歩かなければならないので入谷は早いにこしたことはない。

桑原良敏「西中国山地」p.111

私たちは、広島市内某所を午前5時に出発する。
車2台を使用し、一台を十方山林道の押ヶ峠手前にデポ。

注)二軒小屋:現・広島県山県郡安芸太田町横川二軒小屋
十方山林道(二軒小屋~吉和西)の起点である。

堰堤上部に出る

入口の橋(Web作者注、立野キャンプ場西側)より河原に降りる。渓の幅も広く浅い徒渉をくり返して行くと小さな堰堤がある。

桑原良敏「西中国山地」p.111


〈写真〉立野キャンプ場西側の橋、7時26分

私たちは、キャンプ場からすぐに入渓はしなかった。
キャンプ場横の橋(標高530m台)を左岸に渡り、一旦下山林道に入る。

下山林道(未舗装)は、細見谷下流部渓谷左岸沿いに造られた林道である。
現在は廃道となっており荒れてはいるが歩くことはできる。
細見谷渓谷遡行途中で引き返すときに利用することもできる。

さて私たちは、下山林道に入りしばらく行く。
ツリフネソウ・ロードである。
対岸にはアマゴ養殖場がみえる。

やがて、はっきりした踏み跡をたどり河原に下りる。
堰堤の上流部(標高530m台)である。
何の変哲もない河原が広がっている。


〈写真〉入渓(堰堤上流部)、7時32分

最初のゴルジュを高巻く

これ(Web作者注、堰堤のこと)を過ぎると渓谷らしくなって、谷は右に曲がる。やがて最初のゴルジュにつきあたる。両岸の岸壁がせまり、長い淵が続いて、その奥に小さな滝が落ちている。

この淵の通過は始め右岸を進み、腰から腹部、胸まで浸って左岸に取りつき少しへつって右岸に渡り返すのであるが、盛夏でも水の冷たさはこたえる。以後こんな深場の徒渉はない。

水に入りたくない場合は高まきということになるが、右岸を小さくまくか、少し引き返して左岸を大きく高まくとよい。右岸を大きくまくとガレにつきあたりザイルがないと谷へ降りられなくなる。

桑原良敏「西中国山地」p.111-112

河原はやがて淵に変わり、まずは左岸で少しへつる。
岸部の岩盤が長年月の間にけずられて、手がかり足がかりになるような凹凸ができている。
そこをうまく伝って行く。


〈写真〉淵を行く、7時35分

〈写真〉左岸の浅瀬を行く、7時50分

〈写真〉最初のゴルジュ、7時52分
(右岸を高巻く、詳細は下記にて)

私たちは、最初のゴルジュを手始めに、前半部分(オオリュウズを越えたところの「休み場」まで)で三箇所、後半部分で一箇所、合計四箇所で、いずれも右岸をかなり高く巻いて行った。
これら高巻く場所では、沢は右手はるか下にみえている。足元がずり落ちそうで高所恐怖症の私にはつらい。

さて、最初のゴルジュの高巻きでは、最後に渓谷に向けて真っ逆さまに下る。
ロープが設置してあるものの、やや古く少し頼りなさそうである。

Haさんが持参のロープを取り出す。
彼が下の足場まで下りたことを確認してそれに続く。
私の足があと少しで着地するかなと思った瞬間、ロープで身体を大きく振られてしまい、ややあわてる。

細見谷渓谷~下山林道の踏み跡

なお、この最初のゴルジュを抜けた辺り(ゴルジュよりも上流部)に、下山林道から踏み跡が下りているようである。
すなわち、以下のとおりである。

一ノ谷へ降りるカーブミラーの地点(Web作者注:標高610mくらい)から、さらに北向きに50mほど林道を歩くと、小谷に大きなトチノキがあり、そこから下る。

山歩きのページ(Kさん)の各山行記(2005/6/19、2004/7/17、2001/9/24)
http://yamaaruki.sakura.ne.jp/index.html

(立野から)20分ほど(下山林道を)歩いて、一ノ谷へ降りるカーブミラーを過ぎると、小谷に大きなトチノキがある。

その横を通って谷へ降りる踏み跡がある。オオリュウズを目指す釣り人はここから降りることが多い。この踏み跡は一ノ谷上流のゴルジュを抜けた辺りへ降りる径である。(カッコ内、Web作者加える)

山歩きのページ(Kさん)、2006/8/12山行記

(カーブミラーから北向きに200mくらい行った地点からの踏み跡もあるか?)


〈写真〉一の谷落ち口手前、左岸をへつる。8時30分

一の谷落ち口付近を行く

一の谷落ち口付近は転石が多く、見上げると一の谷の小滝が見える。ここは小休止するによい場所である。また左岸の林道よりここへ降りる踏跡がある。

桑原良敏「西中国山地」p.112


〈写真〉一の谷落ち口(右岸)、8時41分(39分着)
(二人して交互に記念写真をとる。まだ余裕がある)

一の谷落ち口(細見谷渓谷右岸)の対面上部(細見谷渓谷左岸)を下山林道(立野キャンプ場始点)が走っている。
林道上のカーブミラー(標高610mくらい)のところから渓谷(一の谷落ち口)へおりる踏み跡があるらしい(既述)。
次回からこうした踏み跡もさぐってみることにしよう。

第二のゴルジュを高巻く

本流は更に大きく右へ曲り、第二のゴルジュと長くて深い淵に出会う。両岸の岸壁は手掛かりがなく谷通しに行くには泳ぐ以外どうしようもないが、幸い右岸をかなり高くまく踏跡がある。

以後大体渓の中を歩くことができるが高まく必要の所は右岸を注意すれば踏跡が見つかる。

桑原良敏「西中国山地」p.112

二の谷落ち口に大滝をみる

やがて左岸、はるか上よりナメラ状の滝〈テンガタキ〉が現われ、50m先の右岸に〈二の谷落ち口の大滝〉が現れる。左岸よりクロダキノ谷の水流が出ている付近より谷は更に狭くなり、この峡谷の核心部となる。

桑原良敏「西中国山地」p.112

谷(Web作者注:第二のゴルジュ上流部)へ降りてから40分ほどでテンガタキ。テンガタキは細見谷左岸の真上から降りる小さな滝である。

天から降ってくる滝の意と思っていたが、アイヌ語に tem-ka-taki テム・カ・タキ 「両腕の幅の・上の・岩崖」の意がある。呼び名の通り、幅の狭い懸崖である。両腕を広げると、ちょうどこの滝の落口の広さになる。対岸に渡ると、上部にある小さな滝を見ることができる。(中略)

テンガタキのすぐ先に二ノ谷の滝がある。テンガタキからいつもは落ちる飛沫が見えるのだが、やはり水量が少ないのか見えない。

山歩きのページ(Kさん)、2006/8/12山行記


〈写真〉二の谷落ち口の大滝(右岸)、9時45分(44分着)

イカダ滝にぶつかる

左岸の水面近くにある足場を伝わって進むと谷は直角に右折し暗くなる。奥に〈イカダ滝〉と深い淵が見える。この滝と淵の通過が峡中の最も困難な所である。昔はここで筏を作り、それにのって滝下まで進み、滝をよじ登ったというので、この名が付けられている。

多くのパーティは渕尻の左岸の崖を登っている。しっかりしたホールドや木の根もあるが岩登りをやったことのない人はザイルで確保してもらった方が安全である。インターハイの時は、ここに縄梯子がセットされていた。

桑原良敏「西中国山地」p.112

この下流部渓谷は昭和五十二年の高校総体(インターハイ)の折、コースとして使われた。十八地点にザイルや縄梯子が固定(フィクス)されたが、現在はその跡も定かでない。

桑原良敏「西中国山地」p.110


〈写真〉イカダ滝、10時34分

イカダ滝は泳がなければいけない、と聞いていた。
しかし、淵に大量の砂が流れ込んで浅くなっており、難なく淵の中を歩くことができた。

イカダ滝の右岸を高巻く

この崖を登る自信のない場合は、略図(Web作者注、筏滝周辺p.113)の右岸の草付きのガレを登ることになるが手がかりのない急な斜面である。

これも無理だとなるとクロダキノ谷(Web作者注、落ち口は細見谷左岸にある)まで引き返しこの谷を登る。大きな滝があり滝の手前の左岸の急な斜面を灌木につかまりながら登るとよく踏まれた旧道に出会う。

この旧道がクロダキノ谷を渡った所がテント場になっている。樹下のササに覆われた径を、注意して見失わないよう追っていくと、尾根を越し、五回ほどジグザグをえがいて下るとイカダ滝のすぐ上流にあたるホトケ谷落ち口(Web作者注、細見谷左岸)に出る。

桑原良敏「西中国山地」pp.112-113

イカダ滝から右岸を戻り、ガレを登り、踏み跡を降りていくとホトケ谷の落口に出る。そこから下流へ細い水路がイカダ滝へ落ちている。

山歩きのページ(Kさん)、2006/8/12山行記

イカダ滝を確認して右岸を少し戻り高巻く(上記の桑原とKさんのいう右岸高巻きルートである)。

最初は直登である。
「登り始めのところは最初、少しだけロープがありましたが、後は立ち木を頼りに、ざら場の急な登りを上がった(今日の同行者Haさんのコメント)」。

左手に力が入らない。
しばらく前に左の脇腹を打っており痛む。
何とか前に進みたい一心で這い上がる。

なお、上記のテント場(クロダキ谷)へは、下山林道から直接おりることができる。
私が細見谷渓谷遡行に具体的な興味を持ち始めたころ、そのルートをたどって細見谷渓谷(ホトケ谷落ち口)をさぐったことがある。
(2006/09/30、2005/11/26)

V字滝の頭からオオリュウズを高巻く

これ(Web作者注、ホトケ谷落ち口)より本流にV字形に落ちている小滝が見える。

滝の左岸を登り、滝の頭をすぐ右岸に渡った所に〈オオリュウズ〉を高まく踏跡の取りつきがある。この踏跡はかなり高まくので峡中で一番大きな滝を見ることができないまま滝の頭の河原に出る。

岩登りに自信のある人は〈オオリュウズ〉を登っている。右岸より取り付き、滝の中程で流水をあびながら左岸へトラバースして左岸の壁を登る。残置ハーケンが要所に打ってあるが水量の多い時は難しい。

滝の上はかなり広い転石の多い河原で休むには格好の場所である。これより上流には悪場はなく核心部を抜けた安堵感で、大休止したり、昼食を取ったりするパーティが多い。

桑原良敏「西中国山地」p.113

V字滝の左岸を渡り、V字滝の頭を通り、上部のオオリュウズに出る水路の右岸を進む。

山歩きのページ(Kさん)、2006/8/12山行記


〈写真〉V字滝、10時58分

ホトケ谷落ち口から直接V字滝が見えたかどうか、定かではない。

2006/09/30山行記(下山林道から直接ホトケ谷落ち口に向けて下った)では、「細見谷本流の岩の上に立つ。右手(下流)の筏滝も左手(上流)のV字滝も見えない」としている。
(注:右手、左手はホトケ谷落ち口に向かって立った場合を示す)


〈写真〉オオリュウズ、11時05分

V字滝の頭からオオリュウズの水流を堪能した後、右岸を高巻きオオリュウズを越えて行く。
右手に谷底を見ながら滝上部を越え、滝の上流部にずり落ちる。

そこが「休み場」になっている。
これで今日の核心部分は終わり、ほっと一息つく。


〈写真〉休み場、11時20分

前・中・奥フトウを行く

これから上流は渓の中を歩く。左岸〈マエフトウ谷〉の落ち口は4m位の小滝で少しばかり水が落ちている。〈ナカフトウ谷〉の右岸は転石の多い河原である。〈オクフトウ谷〉を過ぎた所に淵があり、これを過ぎると左岸にササに覆われた平坦な段丘がある。この場所も整備すればテントが張れる。(Web作者注、落ち口はいずれも左岸にある)

桑原良敏「西中国山地」p.113

オオリュウズを過ぎてしばらく進むと、前フトウ谷がある。岩崖を水流が落ちているが、対岸から見ると、谷の様子が見える。
前フトウ谷のすぐ先にあるのが中フトウ谷。水量は僅かである。
中フトウの先に渕があり、左岸に釣り人が吊るしたロープがある。
その先にあるのが奥フトウ谷。

山歩きのページ(Kさん)、2006/8/12山行記

「これから上流は渓の中を歩く」(上記桑原)平凡な谷と聞いていた。
それでも、細見谷渓谷である。
前進できない淵があり、左岸ロープを頼りによじ登る。

なお、この淵が、「〈オクフトウ谷〉を過ぎた所」(上記桑原)のものか、「中フトウの先に渕があり、左岸に釣り人が吊るしたロープがある」とKさんがいう淵なのか、記憶があいまいである。

最後の高巻き(4番目)、そして水泳

この前後(場所があいまい)で、右岸から高巻く箇所がある。
途中で谷が切れ込んでおり注意して渡る。
この四番目の高巻きが最後である。
後は安心して歩けるはずだった。

ところがついに、泳がざるを得ない場面がやってきた。
まず、先頭のHaさんは、右岸から岩場を越えてその向こうの浅瀬に飛び降りた。
私は左胸が痛む。
岩場をうまく確保できない。
しかたなく、淵まで引き返して泳ぐ覚悟をする。
カエル泳ぎである。
数回水をかいて淵を渡る。
水につかると結構体力を使うものである。

S字ゴルジュを行く

〈カンネワラノ谷〉を過ぎるとS字型になったゴルジュがある。以後谷は開け、平凡な渓谷となる。

桑原良敏「西中国山地」p.113

水量が多くS字ゴルジュを渡れない時は左岸の崖に踏み跡がある。S字ゴルジュを過ぎると、谷は平凡になる。途中、岩盤に丸い穴が開いて、その中に小石が詰まっていた。ロクロ谷の落口付近から細見谷は90度北へカープする。

山歩きのページ(Kさん)、2006/8/12山行記

この前後の淵で、Haさんが釣り糸をたれた。
釣果は全くなしだった。
以前Haさんが釣りをしていた十数年前には、淵に入るとすぐに数匹の魚が足もとに寄って来たものだという。

出発前に立野で会ったおじさんは、「今でもゴギがいる所にはいる」とはいっていたが、魚の絶対数そのものが激減しているのであろう。
今日私が目で確認したのは、この前後の淵で、十数匹が群れて反時計まわりに回っているのをみただけである。
Haさんによれば、体長15cmくらいだろうという。

写真(場所、未特定)


〈写真〉、12時27分


〈写真〉、12時50分


〈写真〉、13時07分


〈写真〉、13時21分

堰堤につきあたる(祠の下)

更に渓を歩いていると堰堤につきあたる。堰堤のすぐ上流に〈押ヶ谷〉が右岸より落ちており、そこに小径があってこれを登ると十方林道の小祠のある所に出る。

桑原良敏「西中国山地」p.113

〈写真〉大堰堤、14時08分

大堰堤の全面を一様に水が流れ落ちている。
ここまで来ると後はもう少しである。

標高700mくらいから標高差40mくらいをひと踏ん張りすれば、十方山林道の山の神(祠)に登りつく。
そこは幾度となく通った場所である。
見慣れた光景にやっと安心感が漂う。
それにしても、祠の横の大木が崩れ落ちているのが痛々しい。

さて、帰りをどうするか

横川までは更に三時間歩かねばならない。

吉和へ出るには十方林道を歩くよりか、途中からロクロ谷(Web作者注、細見谷渓谷右岸)へ入り小さな鞍部を越し、セギガ谷の林道に出て、オセキガ峠を越してオオマチ谷の林道を歩いて大向へ出た方が早い。

出発点の立野キャンプ場へ帰るには、オセキガ峠を越し、角兵衛の墓の手前よりヒノ谷の小径を下るとよいが、これは茂っているかも知れない。ヒノ谷には目下入口より林道が作られつつある。

桑原良敏「西中国山地」p.113

桑原は、山の神(祠)から横川まで十方山林道を歩いて3時間としている。
そして、横川と反対方向の吉和に向かう場合には、十方山林道を行くのは遠回りになるので、ロクロ谷を行くのが良いとしている。

ロクロ谷、ヒノ谷など、細見谷渓谷の小谷については、山歩きのページ」(Kさん)の各山行記が大いに参考になるであろう。
いずれそのうちの一つでも歩いてみたいものである。

注)横川:広島県山県郡安芸太田町横川
横川(大字)の二軒小屋は、十方山林道(二軒小屋~吉和西)の起点である。

押ヶ峠まで帰り着く

今日の私たちは、車一台を押ヶ峠近くにデポしている。
祠(山の神)から、吉和方面に向けて、十方山林道を押ヶ峠の少し先まで歩く。
道端にも意外と見るべき植物が多い。

押ヶ峠に帰り着く手前で、小雨がぱらついてきた。
立野からの帰りに少しワイパーを動かした。
今日は終日、曇り~晴れの天気予報、山の天気は難しい。

それでも良好なコンディションの中で細見谷渓谷を突破することができた。
長年の懸案事項を解決できて大大満足。
Haさんありがとう。


ヘルメット着用
ほかのパーティ、オオリュウズをピストン、大山剣が峰の話など
ズボン裂ける、アブ多し(ほかのパーティにはいない?)
ヘルメット強打、胸を打つ、そのほか打ち身あり

参考までに、私の過去の敗退記録を抜き出しておきます。

  • 2006年09月30日(土)、単独
    細見谷渓谷探索(下山林道~クロダキ谷~ホトケ谷)往復
    下山林道経由で下る。
    2005/11/26(土)とほぼ同じコースをたどり、細見谷渓谷(イカダ滝~オオリュウズの間)に降り立つことには成功した。
    ただし、その場から一歩も動くことができず引き返す。
    (出発帰着:立野キャンプ場)
  • 2005年11月26日(土)、単独
    1)黒ダキ山(ナガ谷へのトラバース道)敗退
    2)細見谷渓谷探索(イカダ滝、オオリュウズ付近)
    下山林道から細見谷渓谷をめざすが、沢のそばまで至ることなく敗退
    (出発帰着:立野キャンプ場)

細見谷とは

細見谷は、上流部と下流部に区別される

細見谷は、広島県廿日市市吉和の最奥にある谷で、そこを細見谷川が流れています。具体的な場所は、広島・山口・島根三県境付近から、広島・島根県境尾根(五里山~恐羅漢山)が北東に延びている南側(広島県側)になります。流域に人家や田畑は全くなく、西中国山地最奥の谷となっています。

細見谷川は、広島・島根県境尾根と十方山・南西尾根にはさまれた狭間に端を発します。南西に向けた流れは途中で左折して、十方山系の南西側を東向きに流れ下ります。つまり、細見谷川は、十方山系の周りを反時計回りに、北西側(上流部)から南西側(下流部)にまわる流れとなっています。

細見谷川は、このように上流部と下流部に区別することができ、それぞれに趣の異なる渓谷となっています。

桑原良敏は、細見谷上流部について、その著書「西中国山地」で次のように書いています。

上流部は、この山地特有の北東―南西の断層線に沿って刻まれた緩い流れの直線谷で、所どころに段丘が残っている。昭和二十年代までは、イヌブナ、サワグルミ、トチを主体とした巨木の茂っていた無人境だったが、現在、上流の一部を除いて皆伐されてしまった。

桑原良敏「西中国山地」p.110

細見谷林道問題(十方山大規模林道化問題)とは

20090811_122930.jpg

細見谷川の上流部両岸は穏やかな傾斜となっており、そこに美しい水辺林が発達しています。これを細見谷〈渓畔林〉といいます。渓畔林そのものは、周辺部の谷の大半が皆伐されたため、川沿いに100~200m幅(長さ約5km)で残っているにすぎません。

上記写真は「細見谷川」上流部、ワサビ田付近、2009年8月11日撮影

20090811_111806.jpg

このわずかに残された渓畔林に対して、西日本随一の生物多様性の宝庫として、日本生態学会がその保護を求めるなど、最近非常に評価が高まってきています。

2009年8月11日撮影(写真右)

20090811_121242.jpg

十方山林道(細見谷林道)は、この渓畔林を貫いて、細見谷川沿いに50年以上前に建設された林道(未舗装、幅員3~4m)です。その林道を〈拡幅舗装化〉する計画が進められています。

2009年8月11日撮影(写真左)

私の所属する「森と水と土を考える会」では、

  • この工事はそもそも何のために行うのか、その必要性はあるのか
  • 渓畔林など自然環境に与える影響は、ほんとうに軽微なのか

疑問であるとして、自ら植物調査等を繰り返しつつ、その建設に反対する運動を続けています。

工事はまだ中止と決まったわけではない

工事主体の独立行政法人・緑資源機構(元の森林開発公団、農林水産省所管)は、2007年5月24日、独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑による逮捕者を出すなどして、翌年3月31日に廃止されました。

しかし、大規模林道工事そのものが廃止されたわけではありません。国は新たに「山のみち地域づくり交付金」というものをつくり、道・県に事業を移管することにしています。広島県において、それを受け入れるかどうかの決定は延び延びになっており、事業の継続あるいは中止の方針はまだ広島県からは何ら示されていません。

細見谷渓谷とは

細見谷下流部の"細見谷渓谷"は、その左岸上部の下山林道(立野キャンプ場起点)が建設途中で中止されたため、拡大造林による皆伐をかろうじてまぬがれています。その結果、まわりに人工林は全くなく、人々を寄せ付けないほど厳しく変化に富んだ渓谷美を今でも誇っています。

参考資料

桑原良敏著「西中国山地」溪水社(初版1982年)、(黒ダキ山)P.109-113

「日本百名谷」白山書房(1983年)にも選ばれているこの渓谷について、桑原良敏は、その著書「西中国山地」のなかで次のように述べています。

下流部(細見谷渓谷)は断層線(細見谷上流部)に直交する方向に貫入曲流したV字状の渓谷で、両岸から本流へ流入する小谷の落ち口付近には必ずと言ってよいほど滝があり、侵食の激しいことを物語っている。また本流の両岸は岩壁となっており、二万五千分の一図の毛虫記号の多さにも驚かされる。(カッコ内はWeb作者追記)

桑原良敏「西中国山地」p.110

ちなみに、中国地方で「日本百名谷」に選ばれているのは、細見谷以外では伯耆大山(甲川)のみです。

なお、細見谷川は立野で太田川に合流してさらに左折、十方山南東側の立岩ダム(竜神湖)を通って北東にゆき、柴木川(三段峡)を吸収して南向きに広島市内から瀬戸内海へ注ぎます。つまり、細見谷川は、太田川の源流の一つであるといえます。

宇部山岳会/細見谷遡行記録

宇部山岳会/山行報告/細見谷遡行 2009/7/5
宇部山岳会5名による本格的沢登りであり、適切な写真配置でコース概要がわかりやすい。また、別途リンクファイルに、"細見谷テクニカルノートをPDFで見る"があり、より詳しいルート解説がなされている。(深い淵は泳ぎ、滝はそのまま突破している)

山歩きのページ/山歩きの履歴/"K"さん

桑原良敏著「西中国山地」(初版は1982年刊)片手に、「西中国山地」にある数多くの谷、尾根そして古道をていねいに踏破されている”K”さんのHPです。常に単独で歩く一日の行動範囲は常人の2倍以上、恐るべき健脚ぶりです。(各山行記下段にGPS軌跡が掲載されており非常に便利)

以下では、山歩きのページ("K"さん)の「細見谷渓谷部分」を参考までにご紹介します。

  • 2006/8/12
    立野~(下山林道)~細見谷渓谷~(十方山林道)~カネヤン原~タキワケ谷(細見谷上流部左岸)~「黒ダキ山」~立野
  • 2005/8/27
    立野~下山林道(テンガタキ谷~黒ダキ山取りつき~右カーブ地点)~ホトケ谷(細見谷下流部左岸)~細見谷渓谷(V字滝、オオリュウズ)~ロクロ谷(細見谷下流部右岸)~長者原林道(お関の墓、角兵衛の墓)~(女鹿平山の北側へ向けて左折)~アオザサ谷~ヒノ谷~立野
  • 2005/6/19
    瀬戸谷入口駐車場~セト谷(瀬戸滝~セト谷~右谷)~バーのキビレ(十方山南西尾根最低鞍部)~クラガ谷(細見谷上流部左岸)~(十方山林道)~山の神(祠)~細見谷渓谷(祠から下り、核心部分を通り抜け、二ノ谷、テンガタキを過ぎ、一ノ谷北側のゴルジュ帯手前まで)~下山林道(細見谷下流部左岸上部)~立野~瀬戸谷入口駐車場
  • 2005/2/12
    吉和公民館~「女鹿平山」~青笹越~ヒノ谷分岐~「沼長トロ山」~細見谷下流部右岸尾根(A峯~1023m)~細見谷渓谷(イカダ滝上部つまりV字滝・オオリュウズの下側)を渡る~ロクロ谷(細見谷下流部左岸)~下山林道~立野~県道296号線~吉和公民館
  • 2004/7/17
    立野~下山林道(一ノ谷へ降りるカーブミラーの地点。さらに50mほど林道を歩くと大きなトチノキがある。ここから谷へ降り、一ノ谷上流のゴルジュ帯を過ぎたところに出る)~細見谷渓谷(最上部まで)~十方山林道(祠~カネヤン原~下山橋)~クロミ谷(細見谷上流部左岸)~「十方山」~十方山南尾根コース~瀬戸谷入口駐車場~立野
  • 2004/6/24
    立野~下山林道(テンガタキ谷~黒ダキ山取りつき~右カーブ地点)~ホトケ谷(細見谷下流部左岸)~細見谷渓谷(V字滝、オオリュウズその他)~ロクロ谷(細見谷下流部右岸)~長者原林道(お関の墓、角兵衛の墓)~ヒノ谷~立野
  • 2004/6/5
    立野~細見谷渓谷~ロクロ谷落ち口(細見谷下流部右岸)まで登る。そこから、十方山南西尾根(細見谷下流部左岸)に取りつき~「黒ダキ山」~下山林道(細見谷下流部左岸上部)~立野
  • 2004/4/4
    瀬戸谷入口駐車場~セト谷(瀬戸滝~セト谷~中ノ谷)~下山林道(十方山南西尾根)~五月谷(細見谷上流部左岸)~(十方山林道)やや下流へ~「京ツカ山」登り降り(トリゴエ谷、細見谷上流部右岸)~(十方山林道)~細見谷渓谷(祠から入る、オオリュウズを経て、ホトケ谷落ち口まで下る)~下山林道(細見谷下流部左岸)~立野~瀬戸谷入口駐車場
  • 2001/9/24
    立野~下山林道~細見谷渓谷(おそらく、下山林道から一ノ谷上流のゴルジュ帯を過ぎたところに下りている、そこから最後まで登る)~十方山林道(祠、下山橋、水越峠)~「十方山」(シシガ谷コース)~十方山南尾根コース~瀬戸谷入口駐車場~立野
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2009年03月20日

Akimasa Net
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大元谷左岸コース~岩船岳縦走路(陶晴賢碑往復)~502m~奥の院~駒ヶ林~大元公園コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2009年03月20日(金)、単独

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2009年03月20日)
  • 岩船岳縦走路途中から陶晴賢碑を往復する
    帰りは、駒ヶ林に立ち寄り大元公園に下る

  • 陶晴賢碑山行記(導入部):2014/01/12
  • 先峠(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑
    直接登る:2013/09/22、直接下る:2013/10/20
  • 陶晴賢碑分岐(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑
    初めて下る:2003/06/07、往復:2009/03/20

はじめに

大元公園~大元谷左岸コース~前峠~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠~(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑・往復~先峠まで戻る~502m~奥の院~仁王門跡~駒ヶ林(往復)~大元公園コース~大元公園
(出発帰着:宮島桟橋)

先週は、岩船岳まで行ってきた。そのとき岩船岳でお会いした方が、岩船岳縦走路途中で陶晴賢碑に寄ってきたという。私はずいぶん前に(2003年06月07日)、多々良林道から岩船岳をめざして雨天敗退したとき、そのまま帰るのも面白くなくて、雨のあがった縦走路から陶碑まで下りたことがある。そしてそのときには、そのままさらに青海苔浦まで下り、海岸沿いを宮島桟橋まで歩いて帰った。

ひさしぶりに陶碑へ行ってみることにする。陶碑は、岩船岳縦走路から宮島東海岸(青海苔浦)に向けて下る途中にある。そこで、きょうは大元谷左岸を登って縦走路をめざした。実は先週(2009年03月14日)もそのコースを行くつもりだった。しかし、何気なく大元谷の左岸尾根まで登ってしまい、前峠山へ入り込んでしまった。

どこで間違えたのだろうか。大元谷左岸コースと前峠山コースの分岐点をしっかり確認しておかなければ、という思いもあって、陶碑にかこつけて大元谷左岸をもう一度登ることにした。

順調に岩船岳縦走路まで登り、岩船岳途中の351m手前に向けてしばらく行く。陶晴賢碑分岐から南向きに少し下って陶碑入口に至る。無事陶碑見学を終えてから考えた。ここから海岸(青海苔浦)まで下ることができる。行ってみたい気もする。しかし非常な大回りとなる。

そのルートは、岩船岳縦走路東側の谷を南向きに下るので、下れば下るほど宮島桟橋からは離れてしまうことになる。そして、海岸道路(舗装車道)の青海苔浦~大砂利~包ヶ浦~杉ノ浦~宮島桟橋はアップダウンが非常にきついし距離もある。2003年06月07日にそのコースを歩いたときには、「高安原 陶晴賢敗死之所」石碑から「毛利元就上陸之跡」石碑(包ヶ浦)まで約3時間30分かかっている。

陶碑からおとなしく元来た道を引き返して登り、岩船岳縦走路~502m~奥の院~仁王門跡~弥山~かや谷コースと行くことにした。岩船岳縦走路~502m~奥の院を選んだのは、2008年10月04日に同ルートを歩いたとき、その間のコースにやや疑問(GPSの電池切れ)があり、確かめておきたかったためである。

さて、奥の院から仁王門跡の鞍部まで登ると、北側の谷から強風が吹き上げている。こんな風にさらされる尾根筋(かや谷コース)は行きたくない。予定を変更して、弥山(仁王門跡を右折)には登らず、駒ヶ林(仁王門跡を左折)に挨拶をして大元公園コースを下った。大元公園内で今日の出発地点と合流して宮島桟橋まで帰り着く。

今日のコースタイム

宮島桟橋(19分)大元公園(55分)前峠(14分)多々良林道・岩船岳登山口
 小計1時間39分(大元神社4分、前峠7分を加える)
岩船岳登山口(14分)先峠・縦走路(17分)陶晴賢碑分岐
 小計39分(先峠8分を加える)
陶晴賢碑分岐~陶晴賢碑入口往復、下り8分、登り8分、滞在23分
 小計39分
陶晴賢碑分岐(18分)先峠・縦走路(22分)502m(18分)奥の院
 小計1時間16分(先峠12分、502m6分を加える)
奥の院(20分)仁王門跡(5分)大元公園分岐(5分)駒ヶ林
 小計32分(仁王門跡2分を加える)
駒ヶ林(4分)大元公園分岐(48分)大元谷左岸コース合流(7分)海岸道路(20分)宮島桟橋
 小計1時間19分
総合計6時間43分
 (陶分岐1分、奥の院30分、駒ヶ林8分を加える)

注:方位角は、〈磁北〉からの角度を示す。

宮島桟橋8:16-大元神社8:35、8:39-「この先行き止まり」表示8:44-前峠山分岐8:47-稜線上鞍部9:33-前峠9:34、9:41-展望9:48-多々良林道(岩船岳登山口)9:55-縦走路上(先峠)10:09、10:17-水場(沢)10:24-海軍省標石10:31-陶晴賢碑分岐10:34-陶晴賢碑入口到着10:42・・・陶晴賢碑10:58・・・陶晴賢碑入口出発11:05-陶晴賢碑分岐、帰り着く11:13、11:14-海軍省標石11:16-水場11:23-縦走路上(先峠)11:32、11:44-450m11:57-平、小コブ12:03-502m12:06、12:12-前方に小黒神島、続いて宇根山(左へ振る)12:17-鞍部12:22-奥の院12:30、13:00-右分岐、仁王門13:01-多々良林道上部合流13:04-御山神社分岐13:11-仁王門跡13:20、13:22-大元公園分岐13:27-駒ヶ林13:32、13:40-大元公園分岐13:44-鞍部13:48、13:55-大師分岐15:56-十六町14:00-十五町14:03-十四町14:06-十二町14:11-九町14:18-八町14:19-大岩あり右折14:20-七町14:21(やっと一息つく)-六町14:23-四町14:27-右から小川14:31-ベンチ14:32-海岸道路14:39-大願寺14:45-宮島桟橋:14:59

大元公園から左岸を登る

今日も大元公園から山に入る。大元神社を見学して南向きに行く。大元川左岸に渡りしばらく行くと、右手に分岐(標高40mくらい)がある。前峠山へ登る道である。先週(2009年03月14日)はここを登った。

分岐点から前方の沢沿いには良い道がついている。今から登る大元谷<左岸>コースである。しかし、地面に置かれた雑木が、なんとなくここから先はダメよ、と示しているような。先週はこれに遠慮をしてしまったか。

なお、ここの分岐点から左へ行って大元川を渡れば、その<右岸>を駒ヶ林509mの西側直下(駒ヶ林大断崖)まで登ることができる(大元谷コース)。もちろん、そこから駒ヶ林は一登りである。弥山も近い。

ところで、前峠山経由(参照:2009年03月14日山行記)で前峠に至るとすれば、左岸を行くよりも約30分程度余分にかかるとみてよいだろう、それにかなりしんどい。(大元谷左岸のコース概況については、参照:2009年03月07日山行記、2008年10月14日山行記)

前峠~多々良林道~先峠

大元谷左岸を登りつめる手前に、振り返ると本土側が少し見える地点がある。そこからほんの少し登ると稜線鞍部(地形図の標高310m台)に達する。しかし、GPS軌跡は、そこからほんの少し東向きにずれた320m等高線あたりを指し示している。

その地点から、南東の方向にほんの少しゆったりと登る。小コブを越えると、前方を焼山(490m台)の斜面でさえぎられる形になる。そこが前峠(標高330m台)で、左手大元川の源頭となっている。沢は倒木で埋め尽くされ、かつて存在したと思われる踏み跡は全くわからない。

前峠から、南向きに多々良林道(岩船岳登山口)に向けて下る。途中で小尾根上を下り、展望が開ける個所がある。ところが、GPS軌跡は地形図に示された小さな尾根の東側を下っている。実際には、どう考えても尾根を下っているのに、GPS軌跡ではそのことを表現できない。この付近の地形図等高線(ただし、山旅倶楽部の地図)は正しいのだろうか。

さて、簡易舗装道の多々良林道を横切り(岩船岳登山口)、少し登れば先峠(岩船岳縦走路、標高340m台)である。

陶晴賢碑分岐(岩船岳縦走路)

岩船岳縦走路は、先峠から先峠山402mの東面を巻いて南向きに下り、途中で351mピークを越え、最後に岩船岳(三連峰、466.6m)に登るタフなコースである。宮島桟橋から先峠まで約1時間30分、そして岩船岳までは、そこからさらに約2時間程度みておく必要がある。

陶晴賢碑分岐は、先峠山と351mピークでできる鞍部(標高250m台)近くにある。くわしくみてみよう。

先峠から岩船岳縦走路に入り、先峠山東面のトラバースが終わると、再び尾根筋に乗ってだらだらとした鞍部を行く。やがて351mへ向けて登りはじめる。その手前にほんのちょっと登りぎみの個所があり、左手に南向きの踏み跡が下っている。そこが陶晴賢碑分岐(標高260m台)である。陶晴賢碑は、その分岐から青海苔浦に下る途中にあり、稜線からは8分程度である。

ここで改めて地形図をみると、青海苔浦に下る道(黒点線)は、先峠からそのまま下るようになっている。しかし、少なくとも現在そこに道があるとは思えない。青海苔浦へ下るには、陶晴賢碑分岐を南向きに下るのが正解である。

陶晴賢碑「高安原 陶晴賢敗死之所」

岩船岳縦走路から小さな谷の右岸を急下る。途中で左岸に渡り、地形図黒点線と交わるあたり(標高約190mくらい)に陶晴賢碑入口がある。陶碑はそこを東向きに踏み込み、右手の大岩が散乱する中を抜けて少し行った地点にある。

「陶晴賢碑入口」という標識以外には何の手がかりもない。最初は入口から真っ直ぐ突っ込んで探したがわからなかった。入口まで引き返し、踏み跡を目をこらして眺める。大岩の間を右手に行くと検討をつけて、もう一度踏み込みやっと見つける。6年近く前(2003年06月07日)の記憶などあてにならない。

ところで、陶晴賢碑入口に到着したころ、デジカメのメモリがなくなってしまった。2GのSDカードを使っているが、ずぼらをして数日分をため込んでいたのだ。とは言っても、何もあわてる必要はない。過去のファイルをいくつか消せばよいだけである。ところが、その操作が分からない。ガチャガチャやっているうちに、1枚づつ消去する方法を見つけ出し何とかなる。

今日のコースタイムでは、稜線から陶碑の往復にほぼ同じだけの時間がかかっている。だから尾根筋~陶碑はゆるやかな坂かというと、決してそうではない。実際にはかなり急である。

その帰り道で、ドドドーと大きな音がした。谷の向こう側を1頭のシカが駆け下って行く。もう1頭がその後に続く。小灌木がうるさい中を見事な走りっぷりである。宮島桟橋あたりでエサをねだっているシカからは想像もできない野性味を感じる。

先峠で若者に会う(砲台跡の向こうの情報を得る)

先峠まで引き返し休んでいると、岩船岳方面から一人の若者が現れた。岩船岳まで行って帰ってきたのかと聞けば、岩船岳から来たけれども、昨晩のうちに海岸線を長浦まで行って、御床山~岩船岳経由でここまで来たというではないか。 私がずいぶん前から興味を持ち続けている地域を通ってきている。話の続きを聞いてみよう。

夜のうちにヘッドライトの明かりを頼りに、御床浦から長浦へ抜けたという。私は以前に一度(2002年03月02日)、岩船岳~御床山~御床浦経由で同じコースへ踏み込んだことがある。しかしその時には、ブッシュにはばまれて前には進めなかった。彼も同じ状態だったが、そこを抜けると何とか歩けたという。

長浦にはキャンプ場跡のような場所があったという。私は学生時代にここでテント泊をしたことがある。その時も、海岸線を行って長浦から山に入り、岩船岳~大元公園に抜けたというかすかな記憶があり、以前から気になっていたのだ。その後の山火事でこのルートは消滅したらしい。

長浦~230m(砲台跡)~御床山364mにかけて、新しいルートができたと聞いていたので確かめると、踏み跡をたどることはできるが、それでも海岸から(砲台跡まで?)2時間くらいかかったという。

また、御床山斜面に取りつく手前で、地形図標高230m表示・230m台コブのすぐ先の小鞍部(標高220m台)を谷側に下りたため少し苦労をしたという。

この小鞍部がわかりにくいことは私もよく知っている。宮島南西部の砲台跡探索のため、御床山には丸3年がかりで5回くらいかよったことがあり、2005年03月19日ついに砲台跡 に到達した経験がある。

後日注:海岸線から御床山へ登る取りつきは、より正確には、あての木浦(長浦のひとつ南の海岸)で、目の前に可部島がみえる所である。

奥の院はどう行けばいいかと聞かれたので、稜線を行き502mを経由するコースは道が消失気味、もう一つ、ここを多々良林道まで下って右へ登ってもよいと答えると、楽な方をというので多々良林道まで下って行かれた。

地図とコンパスを持って夜間に困難地帯を抜けるなど、恐るべき行動力、頼もしい若者である。山の中ではじめてプライベート名刺を渡した。

502m~奥の院

彼を見送って、私は502mをめざした。割と楽にピークに達し、奥の院上部の鞍部(標高400m台)まで下って左折、無事奥の院に至る。肝心のGPS軌跡は、地形図黒点線よりも心持ち北側に寄っている。前回の山行記において印象だけで推定したコースとは少し違っている。地図とコンパスだけで現在位置を決定するのはそれほど簡単なことではない。(コース概況、参照:2008年10月04日山行記)

奥の院~仁王門跡~駒ヶ林

奥の院から右手山道に入り、多々良林道上部に合流する。途中で、御山神社分岐を右に分けてまっすぐ登る。上から何人かの人が下りてくる。中には登山靴でない人もいる。それにしても、奥の院まで歩く人が何人もいるとは。

仁王門跡までの階段をあまり苦にせず登りきる。風が向こう側の谷から音をたてて吹き上げている。風にさらされるであろう尾根筋(かや谷コース)をきらって、予定していた弥山へは登らず、反対側の駒ヶ林に登り大元公園コース(谷筋)を下ることにした。

仁王門跡からはさすがに人が多い。駒ヶ林の岩も人で埋め尽くされている。若い人たちが数人づつグループになっている。そうした輪が3つ4つあり、それぞれミーティングで何かの反省会をやっているようだ。ずいぶん真面目な登山もあるものである。

大元公園コースを下る

駒ヶ林からの展望はかすんでいる。岩船岳方面の写真を数枚とってすぐ下山にかかる。駒ヶ林から先ほど登った岩場を引き返して下り、すぐに右折して大元公園コースに入る。

しばらくして、またデジカメのメモリがなくなった。古い日付のファイルを消去しようとしたが、こんどはうまくゆかない。しかたがないので写真をあきらめてそのまま下る。

大元公園コースは、大元谷の右岸を下っており、階段の多いコースである。ひざを痛めないように慎重に下る。下りきったところにベンチがあり、その近くに、今日朝登った大元谷左岸コースとの合流地点がある。

宮島には今日も人があふれていた。喜ばしいことである。そうした中で、ほとんどヒト気のない宮島南西部をゆったりと歩けて満足する。

補足、電子国土のルート図について

GPSに記憶させたトレース(通過時刻も含む)を引っ張り出すのに、以前はデスクトップ(XP)のRS232C端子を利用していた。しかし、今回ノートパソコン(VISTA)に買い換えたところ、RS232C端子 が付いていない。そこで、いいよネット(GPS等通信販売)で、「USB to シリアルコンバータ」というのを買ったはいいが、こんどはVISTA用ドライバーが付いていない? しかたなく、古いデスクトップをだましだまし立ち上げてデータを取り出す。

ケーブルの製造元(ATENジャパン株式会社)のホームページから、VISTA用ドライバーをダウンロードしてインストールする。COM3にて通信OKとなる。

そのデータ処理にエクセルを使っているが、OFFICE2007形式(.XLSX)のファイルからコピーしたデータは、今まで使っていたテキストファイルとは、コードが違うのだろうか。電子国土で読み取ってくれない。「.XLS」形式で操作をやり直してみると、うまく行くようになる。 そんなこんなで、電子国土のルート図は、なかなか改定版をアップすることができないでいる。

なお、山行の途中からずぼらをして、GPSを肩からぶら下げるような形(縦置き)で使っていたら、GPS軌跡がうまく取れていなかった。やはり、できるだけ本体を水平に保つことが必要なのだろう。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

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未分類

2003年06月07日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

陶晴賢碑~毛利元就碑
(出発帰着:宮島桟橋)

2003年06月07日(土)、単独

JR船上から見る岩船岳

〈写真〉帰りのJR船上から岩船岳を見る
(画面中央やや右一番奥、ごつごつ見える山頂は遠い)

多々良林道から岩船岳を目指すが雨天敗退(東峰手前)
陶晴賢碑に回り東海岸を経て毛利元就碑に至る

  • 宮島南部の砲台跡 ⇒ 実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
    (中国新聞記事、2011年1月12日付)
  • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す(2009/05/04)
  • ついに砲台跡到達(2005/03/19)
  • 岩船岳~御床山の向こうの砲台跡探索
    (2004/03/13、2003/06/07、2002/04/06、3/30、3/2)
  • 陶晴賢碑山行記(導入部):2014/01/12
  • 先峠(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑
    直接登る:2013/09/22、直接下る:2013/10/20
  • 陶晴賢碑分岐(岩船岳縦走路)~陶晴賢碑
    初めて下る:2003/06/07、往復:2009/03/20

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~大元公園~多々良~岩船岳登山口(多々良林道)~岩船岳縦走路・先峠~351m~大川越~岩船岳東峰手前~青海苔浦分岐(陶晴賢碑分岐)まで往路下山~陶晴賢碑~青海苔浦~大砂利~腰細浦~入浜~鷹ノ巣浦~包ヶ浦~宮島桟橋
(出発帰着:宮島桟橋)

岩船岳~御床山向こうの砲台跡をどうしても探索したくて出かけるが雨天敗退、体力的にもかなりしんどい距離になってきた。またしても無期延期。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋7:53-大元公園8:13-多々良8:53-岩船岳登山口9:28、9:34-稜線上9:48-岩船岳をみる9:57-水場10:00-海軍省標石10:01-青海苔分岐(陶晴賢碑分岐)10:02-(右手ピークを巻く)-急登開始10:15-展望岩10:22、10:28-351m10:33-小ピーク10:37-小ピーク10:40-小ピーク10:44-八畳岩10:46、10:50-小ピーク10:51-大川越え10:55-振り返れば展望11:07、11:40-大川越え11:49-八畳岩12:00-小ピーク13:12-351m12:15-小ピーク12:17-展望岩12:19、12:29-青海苔分岐12:36-沢を渡る12:43-陶晴賢碑見学12:45、12:53-沢を渡る12:56、13:01、13:25-林道13:48-大砂利15:02-腰細浦15:14-入浜15:28-鷹ノ巣浦15:48-包ヶ浦16:30、16:51-宮島桟橋17:23

宮島桟橋(1時間)多々良(50分)岩船岳方面稜線上(45分)351m(22分)大川越え(12分)振り返れば展望、岩船岳手前25~30分地点
 小計3時間14分(休憩を含む)
振り返れば展望(9分)大川越え(26分)351m(11分)青海苔分岐(1時間12分)青海苔浦
 小計2時間08分(休憩を含む)
青海苔浦(1時間14分)大砂利(12分)腰細浦(14分)入浜(20分)鷹ノ巣浦(42分)包ヶ浦(32分)宮島桟橋
 小計3時間35分(休憩を含む)
総合計9時間30分(全ての休憩を含む)

2004年03月14日訂正
陸軍省標石→海軍省

岩船岳縦走路

岩船岳の向こうさらに1時間30分くらいを予定した超ロングコースである。そのため慎重になりすぎたのか、あるいは体調があまり良くないのか、どうにもピッチが上がらない。

それでも、海岸道路でヤマボウシ、テリハノイバラ、リョウブの花や、ウリハダカエデに鈴なりの実など、山道に入ってからも点々と咲くネジキの白い花を楽しみながら351mピークに至る。すると右前方から雷の音が聞こえ始める。大川越えを過ぎ、一登りしたところ(振り返れば展望)で雨が落ちてくる。あいかわらず雷は鳴っている。

雨天敗退(振り返れば展望)

先へ進むかどうか迷う。岩船岳東峰までなら20分、岩船岳三角点まででも30分くらいの地点である。しかし、御床山の向こう、砲台跡を見下ろす地点までは今日のペースだと後1時間くらいかかりそうである。そこからさらにアタックをかけて1時間で目標地点到達とするならば、ここに戻ってくるまでに約3時間みる必要がある。

雨の中を動ける時間と地域ではない。今日はここまでと諦め、来た道を引き返すことにする。振り返れば351mピークが大きい。よく歩いてきたものだと思う。しかし、そのように感じるのは疲れが溜まっているからかもしれない。無理はすまい。 往路下山、大川越えまで下り、さらに351mピークを越えて青海苔浦分岐まで戻る。

「陶晴賢碑」から「毛利元就碑」へ向かう

分岐に至って雨が止んできた。この分岐を右手(南東斜面)に取れば、陶晴賢碑があるはずだ。前々から気になっていた碑の見学に行くことにする。「高安原 陶晴賢敗死之所」石碑は、稜線から約10分程下ったところにあった。登り返せば宮島桟橋まで2時間あれば十分帰り着く距離だ。

陶晴賢碑

〈写真〉「高安原 陶晴賢敗死之所」石碑
(薄暗い山中にある)

しかし今日はそのまま青海苔浦まで下る。今まで歩いてきた稜線下の沢に沿っていく道である。距離的には再び岩船岳にどんどん近づいていく。その分、宮島桟橋からはどんどん離れていく。

青海苔浦からは海岸道路を北東に進む。距離はあるが時間もあるので大丈夫だろう。潮騒、モーターボートのエンジン音を聞きながら歩を進める。海岸から人の声がする。プレジャーボートでやってきた人たちであろう。

目の前をカニが横切る。林道の海側に鷹ノ巣砲台と関連があると思われる遺構(ほんの一部)がある。砲台跡の大部分は鷹ノ巣山(194mピーク)山頂近くにあるようだ。

入浜の沼地をみる。海岸の砂浜に大きなヤマモモの木がある。ハマゴウの大群落がある。サツマシジミは分からなかったが、今日も何種類かのチョウを見た。

ただ歩くだけと考えていた東海岸の道路は高低差がきつい。少し登り気味の道が海岸まで下りてほっとしたと思ったら、再び50mくらいを登り返す。それの連続である。包ヶ浦手前では、100m以上も登る。

ようやく包ヶ浦に着く。テニスコートは満杯。ウィンドサーファーが後片付けをしている。上半身むきむきの筋肉マンたちである。海をみればいい風が吹いている。ウィンドサーフィンとクルーザーが一杯ずつ。

海の向こうに鈴ヶ峰が見える。もしかしたら自宅マンションも見えているのかもしれない。窓ヶ山~向山は輪郭がうっすらと分かる程度である。包ヶ浦には「毛利元就上陸之跡」石碑がある。陶晴賢碑からの歩行時間は約3時間30分であった。

毛利元就碑

〈写真〉「毛利元就上陸之跡」石碑
(海岸沿いの明るい場所にある)

おわりに

結局そのまま宮島桟橋まで歩き通した。海岸道路だけで弥山の半分くらいを登って下りた感じだ。しかしそれでも今日予定していた11時間には届かない。宮島南部の砲台跡はいかにも遠い。

山道では誰一人会うことはなかった。獣道を逃げていった動物がいた。種類はわからない。シカには何頭か出会った。すれ違うのが怖かったが幸い向こうからよけてくれた。

帰りの電車内で、JR新井口駅手前で鈴ヶ峰の肩に沈む真っ赤な太陽を見る。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

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2001年02月25日

Akimasa Net
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包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース~弥山~奥の院~岩船岳縦走路(351m手前まで)~(引き返す)~大元谷左岸コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2001年02月25日(日)、単独

博打尾尾根から弥山に登り、奥の院~502mを経て、初めて岩船岳縦走路に入る
351m手前から引き返し、大元谷左岸コースを下る
(GPS貸与を受ける)

  • 初めての岩船岳山頂(2002/03/02)
    その後の岩船岳について、山行記リスト付き
  • 岩船岳に至るまでの軌跡(2001/10/20、2/25)

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~紅葉谷公園~博打尾~包ヶ浦分岐~302m~榧谷駅(かやだに)~獅子岩駅~紅葉谷分岐~弥山本堂(求聞持堂)~弥山~仁王門~奥の院~502m~先峠(岩船岳縦走路)~展望岩~351m手前?~(岩船岳縦走路・先峠まで引き返す)~岩船岳登山口(多々良林道)~前峠~大元谷左岸コース~大元公園~厳島神社~宮島桟橋
(出発帰着:宮島桟橋)

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋10:22-紅葉谷ロープウェイ駅10:45-第一ベンチ10:55-博打尾(第二ベンチ)11:04-包ヶ浦分岐11:09-302m11:19-小ピーク11:30-410m台11:41-かやたに駅11:47-獅子岩駅12:00-紅葉谷公園分岐12:08-弥山山頂12:27、12:53-仁王門(奥の院分岐)13:03-鞍部堰堤13:19-奥の院13:26-502m13:47-岩船岳分岐(大元公園分岐)14:06-青海苔浦分岐14:21-展望岩14:37-引き返す14:50-岩船岳分岐(大元公園分岐)15:25-岩船岳登山口(多々良林道)15:38-小ピーク15:52-大元公園上部16:29-宮島桟橋16:57

  • 宮島桟橋(23分)紅葉谷駅(34分)302m(41分)獅子岩駅(27分)弥山
     小計2時間05分
  • 弥山(10分)仁王門(23分)奥の院(21分)502m(19分)大元公園分岐(31分)展望岩(13分)撤退地点
     小計1時間57分
  • 撤退地点(35分)大元公園分岐(13分)岩船岳登山口(51分)大元公園上部(28分)宮島桟橋
     小計2時間07分
  • 総合計6時間35分(弥山昼食26分を加える)

後日注:岩船岳分岐(大元公園分岐)=岩船岳縦走路(先峠山402mの東)

GPSを使ってみた

GPSの貸し出しを受け、使ってみた。後日検討した結果を記しておく
青海苔浦分岐は、鞍部(海軍省標石あり)~270m台コブの間にある
引き返し地点は、351mピークこちら側の標高約320m附近

01.34度17分53秒、132度19分26秒、宮島桟橋
02.34度17分28秒、132度19分42秒、紅葉谷ロープウェイ駅
03.34度17分31秒、132度19分48秒、第一ベンチ、本土側の海
04.34度17分26秒、132度19分55秒、バクチ尾、第二ベンチ
05.34度17分20秒、132度19分56秒、包ヶ浦、みせん分岐
06.34度17分11秒、132度20分02秒、302mピーク、東開ける
07.34度17分02秒、132度20分00秒、小ピーク、東開ける
08.34度16分51秒、132度19分58秒、410m台、ロープウェイ駅見える
09.34度16分49秒、132度19分50秒、かやたに駅(ロープウェイ途中駅)
10.34度16分35秒、132度19分39秒、獅子岩駅(ロープウェイ終点駅)
11.34度16分35秒、132度19分31秒、紅葉谷公園分岐
12.34度16分35秒、132度19分20秒、弥山頂上
13.34度16分31秒、132度19分16秒、奥の院分岐
14.34度16分21秒、132度19分08秒、鞍部、堰堤
15.34度16分13秒、132度19分02秒、奥の院
16.34度16分07秒、132度18分51秒、502mピーク
17.34度16分17秒、132度18分36秒、先峠(右:大元公園へ下る、直進:岩船岳)
18.34度16分02秒、132度18分19秒、直進:岩船岳、左:青海苔へ下る
19.34度15分54秒、132度18分09秒、岩数個、南展望よし
20.34度15分41秒、132度18分01秒、351m途中?引き返す
21.34度16分17秒、132度18分36秒、No.17の位置、大元公園へ下る
22.34度16分26秒、132度18分36秒、岩船岳登山口(多々良林道)
23.34度16分41秒、132度18分42秒、前峠
24.34度17分20秒、132度18分53秒、大元公園上部
25.34度17分53秒、132度19分26秒、宮島桟橋
(東京測地系)

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2001年10月20日

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岩船岳(三角点手前の東峰まで)
(出発帰着:宮島桟橋)

2001年10月20日(土)、単独

行きは多々良林道経由、帰りは502m~奥の院経由で弥山へ
さらに、かや谷コース~包ヶ浦自然歩道(博打尾)を下る

  • 初めての岩船岳山頂(2002/03/02)
    その後の岩船岳について、山行記リスト付き
  • 岩船岳に至るまでの軌跡(2001/10/20、2/25)

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~大元公園~多々良~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~351m~大川越~岩船岳東峰~(岩船岳縦走路・先峠まで往路下山)~502m~奥の院~仁王門~弥山~弥山本堂~紅葉谷分岐~獅子岩駅~榧谷駅(かやだに)~302m~包ヶ浦分岐~博打尾~紅葉谷公園~厳島神社~宮島桟橋
(出発帰着:宮島桟橋)

朝、快晴の空を見て懸案の岩船岳を目差す。2001年02月25日(日)途中敗退した山である。アプローチの長い山であり、この次、日照時間が長い季節になってからもう一度挑戦しようと思っていたのだが。ついついその気になってしまう。

秋晴れの中を快調に飛ばす。飛ばしすぎた。したがって、今日の記録は余り参考にならないかも。

後日注:2002年3月2日(土)
当日(2001/10/20)は、岩船岳三角点を踏むことなく、その手前(10~15分)の大岩(東峰)で昼食をとり下山している。しかし、本人は今日まで岩船岳山頂に達したものと信じていた。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:20-多々良林道入口9:10-岩船岳方面登山道入口9:48-岩船岳縦走路(先峠山402mの東)10:05-青海苔浦分岐10:28-岩場(展望よし)10:37-ピーク10:40-少し上る急登11:07-小ピーク、 海軍省標石11:12-岩船岳東峰11:31、12:25-鞍部12:44-分岐?12:47-大岩12:55-ピーク?13:14-岩場(展望良し)13:20-青海苔浦分岐13:32-大元公園分岐(青海苔浦乗越 、先峠山402mの東)13:48-502mピーク14:18-奥の院14:35-仁王門15:02-弥山頂上15:15-獅子岩ロープウェイ駅15:46-かや谷ロープウェイ中継駅15:57-包ヶ浦分岐16:28-紅葉谷16:45-宮島桟橋17:12

宮島桟橋(1時間45分)岩船岳方面稜線・先峠(1時間26分)岩船岳東峰
岩船岳東峰(2時間50分)弥山(1時間57分)宮島桟橋
行き3時間11分、帰り4時間47分
実働7時間58分(休息時間をすべて含む、但し昼食タイム54分は含まず)

2004年03月14日訂正
陸軍省標石→海軍省標石

多々良林道から岩船岳縦走路へ

岩船岳は、宮島桟橋からいかにも遠い。できるだけ体力を使わずに、岩船岳に向かうコース(稜線上)に入りたい。いろいろ考えた末、多々良林道経由のコースを取ることにした。

ガイドブックによれば、岩船岳縦走路上を、岩船岳往復4時間から4時間半とある。昼食タイムを入れれば約5時間、宮島桟橋からで合計約9時間くらいか。日没時間との戦いになるだろうけれども、何とかなるだろう。

多々良までは海岸線の車道。そこから多々良林道(簡易舗装の車道)に入る。しばらく登り、岩船岳方面登山口を右手に入り稜線(縦走路)上へ。

最初は402mピークを左から巻くが、やがて再び尾根に乗る。左手に岩船岳と351mピークが見えてくる。先は長い。ゆっくり行こう。351mピーク手前の岩場(東側の展望良し)で休息をとる。

岩船岳に取りつく手前で、夫婦1組を追い抜く。旦那さんはすでに岩船岳3回登破、いつもは大元谷コースで岩船岳まで約4時間とのこと。奥さんは初めてというが、今日のピッチは少し早目という(桟橋を8時出発ということであったが、岩船岳東峰には12:40くらいに到着)

岩船岳東峰にて昼食

岩船岳東峰からは、約120度の視界が開けており、大竹市街、阿多田島、能美島やその向こうにたくさんの島影をみることができる。岩船岳東峰ピークには大きな岩がある。その上で靴と靴下を脱ぎ、上半身裸になって衣服を乾かす。秋の上天気とはいえ、さすがに岩肌が暖かいということはない。しかし、タオルを肩に掛ければ寒さを感じることも無い。ちょうど北側が林になっており風がさえぎられるのも都合がよい。

なお、先ほどの旦那さんの話では、この先10~15分くらいのところにもう少し展望の良いピークがあるとのこと。彼らはそこまで足を延ばしていった。
(つまり、彼らは岩船岳山頂三角点をめざして先に進んだということ。当Web管理人は、自分ではすでに岩船岳山頂に達したと思っているので、その時はその話が意味することを理解できていない。後日、山行記の内容を多少書き変えた箇所あり)

秋の紅葉にはまだ早い。しかし、向かい側の山腹を見れば、所々に赤く染まった木々が点在している。

岩船岳(東峰)~弥山

旦那さんの、「岩船岳へのアプローチは、出来るだけ最短コースを取り、帰りに弥山に登るのがよい」という言葉に乗せられて、この後、岩船岳東峰(厳島南西)から弥山(厳島北東)まで、ほぼ全島を縦走してしまった。

今日の実登、標高差

行き:
岩船岳稜線上(先峠山402mの東)まで、実登350m
351mピークまで、実登100m(合計、450m)
岩船岳まで、実登230m(合計、780m)

帰り:
351mピークまで、実登120m(合計、900m)
大元公園分岐まで、実登100m(合計、1000m)
502mピークまで、実登150m(合計、1150m)
奥の院を経て弥山まで、実登360m(合計、1510m)
獅子岩まで、実登50m(合計、1560m)
紅葉谷まで、実登50m(合計、1610m)

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。

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2006年09月09日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏跡)>> 十方山トップページ

シシガ谷コース~十方山~内黒峠縦走路(予定)
雨天にて、歩き始めの十方山林道で敗退
(出発帰着:二軒小屋)

2006年09月09日(土)、単独

はじめに

2006年09月09日(土)、単独
十方山、シシガ谷コース~内黒峠縦走路予定、雨天敗退
(出発帰着:二軒小屋)

二軒小屋からシシガ谷コースで十方山に上がり、内黒峠縦走コースで内黒峠まで行き県道恐羅漢公園線を下る予定をたてる。もし無理ならば、途中から藤本新道を下るつもりで出発する(9時10分)。

十方山林道の大規模林道化の工事着工間近(今年度着工予定)ということで、荒れ放題だった林道は、一軒屋まで土を入れたりして整備されている。その間で、3人の技師さんが本格的な測量の準備をしている。

一軒屋を過ぎると、元通りのガラガラ道となる。雨が降ってきて、だんだんと強くなる。シシガ谷を登っても面白くなさそうだ。そのまま林道を渓畔林まで行こうかとも思ったが、なんとなく気がすすまない。シシガ谷コース登山口の少し手前から引き返した(9時35分~40分)。

一軒屋ではご主人が今日は家の前まで車を乗り入れていた。そこから少し下ったところで、赤や青の雨具をつけた10人くらいの団体さんがこちらに向ってくる。その中から、こんにちは、と声がかかる。2006年8月20日 (日)恐羅漢山でお会いした山岳会のエキスパートの方だった。これから十方山に登って瀬戸滝に下るという。車を回送しているのだろう。今日も不思議なご縁を感じつつ帰着する(10時10分ごろ)。

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2012年05月27日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡) >> 恐羅漢山トップページ

十方山林道~ケンノジ谷~トチ谷~焼杉山、往復
(出発帰着:二軒小屋)

2012年05月27日(日)、長男

焼杉山1200m台

〈写真〉焼杉山手前1200m台
(雪は完全に融け、チュウゴクザサが行く手をはばむ)

はじめに

今年の4月15日に、グループで残雪の広島・島根県境尾根を歩き、焼杉山三角点を発見した。下山後、点の記を閲覧すると、三角点の周りに目標となる三本の木(樹種名)が記されている。

融雪後の三角点の様子を観察したくて、長男を誘い、まずはケンノジ谷へ突っ込む。分岐点で左手のトチ谷へ入りなおも登る。しかし、登りついた山頂部のだだっ広いササ原の中で、現在位置に確信が持てなくなり、往路下山する。

今日のコース&コースタイム

二軒小屋8:52-舗装終り9:01-十方山登山口(シシガ谷コース)9:29、9:33-恐羅漢山取付き9:35-水越峠9:42-9号橋9:52,10:00-クマを見る10:29、10:34-尾根に乗る11:09、11:14-引き返し地点11:22、11:29-9号橋12:33、12:39-水越峠12:50-十方山登山口12:58-二軒小屋13:32

二軒小屋(60分)取付き口(1時間22分)山頂部
 小計2時間30分(取付き8分を加える)
山頂部(1時間04分)取付き口(53分)二軒小屋
 小計2時間03分(取付き6分を加える)
総合計4時間40分
 (引き返し地点7分を加える)

概要

二軒小屋から十方山林道へ入る。さすがに雪は完全に消えている。
9号橋からケンノジ谷に入る。ゴツゴツの岩の上を歩き堰堤に達する。
堰堤右岸を登り、沢の左右を行く。
分岐があり、左手・トチ谷に入る。右岸を行く。
右前方眼下にクマ(茶色?長男目視確認)を見る。
トチ谷右岸尾根を登り、1200m台地点で尾根に乗る。
コンパスを合わせ、北向きに行く。しかし、三角点までの距離が分からない。
だだっ広いササ原で、現在位置をピンポイントで把握できない。
三角点まで、残り150m前後、標高1220m手前(後刻GPS確認)
往路下山、十方山林道まで下りる。
ハエが数十匹もまとわりついてくる。二軒小屋まで引き返して昼食とする。
途中の十方山林道で、ランチ中(男女5~6名)の一団あり。
なにはともあれ無事下山。我が家にて長男一家と夕食。

GPSロガー

今日もGPSロガーを携行した。帰宅後ログはうまく回収できたものの、現地で現在位置を把握する練習はまだできていない(データをうまく地形図に落とし込む工夫は何もしていない)。今のところ、帰宅後ログファイルを回収してカシミール3Dで確認するだけである。現地でもっと使いこなさなければもったいない。今後の課題である。

桑原良敏著「西中国山地」

「西中国山地」は、広島県側から旧羅漢山~(恐羅漢山)へ登るルートの一つとして、次のコースを示している。しかし、焼杉山の平坦なササ原に、かつてあったはずの小径はすでに消滅している。

広島県側からは、他に細見谷のマゴクロウ谷より広島・島根県境の<ボーギのキビレ>へ登り、焼杉山、<ケンノジキビレ>、1271m独標峯から旧羅漢山へ登るルートがある。昭和52年のインターハイの登山の時整備した小径なので充分歩けるが、茂り始めたようだ。

「西中国山地」p.075
(Web作者にて一部算用数字に改めた)

電子ブック(アマゾンKindle版)2018年4月8日刊

『幻の焼杉山三角点を求めて~広島・島根県境尾根を行く~』

初版刊行後も加筆修正を繰り返していくつもりです。
つまり、事実関係そのほか全ての点において、
このアマゾンKindle版の方が、Webよりも優先いたします。

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2012年04月29日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 広島湾岸トレイル >> 宮島弥山・岩船岳トップページ

紅葉谷コース~弥山~奥の院~先峠山~三ツ丸子山~大江山~宮島自然植物実験所近く
(出発帰着:宮島桟橋)

2012年04月29日(日)、単独

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~紅葉谷~宮島弥山529.8m~御山神社~奥の院~502m~先峠(青海苔浦乗越)~先峠山・402m~三ツ丸子山・367m~大江山・273m~広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所(海岸道路)~多々良~大元公園~宮島水族館~厳島神社~宮島桟橋(出発帰着:宮島桟橋)

今年の4月(2012年04月01日)に初めて多々良林道左岸尾根を探索した。その時、海岸部(宮島植物実験所の近く)への下り方を、当初考えていたルートとは違えてしまった。今日は、そのやり直しである。

今日も、GPSロガー(Wireless GPS Logger M-241)を持って出かけた。直近の宮島(4/1)、焼杉山(4/15)に続いて3回目である。前回焼杉山で失敗したログ(軌跡)の取得はうまくいった。カシミール3Dで無事読み込むことができている。

宮島の各ピークの標高が微妙に異なった地図があるようだ。少しずつ調べて、少しずつ分かってきた。

宮島町(広島県佐伯郡)時代に、国際航業株式会社調製の白地図が作られている。2千5百分1(宮島全島で4枚?)を基本として、5千分1(同3枚)、一万分1(全島で1枚)そして2万5千分1である。

私の手元には、一万分1の白地図がある。それと二万五千分1(国土地理院地形図)を見比べると、宮島にある二つの三角点、弥山529.8mと岩船岳466.6m以外のピークでは、やはり微妙に数値が異なっている。

今後、その他の縮尺の現物を入手して検討してみたい。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋9:33-宮島ロープウエー入口9:45-紅葉谷橋9:54-奥紅葉谷橋9:56-海軍省標石10:16(標高170mくらい)-紅葉谷分岐10:43、10:47-弥山本堂10:56-宮島弥山11:05、11:13-弥山回り西側へ-分岐(仁王門跡・本堂区間)11:19-御山神社分岐11:20-御山神社下11:23、11:26(この間、御山神社往復)-分岐(奥の院・仁王門跡区間)11:33-奥の院分岐11:40-奥の院11:43、11:48-尾根11:55-急登り一段落(上り240度、下り107度)12:03、12:10-稜線12:14、12:16(その間、502m12:15往復)-先峠12:31-展望岩場(標高370mくらい)12:37、13:05-小コブ13:07-小コブ13:09-402m13:14-鞍部四差路(標高280mくらい)13:29、13:34-三ツ丸子山(第1峰)360m台13:46-三ツ丸子山本峰(第2峰)367m13:48-三ツ丸子山(第3峰)13:52、14:04-330m台(右・室浜山分岐あり)14:16、14:18-第一貝殻?分岐14:23-230m台鞍部14:27-大江山273m14:34、14:38(この間、南西尾根探検)-230m台鞍部14:43、14:49-(途中で踏み跡を見失う)-踏み跡復帰(標高50mくらい)15:14-左岸に渡る15:17-分岐右折(すぐに小川を渡る)15:18-分岐15:20、15:24(この間、右手東側の小道探索)左折-分岐右折(左は室浜砲台跡)15:25-植物実験所15:27-門扉15:30-多々良15:47-大元公園16:13-宮島桟橋16:28

宮島桟橋(21分)奥紅葉谷橋(49分)紅葉谷分岐(9分)弥山本堂(9分)弥山山頂
 小計1時間32分(紅葉谷分岐4分を加える)
弥山山頂(12分)御山神社(18分)奥の院(27分)502m(16分)先峠
 小計1時間18分(奥の院5分を加える)
先峠(15分)先峠山402m(34分)三ツ丸子山367m(4分)三ツ丸子山西端峰(第3峰、360m台ピーク)
 小計53分(先峠山手前の展望岩場28分を除く)
三ツ丸子山西端峰(12分)330m台(9分)230m台鞍部(7分)大江山273m
 小計30分(330m台2分を加える)
大江山273m(5分)230m台鞍部(34分)宮島植物実験所
 小計45分(鞍部6分を加える、実験所近くの分岐探索4分を除く)
宮島植物実験所(20分)多々良(26分)大元公園(15分)宮島桟橋
 小計1時間01分
総合計6時間55分
 (弥山8分、展望岩場28分、西端峰12分、大江山4分、分岐探索4分をすべて加える)

紅葉谷コースを登る

厳島神社大鳥居は、破損部分修理のため、全体が工事用の幕で覆われている。JR宮島航路の船上からも、朱の大鳥居をみることはできない。

紅葉谷コースのモミジが青々としている。今年秋の大学同期会の時期にはうまく色づいてくれるだろうか。

観光客が、登山道を歩いて登っている。中には、私を追い越していく若いカップルがいたりする。しかし、しばらくすると逆に追い抜くことになる。

弥山山頂の展望台も建て替えられるのだろうか。ずいぶんと汚れが目立つようになってきた。

弥山~奥の院~先峠(岩船岳縦走路)を経て大江山へ

弥山から奥の院に下る。そのまま502mまで登り、さらに先峠(岩船岳縦走路)に至る。

先峠から先峠山402m~三ツ丸子山(第3峰)360m台~330m台までは、前回4/1と同じコースである。ただし今日は、先峠山手前の展望岩場で早々と昼食をとる。

三ツ丸子山(第3峰)360m台で展望を楽しんだ後、330m台に下る。そこで、右手前方に良い道(前回の室浜山への下り)を分けて、左手のヤブ気味の小道に突っ込む。道の状態はあまりよくない。

鞍部分岐230m台を通り過ぎて、大江山273mまで一気に登る。山頂からの展望はほとんどない。その先まで少し探検してみたが、踏み跡はすぐに消えてしまった。

大江山手前の鞍部から植物実験所へ

鞍部230m台まで引き返し、急坂を北向きに下る。

やがて、川沿いに行くようになり、そこで踏み跡を見失う。右へ左へ小灌木をぬって下り、小川の中の岩場で足を踏み外す。それでも少しずつ高度を下げていく。

なんとか踏み跡に復帰し、植物実験所近くまで下る。実験所周辺は道が網の目のように付いている。標識を頼りに歩かざるを得ない。室浜砲台跡と植物実験所の位置関係を頭に入れながら、実験所をめざす。

植物実験所から海岸道路を宮島桟橋まで

実験所正門を通り過ぎ、簡易舗装道を宮島桟橋まで急ぐ。

厳島神社前では潮が満ち始めていた。それでもなんとか渡れそうである。神社前の浜をショートカットする。歩いているうちにも潮が上がってきて、対岸では石垣伝いにやっと岸にあがる。後にも観光客が続いていた。濡れたりしなかったらよいが。

何はともあれ、今日も無事。宮島もにぎわっている。満足の一日であった。

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2010年08月01日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡) >> 宮島弥山・岩船岳

包ヶ浦自然歩道(博打尾)~かや谷コース~弥山~大聖院コース
(出発帰着:宮島桟橋)

2010年08月01日(日)

はじめに

宮島桟橋~厳島神社~紅葉谷公園~博打尾~包ヶ浦分岐~302m~榧谷駅(かやだに)~獅子岩駅~紅葉谷分岐~弥山本堂(求聞持堂)~弥山~仁王門跡~彌山原始林~大聖院~厳島神社~宮島桟橋(出発帰着:宮島桟橋)

富士山(7/12敗退)で大雨に打たれ、デジカメが曇って写らなくなった。数日放置していたら、湿気がとれてなんとかなりそうな状態になった。しかし、なんとなくレンズがよごれているようだ。細かい火山灰が入ったのかもしれない。

これからの夏場、汗でカメラを湿らせるとまた写らなくなるだろう。それに、今年も沢登り(細見谷渓谷)に誘われていることだし、思い切って、防水デジカメを通販で買った。

最近、近所に家電量販店が一軒増えたのだが、そこの新装開店割引価格よりも約1万円も安かった。安売り競争で日本経済は浮上しないとは思うのだが。

今日は大量の汗をかいたが、防水デジカメはびくともしない。買って正解であった。

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋8:57-包ヶ浦分岐登山口(中尾橋)9:27-第3ベンチ9:43、9:47-小岩10:01-尾根(302m南の鞍部)10:10、10:12-かや谷駅10:49、11:08-しし岩駅11:26、11:34-弥山本堂11:54、12:06-弥山12:13、13:36-仁王門跡13:50-東屋14:33-大聖院14:57-(途中でビール)-宮島桟橋15:37

宮島桟橋(30分)登山口(43分)尾根(37分)かや谷駅(18分)しし岩駅(20分)弥山本堂(7分)弥山
 小計3時間16分
 (尾根2分、かや谷駅19分、しし岩駅8分、弥山本堂12分を加える)
弥山(14分)仁王門跡(1時間07分)大聖院(25分)宮島桟橋
 小計1時間46分(途中休憩を除く推定)
総合計5時間02分
 (弥山1時間23分を除く)

今日の山行

御笠浜から厳島神社をみる。右奥のとがった山が駒ヶ林。その左が宮島最高峰の弥山(位置関係から駒ヶ林の方が高いように見える)
20100801-090932.jpg

久しぶりの宮島、酷暑である。

速乾性のシャツとズボンを着用したにもかかわらず、座って立ち上がる度に、お尻の跡が大きく黒ずんでびしょ濡れとなる。

尾根筋からは東の海側の展望が最高。かや谷駅の上部では、眼下にロープウェイも見ることができる。
20100801-111508.jpg

弥山山頂の展望台(2階)は涼しい風が通り気持ちよい。
大休止の後、立ち上がると例によってびしょ濡れの黒いシミ。
外人さんの一団に笑われてしまう。
最上階からの展望はあまりよくない。

山頂展望台から山頂部をみおろす。見えている広場の真ん中に三角点529.8mがある。そして、その向こうにある大岩の頂点が弥山山頂535mである。二万五千分1地形図(国土地理院)にもそのように併記されている。
20100801-132825.jpg

大岩(写真)の右奥は、502m(間違い訂正、2010/10/20)である。そのさらに右奥に岩船岳があり、ここ(弥山)から、奥の院~502m~450m~(陶晴賢碑分岐)~351m~(大川越)~岩船岳へと縦走することができる。

今日は弥山から駒ヶ林へ移動して、そこの尾根を下るつもりであった。しかしながら、日が差すかもしれないと考えて、駒ヶ林に取りつく前に、仁王門跡から大聖院コースの階段を下る。コース途中の白糸の滝はパス、酷暑のなかを少し熱中症気味になりながらも無事下山。

なお、登りではヒトと接することはなかった。下りでは登ってくるカップル、単独者などと行き交う。何人かに追い越されもした。行き帰りともに多少の潮あり。宮島大鳥居は陸から眺めるだけ。

食欲がなく、結局はおにぎりを一口かじっただけ。水2リットル。
宮島桟橋に帰り着く前に缶ビールを飲む。焼きガキ一皿。海を渡ってコーラ1缶。
とはいいつつ、ゆったりとした気分で楽しい一日を過ごせて大満足。
次の宮島はどこ?

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