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2005年06月18日

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日本列島の尾てい骨、広島・島根・山口三県境を歩く
吉和冠山(ウシオ谷クルソン谷)寂地山・額々山、往復
(出発帰着:潮原温泉)

2005年06月18日(土)、単独

このページの目次です

はじめに

吉和冠山(ウシオ谷~クルソン谷)~寂地山・額々山
(出発帰着:潮原温泉)

吉和冠山のサラサドウダンとオオヤマレンゲを目当てに行動する。サラサドウダンの花は終わり、オオヤマレンゲは最盛期だった。前回あきらめた寂地山往復に加えて額々山まで探検してきた。額々山にもサラサドウダンがあった。

「広島のブナ林」南々社(2005年)”安芸冠山・寂地山”P.066に、額々山を加えた山行で、広島・山口・島根三県境を歩いたことになる。

今日のコースタイム

潮原温泉(14分)登山口(29分)クルソン谷分岐(31分)クルソン岩(国体コース)分岐(39分)吉和冠山
 小計1時間56分(クルソン谷分岐3分加える)
吉和冠山(23分)松ノ木峠分岐(44分)寂地山
 小計1時間07分
額々山往復
 小計44分
寂地山(39分)松ノ木峠分岐(28分)吉和冠山
 小計1時間05分
吉和冠山(20分)クルソン岩(国体コース)分岐(24分)クルソン谷分岐(22分)登山口(12分)潮原温泉
 小計1時間18分
総合計6時間37分
(冠山-懸崖展望、行17分、帰10分を加える、寂地山昼食42分を除く)

潮原温泉8:21-案内板8:27-登山口(鉄橋) 8:35-4号橋8:44-橋8:53-クルソン谷分岐9:04、9:07-沢9:19-クリ大木9:36-国体分岐(クルソン岩)9:38- 1150m台9:43-沢(水あり)9:50-沢(水なし)9:53-左折登り9:55、10:00-ブナ大木10:06-吉和冠山10:17 -懸崖出発1:33-吉和冠山10:34-分岐右へ10:47-沢10:50-松ノ木峠分岐10:57- オオヤマレンゲ保護地11:01-1282m11:08-鞍部11:14-コブ(1300m台?)11:27-岩場ピーク(1310m台?)11:36-寂地山11:41、12:23-(縦走路)-額々山分岐12:27- 鞍部12:35-コブ12:37-東よけ岩12:42-額々山12:46、12:51-小潅木帯13:04-縦走路13:11- 岩場ピーク13:14-平坦部終わり13:21-ブナ真っ二つ13:24-鞍部13:27-1282m13:37-オオヤマレンゲ保護地13:42-鞍部13:43-松ノ木峠分岐13:46- 沢13:51-鞍部左分岐あり15:54-右手分岐あり15:55-オオヤマレンゲ14:04-サラサドウダン花がら14:09-吉和冠山14:12 -懸崖出発14:21-吉和冠山14:22- 右分岐14:34-沢(水なし)14:35-沢(水あり)14:36-鞍部14:40-1150m台14:41-国体分岐(クルソン岩)14:42- クルソン仏岩近道14:55-クルソン谷分岐15:06-登山口(鉄橋)15:28-潮原温泉15:40

中国新聞社のガイドブック

中国新聞社の歴代登山ガイドブックで最初に紹介されている山は、それぞれ、「リュックかついで」(1980年)”安芸冠山”、「ふるさとの山歩き」(1992年)”冠山”、そして「ひろしま百山」(1998年)”吉和冠山”となっている。

つまり、いずれも吉和冠山から書き始めている。広島(安芸の国)に冠山は多くあれど(少なくとも5つ)、ただ単に冠山(あるいは安芸冠山)といえば、吉和冠山のことである。

「リュックかついで」安芸冠山の項は桑原良敏が書いている。本文中の、「昭和37年の2月、三人で県境山稜を雪中五泊・・・」という記事は、桑原良敏著「西中国山地」1997年(平成9年)復刊版付録、「積雪期冠山-恐羅漢山縦走、昭和37年2月18日~25日」のことを指している。

桑原は、安芸冠山の項で次のようにも書いている。「冠山(1333m)の登山路として、一番よく登られているウシオ谷道は、読図力のテストにはもってこいのコースでもある。二万五千分の1地図「安芸冠山」に、現在の登山路とクルソン仏岩の位置を記入するといったものである。」

冠山へ登る

という訳で、今日は今までにも増して地形図とにらめっこをしながら歩いてみた。クルソン谷を入ってすぐでは、右手も谷になった小尾根に乗っているようだ。国体分岐(クルソン岩分岐)から少し登り、1150m台を過ぎ左に振って小鞍部を越え、オトウゴヤ上部で左手尾根(右手谷)をみて巻く。記載道より谷に近い位置を巻いているものと思われる。やがて、左折して急登、山頂部に達する。

山頂のすぐ手前では、サラサドウダンの花がらが落ちて絨毯のようになっている。見ごろはやはり先週だったか。サラサドウダンは年によって出来不出来があるというので、あまり期待はしていなかったのだが、ちょっと残念。

山頂三角点から北へほんのちょっと下り懸崖に至る。サラサドウダンが咲いている個体が何本かあった。しかし、花がらの一部はすでに落ちてしまっている。それでも、やや白の強いきれいなのがあり満足する。

懸崖からの展望

懸崖からの展望を楽しむ。まずは、正面に十方山、その左奥は恐羅漢山である。恐羅漢山の左奥には、天杉山などこれからターゲットにしたい山々がある。それらは、ずーっと左の大神ヶ岳まで続いてみえる。恐羅漢山右奥には、砥石郷山が肩を出し、その右の十方山との間に、うっすらと苅尾山がみえる。

十方山右奥の、天狗石山、阿佐山などはほとんど分からず、さらに右手前の、市間山~立岩山、女鹿平山へと続く。女鹿平山の右にある小室井山の左奥に、天上山を認める。小室井山のさらに右奥には、東郷山も見えているはずだがはっきりしない。

十方山手前には、最近相次いで登った山、黒ダキ山、沼長トロ山がある。それまでは、名前は何とか知っていたとしても、確かな位置までは知らなかった山である。こうして懸崖での楽しみがどんどん広がってゆく。

寂地山方面に踏み込む

寂地山方面に向かう。冠山山頂部を少し下ったあたりは、えらく貧相な林である。それを過ぎると広葉樹の樹海が寂地山まで続いている。その樹海に入ってすぐにオオヤマレンゲを楽しむ。そばにはヤブデマリが咲いている。

そのままどんどん下って右に振ると、ゆるやかな鞍部に達する。鞍部ほんの少し手前に、左手(南の)フカ谷源流部への踏み跡を認める。すぐ鞍部に達し、右手にも北のホン谷源流(中津谷川-小川)への踏み跡がある。鞍部から、やや登ると松ノ木峠分岐につく。標高1265m位の地点である。

ところで、寂地山までの登山道は、地形図記載の登山道からかなりずれている箇所がある。実際の登山道は、まず山頂部をほぼ尾根に沿って南西の方角に進み、その後、地形図記載道の西側を南下する。つまり、冠山から南に流れる尾根の西斜面を下ることになる。

復路でこの斜面を北に向かう時には、斜面をどこまでも巻き上げていくので、右手山頂をすでに通り越してしまったのではないかと不安になったくらいである。結局、最後は60度で山頂部まで突き上げた。

また、「西中国山地」”寂地山”P.159には、二万五千分1地形図(昭和54年11月版)に桑原が冠山~寂地山登山路を書き加えて、地形図記載道が実際とずれていることを図示している。しかし、桑原の登山路では、松ノ木峠分岐を1280m台の北西にある鞍部(1250m位)としているなど、今日歩いて確かめた登山道とは異なっている点がいくつかある。

さて、松ノ木峠分岐から、山口・広島両県境線よりやや北東側を下り、1282mには294度位で登る(アシウスギとブナ)。1282mからは25度位で県境線に沿うようにして下り、後冠山(1300m台)を右手に見て316度に振り、巻きながら(後冠山のピークを踏むことなく)西大沼ヶ原鞍部に至る(メウゼン川とヒロコウ谷を結ぶ鞍部)。ブナ大木数本にアシウスギ大木が混じる。

次の1316mもピークは通らず、南面を巻いて行き、寂地山に至る。山頂には先客あり、また、右谷山の方角にササが刈り取ってあり、こちらからも次々と登ってくる人たちがいる。やり取りを聞くともなく聞いていると、寂地峡?午前8時出発?ずいぶんと苦しんだようである。山頂で数種類の鳥の鳴き声。

額々山探索

「中国地方の山100選」で、額々山(島根県)が紹介されており、気になっていた。同書では、島根側からの登山道を紹介している。しかし、寂地山から行けそうな距離ではなかろうか。

そう思ってあたりを見回すが、それらしき山は見えない。寂地山山頂からは見えないようである。そこで、地図とコンパスを取り出しおおよその位置を確認する。昼食後、復路で左手の踏跡をいくつか確認しながら行くと、赤テープのついたしっかりした小道をみつける。踏み込んでみた。

踏み跡が広い尾根に沿ってついている。地形図上の境界線に沿っていると考えて大きな誤りはないだろう。小潅木帯を通り過ぎて下るとスギ林になっている。倒木があったりササが被ったりしている箇所もある。復路の最後の登りでは道を見失ってしまった。しかし、踏み跡そのものはしっかりしている。慎重に探せばなんとかなる。いざとなれば、ちょっとしたブッシュを押し切れば歩けないことはない。

額々山に戻ろう。1279.0m三角点手前で、東よけ岩が大きく手前に立ちはだかる。踏み跡を見つけようと足元を見れば、サラサドウダンの花がらが落ちて絨毯のようになっている。大岩を見上げても花はよく見えない。それにしても 、ここにサラサドウダンを見るとは、さては新発見か?などと気分は高揚したが、何のことはない。

「西中国山地」P.164に、「寂地山一帯は藩の御立山として保護されていた。国有林としてうけつがれた現在もブナ、アシウスギの天然林が残されているため、珍しい植物が多い」として、分布上注目すべき植物の一つに、サラサドウダンがあげられている。

東よけ岩の下を南面から回り込んでよじ登ると、そこに1279.0m三角点がある。それよりほんのわずかに南東側、つまり東よけ岩上部の方が標高は少し高く、樹間には寂地山が見える。ずっと右手にあるはずの冠山までは分からなかった。

「西中国山地」P.163には、「国土地理院の地図には、1279m峯に<額々山>の山名が記してあるが、これには異論がある。(額々山の山名の由来が)「ガクガク石のある山」の意だとすれば、その西にある前記1227m独標峯に付すべきだと思う」としている。ここで前記とは、「(ガクガク)岩は寂地山北西尾根の1227m独標峯の西の小鞍部のヤセ尾根上にある」という部分を指す。

「中国地方の山100選」は、額々山の位置として地形図記載の1279.0m三角点を採用している。そして、「頂上から北西へ10分道をたどれば、山名の由来とされるガクガク岩がある」としている。

山頂から1227mの向こうまでは、約1km近くあるはずで10分ではどうだろう。ガクガク岩の見学は次回の宿題として、山頂からすぐに引き返した。さすがに、ここまで踏み込んでくるヒトは誰もいない。

往路下山

復路では久しぶりに熊鈴をつけた。甲高い音の出る性能のいいやつである。以前買って不満だったものより高い音がよく響く。これならクマさんも道を譲ってくれることだろう。たぶん・・・

松ノ木峠に近づくにつれて、スズや木札の音があちこちから聞こえてくるようになる。峠に向けて、多くのグループが三々五々下山してきているようである。私は基本的には静かな山行が好きである。だから、自分の熊鈴は早々とはずしてしまった。

冠山懸崖に帰り着き、先着の男性一人を見送った。これで山頂部には誰もいないはずである。ゆっくり下り始めたところに、女性2人組が登ってくるのとすれ違う。その後は全くの一人旅で、今日の行程を振り返りつつ、次回以降の山行を思い描きながら下る。

北のホン谷源流(中津谷川-小川)、南のフカ谷源流部に向けて、踏み跡があり、いくつかのグループが踏み込んでいた。それぞれ下から登ってくることができるようである。また、広高山へは後冠山から行けるようである。冠山~寂地山周辺の土地勘が一気に広がった一日に大満足。

行き帰りの車道で、クリ、ヤマボウシ、ウツギなど。登山口手前の色あせた花は、オオバアサガラか。コアジサイが紫色から白色まであってきれいだった。


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