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2010年04月18日(日)、ブナ森やぶこぎクラブ(会員外参加)
恐羅漢山:
カメイ谷(平太小屋原遡上)敗退:
牛小屋高原~夏焼峠~管理林道~台所原~33曲がり~カメイ谷~台所原~恐羅漢山~牛小屋高原
(出発帰着:牛小屋高原)
このページの目次です
はじめに
2010年04月18日(日)、ブナ森やぶこぎクラブ(会員外参加)
今日の目的は、恐羅漢山の北西面にあるカメイ谷(島根県)をどこまでも遡上してみることにあった。
広島県側の牛小屋高原(標高960mくらい)を出発点として、そこから夏焼峠~縦走路(1131.8m三角点)~管理林道で台所原(標高1000m台)に至る。カメイ谷右岸上部に当たる地点である。
そこから島根県に入り、33曲がりを経てカメイ谷(標高782m付近)まで下った。
カメイ谷では沢沿いを遡上し、やがて猛烈なヤブを漕ぐ覚悟をしていた。標高1,100m前後から上には、ヤブの中にブナ、スギ、トチやミズナラなどの大木が林立しているという。もしかして桃源郷があるのかもしれない。
最終目的地は、平太小屋原(恐羅漢山と旧羅漢山との鞍部、標高1270m台)である。ところが、途中の「出会」(推定標高1,000mくらい)手前にある小滝をどうしても乗り越すことができない。今日はここまで。ヤブ漕ぎに挑戦することなく敗退決定。
沢沿いに少し引き返して昼食。休憩後、右岸の小さな尾根に取り付き、台所原(標高1000m台)まで直登する。さらに、そのまま恐羅漢山(1346.4m)に登り、立山コース(スキー場)で牛小屋高原に帰り着く。
今日の山行も、昨年の11月15日(ボーギのキビレ、広島島根県境尾根)に引き続いて、西村保夫さん(ぶな森会)のお誘いを受けて参加させていただいたものである。
前回の同行登山以来、諸般の事情で私は一度も山に入ることはなかった。私から声をかけている山行の案件があるのだけれども、無期延期としていただいている。
そうした中で、「カメイ谷上部を歩いてみたい」と前回私がつぶやいたことを覚えていてくれた西村さんが今回の企画を立ててくださった。足腰にかなりの不安があるものの、断る理由は何もない。喜び勇んで出かける。
いつも使っているA6ノートに、先達の山行記やルート図をいくつか張り付けて持参する。これとコンパスがあれば何とか戦力になるだろう。
今日のコース&コースタイム
今日のコースタイム
牛小屋高原(26分)夏焼峠(26分)管理林道(29分)中之甲林道終端部広場(土場)
小計1時間21分
土場(6分)台所原三叉路(26分)33曲がり上部(9分)カメイ谷右岸
小計41分
カメイ谷(23分)右小谷(13分)右小谷(42分)ポイントX(8分)敗退地点
小計1時間26分(ポイントXでの休憩13分を除く)
敗退地点(7分)ポイントXにて昼食(12分)台所原三叉路近く
小計19分(昼食20分は加えず)
台所原(1時間03分)恐羅漢山(46分)牛小屋高原
小計2時間04分(恐羅漢山15分を加える)
総合計6時間51分(出発から帰着まですべての時間)
(林道終端部広場6分、ポイントX13分、敗退地点13分、昼食20分、台所原8分を含む)
牛小屋高原8:16-夏焼峠8:42-1131.8m三角点近く8:50-分岐(早手のキビレ)8:58、9:00-管理林道9:08-中之甲林道終端部広場9:37、9:43-台所原9:49-33曲がり10:15-33曲がり下(カメイ谷右岸)10:24-左岸へ渡る10:33-休憩10:35、10:36-右小谷あり10:47-右小谷あり10:51-F7m-右小谷あり11:00-F10m(左岸を高巻く)-小滝下(左手台所原、ポイントX)11:42、11:55-撤退地点(小滝下)12:03、12:16-(引き返す)-昼食(ポイントX)12:23、12:43-台所原12:55、13:03-休憩13:21、13:25-休憩13:39、13:45-休憩(少々)13:56-縦走路14:04-恐羅漢山14:06、14:21-立岩コース分岐14:25-地蔵14:45、14:51-牛小屋高原15:07
さて今日の山行はどうだった?
二軒小屋8時集合
いったん二軒小屋で集合して、車を乗換え牛小屋高原に上がる。ここで二軒小屋にも車を残しておいた。もし万が一、旧羅漢山から十方山林道経由で帰ってくることになったときの用心である。
牛小屋高原~夏焼峠でクマを見る
西村さんたちのメンバーは男性4人で、いずれも昨年11月15日にご一緒した方々である。それに私を加えて合計5名で出発する。
恐羅漢山の登山コースおよび夏焼峠付近について、「西中国山地」は次のように書いている。
広島県側横川(よこごう)より登るのが一般ルートで、ほとんどの人がこれを登降している。(中略)
牛小屋キャンプ場より中之甲へ越すナツヤケのキビレまで樹林下の径を歩き、キビレより恐羅漢山北尾根を登るコースもある。
この小径もよく踏まれているが、最近部分的にササが茂り始めた。この径は恐羅漢山より砥石川山への縦走路として、かなり歩かれているようだ。
桑原良敏「西中国山地」(初版1982年)P.080
牛小屋高原から、恐羅漢山の東斜面をゆったりと北向きに行き(地形図記載なし)、恐羅漢山~砥石川山の鞍部(夏焼峠、ナツヤケのキビレ)に至る。
途中でクマを見る。右下の谷でガサガサっと音がしたので見下ろすと、向こうの斜面で小灌木が揺れている。西村さんたちがクマだという。目の悪い私には今一よく分からない。しかし、小灌木の揺れが音をたてながら上の方に移動して行くのははっきりと見えた。
(後日西村さんから、黒い塊は見たけれどもクマとは断定できない、イノシシの可能性も否定できないとの見解あり)
ショウジョウバカマ、石の標識あり(目的は?)
1131.8m三角点はどこだ
夏焼峠から「恐羅漢山北尾根」を南向きに登る。途中にある四等三角点(1131.8m)の点名は、何と「ブナ林」である。三角点はその付近のピークにあるはずで、登山道はそれよりもわずかに東側を行く。
三角点にご挨拶(タッチ)して行きたいものである。しかし、ササ藪に覆われてその位置が分からない。西村さんは以前にグループの何名かで真剣に探したらしい。しかし、見つからなかったという。1973年(昭和48)5月1日埋標というが、すでにササ藪のなかに埋もれてしまったのだろうか。
(写真左)
1131.8m三角点を越えて、縦走路正面に恐羅漢山を見る。芽吹きまであと少しである。なんとなく山全体が赤みを帯びている。
縦走路をもう少し行くと右手に分岐があり、「早手のキビレ」という名前の道標が取り付けられている。その位置は、1131.8m三角点を越えて小鞍部(標高1,110m台)まで下り、1,126mのわずか手前まで登り返した地点(標高1120mくらい)である。
この道標は、二年前(2008年2月)の恐羅漢山スノーボーダー7名遭難事件の後に、この周辺に多数設置された道標の一つである。(恐羅漢山頂50分、夏焼峠15分、台所原40分)
管理林道で残雪を見る
「早手のキビレ」から、右手の北西斜面を管理林道(地形図記載なし、標高約1,040mくらい)まで下る。標高差80~90mくらいの趣きのある踏み跡である。
管理林道は未舗装である。距離2km弱で標高差は40m程度しかない。幅広の道をゆったりと下る。
(写真左)
林道山側の側溝(素掘り)に残雪を見る。
その向こうでは、すでに雪はとけて水たまりとなっている。
(写真右)
中をのぞくと、寒天状の透明な太い紐がとぐろを巻いており、その中に黒い粒々が見える。カエル(ニホンヒキガエル?)の卵である。
ネコヤナギ、タラの芽、春まじかである。
(写真左)
右手谷の向こうには、(中ノ川山(1170.2m)この画面には入っていない)~天杉山(1173.6m)~野田頭(1136m)があり、そのさらに奥、こちら側の山裾との間に、高岳(一番奥)~聖山が見える箇所がある。
なおも管理林道を下る。
(写真右)
一部崩落した箇所があるものの、今でも車が走れそうなゆったりとしたよい道である。
正面谷向こうは、中ノ川山。
この管理林道は、恐羅漢山の西側(台所原)と東側(牛小屋高原)を結ぶルートとして非常に有用である。恐羅漢山を直接乗り越すことがないので、高度差が少なく体力を使わなくてすむからである。
元々の目的は、植林のための「管理」林道ということであろうが、今後ともありがたく通らせていただきたいと思っている。
台所原~33曲がりを経てカメイ谷に下る
管理林道の始点は、中之甲林道(地形図黒実線)の終端部でもある。木材の集積場所(土場)として使われるのであろうこの広場には、件の道標があり「台所原平」という名前が付けられている。(台所原5分、夏焼けのキビレ60分、中ノ甲・聖湖方面(時間表記なし))
中之甲林道の延長線上を北西の方角に進む。高度差はほとんどない。ハリギリ、ホオノキの大木の横をすり抜けて、ミズナラの大木がある三叉路に至る。ここにも件の道標があり、「台所原」(右矢印:中ノ川山・天杉山方面、今来た方角への矢印:中ノ甲・聖湖方面、左矢印:恐羅漢山頂60分)となっている。
(写真左)
台所原三叉路にはミズナラの大木
33曲がりからカメイ谷に至るには、この台所原をさらに直進する(道標には表記されていない)。背丈ほどのササが生い茂っており、踏み跡はほとんど消えかかっている。一昨年(2008年)秋には一旦刈り取ったらしく、立派な四差路となっていたが、その後は手が付けられていないようである。
ササ藪をがまんしてしばらく進む。少し歩きやすくなり、天杉山~中ノ川山~1146mの尾根突端を巻いて行く。しかしその向こうは、細い踏み跡が付いているものの、左手にカメイ谷を見下ろす急斜面を行くトラバース道である。
踏み跡の上にはササが覆っており、足元はよく見えない。ちょっと気を抜くと、急斜面に吸い込まれてカメイ谷の底まで(高度差150mくらい)転落しそうな錯覚に陥る。
33曲がりは、小尾根の急斜面を小さなジグで下る。慎重に下ればそれ程危険ではない。右前方谷向こうに鉱山跡の穴を見て、いったん谷向こうに渡る。この小谷の右岸を少し下ると、カメイ谷右岸を行く踏み跡にぶつかる。左へ行ってカメイ谷をさかのぼる。
エンレイソウ
カメイ谷をさかのぼる
最初は右岸を行き、しばらくして左岸に渡る。その少し上で正面に恐羅漢山を見る。
(写真左)
休憩地点(10時35分)
カメイ谷の上部に恐羅漢山を見る
推定標高800~820mくらい
ややあって、右に小谷を見上げると、旧羅漢山から北西~西へ流れる尾根(旧羅漢山1334m~カマのキビレ1,030m台~1,155m~1,090m~ジョシのキビレ1,000m台)の一部が見える。1,155mであろう。
(写真右)
右に小谷あり(10時47分)
上部に見えるのは旧羅漢山から西向きに流れる尾根の一部(1,155m)だろう
推定標高830mくらい
F7を越えて行く。まだ気持ちの余裕がある。
(写真左)
F7m(10時55分)
推定標高850~60mくらい
F7mを越えると、右手に沢がある。
(写真右)
右に小谷あり(11時00分)
学術的に興味深い所のようである
推定標高880mくらい
そのすぐ上のF10m(推定標高900mくらい)はさすがに乗り越せない。
(写真左)
画面奥に見えるF10の左岸を巻くつもりで、右手急斜面に取り付き草を握って登る。ミヤマカタバミだろうか。気がつくと回りに白い花が点々と見えている。大群落である。
この花については、後で西村さんから、花も葉も形が違ってるよと写真を見せてもらった。元々知識が乏しい上に、その時は自分で写真を撮る余裕もなく、目が悪いからしっかりと観察できていない。惜しいことをした。
さて、沢から20~30mくらい登ったが、行くべきルートは全くわからない。急斜面に疲れる。
トップが左横へ移動する。すると、その下に踏み跡らしきものが見えるという。少し登りすぎたのかもしれない。ロープが出る。なんとか全員足場を確保できる地点まで移動する。少し下ってそのまま左岸上部を行く。しばらくして、谷向こうの上部が台所原と思われる地点に至る。沢まで下る。
今日はここから敗退地点まで行き、再びここまで引き返した。そしてここから、台所原まで強引に這いあがった。覚えのために、ここをポイントXとしておこう。
なおF10mでは、もう少し滝に近づいて観察する必要があったのかもしれない。それはともかくとして、難関はなんとかクリアーできた。
次は、その上の「出会」がどんな場所か確かめなければならない。まさか現在位置を取り違えていることはないと思うが、右谷、左谷がどの様に出会っているか楽しみである。
(写真右)
ポイントXから、なおも上をめざす(11時56分)
推定標高950mくらい
敗退地点
(写真左)
「出会」手前の小滝を乗り越すことができず敗退決定。
画面中央の大岩の向こう、上部に見えている滝(この写真では不鮮明)は、「出会」から今日行く予定であった右谷の滝と思われる。
推定標高1,000mくらい
再び台所原、そして恐羅漢山へ
ポイントXまで引き返して昼食後、台所原の方角をめざして小尾根をはいずりあがる。急坂をこなすとその上はササ原であった。すでに台所原の一端に達したようである。ほぼ平坦な歩きやすい踏み跡を追って左手にトラバースして行くと、台所原から恐羅漢山に至る登山道に出る。
そこからふと左手を見れば、十数m先に見覚えのあるミズナラの大木が立っている。台所原三叉路である。つまりここまでに、台所原~33曲がり~カメイ谷そして再び台所原と反時計回りで完全に一周してきたことになる。
さてこれからどうするか。再び管理林道で帰るのではあまりにも芸がなさすぎる。それに今日のもともとの最終目的地は恐羅漢山であった。登らないわけにはいかない。
しばらく休憩を取り、気合いを入れて恐羅漢山めざして登り始める。今日は50分(あれば十分だ)?などと威勢のよい声がかかったものの、少し足にきている。ピッチは上がらない。休憩を3回取ってやっと這い上がる。結局、1時間03分かかった。
台所原の件の道標には、「恐羅漢山頂60分」とある。恐羅漢山周辺に数ある件の道標は、概して甘めのコースタイムとなっている。しかし、台所原~恐羅漢山1時間は微妙に正確である。1時間以内ならば、まずは多少の余裕があった証拠であり、それ以上時間がかかればバテテいた可能性が高い。
恐羅漢山から牛小屋高原に下る
恐羅漢山山頂で展望を楽しむ(未完)。
山頂には20名以上の団体さん、隣県からバスでみえたらしい。牛小屋高原から夏焼峠~砥石川山を往復した後、稜線を恐羅漢山まで登ってきたという。かなりの年齢層とお見受けしたが、みなさんお元気である。
一足先に下って行かれた一団を追って、私たちも立山コース(スキー場)を下る。砥石川山に至る稜線を正面に分けて右折して下る。岩場が多く意外としんどい下りである。それが分かっているからゆったりと下るつもりであった。
その岩場で突然「足がつった」という声があがる。初めての経験らしい。すかさず、足つりをよく起こすという他のメンバーが常備薬を出す。それを飲むほどに、たちまちにして症状は消え去ってしまい、元どおり歩けるようになった。何か秘薬が配合されているのかもしれない。薬屋としてはちょっと気になる。
スキー場最上部で地蔵をみると、本体がない。以前にも一度なくなって、次の山行ではちゃんとあったという経験をしたことがある。西村さんによれば、強風で吹き飛ばされたことがあるらしい。雪崩で流されるというケースも考えられる。まさか持って帰るほどの猛者はいないと思うが。
途中で、右前方の山並について問い合わせがあった。
山旅倶楽部の更新手続きをしていなかったはずだ。
後日検討としておこう。
さてスキー場の下の方を見ると、件の一団が牛小屋高原よりもさらに下まで下っているようである。バスはどこに置いているのだろうか。私たちが牛小屋高原で車に乗り込み、二軒小屋に戻る直前に、彼ら彼女らも二軒小屋まで下りてきていた。
なんと、牛小屋高原基点ではなく、二軒小屋を出発帰着で砥石川山・恐羅漢山を登り下りしたという。二軒小屋には大型バスが待っていた。そのバスでは二軒小屋~牛小屋高原を登ることはできないというのでそうしたという。ほんとうに登れないかどうかは分からない。ただし、スキーシーズンには、二軒小屋の大規模駐車場から小型バスが牛小屋高原までピストンするということはあるらしい。
いずれにしても、皆さんご無事だったようである。私たちも当初の目的を完全に果たしたわけではないが、無事下山できた。終わりよければすべてよしである。無事ならばこそ次のチャンスも狙えるというものである。
ところで、「終わりよければすべてよし」って、シェイクスピアによる同名の戯曲からでた言葉だそうである。元々は、「初めよければ半分成功、終わりよければすべてよし」というらしい。
もう一度体調を整えて、さらに準備万端で、
さて、次のヤブ山行はどこ?
参考山行記(カメイ谷上部を中心として)
「出会」手前の小滝をどのようにして乗り越えたのかを含めて、この機会に先達の資料をもう一度読み返してみた。そして、eMailでお伺いを立ててみた。
「西中国山地」を読むと、「(亀井谷には)一ヶ所ゴルジュがあり、右岸をまいて通ると出合と呼んでいる右谷と左谷の合流点に出る」となっている。
この記述だけでは、F10も含めて大きく(長い距離を)「右岸」から巻いたのかどうかよくは分からない。今日の私たちが見た限りでは、F10も含めて「右岸」を行くという選択肢はあり得なかった。
"K"さん(山歩きのページ)は、F10の「左」岸をまいている。今日の私たちと同様の判断をしたと思われる。そして、最後の小滝は中央を突破した記憶があるという。
"のびへい"さん(のびへいの徘徊)の話をあらためて聞くと、私たちと同じくF10を左岸から巻いてポイントXに至り、さらに登って「出会」手前の小滝にはばまれたようである。
手前の尾根まで引き返し、その尾根上にある1074m地点目指してして登っていったという。山行記ではこの部分は淡々と書いているが相当苦労したとのことである。
参考:桑原良敏著「西中国山地」
亀井谷の水源帯は山なれしたパーティの独壇場である。略図の如く一ヶ所ゴルジュがあり、右岸をまいて通ると出合と呼んでいる右谷と左谷の合流点に出る。
この地点より暗い樹林の中の笹のブッシュをこぐことになるが、出会より恐羅漢山頂まで二時間と見ておく必要がある。この深い樹林は、この付近で残されている唯一の天然林でツキノワグマを始めとして野生の獣が集まっているようだ。
「西中国山地」P.077
(Web作者にて一部改行を加えた)
- 上記文章中の「略図の如く」とは、P.77の概念図"亀井谷"のことである。
「西中国山地」の各概念図の正確さには定評がある。黒太の線で描く稜線とそこから派生する支尾根に対して、谷筋を細い線で表わしており分かりやすい。そのシンプルな構成は、時に二万五千分1地形図よりも表現力豊かであるとさえいえる。
今回の山行においても、カメイ谷本谷から枝分かれする左右の小谷および滝の位置を、二万五千分1地形図と照らし合わせながら事前に検討を重ねた。そして、現地を歩いてみた結果、それらが正確であることを改めて認識した。
参考:"K"さん(山歩きのページ)のカメイ谷
33曲りの先の道は、木が茂り荒れているが、幅広の道だったようだ。先へ行くと道は左岸へ渡っている。昔は橋があったようだ。その先の踏み跡はだんだん心細くなる。大きな谷の分岐の右はカマノキビレ付近へ出るようだ。分岐を左へ進むと、左岸にまた石積が残っていた。この先あたりまで木馬道があったのかもしれない。
この辺りからゴルジュ帯が現れ、出合まで300mほど続く。乗り越せない高い滝が現れる。F10mのようだ。F10m手前で谷は分岐する。左岸に取り付いて越す。「西中国山地」では右岸から巻いている。
最後の小滝を乗り越すと出会に出る。谷は左右に分岐する。左に進めば、台所原から恐羅漢山への登山道へ抜けるだろう。右の滝下まで詰めて、しぶきに当たりながら左岸から乗り越した。
山歩きのページ/山歩きの履歴/"K"さん
2005/05/14山行記
(Web作者にて一部改行を加えた)
- 2005/05/14
・二軒小屋から十方山林道を行き、水越峠を越えて細見谷に入る
・鋭角の屈折点からケンノジ谷に入り、広島島根県境尾根に登る
・尾根を乗り越してハゲノ谷を下り、広見林道の広見山登山口に至る
・ミチガ谷に入り、広見山分岐を左に分けてジョシのキビレに登る
・ジョシ谷をカメイ谷まで下る
・カメイ谷をどこまでもさかのぼり平太小屋原まで登る
・恐羅漢山からスキー場を経由して二軒小屋まで下る
参考:"のびへい"さん/のびへいの徘徊
(亀井谷奥橋から)気持ちの良い沢沿いの道を登る。33曲がりを過ぎ、沢沿いの道は徐々に荒れてくる。谷は左右に分かれ、奥へ進む。谷が現れ、左岸(進行方向右側)を高巻きして上に出る。あまり左へ行くと、台所原へ着きそうなので、滝の上から支尾根に乗る。コンパスで140度に固定し、ひたすら登る。ヤブの中を進むが、倒木と岩の重なりで進めペースはガックッと落ちる。地面を進むというより倒木の上をヤブをかき分け、浮きながら進む。
のびへいの徘徊/"のびへい"さん
2009/05/10山行記
(原文のまま)
- 2009/05/10
・奥亀井橋からカメイ谷に入る
・33曲がりを左に分けて、カメイ谷をひたすら遡上する
・平太小屋原まで登りつく
・恐羅漢山~台所原~33曲がりを経て、奥亀井橋に帰り着く