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ひろしま百山(私の踏み跡)>> 女鹿平山
2005年06月04日(土)、Iさん
沼長トロ山(及びA峯~D峯縦走)
(出発帰着:オセキガ峠北西)
はじめに
2005年06月04日(土)、 Iさん
沼長トロ山(およびA峯~D峯縦走)
(出発帰着:オセキガ峠北西)
再び"Iさん"のお誘いを受けて、沼長トロ山に登る。そしてそのまま、A峯~B峯~C峯~D峯と馬蹄形に縦走するつもりであった。 (沼長トロ山1014.4m、A峯1000m台、1023m、B峯970m台、C峯970m台、D峯970m台)
ところが・・・
参考資料の一つは、もちろん桑原良敏著「西中国山地」だ。同書p.118には、”(B峯)が重要な分岐峯で次のC峯へ下る”、あるいは、”山頂とB、C峯付近は樹林の中で展望皆無のため注意が必要”、といった記述がある。 そして、同ページには”沼長トロ山周辺”概念図が添えられている。
今回、我々は二人ともこの概念図のコピーとともに、もちろん二万五千分1地形図「野入」をいっしょに用意していた。それにもかかわらず、重要ポイントのB峯からさらに東へ直進して、二ノ谷と一ノ谷との間の尾根(980m台)に入ってしまい、以後少し余分な探検を強いられた。
原因の一つとして、B峯~C峯~D峯の位置を、しっかりと地形図にまで落とし込んではいなかったことがあげられる。また、どちらかというと、概念図を頼りに行動していた。ところが、肝腎の概念図に、ミスプリントいわゆる誤植があり、<B峯>の位置が誤って記載してあるということに気がつかなかったのだ。
「西中国山地」で、1023mとB峯が同じ位置にプロットしてあるのは明らかに間違いだ。B峯の位置は、同概念図でいえば1023m南東側の無印ピーク、すなわちC峯北側のピークとなる。
我々が本当のB峯に着いたとき、同概念図を取り出して、そこにプロットされている「B峯」の位置と取り違えてしまった。そのため、もう少し直進して次の名もないピークの分岐で尾根が分かれているというイメージで行動してしまった。コンパスでもう少し細かくチェックしていれば、東に振れすぎているということを感受できただろう。
いずれにしても、そのお陰で一ノ谷最源流部に下り、実際に沢に足を踏み入れることができた。また、全体を通して、植林よりも自然林(広葉樹)が圧倒的に多く、次々と現われるブナなどの大木を大いに楽しむことができた。
参考:
山歩きのページ/山歩きの履歴/"K" さん/沼長トロ山
沼長トロ山~A峯~023峯~B峯~C峯~D峯2004年09月23日
(ページ最下段にGPS軌跡あり)
今日のコース&コースタイム:
出発(23分)オセキガ峠(6分)登山口(21分)沼長トロ山
小計50分
沼長トロ山(37分)A峯(25分)展望岩場(6分)1023m
小計1時間32分(A峯6分、展望岩場18分を加える)
1023m(7分)B峯(推定5分)C峯(11分)D峯
小計24分(B峯1分を加える)
D峯(21分)沼ノ原(9分)林道(17分)オセキガ峠(20分)帰着
小計1時間09分(下山口2分を加える)
鉄塔探索、20分
B~Cルート探索、1時間04分とする
(実際の探索時間から、B~C間の正規通過タイムを5分として差し引く)
総合計6時間02分
(沼長トロ7分、1023m4分、D峯32分ほか全てを加える)
出発8:34-大向長者原線(拡幅、新設部分あり)-オセキガ峠8:57-左折(旧道砂利道)-取り付き9:02-950m台(送電鉄塔)9:09、9:18-取り付きまで戻る9:22-沼長トロ山取り付き9:23-940m台9:29-(コブ2~3個)~沼長トロ山9:44、9:51-鞍部9:53-1000m台9:56-小コブなだらか9:57-左手尾根道9:58、10:02-鞍部10:04-1000m台10:07-鞍部10:09-コブ(990m台)10:11、10:13、鞍部(ロクロ谷最上部)10:15、10:19-A峯(1000m台)10:28、10:34-小コブ10:36-鞍部10:39-1000m台北側10:41、10:44-1000m台10:45-鞍部10:47、10:51-小コブ10:54-(平坦)-展望岩場(1020m台最西端)10:59、11:17-1023m11:23、11:27-鞍部(二ノ谷最上部)11:31、11:33-B峯(970m台ベロ)11:34、11:35-(間違って東へ直進)-鞍部11:39-980m台(C峯と取り違える)11:45、11:52-(右手トラバース引き返す)-小尾根に乗る12:00、12:13-(南へ下る)-一ノ谷最上流部北側支流12:16、12:23-C峯(970m台)12:44-鞍部12:50-D峯(970m台)12:55、13:27-鞍部13:41-尾根13:42-小鞍部13:43-コブ(940m台)-沼ノ原13:48-林道(銅山線-新設)13:57、13:59-大向長者原線14:06-オセキガ峠14:16-帰着14:36
国道488号から回り込む
大向長者原線は現在工事中である。大向側には通行止め表示があり、どこまで入れるか分からない。そこで、少し引き返して国道488号線に入り、十方山林道入り口手前で右折して大向長者原線に入る。
未舗装で従来からある狭い林道を行くと、しばらくして鎖がかけられている。結局は、オセキガ峠のかなり手前で駐車することになった。
鎖の向こうではすでに拡幅工事が終わり、舗装作業に向けて木組みが設置されている。鎖を越え、その先の路面を傷めないように静かに歩く。途中左手に未舗装の林道があったように記憶している。二万五千分1地形図に表示はない。ただし、Web上の地図閲覧サービス(国土地理院)では表示されている。
水土保全林整備事業・大向長者原線(広島県)の平成16年度着工箇所は、すでに舗装作業が完了している。この道路を、十方山林道の取り付き道路として使用するもののようである。
オセキガ峠(お関の墓)
オセキガ峠の手前からは、りっぱな片側1車線の舗装道路となっている。峠にある"お関の墓"に手を合わせ、今日の山行きの無事を願う。このお墓は、長者原林道開設時に、一度約3m後方へ移転させられている。現在ある石碑(昭和56年10月30日設置)の裏面にはそのような意味のことが書いてある。なお、今回の拡幅工事では、お墓の反対側を広げたようである。
取付きを間違える
峠を越えるとすぐ左手に旧道がありそちらに入る。やがて取り付きと思われる山道があり登ると送電線鉄塔(950m台)で行き止まり。鉄塔巡視路(西島根幹線、No53)だったようだ。この送電線には50万ボルトの電流が流れており、北海道から九州までつながっている幹線の一つだという。
右手正面に沼長トロ山が大きい。今日予定の縦走路(A~1023m~B~C~D)はその後に完全に隠れている。ソフト上は、1023mが沼長トロ山の左裾に見えるかもしれないというが、写真にも写っていないようだ。
左手遠方に冠型の山が美しい。最初、吉和冠山と見たが、方角、形共に一致しない。結局は大神ヶ岳という結論になった。しかし、帰宅後カシミール展望図で検討すると、大神ヶ岳1177m手前にある千両山1175mだった。
沼長トロ山
いずれにしても取り付き口を間違えている。一旦林道まで引き返し、改めて50m先まで進むと、カーブの奥が少し開けた原っぱになっており、東側尾根に向けて踏み跡がついている。
沼長トロ山まではあっけなく到達した。最初の940m台までの急登をこなせば、後は2~3個のコブを越えて少しづつ登るだけだ。途中には小潅木が多く、大きな木は少ない。
山頂部は多少道が分かりにくい。山頂から縦走路を行くにしても、縦走路から山頂を経て下るにしても、地図とコンパスで角度を定める必要がある。なお、縦走路と上下道との角度はおおよそ90度である。
A峯(1,000m台)
A峯(1000m台)までは、<北>に向けてしっかりした踏み跡がある。途中で、右手にD峯を見たり、左手に千両山を見たりしながらゆったりと行く。左手下には二万五千分1地形図に記載のない林道がある。Web上の地図閲覧サービス(国土地理院)において、点線で表示された林道のようだ。ブルドーザーで削り取ったままのむきだし状態となっている。
A峯手前の鞍部から、左手にロクロ谷源流部の一つが落ちている。自然林の中に大木が点在しており美しい。A峯から細見谷の向こうに黒ダキ山、その左奥に十方山をみる。
A峯~1,023m
A峯から1023mまでは、細見谷渓谷右岸の壁の一部を構成している。A峯から南南東の方角に折り返して進み、鞍部でカナカナカナを聞きながら、次のピークをめざす。まっすぐ登って、1000m台ピークの北側(900m台)に登りついたようだ。ほんのしばらくの間、200度に向けて進み進路を修正する。すぐに1000m台ピークを越え、東側に進路を戻して下り鞍部に至る。樹間に黒ダキ山をみる。正面には十方尾根の1067mもみえる。
鞍部の先の小コブを越えると、小さな岩場が続くヤセ尾根となり、足元にはオオイワカガミ(花は終わり)が多く、両側は自然林で気持ちがよい。やがて展望岩場に着く。
展望岩場(1020m台最西端)からは、黒ダキ山の向こうに十方山をみる。その十方山の方角に向けて、細見谷上流部の向こうに、左奥から、五里山 1130m台、1158m、京ツカ山1129.7m、焼杉山1225.2m、さらに、旧羅漢山1334m、恐羅漢山1346.4m、砥石郷山 1177.0mが並び、所々折り重なって見える。
刈尾山~掛頭山が十方山左裾に見えるという。最初、恐羅漢山を刈尾山と見間違えていた。今日は刈尾山までは見えなかったようだ。
2005年11月01日訂正:
「刈尾山~掛頭山は、十方山南西尾根の向こうに隠れて見ることはできない」
1023mに至る。175度樹間に山を認める。山頂に白いものが見えるようだ。ここから先は、踏み跡をたどるのも難しくなる。尾根筋を外さないように行くのだが、尾根が微妙に分岐しており騙される。
道迷い
B峯(970m台)に至る手前の鞍部から、左手に二ノ谷が落ちている。鞍部の前後は荒れている。なんとかB峯に至りなおも進む。そして、鞍部を通り越してC峯(970m台)に着いたはずだった。しかし、”露岩があり目標となる「西中国山地」p.118”ようなものは何もない。
状況を確認しようにも、周りを樹木で囲まれほとんど見通しがきかない。左手から巻き込んで進むものと判断して、なおも前に進む。右手にはブナ、ブナ、ブナの連続である。足元に道はない。ブッシュを押し分けて進む。
やはりおかしい。もう少し右側だろう。斜面をトラバースして右へ移動し、小尾根に乗る。途中、マムシが逃げていった。右手をみると、沼長トロ山からA峯にかけての尾根が見えているようだ。これで間違いないだろう。 (リーダーは、沼長トロ山にしては距離が近すぎると感じたようだ)
どんどん下る。やはり納得がいかない。これだけの急傾斜をある程度の時間連続して下る箇所はないはずだ。とうとうきれいな水の流れている沢まで下りてしまった。さっそく谷の角度をはかる。320度くらいだ。 そのままコンパスを地形図の上に置いてみる。
該当する谷が、D峯(970m台)から922mに向けて流れる尾根の<北と南>にある。一ノ谷あるいはカワゴエ谷である。D峯を越えた位置(カワゴエ谷)まですでに来ているとは思えないが、いずれにしても、出発点に戻るためには、西側の尾根を越えて沼ノ原に下りる必要がある。
沢を右手に見下ろしながら、頭上に見える高みに向かって、やや沢側から巻き上げて、不明ピークに達する。さてどうするか。向こうの谷が沼ノ原だろうけれども、まだ上流部すぎるように感じる。もう一つ南西方向に行ってみることにする。なお、ここのピークには確かに露岩があり、後にC峯そのものだったと分かる。
先へ進むと赤テープがあり、踏み跡も分かるようになってきた。登りついたところで振り返ると、先ほどのピークの左奥(357度-磁北から)に大きなピークが見える。なんだか1023mみたいだな。それなら、先ほどのピークがC峯、今いるのがD峯で決まりだ。D峯から南側に向かって、右手と左手に分かれて尾根が延びているように見える。地形図のとおりだ。
余分に探検したルートを再検討する
二万五千分1地形図を改めて見直すと、1023mの<真南>にD峯がある。そして、1023m→B峯→C峯→D峯と移動するにつれて、ゆるやかにカーブを描きながら、南に方向転換をしているのが分かる。(沼長トロ山1014.4m、A峯1000m台、1023m、B峯970m台、C峯970m 台、D峯 970m台)
さて今日は、1023mから下ってきて、B峯(970m台)に至り、そこからそのまま直進して(やや<東>側に振れて) 、進むべき尾根とは別の尾根に下ってしまった。
そして、鞍部を一つ越えて登った最初のピーク(980m台)に着いた時、C峯(970m台)にしてはおかしいなと感じつつ、現在位置について今ひとつ確信が持てなくなった。
B峯からC峯を経てD峯に至るには、<南>向きに下らなければならない。そこで、半ば強引に<南>向きに下り、一本の沢に降り立った。ここに至って、現在位置を完全に把握できたわけではないが、概略は分かってきた。
おかしいと感じてから、進路を多少<西>側に修正したが、不十分だったようである。下ったのは、980m台から<南>に延びる小尾根であり、この小尾根からさらに右手(西側)にみた尾根こそ行くべき尾根(C峯~D峯)だったのだ。そして、沼長トロ山とみたピークはD峯であろう。
正規ルートに戻すため、一ノ谷最源流部北支流を右手に見下ろして、しゃにむに<北西>の方角に登った。そして、登りついたピークが、実はC峯(970m台)そのものだったと後で分かった。
D峯にて昼食
ここまでのルートを完全に把握し、納得して昼食とする。南側に植林があるものの、周りを自然林が囲んでいる。渡る風が少し冷たく、火照った身体に気持ちよい。”D峯で初めて女鹿平山を眺めることができる「西中国山地」p.118”については確認していない。
昼食後、沼ノ原に下る。D峯からカワゴエ谷右岸の尾根を行くと、”3つ目の鞍部より沼ノ原へ降りる小径がある「西中国山地」p.118”。鞍部で少し早めに下り始めたようだ。
しかし、ブッシュの中を難なく下りきる。沼ノ原からは、基本的には右岸の踏み跡を追っていく。ただし、川床を歩く箇所も多い。出口には、新設林道の銅山線があり、徒歩7分で大向長者原線に合流する。
ブナ林探索に加えてルート探索など、距離は短いが充実した山歩きであった。もちろん、山中では誰にも会わなかった。