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2006年08月20日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡) >> 恐羅漢山トップページ

2006年08月20日(日)、広島山稜会
恐羅漢山~(台所原)~管理林道~夏焼峠
(出発帰着:牛小屋高原)

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はじめに

2006年08月20日(日)、広島山稜会
牛小屋高原~恐羅漢山~(台所原)~管理林道~夏焼峠~牛小屋高原
(出発帰着:牛小屋高原)

"十方のおばちゃん"(広島山稜会元会長)から声がかかった。山稜会がパーティを出すので参加してみないかというのだ。一も二もなく手を上げた。故・桑原良敏著「西中国山地」溪水社(1997年復刻版)は私のバイブルだ。その山の会からのお誘いだ。断るはずがない。さらにお二人をお誘いしてご一緒しろと、お名前を伺ったがいずれもご都合が悪いとのこと。結局、私一人での参加となった。なお、山稜会と以前からつながりのある岡山県のパーティ8名も現地で合流した。こうして、山稜会4名と合わせて合計13名のパーティが出来上がった。なお、"十方のおばちゃん"は風邪気味で山小屋(ひえばた小屋)待機となる。

小雨がぱらつく中で、上下雨具でかためて歩き始める。時折気持ちのよい風が吹いてはくれるものの、かなり蒸し暑く汗の量が多い。ペースはまずまずだろう。恐羅漢山山頂まで1時間10分くらいだったろうか。今日は記録(時間、デジカメ)はいっさいとらず歩くことを楽しんだ。なおその後、雨はあがって上着、ズボンと順番に雨具を脱いでいった。午前10時前出発、午後3時半ごろ帰着。

恐羅漢山山頂で次弟に出会った。旧羅漢山の方から一人で現われて皆とあいさつをしている。先週、ほんとに久しぶりにいっしょに歩いて、十方山中の沢と尾根で苦労をしたばかりだ。二つ三つ情報を交わして別れた。もちろん誰も兄弟とは気づいていないはずだ。その他、今日は「細見谷と十方山林道」2006年版の編集・出版でお世話になった方とも出会った。そして、山のエキスパートであることを初めて知った。縁とは不思議なものである。

台所原のブナを楽しみながら下る。雨が降った後の下りは少し滑る。慎重に下った。山稜会トップを歩く方が、笛を絶えず鳴らしている。クマ除けのためだという。バレーボール競技で使用するもので、口で吹く必要はなく手で操作するものらしい。

台所原から南西の方向にある谷を少し見学してきた。今日のように恐羅漢山から台所原まで下りて、そのまま真っ直ぐ突っ切ると、中ノ川山から天杉山へ至る稜線に出る。以前そこを通ったとき、左折する踏み跡が深いササ藪の中についており気になっていた。だから、面白がって付いていった。行き着いた先は崖になっており、沢が見える位置まで下りたが、その先は13名のにわか混成部隊には少し荷が重そうだった。山稜会の方々の判断で引き返す。私にとってカメイ谷は未知の世界だ。そのうち行ってみようと思う。

下山後、山稜会の山小屋(ひえばた小屋)にお邪魔をしてコーヒーをご馳走になる。山小屋は広島山稜会発足当時に建てられたと聞いている。会のシンボルとして今後も存続されることを今日の機会をご縁に祈念いたします。今日はお誘いいただきほんとうにありがとうございます。

追伸:
恐羅漢山山頂からの展望は全くなかった。管理林道で、ヒヨドリバナにアサギマダラが群れていた。ほんとうにきれいな蝶だ。帰路は内黒峠を通った。恐羅漢山公園線の道路工事の状態は先週と同じであった。

参考:山本明正著「細見谷渓畔林と十方山林道」(2007年)p.160
「ひえばた小屋」は、広島山稜会発足から3年たった1962年(昭和37年)11月26日に落成式を迎えている。地元の方が所有する土地建物を買い取った上で、山小屋建設に要する資金及び労力のすべてを会員の方のみで賄ったものである。(一部表記書き変え)

"十方のおばちゃん"のお話では、建物の躯体そのものは、従来からのものをそのまま使っている、とのことである。(2013年2月ご逝去)