カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

大規模林道問題全国ネットワークの集い

1973年(昭和48)、森林開発公団(後の「緑資源」機構)は、林業の振興等を目的として全国に7つの林業圏域を設定しました。大規模林道(後の緑資源幹線林道)は、これらの林業圏域において、林道網の中核として位置付けられた林道のことです。大規模林道は、スーパー林道と同様に厳しい山岳地帯を通る道路であり、林道工事中や完成後に擁壁・路肩等の崩落が各地で起きています。

注:本稿は、山本明正著『細見谷渓畔林と十方山林道』自費出版(2007年)を電子書籍化する準備のために加筆修正しているものです。したがって、その背景は2007年当時のままとなっています。

大規模林道問題全国ネットワークの歩み

全国各地の大規模林道問題を考える地元諸団体が、全国的なネットワークを形成して活動を開始しました。それが大規模林道問題全国ネットワークです。

第1回大規模林道問題全国ネットワークの集いは、1993年6月26日~27日(平成5)に山形県長井市と白鷹町を会場にして開かれました。そして、1995年6月24日~25日(平成7)には、東京で全国大会(第3回)を開いています。

東京大会では、加藤彰紀・大規模林道問題全国ネットワーク事務局長を中心に準備が進められ、代表世話人には、大石武一・元環境庁長官などが名を連ねています。そして、1999年9月(平成11)には、大規模林道問題全国ネットワーク編『大規模林道はいらない』(緑風出版)を刊行しています。

2001年10月6日~7日(平成13)には、広島で第9回大会が開かれました。この時初めて、「森と水と土を考える会」が1990年5月(平成2)の結成以来訴え続けていた細見谷は、全国的なネットワークとつながりを持つようになったのです。

そして、広島大会の翌年から、植物に関しては、河野昭一・京大名誉教授を中心とした本格的調査が開始されました。金井塚務・広島フィールドミュージアム(当時、宮島自然史研究会)会長のツキノワグマをはじめとする哺乳類の調査も追って開始されています。

広島での2回目の大会(第14回大会)は、2006年6月10日~11日(平成18)に開かれ、全国から多くの方が参加しました。そして、細見谷現地観察会(10日)に続く夜の交流会では、私は何人かの方と名刺交換をして、その場で本書出版の意思を宣言しました。

翌日(11日)の集会では、『大規模林道はいらない』の共著者のほとんどの方やその他の方が登壇してお話をされました。また、藤原信・宇都宮大学名誉教授(1931年生)は、これを機に大規模林道問題全国ネットワーク代表委員を勇退することになりました。

葉山の自然を守る会(山形県)の場合

葉山の自然を守る会(原敬一代表)は、1986年3月(昭和61)の守る会結成以来12年にして、大規模林道・朝日~小国区間(真室川~小国線)の工事中止を勝ち取りました。そして、核心部分の白鷹工区(葉山)は廃止と決定しました。なお、第1回大規模林道問題全国ネットワークの集いは、山形県長井市と白鷹町で開かれました(1993年6月)。

同地の大規模林道建設予定地は、花崗岩が深層まで風化している地帯であり、真砂状の脆弱な地層は崩落しやすいとされています。1995年7月(平成7)には、大雨が原因で工事中の道路が約30mにわたって剥ぎ取られ、谷底に流出してしまいました。(下記写真:葉山の自然を守る会提供、略)

さらに、残工事を終了後廃止された区間で、集中豪雨による崩壊(2004年7月)があり、修復工事を行っています。建設中止によって全く利用価値のなくなった大規模林道が、自然破壊を誘発することによって、工事終了後も血税を必要とする状況が続いているのです。

なお、当地では2003年4月1日(平成15)に保護林の一つである森林生態系保護地域(朝日山地森林生態系保護地域69,954ha)が設定されました。フレデリック・ユーテック主任研究員(カーネギー自然史博物館)は、葉山ブナ林調査(河野昭一京大名誉教授)1996年にも参加しています。そして、「日本のブナ、特に山形、秋田の森は多様性があり、風格が全然違う」と述べています。葉山ブナ林は、クマタカ、イヌワシの舞う豊かな森でもあります。

1996年12月20日
大規模林道、朝日~小国区間を含む3区間で工事休止、林野庁公表

1997年11月28日
高橋和雄山形県知事が、高橋勲林野庁長官に要望書提出。

その内容は、白鷹工区は断念する(未開設部分の開発中止)。ただし、その代わりに、既設の黒鴨林道を代替ルートとして、あくまでも大規模林道を実現するために休止解除を求めたものでした。

1998年12月18日
大規模林道、朝日~小国区間、正式に中止となる(林野庁)

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

環境保全調査検討委員会(細見谷林道の拡幅舗装化をめぐって)

環境保全調査検討委員会は、既設・未舗装の十方山林道(細見谷林道)を拡幅舗装化することの是非をめぐる検討のため、緑資源機構によって2004年春(平成16)に設置された委員会です。

同機構は、その目的を「林道工事の実施に伴う影響の予測・評価及び保全措置を専門的、学術的な見地から検討を行うため」としています。

ところが、同検討委員会の中村慎吾座長は、検討委員会や意見聴取の会の席上で、「この委員会では林道の是非についての審議は任されていない」、「林道建設を前提とした検討委員会である」などと発言したため、環境NGOから抗議を受けています。

もちろん林野庁の見解では、「環境保全は困難と検討委員会が結論を出せば計画は中止」とされています。

注:「環境保全調査検討委員会」に関する各種やりとりは、書籍「細見谷と十方山林道」(2006年版)の中で全般にわたって記載されています。煩雑になることを避けるため、以下では該当ページの表記を省略した場合があります。

工事着手のゴーサイン出る(ただし付帯意見付き)

環境保全調査検討委員会(第9回)は、2005年11月28日(平成17)に緑資源機構の報告書(案)を承認しました。しかしながら、環境保全調査検討委員会は全員一致で結審したわけではありません。座長を含む委員5名のうち2名が付帯意見を提出しているのです。

そのうちの一人である波田善夫・岡山理科大学教授は、最終検討委員会に臨んで、委員会の調査精度やモニタリングなどに関する見解を示した文書を、各委員及び事務局に配布し声明を出そうとしました。ところが、座長による発言の許可が得られなかったそうです。そこで、資料を回収した上でやむなく口頭で発言をしました。その文書は、「細見谷と十方山林道」(2006年)波田p.7に収載されています。

なお、結審後の意見書提出が認められ、同委員も新たな文書を提出しました。そして、同意見書は評価調書の閲覧の際にも付属資料として縦覧されました。ところが、他日ある人が閲覧しようとしたところ、付属資料のコピーは拒否されたということです。あくまでも正式文書ではないという解釈なのでしょうか。

さて、平成18年度期中評価委員会(林野庁、後述)が、2006年8月18日(平成18)に結審しました。これら二つの委員会の結論に基いて、2006年11月21日(平成18)、二軒小屋~吉和西工事区間の吉和側及び二軒小屋側の拡幅部分の工事が着手されました。こうして、細見谷大規模林道工事がいよいよ始まることになったのです。

検討委員会の経緯

第1回目の委員会は、2004年6月4日(平成16)に開かれ、座長に中村慎吾・比婆科学教育振興会事務局長を選んでいます。そして、事務局(緑資源機構側)の提出した環境保全調査報告書(素案)について検討を開始しました。

当初委員会は、2004年8月末までに3回程度開催して結論(2005年度工事着工のGOサイン)を出す予定だったようです。しかし、委員会で異論が続出し、第2回目以降の開催は遅れ気味となりました。そして、第9回検討委員会(最終回)2005年11月28日(平成17)に至って、ようやく緑資源機構の報告書(案)を承認しました。

さて、初回委員会は非公開でしたが、第2回以降公開となっています。

第3回検討委員会終了後、一般から意見書提出を求める措置が取られ、合計32件の意見書が提出されました(提出期間2004年12月2日~12月22日)。2005年2月5日(平成17)には、意見聴取会が開かれ、一般市民にも陳述の機会が与えられました。

これに対して市民の側から、意見書(32件)の公開や意見聴取会の議事録公開を求める要望、あるいは、中村慎吾座長の議事運営方法等に対して抗議がなされ、緑資源機構との間で数度のやり取りが行われました。

第4回検討委員会(2005年2月28日)傍聴者から、同委員会議題に意見聴取(2月5日開催)が入っていないことに疑問を呈する公開質問状が提出されました。この件に関して、機構側の回答を不服として合計3度のやり取りが行われました。

第6回検討委員会傍聴人有志によって、「ツキノワグマについての公開要望書」(2005年6月4日付け)が提出されています。しかしながら、最終回(第9回)まで、この要望書については聞き入れられませんでした。

環境NGOの活躍

「森と水と土を考える会」は、十方山林道問題に初期のころから一貫して取り組んでいます。その成果として、”渓畔林部分は拡幅しない”という方針を再確認させ、また環境保全調査検討委員会の設置に影響力を与えたと言えます。同会では現在でも、自前で植物関係を中心に現地調査を続け、緑資源機構に対して情報提供・質問・要望を繰り返し行っています。

2005年には、特に”林道新設部分”について調査を行いました。そこには豊富な樹種の巨樹が林立しており、林床では貴重種(絶滅危惧種)が数多く見られました。渓畔林部分同様、ここもまた植生豊かな地域であることが分かってきたのです。林道の新設によって、これらの植物が大きなダメージを受けることは確実と思われます。

また、植物以外の大きな問題点として、十方山林道の”地盤の脆弱さ”があげられています。それにもかかわらず、緑資源機構ではきちんとした地質調査は行っていません。そして、環境保全検討委員会に地質の専門家は一人も加わっていません。

宮本隆實・古川耕三の両名は、自らの調査結果「細見谷地域十方山林道周辺の地質」(日本地質学会発表及び林野庁提出済)を踏まえて、道路改変への評価を行い、また後日、検討委員会に地質の専門家を加えることなどの要望を行いました。

両名の出した結論は、「現林道に新設、拡幅、舗装を行わず、地滑りなどの危険箇所に安全対策を施して利用することが、道路の安定性の確保及びコスト面から考えて最善である」というものでした。しかし、機構側は、〈地表地質調査については、本委員会の検討対象とはしていません〉としか回答していません。

結局、地質の専門家は、だれ一人として環境保全検討委員会に加わることはありませんでした。

環境保全フォローアップ調査計画

2006年10月5日(平成18)に、緑資源幹線林道大朝・鹿野線戸河内・吉和区間(二軒小屋・吉和西工事区間)環境保全フォローアップ調査計画が公表されました(緑資源機構広島地方建設部発)。調査の目的は次のとおりだそうです。

「環境保全フォローアップ調査は、事業の実施が環境に及ぼす影響を十分把握し、環境保全調査において予測された事項の検証等を行うとともに、自然環境の保全のための措置の効果等を確認し、その結果を踏まえ、必要に応じて適切な措置を講ずることにより、事業の実施が環境に及ぼす影響を最小限に抑えることを目的とする」。

“環境保全フォローアップ調査”なるものは、第7回検討委員会(2005年7月10日)で提唱されました。工事を行いながら、それと並行して工事の施工中、施工後の環境への影響調査を行うという説明でした。

しかしながら、環境保全調査検討委員会(付帯意見)や期中評価委員会(後述)は、事前の調査不足を厳しく指摘しています。工事前の基礎となるデータが不足しているならば、工事が環境に与える影響を計ろうにも正しい評価ができるはずはありません。つまり、さらなる事前調査データの蓄積が求められていることに変わりはないのです。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

費用対効果、1.02(細見谷林道問題)

林野公共事業の評価結果及び実施方針(平成18年度)

廿日市市では、戸河内・吉和区間の経緯(廿日市市ホームページ内、緑資源幹線林道事業 戸河内・吉和区間)No.13で、次のような文章を掲載しています。「緑資源」幹線林道事業期中評価委員会の議事録を基にしたものでしょう。

〈必要性〉

大朝・鹿野線周辺は、豊富な森林資源を有し、間伐等保育を必要とする林分が多いこと、また、広島県、山口県等地元関係者からの早期完成の要望が強いことから、事業の必要性が認められる。

〈効率性〉

コスト縮減に努めているほか、現在着手中の区間について費用対効果分析を試行した結果、費用以上の効果が見込まれることから、事業の効率性が認められる。

総便益(B)13,918,000,000円、総費用(C)13,640,000,000円

分析結果(B/C) 1.02

〈有効性〉

森林整備の促進、林業・林産業の振興のほか、ワサビ栽培等地域産業の振興及び地域住民の生活道、災害時の迂回路、観光施設へのアクセス道としての機能が期待されることから、事業の有効性が認められる。

〈事業の実施方針〉

(1)吉和側、二軒小屋側の拡幅部分については、環境保全に配慮しつつ工事を進めることとし、

(2)渓畔林部分及び新設部分については、地元の学識経験者等の意見を聴取しつつ引き続き環境調査等を実施して環境保全対策を検討した後、改めて当該部分の取り扱いを緑資源幹線林道事業期中評価委員会に諮った上で決定することとする。

費用対効果分析結果、1.02

ここでは特に、「費用対効果」分析試行結果について考えてみることにしましょう。

緑資源幹線林道の「戸河内・吉和区間」では、136億4千万円の費用をかけて、139億1千8百万円の効果が得られるとしている(費用対効果1.02)。費用を効果がたとえわずかでも上回っているので、工事をするメリットはあるというわけです。しかし、裏を返せば、要するに費用対効果はトントンだ、と言っているにすぎません。

林野庁では、「公共事業における事前評価マニュアル」(平成12年度)を作成しており、期中評価の費用対効果分析(事前評価)については、このマニュアルを準用しています。そして、緑資源幹線林道の期中評価自体は路線全体で評価するが、費用対効果(B/C)は区間ごとに試算する。その算出方法は、総便益を総費用で割って求める、となっています。

便益としては、次の8つがあげられています。

・木材生産等便益
・森林整備経費縮減等便益
・一般交通便益
・森林の総合利用便益
・災害等軽減便益
・維持管理費縮減便益
・山村環境整備便益
・その他の便益

たとえば、戸河内・吉和区間(戸河内~吉和西)では、”森林の総合利用便益”の数字が他区間に比べて非常に大きくなっています。区間の一部(城根~二軒小屋工事区間)完成によって、恐羅漢山スキー場へ九州から大型バスが入ることができるようになったためです。

事務局の説明では、今までのスキー場利用実績である年間8万人に対して、九州からの大型観光バス255台(昨年実績)分の推定利用者8千人が増加したためとしています。

その他、便益の考え方では一般的には受け入れがたい算定方法がとられています。投資額を便益として見込むことが行われているのです。たとえば、”その他の便益”の中に、通行安全確保便益という項目があり、ガードレールやカーブミラーなどの安全施設の設置に関する投資分を、走行安全が確保できる便益として認めています。

こうしたこともあって、通常はB/Cの値1.5前後をもって、はじめて便益が費用を上回るとされているようです。

戸河内・吉和区間(二つの工事区間あり)の費用対効果は1.02であり、その数字は区間全体を平均したものです。そこで、もしも完成部分(城根~二軒小屋工事区間)の方が未完成部分(二軒小屋~吉和西工事区間)よりも便益が高いならば、未完成部分すなわち十方山林道(細見谷林道)整備計画の便益は、区間平均1.02を割り込んで、マイナスになる可能性も出てきます。

費用対効果(B/C)の算定を、よりきめ細かく「工事区間」単位で実施すべきと考えます。さらには、渓畔林部分と新設部分に限った費用対効果を算定したらどうなるのでしょうか。ぜひとも算定結果を知りたいものです。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

住民投票を実現する会(廿日市市・細見谷林道問題)

住民投票を実現する会(署名活動)

2006年8月18日(平成18)、奇しくも第4回期中評価委員会(最終回)開催と同じ日に、「廿日市市における細見谷林道工事の是非を問う住民投票条例制定」について審議するための臨時市議会が開かれました。

これは「廿日市市における細見谷林道工事の是非を問う住民投票条例制定請求」(直接請求)の署名活動(代表・金井塚務、事務局長・高木恭代)の結果を受けて開かれたものです。

残念ながら、住民投票条例案は7対24で否決されたため、住民投票は行われないことになりました。つまり、最終的に市民の意思を示す機会は失われたことになります。

しかしながら、物理的な限界(署名期間わずか1か月)があるにもかかわらず、有効署名7,867(署名総数8,053、無効186)、すなわち廿日市市の有権者数94,776人(2006年6月2日現在)の8.30%の有効署名が集まったことの意義は大きいものがあります。なお、必要署名数は有権者数の2.0%(1,896人)でした。

参考:地方自治第74条「政令の定めるところにより、選挙権を有する者の50分の1以上の連署をもって、その代表者から、普通地方公共団体の長に対し、条例の制定又は改廃の請求をすることができる」

5月13日、「細見谷大規模林道建設の是非を問う住民投票を実現する会」発足
5月20日、受任者ガイダンス(署名の集め方)
5月23日、住民投票条例制定請求代表者証明書交付申請(市選管)
5月25日、同証明書交付(署名開始)
5月27日、統一行動(署名活動・街頭宣伝活動・受任者ガイダンス等)
6月25日、署名締め切り
6月30日、署名簿提出(市選管)
この間、署名簿の審査、縦覧
7月31日、本請求提出
8月18日、住民投票条例制定について審議するための臨時市議会

廿日市市の対応

廿日市市では、工事着手予定として、2006年9月現在ホームページ上で次のように公表している。「緑資源幹線林道 大朝・鹿野線 戸河内・吉和区間(二軒小屋・吉和西工事区間)、平成18年度吉和西側3.7キロと二軒小屋側3.8キロの拡幅部分の一部に工事着手予定」(2006年11月21日、実際に着手。しかし、2008年3月20日現在ホームページの記載変更無し)。

また同ページでは、戸河内・吉和区間の経緯をまとめたリスト(13項目)を作成しており、そのNo.12で、上記「期中評価委員会の意見」(戸河内・吉和区間)における廿日市市関連部分を転載している。その際に、”事業を継続”することが適当、”環境保全に配慮しつつ工事を進める”として、””内の2点を太文字表記している。

しかしながら、上記「中国新聞」(社説)で述べているポイントの「渓畔林部分及び新設部分については、地元の学識経験者等の意見を聴取しつつ引き続き環境調査等を実施して環境保全策を検討した後、改めて当該部分の取り扱いを緑資源幹線林道事業期中評価委員会において審議する」という部分については、何ら特別な表記はしてはいません。

なお、その一つ前の項目(No.11)では、「廿日市市議会で、直接請求による細見谷林道工事の是非を問う住民投票条例案を審議、7対24の反対多数で住民投票条例案は否決された」として、”住民投票条例案は否決”の部分を太文字で表記しています。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

旅する巨人・宮本常一、雪の細見谷を行く

十方山林道(細見谷林道)は、広島・島根県境尾根の広島県側にある谷(細見谷)を通っています。そして、県境尾根の向こう側(島根県)にも谷(広見谷)があります。戦前あるいは江戸時代から、この安芸・石見国は国境尾根のボーギのキビレ(横川越)で結ばれていました。その昔には、双方の村が分担を決め、それぞれ責任を持って草刈りなどをして、踏み跡を維持していたものと考えられます。

旅する巨人・宮本常一が、戦前の1939年11月30日(昭和14年)、雪の中を細見谷(広島県)から広見谷(島根県)に抜けています。その時通ったのも、ボーギのキビレ(横川越)です。十方山林道の建設は戦後のことであり、当然、十方山林道のできる前の話です。

宮本常一著作集25『村里を行く』

この時の紀行文は、『村里を行く』三国書房(1943年)として、その他数編と一緒にまとめて出版されています。現在では、未来社版の宮本常一著作集25『村里を行く』(1977年)で読むことができます。

ボーギのキビレ越え当日分は、そのうちの「土と共に」(pp.141-231)の一項である「雪の峠」(pp.210-212)が該当しています。桑原良敏は、その”雪の峠”について、以下のような書き出しに続けてその大部分を引用しています。

「宮本常一氏は、昭和十四年十一月三十日に横川二軒小屋より水越峠とこの県境の峠を越えて広見へ抜けている。氏の著書「村里を行く」に次のように書かれている。・・・(宮本常一著作集25未来社版より)」。(桑原良敏『西中国山地』(1997年復刊版)溪水社p.79)

宮本常一は、雪の中を苦労しながら進んでいます。(以下、宮本常一著作集25未来社版pp.210-211から引用)

—以下引用、ここから—

横川の谷は東北から西南へくい込んでいる。(一部略)
横川から奥、古屋敷、二軒小屋などをすぎて行く。(一部略)
雪は次第に深くなった。(一部略)
村をはずれると雪が急に深くなった。(一部略)
雪の中に杖をたててみると一尺ばかりはある。(一部略)

二軒小屋のはずれから峠の頂上までは十〇町ばかり、それが峠というほどの坂ではなくて平坦に近い谷間の道なのだから、雪がなければ無造作に越えられるのである。今朝ほどからどうしてもこの峠をこえてみたいと思ったのは峠の名にひかれたからで、傍示峠というのがその名である。傍示というのは境のことで、関西一円に今も未だ用いられている。そしてこれを地名とするところも多い。この傍示は山県郡と佐伯郡の境を指しているものであろう。(一部略)

ようやくにして峠の上に立った。そこからしばらく下り、また登るのである。あたりは栃、楢、欅などの密林で、道は僅かに足をふみたてるほどのものである。雪はもう二尺もあった。(一部略)

峠から次の峠まで二時間もかかったであろう。(後略)

—以上引用、ここまで—

紀行文では、以下、広見谷側(島根県)の記述が続きます。県境尾根の向こうにも集落があり、踏み跡のあったことが分かります。

水越峠と横川越(ボーギのキビレ)

紀行文に出てくる最初の峠は水越峠(広島県内の山県郡と佐伯郡の境)のことであり、次の峠が横川越(ボーギのキビレ、広島・島根県境)です。水越峠のことを傍示峠としているのは、宮本の思い違いと思われます。

桑原はそのことについて、広島・島根県境の峠のことを「横川の人が〈ボーギのキビレ〉と呼んでいる」のを聞いて、広島県の山県郡と佐伯郡の境の峠(水越峠)のことを「〈傍示峠〉と一般化したのであろう」としています。

なお、横川越(ボーギのキビレ)については、益田市(島根県)在住のクマ研究家である田中幾太郎さん(元中学校の理科教師)が高校1年生の時(昭和29年、1954年)、博物学の先生に連れられて初めて細見谷(広島県)に入ったルートとして、私たちは何回も興味深いお話を聞いています。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

細見谷大規模林道工事[二軒小屋~水越峠~渓畔林まで(拡幅部分)]

二軒小屋から渓畔林の起点に至る部分(計画延長3.8km)

・既設林道(幅員3~4m)を利用して、幅員5.0m(車道幅員4.0m)

十方山林道の基点は、二軒小屋(にけんごや、標高約800m)です。そこから、南西方向の水越峠(標高約990m)を目指して、横川川(よこごう~がわ)の左岸に沿って登ります。その間、距離約3kmに対して、標高差は200m以下です。

水越峠を越えてしばらく下ると、細見谷川(源流部)と接するようになります。そして、そのまま細見谷川の右岸沿いに下ると、林道はやがて細見谷渓畔林の中を行くようになります。

二軒小屋目指して大規模林道を行く

十方山林道の始点である二軒小屋は、恐羅漢山の麓にあります。その二軒小屋に至るには、大規模林道(城根・二軒小屋工事区間)が完成する前は、広島県道252号(恐羅漢公園線、戸河内~内黒峠~二軒小屋)を行くのが一般的でした。

広島県道252号を行く

県道252号経由で二軒小屋に至るには、まず、中国縦貫自動車道(戸河内インター)から、国道191号を三段峡方面に向かいます。やがて、安芸太田町戸河内にある町役場前を通過します。しばらくして、太田川合流点付近の信号を左折した所にある明神橋で柴木川を渡ります。そして、すぐに右折すれば広島県道252号に入ります。そのまま坂道を登れば、最高点の内黒峠(標高約990m)に達し、そこを乗り越して下れば二軒小屋です。

なおここで、明神橋で柴木川を渡った後、右折せずに、そのまま真っすぐ行く別の道路があります。

県道296号です。この県道は、十方山南東側の太田川左岸沿いを行き、吉和に通じています。途中で打梨(那須集落入口)などを通り、立岩貯水池(十方山南尾根登山口)を経て、立野キャンプ場の横を通り、最後は吉和盆地に至り国道186号と接します。

参考:私の山行記(1)

私は、2001年11月11日(平成13)に初めて十方山に登りました(立岩貯水池~南尾根コース)。内黒峠から十方山へ登ったのは、2003年5月24日が初めてです(内黒峠コース)。その時は、復路で途中から藤本新道に入り、一旦二軒小屋に下りました。そして、県道252号(恐羅漢公園線)を歩いて内黒峠まで登り返したのです。なお、内黒峠コースには、途中で那須集落から登ってくる道が合流しています(2006年7月15日)。

ところで、この県道252号(恐羅漢公園線)には、融雪ロードヒーターが設置してあり積雪期の通行の手助けをしていました。しかし、しばらく前から機能を停止しているようです。二軒小屋へ至るには、県道よりも道幅の広い大規模林道(緑資源幹線林道)を利用してほしい、ということなのでしょう。

大規模林道を行く

その大規模林道の入口は小板にあります。先ほどの明神橋の信号で左折せず真っすぐ行き、国道191号をさらに益田(島根県)方面へと向かいます。深入山を右手に見て小板まで行き、左折して大規模林道に入ります。

小板には、「恐羅漢、大型車可、左折10km」のきれいな道路標識があるので間違えることはないでしょう。また、りっぱな縦看板があり次のように書いてあります。

― 森林・山村振興への架け橋 ―
大規模林道(戸河内・吉和区間)整備促進を!
吉和村・戸河内村、大規模林業圏開発推進広島県協議会

小板(城根)は、大規模林道(戸河内~(二軒小屋)~吉和区間)の国道191号側始点に当たっています。そして、そのうちの城根~二軒小屋工事区間(11.1km)は、既に2004年(平成16年)12月に完成しています。したがって、小板で左折してりっぱな大規模林道を行けば、迷うことなく二軒小屋に到達します。

しかし、この大規模林道では、法面や谷筋の崩落が頻繁に起こっており、完成後も工事を繰り返しています。当然通行止めとなることもあります。山岳地帯を行く大規模林道は、完成後地元に移管してからが大変なのです。

地元の意向とは

二軒小屋に着くと、そこには横断幕があり「緑資源幹線林道の早期完成を!!」と書いてあります。大規模林道戸河内受益者組合・横川自治会のもので、「自然に向かい合い、自然を守っているのは私たち横川の住民です」とも書いてあります。

確かに、横川の人たちがこの辺りの登山道を整備したり、二軒小屋から内黒峠~十方山縦走路(丸子頭1236.2m北東付近)に至る藤本新道を新設(1999年)したりしてくれているはずです。いつも感謝の気持で入山させていただいています。

ところで、〈まぼろしの大規模林道工事推進67,000名署名〉というものがあります。緑資源特定森林圏整備推進広島県協議会という団体が集めたとされるもので、工事推進根拠の一つとなっている署名です。日本熊森協会ホームページ上では、この件に関する問い合わせの結果を公表しています(2006年5月18日付け)。

それによると、署名を受け取ったとされる「廿日市市と緑資源公団広島地方建設部」の回答は、「署名をいただいたことは事実ですが、保存していません」。また、林野庁の回答は、「署名などの文書は、保存期間は1年です。もう、処分しました」となっています。そして、署名を行った団体はすでに解散してしまったということです。

旧・吉和村の人口800人台、旧・戸河内町の人口約3,200人である。その他大勢の賛同者63,000人は、どの地域のどのような立場の人たちであったのでしょうか。今となっては真相は全く闇の中となり、工事推進という掛け声だけが一人歩きをしています。

吉和村(旧・広島県佐伯郡)は、2003年3月1日(平成15)、同県廿日市市と合併して廿日市市吉和となりました。つまりその時から、廿日市市は大規模林道問題の当事者となったのです。

廿日市市と旧・吉和村の合併建設計画には、大規模林道関連の事業は記載されていません。林道整備計画は国の事業ですから、市(町)村レベルにおいて、記載がなくても当然のことなのかもしれません。

いずれにしても、吉和村議会で、大規模林道整備計画促進の決議がなされたことは確かです。それを受けて廿日市市長は、「細見谷での大規模林道工事推進は合併時の約束事である」との発言を繰り返しています。

二軒小屋から荒れた林道を行く

2006年5月5日(平成18)、長男と二軒小屋(標高約800m)側から十方山林道に入った際に、水越峠(標高約990m)の前後で約30cm程度の残雪を踏んで歩きました。この冬は特に大雪だったようです。二軒小屋付近で積雪3mとも言われています。

さて、二軒小屋から歩き始めてすぐに舗装が切れて地道になると、表面の土が雪解け水で流されて、ガラガラの小石が頭を出しています。極めて歩きにくい状態です。この5日前の4月30日、反対側の吉和西から入ってスギなどかなりの倒木を見ており、雪の影響が大きかったことは分かっていました。それにしてもひどい荒れ方です。

しばらく歩くと、一軒屋があり屋根がずり落ちています。冬の間中屋根に積もった雪の重みで柱も傾いているようです。それでも再建に向けて人の手が入っています(この夏中、ご主人が手入れをされていました)。

なお、この家は今では別荘的に利用されているものであり、いわゆる民家は十方山林道上には一軒もありません。注:この家は後年火事を出し取り壊されました。後にこの家のすぐ先まで舗装が完了しました。二軒小屋から300mくらいの地点です。

さてその後、この年(2006年)中の工事着手に向けて、この家のあたりまで土が入れられたので非常に歩きやすくなりました。つまり、わずかな手当てをするだけで、十方山林道(幅員3~4m)に4トントラックを通すことなぞ造作もないことなのです。

多くの人たちの話を総合すると、十方山林道はここ10年、20年くらいの間にかなり荒れてきたようです。以前は、乗用車でも十分走行可能であったそうです。それが現在では、四輪駆動車でも持て余す状態となっています。大規模林道工事をにらんで、あまり手入れがされてこなかったのかもしれません。

小型サンショウウオ観察地点

水越峠手前で林道が蛇行している地点があり、左手に十方山登山口(シシガ谷コース)、そのすぐ先の右手に恐羅漢山登山口(旧羅漢山~恐羅漢山)が並んでいます。

水越峠を越えて少し下ると、再び林道が大きく蛇行している箇所があります。そこのケンノジ谷(標高約960m)にコンクリート製の橋(9号橋)が架かっており、私はそこで2002年8月(平成14)に初めて小型サンショウウオを見ました。(「小型サンショウウオのこと」参照)

小型サンショウウオは、このケンノジ谷あたりから渓畔林部分の全般にわたって、十方山林道沿いの小谷で見ることができます。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』pp.33-39)

最初(2002年8月10日)の小型サンショウウオ観察会&調査では、私は妻と孫二人を連れて参加しました。そして2006年5月5日、残雪の中を、末っ子長男と初めて一緒に十方山林道を歩きました(前述)。彼がバイクで雪の林道を走破しようとして敗退した後で、一緒に歩いてみたいと言ってきたのでした。その時もケンノジ谷で小型サンショウウオを見ました。しばらくして、その彼に初めての子どもが生まれた。

参考:私の山行記(2)

あるグループに特別参加して、水越峠近くの恐羅漢山登山口から広島・島根県境尾根に取り付いて、残雪の中で焼杉山三等三角点(点名・村杉、標高1225.1m)を見つけたことがあります(2012年4月15日)。

下山後、点の記を閲覧すると、三角点の周りに目標となる三本の木(樹種名あり)が記されています。

融雪後の焼杉山三角点の様子を観察したくて、長男を誘い、今度は雪の消えたケンノジ谷から広島・島根県境尾根に取り付きました。しかし、登り着いた山頂部のだだっ広いササ原の中で、現在位置に確信が持てなくなり、往路下山しました(2012年5月27日)。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

細見谷大規模林道工事[渓畔林部分(原則拡幅なし)]

渓畔林部分(計画延長4.6km)

・原則として既設林道の拡幅はしない(車道幅員3.0m)
・原則として大径木は伐採しない

二軒小屋から水越峠(標高約990m)を越えて少し下ります。さらにコンクリート橋を三つ(9号橋、8号橋そして7号橋)越えてしばらく行くと、スギがポツポツと生えている地点があり、いよいよ渓畔林部分に入って行きます。

渓畔林の範囲は、7号橋のやや下流(標高940m前後)から、6号橋(トリゴエ谷、標高770m前後)下流のカネヤン原(上ノ谷、標高754m表示)あたりまでとされています。渓畔林部分の長さ約5km前後に対して、その間の標高差は200m程度に過ぎず、ゆったりと歩ける勾配になっています。

細見谷の渓谷植生(特定植物群落)

「緑資源」幹線林道戸河内・吉和区間(大朝・鹿野線)は、もともと西中国山地の自然豊かな地域を貫いて走る林道です。したがって、自然環境保全基礎調査(通称「緑の国勢調査」)の対象となるような地域が含まれることは避けられません。

実際に確認してみると、「特定植物群落」として、「三段峡の渓谷植生」(城根・二軒小屋工事区間)と「細見谷の渓谷植生」(二軒小屋・吉和西工事区間)の二か所が選定されています。いずれも選定基準=A自然林、つまり最高のランクです。

「細見谷の渓谷植生」(特定植物群落)の始点は、9号橋付近(標高960m)となっています。そしてその範囲には、そこから十方山林道沿いに少し下ったところの細見谷「渓畔林」部分と、そのさらに先で、細見谷川がほぼ直角に曲がって流れる細見谷「渓谷」部分の両方が含まれています。

ところが、その位置図(生育地図)を確認すると、「渓畔林」部分が削除されてしまっていることが分かりました。つまり、大規模林道の予定ルートに当たる細見谷渓畔林を含む地域が、群落の指定範囲から除外されているのです。(三段峡でも同様のことが行われています)

日本生態学会では、こうした広島県による専門家の調査結果を無視したやり方に対して、遺憾の意を表明しています。(「「細見谷の渓谷植生」調査と人材育成」参照)

舗装するだけで林道脇の植生は破壊される

渓畔林に入ると、林道両側から高木層の枝葉が覆いかぶさり、林道上で日の光を浴びることはほとんどありません。そして、未舗装林道沿いの草地や林縁には数多くの植物が生育しています。1953年(昭和28年)完成の十方山林道は、今ではほぼ完全に自然の一部として溶け込んでいます。

林道沿いの植生について考える

ここで、「渓畔林部分(車道幅員3m)は舗装のみで拡幅せず」となっている点について、もう少し考えてみましょう。

河野昭一・京大名誉教授(植物学)は、十方山林道における植物相及び細見谷渓畔林の植物群落調査の結果について、次のように述べています。

「確認した植物の多くが、林道沿い(道端)の草地や林縁にも生育し、渓畔林のマント・ソデ群落の重要な構成要素となっている。従って、林道工事が進められるならば、これらの貴重な植物群落と希少種の生育地とが直接的に破壊されることは明らかである」。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』河野・米澤p.11)

そこに掲載されている写真の説明文は、「極めて多様性に富み、貴重種も確認された十方山林道の道端の植生:特に夏季は大半の部分でA~B間(林道両端の生育地の間=筆者注)が3m以下になり、拡幅の有無に関わらず舗装だけで植生は確実に破壊される」となっています。

ここで、私にとって疑問点が一つあります。

それは、十方山林道そのものは、約50年前に新設された林道である、という事実から生じる問題です。林道がない状態、すなわち50年以上前の渓畔林には、「林道沿いの植生」というものは存在しなかったはずだからです。十方山林道における「林道沿いの植生」の位置付けについては、今後の勉強課題としておきたいと思います。

水生昆虫のことなど

いずれにせよ、林道の舗装工事は、植物に限らず水生昆虫、陸生貝類、両生類・は虫類など、林道脇の湿地で暮らす生物たちにとっても大打撃となるでしょう。

水生昆虫といえば、『細見谷と十方山林道(2006年版)』編集時のことを思い出します。

編集も大詰めを迎えた2006年4月(平成18)になって、細見谷におけるカワゲラ目とトビケラ目のデータを竹門康弘助教授(京都大学防災研究所水資源環境研究センター)からご提供いただきました。このような生の調査データを扱わせていただいていいのだろうかと感激しながら、Excel(表計算ソフト)を使って編集用にまとめることができたことに感謝しています。

最近になって、研究成果の一つとして、竹門助教授から調査依頼を受けた井上栄壮(信州大・繊維学部)氏による「水性昆虫の生息状況からみた細見谷の特徴とその貴重性」と題する研究発表(2007年3月20日)が行われました(第54回日本生態学会松山大会)。

細見谷の水生昆虫相の特徴として、種構成の特異性及び種多様性の高さが挙げられるそうです。この水生昆虫こそ、細見谷渓畔林の生物多様性を根底から支えているといってよいでしょう。

両氏の専門であるユスリカ科の調査結果については、現在学術誌への投稿を検討中とのこと、今後の論文掲載が楽しみです。

林道下の伏流水は命水

十方山林道上には、晴れの日でもいつも水たまりができています。細見谷川(渓畔林)に向けて、両側の山からたえず水が流れ落ちているためです。梅雨時ともなれば、雨上がりの日でも林道上を川のように勢いよく水が流れています。

夏になると、林道上のあちこちの水たまりで、十数頭のミヤマカラスアゲハがそろって吸水活動をしているのを見ることができます。

山側から流れ落ちる水は、林道下を伏流水として通り抜けています。あるいは、林道上を流れる水は、それらの水みちを断ち切られたものが、あふれ出しているのかもしれません。

いずれにせよ、「十方山林道の水越峠の下流4km以内の渓畔林において、その渓畔林沿いの林道下には山地斜面からの伏流水がいたるところで流入し、林道下50cm以浅を通過して渓畔林に豊かな伏流水を供給していることが判明」しています。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』中根・田上p.31)

十方山林道の舗装化工事では、大がかりな地盤の掘削はしないことになっているそうです。しかし、それでも35~40cm程度は掘り下げて路盤作りをしなければいけないようです(後述)。そうすると、地下の水みちを完全に遮断してしまう可能性が出てきます。

林道の地盤支持力は極めて弱い

十方山林道の「路床支持力(CRB)はおおむね2」ということが、第5回検討委員会で話題に上っていたようです。

路床支持力とは、地盤の強さのことで、最も軟弱な0から非常に強固な12までの段階で表します。十方山林道の2は、非常に脆弱な地盤ということを意味しています。そうした場所に道路を作るには、まず第一に、しっかりとした路盤作りから始めなければなりません。

それにもかかわらず、「機構の説明では、透水性を確保するために、大がかりな地盤の掘削はせず、25センチの下部路盤の上に10センチの厚さに砕石を敷き、その上に5センチほどの透水性舗装を施すだけ」だけだといいます。(「細見谷に大規模林道はいらない」2006年8月10日付け)

このような路盤の上に作られる透水性舗装道路の耐久性は確保できるのでしょうか。さらに、透水性舗装道路が車道に適用された例はあるのでしょうか。車が頻繁に通っても大丈夫なのでしょうか。

多孔質の構造をした道路は、繰り返される高速洗浄や冬場の凍結にどこまで耐えられるのでしょうか。透水性舗装道路の耐久性に関して、あまりにも多くの疑問点が残っています。

細見谷林道工事(二軒小屋~吉和西工事区間)の大部分は、廿日市市内で行われます。つまり、完成後の大規模林道の大半は廿日市市に移管されることにななります。透水性舗装道路の維持管理費はどのくらいの額になるのでしょうか。その他、もろもろの経費・手段等も含めて、廿日市市当局の説明には「環境保全措置」に対する透明性が求められています。

待避所設置は林道拡幅と同じこと

何度も繰り返すことになりますが、〈渓畔林部分(車道幅員3m)は舗装のみで拡幅せず〉となっています。当然ながら、対向車同士の離合はできません。そこで、林道上に適度な間隔(約140mごと)で待避箇所を設けることになっています。これでは、林道を拡幅するのと同じではないでしょうか。大切な道路両端の植生や小動物のすみかは完全に破壊されてしまうことでしょう。

また、待避所を設けるために高木層が切り倒されるならば、日の光が直接地面にまで達するようになり、渓畔林内の温度が上昇することが懸念されます。加えて、多量の排気ガスの影響も心配です。しかしながら、これらの伐採によってどのような影響が出るかは、まだよく分かっていません。

十方山林道の要所

下山橋

十方山林道をさらに下ると、下山橋(標高880m前後)に至ります。そこから、下山林道が南に向って十方山〈南西〉尾根を登っています。この下山林道は、計画では下山橋(十方山林道)と立野キャンプ場(細見谷渓谷の下流部)を結ぶ予定だったようです。

しかしながら、工事は両端から進められたものの途中で廃止となりました。したがって、今現在の下山林道は、下山橋から延びる下山林道(今でも車走行可能)と、立野キャンプ場から細見谷〈渓谷〉左岸沿いを行く下山林道(廃道)の二つの部分に分かれて残っています。(「下山林道の建設」参照)

参考:私の山行記(3)

二軒小屋から十方山林道を下山橋まで行き、そこから下山林道に入り、十方山〈南西尾根〉をバーのキビレで乗り越して、セト谷に入ったことがあります。その時はその後で、今度は十方山〈南尾根〉(立岩貯水池のそばに登山口あり)に取り付き、そのまま十方山山頂~シシガ谷コース~十方山林道経由で二軒小屋まで帰り着きました。(次弟同行、2006年8月13日)

十方山林道から分岐する下山林道を登り、十方山南西尾根に乗って南西に行くと、黒ダキ山(1084.8m)に至る分岐があります。そこを左折して黒ダキ山を通り、細見谷渓谷沿いの下山林道に下り、立野キャンプ場に至ることができます。

私が初めて立野キャンプ場から黒ダキ山に登ったのは、インターネットで知り合ったIさんとの初めての同行登山でした。(2005年5月14日)

マゴクロウ谷など

下山橋から十方山林道をさらに少し下った地点(右手)にマゴクロウ谷がある。この谷を登れば、広島・島根県境尾根(横川越、ボーギのキビレ)です。

戦前の宮本常一は、二軒小屋から水越峠を越えて細見谷川沿いに下りました。そしてマゴクロウ谷を登り、県境尾根を乗り越して、広見谷(島根県側)に向けてオオアカ谷を下ったものと思われます。(前述)

もちろん、まだ十方山林道はできていない時代のことです。ただしその頃は、広島・島根両県の村人が管理するしっかりとした踏み跡があったはずです。

十方山林道をさらに下ると、6号橋(林道上の標高786mを西に回りこんだ地点)があり、その先右手にトリゴエ谷(標高770m前後)があります。トリゴエ谷を詰めると、京ツカ山1129.6m(広島・島根県境尾根)に登ることができるようです。山向こうの島根県側には、ジョシ谷やコアカ谷があります。

参考:私の山行記(4)

私には、インターネットで知り合った山友達が何人かいます。その中のお一人が主宰するグループに特別参加させていただき、広島・島根県境尾根を中心に数回ご一緒したことがあります。

その第一回目の山行(2008年4月12日)が、京ツカ山でした。島根県側の広見林道からコアカ谷を登り、県境尾根を西向きに少し行って、京ツカ山三等三角点(点名・中尾)を見つけることができました。多少コースは異なるものの、往路下山しました。

実はこの時の予定は、十方山林道~マゴクロウ谷~ボーギのキビレ(県境尾根)~京ツカ山でした。しかし、降雨後のマゴクロウ谷の水量を考えて回避したのです。

マゴクロウ谷を登るチャンスは1年半後に訪れました。同じグループで、十方山林道~マゴクロウ谷~ボーギのキビレ(県境尾根)を登ることができました(2009年11月15日、コースは多少異なるが往路下山)。同年6月20日、単独でマゴクロウ谷に取り付いて横川越(ボーギのキビレ)を目指し、あえなく途中敗退していただけにうれしい山行でした。

ワサビ田

十方山林道沿いには、ワサビ田がいくつかあります。いずれもここ数年のうちに再開されたものばかりで、まだ出荷量はほとんどない状態のようです。

林道上の標高824m地点の東側対岸にあるものは、オバコ谷の清流を利用したもので、さらに、もう二か所、こちらはいずれも林道右岸上部にあります。長者原下ノ谷(林道上の標高830m台)と、カネヤン原(標高754m表示)の少し上流にあるノブスマ谷(林道上の標高770m台)のものです。

これらワサビ田の面積はそれ程大きなものではありません。今後、産業として成り立つ規模に育てるとするならば、どの程度の栽培面積を必要とするのでしょうか。十方山林道沿いに、それだけ開墾できる場所があるのでしょうか。吉和地区全体における現在の収穫量と比較しながら、きちんとした数値が示されるべきと考えます。

カネヤン原

6号橋(トリゴエ谷、標高770m前後)からやや下ると、カネヤン原(上ノ谷、標高754m表示)です。

カネヤン原には営林署の作業小屋跡があり、外来種のオオハンゴンソウが辺り一面にはびこっています。これだけで、かつてこの辺りに人が住んでいたことが分かろうというものです。

カネヤン原は、新設道路の取り付き予定場所となっています。ところが、そこには落葉広葉樹の大木がたくさんあります。そして、動物たちの憩いの場となっていることが、最近の調査で分かってきました。(「七曲(新設部分)」参照)

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

細見谷大規模林道工事[七曲(新設部分)]

新設部分(計画延長1.1km)

渓畔林の終点から、屈折した既設林道部分を避けて、再び既設林道に至る部分(1.1km)
・幅員4m(車道幅員3.0m)

細見谷林道工事では、カネヤン原の営林署作業小屋跡(標高750m台)と、2号橋(標高820m台)下方の屈折点手前(同じく、標高820m台)を結ぶショートカット道を新設する予定になっています。

七曲(廃道予定)

十方山林道は、カネヤン原(上ノ谷、標高754m表示)、5号橋(カネヤン原中ノ谷、標高約750m)を過ぎてなおも南西方向に、細見谷川右岸に沿って下ります。そして、最下点(標高約730m)から少し登って、標高740m台の地点に至ります。

そこには、細見谷川側に小丘が残っており、その上に祠(山の神)があります。山での安全を願って林業関係者が設置したものと思われます。

細見谷川は、祠の下でほぼ直角に曲がり、東南東方向の細見谷渓谷へ流れ込みます。これに対して、十方山林道は、祠(山の神)から曲がりくねりながら高度をかせぎ、北西方向の2号橋(標高820m台)に至ります。2号橋はこの付近で最も北の地点となっています。この付近のことを、通称「七曲(ななまがり)」と言っています。

2号橋に至る途中の4号橋(標高750m台)、続いて3号橋(標高780m台)では、2号橋(標高820m台)を通って落ちる同じ谷(スキヤドウ)を渡って、曲がりくねりながらゆっくりと登っていきます。3号橋では、吉和側の押ヶ峠(標高890m台)に至る林道部分と最も接近しており、ほとんどその真下を通過します。

この七曲部分は、作業車の登坂能力を考えて、断層をうまく避けて造られていると評価されています。

参考:私の山行記(5)

祠(山の神)の横を下って、細見谷川に降りることができます。そこから下流の立野キャンプ場付近までがいわゆる細見谷〈渓谷〉です。私は良きパートナー(Haさん)を得て、この細見谷〈渓谷〉を、立野キャンプ場から祠(山の神)まで2回遡上したことがあります。(2009年8月23日、2010年8月22日)

七曲では二つの断層が交差している

この項と次節の「新設部分~押ヶ峠~吉和西(拡幅部分)」では、現地観察会(2003年6月29日)その他を踏まえて、地質について私なりにまとめてみました。

現地観察会の講師は、宮本隆実・広島大学助教授(地質学)と古川耕三さん(地質学会会員)のお二人です。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』古川・宮本pp.8-10)

細見谷(渓畔林のある部分)は、広島県内に多く見られる北東―南西系の断層に沿って発達した谷の一つです。この断層に対して、通称「七曲」付近では、西北西―東南東系の断層が交差しています。このため、地盤が著しい「ゆるみ」状態に達しており脆弱化しています。

STOP5

祠のある付近で山側(STOP5)をみると、断層を確認することができます。泥質岩(左)とチャート(右)だということです。チャートとは、海洋底で放散虫などに含まれるSiO2(二酸化珪素)が固まったものです。

STOP4

3号橋わずか下方で山側(STOP4)を見ると、主断層を確認することができます。北東―南西方向に幾本か平行して走る広島県の断層の一つです。流紋岩(白亜紀)と泥質岩(ジュラ紀)がぶつかっているもので、活断層かどうかまでは確認されていません。

新設部分(2号橋~カネヤン原)

大規模林道工事では、2号橋下方の屈折点手前(標高820m台)辺りから、カネヤン原の営林署作業小屋跡(標高750m台)に向けて、ショートカット道を新設することになっています。

地質の専門家によれば、できる限り平坦な部分を使って、うまく線を引いているとのことです。なお、現地観察会(2003年6月29日)配布の新設予定道路(推定)と比べると、多少ルート変更がなされているようです。

しかし、実際に現地を歩いてみると(2006年4月30日)、二万五千分1地形図(国土地理院)における標高表示(10mごと)では表われてこない細かな起伏があり、予想よりもハードな山歩きとなってしまいました。

カネヤン原の中ノ谷や上ノ谷は、V字谷よりも傾斜のきついY字谷となっています。計画では、これらの区間は、橋梁処理でなくヒューム管処理をするということです。この辺りから土砂が流れ落ちれば、細見谷川下流部の細見谷渓谷まで達する可能性があります。日本百名谷の一つ「細見谷渓谷」が埋まってしまうことはないのでしょうか。

カネヤン原は動物たちの楽園

新設予定ルートを、2号橋の方からカネヤン原に向って下る途中では、いくつかの谷(沢)を渡り尾根を越えていきます。ほとんどスギ植林帯となっているこの地域は、従来は植物学的な興味を引く場所とは考えられていませんでした。しかし、その林床は植物の宝庫であることが、ここ1~2年の調査で明らかになってきています。

2号橋から新設予定ルート沿いに下りて来て、カネヤン原上部の最後の尾根に立つと、それまでの暗い針葉樹林帯から目の前がぱっと開けて、明るい落葉広葉樹の林をみることができます。そして、この場所は、ツキノワグマなどの動物たちにとって恰好の採餌場となっています。さらに、最近ではアナグマ(緑資源機構の調査では未確認の哺乳類)も見つかっています。

金井塚務は、この場所について次のように説明しています。

「渓畔林入り口付近、かつて造林小屋があったところのほど近く(カネヤン原)は緑資源幹線林道の新設が計画されているところである。このあたりは、マユミの巨木やシデ(アカシデ・クマシデ)の古樹に混じって、ヤマザクラ、ミズキ、アズキナシ、ウラジロノキなど液果が実る樹種が多いのが特徴となっている」。(「細見谷に大規模林道はいらない」2006年7月6日付け)

期中評価委員会の現地調査(2006年6月28日)でも、この場所は話題になったようです。そして、2006年11月、カネヤン原付近の林道中央部では、新しいセンター杭が下流部に向けて何本か打ち込まれていました。マユミの大木がある落葉広葉樹林帯を避けて、「新設部分の設計が変更された」のかもしれません。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

クマは十方山・細見谷の王様

2016年(平成28)、全国各地でクマの出没が相次いでいる。その範囲は、里山のみならず市街地にまで及んでいる。クマの生息域で何が起こっているのであろうか。私は既に10年前、自著『細見谷渓畔林と十方山林道』(2007年10月刊)で以下のようなまとめを書いている。

クマは、西中国山地(広島・島根・山口県境尾根及びその周辺地域)にある十方山・細見谷の王様である。細見谷ではニホンツキノワグマが食物連鎖の頂点にいる。そのツキノワグマの現状と将来について、金井塚務(2006)は次のように述べている。

「西中国山地のツキノワグマの生息域は年々拡大の傾向を示し、現在もその傾向は続いている。これは個体数の増大を反映したものではなく、生息密度の低下に伴う分散で、本来の生息域の環境悪化が原因と考えられる。こうした傾向が続くと、繁殖の出会いの機会が減少し、個体群は衰退の一途をたどることになる」。

日本列島の動物たちは、いつ頃大陸からやってきたのか

分子系統学と化石の記録を突き合わせて研究する

現在日本にいる動物は、いつ頃どういうルートを通って、大陸から渡ってきたのだろうか。当然ながら、それぞれの渡来の時期には、何らかの形で大陸と日本列島(あるいはその祖形)が陸続きであったはずである。そして、動物といっしょに人類も渡ってきたことであろう。

小澤智生・名古屋大学理学部地球環境科学専攻教授は、以下の方法を用いて、日本の動物相の起源や現在の生物相について研究をすすめている。(以下、「」内引用)

「私は2つの方法を用いて研究をしてきました。1つは、分子系統解析です。分子系統解析というのは、DNAの塩基配列データに基づいて、お互いの生物の個体、集団、種の間の関係と、それらの系統と分岐時期を明らかにする方法です」。

「もう1つが、化石の記録です。化石の記録というのは「いつの時代に、どこに、どういう生物がいたのか」という実際の記録です。このような2つの異なる意味合いの情報を統合して、日本の動物相の起源や現在の生物相がどのように成り立ってきたのかということについて研究してきました」。(引用ここまで、末尾参考文献参照)

 ニホンツキノワグマは約200万年前に大陸から別れて、既に独立した種となっている

小澤によれば、「ツキノワグマは西はイラン高原からカシミール、インドシナ、チベット、中国南部、台湾、中国東北部から沿海州、そして日本列島にいたる8つの地域集団(分類学的に8亜種)から構成され」るという。

小澤は、ツキノワグマ集団について遺伝的解析をおこなっている。その結果、「ツキノワグマは約200万年前に共通の祖先から分かれた2群があり、1つは大陸に残っている大陸亜種集団、もう1つは日本にいるニホンツキノワグマです。ニホンツキノワグマは東日本集団と遺伝的に個性の異なる西日本集団に2分化されています。これは恐らく異なる時期に渡ってきたものです。現在では形態的な違いも踏まえて、ニホンツキノワグマを亜種ではなく独立した種にすべき」との考えを示している。

日本産ツキノワグマと大陸産のそれでは、たてがみの様子や頭蓋の形状が異なっており、大陸産ツキノワグマは、ヒマラヤグマあるいはアジアクロクマとも呼ばれている。

日本国内のツキノワグマ分布

全国のツキノワグマの分布状況をみると、東北から関東・中部そして近畿の山地にかけて、ほぼ連続した分布域が認められる。分布の中心は、東北地方の岩手、山形、秋田3県と中部地方の長野、岐阜両県である。

近畿地方の比良山地や丹波山地など日本海側に面した山地における分布域は、兵庫、岡山、鳥取の県境付近まで広がる。そして、そこが東北地方からの連続分布域の西限となっている。

本州ではその他、紀伊山地と西中国山地に隔離された孤立分布域が存在する。四国の地域個体群は、現在では剣山(つるぎさん)山系(徳島・高知県境)だけに分布域が縮小している。その推定生息頭数は十数頭から数十頭であり、繁殖は確認されているものの、このままでは絶滅の可能性が高いと考えられている。また、九州ではすでに絶滅したとされている。

上記の地域個体群は、いずれも環境省レッドデータブックの「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定され、狩猟は禁止されている。(全国の推定生息頭数1万~1万5千頭、捕獲数1,000~1,500頭/年)

西中国山地のツキノワグマ(孤立分布する地域個体群)

『吉和村誌・第1集』p.112には、「クマについては、中国山地では、1959年、14頭が確認され、内備北山地3頭、芸北山地6頭、石見山地5頭」と書かれている。ここで確認の意味は、目撃したのみなのか捕獲数を表わすのかはっきりしないけれども、いずれにしても昭和30年代半ばには、クマが山里にでることは少なく、したがって、一般住民がクマと接触する機会は非常に少なかったものと思われる。

しかしながら、西中国山地のツキノワグマ個体群は、近年生息域を拡大しつつある。そして今では、里山に居ついたかと思われるようなクマ(平成クマ、田中幾太郎さん命名)まで現われるようになり、それに伴って、クマ捕獲数(駆除数)は増大している。広島・島根・山口3県について、その数値を年度別にまとめると次のようになる(中国新聞各種記事より)。

  • 2002年度:捕獲139頭(駆除129)
  • 2003年度:捕獲47頭(駆除36)
  • 2004年度:捕獲260頭(駆除233)
  • 2005年度:捕獲32頭(駆除17)
  • 2006年度:捕獲249(駆除205)

西中国山地におけるツキノワグマ生息状況に関する新しい調査結果が、西中国山地ツキノワグマ保護管理対策協議会(広島・島根・山口3県)から公表されている。(2006年6月6日付け「中国新聞」地域ニュース)

それによると、2004年と2005年の調査において、推定生息数300~740頭(1998年~1999年、推定480±200頭)、生息エリア約7千平方km(同、約5千平方km)、最高密度地域では3.4平方km/頭(同、3.2平方km/頭)となっている。6年前と比べて、個体数は微増、生息エリアは約1.4倍に拡散している。

なお、ここでいう西中国山地とは、広島・島根・山口3県境付近を中心として、西は山口市の西部から、東の広島・島根・鳥取県境に至る地域を含んでいる。そして、新たな生息域に下松市が加わり、周南市や大田市などでエリアの拡大が目立った、としている。

クマの大出没と大量捕殺

2004年度は、全国的にクマが大出没して社会問題化した年であった。広島・島根・山口3県では260頭が捕獲され、放獣27頭を除いて233頭が駆除(殺処分232頭、動物園1頭)されている。2005年はクマの出没は少なく、駆除数も3県で17頭が確認されたのみであった。しかしながら、この4年間(2002~2005年度)の駆除数415頭という数値は、推定生息頭数の中央値である520頭に近いものとなっている。

2006年度は、捕獲249(駆除205)であった。したがって、この3年間(2004~2006年度)の駆除数は455頭となる。これまた推定生息頭数にせまる数値となっている。

推定生息頭数とは、限られた条件のなかで割り出されたものであり、一応の目安として取り扱われるべき数値であるとはいうものの、3~4年間で生息頭数に近い数のクマを捕りつくしたとすれば、やはり大変な数であることは間違いない。

ツキノワグマが繁殖可能となる年齢については、「一九八三年に秋田県が出した報告書によると、雌は三歳で繁殖可能なものもいるが、ふつうは四歳で初産となる。また雄でも三歳から可能になり始め、一般には四歳から繁殖能力を有する」という。(『山でクマと会う方法』pp.111-112)

参考までに、広島・島根・山口3県における除去頭数の上限目安値は、年間52頭(推定生息頭数中央値の1割)とされている。計算上は、推定生息頭数520頭と同数のクマを10年間で獲るということになる。

なお、ツキノワグマの場合、絶滅を回避できる個体数(最少存続可能個体数MVP:minimum viable population)は100頭以上とされている。西中国山地のクマは今後どうなるのであろうか。

細見谷渓畔林のツキノワグマ

細見谷渓畔林では、大量捕殺の年(2004年)に越冬したクマが複数確認されている。そして、2005年9月にはクマの当歳仔が定点観測カメラによって捉えられた。繁殖の確実な証拠であり、同渓畔林の豊かさを示したものといえよう。とはいうものの、細見谷においても大量捕殺のダメージは大きく、クマの痕跡は大幅に減少し、定点カメラが捉えるのは小型の若い個体ばかりだという。

それでもなおかつ、「比較的生産性が豊かな細見谷渓畔林は、西中国山地のツキノワグマ個体群の保全にとってきわめて重要な位置にあり、同渓畔林の多様性保全は西中国山地に生息する個体群復活のキーポイントとなる」。(『細見谷と十方山林道(2006年版)』金井塚務p.21)

クマ問題に関する私の考え方の変化

このページは、山本明正『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

そしてその内容は、自費出版『細見谷渓畔林と十方山林道』(2007年10月)をほぼそのまま電子化したものとなっています。

それに対して、現在の私のクマに関する認識は、下記電子書籍のとおり変化しています。
山本明正『クマは人を食うか~日本列島1万頭のクマはどこへ行く~』アマゾンKindle版(最新版2017/12/10刷)

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

細見谷渓畔林をラムサール条約登録地に

「細見谷をラムサール条約登録地に」(連続学習会・第1回)2003年3月1日で、私は講師の金井塚務(当時・宮島自然史研究会、現・広島フィールドミュージアム)会長、そして花輪伸一氏(WWFジャパン)のお話を聞き、また後日主催者を通じて補講を受けながら、Web上で次のような文章をまとめていた。参考までに載せておこう。

「今までの登録地(湿地)をみると、湿原、干潟、あるいは湖沼などに限られており、細見谷のような渓畔林(水辺林)の登録は未だ世界的に前例がない。細見谷の条約登録は、「湿地の保全と賢い利用」について、新たな具体的事例を世界に先駆けて示すものになるだろう。

それは細見谷にとっての利益であるばかりでなく、条約の理念と概念の拡大、すなわちラムサール条約そのものの価値を高めるという大きなメリットを持っており、非常に意義のあること、やりがいのあること、面白いことであるといえよう」。

ラムサール条約とは

ラムサール条約の正式名称(和訳)は、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」である。1971年にラムサール(イランの首都テヘランの北、カスピ海沿岸)という小さな町で採択された条約で、特定の生態系を扱う地球規模の環境条約としては唯一のものである。

日本は1980年に条約締約国となっており、その際に、釧路湿原(北海道)を条約湿地に登録している。

ラムサール条約の根本理念は、「湿地(ウェットランド、wet land)における生物多様性の保全」と、その「賢明な利用(ワイズユース、wise use)」にある。条約では〈生態系の自然特性を変化させない方法で、人間のために湿地を持続的に利用すること〉を求めている。

ラムサール条約における「湿地の定義」

私が、ラムサール条約という言葉を初めて意識したのは、2003年のことである。この年、「細見谷渓畔林をラムサール条約登録地に」をテーマとした連続3回の学習会が開かれ、私なりに勉強をさせていただいた。その後、2005年にはラムサール条約の対象が拡大され、日本国内の条約湿地は、13湿地から33湿地へと一気に3倍近く増加している。

外務省ホームページ(ラムサール条約の項)で確認すると、同条約における「湿地」の定義は、次のようになっている。

ラムサール条約における「湿地」の定義(第1条1):この条約の適用上、湿地とは、天然のものであるか人工のものであるか、永続的なものであるか一時的なものであるかを問わず、更には水が滞っているか流れているか、淡水であるか汽水であるか鹹水(かんすい、注:塩水のこと)であるかを問わず、沼沢地、湿原、泥炭地又は水域をいい、低潮時における水深が6メートルを超えない海域を含む。

「湿地」の要件が、たとえば、〈自然に成立したもの〉からそれ以外のものまで拡大されているようである。細見谷渓畔林の重要な要素が「水」であることは間違いない。問題は、それが「湿地」という概念に当てはまるかどうかであろう。

細見谷渓畔林は湿地帯

細見谷渓畔林は湿地帯だと中根周歩はいう。どういう意味なのだろうか。『細見谷と十方山林道(2002年版)』の中から、「森林生態学からみた渓畔林の重要性-渓畔は水循環の心臓部である」と題するコラムを読んでみよう。(同書、中根周歩pp.56-59)

「渓畔というのは、出てきた水が河川に流れ込む、ちょうど境界(エコトーン)なんですね。表層を流れる水だけでなく、地下を通る水(基底流)も、渓畔では湧き水としてでてきます。河川が底になって、岩盤に近いところですからどうしても水が湧いてくる。渓畔は上(山体)から来る水と河川水のバランスで保たれた湿地帯として存在しています。十方山林道の渓畔林は傾斜が非常に緩いので、水溜りや湿地がたくさんできています」。

中根は続けて、「渓畔の水溜りやなだらかな渓流は、そこに棲んでいる魚類にとってとても大切な場所」であることや、「(渓畔が)森林-河川の水循環において、干潟と同じような役目を担って」いること等を述べている。

ラムサール条約の対象湿地拡大

条約湿地がいっきょに増加した背景について、外務省ホームページ(ラムサール条約の項)は次のように説明している。(以下、「」内引用、2007年当時閲覧)

「きっかけとなったのは、2005年までに条約湿地数を少なくとも2,000か所にするという第7回締約国会議(1999年)決議である。この決議を受けて、環境省が中心となり、我が国の重要な湿地のリストである「日本の重要湿地500」の中から専門家による検討を経て候補地を選定し、自治体等との調整を行った結果、2005年10月に新たに20湿地が条約湿地として指定され、同年11月8日にその全てが同条約の登録簿に掲載された。これにより、我が国の条約湿地数は合計で33か所となった」。

「また、我が国は、従来は水鳥の生息地を主な対象として登録を行ってきたが、今回の登録に際しては我が国を代表する多様なタイプの湿地を登録するとの方針のもと、マングローブ林、サンゴ礁、地下水系、さらには水田を含む沼地、アカウミガメの産卵地などこれまであまり登録されてこなかった形態の湿地を条約湿地に指定した。このような我が国の取組に対する条約事務局及び他の締約国からの評価は高い」。(引用ここまで)

細見谷渓畔林をラムサール条約登録地に

細見谷渓畔林は条約湿地としては未だに認められていない。「日本の重要湿地500」にも入っていない。当日の花輪伸一氏のお話を私の責任においてまとめると、ラムサール条約登録に向けて条件が整うためには、以下のようなステップを踏む必要があるという。

「条約登録のメリット、ディメリットについて、利用者のみならず地元地域住民、利害関係者にとって納得のいく説明をすること。その基礎資料として学術調査による裏付けが必要となる。それらを広報することによって地域住民の合意を得ることが最も大切である。そこから行政へ国へと跳ね上げることによって、国内法による湿地保全の担保が得られたとき初めて登録が可能となる」。

細見谷渓畔林の規模は、決して大きくはない(幅100~200m、長さ5km前後)。しかし、水と生物をテーマにした自然環境として、将来に残すべき第一級の景観であることは間違いない。私は、細見谷に通い始めたころ聞いたラムサール条約という言葉の響きを忘れることはできない。ラムサール条約における「湿地」の定義拡大の意義、及び細見谷渓畔林をラムサール条約登録地にすることの妥当性については、私なりに今後とも考え続けてゆきたいと思っている。

広島県のラムサール条約登録湿地とミヤジマトンボ

広島県のラムサール条約登録湿地には、宮島(廿日市市宮島町)がある(2012年7月登録)。宮島(厳島)南西部の沿岸域(4か所)にある登録湿地(湿地のタイプ:砂浜海岸、塩性湿地、河川)は、海と流路でつながる「潮汐湿地」と呼ばれる特殊な環境下にある。

つまり、満潮時には海水が流入して汽水域となり、干潮時には干潟が出現して、後背林から供給される淡水が表面を流れる。そこでは、ヒトモトススキが繁茂し、ミヤジマトンボが生息している。ミヤジマトンボは、宮島と香港のみに生息する世界的な希少種である。(参考:ラムサール条約登録湿地関係市町村会議ホームページ)

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

十方山・細見谷の現地観察会(エコツーリズム)

エコツーリズム(現地観察会)は、自然を破壊することなく、自然の価値を見出すことのできる行為であり、自然の賢明な利用方法の一つとして非常に有用と考えられる。

私は、2003年5月4日(平成15)、十方山・細見谷で現地観察会に参加した。主催は「廿日市・自然を考える会」(代表・高木恭代さん)で、講師は広島フィールドミュージアム会長・金井塚務さん、副会長・杉島洋さんである。

この時は、「細見谷をラムサール条約登録地に(連続学習会・第2回)」参加者を優先するというので、4月26日の学習会終了後直ちに参加申込みを行い、金井塚会長から希望日の割り振り(5月4日、5日、6日)や当日集合時間及び注意事項の説明を受ける。弁当持参、長袖長ズボン長靴着用。なお5月5日はNHKの取材があり、翌6日夕方に放映された。

以下、次回の勉強会のための参考資料として求められ提出したレポートである。書籍収載に当たって、小見出しの追加と句読点の見直しなどを行った。さらに電子書籍化の準備のため、本ページでは用字用語の見直しを行った。ただし、ほんの一部手をつけていない箇所もある。

湿地がささえる細見谷渓畔林の豊かな自然

ラムサール条約では、ただ単に湿地を保全するということだけではなく、その賢明な利用(wise use)が求められている。すなわち、生態系の自然特性を変化させない方法で、人間のために湿地を持続的に利用することが求められる。

細見谷渓畔林の豊かな自然は、多様な生物がお互いにかかわり合いながら長年月にわたって築き上げてきたものである。食物連鎖と置き換えてもよいそれらの関係、何が何をいつどのように食べているのかは実はまだあまりはっきりしていない。豊かな自然を守るためには基礎的なデータが必要である。

この森を動物がどのように利用しているのかは、これから何年にもわたって(あるいは何世代にもわたって)観察を続けることで初めて分かってくることである。このような大きなタイムスパンでの定点観測こそ、フィールドミュージアム(野外博物館)の目的の一つである。これは大学の研究室ではできないことである(金井塚会長談)。

エコツーリズム

そのようなフィールドミュージアムが指導する現地観察会(エコツーリズム)は、自然を破壊することなく価値を見出すことのできる行為であり、賢明な利用の一つの方法として非常に有用である。

当日は連休中とあってかなりの車が現地へ入っていた。キャンピングカーで泊まり掛けの人もいるほどである。オーバーユース状態といってよい。こうしたいわゆるアウトドア派のように自然の中でただ単に過ごすだけではなく、観察会は豊かな自然の営みを肌で実感することのできる上質の香り漂うレクリエーションといえよう。

適切な指導者と適切な人数の参加者がいることによって、より多くの目で自然を観察することができる。それだけ発見も多くなる。そのような参加者は、フィールドミュージアム運営のよき理解者(サポーター)として双方に利益をもたらす存在となるだろう。もちろん「細見谷をラムサール条約登録地に」運動では、ともに手を携えて歩む仲間でありたい。

次回の勉強会は6月予定、そして観察会は夏と秋、条件さえ許せば冬も考えていただけるとのことである。実に楽しい。

クマのすむ森へ向う

9時30分吉和集合、配車後直ちに十方山林道に入り現地に向かう。11時前に現地到着(十方山林道の吉和西入り口から9km地点)。細見谷川左岸に流れ込む小さな清流に沿って少し登り、隣の少し大きな沢を下るコースで約2時間の観察。昼食後、十方山林道を下山橋(11km地点)まで移動して、下山林道で1時間少々の観察、3時くらいに現地を出発、4時過ぎに吉和にて解散。

国道488号から十方山林道に入り、最高点を超えたあたりで十方山を望む地点がある。山頂近くまで人工林(針葉樹)で覆われている様子がよく分かる。細見谷渓畔林は、実は細見谷川に沿って幅100mくらいしか残っていないのである。

針葉樹の生産性は低い。もし植林前の環境(広葉樹林帯)では細見谷川に豊富な栄養素が流れ込み、サケ類(動物性たんぱく質)が豊富でそれをクマが食べていたとすれば、生息可能なクマの個体数は今よりも多かったはずだ。そのような環境が破壊されたことによって、しかたなく町へ出て行かざるを得ないクマが増えたとも考えられる。

細見谷の王様、ツキノワグマ

観察会第1ポイントで細見谷川の左岸に渡る。本流に流れ込む清流の水温は常に一定で10度Cくらい、街中の冬の水道水くらいの温度である。ここでハコネサンショウウオと再会した。餌となるえび類、カワゲラの幼生?も同時に見つける。このサンショウウオもまた別の生物に食べられる。こうした食物連鎖の頂点にいるのがこの森ではクマである。

ブナやホオノキの木肌に残るクマの爪あと

細見谷の王様はクマである。今日もクマの痕跡をたくさん見た。現地に着いて車を降りるとブナの大木がある。そこにはクマの爪痕が付いている。幅8cm、それほど大型のクマではないという。クマは木登りがうまい。ブナの花芽を食べるために登ったのであろう。

山に入ると、ホオノキの大木がある。白い肌が美しい。そこにクマがかじって樹脂を吸った跡が付いている。両手でしっかりと樹木を抱え込んで座り込み、かじったものと考えられる。爪痕が付いている。かじり跡は新しいものやそれがすでに修復されたものが2か所、薬として食べているのであろうか。

キツツキのドラミングが聞こえる。縄張りを主張しているのだ。おそらくアカゲラであろう(杉島副会長)。

クマはブナの花芽をたべる

そろそろ昼食にしようかというとき、参加者が大きなクマのふんを発見する。繊維質の中にブナの花芽が幾つか残っている。クマは確かにブナの花芽を食べるということが分かる。実はこの事実は最近分かったことで、別の観察会でやはり一般参加者が見つけたのだという。

後日注:この件は、マタギや古くからのクマ研究家にとっては、周知の事実だったようだ。(「落葉広葉樹林の代表-ブナの森」参照)

クマ冬眠用の樹洞

昼食後、十方山林道を上流へ移動する。下山橋から下山林道をちょっと入った所に、ミズナラの大木が根元から折れて倒れている。直径約200cm、1年に1cmづつ成長するとすれば樹齢200年くらいになる。中は空洞になっている。クマの冬眠用として最適の場所のようだ。上部が開いているがかえってこれくらいがちょうどよくて、クマは完全に閉ざされた穴の中で冬眠するというものでもないようだ。(後日注:樹齢100年?)

クマは、出産するメスは別として、全てが冬眠するとは限らない。餌があれば食い続けるという。もし細見谷川にサケ類が豊富な環境を取り戻しそれをクマが食べるとすれば、サケ類がいなくなるまで食べ続け、食べ尽くせば満腹になって冬眠するだろう。

クマの大好物、サルナシの実

林道から山の中に入るとカツラの大木が1本ある。さらに行くとサルナシの太いつるが2本あって隣の大木に上の方でからんでいる。からまれた大木の根元にクマの足跡がついている。キウイフルーツよりも、はるかにうまいといわれるサルナシの実を食べるためクマが登ったと考えられる。近くにはヤマフジの大木(右巻き)。

針葉樹林でのクマの皮剥ぎ

上部へ移動するとすぐ人工林(針葉樹)に突き当たる。1本のスギがクマの皮剥ぎの被害にあっている。クマの爪痕があり樹脂を吸い取っているもののようだ。植えてから20~30年物が被害に遭いやすいというが、もともとクマは針葉樹には興味がなかったはずなのだが。

それにしてもここの人工林はすごく荒れている。枝打ちを全くしていなくて節だらけだから、まるで商品価値はないだろう。切り倒して広葉樹が生えてくるようにする方が得策である。

杉林の中に下草(中国笹)が生えていない一角がある。杉が密集して日光が当たらないのだ。地面を掘り返すとすぐに硬い地盤に当たる。杉の葉はなかなか腐らないから土壌成分が不足しているのだ。広葉樹と針葉樹の豊かさの違いがはっきりと分かる。

そのほかの観察事項

イノシシのしがみ跡や馬耕

さて時間を巻き戻してみる。この辺りの林床には中国笹が多い。竹の子のシーズンである。今日最初の発見は、イノシシのしがみ跡(笹をチューインガムのようにかんだ後吐き出したもの)である。付近を透かしてよく見ると獣道が付いているのもわかる。

しばらく行くと、イノシシの馬耕があった。竹の子(中国笹)を食べた跡やしがみ跡が散乱している。そばにはりっぱなふんも落ちている。紫の小さな草花の株が2~3個あり美しい。林道はイノシシを呼び寄せるともいう。カケスの鳴き声が聞こえる(杉島副会長)。

ノウサギの痕跡

竹の子はノウサギも食べる。しかし、切り口がイノシシの場合とはまるで違う。犬歯で斜めにすぱっと切った跡はナイフのように鋭い。小さな古いふんも見つかったようだ。

タヌキやアズマモグラ
午後から、タヌキのためふんを見つける。まわりにアズマモグラの穴がある。このふんを狙っている可能性があるという。ふんもリサイクルされるもののようだ。

トチノキ

第1ポイントで細見谷川を渡ってしばらくは平坦だが、その上部は少しきつい斜面になる。その斜面にトチノキの群落がある。そこまでは行かなかったが、下の小川にトチの実がたくさん落ちている。ほとんどは中身を食べられてしまって実は残っていないが、それでも2~3個芽を出しているものを見つける。午前中、帰りのコース上にトチノキの古木がある。トチノキの木肌はボロボロしているが、大木では樹皮が大きく割れてはがれ落ちた跡がウロコ状になる。

サワグルミなど

サワグルミの幼木が多数生育している空間がある。大きな木がなくて空が明るい。時々起こるかく乱によって大木が倒れ、その付近一帯が空白状態(ギャップ)になったものと考えられる。そうした場所に真っ先に生えてくるのが、サワグルミでありヤシャブシあるいはミズメ(よぐそみねばり、サロメチールの匂いがする)であるという。豊かな森では、生物の多様性とともに、年代(樹齢など)の多様性もまた重要な要素となる。

おわりに

晴天、気温は高めで少し汗をかく。若葉が出きっていないので、日が差して今が一番暑い時期だという。また、冬芽がなく葉がないので樹木の鑑定が難しいと言いつつ、講師には丁寧な解説を受ける。大満足の一日であった。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

十方山・細見谷の小型サンショウウオ

私が初めて十方山林道に入ったのは、2002年8月10日(平成14)のことです。当日「小型サンショウウオ観察会&調査」があるというので、ある方に誘われて参加しました。そして、そこで初めて小型サンショウウオを見ました。注:調査自体は、私の参加した10日とその次の11日の二日連続で行われました。

私はこの時まで、サンショウウオといえば、オオサンショウウオのことしか知りませんでした。西中国山地に小型サンショウウオというものがいて、十方山林道沿いの清流(細見谷川に流れ込む各支流)にある小石をちょっとはぐれば、すぐに見つかる存在だなどとは全く想像すらしていませんでした。

後になって、国土の狭い日本国内で、現在19種類ほどの小型サンショウウオがすみ分けていることを知りました。

紹介者、故・原哲之さんのこと

観察会&調査当日、私は妻と二人の孫を連れて参加しました。だから調査というよりは、観察会に参加させていただくという程度の軽い気持だったのです。ところが、観察会の成果は、書籍『細見谷と十方山林道(2002年版)』の一部としてまとめられ、後の出版報告会で私たち夫婦にも一冊づつ無料で配られました。巻末の参加者名簿には、なんと私たち二人の名前まで載っています。

この時私を誘ってくださったのが、『細見谷と十方山林道(2002年版)』の編集者である故・原哲之(はら・のりゆき)さんでした。そして数年後、こんどは私が『細見谷と十方山林道(2006年版)』の編集者を務めることになります。その簡単な経緯については、本書「はじめに」(自費出版・紙書籍)で書いたとおりです。

十方山・細見谷の学術調査は、「森と水と土を考える会」などの環境NGOによって、この2002年に始まりました。その成果をいち早くまとめたのが『細見谷と十方山林道(2002年版)』です。その内容は、小型サンショウウオや植物あるいは昆虫などの生物及び地質など多岐にわたり、十方山・細見谷における初めての本格的な学術調査記録として高い評価を得ています。

私の『細見谷渓畔林と十方山林道』との関わりもこの時に始まりました。観察会当日は途中で雨が降り始めたため、その先の細見谷渓畔林まで行くことはできませんでした。しかしその後、幾度となく十方山林道に入り、細見谷渓畔林の中を歩くことになるのです。

私にとって、小型サンショウウオを初めて見たあの日は、決して忘れることのできない大切な一日となっています。

その他いくつかの出会い

私たちはこの観察会で、「廿日市・自然を考える会」のお二人と同じ配車になりました。この時が初対面のお二人には、その後彼女たちが主催する集会などに幾度もお誘いをいただきました。

またこの時、言葉を交わすこともなく過ごした人たちの中で、後にあるキッカケからメール交換をするようになった方がいます。その方とは、その後さらに広島・島根県境尾根を数回ご一緒することになります。小型サンショウウオを介して、これまた大切な出会いでした。

西中国山地の小型サンショウウオ

西中国山地では、3種類の小型サンショウウオの幼生が混生しているとされます。ブチサンショウウオ、ヒダサンショウウオそしてハコネサンショウウオです。

この時の調査(10日と11日)では、小型サンショウウオの合計個体数39のうち、ハコネサンショウウオが圧倒的に多くて9割近く(個体数34)を占め、ヒダサンショウウオ1割強(同4)、ブチサンショウウオは不明1(ヒダサンショウウオと区別つかず)となっています。その他、ゴギ4、タゴガエル1です。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』pp.33-40)

採集場所として、報告書は「(細見谷川に流れ込む)沢と林道の境界から2m以内で多数採集されたことが注目されます」(同上P.34)としています。細見谷川本流で小型サンショウウオが採集できたのは一箇所で、それが私たちの観察ポイント(9号橋付近)でした。ただし、そこは標高約960mあり、細見谷川最源流部ともいうべき場所となっています。

十方山林道の舗装化は、彼らの生態にどのような影響を与えるのでしょうか。

ところで、西中国山地に生息する小型サンショウウオの分布は、ブチサンショウウオ:近畿、中国、四国、九州。ヒダサンショウウオ:中部、近畿、中国。ハコネサンショウウオ:ほぼ本州全般。そして、ヒダサンショウウオとハコネサンショウウオは、西中国山地が分布の最西端となっています。

環境保全調査検討委員会での議論

私は、環境保全調査検討委員会を一度だけ傍聴したことがあります。2005年7月10日(平成17)のことです。この手の会合はほとんど全て平日開催となっています。しかし、この時(第7回)だけはなぜか日曜日に開かれました。理由は分かりません。何はともあれ、日曜日開催は普通の勤め人にとってはありがたいことです。

当日の委員会前半部では、小型サンショウウオに関する議論が続きました。その中の一部をメモから書き起こしてみましょう。

機構側の提出した冠山(吉和冠山のことであろう)における観察データによれば、ハコネサンショウウオの産卵場所は、標高1050~1200m付近で、山からしみ出す湧水地帯(水温6~8度)にあると言います。

ならば、冠山近くにある細見谷のハコネサンショウウオも、本来の生息場所とされる細見谷川本流付近の支流(十方山林道の標高約960m~800m程度)から、産卵場所までさかのぼる時期があると考えるのが自然です。

十方山林道は、渓畔林部分では細見谷川右岸に沿って付けられています。そして、細見谷川右岸には、五里山系(京ツカ山1129.6m~焼杉山1225.1m)から数多くの谷(沢)が落ち込んでいます。これらの谷(沢)をさかのぼって産卵場所を目指すのでしょう。もちろん、左岸に流れ込む十方山の谷(沢)でも同様の現象がみられるはずです。

しかしながら、機構側では、細見谷におけるハコネサンショウウオの産卵場所は特定できていないとしています。また、この時の検討委員会では、通常の生息場所は(支流の沢ではなく)本流であるという前提で話が進められましたが、産卵のため、林道を横断して支流の沢に移動するという事実も確認できていないようです。

小型サンショウウオに関しては、既存未舗装の林道の影響評価は全く手付かずの状態といってよいようです。現状に関する基礎データがないにもかかわらず、それに手を加えた(舗装化した)場合の影響について評価することなどできようはずがありません。更なる現状の調査が求められています。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

日本産イワナ属の分類(ゴギをめぐって)

イワナ(ゴギを含む)は分類学上、サケ科サケ亜科イワナ属(Salvelinus)に分類されており、その分布の中心は、日本海からオホーツク海に至る地域と考えられます。

そして、日本産イワナ属の分類をめぐっては、二十世紀前半から様々な議論が展開されてきました。すなわち、各地に存在するゴギなどの個体群(地方型)を種として独立させるか、それとも亜種とみなすか、あるいは変異の範囲にすぎないと考えるかの問題です。

ゴギ(日本産イワナ属)とは

ゴギは、イワナ属に分類される渓流魚です。その特徴として、大きな斑点、頭部の虫食い模様(頭にも白点があり)、体側に橙赤色の点を持つことなどがあげられます。

生息域は中国山地に端を発する河川の水源地帯であり、その自然分布域は、山陰では島根県の斐伊川水系から高津川水系まで、山陽では岡山県の吉井川水系、広島県の太田川水系から山口県の錦川水系までとされています。

ただし、田中幾太郎はその著書『いのちの森・西中国山地』pp.40-41で、西中国山地の瀬戸内側のゴギは、すべて島根県側から移入されたものであるとしています。(後述「氷河期の遺存種を大切に」参照)

佐藤月二(広島大学)による研究

中国山地のゴギについては、広島大学の佐藤月二先生や水岡繁登先生によって詳しい研究が行われています(参考文献等)。そのゴギは、広島県庄原市西城町において県天然記念物に指定(1951年)されています。

指定の理由は、佐藤月二p.30によれば、「ゴギが地質時代寒冷期の残存動物として、高山のほとんどない中国地方に分布することはめずらしく、世界的に見ても生物地理学上注目に値すること」によります。*庄原市:広島県東部(備北)

また同上p.6では、「(広島県西部の恐羅漢山、冠山を含む山塊にすむゴギは、イワナ属としては)現在知られる範囲においては本邦の最南分布地であるばかりでなく、世界的に見ても最南分布地にあたり、氷河残存動物としての意義はまことに深いものがある」としています。

細見谷(広島県廿日市市吉和)を含む地域のことです。ただし、イワナ分布範囲の緯度からすると、世界最南端は紀伊半島のキリクチ(ヤマトイワナ型)となります。*恐羅漢山:広島県北西部(安芸太田町)、広島・島根両県最高峰1346.4m

沼長トロ山で魚影を見た

2006年10月、私は沼長トロ山1014.4mに登りました。細見谷渓谷(細見谷川下流部)の南側にある山です。その山の東側の源流(沼ノ原)、標高約890m地点で、私は水流の中にはっきりと魚影を見ました。

体長(全長)20cmくらいでした。残念ながら、一瞬のうちにゴギかアマゴかなど区別する力は私にはありません。しかし、これが標高900m前後の山奥に氷河期の昔からすみ続けている魚かと思うと、これからもしっかり生きていってくれと思わず声を掛けたくなるのでした。

ゴギの好む水温は何度か?

田中幾太郎は、「西中国山地のゴギは、最低で350m、最高地点は1,100mに達し、生息域としては、500~900mが標準である」(西中国山地の分水嶺、1,000~1,300m)としています。

さらに続けて、「西中国山地のゴギは、ヤマメやアマゴ域との接点で混生することはあるものの、やはり、日本産サケ科の”イワナとヤマメのすみ分け”どおりに、谷の最上流域を占拠している。そこでは、最も大切な水温が、夏でも摂氏15度から18度と低く、20度を超えることはない」と記しています。(『いのちの森・西中国山地』pp.42-43)

佐藤月二p.13は、「ゴギ生息水域の水温は夏期といえども15℃以下の流水域で、冬期0~5度C内外のところである」としています。

山本聡は、イワナの成長速度条件としては、「水温が冬9℃くらいで、夏が18℃くらいのところが、水温条件としてはベストでしょう」(『イワナその生態と釣り』p.69)と述べています。山本は、大学卒業論文にイワナを選んだという研究者で、同書執筆当時は、長野県水産試験場に勤務していました。

中根と田上は、細見谷川に流入する伏流水および湧水の水温の測定結果を収載しています。その中で、「(対照として)本流川水の水温を水越峠から1000m付近、2100m付近、3000m付近、4000m付近で、それぞれ川の表面、川底、川岸、本・支流の中心部で測定したが、変動は僅かでほぼ8.0℃であった」としています。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』pp.30-31)。*調査日:2002年10月30日

日本産イワナ属の分類

日本産イワナ属の分類について、主として山本聡(現・長野県農政部)氏の見解を元に、私なりに頭の中を整理してみました。なお、山本氏からは、ご本人の著作『イワナその生態と釣り』つり人社(1991年)をご紹介いただきました。

日本産のイワナ属は、現在では、オショロコマS.malma(北海道のみ)と、イワナS.leucomaenis(北海道、本州)の二種のみとすることで落ち着いてきているそうです。

ミヤベイワナ(亜種)はオショロコマに含まれ、アメマス、ニッコウイワナ、ヤマトイワナ、ゴギの4型(地方型)を一つにまとめてイワナ(あるいはアメマス)としています。

イワナの日本における大まかな分布(すみ分け)は、アメマスは北海道から東北地方、関東地方の一部。ニッコウイワナは山梨県あるいは鳥取県以北。ヤマトイワナは中部地方、琵琶湖流入河川と紀伊半島の一部。ゴギは中国地方の一部です。

ミヤベイワナ(オショロコマの亜種)は、然別湖及びその流入河川に生息しており、北海道の天然記念物に指定されています。紀伊半島のキリクチは、ヤマトイワナ型の孤立個体群として絶滅の危機にあり、奈良県天然記念物に指定されています。キリクチは世界のイワナ属分布の最南端に当たります。そして、ゴギ(広島県天然記念物)は、日本における分布の最西端となります。

イワナは変異の程度が大きい種である

イワナの4つの地方型を、別種あるいは亜種とした文献もかつて存在しました。イワナの斑点の大きさや色の変異は、ほかの魚類に比べて著しいことがその大きな原因の一つであったと言えるでしょう。しかし現在では、これらは同一種内の変異にすぎないと考えられています。その中で、ゴギは他の地方型よりは変異の程度が大きいとされています。

魚種の分類を行なう上で、斑点といった外観の差はもちろん重要な要素です。それに加えて、解剖学的形質も重要なポイントとなります。イワナ属では、鰓(えら)の内側にあるトゲ状の器官である、鰓耙(さいは)と幽門垂(ゆうもんすい)の数がよく調べられています。

その結果をみると、オショロコマとイワナでは明瞭な違いが見られます。一方、イワナの地方型を北から南に並べると、鰓耙数、幽門垂数は連続的に数が減少しています。これらの結果から、イワナの地方型は、同一種内の地理的変異と考えるのが妥当とされているようです。(『イワナその生態と釣り』pp.23-24)

今西錦司の生態学的分類

今西錦司の生態学的分類(1967年)は注目に値するものでした。棲み分け理論を駆使してまとめたもので、日本産イワナ属を二種一亜種としました。すなわち、オショロコマを除く日本産イワナをすべてイワナ一種(ゴギ亜種を含む)としたもので、当時としては画期的な見解でした。

その後のヘモグロビン電気泳動法、酵素タンパク多型(アイソザイム)分析、あるいは骨学的分類は、大筋では皆ほぼ同様の結論を示しています。(『西中国山地』p.221)。

イワナ属魚類の棲み分けについて

イワナは、北海道、本州、朝鮮半島北部からカムチャッカ半島までの北太平洋アジア地域に分布しています。世界的にみれば、イワナ属魚類もサケ同様に降海型の生活史をもっており、成長過程で海に下り、成熟して川を遡上します。

しかし、日本産のイワナの中で降海型として知られるのは、アメマスの一部(北海道が圧倒的に多い)のみです。「(一生を川で過ごす)河川残留型には、アメマス型とニッコウイワナ型が、陸封型には、すべての型が見られます。ヤマトイワナ型とゴギ型では陸封型しか見られません」。(『イワナその生態と釣り』p.50)

オショロコマ(アイヌ語でオソル・コ・オマ、特殊な岩魚)の分布は、北海道から沿海州、オホーツク海、ベーリング海を経てアメリカ北西部まで拡がっており、降海型とされます。しかし、北海道のオショロコマは、知床半島の河川では降海型が見られるものの、その他ほとんどの河川で上流域に限られた分布となっており、河川残留型です。

イワナ属(サケ科)魚類は寒冷の地を好みます。過去の氷河期において気候が今よりも寒冷であった時期には、日本産のイワナ属も、海と河川を往復する降海型であったと推測されます。

ところが、氷河期の終焉に伴う気候の温暖化とともに、各地の河川上流域の冷涼な水系に取り残され陸封されてしまいました。そして、お互いに遺伝的な交流のない状態で長い年月の間に独自の変化を遂げ、その結果、地域間で外観上大きく異なる変異個体が存在することになったと考えられます。

氷河期の遺存種を大切に

田中幾太郎は、「ゴギは、同じサケ科のヤマメと同じようにもともと日本海に注ぐ水系だけの魚であり、自然分布が中国山地の島根県側に限られ、言ってみれば“島根のゴギ”なのである」と断言しています。(『いのちの森・西中国山地』p.40)

そして、瀬戸内側の太田川(広島県)や錦川(山口県)の谷のゴギは、島根県の高津川水系の各川から、戦前移入されたという具体的事実を紹介した上で、「現在、西中国山地の瀬戸内海側にすんでいるゴギは、そのすべての谷で、まちがいなく島根県側からの人為的な移入の経過をたどってきたことを、土地の古老たちは証言している」とも書いています。(同上p.41)

日本産イワナ属は、世界のイワナ属の中で最も南に分布しています。そしてそれらの地方型は、かつての氷河期時代の日本を反映した鑑として、生物地理学的に興味深い対象です。安易な放流(移入)のため、地域ごとの分布や遺伝的な系統に混乱を来すことは防ぎたいものです。

標本が大切である

標本は種の同定には欠かせません。日本産イワナ属の分類をめぐる議論の発端となったのは、アメリカの有名な魚類学者ヨルダン(Jordan)が島根県浜田付近で入手したゴギ(Salvelinus leucomaenis imbrius Jordan and McGregor,1925)であり、彼が原記載に使った標本は、カーネギー博物館の所蔵標本番号7797番でした。

後に日本の学者が標本を確認するためスタンフォード大学分類学教室を訪ねたところ、標本はシカゴの自然博物館に移されており確認の機会を逸したということです。(『西中国山地』pp.220-223)

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。


カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

「細見谷の渓谷植生」調査と人材育成

「緑資源」幹線林道戸河内・吉和区間(大朝・鹿野線)は、西中国山地の自然豊かな地域を貫いて走る林道です。その範囲は、当然ながら自然環境保全基礎調査(環境省)の対象となり、”特定植物群落”として、「三段峡の渓谷植生」(城根・二軒小屋工事区間)と、「細見谷の渓谷植生」(二軒小屋・吉和西工事区間)の二か所が選定されています。

ところが、調べてみると、大規模林道の予定ルートにある細見谷渓畔林は、「細見谷の渓谷植生」に含まれていないことが分かりました。つまり、(広島県が)専門家の意見を無視して、細見谷上流部の細見谷渓畔林を特定植物群落の範囲から除外していたのです。自然豊かな景観は、大規模林道工事の障害になると考えたのでしょう。同様のことが、三段峡の渓谷植生でも行われていました。

幹線林道は”特定植物群落”を貫いて走る

自然環境保全基礎調査とは、自然環境保全法(1972年)に基づき、環境省(旧環境庁)が実施する日本の自然環境全般に関する調査です。一般に「緑の国勢調査」と言われているものです。おおむね5年ごとに調査を行い、自然環境の現状と時系列変化を捉えることを目指しており、調査対象は、陸域、陸水域、海域の各領域にわたり、国土全体の状況について調査をしています。

その中で、”特定植物群落”の調査目的は、「わが国における植物群落のうちで学術上重要なもの、保護を必要とするものなどの生育地及び生育状況について調査する」(特定植物群落調査要綱(第2回自然環境保全基礎調査要綱))となっています。

なお各種の調査成果は、特定植物群落も含めて、生物多様性センター(環境省自然環境局)のホームページで閲覧可能です。

群落位置図は幹線林道を除外している

細見谷の渓谷植生

「細見谷の渓谷植生」について、生物多様性センターのDB検索システム(生物多様性情報システム)で、第2回基礎調査部分(1978~1979年度)の中から検索してみました。

  • 件名=細見谷の渓谷植生(対象地域:広島県)
  • 所在:佐伯郡吉和村
  • 位置:水越峠から吉和川合流点まで
  • 最低標高:540m、最高標高:960m
  • 面積:300ヘクタール、相観区分:植生一般
  • 選定基準:A自然林

ここで、特定植物群落の「選定基準」は、A~Hまで8段階に分けられており、その中で、「Aランク」は「原生林もしくはそれに近い自然林(特に照葉樹林についてはもれのないように注意すること)」というように、最高のランクとされています。

さて、この資料を素直に読み取るならば、「細見谷の渓谷植生」について専門家がまとめた「調査票」では、その「位置」を次のように規定していることになります。

すなわち、水越峠(標高990m台)のやや下方(標高約960m、9号橋付近)を起点として、十方山と五里山の間を南西に流れる細見谷川上流部(渓畔林部分を含む)から、細見谷川が急に直角に向きを変えて細見谷渓谷を流れ、立岩貯水池の上流で吉和川に合流する地点(標高約540m)までです。

ところが、私なりに同Web上でその位置図(生育地図)を別途表示すると、その範囲は、細見谷川下流部(細見谷渓谷)のみとなっています。つまり、細見谷川上流部(十方山林道沿い)がすっぽり抜け落ちているのです。

これでは、大規模林道の予定ルートにある細見谷渓畔林は、「細見谷の渓谷植生」には含まれないことになってしまいます。

三段峡の渓谷植生

同様に「三段峡の渓谷植生」についても確認してみましょう。

  • 件名=三段峡の渓谷植生(対象地域:広島県)
  • 所在:山県郡戸河内町
  • 位置:柴木から樽床ダムまでの峡谷斜面
  • 最低標高:340m、最高標高:1000m
  • 面積:250ヘクタール、相観区分:植生一般
  • 選定基準:A自然林

位置図(生育地図)を確認すると、「餅ノ木」より下流となっており、上流部の樽床ダム(聖湖)から餅ノ木までが抜け落ちています。つまり、ここでも大規模林道の予定ルート部分を外して描いているということになります。

関係各方面の反応

行政側の言い分はどうか

二つの特定植物群落(細見谷の渓谷植生と三段峡の渓谷植生)で、それぞれ大規模林道の予定ルート部分が除外されていることは、故・原哲之(農学修士)がすでに指摘しているとおりです。

彼は、「いきものいきいき渓流づくり―太田川流域編―、広島県1996年」という一般向けマップに示された位置図(生育地図)に疑問を持ち、調査を開始しました。そして、その結果は次のとおりです。(以下、「」内引用、『細見谷と十方山林道(2002年版)』pp.28-29)

「「森と水と土を考える会」で広島県・環境庁に事情を尋ねた(2002年7月)。環境省の回答は、「特定植物群落は『生育地図』が正式な選定範囲を示したもので、専門家による『調査票』は資料である。『生育地図』には、『細見谷の渓谷植生』は細見谷下流部、『三段峡の渓谷植生』は餅の木より下流になっているから(上記一般向けマップの通りで=筆者追記)問題無い。」とのことであった」。

「そこで、「生育地図」(複写)を確認したところ、環境省の回答のとおりであった」。注:「特定植物群落生育地図」(1978年)

「研究者が決定した「位置」(「調査票」)と「生育地図」がなぜ合わないのか、さらに環境省に問い合わせた」。

「その結果、自然環境局国立公園課から「特定植物群落を最終的に選定するのは環境省だが、『生育地図』に書き込む際には各自治体の判断をもとに行った」。

「時間が経過しているので具体的に確認できないが、調査の結果すぐれた植生がある場合でも、開発などの計画がある場合はそれぞれの自治体の判断があったと考えられる」。

「三段峡・細見谷でも(大規模林道の)計画を考慮して、(広島県が)細見谷上流部などを特定植物群落から外した可能性がある。」という内容の回答があった」。(引用ここまで、適宜段落を入れた)

あまりに正直すぎてコメントのしようもない。大規模林道(現・緑資源幹線林道)大朝・鹿野線は、1977年(昭和52年)3月に実施計画が農林大臣認可となっている。そして「生育地図」が作成されたのは1978年度(昭53)のことである。

日本生態学会でも遺憾の意をあらわしている

日本生態学会第50回大会総会は、「細見谷渓畔林(西中国山地国定公園)を縦貫する大規模林道事業の中止、および同渓畔林の保全措置を求める要望書」(2003年3月23日付け)を発表して、以下のように述べています。(『細見谷と十方山林道(2006年版)』p.2)

「広島県は戸河内・吉和区間の事業認可(1976年度)直後の1978年度に特定植物群落・「三段峡の渓谷植生」・「細見谷の渓谷植生」を選定した。この時、調査を担当した研究者は「三段峡の渓谷植生」を樽床ダム~柴木の間、「細見谷の渓谷植生」を水越峠~吉和川との合流点までとし、「細見谷の渓谷植生」を「きわめて貴重な渓谷林」と評価していた」 。

「しかし、広島県はこうした指摘に関わらず、大規模林道の予定ルートに当たる部分および水越峠以南の「細見谷の渓谷植生」を除外して特定植物群落を最終的に選定した。「環境影響評価の基礎資料」と位置付けられる特定植物群落の選定において、結果的に細見谷の自然の重要性が過小評価されたことはきわめて遺憾である」。(引用ここまで、適宜段落を入れた)

アフターケア委員会

日本生態学会では、上記要望書の内容について、「学会として責任を持って経過確認をするために、専門会員によるアフターケア委員会を組織」している。そのアフターケア委員長である豊原源太郎(元・広島大学助教授)は、平成18年度緑資源幹線林道事業期中評価委員会に、地元等意見聴取対象者の一人として出席(2006年6月29日)して、次のように述べています。

「1989年に戸河内・吉和区間の調査が始まり、私の恩師の鈴木兵二先生は林道環境アセスメント調査研究委員会に現地の専門家として参加されました。実際に調査したのは私たちでしたが、委員会が終了した時点で研究室のセミナーで報告があり、皆の調査のおかげで奥細見谷の渓畔林の保全は保証されると考えるので、このことを報告し、将来の監視をお願いするとの言葉がありました。道路の舗装に関しては、常々、未舗装道路は今や貴重であると話しておられましたが、それは無視されたのか、不機嫌な様子でした」。(林野庁ホームページより)

ここではどのような調査が行われたのでしょうか。戸河内・吉和区間(城根・二軒小屋工事区間)の工事着手は1990年(平成2年)9月であり、2004年(平成16年)12月に同工事区間(11.1キロメートル)は完成しています。

まだまだ基礎調査が不足している

多くの専門家の話によると、『細見谷と十方山林道(2002年版)』は、細見谷における初めての本格的な学術調査記録であるという点で認識が一致しています。

その中で、植物関係についてはその後も「森と水と土を考える会」を中心とした継続調査が行われています。これに対して、緑資源機構も環境保全調査報告書(2005年12月27日)の中で植物リストを発表しています。ところが、両者で一致しない種がまだまだ数多く存在しています。つまり、まだまだお互いに調査不足なのです。

調査不足の指摘と今後の対応について、上記日本生態学会の要望書は、以下のように述べています。「細見谷地域における地質・生物の公開調査を行うこと。その際、住民・専門家・環境NGO等との合同調査とすること」。(『細見谷と十方山林道(2006年版)』P.2)

共同研究と人材育成

細見谷の植物調査は、先ほども述べたように、「森と水と土を考える会」の会員を中心とする一般市民によって、今でも継続的に行われています。なお調査活動では、2002年の調査開始当初から京都大学関係者の指導を仰いでいます。

そうしたこともあって、「(植物)標本は2003年1月より京都大学標本庫(KYO)に保管の予定」(『細見谷と十方山林道(2002年版)』p.12)となっているようです。私には、この標本が地元の広島を素通りして、京都に行ってしまうことが少なからず残念でなりません。願わくは、これらの標本が大切に保管され、学内外の調査・研究者にとって自由に使用できる環境であってほしいものです。

地元の広島大学関係者に期待したい

広島文理科大学(旧制)は、その昔、全国の師範学校・旧制中学校の教員を数多く輩出してきました。その流れをくむ広島大学は、「宮島自然植物実験所」(広島大学大学院理学研究科附属)というりっぱな研究施設を宮島に持っています。

また、広島大学には、植物関連の学会組織である「ヒコビア会」があります。そして、「ヒコビア会」と宮島自然植物実験所が共催で、一般向けの野外観察会「ヒコビア植物観察会」を月1回開いています。(2006年12月3日:第450回植物観察会)

私は、まだヒコビア植物観察会には一度も参加したことはありません。ただし、宮島はかなり歩き回っているので、宮島自然植物実験所の建物前は何度か通ったことがあります。

その建物の庭先で、坪田博美助教授(副所長)による「宮島の自然の特徴等(コシダやウラジロなど)」についてレクチャーを受けたことがあります。2006年5月7日(平成18)、”瀬戸内海国立公園宮島地区パークボランティアの会”主催の公募観察会(植物と歴史)でのことです。

ヒコビア植物観察会の報告の中で、参加者が宮島初記録の種を発見する場面があったように記憶しています。最近、会によく参加されている方とご一緒する機会があり、植物音痴の私など目から落ちる鱗が幾つあっても足りないと感じたものです。

細見谷に関して新たな専門家の出番はまだまだあるはずです。地元広島の専門家はもちろんのこと、知識が豊富な一般の人たちも、もっともっと積極的に細見谷に関わって欲しいと願わずにはおれません。

「ヒコビア会」の関係者も含めて様々なグループが一緒になって、年間を通して細見谷渓畔林に入り調査してみてはどうでしょう。目の肥えた多くの人たちが合同で調査するとき、そのパワーは計り知れないものとなります。また、専門外でも意欲のある人にはどんどん参加してもらえばよいでしょう。調査遂行のみならず広報活動等の面で大きな力となることでしょう。

研究者には大いに活躍して欲しいものです。細見谷に関する論文がたくさん出てくれば喜ばしいことです。そうした雰囲気の中で育つ学生は幸せです。そして今度は、自らが教師となり生徒たちを連れて細見谷に入っていただければ、次代を担う理科好きの子どもたちがたくさん育つことでしょう。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

落葉広葉樹林の代表-ブナの森

落葉広葉樹の豊かな森(ブナの森)は、クマの楽園ともなります。動物分布調査報告書(環境庁)でも、落葉広葉樹林とツキノワグマのそれぞれの分布密度には正の相関関係があるとしています。そして、クマの年明けはブナとの関わりから始まります。

クマの大好物、ブナの若葉と花芽

クマがブナの花芽を好むことは、白神山地の猟師にとって常識でした。「土地の猟師が「花芽」と呼ぶ、淡緑色の新芽の部分がクマの好物だ。木によじ登って、その枝先の花芽を引き寄せて食べる。(中略)クマは朝方と夕方の、日に二回、ブナの木に登って花芽を食べるといわれている」。(『白神山地 恵みの森へ』pp.9-10)

秋田県阿仁町のマタギの話によると、クマは冬眠の穴から出てくると、まずブナの新芽をいっぱい食べるそうです。青くなる前の新芽で、「うぶ毛をいっぱいつけている、一枚葉か二枚葉の時の新芽」です。(『マタギを生業にした人たち』p.147)

「ブナの若葉と花は、クマにはその年初めてのごちそうだ。(中略)秋田県をはじめとする各県のクマの胃内容物やフンの分析調査を見ると、四月下旬は圧倒的にブナの若葉が多い。ブナはミズナラなどより芽吹きが早く、葉が柔らかく量も多いので、この時期はクマの大切な食料となる。(中略)ブナの若葉は花と同時に開くので、クマは若葉だけでなく、花もいっしょに食べているものと思われる」。(『山でクマに会う方法』pp.94-96)

ブナ属植物の分布域

日本のブナ属植物

『週間・日本の樹木』(全30巻)学習研究社(2004年)は、”ブナ”(創刊号、第1回配本)から始まっています。そして、創刊号(ブナ)の特集は「世界遺産白神山地」です。実は現在の地球上で、まとまったブナの森があるのは日本をおいて他にありません。白神山地は、世界で唯一”ブナ林”をテーマとした世界遺産として貴重な存在となっています。

河野昭一・京大名誉教授は、「ヨーロッパブナ、中国内陸部の主要なブナ、アメリカブナの美林は、伐採によってその大半が失われてしまったので、大規模伐採があったとはいえ、かろうじてブナの森の原生林のイメージが保存されているのは、日本のブナ林だけである」と述べています。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』河野昭一p.67)

日本のブナ属植物には、ブナとイヌブナの2種があり、共に日本固有種となっています。

ブナ(Fagus crenata)は、北限の北海道南部の平地(渡島:おしま半島の黒松内低地)から南限の鹿児島県の山地(高隈山:たかくまやま)まで、ほぼ全国的に広く分布しています。これに対して、イヌブナ(Fagus japonica)は、岩手県以南の主に太平洋側を中心として、本州、四国そして九州の宮崎県まで分布しています。イヌブナは、岐阜県から中国地方にかけては日本海側まで分布しますが、石川県以北の日本海側には分布しません。

ブナは、イヌブナよりもやや標高の高いところに分布するとされていますが、完全にすみ分けているのではなく、両者の分布域はかなりの部分で重複しています。

世界のブナ属植物の分布域は三つある

ブナは、北半球の落葉広葉樹の代表ともいうべき植物です。河野昭一は、北半球のブナ帯について、『細見谷と十方山林道(2002年版)』の中で次のように述べています。

「北半球のブナ帯には、3つの分布のセンターがある。その一つは、アメリカ東部の広大な落葉樹林帯が発達していた地域、二つ目は、日本から中国内陸部にかけての一帯、その南端は四川から雲南の山岳地帯、ベトナム北部の山岳地帯まで拡がっている。植物地理学的には、いわゆる「日華区系」に属する温帯系植物の分布域がこれに相当する。三つ目は、北西ヨーロッパの、かつて広大な落葉広葉樹林帯が発達して(ママ)地域である」。(同上、河野昭一p.64)

「この3つのブナ帯は、第3紀起源の遺存的な暖温帯性植物の分布域としても極めてよく知られている。とりわけ、日本列島から中国内陸部へ拡がる、ブナを主体とする落葉樹林帯が分布する地域と、アメリカ大陸東部の氷河期に多くの温帯植物の避難場所(refugia)となったアパラチア山地を中心とする落葉樹林帯には、数多くの暖温帯、冷温帯の遺存種の分布の中心がある。・・・(樹木をはじめ)木本低木、草本植物で第3紀起源とみなされる植物には広い意味でブナ帯や隣接した植生帯に同居、または隋伴して分布するものが実に多い」。(同上、河野昭一p.67)

また、デビッド・ブフォード(東京大学総合研究博物館客員教授)は次のように述べている。

「(アパラチア山脈南部と東アジアは)植物学的に緊密な関係を持っている。(中略)アパラチア山脈南部はアパラチア山脈システムの一部で、中生代以降海面下に沈むこともなく、北方に発達した更新世の氷河を免れた地域である。北米中緯度地域としては最も雨がよく降る地域でもある。地形も変化に富んでおり、さまざまな岩石、土壌が発達しているので、植物の生育には理想的な地域となっている」。(東京大学総合研究博物館ニュースより)

世界一の豪雪地帯とブナ林

ブナの森は「緑のダム」となる

ブナ林は、保水能力が非常に高く「緑のダム」とも言われています。高木層のブナを中心とした亜高木層、低木層、その下のササ類が雨水を順番にしっかりと受け止め、さらに、大量の落ち葉が積もってできた土壌がスポンジのように雨水を吸収して蓄えるなどの機能を持っています。

それにもかかわらず、日本では今までブナを漢字で木偏に無と書くなどして、〈ブナは木でない木、何の役にも立たない木〉とされてきました。戦後の拡大造林によってブナの森は皆伐され、その代わりにスギ・ヒノキが植えられました。非常にもったいないことをしたものです。

氷河期の終了と豪雪地帯の誕生

日本のブナの森は、世界でただ一つ残っているブナ属のセンターとして、非常に重要な位置を占めています。そのブナは、湿潤な気候を好みます。したがって、日本海側の豪雪はブナにとって大変好都合となります。ところで、なぜこの地域が世界的な豪雪地帯となっているのでしょうか。藤尾慎一郎『縄文論争』を参考にまとめてみました。

最終氷期(ヴュルム氷期)の最寒冷期(Last Glacial Maximum LGM)に当たる約2万年前には、海水面は現在の水深120~130m付近にあったとされています。

このため、「宗谷海峡が陸化することで北海道とサハリンがつながり、津軽海峡は冬期に氷結して氷橋となって本州とつながることとなった。一方、西の端の朝鮮海峡は幅15kmほどの狭い海峡であった」。(『縄文論争』p.68)

すなわち、日本列島はまだ形成されておらず、大陸の一部として存在していたのです。その後、気温の上昇に伴って海水面が上昇し始めると(約一万八千年前)北海道がサハリンと切り離され、日本列島が形成されます。

このような気温の急上昇を伴う地球規模の大変化に刺激されて、やがて縄文文化が誕生します。その時期については、最近の炭素14年代測定法に基づいて、約一万六千年前(従来説一万二千年前)とする説も出ています。(同上p.68)

「海水面の上昇によって旧石器時代よりも幅が広がった朝鮮海峡を通って、対馬暖流が日本海に入るようになる。暖かい対馬暖流の進入が、一・一万年前を境に日本海側の積雪量を一気に増加させ(中略)、やがてこの豊富な雪解け水を水源としてブナ林帯が形成されていく」ことになります。(同上p.69)

ミヤコザサ分布と積雪量の関係

こうした過去の積雪量の変化を推定するために、植物のミヤコザサが使われています。

鈴木貞雄のササ属に関する研究(1959年)によると、「最高積雪深が50cmの地点で、それより雪の多いところにはチマキザサ節が、雪の少ないところにはミヤコザサ節がそれぞれ生え、両方のササが一線(幅1~4km)を境として相接している」そうです。(『竹と笹入門』p.217)

株式会社古環境研究所では、業務の一環として次のような調査を行っています。

「タケ亜科には温暖・寒冷の指標になるものがあり、その変遷から気候変動(氷期-間氷期サイクル)をとらえることが可能です。また、タケ亜科のうちチシマザサ節・チマキザサ節とミヤコザサ節が積雪50cmを境に棲み分けしていることに着目して、過去における積雪量の変遷を推定する試みも行われています」。(古環境研究所ホームページ)

上記分析には、植物珪酸体(プラント・オパール)が用いられています。プラント・オパールとは、植物細胞内に蓄積されたガラスの主成分である珪酸(SiO2)が、土壌中でそのまま半永久的に残って極小の化石となったものを言います。微化石の化学組成は宝石のオパールと変わらないそうです。

なお、プラント・オパール分析法は、稲作(イネ科栽培植物)の日本への浸透過程を解明することなどで、大きな成果を得ています。

広島県のブナ林

『山毛欅の森の詩』ブナの森出版(2003年)という本があります。「ぶなのもりのうた」と読みます。「山毛欅の森塾」を主宰し、毎月ブナ山行を続けている西村保夫さん(西村ふうふう山の会)の著作(自費出版)です。

広島県北部(芸北及び備北)の山岳地帯は、日本の豪雪地帯の最西南端に当たっています。

本書は、その広島県のブナについて、春夏秋冬のブナ(特に巨樹)の姿を写した美しい写真と、広島県のブナ山27選の紹介文からなっており、西村さんのブナをいつくしむ暖かい心が伝わってくる本となっています。

マイナーな山も含まれており、そうかあの山にもブナが残っているのか、ルートは?など、思わず登山意欲をかきたてられる構成になっています。なお、本書に登場するのは次の27座です。

恐羅漢山、十方山、深入山、サバノ頭、犬ケ谷山、臥龍山、阿佐山、高杉山、大暮毛無山、城岩山、吉和冠山、五里山、沼長トロ山、日ノ平山、大峯山、青笹山、東郷山、牛ケ首山、鷹ノ巣山、比婆山、牛曳山、大万木山、吉田毛無山、指谷山、福田頭、吾妻山、女亀山。

西村さんとは、私が本書を出版した後で、彼の主宰するグループに特別参加をして、広島・島根県境尾根を数回ご一緒に登ったことがあります。楽しい思い出が幾つも残っています。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

“天涯の花”キレンゲショウマ

徳島県・剣山のキレンゲショウマは、宮尾登美子著『天涯の花』集英社(1998年)で注目を浴びるようになり、急斜面にある自生地周辺の登山道が整備されました。小説の初出は1996年8月25日~97年2月23日(徳島新聞連載)であり、NHKの土曜ドラマ放映(1999年11月)で、その人気は頂点に達した感があります。

キレンゲショウマと私

学生時代四年間を私は徳島で過ごしました。休日には徳島県内の山を中心に歩き回り、ホームグランドとしていた剣山(つるぎさん)には十数回登った経験があります。しかし、その当時キレンゲショウマが話題に上ることはありませんでした。まわりの誰も名前すら知らなかったのではないでしょうか。

その剣山に、2001年のお盆休みを利用して学生時代以来三十数年ぶりに登ることになりました。キレンゲショウマを見てみたいという母(大正10年生)の希望に沿ったもので、妻、次弟と一緒に登りました。花はちょうど見ごろ、皆で初めて見る”天涯の花”キレンゲショウマを大いに堪能しました。なお、これが80歳を目前にした母との初めての山行でした。

キレンゲショウマは、本州(紀伊半島)、四国、九州を貫く中央構造線の南側(西南日本外帯)の植物とされています。ところが、その北側(西南日本内帯)に属する広島県・十方山周辺にも、小さいながらも幾つかの群落があります。という訳で、学生時代を徳島で過ごした広島県出身の私にとって、キレンゲショウマは非常に気になる植物の一つとなっています。

キレンゲショウマの発見

キレンゲショウマは、日本の植物学史を考える上でも、非常に興味深い植物の一つです。参考書籍として、『土佐の博物誌』高知新聞社(1978年)と、『動く大地とその生物』東京大学出版会(1995年)の二冊を取り上げて、その内容を対比しながら見てみましょう。

キレンゲショウマについて、『土佐の博物誌』p.12は、「日本人により日本で発見され、日本で命名された初めての新属新種の植物である」と書いています。そして『動く大地とその生物』p.80は、「キレンゲショウマは東京大学の植物学の初代教授、矢田部良吉により、1890(明治23)年に記載公表された。これは、日本の学術出版物に日本人学者が発表した、最初の高等植物の属であった」としています。

『動く大地とその生物』p.83は、続けて次のようにまとめています。

キレンゲショウマ(Kirengeshoma palmata Yatabe)は、「(アジサイ科に属し)一種で一つの属を構成する、特異な植物である。明治21(1888)年8月9日に伊予国(愛媛県)石鎚山で矢田部良吉自身が採集した花期の標本(口絵、挿図1)と、同じ産地で明治23(1890)年10月に吉永虎馬が採集した果実期の標本に基づいて記載された」。

花期の標本(矢田部採集)は、東京大学総合研究博物館植物部門で保管されています。しかし、果実期の標本(吉永採集)は現存しないということです。

キレンゲショウマは日本初記載か

矢田部博士のキレンゲショウマ記載をもって、〈日本人として新種を最初に公表した論文である〉という表現は必ずしも正確ではありません。『動く大地とその生物』p.82は、日本人初記載ということについて、事実関係を次のように説明しています。

日本人として新種を最初に公表したのは、英国在学中の伊藤篤太郎であり、1887年(明治20年)にトガクシショウマを記載しています。日本の出版物に最初に新種を発表したのは、大久保三郎と牧野富太郎であり、1889年(明治22年)にヤマトグサを記載しています。矢田部自身、新属新種のキレンゲショウマを公表(1890年)する前に、シチョウゲ、ヒナザクラの2新種を記載しています(1890年)。

そしてその後、「日本からの新植物記載が盛んに行われ、全国規模で日本の植物相の全容がようやく判明し始めたのである」(同上p.82)。このことは、明治維新後20年という年月を経て、「日本の植物学者の間に日本の植物の分類は自らの手で解決せんとする気運が高まった」(同上p.82)こと、及び標本の整備等の条件が満たされてきたことを示しています。

キレンゲショウマは、そうした時代の空気を象徴する植物として、重要な位置を占めていると言ってよいでしょう。キレンゲショウマは、既述のように「日本の学術出版物に日本人学者が発表した、最初の高等植物の属」だったと言えます。(『動く大地とその生物』p.80)

発見者に異議あり

キレンゲショウマの発見に関して、『土佐の博物誌』p.126は、「発見者に異議あり」と題して、吉永虎馬(土佐の植物学者)の論文を引用してまとめています。

吉永論文によれば、吉永虎馬が石鎚山でキレンゲショウマを発見したのは、1888年8月3日(明治21)のことです。ちょうどその時、矢田部博士らが石鎚山に向かう途中であり、吉永は博士のもとに現物を持参して鑑定を請いました。博士も初見でしたが、レンゲショウマ(ウマノアシガタ科)に似ているので、”キレンゲショウマ”(黄花ノれんげしょうま)とでも言ったらよかろう、ということになりました。

その後、吉永は一行にお供して筒上から石鎚へ向かいます。その途中で再び同花を見つけて採集しました。しかし、吉永が最初に発見した石鎚山へは、博士一行の誰も行っていません。「それなのに、学会へは矢田部博士が、自ら石鎚山の標高五千フィート以上の疎林の中でこの植物を初めて発見-と報告。新種の命名者となった」のです。(『土佐の博物誌』p.126)。

なお、吉永の同郷(高岡郡佐川町出身)である牧野富太郎博士の添え書きも同論文に載っています。

植物区系とは何か

地球上のあらゆる地域の植物を全て調べ上げて、地域ごとに植物リストを作成してみると、ある特定の地域ごとにまとまった傾向を示すことが分かります。言い換えると、それぞれの地域ごとに違った傾向が見えてきます。それらの結果を基に、地球上を幾つかの地域に分けたものを植物区系と言っています。

世界の植物区系

世界の植物区系は、アジア・アフリカの”旧熱帯区系界”、新大陸の”新熱帯区系界”、北半球の熱帯以外の地域である”全北区系界”、及び南半球の”オーストラリア区系界”、”ケープ(南アフリカ)区系界”、”南極区系界”の合計6つに分けられます。(J.F.Schouw(1823)が提唱、その後H.G.A.エングラー(1886)が修正、それを基にしたL.Diels, R.Good (1947)のもの)

このことは、同じ熱帯でも、アジア・アフリカ大陸と南米大陸とでは、植物相(フロラ)に違いがあることを示しています。また、オーストラリアは大陸として隔絶されてからの期間が長いため、植物が独特の進化をとげたことを示しています。さらに、南アフリカ大陸先端部の喜望峰を含むケープ半島は、狭いながらも他と異なる特異な地域として認められています。

日本の植物区系

植物区系界は、それぞれが更にいくつかの植物区系に再分割されます。我が国の場合をみると、南西諸島は旧熱帯区系界の中の東南アジア区系に属しています。その他の地域(日本の大半)は、全北区系界の中の日華区系に属しています。

この日華区系は、「日本から中国中部を経てヒマラヤ東部に至る地域で、固有の科と属が地球上でここに最も多いことで注目される」地域です。(『動く大地とその生物』p.84)

日本列島の中はさらに細分化されおり、前川文夫・東京大学名誉教授は、日本を9つの区系地域に分けて示しています。(『日本の植物区系』pp.112-115)

その根底には、日本列島の成り立ち(古第三紀)、その後の陸地の移動あるいは火山活動など、地史との関連を基礎においた考え方があります。その中で、日本列島の骨組みを組み替えた大断層として、糸魚川-静岡構造線(その東側地帯がフォッサマグナ)と九州・四国・紀伊半島から関東へ抜ける中央構造線は重要な要素です。

キレンゲショウマの分布域

キレンゲショウマは、中央構造線南側(西南日本外帯)に沿って、紀伊半島(大峰山系)、四国(剣山系、石鎚山系)、九州(祖母・傾山系)に分布しています。そして、このキレンゲショウマの分布する地域のことを、”襲速紀(そはやき)地域”と言います。ただし、「広辞苑」最新版(第六版2008年)でもいまだに未収載です。

襲速紀という言葉は、「小泉源一博士の提唱(1931年)にかかるもので、この地域中での特色ある中心三ヶ所の頭文字を連ねて作られた」ものです。すなわち、襲速紀(そはやき)とは、南九州の古名である「熊襲(くまそ)」の”襲”、豊予海峡(九州・四国間)をさす「速吸瀬戸(はやみずのせと)」の”速”、「紀伊国(きいのくに)」の”紀”のことだそうです。(『日本の植物区系』p.128)

そはやき要素とは

前川文夫は、そはやき地域は「最も豊富なフロラが発達していて、多くの種はその近縁種を遠く中国大陸の西南部に持つ点でまことに特殊である。(中略)被子植物には多くの固有属あるいは準固有属または固有種が多く、それらは主にブナ帯かその下方のシイ-タブ帯の上部に集中的に見られる。たとえばユキノシタ科一つを採ってみても次の如く多数の例を挙げることができる」としています。(『日本の植物区系』pp.128-129)

前川は、キレンゲショウマ、ヤハズアジサイ、バイカアマチャ、ギンバイソウ、ワタナベソウ、センダイソウ、イワユキノシタ、チャルメルソウ(いずれもユキノシタ科)の名をあげて、それぞれ説明を加えています。

そはやき地域に色濃く存在する植物のことを、”そはやき要素”の植物と言います。小泉源一博士は、ちょうど100種のそうした植物を挙げており、前川はそれらに多少の種を加えた上で、50数種を”そはやき要素”の顕著な例として選び直しています。(『日本固有の植物』pp.162-163)

いずれにせよ、国内のその他地域の要素よりも圧倒的にその数は多く、ヒマラヤ、中国大陸に類縁種があるものも多く存在します。そはやき地域は、日本から中国大陸そしてヒマラヤに連なる日華区系における日本での中心を成していると言えます。

自生地の公開をめぐって

キレンゲショウマは、本来は中央構造線南側(西南日本外帯)の植物です。西南日本〈内帯〉の広島・島根県内では自生している可能性の少ない植物です。ところが、西中国山地で数箇所の群落が見つかっています。私はそのうちの一箇所を見たことがあります。その他、私がまだ見ぬあこがれの地があり、3年前(2003年前後)に地元大手新聞社で紹介されたということです。

現地は相当山慣れした人しか踏み込めない場所だと聞いていました。それが、最近ではロープを垂らして人の行き来を助けるようにまでなっていたようです。そして今年2006年8月に、インターネット(ブログ)に加えて、再び同新聞紙上で取り上げられたため、キレンゲショウマの自生地紹介をめぐって賛否両論、喧々囂々(けんけんごうごう)の大騒動になりました。

剣山では、キレンゲショウマ自生地の公開以来、盗掘が多くなったそうです。登山道や道路の整備が進むと、どこでも必ずと言っていいほど盗掘が問題となります。また、剣山では最近シカの食害が激しく、県や地元自治体ではキレンゲショウマ群生地をネットで囲んで、食害対策に乗り出しているとも聞きます。動植物のバランスをどう取るかも難しい問題です。

21世紀は環境の世紀、ヒトは地球上の全ての動植物をはじめとする豊かな環境の中でしか生き延びることはできない、という当たり前の感覚を幼い頃から養うための”環境教育”が求められています。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

十方山林道(細見谷林道)周辺の植物

十方山林道(細見谷林道)周辺の植物リストが、広島山稜会会報『峠』の中で、ここ数年にわたって毎年発表されている。資料をまとめて報告しているのは、堀啓子さん(広島山稜会会員)さんである。堀さんは、現地において毎年継続して植物調査を行っている「森と水と土を考える会」会員でもある。

この植物リストは、その最新版である広島山稜会会報『峠』43号(2006年1月~12月)掲載の資料に基づいて、「森と水と土を考える会」および「広島山稜会」の了解を得てここに転載するものである。なお、資料の”前文”は元の文章をそのまま転記したもので、植物リストそのものについては、記載順は原本の通り(環境庁コード順)とし、レイアウトを若干変更している。(以下すべて引用)

十方山林道周辺の植物

平成14年から「森と水と土を考える会」主催の植物調査に参加し、「峠」にはその報告を毎号続けて参りました。また平成17年迄の調査については主催者から「細見谷と十方山林道2002」・「細見谷と十方山林道2006」が出版されております。

このたび主催者の了解をえましたので、平成18年に桑田健吾・松村雅文先生他の指導を受けながら行った調査、及びこれまでに採集した標本の再同定をしていただいた結果に基づき、「十方山林道周辺の植物」について、改めて報告をいたします。

平成19年2月1日  堀啓子

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。実際の植物リストは、書籍版及びKindle版に収載されています。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

藤田雄山広島県知事

藤田雄山広島県知事

参考:南々社編「藤田広島県知事は、4期16年を「カネ」で買ったのではないか?」南々社(2008年)

記事の引用にNO! pp.120-122

中国新聞記事約20本を本書の中で使用する予定で、読者広報センターを通じて使用申請を行いOKをもらっていた。ところが、念のため、その中に実名報道記事も含まれることを告げたところ、その記事だけでなくその他すべての記事の使用許可が下りなくなってしまった。

辞職勧告 P.143

議会から2度も辞職勧告を受けること自体が異例ですが、それでも辞めないのはもっと異例でしょう。・・・議会の決議にしても、知事への不信任案ではなく、辞職勧告だけですね。議会も腰が引けているといえます。浅野史郎(あさの・しろう)元宮城県知事(慶應義塾大学教授)

選挙のありようが、当選後の知事の姿を決める pp.144-145

藤田知事に正統性はあるのか
浅野史郎

百条委員会 p.153-154

今回の図式を見れば藤田知事個人の問題もあるかも知れないけれども、はしなくも県議会で辞職勧告だけ出して、百条委員会もできないことを見ればわかる通り、政治における金権体質みたいなものについては、みんな手が汚れているということの証明でもある
浅野史郎

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

クマ目撃情報多発:広島市内及び隣接市域でも(参考:秋田・十和利山熊襲撃事件)

2016年(平成28)は、全国各地でクマの出没が相次いだ。

実は20世紀末から、クマに関する人身事故が全国的に多発するようになっている。

今年(2017年)春になり、その傾向はますます強くなっている。秋田では人食いクマが話題となり、広島県でのクマ目撃情報も里山のみならず市街地にまで及んでいる。

クマの生息域で今何が起こっているのであろうか。

なお、2019年6月23日(令和1)、太田川右岸の瀬戸内海に面した鈴ヶ峰(広島市西区)でクマが目撃された。⇒ 2019年06月23日付け資料「ひろしま百山」(Akimasa Net)

下記資料を書き直しました。


山本明正『クマは人を食うか~日本列島1万頭のクマはどこへ行く~』アマゾンKindle版(最新版2019/09/25刷)

十和利山熊襲撃事件(秋田県鹿角市)

秋田人食いクマ事件(十和利山熊襲撃事件)については下記書籍があり、クマとの関わり方について大いに考えさせられる。力作である。

米田一彦『人狩り熊』つり人社(2018年)

米田一彦(まいた・かずひこ)『人狩り熊』つり人社(2018年)、アマゾンKindle版

十和利山熊襲撃事件

2016年(平成28年)5月下旬から6月にかけて、秋田県鹿角市十和田大湯の十和利山山麓で発生したツキノワグマによる獣害事件。タケノコや山菜取りで入山した4人が死亡、4人が重軽傷を負った。記録に残るものでは本州史上最悪、日本史上でも3番目の被害を出した獣害事件と言われる。人を襲ったクマが複数存在すること、また食害したクマも複数存在する非常に稀な事例である。

米田p.1

(十和利山:とわりやま、鹿角市:かずのし)

米田は、同著冒頭で次のように述べて、自分の立ち位置を明らかにしている。

関係者は、この事件の対応に失敗し、加害グマの特定も行わず、また完全なる収束も見ず、騒動に幕を降ろしてしまった。
このままにしてはおかれない。

米田p.2

長年ツキノワグマに関わってきた研究者(NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長)としての矜持。事件後、自ら現場に足を踏み入れてクマを個体識別し、その上で、遺族や関係者からの膨大な聞き取り資料を紡ぎ合わせながら、事の真相に迫った大作である。

クマはヒトを食べるか

ツキノワグマは、決して草食動物ではない。ブナの若葉や花芽あるいはドングリの実などだけを食べているわけではない。本来が雑食であり、動物の死体はごく普通に食べている。

米田は、「クマはヒトを食べるか」という点について、次のように述べている。

  • 全国の事故多発地域には攻撃性の強いクマの家系が存在すると思われる。p.186
  • 遺体を食餌と見なすようになったクマはまた人を襲う可能性が高い。p.204

米田は、秋田人食いクマ事件の4か所の現場の状況を綿密に検討した結果、主犯の雄グマは駆除されたものの、人食いクマが3頭生き残っていると判断している。そして、人食いを覚えたクマたちが再び事件を起こすことを恐れて、全て捕殺することを主張している。

米田は、普段からできる限りクマを殺さないことを信条としている。そうした米田にとって、人食いクマの捕殺は苦渋の決断であろう。こうして、ヒトが自然と接する機会が奪われていくことを憂えてもいるようである。

広島湾岸トレイル沿いの目撃情報

螺山(広島市安佐北区)にはクマ棚があるという

2017年6月4日(日)、私たち広島湾岸トレイル倶楽部の本隊(会員13名+一般参加7名)は、広島市安佐北区の里山(螺山~茶臼山)で、空き缶などのゴミ拾いを行った。

当日実施された、TC1000「広島湾岸トレイル協議会発足一周年記念行事 ― トレイルウォーク&クリーンアップ1,000人大会(略称:TC1000、ティーシーセン)」の一環として参加したのである。

その螺山では、クマ(ニホンツキノワグマ)が最近も目撃されているようである。先日(5月28日)、地元の方に聞いた話である。その方の言うには、少し離れた位置関係でクマとにらめっこになった。目をそらさずにいたらクマの方から去っていったという。なお、螺山の山中にクマ棚があるという話は以前聞いたことがある。

中国新聞記事に見る目撃情報

最近の中国新聞記事(2017年6月9日付け)は、「阿品台一帯クマ目撃相次ぐ、廿日市の団地 学校や公園付近も」と報じている。広島県西部にある海岸(瀬戸内海)近くのこの団地は、開かれて三十数年、一度もクマ情報などなかった地域である。(広島県廿日市市阿品台)

広島湾岸トレイル(極楽寺山~折敷畑山~船倉山)のラインよりも海側の話である。つまり、クマは湾岸トレイルの各里山を通って、西中国山地(広島・山口・島根県境尾根周辺)から侵入してくるものと思われる。広島湾岸トレイルを歩く場合にも、何らかのクマ対策を講じる必要がありそうだ。

付け加えるならば、同紙6月4日付け(2017年)記事では、広島市内の東区上温品でのクマ目撃情報を伝えている。

とにかく出合い頭の衝突を避けることが大切

米田は、ツキノワグマとの遭遇事故の確率について、通常はほとんどあり得ないとしている。

人々の膨大な入山数に対してクマによる事故の発生は稀で、まして食害を受ける確率はないに等しいのだ。現在ではクマ撃退スプレーがあればかなりの確率でクマの攻撃を防ぐことができるようになっている。現に私がそれを使って生き延びてきた証人だ。

米田p.230

ニホンツキノワグマの場合、一般的には「クマの方から積極的にヒトに危害を加えることはない」とされている。

ヒトとクマがお互いに余裕のある距離で出合った場合、事故になる確率は低い。一番怖いのは、出合い頭の衝突である。

クマの生息域に入る場合には、何はともあれ、クマと出会わないようにできる限り配慮することが大切である。自然の中でクマとヒトが共存していくにはそれしかない。

1)複数人で声を出しながら行動する

私は、かつて単独で西中国山地によく入っていた。その頃は、必ずクマ鈴を鳴らすようにしていたものである。クマに私の存在を知らせるためである。

ところが、最近のクマはクマよけ鈴の音に反応しない(逃げてくれない)とも言われている。「山中に道路ができてクマが人工音を聞く機会が増えた」(中国新聞記事2017年6月4日付け)ことが原因との指摘もある。

もちろん、歩行停止中に鈴は鳴らない。また、沢音などで鈴が聞こえないこともあるだろう。

秋田県自然保護課の担当者は、(やむを得ず)「山に入る場合は、鈴より人間の声が効果的なので、複数で入山して声を出してほしい」と呼びかけている。(同6月4日付け記事)

タケノコや山菜採りは合法

米田は、国有林内でのタケノコや山菜採りは合法だとして擁護している。

森林管理署は昔からの風習で山菜を取ることを許している、とするのは山間地では常識だ。(中略)「住民がクマの食べ物を盗んでいる」という訴えなら、全国でネマガリダケを100t、200t採ったところでクマの生活には全く影響は出ないと私は断言できる。

米田p.230

とは言うものの、入山者の証言(米田p.233)によれば、秋田のタケノコ(ネマガリダケ)採りの実態は次のようなものである。証言の一部を抜き出して箇条書きにしてみた。

  • 背丈が2mもある密生している笹薮に入る。
  • 5mも入ったら、もう方角が分からなくなる。
  • 2m先でもクマか人か分からん。

文字どおり藪の中を手探りで、タケノコ好きのクマと一緒になって作業をしているようである。クマと遭遇しやすい環境であることは間違いない。

こうした状況は、西中国山地や広島湾岸トレイルの通常の登山道を歩く場合とはかなり異なっている。

いずれにしても、クマと遭遇する可能性がある地域では、安全のため、場合によっては入山しないという選択肢があってもよいだろう。また、できる限り多人数で入山するに越したことはない。

2)一人離れるときが危険(万一のときはクマの目を見据えてにらみつける)

単独でのタケノコ採りやお花摘みで油断は禁物だろう。

もし万一クマと遭遇したら、まずはクマの目をじっと見据えることである。間違っても背中を見せて逃げてはいけない。

クマには走っているものを追いかけるという習性がある。また、クマ(四足)の方がヒト(二本足)よりも絶対的にスピードがある。追いかけられたら負けである。

なお、秋田人食いクマ事件では、至近距離(1~1.2m)で長時間(20分間)クマとにらみ合った末に生還した人物がいる。米田は本人から聞き取りをした上で、クマと至近距離で遭遇した時の対処方法について、次のようにまとめている。

至近距離でもクマから視線を逸らすと途端に襲いかかり、正対したら下がっている。

我々研究者がクマと出会ったら「背を向けず正対して睨みつけろ」と言っていることは正しい対応なのだ。

米田p.166

インターネット情報の中には、「目を合わせることなく、ゆっくり後ずさりするのがよい」とする意見もある。私としては、離れようもない至近距離でクマと対面した場合には、百戦錬磨の米田による“にらみ付ける”方法を取りたい、が果たして実行できるかどうか。

そうなる前に、まずはクマと遭遇しないよう配慮をすることである。

クマ問題に関する私の考え方の変化

ところで、最近クマが里に下りてくるのは、ヒトの食べ物の味が良くてそれを覚えたからとも言われている。実際、里で殺処分されたクマの栄養状態はかなり良いらしい。山での暮らしに困って(山の食糧が乏しくて)里に下りてくるばかりではなさそうだ。

ニホンツキノワグマに関して、私は次のような文章そのほかを書いている。かなりの書き直しが必要と考える。
⇒「クマは十方山・細見谷の王様」(初出:2007年10月『細見谷渓畔林と十方山林道』、アマゾンKindle版有り)


山本明正『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)は、自費出版『細見谷渓畔林と十方山林道』(2007年10月)をほぼそのまま電子化したものである。

つまり、上記書籍では、私のクマに関する認識は2007年10月当時のままとなっている。西中国山地の豊かな落葉広葉樹の森を守ることができれば、クマがわざわざ人里に出てくる必要は無い、という考えである。

これに対して、現在の私の考え方は、下記電子書籍のとおり変化している。

クマは人を食うか: 日本列島1万頭のクマはどこへ行く 広島湾岸トレイル
山本明正『クマは人を食うか~日本列島1万頭のクマはどこへ行く~』アマゾンKindle版(最新版2017/12/10刷)

中山間地の崩壊によって里山が森と化し、クマの生息域は一気に都会まで広がってきている。そしてついに、太田川右岸の瀬戸内海に面した鈴ヶ峰(広島市西区)でクマが目撃される事態になってきた。

参考資料

山本明正『クマは人を食うか~日本列島1万頭のクマはどこへ行く~』アマゾンKindle版(最新版2017/12/10刷)
中国新聞記事「クマよけ鈴 過信は禁物、秋田県のクマ襲撃による死者(図)など」(2017年6月4日付け)
中国新聞記事「阿品台一帯クマ目撃相次ぐ、廿日市の団地 学校や公園付近も」(2017年6月9日付け)
広島湾岸トレイル協議会発足一周年記念行事(TC1000、ティーシーセン)ひろしま百山(Akimasa Net)より
山本明正『細見谷渓畔林と十方山林道』自費出版(2007年10月)⇒アマゾンKindle版有り(最新版2017年3月)
「クマは十方山・細見谷の王様」細見谷渓畔林と十方山林道(Akimasa Net)より

米田一彦『熊が人を襲うとき』つり人社(2017年)

米田一彦(まいた・かずひこ)『熊が人を襲うとき』つり人社(2017年)、アマゾンKindle版

以下、当Web作者としての私が気になった文章を抜き出してみた。

私はクマを追って46年になる。クマの多い森ばかり歩き回り、数知れずクマに出会い、襲われること8回、威嚇攻撃は3回。p.2

クマは殺戮(さつりく)志向の動物でもなく、ぬいぐるみのように無害な動物でもない。p.26

私は古い事故記事を集めるためにクマが生息する県の図書館に通い、地元紙の朝夕刊やマイクロフィルムを、クマの活動期に当たる4月1日から11月31日まで繰った。p.16

明治後期から平成期までのクマの狩猟と駆除の事故は含まず、自然状態で「クマに襲われた」事故の総数は私の調べでは1993件(2255人)あった。p.17

ほとんどは襲われるべくして襲われていた。p.2

1922年(大正11)以降、クマに襲われて死亡した人は52人だ。p.27

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

生物多様性

生命の誕生と生物多様性

宇宙が誕生したのは、今から百数十億年前のビッグバンによるとされている。そしてその後、銀河系の誕生(天の川銀河系、120億年前)、太陽系の誕生(約46億年前)と続き、地球上に生命が誕生したのは約40億年前のことである。

一個の細胞が、海の中で合成された有機化合物からできあがり、海中で進化していった。やがて、それらは陸上にも進出して地球全体を覆うようになる。その結果、現在では少なくとも約3千万種の姿・形が異なる生物が、地球上のいずれかの地域に存在している。

生物の進化とは、生息域の拡大を伴う種の分化(多様化)といってもよい。しかしその過程で、数多くの種が絶滅していった。

生物多様性とは、「現在の生物がみせる空間的な広がりや変化のみならず、生命の進化・絶滅という時間軸上のダイナミックな変化を包含する幅広い概念」(EICネット:環境情報案内・交流サイト)としてとらえることができる。

遺伝子、種及び生態系の多様性

種の多様性

生物多様性は、「遺伝子」、「種」、そして「生態系」の三つのレベルで考えられている。この中で、一般的に最も理解されやすいのは、「種」レベルの多様性であろう。「種」の総数そのものを指す概念といってよい。

ここで種(species)とは、「広辞苑」最新版(第六版2008年)から引用すると、「生物分類の基本単位。互いに同類と認識しあう個体の集合であり、形態・生態などの諸特徴の共通性や分布域、相互に生殖が可能であることや遺伝子組成などによって、他種と区別しうるもの。生物種。いくつかの特徴により、さらに亜種・変種・品種に分けることもある。化石についてはさらに時間の経過に伴う変化(すなわち進化)を加味して定義し、進化学的種という」。

遺伝子の多様性

「遺伝子」レベルの多様性とは、同一「種」内の同一「遺伝子」にいくつかの「型」が存在することをいう。この遺伝子の多様性こそ、環境の変化に対する適応からさらには種の分化まで、生物進化の原動力となっているものである。

ここで遺伝とは、親から子、そして孫へと世代間を受け継がれていく情報のことをいう。この遺伝情報によって、姿・形といった親の形質は、そのままそっくり何世代にもわたって受け継がれていくことになる。

遺伝情報の本質は、DNA(デオキシリボ核酸、deoxyribonucleic acid)にある(一部ウイルスではRNAの場合あり)。DNA上に存在する種々の遺伝子によって、親の形質が次世代へと受け継がれていくのである。このとき、遺伝子の多様性(型の存在)は種の活力を保つために大切な要素となっている。

遺伝子の多様性(ブナの場合)

ブナの場合、風媒花ではあるが自家受粉はしない。それにもかかわらず、ブナ花粉の飛散能力は低く(約30m、最も遠くてせいぜい70~80m)、ブナ集団が少しでも分断されると、隣の集団と遺伝子の交換をすることが難しくなる。

遺伝子の多様性は急激に失われ、集団サイズはどんどん小さくなっていく。それは、やがて絶滅につながることを意味する。各地の大小ブナ集団について、一本一本の木ごとに遺伝子解析を行った結果は、そのことをはっきりと示している。(河野昭一先生ご講演)

生態系の多様性

地球上の生物は、それぞれが単独で生息しているわけではない。ある一定の環境ごと、すなわち気候条件を中心として地形や地質などの環境ごとに適応した多様な「種」が、互いに共生しあう関係にある。

そして、森林の生態系、里山の生態系、草原の生態系、湿原の生態系などそれぞれの生態系を形成している。

つまり、それぞれの「種」は、環境の異なる生態系ごとに棲み分けをしている。「生態系」レベルの多様性とは、さまざまな生物の相互作用から構成されるさまざまな生態系が存在することをいう。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

石けん(石鹸)作り

石けん(石鹸)とは、界面活性剤の一種である

石けん(石鹸)とは、「洗剤」(汚れを落とすものの総称)の一種である。つまり、合成洗剤などと同じ界面活性剤であり、本来まじりあうことのない水と油をなじませる作用を持っている。

石けん(石鹸)などが、このような界面活性剤としての性質を有するのは、分子中に親油性の部分(脂肪酸塩の側鎖部分)と親水性の部分(ナトリウムなどアルカリ金属の結合部分)の両方を持っていることによる。

石けん(石鹸)と合成洗剤の違い

石けん(石鹸)は、動植物から得られる天然油(油脂、脂肪酸)にナトリウムやカリウムといったアルカリ金属を加えて加熱するという簡単な方法(鹸化)で、5千年も前から作られてきた。

一方、石油を原料とする合成洗剤(合成界面活性剤)の開発は、第1次世界大戦中のドイツに始まっている。

日本で合成洗剤が本格的に生産されるのは戦後になってからで、1963年(昭和38)には、合成洗剤の生産量が石けんのそれを上回っている。

石けん(石鹸)には、必ず「石けん」という表示がある

石けん(石鹸)には、固形のものと液体のものの両方がある。「固形石けん」(脂肪酸ナトリウム)は、アルカリとして水酸化ナトリウム(NaOH、苛性ソーダ)を使って作る。一方、アルカリとして水酸化カリウム(KOH、苛性カリ)を使えば、「液体石けん」(脂肪酸カリウム)となる。

石けん(石鹸)の表示(家庭用品品質表示法に基づく表示)をみると、個体であると液体であるとにかかわらず、「品名」の項には必ず「石けん」の文字が入っている。

ここで「複合石けん」とあれば、洗浄成分に石けんと合成界面活性剤(いわゆる合成洗剤)の両方が使われている。さらに「合成洗剤」だけの表示であれば、洗浄成分のほとんどが合成界面活性剤であると考えて間違いない。

同じく「成分」の項をみると、「純石けん分(23%)脂肪酸カリウム」などと表示されている。この場合、純粋な石けん分は23%で、水酸化カリウム(苛性カリ)を用いて作られた石けん(液体石けん)であることを示している。

合成洗剤は分解されにくい

初期のころ(1960年代)の合成洗剤(合成界面活性剤)の分子構造は、石けんよりもはるかに複雑であった。

ハード型(ABS、分枝鎖型アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム)といわれるもので、下水に放出後も分解されにくく(生分解性が低い)、下水処理場や河川などで白く泡立つ現象が世界的に問題となった。

対策として、ソフト型(LAS、直鎖型アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム)が1960年代後半から開発され、白泡の問題は解決された。生分解性の向上をめざして、その後もAS(アルキル硫酸エステル塩)など各種の合成界面活性剤が開発されている。

また、合成洗剤に添加されたリン酸塩(助剤)が富栄養化の原因とされる問題があった。しかし、業務用を除いて無リン化はすでに達成されている。

天然油脂由来の合成洗剤がある

現在では、合成洗剤は天然の油脂からも作られている。ココヤシの種子(ココナッツ)から採取される油脂(ヤシ油)を原料としたもの、あるいは、アブラヤシから採れるパーム油を原料としたものなどである。

これらの原料は、「環境にやさしい植物原料」などといわれているようである。しかし、できあがった洗剤は、石けんよりもむしろ、石油系の合成洗剤に近い性質を持っているとされている。

さらに言えば、ヤシ類から油脂を採取するために、東南アジア各地の熱帯雨林を切り開くなど、環境破壊に加担していることも考えられる。現地の人たちの経済生活を破壊しているかもしれない。現代社会においては、様々な事柄が世界的なつながりの上に成り立っていることを忘れてはならない。

石けん(石鹸)か、合成洗剤か

“石けん”か合成洗剤(植物系あるいは石油系)かの選択は、それぞれの生分解性(石けんが優れる)、有機汚濁負荷(石けんの方が環境負荷が大きいとされる)、魚毒性(石けんの安全性は高い)、油脂消費量(石けんの方が多い)、人体への影響(主婦湿疹など石油系に多いとされる)などを総合的に判断して決めるべきものであろう。

必要なのは科学的データの積み重ねのみである。そして最終的にそれを判断するのは、もちろん賢い消費者である。そのためには、あらゆるデータが正確に分かりやすくきちんと公表されなければならない。もちろん、合成洗剤が”環境ホルモン”として働くかどうかも含めて検討されるべきである。

洗剤の使用量を減らすことが急務

いずれにしても、まず第一に大切なことは、”石けん”か合成洗剤かという選択の問題ではなく、洗剤全体の使用量を削減することである。「朝シャン」などのライフスタイルは、環境に負荷をかけることによって成り立っている。洗剤の適正使用とは何かが今厳しく問われている。

参考:石けん(石鹸)を自分たちで作ってみよう

廃油を利用して個人でも簡単に石けんを作ることができるならば、さぞかし楽しいことだろう。森水の会でも、廃油を利用した石けん作りを体験したことがある。

1992年7月(プリン石けん作り)の材料は、廃油に加えて苛性ソーダとご飯であった。そして同年12月には、苛性ソーダの代わりにオルトケイ酸ナトリウムを加えただけの石けんを作った。

しかしながら、個人で行う石けん作りには多少の注意が必要である。

苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)は劇物であり、火を使うことによってその危険性が増すからである。インターネット上には、火を使わない方法を工夫したものや、オルトケイ酸ナトリウムを使う方法(火は使わないが発熱はする)などが紹介されている。

ところで、家庭で使用する廃油の成分は、その時々によって異なっている可能性があり、そのことも問題となる。同一のレシピに基づいて作ったとしても、すべての場合にうまくゆくとは限らない。

また、手作りの場合、全体を均一にできる保証はない。中途半端に出来上がった石けんでは、かえって河川を汚してしまう恐れがある。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

立ち木トラスト

「立ち木トラスト」とは

「立ち木トラスト」とは、開発予定地の地権者からその土地に生育する樹木のみを買い取り、個々の樹木に名札を取り付けるなどして「立ち木権」を主張し、開発を阻止する運動。
EICネット環境用語集「立ち木トラスト」
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1673

その法的な根拠は「立木(りゅうぼく)ニ関スル法律」(1909年、明治42)にある。この法律では、土地と切り離して、立ち木にも独立した物権(立ち木権)が成立するとしている。これは、古くから山村において行われていた、立ち木を土地の権利と切り離して別個に売買したり担保にする、といった慣習を尊重したものである。

なお、立ち木権を主張するには、登記までしなくても名札(プレート)を掛けたりする方法を施しておけばそれで十分であるとされている。(1920年(大正9)の大審院判例)

立ち木トラストの先にあるもの

ところで、トラスト(trust)とは信託のことで、金銭信託、投資信託などと考え方は同じである。「信じて預ける者」と「それを預かる者」によって成り立っている。

ゴルフ場建設予定地の場合について、その仕組みを考えてみよう。

まず、自然を守りたい地権者がいて、「一緒にゴルフ場開発に反対してください」という願いをこめ、市民に「立ち木」(その土地に生育する樹木)を買い取ってもらう。そして、「立ち木」を買った市民(信じて預ける者)は、そのままその「立ち木」を地権者(それを預かる者)に預けて、その木の寿命がつきるまで管理を委託する、という関係になる。

川の上流の地権者と下流の一般市民が、1本の「立ち木」を介して相互に信じあい託しあうというささやかな「手段」によって、ゴルフ場建設反対運動では全国的に大きな成果をあげている。しかしながら、その先には農業や林業の復権、すなわち地元経済の再生をどうするかという本質的な問題が立ちはだかっている。

立木トラストで森林に活性化の風を吹き込もう(原戸祥次郎)

1996年からは、個人に立木の権利の移らない契約の形をとって、森を育てる手段にも使っています。香川県豊島での、「未来の森トラスト」です。一口1500円、4口で一本の樹を植えるのですが、これまでに3000口ほど植樹資金を集めることができました。植林は地元の人、豊島を支えるボランティアの人、そして「環瀬戸」のメンバーで行いますが、「未来の森トラスト」で集められたお金は植林だけでなく、後々の植林地の手入れや地元の人達の活動資金にも使われます。弁護士の中坊 公平さんたちも「オリーブ基金」と称して、やはり豊島に植林する資金を集め始めました。
西中国山地での「継承の森」構想についても言及
http://hiroshima.cool.ne.jp/kan_ootagawa/Pre_Html/NEWS10/Tachiki.htm

南修治(シンガーソング・ファーマー(百姓)、立ち木トラスト提唱者)

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

21世紀は環境の世紀

人類の誕生と生物多様性

私たち世界中の現代人は、ホモ・サピエンス(Homo sapiens、新人)というたった一つの「種」に分類されている。その新人(現代人)は、10万年前ごろにアフリカで誕生し、6万年ほど前からユーラシア大陸に広がり始めたと考えられている。

新人の誕生は、地球と生物の長い進化の歴史(40億年以上)からすれば、ほんのわずか前の出来事にすぎない。しかしながら、その人類の経済活動の影響を受けて、極めて短期間のうちに多くの動植物がすでに絶滅したり、絶滅の危機に瀕するようになっている。

生物界に最後に登場したヒトの生命は、数え切れないほどの生物たちの相互作用の上に成り立っていることを忘れてはならない。地球規模での環境破壊の進行による絶滅種の増加、すなわち生物多様性の低下は、今やヒトそのものの生存を脅かすまでになっている。

21世紀は環境の世紀

Point of No Return「+2℃」

地球の平均気温が、工業化以前とくらべて「2℃」を超えて上昇するならば、地球の生態系は大打撃を受け、もはや元に戻すことはできないとされている(山本良一編「気候変動 +2℃」ダイヤモンド社(2006年))。

「+2℃」は、人類が決して越えてはならないポイント(Point of No Return)である。WHOは、現在のままの気温上昇が続くならば、2028年にその域に達してしまうと想定している。

人類は、はたして今後の地球環境を守ることができるのであろうか。地球環境問題について、全地球人による〈待ったなしの対策〉が求められている。

ノーベル平和賞(2007年)

ノルウェーのノーベル賞委員会は、2007年度ノーベル平和賞を米アル・ゴア前副大統領(59歳)と「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」に授与すると発表した(2007年10月12日)。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)

「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第4次評価報告書第1作業部会報告書(自然科学的根拠)」は、2007年2月1日パリで受諾された。

報告書は、まず第一に「##気候システムに温暖化が起こっていると断定するとともに、人為起源の温室効果ガスの増加が温暖化の原因とほぼ断定##」している。すなわち、地球温暖化の原因は、人類の活動による温室効果ガス(CO2:二酸化炭素など)の増加による可能性が大であり、その確率は9割以上であると結論づけている。

これは、第3次(前回)評価報告書の結論である「可能性が高い」という表現よりも、さらに踏み込んだものであり、限りなく断定に近い表現になったといえる。

不都合な真実(An Inconvenient Truth)

ハリウッドで開かれた第79回米アカデミー賞授賞式(2007年2月25日)で、「不都合な真実(An Inconvenient Truth)」(デイビス・グッゲンハイム監督)が、長編ドキュメンタリー賞など2部門でオスカーを授賞した。

この映画は、米アル・ゴア前副大統領自らが、世界各地で地球温暖化防止を訴えてきた講演会の様子などを基に作られたドキュメンタリー映画で、全世界で反響を呼んだものである。

なお、アル・ゴア氏の大邸宅では、ノーベル賞受賞後、急遽省エネルギー対策をとっている。米国をはじめとするエネルギーの大量消費社会こそ、地球温暖化の最大の要因である。

生物多様性基本法(2008年6月施行)

生物多様性基本法

生物多様性基本法は、わが国初の生物多様性保全を目的とした基本法として2008年6月に施行された。本基本法の目的は、「平成21年版 環境・循環型社会・生物多様性白書(環境省編)」の語句説明「生物多様性基本法」によれば、

生物多様性の保全及び持続可能な利用について基本原則を定め、国、地方公共団体、事業者、国民及び民間の団体の責務を明らかにするとともに、生物多様性の保全及び持続可能な利用に関する施策の基本となる事項を規定した法律。生物多様性に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、生物多様性から得られる恵沢を将来にわたって享受できる自然と共生する社会の実現を図り、あわせて地球環境の保全に寄与することを目的とする。

となっている。

環境影響評価(環境アセスメント)

生物多様性基本法は、「事業者の責務」について次のように述べている。

第六条 事業者は、基本原則にのっとり、その事業活動を行うに当たっては、事業活動が生物の多様性に及ぼす影響を把握するとともに、他の事業者その他の関係者と連携を図りつつ生物の多様性に配慮した事業活動を行うこと等により、生物の多様性に及ぼす影響の低減及び持続可能な利用に努めるものとする。

法の適切な運用が望まれるところである。

1993年8月号P.06
環境アセスメント制度に異議あり
「環瀬戸内海会議」立木トラスト事務局長
船木高司

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

農薬空中散布

マツ枯れ対策としての農薬空中散布

日本全国の多くの自治体では、毎年5月~6月ころになると、スミチオンなどの農薬を空中から散布する作業(空散)が繰り返し行われている。

「松くい虫特別防除法」(1973年制定)に基づいて始まった事業で、マツ枯病(松くい虫被害)の被害対策を目的としたものである。

その後、この法律は「松くい虫被害対策特別措置法」(1977年制定)となり、さらには同法を吸収した「森林病害虫等防除法」(1997年制定)として事業実施の根拠となっている。

マツ枯病(松くい虫被害)の原因は何?

マツ枯病の原因はマツノザイセンチュウという線虫にあるとする説が1971年に日本で発表され、1973年には「松くい虫特別防除法」が制定された。

この法律に基づき、全国各地で農薬の空中散布(空散)が始まった。しかしながら、空散開始から30年以上の年月を経て、マツ枯れの被害はむしろ広がっているといえるのではなかろうか。

マツ枯れザイセンチュウ説

マツ枯れザイセンチュウ説によれば、マツノザイセンチュウ(材線虫)がマツの幹にある仮導管(針葉樹は導管をもたない)で繁殖し、マツの水分を吸い上げる機能が妨げられる結果、マツ枯れに至るのだという。

なお、材線虫は体長1mm未満であり、その伝播(移動)には、媒介者としてマツノマダラカミキリ(カミキリ虫の一種)が欠かせない。

材線虫は、元々日本には生息せず、北アメリカから入ってきたものである。そのため、日本列島周辺に自生するマツ属は抵抗力が弱いとされている。最近では、被害は韓国そして中国本土や台湾にも広がり、EU(ヨーロッパ連合)でも問題にされはじめたようである。

マツ枯れ大気汚染説、そのほか

マツ枯病の原因は、ほんとうにマツノザイセンチュウ(そしてそれを媒介するマツノマダラカミキリ)なのだろうか。大気汚染による酸性雨の影響などそのほかの原因は考えられないのだろうか。原因を取り違えていることはないのだろうか。学会での真摯な討論が積み重ねられることを切に願うものである。

スミチオンは安全か

スミチオンなどの農薬は、人体にとって安全といえるのだろうか。すぐに分解されてしまうので大丈夫だとほんとうにいえるのだろうか。

農薬散布で生態系をみだすことはないのか?

空中散布した農薬は、媒介者としてのマツノマダラカミキリ以外の生物は殺さないというのだろうか。そんなことは考えられない。スミチオン散布によって、目的以外の「種」の生存が脅かされることは否定できない。

空中散布された農薬が拡散することはないのか?

空中散布された農薬は、航空防除区域内だけに留まり、その外側へ飛散することはないのだろうか。あるいは、地下水などをとおして周囲へ拡散する恐れはないのだろうか。

信濃毎日新聞(2009年1月28日付け)によると、長野県厚生連佐久総合病院(佐久市)は、「上田市が松くい虫対策で農薬を空中散布している場所に近いほど、頭痛やのどの痛みを訴える人の割合が高い傾向にある」として、上田市に農薬空中散布の中止を申入れている(1月27日)。

上田市の母親グループに依頼したアンケート調査に基づくもので、同母親グループも連名で申入れを行っている。その後上田市では、農薬空中散布を中止したという。(新聞各紙2009/05/14付け)

科学的な検証及びデータの公開が望まれる

そのほか、空散に代えてマツの樹幹へ薬剤を直接注入する方法や、マツ枯れたマツの処理方法など、検討すべき課題は多岐にわたっている。

マツ枯病の原因とその対策について、総合的な検討がなされ、それらデータが一般市民にも公開されることが望まれる。今こそ、専門家、行政そして市民が三位一体となった取り組みが求められている。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

お知らせ(細見谷渓畔林と十方山林道)

2018/06/23
WordPressで再構築を再開しました。
鋭意リンク整備を行います。
よろしくお願いいたします。

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

1995年(平成7)の活動記録

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 細見谷渓畔林と十方山林道 >>「創立20周年記念誌(草稿)

植林用の土地を確保する
-(有)村上造林さんの社有地 -

西中国山地ブナの森づくり

村上造林さんから植林地の提供をうける

森水の会では、1993年(一昨年)から植林用の苗木(広葉樹)を種から育てています。苗床(吉和村役場近く)は、西山林業組合さんのご厚意でお借りしているもので、苗木は順調に育っています。これらを、そろそろ植林をしなければならない時期になってきました。

しかし残念ながら、昨年のことですが、植林地として予定していた西山林業組合の土地をお借りすることができなくなってしまいました。しかたなくほかの場所をさがして、昨年来、山県郡筒賀村(現・安芸太田町)や県とも話し合いましたがうまくゆきません。

今年になって、同じ西山林業組合に所属する(有)村上造林の村上弘社長から、「場所を提供しましょうか」というありがたいお話をいただきました。そこで今年は、従来どおりの苗床の管理に加えて、新たに決まった植林地(もみの木森林公園東隣り)の整地作業(10/7)を始めました。

植林のためには、広葉樹の種はいくらあっても困ることはありません。村上造林さんのご協力で行なった「ドングリひろいの会」(10/8)や、森水の会主催の「紅葉の十方林道を歩こう会」(10/29)で、ブナやトチの実を拾って集めました。

来年こそ、いよいよ植林(4月予定)です。

中国新聞の取材を受ける

私たちの「西中国山地ブナの森づくり」について書かれた記事としては、過去に、「中国山地にブナの森再生を」(中国新聞記事、1993年10月1日付け)があります。そして、今年末には同新聞解説室の取材を受け、その記事2本が掲載されました。

-「中国新聞記事」(1995年12月25日付け):この一粒の実 ブナ林に育て、西中国山地で自然愛好家ら挑戦。あわせて植林地募集の希望も掲載(後日貸与の申し出あり)。
-「中国新聞・この人」(1996年1月9日付け)、西中国山地で木の実を拾いブナの森づくり、「森と水と土を考える会」事務局長・森田修さん。

なお、その半年後、さらに別の記事が掲載されました。「論点2、上・下流 どう連携しますか」―「地方の自立」に向けて、100年先を楽しみに植林―(中国新聞記事、1996年6月23日付け)

ゴミ問題、その他の活動

森水会報2月号に「今後の活動方針」として原戸祥次郎さんの言葉が載っています。「太田川を水系の視点から今一度とらえ直したい。海・漁師・川の生物・町の住民・上流の住民・流域の環境・山の生物が、川を通じて有機的につながっていたかつての健康な太田川を取り戻そう」

森水の会では、昨年からゴミ問題を大きな課題として取り組んでいます。ゴミ問題を考えるため、今年の総会(1/29)では、馬場浩太さん(広島修道大学教授)による講演を企画し、引き続いて、馬場さんによる連続学習会(3/26など3回連続)も行いました。

福富町のシイタケ栽培(1992/2/16、コマ打ち)で成果が上がり始めました(ほだ木1本1,500円で販売)。そして今年は、山口裕子さん宅(広島市東区福田)で50本の原木を準備しました。

出島沖埋立反対署名では、環境アセスメント時に意見書を県と環境庁に提出しました。

1995年年表

-1月15日(日)、農薬空中散布をやめさせる全国交流集会&シンポジウム(島根県松江市)
-1月22日(日)、上関みかん狩りツアー(山口県上関町)
中国電力は昨年末に「環境影響調査」強行、今年4月には上関町長選挙
共催/原発はごめんだヒロシマ市民の会、森と水と土を考える会
-1月29日(日)、森と水と土を考える会総会、馬場浩太会員による市民環境自主講座
「長続きできる人と環境の関わり方」-ごみと環境汚染を考える-
(カトリック幟町教会マリアホール、広島市中区幟町)
-3月19日(日)、植林用の苗畑手入れ(広島県吉和村)
苗木の植え替え、植林用の種まき少々
-3月26日(日)、馬場浩太会員による連続学習会(第1回)
「自然界の中のゴミとリサイクル」-公害の歴史と環境の使い捨て-
(森水事務所にて)
-4月30日(日)、植林用の苗植え(広島県吉和村)
-5月13日(土)、環瀬戸内海会議事務局会議(愛媛県今治市)
-5月14日(日)、藻場を見る会(広島市南区出島)
-5月21日(日)、環瀬戸内海会議事務局会議(岡山県岡山市)
-5月28日(日)、森水の会結成5周年、綿植え&交流会
広島市白木町の「ゴミ処分場」建設に反対している地元の方々と交流会(昨年5/29以来)-4月、馬場浩太会員による連続学習会(第2回)
「産業社会が作りだすゴミとリサイクル」-なぜゴミは増え続けるのか、日本の現状と欧米-
-5月、馬場浩太会員による連続学習会(第3回)
「市民が選び取る循環型社会への道」-今、私たちにできることは何か-
-6月3~4日(土・日)、環瀬戸内海会議総会(兵庫県神戸市)
-6月25日(日)、高圧線問題全国ネットワーク、電磁波公害追放!全国集会(第3回)
講演/荻野晃也、有泉均、藤田幸雄の各氏
主催/高圧線問題全国集会広島実行委員会
(エソール広島多目的ホール、広島市中区富士見町)
-7月15日(土)、植林用苗畑の草取り(広島県吉和村)
-7月24日(月)、村上弘さん(村上造林社長)と話し合い、植林地貸与合意
-7月30日(日)、植林用苗畑の草取り(広島県吉和村)
-8月6日(日)、植林用苗畑の草取り(広島県吉和村)
-8月20日(日)、事務所維持について緊急会議(森水事務所)
-8月27日(日)、山仕事体験学習(村上造林社有林)&借用予定地視察
-9月17日(日)、東広島署名協力(ゴルフ場問題)
-9月18日(月)、南修治フォークコンサート&文明、子育て、教育、環境問題、生き方などについて(みんなの広場/森田修会員が新規開設した不登校児のためのフリースペース)
-10月7日(土)、植林地の整地作業(第1回)、もみの木森林公園東隣り
-10月8日(日)、西中国山地ブナの森づくり運動、ドングリひろいの会
協力/有限会社・村上造林(もみの木森林公園南側の社有林にて)
-10月22日(日)、環瀬戸内海会議代表者会議(岡山県岡山市)
-10月25日(水)、1995年度種まき(吉和村)
-10月29日(日)、紅葉の十方林道を歩こう会
水越峠~下山橋周辺散策~(引き返す)~水越峠~二軒小屋駐車場
ブナやトチの実を多数採取
-11月11日(土)、ポール・ブローダー氏講演会
主催/ポール・ブローダー全国講演実行委員会(広島の連絡先/電磁波問題を考える会)(広島市南区民文化センター3階大会議室A、広島市南区比治山本町)
-11月12日(日)、植林地の整地作業(第2回)、もみの木森林公園東隣り
-11月19日(日)、植林地の整地作業(第3回)、もみの木森林公園東隣り
-11月23日(木)、広島地区平和年の集い(森水の会もフォーラムの一つを担当)
主催/カトリック広島司教区広島地区平和年推進委員会
(世界平和記念聖堂、広島市中区幟町)
-12月2日(土)、植林用苗畑で根おこし&種まき(広島県吉和村)
ブナ、クリ、ミズナラなどの種を植える
-12月10日(日)、いのちの源、渚をつぶさないで-出島・岩国基地沖合埋立てを考える-、記念講演/讃岐田訓さん、パネラー/阿部悦子、田村順玄、森田修の各氏、コーディネーター/湯浅一郎さん、呼び掛け団体/森水の会、環瀬戸内海会議、ピースリンク広島・呉・岩国(広島YMCA、広島市中区八丁堀)
-12月17日(日)、事務所掃除&忘年会

そのほかの資料など

-林勤著「山が悲鳴をあげている」-ゴルフ場造成地からの報告-
近代文芸社(1995年)、広島県新市町在住

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

1994年(平成6)の活動記録

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 細見谷渓畔林と十方山林道 >>「創立20周年記念誌(草稿)

植林用の苗木(広葉樹)を種から育てる
- 専門家の指導を受ける -

西中国山地ブナの森づくり

森づくり2年目に入る

今年は、西中国山地ブナの森づくりに向けて、植林用の苗木作りに精を出しました。ただし、大規模林道問題に直接関連したイベントを実施することはありませんでした。

専門家に植林の方法を学ぶ

私たちは、昨年から植林用の苗木(広葉樹)を種から育てています。苗床では、昨年まいたトチが芽を出しています。

さて、今後実際に植林をする場所として、吉和村にある西山林業組合の育成林を使わせていただけることになりました(注:後日植林地変更)。

そして、同組合の所有林で、育成樹の管理の基礎知識を学ぶことができました(8/21、9/24~25)。林業の専門家に、全て手弁当でご協力いただき教えていただきました。ほんとうにありがたいことです。

今年の秋もドングリの種を集めました(10/23)。その種は、一週間くらい水に浸し虫をチェックした後、苗床に植えました(11/6)。種植えや苗木の植え替えのため、今までの畑をもう一度耕し畝立てをし直しました。

ゴルフ場建設問題

環瀬戸内海会議(立ち木トラストから立ち木バンクへ)

環瀬戸内海会議の4周年大会(5/21~22)を広島県上下町で実施しました。大会では、森の再生まで視野に入れたトラスト、すなわち「立ち木バンク」構想が持ち上がってきました。ゴルフ場の建設(自然破壊)を止めるためのトラストから一歩踏み出したものといえます。

環瀬戸内海会議では、引き続いて、広島県東広島市西条町で初めての立ち木トラストを開始(9/25)しました。同市内のゴルフ場開発予定地3か所のうちの一つを取り上げたものです(東広島市内ではすでに7か所で営業中)。そして、同会議の立ち木トラスト4周年記念集会広島(11/26~27)では、現地見学会を催しました。

また、同記念集会では、広島県白木町井原の大谷で、ゴミ最終処分予定地も見学(11/27)しました。同予定地については、事前に地元の方々との交流会(5/29)や広島市環境局担当者との話し合い(7/3)を行っていました。

そして、立ち木トラストを実施する予定になっていました。しかし最終的には、立ち木トラストは現地の活動団体自身の手で行われることになりました。

『里山トラスト』、山田国廣編著、北斗出版(1994年)

副題には “一本の立木が地域と都市をむすぶ”とあり、環瀬戸内海のメンバーが多数執筆(原戸さん、船木さんも)しています。

その内容は、「MARC」データベースによれば「里山は生活と直結した山だ。水を供給し、安全な食べ物の生産を保証し、豊かな自然を人々が享受できる共有地としての働きをしてきた。乱開発からこの自然を守るため立木や土地を買い、そこで生きる人々と連携するのが里山トラストだ」となっています。

広島県ゴルフ場問題連絡会(福富町のゴルフ場問題、前町長事前収賄の罪で起訴)

広島県福富町のゴルフ場問題については、中国新聞記事(1994年2月5日付け)にあるように、前福富町長が事前収賄の罪で起訴されたため、県や町もゴルフ場開発に必要な森林法などに基づく許認可作業を事実上ストップしてしまいました。それらのことを踏まえた上で、広島県ゴルフ場問題連絡会として広島県との交渉を行う(3/14)など活動を継続中です。(前出、1992年)

「水」問題を取り扱った映画を2本上映

映画を2本、相次いで上映しました。いずれも、地球環境を考える上で欠かすことのできない「水」の問題を取り扱った映画です。

ドキュメンタリー映画「水からの速達」(監督/西山正啓、1993年)では、日の出町(東京都西多摩郡)において「ゴミから出る有害物質が地下に浸透して水源を汚染している」という事実を取り上げています(3/5~6上映)。

長編記録映画「あらかわ」(監督/萩原吉弘、1993年)では、荒川上流にある滝沢ダムをめぐる水没地区住民の激しい抵抗を中心に描いています(11/12上映)。森水の会では、「あらかわ」のフィルムを他の二つのグループと共同で購入しました。

そのほか

これらの苗木は、雪による被害を防ぐため、冬が来る前に一度苗木を抜いて一か所に集め、横に寝かせ土をかぶせておきます。

そして、春が来て木の芽が動き出す前に、もう一度きちんと畝に植え直します。温かい日が続くと、根が伸び始めて苗木が弱る恐れがあります。したがって、植え直すタイミングが大切です。また、春先の霜から守るため、ワラや落ち葉を敷くことも必要です。

1994年年表

-1月30日(日)、森と水と土を考える会総会(第4回)
藤岡会員によるスライド上映(呉湾の生物状況について)など
(カトリック観音町協会、広島市西区観音町)
-2月5~6日(土・日)、環瀬戸内海会議
-2月22日(火)、長編記録映画「あらかわ」試写会&萩原吉弘監督のお話
(昼:リード学習塾、夜:キリスト教会館)
-2月18日(金)、ゴルフ場問題広島県連絡会、福富町について
-3月5~6日(土・日)、ドキュメンタリー映画「水からの速達」(監督:西山正啓さん)上映&講演/森からの手紙、田島征三さん
(広島市東区民文化センター3/5、安佐北区民文化センター3/6)
-3月14日(月)、ゴルフ場問題広島県連絡会、広島県との交渉
-3月28日(月)、広葉樹植林地提供を筒賀村に申し入れ
-4月14日(日)、井手俊彦さん講演&シンポジウム
(広島YMCA2号館)
-5月21~22日(土・日)、環瀬戸内海会議4周年大会(広島県上下町)
記念講演/森住明弘さん「公害時代から環境次代へ」
「立ち木バンク」構想持ち上がる
-5月29日(土)、広島県白木町のゴミ処分場問題、地元の方々と交流会実施
-7月3日(日)、広島市におけるゴミ行政について、広島市環境局担当者との話し合い
-7月17日(日)、苗畑の草取り(広島県吉和村)
-7月31日(日)、苗畑の草取り(広島県吉和村)、山仕事体験学習中止(予定変更)
-8月21日(日)、山仕事体験学習(植林地の下草取り)
-9月24~25日(土・日)、山仕事体験学習(下枝払い)
-9月17~18日(土・日)、第1回水源問題全国連絡会&苫田ダム建設阻止全国集会(岡山県奥津町)
-9月25日(日)、広島県東広島市西条町ではじめての立ち木トラスト開始
主催/環瀬戸内海会議(阿部悦子代表参加)
-10月23日(日)、ドングリ拾いの会(芸北町聖湖キャンプ場)
-11月6日(日)、ドングリ種まき(広島県吉和村)
-11月12日(土)、長編記録映画「あらかわ」自主上映会
フィルム共同購入/森と水と土を考える会、ゴミと水を考える会、松枯れと大気汚染を考える会
-11月26~27日(土・日)、環瀬戸内海会議「立ち木トラスト4周年記念集会」(広島市)
–11月26日、宇井純さん講演「瀬戸内の水環境」、その後、阿部悦子代表が加わって両者で対談(聖母幼稚園、広島市中区幟町)
–11月27日、ゴミ最終処分予定地見学(広島県白木町井原の大谷)、東広島市のトラスト地の見学

そのほかの資料など

山田国広編著「里山トラスト、一本の立木が地域と都市をむすぶ」北斗出版(1994年)2,500円。環瀬戸内海会議の各地の方が執筆しています。(森水の会では、原戸さん、船木さん)
中国新聞「中国論壇」(1994年8月29日付け)
野村英二さん(全水道中国地本顧問)「広島市の上流地域での広葉樹林購入」を提案

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

1993年(平成5)の活動記録

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 細見谷渓畔林と十方山林道 >>「創立20周年記念誌(草稿)

「西中国山地ブナの森づくり」始動
- 畝を作り、広葉樹の種をまく -

西中国山地ブナの森づくり

広葉樹の森に注目、「冠山・小川林道を歩く会」を実施

森水の会では、一昨年「広葉樹による不伐の森づくり」構想を打ち出しました。しかし、昨年は特に具体的な行動を取ることなく終わりました。

今年になって、「広島県に吉和冠山北東側のブナ林を買い上げる計画」(朝日新聞記事、1993年2月23日付け)があることが分かってきました。広島県では、ツキノワグマを保護するため、スギ・ヒノキといった「針葉樹の植林」ではなく、「広葉樹の森」に注目しているというのです。森水の会と同じ考え方なのでしょうか。

まずはともかく、”吉和冠山北東側”を歩いてみようということになり、「冠山・小川林道を歩く会」(5/30)を企画しました。当日は、広島県森林保全課や西山林業組合の方々にご協力いただき、植物や小鳥の説明など充実したフィールドワークを実施することができました。

広葉樹の森づくり、一年目の作業(畝を作り、種をまく)

「冠山・小川林道を歩く会」開催後、お世話になった「西山林業組合」の専務さんから、「山を貸してもいいよ」というありがたいお話をいただきました。いよいよ私たちの不伐の森(継承の森)構想を実行に移す時がきたのです。

森水の会では、「広葉樹の植林」を行うことを考えていました。そこでまず、植林の「いろは」から教えていただきました。

一般的に、植林をするときは、種を直接現場にまくのではなく、発芽して三年程度育った苗を植えるのだそうです。私たちは、植林用の苗(広葉樹)を、自分たちの手で種から育てることにしました。そのための苗床として、広島県吉和村役場近くに土地を借りることができました。

さっそく、十方山林道で種拾い(10/10、10/17)などの準備をして、畝作り(11/20)、種まき(11/21)を行いました。今年の作業では、ブナ約3合、トチ約10kg、カシ約2合、ミズナラ・コナラ約500~600個、その他約500個を使用しました。(結果:トチの芽は出ましたが、ブナやミズナラは霜でやられてしまいました)

ゴルフ場建設問題

環瀬戸内海会議(香川県豊島を初訪問)

5月の環瀬戸内海会議三周年記念大会(大分県・国東半島)には、森水の会から、原戸祥次郎さん(「環瀬戸内海会議」事務局長)と船木高司さん(「環瀬戸内海会議」立ち木トラスト事務局長)が出席しました。そして、それぞれ報告を行いました。

9月の環瀬戸内海会議秋の大会(香川県直島)では、大手学習塾の福武書店(本社・岡山市、現・ベネッセコーポレーション)が計画しているゴルフ場開発問題について考えました。

その時の直島宣言(9/9付け)によれば、瀬戸内トラストのオーナーは5,000人以上で、立ち木は12,000本に達しています。この三年間で24か所のトラストを行い、10か所以上でゴルフ場開発をストップさせてきました。(立ち木1本1,500円)

直島(なおしま)大会では、産業廃棄物(産廃)にゆれる豊島(てしま)見学もあり、その後の豊島問題への第一歩を踏み出すことになりました。

広島県ゴルフ場問題連絡会(原戸会長が上京して申入れ)

今年の総会(4/25)では、竹原市吉名のゴルフ場開発を重点的に取り上げることになりました。竹原市吉名は、今では瀬戸内海唯一のカブトガニ生息地になってしまったと考えられている地域です。原戸祥次郎さんが上京して、環境庁や当該企業に対して吉名の開発中止を要請(11/8)しました。

ところで、上記総会では、吉名のほかにもう一つの取り組みを決定しています。ゴルフ場及び予定地付近の水質調査(井戸水や河川の水)を全県的規模で継続的に調査しようというものです。住民による監視機構として有意義な試みといえるでしょう。

二度目の美術展開催など

美術展「Save Our Green Earth」開催

「見捨てられたモノをアートする」と題して、森水の会二度目の美術展を開催しました(11月後半の4日間)。展示された作品は20点で、入場者数は約1,400人でした。

会場として、前回(1991年11月、「ペーパーワーク21ひろしま展」)同様、天満屋八階催物会場の一部を無料でお借りしました。なお、美術展はこの後、三次・上下の二か所を巡回しました。

原発を考える

森水会報9月号p.6-7に、「上関原発10年の歩み」が掲載されました。学習会「電磁波ってなに?」(10/3)も始りました。原発問題は森水の会の関心事の一つなのですが、現場が隣県(山口県上関町)ということもあり、今一つ主体的に取り組めないもどかしさがあります。

縁農など

橋岡伸明さんの橋岡農場(旧比婆郡口和町)では、昨年に引き続き、田植え(5/23)、草取り(7/4)そして稲刈り(9/26)までの一連の作業をお手伝いしました。

ゴミ問題

会報12月号p.4-6で、西川恵子さんが、広島県白木町井原の大谷(太田川上流の水源)のゴミ埋め立て計画について訴えています。

そのほか

中国新聞記事によると、「野生生物の保護対策など自然環境保全事業に広島県(竹下虎之助知事)が本腰」を入れ始めたようです。

そこではまず、ツキノワグマが対象の一つとして選ばれました。そして、その保護のために西中国山地のブナ林を買い取ることになったようです。

こうした動きについて、中国新聞「社説」(1993年3月12日付け)は、「中国山地のブナ林を守ろう」と題して高く評価しています。そして同社説は「ブナ林の保全は、農山村ではなく、むしろ瀬戸内都市の課題であろう」という文章で締めくくっています。

その二年後、中根周歩さん(広島大学教授)は、中国新聞・中国論壇(1995年3月6日付け)で次のように述べています。「渇水対策と自然林育成」:水源の森は、不伐の自然林(特に広葉樹林)とすることが望ましい。広葉樹林の方が、スギ・ヒノキなどの針葉樹林よりも治水機能(土壌浸透能および貯水力)に優れている・・・。

記念講演は、実原進さん(広島県上下町)の「人に優しい町づくり」でした。上下町では、ゴルフ場を撤退させた後、町民自身が楽しむためのレジャー施設を作ったりしています。

例えば、ゴルフ場に反対する仲間たちで、”ナバランド”という「きのこの国」を作り、しいたけを育てて得たお金でログハウスを建てています。

地域活性化のため大変参考になる試みです。なお、翌1994年の環瀬戸内海会議は、上下町で実施することになりました。

1993年年表

-1月25日(月)、中根周歩さん(広島大学教授)講演会
「ゴルフ場が自然環境と市民に与える影響について」
主催/福田・馬木のゴルフ場建設問題を考える会
(福田公民館、広島市東区福田)
-2月7日(日)、森と水と土を考える会総会
-2月10日(水)、広島県ゴルフ場問題連絡会
-2月14日(日)、美土里町トラスト開始
-2月25日(木)、公文書公開公聴会
-2月28日(日)、田島征三・小室等ジョイントトーク
主催/クラムボンひろしま(カトリック観音町教会、広島市西区観音町)
-3月15日(月)、南修治コンサート
主催/森水の会、のら屋(のら屋、広島市西区天満町)
-4月23日(金)、広島県ゴルフ場問題連絡会、広島県との交渉
-4月25日(日)、広島県ゴルフ場問題連絡会総会、広島県下16団体27名参加
(三原市福祉会館、広島県三原市城町)
-4月29日(木)、縁農(広島県東広島市、加藤農場)
畑の草取り、タケノコ掘り(”百姓や”さんの企画に相乗り)
-5月15~16日(土・日)、環瀬戸内海会議三周年記念大会(大分県・国東半島)
記念講演「人に優しい町づくり」実原進さん(広島県上下町)
-5月16日(日)、向原とうふ亭三浦、大豆植付け参加、主催/百姓や
-5月23日(土)、縁農(広島県口和町、橋岡農場)田植え、主催/百姓や
-5月24日(月)、広島県森林保全課への協力要請
冠山・小川林道を歩く会(5/30)について
-5月30日(日)、新緑の中を歩こう会
吉和冠山・小川林道(吉和冠山北北東側の小川川沿い)
-6月20日(日)、和紙をすいてみませんか(大竹手すき和紙の里)
-7月4日(日)、縁農(広島県口和町、橋岡農場)田の草取り、主催/百姓や
-9月4~5日(土・日)、継承の森構想実現に向けて、五里山系偵察ヤブ漕ぎ
-9月11~12日(土・日)、環瀬戸内海会議(香川県直島)
-9月23日(木)、継承の森構想(具体的な場所、方法について)、西山林業組合さんからレクチャー(広島県吉和村)
-9月26日(日)、縁農(向原町)稲刈りその他、主催/百姓や
-9月26日(日)、人と樹セミナー(第11回)、枯損木の処理(広島県大竹市)
原戸会長「継承の森」構想についてアピール、主催/人と樹セミナー
-10月3日(日)、縁農(広島県口和町、橋岡農場)稲刈り(手で刈り取り)、主催/百姓や
-10月3日(日)、学習会「電磁波ってなに?」、講師/馬場浩太会員
(竹屋公民館、広島市中区宝町)
-10月10日(日)、十方林道でドングリ拾い(ブナの森づくり実践スタート)
-10月17日(日)、種拾い
-11月7日(日)、土・水・空気を生かしん祭
-11月7~8日(日・月)、「企業に対する環境行動ネットワーク」結成集会
原戸祥次郎会長が8日の抗議行動や環境庁での署名提出および交渉に参加
(国民生活センター、東京都品川区)
-11月10日(水)、名称「西中国山地ブナの森づくり」と決定
-11月20~21日(土・日)、ブナの森づくり始まる
20日畝作り、21日種まき
-11月23~26日(火~金)、美術展「Save Our Green Earth」
見捨てられたモノをアートする(天満屋8階催物会場、広島市中区胡町)
-12月4~5日(土・日)、リゾート・ゴルフ場問題全国交流会(第10回)
世界一過密の千葉県市原市から、講演講師/湯浅一郎さん(通産省呉工業技術院)、青木敬介さん(播磨灘を守る会主宰)、主催/リゾート・ゴルフ場問題全国連絡会
-12月10日(金)、ドキュメンタリー映画「水からの速達」無料試写会
(広島YMCA地下「作法室」、広島市中区八丁堀)
-12月19日(日)、例会・事務所掃除・忘年会

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

1992年(平成4)の活動記録

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 細見谷渓畔林と十方山林道 >>「創立20周年記念誌(草稿)

「広葉樹による不伐の森」構想
- “西中国山地ブナの森づくり”に向けて -

西中国山地ブナの森づくり

「広葉樹による不伐の森づくり」構想は準備中

森水の会では、昨年「広葉樹による不伐の森(継承の森)づくり」構想を打ち出しました。発案者は原戸祥次郎さんです。ところで、なぜ広葉樹の森なのでしょうか。針葉樹ではだめなのでしょうか。

私たちは、西中国山地の広葉樹の森こそ、太田川の水の豊かさ(質・量ともに)の源であると考えています。今の太田川は病んでいます。現在よりもはるかに豊かだった太田川の恵みを取り戻すためには、スギ・ヒノキといった針葉樹の植林(拡大造林)を行う前の広葉樹の豊かな森を復元する以外に道はありません。

そして、そのことを実行するのは、太田川の下流に住み、その恩恵を受けている私たちに与えられた役割だと考えているのです。

写真展「私の十方林道」(西中国山地の自然をたずねて)

今年は、広葉樹の森づくりについて、具体的には何の活動もできませんでした。しかし、年明け早々(1/17~25)、写真展「私の十方林道」(西中国山地の自然をたずねて)を開催しました。34人の方から100点の出品があり、入場者数1970人でアンケートも162通いただきました。

写真展の最終日(1/25)には、田中幾太郎さんのセミナー「さまようクマ」を実施しました。112名の参加者があり、会場はあふれんばかりの熱気に包まれました。

十方林道を歩こう会や親子観察会など

十方林道を歩こう会(5/24)135名参加、十方林道親子観察会(8/1~2)25名参加などを実施しました。

大規模林道と法律について、弁護士さんの話を聞いて勉強(3/19)しました。行政に対して何かアクションを起こしたい、ただ単に何々に反対というレベルから、私たち自身の手で「状況を創り出す」取り組みが必要であると考えるようになりました。市民運動としての取り組み・提案にどこまで責任が持てるのか、今後の課題です。

ゴルフ場建設問題

環瀬戸内海会議(立ち木トラスト)

環瀬戸内海会議の一員として、本年も各地の立ち木トラスト札かけに参加しました。瀬戸内トラスト一万本達成記念(徳島県池田町黒沢湿原での百年トラスト札かけ、10/10~11)、山口県柳井市伊睦(11/1)、香川県直島(11/29)、広島県高田郡甲田町(12/20)などです。

福富町(広島県賀茂郡)でシイタケ栽培

福富町のゴルフ場問題で立ち木トラストを行っている方に可部田さんがいます。その持ち山のクヌギを当会で買い取り、シイタケを作って販売まで行う予定で、シイタケの「コマ打ち、菌打ち」(2/16)を行いました。なお、シイタケの原木は、昨年12月に切り出しておいたもので、実際にシイタケが取れ始めたのは、「コマ打ち」から3年後の1995年のことです。

朝日新聞記事(1992年2月22日付け)は、「コマ打ち」の時の同行記事です。作業を手伝った田万里正三さん(77歳)は、「竹仁の水を守る会」を結成してゴルフ場建設反対運動をしている方です。同記事の中で田万里さんは、「山の本当の使命を知ってもらいたいから、街の人も大歓迎」と話しています。マチとムラの交流のあり方について示唆に富んだお言葉です。

福富町のゴルフ場問題では、広島県に「賀茂郡福富町のゴルフ場開発平面図」の公文書公開を求めました(本年7月)。しかし、7月7日付けで却下されました。そこで、異議申立書を提出しました。さらに、立ち木トラスト札かけ(10/18)を行いました。

そうした中で、読売新聞(1992年7月30日付け)に「保安林”消えた”、広島・福富町のゴルフ場予定地」という記事が載りました。なんと、広島県福富町が、ゴルフ場建設予定地内にある保安林指定地を隣接の土地と合筆したため、登記簿上は建設予定地内に保安林が存在しないことになってしまったのです。

これら一連の手続きには、何らかの無理があったのでしょう。二年後の1994年に、当時の福富町長が事前収賄の罪で起訴されました。そして、当該ゴルフ場の開発は事実上ストップしました。

そのほか、広島県ゴルフ場問題連絡会として、三次市で集会を持ったり(7/26)、県議さんとの懇談会(11/17)を実施しました。

活発な会員活動

縁農(橋岡農場)や石けん作りなど

橋岡伸明さんの橋岡農場(口和町)では、田植え(6/14)、草取り(7/25)そして稲刈り(9/27)まで一連の作業のお手伝いをしました。そのほか、味噌作り(3/1)、豆腐作り(5/31)、苛性ソーダを使った石けん作り(7/18)、あるいはオルトケイ酸ナトリウムを使った石けん作り(12/11)などを行いました。さらに、宍道湖のシジミも販売しました。

会員の自主的な活動状況について

森水の会では、会員自らが積極的に先頭に立って、いくつかの活動を引っ張っています。

石けん作りでは、元石義己さん(西原暮らしを見つめ直す会所属)が講師を務めました。また、牛乳パックを使った手すきハガキ作り講習会(講師、狩野美紀子さん)が連続9回のシリーズ(3/18~12/4)で行われました。洗剤について考える試み(久保美恵子さん)もありました。

本年の会報(年10回程度、ほぼ毎月1回発行)には、石井出かず子さんの「中国山地のたたら」が全5回シリーズで掲載されました。石井出さんの後を受けて、原戸祥次郎さんの「包丁研ぎ」講座の掲載や実地講習が行われました。「リサイクル社会」よりも「使いきる生活」を提唱したものです。

また、会員が主宰する別の組織に、森水の会として協力することもあります。

例えば、二酸化窒素調査(青空モニター、3/7~8など)では、青野健二さん(松枯れと大気汚染を考える会代表)に森水の会として協力をしました。あるいは、講演会「家庭のなかの省エネルギー」(11/18)は、岸本久美子さん所属の「むらさきつゆ草の会」の主催行事です。

さらには、森水の会の外で意見を述べる場を与えられる会員もいます。本年は、森田修さん(3/21)、青野健二さん(3/28)そして小滝悦子さん(10/15)が、それぞれの場所で話をしました。

そのほか

写真展のセミナー講師の田中さんには、事前に手紙「「足柄山」のロマンを次代に」をいただきました。西中国山地を思う田中さんの温かい気持ちが伝わってくるすばらしい文章です。

1992年年表

-1月17~25日(金~土)、写真展「私の十方林道」-西中国山地の自然をたずねて-
(NTTインフォメッセ、広島市中区袋町)
-1月25日(土)、セミナー「さまようクマ」田中幾太郎さん(島根野生生物研究会)
(NTTインフォメッセ、広島市中区袋町)
-1月26日(日)、森と水と土を考える会、総会(第2回)
(観音本町集会所、広島市西区観音本町)
-2月11日(火)、環瀬戸内海会議、代表者会議(岡山県岡山市)
-2月16日(日)、シイタケ「コマ打ち(菌打ち)」(現・東広島市福富町)
-2月21日(金)、事務局会議、RCC取材(二酸化窒素調査、青空モニターについて)
-3月1日(日)、味噌作り初体験、「のら屋」にて
-3月2日(月)、NHK取材、ブナについて
-3月7~8日(土・日)、二酸化窒素調査(第1回一斉調査)
-3月15日(日)、「青空モニター」(3/7~3/8)の検査
(廿日市市中央公民館、広島県廿日市市天神)
-3月18日(水)、牛乳パックを使った手すきハガキ作り(第1回)廃物利用の小物作り
講師/狩野美紀子会員
-3月19日(木)、チョットお固い学習会「大規模林道と法律」石口俊一弁護士(森水事務所にて)
-3月21日(土)、森田修さん(森と水と土を考える会)講演
-3月28日(土)、青野健二さん(松枯れと大気汚染を考える会)講演
上記2件:団体会員「サイクル」さんからの呼び掛けに応じて、春のコミューン学校(当時・弥栄之郷共同体、現・有限会社やさか共同農場)にてマチからの提言を行う
-4月15日(水)、手すきハガキ講習会(第2回)
-4月17日(金)、洗剤について考えてみませんか(森水事務所にて)、講師/久保会員
-4月19日(日)、高木仁三郎講演会「危険!プルトニウム社会」
共催/プルトニウム・アクション・ヒロシマ、広島県原水禁
(労働会館4階ホール、広島市南区金屋町)
-4月19日(日)、酸性雨問題を考える講演会
講師/植村振作さん(大阪大学理学部)
主催/松枯れと大気汚染を考える会
(廿日市市中央公民館、広島県廿日市市天神)
-4月22日(水)、ポスト・ハーベストについて(「農の部会」)
「百姓や」の「土と野菜の会」と一緒に行う
-4月25日(土)、縁農
-4月26日(日)、上関原発予定地訪問
-4月29日(水)、「縁農」東広島の加藤さん
-5月11日(金)、洗剤についての学習会、森水事務所
-5月16日、17日(土・日)「松からの警告」を考えるシンポジウム
16日、松枯れ被害調査
17日、「松からの警告」を考えるシンポジウム
講演/佐々木富三さん「松枯れの原因はセンチュウか?」(元広島大学水畜産学部)
主催/松枯れ農薬空散反対広島県民会議
(三原福祉会館、広島県三原市城町)
-5月17日(日)、環瀬戸内海代表者会議
-5月20日(水)、手すきハガキ講習会(第3回)
-5月24日(日)、十方林道を歩こう会
三段峡葭ヶ原駐車場から横川までの林道
-5月27日(水)、松くい虫防除打ち合わせ会、広島県林務部との交渉
主催/土と野菜の会、農の部会
-5月30~31日(土・日)、ゴルフ場問題全国交流集会(第7回)静岡
主催/全国ゴルフ場問題連絡会
-5月31日(日)、料理講習会”豆腐作り”、とうふ亭ご主人指導
主催/農の部会(牛田公民館調理室、広島市東区牛田新町)
-6月7日(日)土・水・空気を生かしん祭(第4回)
(広島市西区民文化センター、広島市西区横川新町)
-6月13~14日(土・日)、環瀬戸内海会議総会(第2回)岡山
環瀬戸内海会議と全国湾会議の交流集会
海・私たちの関わり~源流からなぎさまで~
ゴルフ場・リゾート開発から見えてきたもの
6月13日(土)、環瀬戸内海会議二周年総会
基調講演/室田武さん(一橋大学教授)
各地からの報告(桃花苑二階大会議室、岡山県岡山市駅前町)
6月14日(日)、問題提起、討論
まとめ/山田国広さん(環境科学研究室)
(岡山市勤労者福祉センター本館四階大会議室、岡山県岡山市春日町)
-6月14日(日)、橋岡農場(口和町)にて縁農、田植え(手で植える)
-6月14日(日)、まちとむらをつなごう
試食会(パン、豆腐、牛乳など)、ビデオ(甦れ赤トンボ)、講演(広島の有機農業の現状)、主催/ポラン広場の八百屋「さいくる」
(広島市佐伯区民文化センター、広島市佐伯区五日市中央)
-6月17日(水)、手すきハガキ講習会(第4回)
-6月19日(金)、洗剤についての学習会、久保会員(森水事務所にて)
-6月20日(土)、原田正純さん講演会
共催/広島労働安全衛生センター、森と水と土を考える会
(広島市東区民文化センター、広島市東区東蟹屋町)
6月21日(日)、原田正純さんを囲んで
-6月27日(土)、試写会(本番10/9)、新潟水俣病「阿賀に生きる」
-7月12日(日)、森と水と土を考える会設立2周年行事(広島県佐伯郡吉和村)
-7月15日(水)、手すきハガキ講習会(第5回)
-7月18日(土)、プリン石けん作り、天満町「のら屋」にて
講師/元石義己会員
共催/森と水と土を考える会、土と野菜の会
-7月22日(水)、包丁研ぎ講習会、講師は原戸祥次郎さん
-7月25日(土)、橋岡農場(口和町)にて縁農、田の草取り
共催/森と水と土を考える会、土と野菜の会
-7月26日(日)、広島県ゴルフ場問題連絡会(三次市山家)
-8月1~2日(土・日)、十方林道親子観察会
(戸河内町牛小屋高原キャンプ場)
-8月19日(水)、手すきハガキ講習会(第6回)
-8月30日(日)、市島ディ・キャンプ
-9月16日(水)、手すきハガキ講習会(第7回)、狩野会員
-9月18日(金)、せっけん井戸端会議、久保会員
-9月23日(水)、ワークショップ:会の活動の様子を写真展示
主催/ヒロシマ女性会議(エソール広島、広島市中区富士見町)
-9月27日(日)、橋岡農場(口和町)にて縁農、稲刈り
-10月9日(金)、映画上映会「阿賀に生きる」(新潟水俣病)
主催/祭りをつくる会
(広島市西区民センタースタジオ、広島市西区横川新町)
-10月10~11日(土・日)、瀬戸内トラスト一万本達成記念、黒沢湿原マツタケツアー
主催/環瀬戸内海会議
10月10日(土)、記念集会/飛べ さぎそう!
南修治、小室等、田島征三の各氏
(マナヅル文化ホール、懇親会-政海旅館、徳島県池田町)
10月11日(日)、黒沢湿原、百年トラスト札かけ
-10月15日(木)、トークラン
-広島に生きる-いま、いのちの話をしよう
発表者8名(一人15分の話)、小滝会員発表
主催/祭りをつくる会
(広島市西区民センターC会議室、広島市西区横川新町)
-10月18日(日)、トラスト札かけ(広島県福富町)
-10月23日(金)、石けん井戸端会議
-10月24~25日(土・日)、原発いらん!「土・水・空気を生かしん祭」
(広島城址公園、広島市中区基町)
-11月1日(日)、トラスト札かけ(山口県柳井市伊睦)
-11月7~8日(土・日)、リゾート・ゴルフ場問題全国交流会(第8回)
「森は海の恋人」南の島々から”ストップリゾート乱開発”
11月7日、山下弘文さん(諫早干潟緊急救済本部代表)の講演「自然を生かした町づくり」
主催/リゾート・ゴルフ場問題全国連絡会
(桜島町公民館、鹿児島県桜島町)
-11月8日(日)、人と樹セミナー「森林の手入れと炭焼き」
主催/人と樹セミナー(土師ダム・千代田湖北東)
-11月13日(金)、せっけん井戸端会議、久保会員
-11月14日(土)、地球市民「ヒロシマから世界へ!」地球市民が世界を変える(NGO活動について)
主催/広島・地球市民セミナー準備委員会、NGO活動推進センター
(ひろしま国際センター交流ホール、広島市中区中町)
-11月15日(日)、丁川流域会議
清流丁川 -人が輝く、川が息づく、里がよみがえる-
共盛老人集会所(旧酒森小学校)、広島県山県郡豊平町
主催/丁川流域会議
-11月17日(火)、ゴルフ場開発について、県議さんとの懇談会
主催/広島県ゴルフ場問題連絡会
-11月18日(水)、手すきハガキ講習会(第8回)
-11月18日(水)、家庭のなかの省エネルギー
講師/脊尾幸子さん(福山、風車の会)
主催/むらさきつゆ草の会(岸本久美子会員所属)
(広島市三篠公民館、広島市西区打越町)
11月22~23日(日・月)
縁農/柳井市平郡島(鈴木さん)、ミカン取り
-11月29日(日)、トラスト札かけ(香川県直島)
-11月29日(日)、プルトニウムを考える
講師/アイリーン・美緒子・スミスさん
主催は森水以外の組織
-12月4日(金)、手すきハガキ講習会(最終回)
森水事務所にて、狩野会員
-12月6日(日)、講演と記録映画
鳥山敏子さん「宮沢賢治と教え子たちから学んだこと」
映画「先生はほほーっと宙に舞った」
問い合わせ/ほうき星、ゆうがく舎
(広島市佐伯区民文化センター、広島市佐伯区五日市中央)
-12月11日(金)、石けん作り(オルトケイ酸ナトリウム使用)
-12月10~11日(木・金)、NO2測定(第2回)
-12月13日(日)、掃除&忘年会
-12月20日(日)、トラスト札かけ(広島県高田郡甲田町)

そのほかの資料など

-高木仁三郎「プルトニウムの恐怖」岩波新書(1981年)
-石川貞二、鈴木紀雄共著「合成洗剤は地球を汚す」日本消費者連盟(1989年)
-松枯れ農薬空散反対広島県民会議編纂「松からの警告」技術と人間 (1992年)
-『自然生活』編集部編「もうひとつの日本地図1992~1993」いのちのネットワーク
野草社(1992年)”森と水と土を考える会”が紹介されています

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

1991年(平成3)の活動記録

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 細見谷渓畔林と十方山林道 >>「創立20周年記念誌(草稿)

「森水事務所」開設
- ペーパーワーク21ひろしま展など開催 -

事務局体制を整える

懸案の事務所を開設する

本年早々に、懸案であった事務所(略称:森水事務所)を開設(1/27)しました。そして、事務局に事務が常駐する体制(2/13)を整えました。

事務3名が曜日ごとに交代で11時から16時まで詰めるというもので、初期の事務局メンバーは、いずれも会員の大森充さん、岸本久美子さん、藤井純子さんの3名です。

なお、森水事務所は、その後「森と水と土を考える会」はもちろんのこと、「環瀬戸内海会議」や「広島県ゴルフ場問題連絡会」、さらには「デポジット法制定ネットワーク広島」などの事務局として活用されていくことになります。また「チェルボナ・カリーナ」コンサートなど、そのほかの組織との協闘でも大いに利用されました。

会報の題字が丸木位里書に変わる

森水会報の題字が、今年7月号から丸木位里さんの書に変わりました。丸木位里さんは、『原爆の図』(丸木位里・俊夫妻)などで有名な世界でも指折りの水墨画家です。丸木ご夫妻には、昨年10月に開かれた反原発の祭り「土・水・空気を生かしん祭」でご講演をいただきました。そして、そのことがきっかけで、揮毫していただけることになったのです。

十方林道関連

ゴミ集めや現地観察会(小型サンショウウオ)など

今年はまず、「クリーンWalkイン十方林道」(6/9)で、十方山林道を散策しつつ林道周辺で大量のゴミを集めました。さらに、小型サンショウウオについて、2回連続の勉強会(市民講座、7/26、8/21)を行い、引き続いて現地観察会(8/25)を実施しました。

後の学術調査報告書「細見谷と十方山林道(2002年版)」につながる動きの芽生えと言えます。理科教師の会から「一緒に学びたい」と賛意がよせられるとともに、マスコミ5社から後援をいただきました。勉強会には高校生が数名参加してくれました。

ゴルフ場建設問題

公開質問状の提出や立ち木トラストなど

広島県ゴルフ場問題連絡会として、広島県に公開質問状を提出(2/13)しました。また、「環瀬戸内海会議」の一員として、立ち木トラスト札かけ活動を続けています。さらに、「ゴルフ場問題全国連絡会」(10/26~27、福島県いわき市)では、森田修さん(森水会員)が発表の機会を得ました。

美術展開催や松枯れ農薬空中散布について

美術展「ペーパーワーク21ひろしま展」を開催する

今年のビッグイベントとして、牛乳パックから生まれた新しいペーパー(ニューパピルス)による作品展を開催し、成功裏に終わりました。(ペーパーワーク21ひろしま展)

牛乳パックの再生紙を用いた美術展という新しい試みです。美術家の方々に作品を提供してもらい、行政や企業の協賛を得て実現したものです。

そもそもの発端は、大阪の4人の主婦が「森林よみがえれ!」の願いのもと、関西在住の一流現代美術家18名(20作品)の協力を得て、昨年11月に大阪で開催された美術展で、当時全国巡回中のものでした。ひろしま展では、広島県内の美術家19名にもご参加いただきました。

再生紙は、「水俣浮浪雲(はぐれぐも)工房」(熊本県水俣市)ですいてもらいました。前処理として、牛乳パックからビニールコーティングをはがすなどの作業が大変でした。

なお、「森水の会」のスタンスとしては、牛乳パックの再利用を積極的に押し進めるものではありません。牛乳パックから再生紙を作るよりも、牛乳パックそのものの使用をなくすのが一番と考えています。本当のリサイクルとは、再利用よりも再使用のシステムを確立することにあると考えます。

松枯れ農薬空中散布について考える

松枯れ農薬空中散布をめぐる問題について、「廿日市の空中散布に反対する会」代表の青野健二さん(森水の会会員)たちと協力して、各種調査を行いました。

それとは別に、福田・馬木地区(広島市東区)在住の山口裕子さんは、農薬測定用ろ紙を自宅近くの空散地域の周辺に設置して、独自に調査を行いました。

山口さんの測定では、検体の全てでスミチオンが検出されました。これは、空中散布された農薬が、定められた範囲を越えて飛散することを示しています。(その後、当該地域での空散中止)

ところで、農薬空中散布による農薬の拡散懸念は、空中だけにとどまりません。地面に落下した農薬が、地下水などを通して拡散することも考えられます。

さらには、そもそもマツ枯病の原因は、ほんとうにマツノザイセンチュウ(そしてそれを媒介するマツノマダラカミキリ)なのでしょうか。大気汚染による酸性雨の影響など、そのほかの原因は考えられないのでしょうか。

農薬の空中散布は、今でも全国各地で継続して行なわれています。それが、科学的根拠に基づいた有効な手段であるのかどうか、学会での真摯な討論の積み重ねを期待するものです。

余り物

なお、ゴルフ場問題全国連絡会(福島県いわき市)で発表の機会を得た森田修会員の印象として、「(連絡会での他団体の発表は)対行政、調査研究が主流で、自然破壊の主が私たち自身である、という観点からの発言があまり聞かれなかった。森水の「十方林道」に対する取り組みの視点からすると少し違うな」という感想を述べています。

長野県上田市では、つい最近、空散中止の措置を取りました(新聞各紙2009年5月14日付け)。農薬散布が人体に悪影響を及ぼす可能性について懸念した結果であり、信濃毎日新聞(2009年1月28日付け)では、その経緯について次のように報道しています(「」内引用)。

長野県厚生連佐久総合病院(佐久市)の調査結果によれば、「上田市が松くい虫対策で農薬を空中散布している場所に近いほど、頭痛やのどの痛みを訴える人の割合が高い傾向にある」として、同病院では上田市に農薬空中散布の中止を申入れました。

1991年年表

-1月27日(日)、事務所開き
広島市西区天満町9-8 白土ビル1階
2月13日から事務3名が交代で詰める
-2月13日(水)、ゴルフ場問題について、公開質問状を広島県に提出、広島県ゴルフ場問題連絡会(会長・原戸祥次郎)
-2月23日(土)24日(日)、環瀬戸内海会議・福山集会(広島県)
隣の笠岡市(岡山県)で立ち木トラスト
-3月20日(水)、「十方林道拡幅」工事について、広島県(林務部)や森林公団と話し合い
-5月11日(土)、農薬空中散布学習会
講師/中根周歩さん(広島大学助教授)「何が松を枯らしたのか」
酸性雨の測り方
主催/農薬の空中散布に反対する市民の会
(廿日市市串戸公民館、広島県廿日市市串土)
-5月18日(土)環瀬戸内海会議発足1周年(愛媛県松山市)
引き続き翌日行事へ
-5月19日(日)、第5回ゴルフ場問題全国交流集会(愛媛県松山市)
–基調報告/藤原信さん(宇都宮大学)「今なぜリゾート開発による国家的事業か」造船鉄鋼などを助けたリゾート法
–基調報告/佐藤誠さん(熊本大学)「リゾートでまだまだ続く農村つぶし」儲からないリゾートより田園ホリデーを
–開発阻止から代替案づくりへ
岐阜県山岡町(けいしょう(警鐘・景勝・継承)の森)、広島県上下町(なばランド)、愛媛県中島町(有機の里)、島根県大東町(生涯学習林)
主催/ゴルフ場問題全国連絡会
-6月5日(水)、松枯れ農薬空中散布について、広島市林業耕地課と交渉、広島市長あて農薬空中散布中止要望書提出
連名/「森水の会」と「カトリック正義と平和広島協議会」
-6月9日(日)、クリーンWalkイン十方林道
十方林道散策、林道周辺でゴミを集める
-6月10日(月)福木地区(空散予定地区)14か所で、ろ紙設置のお願い
-6月15~16日(土・日)、「百姓や」開店
-6月25日(火)、ゴルフ場開発について、広島市都市整備局長との交渉(広島市役所)
-6月30日(日)、結成一周年記念パーティ(広島県加計町)
-7月26日(金)、学習会(第1回)小型サンショウウオの生態
講師/宇都宮妙子さん(両生類研究家)
(広島市西区民文化センター、広島市西区横川新町)
-7月30日(火)、公開質問状(ゴルフ場問題)に対する回答、広島市から(平成3年7月30日付け(広市公第116号))
-8月21日(水)、学習会(第2回)小型サンショウウオの生態
講師/宇都宮妙子(両生類研究家)
(広島市西区民文化センター、広島市西区横川新町)
-8月25日(日)、観察会「十方林道に小型サンショウウオをたずねて」
指導/宇都宮妙子・泰明先生
(十方林道沿いの横川川・細見谷川支流)
-8月26日(月)~28日(水)、連続講演会など
講師/山田国広(関西水系連絡会)
主催/広島県ゴルフ場問題連絡会(会長・原戸祥次郎)
26日広島県新市町公民館、27日沼田川水質調査、夕方山県郡、28日千代田町
-9月12日(木)、環境監視研究所(大阪市)の分析結果届く
すべての検体でスミチオン検出
-9月23日(月・祭)、シイタケ刈り
-10月5~6日(土・日)、環瀬戸内海代表者会議、周防大島トラスト
-10月13日(日)、十方林道を上から見る会
下山橋(十方山林道を車で移動)~下山林道東終端部~南尾根コース~十方山山頂~シシガ谷コースを十方山林道まで下る
-10月18日(金)、ジョイントトーク、田島征三、河野美代子の各氏
「いのちを描く、いのちを育む」
主催/祭りを作る会
(広島市西区民文化センター、広島市西区横川新町)
-10月26日(土)、中電前の座り込み
-10月27日(日)、土・水・空気を生かしん祭(広島城址公園)
-10月26日~27日(土・日)、ゴルフ場問題全国交流集会(第6回)福島県いわき市
-11月2~3日(土・日)、NABA祭り(広島県上下町)
-11月10日(日)、11月例会(牛田山にて)
コース1、神田山荘から直接牛田山へ
コース2、二葉山から縦走(3時間くらい)
-11月16日(土)、シンポジウム「牛乳パックから見えてくるもの」
(広島市西区民文化センター、広島市西区横川新町)
-11月20日(水)~11月25日(月)、ペーパーワーク21ひろしま展
主催/「ペーパーワーク21 ひろしま展」実行委員会
代表/狩野美紀子(森水会員、ちぎり絵出展予定)
事務局/森と水と土を考える会
(天満屋8階催物会場の一部、使用料無料、広島市中区胡町)
-11月19日(火)20日(水)、森と自然を守る全国集会(第3回)奈良市
「原生林・ブナ林保護と林道問題」の分科会、「林道問題」で報告(森田修会員)
-12月1日、福富町でシイタケの原木作り
-12月7~8日(土・日)、環瀬戸内海会議役員会(兵庫)、山と島と都市のつどい
-12月15日、事務所掃除&忘年会

井手さん講演があるはず、会報12月号に「テープ起こしをした」とある

そのほかの資料など

-報告集「ゴルフ場開発による河川の底生動物への影響について」
八幡川と吉和川の実地調査報告
小川博夫会員
-中国新聞「広場」(1990年6月7日付け)、山口裕子会員
農薬空中散布中止を、自然破壊する農薬空中散布
主婦山口裕子56歳(広島市東区福田)