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細見谷渓畔林と十方山林道

落葉広葉樹林の代表-ブナの森

落葉広葉樹の豊かな森(ブナの森)は、クマの楽園ともなります。動物分布調査報告書(環境庁)でも、落葉広葉樹林とツキノワグマのそれぞれの分布密度には正の相関関係があるとしています。そして、クマの年明けはブナとの関わりから始まります。

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クマの大好物、ブナの若葉と花芽

クマがブナの花芽を好むことは、白神山地の猟師にとって常識でした。「土地の猟師が「花芽」と呼ぶ、淡緑色の新芽の部分がクマの好物だ。木によじ登って、その枝先の花芽を引き寄せて食べる。(中略)クマは朝方と夕方の、日に二回、ブナの木に登って花芽を食べるといわれている」。(『白神山地 恵みの森へ』pp.9-10)

秋田県阿仁町のマタギの話によると、クマは冬眠の穴から出てくると、まずブナの新芽をいっぱい食べるそうです。青くなる前の新芽で、「うぶ毛をいっぱいつけている、一枚葉か二枚葉の時の新芽」です。(『マタギを生業にした人たち』p.147)

「ブナの若葉と花は、クマにはその年初めてのごちそうだ。(中略)秋田県をはじめとする各県のクマの胃内容物やフンの分析調査を見ると、四月下旬は圧倒的にブナの若葉が多い。ブナはミズナラなどより芽吹きが早く、葉が柔らかく量も多いので、この時期はクマの大切な食料となる。(中略)ブナの若葉は花と同時に開くので、クマは若葉だけでなく、花もいっしょに食べているものと思われる」。(『山でクマに会う方法』pp.94-96)

ブナ属植物の分布域

日本のブナ属植物

『週間・日本の樹木』(全30巻)学習研究社(2004年)は、”ブナ”(創刊号、第1回配本)から始まっています。そして、創刊号(ブナ)の特集は「世界遺産白神山地」です。実は現在の地球上で、まとまったブナの森があるのは日本をおいて他にありません。白神山地は、世界で唯一”ブナ林”をテーマとした世界遺産として貴重な存在となっています。

河野昭一・京大名誉教授は、「ヨーロッパブナ、中国内陸部の主要なブナ、アメリカブナの美林は、伐採によってその大半が失われてしまったので、大規模伐採があったとはいえ、かろうじてブナの森の原生林のイメージが保存されているのは、日本のブナ林だけである」と述べています。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』河野昭一p.67)

日本のブナ属植物には、ブナとイヌブナの2種があり、共に日本固有種となっています。

ブナ(Fagus crenata)は、北限の北海道南部の平地(渡島:おしま半島の黒松内低地)から南限の鹿児島県の山地(高隈山:たかくまやま)まで、ほぼ全国的に広く分布しています。これに対して、イヌブナ(Fagus japonica)は、岩手県以南の主に太平洋側を中心として、本州、四国そして九州の宮崎県まで分布しています。イヌブナは、岐阜県から中国地方にかけては日本海側まで分布しますが、石川県以北の日本海側には分布しません。

ブナは、イヌブナよりもやや標高の高いところに分布するとされていますが、完全にすみ分けているのではなく、両者の分布域はかなりの部分で重複しています。

世界のブナ属植物の分布域は三つある

ブナは、北半球の落葉広葉樹の代表ともいうべき植物です。河野昭一は、北半球のブナ帯について、『細見谷と十方山林道(2002年版)』の中で次のように述べています。

「北半球のブナ帯には、3つの分布のセンターがある。その一つは、アメリカ東部の広大な落葉樹林帯が発達していた地域、二つ目は、日本から中国内陸部にかけての一帯、その南端は四川から雲南の山岳地帯、ベトナム北部の山岳地帯まで拡がっている。植物地理学的には、いわゆる「日華区系」に属する温帯系植物の分布域がこれに相当する。三つ目は、北西ヨーロッパの、かつて広大な落葉広葉樹林帯が発達して(ママ)地域である」。(同上、河野昭一p.64)

「この3つのブナ帯は、第3紀起源の遺存的な暖温帯性植物の分布域としても極めてよく知られている。とりわけ、日本列島から中国内陸部へ拡がる、ブナを主体とする落葉樹林帯が分布する地域と、アメリカ大陸東部の氷河期に多くの温帯植物の避難場所(refugia)となったアパラチア山地を中心とする落葉樹林帯には、数多くの暖温帯、冷温帯の遺存種の分布の中心がある。・・・(樹木をはじめ)木本低木、草本植物で第3紀起源とみなされる植物には広い意味でブナ帯や隣接した植生帯に同居、または隋伴して分布するものが実に多い」。(同上、河野昭一p.67)

また、デビッド・ブフォード(東京大学総合研究博物館客員教授)は次のように述べている。

「(アパラチア山脈南部と東アジアは)植物学的に緊密な関係を持っている。(中略)アパラチア山脈南部はアパラチア山脈システムの一部で、中生代以降海面下に沈むこともなく、北方に発達した更新世の氷河を免れた地域である。北米中緯度地域としては最も雨がよく降る地域でもある。地形も変化に富んでおり、さまざまな岩石、土壌が発達しているので、植物の生育には理想的な地域となっている」。(東京大学総合研究博物館ニュースより)

世界一の豪雪地帯とブナ林

ブナの森は「緑のダム」となる

ブナ林は、保水能力が非常に高く「緑のダム」とも言われています。高木層のブナを中心とした亜高木層、低木層、その下のササ類が雨水を順番にしっかりと受け止め、さらに、大量の落ち葉が積もってできた土壌がスポンジのように雨水を吸収して蓄えるなどの機能を持っています。

それにもかかわらず、日本では今までブナを漢字で木偏に無と書くなどして、〈ブナは木でない木、何の役にも立たない木〉とされてきました。戦後の拡大造林によってブナの森は皆伐され、その代わりにスギ・ヒノキが植えられました。非常にもったいないことをしたものです。

氷河期の終了と豪雪地帯の誕生

日本のブナの森は、世界でただ一つ残っているブナ属のセンターとして、非常に重要な位置を占めています。そのブナは、湿潤な気候を好みます。したがって、日本海側の豪雪はブナにとって大変好都合となります。ところで、なぜこの地域が世界的な豪雪地帯となっているのでしょうか。藤尾慎一郎『縄文論争』を参考にまとめてみました。

最終氷期(ヴュルム氷期)の最寒冷期(Last Glacial Maximum LGM)に当たる約2万年前には、海水面は現在の水深120~130m付近にあったとされています。

このため、「宗谷海峡が陸化することで北海道とサハリンがつながり、津軽海峡は冬期に氷結して氷橋となって本州とつながることとなった。一方、西の端の朝鮮海峡は幅15kmほどの狭い海峡であった」。(『縄文論争』p.68)

すなわち、日本列島はまだ形成されておらず、大陸の一部として存在していたのです。その後、気温の上昇に伴って海水面が上昇し始めると(約一万八千年前)北海道がサハリンと切り離され、日本列島が形成されます。

このような気温の急上昇を伴う地球規模の大変化に刺激されて、やがて縄文文化が誕生します。その時期については、最近の炭素14年代測定法に基づいて、約一万六千年前(従来説一万二千年前)とする説も出ています。(同上p.68)

「海水面の上昇によって旧石器時代よりも幅が広がった朝鮮海峡を通って、対馬暖流が日本海に入るようになる。暖かい対馬暖流の進入が、一・一万年前を境に日本海側の積雪量を一気に増加させ(中略)、やがてこの豊富な雪解け水を水源としてブナ林帯が形成されていく」ことになります。(同上p.69)

ミヤコザサ分布と積雪量の関係

こうした過去の積雪量の変化を推定するために、植物のミヤコザサが使われています。

鈴木貞雄のササ属に関する研究(1959年)によると、「最高積雪深が50cmの地点で、それより雪の多いところにはチマキザサ節が、雪の少ないところにはミヤコザサ節がそれぞれ生え、両方のササが一線(幅1~4km)を境として相接している」そうです。(『竹と笹入門』p.217)

株式会社古環境研究所では、業務の一環として次のような調査を行っています。

「タケ亜科には温暖・寒冷の指標になるものがあり、その変遷から気候変動(氷期-間氷期サイクル)をとらえることが可能です。また、タケ亜科のうちチシマザサ節・チマキザサ節とミヤコザサ節が積雪50cmを境に棲み分けしていることに着目して、過去における積雪量の変遷を推定する試みも行われています」。(古環境研究所ホームページ)

上記分析には、植物珪酸体(プラント・オパール)が用いられています。プラント・オパールとは、植物細胞内に蓄積されたガラスの主成分である珪酸(SiO2)が、土壌中でそのまま半永久的に残って極小の化石となったものを言います。微化石の化学組成は宝石のオパールと変わらないそうです。

なお、プラント・オパール分析法は、稲作(イネ科栽培植物)の日本への浸透過程を解明することなどで、大きな成果を得ています。

広島県のブナ林

『山毛欅の森の詩』ブナの森出版(2003年)という本があります。「ぶなのもりのうた」と読みます。「山毛欅の森塾」を主宰し、毎月ブナ山行を続けている西村保夫さん(西村ふうふう山の会)の著作(自費出版)です。

広島県北部(芸北及び備北)の山岳地帯は、日本の豪雪地帯の最西南端に当たっています。

本書は、その広島県のブナについて、春夏秋冬のブナ(特に巨樹)の姿を写した美しい写真と、広島県のブナ山27選の紹介文からなっており、西村さんのブナをいつくしむ暖かい心が伝わってくる本となっています。

マイナーな山も含まれており、そうかあの山にもブナが残っているのか、ルートは?など、思わず登山意欲をかきたてられる構成になっています。なお、本書に登場するのは次の27座です。

恐羅漢山、十方山、深入山、サバノ頭、犬ケ谷山、臥龍山、阿佐山、高杉山、大暮毛無山、城岩山、吉和冠山、五里山、沼長トロ山、日ノ平山、大峯山、青笹山、東郷山、牛ケ首山、鷹ノ巣山、比婆山、牛曳山、大万木山、吉田毛無山、指谷山、福田頭、吾妻山、女亀山。

西村さんとは、私が本書を出版した後で、彼の主宰するグループに特別参加をして、広島・島根県境尾根を数回ご一緒に登ったことがあります。楽しい思い出が幾つも残っています。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

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