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細見谷渓畔林と十方山林道

第14回大規模林道問題全国ネットワークの集い-細見谷渓畔林現地見学会(2006/06/10)

2006年06月10日(土)、第14回大規模林道問題全国ネットワークの集い
細見谷渓畔林現地見学会(カネヤン原、ワサビ田、下山橋)
(出発帰着:二軒小屋)

2006年06月10日(土)全国大会
第14回 大規模林道問題ネットワークの集い in 広島
止めよう!緑資源幹線林道
残そう!細見谷渓畔林
細見谷渓畔林現地見学会、交流会(夕食、KKR広島)

翌日2006年06月11日(日)
大規模林道問題ネットワーク
集会(広島県立生涯学習センター)

6月10日11:00、広島駅新幹線口出発予定(第一陣)
現地見学会のマイクロバス(先発便)は、定刻から少し遅れて出発した。バスの中で、この会の主管「森と水と土を考える会」原戸祥次郎会長の挨拶の後、田中幾太郎さん(ツキノワグマ研究家)のミニ解説あり。

一昨年300頭弱のクマを駆除
480プラスマイナス200頭からすると、全体の6~7割を捕ったか?
それ以降クマの痕跡が極端に少なくなっている
西中国山地におけるクマの生息域は、エリアがせまく絶滅の恐れがある
ところで、昨今のクマは人里に居ついて人間の食事の味を覚えている
クマそのものが変わってしまった(平成クマの出現)

吉和支所にて自家用車に分散(運転手Yaさん)
田中幾太郎さん、加藤彰紀さんと一緒の車になる
期成同盟の看板を見ながら林道へ向う、テレビクルーも伴走している
前回2001年10月6日(土)の全国大会現地観察会は、二軒小屋~下山橋だったようだ。今日は中津谷~下山橋の予定なので、これで初めて細見谷渓畔林の核心部分を通してみてもらうことになる。
13:30、押ヶ峠、自然休養林入口、看板を初めて見る
林道そのものを地道を歩く学校登山のコースとして利用する田中提案
渓畔林~恐羅漢山一泊など面白いだろう
加藤さん、通称七曲が割りと丁寧に作られているとの印象を語る
田中さん、林道完成(昭和28年)の翌年から高校生として3年連続で、引率の先生に連れられて細見谷に入る。それはそれは深い森だった。その後、折に触れて植物等の話あり。

14:20、カネヤン原
金井塚さん、クマは林道沿い、谷底によく出てくる
クマにとって大切なことは、元の自然環境を取り戻すことである
その点が行政には欠けている
未舗装の林道の上を絶えず水が流れている、細見谷渓畔林は湿地帯なのだ
そこを舗装すれば、路面上の水はすぐに流れ去っていく、水温が上昇する
木を切るので地面が乾く、水温が上昇する、という悪循環だ
水生昆虫の生態に大きな変化をもたらすことになるだろう
ミヤマカラスアゲハの吸水活動(写真)は感動を与えたようだ。だれが何処で発言したのか、それにしても植物写真集(堀啓子作)の威力はすごい

1500前、ワサビ田
アサガラの白い花がぶら下がっている
オタカラコウ、イタドリ、マムシグサ、タカクマヒキオコシなどを材料に道々田中さんのミニレクチャーは続く。ウバユリは一生に一回だけ花を付けるという。ここでオオウバユリの話となり、参加者から、最近ではウバユリ (西日本)、オオウバユリ(東日本)を区別しないという説もある、との話あり。周りを見渡せば、多くの樹木が入り乱れて生育している。まさに種の多様性の宝庫だ。

下山橋(下山林道入口)でUターンして、広島市内に帰り着いたのは、午後7時過ぎ、午後7時30分から交流会(会食)。

田中さんのスピーチを改めて聴く。つい最近まで目の前にあった「ブナの深山(みやま)」の魅力について語る内容に、隣席になった山を考えるジャーナリストの会 所属の方も感動したようだ。その方の話では、前回の現地観察会では細見谷の価値に疑問を感じた(二軒小屋~下山橋)。しかし、今回はほんとうにいい森だと納得したようだ(中津谷~下山橋) 。実際に下山橋から南側の方が見ごたえがあると思う。といいつつ、現在よりもはるかに深い深い森がかつてあったのだ、ということを忘れてはいけないだろう。それに比べれば、現在の状態ははるかに悪化しているはずなのだから。

熊森協会の若い人(一人は大学生だという)が二人参加していた
これからの時代は、若いものがやらないと、という言葉が頼もしい
熊森の会長さんに許可を得て、我がHPにリンクしてある旨伝える

大雪やスギ談義:
東日本のメンバーには当地が豪雪地帯だとは信じられないようだ
加藤さん、スギの倒れ方が異常だ(あまりにもあっけなく倒れている)
田中さん、根が張らない表スギを植林しているから雪に弱い
とはいうものの、下山林道では、カツラ、ズミの大木が倒れたらしい
今年の大雪の影響は例年とは全く異なる

私にも、「細見谷と十方山林道2006」編集者としてマイクの前に立つ機会が与えられたので、自著出版の意思表示をする。現状では、アマゾンで「細見谷」を検索しても1件も引っかからない。やはり、一般に流通する書籍がほしいところだ。

原敬一(葉山の自然を守る会代表)
加藤彰紀(大規模林道問題全国ネットワーク事務局長)
田中幾太郎(ツキノワグマ研究家)
金井塚務(広島フィールドミュージアム)
などの各氏(今日お会いした順番)。

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シンポジウム:本音で話そう・細見谷渓畔林と緑資源幹線林道(十方山林道)2005/10/02

2005年10月02日(日)、単独
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&size(24){&color(blue){細見谷渓畔林と緑資源幹線林道(十方山林道)};};
(YMCAコンベンションホール)

2005年10月02日(日)、単独
シンポジウム:本音で話そう
細見谷渓畔林と緑資源幹線林道(十方山林道)

シンポジウム:本音で話そう「細見谷渓畔林と緑資源幹線林道(十方山林道)」

日時:2005年10月02日13時~17時
場所:YMCAコンベンションホール (広島市中区八丁堀7-11)
基調講演:
河野昭一(京都大学名誉教授)
金井塚務(広島フィールドミュージアム会長)
堀啓子(森と水と土を考える会会員)
資料代:500円
主催:細見谷保全ネットワーク

主催者の細見谷保全ネットワークが当初計画していたのは、緑資源機構をはじめ賛成派も含めたシンポジウムの開催であった。しかし、当日それらの人たちの出席を得ることができず、まずは上記3氏の基調講演からスタートした。

基調講演後フリーディスカッションとなり、今すぐ具体的にやるべきこと、できることについて活発な意見交換を行う。会の雰囲気は、今週の10月7日(金)に環境保全調査検討委員会(第8回)が開かれ、何らかの結論が出される可能性があるという中で、終始緊張感あふれたものとなった。(以下、講演あるいはディスカッションの要旨ではありません。自分自身の理解のため書き加えた部分があります。)

河野昭一先生の講演は、世界ブナ・サミットin只見(2005年7月2日~3日、福島県)の話から始まった。先生ご自身がコーディネーターを務めた会議で、国内外のブナ専門家7名が一同に会したシンポジウムが行われ (出席者300名)、翌日の現地観察会には地元の子ども達30人を含む150人が参加したそうだ。

インターネットによると、只見町には青森・秋田県境にある白神山地(約1万6000ヘクタール)を上回る約4万ヘクタールの原生的なブナ林があり、一昨年には世界自然遺産の国内候補の一つに挙げられている。

そのような地で、地元の人たちも参加する世界的な規模のシンポジウムが開かれ、そして次代を担う子供たちが、身近にある豊かな自然に接する機会を得たことの意義は非常に大きい。

河野先生は、環境の変化は短期間の観察では分からないと強調された。だからこそ、科学的な基礎データをこつこつと積み上げていく地道な作業が必要となってくる。そうした研究成果の一端として、”ブナ集団の遺伝構造分析”について少し詳しく解説された。

ブナは風媒花だ。同一個体に雄花、雌花を持っているが、開花時期が少しずれる仕組みになっており、自家受粉はしない。それでは、ブナの花粉はどれくらいの範囲に飛散するかといえば、ほとんどは親木から約30m、最も遠くてせいぜい70~80mだという。したがって、ブナ集団がこの程度の幅をもって分断されると、隣の集団と遺伝子の交換をすることがむつかしくなる。

ブナ集団が分断されて集団サイズが小さくなると、遺伝子の組み合わせが単純化して、遺伝子の多様性が急激に失われる。それは、やがて絶滅につながるこ とを意味する。各地の大小ブナ集団について、各種酵素タンパクのアロザイム多型(血液型のようなもの)を1本1本の木ごとに分析した結果は、そのことをはっきりと示している。

こうした事実は、細見谷渓畔林にも当然当てはめることができる。今までに世界各地で起こった現象は、条件を同じにすれば(集団の分断化、あるいは通過車両の増加による排気ガス濃度の上昇など)、細見谷渓畔林にも同じ結果をもたらすと考えるのが妥当なところだ。それが科学というものだ。

続いて金井塚務さんのお話だ。今年も台風がきた。二軒小屋まで開通済の大規模林道部分で何箇所かの崩落があった。起こるべき場所に起こっているという。渓畔林部分での崩落は3箇所あり、いずれも渓畔林より上部の植林帯から落ち込んできたものだ。既存の十方山林道(未舗装)はすでに自然と一体化しており、こうした負荷に耐えられる強い道路となっている。

未舗装の林道上の水溜りでは、夏になるとミヤマカラスアゲハが多数集まって吸水活動をしている。水溜りの水量が多いときには、ゴギがこの林道上を通ることもあるという。ここはまさに湿地帯なのだ。

もし舗装化によって水温が上昇すれば、それがたとえわずかなものであったとしても、環境に与える影響ははかりしれないものがあるだろう。一つ一つの要因ごとに考えれば、環境への影響を直接把握できない場合もある。しかし、その小さな要因が積み重なって大きな結果となって跳ね返ってくるのだ。

細見谷渓畔林は生物多様性に富んだ魅力のある地域だ。動植物の中には、未調査のままになっている種が数多く存在している。それらを含めて、ある種が絶滅するということは、生物多様性のネットワークが一つづつ切れていくことを意味する。

クマを中心とした金井塚さんの動物生態調査は今も続けられている。そうした調査の過程で明らかになってきたことに加えて、細見谷へのカラスの侵入やオシドリが繁殖している事実など数多くの話題が提供された。

3番手は堀啓子さん。薬学部で生薬学を専攻した薬剤師さんだ。桑原良敏(「西中国山地」溪水社1997年復刻版著者)の広島山稜会会員でもある。吉和で開かれた河野昭一京大名誉教授講演会(2002年05月26日)、その翌日の十方山林道植物調査(2002年05月27日)あたりから現地で本格的な植物調査を行っている。

河野名誉教授の研究グループの一員として、米澤信道教諭(京都市)がその後もしばしば現地入りして調査を行ってきた。堀さんはその都度同行してお手伝いをしている。今日は、ここのところ体調をくずして出席できない米澤先生の代役として登場したという。

10年ぶりに人前で話をするので緊張しているということであったが、なかなかどうしてりっぱなものであった。何といっても使用したOHP原稿の写真は、最近自分自身で調査したときの写真ばかりだ。話しにもつい熱が入ろうというものだ。

堀さんは今、大規模林道の新設予定箇所にもっとも注目している。設計図を詳細に検討したところ、新設部分は渓畔林を削り取る形で建設されることが分かったという。ところが、そこには太い太いツル性植物が巻きついた大木が林立している。今まで人の手が入ったことのない自然がそこにある。

緑資源機構は巨樹は切らないといっているが、それぞれの木ごとにりっぱな番号札(連番のようだ)が打ち込まれており、工事着工の手はずはすでに完了したようだ。新設部分の問題点は、地盤が脆弱なことによる崩落の危険性ばかりではなかったのだ。

堀さんは、細見谷周辺を「細見谷周辺森林生態系保護地域」に指定することを求めている。現在ある十方山林道を部分補修し、未舗装のまま残し、一般車通行止めの「緑の回廊(自然研究路)」として整備されることこそ、持続可能な地域活性化になる、という提言である。

上記の提言(「細見谷周辺森林生態系保護地域」指定のお願い)は、翌月曜日には、貴重な植物写真と共に緑資源機構に届けられ、各検討委員にも参考資料として目を通してもらえるはずである。 (7日金曜日、第8回検討委員会開催予定)

三人の講演を受けてフリーディスカッションに入る。皆の思いは何とか工事着工をストップして欲しいということだ。それに対して、堀さんは上記のような具体的提言(文書で配布)を行った。すなわち、細見谷渓畔林には、白神山地のブナ林、屋久島のヤマグルマ群落やヤクスギ原生林と同等の価値がある。したがって、最高ランクの森林群落として保護すべきである、というのだ。そうなるともちろん工事はできない。

地域の利益はどうなるのか。それには、既存(未舗装)林道の活用方法を工夫することで、持続的な地域活性化になる、としている。細見谷渓畔林を破壊する可能性のある工事を中止して、逆に細見谷渓畔林をうまく活用していく方法を考えることが、 長い目で見れば結局は地元の利益につながる、と主張しているのだ。

吉和地区には、広島県で最も人気の高い山である吉和冠山がある。その他、いわゆる里山が周りを取り囲んでいる。十方山・細見谷渓畔林を核としたほんとうの意味でのエコツーリズムを実現させるのに最適な地域と考えられる(金井塚さん)。もちろん、指導員の育成・雇用など地元経済に及ぼす波及効果も大きいはずだ。それにしても、地元の人たちに地元の魅力を再認識してもらうための工夫が求められている。

時代の潮流は、経済一辺倒からその他の何かを求める方向に変わってきている。豊かさとは何か。もう一度立ち止まって考えてみたい。工事を一時凍結という形ででもストップして、立場を超えた真剣な討論を望みたい。そのための基礎データ として、「細見谷と十方山林道」(2002年刊)のパート2をぜひ作成する必要がある。

自然とは、祖先から譲り受けたものではなく、子孫からの預かりものである。次世代への確実な資産の継承こそ現代人の務めというものであろう。

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シンポジウム
本音で話そう「細見谷渓畔林と緑資源幹線林道(十方山林道)」
日時:2005年10月02日13時~17時
場所:YMCAコンベンションホール(広島市中区八丁堀7-11)
TEL:082-227-6816

基調講演:
河野昭一(京都大学名誉教授)
金井塚務(広島フィールドミュージアム会長)
意見交換:
ご出席頂いた方々(松本大輔議員も参加予定)
資料代:500円
主催:NPO細見谷保全ネットワーク
連絡先
原戸祥次郎 大喜
広島市西区観音本町1-17-17
TEL.FAX 082-293-6531
harato@eos.ocn.ne.jp

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環境保全調査検討委員会(第7回)2005/07/10

2005年07月10日(日)、単独
環境保全調査検討委員会(第7回)を傍聴して
(HOTEL JAL CITY広島)
10:30~17:00

独立行政法人”緑資源機構”による「環境保全調査検討委員会」を<初めて>傍聴した。以下では、委員会を傍聴して思うところを述べてみたい。ただし、これはあくまでも感想であり、正確な傍聴記(議事録)ではないことをお断りしておきます。

この文章の目的として、「細見谷渓畔林と十方山林道」問題の存在を、最近始めて知ったというような方たちが、理解の手懸りを得られるような文章にしたい」、と考えて作成しています。

そのために、当日委員会で検討された内容そのものだけでなく、その背景を知る上で私なりに必要と考えた文章を追加しています。要するに、現時点での問題点について、自分自身の頭の中を整理するために書いた文章ということです。

・十方山林道の拡幅舗装化の是非について、科学的な検討を要望する

私の願いはこの一点につきます。以下の文章のなかで、この主旨に反する部分があればご指摘ください。どのようなことであれ、検討の上ただちに対応させていただきます。

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委員会の正式名称は、<緑資源幹線林道大朝・鹿野線戸河内・吉和区間(二軒小屋・吉和西工事区間)環境保全調査検討委員会>という。 ここで工事とは、いわゆる<十方山林道、jipposan>(既設・未舗装)14.4kmを、拡幅舗装化(一部新設、一部舗装化のみ)する林道工事のことをいう。

地理的には、そのほとんどを広島県廿日市市吉和(はつかいち・し、よしわ)が占め、一部同県山県郡安芸太田町(旧戸河内町)地内となっている。

環境保全調査検討委員会は、動植物研究者5名で構成されている。そしてその目的は、緑資源機構によれば、「林道工事の実施に伴う影響の予測・評価及び保全措置を専門的、学術的な見地から検討する」ことにある。

なおここで検討の対象となるのは、林道が細見谷渓畔林を貫いて走る核心部分(7~8km)のみならず、その前後の渓畔林以外の部分も含まれることは当然である。

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第一回目の委員会は、昨年(2004年)06月04日(金)に開かれ、座長に中村慎吾・比婆科学教育振興会事務局長を選んでいる。そして、事務局(緑資源機構側)の提出した環境保全調査報告書(案)について検討を開始した。

当初は、昨年8月末までに3回程度の委員会を開き、結論(2005年度工事着工のGOサイン)を出す予定であったようだ。しかし、環境委で異論が続出し、第2回目以降の開催は遅れ気味となった。結局、第3回目の委員会は、昨年末(2004年11月)に開催された。しかし、最終結論を出すまでには至らなかった。

この間、当初非公開であった委員会は、第2回から公開となっている。また、第3回委員会終了後、一般から意見書提出(提出期間2004年12月02日~12月22日)を求める措置が取られ、合計32件の意見書が提出された。

委員会は今年2005年に入ってからも開催を続け、今回の第7回を迎えた。この間に、意見聴取(6名から)も開催されている。委員の任期は今年7月末までとなっていたのだが、今日の委員会でも最終結論は出されなかった。そして、委員の任期は3度目の延長手続きがとられることになった。

実は最初、委員の任期は2004年10月末となっていた。それが、2005年3月末まで一度延期されたにもかかわらず結論を出すに至らなかった。そのため任期は7月末まで再延長されていた。したがって、今日7月10日(第7回)がいよいよ最後の委員会となり、何らかの結論が出されるのではないかとの懸念があったのだ。

委員会としては、機構側が現在提出しているデータだけでは<具体的事実や数値の裏づけが乏しく>、 委員会として「専門的、学術的な見地から検討する」ことはできない、ということのようだ。

しかしながら、それ以上に憂慮すべきは、委員会に提出された多岐にわたる課題について、検討委員5名だけで「専門的、学術的な見地から検討する」実力があるかどうかという点にある。

そして最も重要なことがある。それは、たとえ自分の専門分野に関することであっても、はじめから”林道工事着工ありき”の偏った立場から検討するならば、科学的な結論を導き出すことなどできない、ということだ。

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西中国山地の最深部に位置する十方山・細見谷およびその周辺部では、今まであまり学術的な調査が行われてこなかったのは事実のようだ。しかし今、生物多様性に富んだ自然豊かな地域として注目を浴びており、各方面の調査が進むにつれて、その評価はますます高まっている。

こうした中で、最近、自然保護団体等一般市民による調査報告書が発刊された。「細見谷と十方山林道」(2002年)という小冊子(A4版82ページ)である。目次(三部構成)を見ると、”第一部 2002年細見谷学術調査報告書”となっており、広島県十方山・細見谷(渓畔林-水辺林)の小型サンショウウオや植物あるいは昆虫などの生物および地質に関する調査について報告をしている。

機構側が自前の科学的基礎データを持ち合わせていないのであれば、このような一般市民とも情報を共有することは必須の措置と考えられる。今日第7回委員会における機構側の最後の発言は、「情報を共有することもやぶさかではない」という意味だったのだろうか。それとも、「一般市民との連携を行うつもりはない」という方に力点があったのだろうか。後日議事録に記載があれば確認してみたい。

さて、検討委員5名で力不足の分野については、その都度、専門家を参考人として招聘して議論を深める必要があるだろう。 そうでなければ、再々度任期を延長して検討を繰り返したとしても、科学的な結論は得られるはずもない。それはただ単に工事着工に向けた儀式にすぎないものとなるだろう。

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今日の委員会の前半部では、小型サンショウウオ類についての議題が続いた。小型サンショウウオには、私なりの思い入れがある。私が十方山林道へ足を踏み入れるきっかけとなったのが、2002年08月10日(土)の小型サンショウウオ観察会だったからだ。

観察会の成果は、小冊子「細見谷と十方山林道」(2002年)の一部としてまとめられている。そしてこの小冊子の編集責任者である原哲之さん(H.Noriyuki、農学修士、2005年04月06日死去)が私を細見谷に誘ってくださったのだった。

この時まで、サンショウウオといえば、オオサンショウウオの写真しか見たことはなかった。西中国山地に小型サンショウウオというものがいて、十方山林道沿いの清流にある小石をちょっとはぐれば、すぐに見つかる存在だなどとは全く知らなかった。このような状態こそ、十方山林道沿いの豊かな自然を象徴している。

西中国山地の特徴として、3種類の小型サンショウウオ(ブチサンショウウオ、ヒダサンショウウオ、ハコネサンショウウオ)の幼生が混生している点があげられる。十方山林道の舗装化は 、彼らの生態に対してどのような影響を与えるのであろうか。

機構側の提出した冠山(吉和冠山のことであろう)における観察データによれば、ハコネサンショウウオの産卵場所は、標高1050~1200m付近で、山から滲み出す湧水地帯(水温6~8度)にあるという。ならば、細見谷のハコネサンショウウオも、本来の生息場所とされる細見谷川本流(十方山林道付近、標高800m程度)から 、産卵場所までさかのぼる時期があると考えるのが自然だ。

十方山林道は、渓畔林部分では細見谷川右岸に沿って付けられている。そして、細見谷川右岸には、五里山系(京ツカ山~焼杉山)から数多くの谷(沢)が落ち込んでいる。これらの谷(沢)をさかのぼって産卵場所をめざすのだろう。もちろん、左岸に流れ込む十方山の谷(沢)でも同様の現象がみられるはずだ。

しかしながら、機構側では、細見谷のハコネサンショウウオの産卵場所は特定できていないという。また、林道を横断して移動するという事実も確認できていないらしい。既存の林道の影響評価もできない状態で、それを舗装化した場合の影響について議論するなどナンセンスだ。

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検討委員会は、昼休憩を約1時間とるため(再開予定午後1時20分)一旦中断した。休憩前に、一委員から要望が出された。午後の検討委員会を公開する前に、クマタカの問題を非公開で検討したい。ついては、約20分くらい時間をいただきたいというのだ。これを受けて、非公開の検討委員会が、午後1時から20分位の予定で開かれることになった。

クマタカの営巣地が、デリケートな場所に一箇所、その他に一箇所見つかっている。そのため非公開での検討が必要と判断したという。そして検討の結果、(工事の影響を)回避する方法があり問題なし、という結論になったというのだ。

クマタカの問題は、はたしてほんとうに、20分程度の検討で結論の出せるような<軽い>問題なのだろうか。”はじめに開発ありき”で誤った判断をしている可能性はないのだろうか。そもそも、非公開にしている理由は何なんだろう。分からない事だらけだ。

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西中国山地には、ツキノワグマが生息している。しかし、その数はけっして多いとはいえず、480頭程度(最小280頭~最大680頭)と推定されている。その大きな要因として、クマの生息環境である豊かな落葉広葉樹の森を伐採して、どんどん人工林(針葉樹林)化してしまったことがあげられるだろう。

山の中で十分なエサが得られず、また十分な行動範囲も確保されず、クマの個体群は孤立・分散化してしまっている。人里まで降りてくるクマも増えており、有害獣として駆除される例が後を絶たない。このままの状態が続けば、絶滅の恐れがあると懸念されている。

クマが安心して生息していける環境を整えてやる必要がある。クマの聖域(サンクチュアリ)という考え方もあるようだ。西中国山地の最深部に位置する細見谷こそ、クマのサンクチュアリとして最もふさわしい地域と考えられる。

<(細見谷は)ツキノワグマ個体群保全の要となる貴重な地域である。まさにツキノワグマにとってはここが最後のよりどころなのだ。(環境NGO・広島フィールドミュージアムHPより)>

傍聴席に、その「広島フィールドミュージアム」金井塚務(K.Tutomu)会長の姿があった。彼ならば、ツキノワグマに関する”GISを使用したGAP分析”などよりはるかに詳しいデータ、しかも細見谷そのものに関する足で稼いだデータを持っているはずだ。なにしろここ数年は、ほぼ毎週のように細見谷に入り、環境調査をしているのだから。

細見谷のツキノワグマが(その地で)冬眠しているかどうか不明(機構側)、といった低い認識レベルでは、科学的な議論を深めることはできない。そこで金井塚さんに聞けば、 冬眠地点として現在確認されているのは、例えば○○谷(細見谷の支谷の一つ)のあの辺りの大木のウロなど、合計何箇所といった答えが即座に返ってくるであろう。

クマが安心して生息できる落葉広葉樹の豊かな森は、豊かな水源ともなる。ヒトの生存にとっても欠かせないものだ。細見谷(標高800m位)の上部で植林事業を行って得られる利益(あるいは損失)とのバランスはどうなるのか。細見谷に関する豊富な観察データを持つ科学者を加えた真剣な討論を期待したい。

第6回検討委員会傍聴人有志によって、「ツキノワグマについての公開要望書」(2005年06月04日付)が提出されている。その中で、要望2として「金井塚務先生を、ツキノワグマの問題の参考人として、次回検討委員会に招聘されるよう要望します。」としている。しかし、今日第7回委員会ではこの要望は実現していない。

金井塚務先生は、西中国山地のツキノワグマ研究の第一人者であり、広島県野生生物保護対策検討委員・哺乳類分科会チーフ、広島県レッドデータブック見直し検討委員会委員(哺乳類)、広島県クマレンジャー(知識アドバイザー)、広島県第二次RDB検討委員会委員(哺乳類)、ツキノワグマ保護管理計画策定事業検討委員などを歴任、現在は西中国山地ツキノワグマ生息状況調査検討会委員、西中国山地ツキノワグマ保護管理対策協議会委員などを務めている。(上記”ツキノワグマについての公開要望書”より)

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林道のすぐ側にオオウバユリの群落があり、舗装化工事によって消滅してしまう可能性があるそうだ。しかし、機構側の説明では、この群落に生息しているのは、ウバユリの変異型であり、オオウバユリ(別種)とは認めがたいという。各委員もそれで納得したのだろうか。

オオウバユリは、小冊子「細見谷と十方山林道」(2002年)に記載されている。同書P013の説明によれば、「広島県では標本に基づく初記録である。増補版「花のアルバム-広島(県)の自生植物-」(中国新聞社)に広島市安佐北区や芸北山地などの産地記述がある。高木哲雄(比婆科学128)には県東北部からの報告がある。広島県が南限と考えられ、分布上極めて重要。」としている。

米澤信道(京都成安高等学校教諭)は、2004年03月06日(土)”ひろしまの「生命(いのち)の森」・細見谷渓畔林、その未来を問う”の中で、細見谷のオオウバユリ(草丈2m40cm、花数27個)を紹介している。河野昭一京都大学名誉教授の調査グループとして同定の上、上記小冊子に記載された個体だろう。

「野草-見分けのポイント図鑑-」講談社(2003年)P186の説明によれば、ウバユリの産地は、本州(宮城、石川以西)、四国、九州であるのに対して、オオウバユリは北海道~中部地方の、ブナ帯以上の高山から寒冷地に分布、とある。また、両者の間には、草丈や花の数に違いがあり、オオウバユリは全体に大型で、花の数も多いという。

十方山・細見谷の渓畔林は、「冷温帯」(ブナ林)の中で本州最西端に奇跡的に残された自然林として高い評価を受けている。北からの道に連なる落葉広葉樹林の豊かな森だ。その南側には、南からの道に連なる照葉樹林帯(常緑広葉樹林帯)がある。西中国山地周辺部は、東アジアの植生を南北に2分するような異なった自然環境の接点となっている。

オオウバユリは、「広島県が南限と考えられ、分布上極めて重要」(上記・細見谷と十方山林道より)であり、学術的検討(種の同定)が必須であろう。このような課題を前にして、わくわくするような議論ができないのであれば、当委員会のメンバーはもはや(動植物)研究者とはいえない。

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「廿日市・自然を考える会」、「森と水と土を考える会」、「広島フィールドミュージアム」の会員等は、その都度公開質問状を提出して、検討委員会の公明正大な運営および科学的な議論の深まりを求めている。機構および検討委員会の誠実な対応を望むものである。

「森と水と土を考える会」は、十方山林道問題に初期のころから一貫して取り組んでいる。そして、<(自前で)現地調査を続け、情報提供・質問・要望を繰り返している 。(けいこの花だよりHPより)>

今年もすでに数回、特に<林道新設部分>について、現地調査を行っているようだ。調査によって新たな問題点が浮かび上がってきたという。林道新設部分で渓畔林部分を大きく削り取る計画となっていることが分かってきたのだ。

そこには豊富な樹種の巨樹が林立しており、工事用杭番号や図面と照らし合わせてみると、伐られてしまうのではないかと思われるものがたくさんあるという。巨樹は残すという方針のはずだが、<林道新設部分>では地盤の脆弱さ、ばかりに目がいって、貴重種(絶滅危惧種)や巨樹の調査はほとんどなされていなかった。

これらの新たな調査結果も機構側に届けられている。検討委員会で、拙速に結論を出すことなく、慎重に検討をしていただきたい。

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”21世紀は環境の世紀”である。自然は確実に痛んでいる。もしかすると回復不可能な段階まで進んでいるのかもしれない。将来を見据えて現状を確実に把握しておく必要がある。細見谷渓畔林(十方山林道)も例外ではない。 そのために時間をかけてかけすぎということはない。ここで一度壊した環境は、再び元に戻ることはないのだから。

サイエンスを理解できないジェネラリストなど百害あって一利なしだ。

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細見谷渓畔林と十方山林道

シンポジウム「細見谷渓畔林の保全に向けて」2004/11/28

2004年11月28日(日)、単独
シンポジウム「細見谷渓畔林の保全に向けて」
廿日市市商工保健会館 交流プラザ、13:00~16:30
(廿日市市本町5-1 → 旧市役所 跡地)

主催:廿日市・自然を考える会 共催:広島フィールドミュージアム
協力:森と水と土を考える会、細見谷流域研究者グループ

プログラム
12:30 開場
13:00 開会
(総合司会)廿日市・自然を考える会
13:05 大規模林道中止要請の署名提出その後
(報告)廿日市・自然を考える会
13:20 最新の細見谷調査報告
(講師)金井塚 務
14:00 休憩
14:15 パネルディスカッション「細見谷の保全に向けて」(司会)安渓 貴子
(パネリスト)河野 昭一、安渓 遊地、金井塚 務
(質問)廿日市・自然を考える会
16:00 質疑応答
16:30 閉会

パネリスト
・河野 昭一:京都大学名誉教授、日本生物多様性防衛ネットワーク代表委員、       日本生態学会細見谷要望書アフターケア委員、植物生態学
・安渓 遊地:山口県立大学教授、日本生態学会自然保護専門委員、人類学
・金井塚 務:広島フィールドミュージアム会長、日本生態学会細見谷要望書アフターケア副委員長、哺乳類生態学
パネルディスカッション司会
・安渓 貴子:山口県立大学非常勤講師、日本生態学会細見谷要望書アフターケア委員、植物学

パネリスト(当初出席予定であったが所用のため欠席)
・高木 丈子:環境省 自然保護局 山陽四国地区自然保護事務所 自然保護官

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細見谷渓畔林に対する林道工事(既設の十方山林道を全面舗装化、一部新設)の影響を検討するため、事業主体の緑資源機構は、2004年6月4日、動植物研究者5名による「環境保全調査検討委員会」を発足させた。今日まで既に3回の会合を実施しており、今年度中(来年3月)には結論(来年度工事着工)が出される模様という。そうした状況の中でシンポジウムは開催された。

以下、河野先生、金井塚先生や安渓先生の今日のお話を中心に、Web作者なりに覚え(メモ)として簡単に書き留めておく。 ただし、けっして講義録ということではない。

会の進行は、まず、主催者から署名提出その他報告、金井塚先生の細見谷最新調査報告があり、その後、パネラーとして、河野先生による細見谷の持つ意義、安渓先生による流域の思想と続き、最後に、会場(フロアー)との質疑応答という形で進められた。なお、高木 丈子自然保護官は所用のため欠席。

当日の出席者の一人である、”守れ!十方山林道”さんは次のように書いている。
「ぼくらの川のブナの森」掲示板(投稿日:2004/11/29(Mon) 23:41 No.287)
http://www.aki-kaeul.com/bokubuna/bbs/petit.cgi

<参加者も多く、国会議員、市会議員、釣り人、元教員の方々に加えて、環境保全調査検討委員会の波田教授と日比野氏(?)まで参加されて意見を述べられたのにはビックリしました。>

ところで、環境保全調査検討委員会(緑資源機構)では、「林道工事の実施に伴う影響の予測・評価及び保全措置を、専門的・学術的な見地から」果たして真剣に検討しているのであろうか。

このことに強い疑問を感じている金井塚務(広島フィールドミュージアム会長)さんから、環境保全調査検討委員会各位に対する公開質問状を送付する用意がある(今日の講師を含めた5名の連名)ことが示され、多数の賛同が得られた。

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細見谷の渓畔林は、西南日本に唯一残された落葉広葉樹林として、客観的にすぐれたものである。それは、かけがえのないものであり、手をつけてはいけない自然である。立場の違いを超えて守るべき、という価値観を共有したい。

細見谷渓畔林では、数多くの樹種が入れ子状態で存在している。生物多様性に満ちた空間だ。しかし、細見谷渓畔林の範囲は決して広いとはいえない。これ以上手を入れて分断されると、遺伝子の多様性は急速に失われてしまい、渓畔林は消滅してしまうだろう。

今年の夏から秋にかけて、全国的にクマ(ツキノワグマ)の出没が相次いだ。その大きな原因として、度重なる台風の影響で、クマの食糧となる種々の植物が甚大な被害を受けたことがあげられる。例えば例年であれば、細見谷のクマの食糧(10月頃)は次のようなものとなる。それが台風で大打撃を受けた。

液果類(サルナシ、ヤマブドウ、ミズキ、ヤマボウシなど)
堅果類(クリ、ドングリ-ミズナラなど)

しかしながら、クマが人里に出てくるようになった根本的原因は他にある。すわわち高度成長期に、落葉広葉樹林を切り払ってスギやヒノキの人工林に置き換えたためだ。そのためドングリを始めクマの食糧源は、元々近年は大きく減少していたのだ。西中国山地もその例外ではない。

ところが、西中国山地のツキノワグマ分布域は年々拡大しつつある。これは、頭数が増えたというよりも、生活環境の悪化に伴って、クマの生息域が拡散しつつあることを意味している。

ツキノワグマがゴギを食べると言う事実がとうとう発見された(金井塚さん)。古老の話として、実際にそのような現場を目撃したことがあると、言い伝えられてきたことであった。細見谷の豊かな自然環境を取り戻すことによって、ドングリなどの植物性食糧に加えてゴギが増えるならば、そしてクマがそれを食べるとするならば、クマの食糧事情は大きく改善される。わざわざ人里まで進出するクマはいなくなるはずだ。

細見谷の自然環境を改善することは、クマの生活環境を守ることにつながる。そして、そのことは人類の将来を守ることに繋がっている。クマの生存できない自然環境の中で、ヒトだけ生き残ることはあり得ない。細見谷渓畔林は、「西中国山地に豊かな自然を取り戻す核」として非常に大切な場といえよう。

細見谷川は太田川の源流にあたる。広島の水道水は、その太田川を主な水源としている。十方山林道問題は、ひとり廿日市市だけの問題ではなく、広島市民にとっても自分達自身の問題なのだ。太田川流域として一つに繋がっていることを忘れてはならない。

1987年11月06日
白神山地(青秋林道建設の見直し発言)北村正哉・青森県知事
(ただし、正字は”哉”の”ノ”なし)
2000年07月20日
中海干拓(本庄工区の事業凍結意向)澄田信義・島根県知事

フジタ広島県知事は、細見谷渓畔林の保全(十方山林道問題)に関して、どのような認識をもっているのであろうか。

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ひろしまの「生命(いのち)の森」・細見谷渓畔林 その未来を問う(2004/03/06)

2004年03月06日(土)、単独
ひろしまの「生命(いのち)の森」・細見谷渓畔林
その未来を問う
広島平和記念資料館、東館地下1Fメモリアルホール、13:00~16:30
主催:森と水と土を考える会

2003年度WWF自然保護助成事業「西中国山地・細見谷上流部の渓畔自然林の生態学的評価と十方山林道の大規模林道化による影響について」-成果報告会

プログラム
1)自然保護助成事業実施への経緯、森と水と土を考える会、13:00~13:15
2)かけがえのない水源の森・細見谷渓畔林、13:15~14:45
河野昭一:明らかになり始めた渓畔林の重要性と、それを破壊しかねないこの国の林野行政 
米澤信道:生物多様性の宝庫・細見谷渓畔林
3)細見谷に通い続けて見えてきたこと、14:45~15:25
金井塚務:ケモノたちの暮らし・「大規模林道化」の危険性
4)ディスカッション・メッセージ採択、森と水を考える会、15:30~16:30
この森を子々孫々へ-私たちは何をすべきか-

Web作者注:WWFJ(財団法人・世界自然保護基金ジャパン)

会は堀啓子(元広島山稜会会長)さんの司会で始まった。堀さんは、今日の演者である河野昭一(京都大学名誉教授 )さんや米澤信道(京都成安高等学校教諭)さんたちの植物調査に積極的に協力している方である。今日紹介されたOHP原稿(写真)のいくつかは堀さんご提供であったようだ。

それはともかく、まず最初に主催者を代表して「森と水と土を考える会」 原戸祥次郎会長が挨拶に立ち、1990年会設立当初の活動と、その後大規模林道建設に反対し続けてきた経緯を述べる。

中でも、2001年に「大規模林道問題全国ネットワーク」の集いを広島で開催したことが運動を飛躍させるきっかけとなったようである。翌年、2002年からは河野昭一さんや金井塚務(広島フィールドミュージアム会長)さんたち専門家と共同で学術調査を開始しており、その成果は「細見谷と十方山林道」(2003年1月刊)としてまとめられた。

さらに、2003年4月からはWWFJの自然保護助成を受けて調査を継続している。今日の会は、その成果報告会ということのようだ。

原戸会長は、会の最後にもう一度発言して一つの提言をした。すなわち、このようにして専門家が集めたデータを中心に据えて、専門家、行政、そして一般市民が一同に会し、納得のゆくまで大規模林道化のメリット・デメリットについてディスカッションする場を作るべきである、というのだ。まったくその通りだと考える。会長はその実現に向けて努力することを誓った。

講演のトップバッターは河野昭一京大名誉教授である。ブナ林は先生の研究テーマの一つである。世界的に見た場合、ブナのセンターは3つあるが、ヨーロッパ、アメリカでは破壊が進んでおり、原生的自然が残っているのは日本だけ(中国内陸部もごく一部の断片的な林しか残されていない)である。

その中でも細見谷の渓畔林は特にユニークな景観を示す。最大の特徴は、氾濫原のせまい範囲の中で高木層の優先種が次々と入れ替わって現れることにあるという。通常であれば、例えばサワグルミとトチノキはそれぞれ氾濫原(サワグルミ)あるいは斜面(トチノキ)というように、大まかな棲み分けが決まっている。しかし、細見谷ではこれらを含めてその他の樹種が細かく「入れ子状態」となっている。

ブナは風媒花である。そして自家受粉はしない。ところがブナの花粉の飛ぶ範囲は極めて限られたおり、ブナ林が分断されて集団が小さくなると、急速に遺伝子の多様性が失われていくことがわかってきた(富山県内の低山帯での調査)。遺伝子レベルでの多様性の低下は当然繁殖力の低下につながり、やがては消滅していくことになる。

全国のブナ林の全てで遺伝子解析を行ってみたい。もちろん細見谷でも実施したい。その結果がどのようなものになるか分からないが、細見谷のブナ林は、今はある程度のまとまりを持った集団として存在していると考えられる。しかし、これ以上手をつける(分断する)と危ないだろう。

林野庁の拡大造林政策の中で、昔の役人は広島や福島の渓畔林の部分だけは手を付けずに残した。それなりの見識を示したというべきであろう。それがあろうことか、最近になって林野庁がブナを大量に違法伐採していたことが分かってきた。この事実を発見したのは河野さん自身である。

「林野庁関東森林管理局が、全国ブナ林ランキング第一位の「沼の平」をはじめ世界自然遺産候補地の森林(福島県)で、過去5年間にブナなど2万4315本を違法伐採していた」。 環境政党・みどりの会議HPより

河野名誉教授によれば、過去5年分のデータしか残っておらずそれ以前のことは闇の中だという。もはや役人にすべてを任せておく訳にはいかない、という河野さんの意見に全面的に賛成である。

日本各地やアメリカで酸性雨によって樹木が無残に立ち枯れている。熱帯雨林では皆伐の進行に伴って、地肌を丸裸にされたまま回復しない土地が広がっている。このままでは熱帯雨林は40~50年しか持たない。

地球上の多くの地域で自然が壊滅的なダメージを受けている。今奇跡的に残っている細見谷渓畔林に手を付けることは決して許されるべきことではない。そうでなくとも先生の診立てでは細見谷の豊かな自然は後25年しか持たないのだという。

米澤信道(京都成安高等学校教諭)さんは、この2年間で約400種の植物を確認した。緑資源公団確認分580種と付き合わせれば、細見谷渓畔林には少なくとも600種以上の植物が存在している可能性がある。以下では具体的な種名をあげながら細見谷の生物多様性について述べた。(OHP写真 多用)

林床にはチュウゴクザサが多い。節と節の間に毛がありイブキザサではない。ノギラン、シノブなど寄生シダ植物が多い。空中湿度が高いため。オニルリソウ、ツルウメモドキなど。オニツルウメモドキ(直径20cm)、ノブドウ(10cm)などツル性植物が一つの特徴。カツラの大木200年以上。ミヤマカラスアゲハが道路上(未舗装)で40頭もの集団で吸水している。イヌブナと思ったらイヌシデ、葉で確認。ボタンネコノメソウ(新種?)、オオタチツボスミレ(日本海要素)、フナシコケイラン(新分類群)、オモゴイテンナンショウ(絶滅危惧種1A)、ヒロハテンナンショウ、ヒトツバテンナンショウ、マムシグサ、オオバタネツケグサ、シナノキ(表裏ともに毛が多い)、ヒナノウスツボ、タカクマヒキオコシ(サンインヒキオコシ、アキチョウジ)、サルメンエビネ、オオヤマサギソウ、オオウバユリ(草丈2m40cm、花数27個)、ヤマシャクヤク、オオバマルバノテンニンソウ、イガホオズキ(ほとんど毛がない)、スギラン(寄生植物)、コタニワタリ、ホンシャクヤクの大群などなど(その他種名を理解できなくて聞き逃したものあり)。現在リスト作成中とのこと。なお標本はすべて京都大学へ収められるという。ちょっと悲しい。

いよいよ金井塚務(広島フィールドミュージアム会長)さんの登場である。前日の中国新聞にはその予告編ともいうべき記事が掲載された。

中国新聞2004年3月5日(金)
細見谷渓畔林 クマの楽園、林道計画の廿日市市吉和調査、冬眠の樹洞10ヵ所
細見谷渓畔林付近で確認された「クマ棚」、木にツキノワグマが登った痕跡になる
写真提供、金井塚さん

動物たちにとっては森が生活の場となる。つまり森がすべてである。原生的な自然が残る細見谷渓畔林とその周辺には、広島県の哺乳動物をはじめ多様な生物ストックが丸ごと保全されている。絶滅危惧種も多く含まれる。ただし、貴重種だけ追ってもだめである。多様な共生関係そのものが大切なのだ。

ところで、細見谷渓畔林にどのような哺乳類が生息しているのか、実はまだあまりよくは分かっていない。ある動物(種)が確かに存在するということを確定することは非常に難しい作業である。まして、それらのケモノたちが 、<その土地で>どのような暮らしをしているのか、どのような一生を送るのか、を知ることは並大抵のことではない。1~2年という単位ではなく、10年20年といった継続観察が必要とされる所以である。

細見谷渓畔林の生物多様性についてはよく言われることである。ここでは、樹齢の多様性ということを考えてみたい。細見谷にはびっくりするような大木が数多く存在する。これらは繁殖力は劣ってきているであろうが、樹木に開いた穴は動物たちに格好の居住スペースを与えている。今、巨樹の分布と「ウロ」の分布の研究を進めている。

渓畔林一帯にツキノワグマの生息域が3つあることが分かってきた。また食べ物としては、堅果類だけでなく、アマゴやゴギなどサケ科の魚を食べるらしいことも分かってきた。何年か後には、ツキノワグマは魚を食べない、という学会の定説を覆すことができるだろう。

ツキノワグマの生息域が近年拡大している。これは生息数の増大を意味しない。山が荒れて食べるものがないので、しかたなく里に出てくるようになっただけである。その結果、例えば島根・山口・広島県境では、2002年に80数頭ものクマが有害獣として駆除された。これは全個体数の1/4強にあたると考えられる。

細見谷渓畔林の利用法として、フィールド博物館構想を提案する。エコツアーの開催によって参加者に自然認識を深めてもらうことができる。そのためのガイド養成など地場産業として雇用の創生をはかることができる。アクセス道路としては今ある林道で十分である。など。

最後に古川さんから地質関係のお話があった。プログラム外だったのだろうか。まず最初に、細見谷は広島県を南西から北東の方角に走るいくつかの断層の一つの末端部にあたるという説明があった。

そして、林道拡幅工事予定部分に地滑り集中地帯があり、地盤がゆるんでいるので、拡幅工事には莫大な費用がかかるだろうという予測を示した。当該地域では緑資源機構のボーリング調査が行われている。すべての情報を公開して互いに討議すべきである。

会は最後にアピールを採択して無事終了した。

会場となった広島平和記念資料館地下一階では、平成15年度第2回企画展として、「似島が伝える原爆被害-犠牲者たちの眠った島」が開催されている(2004年3月3日~7月11日)

行きは太田川放水路左岸から百メートル道路を会場まで歩いた。いくつかの木々には樹木名を書いた名札がつけてある。帰りも歩こうと思ったが雪風が吹き付けて寒い。西側の山は吹雪いて霞んでいる。あきらめて原爆ドーム前を通って電車道に向かう。ドーム内の補強柱を初めて見る。世界遺産登録の建物がいつまでも残っていてほしいと願う。

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シンポジウム「廿日市の宝-細見谷」2003/08/16

2003年08月16日(土)、EIKO
シンポジウム「廿日市の宝-細見谷」
はつかいち文化ホール さくらぴあ、10:30~16:15
主催:廿日市・自然を考える会、吉和の自然を考える会
協力:広島フィールドミュージアム、森と水と土を考える会

プログラムは、最下段へ転載

シンポジウムは、主催者団体の一つである「廿日市・自然を考える会」網本えり子さんの司会で高木恭代さん(同会代表)が挨拶するという、いつものスタイルで始まった。いつもと違ったのは、開始直前に「コカリナ」の演奏があったことだ。コカリナの演奏は、今日のシンポジウムの節目節目で何回か披露された。

コカリナ「演奏者」は、本日の最後に行われたパネルディスカッションのコーディネーター安渓遊地(あんけい・ゆうじ、山口県立大学教授)さんである。安渓教授はその直前のセクションでは、屋久島の例を取り上げながら、自然の賢明な利用法(ワイズ ユース)についても述べた。

インターネットで調べてみれば、コカリナ(木製のオカリナ)とは、東欧ハンガリーの民族楽器に日本で改良を加えて6年くらい前に出来上がったものだという。元々はやや硬めの広葉樹(サクラ、もみじ・かえで・くるみなど)で作られるが、マツやスギなどの柔らかい針葉樹で作られることもあり、材質によって微妙に音色が変わるという。

長野オリンピックでは、オリンピック道路を作るため強制的に伐採された木からコカリナを作製して、それを子供達がオリンピック会場で演奏した。また、屋久杉や広島被爆樹 (エノキ)で作ったコカリナもあるようだ。

シンポジウム資料集によれば、安渓教授は屋久島など各地でご活躍中だが、”細見谷も新たなフィールドとして準備中”とある。木製のコカリナの持つやさしい音色(木の妖精の歌)をいつかまた披露していただけそうである。

2003年11月06日追記
安渓遊地・貴子文献は、「南からの日本文化(上)」副題、新・海上の道、佐々木高明著、NHKブックス2003年で数多く引用されている。(西表島の稲作と畑作-南島農耕文化の源流を求めて-、など)

もう一ついつもと違うことがあった。というより予期せぬ出来事があった。中学高校時代の同期生(陸上部キャプテン)に会場で全く偶然に出会ったのだ。体調をくずして一年ほど前に教職(中学校教頭)を退いたと聞いていたのだが少し回復したらしい。公民館の行事(パソコン教室や料理教室など)に数多く参加しているようだ。

吉和は彼の最初の赴任地(30年以上前になるはずだ)で、十方山では背丈ほどもあるササを掻き分けて登ったり、細見谷も行ったことがあるという。ちなみに彼は現在廿日市市民である。

最初、彼を弟が見つけて連れてきてくれた。そうでなければ顔がわからなかったかもしれない。ほんとうに久しぶりの再開であった。彼のことをどうして弟が知っているかというと四国の同じ大学で世話になったからだ。ところでどうして弟がここにいるんだろう。朝受付を済ませて顔を上げれば書籍などの資料を販売するコーナーに弟が立っていた。

シンポジウムのトップバッターは金井塚務さん(広島フィールドミュージアム会長)である。今日もまた楽しい切り口のお話であった。もし、宮島町、大野町が廿日市市と合併したならば、同一市内で直線距離にしてわずか40~45km程の中に、瀬戸内海から西中国山地まで含まれることになる。

その地域は、海抜0m地帯から広島県内最高峰の恐羅漢山(三角点は標高1346.4m)のすぐ近くまでで、低位面の暖温帯、高位面の冷温帯そして中間帯の3つに分けて考えることができる。

「暖温帯」(照葉樹林)を代表する宮島の手付かずの自然林はすでに世界遺産「宮島」として登録されている。十方山・細見谷の渓畔林は、「冷温帯」(ブナ林)の中で本州最西端に奇跡的に残された自然林である。このような自然林を同一市内で2つも有することになるというのだ。

私なりの乏しい知識によれば、照葉樹林帯(常緑広葉樹林帯)とは、ネパール・ヒマラヤの中腹から長江(揚子江)流域を経て西南日本に至る帯状の地域で、イネの運ばれてきた<南からの道>である。これに対して、ブナ帯とは、東日本の縄文文化を支えた豊かな森であり、<北からの道>に連なっている。

ここで北からの道(落葉広葉樹林帯)とは、環日本海地域(朝鮮半島中・北部、中国東北部、ロシア沿海州、アムール川下流域、サハリン、北海道、東北日本)に加えて華北一帯を指している。そして 、全体としてはコナラ亜属が優勢(大陸側ではブナを欠く)であることから、これら地域は、”ナラ林帯”とも呼ばれる。

いずれにしても、東アジアの植生を南北に2分するような異なった自然環境の接点が同一市内に存在することになる。

河野 昭一さん(京都大学名誉教授)のお話を聞くのは初めてである。細見谷の生物多様性は尋常ではなく、観察ポイント(面積100平方メートル)をずらす毎に高木層の優先種が入れ替わる「入れ子構造」になっている点に最大の特徴があるという。

通常であれば、渓畔林を3つの部分(氾濫原、段丘(テラス)そして斜面)に分けた場合、サワグルミは氾濫原に最も多く斜面ではほとんど生育しない。トチノキはその逆で、斜面に最も多く氾濫原ではほとんど生育しないという(京大演習林、もんどり谷)。その程度の大まかなすみわけになるという意味だろう。

小冊子「細見谷と十方山林道」の巻頭言(河野昭一先生)には次のように書かれている。「(細見谷)渓畔林高木層は、サワグルミ・トチノキが優占する林分面積は圧倒的に広いが、トチノキ、トチノキ-ミズナラ、サワグルミ-ミズキ-オヒョウ、・・・・・など、多様な樹種が高木層をさまざまな割合で優占し、極めて多様性に富んだ林相を示す。」

ここの意味は、観察ポイント毎(主として氾濫原と思われる)の優占種(複数の場合が多い)を、”-”ハイフォンで連ねて示しているのだ。極めて多様性に富んだ林相とは、 このような優占種が、いくつもの細かい入れ子状態になって存在している、ということだったのだ。そしてその元データは、細見谷渓畔林の組成表1~5(小冊子P.22-26)であることが初めて理解できた。

私なりに組成表を検討してみた。観察ポイント10ヶ所で登場する優占種を頻度順に並べると、ミズナラが最も多く、サワグルミがそれに続く。次に多いのは、トチノキ、ミズキ、ミズメ、イヌブナあたりである。オヒョウ、コハウチワカエデ、ハリギリ、ブナ、イタヤカエデ、ナツツバキといった樹種名も登場している。

米澤 信道さん(京都成安高等学校教諭)は、河野昭一さんといっしょに2002年から細見谷の植物調査を行っている。カツラの大木、直径10cmもあるヤマブドウ、スギラン、ヤブデマリ、サルメンエビネ、カラスシキミ、コケイラン、オオマルバノテンニンソウ、ツチアケビ、ヤマシャクヤクなどの名前をあげて、細見谷の特異性について語った。

また、調査済の約320種のほとんどが林道(幅3m、未舗装、側溝なし)沿いに見られること、したがって、既存林道を舗装(側溝付)すればそれらの多くがやられてしまう可能性が高いことを問題提起した。

原哲之さん(小冊子「細見谷と十方山林道」編集責任者、農学修士)のお話の中で最も重要なポイントは、大規模林道建設に伴う専門家による特定植物群落調査が行われた際に、広島県は専門家の指摘を無視して大規模林道の予定ルート部分を除外したという点であろう。日本生態学会第50回大会総会決議文でもこの点を厳しく批判している。

日本生態学会第50回大会総会決議文
「細見谷渓畔林(西中国山地国定公園)を縦貫する大規模林道事業の中止および同渓畔林の保全措置を求める要望書」2003年3月23日
該当部分のみを下記に示す(前段および後段略)

「広島県は戸河内・吉和区間の事業認可(1976年度)直後の1978年度に特定植物群落・「三段峡の渓谷植生」・「細見谷の渓谷植生」を選定した。この時、調査を担当した研究者は「三段峡の渓谷植生」を樽床ダム~柴木の間、「細見谷の渓谷植生」を水越峠~吉和川との合流点までとし、「細見谷の渓谷植生」を「きわめて貴重な渓谷林」と評価していた。しかし、広島県はこうした指摘に関わらず、大規模林道の予定ルートに当たる部分および水越峠以南の「細見谷の渓谷植生」を除外して特定植物群落を最終的に選定した。「環境影響評価の基礎資料」と位置付けられる特定植物群落の選定において、結果的に細見谷の自然の重要性が過小評価されたことはきわめて遺憾である。」

原敬一さん(葉山の自然を守る会・代表)は町役場職員(山形県西置賜郡白鷹町、にしおきたまぐんしらたかまち)であり、公務員が市民運動をすることの是非をめぐって町当局と数年間の裁判闘争まで行ったそうである。そうした彼が中心となって大規模林道(朝日・小国区間)の事業中止を実現した。

家族に支えられ良き友人に恵まれあらゆる戦略・戦術を駆使して多くの人を味方に引き入れることができたからこそ成功したのであろう。なお、協力者のグループとして法律家も加わっているようである。非常に大切なポイントのように感じる。

さて、大規模林道をいまだに造ろうとしている側の論理とは、私なりに考えると次のようになるだろうか。

「大規模林道は造ることに意義があるのだ。何のために造るかなど今更どうでもよい。どれだけ工事がむつかしかろうと関係ない。造るときにお金をかける。もし壊れても後は地元自治体がお金をかけて修理をするだろう。こうしてお金が半永久的に回るシステムさえ作ればいいんだ。どうせチェック機構は働かないし、やりたいようにやらせてもらうさ。」

細見谷をめぐる現状は来年度着工予定に向けて非常に厳しいと言わざるを得ない。しかし粘ることである。あらゆる手段を尽くすことである。「やる気があれば何でもできる。 本気でやればみんなついてくる。 根気があればこわいものはない。(広島市在住の消防士さん”しゅう防”のHPより)」。

会場から「やる気・本気・根気」という発言があったのでインターネットで調べたらでてきた。オリジナルかな?無断借用になるのかな?気になってメールで問い合わせると、やる気・本気・根気の三気に付随した部分は、消防士の部下を指導する時つい口をついて出た言葉とのことであった。

最後のパネルディスカッションで、中根 周歩さん(広島大学教授)、豊原 源太郎さん(広島大学助教授)のお二人が新たに登場した。行政は時に専門家の意見など無視することもあるようだが、やはり地元の学者の支援を受けることは大切であろう。確固たる事実の積み重ねが欠かせない。

私は、小冊子「細見谷と十方山林道」の紹介文として、”細見谷では専門家による学術調査はなされていない”と書いているので気になって仕方がないのだ。少なくとも今までは行政を動かすほどの学術調査はなされてこなかったということになるのだろうか。今後の先生方のご研究とご活躍に期待をしたいと思う。

河野 昭一先生の研究グループは昨年(2002年)初めて細見谷に入られたようだ。先生ご自身は細見谷を今後継続した研究対象として取り組みたいという意欲を示された。まだまだ学問の第一線で活躍したいという男の色香を感じる。

学問のレベルは、DNA(遺伝子)によってすべての木々の親子関係を確定するところまで進んでいるという。例えば、細見谷渓畔林の樹木の全数調査実施など面白いテーマではなかろうか。

森をこわすと川がこわれる。川がダメになれば海がダメになる。森から海へ、海から森へ、物質は循環している。漁業関係者が森に木を植える時代である。細見谷の問題は決して吉和地区だけの問題ではない。少なくとも太田川水系の恩恵に浴する百数十万人が”地元の問題”として考えるべき課題である。

シンポジウムは、提言(メッセージ)を採択して無事終了した。

なお、会場には国際自然保護連合(スイスに本部をおくNGO-非政府組織)のノーディン・ハッサン生態系保全副委員長(マレーシアの動物学者)が一日中同席し、国際自然保護連合の活動について紹介をする時間も設けられた。

(ハッサン副委員長は、翌日細見谷現地を視察した上で記者会見を行い)今後の取り組みについては「視察の成果を持ち帰り、生態系保全委員会として日本政府への提言ができるかどうかも検討したい」と述べた。中国新聞2003年08月18日付

以下、河野先生の発言部分
まとまりがつかないので覚えのため

渓畔林は本来大きな集団ではない。ここに人の手を入れることは生物共生系の分断につながる行為であり絶対にやってはならない。例えばトチノキの花粉を昆虫が運ぶ、実をネズミなどが運ぶ、というように生物はそれぞれがお互いに支えあって生きている。それが小集団になるほど機能しなくなるという。

富山県内に点々と取り残されたブナ林を調査した。各ブナ林ごとにブナの全数検査を行って、その位置と大きさおよび親子関係(人間の血液型のようなもの)を調べたところ、集団の規模が小さくなっていくにしたがって人間の血液型にあたる種類が少なくなっていることがわかったという。遺伝子の多様性が失われて子孫を残す力が弱くなっているという意味だろう。

シンポジウム
「廿日市の宝―細見谷」

 廿日市市吉和細見谷渓畔林…太田川源流、西中国山地のこの地に残る豊かな広葉樹林とゆるやかな渓流は、多くの動植物を育んできた私たちの宝―未来からの預かりものです。この宝を、次世代に損なうことなく引き継ぐために私たちにできることは何なのか、共に知り、考えたいと思います。

と き:8月16日(土)10:30~16:15
ところ:はつかいち文化ホール さくらぴあ
参加費:前売券800円 当日券1000円
*前売券の予約(当日渡し)を受けつけています。

主催:廿日市・自然を考える会 吉和の自然を考える会
協力:広島フィールドミュージアム 森と水と土を考える会
●参加のお申込・お問合わせは
◆電話&Fax
高木(0829-39-6655)
網本(0829-39-2033)
原戸(082-293-6531)
◆E-mail 金井塚
(primates@proof.ocn.ne.jp)
◆前売り券はさくらぴあ事務所にもあります。

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SectionⅠ 廿日市の宝―細見谷(10:35~11:50)
 細見谷の渓畔林(渓谷の水辺に発達する森林)は、最近の調査で「西日本随一」「国内第一級の保全対象とされるべき森林」と急速に評価が高まりました。渓畔林の保全の必要性について、既設の十方山林道との関係について、現地で調査を続ける研究者が語ります。

①概説  暖温帯・瀬戸内から冷温帯・本州最西端のブナ帯へ
     ―世界的にも珍しいこの地域の特徴―      …………金井塚 務
②講演  世界の森から細見谷渓畔林を見る       …………河野 昭一
③報告  細見谷渓畔林の特徴―現地調査から―     …………米澤 信道

■金井塚 務:広島フィールドミュージアム会長、日本生態学会細見谷 要望書アフターケア―委員、哺乳類生態学。渓畔林の哺乳類の暮らしを探るべく、細見谷に通い続ける。
■河野昭一:京都大学名誉教授、国際自然保護連合生態系保全委員会委員、日本生態学会自然保護専門委員、日本生態学会細見谷要望書ア フターケア―委員、日本生物多様性防衛ネットワーク代表委員、植物 生態学、カナダ・モントリオール大学Ph.D。長年にわたり世界の森林 を研究する傍ら、2002年より細見谷渓畔林の植物調査を実施。
■米澤 信道:京都成安高等学校教諭、日本生物多様性防衛ネットワー ク事務局長、植物分類学・生態学。カワセミソウなど4種の植物の新種を発見・記載発表。2002年より細見谷渓畔林の植物調査を実施。

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SectionⅡ 大規模林道を造るとどうなる?(13:20~14:35)
 細見谷には大規模林道の建設が計画されています。そもそ
も細見谷に大規模林道は必要なのでしょうか。また、大規模
林道が建設されたらどうなるのでしょうか。「環境に配慮す
る」としながら、気象や地質の厳しいところで工事が強行さ
れて何が起こったか、地域に何がもたらされたかなど、山形
県・葉山の実例に基づく報告を聞きます。

①問題提起 細見谷に大規模林道は必要だろうか?
                …………原 哲之
②講演 山形県・葉山―現地からの報告―
                …………原 敬一

■原 哲之:「細見谷と十方山林道」編集責任者、農学修士。
■原 敬一:葉山の自然を守る会・代表。世界有数のブナ林
を分断する形で強行された大規模林道建設の問題に取組み、
その様々な問題点を世に問い、朝日・小国区間の事業中止を
実現した。

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SectionⅢ 自然を壊さずに地域が生きる方法(14:50~15:20)
 次の世代に大きな負担を残す環境破壊。破綻しかかっている国家財政・地方財政。今、大規模林道を含む公共事業のあり方が厳しく問われています。その一方で、地域の自然をワイズ・ユース(賢明な利用)して、地域を活性化させる取り組みが各地で始まっており、それらの実践例は、細見谷のこれからを考える上で貴重なヒントになるはずです。

報告 「流域の思想」を生きる―各地の事例から …………安渓 遊地

■安渓 遊地:山口県立大学教授、日本生態学会自然保護専門委員、西表島・浦内川流域研究会会員、人類学。屋久島、西表島、アフリカ、山口県・椹野川流域などで、持続可能な人と自然との関わりの実現に取り組む。細見谷も新たなフィールドとして準備中。

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SectionⅣ パネルディスカッション・細見谷の未来へ― (15:20~16:00)
 ここまでの発言を踏まえ、次の世代に「廿日市の宝―細見谷」を引き継ぐために私たちはどうしたら良いかについて話しあいます。もちろん会場からの発言もOK。渓畔林の保全に必要な条件・着工が迫る大規模林道の問題点などを整理し、持続可能な「ワイズ・ユース」の方法を探り、悔いの残らない細見谷の未来を提案しましょう。

パネリスト:
河野 昭一、原 敬一、金井塚 務、中根 周歩、豊原 源太郎、高木 恭代

■中根 周歩:広島大学教授、日本生態学会幹事長、日本生態学会細見谷要望書アフターケア―委員、森林生態学、理学博士。細見谷地区(国有林)全域を水源林のモデル地区として保全・活用することを提案。
■豊原 源太郎:広島大学助教授、日本生態学会細見谷要望書アフターケア―委員長、植物生態学、理学博士。
■高木 恭代:廿日市・自然を考える会・代表。
コーディネーター:安渓 遊地

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★提言(メッセージ)採択 (16:00~16:10)
総合司会:廿日市・自然を考える会

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展示コーナー(ロビー)もあります。
(写真・ビデオ・資料など、企画中です!)

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細見谷渓畔林と十方山林道

細見谷をラムサール条約登録地に(連続学習会・第3回)現地観察会(2003/06/29)

2003年06月29日(日)、単独
細見谷をラムサール条約登録地に
現地観察会(連続学習会・第3回)

現地観察会(出発帰着:吉和・中津谷入口)
9:30~16:00前

「細見谷をラムサール条約の登録地に」の連続学習会・第3回は、大規模林道建設予定地の地質を中心とした<現地>観察・学習会として実施された。講師は、宮本隆実・広島大学助教授(地質学)と古川耕三さん(地質学会会員)のお二人である。

主催者の高木恭代さん(廿日市・自然を考える会代表)にお誘いを受けて出かける。主催者からの案内葉書によれば、講師の宮本隆実助教授から廿日市市に対して以下の報告書が提出されている。

「大規模林道の新設・拡幅予定地の細見谷南西部は多くの断層と地滑りが発達しており、全体として極めて脆弱な地山。掘削工事により崩落や新たな地滑りを起こす可能性が高く、大規模林道の建設には大きな疑念を持つ」。

このページの目次です

テーマ1:細見谷南西部の地質について

当日は吉和・中津谷入口に集合(9時30分)し、配車後直ちに十方山林道(既存)に向かう。 林道は入り口(標高約840m)から一旦標高約900mまで上がった後、細見谷川(標高約730m)に向かって下る。この最高点~細見谷川部分を通称七曲(ななまがり)といい、断層帯を避けるようにして取り付けられた林道が曲がりくねって続いている。

大規模林道化計画の概略は次の通りである。まず、七曲部分では、標高の高い地点(比較的平坦で真っ直ぐな部分)は拡幅舗装化する。そして、 その下の残り部分は全くの新道を建設して蛇行を回避する、という。なお、細見谷川との接点は現在より上流となる。そして細見谷川に沿った部分は、舗装化のみ(現行幅員)、となっている。

これに対して、当日の講師の一人である宮本隆実・広島大学助教授(地質学)は専門家の立場から、特に七曲部分の安全性に疑問を呈しているのである。というわけで、当日はまず最初に七曲の各ポイントを中心に、地滑り地形における崩落跡地などを観察する。

最初に車を止めたのは標高約840mの地点で、最高点からゆるやかに下っていく途中の地点である。地図で示せば、林道がその少し先から大きく蛇行しながら下り、再び最も接近してくる位置になる。そこを含めて前後3箇所を歩いて観察する。いずれも拡幅舗装化の対象区間である。

最初の観察地点(Point1)には、両側がすでにずり落ちて真ん中にまだずり落ちずに残っている急斜面がある(10時15分)。その急斜面をよじ登り崩落開始地点(標高差約40m位)に立つ。足元の地盤はやや平坦でふわふわしており、すでに少しずり落ちて上の地盤との間に段差がついているのがわかる。いずれはここも崩れ落ちる運命にあるのだという。何とも不気味な感じのする場所である。

少し離れた所では、林道脇にある”よう壁”にヒビが入っているのを観察する。この林道が建設(昭和28年、1953年)されてからすでに約50年経っている。しかし、このヒビ割れの原因はただ単なる老朽化だけではなさそうである。山側の地盤が林道側へ押し出されているのがその原因だという。

この地域全体が著しい「ゆるみ」状態に達しており、全般的に脆弱化しているのである。このような場所を拡幅するために2mも山側を削り取れば崩落は必死である。それともそのような崩落を防ぐための強固なよう壁の建設は可能なのだろうか。そして、新道建設予定地点の地盤はどうなっているのだろう。

大規模林道化によってもたらされる利益と、林道建設および完成後の維持にかかるコストとのバランスはとれているのであろうか。コスト&ベネフィットについて確かな数値に基づく議論がほしい。

さて、最初の地点から少し歩いて戻り(Point2)、流紋岩がこすれて粘土の層になっている(地滑り下底粘土)地点を見る。粘土は水を通さないのでその上から大量の湧水があふれている。そのため林道に水溜りができている。

しかし、雨上がりとはいえ、水が流れ込んでいない場所でも常に林道上には水溜りがある。地下水位が林道面のすぐ下にあるためだという。このような場所を舗装化すれば、アスファルトの下を地下水が通ることによって土を流してしまい空洞ができる可能性がある。

最初の地点まで引き返してさらに真っ直ぐ歩いて下る。突き当たりに2号橋がありその手前が観察地点(Point3)である。ここでも地滑り後の崩落崖や” よう壁”に生じた亀裂などを観察する。初期的変形地形(空中写真の判読によって確認されるような地滑り性の弱い変状)といった言葉も教えていただく。

車でさらに下る。途中、Point1の真下にある3号橋を越えた地点(Point4)で主断層を確認する(12時20分)。流紋岩(白亜紀)と泥質岩(ジュラ紀)がぶつかっているもので活断層かどうかまでは確認されていない。北東-南西方向にいく本か平行して走る広島県の断層のひとつである。

車はやっと細見谷川に接する地点(といってもまだ標高差40mくらいあるが)まで下りてきた(Point5)。道路には大きな石がころがり落ちており大人でも一人では動かせそうにない。

見上げればここも断層である。泥質岩(左)とチャート(右)であるという。チャートとは、海洋底で放散虫に含まれるSiO2(二酸化珪素)が固まったものだそうだ。

テーマ2:渓畔林部分の舗装化の問題点について

しばらく行くと林道はほとんど細見谷川と同じ標高となり、そのままゆるやかに川とともに登っていく。上っているのか下っているのか感覚的にはよくわからない。このゆるやかな傾斜が細見谷渓畔林の特徴の一つである。そして、雨上がりとはいえ、道路を流れる水は途切れることなく続いており、まさに湿地帯(ウェットランド、wet land)といった感じである。

林道入り口から9km地点で昼食(午後1時前)。細見谷川は水量は増しているもののけっして濁ってはいない。ゴギ(サケ科、西中国地方のイワナ)も元気で育っているだろうか。古老に言わせれば昔のゴギは今の50倍くらいの数が生息していたという。まさに魚影が濃くて川が黒く見えたといった状態であったのだろう。

実は細見谷の渓畔林は、幅100~200mで長さは10kmに満たない範囲に限られている。そしてそれより標高の高い地点は、植林のために元からあった広葉樹は切り倒されてしまった。古老が大量のゴギといっしょに見た森は、細見谷を囲む山々が全山広葉樹で覆われた深い深い森であった。もしもそのような森を復元することができるなら、ゴギの数も大幅に増えるであろう。

ここで、金井塚務(かないづか・つとむ、広島フィールドミュージアム会長)説の登場である。もしもクマ(ツキノワグマ)がゴギを食べるとするならば、そして、もしもゴギの数が昔ほど多かったならば、細見谷で生息可能なクマの個体数は大幅に増加するに違いない。

各学会では今のところ全く取り上げられていない仮設だが、古老からの聞き取りによれば、クマがゴギを食べたという目撃談はいくつかあるようだ。なお今日の仮説紹介者は、金井塚会長ご本人ではなく杉島洋さん(同副会長)であった。

最近町に住み着いたクマの中には、牧場にあるサイロのレバーを押して飼料を盗むことをおぼえてしまったものがいるという。森の王者としてはちょっとなさけない姿ではないだろうか。クマがクマらしく、故郷の細見谷で堂々と暮らしていける環境を取り戻してやりたいものである。

渓畔林は細見谷の核心部分である。渓畔林なくして細見谷の未来はない。細見谷・渓畔林の特異性、重要性については、すでに多くの専門家によって指摘され、また非常に高い評価を受けている。絶対に我々の世代で失うわけにはいかない。それは、次 の世代に引き渡すべき大切な宝物である。それは、吉和の、廿日市の、広島の、日本の、そして世界の宝である。

チャンスは今しかない。もし渓畔林内の林道を、たとえ拡幅することはないとしても、舗装化しただけで渓畔林に回復不可能なダメージを与える可能性が非常に高い。来年度工事着工をまずは凍結して議論をつくすべきである。廿日市市議会での討議はまだ十分になされたとは言い難い。市長、市議会議員の力量が問われている。

ではなぜ現員幅維持による舗装化でもダメなのか。まず第一に、舗装道路の路面は温度が高くなりやすいことがあげられる。路面を今のように常時水が流れる とするならば、水温が上昇することによる環境への影響は避けられないだろう。

あるいは、道路脇に側溝を作り舗装道路には水道(みずみち)を付けて、水がそこしか流れないようにするならば、水が流れなくなった箇所は乾燥化が進んでしまう可能性がある。

なお、地下水位が高く林道面のすぐ下にあるため、舗装化されたアスファルト道の下を地下水が通ることによって土を流してしまい、空洞化する可能性があるのは全ルートを通じて共通の懸念である。

既設林道建設から約50年経って、林道(未舗装)そのものが今や環境の一部となっている。林道の両端は極めて生物多様性に富み、2002年の植物調査では貴重種も多く発見されている。こうした植生は舗装化だけで確実に破壊されると考えられる。

既設林道の上は樹冠で完全に覆われるようになっている。ミネルヴァ(MINERVA)派の杉島副会長も夜の十方山林道を歩くことはできなかったそうだ。空が少しでも見えればその下に道があるはずと検討もつけられるが、空が全く見えないほど樹冠でおおわれていてはどうしようもないという。それほど既設林道は自然の一部と化している。

既設林道の舗装化は、大規模林道化の目的の一つであるという観光道路として成功する条件となり得るだろうか。渓畔林沿いでは現員幅を維持するのだから、交通量が増えれば増えるだけ車の離合は難しくなり渋滞が発生しやすくなるだろう。細見谷の谷底に排気ガスが溜まり木々が枯れる可能性が高くなる。樹木の数が減れば水温が上がって乾燥化が進むという悪循環に陥る可能性が高い。

細見谷・渓畔林について

昼食後、杉島さんを中心に、午前中に学んだことも参考にしながら林道を散策する。ちょっとしたエコツアーといったところである。 上記ですでに紹介した内容以外について簡単にまとめておきたい。

昼食をとった地点に、ミズナラとハリギリが並んで生えている。いずれも大木である。さすがの杉島さんも最初見たときには一瞬樹木名が分からなかったという。植物学の大家もこれらの木を見て唸ったという話である。渓畔林内には通常では考えられないくらい手付かずの自然がまだ残っている。

このミズナラには大きなツタウルシがからみついており、そのツルがノコか何かで切断されている。あるがままの自然を大切にしたいものである。なおそばにはサワグルミもある。

オヒョウの葉に初めて触った。特徴のある形をした葉の裏はザラザラしている。北方系の植物で渓畔林を構成する種の一つである。大きな天然スギが生えている対岸にカツラの株立ちを見る。ブナとイヌブナの木肌の違いを教えていただく。

なお、渓畔林内の植物はずいぶんと粘っこく成長するものらしい。去る5月4日の観察会で、下山林道をちょっと入った所にミズナラの大木が根元から折れて倒れているのを観察する。直径約200cm、1年に1cmづつ成長するとすれば樹齢200年位になる、とは杉島さんのお話であった。この件についてこの場でご本人から現況報告と訂正があった。

この大木が最近切り刻まれてしまった。そのまま放っておけばよさそうなものなのだが。ただし、切られたことによって年輪が数えられるようになったので数えてみた。すると3mm/年位の成長速度と読み取れたという。前回の推定樹齢200年(10mm/年)がどこまで古くなるのか見当がつかない。

午後3時ころ現地を離れ、4時前に集合地点到着

集合地点に向かう山道では、さすがにクリの花も最盛期の勢いはない。代わってネムノキの花が咲き始めている(標高の低い地点で)。十方山林道に入ればコアジサイが迎えてくれる。 Point5ではイワガラミを見る。対岸にも2~3本ある。集合地点手前に白い花を付けた大きな木。帰りにキイチゴの実?を摘んでいる人をみかける。

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細見谷渓畔林と十方山林道

細見谷現地観察会(エコツーリズム)2003/05/04

2003年05月04日(日)、単独
細見谷現地観察会(エコツーリズム)
十方山林道周辺にて
(出発帰着:吉和・中津谷入口)
9:30~16:00過ぎ

「廿日市・自然を考える会」(代表・高木恭代さん)による細見谷現地観察会に参加する。講師は広島フィールドミュージアム会長金井塚務さん、副会長杉島洋さんである。

「細見谷をラムサール条約登録地に(連続学習会・第2回)」参加者を優先するというので、4月26日(土)の学習会終了後直ちに参加申し込みを受けつけ、金井塚会長から希望日の割り振り (5月4日、5日、6日)や当日集合時間および注意事項の説明を受ける。弁当持参、長袖長ズボン長靴着用。なお5月5日(月) はNHKの取材があり、翌6日(火)夕方に放映された。

以下、次回の勉強会のための参考資料として求められ提出したレポートである。

ラムサール条約では、ただ単に湿地を保全するということだけではなく、その賢明な利用(wise use)が求められている。すなわち、生態系の自然特性を変化させない方法で、人間のために湿地を持続的に利用すること、が求められる。

細見谷渓畔林の豊かな自然は、多様な生物がお互いに係わり合いながら長年月にわたって築き上げてきたものである。食物連鎖と置き換えてもよいそれらの関係、何が何をいつどの様に食べているのかは実はまだあまりはっきりしていない。豊かな自然を守るためには基礎的なデータが必要である。

この森を動物がどのように利用しているのかは、これから何年にも渡って(あるいは何世代にも渡って)観察を続けることで始めて分かってくることである。このような大きなタイムスパンでの定点観測こそ、フィールドミュージアム(野外博物館)の目的の一つである。これは大学の研究室ではできないことである。

そのようなフィールドミュージアムが指導する現地観察会(エコツーリズム)は、自然を破壊することなく価値を見出すことのできる行為であり、賢明な利用の一つの方法として非常に有用である。

当日は連休中とあってかなりの車が現地へ入っていた。キャンピングカーで泊りがけの人もいるほどである。オーバーユース状態といってよい。こうしたいわゆるアウトドア派のように自然の中でただ単に過ごすだけではなく、観察会は豊かな自然の営みを肌で実感することのできる上質の香り漂うレクリエーションといえよう。

適切な指導者と適切な人数の参加者がいることによって、より多くの目で自然を観察することができる。それだけ発見も多くなる。そのような参加者はフィールドミュージアム運営のよき理解者(サポーター)として双方に利益をもたらす存在となるだろう。もちろん「細見谷をラムサール条約登録地に」運動では共に手を携えて歩む仲間でありたい。

次回の勉強会は6月予定、そして観察会は夏と秋、条件さえ許せば冬も考えていただけるとのことである。実に楽しい。

9時30分吉和集合、配車後直ちに現地に向かう。11時前に現地到着(林道入り口から9km地点)。細見谷川に流れ込む小さな清流に沿って少し登り、隣の少し大きな沢を下るコースで約2時間の観察。昼食後、下山林道(11km地点)まで移動して1時間少々の観察、3時位に現地を出発4時過ぎに吉和にて解散。

国道から林道に入り最高点を超えたあたりで十方山を望む地点がある。山頂近くまで人工林(針葉樹)で覆われている様子がよく分かる。細見谷渓畔林は実は細見谷川に沿って幅100m位しか残っていないのである。

針葉樹の生産性は低い。もし植林前の環境(広葉樹林帯)では細見谷川に豊富な栄養素が流れ込み、サケ類(動物性たんぱく質)が豊富でそれをクマが食べていたとすれば、生息可能なクマの個体数は今よりも多かったはずだ。そのような環境が破壊されたことによって、しかたなく町へ出て行かざるを得ないクマが増えたとも考えられる。

観察会第一ポイントで細見谷川の左岸に渡る。本流に流れ込む清流の水温は常に一定で10度C位、街中の冬の水道水くらいの温度である。ここでハコネサンショウウオと再会した。えさとなるえび類、カワゲラの幼生?も同時に見つける。このサンショウウオもまた別の生物に食べられる。こうした食物連鎖の頂点にいるのがこの森ではクマである。

細見谷の王様はクマである。今日もクマの痕跡をたくさん見た。現地に着いて車を降りるとブナの大木がある。そこにはクマの爪あとが付いている。巾8cmそれほど大型のクマではないという。クマは木登りがうまい。ブナの花芽を食べるために登ったのであろう。

山に入ると、ホオノキの大木がある。白い肌が美しい。そこにクマがかじって樹脂を吸った跡が付いている。両手でしっかりと樹木を抱え込んでかじったものと考えられる。爪あとが付いている。かじり跡は新しいものやそれがすでに修復されたものが2ヶ所、薬として食べているのであろうか。キツツキのドラミングが聞こえる。縄張りを主張しているのだ。おそらくアカゲラであろう(杉島副会長)。

そろそろ昼食にしようかというとき、参加者が大きなクマの糞を発見する。繊維質の中にブナの花芽がいくつか残っている。クマは確かにブナの花芽を食べるということが分かる。実はこの事実は最近わかったことで、別の観察会でやはり一般参加者が見つけたのだという。

昼食後上流へ移動する。下山林道をちょっと入った所にミズナラの大木が根元から折れて倒れている。直径約200cm、1年に1cmづつ成長するとすれば樹齢200年位になる。中は空洞になっている。クマの冬眠用として最適の場所のようだ。上部が開いているがかえってこれくらいがちょうどよくて、クマは完全に閉ざされた穴の中で冬眠するというものでもないようだ。

なお、クマは出産するメスは別として、すべてが冬眠するものとは限らない。えさがあれば食い続けるという。もし細見谷川にサケ類が豊富な環境を取り戻しそれをクマが食べるとすれば、サケ類がいなくなるまで食べ続け、食べ尽くせば満腹になって冬眠するだろう。

林道から山の中に入るとカツラの大木が1本ある。さらに行くとサルナシの太いつるが2本あって隣の大木に上の方でからんでいる。からまれた大木の根元にクマの足跡がついている。キウイフルーツよりはるかに美味といわれるサルナシの実を食べるためクマが登ったと考えられる。近くにはヤマフジの大木(右巻き)。

上部へ移動するとすぐ人工林(針葉樹)に突き当たる。1本のスギがクマの皮剥ぎの被害にあっている。クマの爪跡があり樹脂を吸い取っているもののようだ。植えてから20~30年物が被害に遭いやすいというが、もともとクマは針葉樹には興味がなかったはずなのだが。

それにしてもここの人工林はすごく荒れている。枝打ちを全くしていなくて節だらけだからまるで商品価値はないだろう。切り倒して広葉樹が生えてくるようにする方が得策である。

杉林の中に下草(中国笹)が生えていない一角がある。杉が密集して日光が当たらないのだ。地面を掘り返すとすぐに硬い地盤に当たる。杉の葉はなかなか腐らないから土壌成分が不足しているのだ。広葉樹と針葉樹の豊かさの違いがはっきりと分かる。

さて時間を巻き戻してみる。このあたりの林床には中国笹が多い。竹の子のシーズンである。今日最初の発見は、イノシシのしがみ跡(笹をチューインガムのように噛んだあと吐き出したもの)である。付近を透かしてよく見ると獣道がついているのも分かる。

しばらく行くと、イノシシの馬耕があった。竹の子(中国笹)を食べた跡やしがみ跡が散乱している。そばにはりっぱな糞も落ちている。紫の小さな草花の株が2~3個あり美しい。林道はイノシシを呼び寄せるともいう。カケスの鳴き声が聞こえる(杉島副会長)。

竹の子はノウサギも食べる。しかし切り口がイノシシの場合とはまるで違う。犬歯で斜めにすぱっと切った跡はナイフのように鋭い。小さな古い糞もみつかったようだ。

午後から、タヌキのため糞を見つける。まわりにアズマモグラの穴がある。この糞を狙っている可能性があるという。糞もリサイクルされるもののようだ。

さて、第一ポイントで細見谷川を渡ってしばらくは平坦だがその上部は少しきつい斜面になる。その斜面にトチノキの群落がある。そこまでは行かなかったが、下の小川にトチの実がたくさん落ちている。ほとんどは中身を食べられてしまって実は残っていないが、それでも2~3個芽を出しているものを見つける。

午前中、帰りのコース上にトチノキの古木がある。トチノキの木肌はボロボロしているが、大木では樹皮が大きく割れてはがれ落ちた跡がウロコ状になる。

サワグルミの幼木が多数生育している空間がある。大きな木がなくて空が明るい。時々起こるかく乱によって大木が倒れその付近一帯が空白状態(ギャップ)になったものと考えられる。そうした場所に真っ先に生えてくるのがサワグルミでありヤシャブシあるいはミズメ(よぐそみねばり、サロメチールの匂いがする)であるという。豊かな森では、生物の多様性とともに年代(樹齢など)の多様性もまた重要な要素となる。

晴天気温は高めで少し汗をかく。若葉が出きっていないので日がさして今が一番暑い時期だという。また冬芽がなく葉がないので樹木の鑑定が難しいといいつつ、講師には丁寧な解説を受ける。

以下はまとめきれなかった部分で覚えのため。

当日集合場所までフジの紫花が目立つ。その他、コバノミツバツツジが多い。現地までの間ではダイセンミツバツツジも混じるという。その他、ムシカリの白い花が現地までの所々にある

倒木の根が地中に出ている。地中の部分は空となりネズミのトンネルや酸素を地中に入れる役割を果たすので踏み固めるのはよくない

11月の重たい雪でブナの小さい枝が倒された
冬芽が残り花芽がついている

地下性ねずみ(スミスネズミと推定)がヤシャブシの木肌をかじった跡をルーペでのぞく

生態系、エネルギーのフローであり、ちょっと違う
ウワミズザクラ、お盆過ぎにさくらんぼになる
アカシデ、花芽が赤い
サンショウのとげ、水気の多いところではとげがすくない
サワシバ、葉の付け根がハート型
長靴は歩きやすい
展望台(十方山を見た地点)、右手前に見えるのは、1142m~1067m
黒ダキ山1084.7mは、その稜線の右肩奥に見えるか

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細見谷渓畔林と十方山林道

細見谷をラムサール条約登録地に(連続学習会・第2回)2003/04/26

2003年04月26日(土)、単独
細見谷をラムサール条約登録地に
(連続学習会、第2回)

主催:廿日市・自然を考える会
協力:宮島自然史研究会
廿日市市中央公民館、14:00~

プログラム:
・細見谷におけるフィールドミュージアム構想
金井塚 務(広島フィールドミュージアム会長)かないづか つとむ
・森林生態学から見た細見谷の渓畔林と林道の舗装化
中根 周歩(広島大学大学院教授 森林生態学)なかね かねゆき

妻の体調不良、年度末決算、新年度組織改革、引越し、法事(遠方)とイベントが重なり多忙を極め、今回の十方山林道関連の勉強会からやっと”家外”活動を再開することができた。

さっそく以下で勉強会の内容を自分なりにまとめてみることにする。ただし、これは講演要旨ではありません。他の資料も参考にしてまとめたもので、あくまでも現在時点における私のレベルを示すものにすぎません。

ラムサール条約では、ただ単に湿地を保全すればそれでよしとするのではなく、賢い利用(wise use)が求められている。すなわち、生態系の自然特性を変化させない方法で、人間のために湿地を持続的に利用すること、が求められているのである。金井塚務さんは、賢明な利用の一形態として、フィールドミュージアム構想を提示している。

フィールドミュージアムとは、国立国語研究所の「外来語」委員会(委員長・甲斐睦朗同研究所長)の第1回最終報告(2003年4月25日)の主旨(外来語62語の言い換え提案)に沿えば、<野外博物館>となるのであろうか。

それはともかく、「博物館」法によれば、博物館とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関、とされている。

博物館がまず第一にやるべきことは、実物、標本、模写、模型、文献、図表、写真、フィルム、レコード等の博物館資料を豊富に収集すること、である。一言でいえば標本の収集ということになる。そのためには物を収容する建物が必要である。

しかしながら標本はあくまでも標本であり、それは死物にすぎない。生きた生物の暮らしぶりを研究して生物の全体像をつかむには、長い年月をかけて築かれた多様な生物種間関係(ネットワーク)を研究する必要がある。そのためには、生態学、進化学を踏まえた自然認識がかかせない。野外(フィールド)に出て生き物を生き物として丸ごと観察する必要がある。

フィールドミュージアムは豊かな自然が背景になければ成り立たない。そこで行われるエコツーリズムは、自然を破壊することなく価値を見出すことのできる行為である。地元ガイドの養成は地域の自然認識の高まり、すなわち文化の創造につながる。もちろん、ツアーその他によるオーバーユースだけは気をつけなければいけないが。

豊かな自然があればクマが里山にでてくることもないだろう。したがって、獣害解決の糸口ともなるはずである。クマの住む環境が破壊されてしまったので、クマはしかたなく拡散(町へ出てきた)したにすぎないのだから。

なお、フィールドミュージアムの実体験として、希望者は細見谷現地観察会に参加させていただける(5月連休中)ことになっている。それらの予習も兼ねて、糞から分かること、アニマルトラッキング(どんな動物の足跡かな?)として、ストライド(歩幅)、ストラドル(左右の足の間隔)の概念などを教えていただく。

ミュージアムとアミューズメントは語源を同じくする。博物館にもわくわくするような楽しさが求められる。

中根 周歩教授は、細見谷川が十和田湖・奥入瀬渓谷よりもさらにユニークな存在であることをまず最初に示した。約10kmもの間ゆったりとした傾斜に沿って渓畔林が続く環境はほかにないという。

渓畔とは、河川と山とを結ぶ心臓部にあたる。そこは、河川でもなく森林でもなく両方の生物の生息域である。多様な生物が暮らしを成り立たせることのできる<エコトーン、移行帯>、すなわち異なる生態系の接点である。

渓畔で最も重要なファクターは「水」である。山から川へ、表層流、地下水などが流れ込んでいる。これらの流れは川の手前ではすべて既存の林道付近に集中している。調査によれば、林道の下では伏流水は50cmよりも浅いところを流れている。場所によっては地下10cmまで掘るとすぐに水が見えるというし、林道下を通過できなかった水で林道の表面は常にぬれた状態になっている。

細見谷の伏流水は水量が豊富で、水温は年中安定(10~15度)している。細見谷川のゆったりとした流れは水の浄化に適している。ゴギ、サンショウウオの楽園である。冬でも川が凍ることはなく、どんな大雨の後でも川が濁ることはないのだという。

このような環境下にある林道を舗装化することは許されない。水の流れが断ち切られて渓畔の生態系が壊される恐れが強い。法面工事による環境破壊の影響も懸念される。アスファルト舗装は行わず、エコ・トーン(ブナ帯自然林)として残すのが得策である。そうすることによって、自然の一部としての人間の原点をさぐるようなハイレベルのリゾート地と成り得る可能性がでてくる。

ところで、実は細見谷渓畔林は両幅100m位が川に沿って残っているにすぎない。その上部(国有林)は人工林化(主にスギ)しているが現在では手入れされてはいない。これらの人工林は今となっては商品価値を生むのはむつかしい状況になっている。

人工林は強間伐するのがよい。切り倒した木をそのままにしておけば、その後に広葉樹が生えてくる。針広混交林とすることによって雨水の浸透能を高めることができる。それは、細見谷渓畔林をよりよい状態で保つのに役立つだろう。なお、このようにして再生した自然を野生生物の聖域として残すようにするとよい。

<細見谷をラムサール条約登録地に・連続学習会>

日時:2003年4月26日(土)午後2時から(廿日市市中央公民館)
主催:廿日市・自然を考える会
協力:広島フィールドミュージアム(旧宮島自然史研究会)
    吉和の自然を考える会

「細見谷をラムサール条約登録地に!」
連続学習会・第2回のご案内です。

前回(3月1日)は「細見谷の自然の重要性・独自性」「生物多様性の持つ意味」「細見谷で暮らすけものたち」「ラムサール条約とは」「ラムサール条約登録地指定への流れ」などについて学びました。(参加者多数。そして好評。ありがとうございました)。

今回は「森林生態学から見た細見谷の渓畔林」「十方山林道の舗装化が渓畔林に及ぼす影響」という今後の細見谷を考える上で大前提になる問題、および「細見谷におけるフィールドミュージアム構想」が主要テーマです。5月予定の現地観察会の事前学習もあります。ふるってご参加ください。

この連続学習会は、その都度のテーマに沿っていろいろな角度からの学習を重ねていきます。前回参加できなかった方もお気軽にどうぞ。なお、当日は前回の記録(有料)を用意します。

● とき  4月26日(土)午後2時~
● ところ 廿日市市 中央公民館 集会室
● 講師  金井塚 務(広島フィールドミュージアム会長)
       中根 周歩(広島大学 大学院教授-森林生態学-)
● 参加費 500円

主催: 廿日市・自然を考える会
協力: 広島フィールドミュージアム(旧宮島自然史研究会)
     吉和の自然を考える会

問合せ先:高木(0829-39-6655)網本(0829-39-2033)

カテゴリー
細見谷渓畔林と十方山林道

細見谷をラムサール条約登録地に(連続学習会・第1回)2003/03/01

2003年03月01日(土)、EIKO
細見谷をラムサール条約登録地に
(連続学習会、第1回)

廿日市市中央公民館3階集会室、14:00~
主催:廿日市・自然を考える会
協力:宮島自然史研究会

プログラム:
・細見谷の自然(哺乳類を中心に)、金井塚 務(宮島自然史研究会)
・ラムサール条約から見た細見谷の渓流と渓畔林、花輪 伸一(WWFジャパン)

ラムサール条約は、例えば釧路湿原(タンチョウヅル)のように鳥を保護するための条約ではなかったのか、西中国山地の細見谷(渓畔林-水辺林)と果たして関係があるのだろうか。条約でいう湿地(ウェットランド)ということであれば関係有りそうだが、それが細見谷とどの様に結びつくのだろうか。疑問と期待を抱きながら会に参加する。

結論から先に述べておこう。ただしこの結論の部分は、後日(3月3日)主催者および主催者を通じて間接的に金井塚務さん(あるいは中根周歩さん)の補講を受けたものをさらにまとめたもので、その全てを私自身の力で勉強会当日に学び取ったものではないことをお断りしておきます。

特に、”細見谷をラムサール条約登録地に” という運動は、次に述べるように、ラムサール条約の質の格上げにつながるような、世界を視野に入れた地域活動であるという点についてきちんと感受できていなかったように思います。

ラムサール条約(正式名称:特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)の根本理念は、「湿地(ウェットランド、wet land)における生物多様性の保全」とその「賢明な利用(ワイズユース、wise use)」にある。

条約では ”生態系の自然特性を変化させない方法で、人間のために湿地を持続的に利用すること” を求めている。ここで今までの登録地(湿地)をみると、湿原、干潟、あるいは湖沼などに限られており、細見谷のような渓畔林(水辺林)の登録は未だ世界的に前例がない。

細見谷の条約登録は、「湿地の保全と賢い利用」について、新たな具体的事例を世界に先駆けて示すものになるだろう。それは細見谷にとっての利益であるばかりでなく、条約の理念と概念の拡大、すなわちラムサール条約そのものの価値を高めるという大きなメリットを持っており、非常に意義のあること、やりがいのあること、面白いことであると考える。

以下、勉強会のまとめである。インターネット情報も加味しながらまとめてみた。(注:上記補講を受ける前のものである)

ラムサール条約の正式名称は、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」である。1971年にラムサール(イランのカスピ海沿岸)という小さな町で採択された条約で、特定の生態系を扱う地球規模の環境条約としては唯一のものである。

日本は1980年に条約締約国となっており、その際に登録された釧路湿原(北海道)を始め国内では現在13ヶ所の地域が登録されている(世界の締約国133ヶ国、登録地1229ヶ所)。2002年11月現在。

日本の上記登録地を見ると、湿原、干潟あるいは湖沼など、”特に水鳥の生息地・・・”という条約の正式名称に当てはまるものばかりである。しかしながら、細見谷の渓畔林はそのような条件に当てはまるとは思えない。

そのような場所でなぜラムサール条約なのか? 演題その一は、アイデアの発案者、金井塚務さんである。最近では、研究対象を宮島から西中国山地へ広げていらっしゃるようである。湿地(ウェットランド、wet land)としての細見谷(渓畔林-水辺林)の生物多様性について、種の多様性と共に年代別の多様性(老木と若木が入り混じっている)にも見るべき点があることを強調した。

これを受けて花輪伸一さんは、湿地(ウェットランド)そのものの重要性から解説を始めた。例えば、ある一定の広さの干潟における浄化能力を、下水処理場建設費用(および維持費)と比較検討することが可能だという。干潟を潰して他の用途に供することは多くの人にとって必ずしも有利な方法ではない。

ラムサール条約でいう湿地とは、その地域(生物地理区域内)を代表するような自然度の高い湿地(ウェットランド)そのものである。今までの登録地を見ると、確かに鳥に関する地域が圧倒的に多いが、それは条約の成立過程において渡り鳥の保護を目的としていた為であり、現在ではあまり鳥にこだわる必要はないという。

花輪さんは、ラムサール条約登録地の基準(国際的に重要な湿地の基準)を一つ一つ”細見谷”に当てはめながら、登録に値する地域であるとの判断を示した。

さて、ラムサール条約では、湿地の保護をうたっているだけではない。賢明な利用(ワイズ・ユース、wise use)が求められている。生態系の自然特性を変化させない方法で、人間のために湿地を持続的に利用すること、ができなければいけない。

条約登録のメリット、ディメリットについて、利用者のみならず地元地域住民、利害関係者にとって納得のいく説明が求められる。その基礎資料として学術調査による裏付けが必要となるだろう。それらを広報することによって地域住民の合意を得ることが最も大切である。そこから行政へ国へとはねあげることによって国内法による湿地保全の担保が得られたとき初めてラムサール条約登録に向けて条件が整うことになる。以上、花輪伸一さんのお話であった。

今日3月1日は新・廿日市市(廿日市市に佐伯町、吉和村編入)誕生の日である。新しい地域住民の手によって、”細見谷をラムサール条約の登録地に”を実現させるための確実な第一歩が踏み出された。

追伸:
花輪伸一さんは当日飛行機で羽田から広島へ来られた。飛行機の到着が約2時間遅れたため演題の順番が金井塚務さんと入れ替わることになった。飛行機が遅れた原因は、羽田出発そのものが遅れたからである。

当日午前7時ころ、国土交通省・東京航空交通管制部(東京ACC、埼玉県所沢市)のコンピュータシステムが2系統ともダウンして全国の空港を出発する航空機が約20分間全く離陸できなくなった影響によるものである。

コンピュタダウンの原因は、防衛庁の航空機飛行計画を国交省の管制システムに取りこむプログラムを修正する作業によって発生した障害であるという。自然社会と対極にあるコンピュータ社会の脆弱性を見る思いがする事件である。

<細見谷をラムサール条約登録地に>

吉和 細見谷をラムサール条約の登録地に!
第1回学習会のご案内

細見谷を知っていますか?

 吉和村の奥深く、中国山地のなかに奇跡のように残る珠玉の自然…、それが細見谷です。太田川最上流部の深い渓谷をさらにのぼると、やがて谷は浅くなり、山々から湧き出す水の恵みを受けた美しい渓畔林(水辺林)が広がります。渓畔林は様々な生物の暮らしの場となり、水を浄化し、山と川の間の水みちを守る優れた働きを持ちますが、中でもここの渓畔林は西南日本随一の規模と言われています。中国山地の自然がむかしの力を失った今も、細見谷の渓畔林は数々の動植物の暮らしを守り、太田川の水質・水量を支え、私たちに自然の豊かさ・偉大さを教えてくれています。

ラムサール条約を知っていますか?

 ウェットランド(湿地)を保全するための国際条約で、ウェットランド(湿原・干潟・湖・河川・海岸の外縁部など)の機能、すなわち、水の浄化作用・水系の流量調節作用・多種多様な生物を育む働きなどへの世界的な認識の高まりを背景に、1971年イランのラムサールという小さな町で採択されました。日本では、「釧路湿原」「伊豆沼・内沼」「クッチャロ湖」「ウトナイ湖」「霧多布湿原」「厚岸湖・別寒辺牛湿原」「谷津干潟」「片野鴻池」「琵琶湖」「佐潟」「漫湖」「藤前干潟」「宮島沼」が指定登録地となっていますが、細見谷もまたラムサール条約の理念にふさわしい保全するべきウェットランドであり、登録地指定に向けての学習・検討を進めたい、と私たちは考えています。

学習会「細見谷をラムサール条約の登録地に!」に参加してください

 ここ数十年、ヒトも自然の一部であることを忘れた人為が自然を荒廃させ、ヒトが生きる環境をも急速に劣化させました。その現実のもとで、私たちは、ヒトが生き続けるためにどう自然に向き合ったらよいかを模索しなければなりません。学習会「細見谷をラムサール条約の登録地に!」の開催は、そのささやかな試みの一つです。多数の皆さまの参加をお待ちしています。

と き  3月1日(土)午後2時~
ところ  廿日市 中央公民館 集会室(3F)(地図→裏面)
講 師  花輪 伸一(WWFジャパン)
      金井塚 務(宮島自然史研究会)
テーマ  ラムサール条約と細見谷
参加費  500円(会場費・資料代など)

主催 廿日市・自然を考える会  協力 宮島自然史研究会
問合・申込先 高木(Tel/Fax 0829-39-6655)網本(Tel/Fax 0829-39-2033)

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細見谷渓畔林と十方山林道

「細見谷と十方山林道」発行記念シンポジウム(2003/02/02)

2003年02月02日(日)、EIKO
「細見谷と十方山林道」発行記念シンポジウム
水源の森・細見谷を次の世代へ!
-自然とは祖先から譲り受けたものではなく、子孫からの預かりものである-
(広島市まちづくり市民交流プラザ、6階マルチメディアスタジオ、13時~17時)

この度発行された「細見谷と十方山林道」の目次(三部構成)を見ると、”第一部 2002年細見谷学術調査報告書”となっている。広島県十方山・細見谷(渓畔林-水辺林)の小型サンショウウオや植物あるいは昆虫などの生物および地質に関する調査について報告したものである。

細見谷ではこのような学術調査は今まで一度も行われたことがないという。この調査は、いわゆる専門家による学術調査ではないものの、今後の議論を深めるための唯一貴重な基礎データとなることだろう。 (後日注:専門家も参加している)

私たちもこの調査の一部に参加した。昨年8月のことである。調査を手伝ったという程のこともないのだが、この報告書には二人して参加者名簿に名を連ねている。さらに出来あがった報告書を当日の会場でいただけるというので発行記念シンポジウムに参加することにしたのである。

さて、本の目次は”第二部 細見谷の未来へ”、”第三部 細見谷は世界の宝”と続く。”巻頭言 細見谷の自然-特異な渓畔林植生とその価値”を含めて、日本を代表する学者や十方山林道の大規模林道化に反対する各会代表および関係者の手に成るものである。

その内容は、大規模林道化の問題点指摘と代替案の提示(第二部)、および細見谷をいかに次世代に引き継ぐか(第三部)、である。当日はこれら執筆者の多くがその都度壇上に上がり、基調講演、報告、ディスカッションを経て、まとめとして”メッセージ”を出席者全員で採択して閉会した。

シンポジウムの冒頭、基調講演は「生命(いのち)の森-西中国山地」(田中幾太郎さん)である。田中さんは、益田市(島根県)在住の元理科教師とのこと。西中国山地で生まれ育った方で、高度経済成長がいかに日本の豊かな自然を破壊してきたかについて数多くの実体験を持っている。

その主張を私なりにまとめれば、各人が金(マネー)万能の価値観を捨て去り、ほんとうの豊かさとは何か改めて考え直すべき時にきている。そうして考えたことを自立した個人として行政に物申す態度が必要ということになろう。中根周歩教授(広島大学大学院)は、学者として調査研究をする覚悟を示した。一般市民に正確な判断材料が数多く与えられることを期待したい。

金井塚務さん(宮島自然史研究会会長)は、渓畔林周辺をwetland(湿地帯)と捉える考え方を提案している。湿地帯ということになれば、ラムサール条約(ウェットランド-湿地を保全するための国際条約)登録地としてその候補と成り得る訳である。日本における今までの条約指定登録地は、湿原(湖、干潟など)に限られており鳥類が主役のように思われているが、条約の根本概念からするとそうばかりはいえないようだ。

「吉和・細見谷をラムサール条約登録地に!」 という学習会も始まるという。今後の展開が楽しみである。

<「細見谷と十方山林道」 発行記念シンポジウム>

「細見谷と十方山林道」(2002年12月発行)は、細見谷(西中国山地・広島県)に関する学術調査報告書である。この細見谷では現在開発か保護か、すなわち細見谷沿いにある既存の十方山林道(未舗装)の「拡幅舗装化工事」をめぐって賛否両論が戦わされている。

<プログラム>

「細見谷と十方山林道」発行記念シンポジウム
 水源の森・細見谷を次の世代へ!
- 自然とは祖先から譲り受けたものではなく、子孫からの預かりものである -

みなさんは細見谷をご存知ですか?細見谷は山陰・山陽の水源の森・西中国山地国定公園にあります。私たちは少しでもその自然を学ぼうと2002年に学術調査を行いました。そして、私たちのごく身近に、日本の、世界の宝となる稀有な渓畔林(水辺の自然林)が残されていることを知りました。細見谷の自然を傷つけることなく次の世代に引き渡す方法をご一緒に考えませんか。

★2003年2月2日(日) 午後1時~5時
広島市まちづくり市民交流プラザ
(6Fマルチメディアスタジオ)
広島市中区袋町6番36号
TEL:082-545-3911

プログラム
★基調講演:生命の森―西中国山地
田中幾太郎さん
(日本動物学会、島根県野生生物研究会会員。著書に「いのちの森 西中国山地」〈光陽出版社〉など。)

★報告:
①西日本を代表する渓畔林・細見谷 森と水と土を考える会
②地質から見た細見谷の特徴 古川耕三さん(日本地質学会会員)
③自然を本当に活かした地域振興を 中根周歩さん
(広島大学大学院生物圏科学研究科環境循環予測論講座教授・森林生態学)
④野外博物館としての十方山林道の可能性 金井塚務さん(宮島自然史研究会会長)

★ディスカッション:細見谷を次の世代へ!
パネリスト(敬称略・50音順):
金井塚務・田中幾太郎・・中根周歩
(進行:森と水と土を考える会)
なお、谷田二三さん(吉和の自然を考える会代表)体調不良にて欠席

★まとめ・メッセージ採択

主催:森と水と土を考える会
後援:吉和の自然を考える会

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細見谷渓畔林と十方山林道

中村敦夫参議院議員と細見谷(渓畔林)を歩く(2002/11/23)

2002年11月23日(土)、EIKO
中村敦夫参議院議員と細見谷(渓畔林)を歩く
中村敦夫講演会(廿日市市内)

中村敦夫参議院議員と細見谷(渓畔林)を歩く、10:30~
(出発帰着:吉和村役場)

中村敦夫講演会、19:00~21:00
はつかいち文化ホール、さくらぴあ小ホール
主催:廿日市・自然を考える会
後援:吉和の自然を考える会、森と土と水を考える会

藤原信:「大規模林道」とは何か、19:10~19:30
中村敦夫:環境の世紀-紋次郎、大規模林道を斬る!!、19:30~20:45
フリートーク・質疑応答、20:45~

十方山林道の大規模林道化とは何か。それはほんとうに必要な工事なのだろうか。工事を中止して今ある豊かな自然を残し、自然観察・環境教育などの場として活用することのほうが、長い目でみて得策なのではなかろうか。正確な調査に基づく徹底した議論が今こそ求められている。取り返しのつかないことになってしまう前に。

十方山林道の大規模林道化中止を求める署名活動をしている「ぼくらの川のブナの森」の方から、”紋次郎と細見谷を歩こう” とのお誘いを受けてEIKOと出かける。当日夜は中村議員の講演会(環境の世紀―紋次郎、大規模林道を斬る)が ”はつかいち文化ホール、さくらぴあ” でありそちらにも二人そろって参加した。

中村さんは現在、参議院議員、公共事業チェック議員の会会長、環境政党「みどりの会議」代表委員として活躍している。<21世紀、最大の政治テーマは環境問題である>とする中村さんの理念と実践および今後の抱負を示した講演は、半日を現地で共に過ごした者として共感することの多い内容であった。

中村さんの講演に先だって、藤原信さんの講演(「大規模林道」とは何か)があった。藤原さんの肩書きは、大規模林道問題全国ネットワーク代表委員、宇都宮大学名誉教授、「みどりの会議」運営委員である。今日一日中村さんと同行して現地視察をした上でのお話であった。

藤原さんのご専門は林業経営である。林業のために本当に必要な林道の存在は否定しないが、スーパー林道(正式名称:特定森林地域開発林道)や「大規模林道」は林業のためには何ら益するところはないという。

つまり林業のためには、従来からの規格である幅員3~4mの未舗装道路、いわゆる林道で、切り出した木を運ぶために谷筋に作られる道で十分というのである。

未舗装だが幅員4.6メートルに拡幅したスーパー林道(尾根越えを行く)や、幅員7m、2車線の舗装道路で大型バスも通行可能というような大規模林道(尾根筋をぬって走る)は、林業では利用できない形態の道であり、また、真の狙いと思われる山岳観光道路としても全く機能していないとのことである。

林道整備は、1956年(昭和31年)に設立された森林開発公団(現緑資源公団)の手によって行われてきた。公団設立当初の事業目的は、「増大する木材需要に対処するため、手付かずに残されている奥地未利用林を開発するための林道を整備すること」であったが、時代の要請によって設立された公団の役割はすでに終わったといえよう。

吉和村役場10:30集合-出発10:40ごろ-現地11:55ごろ、13:20 ごろ-13:48ワサビ田-14:32砂防ダム-祠14:48-吉和村役場15:55ごろ
(時間はかなりあいまいです)

雲一つない快晴である。しかし今日は山頂には登らない。ちょっともったいない気がしないでもない。単独行動であれば観察会のあと一登りしてしまいそうな、そんな天気が一日中続いた。

さて、朝方西の空を見ると、極楽寺山の右上に月が出て、ウサギが餅をついている。満月からすれば右側が少し欠けている様だ。調べてみれば寝待月(満月から三日経過)だという。真っ青な空に浮かぶ白い月をずっと追いかけながら今日の集合場所、吉和村を目指す。

集合場所からはワゴン車に積み替えていただき現地に入る。最初は、匹見町(島根県)に至る狭いながらも舗装された国道488号線を行く。やがて、右手の十方山林道に入と、未舗装なため終始激しく上下左右に揺られることになる。

十方山林道(既存)のコース概略は次の通りである。中津谷(主川)で国道から分かれてしばらくは少し高度をかせぎ、その後つづら折の道を細見谷に向かって降りていく。後は細見谷(細見川)に沿ってゆるやかに登り、水越峠を越え、横川川に沿って二軒小屋に下って行く。

十方山林道の大規模林道化とは、こうした既存の林道(2級林道-幅員3.6mで4トントラック通行可)の拡張(全面舗装、一部拡張無し舗装化のみ、一部新道建設)工事のことをいう。

前回、小型サンショウウオ観察会&調査に参加した時は、二軒小屋から入って水越峠を越えて来た。今日の昼食場所はそこよりももう少しこちら側で、右手に十方山尾根に向けて林道が分かれている地点である。

中村議員は二軒小屋方面からやってきた。予定ではこちらのグループよりも早く着いているはずであったが残雪があり難儀したようである。こちら側でも道路脇にほんの少し雪が残っていた。日陰では霜で真っ白になった所があり、陽が登ると共に湯気が立っていた。

川原で食事をする。空を見上げればクマタカが飛んでいる。2度羽ばたいただけであとはグライダーが滑空するように飛ぶ。青空をバックに美しい。

宮島のサル研究を続けている金井塚務さん(宮島自然史研究会)のミニ講義を受ける。最近、宮島から十方山林道付近にフィールドを拡大されているようだ。十方山林道周辺の自然環境を維持することの重要性について話していただく。

ニホンザルの生息域が西日本(照葉樹林帯)と東日本(ブナ林帯)で違うということなども合わせて教えていただいた。今回は、この会の主旨に賛同して、自分自身の調査グループと時間調整をして一時合流していただいたもののようである。

その他、ミュージシャンご夫婦による演奏があった。太鼓(アフリカ製)やその他いろいろな楽器を使用するようである。ご本人達によれば 「空想民俗音楽」とのことである。時間があまりなくてサワリの部分だけだったのが惜しまれる。

昼食後、車で来た道を川に沿って歩きながら引き帰す。緩やかな下りで気持ちがよい。谷間の方角に太陽がありほとんど常に陽があたっている。小春日和である。祠のある地点まで、1時間30分近く歩いたようである。

なお、祠があるのは、つづら折の道の最下点で、南西方向に流れてきた細見川が南~東に向きを変える地点である。ここから再び車に乗って午前中に通った道を戻る。

さて、林道を歩いているとずっとぬかるみが続く。雪解け水のせいかと考えていたら、伏流水が地下50cm足らずのところを流れているのだと教えていただいた。細見谷は、谷と川が渾然一体となって水で繋がっている一種の湿原、すなわち”渓畔”として存在しているのである。

渓畔にある林のことを渓畔林という。細見谷の渓畔林は中四国で唯一のものであり、ブナ帯(イヌブナ)自然林として生態学的に非常に貴重な資源とのことである。例えていえば、西の”白神山地(世界登録遺産)”とでもいえようか。

渓畔林は、微妙な生態学的バランスの上に成り立っている。地下水の流れは、舗装工事をするだけでも変化する可能性が高く、そうなると渓畔林の存続はあやうくなる。

細見川は太田川の源流にあたる。その太田川を主な水源とする広島の水道水は美味いと他県の人によくいわれる。渓畔林の優れた水質浄化能力は太田川の水質を高めるのに役立っている。また、広島特産、カキの養殖もこのような水源なくしては成り立たない。

祠の近くでは、断層が露出している個所を実際に見ながら、その地点の大規模林道化工事あるいは維持がいかに大変であるかについて解説していただく。その付近の航空写真も見せてもらった。

まず、細見谷そのものが広島県内を平行して走る断層の一つである。それと交差するように8~9つの断層が走っている。林道がつづら折になって走る部分は、過去の工事でそれらを避けながら道路を作った結果としてそうなったということである。

さて、断層面を見ると二つの異なる層がこすれ合う部分が緑色に変色している。岩盤が圧力を受けて粘土状になっているのである。そのまわりの岩盤も非常にもろくなっており砂状になって崩れ落ちている。

大規模林道化計画では、この部分を真っ直ぐな道にしてしまうのだそうである。断層地すべり対策工事が必須となり、工事費の増大化、膨大な維持費の常態化は避けられないだろう。

2002 年(平成14年)11月7日、廿日市市・佐伯町・吉和村の3市町村は、合併協定に調印した(同月15日、3市町村の各議会において合併関連議案可決)。すなわち、大規模林道化問題は、財政的には吉和村だけの問題ではなくなったことになる。人口比率で圧倒的多数を占める廿日市市の議会で審議されることが望まれる。

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細見谷渓畔林と十方山林道

十方山細見谷、小型サンショウウオ観察会&調査(2002/08/10)

2002年08月10日(土)、EIKO、KEN、MOMO
十方山細見谷、小型サンショウウオ観察会&調査
(出発帰着:戸河内町二軒小屋駐車場)

十方山林道の大規模林道化中止を求める署名活動をしている「ぼくらの川のブナの森」の方から、細見谷上流における”小形サンショウウオの観察会&調査”(主催:吉和の自然を考える会・森と水と土を考える会)のご案内をいただく。KENに聞くと興味を示したので連れて行くことにする。結局は、MOMOまでついてきてしまった。 (二軒小屋、13:30集合)

子どもたちは今日もそれぞれのリュックサックを持って我が家へやってきた。午後1時30分集合の戸河内町二軒小屋駐車場をめざして、午前10時40分過ぎに自宅を出発をする。空は曇り空、ひょっとしたら一雨あるかもしれないといった雰囲気である。その分、気温は低め、といっても我が愛車の車外温度表示は32度Cである。

途中でKENが戻した。車にはあまり強くないということだったので、出発前に酔いどめの薬をしゃぶらせたが、最初は苦いというので吐き出していたようだ。2回目は飴玉といっしょにしゃぶらせる。そうこうしているうちに、元気いっぱいだったMOMOもダウン。前途多難である。

二軒小屋駐車場から先はワゴン車に同乗させていただき南西の方角をめざす。我が愛車ではこのガタガタ道は走行できないだろう。この道こそ大規模林道化計画の対象となっている道なのである。

行くこと約20分で小さな沢に橋が掛かっている所がある。その沢の上流で観察会&調査を開始する。10尾(数え方を聞き逃した)近くのハコネサンショウウオの幼生を捕獲する。大中小と3種類の大きさが揃っているようだ。変態まで2年以上かかるため、4~5cm(0年)、約8cm(1年)、約10cm(2年)の3段階の幼生がみられるのだという。

なお、幼生とは”おたまじゃくし”のようなもの(専門用語)だという鳥取大学大学院生、岡田先生の話であった。また、西中国山地の特徴として3種類の小型サンショウウオ(ブチサンショウウオ、ヒダサンショウウオ、ハコネサンショウウオ)の幼生が混生している点があげられるそうである。いずれにしても、これらサンショウウオは自然環境豊かな清流にしか住めない。

観察会の始まるころからポツポツ雨が降っていた。1時間前後の観察会が一段落したころ本格的な雨となり、当日はこれで一応終了することになった。予定では細見谷の美しい渓畔林も案内していただけることになっていたようであるが、我が家は二人のコブ付きでこれだけで十分なメニューであった。

会の方はここで一泊して翌日朝から目一杯調査を続けるそうだ。(後で聞くと、夕方にかなりの豪雨となり翌朝も雨が残ったが無事調査ができたそうである)

当日の会にはRCC中国放送のテレビ取材が同行した。EIKO、KENそれぞれがインタビューを受けたが固まってしまって何もしゃべらなかった。私も対象となりちょっとだけしゃべった。

なお今日はすぐ近くの砥石郷山へ山友達が入るというメールをもらっていたけれど雨に濡れなかっただろうか。砥石郷山だけのようだから3時には車まで帰っているかもしれないけど。