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細見谷渓畔林と十方山林道

中村敦夫参議院議員と細見谷(渓畔林)を歩く(2002/11/23)

2002年11月23日(土)、EIKO
中村敦夫参議院議員と細見谷(渓畔林)を歩く
中村敦夫講演会(廿日市市内)

中村敦夫参議院議員と細見谷(渓畔林)を歩く、10:30~
(出発帰着:吉和村役場)

中村敦夫講演会、19:00~21:00
はつかいち文化ホール、さくらぴあ小ホール
主催:廿日市・自然を考える会
後援:吉和の自然を考える会、森と土と水を考える会

藤原信:「大規模林道」とは何か、19:10~19:30
中村敦夫:環境の世紀-紋次郎、大規模林道を斬る!!、19:30~20:45
フリートーク・質疑応答、20:45~

十方山林道の大規模林道化とは何か。それはほんとうに必要な工事なのだろうか。工事を中止して今ある豊かな自然を残し、自然観察・環境教育などの場として活用することのほうが、長い目でみて得策なのではなかろうか。正確な調査に基づく徹底した議論が今こそ求められている。取り返しのつかないことになってしまう前に。

十方山林道の大規模林道化中止を求める署名活動をしている「ぼくらの川のブナの森」の方から、”紋次郎と細見谷を歩こう” とのお誘いを受けてEIKOと出かける。当日夜は中村議員の講演会(環境の世紀―紋次郎、大規模林道を斬る)が ”はつかいち文化ホール、さくらぴあ” でありそちらにも二人そろって参加した。

中村さんは現在、参議院議員、公共事業チェック議員の会会長、環境政党「みどりの会議」代表委員として活躍している。<21世紀、最大の政治テーマは環境問題である>とする中村さんの理念と実践および今後の抱負を示した講演は、半日を現地で共に過ごした者として共感することの多い内容であった。

中村さんの講演に先だって、藤原信さんの講演(「大規模林道」とは何か)があった。藤原さんの肩書きは、大規模林道問題全国ネットワーク代表委員、宇都宮大学名誉教授、「みどりの会議」運営委員である。今日一日中村さんと同行して現地視察をした上でのお話であった。

藤原さんのご専門は林業経営である。林業のために本当に必要な林道の存在は否定しないが、スーパー林道(正式名称:特定森林地域開発林道)や「大規模林道」は林業のためには何ら益するところはないという。

つまり林業のためには、従来からの規格である幅員3~4mの未舗装道路、いわゆる林道で、切り出した木を運ぶために谷筋に作られる道で十分というのである。

未舗装だが幅員4.6メートルに拡幅したスーパー林道(尾根越えを行く)や、幅員7m、2車線の舗装道路で大型バスも通行可能というような大規模林道(尾根筋をぬって走る)は、林業では利用できない形態の道であり、また、真の狙いと思われる山岳観光道路としても全く機能していないとのことである。

林道整備は、1956年(昭和31年)に設立された森林開発公団(現緑資源公団)の手によって行われてきた。公団設立当初の事業目的は、「増大する木材需要に対処するため、手付かずに残されている奥地未利用林を開発するための林道を整備すること」であったが、時代の要請によって設立された公団の役割はすでに終わったといえよう。

吉和村役場10:30集合-出発10:40ごろ-現地11:55ごろ、13:20 ごろ-13:48ワサビ田-14:32砂防ダム-祠14:48-吉和村役場15:55ごろ
(時間はかなりあいまいです)

雲一つない快晴である。しかし今日は山頂には登らない。ちょっともったいない気がしないでもない。単独行動であれば観察会のあと一登りしてしまいそうな、そんな天気が一日中続いた。

さて、朝方西の空を見ると、極楽寺山の右上に月が出て、ウサギが餅をついている。満月からすれば右側が少し欠けている様だ。調べてみれば寝待月(満月から三日経過)だという。真っ青な空に浮かぶ白い月をずっと追いかけながら今日の集合場所、吉和村を目指す。

集合場所からはワゴン車に積み替えていただき現地に入る。最初は、匹見町(島根県)に至る狭いながらも舗装された国道488号線を行く。やがて、右手の十方山林道に入と、未舗装なため終始激しく上下左右に揺られることになる。

十方山林道(既存)のコース概略は次の通りである。中津谷(主川)で国道から分かれてしばらくは少し高度をかせぎ、その後つづら折の道を細見谷に向かって降りていく。後は細見谷(細見川)に沿ってゆるやかに登り、水越峠を越え、横川川に沿って二軒小屋に下って行く。

十方山林道の大規模林道化とは、こうした既存の林道(2級林道-幅員3.6mで4トントラック通行可)の拡張(全面舗装、一部拡張無し舗装化のみ、一部新道建設)工事のことをいう。

前回、小型サンショウウオ観察会&調査に参加した時は、二軒小屋から入って水越峠を越えて来た。今日の昼食場所はそこよりももう少しこちら側で、右手に十方山尾根に向けて林道が分かれている地点である。

中村議員は二軒小屋方面からやってきた。予定ではこちらのグループよりも早く着いているはずであったが残雪があり難儀したようである。こちら側でも道路脇にほんの少し雪が残っていた。日陰では霜で真っ白になった所があり、陽が登ると共に湯気が立っていた。

川原で食事をする。空を見上げればクマタカが飛んでいる。2度羽ばたいただけであとはグライダーが滑空するように飛ぶ。青空をバックに美しい。

宮島のサル研究を続けている金井塚務さん(宮島自然史研究会)のミニ講義を受ける。最近、宮島から十方山林道付近にフィールドを拡大されているようだ。十方山林道周辺の自然環境を維持することの重要性について話していただく。

ニホンザルの生息域が西日本(照葉樹林帯)と東日本(ブナ林帯)で違うということなども合わせて教えていただいた。今回は、この会の主旨に賛同して、自分自身の調査グループと時間調整をして一時合流していただいたもののようである。

その他、ミュージシャンご夫婦による演奏があった。太鼓(アフリカ製)やその他いろいろな楽器を使用するようである。ご本人達によれば 「空想民俗音楽」とのことである。時間があまりなくてサワリの部分だけだったのが惜しまれる。

昼食後、車で来た道を川に沿って歩きながら引き帰す。緩やかな下りで気持ちがよい。谷間の方角に太陽がありほとんど常に陽があたっている。小春日和である。祠のある地点まで、1時間30分近く歩いたようである。

なお、祠があるのは、つづら折の道の最下点で、南西方向に流れてきた細見川が南~東に向きを変える地点である。ここから再び車に乗って午前中に通った道を戻る。

さて、林道を歩いているとずっとぬかるみが続く。雪解け水のせいかと考えていたら、伏流水が地下50cm足らずのところを流れているのだと教えていただいた。細見谷は、谷と川が渾然一体となって水で繋がっている一種の湿原、すなわち”渓畔”として存在しているのである。

渓畔にある林のことを渓畔林という。細見谷の渓畔林は中四国で唯一のものであり、ブナ帯(イヌブナ)自然林として生態学的に非常に貴重な資源とのことである。例えていえば、西の”白神山地(世界登録遺産)”とでもいえようか。

渓畔林は、微妙な生態学的バランスの上に成り立っている。地下水の流れは、舗装工事をするだけでも変化する可能性が高く、そうなると渓畔林の存続はあやうくなる。

細見川は太田川の源流にあたる。その太田川を主な水源とする広島の水道水は美味いと他県の人によくいわれる。渓畔林の優れた水質浄化能力は太田川の水質を高めるのに役立っている。また、広島特産、カキの養殖もこのような水源なくしては成り立たない。

祠の近くでは、断層が露出している個所を実際に見ながら、その地点の大規模林道化工事あるいは維持がいかに大変であるかについて解説していただく。その付近の航空写真も見せてもらった。

まず、細見谷そのものが広島県内を平行して走る断層の一つである。それと交差するように8~9つの断層が走っている。林道がつづら折になって走る部分は、過去の工事でそれらを避けながら道路を作った結果としてそうなったということである。

さて、断層面を見ると二つの異なる層がこすれ合う部分が緑色に変色している。岩盤が圧力を受けて粘土状になっているのである。そのまわりの岩盤も非常にもろくなっており砂状になって崩れ落ちている。

大規模林道化計画では、この部分を真っ直ぐな道にしてしまうのだそうである。断層地すべり対策工事が必須となり、工事費の増大化、膨大な維持費の常態化は避けられないだろう。

2002 年(平成14年)11月7日、廿日市市・佐伯町・吉和村の3市町村は、合併協定に調印した(同月15日、3市町村の各議会において合併関連議案可決)。すなわち、大規模林道化問題は、財政的には吉和村だけの問題ではなくなったことになる。人口比率で圧倒的多数を占める廿日市市の議会で審議されることが望まれる。

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