「緑資源」幹線林道戸河内・吉和区間(大朝・鹿野線)は、西中国山地の自然豊かな地域を貫いて走る林道です。その範囲は、当然ながら自然環境保全基礎調査(環境省)の対象となり、”特定植物群落”として、「三段峡の渓谷植生」(城根・二軒小屋工事区間)と、「細見谷の渓谷植生」(二軒小屋・吉和西工事区間)の二か所が選定されています。
ところが、調べてみると、大規模林道の予定ルートにある細見谷渓畔林は、「細見谷の渓谷植生」に含まれていないことが分かりました。つまり、(広島県が)専門家の意見を無視して、細見谷上流部の細見谷渓畔林を特定植物群落の範囲から除外していたのです。自然豊かな景観は、大規模林道工事の障害になると考えたのでしょう。同様のことが、三段峡の渓谷植生でも行われていました。
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幹線林道は”特定植物群落”を貫いて走る
自然環境保全基礎調査とは、自然環境保全法(1972年)に基づき、環境省(旧環境庁)が実施する日本の自然環境全般に関する調査です。一般に「緑の国勢調査」と言われているものです。おおむね5年ごとに調査を行い、自然環境の現状と時系列変化を捉えることを目指しており、調査対象は、陸域、陸水域、海域の各領域にわたり、国土全体の状況について調査をしています。
その中で、”特定植物群落”の調査目的は、「わが国における植物群落のうちで学術上重要なもの、保護を必要とするものなどの生育地及び生育状況について調査する」(特定植物群落調査要綱(第2回自然環境保全基礎調査要綱))となっています。
なお各種の調査成果は、特定植物群落も含めて、生物多様性センター(環境省自然環境局)のホームページで閲覧可能です。
群落位置図は幹線林道を除外している
細見谷の渓谷植生
「細見谷の渓谷植生」について、生物多様性センターのDB検索システム(生物多様性情報システム)で、第2回基礎調査部分(1978~1979年度)の中から検索してみました。
- 件名=細見谷の渓谷植生(対象地域:広島県)
- 所在:佐伯郡吉和村
- 位置:水越峠から吉和川合流点まで
- 最低標高:540m、最高標高:960m
- 面積:300ヘクタール、相観区分:植生一般
- 選定基準:A自然林
ここで、特定植物群落の「選定基準」は、A~Hまで8段階に分けられており、その中で、「Aランク」は「原生林もしくはそれに近い自然林(特に照葉樹林についてはもれのないように注意すること)」というように、最高のランクとされています。
さて、この資料を素直に読み取るならば、「細見谷の渓谷植生」について専門家がまとめた「調査票」では、その「位置」を次のように規定していることになります。
すなわち、水越峠(標高990m台)のやや下方(標高約960m、9号橋付近)を起点として、十方山と五里山の間を南西に流れる細見谷川上流部(渓畔林部分を含む)から、細見谷川が急に直角に向きを変えて細見谷渓谷を流れ、立岩貯水池の上流で吉和川に合流する地点(標高約540m)までです。
ところが、私なりに同Web上でその位置図(生育地図)を別途表示すると、その範囲は、細見谷川下流部(細見谷渓谷)のみとなっています。つまり、細見谷川上流部(十方山林道沿い)がすっぽり抜け落ちているのです。
これでは、大規模林道の予定ルートにある細見谷渓畔林は、「細見谷の渓谷植生」には含まれないことになってしまいます。
三段峡の渓谷植生
同様に「三段峡の渓谷植生」についても確認してみましょう。
- 件名=三段峡の渓谷植生(対象地域:広島県)
- 所在:山県郡戸河内町
- 位置:柴木から樽床ダムまでの峡谷斜面
- 最低標高:340m、最高標高:1000m
- 面積:250ヘクタール、相観区分:植生一般
- 選定基準:A自然林
位置図(生育地図)を確認すると、「餅ノ木」より下流となっており、上流部の樽床ダム(聖湖)から餅ノ木までが抜け落ちています。つまり、ここでも大規模林道の予定ルート部分を外して描いているということになります。
関係各方面の反応
行政側の言い分はどうか
二つの特定植物群落(細見谷の渓谷植生と三段峡の渓谷植生)で、それぞれ大規模林道の予定ルート部分が除外されていることは、故・原哲之(農学修士)がすでに指摘しているとおりです。
彼は、「いきものいきいき渓流づくり―太田川流域編―、広島県1996年」という一般向けマップに示された位置図(生育地図)に疑問を持ち、調査を開始しました。そして、その結果は次のとおりです。(以下、「」内引用、『細見谷と十方山林道(2002年版)』pp.28-29)
「「森と水と土を考える会」で広島県・環境庁に事情を尋ねた(2002年7月)。環境省の回答は、「特定植物群落は『生育地図』が正式な選定範囲を示したもので、専門家による『調査票』は資料である。『生育地図』には、『細見谷の渓谷植生』は細見谷下流部、『三段峡の渓谷植生』は餅の木より下流になっているから(上記一般向けマップの通りで=筆者追記)問題無い。」とのことであった」。
「そこで、「生育地図」(複写)を確認したところ、環境省の回答のとおりであった」。注:「特定植物群落生育地図」(1978年)
「研究者が決定した「位置」(「調査票」)と「生育地図」がなぜ合わないのか、さらに環境省に問い合わせた」。
「その結果、自然環境局国立公園課から「特定植物群落を最終的に選定するのは環境省だが、『生育地図』に書き込む際には各自治体の判断をもとに行った」。
「時間が経過しているので具体的に確認できないが、調査の結果すぐれた植生がある場合でも、開発などの計画がある場合はそれぞれの自治体の判断があったと考えられる」。
「三段峡・細見谷でも(大規模林道の)計画を考慮して、(広島県が)細見谷上流部などを特定植物群落から外した可能性がある。」という内容の回答があった」。(引用ここまで、適宜段落を入れた)
あまりに正直すぎてコメントのしようもない。大規模林道(現・緑資源幹線林道)大朝・鹿野線は、1977年(昭和52年)3月に実施計画が農林大臣認可となっている。そして「生育地図」が作成されたのは1978年度(昭53)のことである。
日本生態学会でも遺憾の意をあらわしている
日本生態学会第50回大会総会は、「細見谷渓畔林(西中国山地国定公園)を縦貫する大規模林道事業の中止、および同渓畔林の保全措置を求める要望書」(2003年3月23日付け)を発表して、以下のように述べています。(『細見谷と十方山林道(2006年版)』p.2)
「広島県は戸河内・吉和区間の事業認可(1976年度)直後の1978年度に特定植物群落・「三段峡の渓谷植生」・「細見谷の渓谷植生」を選定した。この時、調査を担当した研究者は「三段峡の渓谷植生」を樽床ダム~柴木の間、「細見谷の渓谷植生」を水越峠~吉和川との合流点までとし、「細見谷の渓谷植生」を「きわめて貴重な渓谷林」と評価していた」 。
「しかし、広島県はこうした指摘に関わらず、大規模林道の予定ルートに当たる部分および水越峠以南の「細見谷の渓谷植生」を除外して特定植物群落を最終的に選定した。「環境影響評価の基礎資料」と位置付けられる特定植物群落の選定において、結果的に細見谷の自然の重要性が過小評価されたことはきわめて遺憾である」。(引用ここまで、適宜段落を入れた)
アフターケア委員会
日本生態学会では、上記要望書の内容について、「学会として責任を持って経過確認をするために、専門会員によるアフターケア委員会を組織」している。そのアフターケア委員長である豊原源太郎(元・広島大学助教授)は、平成18年度緑資源幹線林道事業期中評価委員会に、地元等意見聴取対象者の一人として出席(2006年6月29日)して、次のように述べています。
「1989年に戸河内・吉和区間の調査が始まり、私の恩師の鈴木兵二先生は林道環境アセスメント調査研究委員会に現地の専門家として参加されました。実際に調査したのは私たちでしたが、委員会が終了した時点で研究室のセミナーで報告があり、皆の調査のおかげで奥細見谷の渓畔林の保全は保証されると考えるので、このことを報告し、将来の監視をお願いするとの言葉がありました。道路の舗装に関しては、常々、未舗装道路は今や貴重であると話しておられましたが、それは無視されたのか、不機嫌な様子でした」。(林野庁ホームページより)
ここではどのような調査が行われたのでしょうか。戸河内・吉和区間(城根・二軒小屋工事区間)の工事着手は1990年(平成2年)9月であり、2004年(平成16年)12月に同工事区間(11.1キロメートル)は完成しています。
まだまだ基礎調査が不足している
多くの専門家の話によると、『細見谷と十方山林道(2002年版)』は、細見谷における初めての本格的な学術調査記録であるという点で認識が一致しています。
その中で、植物関係についてはその後も「森と水と土を考える会」を中心とした継続調査が行われています。これに対して、緑資源機構も環境保全調査報告書(2005年12月27日)の中で植物リストを発表しています。ところが、両者で一致しない種がまだまだ数多く存在しています。つまり、まだまだお互いに調査不足なのです。
調査不足の指摘と今後の対応について、上記日本生態学会の要望書は、以下のように述べています。「細見谷地域における地質・生物の公開調査を行うこと。その際、住民・専門家・環境NGO等との合同調査とすること」。(『細見谷と十方山林道(2006年版)』P.2)
共同研究と人材育成
細見谷の植物調査は、先ほども述べたように、「森と水と土を考える会」の会員を中心とする一般市民によって、今でも継続的に行われています。なお調査活動では、2002年の調査開始当初から京都大学関係者の指導を仰いでいます。
そうしたこともあって、「(植物)標本は2003年1月より京都大学標本庫(KYO)に保管の予定」(『細見谷と十方山林道(2002年版)』p.12)となっているようです。私には、この標本が地元の広島を素通りして、京都に行ってしまうことが少なからず残念でなりません。願わくは、これらの標本が大切に保管され、学内外の調査・研究者にとって自由に使用できる環境であってほしいものです。
地元の広島大学関係者に期待したい
広島文理科大学(旧制)は、その昔、全国の師範学校・旧制中学校の教員を数多く輩出してきました。その流れをくむ広島大学は、「宮島自然植物実験所」(広島大学大学院理学研究科附属)というりっぱな研究施設を宮島に持っています。
また、広島大学には、植物関連の学会組織である「ヒコビア会」があります。そして、「ヒコビア会」と宮島自然植物実験所が共催で、一般向けの野外観察会「ヒコビア植物観察会」を月1回開いています。(2006年12月3日:第450回植物観察会)
私は、まだヒコビア植物観察会には一度も参加したことはありません。ただし、宮島はかなり歩き回っているので、宮島自然植物実験所の建物前は何度か通ったことがあります。
その建物の庭先で、坪田博美助教授(副所長)による「宮島の自然の特徴等(コシダやウラジロなど)」についてレクチャーを受けたことがあります。2006年5月7日(平成18)、”瀬戸内海国立公園宮島地区パークボランティアの会”主催の公募観察会(植物と歴史)でのことです。
ヒコビア植物観察会の報告の中で、参加者が宮島初記録の種を発見する場面があったように記憶しています。最近、会によく参加されている方とご一緒する機会があり、植物音痴の私など目から落ちる鱗が幾つあっても足りないと感じたものです。
細見谷に関して新たな専門家の出番はまだまだあるはずです。地元広島の専門家はもちろんのこと、知識が豊富な一般の人たちも、もっともっと積極的に細見谷に関わって欲しいと願わずにはおれません。
「ヒコビア会」の関係者も含めて様々なグループが一緒になって、年間を通して細見谷渓畔林に入り調査してみてはどうでしょう。目の肥えた多くの人たちが合同で調査するとき、そのパワーは計り知れないものとなります。また、専門外でも意欲のある人にはどんどん参加してもらえばよいでしょう。調査遂行のみならず広報活動等の面で大きな力となることでしょう。
研究者には大いに活躍して欲しいものです。細見谷に関する論文がたくさん出てくれば喜ばしいことです。そうした雰囲気の中で育つ学生は幸せです。そして今度は、自らが教師となり生徒たちを連れて細見谷に入っていただければ、次代を担う理科好きの子どもたちがたくさん育つことでしょう。
注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。