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2011年11月26日(土)、ブナ森やぶこぎクラブ(会員外参加)
高井山~三坂山~千両山
(出発帰着:青山林道入り口)
〈写真〉ツチグリ
このページの目次です
はじめに
2011年11月26日(土)、ブナ森やぶこぎクラブ(会員外参加)
広島県側の青山林道入り口(林道・三坂八郎線)から取りつく。出発地点から西向きに進み、広島・島根県境を越えて高井山(島根県益田市)に至る。その後少し引き返して、広島・島根県境尾根を北上(北東方向)する。そして、広島県側の三坂山、千両山に登り、南下して出発点に戻る。時計回りで、おおむね直角三角形を描くコースである。
今日の山行も、昨年2010年04月18日(カメイ谷上部の平太小屋原遡上敗退)に引き続いて、西村保夫さん(ぶな森会)のお誘いを受けて参加させていただいたものである(4回目)。
実は、今春も西中国山地のヤブコギに誘われたけれども、白内障の手術などで山行かなわず残念な思いをしていた。今年はその後も所属会20周年記念誌(森と水と土を考える会)の編集追込みで全く山に入っていなかった。そこに晩秋のお誘いである。急遽、鈴ヶ峰や宮島でトレーニング(山行記は未編集)をして今日に備える。
山行は、一粒で三度おいしい。事前にあれこれ想像をめぐらし、現地でたっぷりと山の空気を味わい、さらに、帰宅してから記録を残すために四苦八苦。なお、次回のヤブコギは焼杉山(来年早春)と早くも決定済み。至福の時を与えてくれる西村さんに感謝!
今日のコース&コースタイム
今日のコースタイム
青山林道入り口(20分)悪い道分岐(18分)県境尾根(50分)高井山
小計1時間38分(県境尾根10分を加える、その他小休止は行動時間に含める、道誤り往復17分程度は加えず)
高井山(24分)1111m(44分)1109m(1時間11分)釣橋林道
小計2時間19分(1109m25分を加えず)
釣橋林道(14分)三坂山(12分)釣橋林道
小計32分(山頂6分を加える)
釣橋林道(23分)千両山(18分)釣橋林道
小計44分(山頂3分を加える)
釣橋林道(24分)三坂八郎線(6分)青山林道入り口
小計30分
総合計7時間10分
(道間違い17分、高井山33分、1109m25分、釣橋林道9分、3分をすべて加える)
青山林道入り口8:10-水源の森8:25-行き止まり8:38-分岐まで戻る8:47-県境尾根9:05、9:15-1048m9:22-1111m9:34-高井山10:05、10:38-1111m11:02-1109m横11:46、12:11-3mブナ12:13-大杉12:24-4mブナ12:56-釣橋林道13:22、13:31-三坂山13:45、13:51-釣橋林道14:03-千両山16:26、16:29-林道14:38-釣橋林道14:47、14:50-三坂八郎線(千両橋)15:14-青山林道入り口15:20
高井山
桑原良敏「西中国山地」の登路(広島県側)
広島県側から登るにはハチロウ谷の最奥部大杉谷まで林道があり車が入る。これよりヒノキ、スギの植林地内を県境の1111m独標峯に登り高井山へ続く尾根をたどる。
この尾根の南面のオオズエ谷側は伐採されているが北面は樹林である。ササと灌木のブッシュで難行し、時間がかかる。踏跡はない。
「西中国山地」p.127(復刊版1997年、参考:初版1982年)
なお、引用文には適宜改行を加えた。
今日は、上記林道の入り口(林道・三坂八郎線との分岐)に鎖があり、そこから歩く。なお、時の流れを経て、「西中国山地」の記載内容が、現状(今日の山行記)と細かい点で異なってくるのはむしろ当然のことであろう。
美濃木神社集合
美濃木神社(広島県廿日市市吉和・大向、国道188号沿い)前に集合(7時30分)、車を乗換えて現地をめざす(広島県側5名)。
まず、神社向かって右手の林道・大向長者原線(完全舗装、地形図表示あり)に入り、おおむね北西の方向に行く。やがて国道488号と合流するので、左折して国道488号(舗装)に入りわずかに下る。右手の橋(中津谷川支流の主川)を渡り、そのまま進む。
中津谷川の上流部である八郎川沿いに行く林道・三坂八郎線(舗装、地形図表示あり)である。西南西に向かう林道は、やがて右に直角に折れ、八郎川を離れて北に向かう。
今日の私たちは、その屈折点から西に延びる青山林道(間伐作業道・青山線)を行き、なおも八郎川沿いにさかのぼる。ただし、林道入り口には鎖がかかっており、そこで車を降りて歩く。なお、三坂八郎線をこのまま北に進むと、広島・島根県境尾根を三坂八郎トンネルでくぐって島根県側に出る。
青山林道入り口にて(総勢9名集合)
〈写真左〉間伐作業道・青山線入り口
青山林道入り口では、島根県側の人たち(4名)が待っていてくれた。田中さんご夫婦などである。田中さんは西村さんと親しく、また私たちの会でも大変お世話になっている方(島根県益田市在住、クマ研究家・元中学校理科教師)である。
このあと、道々20周年記念誌の進行状況をお知らせしたり、あるいは今後の若い世代に対する田中さんの思いをお聞きしたりして、楽しい時間を過ごすことができた。
青山林道入り口から歩く
青山林道(未舗装、入り口の標高910m台)は、八郎川の左岸に沿って、ほぼ真西に向かって延びており、車が充分通ることができる良い道である。ただし、林道入り口(林道・三坂八郎線との分岐)には鎖があり、今日はそこから歩く。
途中の標高950m手前左手に「水源の森」標識があり、枝道が1本延びている。全体的にこの近辺では、林道が網の目のように張り巡らされているので、位置確認を十分に行う必要がある。
左手の清流に魚影を確認する。田中さんの解説によれば、ハヤの一種であるアブラバヤで、地元ではタカハヤとかドロバエともいうらしい。そのすぐ後で、ゴギも見た(教えてもらった)。
道間違い
「水源の森」標識を越えてしばらくすると、林道は右に振って〈北西〉の方向を向く。そのまま良い道を進んでいると行き止まりになってしまった(標高980mくらいか)。大杉谷の奥まで林道(良い道)が延びているようである。それはともかく、角度が違う。何の気なしに行き過ぎたようである。引き返す。
林道は、あくまでも西向きに延びる
引き返すと、標高960m台で2本の沢が合流している。改めて地形図(国土地理院)を確認すると、林道は西向きの谷に入っている。桑原概念図でも、ここから林道表記が二本線から一本の黒破線に変わって西向きに延びており、それが1111mの下まで続いている(ただし、概念図では小沢の右岸を行くようになっているが、実際は左岸を行く)。
地形図にしたがって、西向きの林道(標高960m台)に踏み込む。こちらの方は、先ほどだまされた良い道(地形図記載なし)とは異なり、車が通る幅はあるものの茂っている。
ところで、この林道は、地形図上ではそのすぐ先で切れているが、実際にはもう少し先まで延びている。登るほどに倒木があったりして荒れた地点がある。枝道(小谷)がいくつかあるものの、結局は左手に見える1048mピークを巻く形で小谷を行き、林道終端部(標高1000mくらい)に至る。
稜線(広島・島根県境尾根)に這い上がる
林道終端部からは、1048mの西側の小谷を、南向きに稜線まで這い上がる。勾配があり、しかも、踏み跡は定かでないものの、植林帯の疎林で歩くのに差しさわりはない。桑原のいう”ヒノキ、スギの植林地内を県境の1111m独標峯に登り・・・”とはやや異なるコースを歩いたようである。
登りついた地点は、ちょっとした鞍部(標高1020m台)になっており、左手がやや盛り上がっているように見える。地形図には表れない小コブ(同じく標高1020m台)があるのだろう。
- 守田さん「山歩きと山野草のページ」の場合
今日の私たちは、守田さんの山行記(地図)を参考にして歩いた。
2011/07/10「坊主山~高井山」
2011/09/25「高井山近く(1111m)~三坂山~千両山」
守田さんが、良い道から左手の西に延びる荒れた林道に入り、県境尾根(1111m近く)に登りつくまで、どのように歩かれたのか参考までに抜き出してみた。
林道が右カーブして北に向けて登り始めるところから、西に延びる草ボーボーの荒れた枝道に入る。こちらの方は久しく車が入ったような形跡はなく、スギの倒木で何ヶ所も塞がれていた。林道は何ヶ所も管理道が枝分れするが地形図と照らし合わせて進んでいけばよい。
林道終端から植林谷へと分け入っていく。谷にはところどころにテープが付いている。予定では直登して前方の稜線に出る心算だったが、傾斜が急になってきて我慢できずに左手上方の稜線にかわすことにした。
稜線に出たところにはテープがあった。自分の頭の中では全く適当に歩いた心算だが、それなりのルートを歩いているんだと妙に納得してしまう。稜線に出て尾根道を登っていくと僅か2分で水色の分水嶺のプレートの掛るジャンクションピーク(1111m独標点)に着いた。
さて青山林道から1111mピークに登るルートだが、今回選択したルートは林道終端から稜線に出るまでのルートが少し不明瞭のような気がする。
「水源の森」の標識のところから取り付くのが最も判り易いと思うが稜線歩きに時間がかかるのが難点だ。だから1048m独標点西側の鞍部から県境尾根に乗るのが効率的だろう。林道が網の目のように伸びているので、いろんな選択肢があります。
2011年9月25日山行記
高井山近く(1111m)~三坂山~千両山
(Web作者注:下線および色付けはWeb作者にて挿入)
実は、林道終端部近くで、林道が二股に分かれており、守田さん(桑原概念図の黒破線、西向きに1111mに向けて登る)と私たち(1048mの西側を南向きに登る)の二つのコースが考えられた。私たちは稜線尾根を透かして見て、尾根まで、より楽にたどり着けそうな(標高が低く見える)左手の小谷を登った。
今日の私たちは、上記守田さん記載の「1048m独標点西側の鞍部から県境尾根に乗るのが効率的だろう」の箇所を歩いたことになる。
- Kさん「山歩きのページ」の場合
Kさんのコースも、守田さん(桑原概念図)と同じである。1111mの近くまで直登している。そしてその後、高井山山頂から南面のオオヅエ谷を降りている。
鎖止めのある間伐作業道青山線を上がった。大杉谷に沿ってスギ林の作業道が続くが道の分岐が幾つかある。最初の分岐を左、水源の森の看板のある次の分岐を右、保安林内作業等許可証が杉に巻いてある分岐を右へ進む。作業道は大杉谷の奥深く入り込んでおり、終点は高度1000mを超えている。終点から水源部の急な谷を100mほど登り、県境尾根を横切ると1111ピークに出る。
2005年10月16日山行記
坊主山~高井山~広高谷~広高山
なお、Kさんの高井山には、その他、2009/12/12「コウイ谷(島根県・三坂側)~高井山~コウイ谷(島根県・三葛側)」もある。いずれのルートも「西中国山地」p.127に記載がある。
稜線沿いに高井山をめざす
稜線から高井山1097.4mをみる。ここから高井山に至るには、右手稜線に沿って、広島・島根県境尾根を1060m台~1111mまで北北西に行き、そこから左に振って、西~南向きに島根県に入り、高井山をめざすことになる。
1111mまでは、比較的せまい尾根の一本道を登る。道迷いの心配はないだろう。ただし、1060m台~1111mのやせ尾根の急坂で少し苦労をする。時々ずり落ちそうになりながら這い上がる。足元にはオオイワカガミが多い。
1111mから高井山1097.4mまでは、幾つかの小ピークを越えて行く。足元にササが茂るものの、踏み跡がしっかりと残っている。そして、先日の雪がまだらに残っている。とはいうものの、その雪を踏むほどの量は残っていない。とけた雪が落ち葉を適度に湿らせてくれており、かえって歩きやすい。
〈写真右〉1111mから高井山に至る尾根、写真は帰り道
この一帯は、田中さんの話では、昭和35年(1960年)ころ皆伐されたのだという。しかし、その後はスギ・ヒノキといった針葉樹の植林はされなかったのであろう。あたり一面に広葉樹が広がり、それらすべてが葉を落として立っている。所々にブナも残っている。
気温は高くないものの、無風快晴である。寒さを感じることもなく日の光が気持ち良い。田中さんいわく。二十年ぶりに来たが、足腰の立つうちにもう一度来てみたい(帰り道でのつぶやき)。田中さんは、私より10歳くらい年上だったか。
帰り道で尾根上にツチグリを発見する。
高井山1097.4m
高井山は、コウイヤマと読む。山頂部には三等三角点があり、その周辺のササが刈ってあった。ところで、どうしてコウイヤマなのだろうか。以下で桑原良敏の解説をみてみよう。(Web作者注:立岩山は地形図では赤谷山となっている)
大神ヶ岳、立岩山の南にミサカ谷をへだてて三等三角点の1097.4m峯がある。地図上では無名の山であるが、三角点は〈光威(コウイ)〉となっている。
この山より南の三葛側へ流れる谷をコウイ谷といい、北の三坂谷へ流下する小谷もコウイ谷と呼ばれているので、周辺の村里で〈コウイ山〉といえばこの山のことだと話は通じる。
点称は〈光威〉だが〈高井〉が正しいと三葛で教えられた。
桑原良敏「西中国山地」p.127
(適宜改行を加えた)
高井山からの展望を楽しむ
高井山山頂からの展望について、桑原は次のように言っている。
山頂はササ原で三角点の周辺のササが刈ってあるが登山者のほとんどない山なので、手入れをしなければヤブに覆われると思われる。
三六〇度の展望は申し分なく、大神ヶ懸崖(タキ)、立岩の懸崖(タキ)がすぐ眼前に眺められる。山頂より見降ろしたヒロコウ谷は立派で奥が深いのに驚かされる。
桑原良敏「西中国山地」p.127
(適宜改行を加えた)
今日私たちと同行している田中さんも、桑原さんに負けず劣らず西中国山地を歩いて来た方である。高井山山頂で、期せずして展望講座が開設された。特に、南~西側は、私にとって未知の世界(島根・山口県境など)であり、非常に興味深く聞くことができた。しかしながら、引き返す時間が気になり、途中で切り上げざるを得なかったのは残念である。
高井山191(005):吉和冠山~小五郎山~安蔵寺山
高井山208(050):小五郎山~白旗山
白旗山1109.2m:手前に二つピーク(左:1101mと右:白旗山)がある。この尾根は、北から南に、1101m~白旗山~1037.3mと延びている。
平家ヶ岳1066.4m:1101mの左肩奥。下記写真は縮小したので分かりにくいが、肉眼でもはっきりととらえることができる。さらにそこから、1037.3mの後ろを通って、水ノ尾山983.4mに至る。
馬糞ヶ岳985.2m:これらの一番後ろに、長野山1015.3m(平家ヶ岳の後ろで見えない)から、時々頭(1000m、990m台)を出しながら、馬糞ヶ岳(これも頭のみ)まで連なる。
大将陣山1022.1m:大将陣山のピークは、小五郎山1161.7mに隠れる。大将陣山南西の990mが、小五郎山の右奥に頭を出している。
城将山826.3m:990mの右裾奥に頭を出す。
城将山の向こうに山影が見えたなら、九州(大分県)である。
〈写真:下〉小五郎山~白旗山~石ヶ岳あたりまで
高井山233(050):白旗山~安蔵寺山
鈴ノ大谷山1036.2m:白旗山~安蔵寺山の中間点に大きな山塊をみせる。弟見山1085.3mがその右奥に大きく、莇ヶ岳1004.2mは左奥に三角形の頭を出す。そしてその尾根は、小峰山929.8m~高岳962.4m~(長野山:白旗山や平家ヶ岳の奥で見えない)へと連なる。
石ヶ岳924.3mが、それらのずっと奥に見える。
荒田山1034.6mが、白旗山の右奥にわずかに頭を出している。
〈写真:下〉1037.3m~白旗山~鈴ノ大谷山~安蔵寺山の左裾あたりまで
広島・島根県境尾根を北東に向かう
1111mまで引き帰し、田中さんたちと別れる
田中さんたち島根組は、最初から私たちとフルに行動を共にする予定ではなかったようだ。高井山から1111mまで帰り着くと、彼らは陽だまりの中で早めの昼食をとる。
後日追加(西村さん情報):
(田中さんたちは)「最後まで同行はせず、高井山までの往復かトンネルから三坂八郎林道に降りるかを現地で判断する」ということになっていたそうである。
私たちは、1111mから県境尾根を北東方向に踏み込んだ。そしてその後、三坂八郎トンネル(地形図記載あり)の上を越えて行き、三坂山、千両山の取り付き(釣橋林道)に至る。
ところで、1111mピークは、3本の尾根が派生する独標である。さきほど展望を楽しんだ高井山へ至る尾根(気持ちの良い広葉樹林帯)は、南西向きである。そして、これから向かう北東方向の県境尾根がある。さらに、今日来た道を帰るには、県境尾根を東向きに行くことになる。
1111mピークの周りには、地図(地形図)とコンパスで角度を測らないと、道迷いを起こしそうな雰囲気が漂っている。お互いに携帯番号を交換して別れる。
読図の訓練には最適のコースを行く
広島・島根県境尾根の植林帯(1111mから北東方向)は、多少荒れているものの歩行困難という程のことはない。ただし、踏み跡はほとんどわからず、所々で見通しが全くきかない箇所もある。その都度、地形図にコンパスを当てて、方向を定める必要がある。ルートが正しければ、やがて馬の背(尾根筋)が現れてほっとする。そうしたことを繰り返しながら前進を続けた。
西村さんは、後ろの田中さんたちが追ってくるかもしれないと気が気ではない。田中さんが、途中まで私たちと同じコースを来れば、どこからでもエスケープできるからと簡単に言っていたからである。
幸いにも、途中で携帯が通じたので、こちらの荒れ具合を報告して、元来た道を帰るように強くすすめた。(後刻、携帯がかかってきて、無事元のコースを帰ったこと(後日、下記のとおり修正あり)、そして、すでに車で移動中との報告があった。電波が届く所まで下りたので電話が通じたのだろう)
後日追加修正(西村さん情報):
(田中さんたちは)実は我々の後を追って、トンネルの半分位の地点(詳細不明)まで行かれたそうです。そしてそこから南向きに下り、青山林道に出られたということでした。この山の植林の凄さを話しておられましたので植林道を降りられたのかも知れません。
地図は持っておられたということですが、西中国山地を知りつくされているだけに、山勘六感に長けた人ですから難なく降りられたようです。
さて、今日の広島組には、日本百名山を夫婦で今年達成した方々一組と、昨年達成した男性一人が参加していた。その男性二人が地形図とコンパスを持って水先案内人を務めている。私も時々声を出した。
男性の一人は、先ほど高井山からながめた鈴ノ大谷山に明日登ると言う。その体力と共に二人の読図の腕も確かである。
例えば、途中のちょっとしたピークである1109mでは、ピークを右手に見ながらピークを外れて登っていること、そしてその左手には、地形図では表現されていない小コブがあることまで把握している。
その小コブ(1109m北隣り、標高1100m台)で昼食とする。樹間北側に大神ヶ岳が大きく、この後のコースでは、位置確認のよい目標となってくれた。
途中の尾根筋で大ブナ、大スギを見る
〈写真左〉
昼食後、すぐ(標高1090mくらい)に胸高周囲3m弱のブナをみる。その横から、大神ヶ岳がのぞいている。
〈写真右〉
続いて、標高1040m台鞍部で大スギ(根元に雪が残っている)を見て、三坂八郎トンネルの上を越える。
〈写真左〉
1132mの先(標高1100m台鞍部)に、今度は4m45㎝の大ブナがあった。なお、県境尾根の荒れ方は、ほぼずっとこのような状態である。
やがて、釣橋林道(標高1110m台)にずり落ちる。ほとんど峠(切り通し)の上といってよい位置である。ほんのわずかに南側だったか。
三坂山・千両山
桑原良敏「西中国山地」p.122(初版発行は1982年)を適宜参考にしながら、以下でまとめてみた。時の流れを経て、周囲の環境は大いに変わっていることを実感する。(記載の順番は、本文どおりではなく、入れ替えた場合あり。漢数字を算用数字に改めた箇所あり。適宜改行あり)
二艘船岩を見る
〈写真右〉
釣橋林道の峠(切り通し)を北に乗り越してすぐの所、右手に二艘船岩がある。船形をした大岩が一つ見える。もう少し下ると二つ並んだ形で見えるというがそこまで行かなかった。
〈二艘船岩〉、〈四艘船岩〉は、(一部略)吉和村では、その名は良く知られているが、実際に見た人は少ない。いずれも1169m独標峯の頂上直下の凹地に、ラグビーボール形の同じ大きさの巨岩(長径5m)が、二つ、四つ、と並んでいる。
二艘船岩は広葉樹林の中にあって、岩上に木が生えているが、四艘船岩は皆伐された小谷にあり、岩上に生えていた木も切られていて痛ましい。吉和村には、この船岩について「出船入船」の伝承が残っている。 桑原p.122
二艘船岩があるのは、1169m(三坂山)の西面(ニソウ谷)であり、四艘船岩は、三坂山の東面(ヨソウ谷)にあるという。四艘船岩は、現在では樹木に覆われて探すのは困難(西村さん談)とのことである。
三坂山(1169m)に登る
釣橋林道の峠の北側(標高1110m台)から、三坂山1169mに取りつく。はじめ東向きに登り、尾根上を東~北東~北、さらにほんの少し西向きに振って頂上に立つ。途中の灌木がうるさく、頂上からの展望もない。
(千両山から)北西にある1169m独標峯までの稜線も楽に歩ける。 桑原p.122
三坂山1169mからの下山途中で、千両山へショートカットするため、小尾根ごとに踏み跡をさがしたがよく分からない。結局は、元来たルートを林道まで下る。同じところを下るだけでも神経を使う。
(この後、林道を使って千両山取りつきまで移動する途中で、三坂山~千両山と続いているであろうと思われる尾根を確認する)
千両山(1175m)に登る
千両山には、西側のツリハシ林道から取りついた。具体的には次のとおりである。
釣橋林道の峠の南側(標高1110m台)から、南下する林道(電子国土では黒破線表示)に対して、南東向きにも林道(同じく黒破線)が延びている。その林道に入り、1120m鞍部まで行く。そこから林道左手の尾根に取りつき、千両山に登った。
「西中国山地」には、ツリハシ林道についての記述はある(下記、釣橋林道~三坂八郎林道を南下する、の項参照)ものの、そこから千両山に登るコースについては何も言及されていない。
同書では、千両山への取りつきについて、北側(ヨソウ谷)と南東側(タジマ谷)の二つのルートを示している。
最高点の1175m独標峯には簡単に登れる。
ヨソウ谷林道の終点より四艘船岩まで小径があり、山頂は目前にある。この山の北面の伐採跡はササもなく自由に歩ける。
山頂からの〈大神ヶ岳〉の眺めは珍しい。西中国山地にもこんな形の山があったかと驚かされる。
東のタジマ谷にも林道があり、驚くほど急であるが車が入る。林道終点より少しばかりヤブをこぐと、1175m独標峯の山頂に出る。 桑原p.122
千両山は、三坂山同様に途中の灌木がうるさく、頂上からの展望もない。わずかに樹間越しに五里山をみる。
〈千両山〉の呼称はかなり広くゆきわたっており、多くの村人から「かつてこの付近の山々が千両で売買されてからの呼称である」と聞かされた。地籍名は「万丈」である。 桑原p.122
かつて、千両の価値があったという山(西村さん談)も、今は三坂山同様にけっして美林とはいえない。
青山林道入り口まで下る
釣橋林道~三坂八郎林道を南下する
千両山に登った後、釣橋林道の峠まで引き換えし、本線を南下した。車が充分通れるような歩きやすい良い道である。やがて、右手から下ってくる林道・三坂八郎線と合流する(千両橋あり)。三坂八郎線に合流後、もう少し南下して、今日の出発点である青山林道入り口に帰り着く。
(千両山の)南のツリハシ谷にも廃道となった林道がありニソウ谷への乗越まで踏跡がある。この乗越より200m位ニソウ谷側へ降りると樹林の中に二艘船岩がある。 桑原p.122
三坂八郎林道は、この山(Web作者注:千両山)より南流するツリバシ谷に架けられた橋を渡っているが、その橋名を〈千両橋〉という。 桑原p.122