Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏跡)>> 十方山トップページ
1)横川越(ボーギのキビレ)、敗退
2)十方山(シシガ谷コース)~内黒峠縦走路~藤本新道
十方山林道から広島・島根県境尾根をめざして敗退、帰り道で十方山へ登る
(出発帰着:二軒小屋)
2009年06月20日(土)、単独
このページの目次です
はじめに
私は以前から、広島・島根県境越えの「十方山林道(マゴクロウ谷)~ボーギのキビレ(横川越)~広見林道(オオアカ谷)」間にかつて存在したという往還に興味を持っていた。
ここを通ることができれば、広見林道に入るのに車で狭い488号を通る必要はなく、広島県側から歩いて入ることができる。恐羅漢山・・・広見山~半四郎山登山など、バリエーションが広がろうというものである。
最近になって、本気でこの峠越えをやってみようかなという気にはなったのだが、しばらくの間決心がつかず、今日まで延び延びにしていた。
旅する巨人・宮本常一、雪の細見谷を行く
旅する巨人・宮本常一が、昭和14年(1939年)11月30日、雪の中を細見谷から広見谷に抜けている。その時通ったのが、安芸・石見国境のボーギのキビレ(横川越)である。
旅する巨人・宮本常一(団塊の世代一代記)「Akimasa Net」
(本ページ最下段からリンクあり)
細見谷を通る十方山林道が完成したのは、1953年(昭和28)であり1959年(昭和34)に再整備されている。その場所に、戦前からしっかりとした踏み跡のあったことが、宮本常一の紀行文でわかる。
紀行文は、「村里を行く」三国書房(1943年)として、その他数編といっしょにまとめて出版されている。現在では、未来社版の宮本常一著作集25「村里を行く」(1977年)で読むことができる。
ボーギのキビレ越え(このページ)は、そのうちの「土と共に」( P.141-231)の一項である「雪の峠」(P.210-212)が該当している。桑原良敏は、その"雪の峠"について、以下のような書き出しに続けてその大部分を引用している。
宮本常一氏は、昭和十四年十一月三十日に横川二軒小屋より水越峠とこの県境の峠を越えて広見へ抜けている。氏の著書「村里を行く」に次のように書かれている。・・・・・(宮本常一著作集25未来社版より)
桑原良敏「西中国山地」(1997年復刊版)溪水社P.079
この峠については、益田市在住のクマ研究家である田中幾太郎さん(元中学校の理科教師)が高校1年生の時(昭和29、1954年)、博物学の先生に連れられて初めて細見谷に入ったルートとして、何回も興味深いお話を聞いている。
宮本常一が通った細見谷については、おぼろげの知識しかなかったのだが、今回改めて"雪の峠"を読み返してみよう。
今日のコースタイム
二軒小屋(1時間16分)下山橋(1分)横川越取り付き
小計1時間26分(下山橋9分を加える)
横川越取り付き~敗退地点
登り1時間02分、下り40分
横川越取り付き(3分)下山橋(42分)シシガ谷登山口
小計45分
シシガ谷登山口(1時間08分)十方山
小計1時間08分
十方山(32分)那須分岐(23分)丸子頭三角点(18分)藤本新道分岐
小計1時間18分(那須分岐4分、丸子頭1分を加える)
藤本新道分岐(22分)車道(10分)二軒小屋
小計32分
総合計7時間56分(すべての時間、横川越取り付き3分、下山橋昼食29分、シシガ谷登山口6分、十方山22分、藤本新道分岐5分をすべて加える)
二軒小屋駐車場8:59-(十方山林道)-舗道終わり9:09-十方山登山口(シシガ谷コース)9:32-旧羅漢山取り付き(恐羅漢山に至る)9:34-水越峠9:40-9号橋9:49-下山橋10:15、10:24-横川越取り付き10:25-10:28-撤退11:30-十方山林道12:10-下山橋12:13、12:42-9号橋13:07-水越峠13:17-シシガ谷登山口13:24、13:30-水場13:47-少々コブ14:33-十方山14:38、15:00-奥三ツ倉15:18-那須分岐(前三ツ倉)15:32、15:36-展望15:44-丸子頭分岐15:57-丸子頭三角点15:59、16:00-丸子頭分岐16:01-1152m16:12-藤本新道分岐16:18、16:23-小コブ16:36、16:38-車道(県道252号・恐羅漢公園線)16:45-二軒小屋駐車場16:55
二軒小屋にて
二軒小屋駐車場に私が車を止めると、それに続いて中年男性が一人、私の横に車で入ってきた。手にしているのは「広島の山へ行こう!」(南々社)だろうか。どちらまで? 恐羅漢山です。というので、そこの道を牛小屋高原まで行けば、そこから登れますよ、とお教えする。すぐに車で登って行かれた。
横川越え取りつき口
二軒小屋から、十方山林道を順調に歩いて下山橋(標高870m台)に至る。下山橋から、林道(細見谷川右岸沿い)をさらにほんのすこし南向きに下ると、右手の広島・島根県境尾根から水流が落ちている。マゴクロウ谷である。ここが県境越えの取り付きとなる。
宮本常一は雪の中を苦労しながら進んでいる。
横川の谷は東北から西南へくい込んでいる。(一部略)
横川から奥、古屋敷、二軒小屋などをすぎて行く。(一部略)
雪は次第に深くなった。(一部略)
村をはずれると雪が急に深くなった。(一部略)
雪の中に杖をたててみると一尺ばかりはある。(一部略)
二軒小屋のはずれから峠の頂上までは十〇町ばかり、それが峠というほどの坂ではなくて平坦に近い谷間の道なのだから、雪がなければ無造作に越えられるのである。
今朝ほどからどうしてもこの峠をこえてみたいと思ったのは峠の名にひかれたからで、傍示峠というのがその名である。傍示というのは境のことで、関西一円に今も未だ用いられている。そしてこれを地名とするところも多い。この傍示は山県郡と佐伯郡の境を指しているものであろう。(一部略)
ようやくにして峠の上に立った。そこからしばらく下り、また登るのである。あたりは栃、楢、欅などの密林で、道は僅かに足をふみたてるほどのものである。雪はもう二尺もあった。
宮本常一著作集25未来社版P.210-211
ここで傍示峠とは水越峠のことであり、氏の思い違いであろう。
桑原は、広島・島根県境の峠のことを「横川の人が〈ボーギのキビレ〉と呼んでいる」のを聞いて、広島県の山県郡と佐伯郡の境の峠(水越峠)のことを「〈傍示峠〉と一般化したのであろう」としている。
ホーシ、ボーシ、ボーギ、ボージは国境や村境の呼称・・・
キビレ、クビレが鞍部、峠を意味する・・・
一般に国境の標示には木柱が使われていた。村人はこれを榜示木とか榜木(ボーギ)と呼んでいた。榜木峠、棒木峠という名の峠はかなりある。
桑原良敏「西中国山地」P.80
さて、マゴクロウ谷右岸に沿って踏み込むと、古びた木製の小さな標識がある。表面には「横川越え?-恐羅漢山、登山口」と書かれているようである。字の部分が浮き上がっており、趣のある「道しるべ」である。
その昔、横川越え(ボーギのキビレ)に登り着くと、向こう側の広見林道に下る道に加えて、県境尾根を恐羅漢山まで行くルートがあったのだろうか。現在ではこの付近の県境尾根は、ササやぶのため夏季はほとんど通行困難とされており、積雪期に山スキーを楽しむ人たちが入るくらいのようである。
マゴクロウ谷を登り、峠手前で敗退
横川越えの昔の道は踏み跡すら全く分からない。ササやぶを漕ぎながら少しづつ登る。見上げる谷の上に空は見えているものの、なかなか近づかない。登っていても全然面白くない。
シビレを切らし、キビレの標高1020m台に対して標高980m付近、高度差あと40~50mの地点で撤退とする。それでも、林道から高度差110mくらい(全体の2/3以上)は登っていたはずである。
第二の峠は杖を二本にして両手に持ってのぼってみた。それでもころげた。元来、一人がやっと歩けるほどの細道で、それがすっかり雪に埋もれた急坂であり、未だ誰も通っていない。地図の上で見ればわずかな距離だけれども峠から次の峠まで二時間もかかったであろう。
宮本常一著作集25未来社版P.211
この第二の峠がボーギのキビレ(横川越え)である。今日の私は、水越峠からボーギのキビレ取り付きまで45分(ただし手前の下山橋で休憩9分あり)。取り付きからキビレまでの登り2/3以上で1時間05分である。
さて今日の私は、峠に至ることなく十方山林道近くまで下る(戻る)。そこから林道に合流するためには、沢の右岸を行かなければならない。ところが、最後に勢いあまってそのまま沢の中を下ってしまった。
前方を見ると、コンクリートで固めた立派なトンネルがある。沢の水を細見谷川まで落とすためのもので、十方山林道の下をくりぬいて造ってある。大人が立って歩くのに十分な大きさがあり、底部の岩盤はむきだしのまま残っている。その岩場ですべらないように気をつけながら、トンネルをくぐり細見谷川まで下る。
河原を左手にほんの少しさかのぼり、下山橋手前で昼食をとる。
シシガ谷を登る
十方山林道を引き返す
昼食後、十方山林道をシシガ谷登山口まで引き返す。途中、渓畔林を過ぎてスギがぽつぽつ出てくるあたりで、中年の男女1組が細見谷川に向かって並んで座っている。
十方山林道はどこですか?と聞かれた。ここはもう十方山林道に入ってます。せっかくなら、もう少し行けばもっとすばらしい所がありますよ、と答えた。
シシガ谷コースに取りつく
シシガ谷コースで十方山へ登る。はじめのうちは傾斜も緩やかで順調に登る。登るにつれて勾配がきつくなる。とたんにあえぎ始める。その辺りでは、いつもだと登山道はぬかるみ状態になっているはずである。
しかしながら、何だか地面が乾いているように感じる。あまりぬかるみに足を取られることなく急斜面を登りきる。ところが、最後の緩斜面で足が前に出ない。足もとのアカモノに励まされながら山頂に着く。
内黒峠縦走路を行く
山頂にはだれもいない。展望写真をさっと撮ってから内黒峠縦走路に入る。丸子頭の向こうから、藤本新道~二軒小屋へ下るつもりでゆったりと行く。
丸子頭三角点に向けてササが刈ってあった
丸子頭に着くとササが刈ってある。三角点まで刈ってあるようだ。行ってみることにする。従来から、丸子頭付近では縦走路は三角点から少し離れており、今までここの三角点を確認したことはない。
以前に1~2度探したことはある。しかし探しきれなかった。今日踏み込んでみると、三角点までは思ったよりも距離があった。以前の探索は全く甘かったようである。
ところで、西中国山地国定公園の中で、こうした小灌木を刈り取る行為はどのような取扱いになっているのであろうか。私としては、幻の三角点であり続けるのも一興かと思うのだが。
丸子頭の道しるべの一部に疑問あり
縦走路まで帰りつくと、白いテープが木に巻きつけてあるのが目に入った。そこには、矢印と地名が書いてある。
今来た方向:丸子頭(間違いない)、丸子頭を背にして、縦走路右手:前三ツ倉(十方山手前の那須登山道分岐のことだろう、間違いない)。
問題は、左手:藤十郎である。藤十郎は、那須登山道分岐から那須方面(左手)に下る途中にある。だからこの道しるべは間違っている。丸子頭分岐で左手(北向き)といえば、今日下山予定にしている藤本新道分岐を経て内黒峠である。
恐羅漢山・十方山周辺では、恐羅漢山スノーボーダー7人遭難事件を受けて、道標網が張り巡らされている。その上さらに、このような混乱を招く"道しるべ"はいたずら書きと何ら変わることはない。もちろん大変有害でもある。
宮島では、道標を統一性のあるものに付け替えるため、具体的な検討を始めたようである。安全で楽しい山行のために、どのような道標をどこにどれくらいの数設置すればよいのか、真剣に検討すべき時期にきているようである。
藤本新道を下り、二軒小屋に帰り着く
それはさておき、この後いっそのこと内黒峠まで行って、県道を二軒小屋に下ってもよいかなと一瞬考えた。ここの縦走路では、内黒峠側の方が自然林が美しいと感じていたからである。しかし、時間不足と判断して実行しなかった。
今日は、目的の横川越えは果たせなかったものの、十方山およびその周辺を気ままに歩き回り楽しめて満足。
未記載:縦走路途中に恐羅漢山などを遠望できる地点あり(写真)
十方山周辺の道標
- 獅子ヶ谷登山口(十方山林道)
十方山頂1時間20分、水越登山口すぐ、二軒小屋駐車場55分 - 水越峠登山口(十方山林道)
恐羅漢山頂1時間45分、細見谷方面(矢印のみ)、獅子ヶ谷すぐ - 十方山頂
内黒峠3時間20分、獅子ヶ谷登山口60分、瀬戸の滝2時間 - 奥三ツ倉、標高1322m(内黒峠縦走路)
- 那須分れ(内黒峠縦走路)
那須集落1時間30分、内黒峠2時間45分、十方山頂40分 - 丸子頭、標高1236m(内黒峠縦走路そば)
- 藤本新道分れ(内黒峠縦走路)
内黒峠1時間10分、二軒小屋登山口50分、十方山頂2時間10分 - 藤本新道登山口(県道252号・恐羅漢公園線)
内黒峠方面(矢印のみ)、十方山頂3時間10分、二軒小屋駐車場10分
草花
ウツギ、コアジサイ、ツルアジサイ?、ショウキラン、アカモノ、ササユリとは違う、ガクアジサイ?、ギンリョウソウ、ホオノキ
2009年11月15日、ついに「ボーギのキビレ」到達
- 2009年11月15日(日)、グループ
十方山林道~マゴクロウ谷~ボーギのキビレ(横川越)、往復
(出発帰着:二軒小屋)