2003年12月21日

Akimasa Net
ひろしま百山(私の踏み跡)>> 呉市倉橋町(倉橋島)

倉橋島火山
(出発帰着:桂浜)

2003年12月21日(日)、単独

昨日は朝起きてみれば大雪、それでも市内の道路は直ぐに通常走行可能となった。ただし山行は一晩あけて今日にする。島嶼部ならば山でも雪は残っていないだろう。

  • 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(無し)

このページの目次です

今日のコース&コースタイム

桂浜11:10-木段11:35-70番小ピーク11:39-69番ベンチ11:42-尾根に乗る11:54-分岐12:01-鞍部12:07、12:09-東屋12:14-後火山12:24、12:34-鞍部12:46-倉橋島火山12:54、14:22-鞍部14:34-車道14:54-桂浜14:56

桂浜(29分)70番小ピーク(28分)鞍部
小計57分
鞍部(15分)後火山(12分)鞍部
小計(往復)27分
鞍部(8分)倉橋島火山(12分)鞍部
小計(往復)20分
鞍部(22分)桂浜
小計22分
総合計2時間18分(頂上での1時間28分を除く、その他の休憩を全て含む)

我が家から倉橋島火山までは、直線距離でみると吉和冠山とほぼ同じくらいだろう。しかし広島、呉の両市内を抜け、さらに島並みのくねくねした道を行くので取り付き口まで思いのほか時間がかかってしまった。

さっそく登山靴に履き替え、陽だまりの天気の中を登り始める。道はよく整備されており順調に登る。登るにつれて背中に陽の光を浴びてうっすらと汗をかく。振り返れば瀬戸内の多島美が目に入る。

鞍部に至るまでに下山途中の多くの登山者と出会う。そうした中で男性二人組に、この道はどの方面へ下りるのかと聞かれて答えはしたが・・・

鞍部からいったん火山と反対側の後火山に至り、山の向こう側を確認する。大崎下島がよく見える。その後、鞍部まで引き返していよいよ火山に登る。火山の頂上には大岩がありロープと梯子を伝って、その上にすくっと立つ。そして360度のすばらしいパノラマを楽しむ、つもりだったのだが。

怖くて岩の上に立てない。背中まで岩に押し付けて、少しづつ体を回しながら周りの景色を確認する。どちらかというと北側は霞んでおり、海側は遠くまでよく見えるようである。ただし、四国の山並みをはっきりと確認するまでには至らない。

若い男性がトントントッと梯子を上がってきて辺りを歩き回る。高所恐怖症の私にはうらやましい限りである。なお、展望を楽しむだけならば、わざわざこの大岩に登らなくとも、附近の岩場をあちこち移動しながらでも目的は十分に達することができる。

しばらくして気が付くとこの男性も下山したようだ。その後は誰も登ってこない。頂上でのんびりと一人の時を過ごした。下りは少し走る。木段を過ぎて自然な道になると、アベマキなどの落ち葉が乾いてふんわりと堆積しており滑りやすい。

なお、鞍部手前の道は手摺までついた平坦な巻き道である。昔の山道は、鞍部を通らず火山に向かって直登していたようである。りっぱな登山道を作るために自然に対して余計な手を加えるのは考え物である。

下山後、海岸付近を散策する・・・

倉橋島は、古来長門島と呼ばれ、瀬戸内海の要衝であった。松原の続く桂浜で詠んだとされる遣新羅使の歌8首が万葉集巻十五に載せられている (広島県史跡万葉集遺跡長門島松原)。近くには、初の西洋式ドック跡(県重要遺跡)もある。

浜辺の東側に「長門の造船歴史館」があり、朱塗りの遣唐使船(実物大、船の長さ25m、マスト高17m)が展示されている。倉橋島の船大工(棟梁5人)によって「海と島の博覧会(海島博)1989年」に合わせて復元されたものである。また「倉橋歴史民俗資料館」には、海底から引き上げられたナウマンゾウやニホンムカシジカの化石なども展示されている。

後日書換:倉橋町立歴史民俗資料館から改称、呉市編入のため