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二軒小屋から渓畔林の起点に至る部分(計画延長3.8km)
・既設林道(幅員3~4m)を利用して、幅員5.0m(車道幅員4.0m)
十方山林道の基点は、二軒小屋(にけんごや、標高約800m)です。そこから、南西方向の水越峠(標高約990m)を目指して、横川川(よこごう~がわ)の左岸に沿って登ります。その間、距離約3kmに対して、標高差は200m以下です。
水越峠を越えてしばらく下ると、細見谷川(源流部)と接するようになります。そして、そのまま細見谷川の右岸沿いに下ると、林道はやがて細見谷渓畔林の中を行くようになります。
二軒小屋目指して大規模林道を行く
十方山林道の始点である二軒小屋は、恐羅漢山の麓にあります。その二軒小屋に至るには、大規模林道(城根・二軒小屋工事区間)が完成する前は、広島県道252号(恐羅漢公園線、戸河内~内黒峠~二軒小屋)を行くのが一般的でした。
広島県道252号を行く
県道252号経由で二軒小屋に至るには、まず、中国縦貫自動車道(戸河内インター)から、国道191号を三段峡方面に向かいます。やがて、安芸太田町戸河内にある町役場前を通過します。しばらくして、太田川合流点付近の信号を左折した所にある明神橋で柴木川を渡ります。そして、すぐに右折すれば広島県道252号に入ります。そのまま坂道を登れば、最高点の内黒峠(標高約990m)に達し、そこを乗り越して下れば二軒小屋です。
なおここで、明神橋で柴木川を渡った後、右折せずに、そのまま真っすぐ行く別の道路があります。
県道296号です。この県道は、十方山南東側の太田川左岸沿いを行き、吉和に通じています。途中で打梨(那須集落入口)などを通り、立岩貯水池(十方山南尾根登山口)を経て、立野キャンプ場の横を通り、最後は吉和盆地に至り国道186号と接します。
参考:私の山行記(1)
私は、2001年11月11日(平成13)に初めて十方山に登りました(立岩貯水池~南尾根コース)。内黒峠から十方山へ登ったのは、2003年5月24日が初めてです(内黒峠コース)。その時は、復路で途中から藤本新道に入り、一旦二軒小屋に下りました。そして、県道252号(恐羅漢公園線)を歩いて内黒峠まで登り返したのです。なお、内黒峠コースには、途中で那須集落から登ってくる道が合流しています(2006年7月15日)。
ところで、この県道252号(恐羅漢公園線)には、融雪ロードヒーターが設置してあり積雪期の通行の手助けをしていました。しかし、しばらく前から機能を停止しているようです。二軒小屋へ至るには、県道よりも道幅の広い大規模林道(緑資源幹線林道)を利用してほしい、ということなのでしょう。
大規模林道を行く
その大規模林道の入口は小板にあります。先ほどの明神橋の信号で左折せず真っすぐ行き、国道191号をさらに益田(島根県)方面へと向かいます。深入山を右手に見て小板まで行き、左折して大規模林道に入ります。
小板には、「恐羅漢、大型車可、左折10km」のきれいな道路標識があるので間違えることはないでしょう。また、りっぱな縦看板があり次のように書いてあります。
― 森林・山村振興への架け橋 ―
大規模林道(戸河内・吉和区間)整備促進を!
吉和村・戸河内村、大規模林業圏開発推進広島県協議会
小板(城根)は、大規模林道(戸河内~(二軒小屋)~吉和区間)の国道191号側始点に当たっています。そして、そのうちの城根~二軒小屋工事区間(11.1km)は、既に2004年(平成16年)12月に完成しています。したがって、小板で左折してりっぱな大規模林道を行けば、迷うことなく二軒小屋に到達します。
しかし、この大規模林道では、法面や谷筋の崩落が頻繁に起こっており、完成後も工事を繰り返しています。当然通行止めとなることもあります。山岳地帯を行く大規模林道は、完成後地元に移管してからが大変なのです。
地元の意向とは
二軒小屋に着くと、そこには横断幕があり「緑資源幹線林道の早期完成を!!」と書いてあります。大規模林道戸河内受益者組合・横川自治会のもので、「自然に向かい合い、自然を守っているのは私たち横川の住民です」とも書いてあります。
確かに、横川の人たちがこの辺りの登山道を整備したり、二軒小屋から内黒峠~十方山縦走路(丸子頭1236.2m北東付近)に至る藤本新道を新設(1999年)したりしてくれているはずです。いつも感謝の気持で入山させていただいています。
ところで、〈まぼろしの大規模林道工事推進67,000名署名〉というものがあります。緑資源特定森林圏整備推進広島県協議会という団体が集めたとされるもので、工事推進根拠の一つとなっている署名です。日本熊森協会ホームページ上では、この件に関する問い合わせの結果を公表しています(2006年5月18日付け)。
それによると、署名を受け取ったとされる「廿日市市と緑資源公団広島地方建設部」の回答は、「署名をいただいたことは事実ですが、保存していません」。また、林野庁の回答は、「署名などの文書は、保存期間は1年です。もう、処分しました」となっています。そして、署名を行った団体はすでに解散してしまったということです。
旧・吉和村の人口800人台、旧・戸河内町の人口約3,200人である。その他大勢の賛同者63,000人は、どの地域のどのような立場の人たちであったのでしょうか。今となっては真相は全く闇の中となり、工事推進という掛け声だけが一人歩きをしています。
吉和村(旧・広島県佐伯郡)は、2003年3月1日(平成15)、同県廿日市市と合併して廿日市市吉和となりました。つまりその時から、廿日市市は大規模林道問題の当事者となったのです。
廿日市市と旧・吉和村の合併建設計画には、大規模林道関連の事業は記載されていません。林道整備計画は国の事業ですから、市(町)村レベルにおいて、記載がなくても当然のことなのかもしれません。
いずれにしても、吉和村議会で、大規模林道整備計画促進の決議がなされたことは確かです。それを受けて廿日市市長は、「細見谷での大規模林道工事推進は合併時の約束事である」との発言を繰り返しています。
二軒小屋から荒れた林道を行く
2006年5月5日(平成18)、長男と二軒小屋(標高約800m)側から十方山林道に入った際に、水越峠(標高約990m)の前後で約30cm程度の残雪を踏んで歩きました。この冬は特に大雪だったようです。二軒小屋付近で積雪3mとも言われています。
さて、二軒小屋から歩き始めてすぐに舗装が切れて地道になると、表面の土が雪解け水で流されて、ガラガラの小石が頭を出しています。極めて歩きにくい状態です。この5日前の4月30日、反対側の吉和西から入ってスギなどかなりの倒木を見ており、雪の影響が大きかったことは分かっていました。それにしてもひどい荒れ方です。
しばらく歩くと、一軒屋があり屋根がずり落ちています。冬の間中屋根に積もった雪の重みで柱も傾いているようです。それでも再建に向けて人の手が入っています(この夏中、ご主人が手入れをされていました)。
なお、この家は今では別荘的に利用されているものであり、いわゆる民家は十方山林道上には一軒もありません。注:この家は後年火事を出し取り壊されました。後にこの家のすぐ先まで舗装が完了しました。二軒小屋から300mくらいの地点です。
さてその後、この年(2006年)中の工事着手に向けて、この家のあたりまで土が入れられたので非常に歩きやすくなりました。つまり、わずかな手当てをするだけで、十方山林道(幅員3~4m)に4トントラックを通すことなぞ造作もないことなのです。
多くの人たちの話を総合すると、十方山林道はここ10年、20年くらいの間にかなり荒れてきたようです。以前は、乗用車でも十分走行可能であったそうです。それが現在では、四輪駆動車でも持て余す状態となっています。大規模林道工事をにらんで、あまり手入れがされてこなかったのかもしれません。
小型サンショウウオ観察地点
水越峠手前で林道が蛇行している地点があり、左手に十方山登山口(シシガ谷コース)、そのすぐ先の右手に恐羅漢山登山口(旧羅漢山~恐羅漢山)が並んでいます。
水越峠を越えて少し下ると、再び林道が大きく蛇行している箇所があります。そこのケンノジ谷(標高約960m)にコンクリート製の橋(9号橋)が架かっており、私はそこで2002年8月(平成14)に初めて小型サンショウウオを見ました。(「小型サンショウウオのこと」参照)
小型サンショウウオは、このケンノジ谷あたりから渓畔林部分の全般にわたって、十方山林道沿いの小谷で見ることができます。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』pp.33-39)
最初(2002年8月10日)の小型サンショウウオ観察会&調査では、私は妻と孫二人を連れて参加しました。そして2006年5月5日、残雪の中を、末っ子長男と初めて一緒に十方山林道を歩きました(前述)。彼がバイクで雪の林道を走破しようとして敗退した後で、一緒に歩いてみたいと言ってきたのでした。その時もケンノジ谷で小型サンショウウオを見ました。しばらくして、その彼に初めての子どもが生まれた。
参考:私の山行記(2)
あるグループに特別参加して、水越峠近くの恐羅漢山登山口から広島・島根県境尾根に取り付いて、残雪の中で焼杉山三等三角点(点名・村杉、標高1225.1m)を見つけたことがあります(2012年4月15日)。
下山後、点の記を閲覧すると、三角点の周りに目標となる三本の木(樹種名あり)が記されています。
融雪後の焼杉山三角点の様子を観察したくて、長男を誘い、今度は雪の消えたケンノジ谷から広島・島根県境尾根に取り付きました。しかし、登り着いた山頂部のだだっ広いササ原の中で、現在位置に確信が持てなくなり、往路下山しました(2012年5月27日)。
注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。