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細見谷渓畔林と十方山林道

自著『細見谷渓畔林と十方山林道』電子化に向けて

このページの目次です

はじめに

私は、2007年10月(平成19)、書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』(紙の本)を自費出版しました。その目的は、生物多様性の宝庫である細見谷渓畔林(広島県廿日市市吉和)を守ることでした。渓畔林とは、河川周辺の森林のうち、上流の狭い谷底や斜面にあるものを言います。(EICネット環境用語集)

私(当時、森と水と土を考える会所属)は、一般市民や専門家と共に、細見谷渓畔林を貫いて走る未舗装の十方山林道(細見谷林道)の大規模林道化工事(幹線林道建設工事)中止を訴え続けていました。十方山林道(細見谷林道)を拡幅舗装化する工事によって、細見谷渓畔林に取り戻すことのできないダメージを与える可能性が高いと考えたのです。

大規模林道工事は、書籍出版の前年、つまり2006年11月(平成18)には既に着工されていました。そして、2007年度中で工事は一旦中断された形となりました。

その後紆余曲折を経て、広島県(湯崎英彦知事)は、2012年1月19日(平成24)の県議会において、「緑資源」幹線林道(戸河内―吉和区間)の建設を断念したことを明らかにしました。

その結果、十方山林道(細見谷林道)は両端のわずかな部分(二軒小屋側約300m、吉和西側約100mくらい)が拡幅舗装化されたのみで、中間部分の細見谷渓畔林は手付かずのまま未舗装の状態で残されることになったのです。

ところで、自著を出版してすぐの2008年1月に出版社が倒産したため、私の本は一般書店での流通の道を絶たれてしまいました。幸いにも自著を手元に取り戻すことができたため、現在でもアマゾンを通じて古書として販売を継続しています。

また最近では、自著が他店舗の商品として断続的に出品されるようになっています。アマゾンの中で、普通に古書として流通しているのです。大変ありがたいことです。

今回の電子書籍化(アマゾン KDP)によって、流通の簡便化及び絶版回避ができるものと期待しています。なお、電子書籍化にあたっては、2017年現在の状況を踏まえた内容整理のため、項目の組替えや多少の加筆修正を行なっています。

書籍出版から大規模林道工事の中止決定まで

以下では、書籍出版当時(2007年)から、幹線林道建設が断念(2012年)されるまでの間の関連事項を、時系列でまとめておきます。

書籍出版(2007年10月)当時、既に細見谷大規模林道工事は着工(2006年11月)されていました。

しかしその一方で、独立行政法人「緑資源機構」(農林水産省所管)をめぐる官製談合の疑いが、2006年(平成18)秋に浮上していました。そして翌年5月24日(2007年)には、同機構の理事ら6名が東京地検特捜部によって逮捕されました。逮捕容疑は、「緑資源機構」が発注した林道整備のコンサルタント業務(天下り先)をめぐる談合事件に関する独禁法違反(不当な取引制限)です。

こうした天下り、官製談合、そして多額の政治献金疑惑などを踏まえて、「緑資源機構」は、2008年3月31日(平成19年度末)付けをもって廃止されました。しかしながら、その業務の大半は「森林農地整備センター」と名称変更して継承され、独立行政法人「森林総合研究所」(農林水産省の外局の一つである林野庁所管)の一部門として存続することになりました。

大規模林道工事は、平成20年度(2008年)以降は、道県(北海道及び該当県)に事業が移管され、事業を継続すべきかどうかについては、道県ごとの判断に委ねられることになったのです。つまり「緑資源幹線林道事業については、独立行政法人の事業としては廃止し、地方公共団体の判断により必要な区間について補助事業により実施する」ことになりました。

そのため国は、幹線林道の整備に限った補助制度として、新たに「山のみち地域づくり交付金」を創設しました。つまり従来どおり、全体のほぼ7割を国から補助する仕組みを残しました。

広島県では、緑資源機構廃止(2008年3月末)以降、事業を継続すべきかどうかの判断について、先送りを続けていました。当然、工事は中断されたままの状態になりました。

当時の広島県知事は藤田雄山さん(2015年死去、享年66歳)でした。その後の県知事選挙(2009年11月)の結果、湯崎英彦新知事が誕生しました。そしてついに、2012年(平成24)1月19日、広島県は県議会において、「緑資源」幹線林道(戸河内―吉和区間)の建設を断念したことを明らかにしました。つまり、十方山林道(細見谷林道)の大規模林道化工事は中止と決定しました。

中止決定の理由は、区間の国有林の割合が約8割と高く、県の林業施策との関連性が低いと判断したためです。ここでは、経済的な理由が挙げられているのみです。生物多様性の宝庫である細見谷渓畔林には何ら言及されてはいません。

細見谷渓畔林と十方山林道を今後いかに有効活用するか、まだ具体的な計画は何もありません。今後に残された課題です。

書籍版(2007年10月)「はじめに」より

(カッコ内平仮名はルビ、用字用語は原文のママ)

広島県廿日市市(はつかいち~し)吉和(よしわ)の最奥にある細見谷(ほそみだに)を流れる細見谷川両岸には、細見谷渓畔林(けいはんりん)という渓流沿いの美しい水辺林が発達しています。本書は、その十方山(じっぽうさん)・細見谷に魅せられ、多くの人たちとの交流の中で過ごした4年間に一区切りをつけるため、自分史としてまとめたものです。

私が、この細見谷に初めて足を踏み入れたのは2002年夏のことです。その当時すでに、渓畔林を貫いて走る十方山林道を拡幅舗装化する工事(つまり細見谷大規模林道工事)計画が進められていました。その一方で、計画に反対の立場から、一般市民および専門家による細見谷の本格的学術調査が、ちょうど開始された時期でもあります。

私の細見谷初体験は、こうした調査の中心人物の一人であった故・原哲之(はら・のりゆき、農学修士)さんのお誘いを受けて実現したものです。原さんは、私の参加した小型サンショウウオの調査をはじめ、動植物あるいは地質などに関する調査資料をまとめて、『細見谷と十方山林道』(2002年版)を完成させました。この書籍は、細見谷における初めての本格的学術調査記録として、専門家からも非常に高い評価を受けています。

原さんとは、お互いのホームページを通じた付き合いで、この時が初対面でした。そして私は、この時から各種現地観察会や講演会に数多く参加してきました。そこで見たり聞いたりしたことを、自分なりに考えてまとめる作業を繰り返してきました。

私が、原さんの所属していた「森と水と土を考える会」に入会したのは、原さんが2005年春に病気で亡くなった(享年41歳)後のことです。そしてその年の暮れには、ちょっとしたきっかけから大量の資料を預けられて、「2002年版刊行後の活動記録」をWeb上で作成する役目を引き受けることになりました。そしてついには、そのWebデータを基にして、私が編集者となり『細見谷と十方山林道』(2006年版)を出版することになったのです。

もちろん、自ら調査の先頭に立ち、その上で基本文献を渉猟してまとめあげた原さんと、既存の資料を読みやすく並べて簡単な説明文を付けただけの私とでは、仕事の質・量ともに雲泥の差があることは申すまでもありません。

『細見谷と十方山林道』(2006年版)出版後の8月に、平成18年度期中評価委員会(林野庁)の結論が出されました。大朝・鹿野線のうち、二軒小屋・吉和西工事区間(つまり細見谷大規模林道工事)について内容を確認すると、工事区間のそれぞれ両端にあたる〈吉和側と二軒小屋側の拡幅部分〉については、「環境保全に配慮しつつ工事を進めることとする」となっています。一方で、工事区間の中央部にあたる〈渓畔林部分および新設部分〉については、「引き続き環境調査等を実施して環境保全策を検討」となっています。

細見谷大規模林道工事は、2006年11月21日、吉和側、二軒小屋側の両端から着手されました。細見谷は今、一つの大きな節目を迎えたといってよいでしょう。21世紀は環境の世紀、細見谷を全山落葉広葉樹で覆われた昔の深い深い森に還してやろうではありませんか。チャンスは今しかありません。

2007年(平成19)春 著者記す

追記(書籍版、2007年5月31日より)

細見谷大規模林道工事は、工事主体である独立行政法人「緑資源機構」(農林水産省所管)による「緑資源」幹線林道事業として実施されているものである。その「緑資源機構」に関して、天下り、官製談合、そして多額の政治献金疑惑など、問題点が次々と指摘されている。

そうした中で、政府の規制改革会議(議長、草刈隆郎日本郵船会長)が30日取りまとめた第1次答申には、「緑資源機構」の主要事業である林道整備、農用地整備の廃止が盛り込まれた。

そして、安倍晋三首相は同日夕、この答申を踏まえて、緑資源機構を事実上解体する方向で検討する意向を表明した。

林野庁:農林水産省の外局。三公社五現業の現業であり、左記8組織の中で、現在でも唯一、国家公務員としての地位を維持している。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

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