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広島湾岸トレイル(モデル山行記)
二葉山~尾長山~牛田山~松笠山
(出発:JR広島駅、帰着:安芸高校前バス停(JR広島駅))
2016年07月02日(土)、広島駅北コース・踏査(第1回)
〈写真〉二葉山平和塔(通称:仏舎利塔)、10時05分
(二葉山山頂部の仏舎利塔、市内からよく見える)
広島駅の新幹線口(北口、海抜ほぼ0m)から、太田川左岸沿いに山並みが続いている。広島湾岸トレイル最高峰の白木山(888.9m)まで最短で歩くことのできるルートである。
広島駅を降り立った旅人が、そのまま広島湾岸トレイルに入るコースとして面白いのではなかろうか。という訳で、今日(二葉山~尾長山~牛田山~松笠山)と次回(二ヶ城山~木ノ宗山)の2日間で踏査することになった。
- 今日の山行ルート図 ⇒ GPS軌跡(2016年07月02日)
標高その他は、地理院地図による
標高改算例(2014年3月)多数あり
このページの目次です
今日のコース&コースタイム
広島駅北口9:05-広島東照宮鳥居9:19-朱の鳥居9:28-金光稲荷神社(奥宮)・展望(100m台)9:42-尾根(130m台)高射機銃陣地跡9:47、9:52-分岐9:53-仏舎利塔・二葉山平和塔(139m)9:58、10:06-道路分岐(100mくらい)左へ10:11-尾長天満宮(90m台)10:12-天神公園(80m台)10:17-天神峠(70m台)10:18-天神峠東口コース登山口(100m前後)10:22、10:23-尾長山(180m台)10:38、10:48-航空保安施設(広島西飛行場)10:48-右折(170m台)10:50、10:53-三叉路(尾根道合流、150m前後)10:57-送電線鉄塔(150m前後)11:02-牛田東口・左分岐あり(160m台)11:06-大内越口・右分岐あり(160m台)11:07-176m(送電線鉄塔)西側11:08-(牛田東口・左分岐あり、160m前後)11:09、11:10-2番目の160m台コブ11:15-3番目の160m台コブ11:19-175.9m三角点11:25、11:30-中山口・右分岐あり(160m台)11:34-180m台コブ11:38-ベンチ(130m台)11:47-戸坂南口・右分岐あり(160m台)11:56、11:57-トラバース道・左前方へ(180m台)11:59、12:00-尾根合流12:06(210m台)-西山貝塚(260m台)12:16-牛田山(260.7m)12:16、12:48-尾根道・左手前方へ(210m台)12:53-トラバース道合流(180m台)12:55-戸坂南口へ向けて左折(160m台)12:59-登山口(70m台)13:10-病院前(50m台)13:16-バス通り13:17-東浄団地入口信号(50m台)13:19、13:20-(ため池、50m台)-広い道路(60m台)13:23-道路突き当り・左折(80m台)13:28-戸坂中学校標識(90m台)13:30、13:33-東浄集会所・右折13:37-松笠山登山口(110m台)13:38、13:47-尾根に乗る(210m台)14:06、14:11-休憩(340m台)14:28、14:38-370m台コブ14:41-蝦蟇ヶ峠分岐14:42-松笠山(374.3m)14:45、14:58-蝦蟇ヶ峠分岐15:02-尾根合流・戸坂中学校口近道(350m台)15:06-踏査準備15:11、15:23-芝広場15:36、15:44-車道(蝦蟇ヶ峠、松笠山取付き・二ヶ城山取付き、220m台)15:48、15:51-バス通り16:14-バス停(50m台)16:15
- 広島駅北口(14分)広島東照宮・鳥居(28分)尾根・高射機銃陣地跡(6分)仏舎利塔
小計53分(高射機銃陣地跡5分を加える) - 仏舎利塔(12分)天神峠(20分)尾長山
小計32分 - 尾長山(20分)176m(17分)三角点175.9m(26分)戸坂南口分岐(19分)牛田山
小計1時間28分(三角点5分、戸坂南口分岐1分を加える)
- 広島駅北口(53分)仏舎利塔
- 広島駅北口(1時間33分)尾長山、仏舎利塔8分を加える
- 広島駅北口(3時間11分)牛田山、尾長山10分を加える
- 牛田山(11分)戸坂南口分岐(18分)バス通り(21分)松笠山取付き
小計50分 - 松笠山取付き(19分)主尾根(17分)休憩地点(4分)蟇ヶ峠分岐(3分)松笠山
小計58分(尾根に乗る5分、休憩10分を加える) - 松笠山(4分)蟇ケ峠分岐(4分)戸坂中学校口近道合流(18分)芝広場(4分)蟇ヶ峠(23分)バス通り(1分)バス停
小計1時間17分(踏査12分、芝広場8分、蝦蟇ヶ峠3分を加える)
- 総合計7時間10分
(牛田山32分、松笠山取付き9分、松笠山13分を含む)
広島駅北口(新幹線口)~二葉山(仏舎利塔、139m)
広島駅北口(新幹線口)から、まずは北の方角の二葉山を目指す。
〈写真〉広島駅北口から二葉山を見る、9時03分
(広島駅(北口及び南口)は共に現在再開発中である)
二葉山の山麓に広島東照宮がある。御祭神は徳川家康公である。広島浅野藩は外様であるが、徳川家康の三女(振姫)のこし入れ先であったため、東照宮の建造に熱心であった(文末脚注)。
二葉山には、この広島東照宮から取り付く。鳥居をくぐり、唐門への石段を上がると本殿がある。なお、広島東照宮は被爆建物の一つでもある。
〈写真〉広島東照宮の鳥居前、9時19分
〈写真〉広島東照宮の唐門、9時20分
本殿前を通り、東側の道路(地理院地図(電子国土Web)の道路表示)に出て少し登ると、朱の鳥居が並んでおり、その中を北向きに登る。山頂まで黒実線が付いている。
〈写真〉朱の鳥居、9時28分
金光稲荷神社(奥宮)手前で道が二つに別れる。〈右手〉には黒実線が尾根まで続いている。そこを〈左手〉に行くと、金光稲荷神社(奥宮、標高100m台)があり、展望が開ける。
〈写真〉金光稲荷神社(奥宮、標高100m台)からの展望、9時42分
〈写真〉金光稲荷神社から、大岩の向かって左手を登る、9時43分
尾根(130m台コブ)に登り着くと、そこは高射機銃陣地跡(第二次世界大戦)である。複数の窪地が有り、それぞれ回りを石垣で固められている。実戦で米軍機を撃ち落とすことはできたのであろうか。
〈写真〉高射機銃陣地跡、9時46分
尾根沿いに〈西〉へ下れば、太田川左岸の饒津神社に至る。今日は、尾根を〈東〉に向かう。
すぐ先で、右手から登山道(黒破線)が登ってきている。先ほどの金光稲荷神社手前から右手を登ってくる道であろう。きちんとした標識もある。
インターネット情報(ヤマレコ軌跡図)によれば、こちらの黒破線を登るよりも、金光稲荷神社(展望良し)から高射機銃陣地跡(130m台コブ)に登る人のほうが圧倒的に多いようである。
さて、尾根をそのまま東向きに行くと、二葉山(標高139m)に至る。
二葉山(標高139m)には、二葉山平和塔(通称:仏舎利塔)がある(文末脚注)。
〈写真〉二葉山平和塔(通称:仏舎利塔)、10時05分
二葉山(標高139m)からの展望が良い。
〈写真〉二葉山からの展望、9時58分
〈写真〉二葉山からの展望、10時02分
二葉山(139m)~尾長山(180m台)
二葉山山頂部から、東向きに車道(黒実線)を下る。車道は、二葉山(139m)の東面~南面を巻いて下り、そのまま広島駅北口に通じている。
尾長山に至るには、車道の途中(標高100mくらい)で、東向きの分岐(地理院地図黒実線)に左折して入り、天神峠(標高70m台)まで下る。
〈写真〉二葉山から車道を東向きに下る、10時06分
〈写真〉車道を前方に見送って左折(東向き)する、10時11分
(標高100mくらい)
天神峠(標高70m台)から、東向きに車道(地理院地図道路表示有り)を登る。標高100mくらいの地点(擁壁有り)で、左折(北向き)して民家の北側に回り込み、黒破線に従って東向きに登る。
〈写真〉天神峠(標高70m台)、10時18分
(天神峠の向こうに道路が延びている。さらに、その向こうに尾長山を見る)
〈写真〉尾長山取付き(標高100mくらい)、10時23分
(擁壁に沿って民家の北側に回り込み、東向きに登る)
〈写真〉尾長山山頂手前からの展望、10時37分
(画面中央左に二葉山・仏舎利塔を見る)
尾長山(180m台)~三角点(175.9m)
尾長山(180m台)山頂部から牛田山に向けた尾根に入るには、インターネット情報(ヤマレコ軌跡図)によれば二つのコースがある。両方ともよく歩かれているようである。
一つ目は、今日私たちが歩いたコースである。
尾長山(180m台)山頂部の道標(牛田山方面)に従って、〈北向き〉に尾根を下る。ただし、地理院地図には何の表示もない。なお、尾根を〈南向き〉に下ると、山根町である。よく歩かれているコース(地理院地図黒破線有り)のようである。
〈写真〉尾長山山頂部の道標、10時37分
さて、尾長山から北向きに尾根筋を下り、標高170m付近に至る。その先、左手前方の尾根上に踏み跡が続いている。ただし茂っている。たとえそのまま下ることができたとしても、その先は市街地(牛田東)である。
ここ(尾長山の北側、標高170m付近)から牛田山方面に至るには、そこで右に折り返し、尾長山北東面を巻きながらゆったりと下る。
そうすると、標高150m付近で、牛田山方面(北東向き)への尾根道(黒破線)と出会う。その黒破線は南向き(尾長山東面)にも延びている。
この登山道(黒破線)が、尾長山(180m台)山頂部から下ってくるもう一つの登山道である。
つまり、まずは尾長山山頂部から、〈東~南東向き〉の黒破線を標高160m台まで下る。そしてそこで、北に分岐する黒破線に入り北向きに少し進む。そうすると、標高150mくらいで、今日私たちが下ってきた上記のコースと出会う。
なお、地理院地図には、尾長山山頂(標高180m台)から〈北東向き〉に下る黒破線が表示されている。この黒破線は、標高150mより少し下の地点で、牛田山に向けた尾根筋に合流している。しかし、そこに実際に踏み跡があるかどうかはよく分からない。
〈写真〉標高170m付近、10時52分
(右に大きく屈折する)
〈写真〉標高150m付近、10時57分
(尾根道への合流地点から後ろを振り返ったところ。右手:今下ってきた道、左手:尾長山から別ルートで下ってくる道)
尾根筋に合流した後は、左右に幾つもの分岐を分けながら進む。ただし、これらの分岐道は周辺の各町からの取付き道となっている。牛田山まではあくまでも尾根を追ってゆけば間違いはない。幅広の山道が一本、ほぼ尾根筋に沿って付いている。
〈写真〉尾根道をゆったりと行く、10時57分
〈写真〉、10時59分
176m峰の前後で、幾つもの分岐を見る。また、それらの位置が地理院地図とは必ずしも一致していないようである。「あくまでも尾根筋」を行くならば何ら問題はないはずだが、一応それらの位置関係を整理しておこう。
なお、この付近では、各分岐からの取付き道はあまり歩かれていないようである。(インターネット情報(ヤマレコ軌跡図)より判断)
〈写真〉送電線鉄塔、11時02分
(標高150m前後で、送電線鉄塔をくぐり抜ける。地理院地図のとおりである)
〈写真〉牛田東口・左分岐あり(標高160m台)、11時06分
(道標は、登山道が北~北東に振れる辺りにある。ここからの下山道は、地理院地図には表示されていない。ただし、すぐ下で「11時10分地点からの下山道」(地理院地図黒破線)と合流するのかもしれない)
〈写真〉大内越口・右分岐あり(標高160m台)、11時07分
(分岐(地理院地図黒破線)があり、176m峰の南側に向けて少し登っている(東向き)のが分かる。その先には中山西に向けて下る道が有るのだろう)
〈写真〉標高176m(送電線鉄塔)西側、11時08分
〈写真〉牛田東口・左分岐あり(標高160m前後)、11時10分
(明瞭な分岐が有るものの道標は何も無い。その位置は、地理院地図(黒破線)の分岐よりもほんのわずかに手前かもしれない。とは言うものの、この分岐から黒破線に従って下山道があるのだろう。先ほどの「11時06分地点からの下山道」とは途中で合流するのかもしれない)
〈写真〉3番目の標高160m台コブ、11時19分
三角点(175.9m)からの展望が良い。
〈写真〉三角点からの展望、11時27分
〈写真〉三角点からの展望、11時27分
〈写真〉三角点(175.9m)、11時29分
(展望地のほんの少し北側にある)
〈写真〉三角点から、瀬戸内側の展望、11時29分
(各所にベンチが設置してあり助かる)
三角点(175.9m)~牛田山(260.7m)
三角点(175.9m)から、なおも北向きに尾根を追ってゆく。やがて尾根は西に振れ、北西向きに牛田山を目指す。今日のコース(尾根)は、東~北~北西と反時計回りに回りながら、右手下の早稲田の町を包み込むような感じで進む。
三角点(175.9m)から牛田山までの間にもいくつかの分岐(地理院地図黒破線)がある。しかしながら、しっかりとした道標は二本しかない。
なお、途中標高200m前後でトラバース道がある。今日はトラバース道を登り、尾根筋を下って引き返した。尾長山の先で尾根道に入ってから牛田山までの間で、複数ルートがあるのはここ一箇所のみである。
〈写真〉中山口・右分岐あり(標高160m台)、11時34分
(インターネット情報(ヤマレコ軌跡図)では、この分岐道は表示されない。それほど歩かれていないのであろう)
〈写真〉戸坂南口・右分岐あり(標高160m台)、11時56分
(今日は、牛田山を往復してここまで引き返してから、この分岐道を下った)
〈写真〉トラバース道を行く(標高190m台)、12時01分
〈写真〉牛田山(260.7m)三角点、12時47分
牛田山(260.7m)~戸坂南口(標高70m台)
牛田山(260.7m)の次は松笠山(374.3m)である。牛田山から松笠山に取り付くには、一旦市街地まで下らなければならない。そのため、まずは牛田山から尾根筋を少し引き返し、戸坂南分岐(標高160m台)まで下る。
先程、戸坂南分岐(標高160m台)から牛田山(260.7m)までの登りでは、途中トラバース道を通った。しかし、牛田山からの下りでは、尾根筋をそのまま下り途中でトラバース道に合流した。
〈写真〉尾根道を下る、12時54分
(牛田山から、尾根道をそのまま下る)
〈写真〉トラバース道に合流する(標高180m台)、12時55分
(右手上からトラバース道が下りてきている)
戸坂南口分岐(標高160m台鞍部)から、戸坂南に向けて〈支尾根〉上を下る黒破線が表示されている(実際に歩くことができるかどうか不明である)。
それに対して今日は、戸坂南口分岐(標高160m台鞍部)から、〈谷筋〉を北東向きに下る。そこには、地理院地図黒破線の表示は無い。ただし、標高100mくらいから下に黒破線が有り、そこに向けて下る。
インターネット情報(ヤマレコ軌跡図)によれば、尾根筋~市街地(戸坂南)間でよく歩かれているのは、この谷筋のコースのようである。
〈写真〉戸坂南口・左分岐(標高160m台)、12時59分
〈写真〉谷筋の疎林の中を下る、13時04分
〈写真〉取付き口は近い、13時09分
〈写真〉民家まで下りてきた(標高70m台)、13時10分
戸坂南口(標高70m台)~松笠山取付き口(標高110m台)
松笠山の取付き口は、戸坂中学校付近にある。そこまでしばらくは住宅街の中を行く。
牛田山から下山して、戸坂南口(標高70m台)から住宅街の中(地理院地図道路表示)を東~南に行くと、病院の前に出る。その少し先で、芸備線のトンネルの上(標高50m台)を渡ってバス通りに入り、北に少し行く。
〈写真〉バス通りを北に少し行く、13時17分
(左手下に芸備線が並行して走っている。ちょうどトンネルの出口付近である)
〈写真〉ため池、13時21分
(バス通りを東に渡り、今日は、ため池の南側を東に行く。ため池の北側を大通りが東向きに登っており、最初からそちらを通っても何ら問題はない)
〈写真〉大通りを東向きに登る、13時23分
大通りを東向きに登って突き当たり(標高80m台)、同じく広い道路を左手(北向き)に少し登ると、戸坂中学校への案内看板(標高90m台)がある。松笠山登山口の表示もある。
戸坂中学校はここの東側にある。そして、松笠山の取付き口は、戸坂中学校の南側の道路を登り切った地点にある。戸坂中学校の東側(標高160m台)である。
インターネット情報(ヤマレコ軌跡図)でも、みんな戸坂中学校前の道路を登っている。
〈写真〉戸坂中学校への案内看板(標高90m台)、13時33分
(擁壁には小さな登山案内図も貼り付けてある)
戸坂中学校前の舗装道路を登るのはしんどい。別の取付き口がすぐ近くにある(標高110m前後)というので、そちらから登ることにする。
戸坂中学校への案内看板で右折(東向き)することなく、広い通りをそのまま北向きに登る。
〈写真〉東浄集会所、13時37分
(集会所の北で右折する)
〈写真〉突き当りが取付き口である、13時38分
(そばには送電線鉄塔がある)
松笠山取付き口(標高110m台)~松笠山(374.3m)
松笠山取付き口近くには、ハイキングコース案内版はあるものの、ここが登山口といった表示は何も無い。地理院地図の表示も何も無い。
取付き口(標高110m台)から、162mコブの北~東側に回り込み、支尾根上のきれいな踏み跡を〈東向き〉に行く。
〈写真〉松笠山取付き口(標高110m台)、13時47分
(横に送電線鉄塔がある)
〈写真〉戸坂中学校の東側から登る主尾根と合流(標高210m台)、14時06分
(主尾根を振り返る)
主尾根の黒破線に沿って〈北向き〉に登る。ただし、標高310mくらいから上では、黒破線の右左に少しブレたりする。とは言うものの、迷う心配はないだろう。
〈写真〉尾根筋の探索(標高340mくらい)、14時31分
(標高310m~340mくらいまで尾根西側を巻く。標高340mくらいから後ろを振り返ったところ。右手:今登ってきた巻道、左手:尾根筋は途中で行き止まりとのこと)
〈写真〉松笠山(374.3m)三角点、14時45分
松笠山(374.3m)~蝦蟇ヶ峠(標高220m台)~バス通り
松笠山(374.3m)の南側に、370m台コブがある。そしてそこから、蝦蟇ヶ峠に向けて東~北東向きに支尾根が下っている。その尾根上に黒破線が表示されており、おおまかにはそれに従って下る。
ただし下山道分岐は、松笠山(374.3m)と370m台コブの間の鞍部(標高360m台)にある。したがって今日は、松笠山から鞍部まで引き返して右折、トラバース道を支尾根に向けて下る。
トラバース道はゆったりとしたきれいな道である。インターネット情報(ヤマレコ軌跡図)でも、このルートで蝦蟇ヶ峠に向けて下っている。
〈写真〉トラバース道(標高360m前後)をゆったりと下る、15時04分
〈写真〉戸坂中学校口近道の標識(標高350m台)、15時05分
(ここで支尾根上の登山道(黒破線)に合流する。ところで、ここから上の標高370m台に向けて、黒破線どおりの踏み跡はあるのだろうか)
〈写真〉蝦蟇ヶ峠(松笠山取付き口)、15時48分
〈写真〉蝦蟇ヶ峠(二ヶ城山取付き口)、15時48分
舗装道路をバス通りまで下る。
脚注:広島東照宮公式ページより
徳川家康公薨去(こうきょ)後33年忌に当る慶安元年(1648)、当時の広島藩主浅野光晟(みつあきら)公(浅野家第四代)によって、広島東照宮は、広島城の鬼門(東北)の方向に当たる二葉山の山麓に造営されました。
光晟公の生母は、家康公の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康公の御遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀りました。歴代藩主、社領三百石を付し、広島周辺の崇敬を集め、春秋の祭礼の外、家康公薨去後50年に当る寛文6年(1666)以後は、五十年毎に盛大な祭典が行われました。
社殿は、「二葉山山麓に位置し、観望の美麗なるは、毛利氏広島に築城以来、第一のもの」と云われていましたが、昭和20年8月6日の原子爆弾の熱風により、桧皮葺本殿、中門、瑞垣、拝殿は焼失。
現在の社殿は、昭和40年4月、家康公薨去後350年祭を記念して再建されました。
脚注:仏舎利塔案内文より
この広島市二葉山平和塔は、人類の幸福と戦争のない世界の恒久平和を念願し、史上最初の原子爆弾の犠牲者二十数万の冥福を祈り、平和の聖者釈尊の御真骨を奉祀して建立されたものであります。昭和29年4月、日本山妙法寺山主藤井日達聖人により地鎮祭が行われましたが、その後、12年を経て昭和40年、地元の開拓団の方々が、各自の土地の一部を売却して建設資金をつくり、日本山妙法寺や有志の協力により完成し、昭和41年8月5日に落慶式と広島市への寄贈式が行われました。塔内にはインドのネール首相より贈られた仏舎利が一粒、モンゴル仏教徒やセイロン国(現スリランカ国)より贈られた各一粒も併せて奉安されています。正面の仏像は昭和41年5月、セイロン国から贈られたものです。また県市民の平和の願いをこめた祈念石数万個も収納されています。なお、標高139mの山頂のこの地は、半地下式の大型高射砲四門がすえられていたところです。