2004年03月06日(土)、単独
ひろしまの「生命(いのち)の森」・細見谷渓畔林
その未来を問う
広島平和記念資料館、東館地下1Fメモリアルホール、13:00~16:30
主催:森と水と土を考える会
2003年度WWF自然保護助成事業「西中国山地・細見谷上流部の渓畔自然林の生態学的評価と十方山林道の大規模林道化による影響について」-成果報告会
プログラム
1)自然保護助成事業実施への経緯、森と水と土を考える会、13:00~13:15
2)かけがえのない水源の森・細見谷渓畔林、13:15~14:45
河野昭一:明らかになり始めた渓畔林の重要性と、それを破壊しかねないこの国の林野行政
米澤信道:生物多様性の宝庫・細見谷渓畔林
3)細見谷に通い続けて見えてきたこと、14:45~15:25
金井塚務:ケモノたちの暮らし・「大規模林道化」の危険性
4)ディスカッション・メッセージ採択、森と水を考える会、15:30~16:30
この森を子々孫々へ-私たちは何をすべきか-
Web作者注:WWFJ(財団法人・世界自然保護基金ジャパン)
会は堀啓子(元広島山稜会会長)さんの司会で始まった。堀さんは、今日の演者である河野昭一(京都大学名誉教授 )さんや米澤信道(京都成安高等学校教諭)さんたちの植物調査に積極的に協力している方である。今日紹介されたOHP原稿(写真)のいくつかは堀さんご提供であったようだ。
それはともかく、まず最初に主催者を代表して「森と水と土を考える会」 原戸祥次郎会長が挨拶に立ち、1990年会設立当初の活動と、その後大規模林道建設に反対し続けてきた経緯を述べる。
中でも、2001年に「大規模林道問題全国ネットワーク」の集いを広島で開催したことが運動を飛躍させるきっかけとなったようである。翌年、2002年からは河野昭一さんや金井塚務(広島フィールドミュージアム会長)さんたち専門家と共同で学術調査を開始しており、その成果は「細見谷と十方山林道」(2003年1月刊)としてまとめられた。
さらに、2003年4月からはWWFJの自然保護助成を受けて調査を継続している。今日の会は、その成果報告会ということのようだ。
原戸会長は、会の最後にもう一度発言して一つの提言をした。すなわち、このようにして専門家が集めたデータを中心に据えて、専門家、行政、そして一般市民が一同に会し、納得のゆくまで大規模林道化のメリット・デメリットについてディスカッションする場を作るべきである、というのだ。まったくその通りだと考える。会長はその実現に向けて努力することを誓った。
講演のトップバッターは河野昭一京大名誉教授である。ブナ林は先生の研究テーマの一つである。世界的に見た場合、ブナのセンターは3つあるが、ヨーロッパ、アメリカでは破壊が進んでおり、原生的自然が残っているのは日本だけ(中国内陸部もごく一部の断片的な林しか残されていない)である。
その中でも細見谷の渓畔林は特にユニークな景観を示す。最大の特徴は、氾濫原のせまい範囲の中で高木層の優先種が次々と入れ替わって現れることにあるという。通常であれば、例えばサワグルミとトチノキはそれぞれ氾濫原(サワグルミ)あるいは斜面(トチノキ)というように、大まかな棲み分けが決まっている。しかし、細見谷ではこれらを含めてその他の樹種が細かく「入れ子状態」となっている。
ブナは風媒花である。そして自家受粉はしない。ところがブナの花粉の飛ぶ範囲は極めて限られたおり、ブナ林が分断されて集団が小さくなると、急速に遺伝子の多様性が失われていくことがわかってきた(富山県内の低山帯での調査)。遺伝子レベルでの多様性の低下は当然繁殖力の低下につながり、やがては消滅していくことになる。
全国のブナ林の全てで遺伝子解析を行ってみたい。もちろん細見谷でも実施したい。その結果がどのようなものになるか分からないが、細見谷のブナ林は、今はある程度のまとまりを持った集団として存在していると考えられる。しかし、これ以上手をつける(分断する)と危ないだろう。
林野庁の拡大造林政策の中で、昔の役人は広島や福島の渓畔林の部分だけは手を付けずに残した。それなりの見識を示したというべきであろう。それがあろうことか、最近になって林野庁がブナを大量に違法伐採していたことが分かってきた。この事実を発見したのは河野さん自身である。
「林野庁関東森林管理局が、全国ブナ林ランキング第一位の「沼の平」をはじめ世界自然遺産候補地の森林(福島県)で、過去5年間にブナなど2万4315本を違法伐採していた」。 環境政党・みどりの会議HPより
河野名誉教授によれば、過去5年分のデータしか残っておらずそれ以前のことは闇の中だという。もはや役人にすべてを任せておく訳にはいかない、という河野さんの意見に全面的に賛成である。
日本各地やアメリカで酸性雨によって樹木が無残に立ち枯れている。熱帯雨林では皆伐の進行に伴って、地肌を丸裸にされたまま回復しない土地が広がっている。このままでは熱帯雨林は40~50年しか持たない。
地球上の多くの地域で自然が壊滅的なダメージを受けている。今奇跡的に残っている細見谷渓畔林に手を付けることは決して許されるべきことではない。そうでなくとも先生の診立てでは細見谷の豊かな自然は後25年しか持たないのだという。
米澤信道(京都成安高等学校教諭)さんは、この2年間で約400種の植物を確認した。緑資源公団確認分580種と付き合わせれば、細見谷渓畔林には少なくとも600種以上の植物が存在している可能性がある。以下では具体的な種名をあげながら細見谷の生物多様性について述べた。(OHP写真 多用)
林床にはチュウゴクザサが多い。節と節の間に毛がありイブキザサではない。ノギラン、シノブなど寄生シダ植物が多い。空中湿度が高いため。オニルリソウ、ツルウメモドキなど。オニツルウメモドキ(直径20cm)、ノブドウ(10cm)などツル性植物が一つの特徴。カツラの大木200年以上。ミヤマカラスアゲハが道路上(未舗装)で40頭もの集団で吸水している。イヌブナと思ったらイヌシデ、葉で確認。ボタンネコノメソウ(新種?)、オオタチツボスミレ(日本海要素)、フナシコケイラン(新分類群)、オモゴイテンナンショウ(絶滅危惧種1A)、ヒロハテンナンショウ、ヒトツバテンナンショウ、マムシグサ、オオバタネツケグサ、シナノキ(表裏ともに毛が多い)、ヒナノウスツボ、タカクマヒキオコシ(サンインヒキオコシ、アキチョウジ)、サルメンエビネ、オオヤマサギソウ、オオウバユリ(草丈2m40cm、花数27個)、ヤマシャクヤク、オオバマルバノテンニンソウ、イガホオズキ(ほとんど毛がない)、スギラン(寄生植物)、コタニワタリ、ホンシャクヤクの大群などなど(その他種名を理解できなくて聞き逃したものあり)。現在リスト作成中とのこと。なお標本はすべて京都大学へ収められるという。ちょっと悲しい。
いよいよ金井塚務(広島フィールドミュージアム会長)さんの登場である。前日の中国新聞にはその予告編ともいうべき記事が掲載された。
中国新聞2004年3月5日(金)
細見谷渓畔林 クマの楽園、林道計画の廿日市市吉和調査、冬眠の樹洞10ヵ所
細見谷渓畔林付近で確認された「クマ棚」、木にツキノワグマが登った痕跡になる
写真提供、金井塚さん
動物たちにとっては森が生活の場となる。つまり森がすべてである。原生的な自然が残る細見谷渓畔林とその周辺には、広島県の哺乳動物をはじめ多様な生物ストックが丸ごと保全されている。絶滅危惧種も多く含まれる。ただし、貴重種だけ追ってもだめである。多様な共生関係そのものが大切なのだ。
ところで、細見谷渓畔林にどのような哺乳類が生息しているのか、実はまだあまりよくは分かっていない。ある動物(種)が確かに存在するということを確定することは非常に難しい作業である。まして、それらのケモノたちが 、<その土地で>どのような暮らしをしているのか、どのような一生を送るのか、を知ることは並大抵のことではない。1~2年という単位ではなく、10年20年といった継続観察が必要とされる所以である。
細見谷渓畔林の生物多様性についてはよく言われることである。ここでは、樹齢の多様性ということを考えてみたい。細見谷にはびっくりするような大木が数多く存在する。これらは繁殖力は劣ってきているであろうが、樹木に開いた穴は動物たちに格好の居住スペースを与えている。今、巨樹の分布と「ウロ」の分布の研究を進めている。
渓畔林一帯にツキノワグマの生息域が3つあることが分かってきた。また食べ物としては、堅果類だけでなく、アマゴやゴギなどサケ科の魚を食べるらしいことも分かってきた。何年か後には、ツキノワグマは魚を食べない、という学会の定説を覆すことができるだろう。
ツキノワグマの生息域が近年拡大している。これは生息数の増大を意味しない。山が荒れて食べるものがないので、しかたなく里に出てくるようになっただけである。その結果、例えば島根・山口・広島県境では、2002年に80数頭ものクマが有害獣として駆除された。これは全個体数の1/4強にあたると考えられる。
細見谷渓畔林の利用法として、フィールド博物館構想を提案する。エコツアーの開催によって参加者に自然認識を深めてもらうことができる。そのためのガイド養成など地場産業として雇用の創生をはかることができる。アクセス道路としては今ある林道で十分である。など。
最後に古川さんから地質関係のお話があった。プログラム外だったのだろうか。まず最初に、細見谷は広島県を南西から北東の方角に走るいくつかの断層の一つの末端部にあたるという説明があった。
そして、林道拡幅工事予定部分に地滑り集中地帯があり、地盤がゆるんでいるので、拡幅工事には莫大な費用がかかるだろうという予測を示した。当該地域では緑資源機構のボーリング調査が行われている。すべての情報を公開して互いに討議すべきである。
会は最後にアピールを採択して無事終了した。
会場となった広島平和記念資料館地下一階では、平成15年度第2回企画展として、「似島が伝える原爆被害-犠牲者たちの眠った島」が開催されている(2004年3月3日~7月11日)
行きは太田川放水路左岸から百メートル道路を会場まで歩いた。いくつかの木々には樹木名を書いた名札がつけてある。帰りも歩こうと思ったが雪風が吹き付けて寒い。西側の山は吹雪いて霞んでいる。あきらめて原爆ドーム前を通って電車道に向かう。ドーム内の補強柱を初めて見る。世界遺産登録の建物がいつまでも残っていてほしいと願う。