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2005年12月03日

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大規模農場~中尾山798m(途中から下る)~354.1m三角点尾根~中応寺集落
(出発帰着:JR可部駅―可部線)

2005年12月03日(土)、単独

このページの目次です

はじめに

2005年12月03日(土)、単独
中尾山798m(白木山系)途中まで
JR可部~高松橋(根谷川)~高松山登山口付近探索~大規模農場~599m~707m~送電鉄塔710m台~(往路下山予定、道迷い)~707m~354.1m三角点尾根~中応寺集落~JR可部、(出発帰着:JR可部-可部線)

「広島市の山を歩く(下巻)」中国新聞社2005年刊に、白木山系の一つ中尾山798m(巨大電波施設、中尾リレーステーションあり)を中心にまとめたページがある。その中で、可部側から取り付くコースもいくつか紹介されている。今まで白木山に可部側から登ることは考えたこともなかった。そこで今日はそれらの中から、モデルコースを一つ選んで登ってみた。(予定:高松橋~大規模農場~599m~707m~中尾山往復~675.4m三角点~安佐市民病院)

山頂部まで、同書のコースタイムよりも大幅に時間がかかった。そのため、中尾山手前の送電鉄塔で展望を楽しんだ後、そこから往路下山することにした。 登りで登山道が不明な箇所があり、それを確認しながら下りたかったためだ。

しかし、途中で尾根を間違えて、予定より北側の中応寺集落に下りてしまった。その結果、JR可部駅まで、高松山の北側から大きく回りこんで、かなりの距離を歩くはめになった。なお、下山口付近で手帳を落とした。したがって、コースタイムは写真のタイムスタンプで分かる範囲しか書き起こせていない。

後日注:次週(2005年12月10日)無事、予定ルートを登り下りできたので、以下についての細かい考察は、その時の山行記に含めて記することとする。

今日のコースタイム:
JR可部(15分)高松橋(20分)団地最終民家(12分)農場ゲート(12分)農場最上部T字路
 小計59分(別途、高松山探索ロス14分、林道探索ロス11分あり)
農場最上部T字路(18分)尾根に乗る(34分)分岐(24分)可部東分岐(31分)707m下三差路(3分)反射板分岐(4分)送電鉄塔
 小計1時間54分(巻き道ロス推定10分程度を含む)
送電鉄塔(15分)707m下三差路?(1時間10分)中応寺の最終民家付近
 小計1時間25分

登り、2時間53分(高松山14分、林道11分を除く)
下り、1時間25分(駅までは、さらに一般道路を55分歩く)
総合計、5時間38分(昼食38分以外の全てを含む)

JR可部8:24-高松橋8:41-高松山登山道入口8:45-石造鳥居8:48-車道8:56-道標9:01-最終民家(街区三角点)9:14-農場入口ゲート9:26-右手林道探索(蓄電池設備、高い塔あり9:28)-(大規模農場)-農場最上部T字路9:48-廃林道入口9:53-動物骨10:04-

尾根に乗る10:06-小岩10:31-展望10:35-(巻き道)推定10:40-
ウリハダカエデ純林10:47-可部東4丁目標識11:04-
可部東4丁目標識、中国電力標柱(NO.3,5,6)11:35-
反射板分岐、中国電力標柱11:38-送電鉄塔11:42、12:20-

中国電力標柱(NO.3,5,6)12:35-巻き道12:46-押手山~白木山展望-中応寺の最終民家付近13:45-(一般道)-JR可部14:40

JR可部駅から狭い路地を通り旧道に出る。右手を見ながら、根谷川の土手に上がれそうな小道を探しつつ進む。適当なところで土手に上がり、高松橋に至り橋を渡る。以前に登った高松山(2002年09月28日)登山道の取り付き部分を思い出したくて、可部高校グラウンドの横を川沿いに北へ移動する。

高松山登山口から墓場を通り抜けて少し登り、石造鳥居まで行く。ここで引き返し、山裾南側(左手)へ別の墓場を通って下り、高松橋から東に延びる車道に降り立つ。その車道に従って、そのまま東に向かう。

途中で小さな道標(石柱)があるが字は読めない。ここを右折かと思ったが違っていた。ここは左に行き、しばらくしてゴルフ場標識(高松峠)を左に分けて、さらに団地の中の急坂を直進する。車道を横切りなお進み、最終民家にぶつかって右折、舗装道路をジグザグに登る。やがてゲートがある。

ゲートの右手前横から延びるバラスト廃車道を少し奥まで探検する。入口の近くに高い塔(蓄電池設備)がある。これが、下の方から見えていた塔だろう。適当なところで切り上げて引き返す。

ゲートの横をすり抜けて上がり、大規模農場に至る。多くの人が働いているようだ。農場の中心を走る道路を上がる。送電線にぶつかる辺りで農場の最上部になる。右折して進むと、やがて、舗装道路は”林道崩れの草道”「広島市の山を歩く(下巻)」となり、尾根右側から2つジグって尾根に取り付く。

その少し手前で、動物の頭部の骨が林道上に転がっていた。みると角の付け根のような突起があった。シカの頭骨かもしれない。

尾根上では、所々で左手に押手山~白木山、振り返ると可部の町、あるいは南原ダム(ロックフィル式)を抱えた堂床山~可部冠山縦走路や備前坊山などをながめながら高度を稼いでいく。

そして、ゲートから2時間近くかかって反射板分岐に至る。ところが、「広島市の山を歩く(下巻)」P156をみると、この区間の合計タイムは1時間10分となっている。巻き道で多少苦労したとはいえ、そろほどのロスタイムはないはずなのだが、両者の差が大きすぎる。

また、同書に記載されているように、599mに「可部東4丁目分岐」があるとするならば、今日の登りで引き込まれた巻き道は599m手前にあった。これに対して、同書では”(「可部東4丁目」標識よりも上で)大規模間伐区域に入り前からある道が紛らわしくなった”としている。そう言われてみると、下りで入り込んだ巻き道は599mより上だったかもしれない。つまり、今日は599mと巻き道の位置関係がはっきりと確定できていない。

その他、下山時の道迷いも含めてリベンジは必死。その時、今日のコース及びコースタイムについて再検討してみたい。(2005年12月10日山行記参照)

送電鉄塔からの展望(概略):

行く手758mの右裾をみる。514m(八世以山手前)~小田山がある。その右手前に、鉾取山山系があり、坂山~鉾取山~原山(電波塔)をみる。小田山と鉾取山の谷間の向こうに、678.9m三角点~膳棚山。これらの一番手前に、長者山~藤ヶ丸山。

手前の木ノ宗山の向こうに、藤ヶ丸山~呉娑々宇山が大きい。藤ヶ丸山の左奥に洞所山(鉾取山系)があり、両者でできる谷間の向こうに、灰ヶ峰をみる。呉娑々宇山の右裾奥に絵下山の鉄塔をみる。その右の天狗城山、天狗岩も分かる。それらの後は、倉橋火山(倉橋島)、陀峯山(東能美島)、そして古鷹山(江田島)だ。

安芸小富士の三角錐が海に浮かぶ。その手前に、太田川左岸の二ツヶ城山、松笠山、そして牛田山が並ぶ。安芸小富士の後は西能美島だ。そのさらに後には周防大島(嘉納山など)があるはずだが霞んでいる。

牛田山の向こうの海側は、西能美島と宮島の間の阿多田島辺りまでしか見えない。その後の山口県の山々は霞の中だ。鉄塔右手から南西に延びる尾根(675.4m三角点)の左奥に、太田川右岸の山々、鈴ヶ峰~大茶臼山~火山~武田山縦走路をみる。

鈴ヶ峰の右奥に、経小屋山が霞んでいる。大茶臼山~武田山の後に、船倉山~大野権現山がある。武田山~火山の後が極楽寺山だ。極楽寺山のほんの少し右奥に野貝原山が覗く。

675.4m三角点と阿武山の間に、向山~窓ヶ山、羅漢山、そして大峯山(&西大峯)がある。いずれも本来特徴のある山々だが、向山、窓ヶ山が固まっており分かりにくい。

阿武山の北東尾根上にある534.3m三角点の後に、荒谷山、そのさらに左奥に、東郷山をみる。東郷山から右へ流れる尾根の向こうに、湯来冠山のライン、そして最奥に、吉和冠山までみえているようだ。吉和冠山の位置は、東郷山右の829.9m三角点(ここまで東郷山右肩が平にみえる)のほぼ真後である。

534.3m三角点(阿武山北東)と螺山の間、最奥に十方山をみる。十方山の左手前から、天上山のラインが、螺山の右奥にある水越山の方角に流れ落ちている。その手前には、久地冠山などの安佐北の山々が数多くある。

水越山の最奥に、恐羅漢山~砥石郷山をみる。水越山の右奥に、本串山~590m台~(牛頭山)が連なる。本串山の右最奥に、平坦な聖山、そして、 590m 台の右最奥に、深入山~1105mの草尾根が光っている。その右側は、登ってきた尾根の立ち木がじゃまになって見えない。

堂床山が尾根の向こうに隠れており、見えてくるのは、西冠山721m~可部冠山あたりからである。そしてそれらの後に、840m台~836.1m三角点~猿喰山が入る。猿喰山は、可部冠山の真後ろ左に大きく被さっている。

可部冠山の右奥に大掛山、そして、大掛山の右手前に、備前坊山が大きい。さらに右手は、押手山~白木山である。