AKIMASA.NET >> 中国地方の山100選 >> 宮島弥山・岩船岳(宮島を歩く)
宮島を歩く

厳島神社(ユネスコ世界文化遺産) : 海上に浮かぶ大鳥居(JR船上にて撮影、2011年11月12日朝)
宮島弥山「中国地方の山100選」(AKIMASA.NET)
弥山(みせん)529.8m、535m(広島県、廿日市市宮島町)
注:弥山の三角点529.8m、山頂の標高535m
岩船岳(いわふねだけ)466.6m(広島県、廿日市市宮島町)
駒ヶ林509m、前峠山423m、先峠山402m
御床山(みとこやま)364m
厳島の古戦場と原生林をたどる
「ひろしま百山」より
a:6314 t:1 y:4
http://hyakuzan.akimasa21.net/fwd3/miyajima
(本ページの短縮URLです)
山行ルート図・宮島(電子国土)
宮島弥山登山道
弥山めぐり(反時計回り):
弥山本堂・求聞持堂>、不消霊火堂-(右手上がる)-三鬼堂、文殊堂、観音堂、毘沙門堂-<弥山>山頂-(西に下る)-干満岩、大日堂-(弥山めぐり分岐、左へ)-<求聞持堂>
岩船岳登山道
注: 弥山~岩船岳縦走路上の岩船岳分岐とは、大元公園方面への分岐(大元公園分岐)のことであり、さらに青海苔浦乗越と表記される場合もある。二万五千分1地形図をみると、 確かにここから青海苔浦(途中に陶晴賢碑あり)に下る道があるとなっている。しかし、ここは地形図が間違っている。青海苔浦分岐の位置はここではなくて、岩船岳縦走路をもう少し351mピーク寄りにいった地点にある(本文参照)。
宮島海岸めぐり
〈大聖院コース〉公式ルート
宮島桟橋前広場から、右手の海岸沿い(御笠の浜)を南下する。朱の大鳥居を見てなおも行くと、厳島神社入口である。神社に入らずそのまま道沿いに行く。宮島ロープウェイ方面を左に分けて、神社裏手に回り込む。しばらくして滝町通りに入り、正面の大聖院へ向かう。
大聖院の左横から白糸川右岸に入ると、手摺付きの新しい遊歩道(2008年10月1日開通)が川沿いに上がっている。河床は、水の勢いを弱めるため階段状に作ってある。そして、崩落した自然石などがうまく配置してある。
また、コンクリート製の護岸や堰堤(2つある)の表面にも、同様に崩落した自然石などが使われている。全体的に和風庭園の趣があり、渓流の景観に配慮した作りになっていることがよくわかる。
白糸川右岸沿いの遊歩道を上がり、2号堰堤(標高50m前後)を過ぎて、左岸に渡る(標高70m前後)と白糸の滝分岐がある。白糸の滝見学地点まで往復2分程度の距離である。
そこから、左岸尾根上をジグで登って行く。ここはほとんど元の道のままのようである。やがて大崩落地帯が近づき、その下には1号堰堤(標高350m前後)がある。
右岸に渡り、左岸に渡り返すと、右下に元の道が下っているようである。しばらく登ると、仁王門跡の横(十字路)に着く。左折して弥山に向かう。大日堂へのきつい石段を登り山頂に 達する。
〈紅葉谷西尾根コース〉非公式ルート
弥山直登コースであり、四宮(しのみや)コースとも言われている。その名のとおり、取り付き口は、紅葉谷の四宮神社近くにある。赤ペンキ事件の現場(2008年7月)として種々議論の対象となっているコースでもある。
赤ペンキを塗布するという行為そのものについて、関係機関の判断としては、「塗料は「道しるべのための可能性が高く、悪質ではない」と判断し、告発しない方針を確認」(中国新聞記事(2008年10月9日付け))したという。注:関係当局=県と市の教育委員会、農林、観光などの関係部署と環境省の17人。
道しるべとして、認めるべきかどうか、当Web作者の考えは異なっている。
四宮コースの赤ペンキは、
ただの落書きにすぎない!
りっぱな犯罪行為である!
結論からいうと、このコースに道標は全く必要ないといえる。せまい尾根であり、しかも昔から踏まれたりっぱな道がついている。ごく一部分で、多少迷いの生じる箇所があるものの、尾根付近をはずさずに行動すれば何の問題も生じない。
したがって、この登山道上の赤ペンキに、意味のあるものは一つもないと断言できる。これはただの落書きにすぎず、道しるべとしてしては認められない。完全な犯罪行為と考えるべきである。
ところで、中国新聞記事(2008年7月26日付け)によれば、「「四宮ルート」は県が整備する「公式」ルートではなく、廿日市市教委などは「極力立ち入らないでほしい」との立場だ」としている。 そして、「 (市教委は)「手つかずの自然を後世に残すためにも公式ルートを使ってほしい」と訴えている」という。
また、「非公式のコースが登山ガイドや民間パンフレットに掲載されている状況を踏まえ、増刷や再版時に削除してもらうよう出版社などに要請していく」方針も示されたようである(同2008年10月9日付け記事)。そうした中で、「「(市教委は)国や県とも連携し、宮島の法規制が意味するものの周知を強めたい」と強調している」(同上新聞記事)。
世界文化遺産の島「宮島」は、文化財保護法や自然公園法など各種法律で規制 されることによって保護されているという事実は重要である。登山に関しても何らかの規制が必要な場面がでてくることは当然であろう。
しかし、公式ルート、非公式ルートなどという言葉を聞いたことは今まで一度もない。
関係当局が説明責任をはたすことこそ問題解決の第一歩となるであろう。
参考文献:
廿日市市宮島町「厳島(宮島)」は、ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」のある島である。社殿を中心とする厳島神社とともに、前面の海および背後の弥山原始林を含む区域 (厳島全島の約14%)が世界文化遺産に登録されている。そして、その区域を除く厳島全島がバッファーゾーン(緩衝地帯)とされている。(「細見谷渓畔林と十方山林道」P.34)
広島で弥山(みせん)といえば、もちろん宮島(厳島)の最高峰のことである。弥山という名前は、山の形容が中国の須弥山に似ていることから付けられたという。また、弥山は御山とも書く。厳島大明神のおわす山という意味である。全国各地にある弥山にはそれぞれどの様な由来があるのだろうか。 なお今年2006年は、空海による弥山開創千二百年目の記念の年に当たっている。
宮島は厳島神社を中心とする神の島で原生林が多く残っている。弥山への登山道は数多くあり、登山道毎にそれぞれ異なった趣きの山行を楽しむことが出来る。そして、戦国の武将毛利元就が陶晴賢(すえ はるかた)に奇襲をかけて破った厳島合戦の舞台は歴史的にも飽きることがない。
”弥山山頂の巨石群は山岳宗教の道場としてふさわしく、弘法大師の修法の場と伝えられている。”「宮島の自然」宮島町教育委員会(1994年)。”(そうした)頂上岩の中で、最も大きいのは高さ五メートル。「磐座(いわくら)石」と呼ばれる。第二次大戦中は旧日本軍が海防の拠点として監視所を設け、戦後は展望台にもなった。一九五五年、すべてが取り払われ、神が鎮座するとあがめられてきた以前の姿を取り戻した。”中国新聞2005年12月25日付
弥山山頂の三角点は、明治25年に設置された(宮島弥山529.8m-御山二等三角点)。”点の記”をみると、三角点所在地は"御山都市公園地頂上石"となっており、三角点周囲の状況として"岩(高さ5m)"の記述がある。山頂の大岩をどう取り扱うか(山頂とすべきかどうか)の議論は当時からあったのかもしれない。
これに対して、2005年10月に国土地理院が巨石を山頂と認めたため、二万五千分1地形図では、(宮島弥山標高)535mとして三角点529.8mと併記されている。(確認:地形図閲覧サービス(試験公開)ウォッちず)
宮島は呉軍港の要塞の役目を負っていた。日露戦争前に仮想敵国ロシアに対して、室浜砲台(跡)と鷹ノ巣砲台(跡)の二つの砲台が築かれ、それぞれ宮島の西と東の海峡を睨んでいた。宮島桟橋から左右に延びる海岸沿いの舗装道路は、この二つの砲台を結ぶ目的で作られたのだ。
太平洋戦争に際しては、高射砲陣地も作られた。場所は島の南端、岩船岳~御床山(364m)を通り越して、さらに下った230m峰付近である。この砲台(跡)のことは宮島町(現廿日市市宮島町)当局でも把握しておらず、現在ではほとんどその存在は知られていない。
中国新聞記事(2011年01月12日、水)
残影、太平洋戦争70年
第一部 沈黙する痕跡(1)
この砲台(跡)は、実際には「厳島聴測照射所」だということが判明したという。
さて私は、岩船岳から何度かこの砲台跡に迫り、2005年03月19日(土)ついに砲台跡まで達した。また、同年8月27日には、宮島自然植物実験所の関係者が海側からこの砲台に達している。(宮島自然植物実験所での出来事トピックス:2005年8月27日、宮島・御床山南西に砲台確認)
http://www.digital-museum.hiroshima-u.ac.jp/~miyajima/61topkusu/170827houdai/newpage1.htm
さらに、藤下憲明さんから、2006年03月11日(土)現地探訪に成功した旨メールをいただいた。その成果は、ご自身のホームページに詳しく記されている(いにしえのロマンの郷はつかいち/みやじま地区点描/御床山南西高角砲台陣地跡)
なお、宮島が呉軍港の要塞地であったことを示す海軍省標石(近代戦争制限区域標石)が、紅葉谷コース~岩船岳縦走路に点々と残されている。
参考:陸海軍省標石2001年10月20日
近代戦争制限区域標石について(上)(下)藤下憲明
広島県文化財ニュース168号、170号(2001年3月、8月)
広島県文化財協会
宮島を歩き回っていると、登山道以外に踏み跡を見つけることがよくある。それがショートカット道だと、ついつい踏み込んでみたくなるものだ。しかし、登山道以外はできる限り歩かないようにしたいものである。
宮島は全山ほとんど人の手が入っていない自然林で覆われている。ヒトがむやみに歩き回れば、踏み固められた新たな道ができて、生態系が乱される危険性が高まる。例えば、ロープウェイ駅終点から紅葉谷分岐を過ぎて、弥山山頂に向う途中にもショートカット道があり、その近くは「〇〇など貴重な宮島の植物の多い場所」だという。QJYさん:http://qjy2.hp.infoseek.co.jp/2004-nozomi/0104/misen2.htm
結論からいうと、この尾根(四宮コース)に道標は全く必要ないといえる。せまい尾根であり、しかも昔から踏まれたりっぱな道がついている。ごく一部分で、多少迷いの生じる箇所があるものの、尾根付近をはずさずに行動すれば何の問題も生じない。
したがって、最近付けられたという登山道上の赤ペンキに、意味のあるものは一つもないと断言できる。これはただの落書きにすぎず、道しるべとしてしては認められない。完全な犯罪行為と考えるべきである。
四宮コースの上下取り付き地点に道標がいるかといえば、その必要もないと考える。わかる人が歩きたい時自分の責任で歩けばよいだけではないだろうか。もちろん、他人様の土地を無断で通らせていただくのである。何時でも何処でもただただ感謝あるのみである。
ただし、このコースは「非公式」ルートだから、「手つかずの自然を後世に残すために、極力立ち入らないでほしい」、などと言われると少し困ってしまう。
世界文化遺産の島「宮島」は、いたるところが文化財保護法や自然公園法など各種法律で規制されている。登山に関しても何らかの規制が必要な場面がでてくることは当然であろう。しかし、公式ルート、非公式ルートなどという言葉を聞いたことは今まで一度もない。
廿日市市では、宮島で入島税(法定外目的税)の導入を検討しているという。旧・宮島町(佐伯郡)は、「宮島の自然や文化財を保護するため」、その財政規模ではとてもまかないきれない程の負担にあえいできた。そして、合併後の廿日市市にもそれほど余裕があるわけではない。
とはいうものの、観光客にも応分の負担を求めることには、各方面から一定の理解を得る必要があるだろう。登山者も含めた観光客が納得できるやり方について、透明性のある議論を展開してほしいと切に望むものである。
宮島登山道赤ペンキ事件についても、「事実関係をしっかりとつかんだ上で、各方面の忌憚のない意見をぶつけ合うこと」が必要と考える。もちろん、登山道における公式ルートあるいは非公式ルートの違いはどこにあるのか、さらに入島税導入の是非も含めて議論されるべきである。
参考文献:
2008年7月26日付け中国新聞記事によれば、「「四宮ルート」は県が整備する「公式」ルートではなく、廿日市市教委などは「極力立ち入らないでほしい」との立場だ」としている。同記事によれば、「 (市教委は)「手つかずの自然を後世に残すためにも公式ルートを使ってほしい」と訴えている」という。
廿日市市宮島町「厳島(宮島)」は、ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」のある島である。社殿を中心とする厳島神社とともに、前面の海および背後の弥山原始林を含む区域 (厳島全島の約14%)が世界文化遺産に登録されている。そして、その区域を除く厳島全島がバッファーゾーン(緩衝地帯)とされている。(「細見谷渓畔林と十方山林道」P.34)
大学1年の時(1966年)、宮島で開かれた中四国のワンダーフォーゲル大会に参加した。宮島だから主催は広島大学であろう。その時のテント場は可部島を望む浜辺であったような気がする。行きのことは全く記憶にないのだが、帰りは峠を越えて弥山に登り大元公園に下りたように思う。
浜辺までの往復にはどの道を通ったのであろうか。2万5千分1地形図によれば、宮島桟橋から海岸沿いに御床浦に至る道があり、それからさらにちょっと山越えしてその浜辺に至るとなっている。そしてそこから御床山-岩船岳の稜線上に登り返すことができるらしい。
また、うわさに聞く大潮の干潮の時に通ることが出来る海岸線の道とはどこのことを言うのであろうか。
・御床山の先で十数年前に山火事があった
・焼け跡の植林ボランティアが2000年か2001年頃に行われた
・植林部隊は大野から船で渡ったらしい(主催者は確認できず)
・ある山岳会による西海岸のルート整備計画は許可されなかったらしい
・砲台跡がありその位置は230mピークのわずかに右下(北東方向から見て)
2002/06/02記
昨日羅漢山山頂で男3人組の人といっしょになり、宮島はいいですね、という話になった。岩船岳に行ってみたいけどまだだという。やはり遠いというイメージがあるようだ(実際、宮島だからといってバカにはできないと思う)。縦走路稜線までをいかに体力を使わずに行くかを第一のポイントとして少しばかりの経験を話させていただいた。年の頃はほぼ同じ位に見えたので、多々良林道を奥の院近くまでタクシーで行くという奥の手(まだ試したことはないが)までは話さなかった。
AKIMASA.NET
http://www.akimasa21.net/
- 21世紀は環境の世紀 -
powered by Quick Homepage Maker 4.85
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM