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宮島弥山

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宮島弥山・岩船岳 トップページ

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2010/08/12(最新山行記:2010/08/01)
2010/08/12(最新写真版:2009/03/28)

はじめに

弥山(みせん)529.8m、535m(広島県、廿日市市宮島町)
注:弥山の三角点529.8m、山頂の標高は535m
岩船岳(いわふねだけ)466.6m(広島県、廿日市市宮島町)
駒ヶ林509m、前峠山423m、先峠山402m
御床山(みとこやま)364m

厳島の古戦場と原生林をたどる
「ひろしま百山」より

リンク集

私の踏み跡

最も新しい山行記

33)2010年10月16日(土)
包ヶ浦(毛利元就上陸之跡)~紅葉谷方面遊歩道~かや谷コース~弥山~駒ヶ林~駒ヶ林尾根

32)2010年08月01日(日)
かや谷コース(博打尾~かや谷駅)~弥山~大聖院コース

宮島登山道(主要山行記)

下記No.21~No.31の山行記において、宮島全島の登山コースについては、ほぼすべて網羅している。そこで、これらの山行記を過去の山行記もふまえてまとめ直してみるつもりである。

31)2009年05月23日(土)、EIKO
紅葉谷公園~紅葉谷コース~弥山~駒ヶ林~駒ヶ林尾根~多宝塔

30)2009年05月04日(月)、単独
大元公園~ひたすら海岸部を行く(多々良~宮島自然植物実験所~室浜砲台跡~大川浦~御床浦~長浦~あての木浦)~砲台跡(標高230m)~御床山岩船岳~岩船岳縦走路(大川越~351m~先峠)~多々良林道(岩船岳登山口~多々良)~海岸道路~大元公園

29)2009年04月29日(水)、単独
大元公園~ひたすら海岸部を行く(多々良~宮島自然植物実験所~室浜砲台跡~大川浦~御床浦~長浦~あての木浦)、往復(No27の復習)

28)2009年04月26日(日)、単独
紅葉谷~紅葉谷コース~弥山~大元公園コース~大元公園

27)2009年04月11日(土)、単独
大元公園~ひたすら海岸部を行く(多々良~宮島自然植物実験所室浜砲台跡~大川浦~御床浦~長浦~あての木浦)、往復

26)2009年03月28日(土)、単独
紅葉谷~かや谷コース(博打尾~かや谷駅)~弥山~仁王門跡手前分岐~御山神社~奥の院・仁王門跡コース~奥の院~多々良林道(奥の院~岩船岳登山口)~前峠~大元谷左岸コース~大元公園

25)2009年03月20日(金)、単独
大元公園~大元谷左岸コース~前峠~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~岩船岳縦走路途中まで(''陶晴賢碑''往復)~(引き返す)~先峠~502m奥の院~仁王門跡~駒ヶ林(往復)~大元公園コース~大元公園

24)2009年03月14日(土)、単独
大元公園~前峠山~前峠~岩船岳登山口(多々良林道)~岩船岳縦走路(先峠~351m~大川越)~岩船岳~大川越まで戻る~海岸部(大川浦~室浜砲台跡など)~宮島自然植物実験所~海岸道路(多々良まで)

23)2009年03月07日(土)、単独
大元公園~大元谷左岸コース~前峠~岩船岳登山口(多々良林道)~岩船岳縦走路途中まで(先峠~351m~大川越手前の八畳岩)~(引き返す)~先峠(岩船岳縦走路)~多々良林道(岩船岳登山口~多々良)~海岸道路~大元公園

22)2008年10月04日(土)、単独
大聖院~大聖院コース~仁王門跡~弥山~(少し引き返す)~ 御山神社分岐~御山神社下~奥の院・仁王門跡コース~多々良林道終端部~奥の院多々良林道(奥の院~岩船岳登山口)~先峠(岩船岳縦走路)~502m~奥の院に戻る~多々良林道(奥の院~岩船岳登山口)~前峠~大元谷左岸コース~大元公園

21)2008年08月03日(日)、単独
弥山直登尾根、往復

宮島登山道、その他

33)2010年10月16日(土)
包ヶ浦(毛利元就上陸之跡)~紅葉谷方面遊歩道~かや谷コース~弥山~駒ヶ林~駒ヶ林尾根
32)2010年08月01日(日)
かや谷コース(博打尾~かや谷駅)~弥山~大聖院コース
20)2007年11月18日(日)、Si、Tuさん
かや谷コース~弥山~駒ヶ林~多宝塔コース
19)2006年05月07日(日)、単独
瀬戸内海国立公園宮島地区パークボランティアの会
公募観察会(植物と歴史)
18)2006年02月04日(土)、単独
県立広島大学開学記念リレーシンポジウム
「大学と地域文化」
17)2006年01月08日(日)、単独
多宝塔コース~駒ヶ林~弥山~かや谷コース
16)2005年04月24日(日)、単独
宮島の植物観察会(パークボランティアの会)
宮島桟橋~博打尾尾根~包ヶ浦自然歩道~包ヶ浦公園~宮島桟橋
15)2005年04月09日(土)、EIKO
紅葉谷コース~弥山~大元公園コース
14)2005年03月19日(土)、単独
岩船岳~御床山~砲台跡到達
大元公園から登り、大川越から下山、海岸を宮島桟橋まで
13)2004年11月21日(日)、単独
多宝塔コース~駒ヶ林~弥山~四宮コース
12)2004年03月13日(土)、単独
岩船岳~御床山、砲台跡手前
行き帰りとも、多々良林道経由
11)2003年12月06日(土)、単独
宮島「悠久の森」クスノキ手入れ作業
厳島学講座(第5回)世界遺産と厳島神社
10)2003年06月07日(土)、単独
多々良林道から岩船岳を目指すが雨天敗退
陶晴賢碑に廻り東海岸を経て毛利元就碑に至る
09)2003年04月27日(日)、単独
かや谷コース~弥山~駒ヶ林~大元公園コース
08)2002年08月13日(火)、単独
広島大学植物実験所、室浜砲台跡往復
07)2002年04月06日(土)、単独
岩船岳~御床山の向こうまで(2週連続)
行き帰りとも多々良林道経由、帰りに海岸通りで植物観察
06)2002年03月30日(土)、単独
岩船岳~御床山の向こうまで
行きは多々良林道経由、帰りは大元公園へ
05)2002年03月02日(土)、単独
岩船岳~御床山まで
行きは多々良林道経由、帰りは御床浦に下山して海岸沿いを行く
04)2001年10月20日(土)、単独
岩船岳東峰(三角点手前の大岩)まで
行きは多々良林道経由、帰りは奥の院~弥山~かや谷コース
03)2001年05月26日(土)、EIKO
かや谷コース~弥山~大聖院コース
02)2001年02月25日(日)、単独
かや谷コース~弥山~奥の院~岩船岳途中~大元公園
01)2000年秋、EIKO、KEN(リンク先なし)
宮島(包ヶ浦自然遊歩道):
宮島桟橋~(海岸道路)~包ヶ浦~(包ヶ浦自然遊歩道)~かや谷コース分岐~博打尾~紅葉谷公園~厳島神社~宮島桟橋
(出発帰着、宮島桟橋)

弥山とは

広島で弥山(みせん)といえば、もちろん宮島(厳島)の最高峰のことである。弥山という名前は、山の形容が中国の須弥山に似ていることから付けられたという。また、弥山は御山とも書く。厳島大明神のおわす山という意味である。全国各地にある弥山にはそれぞれどの様な由来があるのだろうか。 なお今年2006年は、空海による弥山開創千二百年目の記念の年に当たっている。

宮島は厳島神社を中心とする神の島で原生林が多く残っている。弥山への登山道は数多くあり、登山道毎にそれぞれ異なった趣きの山行を楽しむことが出来る。そして、戦国の武将毛利元就が陶晴賢(すえ はるかた)に奇襲をかけて破った厳島合戦の舞台は歴史的にも飽きることがない。

弥山の山頂はどこだ

”弥山山頂の巨石群は山岳宗教の道場としてふさわしく、弘法大師の修法の場と伝えられている。”「宮島の自然」宮島町教育委員会(1994年)。”(そうした)頂上岩の中で、最も大きいのは高さ五メートル。「磐座(いわくら)石」と呼ばれる。第二次大戦中は旧日本軍が海防の拠点として監視所を設け、戦後は展望台にもなった。一九五五年、すべてが取り払われ、神が鎮座するとあがめられてきた以前の姿を取り戻した。”中国新聞2005年12月25日付

弥山山頂の三角点は、明治25年に設置された(宮島弥山529.8m-御山二等三角点)。”点の記”をみると、三角点所在地は"御山都市公園地頂上石"となっており、三角点周囲の状況として"岩(高さ5m)"の記述がある。山頂の大岩をどう取り扱うか(山頂とすべきかどうか)の議論は当時からあったのかもしれない。

これに対して、2005年10月に国土地理院が巨石を山頂と認めたため、二万五千分1地形図では、(宮島弥山標高)535mとして三角点529.8mと併記されている。(確認:地形図閲覧サービス(試験公開)ウォッちず)

宮島の砲台(跡)

宮島は呉軍港の要塞の役目を負っていた。日露戦争前に仮想敵国ロシアに対して、室浜砲台(跡)と鷹ノ巣砲台(跡)の二つの砲台が築かれ、それぞれ宮島の西と東の海峡を睨んでいた。宮島桟橋から左右に延びる海岸沿いの舗装道路は、この二つの砲台を結ぶ目的で作られたのだ。

太平洋戦争に際しては、高射砲陣地も作られた。場所は島の南端、岩船岳~御床山(364m)を通り越して、さらに下った230m峰付近である。この砲台(跡)のことは宮島町(現廿日市市宮島町)当局でも把握しておらず、現在ではほとんどその存在は知られていない。

中国新聞記事(2011年01月12日、水)
残影、太平洋戦争70年
第一部 沈黙する痕跡(1)
この砲台(跡)は、実際には「厳島聴測照射所」だということが判明したという。

さて私は、岩船岳から何度かこの砲台跡に迫り、2005年03月19日(土)ついに砲台跡まで達した。また、同年8月27日には、宮島自然植物実験所の関係者が海側からこの砲台に達している。(宮島自然植物実験所での出来事トピックス:2005年8月27日、宮島・御床山南西に砲台確認)
http://www.digital-museum.hiroshima-u.ac.jp/~miyajima/61topkusu/170827houdai/newpage1.htm

さらに、藤下憲明さんから、2006年03月11日(土)現地探訪に成功した旨メールをいただいた。その成果は、ご自身のホームページに詳しく記されている(いにしえのロマンの郷はつかいち/みやじま地区点描/御床山南西高角砲台陣地跡)

なお、宮島が呉軍港の要塞地であったことを示す海軍省標石(近代戦争制限区域標石)が、紅葉谷コース~岩船岳縦走路に点々と残されている。

参考:陸海軍省標石2001年10月20日
近代戦争制限区域標石について(上)(下)藤下憲明
広島県文化財ニュース168号、170号(2001年3月、8月)
広島県文化財協会

登山道以外を歩かないように

宮島を歩き回っていると、登山道以外に踏み跡を見つけることがよくある。それがショートカット道だと、ついつい踏み込んでみたくなるものだ。しかし、登山道以外はできる限り歩かないようにしたいものである。

宮島は全山ほとんど人の手が入っていない自然林で覆われている。ヒトがむやみに歩き回れば、踏み固められた新たな道ができて、生態系が乱される危険性が高まる。例えば、ロープウェイ駅終点から紅葉谷分岐を過ぎて、弥山山頂に向う途中にもショートカット道があり、その近くは「〇〇など貴重な宮島の植物の多い場所」だという。QJYさん:http://qjy2.hp.infoseek.co.jp/2004-nozomi/0104/misen2.htm

四宮コース赤ペンキ事件

結論からいうと、この尾根(四宮コース)に道標は全く必要ないといえる。せまい尾根であり、しかも昔から踏まれたりっぱな道がついている。ごく一部分で、多少迷いの生じる箇所があるものの、尾根付近をはずさずに行動すれば何の問題も生じない。

したがって、最近付けられたという登山道上の赤ペンキに、意味のあるものは一つもないと断言できる。これはただの落書きにすぎず、道しるべとしてしては認められない。完全な犯罪行為と考えるべきである。

四宮コースの上下取り付き地点に道標がいるかといえば、その必要もないと考える。わかる人が歩きたい時自分の責任で歩けばよいだけではないだろうか。もちろん、他人様の土地を無断で通らせていただくのである。何時でも何処でもただただ感謝あるのみである。

ただし、このコースは「非公式」ルートだから、「手つかずの自然を後世に残すために、極力立ち入らないでほしい」、などと言われると少し困ってしまう。

世界文化遺産の島「宮島」は、いたるところが文化財保護法や自然公園法など各種法律で規制されている。登山に関しても何らかの規制が必要な場面がでてくることは当然であろう。しかし、公式ルート、非公式ルートなどという言葉を聞いたことは今まで一度もない。

廿日市市では、宮島で入島税(法定外目的税)の導入を検討しているという。旧・宮島町(佐伯郡)は、「宮島の自然や文化財を保護するため」、その財政規模ではとてもまかないきれない程の負担にあえいできた。そして、合併後の廿日市市にもそれほど余裕があるわけではない。

とはいうものの、観光客にも応分の負担を求めることには、各方面から一定の理解を得る必要があるだろう。登山者も含めた観光客が納得できるやり方について、透明性のある議論を展開してほしいと切に望むものである。

宮島登山道赤ペンキ事件についても、「事実関係をしっかりとつかんだ上で、各方面の忌憚のない意見をぶつけ合うこと」が必要と考える。もちろん、登山道における公式ルートあるいは非公式ルートの違いはどこにあるのか、さらに入島税導入の是非も含めて議論されるべきである。

参考文献:
2008年7月26日付け中国新聞記事によれば、「「四宮ルート」は県が整備する「公式」ルートではなく、廿日市市教委などは「極力立ち入らないでほしい」との立場だ」としている。同記事によれば、「 (市教委は)「手つかずの自然を後世に残すためにも公式ルートを使ってほしい」と訴えている」という。

廿日市市宮島町「厳島(宮島)」は、ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」のある島である。社殿を中心とする厳島神社とともに、前面の海および背後の弥山原始林を含む区域 (厳島全島の約14%)が世界文化遺産に登録されている。そして、その区域を除く厳島全島がバッファーゾーン(緩衝地帯)とされている。(「細見谷渓畔林と十方山林道」P.34)

中四国ワンダーフォーゲル大会(1966年)

大学1年の時(1966年)、宮島で開かれた中四国のワンダーフォーゲル大会に参加した。宮島だから主催は広島大学であろう。その時のテント場は可部島を望む浜辺であったような気がする。行きのことは全く記憶にないのだが、帰りは峠を越えて弥山に登り大元公園に下りたように思う。

浜辺までの往復にはどの道を通ったのであろうか。2万5千分1地形図によれば、宮島桟橋から海岸沿いに御床浦に至る道があり、それからさらにちょっと山越えしてその浜辺に至るとなっている。そしてそこから御床山-岩船岳の稜線上に登り返すことができるらしい。

また、うわさに聞く大潮の干潮の時に通ることが出来る海岸線の道とはどこのことを言うのであろうか。

・御床山の先で十数年前に山火事があった
・焼け跡の植林ボランティアが2000年か2001年頃に行われた
・植林部隊は大野から船で渡ったらしい(主催者は確認できず)
・ある山岳会による西海岸のルート整備計画は許可されなかったらしい
・砲台跡がありその位置は230mピークのわずかに右下(北東方向から見て)

2002/06/02記
昨日羅漢山山頂で男3人組の人といっしょになり、宮島はいいですね、という話になった。岩船岳に行ってみたいけどまだだという。やはり遠いというイメージがあるようだ(実際、宮島だからといってバカにはできないと思う)。縦走路稜線までをいかに体力を使わずに行くかを第一のポイントとして少しばかりの経験を話させていただいた。年の頃はほぼ同じ位に見えたので、多々良林道を奥の院近くまでタクシーで行くという奥の手(まだ試したことはないが)までは話さなかった。

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