2010年09月26日

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JR白木山駅~〈白木山~押手山縦走〉敗退
(出発:JR白木山駅―芸備線、帰着:町屋記念碑前バス停~JR可部駅―可部線)

2010年09月26日(日)、単独

2010年9月~11月、再び懲りず〈白木山~押手山縦走〉~桧山集落に挑戦、今日(9月26日)は、5回シリーズの第1回目である。ただし、今日は押手山敗退、押手山手前鞍部から押手山林道まで下り高屋集落に至る。

白木山~押手山~桧山縦走(「ひろしま百山」pp.122-3)を、私は以前に何度か試みたことがある。しかしその時は、一度だけ押手山まで到達した(2005/03/26)ことはあるものの、そこから桧山まできちんと下ることはできなかった。

この度久しぶりに(2005年12月以来)白木山を歩いてみたくなった。そして、またしても白木山~押手山から桧山縦走を試みた。

しかし、途中で時間的・精神的にゆとりがなくなり、押手山~桧山をあきらめた。そして、押手山手前鞍部から、地形図黒破線に従って押手山林道(地形図黒実線の最上部)に下り、高屋集落を経て国道54号線に出た。

なお、白木山山頂からの超展望記は必見。

またしても、白木山~押手山~桧山縦走を試みる。
押手山手前鞍部付近のルート確認に多少手間取る。
以前通ったルートだというのに意外と覚えていないものである。
ちょっと悔しい。
神経が疲れたのと出発が遅く時間が押してきたので、
押手山~桧山をあきらめて、押手山手前鞍部から押手山林道へ下る。
鞍部から林道まで、倒木など多少の障害はあるものの無事下山する。
高屋集落から国道54号線まで、左に振りすぎて遠くのバス停にたどり着く。
なお、前日はほぼ快晴だったが、体調が少し悪く外出無し。

参考資料:

  • 田部戒自著「広島市の山を歩く(下巻)」(2005年11月発行)
    地図p.44(概要p.140)
  • 広島県山岳連盟監修「ひろしま百山」中国新聞社(1998年10月発行)
    白木山p.122
  • 山歩きと山野草のページ(守田さんWeb)
    押手山~桧山ルートについて実地にくわしく検討している

このページの目次です

今日のコース&コースタイム

JR白木山駅9:50-登山口9:57、9:58-一合目(経尾山)10:05-経納ヶ段10:09-二合目(馬ノ背)10:14-穴地蔵10:17、10:20-展望10:26-展望10:31-三合目(獅子ノ門)10:38-釈迦ノ段10:43、10:47-四合目(勢至観音、別当松)10:54-五合目(天主の段)10:59、11:03-六合目(桜ノ馬場)11:11-右分岐あり11:16-水場11:27、11:31-九合目11:42-白木山11:54、12:44-分岐ケルン12:57-743m13:17(探索)13:23-右分岐点(標高700mくらい)13:29、13:30-押手山下鞍部十字路13:39、13:47-押手山林道14:20、14:30-車止め14:38-高屋集落14:50-バス停町屋記念碑前15:36

  • JR白木山駅(7分)登山口(28分)最初の展望地(33分)五合目(24分)水場(23分)白木山
     小計2時間04分(登山口1分、五合目4分、水場4分を加える)
  • 白木山(13分)ケルン分岐(20分)743m(6分)右分岐点(9分)鞍部十字路
     小計55分(743m探索6分、右分岐点1分を加える)
  • 鞍部十字路(33分)押手山林道(20分)高屋集落(46分)国道54号線
     小計1時間49分(林道合流点10分を加える)
  • 総合計4時間56分
     (鞍部十字路8分を加える、白木山50分は除く)

久しぶりの白木山

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〈写真左〉
今日の出発点は、JR白木山駅(芸備線)である。白木山駅のホームで、今下車したばかりのジーゼル車(広島駅始発)を写す。標高は60m台である。

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〈写真右〉
ホーム北側(三次駅方面)の踏切を渡り、田んぼの中の一本道を北西向きに行く。その道路脇には多くの乗用車が止まっている。今時、電車で来るヒトはごく少数派らしい。

道路はすぐ山にぶつかり、左から巻いて尾根に乗る。途中で、彼岸花咲く民家横を登る。彼岸花は、その名のとおり例年であれば彼岸ぴったりに咲く花である。しかし今年は、極暑のせいで少し花が遅いという。

登山口の標高は100m前後である。そして登山口には、安佐北区役所区政振興課・農林課発の次のような「お知らせ」が貼ってあった。
「平成22年9月7日(火)午後1時頃、下栗原集会所付近の山道から山中に入るツキノワグマ1頭を、付近の住民が目撃したとの情報がありました。以下略」

この登山口は、いきなりの急階段から始まる。続いて、石ころだらけの急坂、粘土質の登山道を行く。さらに、登山道の中ほどが掘れた道を行く。土塁の上を行く。急坂とゆったりした部分を繰り返しながら直登する。

登山道は、両側から樹木に覆われており気持ちがよい。多少のブレはあるものの、ほぼほぼ二万五千分1地形図(国土地理院)黒破線のとおりである。

白木山の標高差は、約800mある。そしてそこは、トレーニングの場でもある。一年に365回以上こなす人もいるという。ほとんど毎日登って、しかも一日二往復(あるいは三往復もあるのか)するという意味である。

さて私は、以前に登った時のペースがどの程度だったか検討がつかない。ゆっくり登る。そうこうしているうちに、上から下りてきたはずの人に、こんどは後ろから追い抜かれる。ほんとうに一日二往復する人がいることを初めて知る。

穴地蔵の少し上で、登山道上を右手から左手に横切る小ザルを見る。あたりがざわついている。サルの集団が移動しているのかもしれない。

それはともかく、何とか白木山山頂まではいあがる。途中の営門ノ段(七合目)、風ノ穴(八合目)を見ていない。七合目は水場のはず、見落としたか、八合目は見過ごしたのだろう。

白木山山頂の道標:
今登ってきた方向、白木山駅3.7KM
左、上深川駅7.3KM
右、白木町、市川桧山方面

押手山に向かう

白木山山頂でしばし展望を楽しんだ後、押手山に向かう。踏み跡は、ほぼ二万五千分1地形図(国土地理院)の黒破線のとおりに付いている。

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〈写真右〉
白木山山頂から北向きに行く

白木山山頂から北向きに行くと、すぐ右手前方にやや下る幅広の道(桧山に下る林道に至る、地形図黒破線)がある。思わずそちらへ足が行きそうになる(2001/03/03山行記参照)。そこを踏みとどまり、左手正面に細い踏み跡を追って尾根を行く。

ここの分岐点の位置は、地形図でみるよりも白木山山頂近くにあると思われる。そして、分岐点付近では、二つのルートは並行気味になっている。

尾根筋を行くと、やがて尾根がやや左に振れる。そのまま尾根を追って行くと、かなり急下る。ここには確か、尾根の左手から少し巻き気味に行く踏み跡があったはずである。そちらの方が勾配が小さくて楽である。

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〈写真左〉
しばらく行くとケルンがある

しばらく行くとケルン(標高810m前後)があり、そこを右手にさらに超急下る。そして743mまで、せまい尾根を追って行く。

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〈写真右〉
743mに登ると、尾根が二分している。

743mの右(北東向き)を見ると、尾根が少し登っており、テープがひらひらしている。登山道は743mピークよりも南~西側にあるのかもしれない。
それはともかくとして、そこで惑わされず左(西向き)に尾根上を下る。ほんのしばらくして、右向き(北西向き)に下り、そのまま尾根を追って行く。

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〈写真左〉
やがて、700m台で北向きに延びる尾根に乗るため右折する

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〈写真右〉
しばらくすると、押手山手前の鞍部(標高610m台)に達する。

そのまま前方(北向き)を行けば、押手山(標高706.8m)である。左右に踏み跡が下っており、それぞれ、桧山(右、東向き)と高屋(左、西向き)に下りることができる。ただし、桧山へ下ると思われる道は、鞍部からのぞきこむと、明らかに荒れている。通行困難かもしれない。

白木山から押手山手前の鞍部までは、要所要所に標識があるので、地形図と突き合わせて行けば迷うことはない。しかしこの際、赤テープや標識は必要最小限度(測量用など)に留めて、きれいさっぱりなくしてしまってはどうだろうか。

「ひろしま百山」(1998年)P.122では、「白木山山頂から(押手山を経て桧山集落まで)全く視界は開けていないので、ルートを探すトレーニングには面白いコース」として、ルートファインディングのすすめを説いている。

Web追記(2010/11/03):
押手山~桧山集落では登山道は完全に消失している。いたずらにこの辺りの山中を歩きまわるべきではないと考える。

押手山手前鞍部から押手山林道を経て高屋集落まで下る

今日は、標識ありのコースでルートファインディングに疲れてしまった。以前このコースを歩いた時のことを全く覚えていないのである。その都度右へ行ったり左へ行ったりして、確認しながら進んでいった。それで疲れてしまった。

鞍部から押手山に向かうことなく、左手(西向き)斜面を、まずは押手山林道まで下る。ここも二万五千分1地形図(国土地理院)の黒破線を参考にして下った。

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〈写真左〉
かつての台風の影響や伐採によって、やや不鮮明な箇所もあるが、踏み跡に沿って下れば間違いはない。ただし、地形図と多少ずれる箇所もある。

標高330m付近で、鞍部下山道(地形図黒破線)は、押手山林道(地形図黒実線)と合流する。そしてそこには、林道を横切る小さな沢があり、その上に鉄板が敷いてある。

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〈写真右〉
写真は、鞍部下山道から押手山林道を見たところ。押手山林道は、この辺りで鋭角にカーブしている。画面正面は、高屋集落へ下る方向(地形図黒実線)、そして右手は、押手山西斜面から北側に向けて、さらに奥へ延びている(ただし、地形図記載なし)。

押手山林道の終端部付近は、押手山~桧山の中間点にあたり、かつてそこに「崩れかかった営林署の小屋」(「ひろしま百山」P.122)があったと思われる場所である。

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〈写真左〉
押手山林道を北西向きに下って、高屋集落に至る

高屋集落では稲刈りが行なわれている。さらに国道54号線まで歩く。左に振りすぎて遠くのバス停にたどり着く。

さて、こんどこそ押手山~桧山走破を!!

赤テープ考(道標や木札のことなど)

趣深山(shumiyama)/赤テープ考
横山厚夫「低山を歩く」山と溪谷社(1995年)

今日の展望記

白木山山頂からの展望は多少霞むものの、芸北の山々まで見通せている。そして、瀬戸内の島々が広島・呉から尾道までうっすらとながら見えている。今回は、超マニアックにそれらの展望記をまとめてみようと思う。

なお、下記で10度の角度とは、ピースをした人差し指と中高指を前方にのばした時できる角度に相当する。さらに、人差し指の幅が、約2度と考えてよいだろう。

山頂の南側(海側)、つまり上深川方面下山道の方角に鉄塔などあり、展望が多少さえぎられる。その右手奥に、下山道途中にある798m(中尾山)の電波施設をみる。さらにその右奥から、758m(電波塔あり)~675.4mの小尾根が西に張り出す。この小尾根を南北に越える送電鉄塔が幾本か配置されており、白木山山頂からは、北側山腹を斜めに走る送電線(送電鉄塔)がよく見える。

送電線(送電鉄塔)の向こうに、阿武山586.4m(真北からの方位248.8度)~534.3mが大きい。

中尾山798m(真北からの方位224.0度)の左奥に、宮島(厳島)をみる。弥山の位置がはっきりしない(見えているのかどうか)。後日注:宮島のほぼ全島を見通せる。つまり、弥山をはっきりと見ることができる。

758m(電波塔あり)の小尾根の向こうに、鈴ヶ峰~鬼ヶ城山~柚木城山~大茶臼山~丸山~火山~武田山縦走路をみる。758mの左奥に、鈴ヶ峰~鬼ヶ城山~柚木城山、同じく右奥に、大茶臼山~丸山~火山~武田山が入る。なお、武田山は、丸山~火山の稜線の懐に入る形となり、分かりづらい。

武田山~火山間の奥に、極楽寺山~野貝原山。その左奥に、船倉山(大茶臼山のわずかに左奥)~大野権現山(丸山~武田山の間)が入る。とはいっても、船倉山そのものがはっきりと分かるわけではない。経小屋山~傘山、三倉岳~上勝成山ははっきりしない。

阿武山の左奥に、窓ヶ山。その稜線の右奥に、大峯山があり、西大峯のこぶもはっきりと分かる。窓ヶ山と大峯山の間、一番奥に羅漢山をみる。阿武山の真後ろである。

阿武山北東のピーク534.3mの右奥に向けて、少しづつずれながら、荒谷山東郷山が折り重なる。
荒谷山の左懐に野登呂山があり、後山権現山445.5mまで右(北向きに)に山並が連なっているようにみえる。それらの後ろにちらっと見えるのは、あさひが丘団地(荒谷山の北東)である。

あさひが団地の後ろ、東郷山北東のピーク829.9mの最奥に、吉和冠山の稜線がなだらかに広がる。その最高峰が吉和冠山(真北からの方位262.9度、829.9mの右奥)である。

なお、阿武山の北側山裾に沿って、太田川が流れているのがみえる。吉和冠山はみえている太田川の最奥になる。

ところで、吉和冠山の冠ははっきりとは分からない。それらの右端に、冠のように見えるのは、広高山である。
そして、東郷山の左奥には、板敷山。

阿武山の北側山裾を流れる太田川のこちら側には、可部の街があり、国道191号沿いに北西に延びている箇所がみえる。

市街地の向こう側には、太田川左岸の山々、螺山(後山権現山の右手前)、水越山(~490m~430m)、本串山などが折り重なりながら、右上奥へと連なっている。(水越山近くの430mは、本串山の左懐に入る)

可部市街地の東側(こちら側)には、高松山がある。高松山の北側(向かって右手)には、桐原川沿いの集落が東から西へ広がっている。そして、その向こうには、国道54号線沿いの集落が、南西から北東へ連なっているのをみる。

高松山のこれら北側集落の向こうに、福王寺山が大きい。
福王寺山の後ろに、本串山(水越山の右奥)~590m(ここまで福王寺山左奥)~牛頭山(福王寺山右奥)がある。そして、牛頭山の右奥は、滝山。これらいずれも太田川左岸沿いの山々である。

高松山、水越山のほんのわずか右、最奥に十方山(真北からの方位276.5度)をみる。そこから右へ、奥三つ倉~前三つ倉~丸子頭~彦八の頭~(内黒峠)~内黒山縦走路がある。内黒峠の位置は、本串山~590m中間点の奥になる。

そして、それらのさらに奥に、旧羅漢山~恐羅漢山(真北からの方位281.5度)~砥石川山がある。恐羅漢山の位置は、本串山のほんのわずかに右奥になる。砥石川山の位置は、福王寺の約1度左奥になる。590m(本串山の右)よりもほんのわずかに左奥である。

牛頭山の最奥に、聖山~高岳がある。聖山の位置は、福王寺山と牛頭山の中間点の最奥である。そして、高岳の位置は、牛頭山と滝山の中間点の最奥である。ただし、両者ともに同定はなかなかむつかしい。

聖山~高岳の右に、深入山の双耳峰が盛り上がっており、こちらは分かりやすい。その位置は、滝山のほんのわずかに右奥である。

福王寺山の北に、堂床山。その堂床山の東に、備前坊山が大きい。

堂床山の右に、明神ダム(ロックフィル)をみる。その向こうに、堂床山~可部冠山縦走路があり、さらに、備前坊山まで山並が連なる。なお、堂床山、ロックフィル、可部冠山そして備前坊山は、ほぼ等間隔(角度として)で並んでいる。

海見山が、ロックフィルの右奥に形のよい姿をみせている。

福王寺山と堂床山のほぼ中間点の最奥に、苅尾山、そしてそこから右へ、掛頭山大佐山そして大潰山がほぼ等間隔で連なっている。なお、大潰山は、堂床山(859.6m~850m台)の双耳峰の中にはまりこんでいる。

雲月山、中野冠山、高杉山、天狗石山そして阿佐山が、ほぼほぼ等間隔で並んでいる。

雲月山の位置は、堂床山・・・ロックフィルの奥(ややロックフィルより)。中野冠山は、ロックフィルの真後ろ。高杉山は、海見山の右奥、天狗石山は、可部冠山の左ほぼ真後ろ。そして阿佐山は、可部冠山・・・備前坊山中間点(角度として)の最奥である。

山頂の南側(海側)、つまり上深川方面下山道の方角に鉄塔などあり、展望が多少さえぎられる。その左手下には、木ノ宗山があり、そのほぼ真後ろに、高尾山(呉娑々宇山系)がある。

高尾山の向こうに海がみえる。黄金山の左ほぼ真後ろに、峠島。これらの左に、金輪山をみる。金輪山の位置は、高尾山の右奥である。

高尾山から、呉娑々宇山~藤ヶ丸山~長者山へと、右から左に(北向きに)連なる。そして、藤ヶ丸山の右奥に、絵下山が入る。

黄金山の右奥に、似島(安芸小富士)がみえたはずである。
黄金山の後ろには、西能美島(宇根山、砲台山)がある。宇根山は、黄金山の左奥。砲台山は、安芸小富士の左奥になる。
さらにその奥の周防大島(嵩山、嘉納山、文殊山)は、今日は見えていないようである。嘉納山の位置は、ほぼ黄金山の真後ろである。

高尾山の左奥、海の向こうに、江田島(古鷹山~クマン岳399m)をみる。江田島~西能美島の間の向こうに、大黒神島の双耳峰が大きい。

呉娑々宇山の右奥に、東能美島(陀峯山)がみえる。絵下山の後ろに、倉橋島(火山~岳浦山)が入る。倉橋島火山の位置は、絵下山そして藤ヶ丸山の左奥。岳浦山は、呉娑々宇山の左奥、一番高いピークである。

〈安駄山~高鉢山の向こうをみる〉

安駄山(真北からの方位、106.4度)~高鉢山(真北からの方位、149.0度)が、南東の方角、谷(JR芸備線、三篠川)向こうに大きい。(675m~安駄山735.3m~749m~763m~高鉢山705.8m~南鋒726m)

高鉢山705.8m(山頂部は平たくみえる)のやや右にある高鉢山南鋒726mの方が、高鉢山よりも標高は高い。そして、この稜線で標高の一番高いのは、高鉢山の14度左にある763mピーク(ピークがはっきりしている)である。

〈763m~高鉢山(南鋒)の向こうをみる〉

それでは、さらに詳しく検討してみることにしょう。

曾場ヶ城山水ヶ丸山(JR山陽本線の向こう、瀬野川左岸)が、763m~高鉢山(南鋒)の後ろに入る。(529m~曾場ヶ城山607.2m~549m~561m~620m~652m~水ヶ丸山660.2m~636)

529m~曾場ヶ城山は、763mの右奥である。
652m(ピークがはっきりしている)は、高鉢山の左奥である。
水ヶ丸山の三角錐が、高鉢山南峰の左奥にはっきりと分かる。

東広島の山が、652m~水ヶ丸山の鞍部の向こうにはまり込む。茂助山(標高430m台)を含んで北東の方角に延びる尾根である。山の高さは、652m~水ヶ丸山を越えることはない。

大崎下島(336.6m~一峰寺山449.3m~291.9m付近)のほぼ全島が、652m~水ヶ丸山、そして上記東広島の山々の向こうに姿をみせている。ただし今日の山並はかなり薄い。

336.6m~一峰寺山449.3mは、652mの右奥であり、652mよりも高い位置にある。291.9m付近の310m台は、水ヶ丸山の左奥になる。そして、これも水ヶ丸山よりはやや高い位置にある。

東広島の山々が、529m~曾場ヶ城山607.2m~549m~561m~620m~652mの後ろにも連なる。茂助山(前述、標高430m台)の北東に連なる尾根で、蚊無奥山541.6m~498.6mである。

498.6mは、652m(水ヶ丸山の左)の左奥になる。そして、763m(高鉢山の左)の右奥に、曾場ヶ城山さらに蚊無奥山がほぼ等間隔で折り重なる形となる。

大崎上島の南側(神峰山452.6m~330.9m)が、蚊無奥山の後ろにみえている。神峰山の位置は、蚊無奥山の左奥(蚊無奥山よりやや高い位置)で、曾場ヶ城山のほぼ真後ろになる。330.9mは、蚊無奥山の右奥(蚊無奥山よりやや低い位置)である。

〈749m~763mの向こうをみる〉

東広島の山々は、749m~763m(安駄山~高鉢山途中の稜線)の後ろにも続いている。

大三島(二反山394.9m・・鷲ヶ頭山436.5m・・薬師山435.2m)が、749m~763mの後ろに延びる東広島の山々の向こうに、頭を出している。

二反山は、749mのほんのわずかに左奥、ほぼ真後ろである。鷲ヶ頭山は、749mの3度右、薬師山は、763mの左ほぼ真後ろである。

今日は、鷲ヶ頭山は分からず、二反山や薬師山もかなり薄い。なおそれぞれのピーク中間部分は、広島県側の山々に隠れているようである。

伯方島(宝殿山304.0m)が、鷲ヶ頭山の左奥(749mの右ずっと奥)に頭を出すという。

〈安駄山735.3m~749mの向こうをみる(まずは、右側)〉

鞍部に、生城山485.4mのきれいな頭をみる。630m~深堂山597.8mが、生城山の後ろにある。630mは、生城山の左奥、深堂山は右奥になる。龍王山575.1mが、630m~深堂山の奥に入る。その位置は、生城山のほんのわずかに右奥となる。

524m(東広島市、竹原市近く)が、深堂山の右奥にあり、749mの向こうまで連なっている。それらの右奥に、朝日山454.1mがある。角度(位置)としては、749mのほんのわずかに左奥である。

白滝山340m~黒滝山266mが、深堂山の奥にあるようだ。白滝山は深堂山の左奥、黒滝山は深堂山の右奥である。

生口島(牡蠣山408.1m~観音山472.3m)が、深堂山・・朝日山の向こうにはっきりとみえる。特に観音山付近は、山並の一番下がった地点の向こうで、大きくみえている。

牡蠣山が、深堂山のほぼ真後ろにあり、牡蠣山から観音山まで尾根が連なっているのを見ることができる。観音山の位置は、朝日山の左奥で、山並の一番下がったところである。

なお、朝日山の右奥、やや高い位置に大三島(二反山、既述)をうっすらと認める。

〈安駄山735.3m~749mの向こうをみる(次に、左側)〉

虚空蔵山666.1mが、安駄山のほんの少し右、ほぼ真後ろにある。そして、並滝寺が、その右手前にある。その位置は、630m(深堂山の左手、既述)の左手前になる。

筆影山314m~葉田竜王山445.0mが、並滝寺の向こうにある。筆影山は、並滝寺の左奥、葉田竜王山は、並滝寺の右奥である。その位置は、虚空蔵山よりも高い。

因島(因島大橋~観音山390.5m)が、虚空蔵山の右奥から630mの左奥に入る。
因島大橋が、ソフトによれば虚空蔵山の右奥にみえるという。観音山の位置は、630mの左奥になる。因島大橋~観音山の間の山並は、筆影山~葉田竜王山でさえぎられているようである。

〈675m~安駄山の向こうをみる〉

虚空蔵山(安駄山の後ろ、既述)の尾根が、北東の方角(左手)654mに延びている。そして、篁山535mが、654mのほんのわずかに右奥(頭は少し高い)にみえている。

さらに、鳴滝山402.0~鉢ヶ峰429.7mが、篁山の後ろに入る。その位置は、鳴滝山は篁山、654mの左奥。鉢ヶ峰は篁山の右奥、そして虚空蔵山の左奥であり、いずれも篁山よりも高い位置にある。ただし今日は、いずれも非常にうっすらとしかみえない。

向島(高見山283.2m)が、鉢ヶ峰・・安駄山の間(角度として)に入るというが、同定はむつかしいだろう。