2006年05月27日

AKIMASA.NET >> 中国地方の山100選 >> 極楽寺山

2006年05月27日(土)、単独
広島電鉄宮内~広島岩国道路~四季が丘横~野貝原入口(明石バス停)、ここまで歩いたところで雨に降られバスで帰る

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山行再開第2回目

近隣の主な山(ひろしま百山)で、しっかりと歩いたことのないのは野貝原山だけだ。その野貝原山から極楽寺山に向けて、縦走路が整備(極楽寺百回登山・百回参拝)されて歩きやすくなっているらしい。陸軍省標石が2本あるともいう。少し本格的な山歩きがしたくなり、未知のコースに挑んでみることにした。しかし、登山口にて降雨、そのままバスに乗って元来た道を下った。

広島電鉄宮内8:05-広島岩国道路8:15-四季が丘南口8:37-四季が丘西口8:53-野貝原入口9:20
総合計1時間15分

どこまで歩けるか、試す意味で電車の駅(標高10m以下)から歩くことにした。四季が丘団地、宮園団地が折敷畑山(おしきばたやま)の南東斜面にあり、その山の向こうに野貝原山山頂部の廃墟を見ながら進む。四季が丘にかかるころ標高20m位、そこから少しづつ高度が増してゆく。その上に、歩いているのは廿日市市(はつかいち~し)を海から山へと貫いている幹線道路(旧津和野街道)だ。路肩に歩行者用のラインはあるが、交通量の多い道路は少々危険だ。四季が丘西口を過ぎて道路を拡幅した箇所があり、歩行者用のスペースがブロックで区別されており束の間ほっとする。

道路脇に折敷畑古戦場跡の説明版をみる。ふとその隣のお宅の玄関前を見ると、陸軍省標石が大切に保管されている。陸軍輸送港域第二区標石第55号、場所は、廿日市市宮内黒折。なお、折敷畑合戦は実際には存在しなかったという説があるそうだ。秋山伸隆著『戦国大名毛利氏の研究』(吉川弘文館)1998年によれば、明石口の合戦と混同されて、別個の戦いが存在したように書き伝えられたのだという。

さて、明石バス停、野貝原入口信号を確認して、さあこれからという時に降雨、バス停のベンチ(屋根付き)に駆け込む。進むかどうか迷う。往路を全て歩いてみようと試みたことによって、道路脇で陸軍省標石を1本見ることができた。この標石は今日の予定には入っていなかったものだ。今日はこれでよしとして、いさぎよくバスにて往路下山。とても再び危険な道路を歩いて下る勇気はでなかった。

旧津和野街道:

石見国(島根県)津和野-(柿木)-(六日市)-(宇佐)-(津田)-廿日市、17里(68km)。津和野藩による参勤交代や物資輸送のため使用した街道で、津和野~廿日市をほぼ直線に近いコースで結ぶため有用性が高かった。当時、廿日市の桜尾城西側一帯には津和野藩御船屋敷があり、中継居留地として使用されていた。

翌5月28日(日)、再び野貝原山の予定で出かけたが、雨が落ちてきそうな雰囲気で、電車に乗ることなくそのまま鈴ヶ峰まで歩いて登った。