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2005年03月19日

Akimasa Net
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岩船岳~御床山~砲台跡(ついに到達)
(出発帰着:宮島桟橋)

2005年03月19日(土)、単独

シキミ

〈写真〉満開のシキミ

大元谷左岸コースから取付き、目的を達成する
帰路は大川越から下山、海岸道路を宮島桟橋まで

  • 宮島の西海岸のまとめ、写真あり(2013/06/23、5/23)
  • 西海岸沿いの山道まとめ、写真あり(2013/05/23)
  • 宮島南部の砲台跡⇒実際には「厳島聴測照射所」だということが判明
    (中国新聞記事、2011年1月12日付)
    参照Web:いにしえのロマンの郷>>みやじま地区点描>>厳島聴測照射所跡/藤下憲明さん
  • あての木浦から取付き、砲台跡~御床山~岩船岳を乗り越す(2009/05/04)
  • 西海岸沿いの山道探索
    (2009/05/04、4/29、4/11、2002/03/02)
  • ついに砲台跡到達(2005/03/19)
  • 岩船岳~御床山の向こうの砲台跡探索
    (2004/03/13、2003/06/07、2002/04/06、3/30、3/2)

このページの目次です

はじめに

大元公園~大元川左岸コース~前峠~岩船岳登山口(多々良林道)~先峠(岩船岳縦走路)~351m~大川越~岩船岳~御床山~砲台跡230m台付近~大川越まで往路下山~大川浦分岐(海岸近く)~室浜砲台跡分岐、宮島植物実験所分岐~(海岸道路)~多々良~大元公園
(出発帰着:宮島桟橋)

ついに宮島最南端の砲台跡に達する。附近には、旧日本軍のものと思われる遺構が点在していた。しかし、これが砲台跡だと、はっきり確認できるような建造物は見つけられなかった。

2002年の春に、御床山の先から初めて砲台跡を見下ろしてから、何回トライしたことだろう。距離的な問題に加えて、砲台跡に至る道が消失してしまっており、体力的には非常に厳しいものがあった。

(御床山の先で)砲台跡を見下ろす地点から、標高差110~120mの間に道はない。ブッシュの中に突っ込めば突っ込むほど、その分必ず登り返さなければいけないと思うと、いやでも緊張感が高まる。ここでバテテしまっては帰路が危なくなる。

日のあるうちに行って帰ってくるには、日照時間が延びてきて寒さが和らぎ、草木がまだ繁っていない春先が一番いいだろう。秋~冬を考えたこともあったが、とても太陽の出ている間に往復できる距離ではない。

今日は降水確率ゼロ、雨の心配はまずない。朝一番の連絡船に乗るために、電車の時間を合わせて家を出る。

参考:中国新聞2005年02月26日付け記事
沼隈町と鞆の境に高射砲陣地跡

今日のコース&コースタイム

宮島桟橋6:39-大元公園6:56-右上分岐あり7:11-右上沢上段へ7:14-右上分岐あり7:19-対岸に一枚岩7:34-尾根7:43-前峠7:44、7:50-多々良林道8:00-岩船岳縦走路8:11-水場8:18-海軍省標石(右分岐あり)8:24-(270m台)-青海苔分岐(陶晴賢碑分岐)8:27-登る8:33-展望岩場8:38、8:40-340m台8:42-コブ8:43-351m8:44-コブ8:46-コブ8:47-コブ8:49-岩8:50-コブ8:53-鞍部8:54-300m台8:55-八畳岩8:57、9:05-コブ9:06-左分岐あり(青海苔浦)-コブ9:10-大川越(海軍省標石)9:11-コブ9:13-240m台9:15-コブ9:17-振り返れば展望9:22-海軍省標石9:27-コブ9:32-コブ9:35-東峰9:42、9:48-岩場ピーク9:54-岩船岳9:57-大岩10:00-大岩群10:05-コブ10:15-御床山10:18-展望地10:20-大岩10:36-230m台10:48-水槽?10:52-砲台跡11:19、11:35-水槽?11:42-230m台11:49-登り口11:57-大岩12:03-展望地(昼食)12:26、13:30-御床山13:33-コブ13:36-大岩群13:45-コブ13:54-岩船岳13:55-東峰14:02-海軍省標石14:13-展望地点14:16-大川越14:25、14:27-沢渡る14:47-沢渡る14:55- 大川浦分岐14:57-ピーク15:00-鞍部15:03-ピーク15:05-入り江15:07-振り返ると岩船岳15:15-林の中15:31-左手分岐室浜砲台跡( 広島大学植物園)15:38-沢渡る15:44-車道15:51-広大植物園門扉15:52-多々良16:08-大元公園16:33-宮島桟橋16:48

宮島桟橋(17分)大元公園(48分)前峠(10分)多々良林道(岩船岳登山口)(11分)岩船岳縦走路(先峠)
 小計1時間32分(前峠6分を加える)
先峠(27分)展望岩場(31分)大川越(46分)岩船岳
 小計1時間46分(展望岩場2分を加える)
岩船岳(21分)御床山(2分)展望地(28分)230m台(11分)砲台跡
 小計1時間22分(砲台跡探索のための時間を20分として加える)
砲台跡(14分)230m台(37分)展望地(3分)御床山(22分)岩船岳
 小計1時間16分< 岩船岳(30分)大川越(30分)大川浦分岐(海岸近く)  小計1時間02分(大川越2分を加える) 大川浦分岐(41分)宮島植物実験所周辺(30分)多々良(25分)大元公園(15分)桟橋  小計1時間51分 宮島桟橋~大元谷左岸コース~岩船岳、3時間18分 岩船岳~大川越~大川浦~宮島桟橋、2時間53分 岩船岳~砲台跡往復、2時間38分 総合計8時間49分 (砲台跡16分、昼食タイム1時間04分を除く) ほんとうは、昼食タイムはできるだけ少なくして、帰りの時間を確保したかった。しかし、体力の温存を考えてゆっくり休んだ。したがって、これらの時間はほとんどすべて行動のために必要な時間と考えるのが妥当だろう。今日の実質的な総行動時間は、約10時間としておこう。

大元公園から大元谷左岸コースを行く

宮島桟橋から大元公園をめざす。海に少し潮があり、商店街をまわって行く。お店はまだ開いていない。犬を散歩させる人、掃除をする人など、静かな朝だ。

大元公園から大元川左岸の山道に入り、そのまま沢を左手に見下ろして詰めていく。途中の右分岐は、前峠山423mへのものであろう。ウグイスが「ホーホケキョ」と鳴く。

尾根に着く。右分岐があり、これも前峠山423mへのものであろう。この尾根上を左折して、ほんのちょっとしたコブを越えると、すぐ鞍部に至る。道はそのまま前方のピーク(駒ヶ林のとなり)に向けて延びている。しかし、地図で見る限り、その先は岩壁のようだからどこまで行けるのかは分からない。ガガガガガーという音。キツツキの仲間だろうか。

鞍部を右折して下ると、やがて前方に先峠山402mが見えてくるようになる。最後は沢音に向かって急下る。沢を渡って簡易舗装道(多々良林道)に上がると、道路反対側に岩船岳登山口がある。

岩船岳登山口(多々良林道)~岩船岳縦走路(先峠)~御床山

岩船岳登山口から急登して岩船岳縦走路(先峠)に上がる。息を整えながら、そのまま先峠山402mの南東面をゆったりと下っていく。やがて前方に縦走路上の351m、そしてその向こうに岩船岳が見えてくる。縦走路上に海軍省標石があり、そこの右分岐は、先峠山402m経由多々良林道への古い道だという。

やがて登りにかかり、展望岩場につく。今日の見通しはあまり良くない。小黒神島の左後に能美島、その右奥がうっすらと見える程度。なおも351mに向けて登り、その東面を巻いて下っていく。八畳岩から経小屋山~大野権現山を見る。

大川越にも標石が一本ある。今まで気がつかなかったのだろうか。"振り返れば展望"を過ぎて、ロープがある。あまり太いロープではない。少し切れかかっている。結び目が解けかかっている。せっかくの好意だけれども、使う時には自己責任だ。

そこを登りきると、さらにもう一本の海軍省標石があり、急登は一段落する。しかし、安心はできない。その後のゆるい登りとゆったりの繰り返し(3回くらい)は、疲れた足にはかなりこたえる。二万五千分1地形図が、厳島から阿多田島へと移る地点で、水平移動距離はかなりある。

東峰から岩船岳を見る。その左奥には可部島が見えている。岩船岳を通り越して先に進む。大岩で右手に下り、大岩群の右裾を巻いてゆく。基本的には、御床山へつながる尾根をはずさないようにすれば、何の問題もない。

御床山の先から砲台跡を見下ろす

御床山を通り越してさらに前に進む。羊歯の小道をぬって少し下り、砲台跡(建物)が見える地点に至る。御床山から下り2分(帰りの登り3分くらい)の所だ。おそらく標高約340~350mくらいの地点だろう。以下参考まで。

水平距離で、1時間(60分)に4㎞歩くとすると、1分で66.7m、2万五千分1地形図で2.7mmとなる。少し見栄を張って、1時間6㎞とすると、1分100m(4mm)となる。また、登山では、1時間300mの標高差を登る能力が、一般的には求められている。1分で5mとなる。

さて、まず全体の位置関係を確認する。可部島の左手に、革篭崎(宮島最南端)手前の241mピーク、右手に長浦手前の230mピークをみる。

砲台跡は、230mピークやや右手前にしっかりと見えている。そして、その手前には、230mピークよりもやや高い230m<台>ピークがあるはずだ。しかし、上から見下ろす角度のためか、二つのピークをはっきりと区別することができない。

砲台跡までさらに下る

今日も飛び石伝いに下ることにする。まず最初の目標は、241mのほんのわずか左(角度として)に見えている岩だ。そこからさらに下の岩まで、ほぼ241mの方角を目差して下る。

適度な岩場で、もう一度砲台跡の位置を頭にたたきこんで、右に振る。230m台~230mピークに至る小さな尾根に乗るためである。樹林帯を通って230m台に至る。ここのピークが、砲台跡を見ることのできる最後の地点となる。

砲台跡周辺の廃墟

やがて、水槽跡?やセメントで作った四角な建造物など、旧日本軍のものと思われる遺構が現われてくる。しかし、砲台跡は見つからない。山の上から見えるのだから、樹木の中に埋もれているわけはない。ところが周りを見渡すと、かなり高い樹木で覆われている。

現在位置の向こうの高みは、はたして230mピークなんだろうか。確認しなければならないだろう。先に進むと砲台跡が現われた。砲台跡手前が少しコブになっていて分からなかったのだろう。ただし、このころは帰りの時間のこともあり、かなりあせってきていたので、地形上の細かな点については自信がない。

砲台跡(建物)は、縦240~250㎝(かなり曖昧)×3、横240~250㎝(かなり曖昧)×2の部屋を、縦に二つくっつけた構造をしている。天井があり、人が立って歩くには十分な高さだ。この屋根(平べったい)に落ち葉などが積もって、山の上から見ると茶色に見えるのだろう。

レンガで造った壁をセメントで固めている。あまり厚くはない。壁には四角い窓がたくさん開いている。しかし、床に台座跡らしきものはない。兵士の宿泊所ではないだろうか。

230mピークと思われる辺りも少し探索したが、例えば室浜砲台跡のような砲台跡を見つけることはできなかった。むしろ、手前にあったセメント造りの四角な建造物の方が、頑丈な作りからして砲台跡にはふさわしいかもしれない。しかし、上から覗いた限りでは、これも水槽のようにしか見えなかったのだが。

展望地点まで帰りつく

いずれにしても、帰りを急ぐ。樹林帯はもちろんのこと、そこから上もはっきりした道はついていない。そうした中で、膝から太腿まである羊歯を押し分けて登り返すのは、非常に体力を消耗する。最後には足が上がらなくなる。

展望地点まで帰り着いて、ほんとうにほっとする。下る前は近くに見えた砲台跡が、かなり遠く見える。右手にはトゲで引っかいて血が流れた跡が10本近くついてしまった。家に帰ってズボンを脱ぐと、太腿にも5か所くらい血がにじんでいた。

岩船岳~大川越~大川浦分岐(海岸近く)

さて帰り道、東峰から10分くらい下った地点(海軍省標石のやや上)で、女性二人組が登ってくるのとすれ違う。今の時間に登りで大丈夫だろうか。他人事ながら心配になる。"振り返れば展望"地点まで下ってリュックを降ろすと、パッキンがゆるんで水筒の頭がはみ出している。他人のことを心配している場合ではない。気合を入れなおす。

帰りも往路を行き、行き帰りのタイムを比べてみたかった。しかし、日没時間がちょっとだけ気になる。ならば例によって、多々良林道経由の下山か。それではあまり面白くない。早めに自動車道に出るならば、大川浦に下って、広島大学植物園を目差すのもよかろう、というので大川越から下山することにした。

大川越からは、ゆったりとした下りだ。倒木などありやや荒れ気味だが、人工的な細工はほとんどされていない。

大川浦分岐(海岸近く)~宮島自然植物実験所

海岸近くになって、多々良分岐の標識があり、右折する。そこから、電燈線に沿ってピークを二つ越えると小さな入り江に出る。うっかり左折すると、シカの足跡しか付いていない。入り江を渡り、見当をつけて海岸線から無事山道に合流する。

再び羊歯の中の道を登る。振り返ると、海岸には海苔ヒビ、その向こうの手前ピーク左肩に岩船岳が姿を見せている。絵になる光景である。この海岸線コースでは、その他、広大植物園や道路上の植物観察(名札あり)などを楽しむことができる。

ただし、アップダウンが激しく、特に室浜砲台跡までがキツイ。10m、20m、時には30m程度の高低差の登り下りを、室浜砲台跡まで10回前後繰り返すことになる。

エスケープルートとしては適さない。岩船岳からの帰りで一番楽なコースは、やはり多々良林道経由だろう。大川越から351mピークまでの登りをこなせれば、後は何とかなる。

さて、室浜砲台跡手前の林の中で、オス鹿に出会った。山道の真中に立ってこちらを見ている。大きな角を持っている。怖そうだ。早く向こうへ行ってほしいな、と思うのだが動かない。こちらも動けない。時間だけが過ぎる。

そのうち、ゆっくりとこちらに向かってきた。どおしよう。目を合わせちゃいけなかったのかな。それとも、目をそらせちゃいけないんだったっけ。どっちだろう。背中を見せて逃げちゃいけないんだよね。ゆっくりと茂みの中に後ずさりをすると、シカは目の前を悠然と向こうの方に歩いていった。

舗装道路沿いは、アセビのオンパレード。満開のシキミが1本。コウヤミズキの蕾の先が、なんとなく黄色く膨らんで見える。山道では、ヤブツバキの赤い花が最初から最後まで道案内をしてくれる。

その他

宮島桟橋からの乗り継ぎがよくて、家路につく我が背中を、夕陽が射して暖めてくれた。行きの山道で脱いだ防寒具を再び着ることはなかった。>

追記(1)2006年2月20日(月)

私に続いて同年夏(2005/08/27)、宮島自然植物実験所の関係者が、海側からこの砲台に達している。「宮島の長浦・あてのき浦までボートでいき、藪こぎをしながら山頂へ向かいましたが、現地に着くのに3時間30分を要しました。全く道がないので、手探り状態でかなりきついコースでした」という。

参照Web:宮島御床山南西に砲台確認>>/広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所(デジタル館)

それほどのブッシュということであれば、実験所から多々良~岩船岳経由の方がむしろ楽かもしれない。(実験所~大川浦~大川越も考えられるが、上記のように、この海岸線は思いのほかアップダウンが激しくてタフなコースだ)

それはともかく、彼らは230m峰に高射砲台座跡を発見している。私は見ていない。やはり兵舎跡のすぐ向こうの高みが230mピークで、そこにあるようだ。逆に、彼らは兵舎跡までで引き返したと思われる。それより御床山側にある頑丈なコンクリートでできた四角の大きな水槽?は、写真のリストの中にはないようだ。 (Web管理人注:砲座の形が、下記・藤下さんの写真とは異なっているようだ)

追記(2)2006年3月17日(金)、3月19日増補

藤下憲明さんから、現地探訪に成功した(2006/03/11)旨メールをいただいた。藤下さんは、近代戦争制限区域標石(陸海軍省標石)を研究している方である。そして、この砲台跡については私よりも早くから注目していた。

しかし、体力的にきつくて自分自身で現地まで行くのは無理だということだった。そこで、私が行きたいならば、宮島自然植物実験所の技官の方(おそらく上記Webの作者)が情報をもっているようだから、聞いてみてはどうかとアドバイスをいただいたりしていた。

この度は、ご自身で朝一番の連絡船に乗り、バイクにまたがって多々良林道を岩船岳登山口まで行ったという。体力温存のためには賢明な判断といえよう。それにしても、御床山からの往復では相当に体力を消耗したようだ。執念の伝わってくる山行である。

彼は230m峰で高角砲の台座跡を確認し、兵舎跡と思われる建物の測量図を作成している。また、「御床山南西高角砲台陣地跡配置図」として、点在する各遺構の位置を地図上にプロットしている。 ただし、これには断り書きが付いている。”遺構配置は砲座からの並びの概略を示したもので地形図とは一致していません”

私が見た限りでは、兵舎跡などの遺構があるのは、230m台~230m峰間の狭い範囲である。つまり、台座跡のある230m峰に近い位置の尾根上に集中して存在している。藤下さんもそのことは承知しており、(わかりやすい配置図にする為に、少し御床山の方へ広がった書き方になった)と言っているのだろう。

なお砲座の写真をみると、上記・植物実験所HPのものとは異なっているようだ。複数個の台座があるのかもしれない。もう一度現地に行って自分の眼で確かめてみたい。その日はいつかきっと来る。今はそう信じておとなしく養生することにしよう。

参考:陸海軍省標石2001年10月20日
近代戦争制限区域標石について(上)(下)藤下憲明
広島県文化財ニュース168号、170号(2001年3月、8月)
広島県文化財協会

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載です。
なお、初版刊行後も加筆修正を繰り返しています。