安芸の宮島を歩く

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宮島の歩き方を考える

2014年8月20日未明、広島市安佐南区(武田山、阿武山など)の山沿いの斜面で、局地的な豪雨による大規模な土砂災害が起きました。さらに安佐北区(高松山、白木山)の一部にも被害が出ました。

被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

2013年6月30日の山行をきっかけに、私なりの「宮島の歩き方」について再考察しております。(決定稿:2013/09/05)

このページの目次です

世界文化遺産「厳島神社」

廿日市市宮島町(広島県)は、世界文化遺産「厳島神社」のある町であり、その町域は、厳島(宮島)という一つの島(周囲約30㎞)とその周辺海域に限られている。注:廿日市市(はつかいち~し)

世界文化遺産「厳島神社」の構成資産には、本社本殿を中心とする厳島神社の建造物群に加えて、大鳥居のある前面の海、及び背後の弥山原始林が含まれている。(厳島全島の約14%)

そして、それらを除く厳島全島が、緩衝地帯(バッファーゾーン)とされている。また、前面の海にも少しばかりの緩衝地帯が設けられている。もちろん、これらすべての地域は、廿日市市宮島町に属している。

世界文化遺産「厳島神社」の登録は、佐伯郡宮島町の時代(1996年12月6日)であり、原爆ドーム(広島市)と同時登録であった。

その後(2005年11月3日)、佐伯郡宮島町は廿日市市に吸収合併(編入合併)され、そのまま廿日市市宮島町となった。これが、廿日市市をめぐる平成の大合併の最後であり、これをもって、平清盛の時代以前から続いた佐伯郡(さえきぐん)の地名は消滅した。

ところで、世界文化遺産「厳島神社」の構成資産の範囲は、海岸部から弥山山頂部まで及んでいる。そこで、宮島弥山の登山道三本(紅葉谷コース、大聖院コース、そして大元コース)を登る場合、そのほとんどすべての範囲で、世界文化遺産「厳島神社」の中を行くことになる。

廿日市市宮島町「厳島(宮島)」は、ユネスコ世界文化遺産「厳島神社」のある島である。社殿を中心とする厳島神社とともに、前面の海および背後の弥山原始林を含む区域 (厳島全島の約14%)が世界文化遺産に登録されている。そして、その区域を除く厳島全島がバッファーゾーン(緩衝地帯)とされている。

山本明正著『細見谷渓畔林と十方山林道』(2007年)p.34

宮島の大半は、森林(そのほとんどが国有林)で覆われている

2013年夏、世界文化遺産の島・宮島でのある山行(6月30日)をきっかけに、自然保護・保全及びその賢明な利用という観点から、宮島でどのようなスタイルの山歩きが可能なのか、今一度見直してみようと考えた。

宮島を歩き回ってみると、島のほぼ全域が森林で覆われていることはすぐ分かる。そしてこの度、そのほとんどすべてを国有林が占めていることを初めて知った。広島森林管理署(林野庁近畿中国森林管理局)の所管であり、国有林(宮島国有林)内には、管理道として踏み跡程度の歩道が整備されている。

宮島島内の踏み跡(歩道)を示した地図としては、広島森林管理署の国有林野施業実施計画図(2008年度策定、下記参照)が詳しい。なお、このような歩道のことを、関係者の間では既設歩道と言っているようである。

参考資料(二万分1地図):
芦田・佐波川広域流域森林計画図>>太田川森林計画図>>国有林野施業実施計画図
平成20年度策定、全12片の内11片(広島森林管理署)
林班番号 71-93(広島森林管理署・佐伯森林事務所)

要するに、宮島島内の山中を歩くということは、宮島国有林内の歩道を歩くということにほかならない。そしてそれは、世界文化遺産「厳島神社」、あるいは、その緩衝地帯の中を歩くということでもある。

世界文化遺産貢献の森「宮島国有林」

宮島国有林について、広島森林管理署発行の『ひろしまの国有林』という小冊子(発行年不明)では、次のように紹介している。

世界文化遺産貢献の森「宮島国有林」

世界文化遺産である厳島神社の所在する廿日市市宮島町の国有林全域を平成13年8月に「世界文化遺産貢献の森」として設定し、檜皮等木造文化財修復用資材の供給、景観の保全、森林と文化財の関わりを学習する等の総合的な拠点として整備することとしています。

さまざまな森林づくりへの取り組み
1.木の文化再生について「世界文化遺産貢献の森」

『ひろしまの国有林』広島森林管理署刊より

ちなみに、広島県内の大規模な国有林としては、宮島国有林(廿日市市)とともに、十方山細見谷周辺の国有林(これも、その大半は廿日市市に属する)があげられる。

宮島「国有林」を楽しもう

過日私は、広島森林管理署の責任者の方と直接面談の上、一般登山者が宮島国有林内を歩くことについて、下記の事を確認させていただいた。(2013年9月2日掲載了承済み)

一般登山者が自己の責任において、宮島国有林内の歩道を歩くことは自由であり、
そのことによって、入林許可などの資料提出を求められることはない。

国有林は国民の財産、どんどん歩いてほしい(もちろん自己責任の範囲内で)、とのことであった。

行政側の見解を、あくまでも、当Web作者の立場で推し量るならば、次のようになるであろうか。

宮島島内、すなわち宮島国有林の中で、正式な登山道は三本の弥山登山道(広島県が整備、後述)だけである。その他は、いわゆる国有林内の管理道(歩道)であり、登山道としては整備されていない。しかしながら、一般登山者が、そうした歩道を歩くことまで禁止するものではない。とはいうものの、入林(入山)するにあたっては、自然環境の保護も含めて自己責任の範囲内でお願いしたい。

いずれにしても、登山とは、国有林であるか否かに関わらず、他人様の土地を断りもなく登り下りする行為である。持ち帰るのは、思い出と写真だけにしたいものである。もちろん、ゴミを置いて帰るのは論外。

宮島歩道という考え方

国有林に入るには、入林手続きを必要とする場合がある

近畿中国森林管理局Webで確認すると、国有林内に入林(入山)するに際しては、事前の入林手続きを必要とする場合がある、としている。

「近畿中国森林管理局ホームページ >> 申請・お問い合わせ >> 入林許可申請
国有林への入林(入山)を希望される皆様へ」

例えば、宮島国有林内でボランティア活動(歩道の修理・清掃活動)を行っている「宮島太郎の会」では、きちんとした入林許可を得た上で活動を行っている。

宮島太郎の会が入林許可取得

「宮島太郎の会が入林許可取得」(ボランテアとしての修理・清掃活動、原文のまま)という文書がある。山本拓志さん(宮島太郎の会・代表)が書いたもので、広島県山岳連盟広報誌「もみじ118号」pp.3-4(2013年8月20日発行)に掲載されている。

私は、同誌に投稿中の文書を、「宮島太郎の会のPR資料」として引用許可をいただいていた。(この項の「」内文章)。2013/08/04現在

宮島国有林の中の既設歩道を歩く

宮島太郎の会のPR資料によれば、「宮島のガイドブック「弥山登り」2003の<宮島全図>に宮島の自然・歴史・文化を探訪する道が簡潔によく示されています。会は<宮島全図>の道を歩いています。会が歩いている道は宮島国有林の中の既設歩道でもあります」とのことである。

参考資料:
弥山史跡巡り・自然散策道『弥山登り』― トレッキング in MIYAJIMA ―
(2003年5月 第2版第1刷発行)
発行 社団法人・宮島観光協会
協力 井木正博(四季の会代表者)
宮島全図 手書きの地図(pp.44-5)

小冊子『弥山登り』(A5版、全45ページ)は、宮島桟橋の観光案内所で発売中。その中の<宮島全図>は、前記森林管理署策定の資料よりも簡便であるが、既設歩道の位置を把握するには便利である。

さて、宮島太郎の会(2007年設立)は、設立の前年から、宮島国有林内の「既設歩道の復旧整備として、歩行の妨げになる倒木・雑木・雑草の片付け・枝打ち・刈払」を継続的に行っている。

ただし、この復旧整備という言葉に関しては、関係当局と会との協議(2013年5月)の中で、「歩道法面と踏み面の修復を伴わないで、歩道内の倒木の片付・雑木の枝払・下草の刈払だけの活動では復旧整備とは言えない」との見解が示されている。

また、同協議では「宮島国有林の中で登山道は三本の弥山登山道だけで、その他の既設歩道は登山道ではないと明言」されている。

さらに、登山道以外の既設歩道では「事故が発生し、入林者が損害を受けることがあっても、国は一切その保障等の責を負わないことになっている」との指導があったという。

「宮島太郎の会が入林許可取得」の最後の部分は、以下のように結ばれている。

宮島太郎の会が入林許可取得

会は宮島国有林内の既設歩道に宮島歩道という名前を使うことにしました。宮島歩道は宮島を歩く道です。宮島を歩くにはなくてはならない道です。会は、2013年6月以後はボランティア活動として宮島歩道の修理・清掃活動を行うことを目的とした入林許可を取得して、ボランティア活動を行っています。広島県山岳連盟関係者有志の皆様、宮島の山と海岸愛好者有志の皆様には会が許可を取って行うボランティア活動にこれまで以上の参加協力をお願いします。これからも宮島を楽しみましょう。(注:色づけ強調は、当Web管理人による)

宮島太郎の会のPR資料(掲載許可済み)

宮島歩道:宮島国有林内の既設歩道
入林許可:広島森林管理署にて取得
入林目的:既設歩道の修理・清掃活動

再確認(一般登山者の場合)

これに対して、同じく近畿中国森林管理局Web(入林許可申請)には、
3.登山や森林浴など森林レクリエーションを目的とする場合
事前の入林手続きが不要
とある。

宮島太郎の会のボランティア活動(宮島歩道の修理・清掃活動)と、一般登山者がただ単に森林レクリエーションを目的として入林する場合では、扱いが違うということであろう。

Web上には、入林(入山)許可をめぐって、この両者を混同した不正確な表現が散見される。

それはともかく、「宮島太郎の会」のこれまでのご努力、そして関係当局とのきちんとした協議、さらにはこれからのご活躍に期待を込めて、心から感謝!!

松島宏著『ちゅうごく山歩き vol.1』を読む

弥山の登山道は三本のみ

松島宏著『ちゅうごく山歩き vol.1』中国新聞社(2013年6月刊)p.6に、「弥山・駒ヶ林」の項があることに改めて気がついた(参照:2013年11月10日山行記)。なお、「弥山・駒ヶ林」の項の初出は、2012年3月21日付け中国新聞夕刊記事である。

著者の松島宏さん(広島登山研究所代表)は、広島県山岳連盟理事でもある。広島県内の指導的立場にある方といえよう。そして、発行所は県内有数の新聞社の中国新聞社である。

その内容をみると、弥山登山道三本(いわゆる公式登山道、紅葉谷コース、大聖院コース及び大元コース)と同列で、博打尾コース(包が浦自然歩道~かや谷コース)と多宝塔コース(駒ヶ林尾根コース)、つまり非公式とされているコースが紹介されている。(その他、弥山直登尾根コース、大元谷左岸コースは、地図上のルート表示のみでルート名表示なし)

この公式・非公式という書き方は、中国新聞記事(宮島奥の院遭難事件、2012年12月26日付など)でよく使われる表現(後述)である。

しかしながら、廿日市市環境産業部観光課では、「弥山の登山道について、公式コース・非公式コースの区別を定めた正式な文書はありません」(後述)としている。あるのは、登山道として整備されている三本のコースと、その他の踏み跡(宮島国有林を管理するための歩道など)の区別のみである。

一般登山者にとっては、整備された登山道であろうと、その他の踏み跡であろうと、環境に配慮しつつ、自己の責任において自由に歩くことができるのは言うまでもない(前述)。

宮島には種々の法的規制がある

自己の責任において宮島を大いに楽しもう、とは言うものの、宮島(厳島)の特異な自然環境に対しては、特別な配慮が必要であろう。

宮島は、全島が「特別史跡及び特別名勝「厳島」」や瀬戸内海国立公園に指定されており、それぞれ文化財保護法(文化庁所管)や自然公園法(環境省中国四国地方環境事務所所管)といった法的規制によって守られている。(参考:2008年9月14日付け中国新聞記事)

また、宮島国有林は林野庁(農林水産省の外局)の管轄ではあるが、国指定の天然記念物「弥山原始林」そのものについては環境省、世界文化遺産については、文化庁(文部科学省)の管轄である。

ちなみに、国有林野施業実施計画図(広島森林管理署2008年度策定、前述)の中では、管轄外や私有地は白抜きで示されている。

例えば、厳島神社を中心とする海岸部から弥山を含む山頂部まで、ひときわ大きな除外区域があり、それが世界文化遺産の範囲と一致しているようである。

そしてその中には、いわゆる弥山登山道三本は記載されているものの、弥山直登尾根(四宮コース)や駒ヶ林尾根(多宝塔コース)を行く踏み跡は記載されていない。

非公式コースに関する記述は、削除してほしい(関係当局からの要請 )

弥山直登尾根(四宮コース、約2㎞)では、かつて何者かがコース上の248か所に赤色塗料を吹き付けるという事件が発生(2008年7月)したことがある。明らかにいたずらと思われるが、公式には道しるべだったとして実行者の告発は見送られてしまった。(中国新聞記事、2008年10月8日付)

同記事では、いわゆる非公式コースに関する記述は、「増刷や再版時に削除してもらうよう出版社などに要請していく」とした関係当局の方針が出されたことを報じている。注:関係当局=県と市の教育委員会、農林、観光などの関係部署と環境省の17人。

オーバーユースなどで、弥山原始林に悪影響が及ぶことを懸念したものと思われる。中国新聞記事(2008年9月14日付)では、「生態系の保護を考えると特に重要な地域。県管理ルートのほかは登山してほしくない(広島県自然環境課長の話)」としている。

弥山登山道三本(広島県が管理する登山道)以外のコースを「地元では紹介していない」(松島宏著p.6)のは、それらへの配慮が働いているためとも考えられる。インターネット上でも、それぞれのWeb作者がそれぞれの立場で、何らかの配慮をしつつ書き込みをしているのを目にすることがある。

そうした背景の中で、今回、弥山登山道三本以外のコースが、積極的に紹介(活字化)されたわけである。

中国新聞社及び著者は、宮島の自然保護・保全及びその賢明な利用という観点から、今後どのような活動を展開されようとしているのであろうか。その動向が注目される。

上記私なりの疑問を解消するため、中国新聞社にメールした。後日、中国新聞社総合編集本部の責任者の方から返信メールがあり、直接電話で話をすることになった。

先方から冒頭、「(著者とも話をしたのだが)、駒ヶ林尾根コース(弥山登山道三本以外)は、それほど簡単なコースではない、ということをもっときちんと書けばよかった」という意味のことを話された。

私の知りたかったのは、「(当局によって)弥山登山道三本以外の記述は削除してほしい」という方針まで示されている中で、どうしてあえて活字にしたのかということであった。しかし、そうした事実についてはよく把握していなかったようであり、話はそこで終わった。

実際に削除されたケースはあるのか

私が『弥山登り』(宮島観光協会、2003年5月第2版、既述)を実際に手にしたのは、2013年9月15日のことである。宮島登山の帰りに宮島桟橋の観光案内所で買った。

同書の内容(本文)を確認すると、大聖院コース、弥山史跡巡り、紅葉谷コース、大元谷コース、多宝塔コース、博打尾コース、奥の院コース、包ヶ浦自然歩道・港の見える古道、そして岩船岳コースが紹介されている。

出版当時(2003年5月)の内容のままで、2013年現在も販売されているのは、四宮コース事件(2008年7月)以降も、増刷や再版の機会がなかったためと思われる。

弥山登山道三本以外のコースに関する記述について、実際に削除した事例があるのかどうか、私は何も知らない。また、今でも削除要請が出され続けているのかどうかについても全く何も知らない。

登山自粛については、私自身が直接聞いたことは今まで一度もない。

宮島の歩き方を考える

私としては、「弥山その他の山を含めた宮島(厳島)全島が、文化財保護法や自然公園法に基づき厳しく管理されていること、そしてそのことによって、宮島の自然環境が守られている」という事実を念頭に置きつつ、今後も引き続き、宮島での山歩きを楽しみたいと考えている。

以下では、上記結論に至るまでの、私なりの考え方の推移をまとめてみた。

宮島弥山には、公式登山道は三本しかないのか?

「厳島神社」の背後にそびえるのが、宮島(厳島)最高峰の弥山である。その弥山には、公式登山道は三本しかないとされている。そして、これら三本の公式コース以外は、非公式コースだという。

この区分は、「すべての登山者を対象として、公式コース以外を歩くことは禁止している」という意味であろうか。さらには、弥山以外の山での扱いはどうなっているのであろうか。宮島に魅せられ、あちこち歩き回っている私としては、非常に気になるところである。

廿日市市観光課からの回答

日ごろの疑問を解消したくて、廿日市市ホームページにて問い合わせをしてみた(2013/07/23)。すると、それから一週間後、廿日市市環境産業部観光課から下記の回答メールが届いた(7/30)。

弥山の登山道について、公式コース・非公式コースの区別を定めた正式な文書はありません。市としましては、観光客の皆さんに安全に登山を楽しんでいただくため、広島県が歩道として整備している「紅葉谷コース」、「大聖院コース」、「大元コース」の3ルートをPRしています。

(弥山以外の山、例えば岩船岳などで)、登山道として整備された公式なコースはありません。

(廿日市市観光課の掲載了承済、2013年7月31日付)

私の知る限りでは、宮島島内において、不特定多数の一般登山者を対象として、特定のコースへの立ち入りを禁止した文書は存在しない。そうしたことも踏まえて、私なりには次のような理解をした。

一般登山者が自己の責任において、弥山その他の山を楽しむことまでは禁止されていない。

ところで、行政当局として「宮島弥山には、公式登山道は三本しかない」というのであれば、宮島桟橋などで、観光客用の「弥山登山道MAP(ロープウエーを含む)」を配布・販売したり、各コースの道標を分かりやすいものに付け替えるなど、やるべきことはたくさんあると思われる。

中国新聞記事(宮島奥の院遭難事件)を読む

2012年暮れに、宮島山中の奥の院周辺で遭難事件が起きた。12月23日夕方から連絡が取れなくなっていた女性(31歳)が、25日無事に発見・救助されたという内容だった。中国新聞記事(2012年12月26日付)参照。

宮島弥山の登山道について、同記事の中では、公式コース・非公式コースの別があるとして、次のように述べている。

廿日市市観光課によると登山道は7コースある。うち3コースは広島県の管理で案内板もあるが、残りのコースは「非公式」扱いで整備もほとんどされていない。同課によると、女性が向かっていたとみられる「奥の院」周辺も公式コースからははずれている。

中国新聞記事(2012年12月26日付)

同記事には地図(弥山の登山道)が添付されている。

それによると、公式3コースとは、以下のとおりである。

  • 紅葉谷コース
  • 大聖院コース
  • 大元コース(大元公園コース)

次の4コースは、非公式扱いであるという。

  • 博打尾コース(包ヶ浦自然歩道~かや谷コース)
  • 四宮コース(弥山直登尾根コース)
  • 多宝塔コース(駒ヶ林尾根コース)
  • 奥の院コース(大元谷左岸コース~多々良林道~奥の院経由)

以上カッコ内は、当Web作者による表記。なお一般的には、奥の院コースは、海岸道路~多々良~多々良林道~奥の院経由~弥山を指すことの方が多いであろう。

公式3コースは、いずれも谷筋を行くコースであり、石段の多い参道である。非公式コースは、尾根筋コース(3つ)その他である。

さて、もちろんのこと、「弥山は、文化財保護法や自然公園法に基づき厳しく管理されてきた。そのおかげで、世界文化遺産の登録も実現した」(同記事)ことは間違いない。

当Web管理人としても、国指定の天然記念物「弥山原始林」を中心とした宮島の自然環境を守るため、むやみに山中を歩き回ることは避けたいと考えている。

ただし、弥山登山道の公式・非公式コースの別については、具体的に誰がどのように考えて決定をし、そしてそれを、どのような方法で広報しているのかということについて、今一つ理解できないでいる。

したがって、一般登山者として、公式・非公式の別を意識した登山のしようがない、というのが本音である。

以上は、廿日市市に問い合わせをする前から掲載している文章である。回答を得た後も、特に書き直すべき点は見当たらない。

参考:各グループ代表の見解

奥の院遭難事件に関連して、宮島で積極的に活動中の各グループ代表が、それぞれの立場で意見を述べている。(中国新聞記事、2012年12月26日付)

広島登山研究所・代表(60歳):
「登山の備えもなしに登る観光客が目立つ・・・シカが踏み固めた獣道に迷い込みやすく、電話が通じない谷や岩場もある」

宮島弥山倶楽部・世話人(63歳):
「危険な状態を放置するのは良くない。整備をしないのなら非公式コースはいっそのこと、通行止めのバリケードを置くべきだ」

宮島地区パークボランティアの会・会長(72歳)。
「宮島は植物の博物館。豊かな自然は、裏返せば危険な場所が残っているということを理解してほしい」

岩船岳登山道には、公式コースは一つもない?

宮島における主な登山対象としては、弥山と共に岩船岳をあげることができる。宮島南西部の岩船岳に登るには、宮島桟橋から、奥の院あるいは”奥の院周辺”部を通って行くコースが一般的である。

しかし当局によれば、奥の院あるいはその周辺部を行くコースは、(何らかの理由で)少なくとも弥山登山道としては公認されていない。とするならば、岩船岳に至る登山道としても公認されていない、ということであろうか。

極論すれば、宮島(厳島)で登山を楽しむことができるのは、弥山(の3本の公式コース)のみで、岩船岳その他は対象外ということになるのだろうか。

このような疑問から、先ほどの問い合わせをすることにしたものである。その結果は、「(弥山以外の山、例えば岩船岳などで)、登山道として整備された公式なコース」はない(既述)とのことであった。

それらも踏まえて、
一般登山者が自己の責任において、弥山その他の山を楽しむことは自由である
というのが、私の出した結論である。

宮島の大半は、国有林で占められている

世界文化遺産の島、宮島での私なりの山行スタイルを考え直す良いきっかけとなったのは、ある山行(2013/06/30)である。

その時私は、宮島桟橋から岩船岳の向こうの御床山をめざしていた。省エネのつもりで、多々良(海岸道路)から多々良林道に入り、奥の院手前の岩船岳登山口経由で岩船岳縦走路に取り付こうとしていた。

すると、岩船岳登山口よりもさらに手前(二万五千分1地形図117m付近)で、右手に元からあった踏み跡が大きく口を開けているのに気づく。

宮島(厳島)は、瀬戸内海国立公園としてだけでなく、その他様々な規制を受けている地域である。そうした中で、宮島島内の古い踏み跡を解放するような動きは、どのようにとらえられているのであろうか。

行政当局によって積極的に進められているのだろうか、あるいはその逆なのだろうか。

この多々良林道沿いの踏み跡の入り口には、「広島県・廿日市市教育委員会、環境省中国四国地方環境事務所、林野庁広島森林管理署」連名の次のような真新しい立て看板がある。

ここは宮島国有林です

この地域は、瀬戸内海国立特別地域・特別史跡・特別名勝「厳島」・世界文化遺産の緩衝地帯(バッファゾーン)及び風致保安林に指定されています。許可なしに樹木の伐採・損傷、土砂の採取、その他現状変更の行為〇〇〇はできません。皆さんのご協力をお願いいたします。

・自然を大切にしましょう
・ゴミは持ち帰りましょう
・火気の使用はやめましょう

(多々良林道沿いの”お願い文”)

〇〇〇:三文字程度塗りつぶし(削除?)

この踏み跡の入り口の現況が、「その他現状変更の行為」に当たるのかどうか、「許可」は得られているのかどうか、そしてそれを、行政当局はどのように評価しているのか、気になるところである。

広島森林管理署からの回答

この立て看板の意味するところを知りたくて、廿日市市ホームページで問い合わせをしてみた。すると、「この地域は国有林の範囲内であり、所管は、近畿中国森林管理局広島森林管理署である」とのこと。改めて、近畿中国森林管理局に問い合わせをした。

後日、広島森林管理署から長文の丁寧な回答をいただいた。
私なりにまとめると以下のとおりである。

多々良林道のここから取り付く踏み跡は、国有林内の森林を管理するために設けられた歩道の一つである。本来、このような踏み跡については、人が通れる程度の幅の歩道として、適切な維持管理を行っている。今回、この取り付き口付近では、環境が変化したため刈り払いが必要と判断をして実行した。その結果、以前から自動車の待避所、置き場に利用していた部分が現れたものである。

(広島森林管理署の掲載了承済、2013年7月19日付)

「宮島さくら・もみじの会」の場合

宮島(紅葉谷など)のサクラ・モミジは、近年急速にその樹勢が衰えてきている。「宮島さくら・もみじの会」は、それらを回復するため結成(2010年)された市民グループである。

宮島のサクラ・モミジの樹勢衰退の大きな原因として、「観光客の往来で根元の土が踏み固められて水や空気が行き渡りにくく」なっていることがあげられている。そこで会では、「地面に空気を注入して肥料をまくなどして、樹勢回復に取り組」んでいる。その他「病害虫の調査や枝の剪定」も行っている。

ところで、この(圧縮)空気を地面に注入することについては、地下20㎝までとか30㎝までとかの制限があるという。文化財保護法など宮島島内の各種規制に引っ掛かるためである。本当は、もっと地中深くまで空気を送り込んだ方が樹木のためには良いらしい。

注:中国新聞記事(2013年5月9日付)「さくら功労者全国表彰、県緑化センター相談役・正本良忠さん」から引用(「」内の文章)

後日注:下記「宮島のさくら・もみじサポート講座」第1回(2011/04/09)のメモ書きをみると、圧縮空気を送り込むに当たっては、地下20㎝までの制限がある(当局からの指導)。本当は60㎝くらいの深さまで送り込みたいという。

「宮島のさくら・もみじサポート講座」について

「宮島のさくら・もみじサポート講座」が、中国新聞文化センターアルパーク教室(広島市西区)で開かれた(2011年度全12回)。上記の「宮島さくら・もみじの会」をサポートしながら、宮島のさくら・もみじについて考えてみよう、という趣旨の講座である。

アルパーク教室での座学に加えて、会のメンバーとともに現地宮島で「土壌改良や病害虫防除、施肥、枯れ枝の選定に取り組みながら、樹木の保全方法」を学んだ。2011年度、4月から翌年3月まで月1回のペースで開かれ、私は全12回すべてに参加した。

なお、宮島さくら・もみじの会のメンバーの一人が高校の同期(在学中は面識なし)だったり、不思議な縁でつながった会でもあった。

注:中国新聞記事(2011年3月2日付)「宮島の桜や紅葉 みんなで守ろう、ボランティア講座来月開講」参照

宮島のサル

  • 「宮島のサル」目撃情報がほしいそうです
    2013/05/13(月)新規掲載

連絡先:日本モンキーセンター 加藤章 さん
kato@j-monkey.jp

宮島には古来野生のニホンザルは棲息していなかったとされている。最近まで宮島でよく見られていたニホンザルは、1962年(昭和37)に香川県の小豆島から移入されたものである。

宮島ロープウエーを運営する広島観光開発と日本モンキーセンター(愛知県犬山市)が、観光や生態研究のため、47頭を連れてきたのが始まりである。

ロープウエー・獅子岩駅の近くで放し飼いにされていたが、「数が増えて半ば野生化し、最近は、ミカン園を荒らすなど問題になっていた」という。

そこで、「猿害が起きる前に捕獲することが大切」だとして、同センターが「(犬山市に)専用施設を設けて引き取ることにした」。

2009年4月から5年間かけて、全180頭を捕獲する予定。

参考記事:
まち歩き人の気まま日記
(安芸の宮島サル消える?モンキーセンター全部引き取りへ)
上記で引用されている記事、2009年3月29日10時04分 読売新聞

宮島・サル捕獲作戦、中国新聞記事(2009年3月25日付)

弥山とは

広島で弥山(みせん)といえば、もちろん宮島(厳島)の最高峰のことである。弥山という名前は、山の形容が中国の須弥山に似ていることから付けられたという。また、弥山は御山とも書く。厳島大明神のおわす山という意味である。全国各地にある弥山にはそれぞれどの様な由来があるのだろうか。 なお今年2006年は、空海による弥山開創千二百年目の記念の年に当たっている。

宮島は厳島神社を中心とする神の島で原生林が多く残っている。弥山への登山道は数多くあり、登山道毎にそれぞれ異なった趣きの山行を楽しむことが出来る。そして、戦国の武将毛利元就が陶晴賢(すえ はるかた)に奇襲をかけて破った厳島合戦の舞台は歴史的にも飽きることがない。

弥山の山頂はどこだ

”弥山山頂の巨石群は山岳宗教の道場としてふさわしく、弘法大師の修法の場と伝えられている。”「宮島の自然」宮島町教育委員会(1994年)。”(そうした)頂上岩の中で、最も大きいのは高さ五メートル。「磐座(いわくら)石」と呼ばれる。第二次大戦中は旧日本軍が海防の拠点として監視所を設け、戦後は展望台にもなった。一九五五年、すべてが取り払われ、神が鎮座するとあがめられてきた以前の姿を取り戻した。”中国新聞2005年12月25日付

弥山山頂の三角点は、明治25年に設置された(宮島弥山529.8m-御山二等三角点)。”点の記”をみると、三角点所在地は”御山都市公園地頂上石”となっており、三角点周囲の状況として”岩(高さ5m)”の記述がある。山頂の大岩をどう取り扱うか(山頂とすべきかどうか)の議論は当時からあったのかもしれない。

これに対して、2005年10月に国土地理院が巨石を山頂と認めたため、二万五千分1地形図では、(宮島弥山標高)535mとして三角点529.8mと併記されている。(確認:地形図閲覧サービス(試験公開)ウォッちず)

宮島の砲台(跡)

宮島は呉軍港の要塞の役目を負っていた。日露戦争前に仮想敵国ロシアに対して、室浜砲台(跡)と鷹ノ巣砲台(跡)の二つの砲台が築かれ、それぞれ宮島の西と東の海峡を睨んでいた。宮島桟橋から左右に延びる海岸沿いの舗装道路は、この二つの砲台を結ぶ目的で作られたのだ。

太平洋戦争に際しては、高射砲陣地も作られた。場所は島の南端、岩船岳~御床山(364m)を通り越して、さらに下った230m峰付近である。この砲台(跡)のことは宮島町(現廿日市市宮島町)当局でも把握しておらず、現在ではほとんどその存在は知られていない。

中国新聞記事(2011年01月12日、水)
残影、太平洋戦争70年
第一部 沈黙する痕跡(1)
この砲台(跡)は、実際には「厳島聴測照射所」だということが判明したという。

さて私は、岩船岳から何度かこの砲台跡に迫り、2005年03月19日(土)ついに砲台跡まで達した。また、同年8月27日には、宮島自然植物実験所の関係者が海側からこの砲台に達している。(google keyword:宮島・御床山南西に砲台確認)

さらに、藤下憲明さんから、2006年03月11日(土)現地探訪に成功した旨メールをいただいた。その成果は、ご自身のホームページ(はつかいち/宮島地区点描)に詳しく記されている(google keyword:御床山南西防空砲台跡(厳島聴測照射所跡))

なお、宮島が呉軍港の要塞地であったことを示す海軍省標石(近代戦争制限区域標石)が、紅葉谷コース~岩船岳縦走路に点々と残されている。

参考:陸海軍省標石2001年10月20日
近代戦争制限区域標石について(上)(下)藤下憲明
広島県文化財ニュース168号、170号(2001年3月、8月)
広島県文化財協会

登山道以外を歩かないように

宮島を歩き回っていると、登山道以外に踏み跡を見つけることがよくある。それがショートカット道だと、ついつい踏み込んでみたくなるものだ。しかし、登山道以外はできる限り歩かないようにしたいものである。

宮島は全山ほとんど人の手が入っていない自然林で覆われている。ヒトがむやみに歩き回れば、踏み固められた新たな道ができて、生態系が乱される危険性が高まる。例えば、ロープウェイ駅終点から紅葉谷分岐を過ぎて、弥山山頂に向う途中にもショートカット道があり、その近くは「〇〇など貴重な宮島の植物の多い場所」だという。QJYさんの記事?(記事消滅?):

四宮コース赤ペンキ事件

2008年7月、弥山直登尾根コース(四宮コース、約2㎞)で、何者かがコース上の248か所に赤色塗料を吹き付けるという事件が発生した。

赤ペンキを塗布するという行為そのものについて、関係機関の判断としては、「塗料は「道しるべのための可能性が高く、悪質ではない」と判断し、告発しない方針を確認」(中国新聞記事、2008年10月9日付)したという。注:関係当局=県と市の教育委員会、農林、観光などの関係部署と環境省の17人。

道しるべとして、認めるべきかどうか、当Web作者の考えは異なっている。

四宮コースの赤ペンキは、
ただの落書きにすぎない!
りっぱな犯罪行為である!

結論からいうと、この尾根(四宮コース)に道標は全く必要ないといえる。せまい尾根であり、しかも昔から踏まれたりっぱな道がついている。ごく一部分で、多少迷いの生じる箇所があるものの、尾根付近をはずさずに行動すれば何の問題も生じない。

したがって、最近付けられたという登山道上の赤ペンキに、意味のあるものは一つもないと断言できる。これはただの落書きにすぎず、道しるべとしてしては認められない。完全な犯罪行為と考えるべきである。

四宮コースの上下取り付き地点に道標がいるかといえば、その必要もないと考える。わかる人が歩きたい時自分の責任で歩けばよいだけではないだろうか。もちろん、他人様の土地を無断で通らせていただくのである。何時でも何処でもただただ感謝あるのみである。

ところで、中国新聞記事(2008年7月26日付)によれば、「「四宮ルート」は県が整備する「公式」ルートではなく、廿日市市教委などは「極力立ち入らないでほしい」との立場だ」としている。 そして、「 (市教委は)「手つかずの自然を後世に残すためにも公式ルートを使ってほしい」と訴えている」という。

また、「非公式のコースが登山ガイドや民間パンフレットに掲載されている状況を踏まえ、増刷や再版時に削除してもらうよう出版社などに要請していく」方針も示されたようである(同2008年10月9日付け記事)。そうした中で、「「(市教委は)国や県とも連携し、宮島の法規制が意味するものの周知を強めたい」と強調している」(同上新聞記事)。

世界文化遺産の島「宮島」は、文化財保護法や自然公園法など各種法律で規制されることによって保護されているという事実は重要である。登山に関しても何らかの規制が必要な場面がでてくることは当然であろう。しかし、公式ルート、非公式ルートなどという言葉を聞いたことは今まで一度もない。

廿日市市では、宮島で入島税(法定外目的税)の導入を検討しているという。旧・宮島町(佐伯郡)は、「宮島の自然や文化財を保護するため」、その財政規模ではとてもまかないきれない程の負担にあえいできた。そして、合併後の廿日市市にもそれほど余裕があるわけではない。

とはいうものの、観光客にも応分の負担を求めることには、各方面から一定の理解を得る必要があるだろう。登山者も含めた観光客が納得できるやり方について、透明性のある議論を展開してほしいと切に望むものである。

宮島登山道赤ペンキ事件についても、「事実関係をしっかりとつかんだ上で、各方面の忌憚のない意見をぶつけ合うこと」が必要と考える。もちろん、登山道における公式ルートあるいは非公式ルートの違いはどこにあるのか、さらに入島税導入の是非も含めて議論されるべきである。

何はともあれ、関係当局が説明責任をはたすことこそ問題解決の第一歩となるであろう。

中四国ワンダーフォーゲル大会(1966年)

大学1年の時(1966年)、宮島で開かれた中四国のワンダーフォーゲル大会に参加した。宮島だから主催は広島大学であろう。その時のテント場は可部島を望む浜辺であったような気がする。行きのことは全く記憶にないのだが、帰りは峠を越えて弥山に登り大元公園に下りたように思う。

浜辺までの往復にはどの道を通ったのであろうか。二万五千分1地形図によれば、宮島桟橋から海岸沿いに御床浦に至る道があり、それからさらにちょっと山越えしてその浜辺に至るとなっている。そしてそこから御床山~岩船岳の稜線上に登り返すことができるらしい。

また、うわさに聞く大潮の干潮の時に通ることが出来る海岸線の道とはどこのことを言うのであろうか。

・御床山の先で十数年前に山火事があった
・焼け跡の植林ボランティアが2000年か2001年ころに行われた
・植林部隊は大野から船で渡ったらしい(主催者は確認できず)
・ある山岳会による西海岸のルート整備計画は許可されなかったらしい
・砲台跡がありその位置は230mピークのわずかに右下(北東方向から見て)

2002/06/02記
昨日羅漢山山頂で男3人組の人といっしょになり、宮島はいいですね、という話になった。岩船岳に行ってみたいけどまだだという。やはり遠いというイメージがあるようだ(実際、宮島だからといってバカにはできないと思う)。縦走路稜線までをいかに体力を使わずに行くかを第一のポイントとして少しばかりの経験を話させていただいた。年の頃はほぼ同じ位に見えたので、多々良林道を奥の院近くまでタクシーで行くという奥の手(まだ試したことはないが)までは話さなかった。

宮島本発売(アマゾンKindle版)2018年1月17日刊

『孫と歩く~ユネスコ世界文化遺産の島・厳島~』

宮島のトピックス満載の本です。
過去の記録を基にして書き改めています。
したがって、事実関係そのほか全ての点において
本書の内容が優先いたします。